「なんか今日は、全然お客さん来てないね」
月も星も無い、黒い夜空を映した霧の湖。
その近くに構えた屋台で、焼きヤツメを頬張っていたリグルが、少し不思議そうに聞いてきた。
「来ないって言うか、リグルが今日の一人目だかんね」
「ホントに? いよいよ危ないんじゃ無いの?」
「別にヤバくは無いし。寒いから客入りが鈍いってだけ」
何せ、真冬の曇り夜だ。おまけに冷たい風が、容赦なく吹き付けている。
ここ最近屋台を開けて無かったし、今日店をやっていると思われて無いのだろう。まさに閑古鳥だ。
「ていうか、こんな寒いのに来て平気なの? 寒さ耐性地べたのクセに」
「だってお店開けたの久々じゃん。最近ライブばっかでさ」
「響子の声が絶好調でねぇ。好機逃すべからずよ」
本人が十年に一度の好調、というだけあって、声の伸びが凄まじかった。
そんな時に、歌わない選択肢は無いでしょ。ライブもめっちゃ盛り上がったし。
「それは、分かるけど……私最近全然もにょもにょ……」
「なに? まさか寂しかったワケ? ライブもキッチリ来てたのに?」
「いや別にーそういうんじゃー、ないけどー」
「りぐるんカワイイな-! 可愛い娘には一本おまけ……しません!」
「ケチ!」
残った麦酒を一気に呷るリグル。
あーあー、そんな膨れっ面して。ホント可愛いなコイツ。イルスタードダイブるぞ。
「でも実際、良かったでしょ? こないだの新曲とか」
「うん、ああいう曲好き」
頬を戻して微笑むリグルは、お洒落な曲調が好みらしい。
私達はロックンロール以外もお手の物。鳥獣伎楽に不可能は無いのだ。
「そういえば。絶好調なのに突然ライブ連発止めたよね。なんかあったの?」
「そのー、あれだ。流石に命蓮寺の尼さんにバレてさ」
大盛況のままライブが終了。月明かりの下、響子と共に成功を喜びながら汗を拭う。
お互いのパフォーマンスを称え合いながら、用意していた冷たい水に手を伸ばす。
そこへオーラを纏った尼さんが、満面の笑みを浮かべて、ゆっくりと歩み寄ってきたワケよ。
「二人揃って腰を抜かしたわ」
「そんな怖い人だっけ、あの尼さん」
「おしっこ漏らさなかったのが奇跡よ。いっそ垂れ流したら許してくれねーかな、とか思ったわ」
「自分を大切にしてねみすちー」
次に気がついた時は、寺の入り口に私服で立って居た。
覚えの無い頭のタンコブと、見覚えの無い手提げ袋を持って。
袋の中には、洗濯されてキチンと畳まれたライブ衣装。
そして尼さんの名前と、糸の解れを直した旨が書かれたメモが入っていた。真面目か。
「響子はなんか、お仕置きでお尻が爆散した~、とか言ってめっちゃヨタヨタしてた」
「それはその、お尻ペンペン的な」
「多分ね。私も昔ハクタクにとっ捕まった時にされたわー」
「ああ、みすちーは絶対されてるね」
「何よそれ」
私は真面目でマトモな妖怪なんだぞ。
夜中に里をほっつき歩いてた人間の子供を、ちょっと脅かしただけなのに。
……って、ああ、里の中だったからか。私が悪かったわ、お子様諸君。
逃げる君達が、スッ転びながらお漏らししてた事は、秘密にしておいてあげよう。
「超痛かったよ。セッカンとか言ってケツぶっ叩かれてさぁ。後で本気で確認したもん」
「何を?」
「ケツの有無。ギリギリであった」
「ギリギリで残ったお尻ってなにさ……」
女の子のお尻を傷つけるなんて酷いヤツよ。いつかぶっ叩き返してやるんだから。
「まーそんなワケで、しばらくライブはお預け。屋台やるわーバリバリと」
「ふーん。そっか」
「……そこで嬉しそうな顔されると、ちょっと複雑なんですケド?」
「そんな顔してないよ」
してる。絶対してる。リグルはすぐ顔に出るもん。
「なーんかローレライ的に悔しいので歌いまーす」
「してないってばー」
「Wenn ich ein Vöglein wär'~♪」
「あ、その言葉で歌うの……」
「何よそれー」
歌に言葉の種類なんて関係ないぞリグル君。
自慢だけど日・独・英で歌えるから、私は驚愕のトリリンガルだぞリグル君。鳥だけに。鳥だけに。
「なんか……みすちーがみすちーじゃない頃のみすちー思い出してさぁ」
幻想郷に来た時の私の事だろうな。
まあ確かに。ライン川に居た時の私と今の私は、ほとんど別物だけど。
「私はいつだって私だよ」
「そうじゃなくてー」
里の人間に、そして妖怪達に、夜雀だと誤解され過ぎたのが原因らしい。
当時弱っていた事もあり、ローレライの私に、誤解の夜雀像が混ざってしまったんだとか。
妖怪は精神に大きく左右される。状況次第では、他者の精神と認識からも。とハクタクは言っていた。
未だによく分からないけど……つまり今の私は、ハイブリッドなバージョンツーなのだ。最強かよ私。
「今日のリグルは面倒くさいなぁ。それじゃあオスにモテないぞ」
「ひどい……麦酒おかわり……」
「お客さん呑み過ぎだよ」
そんなにお酒強いワケじゃないのに。中々の量だぞ、今のところ。
「たいした事ないし……」
「リグルの限界的に、この量は割とキてると思いますけど」
「キたら介抱して……」
「解剖して虫焼きにしてやろうかしら」
……おや、反応がこねぇな。会話放棄かな?
