一、引きこもり吸血鬼と害虫の話
私が朝、目を覚ますとソイツがいた。
「おはよう! 私、古明地さんちのこいしちゃん! ね、あなた、素敵な部屋に住んでるのね? 良かったら――」
出た。ついに出た。
私は常備してあるアー○ジェットをソイツに向けてひとしきり噴射すると、地下に埋まった自分のねぐらから飛び出した。
*
「ぱっちぇ。虫が出た」
困ったときの大図書館。
私は、害虫駆除の相談をするため、紅魔館のブレインことパチュリー・ノーレッジのところにやって来ていた。
パチュリーは露骨に面倒くさそうな顔をした。しぶしぶ読んでいた本から顔をあげて、私に向き直る。なんだかんだ付き合ってくれるので、パチュリーは好き。
「どんな虫だった? 前に渡した殺虫剤は効いたの?」
「慌てて出てきちゃったから、よく覚えてない。でもたぶん、大きさは私の背丈と同じか、ちょっと大きいくらい」
「デカい」
「それで、足は四本だった気がする」
「少ない」
ふむ。パチュリーは考え込む。
大図書館が静けさに包まれる。本棚はいつ見ても厳めしく並んで立っていて、今にも私に襲いかかってくるような威圧感があった。小悪魔は、頬杖ついて船をこいでた。仕事しろ。
「それは、もしかしたら虫ではないかもしれないわ」おもむろに口を開くパチュリー。
「嘘。だって、ソイツ、殺虫剤浴びせたら、ちょっとひるんでた」
「フラン。誰でも殺虫剤を出会い頭に浴びせたら、誰でもひるむわ」
「そうなんだ」今度お姉様に試してみよう。
でもじゃあ、アイツはなんだったんだろ。私は首をひねる。
うーん、わかんない。やっぱり虫しか思いつかない。
「虫だと思うんだけどなあ。美鈴に借りた漫画に、似たような場面あったもの。とつぜん前触れもなく出てきて、カサカサって音がして、振り向くと、ぎゃー! みたいな」
「そういうタイプの虫は、たいていそんなに大きくないし、足も六本以上あるの」
「うーんそうかなあ」
引きこもり吸血鬼には、虫ってのがよくわからない。
綺麗好きの咲夜のおかげで館内はどこも清潔だし、そも引きこもってばっかだし。私の引きこもる部屋には、何も餌になるようなものがないからか、生き物は何も出てきたことないし。
だから、出るとしたら迷い込んだ小さい虫くらいなもんだと思ってた。
「それに、虫が出たとして、そんなに怖がることないじゃない。妹様には、例の破壊の能力があるんだから」
「あー」忘れてた。あんまり使うこと、ないからなあ。それに。
「無理。ソイツのこと何も知らないし」
すべてを破壊する能力。
破壊したい物体の"目"を右手に引き寄せ、それを握りつぶすことで、対象を粉々に崩壊させる驚異の異能力。
そう聞くと、いかにも仰々しく恐ろしい能力に聞こえるかもしれないが、実際はそんなにすごくない。むしろとっても面倒で不便な能力だ。
何しろ、物体の中心たる"目"、それを探すのがひどく大変なのだ。
対象の物質的構成要素だとか、対象の持つ価値や意味や概念だとか、因果率だとか、そんな対象を取り巻くあらゆる要素の糸でがんじがらめになってる、その最奥にあるコア。ちょんとつつけば、一瞬にしてバラバラにほどけてしまうような物体の核。それをいちいち探し出して手のひらに移してくる必要があるのだ。
つまり、破壊したい物体があったら、それがどういうもので、どういう材質で出来てて、どういう価値があって……と、そういった事柄を全部把握してなきゃいけない。そうでないと、"目"なんて到底探せないし、"目"が探せなきゃ、破壊する能力なんて意味がない。
だというのに、初めて見つけた得体の知れない存在の"目"を一瞬で探してきゅっと握りつぶせだって?
むりむりむり。無理の三乗だ。
最初から大して期待してなかったのか、パチュリーは、私の答えに、そう、なんて短く返すだけだった。
きっと私には知識が全然足りてなくて、だから、もっともっとパチュリーみたいにたくさん本を読んで、勉強しなくちゃいけないんだろうなあ、なんて考えた。そうすれば今頃、あんな虫もどき、きゅっとしてどかーんってできたのに。
それか、もっと積極的に外に出るか。外にはきっと、虫も鳥も動物も魚もたくさん見つかるし、あの謎の存在だって、似たようなのがたくさんいるんだろうなあ、なんて。
あーでも。むりむり。
私の世界は地下に埋まったあの四角いく切り取られた空間で、私にとってのすべてだ。今さら、それを変えるなんて。あそこから外に踏み出すなんて。むりむりむりむり。無理の四乗、クアドラプル無理。
「はい」
気づけば、パチュリーが私に本を差し出していた。
タイトルには、「昆虫図鑑」。
表紙に、カラフルな色合いを羽根を大きく広げた生き物が描かれている。まあキレイ、と一瞬思ったけど、でもよく見たら胴体がぶよぶよしてそうでキモかった。目もキモい。口からにょろっと飛び出した触手みたいな口も、頭ににゅきっと生えてる触手みたいななにかも、キモい。
「それ、貸したげる。見比べて観察すれば、なんの虫だかわかるんじゃない」
もしホントに虫なら、だけど。
小さくつけ加えて、パチュリーは本に向き直った。
相談教室はお開き。ありがとうぱっちぇ、って言いながら、図書館を出ていく。帰りしなに小悪魔の方をちらっと見たら、テーブルに突っ伏して本格的に熟睡モードに入ってた。クビにしろ。
*
「うーん」
自分の部屋への道すがら、図鑑をペラペラめくってみた。
どれもこれも、突然湧いたアイツとは似ても似つかない。やっぱり、パチュリーの言う通り、アイツは虫じゃないのかな。
「あ、おかえりー。ねえ、この絵のついた本、続きないの?」
帰ったらいなくなってたりしないかな、と期待した私が馬鹿だった。
ソイツは、いなくなるどころか、綿がはみ出したボロボロのソファに寝そべって、美鈴に借りた漫画を読んでた。めっちゃくつろいでた。
私は、おもむろに右手を突き出す。ソイツの"目"をダメ元で探してみる。もしかして、本当に虫だったりしないかしら、と淡い期待を込めて。もし虫だったら、いきなりどかーんってできなくても、指の一本や二本くらいはもぎ取れるかも知れない。
「なに? そのポーズ。おもしろーい」
しかし、何も起こらなかった。
どうやら、コイツは虫じゃないらしい。
二、引きこもり吸血鬼と悪霊の話
しゃらんら。
私の世界に、涼しげな音が鳴る。
気にしないようにして本をめくる。例のアイツが虫じゃない、と分かった今では用済みな昆虫図鑑だけれど、意外や意外、ただ読むだけでもけっこう楽しい。
しゃららんら。
ガラスを優しくすり合わせるような音が、また鳴る。背中がムズムズする。
無視無視。私は本に没頭する。
しゃらららら。
「フランちゃんの羽根って綺麗よねー」
しゃらしゃら、私の枯れ枝のような羽根からぶら下がった、宝石みたいな羽毛たちを触りながら、正体不明のソイツは、うっとりと言う。
「ちょっと」
その鬱陶しさに耐えられなくなって、私は本から顔を上げた。
ソイツと目が合う。きょとんとして、瞬きして、それからソイツは、とろけたようににへらと笑った。
三日経っても、虫のようなソイツはまだそこにいた。
「フランちゃん、やっとこっち見た」
「何なのさ、あんた一体」
「だから、こいしちゃんだってば」
こいしちゃん、と鳴く謎の生命体。未だに私はその正体がつかめずにいた。
正体さえわかれば、きゅってできるのに。
「あんた、どうやって来たの」
「どうやって?」
うーん、と首をひねる。
そうしてやってるのを見ると、虫っぽくなんか全然なく、むしろちゃんとした人型で、私と同じ妖怪かなにかに見えた。
「ふつうに、扉から?」
「嘘。だって、扉開けたら気づくもん。気づかないうちに、私の部屋にいた」
私の糾弾に、ソイツはさも可笑しそうにからから笑った。
「そりゃそうでしょー。だって私だもん」
答えになってない。私は軽くため息を吐く。
三日間、コイツと同じ部屋に暮らしてみてわかったのは、ふわふわととらえどころのないコイツの性格と、同じようにふわふわとした薄い緑色のくせの強い髪と、ときどきまっすぐこちらを見据える、エメラルドグリーンの深い瞳だけだった。
イライラする。こんなヤツ、さっさと追い出してしまいたい。
「なんでもいいから、出てってくれない?」
「えーやだー。私、ここ気に入っちゃった。居心地いいし、フランちゃんは面白いし。それに私、帰れないの」
「帰れない? それはどういう」
そこまで言って、ハッとした。こいつの正体に、ついに思い至ったのだ。
そして確信した。そのふわふわとして地に足がついていないこの感じ。帰りたくても帰れないという、その言葉。そして何より、私に気づかれずに部屋に忍び込んだその方法。
すべてが、私の考えが正しいことを示していた。
「ちょっと出てくる!」
「いってらー」
私は正体不明のソイツに見送られながら、部屋を出ていく。
目指すは当然、大図書館。
*
「ぱちぇぱちぇぱっちぇ」
困ったときの大図書館。
私は、自分の考えが正しいことを確かめるため、動かない大図書館ことパチュリー・ノーレッジのところにやって来ていた。
パチュリーはやっぱり面倒くさそうな顔をした。でも、読んでいた本から顔をあげて、私に向き直って聞く体勢に入る。やっぱり優しい。
ちなみに、小悪魔は積み上げた本でジェンガをしていた。
「で、何かわかった?」
「虫じゃなかった」
「でしょうね」
「悪霊だった」
「はい?」
小首をかしげる魔女。
そんな魔女に、私は自分の説を語り始めた。
まず、ソイツは私の知らない間に私の部屋に入り込んだ。私の部屋には出入り口は一つだけ。私はいつも、ボロのソファに出入り口の方を向いて座って本を読んでるから、そこから入ってきたりしたら、視界に映るし、間違いなく気づく。
じゃあ、ソイツはどうやって入ってきたのか?
