幻想郷が今よりも貧しく、まだ幻想郷という呼び方も稀だった時代。
夏は生命が謳歌する季節であるとともに、死が充溢する季節でもありました。流行り病によって多くの人々、特に小さな子供があっけなく亡くなっていきました。七五三なども、もともと節目を越えて生きたことを祝う行事でした。今からは考えられない時代です。江戸に幕府が置かれていた頃、そうした恐ろしい病の一つは「百日咳」と呼ばれるようになっていましたが、幻想郷ではまだ「とりしゃびき」という名の方がよく知られていました。未だ永遠亭は世界に対して引きこもりを続けており、巫女の祈祷も流行り病を操る妖怪や神々の力に拮抗するのがやっとの時代です。
それでもこの隠れ里の人々は、他の里のものよりも少しだけ多くの希望を持っていました。なんといっても、御山にはニワタリ様が棲んでいらっしゃるのですから。
ニワタリ様は、庭渡久侘歌と名乗っていました。野生の鶏の神様で、普段は妖怪の山に棲んでいます。
ニワタリ様は数多の貌を持つ神様ですが、もっとも里の人間に親しまれた神徳は「喉の病を癒す」ことでした。里の人々を脅かした百日咳や結核に対し、彼女の力はとてもよく効くのでした。
里の人々は病気の子を背負って妖怪の山のふもとにある小さな祠を訪ねます。祠の上にちょこんと座る庭渡様は一目で病の重さを測り、雑木林の中に里の有志が立ててくれた幾つかの療養所に病状に応じて割り振ります。
いつも必ず治せたというわけではありません。
かつて流行り病を操る妖怪や神々の力は今よりもずっとずっと強大でした。西洋医学の合理性では捉えることが困難な、呪術的なものです。
それらの呪いにもともと弱い人や、何か本人には全く咎のない偶然、たとえば道端を歩いていて偶々気づかずに妖怪の眷属たる虫を踏みつけてしまっていたとか――そんな運の悪さによって容易く呪いは深く強くなりました。そしてそれらの法則性は、人間たちの思いをあざ笑うかのように気まぐれに日々変化するのでした。ですから、庭渡様の力が全てに及ばないことは仕方のないことです。
それでも庭渡様は自分の仕事に誇りを持っていました。
その年は、特に暑い夏でした。
緑の影が濃くなるほど、病の力もまた強まります。若草の香気に混じって、僅かに荼毘の臭いがするような気さえします。夏の盆に、庭渡様は自分の祠の裏の湧き水を人間たちに配ります。庭渡様の神徳の一つは、水渡(みわたり)です。生命力を更新する力を秘めた水によって、今年も多くの人々が病を未然に防ぐことができるはずです。
忙しい日々でした。しかし彼女はいつも笑顔を絶やしませんでした。疲れたときは、鶏冠のような紅い髪の上にちょこんと載っているひよこがぴいぴい鳴いて元気づけてくれます。
「庭渡様のお子さんでしょうか」などと鴉天狗が取材と称してずけずけと質問します。
彼女に子はおりません。もしかすると神様になるずっと前、ただの野生の鶏だった時代にいたのかもしれませんが、もうずっと昔の神話の時代のことなので覚えていません。彼女は鶏の神様です。眷属たる鶏やひよこを従えていたってなんの不思議もないではありませんか。
「いえ、あまりに仲睦まじく、まるで親子のようでしたので」
「実はこの子は三途の川へ続く中有の道で見つけた迷子なのです」
迷子のひよこを従えた庭渡様の姿は、どこか近寄りがたい神様という存在を親しみを持てるものにしました。病気が治ると、その家族や友人は庭渡様の姿を描いた絵馬を祠に奉納します。庭渡様の絵は、神聖さ漂う気品と共になぜか頭にひよこを載せたユーモラスさが受けて、病気に関係のない人々も好んで描く題材になりました。
庭渡様の尽力もあり、今年の流行り病の犠牲者は例年より少し多い程度で済みました。この隠れ里の外では、ここ数十年で一番子供が亡くなった年でした。庭渡様は里の外にも分霊として顕現して力を分け与えますが、幻想の力が強いこの里ほどの力を振るえないのが悔しいところです。
