みなさん! 本日は、このような幻想郷の辺境の貧相な荒れ屋敷での講演にお集まりいただき、ありがとうございます。本日は、これからの妖怪の復古についての計画と、その方法を、八雲紫こと私が僭越ながらみなさんにご教授したいと思っております。さて、お集まりの教養深い大妖怪でいらっしゃるみなさんは、昨今の妖怪の零落ぶりをどうお考えでしょうか? もちろん、大変に残念に思っておいでだと存じております。何せ、外の世界の人間たちは今や妖怪などというものは架空のものであって、幻想或いはおとぎ話の中にしか存在しないと考えております。さて、みなさんにさっそく妖怪の復古の計画とその方法を提示したいのですが、みなさんに私の計画を正しく理解していただき、最大の結果を導くためには、どうしても必要な前提知識がございます。この前提知識は大きく二つです。一つは、何故妖怪が零落したのか、ということです。もう一つは、何故妖怪が生れたのかという事です。みなさんに誤解が無いように此処で断っておきますと、私は哲学の話やら妖怪の存在理由について論じるつもりはありません。そんな知識は欠片も必要ではありません。必要なのは、機械論的な妖怪の起源とその発生、及び終焉についてです。
では、まずは妖怪の発生について考えましょう。妖怪が人間の認識や思考によって生まれるという考え方は、どうにも揺らがない考えのように思われます。事実として人間たちは、妖怪を否定することでその存在を抹消したのですから、妖怪の発生もまた人間たちによるものだと考えるのはとても自然な考え方です。この場合では、人間に認識されること、また人間の思考に浮かぶことが妖怪の発生と同義であります。つまり、妖怪は人間がその知的操作でもって生み出した、概念や表象のようなものであると言えます。もちろん、ここにお集まりのみなさんの疑問は容易に理解できます。「人間たちが知的操作でもってまるで工学するかのように概念を創出するのは知っている。しかし、それはあくまで知的な操作であり知的な概念だ。それが我々のような現実に影響しえる妖怪にどのようにしてなるというのだ」という事でありましょう。これは全く適切な疑問であります。もし私のお話しした通りなら、人間はまるで現実改変者のように空想したり構想した思考上の物事を悉く具現化するような能力を持っている事になってしまいます。もちろん、そうした人間は少数ながら存在しますが、まさか現在存続している妖怪達をこのような少数な現実改変者たちが想像したというのは無茶な考えであります。ですが、こうした考えは完璧ではありませんが良い点を付いております。そうです、人類は現実改変者なのです。人類は知的な操作でもって妖怪を生みました。みなさん! 人類がです。人間が、ではありません。
さて、みなさん。私は、妖怪は人類の知的操作によって生み出された、現実に影響しえる概念だとお話ししました。このような荒唐無稽な考えは容易には承認できないと思われますので、みなさんにその証拠を示していきたいと思います。当然、物的な証拠ではありません。今此処で人類に妖怪を創ってもらうというのは無茶な話でありますので。さて、共同幻想という言葉があります。これは、複数の人間で共有される幻想という、読んで字のごとくの言葉です。この言葉から学べるのは、人間は異なる他者と幻想を共有できるということです。私はこれをよく共有幻想と言っております。このように共有され、より多くの人間に抱かれた幻想は、やがて秩序を生み出すようになります。さて、幻想から秩序が生まれるなどと言いますと、そんなことはあり得ないというものもおります。「幻想というのは子供や愚者が思い浮かべるような全くの空想、妄想に過ぎない、そんなものが秩序などを生むことは無い」という訳であります。しかし、私は強迫性障害の観察から、幻想や妄想から個人を強く、脅迫的なまでに縛る規則・秩序が現出することを確認しております。また、幻想から生れる秩序については、外の世界の法律を思い浮かべれば理解しやすいでしょう。法律は人間が守るべき規則群であり、これに反すると社会的な制裁を受けることになります。しかし、この法律は法律単体ではなんの意味もありません。世界でただ一人しか知らない法律に反したところで一体何の意味があるというのでしょう? こうした共有幻想から生み出された秩序は、その幻想を共有している人数でその強度が定まると言っても良いでしょう。私はこれを幻想強度と呼んでおります。