答えは簡単。壁をすり抜けて入ってきたのだ。悪霊ならば、可能だ、きっと。
それだけじゃない。
幽霊はふわふわと常に宙に浮いていると、咲夜に借りたサスペンスホラー小説に書いてあった。私の部屋に居座るソイツも、ふわふわと掴みどころがない、宙に浮いたような受け答えばっかりする風船のようなヤツだ。きっと幽霊とか亡霊とか、そういう類に違いない。
そして極めつけは、アイツの「帰れない」という発言。これはこの世に未練があって、冥界に行き着くことができないという意味ではないだろうか? そう考えるとすべて辻褄があうのだ。
結論。
アイツはトンデモなく性質(たち)の悪い悪霊である。
Q.E.D.。やったね。
「というわけで、アイツは悪霊で私の部屋に居着いて……」
「どうしたの?」
「……」
私は沈黙する。私は、今、とても恐ろしいことを証明してしまったような。
悪霊に居着かれる。それってつまり……。
「パチュリー。私、取り憑かれちゃった」
私は泣きそうになった。
どこかから、呪いのメロディーが流れてきた気がした。
「どうどう。落ち着きなさいフラン。そいつとは面識がないんでしょう?」
「うん」
「じゃ、恨まれるようなことはしてないわね」
「してない」
「じゃあ、大丈夫。妹様はいい子だから、誰も恨んだり嫌ったりなんてしないわ」
「……そうかな」
どうなんだろ。
私は、誰かから好かれてるのだろうか。パチュリーだって、美鈴だって、咲夜だって、優しいけど、でもホントのところは、お姉さまが好きだから、その妹を邪険に扱えないだけで、ホントは心のうちでは、ワガママで引きこもりな私のことを嫌ってるんじゃないかしら。
それに、私の姿はひどくいびつだ。
吸血鬼は鏡に映らないけれど、首を捻り体をよじり、できる限り自分を観察してみたら、例えば髪ははちみつ色で、お姉さまとは違うし、羽根も変にねじ切れた奇妙な形をしてて、やっぱりお姉さまとは似ても似つかない。
お姉さまは美人で素敵だ。じゃあ、それと似てない私は?
わからない。何もわからなかった。
目の前が真っ暗になる感覚。
でも、そのとき。
ふと、思い出した。
こんないびつな羽根を、綺麗だといって、にへらと笑った奴がいたような。
ちょっとだけ、目の前の黒が、明るくにじんだ気がした。
そして、にじんでちょっと晴れた視界の先には、パチュリーの顔。私が落ち着くまで、辛抱強く、頭を撫でてくれていた。その手は温かくて、さっきパチュリーのことを悪く思ったことが恥ずかしくなった。
「落ち着いた?」パチュリーは優しくささやく。
「……うん」
「そう。じゃ大丈夫ね。何か不安になったらまた来なさい」
「ありがと、ぱちぇぱちぇぱっちぇ」
私は、少し軽い気持ちになって、図書館を後にする。
後ろ手に扉をちょっと強めに閉めると、何かが盛大に崩れる音と、小悪魔の叫び声が聞こえた気がした。
*
「おかえりー」
「ただいま」
部屋に帰ってくると、ぴょこぴょこ、正体不明が近づいてきた。
その顔をまじまじと眺める。まつ毛が案外長いし、頬はりんごみたいに赤い。なるほど、咲夜のホラー小説に出てくるようなオドロオドロしい感じはまるでなく、むしろ美鈴に借りた少女漫画に出てくるみたいな、恋に恋するようなあどけない少女を思わせる顔をしていた。
やっぱり、悪霊じゃないってことなんだろうな。
「なあに、じっと私の顔を見て」
私はそれに答えずに、右手を突き出した。
ソイツを悪霊だと仮定して、"目"をダメ元で探してみる。でもやっぱり見つからない。
「なんのポーズなの? おまじない?」
ため息を吐く。
どうやら、コイツは虫でも、悪霊でもないらしい。
三、引きこもり吸血鬼と使い魔の話
虫でも悪霊でもない正体不明のソイツと暮らして、一週間が過ぎた。
ソイツは何を考えてるのか未だにわからない。出て行け、って言っても聞かなかったり、私が漫画を読んでると横から覗き込んできたり、寝てると布団に潜り込んできたり、本棚を引っ掻き回してたり、うっとおしいくらい話しかけてきたり、一緒におしゃべりしたりした。
本当にうっとおしい。コイツがなんなのか、それさえわかればすぐにでも、破壊してやるってのに。
「あんた、いったい何なの」
チェス盤を二人で囲みながら、ソイツに投げかける。
「さーそれがわかったら苦労しないなー」
返しながら、こいしはよくわからない馬が彫られたコマを、勢いよく弾いて回した。その回転に巻き込まれ、私のコマが勢いよく盤からはじき出されていく。
「回天剣舞・六連!」
回天剣舞・六連らしかった。
初めてやったけど、チェスはなかなか奥が深かった。
「自分のこと、私はよくわからないし、お姉ちゃんももう、私のことなんか分かりようがないからね」
制御を失ったお馬さんが、落ちていく。栄華を極めても、いずれ落ちぶれていくもの。私たちは今、盛者必衰の理を盤上に見ていた。
結局、盤上には何も残らなかったので、引き分けということになった。
「あー面白かった。またやろうね」
「うん」
相変わらず、コイツの正体はわからないけど、話したり遊んだりするのはなかなか退屈がしのげるので、悪くない、と思った。
*
「何やってんの」
ソファに寝そべってアガサ・クリスティを読んでいると、ソイツが変な踊りを踊っているのが視界に映ったので、気になって聞いた。
「んー?」
緩慢に返事をして、こちらに向く。
何やら、両手を突き出して、手を、ぐっぱっと開いて握ってを繰り返しているみたいだった。
「フランちゃんが、ときどきやるじゃん? こんな感じで」
両手を交互に、開いて、握って、と繰り返してみせる。
例の、きゅっとしてドカーンとやる、アレのことだろうか。両手を使ったことはなかったと思うんだけど。
「あれ、何なのかなーって思ってさ」
「それで、真似してみたの?」
「うん」
「で? なんか分かった?」
「意外に握力が鍛えられるね」
「あっそ」
そこで会話を区切って、私はクリスティの続きを読み始める。今、何番目かに死んだ奴が実は生きてたというのが判明したシーンだ。たぶんコイツが真犯人。いよいよクライマックスだ、コイツの謎トークに付き合ってられるか。
と、思ったけど。
活字を追うふりをして、こっそりソイツの様子を横目で伺う。
「ん、んーっ」
ソイツは、飽きもせず、今度は大きく上下に拳を動かしながら、握ったり、開いたりし始めた。踊りが進化している。間違った方向に。
そのまま本を読んで、無視してても良かった。
だけど、今日はたまたま、なんとなく、話したくなった。
自分のことを。
私は立ち上がって、腕を前に出す。ソイツは、不思議そうにその様子を見ていた。
目標は、目の前の扉だ。私は"目"を探す。木製、内開き、いつも乱暴に扱ってるせいで、蝶番が取れかけている、こげ茶色で厚さは――。
知っている。私はこの扉をよく理解している。ならば簡単だ。その"目"を手のひらに移す。手のひらにぶよぶよとした塊が乗っかるような感触、そして。
「はッ」
思いっきり握りつぶすと同時、木製の扉が、音を立てて叩き割られた。「わひゃ」と情けない声がソイツから上がった。破壊された、というよりも内側から、自分の重さに耐えきれなくなったみたいにぐしゃっと崩折れるみたいだった。
「これが、私の破壊の能力」
それから、私はその破壊の能力について説明した。
紅魔館のヒトたち以外に聞かせるのは初めてだった。なんでそんなつもりになったのか、自分でもよくわからなかった。たぶん、気まぐれだ。なんとなく、そういう気分になっただけ。
495年も地下で暮らしてれば、そういうことくらい、ある。
あるよね?
