郷に入っては郷に従え。
よその土地や組織では、そこでの習慣や決まり事を守りましょう。
人間の作った言葉だが、たとえ自由奔放な妖怪でも、これを遵守すべき時がある。
「セキちゃん。会計頼むよ」
「はーい」
人に紛れて里に棲む妖怪なら、尚更のことだろう。
慣例、風俗、マナー……色々ある。
でも私が言いたいのは、もっと根本的な話。人間の世界を動かす理。
「お会計六銭でーす」
それは、金だ。
人里で何かをしたければ、妖怪といえど金が必要になる。
金を得るためには何をする必要があるか。
「ごちそうさん」
「ありがとうございましたー」
それは、労働だ。
「セキちゃん。今日はもう上がっていいよ」
「あ、はい。ではお言葉に甘えて」
私こと赤蛮奇もまた、セキと名乗って人間を装って里に棲み、茶店の女給として金を稼ぐ妖怪だ。
首無しマント、柳の下の怪、フライングバンキーキ、分離飛行だと? などなど。
様々な渾名で恐れられる私が、人間相手にお茶汲みとは滑稽だが、これにはワケがある。
「調理場に羊羹が置いてあるから、帰りに食べてってくれ。小さいけどな」
「いつもすいません」
この喫茶店は、菓子がめっちゃ美味いのだ。
いや間違えた。訂正する。つまみ食いが目的では断じてない。
ろくろ首的に、人里で人間を驚かす方がやり易く、効果的だからだ。
あくまで、妖怪としての……。
「羊羹うっま……」
妖怪としての……なんだっけ……?
▽
別にいいじゃないか。甘味の一つや二つ。
人間に潜み、人間に擬態し、人間を脅かす。
妖怪が取るべき振る舞いとしては、ベターを遙かに上回ると自負している。
姫はともかく、影狼は私を見習うべきだ。妖怪として映える要素が山盛りなのに、もったいない。
あいつの変身シーケンスでご飯三杯はいける。超格好いいのに滅多にやらない。本当にもったいない。
「おはようございます」
「おはよう、セキちゃん。店を開ける前に、ちょっと聞いて欲しい事がある」
「はあ……何でしょう」
もしかして昨日、何かミスでもしただろうか。
しかし、和菓子職人である店主の表情を見るに、それは違うようだ。
まあどうせ、大した事でもあるまい。
「俺な、スイーツで食っていこうと思うんだ」
前言撤回。ヤバそう。
「く、食っていこう? 食いたい、ではなく?」
「違う違う。お品書きにアレだ、和スイーツを入れる事にした」
和スイーツというのは、和洋両方の食材を組み合わせた菓子の事だ。
最初は敬遠されていたが、今では人里で徐々に人気を博しつつある。
店主はベテランの和菓子職人でもある。洋食の経験は浅いだろうが……イケるのでは?
「実はもう出来ていてね。セキちゃんに試食して欲しいんだ」
「はあ、まあ、そういう事でしたら」
少なくともマズいことは無い。いや、美味い可能性が高い。この人間、菓子は本当にプロなのだ。
期待が高まり、喉が鳴る。いいだろう、この赤蛮奇の舌を満たして見せろ。
「さあ食べてみてくれ。パフェだ」
差し出されたグラスには、白と緑が入り乱れている。抹茶パフェか。
思った以上にスイーツな外観をしている。美味そうだ。実に美味そうだ。
「頂きます」
パフェ最上部の洋菓子群にスプーンを差し入れ、掬い、口へと運ぶ。
……期待を裏切らない、いや、上回る味だ。
いや、うっま。ヤバいな。ありえんわこれ。
舌と語彙を溶かす、まさしく絶品だ。
その味を噛み締めながら噛み、名残惜しさと共に飲み込む。
「どうだい。美味いか?」
「おうぇれちゃりあ」
「え? 何だって?」
「いぇれらうあらな」
……おかしい。何故か、呂律が回らない。
そうだ、味は素晴らしい。抹茶パフェとして、申し分の無い出来映えだ。
だが……来ている。身体の奥底から。
得体の知れない……言うなれば〈衝撃〉のようなモノ……。
何が起きているのかは解らない。だが、それが危険なモノであることは解った。
とっさに吐き出そうとしても、身体が動かない。
内側から迫り来る。解っているのに、反応出来ない……!
この短時間で、なんという事だ……!
〈衝撃〉は既に……私の身体を〈破壊〉し始めているッ!
「セキちゃん?」
「あ、あが……!」
来る……ゆっくりと〈衝撃〉が……未だ無傷な〈意識〉の方に……ッ!!
