香霖堂は魔法の森の端に構える古道具屋だ。店の売りは僕が自ら無縁塚まで出向いて目利きした拾い物だが近頃はそれだけではない。なんと『外』から最新の道具を持ち込んでくれる有り難いお客が現れたことで、僕の店の品揃えはいっそう充実しているのだ。僕自身はこれに大変に満足しているのだが、古道具屋の看板に偽り有りだぜ、などといちゃもんを付けてくる不届き者も居るから困ったものである。
「……でねー、改元だー、新時代だーって大はしゃぎなの。私ら庶民は何も変わらないのにさ、ほんとにバカだよね」
その充実の貢献者である外の世界の少女の宇佐見菫子君は、これまた外から持ち込んだらしい奇妙な飲み物を口にしながら漫談中だ。タピオカという寒天のような黒い粒が沈んだその飲み物は舌触りの面白さが若者に受けているらしいのだが、僕には蛙の卵のようでどうにも気持ちの良い物には見えない。
「いいじゃないか。祭りってのはバカみたいに騒ぐのが鉄則だ。騒ぐべき時に騒げない方がバカなんだぜ。なあ香霖」
一方の遠回しにこちらを馬鹿にしているような気がする少女は、店の物を勝手に外に持ち出していく不届き者の霧雨魔理沙だ。客ではないのであまり来てほしくないのだが、私の家の通り道にあるんだから仕方ないぜ、などと適当な理由を付けてよく店に居座っている。
「まあねー、私もこの前の花火大会では自分でもびっくりするぐらいテンション上がっちゃってたけど……」
二人とも店の売上に貢献する気は無いらしく、今日は(も)来てからずっと喋り通しだ。僕の店が外の世界で言う『女子会』なるものの会合の場にされているのは決して気のせいではないと思う。
「あ。でも草薙の剣だったっけ。ゲームでしか見たこと無い剣を本当に継承したりなんかしちゃってさ。あれはちょっと羨ましかったなあ」
「……っ!?」
思わず新聞をめくる手に力が入る。動揺の理由は、その剣が今そこの壁にあるからに他ならない。
「んー? 確か草薙の剣は時の天皇と一緒に海に沈んで今では伝説の存在だって何かで読んだぞ。その剣って偽物なんじゃないのか?」
魔理沙が僕の方を見やる。どうやら解説を求めているようだ。
「……いや、本物は今もどこかの社に厳重に保管されていたはずだ」
目線が泳いているのがバレないように新聞で顔を隠しつつ、僕はなるべく平静を装ってそう答えた。以前魔理沙の八卦炉を補強する際の"交換条件"としてガラクタの中から拾い上げたそれは、同じ素材である緋緋色金を用いたものだとしても決して釣り合いの取れる代物ではない。だからこれは僕にとっての魔理沙への絶対の秘密であり、弱みでもあるのだ。
「そもそもだね、草薙の剣は退治された八岐大蛇の体内から出てきた曰く付きの物で、天叢雲とも呼ばれる雨を呼ぶ力は水神の一面を持つ大蛇の怨念が籠もったのだと考えられている。神器として祀られてはいるが、ひとたび取り扱いを間違えれば即座に災いをもたらす妖刀に変わるだろう。現に剣を悪用して人を祟り殺すのに使ったなんて物騒な話もあるくらいだよ。それに……」
「あー分かった、それぐらいでいいぜ。つまり沈んだのは物騒な剣をおいそれと動かさないように作った偽物ってことなんだな」
また話途中で遮られてしまったが、つまりはそういうことだ。
「偽物かー、それじゃ全然価値がないってことじゃん。つまんないなあ」
「そうでもないよ。神社には分社というものがあるだろう。草薙の剣も神の依代と見れば、その名を冠して作られた偽物でも同様の力を持ち得ることは十分に考えられる。もちろん本物には及ばないと思うけどね」
そう、例え今ここにある剣が贋作だとしても水を招く力は本物だ。そして僕に分かるのは道具の名前と用途。偽物でも祭器としての用途は本物と変わらないだろう。よってこれ以上この剣の真偽を問うのは野暮な事である。神秘性こそが神器を神器たらしめる最大の要因なのだから。
「じゃあ私はレイムッチの所に遊びに行ってくるねー!」
ひとしきり喋り倒した菫子君が帽子を被り直して席を立った。魔理沙は手を振り振り、つい先日拾ったばかりのソファに横になってさらに居座る構えのようだ。壊して売り物にならなくなっても困るが、そうやって静かに寝ていてくれるのならば年頃の女の子として扱ってあげてもいいのでここは放っておくことにする。
さて、手入れを怠って僕にも災いが降りかかっては堪らない。そう思って布を片手に霧雨の剣に手を伸ばしたところだった。
「ぃぎゃああああぁぁ~~!?」
女の子が出してはいけない素っ頓狂な声が上がる。見れば菫子君が入り口で腰を抜かしているではないか。
「ぐぐぐ……いきなり突き飛ばすなんて酷いぞぉ……起こしてくれぇ……」
倒されてしまったのでよく見えないが、どうやら扉の外にもう一人誰かが居たらしい。うたた寝から引き戻された魔理沙が不機嫌そうに様子を見に行った。
「なんだよ人の昼寝の邪魔をして……って、何でお前が一人でいるんだ。お前の主人は一緒じゃないのか?」
「何で……何でだぁ?」
要領を得ない魔理沙との会話にさては迷子かと店に入るよう促した。菫子君も服が汚れてしまったので出直しだ。魔理沙が両腕で二人を引っ張り上げる。
しかし、ぎこちない歩き方で店内に踏み込んだその少女を見て、いや少女とも呼べないその『モノ』の異質さに僕は顔をしかめるしかなかった。
「我が名は宮古芳香……のはずだ。見ての通りゾンビだぞぉ」
宮古芳香。噂に聞いた邪仙に使役されるキョンシーだ。顔に札が貼られているという特徴も一致するので間違いない。主の方は以前ここを訪れた時があり、その時は店に穴を開けられたりした。(すぐに塞がったが)
「びっくりしたよーもう! ドア開けたら目の前にゾンビが居るなんて、そんなの幻想郷じゃないとありえないって!」
「いやあ、幻想郷でもそんな話は前代未聞だぜ」
確かに、幽霊ならば何度かこの店にも来ているがゾンビは始めてだ。ゾンビというのは基本的に人を襲うのが当たり前の存在であるし、そうでなくても買い物客として訪れるような理性は全く期待できないだろう。このゾンビが退治されずに存在しているのはそれを操る元を絶たねば無駄であるからに他ならない。
「あー……魔理沙、申し訳無いけど頼めないか。キョンシーへの接客案内はまだ作ってなかったんだ」
「情けないなー香霖は。キョンシーが来ることも想定せずに幻想郷で店をやろうなんて私の星弾より甘いぜ」
(そう言いつつ笑っちゃってぇ。何だかんだ頼られて嬉しいんでしょ、マリサッチってばー?)
