「ねぇ,お燐。この前さとり様を怒らせたじゃない?」
「そうね」
さとり様から言いつけられた半年にも及ぶ当番生活からやっと解放された初日におくうがそんなことを言い出した。
「さとり様のブチ切れポイントってさ,こいし様とプリンだったでしょ?」
「ちょっと語弊があるような気がするけど,うん。続けて」
あたいは久しぶりのカリカリ小指を食べながら気怠く聞き流す。
「だからさ,今度はこいし様をブチ切れさせてみたいなぁって」
あたいはまたカリカリ小指を落としそうになったけれども,持ちこたえる。あたいは一度喰らった技は通じない猫なのさ! と思ったら皿を落して床にカリカリ小指をぶちまけてしまった。さ,3秒ルール……無理か。
「えーっと。あたいはもう当分こりごりなんだけど」
「あ,やっぱりお燐もやりたいんだね!」
おくうって耳あったよね? あたいの言葉が届いてないみたいなんだけど。
「それでね,私思ったんだ。さとり様の時と同じようなことしたらブチ切れるんじゃないかって」
おっなんだ。もうあたい抜きでやってたんじゃないか。これならあたいは巻き込まれることはないな。一安心一安心。
「それで? どうだったのさ」
「うん,ことごとくよけられた」
「は?」
「笑顔でこっち見ながら『おくう~おくう~』って首を斜めにして追ってきた」
ホラー!? こいし様ってそんな殺人鬼みたいな動きするの!?
「つまり,こいし様の手のひらの上で踊ってただけってこと?」
「こいし様の手のひらはそんなに大きくないよー。お燐って不思議なこと言うのね」
「慣用句っ!!」
あたいは思わず空を仰いだ。……もう,ゴールしてもいいよね?
「だからつまりね,どうしたらいいのかお燐に教えてもらおうと思って」
「ねぇ,おくうは聞いてなかったかもしれないけど,実はあたいね,もうやりたくないんだ」
届け……あたいの思い!!
「何かいい方法ないかなぁ」
が,だめっ!!
「本人に直接聞いてみたらいいじゃない」
「はっ! その手があったか!!」
おくうがポンと手を打った。いや,その手があったかじゃないよ。
「……ってこいし様!?」
振り返るとそこにはこいし様が立っていた。
「あっ! こいし様ちょうどいいところに。ねぇねぇ,こいし様。こいし様って,何したらブチ切れるんですか?」
なにこれ,なんかのコントか何か?
「うーん。何したらブチ切れるんだろう……。そうだ! こういうときは専門家に相談だよ!」
「おー!!」
おくうがぱちぱちと拍手をする。えーいもうどーにでもなーれ!
こうして,ここに『さとり様をキレさせ隊』のメンバーが再集結した。
【無意識の逆鱗を探れ!】
「さて,やって参りました。『無意識の逆鱗を探れ!』司会を務めます,超絶かわいい美少女マジカルグラマー古明地こいしです」
なんか始まったー!! というか待って,超絶かわいい美少女まではいいとしてマジカルグラマーって何!?
「パーソナリティーはこちら,幾たびの逆鱗を探し求めてきた探求者。『……あたいらに触れない逆鱗はねぇ』でおなじみ,今回は難攻不落の古明地こいしの逆鱗を追いかけます『さとり様をキレさせ隊』のお二方と。先日ペットに逆鱗を触られました,旧地獄の支配人! 『私の第三の目の前では,逆鱗なんて丸裸』とはこの人の言葉,古明地さとりさんです!」
「どうもー」
おくう!? えっ,何? これあたいもあいさつしとくべきポイントなの?
「妹がお世話になっております」
さとり様まで! 嘘でしょ!? どういうことなの……。
「今回はなんと! 特別ゲストをお招きしております。それではご紹介いたしましょう! 『自我心理学』の第一人者。ジークムント・フロイトの継承者であります,ハインツ・ハルトマン博士です!」
「よろしくおねがいします」
「ストップストップストーップ!」
あたいは思わず声をあげてしまった。
「どうしましたか,『さとり様をキレさせ隊』隊長の火焔猫燐さん」
「隊長じゃないです! ……じゃなくって,誰ですかこのおじさん!」
「ハインツ・ハルトマン博士です。さっきご紹介しましたよね?」
「いやそうじゃなくって!! ……はぁ,もういいです。次行ってください」
あたいは考えるのをやめた。勝てるわけがなかったんだ,こいし様にあたいが……。
「おくうさんは,先日さとりさんの逆鱗を制覇なさいましたが,今回は無意識の権化たる古明地こいしの逆鱗に挑戦するということで,どのようにお考えになられてますか?」
「そうですねー。やっぱりこいし様はつかみ所がない方なので,そこがネックになると思いますが,ハルトマン博士がいらっしゃいますのでね,いけるんじゃないかと思います」
「やはり,古明地さとりを攻略しただけあって,余裕の表情を浮かべております。えーではさとりさんはね,先日ブチ切れたということで,今回は真逆と言っても過言ではない古明地こいしですが,どのようなところがポイントになると思われますか?」
「ええ,私は基本的に理性で行動していますから,その反対で考えるとこいしの逆鱗というのはやはり本能の危機等に潜んでいるのではないかと思いますね」
「はぁ,本能ですかなるほど。次にお燐さん……はいいや。ハルトマンはか――」
「ウオォーイ! なんであたいはいいんですか!? ひどくないですか!!」
はっ! しまった。これは罠か! あたいに発言させるための罠か!
