河城にとりがロボを作った。それはにとりと全く同じ姿、同じ能力を持ったロボで、便宜上、みなからはにとロボと呼称された。便宜上というのも道理で、にとロボは河城にとりと全く同じだったから、呼称で区別するほかなかった。髪留めの有無という見分け方も存在したが、にとりの友人以外には判らない差異であった。
蜃気楼
乾いた夏の始まりに、にとりは突如としてにとロボの完成を発表した。近頃発展の目覚ましい幻想郷においてもロボなどというのは前代未聞で、あからさまに過ぎた技術だった。時化た電波塔の二、三建つ里で起きた騒ぎは半ば暴動に近しい勢いで、褪せたショーウィンドウのブラウン管につんのめった。記者達の俊敏さといえば云うまでもない。里の外れ、のんきなきゅうりが大勢冷やされている川沿いの河城邸は気鋭のペン先に埋め尽くされた。翌日の新聞はどの社のものも飛ぶように売れた。
新聞には概ね、にとりの証言を基としたにとロボの詳細が書き綴られた。燃料は一般的な河童と同じ食物で、量でいっても一般的な河童と同じだけ食べれば、一般的な河童と同じだけ動くとあった。自律行動の為せるよう造られたため、にとり自身がにとロボに命令を与えることはないとあった。ロボであるからして河童権の所有のないことを理由に、所属の強制を禁ずとあった。好物はきゅうりとあった。そんな情報が紙面に載って、真夏の晴天を飛び交った。誰もが好奇と感心を胸に抱いたが、同時に、誰もが釈然としないでいた。肝心の製作過程について、にとりはあらゆる質問に答えることをしないでいた。そういった質問に関してはただひたすらに、秘匿とす、とあった。
興味と関心は三日も経てば発刊部数に比例して、目に見えて減少の動きを見せた。暑い季節も相まって、そのほかの話題にも事欠かなかった。甘味処はこぞって削り氷をはじめ、呉服屋は浴衣と甚平を売った。寺子屋にそれが建設されたのはつい近年のことだったが、今年のプールも大盛況の熱気をもって開かれた。プールには上白沢慧音の認可を得た数名の出店もあり、里の子供達の殆どは親へのささやかな無心を余儀なくされた。
そんな七月の水場に、程なくして噂が立った。それは子供達の間に起こった噂で新聞沙汰になることはなかったが、純真な少年少女がこっそりと交わし合うには口当たりのよいもので、上白沢慧音も把握こそしていたが敢えて何かをいうこともなく、静観することに努めた。監視塔の慧音や子供達の盗み見る視線の先にあったのは、プールサイドに座り水を蹴る河城にとりの姿だった。ときおり、にとりに声をかける果敢な少年の姿があったが、数秒言葉を交わしては自身の交友の輪へと帰っていくばかりで、これといった核心を掴む者はおらず、噂話の膨張にのみ終始した。数名の子供達が、プールサイドの河童をにとロボであると主張した。対してまた、数名の子供達は河城にとり本人であると主張した。小さな衝突から諍いが生じれば、上白沢慧音はホイッスルを吹いてみせた。そんな水場の論争は暫し続いたが、ある日訪れた天狗によって終止符が打たれた。プールサイド、髪留めのない河童はロボであった。子供達の無邪気さに手を引かれ水場を離れていくにとロボに向けて、天狗は同じような無邪気さを口を結んでシャッターを切った。慧音はホイッスルを構えたまま、麦わら帽子の下に微笑んで、そのような光景を見送ったのだった。
それからまたしばらくが経ち、夕暮ればかりが長くなったその頃に、里では奇妙な活動が行われていた。調査にあたったのは水場の論争に終止符を打った天狗で、天狗の調べによると、デモ隊は年端もいかない少年少女のみで構成されていた。子供相手ともあって難航するかと思われていた調査だが、天狗は季節相応に伸びた夕暮れのうち、デモ隊の活動目的を明らかにした。河城にとりに対する説明の要求、及びにとロボの存在の保証という少年少女の活動目的を綴った新聞は、夕立の翌日に少しだけ売れた。同じ調査に手こずった同僚から学級新聞の発刊を勧められた天狗は、蒸した夜中の缶ビールに苦く笑ったという。
初夏に比べて幾分か減ったきゅうりの川沿い、子供達への説明は河城邸にてひっそりと行われた。上白沢慧音、にとロボ本人、そして子供達を前に、河城にとりはにとロボについて語った。それはまるで蜃気楼のような話で、子供達には受け入れがたい内容であった。しかしにとロボの首肯くような笑顔を見れば、子供達はにとりの話が真実であることを悟った。その際は天狗も同席していたが、ペンを握ることはしなかった。今夏一度目の縁日を終えた夜、川沿いで行われたキャンプファイヤーをもって、にとロボは消えた。
陽のますます焦げる八月の初頭、河城にとりはロボを造った。陽炎揺らぐ里の中、ガラガラのショーウィンドウ、褪せたブラウン管に、ロボは映し出されていた。それはロボというには程遠い、名称だけがロボをロボたらしめる、手を鳴らすと反応して音が鳴るというだけの、くだらないおもちゃではあったが、天狗が小さく記事を書けば、少しだけ売れたという話だった。
蜃気楼
