Coolier - 新生・東方創想話

ベテルギウスの死んだ日

2019/03/28 14:08:48
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 それ自体が僻地である地底の中でも、さらにその外れに位置する忘れ去られた地底湖にじっと身を浸しているあいだだけ、私は夢を見ることができる。とはいえ、それは目を閉じた者が抱く視覚に類するイメージという意味にすぎないので、あくまでも比喩の域を出ない。だけど、そうした視界は闇でなければたいてい内部に対象を持つ過去の複製であるのだから、もし本当に睡眠が記憶の整理だと言うのなら、一周してあれもこれもすべて字義通りの夢なのではないかと思う。夢の字義って何? 獏に聞けば、これが夢ですよと事もなげに教えてくれるだろう。本当はおかしなことだけど、それは私が私は私ですって言うときに他者が覚える奇妙さと同じことだ。私たちは根本的に直示不可能なのだ。

 でももうそんなことはどうでもよくて、とにかくきっと確かなのは、いま見ているものはほとんど私の過去に似ているということ。きっと、と言うのは、覚えているという言葉をまだちゃんと理解できないから。思い出すは分かる。それは瞬間的な感覚で、今がそうだから。けれども、覚えているという継続的な状態の証明は? 記憶を書物に喩える生き物は、きまぐれな図書館の存在を信じている。頭の中とかに。そして記憶の明滅はあくまでも書物の現前の特性であって、図書館についてはそうではないと信じる。現実的なそれらがそうであるように……。私たちは概念を、しばしば比喩の連鎖によってしか辿り着けないところに見つけるが、そうした到達は此岸と彼岸をたやすく曖昧にする。自己と他者のように。意識と無意識のように。一瞬の内に消えてしまいそうなあの大図書館を知っているはずの者たちすらそうだった。あるいはその主こそ最も頑なな信仰の持ち主なのかもしれない。

 だけど、ひとまず私はそれらを夢と、過去と、記憶といった名で呼ぶことにしたいと思う。疑いはじめると、考えない私には何一つ確かなものは無くなってしまうから。ただ、実のところは、思考を持つ彼らの多くもそうしているのだろう。もちろん無意識の内に。

 針のように冷たい水が肩と肘に傷口を引き直したので、私は右腕を失ったときの痛みを思い出した。右腕は――彼女たちは――双子で、私たちは彼女たちと双子だった。先天的に自他の境界が曖昧な私たちはいわば冪乗の双子たちで、そうして私たちはあらゆる生物の双子でありつづけた。それはつまりあなたがいま思っていることと同じことを私も思っているよ、という双子にありがちなシンクロニシティの話でしかなかったのだけれども、いつの間にかすり替わって、私たちは何でもお見通しのサトリ妖怪という名前を受けたのだった……と思う。

 彼女たちの、右腕という名前も同じ事情に由来する。あるいはこの系列の延長上に。私たちは一個の群体としてサトリという個体名に統握されたので、最小の双子がそれぞれ人体の各部位に類比的な名前を持つようになるという事態には一応の道理があった。もちろんそれは初めは形式的な遊びで、せいぜい私たちの紐帯を再認させるための記号にすぎないはずだった。だが、すぐに形式と実質の区別は付かなくなった。たとえば右腕はひときわ器用で、群体内の釣り合いを取るのが上手かった。

 この名実の一致について例外的なのはおそらく私だけだと思う。というのも、私たちはサトリの両目として認められていたのだけれども、それはお姉ちゃんがあまりに右目にふさわしかったからという話でしかなかったから。右目一つですべてを見通すことができるなら、左目なんて無くても分からないよね。誰にも、私自身にも。結局私は、皆と同じように本当に左目になることができたのだろうか。こういうことを思えるようになったのはたぶん最近の話だ。

 かつて私は、私たちは、無敵だった。他者の感情や欲望を知悉する私たちにとっては奪うことも与えることも自在だ。人間の恐怖や驚きの欠乏に困ることは無かったし、希望と信仰を集めて神様の真似事をしてみたこともある。だから他者にとって私たちの姿は果たしてどう現れていたのか、はっきりとしたことは分からないけれども、どちらにしても畏れの対象であったことはきっと確かで、私自身は一部にすぎないのになんとなく巨大なものであると錯覚していた。いま、目を閉じたまま掌を滑らせて、私の倹しい体躯の末端、湖のみにさらけ出された傷跡の先を辿ってみる。あの、水に似て深く澄んだ緑の嫉妬心も、雑然としてなお皓皓たる街道の喧騒も、ここでは一様に遠く幻肢のわずかな輪郭を浮き立たせるのみです。