「セキちゃん!?」
「これが……マッチャ・パフェの……能力……」
「セキちゃん! しっかりするんだ! セキちゃん!」
ああ、世界が崩れてゆく……。
▽
「大丈夫か、セキちゃん」
「ええ、問題ありません。太宰府の硬毛は広がるジューシーですし、金目鯛の裏路地はマンハッタン紅茶です」
「本当に大丈夫か?」
まだ全身がビリビリしている。おまけに気怠さと嫌悪感も。
なんて破壊力だ、マッチャ・パフェ。この赤蛮奇をここまで陥れるとは。
「こいつは……出すのは止めておくか」
「い、いえ。大丈夫です、むしろ美味しい位でしたよ」
「しかしだな……」
そう、味は本当に美味しかった。
これは推測だが……このパフェの異常性は、味による物では無いと思う。
「身内が試食した時は、特に問題は無かったんだよなぁ」
「……実は昨夜、調子に乗って夜更かしをしまして」
「夜更かし?」
そして自らの推測に従うならば、さっき喰らったダメージの事は、どうにかして誤魔化す必要がある。
「急にもの凄い眠気に襲われたんです。倒れたのはそのせいでして」
「白目を剥いて、膝から崩れ落ちるほどの夜更かしか……」
「私の夜更かしは……凄いですよ?」
「セキちゃんがこんなに恐ろしく見える日が来るとは」
そんな恐ろしいだなんて、あまり褒めてくれるな店主よ。
妖怪として当然の、いや、照れるな。へへへ。
……そうじゃなくて。
やはり、そうだ。今の話でさらに確信が持てた。
店主達は平気で、私が駄目だった理由。
それは恐らく、人間と妖怪……種の違いだ。
「どうする、帰って寝とくか? 普段の働きに免じて、小言は控えてやるよ」
「大丈夫ですよ。やる事はやりますから」
「そうか。まあ、辛くなったら我慢せずに言いな」
「ありがとうございます」
つまりこの新作パフェは、どういう訳か、妖怪に対して強力なダメージを与えてしまうのだ。
あの〈衝撃〉は昔、退治屋の使う術具で感じた覚えがある。
マッチャ・パフェの方がよっぽど強力だけど。
この喫茶店にはほぼ人間しか来ない。人間に化けた妖怪が来店したのも、片手で数える程度だ。
これが原因で妖怪とトラブルになる可能性は低いだろう。
それでも、この事を店主に伝えるべきだろうが……一つ問題がある。
私が、人間としてこの喫茶店に勤めている点だ。
パフェの性質を伝える事は、私が妖怪であることを自ら明かす事になる。
店主一家の妖怪観は、普遍的だ。
過剰に忌避はしないが、決して友好的では無い。私が妖怪である事を明かせば、私は稼ぎ先を失うだろう。
……めっちゃ美味しい賄いも失うだろう。
「セキちゃん。そろそろ開けるぞ」
「は、はい。お願いします」
開店時間になってしまった。
仕方が無い。仕事しながら考えよう。
妖怪なんて滅多に来ないんだ。それで十分に間に合うだろう。
さあ、本日最初の客が来た。なるべく笑顔でお出迎え。
「いらっしゃいませ。一名様で――」
「ふう……ここなら安全ね」
ウェーブのかかった金の長髪。
紫色の和服に、紫色で桜の意匠が描かれた扇子。
「後からもう一人来ますから、二人席に案内して頂ける?」
何よりこの胡散臭い雰囲気。
会うのは初めてだが……それでも、分かる。分かってしまう。
「は、はい。ご案内いたします」
妖怪の賢者。スキマ妖怪……八雲紫だ。
「良い店ねぇ」
「きょ、恐縮です」
おかしいだろ。滅多に妖怪来ないって言ってんだろ。
なのに、対妖怪パフェデビューの朝一に? 妖怪の賢者が?
私が何をしたって言うんだ。
「朝から凄い美人が来たなぁ、眼福眼福」
「そ、そッスね」
本当に意味わかんないレベルの美人だ。というか、頼むから気がついて店主。
マズいぞ。パフェはメニューにも目立つように書かれているし、店のあちこちに宣伝ビラが貼られている。
まあ新商品なんだから当然なんだが……注文されたらどうなってしまうのか、想像するだけで寒気がする。
いや待て。そもそも、注文しない可能性だって当然ある。
パフェが嫌いかもしれないし、コーヒーだけで済ますかもしれない。
「注文いいかしら?」
「はい、お伺い致します」
そう、まだ希望はある!
私が未来を諦めない限り! 希望はその手を離れない!
「この抹茶パフェを一つ」
グッバイホープ! ファッキンフューチャー!
「注文です……」
「おっ、早速パフェか。腕によりを掛けないとな」
目に物を言わせるの間違いではなかろうか。
仕方が無い。こうなったら、八雲紫にだけ打ち明けよう。
このままアレを食べられるよりはマシだ。
席に近づき、小声で話しかける。
「お客様。いや、八雲紫さん」
「八雲? 私はそんな名前じゃ無いわよ?」
「えっ」
そんな筈は無い。どう考えても八雲紫の筈だ。
いや、まあ、確かに会ったことは無いけど……。
「わたくし……紫蛮奇と申します」
「何もかも分かってんじゃねーか」
割と困ったちゃん、って評判は本当なんだな。
「ちょっとしたスキマジョークよ。何の御用かしら、ろくろ首さん」
「貴女が注文したマッチャ・パフェ。食べない方がいいです」
「あら、どうして?」
「何故か妖怪には劇毒になります」
「ふうん。それは困るわね」
全く困ってなさそうに、首を傾げて見せるスキマ妖怪。
「……ワケとか原因とか、聞かないんですか」
「聞いたら割引券でも貰えるの?」
「いやその……とにかく他の」
「おーい、セキちゃーん」
も、もう出来たのか。流石に気合い入ってるな。
「呼ばれてるわよ?」
「あー、えーっと」
「別に取って食べたりするから、安心しなさいな」
「私の話聞いてました?」
「聞いていたから食べるのよ」
何か考えがあるのか、単なる天邪鬼か……。
ええい、仕方が無い。
店主のところへ行き、マッチャ・パフェを受け取る。
「せっかくの美人だ。粗相の無いようにな。セキちゃん」
今まさに、超弩級の粗相を手にしているのですが。
「……どうせリピーターには成りませんよ」
「そんなの分からんだろうが」
このパフェを出す時点で確定事項だと思う。
「お待たせ致しました。マッチャ・パフェです……本当に食べるんです?」
「自分で注文したのだから当然でしょう」
「いやまあ」
ああもう。私は知らんからな。
「いただきます」
パフェを掬い、口に入れ、咀嚼。
賢者サマは、ただ菓子を食べるだけで絵になるな……羨ましい。
その美しい横顔に向けて、恐る恐る、感想を聞いてみる。
「ど、どうです?」
「ええ。とても美味しいパフェですわ」
賢者サマは食べる前と変わらない様子で、にっこりと微笑んで見せた。
「おお……流石……」
「こんな事で褒められてもねぇ。鉱山が三回食べた腹時計に浮かぶ小指が攣ってしまいますわ。んんんッ」
効いてる、効いてるよ。これクラスにも効くって相当ヤバいな。マッチャ・パフェ。
「失礼。確かに、妖怪には少々刺激が強いみたいね」
「食べた感じで、原因とか分かりませんかね」
「さあ、どうかしらねぇ。それよりもこれ、連れにも食べさせたいわ」
「勘弁していただけませんか……」
そういえば、後からもう一人来るって言ってたな。彼女の式神だろうか。
式神の方は里で偶に見掛けるから知っている。
最強の妖獣がこれを食べたらどうなるか……正直な所、ちょっと気になる。
「……ああ。やっとここを見つけたのね。鈍い子」
「お連れさんの話で?」
「そうよ。はい、扉にご注目」
言われるがままに入り口を見た瞬間、勢いよく扉が開かれた。
「ここに居るんでしょスキマッ!」
恐ろしくデカい声だ……あれ? あの式神こんな声だっけ?