「というわけで、そんな簡単に使えるわけじゃないんだけどね。今まで破壊に成功したのだって、両手で足りるくらいよ。椅子に机にクマのぬいぐるみ、お姉さまのドアノブカバーみたいな帽子にパチュリーのドアノブカバーみたいな帽子に、お姉さまの澄ました顔面に、お姉さまの服に、お姉さまの右足と左腕、それから、うーん、そんくらい」
「お姉さんへの殺意高くない?」
ソイツはおかしそうにからから笑う。
その笑顔を見たら、ちょっとホッとした。でも、何にホッとしたのかは自分でもわからなかった。
そして、そこで初めて、能力について話し始めてから、ずっと自分のスカートを固く握りしめていたことに気づいた。
緊張してた? 何に?
「それにしても、いいなあその能力」
「そう? あんただって、なんかあるんじゃないの、能力とか」
私が聞くと、ソイツは驚いた顔をしてこっちを見た。
何か、とんでもないものを目にしたような顔だった。
「……何よその顔」
「いやあ、なんというか」頬をかきかき、ソイツは答える。「フランちゃんが、私のことを聞きたがるなんて、初めてだったから」
「……そんなことないでしょ」
どうやってここに来たのか、とか、いったい何なの、とか、いろいろ聞いた気がする。
でもそれは、コイツに興味があったからと言うわけではなく、なんというか、状況を把握するための事務的な作業に過ぎなかったんじゃないか、とも思った。だとしたら、確かに、私がコイツに何か自発的に聞こうと思ったのは、初めてだったかもしれなかった。
ソイツは、何が嬉しいのか、にへら、と顔をゆるませて笑った。
「私の能力はねー、なんというか、パッシブスキル? だから」
「なにそれ」
「相手に働きかけるような能力じゃないってこと。それに比べ、フランちゃんの能力ときたら!」
「そんなに、いいもんじゃないけど」
大したものは破壊できないし。
それだったら、運命を操る、とか、時間を止める、とか、そういう能力のほうが、よっぽど夢があると思う。
私がそう言うと、ソイツは、首をぶんぶん振った。
「そんなことないよ。もっといろいろできると思う。例えば、そう、隕石が降ってきたとして」
「降ってこないよ」
「降ってきたとして、隕石をこう、きゅっ、ドカーン! きゃーフランちゃんすごーい! みたいな」
「ならないよ。それに、星とか隕石とか、よくわからないし、わからないから破壊できっこない」
でも、もしそんな大それたことをしなくちゃいけなくなったりしたら。
それこそパチュリーのもとでみっちり星について勉強しなくちゃいけない。大変だ。
でも、星、星か。興味がないわけじゃない。ちょっとだけ、星にすごく詳しくなって、幻想郷を襲う隕石を、ヒーローみたいに破壊する自分の姿を無双した。嫌な気分じゃなかった。
ソイツは、夢見るような顔で続ける。
「いいよねえ、なんでも破壊できる能力。殺戮して、破損させて、出来上がった好きな死体を飾ったりしてさ。魔法みたいな話だよね」
魔法。
その単語を聞いた瞬間、私は身震いした。
そうだ、そうだった。
「フランちゃん?」
ソイツが私を覗き込むけど、私はもうソイツを見ていなかった。
ああ、どうして忘れていたんだろう。
私は、魔法少女だった。
*
「おあちゅりー」
「打ち間違えるな」
嫌そうな顔をしたパチュリーが、こちらに向き直る。最近思うに、パチュリーが嫌そうな顔をするのは、私と話すのが億劫なのではなく、単純に、変な名前で呼ばれるのが嫌なだけなのでは?
これからは呼び方に気をつけよう。
「使い魔だわ。アイツ」
「はあ」
パチュリーは、ため息ともうなずきとも取れる曖昧な声を漏らす。
小悪魔が、視界の端で何やら分厚い難しそうな本を読んでいる。司書らしい仕事をしているのを初めて見た。やればできるじゃん。
と思っていたけど、よくよく見たら、本で隠しながら早弁していた。何しに図書館来てるのこの悪魔。
「一応聞くわ。なぜ、そう思ったの」
「ほら私、魔法少女じゃん?」
「そこから理由がすでにわからないのだけど、そういうことにしておくわ。で?」
「魔法少女といったら、マスコット的使い魔でしょ」
「うーん」
「そんなわけで、私の魔法少女的才能に目をつけた悪魔が、私の使い魔になるためにやってきた、と。そういう結論に達しました」
「……はぁ」
今度は、間違いなくため息を吐くパチュリー。
「あのね、フラン。まず使い魔はそうやすやすと契約できるものではないわ。魔法使いとして長い研鑽を経て、魔法使いとしての格を身に着け、それで初めて悪魔との対等な取引が可能になり、契約を持ちかけることが出来るの。そう、それこそ私のような高位な魔法使いにならないと無理な話」
「その高位魔法使いの使い魔、あそこで焼肉弁当かっ喰らってますよ」
「それから、フラン。あなた、召喚の儀を行ったりした?」
「しょうかんのぎ」
「そう。営業じゃないのだから、基本悪魔は向こうから契約を持ちかけたりなんてしないわ。私たち魔法使いが、自分の実力にあった悪魔を召喚し、そこで取引が成立したら初めて契約が結ばれるの」
「うーん、なんか、考えてたのと違う」
なんかこう、いきなりマスコット的なのが出てきて、魔法少女になってよ! みたいにお願いされるのかと思ってた。
「それと、フラン、あなた魔法使えたっけ?」
「使えないけど、魔法少女だし」
でも、魔法少女ってなんだろう。私は首をひねる。
私は、他の誰よりも自分自身を理解してないようだ。
「ちょっと頭を冷やす」
「ま、そうしなさい。多分だけど、もう少しで、その正体不明少女の謎は解けるんじゃないかしら」
「うーんそうかなー」
いろいろ調べたり、仮説を立てたりしてるけど、結局ぜんぜん、何もわかってない気がする。
私がそう言うと、パチュリーは、くすっと笑った。
「前よりも積極的に、いろんなことを調べてるでしょ。大事なのは、そういう、知ろうとする気持ちよ。もっともっと知りたい、そう常に思い続けること。それが成長への第一歩」
自分ではよくわからなかった。
でも、なんとなく、いろんなことをもっと知りたい、知らなくちゃいけない、って思うようになってきた。気がする。
*
扉がなくなって風通しの良くなった部屋に帰る。
念のため、ソイツの"目"を探してみたりした。ソイツを、使い魔だと仮定して、意識を集中させる。
でも、当然見つからなかった。今回も、とんだ見当違いということだ。
ソイツは虫でも、悪霊でも、使い魔でもないらしい。
ちょっと安心した。
何に?
四、引きこもり吸血鬼と淫魔の話
「うおおおおおサキュバスめえええええ!! これを喰らえ! 悪魔に特攻の御札!」
「やめてフランちゃん!」
「ぎゃああああ御札持ってる手が焼けるううう!」
「そりゃそうでしょ!」
*
「パルスィ」
「もはや別人」
*
「悪魔めええええ!!きゅっとしてドカーン!」
悪魔の気配を手繰り寄せ、手の中に"目"を移す。
そして、それを握りつぶす。よっし、手応えあり!
「やっぱりお前は、私の貞操を奪いに来たサキュバスだったんだな! 討ち取ったり!」
しかし、ソイツは、私が"目"を握りつぶしたのにもかかわらず、何事もなかったようにきょとんとしていた。
四肢がもげたり、顔面が破裂したり、服が爆散したり、そういうのはまったくなかった。確かに感触はあったのに。
やはり、虫でも悪霊でも使い魔でも、ましてやサキュバスでもないらしい。
いったい、コイツはなんなんだ?
