伍
そもそも水はマジで駄目なんだって。だというのにここ最近濡れてばかりだ。あの金髪を助けた時に剥がれかけた式を藍様に直してもらってまだ半日も経っていない。虫の知らせだ。地震が来る前に耳鳴りが聞こえてくるような、あれだ。現に私が家を飛び出してすぐにリグルが駆けつけた。目的は私と同じのようだった。地上は自然の生み出した殺意で溢れ返っていてさっさと空でも飛んで駆けつけたいところだったが、生憎、そんなことをすれば飛散物と水に揉まれて上下もわからなくなった挙げ句、何らかの何かに叩きつけれられてその生を終える事をどんな馬鹿にも予感させるような天気だ、幽霊の一匹だって飛んでいない。あるいはこの世の全ての馬鹿は空を飛ぼとうとして死に絶えたのだろう。そうだったら嬉しいな。この世の全ての馬鹿の大半は空を飛ぶ術を持たないが。ファッキュー。リグルは走りながら、今日は静かだねと言った。私には木が悲鳴を上げて倒れる音や土と石と水の混ざった茶色い死が追いかけてくる振動で頭がおかしくなりそうだと思った。ずっと意識が飛びそうだ。いっそ式を剥がしてしまった方が楽かもしれないが、八雲の力の破片も無いような状態で役に立つ事がそう沢山あるとは思えない。筋肉が視界を埋め尽くして不愉快であまりやりたくはないが、青鬼と赤鬼を喚んで雨避けになってもらうことにした。リグルはいつも連れている、特に目をかけている虫五匹の内の一体、大百足に乗っていた。私達は上白沢先生がヤバいと思っていた。
紫様と藍様は私を屋敷に上がらせて自分達は何処かへと消えた。今日が山になるでしょうね、と紫様は言っていた。私にはわからない。わかるつもりもない。どんな何があって仕方ないのかなんてのもどうでもいい。ただ消えて欲しくない営みがあるだけだ。やまほどの。寺小屋に着いた。なんと灯りがついていた。うん。ここまで来た私達も私達だが、本当に上白沢先生がここに居たとしたらあまりにも馬鹿すぎるだろう。何がしたいんだ。避難しろ。それにここは何かが正しくない。リグルも少しやかましそうにしている。そうだ、ここはなんというか、鉄砲水で壊滅の憂き目にあっている世界の一部として相応しくない平和さだ。しとしとと微かな。ああいや、理解した。あの、この世で最も守るべきものはこの子共らだろうと言って憚らない巨乳女の事だから、寺小屋が滅びないように改変をしているんだ。最近調子がよくなさそうだったのもそれだな。たとえ寺小屋の一角だけと言っても食べなければならないものが多すぎて処理しきれていなかったのだろう。馬鹿野郎が。これだから善人は嫌いだ。手前が死んだらその後周りがどうなるのかなんて考えもしない。急いで灯りのついた部屋に押し入れば、そこには既に息も絶え絶えと言った様子の上白沢先生が居た。ずぶ濡れだ。恐らく雨ではなく汗だ。馬鹿げている。馬鹿が。糞馬鹿奴。こいつはどうせ子供達の「共に居た場所」を守ろうとしたという理屈だろうが、私から言わせれば私達の居た場所は「お前」なんだよ。
「何をしている?」
驚いたように、そして呻くように上白沢先生が言った。私が巫山戯るなと叫び終わる前に倒れ始めた彼女を、大ムカデが素早く、そして優しくキャッチした。そしてその瞬間に轟音が鳴る。食べ続けていた歴史の続きが発生する。つまり水と風だ。こんなボロけた寺小屋は直ぐにひしゃげて終わりだ。そんで、ここから一番近い避難場所は寺だ。屋内をちまちま歩いている余裕もなさそうなので青鬼に壁をぶち抜いてもらうと周りが赤く光っていた。炭屋だ。飛んでいる。狼狽した様子だったが、私達が抱えている先生を見て直ぐに私達を先導し始めた。燃やし尽くせない飛来物を無視して喰らい、水を蒸発させながらごり押しで飛行しているようだった。あいつも馬鹿だと私は思った。
「先生がこんな無茶をしている事に気が付かなかったのか?お前が居ながらなんでこんなことになる?」
「その慧音の頼みだ。慧音だけを助ければ良いわけじゃないんだ、私は」
「そのために慧音を殺しちまったら意味ないだろ、お前以外は誰だって死ぬんだぞ!」
「慧音の体だけ助けたって意味がない。私は慧音の全てを助けたいのよ。そして私に八つ当たりするな」
「うるせーー!」