乾いた夏の始まりに、にとりは突如としてにとロボの完成を発表した。近頃発展の目覚ましい幻想郷においてもロボなどというのは前代未聞で、あからさまに過ぎた技術だった。時化た電波塔の二、三建つ里で起きた騒ぎは半ば暴動に近しい勢いで、褪せたショーウィンドウのブラウン管につんのめった。記者達の俊敏さといえば云うまでもない。里の外れ、のんきなきゅうりが大勢冷やされている川沿いの河城邸は気鋭のペン先に埋め尽くされた。翌日の新聞はどの社のものも飛ぶように売れた。
新聞には概ね、にとりの証言を基としたにとロボの詳細が書き綴られた。燃料は一般的な河童と同じ食物で、量でいっても一般的な河童と同じだけ食べれば、一般的な河童と同じだけ動くとあった。自律行動の為せるよう造られたため、にとり自身がにとロボに命令を与えることはないとあった。ロボであるからして河童権の所有のないことを理由に、所属の強制を禁ずとあった。好物はきゅうりとあった。そんな情報が紙面に載って、真夏の晴天を飛び交った。誰もが好奇と感心を胸に抱いたが、同時に、誰もが釈然としないでいた。肝心の製作過程について、にとりはあらゆる質問に答えることをしないでいた。そういった質問に関してはただひたすらに、秘匿とす、とあった。
興味と関心は三日も経てば発刊部数に比例して、目に見えて減少の動きを見せた。暑い季節も相まって、そのほかの話題にも事欠かなかった。甘味処はこぞって削り氷をはじめ、呉服屋は浴衣と甚平を売った。寺子屋にそれが建設されたのはつい近年のことだったが、今年のプールも大盛況の熱気をもって開かれた。プールには上白沢慧音の認可を得た数名の出店もあり、里の子供達の殆どは親へのささやかな無心を余儀なくされた。
そんな七月の水場に、程なくして噂が立った。それは子供達の間に起こった噂で新聞沙汰になることはなかったが、純真な少年少女がこっそりと交わし合うには口当たりのよいもので、上白沢慧音も把握こそしていたが敢えて何かをいうこともなく、静観することに努めた。監視塔の慧音や子供達の盗み見る視線の先にあったのは、プールサイドに座り水を蹴る河城にとりの姿だった。ときおり、にとりに声をかける果敢な少年の姿があったが、数秒言葉を交わしては自身の交友の輪へと帰っていくばかりで、これといった核心を掴む者はおらず、噂話の膨張にのみ終始した。数名の子供達が、プールサイドの河童をにとロボであると主張した。対してまた、数名の子供達は河城にとり本人であると主張した。小さな衝突から諍いが生じれば、上白沢慧音はホイッスルを吹いてみせた。そんな水場の論争は暫し続いたが、ある日訪れた天狗によって終止符が打たれた。プールサイド、髪留めのない河童はロボであった。子供達の無邪気さに手を引かれ水場を離れていくにとロボに向けて、天狗は同じような無邪気さを口を結んでシャッターを切った。慧音はホイッスルを構えたまま、麦わら帽子の下に微笑んで、そのような光景を見送ったのだった。
それからまたしばらくが経ち、夕暮ればかりが長くなったその頃に、里では奇妙な活動が行われていた。調査にあたったのは水場の論争に終止符を打った天狗で、天狗の調べによると、デモ隊は年端もいかない少年少女のみで構成されていた。子供相手ともあって難航するかと思われていた調査だが、天狗は季節相応に伸びた夕暮れのうち、デモ隊の活動目的を明らかにした。河城にとりに対する説明の要求、及びにとロボの存在の保証という少年少女の活動目的を綴った新聞は、夕立の翌日に少しだけ売れた。同じ調査に手こずった同僚から学級新聞の発刊を勧められた天狗は、蒸した夜中の缶ビールに苦く笑ったという。
初夏に比べて幾分か減ったきゅうりの川沿い、子供達への説明は河城邸にてひっそりと行われた。上白沢慧音、にとロボ本人、そして子供達を前に、河城にとりはにとロボについて語った。それはまるで蜃気楼のような話で、子供達には受け入れがたい内容であった。しかしにとロボの首肯くような笑顔を見れば、子供達はにとりの話が真実であることを悟った。その際は天狗も同席していたが、ペンを握ることはしなかった。今夏一度目の縁日を終えた夜、川沿いで行われたキャンプファイヤーをもって、にとロボは消えた。
陽のますます焦げる八月の初頭、河城にとりはロボを造った。陽炎揺らぐ里の中、ガラガラのショーウィンドウ、褪せたブラウン管に、ロボは映し出されていた。それはロボというには程遠い、名称だけがロボをロボたらしめる、手を鳴らすと反応して音が鳴るというだけの、くだらないおもちゃではあったが、天狗が小さく記事を書けば、少しだけ売れたという話だった。
面白い作品でした。
澄んでいるように思いました。
話自体は分からないですがそういうお話なのでしょうか
ただ緩やかながらにも展開が存在し、タイトル回収から伝えたいことも読み取れて心地よい作品だという印象です
後読感を楽しんだり作者の力量を感じる作品だと思いました。
にとロボという広げたらそれこそ面白そうな話ですが、
作者さんの書きたかったのはタイトルの通りひと夏の美しい思い出の様な描写だったと思うので、
それはそれとしていいのではないかと思いますし、
その点でいえばとてもよかったと思います。
強いて言うならやっぱり散りばめられたお話がちょっと面白そうすぎて
逆にそれが描写に浸るのにノイズに感じてしまったという
個人的な感性の問題がちょっとあったかもしれないです。