私が首をかしげていると、ソイツは私の手を引く。
「ね、またチェスやろうよ。今度はね、合体攻撃を考えたの。お馬さんとね、この偉そうなでっかいコマを重ねてね」
「あなた、ホントにチェスやったことある?」
ま、いいか。
*
そのころ。
「お嬢様」
「……なんだ、咲夜」
「一つ、伺ってもよろしいですか」
「ああ」
「なにゆえ、素っ裸でお食事を召し上がられてるのですか」
「……私が聞きたい」
レミリアの服は爆散していた。
五、引きこもり吸血鬼と〇〇の話
「あーわかんないよー」
アイツが現れて、すでに一月。
何かにつまづいたときの我らが大図書館。そこで、パチュリーと向かい合っていた。
アイツが出てきてから、あーじゃない、こーじゃない、と議論を交わし続けていたものの、もう仮説もとうに底を付き、アイツの正体の解明については完全に暗礁に乗り上げていた。
「パチュリー、何か知ってるんじゃないの? ヒントちょうだいよー」
私は腕をぐでーっと伸ばして、テーブルに突っ伏す。
パチュリーはその向かいで、本に目を落としていた。
「私は知らないわよ。一度も会ってないもの。それに仮に知っていたとして、何も教えるつもりはないわ」
「会ってよ。よく考えたら、それで解決じゃない」
「解決じゃないわ。それじゃ、フランが成長しないでしょう」
「私の成長なんて、どうでもいいよー」
「面倒だし」
「動けよ大図書館」
私は、ダダをこねるみたいに、腕をブンブン振り回した。
そして、それに疲れたら、また腕を投げ出してテーブルに伏せる。
アイツは結局、なんなんだ。
虫みたいに、突然現れて。
悪霊みたいに、しつこくまとわり付いて。
使い魔みたいに、私に近づいてきて。
悪魔みたいに、私を惑わして、たぶらかして。
結局、アイツはなんなんだ。
私をどうしたいんだ。何が目的なんだ。こっちが警戒してれば、よくわからない遊びに誘ったり、おしゃべりするだけだったり。そんなの、なんの意味があるんだ。意味のないことに興じるなんて。それって、まるで。
「友達、でいいんじゃないですか?」
凛、と。よく通る、澄んだ声が図書館に響いた。
振り返ると、ワインレッドの長い髪に黒いスーツのようなドレスを格調高く身にまとった女性が立っていた。
小悪魔。今日は起きてたのか。というか、聞いてたのか。
「急に現れて、意気投合して仲良くなって、つるんで近づいてお互いの魅力に気づいて。それってつまり、お友達でしょう?」
「お友達」
「はい。そして友達同士のやり取りに意味なんかありませんよ。だって、意味のないやり取りの積み重ねが友情を育むんですもん」
にこにこと小悪魔は言う。
友達。
友達ってなんだろう?
咲夜の小説にも、美鈴の漫画にも出てきたから、その名前だけは知ってる。でも、友達をどう作るのかとか、どうなったら友達なのかとか、そんなことはぜんぜん教えてくれなかった。そんなの説明する必要ないでしょ? って感じだった。
引きこもり吸血鬼には、友達ってのがよくわからない。
「わかんないよ」
首を振る。
急に友達なんて言われても、分からない。引きこもりすぎて、何も学んでこなかったから。
私は、どうすればいいんだろう。アイツにどうしたらいいんだろう。何をすべきなんだろう。
うつむいた私の頬を、そっとパチュリーの手が触れる。
「会話をしなさい」
パチュリーは、優しく、教え導くように言う。
「たくさん、言葉を積み上げなさい。そうやって、相手のことを知りなさい。友達かどうかわからないなら、なおさら。自分が相手の何に惹かれてて、相手は自分の何を好いてくれているのか。それがわかるまでひたすら、対話するの」
「そうして?」
そうした先に何があるんだろう。
不安と、期待と、入り混じったどきどきが私の胸を叩いた。
私の問いに答えず、パチュリーは、首をゆっくり左右にふる。
自分で見つけろ、そういうことだろう。
パチュリー先生は優しいけど、ときどき厳しい。
私は、立ち上がる。手をぎゅっと握って、口をきゅっと結んで。目を凝らして。
小悪魔が、パチュリーの肩を撫でさすってセクハラしてるのを、見なかったことにして。
私は、足早に図書館をあとにする。
パチュリー、ありがとう。小悪魔も、ありがとう、でもいつかクビになっても私は助けないよ。
*
私は、いつもの、四角く切り取られた部屋へ帰る。
私だけだったはずの空間。だけど、いつの間にか、アイツが居着いてしまった空間。
「おかえりんこー」
「ただいま」
ソイツは、ソファで寝転がって、小説を読んでいた。
私が途中で投げ出した、夢野久作の文庫本だ。なんでそんなに熱中できるんだろう。すごく難解な内容だった気がするんだけど。私には理解できなかった。
でも、理解できないなら、聞けばいい。
私はつかつかソファに近づく。
私が近づいたら、ソイツは、何かを察したらしく、体を起こし、私が座れるだけのスペースを開けてくれた。
ありがとう、って言って、私はそこに腰掛ける。
もともと一人で使ってたソファだ。二人で並んで座ると、狭かった。肩がぶつかる。腕同士がふれあい、膝同士がくっつきそうになった。脇腹がくすぐったかった。触れ合ってるところが、みんな、熱かった。そうして初めて、ソイツも私と同じ熱を持っていることを知った。
「ね、お話しよう」
私は思い切って言った。
気の利いた言葉なんて、引きこもり吸血鬼には分からない。だから、強引に、切り出す。
ソイツは、驚いたように目を丸くして、目を瞬かせて、それから、にへら、って笑った。
それから私たちは語り合った。
ソイツのお姉さんのこと。
私のお姉さまのこと。
ソイツの住んでるお屋敷のこと、たくさんのペットのこと、地底での暮らしのこと。
紅魔館のこと、紅魔館のメイドや門番や魔法使いや使い魔、個性的な奴らのこと。
ソイツがサトリ妖怪という妖怪であること、でも目を閉ざしてしまったこと、もう心を読めないこと、お姉さんにも読ませることができないこと。
私が、自分の容姿が嫌いなこと、自分の能力が嫌いなこと、これ以上嫌われるのが怖くて引きこもってること。
好きな食べ物、好きな色、好きな小説、好きな服。楽しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと。
ソイツが、お姉さんと喧嘩したこと。帰れないと言ったのは、お姉さんと顔を合わせづらいからだ、ということ。
この部屋に来たのは偶然だということ。ソイツには無意識の能力があって、ヒトの認識をくぐり抜けられるということ。ここに来たのは、なんとなく、私とソイツで、匂いが似ていたから、ということ。つまり、あまり考えてなくて、でもきっと仲良くなれると思って近づいてきたこと。
たくさん、語った。たくさん、知った。
話してる途中、ちょっとだけ、ソイツに気付かれないように、右手にソイツ"目"を移そうとしてみた。
ソイツの、私の知ってる情報を頭の中で整理して、ゆっくりとソイツを把握していく。
そうしてみたら、あっけなく、"目"みたいなものを手に握った感触があった。完全な"目"とは程遠いけれど、でも最初のときからは考えられないくらいの進歩だった。
あまりに簡単すぎて、笑ってしまいたくなった。
話すだけ。
知りたいことを聞いて、話して、分かり合うだけ。
それだけで、こんなに相手のことを理解できてしまうなんて。
相手のことがわからず、うんうん唸ってた今までの私が、ばかみたいだ。
「フランちゃん、どうしたの?」
不思議そうに、ソイツが私を覗き込んでいた。
例えば、一瞬。
今、一瞬、きゅってしたら、コイツの腕の一本くらい、吹っ飛ばせるかな、って考えた。
確かに出来るだろう。
不完全ながら、"目"は確かにここにある。やったね、目標を、やっと達成できたんだ。長かったね。
でも、やらなかった。できなかった。
不思議だった。理解さえできれば、どんどん知識を吸収すれば、破壊できる対象ももっと増えると思ってたのに。逆に、理解しちゃったらもう壊せないんだもん。
やっぱり、この能力は、不便だ。
私が"目"から意識をそらすと、右手からすっと、"目"の感触が消えてった。
「ううん、なんでもない。ところでさ」
そして、唐突に。
ずっと言おうと思ってたことを、まだ言ってないことに気づいた。
思えば、最初に聞けばよかったんだ。
対象のことを知る、第一歩だったはずなのに、一番最初の大事な質問だったはずなのに。いきなり仮説合戦を始めちゃったもんだから、ずっとおろそかになってた。
今更聞くのはちょっと恥ずかしいけど。
うん。ソイツ、アイツ、って呼ぶだけじゃ、不便だもんね。
「ね――あなた、名前なんていうの?」
私は聞く。
驚いたようにソイツは目を丸くして、それからぷくーって膨れてみせた。
「あー、ひっどいんだー! 私、いっちばん最初に言ったじゃん! もー!」
ぷりぷり起こる、私の友達第一号。
そんな様子も可愛くて、思わず笑う。それにつられて、友達も、いつのまにかにへらって笑った。私の好きな笑顔だった。
「もー今度こそ忘れないでね。私の名前は――」
私が朝、目を覚ますとソイツがいた。
「おはよう! 私、古明地さんちのこいしちゃん! ね、あなた、素敵な部屋に住んでるのね? 良かったら――」
出た。ついに出た。
私は常備してあるアー○ジェットをソイツに向けてひとしきり噴射すると、地下に埋まった自分のねぐらから飛び出した。
*
