ルーミアは優れたカウンセラーである。嘘ではない。本当だ。
今日の患者は、チルノだ。妖精らしからぬ沈んだ表情。目の下にクマまで作っていて、重症の患者であることは火を見るよりも明らか。名医の腕が試される。
「それでさ、大ちゃんったらひどいんだ」
「なのか」
「仕返しっていってさ、アタイがせっかく凍らせてコレクションしてたカエルの中でさ、一番お気に入りのヤツをさ……選んでさ……」
「そー」
「『あたしが一番大事にしてたお花を摘んじゃった罰だよ!』って言って池に投げ込んじゃったのさ……!」
「そーなのかー」
「ひどいでしょお!? だってアタイはそんなこと何にも知らなかったんだ。ただ大ちゃんに贈り物したいなって思って、それできれいなお花だなって思って、それで……」
「なのかー?」
「……だけど、そっか。それは言い訳にならないか。だって大ちゃんが大事にしてたものを壊しちゃって、それであの子が傷ついていることは変わんないんだもんね」
「そー」
「うん。ウジウジしてたアタイが変だったよ。すぐ謝ってくる! 話聞いてくれてありがとうルーミア! また遊ぼうね!」
患者チルノの表情は、すでに天真爛漫としたいつもの勝ち気な笑顔に戻っていた。
名医ルーミアはチルノに答えて、満足げに頷く。
「そーだなー」
「本当にありがと~!」
チルノは解き放たれた針弾のような速度で、飛び去っていく。あと一刻もすれば、破綻しかかっていた大ちゃんとチルノの関係性は元通りに修復され、チルノが抱えていた心の“闇”は払拭されることになるだろう。
治療成功である。
ルーミア自身が自覚をしているかはこの際おいておくが、彼女がカウンセリングに向いているのは、単に彼女の口癖が底なしの受容を意味する言葉「そーなのかー」であることに留まらない。
彼女の持つ『闇を操る能力』が、無意識のうちに作用しているのだ。その影響範囲は単に暗闇を作り出すという物理的、光学的な“闇”に留まらないことが、近年の観察によって明らかになっている。
即ち、だれもが心に抱える、精神的な落ち込みや不安。それらを総称して、“病み”の同音語である“闇”と言い表すことがあるが、ルーミアはそういった形を持たないものですら操ることが出来るのだった。
現在のところ、ルーミアの患者はよくつるんでいる三体の妖怪・妖精に限られている。しかし口の軽いチルノがどこそこ構わず言いふらすのだ。
「ルーミアちゃんに相談したら、どんな悩みでも解決しちゃうんだよ!」
ルーミア自身は「そーなのか?」と疑問に思うばかりだ。大半の妖怪も、どうせ妖精の大言壮語だろうとマジメに耳を傾けはしない。
そう言ったまゆつば物の話に耳を傾けるのは、いつの時代だって、どこだってそう。
行き詰まって、藁にもすがらなければどうにもならない、限界を迎えた患者なのだった。
†
開口一番、患者はこう言い放った。
「それで、咲夜さんったらひどいんですよ」
「そーなのか?」
いつもつるんでいる三人が緊張の面持ちで見守る中、名医ルーミアの施術が始まる。
今日の患者は、特別だ。よそから来た。どうしようもないルーミアのカウンセリングを聞きつけて、どうしようもない効果のほどを知り、それでもルーミアにすがろうとやってきたどうしようもない奴。真っ赤な長髪と高い身長、それから過剰なまでに引き締まった肉体美が印象的だ。紅魔館からの電撃参戦。門番の仕事はどーした!? 紅美鈴その人である。
美鈴がどれだけどうしようもない状況にあるのかについては、相談の切り口がすべてを物語っている。つまり、「咲夜さんってだれ? なにもの?」ということだ。ルーミアをはじめとした四人には、彼女が何物なのか知る由もない。ゆえに何がどうひどいのかを判断することもできない。
だから、ルーミアは疑問を呈したのだ。「そーなのか?」と控えめに。しかしどうしようもない美鈴には、その配慮は届かない。
