食事の時間が終了してからしばらく経った、昼一番目の講義の時間。たまたま空きコマが重なっていたために、二人は人もまばらになってきた食堂のテーブルで向かい合っていた。
プラスチックのカップに入った安っぽいコーヒーに口を付けながら旅行雑誌に目を通していた蓮子は、向かいに居る少女が先程から同じ問題に頭を悩ませているのを見て声をかける。
「どうしても解が出ない時は、一度問題から離れてみるのも手よ? その間、無意識が思考を続けてくれるから」
「……良い人なのね、無意識は」
「それは……どうかしらね」
顔を上げ自分の方に向き合ったメリーの素っ頓狂な答えに、蓮子は面食らう。一方メリーは気にせず問を重ねた。
「じゃあ悪い人なの?」
「……想定外のマルチタスクで脳を傷つけたりもするから、悪い側面もあるとは思うけれど」
「へぇ。いったい何者なのかしらね、無意識って」
まだ続くのかこの話は、と蓮子は思う。話の入りが突拍子もないだけに、ロジカルな展開が期待できそうもない。蓮子の脳はその話題に興味を示さなかった。
とはいえ、最初に答えた時点で乗りかかった船。加えて、正体不明と相対して、謎を謎のまま逃したとなれば秘封倶楽部の名折れだろう。
「単純に考えれば『脳の一部分』ということになるんでしょうけど……それじゃあ答えにならないわよね」
「ええ。こころが脳にあると言って終わるくらいナンセンスだわ」
そう言ってメリーが浮かべた悪戯げな笑みに、蓮子は頭をかいた。
「自分でも認識できないもう一人の自分……、は潜在意識の方よね。もっと自分とは別のところにある、だけど自分のことをよく知る何者か、になるのかしら」
ずいぶん曖昧なことを言っている、と彼女は自覚していた。それでもメリーは何か腑に落ちたように告げる。
「自分とは離れた存在だけれど、こちらのことはよく知っている、なんて不思議な存在ね。考えを見透かす力でも持っているみたい」
「いえ、それは違うと思うわ」
蓮子は否定し、続ける。
「私達が問題に行き詰まるのは、そこに辿り着くまでの過程から先入観を得ているからよ。逆に言えば、その問題を解決できる無意識は先入観を持っていない、つまり私達の知識だけを参照しているのよ」
「意味記憶は見透かせても、エピソード記憶は見透かせない……心は理解できない、ってことかしら」
「おそらくね。とは言っても、その意味記憶も共有しているだけで、それが誰の記憶だとか、見透かしているだとかの意識は『無意識』にはないでしょうけれど」
そう答えてみて蓮子は、自分が思いの外『無意識』への思考にのめり込んでいたことに気づき、苦笑した。
「だけど、一体いつから無意識なんて意識するようになったのかしら」
手に持っていた雑誌はテーブルの上に畳んで、蓮子はコーヒーに口を付けた。程よい苦味が脳を刺激する。
「小さい頃は目の前のことに精一杯で、それ以外のことなんて気にする余裕はなかったものね」
メリーがくすくすと笑うのに対し、蓮子は肩をすくめた。
「本当にね。そうなれば、無意識が現れるのは『目の前のことだけに集中していられなくなった時』になるのかしら」
「ある意味では、逆なのかもしれないわよ」
「逆?」
蓮子が首をかしげると、メリーは懐かしむように目を細めて答えた。
「目の前のことだけに集中していられた時期、その頃は、今私達が『無意識』と呼ぶそれを『意識』できていたのかもしれないでしょう?」
「確かめようにも、そのことを子どもたちに伝えた時点で、彼らの中に『無意識』の意識が生まれてしまうために確かめられない――面白い考えね」
議論を交わす度、一層なぞめいていく『無意識』の存在に蓮子は口元を歪めた。
「目の前のことだけに集中できる、幼い頃にだけ認識できる――」
メリーはぼんやりと宙を眺め、整理するようにつぶやいていく。
「知識としての記憶は理解できても、心は理解できない、良い面と悪い面を併せ持つ存在……」
結局よくわからない存在だ、と蓮子は苦笑する。
「あ」
依然として中空を眺めていたメリーが、栓を抜いたようにそう漏らしたので、なにか閃いたのかと蓮子が身構えると、メリーはペンを手に取った。そしてすらすらと書きあげた後、顔を上げる。
「無意識がやってくれたわ」
言って嬉しそうにメリーは笑った。
興味深いお話でした。
会話の展開に驚きがあり、また納得もあって二人の一般イメージみたいにもなってる独特の空気感が出てて最高でした
なるほどこいしちゃんですね
無意識があるとき、そこにこいしちゃんもいるのでしょう
ちゃんと問題から離れている間に考えてくれてたんだね!!