喧騒が去り店内には静寂が訪れた。
今は夜だが明日になれば朝日が昇る。何事も移り、変化するのがこの世の常であるが、少女の姦しさだけは不変のような気がした。願わくば次の朝が来るまでこの静寂のひと時を楽しみたいものだ。
僕はそこまで記し、一度筆をおいた。
今僕が書いているこの日記は、香霖堂ひいては幻想郷の歴史を綴った書物として後世に伝わるだろう。なぜなら日常の積み重ねこそが歴史の本質なのだから。以前そのことを里の守護者に伝えたら鼻で笑われてしまった。彼女曰く「この日記帳は空想が混じりすぎて歴史書として相応しくない」とのことだ。
酷い言われようだ。正しいことしか書いていないはずなのだが、歴史に精通する彼女にそう断言されてしまっては返す言葉もない。目に映る情景とほんの少しの考察をありのまま記した僕の歴史は、なぜか虚構の烙印を押されてしまったのだ。
以来断筆していたのだが、最近執筆活動への意欲が再燃してきた。思い返してみると宇佐美菫子という外来人がこの店に入り浸るようになってからのような気がする。外の世界の話を聞いて胸が高鳴ったのかもしれない。
きっかけは何でも構わないが兎も角心境の変化があったことは事実である。書き始めた当初は何も思わなかったが、長い年月を生きる妖怪は、日々の微細な揺らぎを記載し続けることで初めて変化を知覚するのである。半妖も然り。
不意にドアベルがカランコロンと鳴った。少女たちが帰路について数刻、すでに外は暗くなっていた。
木が擦れる音を立ててドアが開く。営業時間外なのだが今日は碌な商売ができていなかったので、お客様であることを期待して商売っ気のある声をかけた。
「いらっしゃいませ」
「ここには何があるの」
夜の来客は年端もいかない少女だった。薄い黄色の髪と赤を基調とした服を着ており、外見は魔理沙や霊夢より幾分幼い。だが背中に生えた歪な形の虹色の羽が人外であることを示していた。
妖怪は成長が遅いうえに肉体と精神がより強く結びついている。年齢や人となりを推測するのは不可能に近い。中には見た目は若く、精神は成熟しきっているような者もいるが。
その妖怪と思わしき少女の質問に僕は何と答えるのが適当かを考えた。
少し難しい質問だ。此処香霖堂では外の世界の道具も取り扱う古道具屋なのだが、大概のものは置いてある、ともいえない品揃えである。
迷った挙句、少しはぐらかして答えることにした。
「ここは道具屋だ。ないものはないと言っても過言ではないよ」
「ふうん」
特に僕の言葉を怪しむこともせず、そう言った少女は近くにあったぬいぐるみを手に取った。
「外のキャラ? 可愛い」
それは熊を象っているが、獰猛な獣とはかけ離れた印象を与える造形だ。黄色い体と赤い服の配色はどことなく目の前の少女に似ている。名前もついており自由奔放な子供たちに向けて生みだされた存在であることを示していた。
「お目が高い。それは外の世界のぬいぐるみでね、名前を――」
ブチリと音がした。僕の説明が終わる前に少女がぬいぐるみを引き千切ってしまったのだ。ああ貴重な外界の品なのに。
僕は狼狽えたが幼子のやることだと割り切った。躊躇なくものを壊してしまうあたり精神は見た目相応のようだ。いちいち目くじらを立てず、寛容に許してやるのが大人の務めだと思った。賠償金は、居るかわからないがこの子の保護者に請求することにしよう。
「ねぇ面白いものはないの」
困った。人によってその尺度は様々だ。ましてや女児の好みなど全く分からない。僕の知っている少女の趣味は大概が茸だとかお茶だとかで、世間一般からはかけ離れているから参考にはならないのだ。
ぬいぐるみに興味を示していたが、また千切られてはたまったものではないので別種を出すのは躊躇われる。だがここで興味を失われては商売人の名折れだ。
僕は思案していたのだが、少女は何かが目に留まったようでそれに興味を示した。
「これ、外の世界の?」
「ああ、ああそうだよ興味あるのかい」
「うん、読んでみたい」
この少女は本を嗜むらしい。先ほどの蛮行とは打って変わってお淑やかな趣味だったので驚いた。ちなみにその本は外の世界の所謂ミステリィと呼ばれる分野に属している。
渡してやると少女はページを捲り、冒頭の部分に目を通して閉じた。
「これ、いくら?」
「そうだね、ざっとこんなものかな」
どうやら購入を決めてくれたようだ。少し安めに値段を設定した。手持ちがいくらかは予想できないが子供の小遣いなら妥当な額を提示した。
「これで足りるかな」
少女はコインをいっこ取り出した。
手に取ってまた僕は驚いた。そのコインの材質は金、さらに表面には異国のものと思わしき彫刻がなされていた。
これなら先ほどのぬいぐるみを含めてもお釣りがくる。それを何の気なしに渡すとはやはり物の価値がよくわかっていないようだ。もしかしたらどこか妖怪の名家のお嬢様なのかもしれない。世間知らずの箱入り妖怪と言ったところか。
そう思えば、服装や仕草もどこか気品のあるような気がしないでもない。先ほどの行為は、まあ、力加減を間違えたのだろう。子供にはよくあることだ。
兎も角この少女が財産を持っているのは確かだ。顧客になってもらえれば良い商売ができるかもしれないと僕は打算し、あることを提案した。
「十分だよ、むしろ多すぎるくらいだ。何ならもう一冊持って行ってもいい」
「え、本当」
無表情だった少女の頬が緩んだ。そして嬉しそうに二冊目の本を選び始めた。
僕は外の世界の教科書を読んでいた。寺子屋の先生に外の世界の学習方法を参考にしたいと言われ、拾ってきたものの中から役に立ちそうなそれっぽいものを探していたのだ。
今読んでいるのは僕たちが使うものとは別の言語を学ぶための教材だ。所謂英語の教科書というものだが、日本語訳を見てみるとどうも日常会話で使う文章ではないような気がした。最初のほうのページなどはそれが顕著である。教科書ならこんなものなのだろうか。
ある程度流し見をして閉じる。そして箱に詰める。15冊くらいは軽く目を通したので十分だろう。軽く伸びをして、窓から外を見ると夕焼けが目に入った。
僕は郵便受けに届いていた夕刊や手紙を持ってきて読んだ。ふとこの前の妖怪少女の顔が浮かぶ。
あの日以来、夜が来ると少女は度々店を訪れた。
何度か話をしているうちに知ったのは彼女は本当に館のお嬢様だということだ。名をフランドール・スカーレットと言う。
スカーレットと言えば幻想郷でも指折りの実力者であるレミリアが思い浮かぶ。フランドールはその妹なのだそうだ。
そういえば新聞で読んだことがある。狂気が制御できず紅魔館の地下に閉じこもっている吸血鬼がいるとか。
方々で噂は聞いていたが、僕には彼女がとてもそうだとは思えなかった。確かに乱暴なところはあるが、本を嗜む彼女はよほど気品がある。
そして何よりフランドールはどこかの誰かと違って物を購入する際、代金をきちんと、正確に、しっかりと、渋ることなく、あたりまえのように払うのだ。
太陽が沈み、あたりが暗くなった。そろそろ頃合いだろうか。
――カランコロン。
「いらっしゃい、フランドール」
僕はそれまで読んでいた手紙をしまい、来客に応対した。
「こんばんは、この前の面白かったわ」
すっかりお得意様だ。心を許したのか、声をかけると購入した本の感想を述べてくれる。読書仲間が増えたようで悪い気はしなかった。
「で、何か面白いものある?」
感想を言い終わるとこう尋ねる。このやり取りもいつもの事である。
彼女の趣味に合うものが少しだけわかってきたので、抽象的な問いかけに長考することはなくなった。
というより適当なものを渡してもそれなりに興味を示してくれる。館に引きこもっていたからか本当に世間知らずらしい。だから外の世界の品や魔理沙が持ってきたガラクタが新鮮に映るのだろう。
「面白いものね、少し待っていてくれるかい」
僕はそう言ってあるものを探して道具箱を漁り始めた。
その間フランドールは棚にタイトル順に陳列された本を物色するのである。
だが今日は勝手が違った。棚よりも先に僕の机に置いてあった一冊の本に目が向いた。
表紙は丁寧な装飾がなされており、目を引くデザインだ。そしてタイトルと思しきところには「フランドール」と書かれていた。表紙に自分の名があったのが気になったのかフランドールはそれを手に取りぱらぱらとページを捲った。
「何これ、白紙じゃん」
「そうだよ。これは日記帳だからね」
むしろこれから書き込むのだから白紙でなくてはいけない。
「そうじゃなくて、なんで私の名前がタイトルなわけ」
「これは君の日記帳だからだよ、僕からのプレゼントだ」
お得意様への粋な計らいのつもりだったが、彼女は困惑しているようだった。口を半開きにしてぽかんとしている。
僕は道具箱の中から探していたものを見つけるとそれも彼女に手渡した。
「何これ」
「this is a pen」
そう言えばと、彼女は異国の妖怪だということを思い出した。先ほど覚えた文章を使って答えた。使う場面があったとは驚きである。
「いやわかるけど」
思ったより反応が芳しくないので少しがっかりした。外の世界の筆で、先端が球になっており墨を一々つけなくてもよいという優れものなのだが。そのことを説明しても大して表情は変わらなかった。
「これで何をすればいいのよ」
どうやら用途が理解できなかったらしい。使い方は理解しているが、これがどれほど素晴らしいものなのかをわかっていないようなので説明することにした。
「これ一本でなんでも生み出すことができる。だから好きに使えばいいさ」
紙面上ではすべてが自由である。現実ではありえない超常も思いのままだ。存在しえない無限を表現することも、見たことのない死後の世界を描くことも可能だ。僕は歴史を作るために利用しているが、それだけではない。文字に起すことで自身を客観的に見つめることができるのだ。
「うーん、とりあえず日記でもつけてみようかな。でも私にできるかな」
「できるさ、何も難しいことじゃない。殴り書きの文章でも、落書きの絵でも、思いつかなければ一日一行でもいいんだ。簡潔に日々の事を連ねるのも一つだよ」
勝手がわからないだろうからある程度具体的に示した。
「なんか飽きちゃいそう」
問題はそこである。何かを書くうえでまず大切なのは文章力ではなくやる気である。三日坊主という言葉があることからもわかるが、やる気はあまり長く持続しないものなのだ。
特に日記のような単調な作業は飽きが来るのも早いだろう。彼女は精神的に子供な部分があるのでなおさらである。だから僕は意欲向上につながるようにこう答えた。
「ならば君のお姉さんに読んでもらうといい」
読者がいるなら文章は自己満足ではなく作品である。人に読んでもらうこと、それこそ創作者にとって至上の喜びではないか。期待を寄せる読者の存在は圧力となるが、反面喜びを分かち合える仲間ともなるのだ。
