何かの拍子に死ねたらいいな。みんなうっすらそんな事を考えながら生きてる。それだけで心を閉ざすのに充分な理由になるというのに、そんなのは序の口さとばかりの惨状をそのまま物語るような縫い後が私の眼には付いていて、それが好ましかった。覚えていて普通でいられるような理由なら恐らく今眼を閉じてへらへらとはしていないだろうから、その始まりを気にしたことはなかった。もしかしたらあるのかもしれなくて、そんな事は自己守護の果てに消え失せただけかもしれなかった。
私は姉が好きだった。それは恐らく眼を閉じる前も。今も。そして多分これからも。外から見た姉は酷く強靭で麗しい。そして鋭い目で髪が桃色で、そう、その桃色はいつか毛先からゆっくり全体が消え失せる為にその色なのだろうと私は固く信じていた。つまり朧気で頼りなく、儚い女だった。その二面性は完璧で、その中に私が写る余地はなかった。姉は尊く、そのあまりのかけがえのなさに、観測しているだけの私すら邪魔に思えた。
チェスの駒は単純に所有欲を満たすし、それだけで芸術として完成されているにも関わらずテーブルゲームとしても優秀で素晴らしいと言っていた姉だが、麻雀や囲碁将棋は嗜まず自らの感性に振り回された発言の統一されてなさが好きだ。しかもその肝心のチェスの腕はまるっきり雑魚というところまで含めて。一段と隈の濃くなった目がまじまじとこちらを見つめている。癖になっているため息がいつもより低い。その内心に関わらず常に物憂げな姉は佇まいの全てが鈍色に塗りつぶされており愛しさを覚える。
地下八千百二十八階に位置する底の底山岳で、旧地獄の名前に偽りのない殺風景で何の価値も見出だせない、埃の密集地に静寂を求めてさ迷う姉が好きだ。穴ぼこに落ち重力に囚われ向こう二週間も失踪をかました処、私を含めた捜索隊をすり抜けるように自力で館まで戻ってきたと思ったら、帰ってきたら誰も居ないものだから違う場所に来てしまったのかと思ったわと言って、初めに見た私の体を少し強く抱きしめた時の赤子のような無防備な首に愛しさを覚える。
火焔猫の贈り物の簪を、その尊さに気後れして身につける事も出来ず日課にその簪の手入れが加わるというあべこべな状況に陥る姉が好きだ。まるで絵画だと思った。木の椅子に揺られて暖炉の傍で櫛を見つめる目をくり抜きたいと思う。しかしそれは宝石とはならず、おそらくその辺の鼬の目と同じようにすぐ腐ってしまうだろうことは私にも理解ができるのであった。絹で触れても傷つきそうな白い肌のくせに、それが更に壊れ物を扱う絵面。実に愛しさを覚える。
朝気付くと赤色の包丁を持った私の前に姉が倒れていた。
壊したら壊れそうだなと考え、でも壊そうとしても壊れないんだろうなという処が好きだった。昔まだ私が眼を閉じていなかった頃に、姉ではない誰か女の子を同じような感じで刺した事があるような気がするけれど、あの時と同じような感じでするりとわき腹に刃物が通った感触が手に残っていた。人型をしている以上は当たり前かもしれないけれど、中に詰まっているのは白い綿ではなくてきちんと赤い血だった。あんなに白い肌なのに。あんなに小さくて細いのにたくさん。
私は自分が自らの特性に溺れてしでかした事に絶望して姉に駆け寄るべきだったと思う。実際に私が取った行動は「包丁を自分の舌が切れる角度で舐める」だったけど。濃いバターみたいで美味しかった。少しキョロキョロと辺りを見渡した自分が探しているのはストローだと数秒後に気付いた。血の匂いを感じた火焔猫が慌てた様子で駆け付けた時、私は姉を抱きしめて寝息を立てていたと思う。血が温かくていい夢を見たような気がする。
私は死のうと決めた。
姉を刺したのと同じ包丁で林檎を剥いていた。姉は私に看病をされている事に妙な感慨を覚えていると思しき顔をしていた。霊烏路が後ろで赤から白に変わっていく(姉と逆だな)林檎をまじまじと見つめていた。姉はお腹に穴が開いているのだから林檎なんて食べられないし、これは霊烏路のものだった。霊烏路は林檎の方を見ながらも姉にずっと話しかけていた。心配しているような事を言うと私が気にすると思ったのか話題はせいぜい世間話のせけくらいのものだった。
「卵食べたくないですか?」
「林檎を食べながら他の食べ物食べる事考えるのやめた方がいいよ」
「なんでです?」
「どっちもおいしくなくなるから」
「えっ、なんでです?」
「なんでもないよ。林檎食べたいなって思いながら卵食べるのおいしいよね」
「こいし、逆になってるわよ」
「鳥頭だったかー」
「それは私です」
世界一静脈投与の似合う姉を見ながら、特に振り返るべき過去がなかった。全部棄ててきたから今ここにいる。点滴に負けて無色透明化しそうな姉を見ながら、特に思いをはせる未来がなかった。私が死んだ後私を覚えていられるものはないしね。