「そうなんです。何がひどいかっていうとですね」
美鈴は言葉を切る。うつむいて目頭をさもつらそうに抑えて、わずかにうめく。彼女が抱えている苦痛は本物のようだった。考えてみれば当然のことと言えた。説明の順序もわきまえられないくらいに、どうしようもない状態なのだから。
これから叩きつけられる感情の波濤に備え、ルーミアは深呼吸をする。それは同時に、美鈴に対してそうするよう促すことを意味する。ミラーリングと呼ばれる手法を逆に扱うことで、患者の心を落ち着けようという手段だ。実際に美鈴は大きく深呼吸をした。目頭から手が離れる。心なしか、眉間に走るしわが少し薄くなったようだ。息を吐きだし切った美鈴からは、既にいくらか険がとれている。名医の腕前、ここに顕現。
……したと思った矢先、美鈴が大きく息を吸い込んだ。武術により鍛えに鍛え上げられた肺活量から、言葉が吐き出される。
それは、すさまじい量だった。
「マジで信じられなくないですか。ちょっと居眠りしてたくらいで、私ったら何にされたと思います? ナイフ投げの的を持て……っていうならまだしも。的です。私は的にされたんですよ。咲夜さんったらすごく妖艶な笑みを浮かべながら、恍惚の表情でこう言うんです。『ねぇ美鈴。あなたは強い妖怪で、とっても鍛えてるから。ナイフの一本や二本くらいじゃ死なないのでしょう。そうだから、強敵が襲ってくるかもしれない庭先で居眠りなど決め込めるのでしょう。ねぇ、ねぇ』ってめちゃくちゃ迫ってくるんです。
そんなわけないじゃないですか! 私だって妖怪とはいえ定命のものですし、突いたり切ったりすれば赤い……のかな、流したことないからわかんないですけど、とにかく血が出るんですよ。筋肉だって、寝てない間はずっとスクワットとプランクやってるくらいにめちゃくちゃ鍛えてますけど、けどですよ。流石にナイフを弾けるほどの硬さなんかないですよ。咲夜さんったら、きっと大魔法図書館で変な本を見つけて読んだに違いないんだ。自分のナイフがいかに強力なものか、知ってるくせに」
「そ、そーなの」
「そうなんです。咲夜さんのナイフはすごいんですよ。私さっきは刃物と筋肉の関係についてああ言いましたけど、実際のところ私に傷をつけられる刃物なんてほとんど存在しないんです。その前に折っちゃいますからね。でも咲夜さんのナイフは必殺必中。私がどこに逃げ隠れしても、必ずハート♡の真上を貫いてくるんです。まぁそこは、一番鍛えてる大胸筋があるので一番刃物が通らないんですけどね。それは咲夜さんもよおくご存じなんです。でもそこを狙ってくるんですよ。わかりますか。この意味が。
めちゃくちゃ愛おしくないですか。遊戯と分かっていながら、あえて私のハート♡を射抜きに来るんです。あああああ咲夜さんめちゃくちゃかわいいです。咲夜さんのナイフだけが、私のハート♡に傷をつけられるんです。そのことを咲夜さんも、私も分かってる。だから居眠りなんてポーズなんです。怒られを発生させるためのポーズなんです。咲夜さんのかわいい一面を見るために、やってるんです。私の体に押し割って入る小さな痛みもとても気持ちいいんです。だってそれが、咲夜さんの思いのたけなんですから」
「……そー」
「そうですね。あああ咲夜さんかわいい。咲夜さん、ああ咲夜さん、愛おしい」
「それじゃあ、それが辞世の句ね」
あのチルノが思わず身震いしてしまうような冷たい声が、美鈴を遮った。
美鈴は「ひゃうっ……!」と背中につららでも放り込まれたかのような情けない声を出して、恐る恐る振り向く。
そこにいたのはいまさら言うまでもなく、十六夜咲夜その人だった。鋼鉄の仮面でもかぶっているかのような、こわばった無表情。右手には二本のナイフ。そのおかげでルーミアは、突然現れたこの見目麗しいメイドが、先ほどまで美鈴が愛を語り続けた“咲夜さん”なのだと気づく。