「ぱっちぇ。虫が出た」
困ったときの大図書館。
私は、害虫駆除の相談をするため、紅魔館のブレインことパチュリー・ノーレッジのところにやって来ていた。
パチュリーは露骨に面倒くさそうな顔をした。しぶしぶ読んでいた本から顔をあげて、私に向き直る。なんだかんだ付き合ってくれるので、パチュリーは好き。
「どんな虫だった? 前に渡した殺虫剤は効いたの?」
「慌てて出てきちゃったから、よく覚えてない。でもたぶん、大きさは私の背丈と同じか、ちょっと大きいくらい」
「デカい」
「それで、足は四本だった気がする」
「少ない」
ふむ。パチュリーは考え込む。
大図書館が静けさに包まれる。本棚はいつ見ても厳めしく並んで立っていて、今にも私に襲いかかってくるような威圧感があった。小悪魔は、頬杖ついて船をこいでた。仕事しろ。
「それは、もしかしたら虫ではないかもしれないわ」おもむろに口を開くパチュリー。
「嘘。だって、ソイツ、殺虫剤浴びせたら、ちょっとひるんでた」
「フラン。誰でも殺虫剤を出会い頭に浴びせたら、誰でもひるむわ」
「そうなんだ」今度お姉様に試してみよう。
でもじゃあ、アイツはなんだったんだろ。私は首をひねる。
うーん、わかんない。やっぱり虫しか思いつかない。
「虫だと思うんだけどなあ。美鈴に借りた漫画に、似たような場面あったもの。とつぜん前触れもなく出てきて、カサカサって音がして、振り向くと、ぎゃー! みたいな」
「そういうタイプの虫は、たいていそんなに大きくないし、足も六本以上あるの」
「うーんそうかなあ」
引きこもり吸血鬼には、虫ってのがよくわからない。
綺麗好きの咲夜のおかげで館内はどこも清潔だし、そも引きこもってばっかだし。私の引きこもる部屋には、何も餌になるようなものがないからか、生き物は何も出てきたことないし。
だから、出るとしたら迷い込んだ小さい虫くらいなもんだと思ってた。
「それに、虫が出たとして、そんなに怖がることないじゃない。妹様には、例の破壊の能力があるんだから」
「あー」忘れてた。あんまり使うこと、ないからなあ。それに。
「無理。ソイツのこと何も知らないし」
すべてを破壊する能力。
破壊したい物体の"目"を右手に引き寄せ、それを握りつぶすことで、対象を粉々に崩壊させる驚異の異能力。
そう聞くと、いかにも仰々しく恐ろしい能力に聞こえるかもしれないが、実際はそんなにすごくない。むしろとっても面倒で不便な能力だ。
何しろ、物体の中心たる"目"、それを探すのがひどく大変なのだ。
対象の物質的構成要素だとか、対象の持つ価値や意味や概念だとか、因果率だとか、そんな対象を取り巻くあらゆる要素の糸でがんじがらめになってる、その最奥にあるコア。ちょんとつつけば、一瞬にしてバラバラにほどけてしまうような物体の核。それをいちいち探し出して手のひらに移してくる必要があるのだ。
つまり、破壊したい物体があったら、それがどういうもので、どういう材質で出来てて、どういう価値があって……と、そういった事柄を全部把握してなきゃいけない。そうでないと、"目"なんて到底探せないし、"目"が探せなきゃ、破壊する能力なんて意味がない。
だというのに、初めて見つけた得体の知れない存在の"目"を一瞬で探してきゅっと握りつぶせだって?
むりむりむり。無理の三乗だ。
最初から大して期待してなかったのか、パチュリーは、私の答えに、そう、なんて短く返すだけだった。
きっと私には知識が全然足りてなくて、だから、もっともっとパチュリーみたいにたくさん本を読んで、勉強しなくちゃいけないんだろうなあ、なんて考えた。そうすれば今頃、あんな虫もどき、きゅっとしてどかーんってできたのに。
それか、もっと積極的に外に出るか。外にはきっと、虫も鳥も動物も魚もたくさん見つかるし、あの謎の存在だって、似たようなのがたくさんいるんだろうなあ、なんて。
あーでも。むりむり。
私の世界は地下に埋まったあの四角いく切り取られた空間で、私にとってのすべてだ。今さら、それを変えるなんて。あそこから外に踏み出すなんて。むりむりむりむり。無理の四乗、クアドラプル無理。
「はい」
気づけば、パチュリーが私に本を差し出していた。
タイトルには、「昆虫図鑑」。
表紙に、カラフルな色合いを羽根を大きく広げた生き物が描かれている。まあキレイ、と一瞬思ったけど、でもよく見たら胴体がぶよぶよしてそうでキモかった。目もキモい。口からにょろっと飛び出した触手みたいな口も、頭ににゅきっと生えてる触手みたいななにかも、キモい。
「それ、貸したげる。見比べて観察すれば、なんの虫だかわかるんじゃない」
もしホントに虫なら、だけど。
小さくつけ加えて、パチュリーは本に向き直った。
相談教室はお開き。ありがとうぱっちぇ、って言いながら、図書館を出ていく。帰りしなに小悪魔の方をちらっと見たら、テーブルに突っ伏して本格的に熟睡モードに入ってた。クビにしろ。
*
「うーん」
自分の部屋への道すがら、図鑑をペラペラめくってみた。
どれもこれも、突然湧いたアイツとは似ても似つかない。やっぱり、パチュリーの言う通り、アイツは虫じゃないのかな。
「あ、おかえりー。ねえ、この絵のついた本、続きないの?」
帰ったらいなくなってたりしないかな、と期待した私が馬鹿だった。
ソイツは、いなくなるどころか、綿がはみ出したボロボロのソファに寝そべって、美鈴に借りた漫画を読んでた。めっちゃくつろいでた。
私は、おもむろに右手を突き出す。ソイツの"目"をダメ元で探してみる。もしかして、本当に虫だったりしないかしら、と淡い期待を込めて。もし虫だったら、いきなりどかーんってできなくても、指の一本や二本くらいはもぎ取れるかも知れない。
「なに? そのポーズ。おもしろーい」
しかし、何も起こらなかった。
どうやら、コイツは虫じゃないらしい。
二、引きこもり吸血鬼と悪霊の話
しゃらんら。
私の世界に、涼しげな音が鳴る。
気にしないようにして本をめくる。例のアイツが虫じゃない、と分かった今では用済みな昆虫図鑑だけれど、意外や意外、ただ読むだけでもけっこう楽しい。
しゃららんら。
ガラスを優しくすり合わせるような音が、また鳴る。背中がムズムズする。
無視無視。私は本に没頭する。
しゃらららら。
「フランちゃんの羽根って綺麗よねー」
しゃらしゃら、私の枯れ枝のような羽根からぶら下がった、宝石みたいな羽毛たちを触りながら、正体不明のソイツは、うっとりと言う。
「ちょっと」
その鬱陶しさに耐えられなくなって、私は本から顔を上げた。
ソイツと目が合う。きょとんとして、瞬きして、それからソイツは、とろけたようににへらと笑った。
三日経っても、虫のようなソイツはまだそこにいた。
「フランちゃん、やっとこっち見た」
「何なのさ、あんた一体」
「だから、こいしちゃんだってば」
こいしちゃん、と鳴く謎の生命体。未だに私はその正体がつかめずにいた。
正体さえわかれば、きゅってできるのに。
「あんた、どうやって来たの」
「どうやって?」
うーん、と首をひねる。
そうしてやってるのを見ると、虫っぽくなんか全然なく、むしろちゃんとした人型で、私と同じ妖怪かなにかに見えた。
「ふつうに、扉から?」
「嘘。だって、扉開けたら気づくもん。気づかないうちに、私の部屋にいた」
私の糾弾に、ソイツはさも可笑しそうにからから笑った。
「そりゃそうでしょー。だって私だもん」
答えになってない。私は軽くため息を吐く。
三日間、コイツと同じ部屋に暮らしてみてわかったのは、ふわふわととらえどころのないコイツの性格と、同じようにふわふわとした薄い緑色のくせの強い髪と、ときどきまっすぐこちらを見据える、エメラルドグリーンの深い瞳だけだった。
イライラする。こんなヤツ、さっさと追い出してしまいたい。
「なんでもいいから、出てってくれない?」
「えーやだー。私、ここ気に入っちゃった。居心地いいし、フランちゃんは面白いし。それに私、帰れないの」
「帰れない? それはどういう」
そこまで言って、ハッとした。こいつの正体に、ついに思い至ったのだ。
そして確信した。そのふわふわとして地に足がついていないこの感じ。帰りたくても帰れないという、その言葉。そして何より、私に気づかれずに部屋に忍び込んだその方法。
すべてが、私の考えが正しいことを示していた。
「ちょっと出てくる!」
「いってらー」
私は正体不明のソイツに見送られながら、部屋を出ていく。
目指すは当然、大図書館。
*
「ぱちぇぱちぇぱっちぇ」
困ったときの大図書館。
私は、自分の考えが正しいことを確かめるため、動かない大図書館ことパチュリー・ノーレッジのところにやって来ていた。
パチュリーはやっぱり面倒くさそうな顔をした。でも、読んでいた本から顔をあげて、私に向き直って聞く体勢に入る。やっぱり優しい。
ちなみに、小悪魔は積み上げた本でジェンガをしていた。
「で、何かわかった?」
「虫じゃなかった」
「でしょうね」
「悪霊だった」
「はい?」
小首をかしげる魔女。
そんな魔女に、私は自分の説を語り始めた。
まず、ソイツは私の知らない間に私の部屋に入り込んだ。私の部屋には出入り口は一つだけ。私はいつも、ボロのソファに出入り口の方を向いて座って本を読んでるから、そこから入ってきたりしたら、視界に映るし、間違いなく気づく。
じゃあ、ソイツはどうやって入ってきたのか?