書くという行為に苦痛を感じなくなってから表現力や完成度に気を配ればいい。僕の文章は今その段階だ。人の目にどう映るかを気にして表現を目下模索中である。
そしてそれが当たり前のようにできるようになり、多分だがある程度醸されるとあとは自己表現の世界に行きつくのだろう。
「あいつねぇ、読んでくれるかしら」
「何なら僕が読んだっていい」
そう言ってやると曇っていた顔が晴れたように見えた。
「うーん、わかった。とりあえずやってみる」
フランドールはぶつぶつと何かを呟き、そのまま店を後にした。
「今後ともご贔屓に」
外に出て見送る。そう言えば今日は何も買っていかなかったなと軽くごちながら、入り口に閉店というプレートをかけ、店内に戻った。
フランドールが去って数刻もしないうちにドアが開いた。
「今日は店じまいだよ」
夜も更け、辺りは静まり返っている。今はもう営業時間外なのだがこと幻想郷において閉店という掛板は意味をなさないようだ。
「知っているわ、だから来たのよ」
夜の来訪者は僕のそっけない対応に堂々と答えた。名はレミリア・スカーレット、フランドールの姉である。彼女が来ることは予想はついていたが、閉店を知ったうえで来たということは客として訪れたのではないだろう。厄介だ。
「今日は妹のことで礼を言いに来たのよ、取引先の客ではなく友人としてね」
僕の考えていることなどお見通しといった具合だ。
そして礼といういうのは先ほど渡した日記帳と筆の事だろう。
実は夕刻、宛名のない手紙が一通届いており、フランドールに贈り物をしてほしいという趣旨が記されていたのだ。この来訪により差出人はレミリアで確定した。
だが手紙には具体的なことは何も書いてなかったので、贈る物は僕に任せたのだろうと解釈した。
聞くところによるとフランドールは力を制御できず、傍にあるものをなんでも壊してしまうとのことだった。だから僕は紙と筆を選んだ。
壊すことしか知らない少女に創作の喜びを伝えたい。そう思ったのだ。少し気障だろうか。
僕は渡した理由と経緯を説明した。姉が読者になることで創作意欲の向上につながることも伝えた。そしてさらにこう付け加える。
「必ず感想を言ってあげてほしい」
褒められるとやる気が出るのは勿論だが、感想を伝えることは目を通したことの証明にもなる。
レミリアは素直に「わかったわ」と答えた。
「それじゃあね、また来るわ」
そう言ってドアに手をかけた。
本当に礼を言いに来ただけだったようだ。礼と言うからには少しばかり期待してしまったのだが残念ながら今日の売り上げはゼロのままだ。
「心配しなくても、次は来客者として扉を叩くわ」
彼女はにやりと笑い、闇に帰っていった。
次の日の夕方に郵便受けを覗くと、朝にとり忘れた新聞と一緒に赤い封筒が一通入っていた。
フランドールがさっそく日記を書いたらしい。書き終わったものを僕宛に届けてくれたようだ。
『今日から日記を書くことにした。寝る前にこれを書いている、お姉様はもう寝てるみたい。7時でお屋敷の外はまだ少し暗いって咲夜が言っていたけど、どうでもいいや。ご飯はさっき食べた。今日はほとんど部屋から出なかったんだけど美鈴が来たから面白かった。いろんなお話をして、拳法の話とか、戦い方とかして楽しかった。あと少し弾幕ごっこした。壁壊れちゃったけどまあいいやと思った。』
「……」
たどたどしい文字で構成された日記はある意味新鮮で、興味深いと自分を納得させた。続きが少しあったがミミズ文字のようで僕にはちょっと読めない。もしかしたら彼女の故郷の言語かもしれない。
さらに下のほうに別の書体で文章が書かれていた。
「初めてにしては素晴らしい出来だと思うわ。素敵ね、まるで感情の内側をそのまま押し込めたみたい。さすがは我が妹、スカーレットの血を引くだけの才気は持ち合わせているようね」
これはどうやらレミリアの感想のようだ。評価しづらかったであろうことが伝わる。困り顔でこの文章を書いたに違いない。
「ほめることで意欲向上につながるとは言うけど」
思わず独り言がこぼれたが、続けることが一番大事だと思い直し、何も言わずに見守ることが僕の最善手だろうという結論に達した。レミリアの本心から出た言葉かもしれない、首を突っ込むことではないと判断したのだ。
次の日も封筒は届いた。
暑い日だった。僕は晴天の空に飛び出して体力を奪われるのは嫌いだ。こういう日は読書に限るなどと思っていると一枚の新聞とともに窓から放り込まれた。号外という声が聞こえたので、ブン屋の仕業だろう。紅魔館側がブン屋に依頼して届けてもらってるのかもしれない。
正直郵便受けに入れてほしいのだが、気まぐれなのだろう。今日は窓の日だったようだ。
『昨日はお姉様に辱めを受けた。
私は日記を書いている途中、ペンを握りしめたまま眠りに落ちてしまった。そして翌夜、目が覚めると手元には日記はなかった。お姉様が勝手に読んで、その上香霖堂に送ってしまったのだ。
睡魔と戦っていたためか記憶はおぼろげであったが、何を記載していたのかを思い出せた。
そして顔から火が出そうになった。舟をこぎながら綴ったあの日記は文章として破綻しており、人に見せられる代物ではないのだ。
あまりにも惨い仕打ちだ。鬼か、はたまた悪魔の所業だ。
そうお姉様に言うと「鬼だし悪魔よ!」と素っ頓狂な答えが返ってきたので、あらん限りの力で思いっきりぶん殴ってやった。
思い返すだけでも恥ずかしい。
その後お姉様は謝罪の意を唱えてきた。嫌がらせのつもりではなかったと分かったが後の祭りだ。明日からは日記をつける時間を決めることにしよう。』
全く違う文体に面食らったが、なるほど納得がいった。どうやら昨日はレミリアが早とちりしてしまったということらしい。喧嘩したようだが何はともあれ和解したみたいなので良しとしよう。
フランドールはある程度文章を書くことはできるようだ。ただ少々堅苦しいというか肩ひじ張っているような気がする。これが彼女本来の文だとも思えないが、継続していくうちに力も抜けるだろう。
ふと気づいた。今日はレミリアの感想が書かれていない。予想だが事態の再発を避けるため口で直接伝えることにしたのだろう。
夜が訪れた。店のドアが音を立てて開く。
「いらっしゃい」
「何か、傷薬とか置いてないかしら、吸血鬼用の」
来客は夜の女王を自称するレミリアだった。確かに以前今度来るときは客としてと言っていたが、生憎香霖堂は薬屋ではない。
なぜ薬を、と思いレミリアを見やる。ボロボロだった。服の一部が破れ、腕には生々しいやけど痕が残っている。出血はしていないが、満身創痍という表現が似合う。
「どうしたんだい」
理由を尋ねると予想通りの返答があった。フランドールにやられたそうだ。日記に書いてあるような生易しいものではなく、暴れまわり部屋を半壊させたほどで、手が付けられなかったとのこと。
「お気の毒に」
「可愛いでしょう、うちの妹」
あっけらかんとそう答えた。腕っぷしも吸血鬼界隈では可愛さの基準に含むのだろうか。それとも姉バカなのか、僕にはよくわからない感性であるが、本人が良いのなら気にしないことにした。
「それで、傷薬はあるの」
一応永遠亭から定期購入しているものならあるが、半妖用と人間用しかないので、希望に沿うことは叶わない。
「ご生憎だが、汎用性のない半妖用しかないよ」
「え、ああないのね。まあなんとなく予想はしてたけど」
僕は少し恥ずかしくなったが、気づいてないようなので良しとした。
僕がたじろいでいる間にレミリアの傷跡には皮膚が張り、みるみるうちに癒えていった。吸血鬼が誇る凄まじい自己再生能力である。
「じゃあ、衣装を一着縫ってもらえるかしら。霊夢のとかはあなたが作ってるんでしょう」
「え、ああ、承るよ。今着ているのを繕えばいいのかい」
「ええ、そうして頂戴。あとで取りに行かせるわ」
今度は僕が腑抜けた声を出してしまった。少し考えて納得した。言った通り客としてレミリアは訪れたのだ。適当な口実を作って買い物しに来てくれたらしい。
ありがたいのだが、傷を残しとくなどと回りくどいことをしなくても良いのではないかと思う。適当にそこらの商品を購入してもいいし、何なら僕が商品を見繕ってもいい。そのくらいのサービス精神はあるつもりだ。
――兎も角、来客であれば僕は歓迎する。商品を買ってくれるなら万々歳だ。
購入物は道具ではないが、腕を買われたと思えばこれも商売だ。とりあえず完成するまでのつなぎとして店にあった服を着てもらった。
「ところで、フランドールの日記は好調かい」
そう聞くと嬉しそうにレミリアは語ってくれた。
「好調も好調よ。今日なんかは図書館で辞書片手に机にかじりつきながら書いていたわ」
どおりで文章が昨日と急に変わったわけだ。気合を入れたということなのだろうが、完全燃焼したり疲弊して続かなくなってしまえば本末転倒である。
「まあ無理はしないよう伝えておいてくれ」
「ええ、わかったわ」
ある程度話をして彼女は腰を上げた。
料金を支払い、ドアに手をかける。そのまま帰るかと思いきや、一度振り返り僕に向かって悪戯な目つきでこう言った。
「じゃあね、今度来るときは半妖製の薬も用意しておきなさいな」
僕は喉から出かかっていた「今後ともご贔屓に」という言葉を言いそびれた。
次の日、夕方頃に僕はレミリアから依頼された衣装を縫っていた。予想だが今晩、彼女の完全な従者が受け取りに来るだろう。急かされるのは御免なので、それまでは完成させたいところだ。
気晴らしに外の空気を吸いに店の外に出た。ついでに郵便受けを覗くと日記が届いていた。
『今日は図書館で本を読んで過ごした。パチュリーにおすすめを聞くとぶっきらぼうに本棚を指さしたので、その棚から選ぶことにした。
本棚を漁るとなんとなく目がいった本があった。五色に装飾された表紙が目立つ本で、タイトルを五行の書といった。
私も一応魔法を使うので興味がわいた。
本をめくってみると、複雑な魔法陣の方程式や、著者の五行論などが書かれていた。
わからないところは飛ばして読み進めていたのだが、急にパチュリーが血相を変えて本を取り上げた。息を切らして顔を紅潮させながら「これはダメ!」としきりに言っていた。
そんなに乱暴に扱ってないのでなぜだろうと思い、理由を尋ねたが、なんでもとしか答えてくれなかった。
気になるのであとで隙をみて読むつもりだ。』
文章の力がだいぶ抜けているようだ。
険悪になってないかと心配もあったが、レミリアからの忠告を聞き入れたらしい。この調子で続くことを願うばかりだ。
そして次の日も届いた。
昼餉の用意をしていた時に窓から投げ込まれた。雨が降っていたため封筒は濡れてしまっていたが中身は無事のようだ。