気づいたのはいいが、この緊迫した状況をひっくり返す手段は、ルーミア陣営にはない。
「門のところにいないなと思ったから、八方手と足を尽くして探したのよ。そうしたらこんなに辺鄙な森の中で……いったい何を話していたの。聞かせてもらえる?」
「……どこから聞いてらっしゃったんですか」
「一部始終」
詰みである。美鈴の額に汗がにじむ。垂れる。あご先を伝って落ちる。生唾を飲み込む、ごろりとした窮屈な音を立てる。
「私を、どうするおつもりですか……?」
「痴れ事を」
咲夜の姿が瞬間、掻き消える。次の瞬間には彼女は美鈴の背後に立っていて、左手に持っていたソレを、美鈴に食らわせていた。
すなわち……首枷である。美鈴がはっと気づき身じろぎすると、垂れた鎖がじゃらじゃらと音を立てる。
「さぁ、帰るわよホンタロウ」
「なんですかホンタロウって」
「あなたの新しい名前よ。カタカナにしたら認知度も上がるでしょ。それに……不出来な部下(ペット)にはどうやら、再教育が必要みたいだから」
立ちなさい、と咲夜が促す。美鈴は一も二もなく従う。すると咲夜は背の高い美鈴に合わせて少しだけ背伸びをした。それから声のトーンを落として、ささやく。
「私たちだけの秘密って、言ったわよね」
「……それを破ったことは、本当にすみません。ただ」
「ただもセールもありませんわホンタロウ。最初で最後、唯一の約束すら守れないっていうのね。そんなできの悪い犬には……」
ルーミア(たち)の前で、咲夜は人目をはばかることなく美鈴を抱きしめる。それを指の間から見ているのがリグル、叫んでしまわないよう口を押えたのがミスティア。チルノはとっくに飽きてどこかへ行ってしまっていて、ルーミアは十字に構えたまま不動だった。
咲夜はそんな三人の目撃者など意にも介していない。美鈴の唇に人差し指を添え、艶やかな溜息とともに、美鈴をいざなう。
「お 仕 置 き が必要なようね」
「……はい。私はできの悪いイヌッコロです。キツイやつを頼みます」
美鈴の顔が、降りてくる。咲夜のほうへと降りてくる。このまま二人の距離がゼロになったとしたら、三人は決定的瞬間の目撃者になってしまう。そわそわしだしのはミスティア。顔を真っ赤にしながらも目を離せないのがリグル。ルーミアは十字に構えたまま不動だ。
しかしその時が訪れる直前、咲夜がようやっと、目撃者たちに視線を投げた。
その目はいたずらっぽく細められていた。咲夜の人差し指がノーモーションで自身の唇に添えられ、他言無用のサインを形作る。その腕は次の瞬間には、再びノーモーションで美鈴の背中に回されていて、そしてその瞬間が訪れる前に、彼女らはその場から掻き消えた。
残されたのは、ドキドキにあてられて目を回してしまったミスティアとリグル、それから十字に構えて不動のルーミア。名医が口を開く。
「そー、なのか」
はっきりとした怒りが、語気に含まれていた。
「のろけ……なのか」
ルーミアは激怒した。このカウンセリングという仕事に、ルーミア自身は誇りを持っていた。なぜなら、友人たちの役に立てるから。チルノが、ミスティアが、リグルが、自分の言葉で幸せになっていくだけで、ルーミアは幸せだったから。たとえ施術の内容が「どうしようもない、効果のほどは半信半疑」などと言われようとも、気にしたことはなかった。それで救える闇があるのなら、この体十字にかけて救って見せようというのがルーミアの気概だった。
しかし、今の連中はどうだ。最初から救いなど、求めるつもりもなければ探してもいなかった。そもそも病んですらいなかった。平常運航の二人がいちゃいちゃしているのを見せつけられただけ。ルーミアの尊厳が大いに傷つけられた。カウンセラーとしての、それから一匹の妖怪としての。
「そーなのか。そういうつもりなら、こっちにもかんがえがあるなー」