この里には神様が多すぎるので、一族ごと、家ごとにそれぞれ複数の八百万の神様が産土神としてつく慣習があります。庭渡様もそうした産土神の一柱でした。
誰誰の家でお産があったと聞けば、里に一番近い道祖神のある大樹の木陰で他の神様と一緒に生まれた子の運を決める会合に出席します。庭渡様としてはどの子にも最大の幸運を渡したいところなのですが、そうはいかない神様達のルールもあり、話し合いはいつも喧々諤々です。
余りに横暴な意見には庭渡様はコケーッ!と一喝します。それでもすぐに笑顔に戻ります。余裕こそが出来る神様の証なのです。今年は頭の上のひよこもピ!と応援してくれるので心強い限りです。
神様達の会合で、「去年も今年も生まれる子供が少ない」という話題が出ましたが、道祖神が会議に疲れたと言ってお酒を皆に配り始めたためすぐに宴となりました。
神様の勤務態度というのは昔も今も概してそのようなものなのです。
忙中閑あり。たまには休みも必要です。
九天の滝の少し上の方にある庭渡様の棲家からやや歩いた場所、天狗の里のほど近くに、今ではあまり使われなくなった鳥葬のための大岩がありました。庭渡様は仕事に疲れるとよくここへ来ます。鳥たちが大岩の周りの空をゆっくりと旋回する様子をぼんやりと眺めるのが好きなのです。
彼女はもとは野生の鶏なので、神通力を使わず翼の力のみだと数十メートルも飛ぶことができません。だから自分の翼の力だけで大地を長い間離れることのできる鳥たちに密かに憧れていたのです。
頭の上のひよこも、自分も飛びたいとでも言うようにぴいぴいと鳴きました。二人にとって、それはかけがえのない時間でした。
或る日、庭渡様は閻魔様から三途の川の河原に呼び出されました。そこで見たのは、賽の河原中に子供たちの霊がひしめく光景でした。河原の石で組まれた不格好な石塔が見渡す限り遠くまで続き、そこかしこで獄卒の鬼たちが塔を壊すたび、消え入るような悲鳴が聞こえてきます。
三途の川のさざ波に混じって、誰かの親しい名前を呼び掛ける声が木霊します。幼い魂が水面に懐かしい影が映るのを見たのでしょう。もちろんそれは泡沫の幻です。
「ああ、こんな残酷なこと、私は耐えられません」
庭渡様は賽の河原が好きではありません。親より早くして亡くなった子供に、なぜこんな理不尽な罰が与えられなくてはならないのでしょうか。
「それに以前に比べて、あまりにも子供たちの声が多すぎます。いったい何があったというのですか」
ところが、閻魔様はこの事態が庭渡様のせいだというのです。
庭渡様は自分が助けられなかった幼い命のことを毎日毎日考えつづけていました。それが良くなかったのです。並みの人間や妖怪ならいざ知らず、庭渡様ほど人間の生死にかかわる神様が亡くなった命のことを覚えていると、本来解き放たれるべき現世と魂との縁が結ばれたままになります。
「久侘歌。貴女が幼子を想う気持ちは優しいものでしょう。しかしそれが貴女の悪行と知りなさい」
誰かが誰かの死を悼むことに、元来良いも悪いもあるはずがありません。しかし神様の気持ちともなれば別です。誰も裁くことのできないことにも、楽園の閻魔だけは白黒つけるのです。
「貴女はそれを都合よく”忘れている”」
庭渡様は鬼渡(おにわたり)の神徳を持っています。鬼と人とを見わけ、鬼は鬼の世界へ、人は死者なら彼岸、生者なら此岸へと送ります。鬼とは、もともと大陸から伝わった文字です。大陸の国においては鬼とはすなわち死者を意味しました。庭渡様はもともと生と死の一方へ人間を振り分ける力を持っているのです。それが喉の病を癒す神徳につながります。