今日は随分と早い時間帯に届いたため慣れてきた証拠だろうと思い、封を切った。
問題が生じていた。本格的に日記をつけ始めて案の定三日目で書くことがなくなったらしい。
『今日も本を読もうとしたが、パチュリーにばれて、止められたのですることがなくなった。』
屋敷からあまり出ないからか、長い年月を生きる妖怪にとって普段の日常は代わり映えしないものなのかもしれない。起こる事象をつらつらと書くだけの日記では必然ネタも尽きてしまうだろう。
僕の場合はあらゆる事象に疑問を持ち、考察も交えて記載しているので困ったことはない。食事や掃除、その日の天候、夜に見た夢、売り上げ、とネタに事欠くことはない。日々の微細な変化すら記録し、記憶することで新鮮な朝を迎えられるというものだ。
さて、僕は変化を求め読書に勤しむとしよう。雨の音を背景に、文字を目で追う。なんとも風情があるではないか。
その後は『昨日と変わらなかった』など簡素な日記が届いた。
変化があったのは三日後だ。
その日は忙しかった。朝陽が昇り始めた頃に白黒の濡れ鼠が来て、ツケで仕事を依頼したのだ。おかげで僕は眠い目をこすりながら玄関の掃除と作業に明け暮れることとなった。
夕刻に一区切りついたので中断して、届いていた日記を読むことにした。
『今日は魔理沙が来た。図書館に本を盗みに行ったついでに地下室に寄ってくれたらしい。パチュリーは怒り心頭だろうが、私は退屈していたので嬉しい限りだ。
久しぶりだったので、最近のことを話して聞かせてもらった。
魔理沙が「日記つけてるのか」と聞いてきたので「うん」と答えると「ふうん」と興味なさげな様子だった。
朝の10時頃。お姉様はまだ床に就いたままだったので、黙って外に出ることにした。魔理沙と弾幕ごっこをするためだ。日差しを避けるためお姉様の部屋からお手製の吸血鬼用日焼け止めクリームをくすねた。否、拝借した。
その際魔理沙が「私とおそろいだな」と言ったのでなんとなくうれしくなった。これで共犯だ。
外に出た。空を舞う様に飛びながら弾幕を放つ。久しぶりで張り切っていたので私はいつもより濃く弾幕を張った。
すると魔理沙はすっと八卦炉を取り出しスペルカードを使用した。彼女の十八番、マスタースパークだ。七色に光る極太のレーザーを避けることができず、私は着弾してしまった。
負けてしまったが、思いっきり遊べたのですがすがしい気持ちになった。』
二人の生き生きとした様子が伝わってくるようで素晴らしい。多分レミリアはこんな感想を口にしただろう。日焼け止めのことも水に流したに違いない。
だが僕は少し別の感想を抱いた。
陽が沈んだ。辺りがとっぷりと暗くなる。日中は耳障りなほどだったが、今は物音ひとつない。
ドアベルが音を立てたので、入り口に目をやるととフランドールが立ってこちらを見ていた。
「やあ、いらっしゃい」
彼女のにこりとした笑みは、褒められるのを待っている純真な子供のようでもあり、何かを成し遂げた悪戯童子のようでもあった。
「ふふん、どうだった。私の日記」
「ああ、面白かったよ」
これは素直な僕の感想だ。続けざまに言う
「時にフランドール、今日の日記の内容は自分が体験したことかい」
フランドールは一瞬たじろいだ
「えあ、ななんで、そんなこと聞くの」
「その反応が虚偽の証拠だよ」
僕の言葉を聞き、ため息を漏らした。堪忍したという様子だ。
「むう、なんでわかったの」
「簡単さ、まず今日は雨が降っていたんだ。一日中ね、いや暫くは降り続きだった。止んだのはついさっきだよ」
地下に居ては天気などわかるはずもない。と言うことは外に出るどころか、屋敷の窓から景色を見ることすらなかったのだろう。
何とか吸血鬼の筋を通そうと日焼け止めの話を盛り込んだのだろうが、詰めが甘かったようだ。
「それともう一つ、これさ」
修理中のミニ八卦炉を見せる。フランドールは目を白黒させた。このアイテムが僕のところにあったのが至極残念と言う様子で呟いた。
「なんだ、つまんないの」
はじめから日記は破綻していたのだ。彼女は魔理沙と弾幕ごっこなどできなかったはずだ。それ以前に魔理沙が紅魔館に行ったのかすら怪しい。ミニ八卦炉なしで泥棒に入るとは考えにくいからだ。
「以上が証拠だ。あなたは虚偽の記載を行った。異論はないね」
僕は芝居がかった口調になっていた。なんとなく興が乗ったので戯れのつもりで言ったのだが、負けじとフランドールが返した。
「私が、私が悪いんじゃない! 独りで、暗い部屋で、広い空間で、時間だけが進んで! 誰もいない。誰も来ない。誰も、名前すら呼ばない! そんなのないじゃない……」
やけに乗りがいい。僕も勢い任せに応じた。
「だが罪は罪だ。償わなければならない」
「……うん、わかってる、でも、最後に言わせて。私は本当に……こんなこと、する気じゃなかった……」
沈黙がのしかかる。思考が冷静になるのと同時に体温が上昇するのを感じた。
僕はうつむいていた。顔をあげることができない。なぜ、こんなことを言ってしまったのか。後悔の念と恥の感情が責め立てるように襲いかかってきた。
そして、フランドールもそれは同じだった。紅潮した頬を隠すのに必死で、顔をあげようとしない。
「お茶でも用意するよ」
「……うん」
僕は台所に行き、顔を洗った。眼が冴える。冷や水により何とか平常を取り戻すことができた。
お茶を汲んで戻るとフランドールはまだ顔を赤らめていた。
お茶を啜る。ほうと一息ついたところで僕は口を開いた。
「さっきの話だけど、あれは本心かい」
「え、あ、いや違うの!」
今の暮らしに不満を漏らすつもりはないと彼女は説明した。
フランドールの先の真に迫ったような言葉は嘘が含まれているわけではない。だが、精神が成熟してきている今、その想いは薄れ、現実を受け入れ始めているのだ。
人間で例えるなら思春期に綴ったノートのような恥ずかしさを感じているのだそうだ。
彼女の場合は過去の想いを定型文に乗せただけで同情の余地もあるが、僕は完全に悪ふざけで言っただけなのでいたたまれない気持ちになった。
ここ最近は恥をかいてばかりだ。なんだかんだ言って僕も退屈していたのだろう。
「すまない。おふざけが過ぎたようだね」
「いいよ別に、乗ったのは私だし」
二人でにこりと笑った。
ついでに、魔理沙に会いに行ってやるよう伝えておこうかなんて思った。
それからというもの、フランドールは嘘を交えた日記を書くようになった。
例えばこんな具合だ。
『美鈴との外出許可が出たので、人里に買い物に行くことにした。おねだりが功をなした。一応変装しなさいと言われたので帽子や羽を隠せる服でおめかしした。我ながらうまくいったと思う。多分一目見ただけじゃ私だと気づかれない。
外は曇りで日傘いらずだ。人里に着くと霊夢と会った。美鈴と一緒だったからか、なぜか一目でばれちゃったみたい。事件は起こさないようにと釘を刺された。
その後は里で噂のオシャレな服屋さんに行った。迷うかと思ったが白い外装が周りから浮いており、すぐにわかった。
陳列された色とりどりの服は宝石のようにきれいだった。入口手前は流行りもの、奥に定番、あとは下着類などにコーナーが区切られていた。
試着してよいと店員に言われたので、美鈴チョイスの白を基調としたワンピースを着ることにした。試着室の備え付けの鏡で自分の姿を見た。自分で言うのもなんだが、細身に白が映えており似合っていた。もしこれに麦わら帽子でも合わせたら気分は夏だ。
私自身それを気に入ったので買うことにした。
支払いを済ませ、店を出た。帰ったらお姉様に自慢してやろうと思った。』
霊夢という証言者が居るので人里に行ったのは本当の事だ。噂の服屋に行ったのも本当だろう。実際に行かなければ内装まではわからない。嘘は鏡の部分だ。吸血鬼は鏡に映らないからだ。試着の感想は、推憶だが美鈴が言ったことをそのまま引用したのだろう。その後に続くの私自身という表現に違和感がある。これが今日の推理だ。
僕は日課のようにどこが嘘かを推理していた。勿論、気づかないこともあれば嘘がない日もあった。彼女は僕が悩んでいる様子を見て喜び、看破されると地団駄を踏んで悔しがった。解けるようにしているわけではないらしいのだが、彼女の文章にはところどころ穴があり、見抜けることが多い。知恵比べをしているようで良い退屈しのぎになった。
日記のやり取りをはじめて二月ほど経ったある日、大したことではないが、僕とフランドールの物書きとしての転機が訪れた。
今日は曇り空だ。晴耕雨読という言葉があるが、雨音は背景音楽としてはいささか喧しい。その点まさに今日は読書日和だと僕は思う。以前も似たようなことを書いた気がする。
僕は人里の小説家、アガサクリスQの新作ミステリィを読もうと表紙を開いた。
するとはらりと紙切れが落ちた。文面にはこう記載があった。
『あなたも小説を書いてみませんか? あのミステリ巨匠アガサクリスQを審査員に迎え、さいきょーの文豪を決める大会開催! 老若男女こぞって御応募ください。宛先は文々。新聞小説審査会まで。応募締め切りは○○月××日とさせていただきます。』
新人作家の発掘を目的としたものらしい。優秀賞には商品も出るとか。
物書きの端くれである僕は興味をそそられた。しかし、いつも書いている歴史書では興が醒める。だから趣向を変えることにしよう。丁度最近、面白い話を目にしたのだ。ある程度考察を交えて描くだけではいつもの歴史書と大差ないので、少し脚色することで面白くしたい。
だが一つ、読み手の僕は脚色と虚言ばかりのゴシップや荒唐無稽な物語も笑って受け入れる器を持っていると自負しているが、書き手に回った場合は嘘を交えて書くのは好きではない。文章や台詞に嘘を入れるのをなんとなく躊躇してしまうのだ。勿論隠ぺいはするが虚偽の表現で読者を振り回す真似はしない。もし登場人物が嘘をついている場合ははじめに断りを入れておく。それが森近霖之助の執筆の際の掟である。
――カランカラン。
扉を開けて入ってきたのはフランドールだった。日記の感想や考察を言い合ったり、おすすめの商品を紹介したりで時間が過ぎる。
フランドールは上の空で僕の話を聞き流していた。どうも興味がわかないらしい。ふと先の事を思い出したので提案してみることにした。
「そうだ、フランドール。小説を書いてみないかい」
唐突な提案に面食らった様子だったので僕は事の経緯と理由を説明した。
まず彼女は日記という紙の媒体で己を表現することに成功している。さらには僕と違って躊躇なく嘘の文章を書くことができる。それはつまり想像力を働かせているということなのだ。想像は創造である。既を壊し、新を想うこと、これすなわち創作なり。
「自信ないなぁ」
