「ねぇ,お燐。さとり様をキレさせるにはどうしたらいいのかなぁ」
「は?」
部屋でごろごろしてると,おくうが妙なことを言ってきたもんだから,あたいは思わず食べかけのカリカリ小指を取り落としてしまった。あーっと! 3秒ルールっ!
「えーっと。ちょいよく聞こえなかったから,もっぺん言ってくれる?」
「さとり様をブチ切れさせたいんだけど,どうすればいいかなって」
あ,やっぱ聞き間違いじゃなかったかぁ……。てか微妙にヒドくなってないか。
なんだろ。40年くらい遅れてきた反抗期かな??
「一応言っとくけどさ,ブチ切れさせるって,怒らせるっていう意味だよ?」
「ちょっとー,お燐,私のことバカにしてない? そんなこと知らないわけないでしょ」
いや,あたい的にはいっそ言葉の意味を取り違えててくれたほうが良かったんだけどね?
「オーケーオーケー。まあいいよ。で,なんでまた急にそんな。さとり様が嫌いになっちゃったとか?」
「は? 何言ってんの,お燐。頭おかしいの?」
お前だよ!!
お前が変なこと言い出すからだよ!
「キレさせるのは,さとり様に幸せになってほしいからに決まってるでしょ!」
「んんんんん??」
え,なにそれ怖っ。あたいが知らなかっただけで,さとり様ってキレたら幸せを感じるタイプだったの? 特殊性癖すぎるんですけど。
「お,オーケーオーケーオーケー。落ち着こ? ねぇ落ち着こう?」
「震えてるのお燐のほうだけど」
「ええい,うるさい! お前さんは言葉が足りなすぎる。キレさせることがどーしてさとり様の幸せにつながるんだよ? そこだろ大事なのは」
そう言ってやると,おくうはあたいのベッド(人間用のほう)に寝転がってごろごろしだした。髪の毛とか羽根とか付くから止めてほしい。
「ほら,この前お燐が借りてきた本あったじゃない。絵がたくさん描いてあるやつ」
「ああ……漫画ね」
あたいは時々死体をゲットするため地上に出るんだけど,その時に里の貸本屋さんで本を借りてくることがある。
最初はさとり様が使う資料を頼まれたんだったっけ。でも,いろんな本があることがわかって(なんか店番のお嬢ちゃんに熱く薦められた),資料以外の本も自分用に借りてくるようになったわけだ。
まあ,おくうも興味を持ったのは意外だったけど。
「その本に,えっと,なんだったっけ……」
「なんなのさ」
「ちょっとお燐黙ってて! ごちゃごちゃ言われると忘れちゃうから。……あっ思い出した。『相手を知りたかったら,そいつが何に対して怒るかを知っとけ』みたいなセリフがでてきたんだ」
「あー,なんかあったね」
そう言われたら,あたいも思い出す。ちょっと細かい言い回しは違ってた気もするけど,だいたいのニュアンスは間違ってないはずだ。
ええと,確か貸本屋のお嬢ちゃんによれば『あまりにも休載が続いたために幻想入りした漫画本』で,『続巻を待ちわびる人々の思念が呪いに近くなったことで妖魔本になりかけたもの』だったっけ。よくわからんが面白そうだから借りてきたんだった。
「でさ,思ったんだ。さとり様って怒らないじゃない?」
「んー,まあ。落ち込んだり不機嫌になったりくらいはあるようだけど,基本怒らないね」
そもそもさとり様ってあんま感情の起伏が激しくないっぽいしなぁ。キレてるのも見たことがない。たまに不気味な笑みを浮かべてることはあるけど。
「だから私たちも,さとり様のことをよく知らないんじゃないかなって」
「そうなの,かな。うん」
「相手のことを知らないままでいたら,幸せにできないじゃない。お燐もそう思うでしょ?」
真っ直ぐな眼差しで,おくうはそんなことを言う。おくうは基本アホだけど,たまにドキリとするようなことを言ってくる。
「……そうだね,そのとおりだ」
「私はさとり様を知りたい。さとり様が何に怒るのか。キレ散らかすのか。さとり様のように心を読むことはできないけど,私も知りたいんだ」
そう言うおくうは,きっと純粋にさとり様に幸せになってもらいたいんだろう。だからさとり様のことをわかりたいと思っている。そのためにさとり様が何に対して怒るのかを知りたいと考えた。そこで手っ取り早くさとり様をキレさせたいという結論に達したわけだ。
「……むぅ,なんか釈然としないんだけど」
「もう! 考えすぎるのはお燐の悪いクセだよ! とにかく一緒にさとり様をキレさせよ? ね?」
おくうはベッドから勢い良く身を起こし,あたいの両手を握り込むように包んでブンブンと上下に振った。「ね? ね? ね?」って……ゴリ押しかよ!