よく見ると、カウンターに突っ伏している。
眼は閉じられ、細い背中がゆっくりと上下動を繰り返す……寝ちゃったのか。
「水辺でローレライを前にスヤスヤとは、舐められたもんだ」
誘惑の歌は女にも効くんだぞ? まあ寝てたら意味ないんだけど。
それにしても。
「はー……ホント綺麗だわ……」
寝息を立てるリグルの顔をのぞき込んで、ため息をつく。
目鼻立ちの整いもそうだけど。こう、纏う雰囲気というか。
蛍妖怪特有なのかなぁ。悪まっさかさまの私にとても出せない、清廉な雰囲気ってヤツだ。
別に羨ましくはない。私は私を気に入っているし。
でも何故か、勝手に出るんだよねぇ。ため息。
眠り蟲姫を堪能していると、こちらに黒い球体が近づいてきた。
おや、宵闇ちゃんだ。本日二人目のお客さん。
「こんばんわー」
「おー宵闇ちゃん。おひさー」
球から解かれた闇が風に泳ぎ、夜に溶けて消えていく。
神秘的ですらある現象の中から現れるのは……ぷにぷにほっぺのパツキン少女だ。
「ねえ。蟲さんを食べるなら私も混ぜてー」
「ど、どうしたの急に」
「蟲さんの事めっちゃ凝視してたから、いよいよ適度に肥えてきたのかと」
「いや飼って育ててるワケじゃ無いからね?」
リグルはいくら食べても太らないから、それは無理だ。本当にズルい。
「ていうか、リグルは私の恩人だからね? そうあれは」
「もう百回くらい聞いたからいいですー」
「つれねーの」
幻想郷にたどり着いた頃、私はもう、存在ごと消えかかっていた。
もう諦めてしまおうと思った時に、リグルがそこに居た。
リグルは私に何かをしたワケじゃない。ただ切り株に座って、蛍達と戯れていただけだ。
ただその光景が、あまりにも綺麗で……消えそうになっていた事も忘れて、歌い始めたのを覚えてる。
その後なんやかんやあって。今は人間を鳥目にしたり、屋台を開いたり、バンドをやったりのハッピーな毎日だ。
そんな事あるかよ、と思うでしょ? あったから私は、ここに居るのだ。
「で? 食べてくんでしょ?」
「うん。とりあえず駆けつけ三本」
「はいオーダー入ります~。適当三本急ぎ焼き~」
宵闇ちゃんとはいえ、ようやく来たお客さんだ。手早くやらないとね。
そう、既に口の端からヨダレが見えているヨダチラ娘の為にも。
「はい、ヤツメヤツメにまたヤツメ。三本揃ってトリヤツメ、おまちどう様々です~」
「いや、全部一緒は適当すぎなーい?」
「ていうか今日、これしか無いし」
「なんで」
「いやー仕込み完ッ全に忘れててさぁ。何とか一種類だけソッコーで用意したのよ」
ネギまも出来るかと思ったんだけど、そもそもネギが無かった。
今日は一体何を売るつもりだったのか、過去の私を問い詰めたい。
「へーそーですかい。いただきまー、んむ」
「旨いっしょ?」
「うん! すっごく美味しい!」
みんな見て。宵闇ちゃんのこの顔。
花丸をあげたくなるような、満開の笑顔だ。頑張って作った甲斐があるってもんだ。
「よ-し! 問題なし!」
「いや問題あるわアホなのか」
みんな見て。宵闇ちゃんの貴重な真顔。
思わず頭を下げたくなるような、無の表情だ。怖い顔じゃないのにスゲー怖い。
「宵闇ちゃんにマジ顔されるのホント心に刺さる」
「しっかり刺さって反省してねー」
「大天使リグルさんは何一つ文句言わなかったよ!?」
「呆れてモノも言えなかったんじゃん?」
「一理ある。刺さるわー」
久々だから試運転なんですー。まだ本気出して無いだけですー。
まあ、今日はこれくらいにしておいてやるよ。
だが次に店を開ける時に私の太ももは、必ずお前達にヤツメウナギ食い放題だ。
「しかしよく寝ていられるなぁ、リグルさんは」
宵闇ちゃんが横に座っても、全く起きる気配は無い。
本格的に寝入っているらしい。こんなに寒いのに。
「もう死んでたりしてー」
「洒落にならんよ。ほらリグル、起きて。寒くて死ぬぞ」
「んむー」
身じろぎするばかりで起きようとしない。リグルは起きるまでが長いんだよなぁ。
「店長さん。なんかさ、さっきより寒くなってない?」
「そうねぇ。今日はもう閉めるわ。物足りなかったらウチに来てよ」
「おお、珍しいねー」
「この時間に閉めるとヒマでさ」
どうする? と目で問いかける。
宵闇ちゃんは笑みを返してきた。乗り気みたいね。
「それじゃあ、片付けちゃいますかね」
「ちょっとまったぁ! あたいも行きたい!」
「氷精ちゃんまで来たか」
滑り込むように長椅子に座ってきた氷精ちゃんは、何故かいつものワンピース一丁だった。
いつもはもう少し厚着してるのに。もはや見てるだけで寒いぞ。
「さっきより寒いのコイツのせいかー」
「ていうか、何でそんな寒そうな格好してんの」
「フフフ。あたいが夏の忘れ物になっているワケを聞きたい?」
「あんたを忘れたのは夏じゃ無くて季節感だよ」
人差し指を立てて、得意げに歩き出す氷精ちゃん。
私の言葉も意に介さず、何故か屋台の裏手に回ってきた。
「ちょっと。厨房は従業員以外お断りよ」
「そうあれは」
「何ですり寄ってくるの!? さっむ! 殺す気か!」
私が何をしたっていうんだ。アレか、仕込みを忘れた罰なのか。
「大ちゃんと厠で船舶をしてた時に……あ、おでん食べたい」
「瓦で円卓でしょうが。間違ってるし途中で飽きるな。つーか寒いから離れろ!」
「店長さんも間違ってない? そんな事より、早く片付けて行こうよー」
氷精ちゃんとの熾烈な攻防は、宵闇ちゃんの気怠げな声で中断された。
そうだった。早くも忘れる所だった。
「やるかー。勿論手伝ってくれるよね?」
「めんどくさいなぁ」
「ねーミスティア。うどんまだ?」
「オーダー変わるの早すぎる……って、リグルまだ寝てるの? いい加減起きてよ」
もう閉店なんですよお客さん。そろそろカゼひくぞ。
「いやぁちゃんとおきてぅーんー」
が、駄目。肩を揺すっても無言で駄々をこねる。リグルは本当に目覚めが鈍い。
仕方が無い、ムリヤリにでも起こすか。
「宵闇ちゃん。リグルの良いところは」
「おしりとー、指と首筋ー」
「食べないでぇ……」
なおも起きないリグルの耳元に、宵闇ちゃんが唇を寄せて、囁いた。
「肉や脂肪が少ないのは残念ですが端正な造形が優雅な夕餉を想起させて食欲が湧いてきますルーミア不覚にも腹キュン」
「ひぇぇ! 起きます起きます! 急に早口になるの怖い!」
悲鳴を上げながら飛び起きるリグル。
あんなの耳元で囁かれたらそりゃ起きるよ。鳥肌立つわ。
「遊んでないで手伝ってよ! あたいを見習え、あたいを!」
意外や意外。あの子マジメに片付けしてんじゃん。
あっ、でもそのボウルはそのまま仕舞わないで! 洗ってから!