答えは簡単。壁をすり抜けて入ってきたのだ。悪霊ならば、可能だ、きっと。
それだけじゃない。
幽霊はふわふわと常に宙に浮いていると、咲夜に借りたサスペンスホラー小説に書いてあった。私の部屋に居座るソイツも、ふわふわと掴みどころがない、宙に浮いたような受け答えばっかりする風船のようなヤツだ。きっと幽霊とか亡霊とか、そういう類に違いない。
そして極めつけは、アイツの「帰れない」という発言。これはこの世に未練があって、冥界に行き着くことができないという意味ではないだろうか? そう考えるとすべて辻褄があうのだ。
結論。
アイツはトンデモなく性質(たち)の悪い悪霊である。
Q.E.D.。やったね。
「というわけで、アイツは悪霊で私の部屋に居着いて……」
「どうしたの?」
「……」
私は沈黙する。私は、今、とても恐ろしいことを証明してしまったような。
悪霊に居着かれる。それってつまり……。
「パチュリー。私、取り憑かれちゃった」
私は泣きそうになった。
どこかから、呪いのメロディーが流れてきた気がした。
「どうどう。落ち着きなさいフラン。そいつとは面識がないんでしょう?」
「うん」
「じゃ、恨まれるようなことはしてないわね」
「してない」
「じゃあ、大丈夫。妹様はいい子だから、誰も恨んだり嫌ったりなんてしないわ」
「……そうかな」
どうなんだろ。
私は、誰かから好かれてるのだろうか。パチュリーだって、美鈴だって、咲夜だって、優しいけど、でもホントのところは、お姉さまが好きだから、その妹を邪険に扱えないだけで、ホントは心のうちでは、ワガママで引きこもりな私のことを嫌ってるんじゃないかしら。
それに、私の姿はひどくいびつだ。
吸血鬼は鏡に映らないけれど、首を捻り体をよじり、できる限り自分を観察してみたら、例えば髪ははちみつ色で、お姉さまとは違うし、羽根も変にねじ切れた奇妙な形をしてて、やっぱりお姉さまとは似ても似つかない。
お姉さまは美人で素敵だ。じゃあ、それと似てない私は?
わからない。何もわからなかった。
目の前が真っ暗になる感覚。
でも、そのとき。
ふと、思い出した。
こんないびつな羽根を、綺麗だといって、にへらと笑った奴がいたような。
ちょっとだけ、目の前の黒が、明るくにじんだ気がした。
そして、にじんでちょっと晴れた視界の先には、パチュリーの顔。私が落ち着くまで、辛抱強く、頭を撫でてくれていた。その手は温かくて、さっきパチュリーのことを悪く思ったことが恥ずかしくなった。
「落ち着いた?」パチュリーは優しくささやく。
「……うん」
「そう。じゃ大丈夫ね。何か不安になったらまた来なさい」
「ありがと、ぱちぇぱちぇぱっちぇ」
私は、少し軽い気持ちになって、図書館を後にする。
後ろ手に扉をちょっと強めに閉めると、何かが盛大に崩れる音と、小悪魔の叫び声が聞こえた気がした。
*
「おかえりー」
「ただいま」
部屋に帰ってくると、ぴょこぴょこ、正体不明が近づいてきた。
その顔をまじまじと眺める。まつ毛が案外長いし、頬はりんごみたいに赤い。なるほど、咲夜のホラー小説に出てくるようなオドロオドロしい感じはまるでなく、むしろ美鈴に借りた少女漫画に出てくるみたいな、恋に恋するようなあどけない少女を思わせる顔をしていた。
やっぱり、悪霊じゃないってことなんだろうな。
「なあに、じっと私の顔を見て」
私はそれに答えずに、右手を突き出した。
ソイツを悪霊だと仮定して、"目"をダメ元で探してみる。でもやっぱり見つからない。
「なんのポーズなの? おまじない?」
ため息を吐く。
どうやら、コイツは虫でも、悪霊でもないらしい。
三、引きこもり吸血鬼と使い魔の話
虫でも悪霊でもない正体不明のソイツと暮らして、一週間が過ぎた。
ソイツは何を考えてるのか未だにわからない。出て行け、って言っても聞かなかったり、私が漫画を読んでると横から覗き込んできたり、寝てると布団に潜り込んできたり、本棚を引っ掻き回してたり、うっとおしいくらい話しかけてきたり、一緒におしゃべりしたりした。
本当にうっとおしい。コイツがなんなのか、それさえわかればすぐにでも、破壊してやるってのに。
「あんた、いったい何なの」
チェス盤を二人で囲みながら、ソイツに投げかける。
「さーそれがわかったら苦労しないなー」
返しながら、こいしはよくわからない馬が彫られたコマを、勢いよく弾いて回した。その回転に巻き込まれ、私のコマが勢いよく盤からはじき出されていく。
「回天剣舞・六連!」
回天剣舞・六連らしかった。
初めてやったけど、チェスはなかなか奥が深かった。
「自分のこと、私はよくわからないし、お姉ちゃんももう、私のことなんか分かりようがないからね」
制御を失ったお馬さんが、落ちていく。栄華を極めても、いずれ落ちぶれていくもの。私たちは今、盛者必衰の理を盤上に見ていた。
結局、盤上には何も残らなかったので、引き分けということになった。
「あー面白かった。またやろうね」
「うん」
相変わらず、コイツの正体はわからないけど、話したり遊んだりするのはなかなか退屈がしのげるので、悪くない、と思った。
*
「何やってんの」
ソファに寝そべってアガサ・クリスティを読んでいると、ソイツが変な踊りを踊っているのが視界に映ったので、気になって聞いた。
「んー?」
緩慢に返事をして、こちらに向く。
何やら、両手を突き出して、手を、ぐっぱっと開いて握ってを繰り返しているみたいだった。
「フランちゃんが、ときどきやるじゃん? こんな感じで」
両手を交互に、開いて、握って、と繰り返してみせる。
例の、きゅっとしてドカーンとやる、アレのことだろうか。両手を使ったことはなかったと思うんだけど。
「あれ、何なのかなーって思ってさ」
「それで、真似してみたの?」
「うん」
「で? なんか分かった?」
「意外に握力が鍛えられるね」
「あっそ」
そこで会話を区切って、私はクリスティの続きを読み始める。今、何番目かに死んだ奴が実は生きてたというのが判明したシーンだ。たぶんコイツが真犯人。いよいよクライマックスだ、コイツの謎トークに付き合ってられるか。
と、思ったけど。
活字を追うふりをして、こっそりソイツの様子を横目で伺う。
「ん、んーっ」
ソイツは、飽きもせず、今度は大きく上下に拳を動かしながら、握ったり、開いたりし始めた。踊りが進化している。間違った方向に。
そのまま本を読んで、無視してても良かった。
だけど、今日はたまたま、なんとなく、話したくなった。
自分のことを。
私は立ち上がって、腕を前に出す。ソイツは、不思議そうにその様子を見ていた。
目標は、目の前の扉だ。私は"目"を探す。木製、内開き、いつも乱暴に扱ってるせいで、蝶番が取れかけている、こげ茶色で厚さは――。
知っている。私はこの扉をよく理解している。ならば簡単だ。その"目"を手のひらに移す。手のひらにぶよぶよとした塊が乗っかるような感触、そして。
「はッ」
思いっきり握りつぶすと同時、木製の扉が、音を立てて叩き割られた。「わひゃ」と情けない声がソイツから上がった。破壊された、というよりも内側から、自分の重さに耐えきれなくなったみたいにぐしゃっと崩折れるみたいだった。
「これが、私の破壊の能力」
それから、私はその破壊の能力について説明した。
紅魔館のヒトたち以外に聞かせるのは初めてだった。なんでそんなつもりになったのか、自分でもよくわからなかった。たぶん、気まぐれだ。なんとなく、そういう気分になっただけ。
495年も地下で暮らしてれば、そういうことくらい、ある。
あるよね?