ルーミアが不穏なことを言ったことに、ミスティアもリグルも目を回していて気づかない。
「ふやじょーだかなんだかしらないが、ほんとうのヤミがどういうものか、おしえてやらないとなー」
今、ルーミアの聖戦が始まった。
この体十字にかけて誓う。すべての自虐風のろけを、この身に宿すあまたのヤミをもって本物の自虐に変えてやる。
手始めにさっきの紅魔館カップルを、めたくそのぎったんぎったんにして――
「……っ、つめたいなー!」
突如背中に氷を投げ込まれ、ルーミアは我に返る。上空を見れば、どこからか戻ってきたチルノが悪ガキっぽく笑っている。
「なにまじめな顔してんのさ。遊びに行こう!」
残りの二人も、のそのそと起きてきた。そしてルーミアがこわばった顔をしているのを見て、心配そうに声をかける。
「…………」
ルーミアは。
ルーミアは。
「…………そーだなー」
しまいに、軽くうなずいたのだった。
カウンセラーの仕事は、生きづらさを改善する手伝いをすることだ。断じて、ルーミアがしようとしていたように、人の幸せを破壊することではない。その過誤に気づかされたのだった。
割と長いこと付き合っている三人が、ルーミアのことを気遣ってくれている。それはとてもありがたいことだ。ルーミアは思う。自分はカウンセラー失格だ。手の届かないところにある幸せを、妬み、嫉みしてしまい、心を平らに保つことができなかった。
でも、本当にもしでいいのだけれど。もしこんな自分でも、友人たちが許してくれるなら。
手の届く彼らの幸せを、ほんの少しだけお手伝いできるのなら、それは望外の幸せに違いない。
今日の患者は、チルノだ。妖精らしからぬ沈んだ表情。目の下にクマまで作っていて、重症の患者であることは火を見るよりも明らか。名医の腕が試される。
「それでさ、大ちゃんったらひどいんだ」
「なのか」
「仕返しっていってさ、アタイがせっかく凍らせてコレクションしてたカエルの中でさ、一番お気に入りのヤツをさ……選んでさ……」
「そー」
「『あたしが一番大事にしてたお花を摘んじゃった罰だよ!』って言って池に投げ込んじゃったのさ……!」
「そーなのかー」
「ひどいでしょお!? だってアタイはそんなこと何にも知らなかったんだ。ただ大ちゃんに贈り物したいなって思って、それできれいなお花だなって思って、それで……」
「なのかー?」
「……だけど、そっか。それは言い訳にならないか。だって大ちゃんが大事にしてたものを壊しちゃって、それであの子が傷ついていることは変わんないんだもんね」
「そー」
「うん。ウジウジしてたアタイが変だったよ。すぐ謝ってくる! 話聞いてくれてありがとうルーミア! また遊ぼうね!」
患者チルノの表情は、すでに天真爛漫としたいつもの勝ち気な笑顔に戻っていた。
名医ルーミアはチルノに答えて、満足げに頷く。
「そーだなー」
「本当にありがと~!」
チルノは解き放たれた針弾のような速度で、飛び去っていく。あと一刻もすれば、破綻しかかっていた大ちゃんとチルノの関係性は元通りに修復され、チルノが抱えていた心の“闇”は払拭されることになるだろう。
治療成功である。
ルーミア自身が自覚をしているかはこの際おいておくが、彼女がカウンセリングに向いているのは、単に彼女の口癖が底なしの受容を意味する言葉「そーなのかー」であることに留まらない。
彼女の持つ『闇を操る能力』が、無意識のうちに作用しているのだ。その影響範囲は単に暗闇を作り出すという物理的、光学的な“闇”に留まらないことが、近年の観察によって明らかになっている。
即ち、だれもが心に抱える、精神的な落ち込みや不安。それらを総称して、“病み”の同音語である“闇”と言い表すことがあるが、ルーミアはそういった形を持たないものですら操ることが出来るのだった。
