体中が弾け飛びそうな激痛が襲った。
私は意識を失った。
目を覚ますと、目の前には大量の血。血に濡れたナイフがあった。
ずきんと第三の目が痛んだ。目を向けるとちゃんと潰れていた。もうそこに『目』と言えるものは存在しない。
耳を澄ましてみる。優しい静寂が私を包んだ。心にも耳を澄ました。何も聞こえない。私だけの世界がそこにある。
もう心の声に犯される心配は無い。私は私でいられる。
そうだ。お姉ちゃんにこの私を見せてあげよう。喜んでくれるはずだ。お姉ちゃんは私のこと愛してくれるから。
「お姉ちゃんこれ見てよ!」
「‥こ‥い‥し?、何‥それ」
可笑しいな。お姉ちゃんなら笑って、褒めてくれるのに。そんな気持ち悪いものを見るような顔はしないよ。
「目をナイフで殺したの。もう心の声は聞こえないの。これで私は私でいられるの」
「‥そんなのいや‥いや、いやぁぁぁぁぁぁぁ」
どうしてそんな泣き叫ぶのお姉ちゃん?これは良い事のはずでしょ。だってお姉ちゃんが言ったんだよ。こいしが好きなようにやりなさいって。お姉ちゃん言ってたじゃん。私はいつまでもこいしの味方だよって。なんで褒めてくれないの?私は私なのに。
分からなかった。これのせいで私達は楽しく暮らすことが出来ない。いつも他人の感情に犯されて、自分が自分じゃないような感覚。お姉ちゃんだってこんなものが要らないって分かってるはずなのに、どうして分かってくれないの。
「ねぇお姉ちゃん!」
「いやだいやだいやだいやだ‥」
「‥ごめんね。もう出てくから」
お姉ちゃんの夢を見ていた。たぶんあんな姿を見せられたからだろうか。
私はお姉ちゃんの膝を枕にして仰向けで寝ていた。笑いかけると笑い返してくれた。
「こいし、大丈夫だからね。私がいるから」
お姉ちゃんの手が優しく私のおでこを撫でた。撫でられただけなのに心がとても安らいだ。
「こんな能力いらないのに」
たぶん甘えてたんだと思う。だからこんな愚痴を零している。
「二人で頑張ろ。ずっと」
これは夢ではなく、想起だと気づいた。そうこれは過去の出来事だ。私が目を殺す前の、暗い暗い闇の中の小さな幸せだ。
朝になった。いつものように廊下を歩いていると、お姉ちゃんに会った。
「おはよ、お姉ちゃん」
「‥おはよう。コイシ‥。本当に瞳を閉じたのね。貴方の心。何も分からないわ」
どうしてだろうか。お姉ちゃんの顔が曇っている。声も濁っていて、同じ単語なのに全く別物に聞こえる。
どうしての解答は本当ならとっくに分かっているはずなのに分からない。もう私には誰かの心を覗くことが出来ないから。
安心している自分がいた。もし心が読めてしまったら、私は憎悪の矢に射抜かれていた。だって、お姉ちゃんの顔は誰かを憎む顔をしていた。それは心が読めてしまうという理由だけで理不尽に誰かから憎まれ続けた私だからこそ、理解してしまったことだ。
「お姉ちゃん、体調悪いから、部屋で寝てるね」
お姉ちゃんは私に顔を合わせず、逃げるように自分の部屋に行ってしまった。
朝なのに。これからお姉ちゃんとの時間が始まるはずなのに、もう終わってしまった。
どうやら私はお姉ちゃんに嫌われているらしい。理由はなんだろうか。
(私のことが気持ち悪い)
あっ、そうだそうだ。たぶん血の臭いがしたに違いない。でも可笑しいな。あの後、お風呂入って隅々まで体洗ったし、服も血の臭いが落とせなくて、捨てたはずなのに。
毎日、お姉ちゃんの夢を見た。それは本来私が過ごしてる日常なのに、過去が私の日常を返してくれない。だから現実が腐っていた。
毎日、お姉ちゃんに会おうとした。でもあの日以来ほとんどお姉ちゃんは自分の部屋に閉じこもっている。出てくる時と言ったらペットに餌をやる時か、トイレをする時か、お風呂に入る時ぐらい。5本の指すら埋められない。だから、その大事な機会を私は逃がさないようにした。いつもタイミングを見計らって、偶然会った風に装った。そして、お姉ちゃんにいつもこう言った。
「お姉ちゃん、遊ぼうよ」
そう言うといつも苦虫を潰したような顔をして、定型文を喋ってくる。
「ごめんね。いま具合悪いから」
最初はまだ納得できた。誰だって体調が良い、悪いが必ずある。でもそれが三十日も続くなんてあり得るだろうか。
色々仮説を考えた。私と会う時だけ原因不明の体調不良が発生するとか、私に対してアレルギー反応を起こしているとか。でも結局どんなに理由を探そうとしても、事実はいつもそこにある。
お姉ちゃんは私の誘いを断るセリフを一度も変えなかった。
もし嫌なら嫌って言えば良いんだ。そしたら諦めがつくから。何も言わないと、ずっと気になってしまう。
せめてセリフを変える努力をして欲しかった。
誰だって不都合な状況はある。それに対する言い訳だっていくらでもある。なのにお姉ちゃんはそれをしなかった。思考なんて0.1秒で出来る。だから、お前なんかに0.1秒も勿体ないと言われたようなものだった。
