第一印象は、傍若無人。その一言に限った。
後先考えずに暴れ回る。まるで気が狂ったかのように、彼女は刺激を欲していた。
「ねぇ、天子。」
だからこそ、気付くべきではなかったのかもしれない。
だからこそ、気づいてしまうのかもしれない。
「紫、ねぇ。」
博麗霊夢は悩んでいた。目の前の小人が思いつめた顔で、意外な人物を探している事に。
「うん、ちょっとだけでも話せないかな、って。」
小人の名前は少名針妙丸。最近は比那名居天子と連んでいるらしい。
そして、探している人物はその天子の天敵、八雲紫。
「騒ぎとか起こさないわよね……」
「大丈夫。"そういうの"じゃないから。」
「……わかったわ。」
霊夢は針妙丸の言葉に、悪意は感じ取れない。異変の相談事でもなさそうなので了承をした。
「じゃ、ちょっとだけ待ちなさい。今、博麗大結界を歪ませて___」
「そんな事しないで、普通に呼びなさい。」
「玄関から入ってこない奴に正論を説かれたくはないわ、紫。」
霊夢が神社の外に手をかざした瞬間、空間が裂けて、その手を掴む。そのまま裂け目は大きくなり、その中から金髪の女性が出てくる。八雲紫その人であった。
「話は全部聞いていたわ。それで小人さん?何の用かしら。生憎と、ガリバー旅行記の様なお話はできなくてよ。」
「盗み聞きとは良い趣味してるわね。」
「話の腰を折らない。」
霊夢は、お茶入れてくるわね。と台所に向かった。博麗神社の縁側で針妙丸と紫、二人だけになる。
「で、聞きたい事は何かしら?」
「………比那名居、天子について。」
「あら、あの娘の事なら、貴方の方が詳しいのではなくて?」
「"表面だけ"ならね。」
「……あら。」
紫は、今更と言いたげな表情で針妙丸を見下ろす。
その表情を見た針妙丸は、苦い表情を浮かべた。
「その様子だと、気付いてたんだね。」
「……まあ、二度も見れば判るわ。」
フフッ、と一つ笑い。紫は話し出す。
「あの娘、『空っぽ』だったでしょう。」
「言葉にするなら、そうなるのかもね。私は虚ろに思えた。」
「そうね、言葉にするならそちらに近いでしょう。で、貴方はなぜ気付けたのかしら?あの娘を歪さに気付くのは、並大抵では到達出来ないはずよ。余程の地雷を踏むか、隣に居ないと気が付かない程、隠しきっている。」
「………どっちも。」
「フフッ、アハハハハッ!」
針妙丸の答えを聞いて、思わず噴き出す紫。それに針妙丸は怒りを示す事は無い。それどころか、だろうなと言った表情で紫を見上げる。
「あー、可笑しい!見えてる地雷を自ら踏み抜いてどうするのよ?」
「……反論の余地もないね。」
「いいわ、面白い物を見せて貰った代金として、答えてあげる。」
「………」
「そうねぇ、あえて言うなら"成長の無かった子供"かしら。
彼女は、お情けで天人になった、と聞いたのだけど。合っているかしら?」
「うん、聞いてる。家族全員で天人になった、って。」
「まず一つ目の原因はそれよね。天人へ成るには段階を踏まなくてはいけないのは、知っているでしょう?」
コクリ、と頷く針妙丸。
「あの子はそれを飛ばしている。と、いうか人間として成長すら出来ていないの。
だけれど、天人になってしまった。人として成長する前に天人として振る舞わなくてはいけなくなった。相当な無茶振りよねぇ。だけれどそうする他なかった、だってなってしまったものは仕方ないもの。
あの娘が努力をした事がないとは言わないわ。それどころか天人として振る舞うのに一番努力したんじゃないかしら。
だけれど周囲はその努力に気付く所か、何故努力しているのか、何て思ったでしょうね。だって天人に成れるくらいならそんな努力必要ないもの。もう持っているものなのだから。
両親も、そんな風に思ったのではないのかしら。これが二つ目の原因。
努力しても認められず、それどころか天人としては不良だもの。でも本人はそうする他ない。だって、そうしないと不良天人どころか天人失格だもの。両親だって、そんな娘は疎ましく思ったでしょうね。愛情なんて言わずもがな、友情にさえ飢えている。
今まで生きていた中で手に入れたものは何もないでしょうね___いや、一つ。天人としての外面ならあったわね。だから私は、外側だけの存在。『空っぽ』と言ったのよ。」
「……普通なら。」
「天人五衰で死んでるって?」
針妙丸の疑問に食い気味に応える紫。その表情は奇妙に歪み、笑顔と形容するには気色が悪かった。
「そうなってないから歪なのよ、何にも楽しくない筈なのに、苦しい筈なのに。もはや、感情の痛覚が死んでるどころの話じゃないわね。
言うなれば、自己暗示。かしらね。」
楽しいと思い込む、愛されてると思い込む、そんな事が出来てしまっていた、天子には。だからこその歪。
通常、自己暗示は人間でも使える。だが、それにも限度がある。ましてや、死を退ける程の自己暗示が出来ている事が異常なのである。
「でも、貴方に気付かれる程に穴があった。でしょう?」
「……」
針妙丸は深く考え込み、やっとの思いで答えを返す。
「違う、あれは穴なんかじゃない。穴だとしても意図的にある穴なんじゃないかな。」
「何故そう思うのかしら。」
「……肯定されたの、その事を。自身の状態を分かっていたの。」
「ねぇ、天子。」
針妙丸は自らの住処、輝針城で、天子と一緒に月を見上げていた。
「なによ?辛気くさそうな顔をして。」
天子は針妙丸に満面の笑みを向ける、それは非の打ち所がない美しい笑顔であった。