「ごめんごめん。すぐやるよ。ルーミア、そっちの端っこ持って」
「これくらい一人でやれるよ。蟲さんは違うのやってー」
「いいの?」
「寒いから早く行きたいのー」
そう言いながら、長椅子を一人で担ぎ上げる宵闇ちゃん。
あれでパワー系だからねぇ。人間喰う時も、無理矢理ねじ伏せてガッつくんだとか。怖い怖い。
それにしても、四人で作業すると速いのなんの。
あっという間に片付いてしまった。
「よし。これでおしまいね」
「また世界を縮めてしまった。流石はあたい」
「早く行こうよー」
急かさなくても私の家は逃げないよ。
さあ行こうか、と屋台を転がそうとした時……ふと気がついてしまった。
「え、ていうかこれ、徒歩で引っ張ってくの? このクソ寒い中を?」
「そりゃそうでしょ。何でみすちーが首傾げてんの」
「マジかぁ……なんか楽な方法無いかな?」
「横着だなぁ」
そうは言うけど、これ結構重いんだぞ。
最近ギターばっか担いでたから、重さの差分が凄いんだよ。
「置いてけばー?」
「流石にそれはマズい」
「元に戻して呑み直す?」
「面倒くさいよ! あとリグルはもう呑んじゃ駄目」
「えー」
「えーじゃありません。んーどうするかなー」
頭を捻っていると、路傍の草を凍らせて遊ぶ、氷精ちゃんの姿が視界に入った。
「よーし氷精ちゃん! 天才的なアイデアをどうぞ!」
「聞く相手間違ってない?」
「この際誰でもいいよ」
「あたいに任せな!」
腕を組み眼を閉じて思索に耽る氷精ちゃん。
やがて目をカッと見開き、導き出した答えを、高らかに叫んだ。
「歩くのが面倒なら……飛ぶッ!」
「「「な、なるほどォ~ッッ!」」」
天才……伊達では無かったか……。
というわけで、早速実践してみよう。
「しっかり持ってね? 落としたら大惨事だからね?」
「そもそも飛べるかなぁ」
「まー成るように成るよー」
四人でそれぞれ四隅を持ってスタンバイ。
上手くいってくれよ。私の楽の為にも。
「よっしゃー! フライングチルノ号! 発ッ進ッ!」
「勝手に名前を付けるな」
翼を広げて羽ばたく……が、浮かない。
私以外も、どうやら同じようだ。
「う、浮かないね」
「持って飛ぶとなるとキツいねー」
「侮ってたなぁ。もっと気合い入れてみよっか」
皆で頷いて、やり直し。
「「「「せーの」」」」
合図と同時に、思いっきり羽ばたいてみる。おお、今度は浮いた!
でも……こんなに羽ばたいて、こんなに遅くしか飛べないの?
「ちょ、ちょっとキツくないこれ」
「う、うん。これは……大変かも……」
「あっ、あたいも……ッ! 全然へい……きッッ!」
「いやこれ、待って。いったん降ろそ? せーので」
「わ、わかった」
氷精ちゃんの顔が、少女にあるまじき造形になってるからね。
これ以上はあの子の名誉と、将来の顔皺が危ない。
「「「「せーの」」」」
こんなに寒いのに汗かいちゃったよ。
早く帰らないと確実にカゼひくなコレ。
「これ、持ったまま飛ぶのはマズいよ絶対」
「風が吹いたら危ないかもねー」
「あたいは頑張った! 頑張ったぞ!」
「引くしかないかぁ……マジかぁ」
「まあまあ」
そもそも屋台は、そういうモノなんだけどさ。まあ四人も居るんだし、いつもよりは軽いか。
こうなりゃ、家でめっちゃ呑み直すしかない。
とっておきの雀酒も出しちゃおうかな、フフフ。
▽
「……んおッ」
どこからか引きずり戻されたような……一瞬だけ、息苦しいような感覚。
目が覚めた……そうだ、目が覚めたのか。
ぼやり、と視界に滲む、自室の壁と空の酒瓶。
ぐるり、と首を巡らせ、朧気な記憶をたぐり寄せる。
視界と記憶の焦点が、少しずつ矯正されていく。
「あーそうだ……宅呑みしたんだっけ……」
起き上がって部屋を見渡すと、まあ酷いもんだ。
酒瓶だのおつまみだのが床や机の上に散乱している。めっちゃ酒臭い。
ついでに妖怪や妖精も床に落ちて寝ている。
リグルはおつまみの残骸に囲まれてるし、宵闇ちゃんは酒瓶をしっかりと抱いている。
……氷精ちゃんは何故、気をつけの姿勢で寝ているんだろう。
「ん……だめだよ大ちゃん……浴槽で寄せ鍋は……最強過ぎるよぉ……」
「大ちゃん大胆過ぎるだろ」
気をつけしてないで早く止めろ氷精ちゃん。キャベツだけで何玉必要か分からんぞ。
あ、でも浴槽でプリンはやってみたい。プリン風呂とか、お肌スゲーつやつやになりそうじゃん? ならんか。
「しかし寒そうな格好してるなーこいつら」
別に脱げてるワケじゃ無いんだけど、上掛け無しで冬の朝はちょっとね。
今更かもしれないけど、私のコートだのセーターだのを適当に被せておく。無いよりはマシだ。
ひとまず、水でも飲もうか。
こんなこともあろうかと、あらかじめ冷やしておいたのだ。
たまたま目に付いたコーヒーカップに水を注ぎ、一気に飲み干す。
「あ~美味しい~」
酒明けの身体に、冷たい水が染み渡る。
思ったより頭はすっきりしてる。二日酔いにならなくて良かった。
そして窓のカーテンを開くと、快晴!
うーん、爽やかモーニング。素晴らしいね。
「朝の鳥ぃ♪ 朝の歌ぁ♪ 開けた出窓に映る青ぉ~♪」
せっかくだし。寝ぼすけ共に朝ご飯でも作ってやろうか。
「香るコーヒー♪ こんがりトースト♪ 肉汁はじけるソーセージ♪」
「んむー?」
籠もった声と共にもぞりと動いたのは、リグルだ。
「リグルおはよ-」
「んー」
「昨日は楽しかったわね。あ、水飲む?」
ところがリグルは答えもせず、起きもせず。
床に転がったまま、私のコートを頭から被り直してしまった。
「まーだ寝る気かい。もう起きなって。ちょっとリグル?」
こうなると長いんだよなぁ。どうしようかな――。
「……みすちー……の」
「――ん?」
「におい……ふふ……」
今なんて、え? におい?
そッ、そのコート臭うのッ!?
い、いや。臭くは無い。臭くは無い筈だ。
確かにコートは頻繁に洗うものじゃないけど、私自身は洗われている。綺麗好きなんだぞ私は。
裾に鼻を寄せてみる、うん、臭くない。むしろフローラル気味な雰囲気すらある。
でも。においって言ったよな、今。
あれかな、自分の毒で自分は死なない的な……その……。
だんだんと、顔や耳が温まって来るのが分かる。
早くコートを返して貰わないと。このままだと、私が恥ずかしさで死ぬ。
「起きて」
「やだ」
「起きなさい」
「やだ」
「なんか恥ずかしいから起きて!」
「やだ」
「寝起きのリグルさん本当に聞き分け悪いな!」
はっ! さては、つ、翼か!?
確かに身体とは違ったにお、いや、香りがするけど。不快なアレじゃ無いハズなのに。
このコートは翼の上から羽織る、いわばポンチョに近い構造。臭いも籠もりやすいか……ッ?