言ってることはなんかおかしい。理屈としてはヘンだ。本当は止めておいたほうがいいんだろう。
けれども,結局あたいは根負けして笑うんだ。いつものように。
「あー,わかったよ。わかったから。じゃあ,やろう!」
「やった! さすがおりんりん!」
やると決めたら謎にテンションが上がってきて,思わずおくうとハイタッチ。
「せっかくだからユニット名でもつけたら?」
そんなことを言ってくるものだから,あたいも頷く。
「うーん,そうだねぇ。なら……『さとり様をキレさせ隊』の発足だ!」
「おー!」
「おー!」
みんなで拳を振り上げる。
こうして,あたいらは後々まで地霊殿に語り継がれる,あのバカげた事態を引き起こすこととなったのだった。
【其の壱 怒りって何だろう?】
あたいとおくうは,さっそく旧都のカフェ,通称《キュートカフェ》でお茶をすることにした。さとり様をキレさせる作戦をさとり様の近くで立てるなんてのは単なる暴挙だ。髪の毛から尻尾の毛の先まで読まれた挙げ句,生温かい視線を向けられるのがオチだろう。
だけど心を読まれるのは,さとり様から声が聞こえないくらい遠くに離れていれば防げるっぽい。そこでわざわざ出てきたってわけだ。
「おくうは何飲む?」
「え? おごってくれるの?」
「んなわきゃないだろ! 自分のこづかいで払いな!」
「ええー? お燐のケチー」
「タカるのに失敗して相手をケチ呼ばわりするほうがケチなんですぅー」
おくうは口を尖らせながらモカモカフラペペロンチーノクラッシュバンディクーとかいう謎の液体を注文した。あんまりキュートな名前じゃないな。
ちなみにあたいが注文したのは宇治抹茶。どこぞの橋姫を経由して仕入れているとも聞くけど,本当かどうかはわからない。
窓際の席(特に日光が入るわけではない)に座り,改めて計画を練る。
「確認するけど,おくうはさとり様をキレさせたい,つまりさとり様から怒りの感情を引き出したいわけだよね?」
「専門的に言い表すとそうなるね」
「何の専門だよ。で,そのためにはまず『怒り』についてワレワレは知らなければならないと考えるのであーる」
「おお……! なんか専門家っぽい口調! 言ってることはよくわからないけど」
「いや,そこはわかりなよ」
おくうはパチパチと拍手してくれるけど,その理解力に不安が残る。ちょっと前までは『新しい原子を創る核融合の熱』とか『核エネルギーは超高温を半永久的に産み出す究極の力』とか,わりと頭良さそうなことも言ってたはずなんだけどなぁ……。いつからおバカキャラ路線になったんだ?
「『怒り』について知るって言うけどさ,つまりどういうこと?」
「もうちょい正確に言うなら,あたいらが怒りを覚えるのはどういうときなのか,ってことだね」
誰かを怒らせるなら,怒りのプロセスを知らないといけない。そうでないと,的はずれな結果につながりかねない。
「どういうときに? うーん,氷室に入れといたプリンを誰かに食べられちゃったときとか」
甘い物大好きなおくうが,小首を傾げながら言う。
聞いた話だと,地上の御山には河童が作ったレイゾウコなる家具があって,機械部品から食品までいろいろと手軽に冷やせるらしいが,当然あたいらの周りにそんな便利なものはない。冷やしたお菓子は一種のゼイタク品だ。かつてはペット同士での激しい争奪戦の果てに死にかけたことすらあった。
ましてや希少なプリンを獲られたなんてことになったら,おくうじゃなくても激怒するだろう。もちろんあたいもだ。
「あとはなんだろうな,宝物盗られたり,悪口言われたりとか。あ,いきなり突っつかれてケンカになったこともあったよ」
たぶん地獄鴉同士での話だろう。おくうは自身が怒る状況をあれこれと口にした。
「――とまあ,怒りを覚える状況はいろいろ考えられるわけだけど。共通点が何か,わかるかい?」
「わかんない!」
「はい霊烏路空さん元気なお返事ありがとう。ちったぁその鳥頭を使ったらどうなのさ」
「私はお燐を信頼してるから。考えるのは任せた。信頼してるから」
「それを丸投げと言う。……要するにあたいらが怒りを覚えるのは,自分に危害を加えられるか,加えられそうになったときなんだ」
美味しいお菓子や大切な宝物を取られたり,殴られたり撃たれたり,悪口を言われたり書かれたり。モノかカラダかココロが侵害され(そうになっ)たとき,それらを守ろうとしてひとは怒る。
あたいは宇治抹茶を啜り(適度にぬるくて飲みやすい),続けた。
「だから,さとり様を怒らせるには何かしらの形で危害を加える必要があるってことになるだろうね」
「えっ……?」
おくうは道端の糞を踏んづけたような顔をする。
「何ショック受けてるのさ。むしろどうやって怒らせるつもりだったんだい?」
「と,とりあえず焼いてみたり……」
「さとり様はパンじゃないんだから」
思わずため息も出るってもんだ。
「ねぇ,おくう。別にやめたっていいんだよ,さとり様を怒らせるのは。嫌がられるかもしれないし,嫌われるかもしれない」
「……やるよ。だってさとり様は『ひとの嫌がることを進んでやりなさい』って言ってたし!」
いや,それは意味が違うだろ。
「『ときには嫌われる勇気が必要です』とも言ってたし!」
それも違う。
「『一度決めたことを最後までやり抜くことが何よりも大切なのですよ』とも言ってたんだから!」
ことごとく違うから!!
