「あれは水もお魚さんもなんでも飲み込んでしまうの、あなたたちも逃げて!」 わかさぎ姫が警告する。
その音の主は大きく、紅魔館の半分はありそう真っ黒な塊、水中に適応するためか、魚のような姿をしている。そして頭部らしき部位に一対のレンズのような丸い球体がはめ込まれていた。きっと眼だと思う。
「あれは、外界の風」 だが、里を襲ったものと違う点は、背中に相当する部分が何故かもやではなく固そうな質感だという事だ。
「私が何とかします」 私は妖力の弾を生成し、それを魚型の外界の風めがけてぶつけたが、皮膚がゴムのようにへこんで弾かれてしまった。
「あたいがやるよ」 チルノがつららのような氷の塊を飛ばすが、これも少しだけ皮膚に刺さって折れてしまう。
魚型の黒いもや、あるいは外界の風は怒って(?)尾びれを陸にいた私たちに向けて振るう、相当な長さだ。私たちは間一髪身を伏せて避けられた。わかさぎ姫が言うようにこのまま逃げるべきだろうか?
「私に任せるんだ。この日のためにとっておきの新兵器がある」
にとりが背負っていた背嚢から二つのプロペラが現れ、彼女は浮遊した。この世界では飛ぶだけでもそうとう大変な行動だ。すばやく怪魚の真上に到達すると、どこに入っていたのかポケットから一抱えほどもある丸い爆弾を取り出し、スイッチらしきものを入れようとした瞬間、怪魚の眼球がぎろりと上空のにとりをにらんだ。
「これでも喰ら……きゃあっ」
怪魚の背中から、触手か槍のような黒い組織が飛び出し、にとりに襲い掛かる。
すんでのところで回避するが、バランスを崩して落ちそうになる。
私とチルノはかつてには遠く及ばない弾幕を放ち、視線をそらそうと試みるが、その怪魚は眼球をこちらに向けて少しだけ動きを止めたものの、再び視線をそらしてにとりを突き刺そうとする。大したことはないと見なされているのか、超悔しい。
「危ない! くそっ、こいつ」
「にとりさん、今のうちに態勢を立て直してください」
わかさぎ姫が呼びかけると、怪魚の目の前に同じくらいの大きさの影が横切った。
彼女が呼んだ魚たちが集まって、巨大魚のように動いているのだった。
怪魚の眼球がそちらを向く。魚の集団は同じ意思を持っているかのように動き回り、怪魚の注意をそらし続ける。
「小さなお魚さん達だって、こうやって勇敢に戦えるのです」 自信に満ちた目でにとりを見上げた。
「すまない、助かった」 素直に礼を言う。
にとりが姿勢を立て直し、怪魚の真上で爆弾のスイッチを入れ、落とした。
「これでうまくいってくれ。みんな離れろ!」
チルノも紫も、わかさぎ姫もできるだけ距離を取り、魚たちも群れを解いて散らばった直後、猛烈な爆音が響いた。怪魚のゴムのような弾力を持つ皮膚が破れ、中から皮膚に守られていない十数個もの核が露出した。
「あれ全部壊すのかよ!」 チルノがたじろぐ。でも勝機はある。
「二人ともありがとう、後は今度こそ私たちに任せて!」
「どーすんだユカリ」
私は呼吸を整えて、空間のスキマを目の前で開く。
「チルノ、ありったけのつらら弾をこのスキマに撃ち込んで」
「あのでっかいのに向けてじゃなくていいの?」
「いいの 信じて!」
わずかな逡巡の後、チルノも吹っ切れた。
「……うんわかった、信じる!」
チルノがつらら弾をスキマに撃ち込んだ。と同時に怪魚の真上に開いた無数の小さなスキマからつららが降り注ぎ、核が破壊されていく。あと9個、8個、7個……。
(私の見立てどおり、数が多い分耐久力は低そう)
残りの核はあと6個、5個、4個、3個、だが、それまでスキマを開く私と弾幕担当のチルノの力がもつのか?