何やら菫子君が魔理沙に耳打ちしているが、それがキョンシーへの恐怖だとかそういう感情から来ているものではないようだ。まったく、今どきの若者というのは状況への適応が早くて羨ましい。
「えーと……芳香、お前のご主人はどうしたんだ。名前は覚えてるか?」
「ご主人……青娥かぁ? おお、大好きだぞぉ」
「大好きか、それは良かったな。それで、何で一人でここに居るんだ?」
「それはぁ……散歩、だ! この辺りは空気がジメジメしてて気持ちよくてなー。そうしたら、ここから私と同じ古い匂いがするからそれに誘われたのだ」
「……だとよ。ジメジメしてるからここに誘われたんだってさ。やっぱりこまめに店の換気はするべきだぜ」
ジメジメなのはどうしようもないが、このキョンシーが古道具の匂いに惹かれて来たとは鼻が、いやお目が高いことだ。
「この店は何だかとっても懐かしい気持ちになるんだ。もうちょっと居てもいいかぁ?」
「どうする。このキョンシーは毒も持ってる危険な奴だが、置いとくのか?」
このキョンシー自体も危険であるし、邪仙と関わる可能性があるから出来れば避けたい。しかし古道具を愛する者として、こういう嬉しいことを言われると悩む。もちろん何も買ってくれないことは分かっているのだが。
「別にいいんじゃないですか? 悪い子じゃなさそうだし、私とマリサッチが見張ってれば大丈夫ですよ」
「ありゃ、お前は霊夢のとこに行くって言ってなかったっけ?」
「いいじゃん。異変が無い時のレイムッチはどうせ神社でゴロゴロしてるんだし。こっちの方が面白そう」
「……商品を毒さなければ、いいよ」
やはり僕は甘い。自分でもそう思うが、商売とは人の信を得てこそだ。情を大事にするのは決して悪いことではないはずである。
「ありがとなぁ、嬉しいぞぉ!」
僕の周りにいるのは捻くれ者ばかりなので、こうやって素直に礼を言われるのも久々だ。やはり悪い気はしない。
キョンシー……芳香は魔理沙が先程寝そべっていたソファに足をぴんと伸ばしたまま沈み込んだ。場所を取られてしまった魔理沙は僕の机に図々しく腰掛ける。注意したいところだが、彼女が服の中に隠し持った触媒の位置を確かめているのを見て黙認した。
「うーん……私と同じ時代の仲間の匂いがするぞ。実に良い気分だ」
鼻から息を大きく吸ってご満悦の表情を浮かべている。
「凄いじゃん、そんなの分かるんだ」
「おぉー。私は鼻が良いのだぞ」
キョンシー、というよりゾンビの特徴になるが、視覚を失っている代わりに聴覚や嗅覚が発達していることが多いのだとか。もっとも、それでは弾幕で戦えないので彼女は目も人並みに見えるに違いない。目を閉じて安らかに呼吸をしている彼女の姿は魔理沙や菫子君と同じ年頃の少女と何ら変わらず、ともすればこの子は死体の振りをしているだけと思われるだろう。それでも、僕には分かってしまうのだ。これが死体から作り上げた『道具』であって、名前とその用途が。
「ねえ、芳香さん」
触らぬ神に祟り無しと静観していた僕や魔理沙とは異なり、菫子君は何か起きるに違いないと期待していたのだろう。だがそれに反してただの屍のように沈黙する芳香に堪らず声をかけた。
「……なんだぁ?」
あるいはこのまま……と思ったが、ぱちりと目を開いた芳香は呼びかけに応えた。
「せっかく来たのに、商品とか見ていかないんですか?」
「私は……見に来たわけではない、ぞ。会話をしに来たのだ」
「会話? 寝ていただけじゃないですか」
「魂の対話に言葉は必要ない。ここには……道具に宿る古い魂がいっぱいだ。私はそれと語り合っていた……はずだな?」
肝心なところが疑問形になったが、僕の店にも付喪神になりかけている道具は少なからずあるだろうから、芳香は嘘を言っていないはずだ。器用に嘘をつけるようにも見えないし。
(気を付けろ香霖。こいつは魂を吸収して自分を強化できる。喰った魂によっちゃ、そのまま暴走するかもしれない)
魔理沙が耳打ちした。なるほど、邪仙の使役するキョンシーなだけあって特異な能力を持っているようだ。
「へえー、芳香さんは魂と会話できるんですか。いわゆる心の友ってヤツですね! 凄いなあー」
「そうだろうそうだろぅ! ふっふっふぅー」
少し身構えたものの、脳天気な会話を繰り広げているのを見ると暴れるかもしれないという心配が馬鹿らしくなってしまう。目を離す気は無いがあまり睨むのも気の毒に思えてきた。
「あ、そうだ。芳香さんって、ご主人様に使われてていいんですか?」
菫子君はきっと何の気なしに聞いてしまったのだと思うが、そのあまりにも抉り込み過ぎた質問への焦りで僕と魔理沙は全く同じ顔をしていたのではないだろうか。
「おぉ……? なぜそう思ったのだぁ?」
芳香はそんなことを聞かれるとは予想だにしていないようだった。
「えー? だってご主人様って貴女を弾幕の盾に使ったりするような人でしょ? ゾンビだから痛くなくても嫌だって思ったりしないんですか?」
「それが私の役割だし、なぁ……それに青娥はちゃんとお手入れしてくれるから私の体は綺麗だぞぉ。見るか?」
「い、いえ、いいです」
芳香が服のボタンに手をかけたので菫子君は慌ててそれを止めた。何が飛び出てくるか分かったものではないから賢明な判断だ。
「あー……菫子君、その、何だ。人の本心のことは無闇に聞くものではないよ」
「そうだぜ。それに邪仙は本当にいきなり出てくるからな。何ならこの話も盗み聞いててもおかしくない」
盗人の魔理沙が盗聴に気を付けろなどと言い出すとは思わなかったが、その可能性も大いにある。というよりも、最初から邪仙は近くに居て、芳香一人だけをけしかけて様子を見ていたのではないだろうか。それに何の意味があるかは分からないが彼女の考えなど誰にも理解できはしない。考えだしたらキリが無くなってきた。
「ぐ、む……そうとも、役割をしっかりと果たしている私は幸せモノだ。それに引きかえ……ここの道具たちはなぁ、嘆いているのだ。忘れられたこと、捨てられたこと、使われないこと。その無念が漂っている……」
芳香は立ち上がり、腹の底から湧き出てくるような声音で語りだした。
「役目を持って生み出されたものが、その役目を突然奪われる……望まぬ使われ方をされる……それは、己の全てを否定されることではないだろうか」
それは芳香自身が言っているのか、古道具の気持ちを代弁しているのだろうか。
「この道具たちは私のように言葉で訴えることはできない……わ……我々の心などお前たちは考えもしない……」
様子がおかしい。魔理沙の懸念通り、怨念を取り込んだことで憎悪が体を突き動かしたか!