「人違いですわ。わたくし、紫蛮奇ですので」
「茶番なら要らないわ。さっき散々やったもの」
髪もやけに長いな。というか、色が青いな。
大体にして背が低いし、そもそも、耳も尻尾も無い。
じゃあ、目の前で賢者サマに喚くこいつは――。
「公共の場では静かにしなさいな。仮にも天人でしょうに」
ああー、なるほどー。天人サマ。
確かヒナナイとかいうヤツだ。かつて天気の異変を起こし、直近の異変でも無茶苦茶やったらしい。
姫……影狼……次に会えたら、どうか優しくしておくれ……。
「そこの給仕。注文はするから、まずはお水を出しなさい」
「私ので良ければどうぞ?」
「下賤なスキマの飲みかけなんていらん。汚水の方があんたが関わってないだけマシ」
どんだけ嫌われてるんだ賢者サマ。
「あら酷い。そんな物を客に出すなんて酷い店ね」
「出したのは貴女ですが……」
「こいつの言うことは無視しなさい。さっさとお水を持って来て」
「ウッス」
破天荒から助け船が出るとは。
ともあれ、ご所望の水を取りに行く。
「セキちゃん、今日は良い日だな。朝から美人が二人も来たぞ」
なにツヤツヤしてんだジジイ。今まさに店の危機なんだぞ。
というか、あの天人変装すらして無いのに、何故気がつかない……あれか、老眼か。
さて。このお冷やを持って行ったら、こっそりメニューを古い物に変えてしまおう。
賢者サマは事情を分かってるし、天人サマは何も知らないから止めもしまい。
「お冷やです」
「うむ」
天人は出されたグラスを引っ掴み、勢いよく飲み出した。豪快だな。
この隙にメニューを回収し、すり替える。幸い、賢者サマは何も言ってこなかった。
「はぁっ。マズい! もう一杯!」
「私ので良ければ」
「天丼するな面倒臭い」
「あら、これは地上で水と呼ばれる液体ですわ。まあ天丼の定義によっては、そう呼ぶ事も有り得ないとは言い切れませんが」
「給仕ッ! コイツの面倒で臭い頭をカチ割れ! 死体は食ってよし!」
「何もかも嫌ですけど……」
頭は大切にした方が良いぞ。私が言うんだから間違いは無いぞ。
「改めて聞くけど。何なの、あの閻魔は」
「もう聞いたでしょう? 空き時間を使って方々に説教して回る、とてもありがたい御方よ」
ありがたい、のトーンがウンザリなあたり、そういう事なのだろう。
だが、何故閻魔? わざわざ彼岸まで行ってきたのか?
「天人に説教だなんて身の程を……いや、聞きたいのはそこじゃない」
「じゃあどこかしら」
「あいつセーターとか着て、どう見ても私服っぽかったけど……何で?」
「何でって、オフだからでしょう」
「オフも説教して回ってるの!? 私服のまま!?」
「そうよ……凄いでしょう……? 意外とピアスとか着けるのよあの人……」
疲れた表情で目線と小首を傾げる賢者サマ。
「せっかくオシャレしてんのに説教興行か……おかげで勝負はお預けだ」
信じがたい、とばかりに背もたれに体重を預ける天人サマ。
果たして説教が趣味なのか、あるいはワーカーホリック的な悲しみなのだろうか。
「まだ地上で遊ぶつもりがあるのなら、気をつけなさいな。面倒が臭いから」
「面倒臭い奴の忠告なんぞ聞かんよ」
天人サマが、つん、と顔を背ける。
逸れた目線の先には私が居た。とりあえず、曖昧な営業スマイルを返しておく。
すると彼女は何かを思い出したように、すぐに正面へ向き直る。
「注文するの忘れてた」
意外と律儀だな天人サマ。
だが、もう大丈夫。既にメニューは古い物とすり替えた。
どれも絶品ばかりだぞ。好きな物を頼むが良い。
「ああ、そのメニューには無いけど、抹茶パフェがオススメよ」
スキマお前ッ……なんでそういう事するの!? 脳みそに隙間風でも吹いてんのか!
「じゃあそれにするわ」
なんで急に素直だよ! さっきの反骨精神はどうした!? もっと抗えよ!
「抹茶パフェ一つ」
「……ウッス」
注文を伝えると、店主はますます上機嫌だった。まあ、新作が立て続けに注文されたら当然か。
対妖怪能力が無ければ最高なのに……。
「お待たせ致しました。マッチャ・パフェです」
「ふーん。抹茶パフェ。ふうん」
好奇心旺盛な猫のように、眼前のパフェを眺め回す天人サマ。
そういえば、天界は食事のレパートリーが少ないと聞いたな。パフェもあんまり無いのだろうか。
「紫苑にも食わせてやりたかったな」
「そういえば、一緒じゃ無かったの?」
「常に一緒って訳じゃないよ。そういう日もある。それじゃあ、いただきます」
あああ、食べてしまうのか。今のうちに逃げようかな。
「あむ」
対妖怪間食が、小さな口に吸い込まれて消えていく。
咀嚼する天人サマの表情はご機嫌だが……ここからだ、ここからが問題で――。
「美味しいでしょう?」
「そうね。下賤な地上の食べ物にしては」
言葉に反して、上機嫌でパフェを口に運んでいく天人サマ。あれ? なんともない?
軽快に、しかし上品に。どんどんグラスの中身が減っていく。
そして遂に、完食。
空のグラスにスプーンが置かれ、ちりん、と涼しげな音が鳴る。
ごちそうさまでした、と小さく呟く天人サマ。食べ方と良い、育ちは良いんだな。
彼女は賢者サマの方を見ると、先の脳内評価に反抗するかのように、ふんぞり返って笑みを浮かべた。
「嘘でも苦しんだ方が、お前の希望通りだったかな?」
な……まさか、食べる前から解っていたのか!? マッチャ・パフェの能力を!
「どういう意味かしら」
「お前が、八雲紫が勧めるモノなんて。何かあるに決まってるでしょ。実際、あったし」
「それは酷い言い草ね。ろくろ首さんが可哀想だわ」
「私を巻き込まないで欲しいのですが……」
むしろ私も被害者だぞ。もっと低級の妖怪だったら終わってた位だ。
「そんな下らない嫌がらせに屈する私ではないよ。残念だったな」
「屈していないの?」
「ご覧の通り」
「我慢は良くないわよ」
「しつこいな。下賤な上に粘着質か?」
「厠は奥に行って右よ」
「ちょっと行ってきます……」
効いてんじゃねえかよ!
