床に脱ぎ散らされた衣類に埋もれて天井の木目と見つめ合う。口から出るのはため息ばかりだった。
「はぁ…」
もう家にこもり始めて何ヶ月だろうか。
壁にかかった天狗装束に最後に袖を通してから、すでに季節が何巡かしていた。
巡っていく季節の遠心力を感じる。私は社会の外側にどんどん吸い寄せられているのだ。というか、もう外側にいるのかもしれない。
駄目だ駄目だ。気分が傾いている。まったく引きこもりも二回目だというのに慣れないものだ。
爽やかな朝とか、そういう必要なものが欠落してしまっている。
そう活力。活力があれば全て解決する。部屋から出れるし新聞は書き上がる。筆を動かすなんて全然労働量としては大したことじゃないんだから。
永琳センセイはやさしい目で言ったじゃない。「活力は良質な睡眠により養われるの」
瓶から取り出した胡蝶丸薬の錠剤は、私の手の上で蛍光灯に照らされていた。
水なし一錠、優しさが詰まっている。
こうして私はうじゃうじゃとした暗黒の海に沈んでいった。
◆
天狗というのは、人間と違ってものを食べなくてもどうにでもなるし毎日酒でも飲んで適当に暮らせば良いのだが、たいていの天狗は何らかの社会的活動をする。もちろん秩序を守るための組織めいたものもあるし、序列みたいなものが有ったりするのだが、平時はたいがい適当だ。
若い烏天狗なんぞはだいたい趣味倶楽部のようなものに入って服を縫ってみたり、将棋を指してみたりしながら恋愛や友情にうつつを抜かすのが普通である。
しかし私には少々荷が重い仕事だった。
もともと話したり、仲間と集まったり、そういうことは嫌いではない。しかし、気の合うはずの人々と集まってもなぜだか孤独でもうどうしようもない気持ちになる。
そこで私は孤独な文化的活動に勤しむことにした。
執筆である。
まだ若く、元気だった私「新聞書くって、たのしい!!」
◆
頭の奥がひりひりする。眠りが浅かったのかもしれない。
「っう、あ、あああ」
発声は可能、生きている。
「私は、は、た、て…」
自分の名前というのは不思議な呪文で、否応なしに夢と現を線引し、胡蝶丸薬の夢から素早く復帰するのに役立つ。
その時、玄関の扉がバンと開け放たれて、シメキリカラス(通称射命丸文)の鳴き声が部屋に響いた。
「ちょっとはたて!原稿はまだなの!?」
「もうちょっと…」
「先週はなんて言ったっけ」
「……もうちょっと」
「っはあーーーーーー」
執筆は最高の現実逃避だ。
しかし今では執筆が逃れるべき現実だった。
「あのね、慈善事業でやってるわけではないのよ」
「すみませんえん」
私はすごい、こんなにもどうしよもなくても生きてるから。
「だいたいねえ、引き篭もりから脱する第一歩にしたいって言うから記事のスペース取ったのに一文字も進んでないってどういうこと?取材すらしてないでしょう」
「仰せの通りでございます」
「まったく、いつまでも昔のこと引きずるなっての」
それを言われると弱い。
とにかく今の幻想郷は退屈で、念写しても一向に外に出ようと思えないのだ。
そんなことを考えて引きこもっているうちに外に出るのが怖くなってしまったのだが。
「うっ文だってそうじゃない」
「そこまでじゃないわ!」
「ごめん」
ここのとこ眉間にシワが寄ってる文だって、昔の賑やかだった幻想郷の話をするときは笑顔になることを私は知っている。
「ねえ、書くことがないのよ。最近全然映らないんだけど、弾幕ごっこって今どこでやってるの?」
「……あんた、そんな状態で新聞書こうとしてたわけ?今どき弾幕ごっこなんて祭りでちょろっとやるだけよ」
「やまない雨はないなんて言うけど、終わらぬ晴れもないのねえ」
しみじみと、あの異常な空間はハレだったのだなと思う。
今の巫女もパパラッチ撃退弾幕を打ってくれるだろうか。
「そうだ、文々。新聞のバックナンバー見せてよ。なんか浮かぶかも」
「念写で勝手に見なさいよ」
「えー、それじゃあ写真しか見れないじゃん」
「まあどうしてもってなら今度持ってくるけど」
「よろぴく!」
「じゃ、明日こそ書き上げるのよ。無理だったら携帯折るから」
「書くのって遺書でもいい?」
「ご自由に」
文は天狗じゃない。鬼である。
「うわー懐かしい」
紙束を捲るたび、光の嵐と、様々な表情の少女たちが流れていく。