「ま,まあお前さんの情熱は伝わったよ……。だけどね,たぶんさとり様を怒らせるのは難しいよ」
「そうなの?」
「ああ。……そろそろ出よっか。歩きながら話すとしよう」
飲み物もなくなったことだし,街中をぶらぶら散歩するのもいいだろう。
【其の弐 さとり様は難攻不落!?】
カフェを出てしばらく歩く。街の中はにぎわっていた。にぎわっていたっていうか,つまり。
『あァ? 今オレにぶつかっただろ』
『は? ぶつかってねーよこのクソカスが! どこに目ェつけてんだ』
あ,ちょうどあそこで始まったわ。
『ガキが……舐めてると潰すぞ』
『なんだァ? てめェ……』
あちゃー。殴り合いをおっぱじめたわ。いやだねー,ガラの悪い奴らは。周りの連中もはやし立ててるし。
「おくう,そっちの通りに行こっか」
「うん」
旧都は鬼が仕切ってるせいか,血の気の多い奴らが多い。こうして大通りを歩いてても,そこかしこから殴り合いの音だの飲み比べの声だのが聞こえてくる。あたいも猫モードでいればわりかし安全だけど,人型をとると巻き込まれかねない。
「うわっと!」
耳を何かが掠めたと思ったら,反対側の建物の壁に当たってガシャンと砕けた。酒瓶だった。
「大丈夫?」
「問題ないよ。それより,こうして周りを見るとどうだい。世の中の奴らってのがいかに怒りっぽいことか!」
沸点の低すぎる連中を見ていると,皆怒りたがってるもんだと錯覚しそうになる。こんな地下の穴ぐらで,押し込められるように暮らしていればイライラもするだろう。地底の暗さと地上の夜闇は別物だ。
「さとり様はあんなふうに怒ったりしないもんね」
「そうさね。ちょいと足を引っ掛けるだけで怒ってくれるんなら,あたいらも楽なもんだけど」
おくうと並んで大通りを進み,小路を曲がる。それだけで喧騒が少し遠ざかった。話をしようにも周りがうるさすぎるとどうにもよくない。
「さてと。話を戻すと,本来なら誰かをわざと怒らせるのは難しいはずなんだよ。相手がさとり様じゃなかったとしても」
「うーん,よくわかんない」
「そうだなぁ……たとえば,おくうは誰かから『この馬鹿!』って言われたらどう感じる?」
「そりゃあ,腹立つね。焼き尽くしてやる!」
おくうは怒った顔をする。
「じゃあ,同じ言葉をさとり様から冷たく言われたら?」
「う,んと……悲しい気がする,かな」
おくうはしょんぼりとした顔をする。
「だろうね。それじゃあだよ,寝巻き姿のさとり様から『もう……このバカっ』って言われたら?」
「……なんかドキッとした! えっ? なんでだろ……?」
おくうは『私の年収,低すぎ……?』みたいな顔をする。
「そういうことなんだよ。まったく同じ言葉でも,言う相手や状況によって,言われる側に生まれる感情も違ってくるのさ」
つまり,相手に向かって悪口を言いさえすれば必ず相手を怒らせることができるわけじゃないってことだ。悲しまれることもあれば,興奮させてしまうこともある。これは言葉じゃなくて,行動で怒らせようとする場合も同じだ。
「だから,さとり様をきちんとキレさせたいなら,何を仕掛けるかもよく考えなきゃいけないってわけ」
「なるほど。お燐は頭いいなぁ」
「だけど問題はここからだ。そもそもさとり様が怒らないのはどうしてだと思う? 街の連中はあんなに簡単にキレだすのに」
おくうはしかめっ面をする。一応考えようとしているみたいだ。さすがに,あたいに全部丸投げは良くないと思――。
「わかんない」
はやっ!