また庭渡様の水渡(みわたり)の神徳は文字通りには水が行き渡ることを示しますが、こちらも生と死にも深い関わりのある力です。水場とは古来より生と死の境界だとされていました。水は命の源であり、天からもたらされた雨水はやがて川となり、川は無数の用水に分かれ、生活や作物を育てるために用いられます。また、川は直接的な死とも結びついた場所です。小さな子供が川でおぼれることが無いように、生まれて間もなく橋を渡らせる習わしが各地に残っていることは、水と死を結び付ける人々の畏れを示しているといえます。
なぜ生と死の境界に三途の川があるのか。それは、生と死が世界を循環するという思想を、循環する水の流れが象徴しているからです。
庭渡様が死んだ子供達に未練を抱きつづけた結果、本来死者――鬼として河岸に渡るべき子供たちの魂が、此岸の最果てである賽の河原にいつもよりもずっとずっと長く縛り付けられてしまいました。そのために郷の周辺の輪廻転生の均衡が崩れ、新しく生まれる子が減っていたのでした。
物事を任意に忘れることができる。それが庭渡様の力の一つでした。ですがそれが悪さをしました。神話の時代から降り積もった「救えなかった幼子」への悔恨の念がついにあふれ出し、こんな簡単なことを無意識に抑圧していたのです。神様失格の我儘で世界の理を曲げてしまっていたのです。
賽の河原のそこかしこから、消え入るような咳の音がきこえてきます。それはきっと庭渡様が治すことができず、死んでいった子供達なのでしょう。
庭渡様は全て思い出し嗚咽しました。そして喉が枯れるまで泣きつづけました。喉の病を癒す神が、その声を枯らすほどに。
「生と死の循環を貴女自身が阻害し続けた結果、貴女の力は知らず知らずのうちに少しづつ鈍くなってきています。今はまだ微小な影響ですが、このままではやがて病を癒す力にも明確な翳りが出てしまうでしょう」
「四季様、私はどうすればよいのでしょうか」
閻魔様はただ「解っているでしょう」と告げました。不思議に慈しむような声の調子でした。
庭渡様は妖怪の山の鳥葬の大岩の上に立ち、幻想郷を見渡しました。
青空に、彼方の山脈から湧き出る入道雲の群れの対比が鮮やかです。眼下の郷は青々とした稲と草原の緑に彩られています。庭渡様の眼には、九天の滝から流れ落ちる水の行方をはっきりと見渡すことができました。水は途中で三途の川へ注ぎ込む流れと、霧の湖からやがて農業用水や里の運河に続く流れの二つに大きく分かれ、郷の奥まで行き渡ります。郷から流れ出た水は、下界の大きな川へ流れ込み、やがて海へと還るでしょう。
目に見える範囲に水の流れをとどめておこうなどと、ニワタリ神の受け持った職務を越える願望だったのです。
空には、鴉や鳶、大鷲が悠々と翼を広げています。庭渡様の頭に乗るひよこが身を震わせ、翼を大きく広げました。
いえ、それはもう鶏の雛ではありませんでした。立派な一羽の白い鳥のような姿になり、今にも飛び立とうとします。庭渡様の頭からふわりと離れ――しかし迷うように彼女の傍に舞い降り翼を畳みます。
庭渡様はその鳥を抱え、優しく抱きしめました。
「いいのです。今まで一緒に居てくれてありがとう」
庭渡様はその子が遠く雲の向こうへと消えていくのをずっと見ていました。
百日咳のことを、「とりしゃびき」と呼ぶ地域があります。鳥と咳と風邪っぴきを意味する言葉。かつて人間の赤ん坊や幼子はとても弱く、よく亡くなりました。幼い子が亡くなったとき、その魂は鳥などの動物に戻ったとする信仰が広く信じられていました。その信仰によれば、人はもともと鳥であり、死は再び鳥へと戻るだけとされています。だからこそ、庭渡様は人と鳥の境界の番頭神として、もっとも幼児を死へと引き込みやすい、喉の病を癒すことができたのです。
その子は、庭渡様が救うことができなかったとりしゃびきの子供でした。病で命を落としたのであれば、まだ諦めはつきます。病は治せたのです。しかし体力が落ちたその子は、療養所から家への帰り道、増水した川に足を取られて死んでしまいました。