「え,何かコメントあるんですか?」
「いや,ないですけど」
「はいっ,ということで。ハルトマン博士,実際無意識に逆鱗というものは存在するんでしょうか?」
ああ,あたいはやっぱりだめだったよ。こいし様は人の話を聞かないからなぁ。
「はい,無意識というのはですね,基本的に欲望なんですよ。特に性欲ですね。この欲望がねじ曲がると神経症になってしまうというのがフロイト先生の精神分析学に基づく見解になります」
「でもせんせー」
おくうがその言葉に割り込んで話す。おくう,その適応力はすごいけどこの話題にはついていけないでしょ,ちゃんと座ってなさいって。
「ユングの分析心理学においては個人と全体の関係性によって自己が形成されると解いていますが,これはいかがでしょう?」
……? おくう,どこでそんなこと覚えてきたんだい。お燐ちゃんさみしい。
「ははっ,おもしろいことを言うからすだ。いいかい,あんな差別主義者で裏切り者の言ったことなんかあてにしちゃだめさ。無意識はリビドーによって形成されるんだ。自己とはイドと自我とエゴの三段階に分かれ,エゴによってイドは押さえ込まれる。それにより自我が生まれるんだよ。だから自ずとエゴの存在しない古明地こいしにはイドしか存在しないという結論に至るのさ」
おくうが言い返せずにしょんぼりとする。どんまいおくう! でもあんためちゃくちゃ頑張ったと思うよあたいは!
「……ではイドの大部分が性欲であることを考えると,こいしの逆鱗は性衝動を邪魔されること,ということになりますね」
「ええ,その通りですさとりさん」
「ふぅん。……ねぇ,こいし」
「なぁに? お姉ちゃん」
なんかさとり様が動き始めたみたいです。あたいはもうカリカリ小指を食べることしかやることがありません。みなさまはいかがお過ごしでしょうか。
「実は言っていなかったんだけどね,昨日お燐と一夜を過ごしたのよ」
はー!? どゆことー!? そうだったの? あたい,さとり様と昨日寝てたの!? そんな馬鹿な!? 記憶にございません! 何かの間違いだ!
「そ,そんな……」
あれ,こいし様? なんでこっち見てくるんですかね。違いますよ? さとり様が勝手に言ったことですよ?
「あら,お燐。違うだなんてひどいわ。昨日はあんなに優しくしてくれたのに」
「おーりーんー……」
「さっ,さとり様!? いや,こいし様。本当に違うんですよ,あたいそんなことしてないですから」
「ずるいずるいずるいずるーい! 私ですらまだAまでしかしてないのに!! 私よりも先にCまでしちゃうなんてー!! 許せない!!」
こいし様,苦しい苦しい。首絞めないで死んじゃう。
「えっ,私Aされてたの? 嘘でしょ……」
さとり様はなんで自分からやっておいて「ちょっと予想外だった」みたいに落ち込んでるんですか。自爆にペットを巻き込まないでください。
「はっ,お燐がお姉ちゃんとCしたってことは,私がお燐とCすれば,間接的に私とお姉ちゃんがCしたことになって,実質お姉ちゃんとのC!! うっひょーい」
「やめてください!! 服脱がさないで!」
こいし様が暴走をはじめてあたいの服を脱がせにかかる。あぁ,これがいわゆる辛抱たまらんって人かぁ。
「こいし,嘘よ。お燐とは寝てないわ」
「なーんだ。びっくりしたー」
どうにかあたいの社会的な立場はかろうじて守られました。……もうやだ帰りたい。
「……あれ? でも今こいし様ブチ切れ(?)てませんでした? これもう目標達成じゃないですか? 終わりですよね?」
希望の光です。この辛い地獄ともおさらばですよ! へっ,振り返ってみればたいしたことなかったな。
「うんにゃ,別に私はあれでブチ切れてはいないよ?」
はぁ!? おいおいおいおい,死んだわあたい。
「そういうわけでCMの後もまだまだ続きます!」
「続くな!!」
火焔猫燐,渾身の叫び――!! (きっと届かない)
「えー,お燐さんのご要望につき,今回はここまでとさせて頂きます」
嘘――あたいの祈り,通じたっ!?
「では,ここまで2755字にわたってお送りいたしました『火焔猫燐をブチ切らす ~ Be of good anger!』お楽しみいただけましたでしょうか。それではまた来週です。さようなら」
タイトル変わってるし! てかターゲットあたいかよっ!!
「返せっ……! ――あたいの時間っ……!」
この日,改めてさとり様をブチ切れさせたことを申し訳なく思ったあたいでした。
―― 了 ――
そして特徴を捉え過不足なく肉付けしていく手腕も大したもの。これは騙されますわあ、時々賢くなるおくうちゃんとかね
けどよくよく読むと独自のセンスもあって(最後の福本節なんか顕著)楽しませていただきました。
バラエティと言えばお茶の間で見るテレビみたいな感じだったのでなんだか自然とこちらも和んで楽しく読むことができました
とても面白かったです。
最後が秀逸だと思います。面白かったです。
人の作品の続きを勝手に書くとか最高ですね
それでいてしっかり面白くて素晴らしかったです