 誰も知らない地底湖の底には遠い昔に鎮められた死霊たちの亡骸があると言います。それは幼い子供たちの蛮勇を咎めるありきたりの柵などではない事実であって、なぜなら彼らはかつて私たちだったもので、いま私が見ている夢というのも、彼らの、私たちの記憶にすぎないから。ここは私の夢枕で、彼らの墓標でした。

 思えば人体の模倣であるという点で私たちは最初から万能であるはずがなかったのだ。お姉ちゃんは私たちの誰よりも優秀だったが、どこまでいっても右目でしかない以上、そこには避けがたい死角が存在していた。もし私が完全な左目だったらそれを補うことができただろうか? 後におそらく偶然や無意識という名に取って代わられただろう、あの致命的な死角を。

 偶然は実のところ、全体に占める割合を鑑みれば微々たる欠損しかもたらさなかったのだが、私たちはひどく動揺した。私たちには一と多の区別が無かった。彼女の感じた痛みを私たちのそれぞれは感じ、苦しみ、またそれを感じ……。素早い反省に理性が追いつく頃には、私たちはすっかり零落しはじめていた。

 私たちは徐々に四肢を、五臓を、六腑を失っていき、赤子のように這って歩くようになった……なったつもりだった。私たちの零落は内的な零落だった。傍から見れば、きっとどうということはなかっただろうに。

 落ちぶれた私たちを畏れてくれるのは並外れた臆病者か異端の信徒だけだ。目玉の化け物、と前者は声を上げて逃げた。私たちは彼のささやかな恐怖を分け合いながら久しぶりに笑った。多くの双子を失ったいま、お姉ちゃんを中心としてなんとか存続している私たちは確かに目玉の化け物だったのかもしれない。お姉ちゃんは言った。私たちは、個々としてサトリに戻らなければなりません。このままでは全体として死ぬだけですが、局所的になら、私たちはまだ昔のように生きていくことができます。幸いにも私たちには恐怖の象徴が残されているようですから。お姉ちゃんは自身を指した。振る舞いは冗談を装っていたけれども、それは儀礼的なものにすぎない。特に、私たちにとっては。そうして、私たちは解散した。私たちの内の誰かが、つまり皆が同時に悟ったからだ。サトリの半身はもはや彼女にとって手に余る係累でしかないということに。さとり、と誰かが最後にお姉ちゃんのことを呼んだ。

 ややあってお姉ちゃんと私は地底に移り住むことになった。ほとんど幻想に近づきつつあった私たちの恐怖の残滓を最大限に利用して、あるいは利用されて、とにかく住処と仕事を得たのだ。

 地理的な解散の次には、精神的なそれを経験することになる。少なくともふとしたきっかけで無限に思考が反射するあの意識の曖昧な拡張を感じることは無くなった。お姉ちゃんはよく家を空けていて(それが私の生活のためだと分かってはいたけれども)、たまに一緒にいられるときでもやっぱりあの双子たちの思考の膨大な総量を思い出すとどうしても私というものの空洞がいやに広がってしまったような気がしてならなかった。お姉ちゃんはそうした私の気持ちを知ればとにかく何でも不器用に話しはじめて、すると私もそれを真似した。そんな一連をたびたび繰り返しては互いに気まずい饒舌の応酬をしていた。

 新しい住居になった屋敷の近くには先住の猫がいて、一人のときの話し相手はもっぱら彼女だった。本当は人型になることもできるらしいけれども、私たちとは猫の姿のまま会話できるから楽だと言っていた。私も猫になれたらそんなふうに思ったりするのだろうか。私には私の姿しかないから、なんというか生活の中に隠されていた楽しみを見つけた途端に勝手に取り上げられたような気がして、彼女を少し羨ましく思った。彼女は死体を運ぶのが得意で、私はしばらくして死体を捏ねるのが得意になった。それはお姉ちゃんに任された役目だった。わずかに残された双子たちの亡骸と新鮮な死体たちから、使える部位を選り分けては捏ねて胚と管を作るという……。それがやがて恐怖の象徴になるらしい。本当なのだろうか。死そのものが恐ろしいという気持ちは今までさんざん見てきたから分かっているつもりだけれども、こんなふうに整えられたつぎはぎの死体の成れの果てを怖がる人なんているのかな。お姉ちゃんの行為は傍から見れば、ただ妹に悪い趣味を覚えさせているだけにしか見えないんじゃないかと思う。