私がもっと気遣ってあげられたら。もっとあの子はこの世に留まって色々な経験が出来たに違いないのに。
その無念が、賽の河原に多くの子供の霊を留める引き金になってしまったのです。その子が中有の道で迷っていたのは、庭渡様の強い後悔がその子の魂を此岸に縛ってしまっていたからです。
しかしその子は生まれ変わりたいと願っていました。だからこそ、鳥の姿をとったのかもしれません。しかし庭渡様の思いの力が強く、飛べない鶏の雛の姿で中途半端に現世に止め置かれていたのです。
あの鳥の姿の魂は天空の冥界の結界を越えるでしょう。三途の川を渡るのとは別のルートで彼岸の閻魔の裁きを受け、しかるべき場所へと割り振られます。幼い子供はこの世にいた時間が短いため、天界も冥界も地獄もなくすぐさま転生になることも多いのですが、実際どうなるかは断言できません。そこまで面倒を見る権限は庭渡様にはないのです。
庭渡様は彼岸を流れるレーテ川へと赴き、その水を一口飲みました。ギリシャの冥界に流れる川です。彼岸においては距離は相対的で精神的なものでしかなく、神様にとって行き来はそれほど難しくありませんでした。レーテはその水を飲むと一切の記憶を失うとされます。川は時の流れ、記憶、生死の循環の象徴です。それは庭渡様の力にとても近しい性質のものだったので、その力を部分的にだけ用いることができました。救えなかった子供の記憶を、妄執から単なる思い出へと変え、遂には綺麗に忘れました。これからも誇りを持って仕事を続け、多くの子供達を救う為にこそ、彼女は亡くなった子供のことを忘れることにしたのです。神様の優しさは時に残酷で、残酷さはときに優しさでもあるのです。
しばらくして賽の河原の子供達も一人、また一人と三途の川を渡り始めました。
東の空が紅くなる頃。妖怪の山の高台から、幻想郷中に響き渡るように庭渡様は夜明けを告げます。死の時間の終わりと生の時間の始まり、世界の時間の更新を告げる、神聖な時告げの儀式です。ひとしきり泣いたことで、鳴き声はここ百年のうち一番冴えわたっていました。
時が流れ、幻想郷が今の姿になり、病を操る妖怪や神々の力も制限され、また腕の良い医者が竹林で発見された時代。
幻想郷中に全ての季節の花が咲き、幽霊が三途の川を渡れずに幻想郷に溢れる花の塚の異変。
鳥の姿をした霊が空を舞っていたことの意味に気づく人間は、今の時代にはもうそれほど残っていないのかもしれません。それは子どもが亡くなることが昔ほどには多くないということ。庭渡久侘歌にとってきっと良いことなのでしょう。
最近では久侘歌の喉の病を癒す神徳も生死にかかわる病気よりは、騒々しい外来音楽の歌唱者たちの喉のケアのために頼られることが多くなってきました。以前よりも暇になった彼女は、閻魔様から地獄関所の番頭神をお願いされ、曼殊沙華が咲き誇る彼岸で毎日仕事しているようです。
彼女の傍らには、今日も小さな可愛いひよこがいます。閻魔様も甘いもので、久侘歌の監督下でなら幼子の霊がほんのわずかの間、現世に留まってもいいことにしたようです。その様子は仲睦まじい親子のようだとよくからかわれますが、最後には久侘歌は全てを忘れてしまいます。
「鳥頭はとても大切な能力です」と久侘歌は胸を張って鴉天狗の新聞の取材に答えます。
誰もその意味をよく分かっていません。なぜ忘れることが、それほど気高いことなのか。それは神様にしか分からない事情なのです。