現在のところ、ルーミアの患者はよくつるんでいる三体の妖怪・妖精に限られている。しかし口の軽いチルノがどこそこ構わず言いふらすのだ。
「ルーミアちゃんに相談したら、どんな悩みでも解決しちゃうんだよ!」
ルーミア自身は「そーなのか?」と疑問に思うばかりだ。大半の妖怪も、どうせ妖精の大言壮語だろうとマジメに耳を傾けはしない。
そう言ったまゆつば物の話に耳を傾けるのは、いつの時代だって、どこだってそう。
行き詰まって、藁にもすがらなければどうにもならない、限界を迎えた患者なのだった。
†
開口一番、患者はこう言い放った。
「それで、咲夜さんったらひどいんですよ」
「そーなのか?」
いつもつるんでいる三人が緊張の面持ちで見守る中、名医ルーミアの施術が始まる。
今日の患者は、特別だ。よそから来た。どうしようもないルーミアのカウンセリングを聞きつけて、どうしようもない効果のほどを知り、それでもルーミアにすがろうとやってきたどうしようもない奴。真っ赤な長髪と高い身長、それから過剰なまでに引き締まった肉体美が印象的だ。紅魔館からの電撃参戦。門番の仕事はどーした!? 紅美鈴その人である。
美鈴がどれだけどうしようもない状況にあるのかについては、相談の切り口がすべてを物語っている。つまり、「咲夜さんってだれ? なにもの?」ということだ。ルーミアをはじめとした四人には、彼女が何物なのか知る由もない。ゆえに何がどうひどいのかを判断することもできない。
だから、ルーミアは疑問を呈したのだ。「そーなのか?」と控えめに。しかしどうしようもない美鈴には、その配慮は届かない。
「そうなんです。何がひどいかっていうとですね」
美鈴は言葉を切る。うつむいて目頭をさもつらそうに抑えて、わずかにうめく。彼女が抱えている苦痛は本物のようだった。考えてみれば当然のことと言えた。説明の順序もわきまえられないくらいに、どうしようもない状態なのだから。
これから叩きつけられる感情の波濤に備え、ルーミアは深呼吸をする。それは同時に、美鈴に対してそうするよう促すことを意味する。ミラーリングと呼ばれる手法を逆に扱うことで、患者の心を落ち着けようという手段だ。実際に美鈴は大きく深呼吸をした。目頭から手が離れる。心なしか、眉間に走るしわが少し薄くなったようだ。息を吐きだし切った美鈴からは、既にいくらか険がとれている。名医の腕前、ここに顕現。
……したと思った矢先、美鈴が大きく息を吸い込んだ。武術により鍛えに鍛え上げられた肺活量から、言葉が吐き出される。
それは、すさまじい量だった。
「マジで信じられなくないですか。ちょっと居眠りしてたくらいで、私ったら何にされたと思います? ナイフ投げの的を持て……っていうならまだしも。的です。私は的にされたんですよ。咲夜さんったらすごく妖艶な笑みを浮かべながら、恍惚の表情でこう言うんです。『ねぇ美鈴。あなたは強い妖怪で、とっても鍛えてるから。ナイフの一本や二本くらいじゃ死なないのでしょう。そうだから、強敵が襲ってくるかもしれない庭先で居眠りなど決め込めるのでしょう。ねぇ、ねぇ』ってめちゃくちゃ迫ってくるんです。
そんなわけないじゃないですか! 私だって妖怪とはいえ定命のものですし、突いたり切ったりすれば赤い……のかな、流したことないからわかんないですけど、とにかく血が出るんですよ。筋肉だって、寝てない間はずっとスクワットとプランクやってるくらいにめちゃくちゃ鍛えてますけど、けどですよ。流石にナイフを弾けるほどの硬さなんかないですよ。咲夜さんったら、きっと大魔法図書館で変な本を見つけて読んだに違いないんだ。自分のナイフがいかに強力なものか、知ってるくせに」
「そ、そーなの」