普通の人なら、元気のいい子と思うだけであろうが、針妙丸には逆に空虚に思えて仕方がなかった。
針妙丸は天子と一緒に異変に参加してからよく連んで行動していた。
だか最近、行動の節々に違和感を感じるようになってきたのである。
自ら危険地帯に踏み込む、不幸ですら笑い飛ばす。こう聞けば、野次馬根性で前向きな人間性だと思えるが、それが過剰すぎるのだ。まるで、そうでもしないと生きていけないかの様に。
「なんかさ……天子って自暴自棄、だよね。」
そして今、針妙丸は踏み込もうとした。天子の奥底に。
「なによ、自暴自棄?そんな馬鹿みたいな事してるわけないでしょ。引き際は弁えてるつもりよ、これでも。」
防がれた、針妙丸はそう思った。ぶー垂れた表情も完璧だ。
それでも、この違和感を払拭したい、その思いでまた一歩踏み込む。
「ッ……そう。じゃあ、なんで貧乏神を引き取ったり、皆んなに迷惑がられても笑って、られるの。」
迷いに迷った次の一手。言葉を紡ぐ勇気を振り絞ったのか、言葉が所々突っかかる。
「……」
沈黙。その一瞬、天子の表情が揺らぐ。だが、すぐに"怒った顔に"戻る。
「ハァ!?なによ!紫苑を引き取ったのは私の度量の広さ、あいつらが迷惑そうにしてるのは、天人様のありがたさを理解してないからよ!な〜によ、私に文句でもあるの〜?針妙丸。」
今度も弾かれる。いつもの『比那名居天子』を被ったままだ。
ギリッ、っと奥歯を噛みしめる針妙丸。悔しくて噛み締めたのではない、"それ"を平然と行う天子が痛々しくて見ていられないためだった。
「……あるよ……文句。」
まだ、まだ踏み込める。針妙丸は諦めない。自らの心に従って、もう一歩を踏み込む。
「えっ!?あるの!?」
驚く、フリ。今度は少しも揺るがない。
針妙丸の感情は怒りに変わる。そんなにも自分は信頼出来ないか、私は比那名居天子にとってなんなんだ!そんな怒りに変わる。
その怒りは、針妙丸の次の一言を吐き出すのに十分だった。
「___その、フリをやめてよ天子!私、そんなに頼りない!?私にぐらい、全てを見せてよ!」
その小さな身体からは、想像もできない大声で感情をぶつけた。
「な、なに言ってるのよ……フリだなんて……」
「気付いてよ!自分がどんな状態なのか!本当に死んでないのが不思議なくらいだよ!?だからわた_______」
言葉を紡ぐ途中、針妙丸は何かに押し潰される様な感覚に襲われた。
実際には潰されていない、だが全てを飲み込む何かを感じ取った。それは泥の様な圧力で形容しがたい気色悪さを含んでいた。
針妙丸の全身から冷や汗が噴き出す、そして見上げる。目の前にいる『それ』を。
「どうしたの、続けてよ。」
目の前にいるのは紛れもなく比那名居天子。だが、何処かおかしい。
月に照らされた天子の顔は美しい、筈である。だが、針妙丸にはその顔に恐怖しか感じなかった。
眼は見開かれ、微笑を含んでいるものの、笑顔では無いと本能が告げている。こちらを真っ直ぐに見据え、隙あらば殺そうかというような雰囲気。
何時もの『比那名居天子』では無い、そう直感した。
「……天……子?」
「どうしたの、ほら続けて。ねぇ____」
スッ、っと指先で頬を撫でられる。全身の毛が逆立つ。危険であると本能が告げている。だが、針妙丸の体は動かない。包み込む泥のような雰囲気に飲まれ、動けない。
「……だ……誰。」
「あら、酷い。さっきまであんなに『私』を呼んでいたじゃない。」
「ち、違う!アンタは比那名居天子じゃない!誰なの!」
「違わないわ、『私』も比那名居天子よ。」
「……"も"?」
「そう、比那名居天子と同一の『私』、『比那名居天子』よ。今度は、貴方の言うフリ、じゃないわ。」
針妙丸が踏み込もうとした天子の奥底、それがあちら側から出てきた。そう感じた。
だが、予想した展開とは違い、針妙丸は戸惑いを隠せない。
「____ぁ。」
「なに?あれだけ言っといてそれだけ?つまらないわ。」
「……気付いてない、んじゃない__」
「気付いていたわよ。見当違いだったかしら?」
「ぇ____ぁ______」
「大見栄切っといてそれ、か。……まあ、踏み込もうとした勇気ぐらいは褒めてあげる。普通の人なら逃げるか遠ざけるか。どちらかだもの。貴方は『あの』比那名居天子の側にいる資格があるわ。」
「……」
針妙丸はなにも言えない。この場全てが『比那名居天子』に支配されている。
「じゃあ、ここからは『私』の説明。
ある日、比那名居天子ちゃんはいつもの様に、努力をしていました。ずーっと、ずーっとね。
それでも周りは認めてくれません。それどころか蔑むばかりでした。
両親に縋りつこうとしましたが、そんな事できませんでした。なんと、両親は天人としての徳をもっと積みたいがために、娘の事など目にもくれないのです。
だーれにも、助けられなかった天子ちゃん。天界にいるのに地獄にいるようでした。
ですが、そこに救いの手が差し伸べられました。さて、誰でしょう?」
「……」
「時間切れ、無回答は減点よ。答えは『私』。そう、『比那名居天子』が比那名居天子を助けたのでした。」
「そ、そんな事……」
「人は一人では助からない?そうね、普通ならね。でも、他でもない比那名居天子には出来てしまったの。可笑しいでしょう?
自分が自分を救う、なんて。こんな喜劇か悲劇か判らない事が起きてしまった!救いではないかもしれない。でもね、今まで生きてこられたのはそれが出来ていたからよ。なら、救いと言ってもいいでしょう?