 胚にまた一つ管を繋げる。胚は、初めこそ淡い粘土細工に似た頼りなさ、血と肉の入り混じり、たやすくほどけてしまいそうな、球の完全性のなりそこないでしかなかったけれども、次第に組織同士が馴染んできたのか、内に固い核の触感を覚えるほどに成長していた。そうした様子を確かめながら管の先端のもう片方を私の身体に繋げる。一人って面倒だなあと思った。猫の手はこういうときまったく役に立たない。延命治療みたいですね、と彼女が言った。「何それ?」と私は尋ねる。外の人間が死ぬ前にやること? 自分から言い出しておいて彼女はなぜか疑問形だ。生きている人間の話になると彼女の語り口はだいたい判然としなかった。「ふうん」と返事をして、それから「まだ死ぬのはやだな」と私は管をようやく繋ぎ終える。

 完成した胚はいずれ眼になるのだとお姉ちゃんは言った。これも、本当なのだろうかと私は思っていた。胚の、きっと目蓋になるだろう組織のあいだのわずかな断裂に指を添えてみては何度も懐疑の反芻をしていた。お姉ちゃんの言葉への、ではない。懐疑は私の能力に対するものだ。だが、それは杞憂だった。長い眠りの後に、胚は無事に目覚めた。試しに猫へ視線を投げてみる。彼女はすぐに目を背けた。

「ちゃんと怖がってる?」

 怖くないですよ、と彼女は一鳴きする。

「じゃあ失敗なのかな」

 知らない人が見ないと意味無くないですか。私はそれが眼になる前から知っていますから、いまさら怖いも何もありません。

「それもそうだ」

 私は久しぶりに外へ出た。街道の賑わいに近づくにつれて、あの懐かしい全体的な海への接続が蘇ってくる。無敵だった日々に似た、しかしどこか決定的に異なる感覚が……。おそらく、それは構成要素の多くが私という個体、あるいは異形の眼に向けられた忌避だったからだろう。一人になるってこういうことなのかな。そんな感傷を覚えるには実際あまりに遅すぎた気がするけれども、それは相対的なものなのだからむしろ理に適っていると言える気もする。ちょっと気分が良かった。恐れられること自体は特に好きじゃない(一人でいると恐れられているのか恐れているのか分からなくなるから)けれども、お姉ちゃんの予言の的中や、単に外歩きの新鮮さなどに対しての万能感の再興があった。いまが思い通りになっていて、これからも思い通りになるだろうという、既に根拠の無さを知っているのに抗いがたい錯覚。私の歩みは地底のもう一つの重力になっていた。析出された塩の船、恐怖の月。遠巻きにさざめき立つ波が意識の海の版図を広げてゆく様を私はずっと眺めていて、それからはたまに散歩をするようになった。

 でも、潮汐の法則の終わりはあっけないものだった。月にとって地球が引力を持つ他者であるように、私にとっては地底そのものがそうであるということに私はいまさら気付いたのだった。より重要な事実は、前者と後者では事情が異なるということで、つまり、地底は拡大していた。もちろん意識という意味において。

 波はおそらくあるところで一定の限界に差し当たっていて、以降の時間は波の反射を待つ束の間の平和にすぎなかったのだろうと思う。第三の眼を持つサトリ妖怪の存在は忌避の対象として皆に伝わっていて、そうした伝言ゲームの終端にあの双子が存在していた。双子は私の方へ駆けてきて言った。「君は左目、で合っていたかな」私は驚いて上手く答えを言葉にできなかったけれども、反射が代わりに答えた。「右腕」と。彼女たちは私たちよりずっとひどくやつれて小さく見えた。

 右腕たちはいっぺんに話した。「私たちもここへ行き着いたんだ。個々としての私たちは脆い人間の子供に等しくて、まるで生まれ直したみたいに肉体は不全だったけれども、幸いにも働き口に困ることは無かった。ちょうどここは街並みの復興の時期だったから」

 彼女たちの話を聞いて、私は素直に良かった、と思った。それから「また私たちで一緒に暮らそうよ」と彼女たちを誘った。すると今度は彼女たちが答えに詰まる番になった、思考においても。ややあって「知っているよ、あのお屋敷に住んでいるんだろう」と彼女たちは答えた。