「そうなんです。咲夜さんのナイフはすごいんですよ。私さっきは刃物と筋肉の関係についてああ言いましたけど、実際のところ私に傷をつけられる刃物なんてほとんど存在しないんです。その前に折っちゃいますからね。でも咲夜さんのナイフは必殺必中。私がどこに逃げ隠れしても、必ずハート♡の真上を貫いてくるんです。まぁそこは、一番鍛えてる大胸筋があるので一番刃物が通らないんですけどね。それは咲夜さんもよおくご存じなんです。でもそこを狙ってくるんですよ。わかりますか。この意味が。
めちゃくちゃ愛おしくないですか。遊戯と分かっていながら、あえて私のハート♡を射抜きに来るんです。あああああ咲夜さんめちゃくちゃかわいいです。咲夜さんのナイフだけが、私のハート♡に傷をつけられるんです。そのことを咲夜さんも、私も分かってる。だから居眠りなんてポーズなんです。怒られを発生させるためのポーズなんです。咲夜さんのかわいい一面を見るために、やってるんです。私の体に押し割って入る小さな痛みもとても気持ちいいんです。だってそれが、咲夜さんの思いのたけなんですから」
「……そー」
「そうですね。あああ咲夜さんかわいい。咲夜さん、ああ咲夜さん、愛おしい」
「それじゃあ、それが辞世の句ね」
あのチルノが思わず身震いしてしまうような冷たい声が、美鈴を遮った。
美鈴は「ひゃうっ……!」と背中につららでも放り込まれたかのような情けない声を出して、恐る恐る振り向く。
そこにいたのはいまさら言うまでもなく、十六夜咲夜その人だった。鋼鉄の仮面でもかぶっているかのような、こわばった無表情。右手には二本のナイフ。そのおかげでルーミアは、突然現れたこの見目麗しいメイドが、先ほどまで美鈴が愛を語り続けた“咲夜さん”なのだと気づく。
気づいたのはいいが、この緊迫した状況をひっくり返す手段は、ルーミア陣営にはない。
「門のところにいないなと思ったから、八方手と足を尽くして探したのよ。そうしたらこんなに辺鄙な森の中で……いったい何を話していたの。聞かせてもらえる?」
「……どこから聞いてらっしゃったんですか」
「一部始終」
詰みである。美鈴の額に汗がにじむ。垂れる。あご先を伝って落ちる。生唾を飲み込む、ごろりとした窮屈な音を立てる。
「私を、どうするおつもりですか……?」
「痴れ事を」
咲夜の姿が瞬間、掻き消える。次の瞬間には彼女は美鈴の背後に立っていて、左手に持っていたソレを、美鈴に食らわせていた。
すなわち……首枷である。美鈴がはっと気づき身じろぎすると、垂れた鎖がじゃらじゃらと音を立てる。
「さぁ、帰るわよホンタロウ」
「なんですかホンタロウって」
「あなたの新しい名前よ。カタカナにしたら認知度も上がるでしょ。それに……不出来な部下(ペット)にはどうやら、再教育が必要みたいだから」
立ちなさい、と咲夜が促す。美鈴は一も二もなく従う。すると咲夜は背の高い美鈴に合わせて少しだけ背伸びをした。それから声のトーンを落として、ささやく。
「私たちだけの秘密って、言ったわよね」
「……それを破ったことは、本当にすみません。ただ」
「ただもセールもありませんわホンタロウ。最初で最後、唯一の約束すら守れないっていうのね。そんなできの悪い犬には……」
ルーミア(たち)の前で、咲夜は人目をはばかることなく美鈴を抱きしめる。それを指の間から見ているのがリグル、叫んでしまわないよう口を押えたのがミスティア。チルノはとっくに飽きてどこかへ行ってしまっていて、ルーミアは十字に構えたまま不動だった。
咲夜はそんな三人の目撃者など意にも介していない。美鈴の唇に人差し指を添え、艶やかな溜息とともに、美鈴をいざなう。
「お 仕 置 き が必要なようね」
「……はい。私はできの悪いイヌッコロです。キツイやつを頼みます」
美鈴の顔が、降りてくる。咲夜のほうへと降りてくる。このまま二人の距離がゼロになったとしたら、三人は決定的瞬間の目撃者になってしまう。そわそわしだしのはミスティア。顔を真っ赤にしながらも目を離せないのがリグル。ルーミアは十字に構えたまま不動だ。