さて、そんな天子ちゃんは負の感情、絶望、悲しみ、怒り、空虚、悪意、罪悪感、それら全てをこの『私』に。
希望、喜び、楽しさ、充実感、そんな感情は自分自身に。
そうする事で、自分を救ってきました。そうすれば、天人五衰も来ないしね。」
「……二重人格……」
「残念ながら不正解。『比那名居天子』と比那名居天子は同一と言ったでしょう。ただ、感情の記憶を共有していないだけ。だからあんなに楽しそうなのよ、比那名居天子は。
ほんっと……楽しそう。私はそんな物感じた事すらないのに。」
「……」
「おっと、話が脱線したわね。つまり、比那名居天子は負の感情を持っていないのよ。『比那名居天子』を犠牲にしてね。
それでバランスを保っている。それを私達は良しとしている。
だからね、貴方はこれ以上。『比那名居天子』に踏み込みも、近寄りもしないで。そして、比那名居天子の側にいて、忘れていなさい。」
「そん……な。」
無理だ、針妙丸はそう思った。
こんな衝撃的なもの突き付けられて、忘れられるはずも、ましてや助けたいと思わないなんて無理だ。そう感じ、言葉に出す。
「それじゃあ、根本的な解決に_______」
言葉を潰される。
ガシリと、喉元を掴まれた。そのまま力を入れられると、針妙丸の首が、最も簡単に千切れるのが想像出来た。
「ね?そうしてね。」
そうしないとこのまま殺す。言葉に出さずとも伝わった。
「……は……い。」
辛うじて出た声は、なんとも情けないものだった。
「よかった、わかってくれて!」
すうっと、首から天子の手が離れる。針妙丸に取り憑いていた殺気が薄れていく。
針妙丸は、いつの間にか止めていた息を大きく吸い込む。そして下を向いて吐き出す。
「次に踏み込んだら、即座に殺すわ。私達の為に。」
耳元で囁かれたその言葉に、息が止まる。脊髄に氷を差し込まれたかのような感覚が針妙丸の身体を駆け抜ける。そして、顔を上げて天子を見る、が。
「_______あれ?なんの話していたんだっけ?」
何時もの比那名居天子がそこにいた。
「ダブルシンク。二重思考ね。」
事の全てを聞いた紫は即座に答えを出す。
「ダブル……?」
「自らの記憶、感情を改変するのが自己暗示。でもそれに加えてその改変された記憶、感情を思い出す機能を残している。つまり同時に二つの思考を持ち合わせているのよ、あの娘は。」
「どういう事。」
「つまりは、普段の生活では……そうね、言い表すなら外皮の比那名居天子が機能している。だけれど、非常事態になったら内側の比那名居天子が出てくるのよ。
今回、貴方が踏み込んできた。だから、非常事態だと思って内側の比那名居天子が出てきたのよ。自らの矛盾と異常性を隠す為にね。」
「じゃあ、やっぱり二重人格と変わらないじゃない。」
「違うわ。二重人格とは人格の障害の一種、自我の継時的統一性が失われて2種あるいはそれ以上に分裂する障害よ。
2つの人格がある期間をへだてて現れ、それぞれ相異なる姓名を名のり、まったく別の職業についていて、相互の間には記憶の連絡がなかった。なんて症例があるくらいよ。
でも『比那名居天子』は自らを比那名居天子と言ったのでしょう?しかも、『比那名居天子』は比那名居天子の記憶はある。でも比那名居天子は『比那名居天子』の記憶は無い。意図的にやってるとしか思えないわ。
そして、二重思考について。一方で心から信じていながら、意識的な嘘を付く事、不都合になった事実は何でも忘れ去る事、次いで再びそれが必要となれば、必要な間だけ忘却の彼方から呼び戻すこと、客観的事実の存在を否定する事、それでいながら自分の否定した事実を考慮に入れる事よ。ね、違うでしょう。」
「……」
針妙丸は考え込む。そう言われてみればその通りである。
天子は自らを天子だ、そう言っていた。そして意図的に悪い記憶を『天子』に押し付けていて、それを『天子』は良しとしていた。
「まったく……面倒くさい娘ね。でも、そんな幼い頃に、生きる為だけに、そんな事出来てしまったのだから天才と言っても過言じゃ無いわね。哀れだけれど。」
ケラケラと笑う紫。それを見て針妙丸は怒りがこみ上げてくるが、抑える。
そこまでわかっているのなら、頼むしか無いと思ったのだ。
「私は助けないわよ。」
「_____ッ!?」
口に出す前に切って捨てられた。さっきまで笑っていた瞳は冷ややかなものに変わっている。
「あんな親の教育が行き届かなかった問題児、私が助けるとでも思ったの?逆よ、迷惑だわ。さっさと五衰でもきて死んでくれた方がまだマシなんじゃ無いのかしら。私は学校の先生では無いのよ。」
「こッ____のッ!」
完全に堪忍袋の尾が切れた。ここまで友人を馬鹿にされて怒らない人間はいるはずもなく、針妙丸は紫に飛びかかる。
が、紫は待ち構えていたように針妙丸の顔面に掌を翳す。
「愚か者。」
空間が捻れる。紫にしてみれば虫を潰すかのように簡単に、躊躇いもなく殺した。
針妙丸の身体が捻じ曲がる。グシャリ、と生々しい音が_______
「何やってんだ、馬鹿。」
しなかった。代わりに木片が破れるようなバキリッ、と音がした。
紫が手をかざし、捻った場所には人形であったものがバラバラになっていた。
「……呪いのデコイ人形。だったかしら?」
「よく覚えてるじゃねぇか。てっきり私みたいなモブには興味ないと思ったんだが。」
「ハッ!アンタみたいな危険性の塊みたいなモブがいるものか。もうちょっと自身の立場を省みてみたら?『お尋ね者』さん。」
「せ……」
博麗神社の林から一人、ニヒルな口調で出てくる。その手に、針妙丸を抱えながら。
「正邪!」
幻想郷のお尋ね者、永遠のヴィラン。鬼人正邪である。
「何をやっているかと思えば、窮鼠猫を噛むどころかノミが邪神に挑んでどうするですか馬鹿姫。」
「な……馬鹿姫ってなにさ!」
「馬鹿を馬鹿って言って何が悪い。」
正邪の腕の中で暴れる針妙丸。先程の紫への怒りを忘れているようだった。
「で、少しは冷静になりましたか。姫。」
「あ……うん。」
「なら、そのまま帰って下さい。あの天人と『いつも通り』遊んでくればいいじゃないですか。」
「……」
正邪は針妙丸に話しているが、紫からは目を離さない。少しでも攻撃の意思を見せたら、即撤退出来るように警戒している。
そのお陰か、紫は捻った腕を下ろす事なく、そのままの姿勢で正邪を見据えている。
「ほら、早く。」
「う、うん。」
針妙丸は正邪の腕から降り、言われた通りに神社を後にしようとした。
「姫!」
「な、なに?正邪。」