「君や君の姉については今までよく聞いていたから。その……眼のせいで」

 私の第三の眼を窺って、すぐに目をそらす。そうした視線や言葉のぎこちなさをごまかすようにして、彼女たちは一息に言った。

「君に会うまで果たして言うべきか悩んでいたんだけど、その眼を君の姉が作らせたのなら、私たちはもう、やっぱり君の姉を双子とは思えない。おぞましい延命だ、それは――君の姉は、君を不幸にする。これはあの日からずっと考えてきて、いま、ようやく確信できたことだ」

 彼女たちの片方が袋を取り出して、私に握らせた。固い感触がする。そこに彼女たちの手がさらに重ねられ、強く握られた。

「今まで貯めてきた日当だ。銀貨三十枚。三人で生きていく希望としては悪くはないと思う。偶然だけど、きっと符合なんだと思う。偶然だからこそ……」と彼女たちは私の答えも聞かずに歩き出した。屋敷の方角に背を向けて。

 手を引かれながらも私はしっかりと目を開けて歩いた。まだ事態を上手く理解できない。さらけ出された感情はとうに私の内側に溶け込んでいるはずなのに、彼女たちの言語は久しく見ない内にもう根本的に異なってしまったような気がして、翻訳への不信がたえず解釈につきまとってくる。でも、どちらにしたって、私はお姉ちゃんを嫌いにはなれないということにきっと変わりは無いのだろう。

 歩を進めるごとに、お姉ちゃんから離れるごとに、私の振る舞いが彼女たちにとって従順な見かけを帯びてくるごとに、彼女たちはお姉ちゃんへの憤りを隠さなくなっていった。もちろん、決して口には出さないのだが。そうした悪態の一つ一つを感じるたびに、ああ、彼女たちはもう私たちの双子ではないんだという諦めと、こんなにも伝わるのだから私たちはまた私たちになれるんだよという祈りが、私の既にちっぽけな意識の海をたゆたいさまよってはかき混ぜて、いっそ懐かしいとすら言えるあの無際限の空洞をもたらしては私の眼を内から外へ締め付けつづける。

 そうしていくつもの鍾乳石の洞窟をくぐり抜けて、私たちはついにこの湖に辿り着くことになった。そこでまず感じたのは驚きだった。私のではなく右腕の。どうしてこんな所へわれわれは来たのだろう、と彼女たちは困惑している。こんな場所のことなど誰も予め知らなかったはずなので、それは当然の反応だった。だけど私が驚いたのはその後で、感情の群がりが私の内側にいっぺんに流れ込んでくるのが分かった。悲痛、後悔、怨恨……それらがそうした名で弁別されるところのものであるといまは分かるけれども、そのとき私を驚かせたのはそうした個別の恐ろしい名前ではなくて、より総体的で、漠然とした、ある種の直感に似た印象だった。それは皆だった。私たちだった。あの無数の双子たちの生き残りは皆この湖で死んでいた。透き通った水面から覗く数多の死体の劣化にはかなりの程度の差があって、こうした解像度について私はいつの間にか詳しくなっていたことに気付いた。

 だからおそらく個別の散発的な、終点のみが一致しただけの集団自殺だと私は判断した。果たしてそんなことが起きうるのだろうかと疑ってみたところで、目の前にはそれを退けるだけの証拠が存在している。ばらばらに同じ自死の場所へ行き着いた双子たち。いまそこに私や右腕たちも加わったのだから、やっぱり私たちは本当の双子だったんだよ、と思ったけれども、右腕たちにいまさらそんなことを語り掛けるだけの勇気は無かった。だってそんな言葉が収まる余地が無いのは明白で、そもそも生き残っている私たちがそうではないと彼女たちは頑なに信じているのだから。弱視のために眼前の光景を、そして自分たちがここへ至った理由を十全に理解できることの無いまま、進路を失って呆然と立ちすくむ彼女たちの寂しい背中をこの掌で押してあげます。密に構成された意識の海がそれだけでたやすく瓦解する様を私は何度も見てきたから。彼女たちも知っていたはずなのにね。真新しい雪の一山をかすめ取るときの、あのくぐもった鳴き声。掌の鋭い温度。どこか遠い早鳴り。氷の短命。水面がふたたび閉ざされる。