青い顔をして立ち上がる天人サマが、私の方を見た。勘弁して。
「おい給仕……言いたい事は山とあるが……」
「は、はい」
「私はただ厠に行きたいだけであって……あ、ヤバ、凄いの来る……」
「奥に行って右です」
フラフラと厠の方へと歩いて行く天人サマ。
大丈夫かな。何せ賢者サマでさえ、たった一口で言語機能を脅かされるレベルの破壊力だ。
完食してなお動けるあたりは、流石と言うべきなのだろうか。
「見栄を張るから、こうなるのよ。子供ね」
「天人サマにも効くって、このパフェ一体どうなってるんですかね」
「出す側の台詞じゃ無いわね」
「まあ、はい」
賢者サマはテーブルに二人分の小銭を置いて、立ち上がる。
「ごめんなさいね。味は本当に美味しいのだけれど」
「お気になさらず」
「ところで。このお店に妖怪は来るの?」
「滅多に。貴方がたが、先々月以来の人外です」
「そう。とはいえ、見過ごせないわね」
例えば食中毒を出した飲食店は、組合から業務の一時停止が命ぜられる。改善されるまでは営業禁止だ。
この場合は、どうなる?
ある種の不可侵地帯である人里で、妖怪を無作為に傷つけかねない店。賢者サマは、どう対処するのだろう。
「残念ね。素敵な出来映えなのだけど……」
そう言って彼女は右手を伸ばす。ま、まさか。
「待ッ……!」
「このグラスは、処分した方がいいわね」
え、なに? グラス?
「食べ物を入れるだけで、お手軽に妖怪退治……いや、人外退治が出来る優れもの」
「ど、どうして解るんですか」
「普通の職人が、普通の食材を、普通のやり方で調理している。なら、パフェ自体は普通にしか成り得ないわ」
だから食器が怪しい、って訳か。
確かにその通りかもしれないが……。
「でも、調達や調理を見たわけじゃ無いでしょう?」
「後ろ半分は直接見たもの。ついさっき」
例の、スキマの能力か。
いつの間に見たのかは知らないが、反則過ぎる。超カッコいい。
「前半分は?」
「食材を買う場所が同じなら、大丈夫。安心して良いわ」
「言い切りますね」
私の言葉に賢者サマは、扇子で口元を隠して笑うだけだった。安心って言われたのに怖すぎるぞ。
「種族問わず、それなりの効果が有るようだし……店を潰したくなければ、グラスの処分を勧めるわ」
「ええ。ご忠告通りに」
「賢明ね。それでは、ごきげんよう」
「ありがとうございました」
優雅な所作で店を出て行く賢者サマ。
ひとまず、彼女の言うことを信じるならば、グラスを交換しないとな。
そういえば、岩戸に籠もる天人サマは大丈夫か?
様子を見に行こうとしたら、やはり勢いよく厠の扉が開かれて、やはり青い顔の天人サマが出てきた。
「だ、大丈夫ですか?」
「危うく五衰が来るところだった……」
「そんなに」
こいつが帰ったら速攻で代わりを買ってこよう。
木っ端妖怪が食ったら即座に消滅しかねんぞ。
「あれ、スキマは?」
「お帰りになられましたよ。ああ、お代は二人分貰ってますので」
「支払い済みなの? あー、もう、やられた……」
何故か悔しそうにガシガシと頭を掻く天人サマ。
払って貰ったのなら、むしろ喜ばしい気がするが。
「何か不都合でも?」
「アレに施しを受けるなんて、屈辱にも程があるわ」
プライドの問題ってやつだな。まあ確かに、分からんでも無い。
「ま、いい。次の機会に叩き返す。ああ、パフェな。味は美味かったぞ。地上のにしては」
「恐縮です。店主に伝えます」
「次来るかは解らないけどね。それじゃ」
やれやれ、やっと一段落か。今日ほど心臓に悪い日もあるまいよ。
さて……替えのグラスか。あの形の物は、全部処分すべきだろう。
流石に別種のグラスは用意していないだろう。何とか理由を付けて、買い換えさせる必要がある。
まあ、メニューはすり変えたから注文は来るまい。安心していいだろう。
味は賢者と天人のお墨付き。これを世に出せないなんて勿体ないからな。
からん、ころん。
扉のベルが来客を告げる。
そういえば、今日はまだこの二人しか来てなかったな。店主には悪いが、運が良い。
「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか」
「はい」
「では、こちらにどうぞ」
よし、今度は普通の女性だ!
髪色が緑だけど……うん! ごく普通の女性に見える!
そうだ、彼女は普通の女性に違いない。
……そうなんだよね?
「お決まりになりましたらお呼びください」
そう言って席を離れると、テーブルの陰に隠れるようにしゃがんだ天人サマが見えた。
「お、おい給仕……給仕……!」
小さな声で叫ぶ天人サマの方へと向かう。
「どうされましたか?」
「どうもこうも……」
そう。三人目の来客は、ごく普通の女性に見える。
「どうしてヤマザナドゥがここに居る……!?」
ごく普通に見える、緑髪の女性を指して震える天人サマ。
賢者に天人ときて、閻魔様ってお前……一介のろくろ首が対処できる事案じゃないだろコレ。
このままじゃ、続々と迫る試練に首が回らなくなる。冗談だけど、冗談じゃ無い。
「閻魔程度、敵では無いが、面倒だ。裏口とかは無いのか?」
「奥に行って左です」
「分かった。あ、最後に一つ」
「なんでしょう」
「次の新作は桃味以外にして」
「え、はあ。伝えます」
リクエストをしながら離脱する天人サマ。来る気満々かよ。
その背中を見送った所で、どうやら閻魔らしい女性から、お呼びが掛かった。
「すいません」
「はい。お伺いします」
「あそこに貼ってあるビラの、抹茶パフェを」
「剥がすの忘れてた……ッッ!」
「どうしました?」
……本日の教訓。油断大敵。
よその土地や組織では、そこでの習慣や決まり事を守りましょう。
人間の作った言葉だが、たとえ自由奔放な妖怪でも、これを遵守すべき時がある。
「セキちゃん。会計頼むよ」
「はーい」
人に紛れて里に棲む妖怪なら、尚更のことだろう。
慣例、風俗、マナー……色々ある。
でも私が言いたいのは、もっと根本的な話。人間の世界を動かす理。
「お会計六銭でーす」
それは、金だ。
人里で何かをしたければ、妖怪といえど金が必要になる。
金を得るためには何をする必要があるか。
「ごちそうさん」
「ありがとうございましたー」
それは、労働だ。
「セキちゃん。今日はもう上がっていいよ」
「あ、はい。ではお言葉に甘えて」
私こと赤蛮奇もまた、セキと名乗って人間を装って里に棲み、茶店の女給として金を稼ぐ妖怪だ。
首無しマント、柳の下の怪、フライングバンキーキ、分離飛行だと? などなど。
様々な渾名で恐れられる私が、人間相手にお茶汲みとは滑稽だが、これにはワケがある。
「調理場に羊羹が置いてあるから、帰りに食べてってくれ。小さいけどな」
「いつもすいません」
この喫茶店は、菓子がめっちゃ美味いのだ。
いや間違えた。訂正する。つまみ食いが目的では断じてない。
ろくろ首的に、人里で人間を驚かす方がやり易く、効果的だからだ。
あくまで、妖怪としての……。
「羊羹うっま……」
妖怪としての……なんだっけ……?