呼び止められた。
振り返ると、正邪の瞳は真剣そのもの、しっかりと針妙丸に向けている。任せろと言わんばかりに。
「『いつも通り』ですからね。例えそれが正解じゃなくても、今の最善策はそれです。わかりましたね?」
その言葉に込められた意味を針妙丸は理解した。それしか今は無いのだと。
「………うん。」
針妙丸は神社の階段を降りる、逃げるように。
そして、勢いを付け飛ぶ。天子の元へ。
「天子……」
「ん?針妙丸。どうしたのよ。」
辿り着いた。自由気ままに散歩していた天子を見つけるのは少し骨が折れたが辿り着いたのだ。
今は比那名居天子の様だ。
「……」
「な、なによ。黙って……怖いわよ?」
「……五月蝿いわボケー!!」
空中でドロップキックをかます針妙丸。それは確実に天子の顔面を捉えた。クリーンヒットである。
「アッだぁ!!何すんのよ!!」
「うっさい!バーカ!バーカ!この問題吸い込み台風娘ー!」
続けて、小さい拳でポカポカと天子の胸を叩く。先程までの怒りをぶつけるかの様に。
「はぁ?ほんと何なのよ……」
「うっさい!どんなになっても隣にいてやる!バーカ!」
「……」
天子の表情が、困り顔からポカンとした表情に変わる。
「針妙丸……アンタそんな歯が浮きそうな台詞言っちゃって……キャラ作り?」
「なわけないでしょ!もう……ほら!散歩の途中でしょ!付き合うから!」
「は、はぁ……まぁいいか。付いて来なさい!」
切り替えが早い天子は腕を振り上げ飛んでいく。それに遅れない様に針妙丸は付いて行こうとしたその時。
「___ありがとう。ごめんね。」
何処からか聞こえた声に立ち止まる。
「何やってんの?置いていくわよー!」
「あ、うん!今行くー!」
きっと今のは『比那名居天子』の声なのだろう。そう針妙丸は納得した。
正解ではないけれど最善策。正邪の言葉を思い出しながら天子の後を追う。
「いつか……救ってやるんだから。」
「天邪鬼が善行とは、一体どういう了見かしら。」
「善行、ねぇ。これが幻想郷崩壊の一手になるかも知んないぜ?」
「それならもう殺してるわ。貴方の今の行動は"そう"じゃないでしょう。」
「……かもな。」
針妙丸が去った後、正邪と紫の睨み合いが続いたが。正邪が戦闘態勢を解く。
そして紫と同じ、縁側に座る。
「まったく、世話がやける。」
「どっちの事かしら?」
「どっちも。馬鹿正直とクソガキ、どっちも世話がやけるさ。」
紫も正邪が縁側に座ったと同時に戦闘態勢を解いた。そして座り直す。
「あと、アンタもだ。八雲紫。」
「……あら、どういう事かしら?」
「わかってるくせに、白々しい。」
「……」
「あんた、比那名居天子を助けないとは言ってないだろ。」
「……言ってない___」
「だけですわ。ってか?素直じゃねぇな。面倒クセェ。」
「……」
紫の表情が不機嫌なものに変わる。だが、正邪は構わず話を続ける。
「じゃあ何であんたは比那名居天子を幻想郷から排除しない?それどころか私も殺そうともしていないじゃないか。
何でか。それはアンタがどうしようもなくお人好しだからだ。見てしまったもの、手が伸ばせるもの。アンタはそれら全てに救いを与えたいと思ってる。」
「そんな事_____」
「あるんだよ。じゃなきゃ何で『幻想郷』なんて延命装置を作り上げた?」
「いちいち人の言葉を遮らないでもらえるかしら。」
「ケケッ、すまんねぇ。そうしないと舌戦で勝てそうもないからな。で、解答は?」
紫はそれまで向けていた顔を背ける。
「そうね……そうなのかもしれないわ。でも私は見ているだけよ。幻想郷は全てを受け入れる、もの。」
「ハッ!よく言ったもんだ!アンタが見てることしかできないのは『賢者』としての立場があるからだろ。そんなもんなきゃアンタはいの一番に助けようと必死になる筈だ。
あと、幻想郷は全てを受け入れる。なんて言ってるけど、それはアンタが諦めきれないからだろうが。」
「__うな……」
「そんな中、比那名居天子にだけアンタは乱される。いつもの様に飄々と躱すのでもなく、珍しく感情を表に出して真正面からぶち当たる。」
「言うな……」
「そりゃ裏返せば、比那名居天子に入れ込んでるも同然だぜ!なぁ、八雲紫。"諦めて"ないで、動いてみろよ。」
「それ以上言うなッ!!!」
紫が正邪の胸ぐらを掴む。その顔は怒りというよりは焦りに近い表情であった。
「初めまして『八雲紫』、楽しみにしてたぜ。」
「くッ……」
「テメエも面倒クセェなぁ。化け物の癖にどこか人間臭い、どうしようもない二律背反。なら、諦める選択肢じゃなくてその手を伸ばして後悔しろよ。」
「アンタに何がッ……!」
「じゃあこの状況は何だ?ふざけんなよ、強者の癖して弱いフリしやがって。」
睨み合う両者、精神的有利は正邪にあるが、紫はすぐにでも正邪を殺せる体制に入っている。
「騒ぎ、起こさないでくれるかしら。」
そこに割って入る少女がいた。博麗霊夢である。
彼女は三つの湯呑みを抱え、睨み合う両者を見下していた。
「縁側は私の聖域よ、そんな所で騒ぎを起こすっていうなら二人とも封印するわよ。それが八雲紫であろうと。」
「……」
「……おっかねぇ。」
紫が正邪を離す。ドスン、と音がして正邪は縁側に尻餅をつく。
「気分が悪い、帰るわ。」
「お茶は?」
「いらない、飲む気にもならない。」
「そう、勿体ない。」
紫は不機嫌な表情のまま空間を裂き、できた隙間に入っていく。その途中。
「鬼人正邪。」
「あ?」
「アンタ、いつか殺すわ。」
「ケッ!やってみろバーカ。」
中指を立てる正邪。その姿を見て紫は舌打ちを一つして隙間に消える。
「アンタ、もうちょっと穏便にできないわけ?」
「ならオマエが出てくれば良かっただろ。そのせいでブチ殺す宣言されて夜も眠れねぇ。」
紫が去った後、正邪と霊夢の二人は縁側でお茶を啜る。
「私が出て行ったら公平じゃなくなるわ。」
「オマエでもそんな事考えるんだな。もうちょっと能天気で俗っぽいかと思ってた。」
「俗っぽいのは否定しないけど、能天気ではないわよ。そうじゃなきゃ博麗の巫女なんて面倒な役職務まるわけないでしょ。」
「それもそうか。」
ズズッ、同時に緑茶を啜る二人。そして正邪は湯呑みを床に置く。
「じゃあ、帰るわ。」
「そう。ありがとうね、今回の件。」
「あ?」
「アンタがあそこで介入しなきゃ、天子と紫が正面衝突する事態になっていたわ。そんな事になったら被害は尋常じゃない程になる。異変、レベルまでの事態に発展してたわ。」