夏は生命が謳歌する季節であるとともに、死が充溢する季節でもありました。流行り病によって多くの人々、特に小さな子供があっけなく亡くなっていきました。七五三なども、もともと節目を越えて生きたことを祝う行事でした。今からは考えられない時代です。江戸に幕府が置かれていた頃、そうした恐ろしい病の一つは「百日咳」と呼ばれるようになっていましたが、幻想郷ではまだ「とりしゃびき」という名の方がよく知られていました。未だ永遠亭は世界に対して引きこもりを続けており、巫女の祈祷も流行り病を操る妖怪や神々の力に拮抗するのがやっとの時代です。
それでもこの隠れ里の人々は、他の里のものよりも少しだけ多くの希望を持っていました。なんといっても、御山にはニワタリ様が棲んでいらっしゃるのですから。
ニワタリ様は、庭渡久侘歌と名乗っていました。野生の鶏の神様で、普段は妖怪の山に棲んでいます。
ニワタリ様は数多の貌を持つ神様ですが、もっとも里の人間に親しまれた神徳は「喉の病を癒す」ことでした。里の人々を脅かした百日咳や結核に対し、彼女の力はとてもよく効くのでした。
里の人々は病気の子を背負って妖怪の山のふもとにある小さな祠を訪ねます。祠の上にちょこんと座る庭渡様は一目で病の重さを測り、雑木林の中に里の有志が立ててくれた幾つかの療養所に病状に応じて割り振ります。
いつも必ず治せたというわけではありません。
かつて流行り病を操る妖怪や神々の力は今よりもずっとずっと強大でした。西洋医学の合理性では捉えることが困難な、呪術的なものです。
それらの呪いにもともと弱い人や、何か本人には全く咎のない偶然、たとえば道端を歩いていて偶々気づかずに妖怪の眷属たる虫を踏みつけてしまっていたとか――そんな運の悪さによって容易く呪いは深く強くなりました。そしてそれらの法則性は、人間たちの思いをあざ笑うかのように気まぐれに日々変化するのでした。ですから、庭渡様の力が全てに及ばないことは仕方のないことです。
それでも庭渡様は自分の仕事に誇りを持っていました。
その年は、特に暑い夏でした。
緑の影が濃くなるほど、病の力もまた強まります。若草の香気に混じって、僅かに荼毘の臭いがするような気さえします。夏の盆に、庭渡様は自分の祠の裏の湧き水を人間たちに配ります。庭渡様の神徳の一つは、水渡(みわたり)です。生命力を更新する力を秘めた水によって、今年も多くの人々が病を未然に防ぐことができるはずです。
忙しい日々でした。しかし彼女はいつも笑顔を絶やしませんでした。疲れたときは、鶏冠のような紅い髪の上にちょこんと載っているひよこがぴいぴい鳴いて元気づけてくれます。
「庭渡様のお子さんでしょうか」などと鴉天狗が取材と称してずけずけと質問します。
彼女に子はおりません。もしかすると神様になるずっと前、ただの野生の鶏だった時代にいたのかもしれませんが、もうずっと昔の神話の時代のことなので覚えていません。彼女は鶏の神様です。眷属たる鶏やひよこを従えていたってなんの不思議もないではありませんか。
「いえ、あまりに仲睦まじく、まるで親子のようでしたので」
「実はこの子は三途の川へ続く中有の道で見つけた迷子なのです」
迷子のひよこを従えた庭渡様の姿は、どこか近寄りがたい神様という存在を親しみを持てるものにしました。病気が治ると、その家族や友人は庭渡様の姿を描いた絵馬を祠に奉納します。庭渡様の絵は、神聖さ漂う気品と共になぜか頭にひよこを載せたユーモラスさが受けて、病気に関係のない人々も好んで描く題材になりました。
庭渡様の尽力もあり、今年の流行り病の犠牲者は例年より少し多い程度で済みました。この隠れ里の外では、ここ数十年で一番子供が亡くなった年でした。庭渡様は里の外にも分霊として顕現して力を分け与えますが、幻想の力が強いこの里ほどの力を振るえないのが悔しいところです。
この里には神様が多すぎるので、一族ごと、家ごとにそれぞれ複数の八百万の神様が産土神としてつく慣習があります。庭渡様もそうした産土神の一柱でした。