しかしその時が訪れる直前、咲夜がようやっと、目撃者たちに視線を投げた。
その目はいたずらっぽく細められていた。咲夜の人差し指がノーモーションで自身の唇に添えられ、他言無用のサインを形作る。その腕は次の瞬間には、再びノーモーションで美鈴の背中に回されていて、そしてその瞬間が訪れる前に、彼女らはその場から掻き消えた。
残されたのは、ドキドキにあてられて目を回してしまったミスティアとリグル、それから十字に構えて不動のルーミア。名医が口を開く。
「そー、なのか」
はっきりとした怒りが、語気に含まれていた。
「のろけ……なのか」
ルーミアは激怒した。このカウンセリングという仕事に、ルーミア自身は誇りを持っていた。なぜなら、友人たちの役に立てるから。チルノが、ミスティアが、リグルが、自分の言葉で幸せになっていくだけで、ルーミアは幸せだったから。たとえ施術の内容が「どうしようもない、効果のほどは半信半疑」などと言われようとも、気にしたことはなかった。それで救える闇があるのなら、この体十字にかけて救って見せようというのがルーミアの気概だった。
しかし、今の連中はどうだ。最初から救いなど、求めるつもりもなければ探してもいなかった。そもそも病んですらいなかった。平常運航の二人がいちゃいちゃしているのを見せつけられただけ。ルーミアの尊厳が大いに傷つけられた。カウンセラーとしての、それから一匹の妖怪としての。
「そーなのか。そういうつもりなら、こっちにもかんがえがあるなー」
ルーミアが不穏なことを言ったことに、ミスティアもリグルも目を回していて気づかない。
「ふやじょーだかなんだかしらないが、ほんとうのヤミがどういうものか、おしえてやらないとなー」
今、ルーミアの聖戦が始まった。
この体十字にかけて誓う。すべての自虐風のろけを、この身に宿すあまたのヤミをもって本物の自虐に変えてやる。
手始めにさっきの紅魔館カップルを、めたくそのぎったんぎったんにして――
「……っ、つめたいなー!」
突如背中に氷を投げ込まれ、ルーミアは我に返る。上空を見れば、どこからか戻ってきたチルノが悪ガキっぽく笑っている。
「なにまじめな顔してんのさ。遊びに行こう!」
残りの二人も、のそのそと起きてきた。そしてルーミアがこわばった顔をしているのを見て、心配そうに声をかける。
「…………」
ルーミアは。
ルーミアは。
「…………そーだなー」
しまいに、軽くうなずいたのだった。
カウンセラーの仕事は、生きづらさを改善する手伝いをすることだ。断じて、ルーミアがしようとしていたように、人の幸せを破壊することではない。その過誤に気づかされたのだった。
割と長いこと付き合っている三人が、ルーミアのことを気遣ってくれている。それはとてもありがたいことだ。ルーミアは思う。自分はカウンセラー失格だ。手の届かないところにある幸せを、妬み、嫉みしてしまい、心を平らに保つことができなかった。
でも、本当にもしでいいのだけれど。もしこんな自分でも、友人たちが許してくれるなら。
手の届く彼らの幸せを、ほんの少しだけお手伝いできるのなら、それは望外の幸せに違いない。
そしてルーミアのカウンセリングすげえ。頷いてもらえるだけでも凄い。
とても面白かったです!
(ただし女性の愚痴限定)
基本的に自分の意見を表明するのは悪手で、相槌とオウム返しに終始する
可能なら相手の言い分をまとめ直して「こういう事なんだね」と言ってやる
相手に具体的な質問をされたら君はどうするべきだと思う?など相手の主張を誘導して喋らせ、それに賛同するなど
そして地味に仕事に愛着を持っててワロタ
ルーミアにカウンセラーさせる発想は、ギャグ作品ながらバチっとはまっていてとてもよかったです
何が面白いってルーミアがまじめにカウンセラーしようとしている所です