「ああ……まあ、私は針妙丸が無事ならそれで良かったし。アイツいねぇと下克上できねぇし。それに、今なら比那名居天子なんてトンデモ兵器も手に入りそうだったからなぁ。それだけだよ。」
「ふふっ、素直じゃないわね。」
「天邪鬼だからな。」
「面倒なヤツね。」
「ちがいねぇ。」
ケケッ、という笑い声。ふふっ、という笑い声が神社に響く。
「どいつもこいつも面倒クセェ奴らばっかりだ。」
「でも、そんな面倒くさいのも受け入れてしまうのが幻想郷なのよ。」
「……そうかもなぁ。下克上なんて面倒な思想も。お人好しで不器用なヤツも。助けて欲しいのにそれが言えないヤツも。」
「それら全て受け入れる。幻想郷、いい所でしょ?」
縁側から立ち上がり、空を見上げる正邪。その表情は呆れているような、笑っているかのような。そんな顔をしていた。
「ああ、そうだな。」
後先考えずに暴れ回る。まるで気が狂ったかのように、彼女は刺激を欲していた。
「ねぇ、天子。」
だからこそ、気付くべきではなかったのかもしれない。
だからこそ、気づいてしまうのかもしれない。
「紫、ねぇ。」
博麗霊夢は悩んでいた。目の前の小人が思いつめた顔で、意外な人物を探している事に。
「うん、ちょっとだけでも話せないかな、って。」
小人の名前は少名針妙丸。最近は比那名居天子と連んでいるらしい。
そして、探している人物はその天子の天敵、八雲紫。
「騒ぎとか起こさないわよね……」
「大丈夫。"そういうの"じゃないから。」
「……わかったわ。」
霊夢は針妙丸の言葉に、悪意は感じ取れない。異変の相談事でもなさそうなので了承をした。
「じゃ、ちょっとだけ待ちなさい。今、博麗大結界を歪ませて___」
「そんな事しないで、普通に呼びなさい。」
「玄関から入ってこない奴に正論を説かれたくはないわ、紫。」
霊夢が神社の外に手をかざした瞬間、空間が裂けて、その手を掴む。そのまま裂け目は大きくなり、その中から金髪の女性が出てくる。八雲紫その人であった。
「話は全部聞いていたわ。それで小人さん?何の用かしら。生憎と、ガリバー旅行記の様なお話はできなくてよ。」
「盗み聞きとは良い趣味してるわね。」
「話の腰を折らない。」
霊夢は、お茶入れてくるわね。と台所に向かった。博麗神社の縁側で針妙丸と紫、二人だけになる。
「で、聞きたい事は何かしら?」
「………比那名居、天子について。」
「あら、あの娘の事なら、貴方の方が詳しいのではなくて?」
「"表面だけ"ならね。」
「……あら。」
紫は、今更と言いたげな表情で針妙丸を見下ろす。
その表情を見た針妙丸は、苦い表情を浮かべた。
「その様子だと、気付いてたんだね。」
「……まあ、二度も見れば判るわ。」
フフッ、と一つ笑い。紫は話し出す。
「あの娘、『空っぽ』だったでしょう。」
「言葉にするなら、そうなるのかもね。私は虚ろに思えた。」
「そうね、言葉にするならそちらに近いでしょう。で、貴方はなぜ気付けたのかしら?あの娘を歪さに気付くのは、並大抵では到達出来ないはずよ。余程の地雷を踏むか、隣に居ないと気が付かない程、隠しきっている。」
「………どっちも。」
「フフッ、アハハハハッ!」
針妙丸の答えを聞いて、思わず噴き出す紫。それに針妙丸は怒りを示す事は無い。それどころか、だろうなと言った表情で紫を見上げる。
「あー、可笑しい!見えてる地雷を自ら踏み抜いてどうするのよ?」
「……反論の余地もないね。」
「いいわ、面白い物を見せて貰った代金として、答えてあげる。」
「………」
「そうねぇ、あえて言うなら"成長の無かった子供"かしら。
彼女は、お情けで天人になった、と聞いたのだけど。合っているかしら?」
「うん、聞いてる。家族全員で天人になった、って。」
「まず一つ目の原因はそれよね。天人へ成るには段階を踏まなくてはいけないのは、知っているでしょう?」
コクリ、と頷く針妙丸。
「あの子はそれを飛ばしている。と、いうか人間として成長すら出来ていないの。
だけれど、天人になってしまった。人として成長する前に天人として振る舞わなくてはいけなくなった。相当な無茶振りよねぇ。だけれどそうする他なかった、だってなってしまったものは仕方ないもの。
あの娘が努力をした事がないとは言わないわ。それどころか天人として振る舞うのに一番努力したんじゃないかしら。
だけれど周囲はその努力に気付く所か、何故努力しているのか、何て思ったでしょうね。だって天人に成れるくらいならそんな努力必要ないもの。もう持っているものなのだから。
両親も、そんな風に思ったのではないのかしら。これが二つ目の原因。
努力しても認められず、それどころか天人としては不良だもの。でも本人はそうする他ない。だって、そうしないと不良天人どころか天人失格だもの。両親だって、そんな娘は疎ましく思ったでしょうね。愛情なんて言わずもがな、友情にさえ飢えている。
今まで生きていた中で手に入れたものは何もないでしょうね___いや、一つ。天人としての外面ならあったわね。だから私は、外側だけの存在。『空っぽ』と言ったのよ。」
「……普通なら。」
「天人五衰で死んでるって?」
針妙丸の疑問に食い気味に応える紫。その表情は奇妙に歪み、笑顔と形容するには気色が悪かった。
「そうなってないから歪なのよ、何にも楽しくない筈なのに、苦しい筈なのに。もはや、感情の痛覚が死んでるどころの話じゃないわね。
言うなれば、自己暗示。かしらね。」
楽しいと思い込む、愛されてると思い込む、そんな事が出来てしまっていた、天子には。だからこその歪。
通常、自己暗示は人間でも使える。だが、それにも限度がある。ましてや、死を退ける程の自己暗示が出来ている事が異常なのである。
「でも、貴方に気付かれる程に穴があった。でしょう?」
「……」
針妙丸は深く考え込み、やっとの思いで答えを返す。
「違う、あれは穴なんかじゃない。穴だとしても意図的にある穴なんじゃないかな。」
「何故そう思うのかしら。」
「……肯定されたの、その事を。自身の状態を分かっていたの。」
「ねぇ、天子。」
針妙丸は自らの住処、輝針城で、天子と一緒に月を見上げていた。
「なによ?辛気くさそうな顔をして。」
天子は針妙丸に満面の笑みを向ける、それは非の打ち所がない美しい笑顔であった。
普通の人なら、元気のいい子と思うだけであろうが、針妙丸には逆に空虚に思えて仕方がなかった。
針妙丸は天子と一緒に異変に参加してからよく連んで行動していた。
だか最近、行動の節々に違和感を感じるようになってきたのである。