フランドールがふと漏らした不安に僕は「できるさ」と言い切った。
日記を書いているので土台はある程度完成しているのだ。あとはやる気の問題である。日記は果てしないがそれに比べ物語は終わりがある。たとえ賞をもらえずとも、面白い物語にならずとも、完成させることはできる。何かを成し遂げたと心から思える、それがどんなに素晴らしいことか。
「まあ難しく考えず暇つぶしの一環としてやってみたらどうだい」
「うん、そうする。でも、協力してよね」
端からそのつもりだ。道具屋として、物書きの先輩として最大限助力する次第である。
さっそくと僕は棚を漁る。執筆を決めた彼女にうってつけの道具を無縁塚で入手したのだ。
「あった、これが今日一押しの商品だ」
その名も象が踏んでも壊れない筆箱。言葉通りに解釈すると幻想の道具のようだが、外界のものである。
象とは万物を象ることだ。つまり存在しうるすべての圧力に耐えられる優れものと言うわけである。そのことを説明すると彼女は目の色を変えてくれた。
「さあ貴女にぴったりの商品が今はお値打ち価格でご提供だ」
「えー、協力してくれるんでしょ、一個くらい頂戴」
最近どこの誰かに影響されたのか、物の価値がわかり始めてきたのか、少々がめつくなっていた。実は大量入荷していて惜しくもないのだがそこは商売であるため譲れない。相応の額を支払ってもらう。
「それではだめだ。僕はあくまで商人として協力するのだから、精一杯まけてこの値段だよ」
僕は適当な額を提示した。人里で普通の筆箱を買うより若干安い。
「むう、わかったわよ、はい」
渋々と金のコインを一個僕に渡してきた。相変わらずだが多すぎる、流石はお嬢様育ちだ。お釣りが用意できないので新しい鉛筆や消しゴム、ついでに物書きの必需品と思われるベレー帽も渡した。
「似合う?」
ベレー帽をひょいと被って見せた。
「ああ、さながら幻想郷の大文豪だ」
気に入ってくれたのかそれを被ったままフランドールは帰路についた。
「……嘘つき」
次の日もフランドールはふくれっ面で店に来た。筆箱が壊れたらしい。
思えば仕方がないことだった。彼女の能力は幻想の力だ、形はない。僕が浅はかだった。
「すまない、新しいものを用意しよう」
自信満々に進めといてこのありさまでは商人の名折れだ。二の轍は踏むまいと今度は筆箱に加工を施した。幻想の力には幻想の物質である。余っていたヒヒイロカネをほんの一かけら取り出し、薄く表面に塗り付け癒着させた。強度は変わらないかもしれないが、彼女の能力に耐性がついただろう。
「これで良し。一応頑丈になったけど乱暴に扱うのは控えてくれ」
「うん、わかったじゃあねー」
新しいものをもらって満足したのかフランドールは不満を言うことなく帰っていった。
もし壊れなかったら売り文句を吸血鬼でも壊せない筆箱に変えよう、そう思った。
それからは香霖堂に来る者に筆箱を売るべく小説の執筆を提案した。
魔理沙は乗り気だったが筆箱は購入しなかった。霊夢は賞金の事を言うと少しだけ興味を示した。菫子は「痛々しくなりそうだからヤダ」と言っていた。
結局一つも売れなかったのだが、それはさておきフランドールの執筆活動は順調だった。
協力するといった手前、僕は彼女にはじめは物語の構成を考えるよう指導した。魅せる文は書けなくとも骨組みさえあれば何とか一本完成させることはできるからだ。
「それでね、私がみんなをこうドカーン! てしちゃうの。面白そうでしょ」
フランドールは掌を握って見せた。
巫女が来るのではと心配するような内容だが、なるほど、案は面白いかもしれない。何せ、幻想郷に住まう連中は殺しても何食わぬ顔で生きているような者ばかりだ。いくらフランドールの能力が強大とて不可能なことである。ありえないことを空想だと分かったうえで紙面上で表現する、これほど痛快ことがあるだろうか。
それに壊すことは彼女の得意分野である。経験のない恋愛譚や冒険活劇より文字に起しやすいだろう。
しかし、問題がある。内容があまりにも現実に反しているのだ。
完全に僕の希望であるが、生死を扱うなら緊迫した雰囲気を醸し出したい。いくら空想でもリアリティがなければ荒唐無稽な落書きになってしまうからだ。せっかくなら『小説』として読めるものにしたい。
そのためには物語にある程度の説得力と整合性が必要である。
説明するとフランドールは首をひねった。
「じゃあまず舞台と登場人物を決めよう。それに合わせて物語を考えていく、これでどうだい」
範囲を限定することで掘り下げやすくしたのだ。浮かび上がる犯人像と被害者、その構図が見えやすくなる。
「舞台ねぇ、私の家でいっか」
紅魔館で決まりだ。となると、登場人物もおのずと限られてくる。あとは、動機や理由付けだ。安直な気もするが、やはり恨みを持った犯人が、という展開にすると良いのではないだろうか。動機もあり王道だ。提案するとまたフランドールは首をひねった。疑問と言うより不満があるといった感じだ。
「うーん、とりあえず書いてみようかな」
「ああ、それでいいと思うよ。書いてるうちに固まってくるだろう」
ひとまずは机に向かうことにしたようだ。書いたものを添削すると約束して、フランドールは家に戻っていった。
そして一週間が過ぎた。毎日簡素な日記は届いていたが、今日はあらすじを綴ったものが一緒に送られてきた。目を通してみる。怪事件が起こるが動機や目的が不明のまま進行していた。文章になってはじめてわかったがなるほど幻想郷を舞台とするなら恨みや僻みは表現しづらい、ならばシリアルキラーとして淡々と進めたほうが良いような気もする。
僕は少しだけ助言を隅に書き紅魔館に送り返すようブン屋に頼んだ。余計な口出しは不要のようだと安心した。すべて彼女に任せてみるとしよう。そう思って僕は自分の小説の執筆作業にとりかかった。
その後はあらすじに肉付けされた文章が週一で送られてきた。基礎のあらすじが時を経て物語を象っていく様はなんとも面白い。これは姉のレミリアが来た時に聞いた話なのだが、あれからフランドールはベレー帽をかぶって紅魔館の住人を質問攻めにしているらしい。成果が表れたのか登場人物の特徴がはっきりと書かれるようになってきた気がする。
そして一月後、フランドールは完成した原稿とともに香霖堂を訪れた。僕は一通り目を通し軽く感想を言う。
「――うん、これでいいと思うよ」
「やった!」
頬を綻ばせて彼女は言う。
一つ完成させれば次は早い。これからの暇つぶしとして彼女の生活に定着するかもしれないなと思った。ならば僕が読者第2号だ。勿論1号は姉のレミリアである。今回の原稿を姉に見せた際はべた褒めだったらしく「まったく身内贔屓もいいとこよね」と多少辟易したふうに語っていたが顔は緩んでいた。
「晴れて君も作家になれたわけだ。僕と同じ何かを提供する立場さ」
「私が? うーん変わった気がしないなぁ」
いや、確かに変わった。日々の些細な出来事を記録する僕が言うのだから間違いない。
「じゃあさっそく寄稿しようか」
「うん!」
締め切りは明後日だ。忘れてしまわぬようついでに僕の原稿も寄稿した。あとは結果を待つのみである。
選考結果が送られてきた。宛先を香霖堂にしていたので僕の郵便受けに届いたのだ。
なんとフランドールの小説はミステリ賞に入選していた。賞金と、参加賞として投稿された小説のあらすじと評をまとめた冊子が入っていた。分厚さは百科事典に引けを取らないほどで読むのは一苦労だ。
フランドールは大層喜んだ。
「お姉様に報告してくる!」
頬を綻ばせながら意気揚々と屋敷に戻っていった。喜びのあまり参加賞を忘れていったので、取りに来るまで僕のところで預かることにした。ついでに勝手に読ませてもらうことにした。
『「今昔恋物語」妖と人の叶わぬ恋を情緒的に描いた傑作と評されていた。醜さや美しさをすべて閉じ込めたような生々しい映像が明瞭に浮かび、読み進めるうちに心の臓を掴まれる。』
あらすじを読む限りだと素人の文には思えなかったので著者名を確認したところ「玉藻所縁」とあった。なるほど、経験と文章か。
『「二升五合」内容は日々の店の様子や訪れる客を面白おかしく記録したという普通のものだが、話に必ず絡む酒の描写が非常にうまい。読み進める際は唾をのむこと必至だ。』
酒屋の娘が宣伝のつもりで書いたのだとか。上手いやり口があったものだと僕は感心してしまった。
『「新説竹取物語~かぐや姫とその従者~」慣れ親しんだものを新たな切り口で綴ったのが面白い。』
著者は言わずもがな。
魔理沙の『茸論~嗚呼素晴らしき茸~』は佳作だった。あらゆる茸の説明や研究を記したそれは物語ではないが、事典のような堅苦しさもなく、それどころか生活に役立つ茸、嫌がらせに使える茸など初心者でも読みやすい作りだと評されていた。
魔理沙も魔術書を読むので、参考にしたものがあったのかもしれない。
霊夢は結局書かなかったらしい。
あとは、おそらく架空の外の世界を題材とした作品が審査員特別賞をもらっていた。「腐敗した世界に独り抗う少女の物語」と言うと聞こえはいいが、その実は呪詛のような罵詈雑言で構成された怪文書であった。あらすじを読んだだけだが気が落ち込んでしまう。
選考理由は要約すると奇抜かつ衝撃的だからとのこと。
著者不明で、おそらく橋姫あたりだろうと僕は思ったのだが真偽は不明だ。なんとなく菫子が語る外の世界に似ている気もする。
他にも庄屋賞、天狗賞、儚月賞、常識に囚われていないで賞などがあり、ほぼすべての作品は何らかの賞を授与していた。賞の数がべらぼうに多いのは、今回の募集は新人を発掘することが目的であり、参加者を埋もれさせたくないという主催者の計らいで増えたとのこと。危険思想を植え付けるものや文章が破綻しすぎているものでなければ他の投稿された作品も随時文々。新聞に掲載されるそうだ。これで参加者以外にも今回の作品群が目に留まるだろう。
軽い気持ちで投稿した者は里中に恥をさらす羽目になるが、後の祭りである。
ちなみに僕の小説はと言うと、なぜかエントリーすらされてなかった。
今は夜だが明日になれば朝日が昇る。何事も移り、変化するのがこの世の常であるが、少女の姦しさだけは不変のような気がした。願わくば次の朝が来るまでこの静寂のひと時を楽しみたいものだ。
僕はそこまで記し、一度筆をおいた。
今僕が書いているこの日記は、香霖堂ひいては幻想郷の歴史を綴った書物として後世に伝わるだろう。なぜなら日常の積み重ねこそが歴史の本質なのだから。以前そのことを里の守護者に伝えたら鼻で笑われてしまった。彼女曰く「この日記帳は空想が混じりすぎて歴史書として相応しくない」とのことだ。