魔理沙が懐から札を取り出し、菫子君もとっさに距離を開ける。
「だ、だから、ワ、我がお前たちに代わって……こ、こオ……ぅヲ……ウ、オ……ヲオオオオォォ!!」
──撃つと動く!
「芳香! 動くな!」
魔理沙は言葉の前にその体勢を素早く整えていた。いつでも撃てる。芳香が僕たちに牙を剥けば撃つ!
「……なーんてな」
「……あ?」
芳香は舌を出して笑った。
「冗談、だ! 何か期待されてるような気がしたんでねぇ」
「してねえよ! 冗談ってのは笑えるやつを言うんだ!」
全くもってその通りだ。巻き添えで店が半壊するかと思ったこちらの身になってもらいたい。
気を張って損をしたと、芳香以外の各々はぐったりと座り込んだ。
「びっくりしたよー! 芳香さんって案外演技派だったりする?」
「はっはっはぁ! 演技だが……デマカセを言ったのではないぞぉ! 道具たちが思っているのは紛れもない事実なのだ」
どすんとソファに座り直すと、芳香は死体らしからぬ鋭い目を僕の方に顔を向ける。
「店主よ……置かれているだけで使われない道具達が嘆いているぞぉ。たまには営業努力もするのだな」
「そうだそうだー。ちゃんと商売しろー」
便乗して魔理沙まで野次を飛ばしだしたのは無視するが、僕の店がただの蒐集家の物置のようになっているのは事実だ。埃の被ったパソコンや模型に人形など、僕に恨みを持っていそうな道具の心当たりはいくらでもあった。
「……芳香君。ちなみにだが、どの道具が一番怒っていたのか分かるだろうか」
「あー……それはだなあ、そこの黒い板っぽいヤツだ!」
それは菫子君が、型落ちしてもう要らないからと持ち込んだ道具の一つのタブレットであった。まさか、そこまで古くもないのにそんなはずが。
「お前ぇ……事もあろうにそいつを投げて遊べとか食器にしろなどと適当な事を言っただろぉ? その事を大層恨んでおるぞぉ」
「え……霖之助さん、そんな使い方したんですか? ちょっと引くわー」
菫子君に引かれ、魔理沙に笑われ、芳香に睨まれ、僕の立場は失われ、今すぐ店の奥に消えてしまいたい。しかしまだ逃げるわけにはいかない。恨みの塊たるあの物の気持ちだけはどうしても聞いておかなくてはならない。
「そこの『霧雨の剣』は……どう思っているだろうか?」
(えー……霖之助さんその剣にマリサッチの名前を付けてたんだ……もっと引くわー)
菫子君の小声の呟きが耳に痛いが、表情を変えないように頑張って芳香の返答を待つ。まさかその剣に魂が宿っていないということは無いだろうが、芳香は目を閉じてしばし沈黙した。
「それは……早く身を固めろ、だなぁ! いつまでも独り身でこんな店をやってるのが心配らしい。雨降って地固まるというやつだぞぉ」
魔理沙の大笑いが店内を包み込んだ。
僕もまさか、剣からそんな親みたいな事を言われるとは思わなんだ。いや、恨まれたり祟られたりということは無さそうで何よりなのだが、それはともかく魔理沙は笑いすぎである。
「じゃあ、何か忘れてる気がするけど私はもう帰る……からなぁ! あんまり遅いと青娥に怒られちゃうぞぉ」
伸び切った手を大げさにぶんぶんと振り回し、芳香は僕達に背を向けた。そのまま出ていくと思われた芳香だったが、何故か扉を前にして静止してしまう。
「……開けてくれぇ」
しょうがないなあと苦笑いの菫子君が代わりに扉を開けてあげた。そういえば、最初も扉の前に立ちすくんでいたというのはそういうことだったのか。ドアノブを回すという行為もままならないとは不便なものだ。
「香霖もちゃんと運動しろよな。年取ってから関節が曲がらなくなったら惨めだぞ」
そうなったら魔理沙はここぞとばかりに僕を笑うのだろう。魔理沙が、僕より先に老いなければ、だが。
「私も今度こそレイムッチの所に行ってくるねー。もうおやつの時間も過ぎちゃったけど」
芳香に続いて菫子君も店から出ていった。やることが無いときの彼女は、この店で雑談をするか人里で買い食いか、あるいは霊夢の神社でお茶菓子をご馳走になるかで、それ以外というのはあまり無い。まあ、それは霊夢も魔理沙もだいたい同じであって、平和とはそういうものである。香霖堂も本来はそうあるべきだ。今回のような珍客など必要ない。いつもの客が、いつものように商品を買っていってくれる。もちろん変な騒ぎなど起こすことも無く。それが理想なのだ。
……現実は、この通り商品を買っていってくれない火種のような少女が騒ぐだけなのだが。
「しかし傑作だったぜ。まさか剣にまで喝を入れられるとはな」
魔理沙はまだその話題を引っ張る気でいるらしい。どうして女というのは結婚できない男の話が好きなのだろう。僕には考えても永遠に理解できない問題だ。
「なあ、道具にまであんなこと言われちゃ堪らないだろう。私の名前が付いてる剣だし、なんだったら私が貰ってやってもいいんだぜ?」
「お断りだよ。霧雨の剣は僕の物だ。他の誰にも渡す気は無いね」
「ちぇー。まあいいさ、どうせそのうち私の物になる予定だからな」
「……それはどういうことかな? また盗むということかい」
「心外だな。私は盗んだことは今まで一度も無いぜ。そんなことしなくても合法的で一石二鳥な手段があるだろ」
「ほう、ついに魔理沙も現金での買い物を覚える気になったということかな」
「何を言ってるんだ。私がどこの生まれだか知らないとは言わせないぞ。というか、言わせるなよそんなこと」
「君が勝手に言ったんだろうが。せっかくだから言わせてもらうがいつぞやは君も人里で宗教戦争に首を突っ込んで暴れただろう。その件で親父さんからも相当愚痴られたんだからな……」
「だからそうじゃなくて……」
魔理沙との非建設的で取り止めのない会話が流れ行く──。
──まだ霖之助と魔理沙が中にいる香霖堂の、その裏手に開けられた小さな穴。そこに集う女三人が、寄れば姦しくなるところを懸命に我慢して店の中を覗き込んでいた。
「じれったい」
「根性無しですわね」
「据え膳食わぬは男の恥だぞぉ」