自ら危険地帯に踏み込む、不幸ですら笑い飛ばす。こう聞けば、野次馬根性で前向きな人間性だと思えるが、それが過剰すぎるのだ。まるで、そうでもしないと生きていけないかの様に。
「なんかさ……天子って自暴自棄、だよね。」
そして今、針妙丸は踏み込もうとした。天子の奥底に。
「なによ、自暴自棄?そんな馬鹿みたいな事してるわけないでしょ。引き際は弁えてるつもりよ、これでも。」
防がれた、針妙丸はそう思った。ぶー垂れた表情も完璧だ。
それでも、この違和感を払拭したい、その思いでまた一歩踏み込む。
「ッ……そう。じゃあ、なんで貧乏神を引き取ったり、皆んなに迷惑がられても笑って、られるの。」
迷いに迷った次の一手。言葉を紡ぐ勇気を振り絞ったのか、言葉が所々突っかかる。
「……」
沈黙。その一瞬、天子の表情が揺らぐ。だが、すぐに"怒った顔に"戻る。
「ハァ!?なによ!紫苑を引き取ったのは私の度量の広さ、あいつらが迷惑そうにしてるのは、天人様のありがたさを理解してないからよ!な〜によ、私に文句でもあるの〜?針妙丸。」
今度も弾かれる。いつもの『比那名居天子』を被ったままだ。
ギリッ、っと奥歯を噛みしめる針妙丸。悔しくて噛み締めたのではない、"それ"を平然と行う天子が痛々しくて見ていられないためだった。
「……あるよ……文句。」
まだ、まだ踏み込める。針妙丸は諦めない。自らの心に従って、もう一歩を踏み込む。
「えっ!?あるの!?」
驚く、フリ。今度は少しも揺るがない。
針妙丸の感情は怒りに変わる。そんなにも自分は信頼出来ないか、私は比那名居天子にとってなんなんだ!そんな怒りに変わる。
その怒りは、針妙丸の次の一言を吐き出すのに十分だった。
「___その、フリをやめてよ天子!私、そんなに頼りない!?私にぐらい、全てを見せてよ!」
その小さな身体からは、想像もできない大声で感情をぶつけた。
「な、なに言ってるのよ……フリだなんて……」
「気付いてよ!自分がどんな状態なのか!本当に死んでないのが不思議なくらいだよ!?だからわた_______」
言葉を紡ぐ途中、針妙丸は何かに押し潰される様な感覚に襲われた。
実際には潰されていない、だが全てを飲み込む何かを感じ取った。それは泥の様な圧力で形容しがたい気色悪さを含んでいた。
針妙丸の全身から冷や汗が噴き出す、そして見上げる。目の前にいる『それ』を。
「どうしたの、続けてよ。」
目の前にいるのは紛れもなく比那名居天子。だが、何処かおかしい。
月に照らされた天子の顔は美しい、筈である。だが、針妙丸にはその顔に恐怖しか感じなかった。
眼は見開かれ、微笑を含んでいるものの、笑顔では無いと本能が告げている。こちらを真っ直ぐに見据え、隙あらば殺そうかというような雰囲気。
何時もの『比那名居天子』では無い、そう直感した。
「……天……子?」
「どうしたの、ほら続けて。ねぇ____」
スッ、っと指先で頬を撫でられる。全身の毛が逆立つ。危険であると本能が告げている。だが、針妙丸の体は動かない。包み込む泥のような雰囲気に飲まれ、動けない。
「……だ……誰。」
「あら、酷い。さっきまであんなに『私』を呼んでいたじゃない。」
「ち、違う!アンタは比那名居天子じゃない!誰なの!」
「違わないわ、『私』も比那名居天子よ。」
「……"も"?」
「そう、比那名居天子と同一の『私』、『比那名居天子』よ。今度は、貴方の言うフリ、じゃないわ。」
針妙丸が踏み込もうとした天子の奥底、それがあちら側から出てきた。そう感じた。
だが、予想した展開とは違い、針妙丸は戸惑いを隠せない。
「____ぁ。」
「なに?あれだけ言っといてそれだけ?つまらないわ。」
「……気付いてない、んじゃない__」
「気付いていたわよ。見当違いだったかしら?」
「ぇ____ぁ______」
「大見栄切っといてそれ、か。……まあ、踏み込もうとした勇気ぐらいは褒めてあげる。普通の人なら逃げるか遠ざけるか。どちらかだもの。貴方は『あの』比那名居天子の側にいる資格があるわ。」
「……」
針妙丸はなにも言えない。この場全てが『比那名居天子』に支配されている。
「じゃあ、ここからは『私』の説明。
ある日、比那名居天子ちゃんはいつもの様に、努力をしていました。ずーっと、ずーっとね。
それでも周りは認めてくれません。それどころか蔑むばかりでした。
両親に縋りつこうとしましたが、そんな事できませんでした。なんと、両親は天人としての徳をもっと積みたいがために、娘の事など目にもくれないのです。
だーれにも、助けられなかった天子ちゃん。天界にいるのに地獄にいるようでした。
ですが、そこに救いの手が差し伸べられました。さて、誰でしょう?」
「……」
「時間切れ、無回答は減点よ。答えは『私』。そう、『比那名居天子』が比那名居天子を助けたのでした。」
「そ、そんな事……」
「人は一人では助からない?そうね、普通ならね。でも、他でもない比那名居天子には出来てしまったの。可笑しいでしょう?
自分が自分を救う、なんて。こんな喜劇か悲劇か判らない事が起きてしまった!救いではないかもしれない。でもね、今まで生きてこられたのはそれが出来ていたからよ。なら、救いと言ってもいいでしょう?
さて、そんな天子ちゃんは負の感情、絶望、悲しみ、怒り、空虚、悪意、罪悪感、それら全てをこの『私』に。
希望、喜び、楽しさ、充実感、そんな感情は自分自身に。
そうする事で、自分を救ってきました。そうすれば、天人五衰も来ないしね。」
「……二重人格……」
「残念ながら不正解。『比那名居天子』と比那名居天子は同一と言ったでしょう。ただ、感情の記憶を共有していないだけ。だからあんなに楽しそうなのよ、比那名居天子は。
ほんっと……楽しそう。私はそんな物感じた事すらないのに。」
「……」
「おっと、話が脱線したわね。つまり、比那名居天子は負の感情を持っていないのよ。『比那名居天子』を犠牲にしてね。
それでバランスを保っている。それを私達は良しとしている。
だからね、貴方はこれ以上。『比那名居天子』に踏み込みも、近寄りもしないで。そして、比那名居天子の側にいて、忘れていなさい。」
「そん……な。」
無理だ、針妙丸はそう思った。
こんな衝撃的なもの突き付けられて、忘れられるはずも、ましてや助けたいと思わないなんて無理だ。そう感じ、言葉に出す。
「それじゃあ、根本的な解決に_______」
言葉を潰される。
ガシリと、喉元を掴まれた。そのまま力を入れられると、針妙丸の首が、最も簡単に千切れるのが想像出来た。