誰誰の家でお産があったと聞けば、里に一番近い道祖神のある大樹の木陰で他の神様と一緒に生まれた子の運を決める会合に出席します。庭渡様としてはどの子にも最大の幸運を渡したいところなのですが、そうはいかない神様達のルールもあり、話し合いはいつも喧々諤々です。
余りに横暴な意見には庭渡様はコケーッ!と一喝します。それでもすぐに笑顔に戻ります。余裕こそが出来る神様の証なのです。今年は頭の上のひよこもピ!と応援してくれるので心強い限りです。
神様達の会合で、「去年も今年も生まれる子供が少ない」という話題が出ましたが、道祖神が会議に疲れたと言ってお酒を皆に配り始めたためすぐに宴となりました。
神様の勤務態度というのは昔も今も概してそのようなものなのです。
忙中閑あり。たまには休みも必要です。
九天の滝の少し上の方にある庭渡様の棲家からやや歩いた場所、天狗の里のほど近くに、今ではあまり使われなくなった鳥葬のための大岩がありました。庭渡様は仕事に疲れるとよくここへ来ます。鳥たちが大岩の周りの空をゆっくりと旋回する様子をぼんやりと眺めるのが好きなのです。
彼女はもとは野生の鶏なので、神通力を使わず翼の力のみだと数十メートルも飛ぶことができません。だから自分の翼の力だけで大地を長い間離れることのできる鳥たちに密かに憧れていたのです。
頭の上のひよこも、自分も飛びたいとでも言うようにぴいぴいと鳴きました。二人にとって、それはかけがえのない時間でした。
或る日、庭渡様は閻魔様から三途の川の河原に呼び出されました。そこで見たのは、賽の河原中に子供たちの霊がひしめく光景でした。河原の石で組まれた不格好な石塔が見渡す限り遠くまで続き、そこかしこで獄卒の鬼たちが塔を壊すたび、消え入るような悲鳴が聞こえてきます。
三途の川のさざ波に混じって、誰かの親しい名前を呼び掛ける声が木霊します。幼い魂が水面に懐かしい影が映るのを見たのでしょう。もちろんそれは泡沫の幻です。
「ああ、こんな残酷なこと、私は耐えられません」
庭渡様は賽の河原が好きではありません。親より早くして亡くなった子供に、なぜこんな理不尽な罰が与えられなくてはならないのでしょうか。
「それに以前に比べて、あまりにも子供たちの声が多すぎます。いったい何があったというのですか」
ところが、閻魔様はこの事態が庭渡様のせいだというのです。
庭渡様は自分が助けられなかった幼い命のことを毎日毎日考えつづけていました。それが良くなかったのです。並みの人間や妖怪ならいざ知らず、庭渡様ほど人間の生死にかかわる神様が亡くなった命のことを覚えていると、本来解き放たれるべき現世と魂との縁が結ばれたままになります。
「久侘歌。貴女が幼子を想う気持ちは優しいものでしょう。しかしそれが貴女の悪行と知りなさい」
誰かが誰かの死を悼むことに、元来良いも悪いもあるはずがありません。しかし神様の気持ちともなれば別です。誰も裁くことのできないことにも、楽園の閻魔だけは白黒つけるのです。
「貴女はそれを都合よく”忘れている”」
庭渡様は鬼渡(おにわたり)の神徳を持っています。鬼と人とを見わけ、鬼は鬼の世界へ、人は死者なら彼岸、生者なら此岸へと送ります。鬼とは、もともと大陸から伝わった文字です。大陸の国においては鬼とはすなわち死者を意味しました。庭渡様はもともと生と死の一方へ人間を振り分ける力を持っているのです。それが喉の病を癒す神徳につながります。
また庭渡様の水渡(みわたり)の神徳は文字通りには水が行き渡ることを示しますが、こちらも生と死にも深い関わりのある力です。水場とは古来より生と死の境界だとされていました。水は命の源であり、天からもたらされた雨水はやがて川となり、川は無数の用水に分かれ、生活や作物を育てるために用いられます。また、川は直接的な死とも結びついた場所です。小さな子供が川でおぼれることが無いように、生まれて間もなく橋を渡らせる習わしが各地に残っていることは、水と死を結び付ける人々の畏れを示しているといえます。