そこに居たのは香霖堂から出ていったはずの宇佐見菫子と宮古芳香、そしてその主人であり穴を開けた張本人の霍青娥。そう、霖之助の予感通り、やはり青娥は見ていたのだ。芳香が店の前に現れたその時からずっと。これは芳香が一人で初対面の相手と問題を起こさずに居られるかという、青娥流の芳香ちゃん独り立ち試験だったのである。当然、青娥の制御から離れて散歩をしていたなどと呆けていたのも嘘っぱちだ。香霖堂という選択も、万が一問題が起きてもこんな辺鄙でお客の居ないこの店ならあまり騒ぎにならないでしょうという判断だった。魔理沙が聞けばまた霖之助をからかう材料になっていたに違いない。
「途中で暴走したふりをして驚かしたのは面白かったけど、実は本当に我を失いそうになっていたでしょ。それに何でも良いから買ってきなさいっていうのも忘れてたわね。ちょっと減点して9点ね」
店から出てきた芳香を青娥の激甘採点が出迎えて、本来ならばそれで終わりのはずだった。だが、青娥の邪仙センサーがこの後何かが起こるに違いないと感じ取ってしまう。続いて店から出てきた菫子の背後に回り込んで口を塞ぎ、もがく彼女を店の裏まで軽々と連行したのである。初対面の相手からの乱暴な行為に怒りを露わにする菫子だったが、青娥が簪で壁に小さな穴を開けて悪戯に笑うのを見るや、聡い彼女はすぐさまその意図を理解した。霖之助と魔理沙、霖之助の方は知らないが魔理沙がもう一方に何かしらの想いを秘めているのは、同じ思春期の女子として見破れぬ方が難しいというもの。菫子も邪仙と同じ邪な笑みを浮かべて穴の前に張り付いたのだった、のだが。
「霖之助さんもあんな可愛らしい子が近くに居るんだから抱きしめるなり嗅ぐなりしなさいよ……もっとデザイアをドライブさせなさいよ……!」
そんな邪な願いも虚しく二人は通常営業であった。しかしそれも無理からぬこと。うら若き乙女の魔理沙に対して半妖の霖之助はあまりにも生きた時間が違いすぎるのだから。
「青娥ー。もう飽きたぞぉ」
「くやしい……! 男なんてみんなあの人みたいに狼だと思ってたのにぃ……!」
退屈すぎて芳香が頭の上に乗っかった蝶を追いかけだしてしまった。青娥自身もただでさえ薄暗い店内を変な姿勢と悪い視界でずっと覗き続けていたので限界が近い。疲労と相まって青娥はそこにハンカチが有れば噛み締めていただろう無念の表情を浮かべていた。
「思った以上にヘタレですねー二人とも。もうほっといてレイムッチの所に行きません?」
「……くぅっ! この感情は思いっきり霊夢にぶつけることにしますわ!」
撤退を進言する菫子に、口惜しくも青娥は同意するのであった。その後、博麗神社に悪質な二人まで連れてきてしまった菫子が霊夢にめちゃくちゃ怒られたのは言うまでもない。
「ところで魔理沙」
「あー?」
僕は、先に芳香を見て気になっていた事を魔理沙に問うた。
「あの芳香というキョンシー、本当に噂通りに酷い扱いをされていたのかい?」
「そりゃ死んでもあいつに操られてるってだけで酷い話だろうが、一度私にやられたのに次の勝負でもすぐ呼び出されたりしてたな。死んでなきゃ過労死間違いなしだぜ」
「ふむ、やっぱりそういう使い方なのだね」
「やっぱりって、香霖は道具の用途なら見れば分かるだろ。私に聞くまでもないじゃないか」
そう、用途は分かるが、実際の使い方が僕には分からないのだ。だからタブレットにも怒られていたことを深く受け止めて魔理沙に聞いたのである。
「……どうも僕の使い方は見当違いであることが分かってきたのでね。想像だけで物を言うのを改めようと思ったんだよ」
「そりゃ殊勝な心がけだ。で、芳香の用途ってのはお前の中では何だったんだ?」
「彼女は『主を護る盾であり、剣』の役目で、何より『主を愛する』為の物さ。僕個人の感情としては認めたくないものだが……」
「そりゃ、歪んでいるな。青娥の命令なら、芳香は嫌でもあいつを好きになるしかないんだからな」
かつてはどこの国でも、人を道具として売買していた時代があった。人権を奪われて隷従させられる彼らは『物言う道具』と邪揄されていた。芳香もそれと同じ……いや、死んで自由意志を持たない分こちらの方が質が悪い。
僕は人を道具として扱いたくない。人と妖の狭間の存在である僕がその一線を越えてしまえば、人と共に在り続けることができなくなる。そう思うのだ。
「そのしかめっ面で大体何を考えてるかは分かるけどな、勝手な想像はしないって言ったばっかりだろう。あいつは青娥のことが大好きって言ってたけどそれが命令かどうかは本人にしか分からないんだ。なら聞いてる私達はそれで良いんじゃないか?」
「……そうだな。用途と使い方が一致しないのはよくあることだ。君がそのソファをベッド代わりに使っているように」
「私のお古のソファって箔を付ければ誰かが高値で買うかもしれないぜ。ありがたく思うんだな」
その前に毒持ち死体が座っていたという事実だけで売り物に出来ないだろうが。
「ま、あいつのとこのふんぞり返った大将みたいに欲を読めるわけじゃないけど、乙女の私に言わせりゃあの二人は札なんかで操らなくてもお互いに大好きさ。なんとなく分かるんだよ。そう思ってる方が酒も美味く呑めるしな」
なるほど、呑兵衛の魔理沙らしい考え方だ。ただでさえ長い人生なのだ、楽観的な物事の捉え方をしていかないとやってられなくなる。僕の所の道具と違って物言える分、あの二人は不満も愛情も言葉で交わし続けることができるのだ。僕もいつまでも受け身の営業を続けていないで、たまには大事に飾っているだけの道具を持って行商にでも出てみるべきだろうか。僕の示せる愛情であり務めとは、自ら集めたこの満たされない道具達の素晴らしさをもっと大衆に語り継いで買い手を探してやることなのかもしれない。
(もっとも、僕の店には手放したくない道具が多すぎるのだけど……)
新たにその一員に加わってしまった魔理沙のベッドと化したソファを眺めながら、僕は自身の情け深さを反省するのだった。