だからなんだと思う。いつからか私のお姉ちゃんは夢のほうになっていた。現実にいるあいつはお姉ちゃんの皮を被った化け物だ。だって夢のお姉ちゃんはいつも私を褒めてくれるんだ。優しく頭を撫でてくれるんだ。私が知りたいこといっぱい教えてくれるんだ。いつも美味しいご飯を作ってくれるんだ。怖い時は抱きしめてくれるんだ。いつも私に笑顔をくれるんだ。だから私はお姉ちゃんが大好き。あいつなんか大っ嫌い。
私はもう限界だった。あいつが何で私にあんな憎悪を向けるのか、確かめてやろうと思った。
あいつはいつも部屋にこもってブツブツ何かを喋っていた。それを聞けば、何か分かるんじゃないかと思って、私はあいつの部屋に侵入した。トイレに行っている隙にクローゼットの中に隠れた。
あいつが帰ってきた。足音が鳴り響く。ベッドに身を投げ出す音が聞こえて、次に聞こえてきたのは呪言だった。
「こいし、なんでお姉ちゃんを置いてったの。約束したじゃない。一緒に頑張ろうって。なんで置いていくのねぇ。ここは寒いの。貴方がいなきゃ凍え死にそう。この目が怖いよ。でも痛いのも怖いよ。‥ほらまた聞こえてきた‥‥」
あいつは怯えていた。たぶん心の声に。私を求めていた。
そうだったんだね。お姉ちゃん。
お姉ちゃんも怖かったんだね。私もお姉ちゃんも同じだったんだね。ずっとお姉ちゃんは強いって思ってた。心の声なんか全然怖くなくて、いつも私を慰めてくれるお姉ちゃん。でも本当は私達、互いに助けてあってたんだね。不幸も二人なら半分個ってそういう意味だったんだね。
「お姉ちゃん!」
私はクロゼットから出ていた。謝らなきゃいけないと思ったから。
「ごめんね。お姉ちゃん。勝手にお姉ちゃんを置いていって。でもほら、私はちゃんとここにいるよ。お姉ちゃんが大好きだよ。だから」
「出てって!」
大きな塊が飛んできて、私の頭にあたった。痛い痛い痛い。
視界を下に向けると、時計がバラバラになっていた。血を纏って。
頭がじわーって熱くなっていた。そこに手で触れると液体が付着した。血だ。これは血だ。血が流れていた。
「お前なんか私の妹じゃない!はやく出てって」
「‥ごめんね。お姉ちゃん。もう出てくから」
頭を抑えながら、部屋を出た。私がある程度離れるまで「私をお姉ちゃんって呼ぶな!」って声が響いていた。
自然と目頭が熱くなっていた。どうやら私は泣いているみたいだ。泣く必要なんか無いのに。お姉ちゃんはあっちにいるのに。
やっぱあいつはあいつだった。お姉ちゃんじゃない。殺してやる。絶対殺してやる。お姉ちゃんを奪ったあいつを殺してやる。
その日の夜、お姉ちゃんに会えると思ったら、私は自分の部屋にいた。なんとなく身体が浮いている感覚があって、これは夢だと思った。
お姉ちゃんを探した。全然見つからない。自分の家がまるで迷路のように感じた。
「あれは」
路頭に迷っていると、目がいた。目だけ独立して動いていた。私は目を追っかけた。ずっと歩き続けると、目はお姉ちゃんの部屋に入っていった。これはお姉ちゃんがいる合図と思って入ってみると、目しかいない。
目はベッドで気持ちよさそうに寝ていた。どうやら良い夢でも見ているようだ。
ナイフを拾った。足音を立てないようにゆっくりと近づいた。そして目が逃げないように太腿でしっかり固定した。
ナイフをゆっくりと目の中心に下ろしていった。心臓が爆音のように鳴り響いていた。時間が止まっていた。私の感覚はどんどん研ぎ澄まされていった。
私はナイフを思いっきり目に突き刺した。先端が目を貫通してベッドに突き刺さった。目は泣き叫んだ。必死に逃げようとするのでもう一回突き刺した。ゆっくり深々と愛情を込めて。肉を抉る感覚がナイフを通して伝わってくる。血がドバドバと溢れ出していた。
温かい。だからもう一回刺した。
面白い。もう一回刺した。
興奮した。また刺した。
もう目は泣きわめくのをやめていた。
最後におまけでグリグリと突き刺した。
「‥い」
身体がさらに浮いた感じがした。浮力に押されて、自然と上へ。たぶん誰かの声がしたんだと思う。だからこうやって、夢から覚めようとしている。
「‥‥っ‥いたい‥いたい‥」
目を開けると、面白い光景が目の前に広がっていた。私はあいつの上に馬乗りになっていて、ナイフが刺さったあいつの目、そして、周りには血の海が広がっていた。まるで私が目を殺した時みたいに。
「‥っ‥‥こいし ‥なんでこんな酷いことするの‥」
今あいつがこいし と言った。聞き慣れたあの声で呼んだ。
お姉ちゃんが帰ってきた。
「あぁ、お姉ちゃん帰ってきた! お帰り。もうあいつは殺されたからいないよ」
お姉ちゃんは嗚咽をはいていた。たぶん辛いんだろうなって思って、柔らかく抱きしめた。
「私がいるから大丈夫だよ。お姉ちゃん。そんなに泣かないで」
もうこれで私達は同じだから。
あの日から、お姉ちゃんの夢は見なくなった。
とても面白かったです。
ぞっとする良い作品でした。お姉ちゃんの心情を思うとやるせない……
お見事でした
悲しきすれ違い、だけで済ますにはあまりに凄惨な結末過ぎて、「うえぇ…」って声が出ました。
ロスト・■の方も聴いてきます
無意識でもこんな凄い話が作れるとは…
短い中に膨大な量の喜怒哀楽が詰まっているように感じました
こいしが目を閉じたときのさとりの反応はこれが一番しっくりきます