というか、半分以上の少女がカメラに向かってキレている。
これらの写真と、新聞屋の扱いが最悪であることは無関係ではないだろう。
文のでたらめな記事に憤った過去の私は、こいつのような取材方法はしないと決めていたが、結果的にとった行動は同じもので、とにかく喧嘩をふっかけては弾幕を撮影していた。
それができたのは、命名決闘が流行ってたからだし、皆がずいぶん放歌的だったというのもある。
「あーあ、この頃は楽しかったなあ」
「いま同じことやったら御用だものねえ」
法の光は秩序となって幻想郷を照らし、勢力の隆盛を均一にならした。
平和なことは一番であるが、少しだけ退屈である。
「そうだ!昔の霊夢たちとの思い出を記事にすればいいじゃない!」
「ああ、はたてにしては名案かも」
「よせやい」
「褒めてないわよ」
文にペチンと頭をはたかれた。新聞の上に帽子が転がる。
帽子の横には笑顔の博霊霊夢がおおぬさで名もなき妖怪をしばき倒している恐ろしい写真が一面で載っていて、懐かしさに思わず笑みがこぼれた。
私は直接そこまでの関わり合いを持たなかったけど、楽しい時代の象徴として、彼女のことはよく覚えている。
「ねえ、私達って、残りの時間をこうやって昔の暖かな記憶を反芻して生きるのかな」
「あんただけよ」
「かなしいわー」
文は仲間じゃないらしい。
そうなると、懐古主義者はひとりぼっちになってしまう。
「よし!昔のことを書くのはやっぱやめ!」
「ふうん、ま、あなたも外に出ることね。知らない間に晴れているかもよ」
「かっこつけちゃって」
「うるさい」
帽子をかぶり直して、玄関を踏み越えると、立て付けの悪い扉を開け放った。
「よっと」
久方ぶりに翼を広げ一振りしてみると、翼の下を風の渦が流れて、私の体を少しだけゆすった。
「風が重いわねえ」
満点の青空の下には変わり映えのしない日々があるけど、それは私の色あせた瞳で
「盛り上がってるとこ悪いけど、記事を書き上げなさいよ」
「あ゛」
「はぁ…」
もう家にこもり始めて何ヶ月だろうか。
壁にかかった天狗装束に最後に袖を通してから、すでに季節が何巡かしていた。
巡っていく季節の遠心力を感じる。私は社会の外側にどんどん吸い寄せられているのだ。というか、もう外側にいるのかもしれない。
駄目だ駄目だ。気分が傾いている。まったく引きこもりも二回目だというのに慣れないものだ。
爽やかな朝とか、そういう必要なものが欠落してしまっている。
そう活力。活力があれば全て解決する。部屋から出れるし新聞は書き上がる。筆を動かすなんて全然労働量としては大したことじゃないんだから。
永琳センセイはやさしい目で言ったじゃない。「活力は良質な睡眠により養われるの」
瓶から取り出した胡蝶丸薬の錠剤は、私の手の上で蛍光灯に照らされていた。
水なし一錠、優しさが詰まっている。
こうして私はうじゃうじゃとした暗黒の海に沈んでいった。
◆
天狗というのは、人間と違ってものを食べなくてもどうにでもなるし毎日酒でも飲んで適当に暮らせば良いのだが、たいていの天狗は何らかの社会的活動をする。もちろん秩序を守るための組織めいたものもあるし、序列みたいなものが有ったりするのだが、平時はたいがい適当だ。
若い烏天狗なんぞはだいたい趣味倶楽部のようなものに入って服を縫ってみたり、将棋を指してみたりしながら恋愛や友情にうつつを抜かすのが普通である。
しかし私には少々荷が重い仕事だった。
もともと話したり、仲間と集まったり、そういうことは嫌いではない。しかし、気の合うはずの人々と集まってもなぜだか孤独でもうどうしようもない気持ちになる。
そこで私は孤独な文化的活動に勤しむことにした。
執筆である。
まだ若く、元気だった私「新聞書くって、たのしい!!」
◆
頭の奥がひりひりする。眠りが浅かったのかもしれない。
「っう、あ、あああ」
発声は可能、生きている。
「私は、は、た、て…」
自分の名前というのは不思議な呪文で、否応なしに夢と現を線引し、胡蝶丸薬の夢から素早く復帰するのに役立つ。
その時、玄関の扉がバンと開け放たれて、シメキリカラス(通称射命丸文)の鳴き声が部屋に響いた。
「ちょっとはたて!原稿はまだなの!?」
「もうちょっと…」
「先週はなんて言ったっけ」
「……もうちょっと」
「っはあーーーーーー」