いやいやいや、待て待て待て。
翼もちゃんと洗ってるから。仮に籠もったとしても問題は無い。多分、いや絶対。
でも。においって言ったよな……さっき……。
「何!? くっ、臭い感じなの!? 正直に言ってよ怒らないから! おいナイトバグ!」
もう顔が大火事なのよ! 絶対に超恥ずかしい感じの顔になってる!
私は曲がりなりにもローレライ。男を誘い殺す化け物が、そんな顔は他人に見せられない。ましてコイツラになんて!
見られる前に、コートを奪って冷静にならないと……!
「んやぁ……くさくは無くてぇ……」
「は!? ど、どういうコト!?」
まさか。まさかとは思うけど。
もし、仮に。私のコートが臭いのでは無いとしたら?
そういえば、においがすると言う割に、積極的に被りにいっていた。
それは、つまり、リグルの言うにおいって、その。
良い意味で……的な……?
「……お、起きてください。い、嫌じゃ無いけど。ホント、恥ずかしくて死ぬ。ねえ、やだ、起きて」
「んんー……ふふふ……」
「シャイセッ!」
こういう時どうすればいいの!? ラインの岩場は教えてくれなかったよ!?
く、くそっ。こうなりゃ実力行使だ。コート引っぺがして叩き起こしてやる!
「朝っぱらからさぁ……なにイチャついてんのよー」
「うるさくて起きちゃったじゃーん」
抗議の声と共に、宵闇ちゃんと氷精ちゃんが身体を起こす。マズい、マズいぞ。
一端落ち着こう。つまらない事を考えて、顔の温度と表情を戻すんだ。
整数は誰でも知ってるイージーモード……1、2、3、4……。
ここで手鏡をチラリ……よし! 普通!
そしてさりげなく、何事も無かったように振る舞えば!
「二人とも良いところに! リグルを脱がすの手伝っ、んんんッ!」
それ言っちゃ意味ねえだろ! バカか私は!
「は? ええ……店長さん……へへぇ、そーなのかぁーん……」
「な、何よ気持ち悪い」
「あれでしょー? 昔の血が疼く感じのー」
「その場合お前らも殺すけどいいのか……!」
今の私はただのローレライじゃ無いぞ。夜雀ローレライだぞ。
速効で鳥目にして、誘惑の歌を至近距離で聞かせてやる。
そうすれば! そうすれば……あー、ど、どうなるんだろ。誘惑の歌、最近歌って無いから分からん。今度試してみよ。
「チルノー。お二人さんに何か言ってやってよー」
「よっしゃー! ミスティア! リグル!」
「は、はい」
「すぴー」
「そういうのは! もっとこっそり!」
「「えッ!?」」
あまりにも想定外の叫びに、硬直する私と宵闇ちゃん。
そ、そういうのって何? 私まだ雛鳥だからわかんない。
「あっ、いや、はい……すんませんした……ミスティア不覚にも朝チュン……」
いや何で謝ってるんだ私は。別にやましいコトなんて無いハズだろう。
ただ、私のにおいで幸せ二度寝を決め込む友人が……やっぱリグルに言うべきでしょコレ!
「何よルーミア。あたいになんか文句あんの」
「そ、その。流石チルノだなーって。誉れ高き我らが友ー、みたいなー?」
「ホマレタカキって誰?」
「いや、あんたを褒めてるの」
「照れるなー! タカキサンキュー!」
「違くてー」
虚空に浮かぶタカキに手を振る氷精ちゃん。
タカキって誰だろうな。とろけるように甘いのかな。
「つーか誰よ。氷精ちゃんに余計なコト吹き込んだの」
「大ちゃんじゃないかなー」
「や、やめてよ。私もう何も信じられなくなる」
原材料、清純、以上。みたいな子だぞ。あり得ない、何かの間違いだろう。
あの子の笑顔を見ると、回復魔法でダメージ喰らうゾンビの気分になる程だぞ。
「くぁ~……おはよー。晴れてよかったねぇ。って、みすちー? どうしたのそれ?」
「起きるのおっそい……」
おかげで友人を寝起きから寝技に持ち込む女扱いされたよ。
覚えてろよな。私もなるべく覚えてるからな。多分。
「結局さー。店長さんは蟲さんに何がしたかったのー?」
こ、ここだ。名誉挽回のチャンス。適当にフカして誤魔化さないと!
「いやだって匂、あ、いや、何でも無いッスよ。へへっ」
速攻でチャンス逃がすなバーカ!
「なーにー? 気になるなー」
宵闇ちゃん……完全に獲物を見つけた顔してやがる……。
「あたいも気になるなー!」
あんたは純粋に気になるだけだよね? そうなんでしょ? そうだと言って?
「き、気になるなー?」
「リグルには言わせねえよ!?」
「えっ!? 何で!?」
「それが言えないから困ってんのよ!」
まさか、リグルにこうも振り回されるなんて……。
こうなったら、最後の手段。
「リグル、あのね……お願いがあるの」
「ど、どうしたの」
しおらしさに、媚びを添えて。
歌に頼らずとも、このミスティア・ローレライ。誘った相手は必ず惑わす!
「私と……一緒にシよ?」
「な、何を……?」
「弾幕ごっこ」
「えっ!? 何で!?」
「それが言えないから困ってんのよ! 表出ろ! 五枚だ!」
「結構ガッツリやるね!?」
リグルの腕を引き、冬の澄み渡る青空へ飛び込んでいく。
まさに弾幕ごっこ日和ね。
「空の蟲ぃ♪ 空の弾ぁ♪」
「説明! 説明をして!」
「リグルが勝ったらね」
「みすちーが勝ったら?」
納得のいかない表情で、カードを取り出すリグル。
その緑色の瞳に、蜂の巣状の赤い線がうっすらと浮かび上がる。蟲達を大量に呼び出し、指揮する時の眼だ。
冬だし、数もたかが知れているけど、やる気なのは分かる。ちょっと怒ってるかも。
「ずっとナイショ」
ここで勝って、内緒を確定しなければ。あいつ気にし出すと結構しつこいからね。
聞かれる度に思い出して、リグルの前で顔真っ赤とか、絶対ヤダ。
「何を隠してるのか、逆に気になってきたよ。こうなったら勝たせて貰う、けどさ」
「うん? どうしたのよ」
「ずっと顔真っ赤で、辛そうだけど大丈夫? 体調悪いんじゃ無い?」
「ぴっ!?」
手鏡を見たときは平気だったのに!
つまり、鏡を見た後から……リグルが起きてからずっと……!?
みっ、見られた……恥ずかしがってる顔見られた……ローレライ的に見られたくない顔を……。
しかも、よりによってリグルに……もう全身熱くて溶けそう……。
「な、なんかフラフラしてるけど。本当に大丈夫?」
「そッ! そんなことより……い、いい? リグルはこれから」
でも、視線を隠すのは私の得意技! 急げ急げ! 手遅れでも急ぐんだ!