「……でねー、改元だー、新時代だーって大はしゃぎなの。私ら庶民は何も変わらないのにさ、ほんとにバカだよね」
その充実の貢献者である外の世界の少女の宇佐見菫子君は、これまた外から持ち込んだらしい奇妙な飲み物を口にしながら漫談中だ。タピオカという寒天のような黒い粒が沈んだその飲み物は舌触りの面白さが若者に受けているらしいのだが、僕には蛙の卵のようでどうにも気持ちの良い物には見えない。
「いいじゃないか。祭りってのはバカみたいに騒ぐのが鉄則だ。騒ぐべき時に騒げない方がバカなんだぜ。なあ香霖」
一方の遠回しにこちらを馬鹿にしているような気がする少女は、店の物を勝手に外に持ち出していく不届き者の霧雨魔理沙だ。客ではないのであまり来てほしくないのだが、私の家の通り道にあるんだから仕方ないぜ、などと適当な理由を付けてよく店に居座っている。
「まあねー、私もこの前の花火大会では自分でもびっくりするぐらいテンション上がっちゃってたけど……」
二人とも店の売上に貢献する気は無いらしく、今日は(も)来てからずっと喋り通しだ。僕の店が外の世界で言う『女子会』なるものの会合の場にされているのは決して気のせいではないと思う。
「あ。でも草薙の剣だったっけ。ゲームでしか見たこと無い剣を本当に継承したりなんかしちゃってさ。あれはちょっと羨ましかったなあ」
「……っ!?」
思わず新聞をめくる手に力が入る。動揺の理由は、その剣が今そこの壁にあるからに他ならない。
「んー? 確か草薙の剣は時の天皇と一緒に海に沈んで今では伝説の存在だって何かで読んだぞ。その剣って偽物なんじゃないのか?」
魔理沙が僕の方を見やる。どうやら解説を求めているようだ。
「……いや、本物は今もどこかの社に厳重に保管されていたはずだ」
目線が泳いているのがバレないように新聞で顔を隠しつつ、僕はなるべく平静を装ってそう答えた。以前魔理沙の八卦炉を補強する際の"交換条件"としてガラクタの中から拾い上げたそれは、同じ素材である緋緋色金を用いたものだとしても決して釣り合いの取れる代物ではない。だからこれは僕にとっての魔理沙への絶対の秘密であり、弱みでもあるのだ。
「そもそもだね、草薙の剣は退治された八岐大蛇の体内から出てきた曰く付きの物で、天叢雲とも呼ばれる雨を呼ぶ力は水神の一面を持つ大蛇の怨念が籠もったのだと考えられている。神器として祀られてはいるが、ひとたび取り扱いを間違えれば即座に災いをもたらす妖刀に変わるだろう。現に剣を悪用して人を祟り殺すのに使ったなんて物騒な話もあるくらいだよ。それに……」
「あー分かった、それぐらいでいいぜ。つまり沈んだのは物騒な剣をおいそれと動かさないように作った偽物ってことなんだな」
また話途中で遮られてしまったが、つまりはそういうことだ。
「偽物かー、それじゃ全然価値がないってことじゃん。つまんないなあ」
「そうでもないよ。神社には分社というものがあるだろう。草薙の剣も神の依代と見れば、その名を冠して作られた偽物でも同様の力を持ち得ることは十分に考えられる。もちろん本物には及ばないと思うけどね」
そう、例え今ここにある剣が贋作だとしても水を招く力は本物だ。そして僕に分かるのは道具の名前と用途。偽物でも祭器としての用途は本物と変わらないだろう。よってこれ以上この剣の真偽を問うのは野暮な事である。神秘性こそが神器を神器たらしめる最大の要因なのだから。
「じゃあ私はレイムッチの所に遊びに行ってくるねー!」
ひとしきり喋り倒した菫子君が帽子を被り直して席を立った。魔理沙は手を振り振り、つい先日拾ったばかりのソファに横になってさらに居座る構えのようだ。壊して売り物にならなくなっても困るが、そうやって静かに寝ていてくれるのならば年頃の女の子として扱ってあげてもいいのでここは放っておくことにする。
さて、手入れを怠って僕にも災いが降りかかっては堪らない。そう思って布を片手に霧雨の剣に手を伸ばしたところだった。
「ぃぎゃああああぁぁ~~!?」
女の子が出してはいけない素っ頓狂な声が上がる。見れば菫子君が入り口で腰を抜かしているではないか。
「ぐぐぐ……いきなり突き飛ばすなんて酷いぞぉ……起こしてくれぇ……」
倒されてしまったのでよく見えないが、どうやら扉の外にもう一人誰かが居たらしい。うたた寝から引き戻された魔理沙が不機嫌そうに様子を見に行った。
「なんだよ人の昼寝の邪魔をして……って、何でお前が一人でいるんだ。お前の主人は一緒じゃないのか?」
「何で……何でだぁ?」
要領を得ない魔理沙との会話にさては迷子かと店に入るよう促した。菫子君も服が汚れてしまったので出直しだ。魔理沙が両腕で二人を引っ張り上げる。
しかし、ぎこちない歩き方で店内に踏み込んだその少女を見て、いや少女とも呼べないその『モノ』の異質さに僕は顔をしかめるしかなかった。
「我が名は宮古芳香……のはずだ。見ての通りゾンビだぞぉ」
宮古芳香。噂に聞いた邪仙に使役されるキョンシーだ。顔に札が貼られているという特徴も一致するので間違いない。主の方は以前ここを訪れた時があり、その時は店に穴を開けられたりした。(すぐに塞がったが)
「びっくりしたよーもう! ドア開けたら目の前にゾンビが居るなんて、そんなの幻想郷じゃないとありえないって!」
「いやあ、幻想郷でもそんな話は前代未聞だぜ」
確かに、幽霊ならば何度かこの店にも来ているがゾンビは始めてだ。ゾンビというのは基本的に人を襲うのが当たり前の存在であるし、そうでなくても買い物客として訪れるような理性は全く期待できないだろう。このゾンビが退治されずに存在しているのはそれを操る元を絶たねば無駄であるからに他ならない。
「あー……魔理沙、申し訳無いけど頼めないか。キョンシーへの接客案内はまだ作ってなかったんだ」
「情けないなー香霖は。キョンシーが来ることも想定せずに幻想郷で店をやろうなんて私の星弾より甘いぜ」
(そう言いつつ笑っちゃってぇ。何だかんだ頼られて嬉しいんでしょ、マリサッチってばー?)