ここで、みなさんの思われている通り私は、多くの説明を省略いたしました。みなさんは今、大変に混乱されているかと思います。共有幻想、幻想強度という幻想に対する特異な考え方を私が詳細な説明なしに表明したためでしょう。難しく考える必要はありません。聡明なみなさんは当然思い至っているでしょう。神々の信仰とこの考え方は類似しているためです。幻想を共有している人数、いわば信仰を共有している人数で神の力が定まるのは幻想郷では常識的な事実であります。さて、「ではこうした共有幻想、幻想強度といった考え方をひとまずは承認しておくとしよう、しかし、それが我々妖怪の発生とどのように結びつくのだ」という疑問もまたあるでしょう。しかしこれこそまさに答えなのです。人間が、いや、人類が妖怪を発生させた方法、或いはメカニズムはまさにこれです。共有の幻想が様々な幻想強度の秩序を生み出すということをみなさんが承認されるとすれば、私は後はこの秩序を妖怪と呼びかえればそれだけでよいのです。形を持たないが存在するものから、実際に現実に影響を与える存在が生み出されました。それが神であれ妖怪であれ、そんな異なりは些細な事です。みなさん! お静かに願います! 神とみなさんが同類だという訳では断じてありません! しかし、その生まれが近しい事を否定することはできないのです。そして私は、こうした幻想からの秩序創造の一連のメカニズムを持つ概念上の装置を幻想機械と呼んでおります。いわば、人類は幻想機械を使用することで幻想から神や妖怪を意のままに創造することができるというわけです。
妖怪がいかにして発生するのかという前提知識の説明は、とても簡潔にまとまったものと思われます。つまり、人類が幻想機械を用いて妖怪を創ったということです。そしてこの答えが、いかにして妖怪が零落したのかという理由もまた説明しております。先に説明した幻想機械はつまり、この機械の持ち主足る人類が必要とする秩序を幻想から創造する機械であります。つまり、この幻想機械の製造物は人類にとっては道具でしかなく、必要の無い道具とは捨て去られるだけのものです。こうして、みなさんが妖怪復古の計画と方法を理解し最大の結果を導くために必要な、二つの前提知識は一つの結論に達しました。思慮深いみなさんは既に私の計画を理解していることでしょう。妖怪を復古させるためには、どうしても私たち妖怪は人類の秩序として、道具として、必要とされなければならないのです。みなさんのお気持ちは想像がつきます。私たち妖怪が人類の道具でしかないという考え方に大変な反感を持たれているのでしょう。しかし、私たちはただの道具ではなく意思があります。互いに、互いを利用しあう存在です。神と人との関係と同じであります。人は神を道具のように使いますし、神もまた人を道具のように使います。
私がみなさんにここで要請したいたった一つのお願いは
どうか、人類が私たちを必要としたときにその手を取って欲しい
ただそれだけなのです。清聴ありがとうございました。
では、まずは妖怪の発生について考えましょう。妖怪が人間の認識や思考によって生まれるという考え方は、どうにも揺らがない考えのように思われます。事実として人間たちは、妖怪を否定することでその存在を抹消したのですから、妖怪の発生もまた人間たちによるものだと考えるのはとても自然な考え方です。この場合では、人間に認識されること、また人間の思考に浮かぶことが妖怪の発生と同義であります。つまり、妖怪は人間がその知的操作でもって生み出した、概念や表象のようなものであると言えます。もちろん、ここにお集まりのみなさんの疑問は容易に理解できます。「人間たちが知的操作でもってまるで工学するかのように概念を創出するのは知っている。しかし、それはあくまで知的な操作であり知的な概念だ。それが我々のような現実に影響しえる妖怪にどのようにしてなるというのだ」という事でありましょう。これは全く適切な疑問であります。もし私のお話しした通りなら、人間はまるで現実改変者のように空想したり構想した思考上の物事を悉く具現化するような能力を持っている事になってしまいます。もちろん、そうした人間は少数ながら存在しますが、まさか現在存続している妖怪達をこのような少数な現実改変者たちが想像したというのは無茶な考えであります。ですが、こうした考えは完璧ではありませんが良い点を付いております。そうです、人類は現実改変者なのです。人類は知的な操作でもって妖怪を生みました。みなさん! 人類がです。人間が、ではありません。