「私の……ナイショの顔が見えなくなるよ!」
月も星も無い、黒い夜空を映した霧の湖。
その近くに構えた屋台で、焼きヤツメを頬張っていたリグルが、少し不思議そうに聞いてきた。
「来ないって言うか、リグルが今日の一人目だかんね」
「ホントに? いよいよ危ないんじゃ無いの?」
「別にヤバくは無いし。寒いから客入りが鈍いってだけ」
何せ、真冬の曇り夜だ。おまけに冷たい風が、容赦なく吹き付けている。
ここ最近屋台を開けて無かったし、今日店をやっていると思われて無いのだろう。まさに閑古鳥だ。
「ていうか、こんな寒いのに来て平気なの? 寒さ耐性地べたのクセに」
「だってお店開けたの久々じゃん。最近ライブばっかでさ」
「響子の声が絶好調でねぇ。好機逃すべからずよ」
本人が十年に一度の好調、というだけあって、声の伸びが凄まじかった。
そんな時に、歌わない選択肢は無いでしょ。ライブもめっちゃ盛り上がったし。
「それは、分かるけど……私最近全然もにょもにょ……」
「なに? まさか寂しかったワケ? ライブもキッチリ来てたのに?」
「いや別にーそういうんじゃー、ないけどー」
「りぐるんカワイイな-! 可愛い娘には一本おまけ……しません!」
「ケチ!」
残った麦酒を一気に呷るリグル。
あーあー、そんな膨れっ面して。ホント可愛いなコイツ。イルスタードダイブるぞ。
「でも実際、良かったでしょ? こないだの新曲とか」
「うん、ああいう曲好き」
頬を戻して微笑むリグルは、お洒落な曲調が好みらしい。
私達はロックンロール以外もお手の物。鳥獣伎楽に不可能は無いのだ。
「そういえば。絶好調なのに突然ライブ連発止めたよね。なんかあったの?」
「そのー、あれだ。流石に命蓮寺の尼さんにバレてさ」
大盛況のままライブが終了。月明かりの下、響子と共に成功を喜びながら汗を拭う。
お互いのパフォーマンスを称え合いながら、用意していた冷たい水に手を伸ばす。
そこへオーラを纏った尼さんが、満面の笑みを浮かべて、ゆっくりと歩み寄ってきたワケよ。
「二人揃って腰を抜かしたわ」
「そんな怖い人だっけ、あの尼さん」
「おしっこ漏らさなかったのが奇跡よ。いっそ垂れ流したら許してくれねーかな、とか思ったわ」
「自分を大切にしてねみすちー」
次に気がついた時は、寺の入り口に私服で立って居た。
覚えの無い頭のタンコブと、見覚えの無い手提げ袋を持って。
袋の中には、洗濯されてキチンと畳まれたライブ衣装。
そして尼さんの名前と、糸の解れを直した旨が書かれたメモが入っていた。真面目か。
「響子はなんか、お仕置きでお尻が爆散した~、とか言ってめっちゃヨタヨタしてた」
「それはその、お尻ペンペン的な」
「多分ね。私も昔ハクタクにとっ捕まった時にされたわー」
「ああ、みすちーは絶対されてるね」
「何よそれ」
私は真面目でマトモな妖怪なんだぞ。
夜中に里をほっつき歩いてた人間の子供を、ちょっと脅かしただけなのに。
……って、ああ、里の中だったからか。私が悪かったわ、お子様諸君。
逃げる君達が、スッ転びながらお漏らししてた事は、秘密にしておいてあげよう。
「超痛かったよ。セッカンとか言ってケツぶっ叩かれてさぁ。後で本気で確認したもん」
「何を?」
「ケツの有無。ギリギリであった」
「ギリギリで残ったお尻ってなにさ……」
女の子のお尻を傷つけるなんて酷いヤツよ。いつかぶっ叩き返してやるんだから。
「まーそんなワケで、しばらくライブはお預け。屋台やるわーバリバリと」
「ふーん。そっか」
「……そこで嬉しそうな顔されると、ちょっと複雑なんですケド?」
「そんな顔してないよ」
してる。絶対してる。リグルはすぐ顔に出るもん。
「なーんかローレライ的に悔しいので歌いまーす」
「してないってばー」
「Wenn ich ein Vöglein wär'~♪」
「あ、その言葉で歌うの……」
「何よそれー」
歌に言葉の種類なんて関係ないぞリグル君。
自慢だけど日・独・英で歌えるから、私は驚愕のトリリンガルだぞリグル君。鳥だけに。鳥だけに。
「なんか……みすちーがみすちーじゃない頃のみすちー思い出してさぁ」
幻想郷に来た時の私の事だろうな。
まあ確かに。ライン川に居た時の私と今の私は、ほとんど別物だけど。
「私はいつだって私だよ」
「そうじゃなくてー」
里の人間に、そして妖怪達に、夜雀だと誤解され過ぎたのが原因らしい。
当時弱っていた事もあり、ローレライの私に、誤解の夜雀像が混ざってしまったんだとか。
妖怪は精神に大きく左右される。状況次第では、他者の精神と認識からも。とハクタクは言っていた。
未だによく分からないけど……つまり今の私は、ハイブリッドなバージョンツーなのだ。最強かよ私。
「今日のリグルは面倒くさいなぁ。それじゃあオスにモテないぞ」
「ひどい……麦酒おかわり……」
「お客さん呑み過ぎだよ」
そんなにお酒強いワケじゃないのに。中々の量だぞ、今のところ。
「たいした事ないし……」
「リグルの限界的に、この量は割とキてると思いますけど」
「キたら介抱して……」
「解剖して虫焼きにしてやろうかしら」
……おや、反応がこねぇな。会話放棄かな?