「私達はさとりさまとこいしさま大好きですし、お二人も私達のこと好きだと思うんですけど、私達はそういうのじゃないのでしっかりしてくださいね」
「何?急に」
「いえなんとなく」
「変なおくうね」
チェスとトランプをした。姉は全部負けた。心を読んでもあまり意味がない霊烏路と、そもそも心の読めない私が相手だった事を差し引いてもよわよわな姉は、それでも密やかに一番楽しそうな顔をしていると思った。何故か大きな身振りではしゃいでいる霊烏路よりも。
「もうそろそろ寝たらどう?」
「ほんとは書類仕事がいっぱい残ってるのだけれど」
「私に刺されでもしないと寝ないとか頭の中にペパーミントでも詰まってるの?」
「え?さとりさま頭にペパーミント刺さってるんですか?」
「どこにポイントを絞ってつっこめばいいのかわからないから黙って」
姉を抱きしめておでこにキスをしておやすみと言って手を振って部屋を出た。霊烏路がずるい私もそれやりますと言って同じ流れをした。屋敷を出ると、何故かコップが落ちて割れた処が想起された。落ちて割れたコップと違って、私が壊れても誰も片付けなくていいなと思った。どこか高いところに上ってたくさんの人の前で首を掻き切って血の雨を降らせたとしても、その血の一滴が誰かの口の中に入ったとしても、私が命を失ったその時に誰もが歩き出し、買い物を続け、喧嘩を始めるだろう。感傷的でヒステリックで悪くない気がする。
「まってください」
「あれ、どうしたの」
「ちょっと地上で見たいものがあって、こいしさまと一緒に出掛けてきてもいいですかって、さとりさまに許可をもらってきました」
「えっ私には許可取らないの?」
「いらないでしょ」
「私だって予定とかあるのに」
「え?ないでしょ」
「いやーんもうきらーい」
「仮面の女の子が奇麗に踊ってるのが見れるって聞いたんです。お酒と食べ物も飲み放題食べ放題で楽しいって」
「よく知らないけど多分少し何かを勘違いしてるんだろうなこの子は」
「一緒に行ってくれますよね?」
「ねえ、もしかしてわかってわざとやってるの?」
霊烏路は頭を掻いた。視線が私のスカートの薔薇柄に向いているのに気を取られていたら、姉を刺した後に林檎を剥いた私の包丁を取り上げられた。あ、取り上げられた!ぷんぷん!と思った頃には包丁は黄色くなって水飴みたいに崩れて地面にこぼれた。
「なんのことですか」
私は姉が好きだった。それは恐らく眼を閉じる前も。今も。そして多分これからも。外から見た姉は酷く強靭で麗しい。そして鋭い目で髪が桃色で、そう、その桃色はいつか毛先からゆっくり全体が消え失せる為にその色なのだろうと私は固く信じていた。つまり朧気で頼りなく、儚い女だった。その二面性は完璧で、その中に私が写る余地はなかった。姉は尊く、そのあまりのかけがえのなさに、観測しているだけの私すら邪魔に思えた。
チェスの駒は単純に所有欲を満たすし、それだけで芸術として完成されているにも関わらずテーブルゲームとしても優秀で素晴らしいと言っていた姉だが、麻雀や囲碁将棋は嗜まず自らの感性に振り回された発言の統一されてなさが好きだ。しかもその肝心のチェスの腕はまるっきり雑魚というところまで含めて。一段と隈の濃くなった目がまじまじとこちらを見つめている。癖になっているため息がいつもより低い。その内心に関わらず常に物憂げな姉は佇まいの全てが鈍色に塗りつぶされており愛しさを覚える。
地下八千百二十八階に位置する底の底山岳で、旧地獄の名前に偽りのない殺風景で何の価値も見出だせない、埃の密集地に静寂を求めてさ迷う姉が好きだ。穴ぼこに落ち重力に囚われ向こう二週間も失踪をかました処、私を含めた捜索隊をすり抜けるように自力で館まで戻ってきたと思ったら、帰ってきたら誰も居ないものだから違う場所に来てしまったのかと思ったわと言って、初めに見た私の体を少し強く抱きしめた時の赤子のような無防備な首に愛しさを覚える。
火焔猫の贈り物の簪を、その尊さに気後れして身につける事も出来ず日課にその簪の手入れが加わるというあべこべな状況に陥る姉が好きだ。まるで絵画だと思った。木の椅子に揺られて暖炉の傍で櫛を見つめる目をくり抜きたいと思う。しかしそれは宝石とはならず、おそらくその辺の鼬の目と同じようにすぐ腐ってしまうだろうことは私にも理解ができるのであった。絹で触れても傷つきそうな白い肌のくせに、それが更に壊れ物を扱う絵面。実に愛しさを覚える。
朝気付くと赤色の包丁を持った私の前に姉が倒れていた。