▽
別にいいじゃないか。甘味の一つや二つ。
人間に潜み、人間に擬態し、人間を脅かす。
妖怪が取るべき振る舞いとしては、ベターを遙かに上回ると自負している。
姫はともかく、影狼は私を見習うべきだ。妖怪として映える要素が山盛りなのに、もったいない。
あいつの変身シーケンスでご飯三杯はいける。超格好いいのに滅多にやらない。本当にもったいない。
「おはようございます」
「おはよう、セキちゃん。店を開ける前に、ちょっと聞いて欲しい事がある」
「はあ……何でしょう」
もしかして昨日、何かミスでもしただろうか。
しかし、和菓子職人である店主の表情を見るに、それは違うようだ。
まあどうせ、大した事でもあるまい。
「俺な、スイーツで食っていこうと思うんだ」
前言撤回。ヤバそう。
「く、食っていこう? 食いたい、ではなく?」
「違う違う。お品書きにアレだ、和スイーツを入れる事にした」
和スイーツというのは、和洋両方の食材を組み合わせた菓子の事だ。
最初は敬遠されていたが、今では人里で徐々に人気を博しつつある。
店主はベテランの和菓子職人でもある。洋食の経験は浅いだろうが……イケるのでは?
「実はもう出来ていてね。セキちゃんに試食して欲しいんだ」
「はあ、まあ、そういう事でしたら」
少なくともマズいことは無い。いや、美味い可能性が高い。この人間、菓子は本当にプロなのだ。
期待が高まり、喉が鳴る。いいだろう、この赤蛮奇の舌を満たして見せろ。
「さあ食べてみてくれ。パフェだ」
差し出されたグラスには、白と緑が入り乱れている。抹茶パフェか。
思った以上にスイーツな外観をしている。美味そうだ。実に美味そうだ。
「頂きます」
パフェ最上部の洋菓子群にスプーンを差し入れ、掬い、口へと運ぶ。
……期待を裏切らない、いや、上回る味だ。
いや、うっま。ヤバいな。ありえんわこれ。
舌と語彙を溶かす、まさしく絶品だ。
その味を噛み締めながら噛み、名残惜しさと共に飲み込む。
「どうだい。美味いか?」
「おうぇれちゃりあ」
「え? 何だって?」
「いぇれらうあらな」
……おかしい。何故か、呂律が回らない。
そうだ、味は素晴らしい。抹茶パフェとして、申し分の無い出来映えだ。
だが……来ている。身体の奥底から。
得体の知れない……言うなれば〈衝撃〉のようなモノ……。
何が起きているのかは解らない。だが、それが危険なモノであることは解った。
とっさに吐き出そうとしても、身体が動かない。
内側から迫り来る。解っているのに、反応出来ない……!
この短時間で、なんという事だ……!
〈衝撃〉は既に……私の身体を〈破壊〉し始めているッ!
「セキちゃん?」
「あ、あが……!」
来る……ゆっくりと〈衝撃〉が……未だ無傷な〈意識〉の方に……ッ!!
「セキちゃん!?」
「これが……マッチャ・パフェの……能力……」
「セキちゃん! しっかりするんだ! セキちゃん!」
ああ、世界が崩れてゆく……。
▽
「大丈夫か、セキちゃん」
「ええ、問題ありません。太宰府の硬毛は広がるジューシーですし、金目鯛の裏路地はマンハッタン紅茶です」
「本当に大丈夫か?」
まだ全身がビリビリしている。おまけに気怠さと嫌悪感も。
なんて破壊力だ、マッチャ・パフェ。この赤蛮奇をここまで陥れるとは。
「こいつは……出すのは止めておくか」
「い、いえ。大丈夫です、むしろ美味しい位でしたよ」
「しかしだな……」
そう、味は本当に美味しかった。
これは推測だが……このパフェの異常性は、味による物では無いと思う。
「身内が試食した時は、特に問題は無かったんだよなぁ」
「……実は昨夜、調子に乗って夜更かしをしまして」
「夜更かし?」
そして自らの推測に従うならば、さっき喰らったダメージの事は、どうにかして誤魔化す必要がある。
「急にもの凄い眠気に襲われたんです。倒れたのはそのせいでして」
「白目を剥いて、膝から崩れ落ちるほどの夜更かしか……」
「私の夜更かしは……凄いですよ?」
「セキちゃんがこんなに恐ろしく見える日が来るとは」
そんな恐ろしいだなんて、あまり褒めてくれるな店主よ。
妖怪として当然の、いや、照れるな。へへへ。
……そうじゃなくて。
やはり、そうだ。今の話でさらに確信が持てた。
店主達は平気で、私が駄目だった理由。
それは恐らく、人間と妖怪……種の違いだ。
「どうする、帰って寝とくか? 普段の働きに免じて、小言は控えてやるよ」
「大丈夫ですよ。やる事はやりますから」
「そうか。まあ、辛くなったら我慢せずに言いな」
「ありがとうございます」
つまりこの新作パフェは、どういう訳か、妖怪に対して強力なダメージを与えてしまうのだ。
あの〈衝撃〉は昔、退治屋の使う術具で感じた覚えがある。
マッチャ・パフェの方がよっぽど強力だけど。
この喫茶店にはほぼ人間しか来ない。人間に化けた妖怪が来店したのも、片手で数える程度だ。
これが原因で妖怪とトラブルになる可能性は低いだろう。
それでも、この事を店主に伝えるべきだろうが……一つ問題がある。
私が、人間としてこの喫茶店に勤めている点だ。
パフェの性質を伝える事は、私が妖怪であることを自ら明かす事になる。
店主一家の妖怪観は、普遍的だ。
過剰に忌避はしないが、決して友好的では無い。私が妖怪である事を明かせば、私は稼ぎ先を失うだろう。
……めっちゃ美味しい賄いも失うだろう。
「セキちゃん。そろそろ開けるぞ」
「は、はい。お願いします」
開店時間になってしまった。
仕方が無い。仕事しながら考えよう。
妖怪なんて滅多に来ないんだ。それで十分に間に合うだろう。
さあ、本日最初の客が来た。なるべく笑顔でお出迎え。
「いらっしゃいませ。一名様で――」
「ふう……ここなら安全ね」
ウェーブのかかった金の長髪。
紫色の和服に、紫色で桜の意匠が描かれた扇子。
「後からもう一人来ますから、二人席に案内して頂ける?」
何よりこの胡散臭い雰囲気。
会うのは初めてだが……それでも、分かる。分かってしまう。
「は、はい。ご案内いたします」
妖怪の賢者。スキマ妖怪……八雲紫だ。
「良い店ねぇ」
「きょ、恐縮です」
おかしいだろ。滅多に妖怪来ないって言ってんだろ。
なのに、対妖怪パフェデビューの朝一に? 妖怪の賢者が?