酷い言われようだ。正しいことしか書いていないはずなのだが、歴史に精通する彼女にそう断言されてしまっては返す言葉もない。目に映る情景とほんの少しの考察をありのまま記した僕の歴史は、なぜか虚構の烙印を押されてしまったのだ。
以来断筆していたのだが、最近執筆活動への意欲が再燃してきた。思い返してみると宇佐美菫子という外来人がこの店に入り浸るようになってからのような気がする。外の世界の話を聞いて胸が高鳴ったのかもしれない。
きっかけは何でも構わないが兎も角心境の変化があったことは事実である。書き始めた当初は何も思わなかったが、長い年月を生きる妖怪は、日々の微細な揺らぎを記載し続けることで初めて変化を知覚するのである。半妖も然り。
不意にドアベルがカランコロンと鳴った。少女たちが帰路について数刻、すでに外は暗くなっていた。
木が擦れる音を立ててドアが開く。営業時間外なのだが今日は碌な商売ができていなかったので、お客様であることを期待して商売っ気のある声をかけた。
「いらっしゃいませ」
「ここには何があるの」
夜の来客は年端もいかない少女だった。薄い黄色の髪と赤を基調とした服を着ており、外見は魔理沙や霊夢より幾分幼い。だが背中に生えた歪な形の虹色の羽が人外であることを示していた。
妖怪は成長が遅いうえに肉体と精神がより強く結びついている。年齢や人となりを推測するのは不可能に近い。中には見た目は若く、精神は成熟しきっているような者もいるが。
その妖怪と思わしき少女の質問に僕は何と答えるのが適当かを考えた。
少し難しい質問だ。此処香霖堂では外の世界の道具も取り扱う古道具屋なのだが、大概のものは置いてある、ともいえない品揃えである。
迷った挙句、少しはぐらかして答えることにした。
「ここは道具屋だ。ないものはないと言っても過言ではないよ」
「ふうん」
特に僕の言葉を怪しむこともせず、そう言った少女は近くにあったぬいぐるみを手に取った。
「外のキャラ? 可愛い」
それは熊を象っているが、獰猛な獣とはかけ離れた印象を与える造形だ。黄色い体と赤い服の配色はどことなく目の前の少女に似ている。名前もついており自由奔放な子供たちに向けて生みだされた存在であることを示していた。
「お目が高い。それは外の世界のぬいぐるみでね、名前を――」
ブチリと音がした。僕の説明が終わる前に少女がぬいぐるみを引き千切ってしまったのだ。ああ貴重な外界の品なのに。
僕は狼狽えたが幼子のやることだと割り切った。躊躇なくものを壊してしまうあたり精神は見た目相応のようだ。いちいち目くじらを立てず、寛容に許してやるのが大人の務めだと思った。賠償金は、居るかわからないがこの子の保護者に請求することにしよう。
「ねぇ面白いものはないの」
困った。人によってその尺度は様々だ。ましてや女児の好みなど全く分からない。僕の知っている少女の趣味は大概が茸だとかお茶だとかで、世間一般からはかけ離れているから参考にはならないのだ。
ぬいぐるみに興味を示していたが、また千切られてはたまったものではないので別種を出すのは躊躇われる。だがここで興味を失われては商売人の名折れだ。
僕は思案していたのだが、少女は何かが目に留まったようでそれに興味を示した。
「これ、外の世界の?」
「ああ、ああそうだよ興味あるのかい」
「うん、読んでみたい」
この少女は本を嗜むらしい。先ほどの蛮行とは打って変わってお淑やかな趣味だったので驚いた。ちなみにその本は外の世界の所謂ミステリィと呼ばれる分野に属している。
渡してやると少女はページを捲り、冒頭の部分に目を通して閉じた。
「これ、いくら?」
「そうだね、ざっとこんなものかな」
どうやら購入を決めてくれたようだ。少し安めに値段を設定した。手持ちがいくらかは予想できないが子供の小遣いなら妥当な額を提示した。
「これで足りるかな」
少女はコインをいっこ取り出した。
手に取ってまた僕は驚いた。そのコインの材質は金、さらに表面には異国のものと思わしき彫刻がなされていた。
これなら先ほどのぬいぐるみを含めてもお釣りがくる。それを何の気なしに渡すとはやはり物の価値がよくわかっていないようだ。もしかしたらどこか妖怪の名家のお嬢様なのかもしれない。世間知らずの箱入り妖怪と言ったところか。
そう思えば、服装や仕草もどこか気品のあるような気がしないでもない。先ほどの行為は、まあ、力加減を間違えたのだろう。子供にはよくあることだ。
兎も角この少女が財産を持っているのは確かだ。顧客になってもらえれば良い商売ができるかもしれないと僕は打算し、あることを提案した。
「十分だよ、むしろ多すぎるくらいだ。何ならもう一冊持って行ってもいい」
「え、本当」
無表情だった少女の頬が緩んだ。そして嬉しそうに二冊目の本を選び始めた。
僕は外の世界の教科書を読んでいた。寺子屋の先生に外の世界の学習方法を参考にしたいと言われ、拾ってきたものの中から役に立ちそうなそれっぽいものを探していたのだ。
今読んでいるのは僕たちが使うものとは別の言語を学ぶための教材だ。所謂英語の教科書というものだが、日本語訳を見てみるとどうも日常会話で使う文章ではないような気がした。最初のほうのページなどはそれが顕著である。教科書ならこんなものなのだろうか。
ある程度流し見をして閉じる。そして箱に詰める。15冊くらいは軽く目を通したので十分だろう。軽く伸びをして、窓から外を見ると夕焼けが目に入った。
僕は郵便受けに届いていた夕刊や手紙を持ってきて読んだ。ふとこの前の妖怪少女の顔が浮かぶ。
あの日以来、夜が来ると少女は度々店を訪れた。
何度か話をしているうちに知ったのは彼女は本当に館のお嬢様だということだ。名をフランドール・スカーレットと言う。
スカーレットと言えば幻想郷でも指折りの実力者であるレミリアが思い浮かぶ。フランドールはその妹なのだそうだ。
そういえば新聞で読んだことがある。狂気が制御できず紅魔館の地下に閉じこもっている吸血鬼がいるとか。
方々で噂は聞いていたが、僕には彼女がとてもそうだとは思えなかった。確かに乱暴なところはあるが、本を嗜む彼女はよほど気品がある。
そして何よりフランドールはどこかの誰かと違って物を購入する際、代金をきちんと、正確に、しっかりと、渋ることなく、あたりまえのように払うのだ。
太陽が沈み、あたりが暗くなった。そろそろ頃合いだろうか。
――カランコロン。
「いらっしゃい、フランドール」
僕はそれまで読んでいた手紙をしまい、来客に応対した。
「こんばんは、この前の面白かったわ」
すっかりお得意様だ。心を許したのか、声をかけると購入した本の感想を述べてくれる。読書仲間が増えたようで悪い気はしなかった。
「で、何か面白いものある?」
感想を言い終わるとこう尋ねる。このやり取りもいつもの事である。
彼女の趣味に合うものが少しだけわかってきたので、抽象的な問いかけに長考することはなくなった。
というより適当なものを渡してもそれなりに興味を示してくれる。館に引きこもっていたからか本当に世間知らずらしい。だから外の世界の品や魔理沙が持ってきたガラクタが新鮮に映るのだろう。
「面白いものね、少し待っていてくれるかい」
僕はそう言ってあるものを探して道具箱を漁り始めた。
その間フランドールは棚にタイトル順に陳列された本を物色するのである。
だが今日は勝手が違った。棚よりも先に僕の机に置いてあった一冊の本に目が向いた。
表紙は丁寧な装飾がなされており、目を引くデザインだ。そしてタイトルと思しきところには「フランドール」と書かれていた。表紙に自分の名があったのが気になったのかフランドールはそれを手に取りぱらぱらとページを捲った。
「何これ、白紙じゃん」
「そうだよ。これは日記帳だからね」
むしろこれから書き込むのだから白紙でなくてはいけない。
「そうじゃなくて、なんで私の名前がタイトルなわけ」
「これは君の日記帳だからだよ、僕からのプレゼントだ」
お得意様への粋な計らいのつもりだったが、彼女は困惑しているようだった。口を半開きにしてぽかんとしている。
僕は道具箱の中から探していたものを見つけるとそれも彼女に手渡した。
「何これ」
「this is a pen」
そう言えばと、彼女は異国の妖怪だということを思い出した。先ほど覚えた文章を使って答えた。使う場面があったとは驚きである。
「いやわかるけど」
思ったより反応が芳しくないので少しがっかりした。外の世界の筆で、先端が球になっており墨を一々つけなくてもよいという優れものなのだが。そのことを説明しても大して表情は変わらなかった。
「これで何をすればいいのよ」
どうやら用途が理解できなかったらしい。使い方は理解しているが、これがどれほど素晴らしいものなのかをわかっていないようなので説明することにした。
「これ一本でなんでも生み出すことができる。だから好きに使えばいいさ」
紙面上ではすべてが自由である。現実ではありえない超常も思いのままだ。存在しえない無限を表現することも、見たことのない死後の世界を描くことも可能だ。僕は歴史を作るために利用しているが、それだけではない。文字に起すことで自身を客観的に見つめることができるのだ。
「うーん、とりあえず日記でもつけてみようかな。でも私にできるかな」
「できるさ、何も難しいことじゃない。殴り書きの文章でも、落書きの絵でも、思いつかなければ一日一行でもいいんだ。簡潔に日々の事を連ねるのも一つだよ」
勝手がわからないだろうからある程度具体的に示した。
「なんか飽きちゃいそう」
問題はそこである。何かを書くうえでまず大切なのは文章力ではなくやる気である。三日坊主という言葉があることからもわかるが、やる気はあまり長く持続しないものなのだ。
特に日記のような単調な作業は飽きが来るのも早いだろう。彼女は精神的に子供な部分があるのでなおさらである。だから僕は意欲向上につながるようにこう答えた。
「ならば君のお姉さんに読んでもらうといい」
読者がいるなら文章は自己満足ではなく作品である。人に読んでもらうこと、それこそ創作者にとって至上の喜びではないか。期待を寄せる読者の存在は圧力となるが、反面喜びを分かち合える仲間ともなるのだ。
書くという行為に苦痛を感じなくなってから表現力や完成度に気を配ればいい。僕の文章は今その段階だ。人の目にどう映るかを気にして表現を目下模索中である。
そしてそれが当たり前のようにできるようになり、多分だがある程度醸されるとあとは自己表現の世界に行きつくのだろう。
「あいつねぇ、読んでくれるかしら」
「何なら僕が読んだっていい」
そう言ってやると曇っていた顔が晴れたように見えた。
「うーん、わかった。とりあえずやってみる」
フランドールはぶつぶつと何かを呟き、そのまま店を後にした。
「今後ともご贔屓に」