「というわけで、そんな簡単に使えるわけじゃないんだけどね。今まで破壊に成功したのだって、両手で足りるくらいよ。椅子に机にクマのぬいぐるみ、お姉さまのドアノブカバーみたいな帽子にパチュリーのドアノブカバーみたいな帽子に、お姉さまの澄ました顔面に、お姉さまの服に、お姉さまの右足と左腕、それから、うーん、そんくらい」
「お姉さんへの殺意高くない?」
ソイツはおかしそうにからから笑う。
その笑顔を見たら、ちょっとホッとした。でも、何にホッとしたのかは自分でもわからなかった。
そして、そこで初めて、能力について話し始めてから、ずっと自分のスカートを固く握りしめていたことに気づいた。
緊張してた? 何に?
「それにしても、いいなあその能力」
「そう? あんただって、なんかあるんじゃないの、能力とか」
私が聞くと、ソイツは驚いた顔をしてこっちを見た。
何か、とんでもないものを目にしたような顔だった。
「……何よその顔」
「いやあ、なんというか」頬をかきかき、ソイツは答える。「フランちゃんが、私のことを聞きたがるなんて、初めてだったから」
「……そんなことないでしょ」
どうやってここに来たのか、とか、いったい何なの、とか、いろいろ聞いた気がする。
でもそれは、コイツに興味があったからと言うわけではなく、なんというか、状況を把握するための事務的な作業に過ぎなかったんじゃないか、とも思った。だとしたら、確かに、私がコイツに何か自発的に聞こうと思ったのは、初めてだったかもしれなかった。
ソイツは、何が嬉しいのか、にへら、と顔をゆるませて笑った。
「私の能力はねー、なんというか、パッシブスキル? だから」
「なにそれ」
「相手に働きかけるような能力じゃないってこと。それに比べ、フランちゃんの能力ときたら!」
「そんなに、いいもんじゃないけど」
大したものは破壊できないし。
それだったら、運命を操る、とか、時間を止める、とか、そういう能力のほうが、よっぽど夢があると思う。
私がそう言うと、ソイツは、首をぶんぶん振った。
「そんなことないよ。もっといろいろできると思う。例えば、そう、隕石が降ってきたとして」
「降ってこないよ」
「降ってきたとして、隕石をこう、きゅっ、ドカーン! きゃーフランちゃんすごーい! みたいな」
「ならないよ。それに、星とか隕石とか、よくわからないし、わからないから破壊できっこない」
でも、もしそんな大それたことをしなくちゃいけなくなったりしたら。
それこそパチュリーのもとでみっちり星について勉強しなくちゃいけない。大変だ。
でも、星、星か。興味がないわけじゃない。ちょっとだけ、星にすごく詳しくなって、幻想郷を襲う隕石を、ヒーローみたいに破壊する自分の姿を無双した。嫌な気分じゃなかった。
ソイツは、夢見るような顔で続ける。
「いいよねえ、なんでも破壊できる能力。殺戮して、破損させて、出来上がった好きな死体を飾ったりしてさ。魔法みたいな話だよね」
魔法。
その単語を聞いた瞬間、私は身震いした。
そうだ、そうだった。
「フランちゃん?」
ソイツが私を覗き込むけど、私はもうソイツを見ていなかった。
ああ、どうして忘れていたんだろう。
私は、魔法少女だった。
*
「おあちゅりー」
「打ち間違えるな」
嫌そうな顔をしたパチュリーが、こちらに向き直る。最近思うに、パチュリーが嫌そうな顔をするのは、私と話すのが億劫なのではなく、単純に、変な名前で呼ばれるのが嫌なだけなのでは?
これからは呼び方に気をつけよう。
「使い魔だわ。アイツ」
「はあ」
パチュリーは、ため息ともうなずきとも取れる曖昧な声を漏らす。
小悪魔が、視界の端で何やら分厚い難しそうな本を読んでいる。司書らしい仕事をしているのを初めて見た。やればできるじゃん。
と思っていたけど、よくよく見たら、本で隠しながら早弁していた。何しに図書館来てるのこの悪魔。
「一応聞くわ。なぜ、そう思ったの」
「ほら私、魔法少女じゃん?」
「そこから理由がすでにわからないのだけど、そういうことにしておくわ。で?」
「魔法少女といったら、マスコット的使い魔でしょ」
「うーん」
「そんなわけで、私の魔法少女的才能に目をつけた悪魔が、私の使い魔になるためにやってきた、と。そういう結論に達しました」
「……はぁ」
今度は、間違いなくため息を吐くパチュリー。
「あのね、フラン。まず使い魔はそうやすやすと契約できるものではないわ。魔法使いとして長い研鑽を経て、魔法使いとしての格を身に着け、それで初めて悪魔との対等な取引が可能になり、契約を持ちかけることが出来るの。そう、それこそ私のような高位な魔法使いにならないと無理な話」
「その高位魔法使いの使い魔、あそこで焼肉弁当かっ喰らってますよ」
「それから、フラン。あなた、召喚の儀を行ったりした?」
「しょうかんのぎ」
「そう。営業じゃないのだから、基本悪魔は向こうから契約を持ちかけたりなんてしないわ。私たち魔法使いが、自分の実力にあった悪魔を召喚し、そこで取引が成立したら初めて契約が結ばれるの」
「うーん、なんか、考えてたのと違う」
なんかこう、いきなりマスコット的なのが出てきて、魔法少女になってよ! みたいにお願いされるのかと思ってた。
「それと、フラン、あなた魔法使えたっけ?」
「使えないけど、魔法少女だし」
でも、魔法少女ってなんだろう。私は首をひねる。
私は、他の誰よりも自分自身を理解してないようだ。
「ちょっと頭を冷やす」
「ま、そうしなさい。多分だけど、もう少しで、その正体不明少女の謎は解けるんじゃないかしら」
「うーんそうかなー」
いろいろ調べたり、仮説を立てたりしてるけど、結局ぜんぜん、何もわかってない気がする。
私がそう言うと、パチュリーは、くすっと笑った。
「前よりも積極的に、いろんなことを調べてるでしょ。大事なのは、そういう、知ろうとする気持ちよ。もっともっと知りたい、そう常に思い続けること。それが成長への第一歩」
自分ではよくわからなかった。
でも、なんとなく、いろんなことをもっと知りたい、知らなくちゃいけない、って思うようになってきた。気がする。
*
扉がなくなって風通しの良くなった部屋に帰る。
念のため、ソイツの"目"を探してみたりした。ソイツを、使い魔だと仮定して、意識を集中させる。
でも、当然見つからなかった。今回も、とんだ見当違いということだ。
ソイツは虫でも、悪霊でも、使い魔でもないらしい。
ちょっと安心した。
何に?
四、引きこもり吸血鬼と淫魔の話
「うおおおおおサキュバスめえええええ!! これを喰らえ! 悪魔に特攻の御札!」
「やめてフランちゃん!」
「ぎゃああああ御札持ってる手が焼けるううう!」
「そりゃそうでしょ!」
*
「パルスィ」
「もはや別人」
*
「悪魔めええええ!!きゅっとしてドカーン!」
悪魔の気配を手繰り寄せ、手の中に"目"を移す。
そして、それを握りつぶす。よっし、手応えあり!
「やっぱりお前は、私の貞操を奪いに来たサキュバスだったんだな! 討ち取ったり!」
しかし、ソイツは、私が"目"を握りつぶしたのにもかかわらず、何事もなかったようにきょとんとしていた。
四肢がもげたり、顔面が破裂したり、服が爆散したり、そういうのはまったくなかった。確かに感触はあったのに。
やはり、虫でも悪霊でも使い魔でも、ましてやサキュバスでもないらしい。
いったい、コイツはなんなんだ?