「だって,さとり様が『わからなかったら誰かに聞くのも大切ですよ』って……」
「まあいいや。要するに,さとり様は心に余裕があるんだよ」
「余裕?」
「おくうさ,朝寝坊することあるよね。で,急いで灼熱地獄跡の温度調整に行かなきゃいけないとする。そこで誰かに呼び止められて,どうでもいい話を長々とされたらどう思う?」
「え……イラッとすると思う。焼くわ」
「でしょ? それは焦ってて心に余裕がないからなんだよ。だって,ヒマなときに長話されてもそこまで腹立たないでしょ?」
「おおー! 確かに!」
「悪口で怒る場合だって痛いところを突かれたからだし,何か盗られる場合だってそれが大切なものだから許せなくなるのさ」
見当外れな悪口は苦笑いを呼ぶだけで,どうでもいいものを盗られてもあまり気にならない。それは心が追い詰められないからだろう。
「さとり様の場合,『相手が自分を怒らせようとしている』ことが読める。すると,こっちがやったことに対しても常に一呼吸置かれちゃうんだよ」
自己客観視というやつだ。『相手の思惑どおりに怒りそうになる自分』を意識すると,冷静になって怒りを鎮められる。それによって生じる心の余裕は,他の連中とは比べ物にならないだろう。
「ねらって『怒り』を呼び起こすのは普通の相手でも大変だ。けど,その中でもさとり様は別格さ。まさに難攻不落なんだよ」
ちょいと格好つけて言ってみると,おくうは不安そうな顔をする。
「ねぇ,お燐……」
「ん?」
「さっきから周りが見たことない感じだけど,ここ何処だろ」
「へ? そういや確かに」
ひと混みを避けて歩いていたもんだから,迷ってしまったらしい。そろそろ帰らないといけない頃だ。
【其の参 さとり様を怒らせる方法】
露地をさんざん歩き回った挙げ句,飛んで上から地霊殿の方向を確認すりゃいいじゃんと気付いたのが半刻前。あたいらは普通にアホだった。
「危うくお昼ご飯逃すとこだったねー」
おくうはニコニコしながら定食《ろ》を食べている。あたいは定食《い》だ。
昼どきの地霊殿の食堂はたいそう混み合う。たまたまふたつみっつ席が並んで空いていたのは幸いだった。
さとり様は基本執務室に籠もってるから,あんまり顔を合わせない。ちょっと昔,ペットの数が今より少なかった頃は,さとり様が手ずからご飯を出してくれたもんだけど,今では自給自足だ。ペットが調理してペットが出したものをペットが食う。
「そう考えると,おくうの気持ちもわからんでもないなぁ」
「何が?」
「ふぁとりふぁまのふぉとをふぉっとひりたいってふぉとさ」
さじを咥えながら言うとおくうは笑い,「そうだ」と真顔になる。
「それで思い出したんだけど,お燐は,さとり様を怒らせるのは難しいって言ったじゃない。でも,さとり様を喜ばせるのは簡単だよ? こないだも青く光る石をあげたら喜んでくれたし」
なるほど,怒らせるのも喜ばせるのも,相手の感情を変化させるという意味では同じだ。なら,そのふたつはどう違うのかって話になる。
「それは別に不思議じゃないよ。『さとり様を喜ばせたい』っていうお前さんの気持ち自体が,さとり様にとっては嬉しかったんだろうさ。けど,怒らせようとする場合は別だ。『怒らせたい』という気持ちが伝わっただけじゃ相手は怒らない」
あげたものがゴミだったとしても,あげようという想いが嬉しいことはよくある。逆に心底善意だったとしても相手を怒らせることだってある。
「そっかぁ。じゃあやっぱり難しいんだね」
だいたい,こっちが『怒らせよう』と思いながら向かっていった時点でダメなんだから,さとり様を怒らせるのは不可能に近い気もする。
ただ,あたいも別に無策ってわけじゃあない。
「さとり様だって何も感情がないわけじゃないからね。怒らざるを得ないようにするって方法はきっとあるさ。おくう,『逆鱗』って知ってる?」
「龍神様に生えてる81枚の鱗のうち,1枚だけ逆さに生えている顎の下の鱗のことで,龍神様はこれに触られるとブチ切れて,触れた奴をブチ殺すという話から,転じて『触れてはならないもの』を指すようになり,目上の者の怒りを表すようになったってことは知ってるけど,それがどうかした?」
「お,おう……」
まるで辞典を引き写してきたみたいだ。