あと少し、あと少しですべての核を壊せる、チルノも苦しげな顔をしつつ、懸命に弾幕を放っている。だから私も気合を入れなきゃ。
しかし……。
あと一つという所で、私とチルノの妖力が尽き、その場に崩れこんでしまう。
(力が抜ける)
核が一つ残った怪魚は、怒ったのか、私たちめがけて突進した。その巨体で強引に岸に躍り上がり、押しつぶすつもりらしい。
(これで終わりとはね)
時間の流れがスローモーションのように感じられ、どこかこの状況を他人事のように客観視している私がいた。
「てええええええい!」
雄たけびの聞こえた方向に頭を向けると、にとりが飛行機械の入った背嚢を捨てて怪魚の真上に飛び降りた。同時に彼女の片腕が縮んでもう片方が槍のように伸び、最後に残った怪魚の核を貫いた。
ぱりーん
最後の核が砕かれた。間一髪、怪魚はがっくりと力を失くし、蒸発するように消滅してゆく。
「ざっとこんなもんよ」 にとりは空中でくるくる回りながら着水を決めた。
怪魚だったものから放出されたのは、今まで取り込んでいた幻想的な成分と、それと……
「うわあああああ、洪水だ~」
「一体どこにあれだけため込んで……」
大量の水が私たちに迫ってきた。
私とチルノは急いで空を飛び、とりあえず元々の湖岸を目指す。
幻想の成分をいくらか吸い込んだので、以前神社に上った時よりは楽に浮遊できる。心の中で持ち主たちにお礼を言う。戦いの後もあってか、それでも徐々に速度と高度がチルノとともに落ちていく。
「ユカリ、だんだん水の勢いが落ちてきた~」
「もう少し頑張るのよ」
ようやく怪魚が取り込んでいた水の放出が終わると、湖の水位は元通りになり、幻想の力が周囲に感じられるようになった。小さいが、遊ぶ妖精の姿も見えてくる。その妖精たちの力で、茶色い地面にもう緑色が差し始めていた。
「なんか妖精が増えてきた、あたいの力も最強に戻ってきたみたい、大ちゃんは、大ちゃんは居ないかな」
遠くから、チルノちゃーんという声が聞こえてきた、確かこの声は彼女の親友というより、妹を見守るお姉さんみたいな感じの子だったかな。
チルノが声の主の方へ駆けつけてくる。
「あっ、大ちゃん、無事だったんだ」
「えへへ、自然が枯れて消えちゃったけど、またチルノちゃんに会えたよ」
彼女はチルノより背丈が小さく、存在感がまだ希薄で、幻想分の少ない場所へ行けばまた消えてしまいそうだった。
それでも二人は涙を流して再開を喜んでいる。
「大ちゃん、あのでっかい奴、あたしたちでやっつけてやったんだよ」
「ユカリさん、でしたっけ、私達を救っていただいてありがとうございます」
とぺこりとお辞儀。
「いいえ、これは私だけじゃなくて、チルノが一緒に協力してくれて、河童さんと人魚さんが必死に戦って、チャンスをくれたおかげなのよ、だから、チルノやあの子達にもお礼を言ってあげて」
にとりとわかさぎ姫も湖畔へ戻ってきた。彼女たちがつなげてくれたからこそ、私達はあの怪魚に勝てたのだ。それにしても、綱渡りの勝利だった。二人にお礼を言わなきゃ。
「ありがとう、わかさぎ姫、あなたがお友達を呼んであいつの気をそらせてくれて。それに河童さん、あなたの最後の一撃がなければ死んでいたわ」
「なんのなんの、尻子玉抜くより爽快だったねえ。それよりこんな豊かな水は久しぶりに見たよ。これで住む場所でもめなくて済みそうだ」
「お魚さんたちも喜んでいます。ねえ河童さん、あの、ちょっといいですか」
わかさぎ姫が恥ずかしそうに、にとりに向き合った。
「何だい?」
「あの、河童さん達の機械、今まで悪く言ってごめんなさい。貴方たちはすごく良いものを作れるのですね。なのに私はそんな事も知らないで……ただ水が汚れるとばかり思っていました」
「いやいや、こちらこそ君らの助けがなければ今頃あいつに串刺しになっていたさ。正直私らも他の種族を軽く見ていた。ごめんよ。そして、ありがとう」
「それにしても、戦うにとりさんの姿、格好良かったです」
二人は握手した。
そういえば、湖を渡る客をどちらがとるかで揉めていたんだった。要はお金より存在承認が欲しいわけだから、これは解決可能だ。
「舟のことなんだけど、お客を取り合うんじゃなくて……」
チルノも同じ考えにたどり着いたらしく、寺子屋の授業のように、はい、と手を挙げた。
「魚っぽいわかさぎ姫が泳いで先導して、ヒトっぽいにとりが漕げばいいんじゃない」
「よくできました」 私は素直にほめてあげた。
にとりがばつが悪そうに頭をかく。
「いやあ、私も薄々そうすればいいんだろうとは思っていたんだけどねえ。ただ、仲間たちの手前、つい意地張っちゃってさあ」
「わたしもそうでした、でもお互い水の眷属ですし、水も足りたので、これからは仲良くしましょう」
「それでさ、これからは舟でお客を運ぶのは君に任せようと思うんだ」
「どうしてですの?」
「やっぱさ、湖については君が大先輩だし、私は力が戻ってある程度なら陸も動けるようになったから、鉄道を再建しようと思っているんだ。湖畔の駅を拠点としてね」
二人は良いコンビになれそうだ。翻って私達はどうかな? 私にとって、もはやチルノは霊夢や藍、橙、幽々子に負けない良い仲間で、友人だと思っているけど、彼女はどうなんだろうな。
「大ちゃん、悪いけど、あたいまた行くから、河童や人魚とも仲良くして、ここの連中を守ってやっててね」
「うん、チルノちゃんがそうしたいならいいよ、昔からいろいろなところへ行くのが大好きだもんね、でも、たまには戻ってきてね」
「ユカリ、ここの用事を片付けたら、お昼寝して、それから三人目の友達を探しに行こうか」
「三人目? まだ一人しか見つかってないのに?」
「えっ? だってユカリも友達じゃん」
なんの裏もない柔和な顔でこの子は言う。
うう、なんという卑怯な不意打ち!