執筆は最高の現実逃避だ。
しかし今では執筆が逃れるべき現実だった。
「あのね、慈善事業でやってるわけではないのよ」
「すみませんえん」
私はすごい、こんなにもどうしよもなくても生きてるから。
「だいたいねえ、引き篭もりから脱する第一歩にしたいって言うから記事のスペース取ったのに一文字も進んでないってどういうこと?取材すらしてないでしょう」
「仰せの通りでございます」
「まったく、いつまでも昔のこと引きずるなっての」
それを言われると弱い。
とにかく今の幻想郷は退屈で、念写しても一向に外に出ようと思えないのだ。
そんなことを考えて引きこもっているうちに外に出るのが怖くなってしまったのだが。
「うっ文だってそうじゃない」
「そこまでじゃないわ!」
「ごめん」
ここのとこ眉間にシワが寄ってる文だって、昔の賑やかだった幻想郷の話をするときは笑顔になることを私は知っている。
「ねえ、書くことがないのよ。最近全然映らないんだけど、弾幕ごっこって今どこでやってるの?」
「……あんた、そんな状態で新聞書こうとしてたわけ?今どき弾幕ごっこなんて祭りでちょろっとやるだけよ」
「やまない雨はないなんて言うけど、終わらぬ晴れもないのねえ」
しみじみと、あの異常な空間はハレだったのだなと思う。
今の巫女もパパラッチ撃退弾幕を打ってくれるだろうか。
「そうだ、文々。新聞のバックナンバー見せてよ。なんか浮かぶかも」
「念写で勝手に見なさいよ」
「えー、それじゃあ写真しか見れないじゃん」
「まあどうしてもってなら今度持ってくるけど」
「よろぴく!」
「じゃ、明日こそ書き上げるのよ。無理だったら携帯折るから」
「書くのって遺書でもいい?」
「ご自由に」
文は天狗じゃない。鬼である。
「うわー懐かしい」
紙束を捲るたび、光の嵐と、様々な表情の少女たちが流れていく。
というか、半分以上の少女がカメラに向かってキレている。
これらの写真と、新聞屋の扱いが最悪であることは無関係ではないだろう。
文のでたらめな記事に憤った過去の私は、こいつのような取材方法はしないと決めていたが、結果的にとった行動は同じもので、とにかく喧嘩をふっかけては弾幕を撮影していた。
それができたのは、命名決闘が流行ってたからだし、皆がずいぶん放歌的だったというのもある。
「あーあ、この頃は楽しかったなあ」
「いま同じことやったら御用だものねえ」
法の光は秩序となって幻想郷を照らし、勢力の隆盛を均一にならした。
平和なことは一番であるが、少しだけ退屈である。
「そうだ!昔の霊夢たちとの思い出を記事にすればいいじゃない!」
「ああ、はたてにしては名案かも」
「よせやい」
「褒めてないわよ」
文にペチンと頭をはたかれた。新聞の上に帽子が転がる。
帽子の横には笑顔の博霊霊夢がおおぬさで名もなき妖怪をしばき倒している恐ろしい写真が一面で載っていて、懐かしさに思わず笑みがこぼれた。
私は直接そこまでの関わり合いを持たなかったけど、楽しい時代の象徴として、彼女のことはよく覚えている。
「ねえ、私達って、残りの時間をこうやって昔の暖かな記憶を反芻して生きるのかな」
「あんただけよ」
「かなしいわー」
文は仲間じゃないらしい。
そうなると、懐古主義者はひとりぼっちになってしまう。
「よし!昔のことを書くのはやっぱやめ!」
「ふうん、ま、あなたも外に出ることね。知らない間に晴れているかもよ」
「かっこつけちゃって」
「うるさい」
帽子をかぶり直して、玄関を踏み越えると、立て付けの悪い扉を開け放った。
「よっと」
久方ぶりに翼を広げ一振りしてみると、翼の下を風の渦が流れて、私の体を少しだけゆすった。
「風が重いわねえ」
満点の青空の下には変わり映えのしない日々があるけど、それは私の色あせた瞳で
「盛り上がってるとこ悪いけど、記事を書き上げなさいよ」
「あ゛」
このセリフに全てが表れている気がします。
たいへん面白かったです。
懐かしくても生きてかなきゃダメですし、それでも楽しく生きられたのならいいと思います。
はたてさん頑張って記事書いて!
所々の表現がいいですね
思考の動き方に納得感が特に集中しました。
ブレない感じがすきです。
幻想郷がどう変わってしまったのか取材を通して見てみたかったです
ダウナーな空気が良かったです