橙は若いね、とリグルが微笑ましそうに笑ったその顔を殴りつけそうになるのを我慢してとにかく走った。誰かのために頑張るとか虫唾が走る。私は自分だけ幸せならそれでいいのに。じゃあ今は?張る必要もない命を張って息を切らして、式も意識も剥がれ飛びそうなこの状況は何だ?私は何をしているんだ?今どれくらい走ったんだ?一歩進む間に一日分物を考えていないか?そもそも私はなんで式神になったんだっけ?干した魚焼いて喰ってヘラヘラ笑って頭を撫でて貰う事が次に出来るのはいつになる?私はまた笑えるのか?この沢山の死の後で。リグル。お前はなんなんだよ。なんで笑うんだ。お前は何が起きれば泣くんだ?私は今どんな顔をしてるんだ?そして考えが絡まった針金のようになっているところに、更に意味不明な糸が一本通る。突如として巨大な発光体が何処か地上の遠方から発生し、天へ登っていった。雲を突き破ったと思うと、光はその全てを喰らい尽くすようにして、僅か数瞬の間で後に残るのは満天の星空のみとなった。
「雨が・・・止んだのか?」
「ボケッとするな馬鹿!」
よく通る声で炭屋が怒号を飛ばしたと思うや否や、既に私の後ろには死が迫っていた。空が綺麗に掃除されたから地上の様相が直ぐに改善する訳じゃない。もう暫くは雨風が激しいはずだ。直ぐに鬼達を還した。炭屋が火力を弱めて私達を掴んで上に引き上げたところで眼下は一瞬で糞色の水に塗り固められた。ボケっとするとどうとかいうレベルはとっくに超越していた。極限状態だといちいち罵詈雑言が出るのは私と炭屋の性根がゴミだからだと思った。いや。まってくれ。助かってない。あいつは不死身でもあいつ以外は誰だって死ぬ。こんな最中で私達みたいな雑魚が飛んだら、と考えるまでもなく、次の瞬間飛んできた大きな木の破片に上白沢先生が薙ぎ払われた。炭屋がどんな必死な形相をしているか見物している暇はなかった。私は強く掴まれた自分の服の背中を引き裂いて先生のところへ飛んでいって掴んで、炭屋の方へ投げた。炭屋が先生をきちんとキャッチしたかどうかを見届ける事はできず、私は天井だか地面だかもわからない水の塊に叩きつけられて濁流にぶん殴られた。その直前に見えたのは、地獄すらもここと比べれば生ぬるいだろうと思う様相をそのまま表したような地上、主張の激しい月と星の明かり、それに照らされた雨の残りが乱反射する様、空をも食い潰す蝗の群れを想起させる妖精達、そして月まで届く不死の水蒸気と赤く輝く羽。
意識が飛ぶその直前、そういえば藍様が今日は外に出ないように言っていたなと思った。
そもそも水はマジで駄目なんだって。だというのにここ最近濡れてばかりだ。あの金髪を助けた時に剥がれかけた式を藍様に直してもらってまだ半日も経っていない。虫の知らせだ。地震が来る前に耳鳴りが聞こえてくるような、あれだ。現に私が家を飛び出してすぐにリグルが駆けつけた。目的は私と同じのようだった。地上は自然の生み出した殺意で溢れ返っていてさっさと空でも飛んで駆けつけたいところだったが、生憎、そんなことをすれば飛散物と水に揉まれて上下もわからなくなった挙げ句、何らかの何かに叩きつけれられてその生を終える事をどんな馬鹿にも予感させるような天気だ、幽霊の一匹だって飛んでいない。あるいはこの世の全ての馬鹿は空を飛ぼとうとして死に絶えたのだろう。そうだったら嬉しいな。この世の全ての馬鹿の大半は空を飛ぶ術を持たないが。ファッキュー。リグルは走りながら、今日は静かだねと言った。私には木が悲鳴を上げて倒れる音や土と石と水の混ざった茶色い死が追いかけてくる振動で頭がおかしくなりそうだと思った。ずっと意識が飛びそうだ。いっそ式を剥がしてしまった方が楽かもしれないが、八雲の力の破片も無いような状態で役に立つ事がそう沢山あるとは思えない。筋肉が視界を埋め尽くして不愉快であまりやりたくはないが、青鬼と赤鬼を喚んで雨避けになってもらうことにした。リグルはいつも連れている、特に目をかけている虫五匹の内の一体、大百足に乗っていた。私達は上白沢先生がヤバいと思っていた。
紫様と藍様は私を屋敷に上がらせて自分達は何処かへと消えた。今日が山になるでしょうね、と紫様は言っていた。私にはわからない。わかるつもりもない。どんな何があって仕方ないのかなんてのもどうでもいい。ただ消えて欲しくない営みがあるだけだ。やまほどの。寺小屋に着いた。なんと灯りがついていた。うん。ここまで来た私達も私達だが、本当に上白沢先生がここに居たとしたらあまりにも馬鹿すぎるだろう。何がしたいんだ。避難しろ。それにここは何かが正しくない。リグルも少しやかましそうにしている。そうだ、ここはなんというか、鉄砲水で壊滅の憂き目にあっている世界の一部として相応しくない平和さだ。しとしとと微かな。ああいや、理解した。あの、この世で最も守るべきものはこの子共らだろうと言って憚らない巨乳女の事だから、寺小屋が滅びないように改変をしているんだ。最近調子がよくなさそうだったのもそれだな。たとえ寺小屋の一角だけと言っても食べなければならないものが多すぎて処理しきれていなかったのだろう。馬鹿野郎が。これだから善人は嫌いだ。手前が死んだらその後周りがどうなるのかなんて考えもしない。急いで灯りのついた部屋に押し入れば、そこには既に息も絶え絶えと言った様子の上白沢先生が居た。ずぶ濡れだ。恐らく雨ではなく汗だ。馬鹿げている。馬鹿が。糞馬鹿奴。こいつはどうせ子供達の「共に居た場所」を守ろうとしたという理屈だろうが、私から言わせれば私達の居た場所は「お前」なんだよ。