私が何をしたって言うんだ。
「朝から凄い美人が来たなぁ、眼福眼福」
「そ、そッスね」
本当に意味わかんないレベルの美人だ。というか、頼むから気がついて店主。
マズいぞ。パフェはメニューにも目立つように書かれているし、店のあちこちに宣伝ビラが貼られている。
まあ新商品なんだから当然なんだが……注文されたらどうなってしまうのか、想像するだけで寒気がする。
いや待て。そもそも、注文しない可能性だって当然ある。
パフェが嫌いかもしれないし、コーヒーだけで済ますかもしれない。
「注文いいかしら?」
「はい、お伺い致します」
そう、まだ希望はある!
私が未来を諦めない限り! 希望はその手を離れない!
「この抹茶パフェを一つ」
グッバイホープ! ファッキンフューチャー!
「注文です……」
「おっ、早速パフェか。腕によりを掛けないとな」
目に物を言わせるの間違いではなかろうか。
仕方が無い。こうなったら、八雲紫にだけ打ち明けよう。
このままアレを食べられるよりはマシだ。
席に近づき、小声で話しかける。
「お客様。いや、八雲紫さん」
「八雲? 私はそんな名前じゃ無いわよ?」
「えっ」
そんな筈は無い。どう考えても八雲紫の筈だ。
いや、まあ、確かに会ったことは無いけど……。
「わたくし……紫蛮奇と申します」
「何もかも分かってんじゃねーか」
割と困ったちゃん、って評判は本当なんだな。
「ちょっとしたスキマジョークよ。何の御用かしら、ろくろ首さん」
「貴女が注文したマッチャ・パフェ。食べない方がいいです」
「あら、どうして?」
「何故か妖怪には劇毒になります」
「ふうん。それは困るわね」
全く困ってなさそうに、首を傾げて見せるスキマ妖怪。
「……ワケとか原因とか、聞かないんですか」
「聞いたら割引券でも貰えるの?」
「いやその……とにかく他の」
「おーい、セキちゃーん」
も、もう出来たのか。流石に気合い入ってるな。
「呼ばれてるわよ?」
「あー、えーっと」
「別に取って食べたりするから、安心しなさいな」
「私の話聞いてました?」
「聞いていたから食べるのよ」
何か考えがあるのか、単なる天邪鬼か……。
ええい、仕方が無い。
店主のところへ行き、マッチャ・パフェを受け取る。
「せっかくの美人だ。粗相の無いようにな。セキちゃん」
今まさに、超弩級の粗相を手にしているのですが。
「……どうせリピーターには成りませんよ」
「そんなの分からんだろうが」
このパフェを出す時点で確定事項だと思う。
「お待たせ致しました。マッチャ・パフェです……本当に食べるんです?」
「自分で注文したのだから当然でしょう」
「いやまあ」
ああもう。私は知らんからな。
「いただきます」
パフェを掬い、口に入れ、咀嚼。
賢者サマは、ただ菓子を食べるだけで絵になるな……羨ましい。
その美しい横顔に向けて、恐る恐る、感想を聞いてみる。
「ど、どうです?」
「ええ。とても美味しいパフェですわ」
賢者サマは食べる前と変わらない様子で、にっこりと微笑んで見せた。
「おお……流石……」
「こんな事で褒められてもねぇ。鉱山が三回食べた腹時計に浮かぶ小指が攣ってしまいますわ。んんんッ」
効いてる、効いてるよ。これクラスにも効くって相当ヤバいな。マッチャ・パフェ。
「失礼。確かに、妖怪には少々刺激が強いみたいね」
「食べた感じで、原因とか分かりませんかね」
「さあ、どうかしらねぇ。それよりもこれ、連れにも食べさせたいわ」
「勘弁していただけませんか……」
そういえば、後からもう一人来るって言ってたな。彼女の式神だろうか。
式神の方は里で偶に見掛けるから知っている。
最強の妖獣がこれを食べたらどうなるか……正直な所、ちょっと気になる。
「……ああ。やっとここを見つけたのね。鈍い子」
「お連れさんの話で?」
「そうよ。はい、扉にご注目」
言われるがままに入り口を見た瞬間、勢いよく扉が開かれた。
「ここに居るんでしょスキマッ!」
恐ろしくデカい声だ……あれ? あの式神こんな声だっけ?