何やら菫子君が魔理沙に耳打ちしているが、それがキョンシーへの恐怖だとかそういう感情から来ているものではないようだ。まったく、今どきの若者というのは状況への適応が早くて羨ましい。
「えーと……芳香、お前のご主人はどうしたんだ。名前は覚えてるか?」
「ご主人……青娥かぁ? おお、大好きだぞぉ」
「大好きか、それは良かったな。それで、何で一人でここに居るんだ?」
「それはぁ……散歩、だ! この辺りは空気がジメジメしてて気持ちよくてなー。そうしたら、ここから私と同じ古い匂いがするからそれに誘われたのだ」
「……だとよ。ジメジメしてるからここに誘われたんだってさ。やっぱりこまめに店の換気はするべきだぜ」
ジメジメなのはどうしようもないが、このキョンシーが古道具の匂いに惹かれて来たとは鼻が、いやお目が高いことだ。
「この店は何だかとっても懐かしい気持ちになるんだ。もうちょっと居てもいいかぁ?」
「どうする。このキョンシーは毒も持ってる危険な奴だが、置いとくのか?」
このキョンシー自体も危険であるし、邪仙と関わる可能性があるから出来れば避けたい。しかし古道具を愛する者として、こういう嬉しいことを言われると悩む。もちろん何も買ってくれないことは分かっているのだが。
「別にいいんじゃないですか? 悪い子じゃなさそうだし、私とマリサッチが見張ってれば大丈夫ですよ」
「ありゃ、お前は霊夢のとこに行くって言ってなかったっけ?」
「いいじゃん。異変が無い時のレイムッチはどうせ神社でゴロゴロしてるんだし。こっちの方が面白そう」
「……商品を毒さなければ、いいよ」
やはり僕は甘い。自分でもそう思うが、商売とは人の信を得てこそだ。情を大事にするのは決して悪いことではないはずである。
「ありがとなぁ、嬉しいぞぉ!」
僕の周りにいるのは捻くれ者ばかりなので、こうやって素直に礼を言われるのも久々だ。やはり悪い気はしない。
キョンシー……芳香は魔理沙が先程寝そべっていたソファに足をぴんと伸ばしたまま沈み込んだ。場所を取られてしまった魔理沙は僕の机に図々しく腰掛ける。注意したいところだが、彼女が服の中に隠し持った触媒の位置を確かめているのを見て黙認した。
「うーん……私と同じ時代の仲間の匂いがするぞ。実に良い気分だ」
鼻から息を大きく吸ってご満悦の表情を浮かべている。
「凄いじゃん、そんなの分かるんだ」
「おぉー。私は鼻が良いのだぞ」
キョンシー、というよりゾンビの特徴になるが、視覚を失っている代わりに聴覚や嗅覚が発達していることが多いのだとか。もっとも、それでは弾幕で戦えないので彼女は目も人並みに見えるに違いない。目を閉じて安らかに呼吸をしている彼女の姿は魔理沙や菫子君と同じ年頃の少女と何ら変わらず、ともすればこの子は死体の振りをしているだけと思われるだろう。それでも、僕には分かってしまうのだ。これが死体から作り上げた『道具』であって、名前とその用途が。
「ねえ、芳香さん」
触らぬ神に祟り無しと静観していた僕や魔理沙とは異なり、菫子君は何か起きるに違いないと期待していたのだろう。だがそれに反してただの屍のように沈黙する芳香に堪らず声をかけた。
「……なんだぁ?」
あるいはこのまま……と思ったが、ぱちりと目を開いた芳香は呼びかけに応えた。
「せっかく来たのに、商品とか見ていかないんですか?」
「私は……見に来たわけではない、ぞ。会話をしに来たのだ」
「会話? 寝ていただけじゃないですか」
「魂の対話に言葉は必要ない。ここには……道具に宿る古い魂がいっぱいだ。私はそれと語り合っていた……はずだな?」
肝心なところが疑問形になったが、僕の店にも付喪神になりかけている道具は少なからずあるだろうから、芳香は嘘を言っていないはずだ。器用に嘘をつけるようにも見えないし。
(気を付けろ香霖。こいつは魂を吸収して自分を強化できる。喰った魂によっちゃ、そのまま暴走するかもしれない)
魔理沙が耳打ちした。なるほど、邪仙の使役するキョンシーなだけあって特異な能力を持っているようだ。
「へえー、芳香さんは魂と会話できるんですか。いわゆる心の友ってヤツですね! 凄いなあー」
「そうだろうそうだろぅ! ふっふっふぅー」
少し身構えたものの、脳天気な会話を繰り広げているのを見ると暴れるかもしれないという心配が馬鹿らしくなってしまう。目を離す気は無いがあまり睨むのも気の毒に思えてきた。
「あ、そうだ。芳香さんって、ご主人様に使われてていいんですか?」
菫子君はきっと何の気なしに聞いてしまったのだと思うが、そのあまりにも抉り込み過ぎた質問への焦りで僕と魔理沙は全く同じ顔をしていたのではないだろうか。
「おぉ……? なぜそう思ったのだぁ?」
芳香はそんなことを聞かれるとは予想だにしていないようだった。
「えー? だってご主人様って貴女を弾幕の盾に使ったりするような人でしょ? ゾンビだから痛くなくても嫌だって思ったりしないんですか?」
「それが私の役割だし、なぁ……それに青娥はちゃんとお手入れしてくれるから私の体は綺麗だぞぉ。見るか?」
「い、いえ、いいです」
芳香が服のボタンに手をかけたので菫子君は慌ててそれを止めた。何が飛び出てくるか分かったものではないから賢明な判断だ。
「あー……菫子君、その、何だ。人の本心のことは無闇に聞くものではないよ」
「そうだぜ。それに邪仙は本当にいきなり出てくるからな。何ならこの話も盗み聞いててもおかしくない」
盗人の魔理沙が盗聴に気を付けろなどと言い出すとは思わなかったが、その可能性も大いにある。というよりも、最初から邪仙は近くに居て、芳香一人だけをけしかけて様子を見ていたのではないだろうか。それに何の意味があるかは分からないが彼女の考えなど誰にも理解できはしない。考えだしたらキリが無くなってきた。
「ぐ、む……そうとも、役割をしっかりと果たしている私は幸せモノだ。それに引きかえ……ここの道具たちはなぁ、嘆いているのだ。忘れられたこと、捨てられたこと、使われないこと。その無念が漂っている……」
芳香は立ち上がり、腹の底から湧き出てくるような声音で語りだした。
「役目を持って生み出されたものが、その役目を突然奪われる……望まぬ使われ方をされる……それは、己の全てを否定されることではないだろうか」
それは芳香自身が言っているのか、古道具の気持ちを代弁しているのだろうか。
「この道具たちは私のように言葉で訴えることはできない……わ……我々の心などお前たちは考えもしない……」
様子がおかしい。魔理沙の懸念通り、怨念を取り込んだことで憎悪が体を突き動かしたか!