「何をしている?」
驚いたように、そして呻くように上白沢先生が言った。私が巫山戯るなと叫び終わる前に倒れ始めた彼女を、大ムカデが素早く、そして優しくキャッチした。そしてその瞬間に轟音が鳴る。食べ続けていた歴史の続きが発生する。つまり水と風だ。こんなボロけた寺小屋は直ぐにひしゃげて終わりだ。そんで、ここから一番近い避難場所は寺だ。屋内をちまちま歩いている余裕もなさそうなので青鬼に壁をぶち抜いてもらうと周りが赤く光っていた。炭屋だ。飛んでいる。狼狽した様子だったが、私達が抱えている先生を見て直ぐに私達を先導し始めた。燃やし尽くせない飛来物を無視して喰らい、水を蒸発させながらごり押しで飛行しているようだった。あいつも馬鹿だと私は思った。
「先生がこんな無茶をしている事に気が付かなかったのか?お前が居ながらなんでこんなことになる?」
「その慧音の頼みだ。慧音だけを助ければ良いわけじゃないんだ、私は」
「そのために慧音を殺しちまったら意味ないだろ、お前以外は誰だって死ぬんだぞ!」
「慧音の体だけ助けたって意味がない。私は慧音の全てを助けたいのよ。そして私に八つ当たりするな」
「うるせーー!」
橙は若いね、とリグルが微笑ましそうに笑ったその顔を殴りつけそうになるのを我慢してとにかく走った。誰かのために頑張るとか虫唾が走る。私は自分だけ幸せならそれでいいのに。じゃあ今は?張る必要もない命を張って息を切らして、式も意識も剥がれ飛びそうなこの状況は何だ?私は何をしているんだ?今どれくらい走ったんだ?一歩進む間に一日分物を考えていないか?そもそも私はなんで式神になったんだっけ?干した魚焼いて喰ってヘラヘラ笑って頭を撫でて貰う事が次に出来るのはいつになる?私はまた笑えるのか?この沢山の死の後で。リグル。お前はなんなんだよ。なんで笑うんだ。お前は何が起きれば泣くんだ?私は今どんな顔をしてるんだ?そして考えが絡まった針金のようになっているところに、更に意味不明な糸が一本通る。突如として巨大な発光体が何処か地上の遠方から発生し、天へ登っていった。雲を突き破ったと思うと、光はその全てを喰らい尽くすようにして、僅か数瞬の間で後に残るのは満天の星空のみとなった。
「雨が・・・止んだのか?」
「ボケッとするな馬鹿!」
よく通る声で炭屋が怒号を飛ばしたと思うや否や、既に私の後ろには死が迫っていた。空が綺麗に掃除されたから地上の様相が直ぐに改善する訳じゃない。もう暫くは雨風が激しいはずだ。直ぐに鬼達を還した。炭屋が火力を弱めて私達を掴んで上に引き上げたところで眼下は一瞬で糞色の水に塗り固められた。ボケっとするとどうとかいうレベルはとっくに超越していた。極限状態だといちいち罵詈雑言が出るのは私と炭屋の性根がゴミだからだと思った。いや。まってくれ。助かってない。あいつは不死身でもあいつ以外は誰だって死ぬ。こんな最中で私達みたいな雑魚が飛んだら、と考えるまでもなく、次の瞬間飛んできた大きな木の破片に上白沢先生が薙ぎ払われた。炭屋がどんな必死な形相をしているか見物している暇はなかった。私は強く掴まれた自分の服の背中を引き裂いて先生のところへ飛んでいって掴んで、炭屋の方へ投げた。炭屋が先生をきちんとキャッチしたかどうかを見届ける事はできず、私は天井だか地面だかもわからない水の塊に叩きつけられて濁流にぶん殴られた。その直前に見えたのは、地獄すらもここと比べれば生ぬるいだろうと思う様相をそのまま表したような地上、主張の激しい月と星の明かり、それに照らされた雨の残りが乱反射する様、空をも食い潰す蝗の群れを想起させる妖精達、そして月まで届く不死の水蒸気と赤く輝く羽。
意識が飛ぶその直前、そういえば藍様が今日は外に出ないように言っていたなと思った。
一時間ぐらい悩んでましたけど「格好いい」以外の感想が出てこなかった。とても良かったです
続きが気になりますね〜!
うるせぇ!としか言えない橙がよかったです