外に出て見送る。そう言えば今日は何も買っていかなかったなと軽くごちながら、入り口に閉店というプレートをかけ、店内に戻った。
フランドールが去って数刻もしないうちにドアが開いた。
「今日は店じまいだよ」
夜も更け、辺りは静まり返っている。今はもう営業時間外なのだがこと幻想郷において閉店という掛板は意味をなさないようだ。
「知っているわ、だから来たのよ」
夜の来訪者は僕のそっけない対応に堂々と答えた。名はレミリア・スカーレット、フランドールの姉である。彼女が来ることは予想はついていたが、閉店を知ったうえで来たということは客として訪れたのではないだろう。厄介だ。
「今日は妹のことで礼を言いに来たのよ、取引先の客ではなく友人としてね」
僕の考えていることなどお見通しといった具合だ。
そして礼といういうのは先ほど渡した日記帳と筆の事だろう。
実は夕刻、宛名のない手紙が一通届いており、フランドールに贈り物をしてほしいという趣旨が記されていたのだ。この来訪により差出人はレミリアで確定した。
だが手紙には具体的なことは何も書いてなかったので、贈る物は僕に任せたのだろうと解釈した。
聞くところによるとフランドールは力を制御できず、傍にあるものをなんでも壊してしまうとのことだった。だから僕は紙と筆を選んだ。
壊すことしか知らない少女に創作の喜びを伝えたい。そう思ったのだ。少し気障だろうか。
僕は渡した理由と経緯を説明した。姉が読者になることで創作意欲の向上につながることも伝えた。そしてさらにこう付け加える。
「必ず感想を言ってあげてほしい」
褒められるとやる気が出るのは勿論だが、感想を伝えることは目を通したことの証明にもなる。
レミリアは素直に「わかったわ」と答えた。
「それじゃあね、また来るわ」
そう言ってドアに手をかけた。
本当に礼を言いに来ただけだったようだ。礼と言うからには少しばかり期待してしまったのだが残念ながら今日の売り上げはゼロのままだ。
「心配しなくても、次は来客者として扉を叩くわ」
彼女はにやりと笑い、闇に帰っていった。
次の日の夕方に郵便受けを覗くと、朝にとり忘れた新聞と一緒に赤い封筒が一通入っていた。
フランドールがさっそく日記を書いたらしい。書き終わったものを僕宛に届けてくれたようだ。
『今日から日記を書くことにした。寝る前にこれを書いている、お姉様はもう寝てるみたい。7時でお屋敷の外はまだ少し暗いって咲夜が言っていたけど、どうでもいいや。ご飯はさっき食べた。今日はほとんど部屋から出なかったんだけど美鈴が来たから面白かった。いろんなお話をして、拳法の話とか、戦い方とかして楽しかった。あと少し弾幕ごっこした。壁壊れちゃったけどまあいいやと思った。』
「……」
たどたどしい文字で構成された日記はある意味新鮮で、興味深いと自分を納得させた。続きが少しあったがミミズ文字のようで僕にはちょっと読めない。もしかしたら彼女の故郷の言語かもしれない。
さらに下のほうに別の書体で文章が書かれていた。
「初めてにしては素晴らしい出来だと思うわ。素敵ね、まるで感情の内側をそのまま押し込めたみたい。さすがは我が妹、スカーレットの血を引くだけの才気は持ち合わせているようね」
これはどうやらレミリアの感想のようだ。評価しづらかったであろうことが伝わる。困り顔でこの文章を書いたに違いない。
「ほめることで意欲向上につながるとは言うけど」
思わず独り言がこぼれたが、続けることが一番大事だと思い直し、何も言わずに見守ることが僕の最善手だろうという結論に達した。レミリアの本心から出た言葉かもしれない、首を突っ込むことではないと判断したのだ。
次の日も封筒は届いた。
暑い日だった。僕は晴天の空に飛び出して体力を奪われるのは嫌いだ。こういう日は読書に限るなどと思っていると一枚の新聞とともに窓から放り込まれた。号外という声が聞こえたので、ブン屋の仕業だろう。紅魔館側がブン屋に依頼して届けてもらってるのかもしれない。
正直郵便受けに入れてほしいのだが、気まぐれなのだろう。今日は窓の日だったようだ。
『昨日はお姉様に辱めを受けた。
私は日記を書いている途中、ペンを握りしめたまま眠りに落ちてしまった。そして翌夜、目が覚めると手元には日記はなかった。お姉様が勝手に読んで、その上香霖堂に送ってしまったのだ。
睡魔と戦っていたためか記憶はおぼろげであったが、何を記載していたのかを思い出せた。
そして顔から火が出そうになった。舟をこぎながら綴ったあの日記は文章として破綻しており、人に見せられる代物ではないのだ。
あまりにも惨い仕打ちだ。鬼か、はたまた悪魔の所業だ。
そうお姉様に言うと「鬼だし悪魔よ!」と素っ頓狂な答えが返ってきたので、あらん限りの力で思いっきりぶん殴ってやった。
思い返すだけでも恥ずかしい。
その後お姉様は謝罪の意を唱えてきた。嫌がらせのつもりではなかったと分かったが後の祭りだ。明日からは日記をつける時間を決めることにしよう。』
全く違う文体に面食らったが、なるほど納得がいった。どうやら昨日はレミリアが早とちりしてしまったということらしい。喧嘩したようだが何はともあれ和解したみたいなので良しとしよう。
フランドールはある程度文章を書くことはできるようだ。ただ少々堅苦しいというか肩ひじ張っているような気がする。これが彼女本来の文だとも思えないが、継続していくうちに力も抜けるだろう。
ふと気づいた。今日はレミリアの感想が書かれていない。予想だが事態の再発を避けるため口で直接伝えることにしたのだろう。
夜が訪れた。店のドアが音を立てて開く。
「いらっしゃい」
「何か、傷薬とか置いてないかしら、吸血鬼用の」
来客は夜の女王を自称するレミリアだった。確かに以前今度来るときは客としてと言っていたが、生憎香霖堂は薬屋ではない。
なぜ薬を、と思いレミリアを見やる。ボロボロだった。服の一部が破れ、腕には生々しいやけど痕が残っている。出血はしていないが、満身創痍という表現が似合う。
「どうしたんだい」
理由を尋ねると予想通りの返答があった。フランドールにやられたそうだ。日記に書いてあるような生易しいものではなく、暴れまわり部屋を半壊させたほどで、手が付けられなかったとのこと。
「お気の毒に」
「可愛いでしょう、うちの妹」
あっけらかんとそう答えた。腕っぷしも吸血鬼界隈では可愛さの基準に含むのだろうか。それとも姉バカなのか、僕にはよくわからない感性であるが、本人が良いのなら気にしないことにした。
「それで、傷薬はあるの」
一応永遠亭から定期購入しているものならあるが、半妖用と人間用しかないので、希望に沿うことは叶わない。
「ご生憎だが、汎用性のない半妖用しかないよ」
「え、ああないのね。まあなんとなく予想はしてたけど」
僕は少し恥ずかしくなったが、気づいてないようなので良しとした。
僕がたじろいでいる間にレミリアの傷跡には皮膚が張り、みるみるうちに癒えていった。吸血鬼が誇る凄まじい自己再生能力である。
「じゃあ、衣装を一着縫ってもらえるかしら。霊夢のとかはあなたが作ってるんでしょう」
「え、ああ、承るよ。今着ているのを繕えばいいのかい」
「ええ、そうして頂戴。あとで取りに行かせるわ」
今度は僕が腑抜けた声を出してしまった。少し考えて納得した。言った通り客としてレミリアは訪れたのだ。適当な口実を作って買い物しに来てくれたらしい。
ありがたいのだが、傷を残しとくなどと回りくどいことをしなくても良いのではないかと思う。適当にそこらの商品を購入してもいいし、何なら僕が商品を見繕ってもいい。そのくらいのサービス精神はあるつもりだ。
――兎も角、来客であれば僕は歓迎する。商品を買ってくれるなら万々歳だ。
購入物は道具ではないが、腕を買われたと思えばこれも商売だ。とりあえず完成するまでのつなぎとして店にあった服を着てもらった。
「ところで、フランドールの日記は好調かい」
そう聞くと嬉しそうにレミリアは語ってくれた。
「好調も好調よ。今日なんかは図書館で辞書片手に机にかじりつきながら書いていたわ」
どおりで文章が昨日と急に変わったわけだ。気合を入れたということなのだろうが、完全燃焼したり疲弊して続かなくなってしまえば本末転倒である。
「まあ無理はしないよう伝えておいてくれ」
「ええ、わかったわ」
ある程度話をして彼女は腰を上げた。
料金を支払い、ドアに手をかける。そのまま帰るかと思いきや、一度振り返り僕に向かって悪戯な目つきでこう言った。
「じゃあね、今度来るときは半妖製の薬も用意しておきなさいな」
僕は喉から出かかっていた「今後ともご贔屓に」という言葉を言いそびれた。
次の日、夕方頃に僕はレミリアから依頼された衣装を縫っていた。予想だが今晩、彼女の完全な従者が受け取りに来るだろう。急かされるのは御免なので、それまでは完成させたいところだ。
気晴らしに外の空気を吸いに店の外に出た。ついでに郵便受けを覗くと日記が届いていた。
『今日は図書館で本を読んで過ごした。パチュリーにおすすめを聞くとぶっきらぼうに本棚を指さしたので、その棚から選ぶことにした。
本棚を漁るとなんとなく目がいった本があった。五色に装飾された表紙が目立つ本で、タイトルを五行の書といった。
私も一応魔法を使うので興味がわいた。
本をめくってみると、複雑な魔法陣の方程式や、著者の五行論などが書かれていた。
わからないところは飛ばして読み進めていたのだが、急にパチュリーが血相を変えて本を取り上げた。息を切らして顔を紅潮させながら「これはダメ!」としきりに言っていた。
そんなに乱暴に扱ってないのでなぜだろうと思い、理由を尋ねたが、なんでもとしか答えてくれなかった。
気になるのであとで隙をみて読むつもりだ。』
文章の力がだいぶ抜けているようだ。
険悪になってないかと心配もあったが、レミリアからの忠告を聞き入れたらしい。この調子で続くことを願うばかりだ。
そして次の日も届いた。
昼餉の用意をしていた時に窓から投げ込まれた。雨が降っていたため封筒は濡れてしまっていたが中身は無事のようだ。
今日は随分と早い時間帯に届いたため慣れてきた証拠だろうと思い、封を切った。
問題が生じていた。本格的に日記をつけ始めて案の定三日目で書くことがなくなったらしい。
『今日も本を読もうとしたが、パチュリーにばれて、止められたのですることがなくなった。』
屋敷からあまり出ないからか、長い年月を生きる妖怪にとって普段の日常は代わり映えしないものなのかもしれない。起こる事象をつらつらと書くだけの日記では必然ネタも尽きてしまうだろう。
僕の場合はあらゆる事象に疑問を持ち、考察も交えて記載しているので困ったことはない。食事や掃除、その日の天候、夜に見た夢、売り上げ、とネタに事欠くことはない。日々の微細な変化すら記録し、記憶することで新鮮な朝を迎えられるというものだ。