「人違いですわ。わたくし、紫蛮奇ですので」
「茶番なら要らないわ。さっき散々やったもの」
髪もやけに長いな。というか、色が青いな。
大体にして背が低いし、そもそも、耳も尻尾も無い。
じゃあ、目の前で賢者サマに喚くこいつは――。
「公共の場では静かにしなさいな。仮にも天人でしょうに」
ああー、なるほどー。天人サマ。
確かヒナナイとかいうヤツだ。かつて天気の異変を起こし、直近の異変でも無茶苦茶やったらしい。
姫……影狼……次に会えたら、どうか優しくしておくれ……。
「そこの給仕。注文はするから、まずはお水を出しなさい」
「私ので良ければどうぞ?」
「下賤なスキマの飲みかけなんていらん。汚水の方があんたが関わってないだけマシ」
どんだけ嫌われてるんだ賢者サマ。
「あら酷い。そんな物を客に出すなんて酷い店ね」
「出したのは貴女ですが……」
「こいつの言うことは無視しなさい。さっさとお水を持って来て」
「ウッス」
破天荒から助け船が出るとは。
ともあれ、ご所望の水を取りに行く。
「セキちゃん、今日は良い日だな。朝から美人が二人も来たぞ」
なにツヤツヤしてんだジジイ。今まさに店の危機なんだぞ。
というか、あの天人変装すらして無いのに、何故気がつかない……あれか、老眼か。
さて。このお冷やを持って行ったら、こっそりメニューを古い物に変えてしまおう。
賢者サマは事情を分かってるし、天人サマは何も知らないから止めもしまい。
「お冷やです」
「うむ」
天人は出されたグラスを引っ掴み、勢いよく飲み出した。豪快だな。
この隙にメニューを回収し、すり替える。幸い、賢者サマは何も言ってこなかった。
「はぁっ。マズい! もう一杯!」
「私ので良ければ」
「天丼するな面倒臭い」
「あら、これは地上で水と呼ばれる液体ですわ。まあ天丼の定義によっては、そう呼ぶ事も有り得ないとは言い切れませんが」
「給仕ッ! コイツの面倒で臭い頭をカチ割れ! 死体は食ってよし!」
「何もかも嫌ですけど……」
頭は大切にした方が良いぞ。私が言うんだから間違いは無いぞ。
「改めて聞くけど。何なの、あの閻魔は」
「もう聞いたでしょう? 空き時間を使って方々に説教して回る、とてもありがたい御方よ」
ありがたい、のトーンがウンザリなあたり、そういう事なのだろう。
だが、何故閻魔? わざわざ彼岸まで行ってきたのか?
「天人に説教だなんて身の程を……いや、聞きたいのはそこじゃない」
「じゃあどこかしら」
「あいつセーターとか着て、どう見ても私服っぽかったけど……何で?」
「何でって、オフだからでしょう」
「オフも説教して回ってるの!? 私服のまま!?」
「そうよ……凄いでしょう……? 意外とピアスとか着けるのよあの人……」
疲れた表情で目線と小首を傾げる賢者サマ。
「せっかくオシャレしてんのに説教興行か……おかげで勝負はお預けだ」
信じがたい、とばかりに背もたれに体重を預ける天人サマ。
果たして説教が趣味なのか、あるいはワーカーホリック的な悲しみなのだろうか。
「まだ地上で遊ぶつもりがあるのなら、気をつけなさいな。面倒が臭いから」
「面倒臭い奴の忠告なんぞ聞かんよ」
天人サマが、つん、と顔を背ける。
逸れた目線の先には私が居た。とりあえず、曖昧な営業スマイルを返しておく。
すると彼女は何かを思い出したように、すぐに正面へ向き直る。
「注文するの忘れてた」
意外と律儀だな天人サマ。
だが、もう大丈夫。既にメニューは古い物とすり替えた。
どれも絶品ばかりだぞ。好きな物を頼むが良い。
「ああ、そのメニューには無いけど、抹茶パフェがオススメよ」
スキマお前ッ……なんでそういう事するの!? 脳みそに隙間風でも吹いてんのか!
「じゃあそれにするわ」
なんで急に素直だよ! さっきの反骨精神はどうした!? もっと抗えよ!
「抹茶パフェ一つ」
「……ウッス」
注文を伝えると、店主はますます上機嫌だった。まあ、新作が立て続けに注文されたら当然か。
対妖怪能力が無ければ最高なのに……。
「お待たせ致しました。マッチャ・パフェです」
「ふーん。抹茶パフェ。ふうん」
好奇心旺盛な猫のように、眼前のパフェを眺め回す天人サマ。
そういえば、天界は食事のレパートリーが少ないと聞いたな。パフェもあんまり無いのだろうか。
「紫苑にも食わせてやりたかったな」
「そういえば、一緒じゃ無かったの?」
「常に一緒って訳じゃないよ。そういう日もある。それじゃあ、いただきます」
あああ、食べてしまうのか。今のうちに逃げようかな。
「あむ」
対妖怪間食が、小さな口に吸い込まれて消えていく。
咀嚼する天人サマの表情はご機嫌だが……ここからだ、ここからが問題で――。
「美味しいでしょう?」
「そうね。下賤な地上の食べ物にしては」
言葉に反して、上機嫌でパフェを口に運んでいく天人サマ。あれ? なんともない?
軽快に、しかし上品に。どんどんグラスの中身が減っていく。
そして遂に、完食。
空のグラスにスプーンが置かれ、ちりん、と涼しげな音が鳴る。
ごちそうさまでした、と小さく呟く天人サマ。食べ方と良い、育ちは良いんだな。
彼女は賢者サマの方を見ると、先の脳内評価に反抗するかのように、ふんぞり返って笑みを浮かべた。
「嘘でも苦しんだ方が、お前の希望通りだったかな?」
な……まさか、食べる前から解っていたのか!? マッチャ・パフェの能力を!
「どういう意味かしら」
「お前が、八雲紫が勧めるモノなんて。何かあるに決まってるでしょ。実際、あったし」
「それは酷い言い草ね。ろくろ首さんが可哀想だわ」
「私を巻き込まないで欲しいのですが……」
むしろ私も被害者だぞ。もっと低級の妖怪だったら終わってた位だ。
「そんな下らない嫌がらせに屈する私ではないよ。残念だったな」
「屈していないの?」
「ご覧の通り」
「我慢は良くないわよ」
「しつこいな。下賤な上に粘着質か?」
「厠は奥に行って右よ」
「ちょっと行ってきます……」
効いてんじゃねえかよ!