よく見ると、カウンターに突っ伏している。
眼は閉じられ、細い背中がゆっくりと上下動を繰り返す……寝ちゃったのか。
「水辺でローレライを前にスヤスヤとは、舐められたもんだ」
誘惑の歌は女にも効くんだぞ? まあ寝てたら意味ないんだけど。
それにしても。
「はー……ホント綺麗だわ……」
寝息を立てるリグルの顔をのぞき込んで、ため息をつく。
目鼻立ちの整いもそうだけど。こう、纏う雰囲気というか。
蛍妖怪特有なのかなぁ。悪まっさかさまの私にとても出せない、清廉な雰囲気ってヤツだ。
別に羨ましくはない。私は私を気に入っているし。
でも何故か、勝手に出るんだよねぇ。ため息。
眠り蟲姫を堪能していると、こちらに黒い球体が近づいてきた。
おや、宵闇ちゃんだ。本日二人目のお客さん。
「こんばんわー」
「おー宵闇ちゃん。おひさー」
球から解かれた闇が風に泳ぎ、夜に溶けて消えていく。
神秘的ですらある現象の中から現れるのは……ぷにぷにほっぺのパツキン少女だ。
「ねえ。蟲さんを食べるなら私も混ぜてー」
「ど、どうしたの急に」
「蟲さんの事めっちゃ凝視してたから、いよいよ適度に肥えてきたのかと」
「いや飼って育ててるワケじゃ無いからね?」
リグルはいくら食べても太らないから、それは無理だ。本当にズルい。
「ていうか、リグルは私の恩人だからね? そうあれは」
「もう百回くらい聞いたからいいですー」
「つれねーの」
幻想郷にたどり着いた頃、私はもう、存在ごと消えかかっていた。
もう諦めてしまおうと思った時に、リグルがそこに居た。
リグルは私に何かをしたワケじゃない。ただ切り株に座って、蛍達と戯れていただけだ。
ただその光景が、あまりにも綺麗で……消えそうになっていた事も忘れて、歌い始めたのを覚えてる。
その後なんやかんやあって。今は人間を鳥目にしたり、屋台を開いたり、バンドをやったりのハッピーな毎日だ。
そんな事あるかよ、と思うでしょ? あったから私は、ここに居るのだ。
「で? 食べてくんでしょ?」
「うん。とりあえず駆けつけ三本」
「はいオーダー入ります~。適当三本急ぎ焼き~」
宵闇ちゃんとはいえ、ようやく来たお客さんだ。手早くやらないとね。
そう、既に口の端からヨダレが見えているヨダチラ娘の為にも。
「はい、ヤツメヤツメにまたヤツメ。三本揃ってトリヤツメ、おまちどう様々です~」
「いや、全部一緒は適当すぎなーい?」
「ていうか今日、これしか無いし」
「なんで」
「いやー仕込み完ッ全に忘れててさぁ。何とか一種類だけソッコーで用意したのよ」
ネギまも出来るかと思ったんだけど、そもそもネギが無かった。
今日は一体何を売るつもりだったのか、過去の私を問い詰めたい。
「へーそーですかい。いただきまー、んむ」
「旨いっしょ?」
「うん! すっごく美味しい!」
みんな見て。宵闇ちゃんのこの顔。
花丸をあげたくなるような、満開の笑顔だ。頑張って作った甲斐があるってもんだ。
「よ-し! 問題なし!」
「いや問題あるわアホなのか」
みんな見て。宵闇ちゃんの貴重な真顔。
思わず頭を下げたくなるような、無の表情だ。怖い顔じゃないのにスゲー怖い。
「宵闇ちゃんにマジ顔されるのホント心に刺さる」
「しっかり刺さって反省してねー」
「大天使リグルさんは何一つ文句言わなかったよ!?」
「呆れてモノも言えなかったんじゃん?」
「一理ある。刺さるわー」
久々だから試運転なんですー。まだ本気出して無いだけですー。
まあ、今日はこれくらいにしておいてやるよ。
だが次に店を開ける時に私の太ももは、必ずお前達にヤツメウナギ食い放題だ。
「しかしよく寝ていられるなぁ、リグルさんは」
宵闇ちゃんが横に座っても、全く起きる気配は無い。
本格的に寝入っているらしい。こんなに寒いのに。
「もう死んでたりしてー」
「洒落にならんよ。ほらリグル、起きて。寒くて死ぬぞ」
「んむー」
身じろぎするばかりで起きようとしない。リグルは起きるまでが長いんだよなぁ。
「店長さん。なんかさ、さっきより寒くなってない?」
「そうねぇ。今日はもう閉めるわ。物足りなかったらウチに来てよ」
「おお、珍しいねー」
「この時間に閉めるとヒマでさ」
どうする? と目で問いかける。
宵闇ちゃんは笑みを返してきた。乗り気みたいね。
「それじゃあ、片付けちゃいますかね」
「ちょっとまったぁ! あたいも行きたい!」
「氷精ちゃんまで来たか」
滑り込むように長椅子に座ってきた氷精ちゃんは、何故かいつものワンピース一丁だった。
いつもはもう少し厚着してるのに。もはや見てるだけで寒いぞ。
「さっきより寒いのコイツのせいかー」
「ていうか、何でそんな寒そうな格好してんの」
「フフフ。あたいが夏の忘れ物になっているワケを聞きたい?」
「あんたを忘れたのは夏じゃ無くて季節感だよ」
人差し指を立てて、得意げに歩き出す氷精ちゃん。
私の言葉も意に介さず、何故か屋台の裏手に回ってきた。
「ちょっと。厨房は従業員以外お断りよ」
「そうあれは」
「何ですり寄ってくるの!? さっむ! 殺す気か!」
私が何をしたっていうんだ。アレか、仕込みを忘れた罰なのか。
「大ちゃんと厠で船舶をしてた時に……あ、おでん食べたい」
「瓦で円卓でしょうが。間違ってるし途中で飽きるな。つーか寒いから離れろ!」
「店長さんも間違ってない? そんな事より、早く片付けて行こうよー」
氷精ちゃんとの熾烈な攻防は、宵闇ちゃんの気怠げな声で中断された。
そうだった。早くも忘れる所だった。
「やるかー。勿論手伝ってくれるよね?」
「めんどくさいなぁ」
「ねーミスティア。うどんまだ?」
「オーダー変わるの早すぎる……って、リグルまだ寝てるの? いい加減起きてよ」
もう閉店なんですよお客さん。そろそろカゼひくぞ。
「いやぁちゃんとおきてぅーんー」
が、駄目。肩を揺すっても無言で駄々をこねる。リグルは本当に目覚めが鈍い。
仕方が無い、ムリヤリにでも起こすか。
「宵闇ちゃん。リグルの良いところは」
「おしりとー、指と首筋ー」
「食べないでぇ……」
なおも起きないリグルの耳元に、宵闇ちゃんが唇を寄せて、囁いた。
「肉や脂肪が少ないのは残念ですが端正な造形が優雅な夕餉を想起させて食欲が湧いてきますルーミア不覚にも腹キュン」
「ひぇぇ! 起きます起きます! 急に早口になるの怖い!」
悲鳴を上げながら飛び起きるリグル。
あんなの耳元で囁かれたらそりゃ起きるよ。鳥肌立つわ。
「遊んでないで手伝ってよ! あたいを見習え、あたいを!」
意外や意外。あの子マジメに片付けしてんじゃん。
あっ、でもそのボウルはそのまま仕舞わないで! 洗ってから!