「知ってるならいいけど,逆鱗ってのは理屈じゃあない。触られたらくすぐったいからとか痛いからとか,そういう理由があって怒るわけじゃないんだ。スイッチみたいなもんだね。押したら怒りって結果が自動的に発生する」
ということはだ。さとり様の逆鱗を見つけ出して,そこをちょいと撫でてやれば,さとり様だってキレるんじゃないか。
「えっと,さとり様の顎の下を撫でればいいってこと?」
「違う,そうじゃない」
あたいなら顎の下を撫でてもらえりゃ喜ぶけどね。
「まァ,最初から何が逆鱗なのかわかってりゃ苦労しないし,あれこれ怒りのツボを探してみるしかないだろうさ。とりあえず,さとり様と顔を合わせた時点で計画は失敗だから,悪口を面と向かって言ったり暴力を振るったりするのはダメだ。こっそりと仕掛けよう」
「こっそり……うちの窓ガラスを片っぱしから割って回るとか?」
「方向性としては悪くないけど,それ後始末が大変じゃないかね。片づけとガラスの入れ替えをさせられるだろうし,こづかいもたぶん減らされるよ」
あと,窓ガラスを割ったくらいじゃさとり様は怒る気がしないってのもある。
おくうは腕を組んで口を尖らせた。
「難しいなぁ。さとり様の書庫から本を全部持ってきて庭で焚き火して,その周りでマイムマイム踊るとか?」
「うん,ブチ殺されると思うよ」
わりとおくうはブレーキが利かないタイプなんで,ちょくちょく暴走しかける。確かにそこまで全力でやったらさとり様をキレさせることもできそうだけど,同時にあたいらも終わる。
「キレさせるのはいいけど,取り返しがつかないやり方は良くないね。おくうだってさとり様を深く傷つけたいわけじゃないだろ?」
「だよね……」
しゅんとするおくう。さすがに超えちゃいけないラインは弁えてるようだ。
「お燐は何かアイデイアないの?」
「そうだねぇ,さとり様の予備のスリッパにカリカリ小指を詰め込んどくとか,さとり様の部屋にかんしゃく玉を投げ込むとか」
「おおー,地味にイヤなやつだ。さすがおりんりん! 悪魔的だねえ」
「ふっふっふ,妖怪的と言ってくれたまえ」
あたいらは顔を見合わせて悪い笑みを浮かべる。やっぱりイタズラの計画を練るのは,それはそれで楽しいもんなのだ。
「あとは,そうさね,さとり様の好きなものをこっそり食べちゃうとか」
「あ,氷室にさとり様の名前書いてあるプリンがいくつかあったよ」
「ほう……」
お互い,ニヤリと笑う。
ちょうど,お昼ご飯の後のデザートが食べたいところだったんだ。
【其の肆 さとり様は怒るのか?】
食後のプリンはたいそう背徳的な味わいだった。上品な甘みにほろ苦いカラメル。鼻を抜けてゆく香りが素晴らしい。何より,さじですくったときにはしっかりした感触があるのに,舌の上でとろふわっととろける食感がたまらない。
「ハァハァ……こんな,おいしーものを!」
「おかわりもあるぞ」
普段,おすそ分けで食べるときにはひとつだけ。けれど,今日はよっつプリンがあるから,あたいとおくうとでふたつずつ食べることができちまうんだ。ひゃあ! たまらん。
「し,仕方ないよねこれもさとり様を怒らせるためなんだから」
「そうさおくう,これはコラテラル・ダメージだ」
ふたりでプリンをむさぼり食い,その後,さとり様が履き替えるはずのスリッパにカリカリ小指を詰め,通路の横に糸を張って水を満たしたタライを仕掛けた。ついでに塩コショウが降り注ぐ仕掛けとペイント弾の発射装置も設置した。ちょっとやりすぎかなってくらいに仕掛けまくった。
そして今に至る。
「あとは,このかんしゃく玉を1ダースばかり,ドアの下の隙間から放り込んでやればオーケーだ」
「さっすがお燐! 妖怪的だねえ!」
「何しろ全力で仕掛けたからね。これでキレなきゃさとり様は不感症だよ。間違いない」
さとり様が部屋の中にいることは確認済みだ。一昨日だかに,しばらく執務で忙しいという話を聞いている。
さとり様は敵意のない攻撃には弱いはず。自動で発動する仕掛けの連打。これがあたいらの導き出した結論だった。質より量だ。
「心の余裕をじわりじわりと削り取っていって,最終的にはキレさせる。これっきゃないよ」
「お燐,やろう」
顔を見合わせて頷く。点火したかんしゃく玉をひとつ,ふたつ,みっつよっついつつむっつななつやっつここのつとお! とおあまりひとつ,とおあまりふたつ!
――パパンパパパンパパパパンパパン!!