本来はるかに格上であるはずのこの私が、この私が、霊夢にボコボコにされてではなく、藍に生活習慣の乱れを説教されてでもなく、この子の言葉で涙目になる……だと!?
彼女から目をそらし、どうにかバレずに済んだか?
「それにさー、さっきのアレ、『はくひょーをふむようなしょうり』だったじゃんか。危ないからあたいがいてやらんとな」
「難しい言葉を知っているのね」
「べんきょーしたからな」
これからもこの子が同行してくれる、とっても嬉しい。ただ戦いに有利なだけじゃなくて、謎の安心感がある。素直に好意を受けよう。涙をぎりぎり見られないようにして彼女の方を見る。
「じゃあ、一緒に行きましょう。大妖精さん、チルノちゃんをお借りします」
「はい、こちらこそチルノちゃんをお願いします」
私は背嚢を確認し、湖の向こうを見据えた。
「まずは、紅魔館のメイドに差し入れを渡さないとね。舟はまだあるかしら」
「あっちで見つけたから持ってきてやるよ。そうだ、アイデアをくれた二人に悪いから、今回は私と人魚姫の二人で案内するよ、いいよね、わかさぎ姫」
「もちろんです」
こうして私とチルノは人魚の先導のもと、河童の漕ぐ小舟に乗り、紅魔館がある島を目指す。大妖精も同伴。
「霧で前が見えないよ」
「私の体内コンパスに任せて、こっちです」
「オール漕ぐの疲れた」
「小型エンジン。半人分の力は出るよ」
「妖精が群がってきてる」
「こらー、今忙しいんだから、あっちへ行って」
「今度遊んであげるから、今はそっとしててね」
やがて霧の中の小島に着いた。二人に礼を言って敷地内に降りると、そこにはややくたびれてはいるが、荒廃というほどではない紅色の館が建っていた。かつて空を普通に飛べたころより大きな印象を受ける。門は開きっぱなしになっており、詰所は崩れかけており、門番は不在のようだった。私と、チルノ、大妖精の三人はそのまま庭に入り、玄関のドアを叩く。
「あの、上白沢慧音さんのお使いで来ました」
「どうぞ」
呼びかけに応じて、誠実さと可憐さを併せ持つ、透き通った声が返ってきた。この声は間違いない。彼女だ。
「お邪魔いたします」
「あのう、すみません、お邪魔します」
「メイド長元気か~」
私たちは紅魔館に足を踏み入れる。
「あら、すっごくお似合い」
人里の仕立屋で八雲藍は、なぜか店主の女性に頼まれて服の試着をさせられている。
白いブラウスに赤いフレアスカートがけっこう映えている。
「次は、この外界のジーンズと、Tシャツなんだけど」
「ただ紫様の事を教えてもらえればよかったのだが、ついでだ、これも着させてもらおうか。ちょっときついな」
「にゃ~あ」
「これはだな橙、人里の復興状況を調査しているんだ。服飾文化も文明の指標だからな」
などと言いながら、この狐、ノリノリである。
「にゃあ」
「本来の目的を忘れていやしないさ。おおっ、これも可愛い」
「にゃああああ」
「お前もその赤いリボンのついた首輪、すっごくいいよ」
「にゃん」
黒猫が目をそらす。