 とにかく、それからのことは少なくとも彼女たちの記憶には無い。

 空っぽの手をふたたび握り締める頃には右腕たちの苦痛と困惑と憎悪が視界に焼き付いていた。

 その後、私は当然一人で帰った。たえず傍で感情を投げつけていた随伴者たちがいなくなったせいで、来たときよりも周りの感情がやけに気に障った。お姉ちゃんがくれた眼は恐怖と嫌悪によって他者から私を守ってくれるけれども、それには致命的な欠陥がある。私はまだ誰のことも彼岸には思えなかった。個々として生きるべきだとお姉ちゃんは言ったけれども、今も昔もお姉ちゃんの対でしかない私には私という個が分からないから。私が怖い。私が嫌い。そうした感情が海に流れ込んで一つになるたびに、私はそれらの一人称をふと見失ってしまう。第三の眼はもう身体にすっかり馴染んでいるはずなのに、自他の距離がまるで分からない。あの万能感がふたたび薄れてしまえば私の頭の中には他に何も残っていないので、あの双子たちと過ごした日々と同じように彼らの思考に埋めつくされるだけで、私も私が怖くなる。私も私が嫌いになる。例外があるとしたら、湖に来るまでの道程だけだ。お姉ちゃんのことを考えているあいだだけ私は皆と別の物でいられたように思う。皆はお姉ちゃんのことが嫌いらしいけど、私がそう思うことはきっと無いからね。

 でも、いまは全然駄目だった。どんなに皆が私から離れていったところで、私が代わりに皆になって私が私を傷つけはじめる。自傷は本質的に失うものの無い行為だけれども、得るものについてはそうではない。明瞭な痛みの陰でひそかに積み上げられた習慣それ自体が負債として私というものの柱を折りはじめる。たとえばそれは左目にとっての視神経で、だから私は眼を閉じた。

 嫌われた分だけ私を嫌いになってしまうから。それを見たお姉ちゃんが私と同じ気持ちになるのが怖いから。私やお姉ちゃんが皆になってしまうのが嫌だから。せめてお姉ちゃんのことはずっと好きなままでいたいから。

 そして私とお姉ちゃんはちゃんと別の物なんだという証明を、いつまでも自分に対して示しつづけるために。

 私はまだ眼を閉じたままです。

 だけど、たぶん、初めから私はどうしたって盲目だったのだ。だって左目と右目が同じ感情を抱くことになるなどという想像は、きっとあまりにも幼い発達の錯誤にすぎなかっただろうから。ねえ、私はもう眼を開けてもいいのかな。あなたたちのことを、他の皆と同じように忘れていってもいいのかな。それでも私は私のままで、お姉ちゃんはお姉ちゃんのままでいてくれるのかな。

 湖に沈む双子たちに私は尋ねてみたけれども、彼らはむなしい残響の他に言葉を持っていないので、新たな答えが返ってくることはきっと永遠に無いのでしょう。
すべてわたしたちの頭の中のこと
空音
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コメント



0.100簡易評価
2.100サク_ウマ削除
ひどく難解で、はたして自分が読み解けたのかすらも曖昧なのですが、それでもこれはとても良い作品だと感じました。ただ一点、この作品の感想を言い表す術を持っていないということが、私にはとても悲しいです。
空音さんのこいしちゃんが読めるとは思いませんでした。良い作品をありがとうございます。
3.100奇声を発する程度の能力削除
とても楽しめました
4.100ヘンプ削除
なんて言えばいいのでしょうか。
『わたし』という存在を確認しているような感覚に陥りました。
誰がどう見ても私という存在、姉という存在など、分からぬものなのかと。
とても良かったです。
5.100終身名誉東方愚民削除
読むたびに違う印象があってただただ圧倒されるものがあります。
自分にはとてもすべて理解できませんが、何とか分かる部分だけでもはっとさせられるので途方もないとしか言いようがありません。
7.100ひとなつ削除
わかんないです。でも好きです
ろくなこと言えないですみません
もう一回読みます
8.100電柱.削除
正直一回読んだくらいじゃ消化し切れないほどの情報が詰め込まれているので、はっきりとした感想が浮かびません。とにかく度の強い酒のように深い作品でした。この境地は真似出来ないなぁ……。
9.90南条削除
実はよくわかりませんでしたが
何かが私の中を通り抜けていった気がしました。
10.無評価名前が無い程度の能力削除
何度か読みましたが わたしには完全に理解することができなかった ただこの作品が漠然とすばらしいと言うことだけは分かる
誰か解説してくれよ 頼むよ
11.100名前が無い程度の能力削除
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