『ひゃあ! なに? なんですこれは!?』
ドア越しに聞こえてくる悲鳴を尻目に,あたいらは一目散に逃げ出した。笑い事じゃないはずなのに,死ぬほどおかしかった。大声で笑いたいのをこらえて,あたいとおくうは廊下を抜け,地霊殿のホールまで駆け下りていった。頭上を覆う岩盤が取り払われ,爽やかな風が吹き抜けてゆくような気分だった。
あたいらはホールでさとり様を待つ。キレたさとり様を確認しなきゃいけないし,やったことに対する謝罪もしなきゃいけない。それは怖いことだけど,ちょっとワクワクもしていた。上手く行けば久方ぶりに,さとり様の素の心を見ることができるはずだ。
「……楽しみだね,お燐」
「そうだね,おくう」
短いようで長い時間が経ち,やがて階段からぺたん,ぺたんという音がかすかに聞こえてきた。さとり様のスリッパの足音だ。
「……!!」
ホールに降りてきたさとり様の姿を見て,あたいらはびっくりした。たまたまホールにいた他のペット連中も絶句している。
何せ,さとり様は全身赤青黄の派手なカラーリングになっていて,髪の毛の先からは水滴がぽたりぽたりと垂れていて,片方のスリッパが脱げていたからだ。ついでにくしゃみもしている。
「……この,くしゅん! 愉快な悪戯を――はぁぁっくしゅん! しでかした子ふぁっくしゅん! 誰かしら?」
うわぁ……あたいらの仕掛けたトラップに全部引っ掛かってくれたみたいだ。律儀かよ。
「? ああ,そこにいるのはぁくちゅん! お燐と,おくうですか」
さてと,自白と謝罪の時間だ。あたいはおくうをチラリと見る。おくうは澄んだ眼差しをしていた。
「さとり様,実は――」
あたいが言いかけたとき,おくうが一歩前に進み出た。
「ヘイヘイヘイさとり様ァ! それ私たちがやったんだけど,めっちゃ笑える! ふふっ, ねぇ今どんな気持ち? どんな気持ち??」
!?!?!?
ちょ,ここで煽るのかよ!?
「……」
さとり様も押し黙った。ざわついていたホールも静まり返る。
どうやらあたいはおくうの本気を甘く見ていたようだ。さんざんやられた後に半笑いで煽られたら,菩薩様でも大魔神と化すだろう。下手したら,うちから叩き出されても文句は言えない。
思わず,ごくりと喉が鳴る。
さとり様は――
「……やれやれ,とんだ悪戯っ子ね。くしゅん!」
困ったように笑って,そう言った。キレることはなく,いつもどおりだった。
ここまでやっても怒らないなんて,生き仏か。
あたいとおくうは揃って膝を折った。この期に及んで,さとり様をキレさせることなんてできない。
そう観念したときだった。玄関の扉が開かれたのは。
振り向くと,何やら赤い人影が――。
「……こいし?」
さとり様の呟きに,思わず二度見する。よろめくような足取りで入ってきたのは,まぎれもなく,全身を真っ赤に染めたこいし様だった。
【其の伍 逆鱗】
ホールの中ほどまでやってきたこいし様は,力尽きたようにそこで崩れ落ちる。辺りに広がるのは,疑いようもなく濃密な血の臭い。全身の赤は,おふざけのペイント弾なんかじゃない。こいし様の身体から流れる血液の色だ。
「ッ! こいし……!」
さとり様が普段からは考えられないほどの速さで駆け寄り,こいし様の身体を抱きかかえる。
あたいは何がなんだかわからず,おくうを見る。おくうも呆然としたままだった。
「こい,こいし,いったい何が……」
「おねえ゛ちゃん,ゲホッゴホッ!」
「こいし!」
こいし様の口から鮮血が滴り落ちる。ホールの床,ステンドグラスを塗り潰すようにじわりじわりと広がってゆく血溜まり。
「わ,わたし……」
「無理にしゃべらないで。ああいや,何を考えているの。見えない,見えない……」
「地上で,さ,サトリだって,し……知られ,ゴホゴホッ! ちゃってゲホッ!」
明らかに致命傷だ。いくらなんでもあれじゃあ……。
「駄目よこいし,しゃべっては駄目。す,すぐ医者を」
「おねえ゛ぢゃんの,言った……とおり,だったの,かな……。地上に,行かなきゃよか,っだのか……なぁ……ごめん,なさ」
さとり様へ差し伸べられていた手が,力なく落ちる。
瞬間,空気が変わった。
「――誰なの?」
胸が苦しい。心に直接手をねじ込まれ,握り潰されるような圧迫感。ガラスが引っかかれるような酷く不快な響き。脂汗が浮かぶのを感じた。隣ではおくうもうめき声を上げている。
「あなたをそうしたのは誰? 大丈夫よ,お姉ちゃんがちゃんと話をつけてあげる。殺さないわ。殺さないから教えて?」
立ち昇るのは炎。冷たく凍えるような青い炎だ。おくうの纏う太陽神の輝きとは対極にあるような重く暗い熱。
妖怪としての存在ごと炙り融かされるような波動に,尻尾の先すら動かすことができない。
「ア,ゔ……」
こいし様の指先が震え,少し持ち上がった。その指先は何故かあたいを指して……いや。
招かれている?