なぜ生と死の境界に三途の川があるのか。それは、生と死が世界を循環するという思想を、循環する水の流れが象徴しているからです。
庭渡様が死んだ子供達に未練を抱きつづけた結果、本来死者――鬼として河岸に渡るべき子供たちの魂が、此岸の最果てである賽の河原にいつもよりもずっとずっと長く縛り付けられてしまいました。そのために郷の周辺の輪廻転生の均衡が崩れ、新しく生まれる子が減っていたのでした。
物事を任意に忘れることができる。それが庭渡様の力の一つでした。ですがそれが悪さをしました。神話の時代から降り積もった「救えなかった幼子」への悔恨の念がついにあふれ出し、こんな簡単なことを無意識に抑圧していたのです。神様失格の我儘で世界の理を曲げてしまっていたのです。
賽の河原のそこかしこから、消え入るような咳の音がきこえてきます。それはきっと庭渡様が治すことができず、死んでいった子供達なのでしょう。
庭渡様は全て思い出し嗚咽しました。そして喉が枯れるまで泣きつづけました。喉の病を癒す神が、その声を枯らすほどに。
「生と死の循環を貴女自身が阻害し続けた結果、貴女の力は知らず知らずのうちに少しづつ鈍くなってきています。今はまだ微小な影響ですが、このままではやがて病を癒す力にも明確な翳りが出てしまうでしょう」
「四季様、私はどうすればよいのでしょうか」
閻魔様はただ「解っているでしょう」と告げました。不思議に慈しむような声の調子でした。
庭渡様は妖怪の山の鳥葬の大岩の上に立ち、幻想郷を見渡しました。
青空に、彼方の山脈から湧き出る入道雲の群れの対比が鮮やかです。眼下の郷は青々とした稲と草原の緑に彩られています。庭渡様の眼には、九天の滝から流れ落ちる水の行方をはっきりと見渡すことができました。水は途中で三途の川へ注ぎ込む流れと、霧の湖からやがて農業用水や里の運河に続く流れの二つに大きく分かれ、郷の奥まで行き渡ります。郷から流れ出た水は、下界の大きな川へ流れ込み、やがて海へと還るでしょう。
目に見える範囲に水の流れをとどめておこうなどと、ニワタリ神の受け持った職務を越える願望だったのです。
空には、鴉や鳶、大鷲が悠々と翼を広げています。庭渡様の頭に乗るひよこが身を震わせ、翼を大きく広げました。
いえ、それはもう鶏の雛ではありませんでした。立派な一羽の白い鳥のような姿になり、今にも飛び立とうとします。庭渡様の頭からふわりと離れ――しかし迷うように彼女の傍に舞い降り翼を畳みます。
庭渡様はその鳥を抱え、優しく抱きしめました。
「いいのです。今まで一緒に居てくれてありがとう」
庭渡様はその子が遠く雲の向こうへと消えていくのをずっと見ていました。
百日咳のことを、「とりしゃびき」と呼ぶ地域があります。鳥と咳と風邪っぴきを意味する言葉。かつて人間の赤ん坊や幼子はとても弱く、よく亡くなりました。幼い子が亡くなったとき、その魂は鳥などの動物に戻ったとする信仰が広く信じられていました。その信仰によれば、人はもともと鳥であり、死は再び鳥へと戻るだけとされています。だからこそ、庭渡様は人と鳥の境界の番頭神として、もっとも幼児を死へと引き込みやすい、喉の病を癒すことができたのです。
その子は、庭渡様が救うことができなかったとりしゃびきの子供でした。病で命を落としたのであれば、まだ諦めはつきます。病は治せたのです。しかし体力が落ちたその子は、療養所から家への帰り道、増水した川に足を取られて死んでしまいました。
私がもっと気遣ってあげられたら。もっとあの子はこの世に留まって色々な経験が出来たに違いないのに。