魔理沙が懐から札を取り出し、菫子君もとっさに距離を開ける。
「だ、だから、ワ、我がお前たちに代わって……こ、こオ……ぅヲ……ウ、オ……ヲオオオオォォ!!」
──撃つと動く!
「芳香! 動くな!」
魔理沙は言葉の前にその体勢を素早く整えていた。いつでも撃てる。芳香が僕たちに牙を剥けば撃つ!
「……なーんてな」
「……あ?」
芳香は舌を出して笑った。
「冗談、だ! 何か期待されてるような気がしたんでねぇ」
「してねえよ! 冗談ってのは笑えるやつを言うんだ!」
全くもってその通りだ。巻き添えで店が半壊するかと思ったこちらの身になってもらいたい。
気を張って損をしたと、芳香以外の各々はぐったりと座り込んだ。
「びっくりしたよー! 芳香さんって案外演技派だったりする?」
「はっはっはぁ! 演技だが……デマカセを言ったのではないぞぉ! 道具たちが思っているのは紛れもない事実なのだ」
どすんとソファに座り直すと、芳香は死体らしからぬ鋭い目を僕の方に顔を向ける。
「店主よ……置かれているだけで使われない道具達が嘆いているぞぉ。たまには営業努力もするのだな」
「そうだそうだー。ちゃんと商売しろー」
便乗して魔理沙まで野次を飛ばしだしたのは無視するが、僕の店がただの蒐集家の物置のようになっているのは事実だ。埃の被ったパソコンや模型に人形など、僕に恨みを持っていそうな道具の心当たりはいくらでもあった。
「……芳香君。ちなみにだが、どの道具が一番怒っていたのか分かるだろうか」
「あー……それはだなあ、そこの黒い板っぽいヤツだ!」
それは菫子君が、型落ちしてもう要らないからと持ち込んだ道具の一つのタブレットであった。まさか、そこまで古くもないのにそんなはずが。
「お前ぇ……事もあろうにそいつを投げて遊べとか食器にしろなどと適当な事を言っただろぉ? その事を大層恨んでおるぞぉ」
「え……霖之助さん、そんな使い方したんですか? ちょっと引くわー」
菫子君に引かれ、魔理沙に笑われ、芳香に睨まれ、僕の立場は失われ、今すぐ店の奥に消えてしまいたい。しかしまだ逃げるわけにはいかない。恨みの塊たるあの物の気持ちだけはどうしても聞いておかなくてはならない。
「そこの『霧雨の剣』は……どう思っているだろうか?」
(えー……霖之助さんその剣にマリサッチの名前を付けてたんだ……もっと引くわー)
菫子君の小声の呟きが耳に痛いが、表情を変えないように頑張って芳香の返答を待つ。まさかその剣に魂が宿っていないということは無いだろうが、芳香は目を閉じてしばし沈黙した。
「それは……早く身を固めろ、だなぁ! いつまでも独り身でこんな店をやってるのが心配らしい。雨降って地固まるというやつだぞぉ」
魔理沙の大笑いが店内を包み込んだ。
僕もまさか、剣からそんな親みたいな事を言われるとは思わなんだ。いや、恨まれたり祟られたりということは無さそうで何よりなのだが、それはともかく魔理沙は笑いすぎである。
「じゃあ、何か忘れてる気がするけど私はもう帰る……からなぁ! あんまり遅いと青娥に怒られちゃうぞぉ」
伸び切った手を大げさにぶんぶんと振り回し、芳香は僕達に背を向けた。そのまま出ていくと思われた芳香だったが、何故か扉を前にして静止してしまう。
「……開けてくれぇ」
しょうがないなあと苦笑いの菫子君が代わりに扉を開けてあげた。そういえば、最初も扉の前に立ちすくんでいたというのはそういうことだったのか。ドアノブを回すという行為もままならないとは不便なものだ。
「香霖もちゃんと運動しろよな。年取ってから関節が曲がらなくなったら惨めだぞ」
そうなったら魔理沙はここぞとばかりに僕を笑うのだろう。魔理沙が、僕より先に老いなければ、だが。
「私も今度こそレイムッチの所に行ってくるねー。もうおやつの時間も過ぎちゃったけど」
芳香に続いて菫子君も店から出ていった。やることが無いときの彼女は、この店で雑談をするか人里で買い食いか、あるいは霊夢の神社でお茶菓子をご馳走になるかで、それ以外というのはあまり無い。まあ、それは霊夢も魔理沙もだいたい同じであって、平和とはそういうものである。香霖堂も本来はそうあるべきだ。今回のような珍客など必要ない。いつもの客が、いつものように商品を買っていってくれる。もちろん変な騒ぎなど起こすことも無く。それが理想なのだ。
……現実は、この通り商品を買っていってくれない火種のような少女が騒ぐだけなのだが。
「しかし傑作だったぜ。まさか剣にまで喝を入れられるとはな」
魔理沙はまだその話題を引っ張る気でいるらしい。どうして女というのは結婚できない男の話が好きなのだろう。僕には考えても永遠に理解できない問題だ。
「なあ、道具にまであんなこと言われちゃ堪らないだろう。私の名前が付いてる剣だし、なんだったら私が貰ってやってもいいんだぜ?」
「お断りだよ。霧雨の剣は僕の物だ。他の誰にも渡す気は無いね」
「ちぇー。まあいいさ、どうせそのうち私の物になる予定だからな」
「……それはどういうことかな? また盗むということかい」
「心外だな。私は盗んだことは今まで一度も無いぜ。そんなことしなくても合法的で一石二鳥な手段があるだろ」
「ほう、ついに魔理沙も現金での買い物を覚える気になったということかな」
「何を言ってるんだ。私がどこの生まれだか知らないとは言わせないぞ。というか、言わせるなよそんなこと」
「君が勝手に言ったんだろうが。せっかくだから言わせてもらうがいつぞやは君も人里で宗教戦争に首を突っ込んで暴れただろう。その件で親父さんからも相当愚痴られたんだからな……」
「だからそうじゃなくて……」
魔理沙との非建設的で取り止めのない会話が流れ行く──。
──まだ霖之助と魔理沙が中にいる香霖堂の、その裏手に開けられた小さな穴。そこに集う女三人が、寄れば姦しくなるところを懸命に我慢して店の中を覗き込んでいた。
「じれったい」
「根性無しですわね」
「据え膳食わぬは男の恥だぞぉ」