脚の呪縛だけが解かれたように,あたいはこいし様へ近寄る。こいし様は,震える手で上着の下から折り畳まれた板切れのようなものを取り出し,手渡してきた。
あたいはそれを広げる。
そこには。
《ドッキリ大成功!》
「――は?」
相当間抜けな声が漏れたと思う。
さとり様の腕を逃れ,元気良くダブルピースをするこいし様。
「やったねお燐,おくう! お姉ちゃんガチギレ作戦,大成功っ! いぇい!」
時が止まった。
あたいには,世界がキシリと軋みを上げながら止まる音が,確かに聞こえた。
「こい,し……?」
すぐ近くから聞こえてくる,震え声。
そっちに目をやる勇気が出なくて,相棒のほうに目をそらした。いつも楽天的なおくうが絶望的な顔をしていた。見なきゃよかった。
「こ,ここ,ここっコココ」
「お姉ちゃん,ニワトリの真似? 上手だね~」
マジやべぇ。
「――こいしぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッッッ!!!」
さとり様の絶叫を聞いたのは,後にも先にもこの時くらいなものだったろう。
【其の陸 さとり様からのお説教タイム】
「――で,何のためにこんなことを……ふむふむ。そうですか,はぁ」
それから,さとり様とこいし様がお風呂に入っている間に,命じられたホールや廊下の片付けと掃除を済ませた。それから小リビングへと場所を移し,あたいらは仲良くそろってお説教タイムとなった。
言い訳を口で言う必要がないのが,せめてもの救いだった。あたいとおくうとこいし様は並んでソファーに座らされ,対面に座ったさとり様にじっとりと睨まれる。
「まったく,『さとり様のことを知りたいから怒らせたかった』? 本当にもう,あなた方は……」
「面白かったねぇ,お燐,おくう。ね?」
冗談じゃない。同意を求めないでほしい。
「ほほぅ,お燐,あなたは『正直,仕掛けてたときはめっちゃ面白かった』ですか。おくうも『いろいろできたし,さとり様のことも知れて良かった』ですか。……素晴らしい反省の具合ですね」
「ち,違っ! あたいはめちゃくちゃ反省してますっ! いやホント! なぁおくう?」
「ごめんなさい。全部お燐にそそのかされました」
「ちょ,てめぇぇぇぇ!?」
予想外の裏切りに思わず掴みかかる。
「あ痛っ!」
細いムチみたいなものでペシリと叩かれた。しょんぼり。
「……食事のお当番1ヶ月。お手洗いのお掃除当番1ヶ月。お風呂のお掃除当番1ヶ月。お庭のお手入れ当番1ヶ月。それで許します」
えっ? そんなんでいいんですか!? もっとこう,ムチでぶたれたり棍棒で殴られたり,なんかよくわからない棒を延々と回す作業をさせられたり,ないんですか?
思わずおくうと顔を見合わせる。
さとり様はため息をついた。
「あなたたちのしたことは大変良くないことです。が,私も執務にかまけてあなたたちとの触れ合いを疎かにしていたという反省がありますから。……こいしも,なるべく出歩かずにうちのことを手伝うように。わかった?」
「はぁい!」
「もう,返事だけは立派なんだから」
さとり様は渋い顔をしたけど,幾分か柔らかい声音となった。
「……さとり様,ごめんなさい」
おくうが頭を下げる。
「私たち,さとり様ともっと一緒に笑いたかったの。昔のように,ご飯も一緒に食べたかった。さとり様は怒らないけど,でもどこか寂しそうだった。だから,だから私は」
「おくう,顔を上げて。私はもう怒ってない――いや,これじゃ駄目ね。ちゃんと怒ったわ。怒ったから安心して」
それを聞いて,あたいは少し胸の奥がもやもやした。
さとり様がこいし様について本気で怒ったのは,さとり様がこいし様のことを大切に想っていたからだろう。なら,あたいとおくうがあれこれ怒らせようとしてダメだったのは,あたいたちがそこまで大切に想われてないってことなんだろうか。
「お燐,違いますよ。あのとき笑ったのは,むしろ逆です」
「逆?」
「だって,ふふっ,あなたたちのような子がいきなり悪戯を仕掛けてきて,しかも,ふふふっ,おくうの『ねぇ今どんな気持ち?』でしたか,あそこまでやられると心が読めなくたって何か裏があると思いますよ」
「あっ,そっか……」
「敢えて言うなら,私が落ち着いていられたのは,あなたたちを信頼していたから。これで安心したかしら?」
き,気恥ずかしい……。めっちゃ気を遣われてしまった。でも嬉しい。さとり様のペットで良かった。
「じゃあ,許したという証じゃありませんが,ここにいる皆でお茶会でもしましょうか。美味しいお茶請けも用意して」