その無念が、賽の河原に多くの子供の霊を留める引き金になってしまったのです。その子が中有の道で迷っていたのは、庭渡様の強い後悔がその子の魂を此岸に縛ってしまっていたからです。
しかしその子は生まれ変わりたいと願っていました。だからこそ、鳥の姿をとったのかもしれません。しかし庭渡様の思いの力が強く、飛べない鶏の雛の姿で中途半端に現世に止め置かれていたのです。
あの鳥の姿の魂は天空の冥界の結界を越えるでしょう。三途の川を渡るのとは別のルートで彼岸の閻魔の裁きを受け、しかるべき場所へと割り振られます。幼い子供はこの世にいた時間が短いため、天界も冥界も地獄もなくすぐさま転生になることも多いのですが、実際どうなるかは断言できません。そこまで面倒を見る権限は庭渡様にはないのです。
庭渡様は彼岸を流れるレーテ川へと赴き、その水を一口飲みました。ギリシャの冥界に流れる川です。彼岸においては距離は相対的で精神的なものでしかなく、神様にとって行き来はそれほど難しくありませんでした。レーテはその水を飲むと一切の記憶を失うとされます。川は時の流れ、記憶、生死の循環の象徴です。それは庭渡様の力にとても近しい性質のものだったので、その力を部分的にだけ用いることができました。救えなかった子供の記憶を、妄執から単なる思い出へと変え、遂には綺麗に忘れました。これからも誇りを持って仕事を続け、多くの子供達を救う為にこそ、彼女は亡くなった子供のことを忘れることにしたのです。神様の優しさは時に残酷で、残酷さはときに優しさでもあるのです。
しばらくして賽の河原の子供達も一人、また一人と三途の川を渡り始めました。
東の空が紅くなる頃。妖怪の山の高台から、幻想郷中に響き渡るように庭渡様は夜明けを告げます。死の時間の終わりと生の時間の始まり、世界の時間の更新を告げる、神聖な時告げの儀式です。ひとしきり泣いたことで、鳴き声はここ百年のうち一番冴えわたっていました。
時が流れ、幻想郷が今の姿になり、病を操る妖怪や神々の力も制限され、また腕の良い医者が竹林で発見された時代。
幻想郷中に全ての季節の花が咲き、幽霊が三途の川を渡れずに幻想郷に溢れる花の塚の異変。
鳥の姿をした霊が空を舞っていたことの意味に気づく人間は、今の時代にはもうそれほど残っていないのかもしれません。それは子どもが亡くなることが昔ほどには多くないということ。庭渡久侘歌にとってきっと良いことなのでしょう。
最近では久侘歌の喉の病を癒す神徳も生死にかかわる病気よりは、騒々しい外来音楽の歌唱者たちの喉のケアのために頼られることが多くなってきました。以前よりも暇になった彼女は、閻魔様から地獄関所の番頭神をお願いされ、曼殊沙華が咲き誇る彼岸で毎日仕事しているようです。
彼女の傍らには、今日も小さな可愛いひよこがいます。閻魔様も甘いもので、久侘歌の監督下でなら幼子の霊がほんのわずかの間、現世に留まってもいいことにしたようです。その様子は仲睦まじい親子のようだとよくからかわれますが、最後には久侘歌は全てを忘れてしまいます。
「鳥頭はとても大切な能力です」と久侘歌は胸を張って鴉天狗の新聞の取材に答えます。
誰もその意味をよく分かっていません。なぜ忘れることが、それほど気高いことなのか。それは神様にしか分からない事情なのです。
素敵な作品でした。良かったです。
その解釈がとても良かったです……
雰囲気といい語り口調といい解釈といいとても好みでした
庭渡さま好き
正直ゲームの東方projectは長らく追いかけていなかったので、ここらで原点のゲームに戻ってみようかなと思います。
綺麗なお話でした
庭渡様の魅力がギュッと詰まっているように思えました
やさしいんだなぁこの神様
解釈もおもしろいです
新しい久侘歌の小説とこの小説、どちらもすっごく良かったです!!
花映塚に繋げたのが驚きました。確かに鳥の形をしていますよね……!