「ね?そうしてね。」
そうしないとこのまま殺す。言葉に出さずとも伝わった。
「……は……い。」
辛うじて出た声は、なんとも情けないものだった。
「よかった、わかってくれて!」
すうっと、首から天子の手が離れる。針妙丸に取り憑いていた殺気が薄れていく。
針妙丸は、いつの間にか止めていた息を大きく吸い込む。そして下を向いて吐き出す。
「次に踏み込んだら、即座に殺すわ。私達の為に。」
耳元で囁かれたその言葉に、息が止まる。脊髄に氷を差し込まれたかのような感覚が針妙丸の身体を駆け抜ける。そして、顔を上げて天子を見る、が。
「_______あれ?なんの話していたんだっけ?」
何時もの比那名居天子がそこにいた。
「ダブルシンク。二重思考ね。」
事の全てを聞いた紫は即座に答えを出す。
「ダブル……?」
「自らの記憶、感情を改変するのが自己暗示。でもそれに加えてその改変された記憶、感情を思い出す機能を残している。つまり同時に二つの思考を持ち合わせているのよ、あの娘は。」
「どういう事。」
「つまりは、普段の生活では……そうね、言い表すなら外皮の比那名居天子が機能している。だけれど、非常事態になったら内側の比那名居天子が出てくるのよ。
今回、貴方が踏み込んできた。だから、非常事態だと思って内側の比那名居天子が出てきたのよ。自らの矛盾と異常性を隠す為にね。」
「じゃあ、やっぱり二重人格と変わらないじゃない。」
「違うわ。二重人格とは人格の障害の一種、自我の継時的統一性が失われて2種あるいはそれ以上に分裂する障害よ。
2つの人格がある期間をへだてて現れ、それぞれ相異なる姓名を名のり、まったく別の職業についていて、相互の間には記憶の連絡がなかった。なんて症例があるくらいよ。
でも『比那名居天子』は自らを比那名居天子と言ったのでしょう?しかも、『比那名居天子』は比那名居天子の記憶はある。でも比那名居天子は『比那名居天子』の記憶は無い。意図的にやってるとしか思えないわ。
そして、二重思考について。一方で心から信じていながら、意識的な嘘を付く事、不都合になった事実は何でも忘れ去る事、次いで再びそれが必要となれば、必要な間だけ忘却の彼方から呼び戻すこと、客観的事実の存在を否定する事、それでいながら自分の否定した事実を考慮に入れる事よ。ね、違うでしょう。」
「……」
針妙丸は考え込む。そう言われてみればその通りである。
天子は自らを天子だ、そう言っていた。そして意図的に悪い記憶を『天子』に押し付けていて、それを『天子』は良しとしていた。
「まったく……面倒くさい娘ね。でも、そんな幼い頃に、生きる為だけに、そんな事出来てしまったのだから天才と言っても過言じゃ無いわね。哀れだけれど。」
ケラケラと笑う紫。それを見て針妙丸は怒りがこみ上げてくるが、抑える。
そこまでわかっているのなら、頼むしか無いと思ったのだ。
「私は助けないわよ。」
「_____ッ!?」
口に出す前に切って捨てられた。さっきまで笑っていた瞳は冷ややかなものに変わっている。
「あんな親の教育が行き届かなかった問題児、私が助けるとでも思ったの?逆よ、迷惑だわ。さっさと五衰でもきて死んでくれた方がまだマシなんじゃ無いのかしら。私は学校の先生では無いのよ。」
「こッ____のッ!」
完全に堪忍袋の尾が切れた。ここまで友人を馬鹿にされて怒らない人間はいるはずもなく、針妙丸は紫に飛びかかる。
が、紫は待ち構えていたように針妙丸の顔面に掌を翳す。
「愚か者。」
空間が捻れる。紫にしてみれば虫を潰すかのように簡単に、躊躇いもなく殺した。
針妙丸の身体が捻じ曲がる。グシャリ、と生々しい音が_______
「何やってんだ、馬鹿。」
しなかった。代わりに木片が破れるようなバキリッ、と音がした。
紫が手をかざし、捻った場所には人形であったものがバラバラになっていた。
「……呪いのデコイ人形。だったかしら?」
「よく覚えてるじゃねぇか。てっきり私みたいなモブには興味ないと思ったんだが。」
「ハッ!アンタみたいな危険性の塊みたいなモブがいるものか。もうちょっと自身の立場を省みてみたら?『お尋ね者』さん。」
「せ……」
博麗神社の林から一人、ニヒルな口調で出てくる。その手に、針妙丸を抱えながら。
「正邪!」
幻想郷のお尋ね者、永遠のヴィラン。鬼人正邪である。
「何をやっているかと思えば、窮鼠猫を噛むどころかノミが邪神に挑んでどうするですか馬鹿姫。」
「な……馬鹿姫ってなにさ!」
「馬鹿を馬鹿って言って何が悪い。」
正邪の腕の中で暴れる針妙丸。先程の紫への怒りを忘れているようだった。
「で、少しは冷静になりましたか。姫。」
「あ……うん。」
「なら、そのまま帰って下さい。あの天人と『いつも通り』遊んでくればいいじゃないですか。」
「……」
正邪は針妙丸に話しているが、紫からは目を離さない。少しでも攻撃の意思を見せたら、即撤退出来るように警戒している。
そのお陰か、紫は捻った腕を下ろす事なく、そのままの姿勢で正邪を見据えている。
「ほら、早く。」
「う、うん。」
針妙丸は正邪の腕から降り、言われた通りに神社を後にしようとした。
「姫!」
「な、なに?正邪。」
呼び止められた。
振り返ると、正邪の瞳は真剣そのもの、しっかりと針妙丸に向けている。任せろと言わんばかりに。
「『いつも通り』ですからね。例えそれが正解じゃなくても、今の最善策はそれです。わかりましたね?」
その言葉に込められた意味を針妙丸は理解した。それしか今は無いのだと。
「………うん。」
針妙丸は神社の階段を降りる、逃げるように。
そして、勢いを付け飛ぶ。天子の元へ。
「天子……」
「ん?針妙丸。どうしたのよ。」
辿り着いた。自由気ままに散歩していた天子を見つけるのは少し骨が折れたが辿り着いたのだ。
今は比那名居天子の様だ。
「……」
「な、なによ。黙って……怖いわよ?」
「……五月蝿いわボケー!!」
空中でドロップキックをかます針妙丸。それは確実に天子の顔面を捉えた。クリーンヒットである。
「アッだぁ!!何すんのよ!!」
「うっさい!バーカ!バーカ!この問題吸い込み台風娘ー!」
続けて、小さい拳でポカポカと天子の胸を叩く。先程までの怒りをぶつけるかの様に。
「はぁ?ほんと何なのよ……」
「うっさい!どんなになっても隣にいてやる!バーカ!」
「……」
天子の表情が、困り顔からポカンとした表情に変わる。
「針妙丸……アンタそんな歯が浮きそうな台詞言っちゃって……キャラ作り?」