「おおー,お姉ちゃん太っ腹!」
「いいですね!」
「やったぁ!」
さとり様の提案に,あたいらは三者三様の声を上げる。
「ふふ,喜んでくれて嬉しいわ。お茶によく合う特製のプリンをむっつばかり冷やしてあるの」
「わーい,わーい!」
「……えっ」
無邪気に喜ぶおくうの横で,あたいは猛烈にイヤな予感がしていた。
プリン。冷やしてある。特製の。
気づくと,さとり様の笑顔が怖い。
「お燐? ちょっと今,不穏な思考が読み取れたのだけど,見間違いかしらね?」
「あ,いえ,その……」
「へぇー,そうですか。たいそう背徳的な味で。しっかりした感触なのに,舌触りがとろふわっとしている。奇遇ですね。私の用意していたプリンの特長とそっくり」
「ひ,ひぇっ……」
「しかもおかわりまで」
あわわわわ。
「喜んでちょうだい,お燐,おくう。あなたたちは無事,私を怒らせることに成功したんだから」
――その後,各種お当番の期間が倍に増えたのは,語るまでもないことだろう。
【其の漆 その後の話】
さとり様のお説教地獄(わりとガチめのやつ)から解放され,あたいらはようやく小リビングから退出した。
廊下を歩きながら,気になっていたことをこいし様に聞く。
「そういや,いつからだったんです? あたいらの計画に参加しようと思ったのは」
「え,最初からだけど?」
「最初から!? そんな,どうして」
「どうしてって,ほら,『ユニット名つけたら?』って勧めたのも私だし」
な,なんだってー!?
「街を歩いてるときは,通りすがりのひとにぶつかっちゃったっけ。悪いことしたな」
そういや,殴り合いを始めた奴らがいたけど……。
「食堂でも隣に座ってたじゃん」
「そうだ,お燐の隣も席,空いてたよね」
おくうの指摘に,思い出す。確かに……!
「お姉ちゃんのプリンも美味しかったなぁ」
さとり様はなんて言ってたっけ? 『特製のプリンをむっつばかり冷やしてある』だったか。あたいとおくうが食べたのはふたつずつで,合わせてよっつ。つまり……。
「あああああああああっ!」
マジかぁ。最初からいたなんて。
「お燐とおくうのやり方だと,お姉ちゃんブチ切れさせるまでいかないかなと思ったから,手伝おうと思ったんだ。本物の血とか用意するの大変だったな」
ご協力に感謝。マジギレしたさとり様は,めちゃくちゃおっかなかった。
「でも,お姉ちゃんったらおかしいんだよ。いつもは『地上へ行くなー』って叱るのに,私が『やっぱり地上に出なきゃよかった』って謝った途端,空気が変わるんだもん。ふっしぎだよねー」
「……」
「……」
ケラケラと笑うこいし様に,あたいとおくうはそっと無言でお互いの顔を見た。
こいし様と別れ,あたいらはようやく部屋に戻ってくる。
ベッドに身を投げ出す。うわ,おくうの羽根が口に入った。ちくしょう。
「ふー,やれやれ。長い1日だったわ」
「明日から当分お当番生活だね。忘れないようにしなきゃ」
おくうが気合を入れる。これからはさとり様もときどき一緒にご飯を食べてくれる,って約束がよっぽど嬉しかったらしい。
「まあ,さとり様を怒らせちゃいけないってことがわかっただけでも収穫だよ。気の毒に,巻き添え食ったホールの連中,可哀想なくらいビビってたじゃないか」
「噂になっちゃうかもね」
苦笑いをする。元はと言えばおくうの言い出した計画にあたいが乗っただけなのに,ずいぶんな大騒ぎになりかけたものだ。
「ねぇ,お燐。同じところで暮らしていても,わかんないことってたくさんあるよね」
しんみりした口調でおくうが言うもんだから,あたいも「そうだねぇ」と返す。
「おくう,乾杯しよっか」
部屋に置いてあるグラスをふたつ取り上げ,ベッド下の酒瓶を引っ張り出して酒を注ぐ。
「いいけど,何に?」
「決まってる。『さとり様をキレさせ隊』の無事解散を祝ってだ」
「なるほど,間違いない」
若干1名ほど隊員が足りないが,まあいいだろう。
あたいとおくうはグラスを合わせる。
澄んだ音色が地底の夜に溶けていった。
―― 了 ――
登場人物の言葉遣いがキレッキレでこれまたセンスを感じさせる。いいもの読ませていただきました
後半ガンガン伏線回収していくところ、すごいなあとビックリしました。
そして伏線の投げ方がうまい!
最後になって「ああ!なるほど確かに!」ってなりました
面白かったです。
こんな感じで欲望というか気の向くままというのが、妖怪らしいのだと思います。
面白かったです。
それぞれのキャラに個性があってとてもよかったです
純真と見せかけてちょっとしたことで焼こうとするお空に笑いました