「ごめんごめん。すぐやるよ。ルーミア、そっちの端っこ持って」
「これくらい一人でやれるよ。蟲さんは違うのやってー」
「いいの?」
「寒いから早く行きたいのー」
そう言いながら、長椅子を一人で担ぎ上げる宵闇ちゃん。
あれでパワー系だからねぇ。人間喰う時も、無理矢理ねじ伏せてガッつくんだとか。怖い怖い。
それにしても、四人で作業すると速いのなんの。
あっという間に片付いてしまった。
「よし。これでおしまいね」
「また世界を縮めてしまった。流石はあたい」
「早く行こうよー」
急かさなくても私の家は逃げないよ。
さあ行こうか、と屋台を転がそうとした時……ふと気がついてしまった。
「え、ていうかこれ、徒歩で引っ張ってくの? このクソ寒い中を?」
「そりゃそうでしょ。何でみすちーが首傾げてんの」
「マジかぁ……なんか楽な方法無いかな?」
「横着だなぁ」
そうは言うけど、これ結構重いんだぞ。
最近ギターばっか担いでたから、重さの差分が凄いんだよ。
「置いてけばー?」
「流石にそれはマズい」
「元に戻して呑み直す?」
「面倒くさいよ! あとリグルはもう呑んじゃ駄目」
「えー」
「えーじゃありません。んーどうするかなー」
頭を捻っていると、路傍の草を凍らせて遊ぶ、氷精ちゃんの姿が視界に入った。
「よーし氷精ちゃん! 天才的なアイデアをどうぞ!」
「聞く相手間違ってない?」
「この際誰でもいいよ」
「あたいに任せな!」
腕を組み眼を閉じて思索に耽る氷精ちゃん。
やがて目をカッと見開き、導き出した答えを、高らかに叫んだ。
「歩くのが面倒なら……飛ぶッ!」
「「「な、なるほどォ~ッッ!」」」
天才……伊達では無かったか……。
というわけで、早速実践してみよう。
「しっかり持ってね? 落としたら大惨事だからね?」
「そもそも飛べるかなぁ」
「まー成るように成るよー」
四人でそれぞれ四隅を持ってスタンバイ。
上手くいってくれよ。私の楽の為にも。
「よっしゃー! フライングチルノ号! 発ッ進ッ!」
「勝手に名前を付けるな」
翼を広げて羽ばたく……が、浮かない。
私以外も、どうやら同じようだ。
「う、浮かないね」
「持って飛ぶとなるとキツいねー」
「侮ってたなぁ。もっと気合い入れてみよっか」
皆で頷いて、やり直し。
「「「「せーの」」」」
合図と同時に、思いっきり羽ばたいてみる。おお、今度は浮いた!
でも……こんなに羽ばたいて、こんなに遅くしか飛べないの?
「ちょ、ちょっとキツくないこれ」
「う、うん。これは……大変かも……」
「あっ、あたいも……ッ! 全然へい……きッッ!」
「いやこれ、待って。いったん降ろそ? せーので」
「わ、わかった」
氷精ちゃんの顔が、少女にあるまじき造形になってるからね。
これ以上はあの子の名誉と、将来の顔皺が危ない。
「「「「せーの」」」」
こんなに寒いのに汗かいちゃったよ。
早く帰らないと確実にカゼひくなコレ。
「これ、持ったまま飛ぶのはマズいよ絶対」
「風が吹いたら危ないかもねー」
「あたいは頑張った! 頑張ったぞ!」
「引くしかないかぁ……マジかぁ」
「まあまあ」
そもそも屋台は、そういうモノなんだけどさ。まあ四人も居るんだし、いつもよりは軽いか。
こうなりゃ、家でめっちゃ呑み直すしかない。
とっておきの雀酒も出しちゃおうかな、フフフ。
▽
「……んおッ」
どこからか引きずり戻されたような……一瞬だけ、息苦しいような感覚。
目が覚めた……そうだ、目が覚めたのか。
ぼやり、と視界に滲む、自室の壁と空の酒瓶。
ぐるり、と首を巡らせ、朧気な記憶をたぐり寄せる。
視界と記憶の焦点が、少しずつ矯正されていく。
「あーそうだ……宅呑みしたんだっけ……」
起き上がって部屋を見渡すと、まあ酷いもんだ。
酒瓶だのおつまみだのが床や机の上に散乱している。めっちゃ酒臭い。
ついでに妖怪や妖精も床に落ちて寝ている。
リグルはおつまみの残骸に囲まれてるし、宵闇ちゃんは酒瓶をしっかりと抱いている。
……氷精ちゃんは何故、気をつけの姿勢で寝ているんだろう。
「ん……だめだよ大ちゃん……浴槽で寄せ鍋は……最強過ぎるよぉ……」
「大ちゃん大胆過ぎるだろ」
気をつけしてないで早く止めろ氷精ちゃん。キャベツだけで何玉必要か分からんぞ。
あ、でも浴槽でプリンはやってみたい。プリン風呂とか、お肌スゲーつやつやになりそうじゃん? ならんか。
「しかし寒そうな格好してるなーこいつら」
別に脱げてるワケじゃ無いんだけど、上掛け無しで冬の朝はちょっとね。
今更かもしれないけど、私のコートだのセーターだのを適当に被せておく。無いよりはマシだ。
ひとまず、水でも飲もうか。
こんなこともあろうかと、あらかじめ冷やしておいたのだ。
たまたま目に付いたコーヒーカップに水を注ぎ、一気に飲み干す。
「あ~美味しい~」
酒明けの身体に、冷たい水が染み渡る。
思ったより頭はすっきりしてる。二日酔いにならなくて良かった。
そして窓のカーテンを開くと、快晴!
うーん、爽やかモーニング。素晴らしいね。
「朝の鳥ぃ♪ 朝の歌ぁ♪ 開けた出窓に映る青ぉ~♪」
せっかくだし。寝ぼすけ共に朝ご飯でも作ってやろうか。
「香るコーヒー♪ こんがりトースト♪ 肉汁はじけるソーセージ♪」
「んむー?」
籠もった声と共にもぞりと動いたのは、リグルだ。
「リグルおはよ-」
「んー」
「昨日は楽しかったわね。あ、水飲む?」
ところがリグルは答えもせず、起きもせず。
床に転がったまま、私のコートを頭から被り直してしまった。
「まーだ寝る気かい。もう起きなって。ちょっとリグル?」
こうなると長いんだよなぁ。どうしようかな――。
「……みすちー……の」
「――ん?」
「におい……ふふ……」
今なんて、え? におい?
そッ、そのコート臭うのッ!?
い、いや。臭くは無い。臭くは無い筈だ。
確かにコートは頻繁に洗うものじゃないけど、私自身は洗われている。綺麗好きなんだぞ私は。
裾に鼻を寄せてみる、うん、臭くない。むしろフローラル気味な雰囲気すらある。
でも。においって言ったよな、今。
あれかな、自分の毒で自分は死なない的な……その……。
だんだんと、顔や耳が温まって来るのが分かる。
早くコートを返して貰わないと。このままだと、私が恥ずかしさで死ぬ。
「起きて」
「やだ」
「起きなさい」
「やだ」
「なんか恥ずかしいから起きて!」
「やだ」
「寝起きのリグルさん本当に聞き分け悪いな!」
はっ! さては、つ、翼か!?
確かに身体とは違ったにお、いや、香りがするけど。不快なアレじゃ無いハズなのに。
このコートは翼の上から羽織る、いわばポンチョに近い構造。臭いも籠もりやすいか……ッ?
いやいやいや、待て待て待て。
翼もちゃんと洗ってるから。仮に籠もったとしても問題は無い。多分、いや絶対。
でも。においって言ったよな……さっき……。
「何!? くっ、臭い感じなの!? 正直に言ってよ怒らないから! おいナイトバグ!」
もう顔が大火事なのよ! 絶対に超恥ずかしい感じの顔になってる!