壊したら壊れそうだなと考え、でも壊そうとしても壊れないんだろうなという処が好きだった。昔まだ私が眼を閉じていなかった頃に、姉ではない誰か女の子を同じような感じで刺した事があるような気がするけれど、あの時と同じような感じでするりとわき腹に刃物が通った感触が手に残っていた。人型をしている以上は当たり前かもしれないけれど、中に詰まっているのは白い綿ではなくてきちんと赤い血だった。あんなに白い肌なのに。あんなに小さくて細いのにたくさん。
私は自分が自らの特性に溺れてしでかした事に絶望して姉に駆け寄るべきだったと思う。実際に私が取った行動は「包丁を自分の舌が切れる角度で舐める」だったけど。濃いバターみたいで美味しかった。少しキョロキョロと辺りを見渡した自分が探しているのはストローだと数秒後に気付いた。血の匂いを感じた火焔猫が慌てた様子で駆け付けた時、私は姉を抱きしめて寝息を立てていたと思う。血が温かくていい夢を見たような気がする。
私は死のうと決めた。
姉を刺したのと同じ包丁で林檎を剥いていた。姉は私に看病をされている事に妙な感慨を覚えていると思しき顔をしていた。霊烏路が後ろで赤から白に変わっていく(姉と逆だな)林檎をまじまじと見つめていた。姉はお腹に穴が開いているのだから林檎なんて食べられないし、これは霊烏路のものだった。霊烏路は林檎の方を見ながらも姉にずっと話しかけていた。心配しているような事を言うと私が気にすると思ったのか話題はせいぜい世間話のせけくらいのものだった。
「卵食べたくないですか?」
「林檎を食べながら他の食べ物食べる事考えるのやめた方がいいよ」
「なんでです?」
「どっちもおいしくなくなるから」
「えっ、なんでです?」
「なんでもないよ。林檎食べたいなって思いながら卵食べるのおいしいよね」
「こいし、逆になってるわよ」
「鳥頭だったかー」
「それは私です」
世界一静脈投与の似合う姉を見ながら、特に振り返るべき過去がなかった。全部棄ててきたから今ここにいる。点滴に負けて無色透明化しそうな姉を見ながら、特に思いをはせる未来がなかった。私が死んだ後私を覚えていられるものはないしね。
「私達はさとりさまとこいしさま大好きですし、お二人も私達のこと好きだと思うんですけど、私達はそういうのじゃないのでしっかりしてくださいね」
「何?急に」
「いえなんとなく」
「変なおくうね」
チェスとトランプをした。姉は全部負けた。心を読んでもあまり意味がない霊烏路と、そもそも心の読めない私が相手だった事を差し引いてもよわよわな姉は、それでも密やかに一番楽しそうな顔をしていると思った。何故か大きな身振りではしゃいでいる霊烏路よりも。
「もうそろそろ寝たらどう?」
「ほんとは書類仕事がいっぱい残ってるのだけれど」
「私に刺されでもしないと寝ないとか頭の中にペパーミントでも詰まってるの?」
「え?さとりさま頭にペパーミント刺さってるんですか?」
「どこにポイントを絞ってつっこめばいいのかわからないから黙って」
姉を抱きしめておでこにキスをしておやすみと言って手を振って部屋を出た。霊烏路がずるい私もそれやりますと言って同じ流れをした。屋敷を出ると、何故かコップが落ちて割れた処が想起された。落ちて割れたコップと違って、私が壊れても誰も片付けなくていいなと思った。どこか高いところに上ってたくさんの人の前で首を掻き切って血の雨を降らせたとしても、その血の一滴が誰かの口の中に入ったとしても、私が命を失ったその時に誰もが歩き出し、買い物を続け、喧嘩を始めるだろう。感傷的でヒステリックで悪くない気がする。
「まってください」
「あれ、どうしたの」
「ちょっと地上で見たいものがあって、こいしさまと一緒に出掛けてきてもいいですかって、さとりさまに許可をもらってきました」
「えっ私には許可取らないの?」
「いらないでしょ」
「私だって予定とかあるのに」
「え?ないでしょ」
「いやーんもうきらーい」
「仮面の女の子が奇麗に踊ってるのが見れるって聞いたんです。お酒と食べ物も飲み放題食べ放題で楽しいって」
「よく知らないけど多分少し何かを勘違いしてるんだろうなこの子は」
「一緒に行ってくれますよね?」
「ねえ、もしかしてわかってわざとやってるの?」
霊烏路は頭を掻いた。視線が私のスカートの薔薇柄に向いているのに気を取られていたら、姉を刺した後に林檎を剥いた私の包丁を取り上げられた。あ、取り上げられた!ぷんぷん!と思った頃には包丁は黄色くなって水飴みたいに崩れて地面にこぼれた。
「なんのことですか」
面白かったです。御馳走様でした。
自分を抑えきれない死にたがりのこいしとそれすらも受け止める家族たちに愛を感じました
取り返しのつかない出来事が起こっているのに何も動じない辺り、やはりもうこの子に心は無いのだと改めて実感させられるような、そんなお話でした。