さて、僕は変化を求め読書に勤しむとしよう。雨の音を背景に、文字を目で追う。なんとも風情があるではないか。
その後は『昨日と変わらなかった』など簡素な日記が届いた。
変化があったのは三日後だ。
その日は忙しかった。朝陽が昇り始めた頃に白黒の濡れ鼠が来て、ツケで仕事を依頼したのだ。おかげで僕は眠い目をこすりながら玄関の掃除と作業に明け暮れることとなった。
夕刻に一区切りついたので中断して、届いていた日記を読むことにした。
『今日は魔理沙が来た。図書館に本を盗みに行ったついでに地下室に寄ってくれたらしい。パチュリーは怒り心頭だろうが、私は退屈していたので嬉しい限りだ。
久しぶりだったので、最近のことを話して聞かせてもらった。
魔理沙が「日記つけてるのか」と聞いてきたので「うん」と答えると「ふうん」と興味なさげな様子だった。
朝の10時頃。お姉様はまだ床に就いたままだったので、黙って外に出ることにした。魔理沙と弾幕ごっこをするためだ。日差しを避けるためお姉様の部屋からお手製の吸血鬼用日焼け止めクリームをくすねた。否、拝借した。
その際魔理沙が「私とおそろいだな」と言ったのでなんとなくうれしくなった。これで共犯だ。
外に出た。空を舞う様に飛びながら弾幕を放つ。久しぶりで張り切っていたので私はいつもより濃く弾幕を張った。
すると魔理沙はすっと八卦炉を取り出しスペルカードを使用した。彼女の十八番、マスタースパークだ。七色に光る極太のレーザーを避けることができず、私は着弾してしまった。
負けてしまったが、思いっきり遊べたのですがすがしい気持ちになった。』
二人の生き生きとした様子が伝わってくるようで素晴らしい。多分レミリアはこんな感想を口にしただろう。日焼け止めのことも水に流したに違いない。
だが僕は少し別の感想を抱いた。
陽が沈んだ。辺りがとっぷりと暗くなる。日中は耳障りなほどだったが、今は物音ひとつない。
ドアベルが音を立てたので、入り口に目をやるととフランドールが立ってこちらを見ていた。
「やあ、いらっしゃい」
彼女のにこりとした笑みは、褒められるのを待っている純真な子供のようでもあり、何かを成し遂げた悪戯童子のようでもあった。
「ふふん、どうだった。私の日記」
「ああ、面白かったよ」
これは素直な僕の感想だ。続けざまに言う
「時にフランドール、今日の日記の内容は自分が体験したことかい」
フランドールは一瞬たじろいだ
「えあ、ななんで、そんなこと聞くの」
「その反応が虚偽の証拠だよ」
僕の言葉を聞き、ため息を漏らした。堪忍したという様子だ。
「むう、なんでわかったの」
「簡単さ、まず今日は雨が降っていたんだ。一日中ね、いや暫くは降り続きだった。止んだのはついさっきだよ」
地下に居ては天気などわかるはずもない。と言うことは外に出るどころか、屋敷の窓から景色を見ることすらなかったのだろう。
何とか吸血鬼の筋を通そうと日焼け止めの話を盛り込んだのだろうが、詰めが甘かったようだ。
「それともう一つ、これさ」
修理中のミニ八卦炉を見せる。フランドールは目を白黒させた。このアイテムが僕のところにあったのが至極残念と言う様子で呟いた。
「なんだ、つまんないの」
はじめから日記は破綻していたのだ。彼女は魔理沙と弾幕ごっこなどできなかったはずだ。それ以前に魔理沙が紅魔館に行ったのかすら怪しい。ミニ八卦炉なしで泥棒に入るとは考えにくいからだ。
「以上が証拠だ。あなたは虚偽の記載を行った。異論はないね」
僕は芝居がかった口調になっていた。なんとなく興が乗ったので戯れのつもりで言ったのだが、負けじとフランドールが返した。
「私が、私が悪いんじゃない! 独りで、暗い部屋で、広い空間で、時間だけが進んで! 誰もいない。誰も来ない。誰も、名前すら呼ばない! そんなのないじゃない……」
やけに乗りがいい。僕も勢い任せに応じた。
「だが罪は罪だ。償わなければならない」
「……うん、わかってる、でも、最後に言わせて。私は本当に……こんなこと、する気じゃなかった……」
沈黙がのしかかる。思考が冷静になるのと同時に体温が上昇するのを感じた。
僕はうつむいていた。顔をあげることができない。なぜ、こんなことを言ってしまったのか。後悔の念と恥の感情が責め立てるように襲いかかってきた。
そして、フランドールもそれは同じだった。紅潮した頬を隠すのに必死で、顔をあげようとしない。
「お茶でも用意するよ」
「……うん」
僕は台所に行き、顔を洗った。眼が冴える。冷や水により何とか平常を取り戻すことができた。
お茶を汲んで戻るとフランドールはまだ顔を赤らめていた。
お茶を啜る。ほうと一息ついたところで僕は口を開いた。
「さっきの話だけど、あれは本心かい」
「え、あ、いや違うの!」
今の暮らしに不満を漏らすつもりはないと彼女は説明した。
フランドールの先の真に迫ったような言葉は嘘が含まれているわけではない。だが、精神が成熟してきている今、その想いは薄れ、現実を受け入れ始めているのだ。
人間で例えるなら思春期に綴ったノートのような恥ずかしさを感じているのだそうだ。
彼女の場合は過去の想いを定型文に乗せただけで同情の余地もあるが、僕は完全に悪ふざけで言っただけなのでいたたまれない気持ちになった。
ここ最近は恥をかいてばかりだ。なんだかんだ言って僕も退屈していたのだろう。
「すまない。おふざけが過ぎたようだね」
「いいよ別に、乗ったのは私だし」
二人でにこりと笑った。
ついでに、魔理沙に会いに行ってやるよう伝えておこうかなんて思った。
それからというもの、フランドールは嘘を交えた日記を書くようになった。
例えばこんな具合だ。
『美鈴との外出許可が出たので、人里に買い物に行くことにした。おねだりが功をなした。一応変装しなさいと言われたので帽子や羽を隠せる服でおめかしした。我ながらうまくいったと思う。多分一目見ただけじゃ私だと気づかれない。
外は曇りで日傘いらずだ。人里に着くと霊夢と会った。美鈴と一緒だったからか、なぜか一目でばれちゃったみたい。事件は起こさないようにと釘を刺された。
その後は里で噂のオシャレな服屋さんに行った。迷うかと思ったが白い外装が周りから浮いており、すぐにわかった。
陳列された色とりどりの服は宝石のようにきれいだった。入口手前は流行りもの、奥に定番、あとは下着類などにコーナーが区切られていた。
試着してよいと店員に言われたので、美鈴チョイスの白を基調としたワンピースを着ることにした。試着室の備え付けの鏡で自分の姿を見た。自分で言うのもなんだが、細身に白が映えており似合っていた。もしこれに麦わら帽子でも合わせたら気分は夏だ。
私自身それを気に入ったので買うことにした。
支払いを済ませ、店を出た。帰ったらお姉様に自慢してやろうと思った。』
霊夢という証言者が居るので人里に行ったのは本当の事だ。噂の服屋に行ったのも本当だろう。実際に行かなければ内装まではわからない。嘘は鏡の部分だ。吸血鬼は鏡に映らないからだ。試着の感想は、推憶だが美鈴が言ったことをそのまま引用したのだろう。その後に続くの私自身という表現に違和感がある。これが今日の推理だ。
僕は日課のようにどこが嘘かを推理していた。勿論、気づかないこともあれば嘘がない日もあった。彼女は僕が悩んでいる様子を見て喜び、看破されると地団駄を踏んで悔しがった。解けるようにしているわけではないらしいのだが、彼女の文章にはところどころ穴があり、見抜けることが多い。知恵比べをしているようで良い退屈しのぎになった。
日記のやり取りをはじめて二月ほど経ったある日、大したことではないが、僕とフランドールの物書きとしての転機が訪れた。
今日は曇り空だ。晴耕雨読という言葉があるが、雨音は背景音楽としてはいささか喧しい。その点まさに今日は読書日和だと僕は思う。以前も似たようなことを書いた気がする。
僕は人里の小説家、アガサクリスQの新作ミステリィを読もうと表紙を開いた。
するとはらりと紙切れが落ちた。文面にはこう記載があった。
『あなたも小説を書いてみませんか? あのミステリ巨匠アガサクリスQを審査員に迎え、さいきょーの文豪を決める大会開催! 老若男女こぞって御応募ください。宛先は文々。新聞小説審査会まで。応募締め切りは○○月××日とさせていただきます。』
新人作家の発掘を目的としたものらしい。優秀賞には商品も出るとか。
物書きの端くれである僕は興味をそそられた。しかし、いつも書いている歴史書では興が醒める。だから趣向を変えることにしよう。丁度最近、面白い話を目にしたのだ。ある程度考察を交えて描くだけではいつもの歴史書と大差ないので、少し脚色することで面白くしたい。
だが一つ、読み手の僕は脚色と虚言ばかりのゴシップや荒唐無稽な物語も笑って受け入れる器を持っていると自負しているが、書き手に回った場合は嘘を交えて書くのは好きではない。文章や台詞に嘘を入れるのをなんとなく躊躇してしまうのだ。勿論隠ぺいはするが虚偽の表現で読者を振り回す真似はしない。もし登場人物が嘘をついている場合ははじめに断りを入れておく。それが森近霖之助の執筆の際の掟である。
――カランカラン。
扉を開けて入ってきたのはフランドールだった。日記の感想や考察を言い合ったり、おすすめの商品を紹介したりで時間が過ぎる。
フランドールは上の空で僕の話を聞き流していた。どうも興味がわかないらしい。ふと先の事を思い出したので提案してみることにした。
「そうだ、フランドール。小説を書いてみないかい」
唐突な提案に面食らった様子だったので僕は事の経緯と理由を説明した。
まず彼女は日記という紙の媒体で己を表現することに成功している。さらには僕と違って躊躇なく嘘の文章を書くことができる。それはつまり想像力を働かせているということなのだ。想像は創造である。既を壊し、新を想うこと、これすなわち創作なり。
「自信ないなぁ」
フランドールがふと漏らした不安に僕は「できるさ」と言い切った。
日記を書いているので土台はある程度完成しているのだ。あとはやる気の問題である。日記は果てしないがそれに比べ物語は終わりがある。たとえ賞をもらえずとも、面白い物語にならずとも、完成させることはできる。何かを成し遂げたと心から思える、それがどんなに素晴らしいことか。
「まあ難しく考えず暇つぶしの一環としてやってみたらどうだい」
「うん、そうする。でも、協力してよね」
端からそのつもりだ。道具屋として、物書きの先輩として最大限助力する次第である。
さっそくと僕は棚を漁る。執筆を決めた彼女にうってつけの道具を無縁塚で入手したのだ。