青い顔をして立ち上がる天人サマが、私の方を見た。勘弁して。
「おい給仕……言いたい事は山とあるが……」
「は、はい」
「私はただ厠に行きたいだけであって……あ、ヤバ、凄いの来る……」
「奥に行って右です」
フラフラと厠の方へと歩いて行く天人サマ。
大丈夫かな。何せ賢者サマでさえ、たった一口で言語機能を脅かされるレベルの破壊力だ。
完食してなお動けるあたりは、流石と言うべきなのだろうか。
「見栄を張るから、こうなるのよ。子供ね」
「天人サマにも効くって、このパフェ一体どうなってるんですかね」
「出す側の台詞じゃ無いわね」
「まあ、はい」
賢者サマはテーブルに二人分の小銭を置いて、立ち上がる。
「ごめんなさいね。味は本当に美味しいのだけれど」
「お気になさらず」
「ところで。このお店に妖怪は来るの?」
「滅多に。貴方がたが、先々月以来の人外です」
「そう。とはいえ、見過ごせないわね」
例えば食中毒を出した飲食店は、組合から業務の一時停止が命ぜられる。改善されるまでは営業禁止だ。
この場合は、どうなる?
ある種の不可侵地帯である人里で、妖怪を無作為に傷つけかねない店。賢者サマは、どう対処するのだろう。
「残念ね。素敵な出来映えなのだけど……」
そう言って彼女は右手を伸ばす。ま、まさか。
「待ッ……!」
「このグラスは、処分した方がいいわね」
え、なに? グラス?
「食べ物を入れるだけで、お手軽に妖怪退治……いや、人外退治が出来る優れもの」
「ど、どうして解るんですか」
「普通の職人が、普通の食材を、普通のやり方で調理している。なら、パフェ自体は普通にしか成り得ないわ」
だから食器が怪しい、って訳か。
確かにその通りかもしれないが……。
「でも、調達や調理を見たわけじゃ無いでしょう?」
「後ろ半分は直接見たもの。ついさっき」
例の、スキマの能力か。
いつの間に見たのかは知らないが、反則過ぎる。超カッコいい。
「前半分は?」
「食材を買う場所が同じなら、大丈夫。安心して良いわ」
「言い切りますね」
私の言葉に賢者サマは、扇子で口元を隠して笑うだけだった。安心って言われたのに怖すぎるぞ。
「種族問わず、それなりの効果が有るようだし……店を潰したくなければ、グラスの処分を勧めるわ」
「ええ。ご忠告通りに」
「賢明ね。それでは、ごきげんよう」
「ありがとうございました」
優雅な所作で店を出て行く賢者サマ。
ひとまず、彼女の言うことを信じるならば、グラスを交換しないとな。
そういえば、岩戸に籠もる天人サマは大丈夫か?
様子を見に行こうとしたら、やはり勢いよく厠の扉が開かれて、やはり青い顔の天人サマが出てきた。
「だ、大丈夫ですか?」
「危うく五衰が来るところだった……」
「そんなに」
こいつが帰ったら速攻で代わりを買ってこよう。
木っ端妖怪が食ったら即座に消滅しかねんぞ。
「あれ、スキマは?」
「お帰りになられましたよ。ああ、お代は二人分貰ってますので」
「支払い済みなの? あー、もう、やられた……」
何故か悔しそうにガシガシと頭を掻く天人サマ。
払って貰ったのなら、むしろ喜ばしい気がするが。
「何か不都合でも?」
「アレに施しを受けるなんて、屈辱にも程があるわ」
プライドの問題ってやつだな。まあ確かに、分からんでも無い。
「ま、いい。次の機会に叩き返す。ああ、パフェな。味は美味かったぞ。地上のにしては」
「恐縮です。店主に伝えます」
「次来るかは解らないけどね。それじゃ」
やれやれ、やっと一段落か。今日ほど心臓に悪い日もあるまいよ。
さて……替えのグラスか。あの形の物は、全部処分すべきだろう。
流石に別種のグラスは用意していないだろう。何とか理由を付けて、買い換えさせる必要がある。
まあ、メニューはすり変えたから注文は来るまい。安心していいだろう。
味は賢者と天人のお墨付き。これを世に出せないなんて勿体ないからな。
からん、ころん。
扉のベルが来客を告げる。
そういえば、今日はまだこの二人しか来てなかったな。店主には悪いが、運が良い。
「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか」
「はい」
「では、こちらにどうぞ」
よし、今度は普通の女性だ!
髪色が緑だけど……うん! ごく普通の女性に見える!
そうだ、彼女は普通の女性に違いない。
……そうなんだよね?
「お決まりになりましたらお呼びください」
そう言って席を離れると、テーブルの陰に隠れるようにしゃがんだ天人サマが見えた。
「お、おい給仕……給仕……!」
小さな声で叫ぶ天人サマの方へと向かう。
「どうされましたか?」
「どうもこうも……」
そう。三人目の来客は、ごく普通の女性に見える。
「どうしてヤマザナドゥがここに居る……!?」
ごく普通に見える、緑髪の女性を指して震える天人サマ。
賢者に天人ときて、閻魔様ってお前……一介のろくろ首が対処できる事案じゃないだろコレ。
このままじゃ、続々と迫る試練に首が回らなくなる。冗談だけど、冗談じゃ無い。
「閻魔程度、敵では無いが、面倒だ。裏口とかは無いのか?」
「奥に行って左です」
「分かった。あ、最後に一つ」
「なんでしょう」
「次の新作は桃味以外にして」
「え、はあ。伝えます」
リクエストをしながら離脱する天人サマ。来る気満々かよ。
その背中を見送った所で、どうやら閻魔らしい女性から、お呼びが掛かった。
「すいません」
「はい。お伺いします」
「あそこに貼ってあるビラの、抹茶パフェを」
「剥がすの忘れてた……ッッ!」
「どうしました?」
……本日の教訓。油断大敵。
相変わらず会話のテンポが転がるようで面白い。
閻魔様が食べた時の反応も見たかったです。あと緑色の粒子を吐き出すばんきっき。
おせきちゃんと店主の会話からしてもう「後で誰かが事故るぞ」って分かり易いフラグになってっからね
こっそりやってる労働だしツッコミたくないけど、ツッコまないと話が進まないので仕方なくツッコミをするおせきちゃん可愛い
単純に正体隠して労働してるばんきっきが好きなだけかもしれんが
発想がとても面白かったです。
そして最後の被害者が……
とても良かったです!
良かったです。
なぞのパフェというか器というか
初手で紫が来てしまう赤蛮奇の不運がすごかったです
器の正体が気になります