私は曲がりなりにもローレライ。男を誘い殺す化け物が、そんな顔は他人に見せられない。ましてコイツラになんて!
見られる前に、コートを奪って冷静にならないと……!
「んやぁ……くさくは無くてぇ……」
「は!? ど、どういうコト!?」
まさか。まさかとは思うけど。
もし、仮に。私のコートが臭いのでは無いとしたら?
そういえば、においがすると言う割に、積極的に被りにいっていた。
それは、つまり、リグルの言うにおいって、その。
良い意味で……的な……?
「……お、起きてください。い、嫌じゃ無いけど。ホント、恥ずかしくて死ぬ。ねえ、やだ、起きて」
「んんー……ふふふ……」
「シャイセッ!」
こういう時どうすればいいの!? ラインの岩場は教えてくれなかったよ!?
く、くそっ。こうなりゃ実力行使だ。コート引っぺがして叩き起こしてやる!
「朝っぱらからさぁ……なにイチャついてんのよー」
「うるさくて起きちゃったじゃーん」
抗議の声と共に、宵闇ちゃんと氷精ちゃんが身体を起こす。マズい、マズいぞ。
一端落ち着こう。つまらない事を考えて、顔の温度と表情を戻すんだ。
整数は誰でも知ってるイージーモード……1、2、3、4……。
ここで手鏡をチラリ……よし! 普通!
そしてさりげなく、何事も無かったように振る舞えば!
「二人とも良いところに! リグルを脱がすの手伝っ、んんんッ!」
それ言っちゃ意味ねえだろ! バカか私は!
「は? ええ……店長さん……へへぇ、そーなのかぁーん……」
「な、何よ気持ち悪い」
「あれでしょー? 昔の血が疼く感じのー」
「その場合お前らも殺すけどいいのか……!」
今の私はただのローレライじゃ無いぞ。夜雀ローレライだぞ。
速効で鳥目にして、誘惑の歌を至近距離で聞かせてやる。
そうすれば! そうすれば……あー、ど、どうなるんだろ。誘惑の歌、最近歌って無いから分からん。今度試してみよ。
「チルノー。お二人さんに何か言ってやってよー」
「よっしゃー! ミスティア! リグル!」
「は、はい」
「すぴー」
「そういうのは! もっとこっそり!」
「「えッ!?」」
あまりにも想定外の叫びに、硬直する私と宵闇ちゃん。
そ、そういうのって何? 私まだ雛鳥だからわかんない。
「あっ、いや、はい……すんませんした……ミスティア不覚にも朝チュン……」
いや何で謝ってるんだ私は。別にやましいコトなんて無いハズだろう。
ただ、私のにおいで幸せ二度寝を決め込む友人が……やっぱリグルに言うべきでしょコレ!
「何よルーミア。あたいになんか文句あんの」
「そ、その。流石チルノだなーって。誉れ高き我らが友ー、みたいなー?」
「ホマレタカキって誰?」
「いや、あんたを褒めてるの」
「照れるなー! タカキサンキュー!」
「違くてー」
虚空に浮かぶタカキに手を振る氷精ちゃん。
タカキって誰だろうな。とろけるように甘いのかな。
「つーか誰よ。氷精ちゃんに余計なコト吹き込んだの」
「大ちゃんじゃないかなー」
「や、やめてよ。私もう何も信じられなくなる」
原材料、清純、以上。みたいな子だぞ。あり得ない、何かの間違いだろう。
あの子の笑顔を見ると、回復魔法でダメージ喰らうゾンビの気分になる程だぞ。
「くぁ~……おはよー。晴れてよかったねぇ。って、みすちー? どうしたのそれ?」
「起きるのおっそい……」
おかげで友人を寝起きから寝技に持ち込む女扱いされたよ。
覚えてろよな。私もなるべく覚えてるからな。多分。
「結局さー。店長さんは蟲さんに何がしたかったのー?」
こ、ここだ。名誉挽回のチャンス。適当にフカして誤魔化さないと!
「いやだって匂、あ、いや、何でも無いッスよ。へへっ」
速攻でチャンス逃がすなバーカ!
「なーにー? 気になるなー」
宵闇ちゃん……完全に獲物を見つけた顔してやがる……。
「あたいも気になるなー!」
あんたは純粋に気になるだけだよね? そうなんでしょ? そうだと言って?
「き、気になるなー?」
「リグルには言わせねえよ!?」
「えっ!? 何で!?」
「それが言えないから困ってんのよ!」
まさか、リグルにこうも振り回されるなんて……。
こうなったら、最後の手段。
「リグル、あのね……お願いがあるの」
「ど、どうしたの」
しおらしさに、媚びを添えて。
歌に頼らずとも、このミスティア・ローレライ。誘った相手は必ず惑わす!
「私と……一緒にシよ?」
「な、何を……?」
「弾幕ごっこ」
「えっ!? 何で!?」
「それが言えないから困ってんのよ! 表出ろ! 五枚だ!」
「結構ガッツリやるね!?」
リグルの腕を引き、冬の澄み渡る青空へ飛び込んでいく。
まさに弾幕ごっこ日和ね。
「空の蟲ぃ♪ 空の弾ぁ♪」
「説明! 説明をして!」
「リグルが勝ったらね」
「みすちーが勝ったら?」
納得のいかない表情で、カードを取り出すリグル。
その緑色の瞳に、蜂の巣状の赤い線がうっすらと浮かび上がる。蟲達を大量に呼び出し、指揮する時の眼だ。
冬だし、数もたかが知れているけど、やる気なのは分かる。ちょっと怒ってるかも。
「ずっとナイショ」
ここで勝って、内緒を確定しなければ。あいつ気にし出すと結構しつこいからね。
聞かれる度に思い出して、リグルの前で顔真っ赤とか、絶対ヤダ。
「何を隠してるのか、逆に気になってきたよ。こうなったら勝たせて貰う、けどさ」
「うん? どうしたのよ」
「ずっと顔真っ赤で、辛そうだけど大丈夫? 体調悪いんじゃ無い?」
「ぴっ!?」
手鏡を見たときは平気だったのに!
つまり、鏡を見た後から……リグルが起きてからずっと……!?
みっ、見られた……恥ずかしがってる顔見られた……ローレライ的に見られたくない顔を……。
しかも、よりによってリグルに……もう全身熱くて溶けそう……。
「な、なんかフラフラしてるけど。本当に大丈夫?」
「そッ! そんなことより……い、いい? リグルはこれから」
でも、視線を隠すのは私の得意技! 急げ急げ! 手遅れでも急ぐんだ!
「私の……ナイショの顔が見えなくなるよ!」
温かい冬の一幕、おバカな友人たちと戯れるお茶目なローレライ。堪能させていただきました。
みんながわちゃわちゃ話してるのが好きでした。
かわいらしくてよかったです
赤くなっちゃうミスティアがまさに照り焼きでした