私が首をかしげていると、ソイツは私の手を引く。
「ね、またチェスやろうよ。今度はね、合体攻撃を考えたの。お馬さんとね、この偉そうなでっかいコマを重ねてね」
「あなた、ホントにチェスやったことある?」
ま、いいか。
*
そのころ。
「お嬢様」
「……なんだ、咲夜」
「一つ、伺ってもよろしいですか」
「ああ」
「なにゆえ、素っ裸でお食事を召し上がられてるのですか」
「……私が聞きたい」
レミリアの服は爆散していた。
五、引きこもり吸血鬼と〇〇の話
「あーわかんないよー」
アイツが現れて、すでに一月。
何かにつまづいたときの我らが大図書館。そこで、パチュリーと向かい合っていた。
アイツが出てきてから、あーじゃない、こーじゃない、と議論を交わし続けていたものの、もう仮説もとうに底を付き、アイツの正体の解明については完全に暗礁に乗り上げていた。
「パチュリー、何か知ってるんじゃないの? ヒントちょうだいよー」
私は腕をぐでーっと伸ばして、テーブルに突っ伏す。
パチュリーはその向かいで、本に目を落としていた。
「私は知らないわよ。一度も会ってないもの。それに仮に知っていたとして、何も教えるつもりはないわ」
「会ってよ。よく考えたら、それで解決じゃない」
「解決じゃないわ。それじゃ、フランが成長しないでしょう」
「私の成長なんて、どうでもいいよー」
「面倒だし」
「動けよ大図書館」
私は、ダダをこねるみたいに、腕をブンブン振り回した。
そして、それに疲れたら、また腕を投げ出してテーブルに伏せる。
アイツは結局、なんなんだ。
虫みたいに、突然現れて。
悪霊みたいに、しつこくまとわり付いて。
使い魔みたいに、私に近づいてきて。
悪魔みたいに、私を惑わして、たぶらかして。
結局、アイツはなんなんだ。
私をどうしたいんだ。何が目的なんだ。こっちが警戒してれば、よくわからない遊びに誘ったり、おしゃべりするだけだったり。そんなの、なんの意味があるんだ。意味のないことに興じるなんて。それって、まるで。
「友達、でいいんじゃないですか?」
凛、と。よく通る、澄んだ声が図書館に響いた。
振り返ると、ワインレッドの長い髪に黒いスーツのようなドレスを格調高く身にまとった女性が立っていた。
小悪魔。今日は起きてたのか。というか、聞いてたのか。
「急に現れて、意気投合して仲良くなって、つるんで近づいてお互いの魅力に気づいて。それってつまり、お友達でしょう?」
「お友達」
「はい。そして友達同士のやり取りに意味なんかありませんよ。だって、意味のないやり取りの積み重ねが友情を育むんですもん」
にこにこと小悪魔は言う。
友達。
友達ってなんだろう?
咲夜の小説にも、美鈴の漫画にも出てきたから、その名前だけは知ってる。でも、友達をどう作るのかとか、どうなったら友達なのかとか、そんなことはぜんぜん教えてくれなかった。そんなの説明する必要ないでしょ? って感じだった。
引きこもり吸血鬼には、友達ってのがよくわからない。
「わかんないよ」
首を振る。
急に友達なんて言われても、分からない。引きこもりすぎて、何も学んでこなかったから。
私は、どうすればいいんだろう。アイツにどうしたらいいんだろう。何をすべきなんだろう。
うつむいた私の頬を、そっとパチュリーの手が触れる。
「会話をしなさい」
パチュリーは、優しく、教え導くように言う。
「たくさん、言葉を積み上げなさい。そうやって、相手のことを知りなさい。友達かどうかわからないなら、なおさら。自分が相手の何に惹かれてて、相手は自分の何を好いてくれているのか。それがわかるまでひたすら、対話するの」
「そうして?」
そうした先に何があるんだろう。
不安と、期待と、入り混じったどきどきが私の胸を叩いた。
私の問いに答えず、パチュリーは、首をゆっくり左右にふる。
自分で見つけろ、そういうことだろう。
パチュリー先生は優しいけど、ときどき厳しい。
私は、立ち上がる。手をぎゅっと握って、口をきゅっと結んで。目を凝らして。
小悪魔が、パチュリーの肩を撫でさすってセクハラしてるのを、見なかったことにして。
私は、足早に図書館をあとにする。
パチュリー、ありがとう。小悪魔も、ありがとう、でもいつかクビになっても私は助けないよ。
*
私は、いつもの、四角く切り取られた部屋へ帰る。
私だけだったはずの空間。だけど、いつの間にか、アイツが居着いてしまった空間。
「おかえりんこー」
「ただいま」
ソイツは、ソファで寝転がって、小説を読んでいた。
私が途中で投げ出した、夢野久作の文庫本だ。なんでそんなに熱中できるんだろう。すごく難解な内容だった気がするんだけど。私には理解できなかった。
でも、理解できないなら、聞けばいい。
私はつかつかソファに近づく。
私が近づいたら、ソイツは、何かを察したらしく、体を起こし、私が座れるだけのスペースを開けてくれた。
ありがとう、って言って、私はそこに腰掛ける。
もともと一人で使ってたソファだ。二人で並んで座ると、狭かった。肩がぶつかる。腕同士がふれあい、膝同士がくっつきそうになった。脇腹がくすぐったかった。触れ合ってるところが、みんな、熱かった。そうして初めて、ソイツも私と同じ熱を持っていることを知った。
「ね、お話しよう」
私は思い切って言った。
気の利いた言葉なんて、引きこもり吸血鬼には分からない。だから、強引に、切り出す。
ソイツは、驚いたように目を丸くして、目を瞬かせて、それから、にへら、って笑った。
それから私たちは語り合った。
ソイツのお姉さんのこと。
私のお姉さまのこと。
ソイツの住んでるお屋敷のこと、たくさんのペットのこと、地底での暮らしのこと。
紅魔館のこと、紅魔館のメイドや門番や魔法使いや使い魔、個性的な奴らのこと。
ソイツがサトリ妖怪という妖怪であること、でも目を閉ざしてしまったこと、もう心を読めないこと、お姉さんにも読ませることができないこと。
私が、自分の容姿が嫌いなこと、自分の能力が嫌いなこと、これ以上嫌われるのが怖くて引きこもってること。
好きな食べ物、好きな色、好きな小説、好きな服。楽しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと。
ソイツが、お姉さんと喧嘩したこと。帰れないと言ったのは、お姉さんと顔を合わせづらいからだ、ということ。
この部屋に来たのは偶然だということ。ソイツには無意識の能力があって、ヒトの認識をくぐり抜けられるということ。ここに来たのは、なんとなく、私とソイツで、匂いが似ていたから、ということ。つまり、あまり考えてなくて、でもきっと仲良くなれると思って近づいてきたこと。
たくさん、語った。たくさん、知った。
話してる途中、ちょっとだけ、ソイツに気付かれないように、右手にソイツ"目"を移そうとしてみた。
ソイツの、私の知ってる情報を頭の中で整理して、ゆっくりとソイツを把握していく。
そうしてみたら、あっけなく、"目"みたいなものを手に握った感触があった。完全な"目"とは程遠いけれど、でも最初のときからは考えられないくらいの進歩だった。
あまりに簡単すぎて、笑ってしまいたくなった。
話すだけ。
知りたいことを聞いて、話して、分かり合うだけ。
それだけで、こんなに相手のことを理解できてしまうなんて。
相手のことがわからず、うんうん唸ってた今までの私が、ばかみたいだ。
「フランちゃん、どうしたの?」
不思議そうに、ソイツが私を覗き込んでいた。
例えば、一瞬。
今、一瞬、きゅってしたら、コイツの腕の一本くらい、吹っ飛ばせるかな、って考えた。
確かに出来るだろう。
不完全ながら、"目"は確かにここにある。やったね、目標を、やっと達成できたんだ。長かったね。
でも、やらなかった。できなかった。
不思議だった。理解さえできれば、どんどん知識を吸収すれば、破壊できる対象ももっと増えると思ってたのに。逆に、理解しちゃったらもう壊せないんだもん。
やっぱり、この能力は、不便だ。
私が"目"から意識をそらすと、右手からすっと、"目"の感触が消えてった。
「ううん、なんでもない。ところでさ」
そして、唐突に。
ずっと言おうと思ってたことを、まだ言ってないことに気づいた。
思えば、最初に聞けばよかったんだ。
対象のことを知る、第一歩だったはずなのに、一番最初の大事な質問だったはずなのに。いきなり仮説合戦を始めちゃったもんだから、ずっとおろそかになってた。
今更聞くのはちょっと恥ずかしいけど。
うん。ソイツ、アイツ、って呼ぶだけじゃ、不便だもんね。
「ね――あなた、名前なんていうの?」
私は聞く。
驚いたようにソイツは目を丸くして、それからぷくーって膨れてみせた。
「あー、ひっどいんだー! 私、いっちばん最初に言ったじゃん! もー!」
ぷりぷり起こる、私の友達第一号。
そんな様子も可愛くて、思わず笑う。それにつられて、友達も、いつのまにかにへらって笑った。私の好きな笑顔だった。
「もー今度こそ忘れないでね。私の名前は――」
つかみどころのないこいしちゃんが可愛いしぐるぐる空回りするフランちゃんが可愛かったです。
唐突にギャグが挟まってきたのはずるい。
しっかり組み立てられていてとても面白かったです。ご馳走様でした。
大好きです。
そして小悪魔の小ネタ……好き!
ドタバタしながら正体に迫りながらもフランちゃんが自分で最後に出した結論に彼女なりの成長が詰まっているような気がしてとても良いものを見させていただきました