「なわけないでしょ!もう……ほら!散歩の途中でしょ!付き合うから!」
「は、はぁ……まぁいいか。付いて来なさい!」
切り替えが早い天子は腕を振り上げ飛んでいく。それに遅れない様に針妙丸は付いて行こうとしたその時。
「___ありがとう。ごめんね。」
何処からか聞こえた声に立ち止まる。
「何やってんの?置いていくわよー!」
「あ、うん!今行くー!」
きっと今のは『比那名居天子』の声なのだろう。そう針妙丸は納得した。
正解ではないけれど最善策。正邪の言葉を思い出しながら天子の後を追う。
「いつか……救ってやるんだから。」
「天邪鬼が善行とは、一体どういう了見かしら。」
「善行、ねぇ。これが幻想郷崩壊の一手になるかも知んないぜ?」
「それならもう殺してるわ。貴方の今の行動は"そう"じゃないでしょう。」
「……かもな。」
針妙丸が去った後、正邪と紫の睨み合いが続いたが。正邪が戦闘態勢を解く。
そして紫と同じ、縁側に座る。
「まったく、世話がやける。」
「どっちの事かしら?」
「どっちも。馬鹿正直とクソガキ、どっちも世話がやけるさ。」
紫も正邪が縁側に座ったと同時に戦闘態勢を解いた。そして座り直す。
「あと、アンタもだ。八雲紫。」
「……あら、どういう事かしら?」
「わかってるくせに、白々しい。」
「……」
「あんた、比那名居天子を助けないとは言ってないだろ。」
「……言ってない___」
「だけですわ。ってか?素直じゃねぇな。面倒クセェ。」
「……」
紫の表情が不機嫌なものに変わる。だが、正邪は構わず話を続ける。
「じゃあ何であんたは比那名居天子を幻想郷から排除しない?それどころか私も殺そうともしていないじゃないか。
何でか。それはアンタがどうしようもなくお人好しだからだ。見てしまったもの、手が伸ばせるもの。アンタはそれら全てに救いを与えたいと思ってる。」
「そんな事_____」
「あるんだよ。じゃなきゃ何で『幻想郷』なんて延命装置を作り上げた?」
「いちいち人の言葉を遮らないでもらえるかしら。」
「ケケッ、すまんねぇ。そうしないと舌戦で勝てそうもないからな。で、解答は?」
紫はそれまで向けていた顔を背ける。
「そうね……そうなのかもしれないわ。でも私は見ているだけよ。幻想郷は全てを受け入れる、もの。」
「ハッ!よく言ったもんだ!アンタが見てることしかできないのは『賢者』としての立場があるからだろ。そんなもんなきゃアンタはいの一番に助けようと必死になる筈だ。
あと、幻想郷は全てを受け入れる。なんて言ってるけど、それはアンタが諦めきれないからだろうが。」
「__うな……」
「そんな中、比那名居天子にだけアンタは乱される。いつもの様に飄々と躱すのでもなく、珍しく感情を表に出して真正面からぶち当たる。」
「言うな……」
「そりゃ裏返せば、比那名居天子に入れ込んでるも同然だぜ!なぁ、八雲紫。"諦めて"ないで、動いてみろよ。」
「それ以上言うなッ!!!」
紫が正邪の胸ぐらを掴む。その顔は怒りというよりは焦りに近い表情であった。
「初めまして『八雲紫』、楽しみにしてたぜ。」
「くッ……」
「テメエも面倒クセェなぁ。化け物の癖にどこか人間臭い、どうしようもない二律背反。なら、諦める選択肢じゃなくてその手を伸ばして後悔しろよ。」
「アンタに何がッ……!」
「じゃあこの状況は何だ?ふざけんなよ、強者の癖して弱いフリしやがって。」
睨み合う両者、精神的有利は正邪にあるが、紫はすぐにでも正邪を殺せる体制に入っている。
「騒ぎ、起こさないでくれるかしら。」
そこに割って入る少女がいた。博麗霊夢である。
彼女は三つの湯呑みを抱え、睨み合う両者を見下していた。
「縁側は私の聖域よ、そんな所で騒ぎを起こすっていうなら二人とも封印するわよ。それが八雲紫であろうと。」
「……」
「……おっかねぇ。」
紫が正邪を離す。ドスン、と音がして正邪は縁側に尻餅をつく。
「気分が悪い、帰るわ。」
「お茶は?」
「いらない、飲む気にもならない。」
「そう、勿体ない。」
紫は不機嫌な表情のまま空間を裂き、できた隙間に入っていく。その途中。
「鬼人正邪。」
「あ?」
「アンタ、いつか殺すわ。」
「ケッ!やってみろバーカ。」
中指を立てる正邪。その姿を見て紫は舌打ちを一つして隙間に消える。
「アンタ、もうちょっと穏便にできないわけ?」
「ならオマエが出てくれば良かっただろ。そのせいでブチ殺す宣言されて夜も眠れねぇ。」
紫が去った後、正邪と霊夢の二人は縁側でお茶を啜る。
「私が出て行ったら公平じゃなくなるわ。」
「オマエでもそんな事考えるんだな。もうちょっと能天気で俗っぽいかと思ってた。」
「俗っぽいのは否定しないけど、能天気ではないわよ。そうじゃなきゃ博麗の巫女なんて面倒な役職務まるわけないでしょ。」
「それもそうか。」
ズズッ、同時に緑茶を啜る二人。そして正邪は湯呑みを床に置く。
「じゃあ、帰るわ。」
「そう。ありがとうね、今回の件。」
「あ?」
「アンタがあそこで介入しなきゃ、天子と紫が正面衝突する事態になっていたわ。そんな事になったら被害は尋常じゃない程になる。異変、レベルまでの事態に発展してたわ。」
「ああ……まあ、私は針妙丸が無事ならそれで良かったし。アイツいねぇと下克上できねぇし。それに、今なら比那名居天子なんてトンデモ兵器も手に入りそうだったからなぁ。それだけだよ。」
「ふふっ、素直じゃないわね。」
「天邪鬼だからな。」
「面倒なヤツね。」
「ちがいねぇ。」
ケケッ、という笑い声。ふふっ、という笑い声が神社に響く。
「どいつもこいつも面倒クセェ奴らばっかりだ。」
「でも、そんな面倒くさいのも受け入れてしまうのが幻想郷なのよ。」
「……そうかもなぁ。下克上なんて面倒な思想も。お人好しで不器用なヤツも。助けて欲しいのにそれが言えないヤツも。」
「それら全て受け入れる。幻想郷、いい所でしょ?」
縁側から立ち上がり、空を見上げる正邪。その表情は呆れているような、笑っているかのような。そんな顔をしていた。
「ああ、そうだな。」
とってもえがった。
正邪がいい味出てる。
もっともっと面白く広げられそうなお話ですね
やっぱ天子ちゃんとゆかりんはコインの裏表みたいな存在なんやなって……。
あと正邪がダークヒーロー感マシマシで好みでした。
ちょっと理解が難しいところもありましたが、それぞれの考えがよく表現されていてよかったです
本筋とは関係ありませんが、正邪がさらっと針妙丸のこと大事にしてるのもよかったです