さて、みなさん。私は、妖怪は人類の知的操作によって生み出された、現実に影響しえる概念だとお話ししました。このような荒唐無稽な考えは容易には承認できないと思われますので、みなさんにその証拠を示していきたいと思います。当然、物的な証拠ではありません。今此処で人類に妖怪を創ってもらうというのは無茶な話でありますので。さて、共同幻想という言葉があります。これは、複数の人間で共有される幻想という、読んで字のごとくの言葉です。この言葉から学べるのは、人間は異なる他者と幻想を共有できるということです。私はこれをよく共有幻想と言っております。このように共有され、より多くの人間に抱かれた幻想は、やがて秩序を生み出すようになります。さて、幻想から秩序が生まれるなどと言いますと、そんなことはあり得ないというものもおります。「幻想というのは子供や愚者が思い浮かべるような全くの空想、妄想に過ぎない、そんなものが秩序などを生むことは無い」という訳であります。しかし、私は強迫性障害の観察から、幻想や妄想から個人を強く、脅迫的なまでに縛る規則・秩序が現出することを確認しております。また、幻想から生れる秩序については、外の世界の法律を思い浮かべれば理解しやすいでしょう。法律は人間が守るべき規則群であり、これに反すると社会的な制裁を受けることになります。しかし、この法律は法律単体ではなんの意味もありません。世界でただ一人しか知らない法律に反したところで一体何の意味があるというのでしょう? こうした共有幻想から生み出された秩序は、その幻想を共有している人数でその強度が定まると言っても良いでしょう。私はこれを幻想強度と呼んでおります。
ここで、みなさんの思われている通り私は、多くの説明を省略いたしました。みなさんは今、大変に混乱されているかと思います。共有幻想、幻想強度という幻想に対する特異な考え方を私が詳細な説明なしに表明したためでしょう。難しく考える必要はありません。聡明なみなさんは当然思い至っているでしょう。神々の信仰とこの考え方は類似しているためです。幻想を共有している人数、いわば信仰を共有している人数で神の力が定まるのは幻想郷では常識的な事実であります。さて、「ではこうした共有幻想、幻想強度といった考え方をひとまずは承認しておくとしよう、しかし、それが我々妖怪の発生とどのように結びつくのだ」という疑問もまたあるでしょう。しかしこれこそまさに答えなのです。人間が、いや、人類が妖怪を発生させた方法、或いはメカニズムはまさにこれです。共有の幻想が様々な幻想強度の秩序を生み出すということをみなさんが承認されるとすれば、私は後はこの秩序を妖怪と呼びかえればそれだけでよいのです。形を持たないが存在するものから、実際に現実に影響を与える存在が生み出されました。それが神であれ妖怪であれ、そんな異なりは些細な事です。みなさん! お静かに願います! 神とみなさんが同類だという訳では断じてありません! しかし、その生まれが近しい事を否定することはできないのです。そして私は、こうした幻想からの秩序創造の一連のメカニズムを持つ概念上の装置を幻想機械と呼んでおります。いわば、人類は幻想機械を使用することで幻想から神や妖怪を意のままに創造することができるというわけです。
妖怪がいかにして発生するのかという前提知識の説明は、とても簡潔にまとまったものと思われます。つまり、人類が幻想機械を用いて妖怪を創ったということです。そしてこの答えが、いかにして妖怪が零落したのかという理由もまた説明しております。先に説明した幻想機械はつまり、この機械の持ち主足る人類が必要とする秩序を幻想から創造する機械であります。つまり、この幻想機械の製造物は人類にとっては道具でしかなく、必要の無い道具とは捨て去られるだけのものです。こうして、みなさんが妖怪復古の計画と方法を理解し最大の結果を導くために必要な、二つの前提知識は一つの結論に達しました。思慮深いみなさんは既に私の計画を理解していることでしょう。妖怪を復古させるためには、どうしても私たち妖怪は人類の秩序として、道具として、必要とされなければならないのです。みなさんのお気持ちは想像がつきます。私たち妖怪が人類の道具でしかないという考え方に大変な反感を持たれているのでしょう。しかし、私たちはただの道具ではなく意思があります。互いに、互いを利用しあう存在です。神と人との関係と同じであります。人は神を道具のように使いますし、神もまた人を道具のように使います。
私がみなさんにここで要請したいたった一つのお願いは
どうか、人類が私たちを必要としたときにその手を取って欲しい
ただそれだけなのです。清聴ありがとうございました。