「あった、これが今日一押しの商品だ」
その名も象が踏んでも壊れない筆箱。言葉通りに解釈すると幻想の道具のようだが、外界のものである。
象とは万物を象ることだ。つまり存在しうるすべての圧力に耐えられる優れものと言うわけである。そのことを説明すると彼女は目の色を変えてくれた。
「さあ貴女にぴったりの商品が今はお値打ち価格でご提供だ」
「えー、協力してくれるんでしょ、一個くらい頂戴」
最近どこの誰かに影響されたのか、物の価値がわかり始めてきたのか、少々がめつくなっていた。実は大量入荷していて惜しくもないのだがそこは商売であるため譲れない。相応の額を支払ってもらう。
「それではだめだ。僕はあくまで商人として協力するのだから、精一杯まけてこの値段だよ」
僕は適当な額を提示した。人里で普通の筆箱を買うより若干安い。
「むう、わかったわよ、はい」
渋々と金のコインを一個僕に渡してきた。相変わらずだが多すぎる、流石はお嬢様育ちだ。お釣りが用意できないので新しい鉛筆や消しゴム、ついでに物書きの必需品と思われるベレー帽も渡した。
「似合う?」
ベレー帽をひょいと被って見せた。
「ああ、さながら幻想郷の大文豪だ」
気に入ってくれたのかそれを被ったままフランドールは帰路についた。
「……嘘つき」
次の日もフランドールはふくれっ面で店に来た。筆箱が壊れたらしい。
思えば仕方がないことだった。彼女の能力は幻想の力だ、形はない。僕が浅はかだった。
「すまない、新しいものを用意しよう」
自信満々に進めといてこのありさまでは商人の名折れだ。二の轍は踏むまいと今度は筆箱に加工を施した。幻想の力には幻想の物質である。余っていたヒヒイロカネをほんの一かけら取り出し、薄く表面に塗り付け癒着させた。強度は変わらないかもしれないが、彼女の能力に耐性がついただろう。
「これで良し。一応頑丈になったけど乱暴に扱うのは控えてくれ」
「うん、わかったじゃあねー」
新しいものをもらって満足したのかフランドールは不満を言うことなく帰っていった。
もし壊れなかったら売り文句を吸血鬼でも壊せない筆箱に変えよう、そう思った。
それからは香霖堂に来る者に筆箱を売るべく小説の執筆を提案した。
魔理沙は乗り気だったが筆箱は購入しなかった。霊夢は賞金の事を言うと少しだけ興味を示した。菫子は「痛々しくなりそうだからヤダ」と言っていた。
結局一つも売れなかったのだが、それはさておきフランドールの執筆活動は順調だった。
協力するといった手前、僕は彼女にはじめは物語の構成を考えるよう指導した。魅せる文は書けなくとも骨組みさえあれば何とか一本完成させることはできるからだ。
「それでね、私がみんなをこうドカーン! てしちゃうの。面白そうでしょ」
フランドールは掌を握って見せた。
巫女が来るのではと心配するような内容だが、なるほど、案は面白いかもしれない。何せ、幻想郷に住まう連中は殺しても何食わぬ顔で生きているような者ばかりだ。いくらフランドールの能力が強大とて不可能なことである。ありえないことを空想だと分かったうえで紙面上で表現する、これほど痛快ことがあるだろうか。
それに壊すことは彼女の得意分野である。経験のない恋愛譚や冒険活劇より文字に起しやすいだろう。
しかし、問題がある。内容があまりにも現実に反しているのだ。
完全に僕の希望であるが、生死を扱うなら緊迫した雰囲気を醸し出したい。いくら空想でもリアリティがなければ荒唐無稽な落書きになってしまうからだ。せっかくなら『小説』として読めるものにしたい。
そのためには物語にある程度の説得力と整合性が必要である。
説明するとフランドールは首をひねった。
「じゃあまず舞台と登場人物を決めよう。それに合わせて物語を考えていく、これでどうだい」
範囲を限定することで掘り下げやすくしたのだ。浮かび上がる犯人像と被害者、その構図が見えやすくなる。
「舞台ねぇ、私の家でいっか」
紅魔館で決まりだ。となると、登場人物もおのずと限られてくる。あとは、動機や理由付けだ。安直な気もするが、やはり恨みを持った犯人が、という展開にすると良いのではないだろうか。動機もあり王道だ。提案するとまたフランドールは首をひねった。疑問と言うより不満があるといった感じだ。
「うーん、とりあえず書いてみようかな」
「ああ、それでいいと思うよ。書いてるうちに固まってくるだろう」
ひとまずは机に向かうことにしたようだ。書いたものを添削すると約束して、フランドールは家に戻っていった。
そして一週間が過ぎた。毎日簡素な日記は届いていたが、今日はあらすじを綴ったものが一緒に送られてきた。目を通してみる。怪事件が起こるが動機や目的が不明のまま進行していた。文章になってはじめてわかったがなるほど幻想郷を舞台とするなら恨みや僻みは表現しづらい、ならばシリアルキラーとして淡々と進めたほうが良いような気もする。
僕は少しだけ助言を隅に書き紅魔館に送り返すようブン屋に頼んだ。余計な口出しは不要のようだと安心した。すべて彼女に任せてみるとしよう。そう思って僕は自分の小説の執筆作業にとりかかった。
その後はあらすじに肉付けされた文章が週一で送られてきた。基礎のあらすじが時を経て物語を象っていく様はなんとも面白い。これは姉のレミリアが来た時に聞いた話なのだが、あれからフランドールはベレー帽をかぶって紅魔館の住人を質問攻めにしているらしい。成果が表れたのか登場人物の特徴がはっきりと書かれるようになってきた気がする。
そして一月後、フランドールは完成した原稿とともに香霖堂を訪れた。僕は一通り目を通し軽く感想を言う。
「――うん、これでいいと思うよ」
「やった!」
頬を綻ばせて彼女は言う。
一つ完成させれば次は早い。これからの暇つぶしとして彼女の生活に定着するかもしれないなと思った。ならば僕が読者第2号だ。勿論1号は姉のレミリアである。今回の原稿を姉に見せた際はべた褒めだったらしく「まったく身内贔屓もいいとこよね」と多少辟易したふうに語っていたが顔は緩んでいた。
「晴れて君も作家になれたわけだ。僕と同じ何かを提供する立場さ」
「私が? うーん変わった気がしないなぁ」
いや、確かに変わった。日々の些細な出来事を記録する僕が言うのだから間違いない。
「じゃあさっそく寄稿しようか」
「うん!」
締め切りは明後日だ。忘れてしまわぬようついでに僕の原稿も寄稿した。あとは結果を待つのみである。
選考結果が送られてきた。宛先を香霖堂にしていたので僕の郵便受けに届いたのだ。
なんとフランドールの小説はミステリ賞に入選していた。賞金と、参加賞として投稿された小説のあらすじと評をまとめた冊子が入っていた。分厚さは百科事典に引けを取らないほどで読むのは一苦労だ。
フランドールは大層喜んだ。
「お姉様に報告してくる!」
頬を綻ばせながら意気揚々と屋敷に戻っていった。喜びのあまり参加賞を忘れていったので、取りに来るまで僕のところで預かることにした。ついでに勝手に読ませてもらうことにした。
『「今昔恋物語」妖と人の叶わぬ恋を情緒的に描いた傑作と評されていた。醜さや美しさをすべて閉じ込めたような生々しい映像が明瞭に浮かび、読み進めるうちに心の臓を掴まれる。』
あらすじを読む限りだと素人の文には思えなかったので著者名を確認したところ「玉藻所縁」とあった。なるほど、経験と文章か。
『「二升五合」内容は日々の店の様子や訪れる客を面白おかしく記録したという普通のものだが、話に必ず絡む酒の描写が非常にうまい。読み進める際は唾をのむこと必至だ。』
酒屋の娘が宣伝のつもりで書いたのだとか。上手いやり口があったものだと僕は感心してしまった。
『「新説竹取物語~かぐや姫とその従者~」慣れ親しんだものを新たな切り口で綴ったのが面白い。』
著者は言わずもがな。
魔理沙の『茸論~嗚呼素晴らしき茸~』は佳作だった。あらゆる茸の説明や研究を記したそれは物語ではないが、事典のような堅苦しさもなく、それどころか生活に役立つ茸、嫌がらせに使える茸など初心者でも読みやすい作りだと評されていた。
魔理沙も魔術書を読むので、参考にしたものがあったのかもしれない。
霊夢は結局書かなかったらしい。
あとは、おそらく架空の外の世界を題材とした作品が審査員特別賞をもらっていた。「腐敗した世界に独り抗う少女の物語」と言うと聞こえはいいが、その実は呪詛のような罵詈雑言で構成された怪文書であった。あらすじを読んだだけだが気が落ち込んでしまう。
選考理由は要約すると奇抜かつ衝撃的だからとのこと。
著者不明で、おそらく橋姫あたりだろうと僕は思ったのだが真偽は不明だ。なんとなく菫子が語る外の世界に似ている気もする。
他にも庄屋賞、天狗賞、儚月賞、常識に囚われていないで賞などがあり、ほぼすべての作品は何らかの賞を授与していた。賞の数がべらぼうに多いのは、今回の募集は新人を発掘することが目的であり、参加者を埋もれさせたくないという主催者の計らいで増えたとのこと。危険思想を植え付けるものや文章が破綻しすぎているものでなければ他の投稿された作品も随時文々。新聞に掲載されるそうだ。これで参加者以外にも今回の作品群が目に留まるだろう。
軽い気持ちで投稿した者は里中に恥をさらす羽目になるが、後の祭りである。
ちなみに僕の小説はと言うと、なぜかエントリーすらされてなかった。
「架空の外の世界を題材とした作品」ってもしかして二人組の彼女たちの物語ですかねぇ
作者とか色々想像してしまいます
自分はあまり煮詰めた文章が苦手なので
序盤の堅苦しい文章にちょっと「おっ」と思ってしまいましたが
常時ニヤニヤしてました笑
中盤頃になると文章がほんわかとしてきて、フランの日常観とか全体的にゆったりした世界観でこっちも肩の力を抜いて見れた笑
フランと香霖の芝居がかった言い争いが個人的に好き
こういうこと言っちゃうのはメタいかもしれないですが、最後の最後でちゃんと冊子に書かれた作品を紹介してくれるのはいっすね!
率直に言うと、こういう感じの幻想郷らしい作風は大好き。
いきなり人形を壊したところと、それ以降の行動・発言がちょっとだけ合わないかなという気はしました。
読書好きのフラン、というのもほぼ自分のイメージ通りだったので
すらすらと読めました。姉妹仲が良好なのも原作準拠でGood!
ただ最後のオチだけがよくわからなかったです。
入賞していなかった、とかではなくて、選考対象にさえなっていなかった、ってことですよね?
間に挟まれるダジャレにクスッとしました笑
とても面白かったです
常識にとらわれないで賞
うれしくねーよw
個人的にですがとても共感した物語でした。
削れるところも膨らませるところも色々あったと思いますが、
本筋の流れが綺麗でとても楽しめました。