そこに居たのは香霖堂から出ていったはずの宇佐見菫子と宮古芳香、そしてその主人であり穴を開けた張本人の霍青娥。そう、霖之助の予感通り、やはり青娥は見ていたのだ。芳香が店の前に現れたその時からずっと。これは芳香が一人で初対面の相手と問題を起こさずに居られるかという、青娥流の芳香ちゃん独り立ち試験だったのである。当然、青娥の制御から離れて散歩をしていたなどと呆けていたのも嘘っぱちだ。香霖堂という選択も、万が一問題が起きてもこんな辺鄙でお客の居ないこの店ならあまり騒ぎにならないでしょうという判断だった。魔理沙が聞けばまた霖之助をからかう材料になっていたに違いない。
「途中で暴走したふりをして驚かしたのは面白かったけど、実は本当に我を失いそうになっていたでしょ。それに何でも良いから買ってきなさいっていうのも忘れてたわね。ちょっと減点して9点ね」
店から出てきた芳香を青娥の激甘採点が出迎えて、本来ならばそれで終わりのはずだった。だが、青娥の邪仙センサーがこの後何かが起こるに違いないと感じ取ってしまう。続いて店から出てきた菫子の背後に回り込んで口を塞ぎ、もがく彼女を店の裏まで軽々と連行したのである。初対面の相手からの乱暴な行為に怒りを露わにする菫子だったが、青娥が簪で壁に小さな穴を開けて悪戯に笑うのを見るや、聡い彼女はすぐさまその意図を理解した。霖之助と魔理沙、霖之助の方は知らないが魔理沙がもう一方に何かしらの想いを秘めているのは、同じ思春期の女子として見破れぬ方が難しいというもの。菫子も邪仙と同じ邪な笑みを浮かべて穴の前に張り付いたのだった、のだが。
「霖之助さんもあんな可愛らしい子が近くに居るんだから抱きしめるなり嗅ぐなりしなさいよ……もっとデザイアをドライブさせなさいよ……!」
そんな邪な願いも虚しく二人は通常営業であった。しかしそれも無理からぬこと。うら若き乙女の魔理沙に対して半妖の霖之助はあまりにも生きた時間が違いすぎるのだから。
「青娥ー。もう飽きたぞぉ」
「くやしい……! 男なんてみんなあの人みたいに狼だと思ってたのにぃ……!」
退屈すぎて芳香が頭の上に乗っかった蝶を追いかけだしてしまった。青娥自身もただでさえ薄暗い店内を変な姿勢と悪い視界でずっと覗き続けていたので限界が近い。疲労と相まって青娥はそこにハンカチが有れば噛み締めていただろう無念の表情を浮かべていた。
「思った以上にヘタレですねー二人とも。もうほっといてレイムッチの所に行きません?」
「……くぅっ! この感情は思いっきり霊夢にぶつけることにしますわ!」
撤退を進言する菫子に、口惜しくも青娥は同意するのであった。その後、博麗神社に悪質な二人まで連れてきてしまった菫子が霊夢にめちゃくちゃ怒られたのは言うまでもない。
「ところで魔理沙」
「あー?」
僕は、先に芳香を見て気になっていた事を魔理沙に問うた。
「あの芳香というキョンシー、本当に噂通りに酷い扱いをされていたのかい?」
「そりゃ死んでもあいつに操られてるってだけで酷い話だろうが、一度私にやられたのに次の勝負でもすぐ呼び出されたりしてたな。死んでなきゃ過労死間違いなしだぜ」
「ふむ、やっぱりそういう使い方なのだね」
「やっぱりって、香霖は道具の用途なら見れば分かるだろ。私に聞くまでもないじゃないか」
そう、用途は分かるが、実際の使い方が僕には分からないのだ。だからタブレットにも怒られていたことを深く受け止めて魔理沙に聞いたのである。
「……どうも僕の使い方は見当違いであることが分かってきたのでね。想像だけで物を言うのを改めようと思ったんだよ」
「そりゃ殊勝な心がけだ。で、芳香の用途ってのはお前の中では何だったんだ?」
「彼女は『主を護る盾であり、剣』の役目で、何より『主を愛する』為の物さ。僕個人の感情としては認めたくないものだが……」
「そりゃ、歪んでいるな。青娥の命令なら、芳香は嫌でもあいつを好きになるしかないんだからな」
かつてはどこの国でも、人を道具として売買していた時代があった。人権を奪われて隷従させられる彼らは『物言う道具』と邪揄されていた。芳香もそれと同じ……いや、死んで自由意志を持たない分こちらの方が質が悪い。
僕は人を道具として扱いたくない。人と妖の狭間の存在である僕がその一線を越えてしまえば、人と共に在り続けることができなくなる。そう思うのだ。
「そのしかめっ面で大体何を考えてるかは分かるけどな、勝手な想像はしないって言ったばっかりだろう。あいつは青娥のことが大好きって言ってたけどそれが命令かどうかは本人にしか分からないんだ。なら聞いてる私達はそれで良いんじゃないか?」
「……そうだな。用途と使い方が一致しないのはよくあることだ。君がそのソファをベッド代わりに使っているように」
「私のお古のソファって箔を付ければ誰かが高値で買うかもしれないぜ。ありがたく思うんだな」
その前に毒持ち死体が座っていたという事実だけで売り物に出来ないだろうが。
「ま、あいつのとこのふんぞり返った大将みたいに欲を読めるわけじゃないけど、乙女の私に言わせりゃあの二人は札なんかで操らなくてもお互いに大好きさ。なんとなく分かるんだよ。そう思ってる方が酒も美味く呑めるしな」
なるほど、呑兵衛の魔理沙らしい考え方だ。ただでさえ長い人生なのだ、楽観的な物事の捉え方をしていかないとやってられなくなる。僕の所の道具と違って物言える分、あの二人は不満も愛情も言葉で交わし続けることができるのだ。僕もいつまでも受け身の営業を続けていないで、たまには大事に飾っているだけの道具を持って行商にでも出てみるべきだろうか。僕の示せる愛情であり務めとは、自ら集めたこの満たされない道具達の素晴らしさをもっと大衆に語り継いで買い手を探してやることなのかもしれない。
(もっとも、僕の店には手放したくない道具が多すぎるのだけど……)
新たにその一員に加わってしまった魔理沙のベッドと化したソファを眺めながら、僕は自身の情け深さを反省するのだった。
芳香のキャラがいいですねぇ、扉が開けられないところなんかが特に可愛かったです。霖之助の語りがらしくて面白く淀みなく読み進められました。私どもと同じ時代を生きているらしい菫子ちゃんは令和ジャンプしたのかしら。普通の女子高生らしく砕けた口調の彼女はちょっと新鮮でこれまた可愛かったです
短くもほど良い濃さがありとても楽しめました、ありがとうございました
誤字報告かもしれません↓
体制→体勢?
霖之助が分かるからと言ってもわかってない描写が好きでした。
キャラそれぞれに自分なりの考えがあるのが見て取れてよかったです
魔理沙がかわいい
良かったです