Coolier - 新生・東方創想話

次の日昼まで寝過ごした

2018/12/25 20:50:47
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 まずは発端を述べよ。
 ──さとりからクリスマスパーティーに誘われた。
 しからば現状を述べよ。
 ──クリスマスイブ当日に風邪をひいた。

 どうして自分はこうも巡り合わせが悪いのか。これまで、特に地底に降りてきて以来病気知らずだったというのに、今日に限って。そういう星の下に生まれたのか。宿命とでも言うのか。
 キリリと痛むこめかみを押さえながら、パルスィは布団から起き上がる。
 身支度を調えて、紺色の襟巻きを口元まで引き上げ、姿見を覗きこむ。元々顔色は悪いほうだし、薄く化粧をした甲斐もあって、ちょっと見にはいつもと大差ない。
 よし、と頷き厚手の上着を羽織ったところで目の奥がクラリときた。壁に手を付いて静かにしていると徐々に目眩がマシになる。細い針で刺されているような頭痛や、全身にまとわりつく表現しがたい気怠さはあったが、動けないほどではない。うん、と頷いて自宅の戸を開ける。
 浮かぼうとして忘れ物に気がついた。慌ててとって返し、簡素な包装がなされた包み二つをポケットに押しこむ。危ないところだった。これを忘れては無理を押して地霊殿に行く意味がなくなる。
 今度こそ地面を蹴って宙に浮かぶ。頭痛が増し、軽い吐き気もこみ上げてきたが、口を結んで体を平衡に保つと落ちついていった。よしよし、と頷き常よりもゆっくり空を飛ぶ。冷たい空気が火照る体を冷ましていくのが心地よい。

 地上との誓約が緩められておおよそ一年。去年の今頃は異変直後でてんやわんやだった旧都も、一年もするとさすがに落ちつく。自然、幻想郷や彼岸の今に目を向ける余裕も出てきて、旧都の性格に合うものは積極的に取り入れている。すなわち、面白そうなイベント事にはひとまず手を出してみる。
 クリスマスも、そうして広まった行事のひとつだ。
 最初の情報源はヤマメだった。「猿田毘古大神が、鹿に鞭打って人間に贈り物する代わりに信仰を集める行事らしいけど、そんなことするタチだったっけ?」と首を傾げる。
 果たしてそのような方法で信仰が集まるのか甚だ疑問だけれども、人間は即物的なので効果的なのかもしれない。ともあれ贈り物ならば酒やつまみを贈ってはいけない道理もないだろうそうだろう、とじんわり広がりつつあった。
 その認識を修正したのはさとりだ。帳面を渡しに行った際に、そういえば、と思い出したパルスィの心を読み「また面妖な形で伝わっていますね」と苦笑した彼女は、文庫から豪華な装丁の本を持ってきた。
「聖ニコラウス……異国の聖人に由来する行事だそうです。貧困に喘ぐ家庭に金貨を恵んだ逸話が元になっているとか。本来は、ご馳走を作って家族でゆっくり過ごす日のようですが、外の世界では、友人や恋人と過ごす者と、そうした客を目当てにこき使われる労働者とに分かれ混沌たるありさまだとか」
「商魂たくましいのもそこまでいくと病的ね」
「まったくです。年の瀬なんて繁忙期に、よくもまあ」
 呆れかえっていたさとりだが、ふと小首を傾げてパルスィを見た。赤い眼のまぶたが持ち上がり、まん丸の瞳孔をまっすぐ向けてくる。
 しまった、読まれた。
「……ふむ」
「さとり、まって」
「遠慮はいけませんよ。……そうね、大掃除はペットもいるし、農場は安定しているし、鶏の乱獲にならないよう調整すれば」
「さとりってば」
「節季払いも今年は順調なようだし、このあたりも……うん、一週間ほど寝なければなんとかなるでしょう。読めないのは彼岸だけれど、今は忙殺されているだろうし……最悪なにか来ても寝なければ……ああ、大丈夫ですよ。無理はしません。自分の限界はわかっています」
「そ、だっ」
「……うん。では、パルスィ、師走の二十四日と二十五日は私にくださいな」
「だからっ! ひとの話を聞きなさいよ!」
「ちゃんと聞いていますよ。仰るとおり、イベントに浮かれる放蕩者になるのも、あなたとなら悪くありません」
「あーもう!!」
 ──という次第である。こうまで言われて断れる輩がいるのならば是非ともその面拝ませてほしいものだ。

 しかし、忙しい恋人に自分のわがままで無理をさせるという事実は、想像以上に居心地が悪かった。事情を知った勇儀からは「あいつがやりたくてやっているんだろう、気にすることはないさ」と励まされたが、こちらの来訪に軽い一瞥を向けただけで書類の山に埋もれているさとりを見ると、どうにも申し訳なさが先に立った。
 さとりはこちらの心を読めるが、彼女の心を読める相手は今の地底にはいない。時折もらす疲労の滲んだため息の根底にはパルスィへの疎ましさがあるのではないか。そんな考えが振り払えなかった。
 となると、無理をさせた謝罪もこめ、せめて贈りものは奮発すべきだろう。そう思って旧都の店をさまよってみたが、中々「これ」というものが見つからない。
 そも、地霊殿の主にして旧都のまとめ役たる彼女が、物に不足しているはずがない。身につける小物ひとつ、ちょっとした家具ひとつ取っても地底の最高級品なのだ。「経済を回すのは上に立つ者の務めですからねぇ」と疲れたように呟くさとりを見ると、どう頑張っても腹立たしくはなれないが、それでも大変に妬ましい。
 ならば精神的なほうをと発想を転換し、一時はこいしと揃いの矢立と一筆便に手を伸ばすまでいったパルスィだったが、まず第一に、幻想郷と地底のあいだで定期的に手紙を送れる仕組みはない。第二に、こいしが見聞きしてきたものの話は、地霊殿に籠もりがちなさとりにとって貴重な情報源である。何よりも、土産話に花を咲かせる古明地姉妹はたいそう楽しそうだ。自分はとやかく言える立場にいない。
 詰んだ。パルスィは頭を抱えた。
 だが無情にも時間は過ぎる。どうしようどうしようと橋の上で悩み続け、そういえば燐たちへの贈りものは、地霊殿のペットは何匹だ、いや待て昨日新顔が増えていなかったか、と記憶を漁り、更にうんうん頭を絞る。
 ええいままよと贈りもの自体は決まったけれど、今度は包みを開いたさとりの反応を想像すると胃の腑が痛くなった。
 喜んでくれたら良い。だが、もしも表情を曇らせたら? さとりの好みに合わなかったら? こちらを気遣うばかりの笑みで「わざわざありがとうございます」と頭を下げられたら? わがままを聞かせた挙げ句、贈りものすら満足に選べない恋人かと思われたら?
 ──だいぶしんどい。涙目になるかもしれない。
 思うに、こうした思考で自分を追い詰めていったのが良くなかったのだろう。妖怪は精神に依存する。精神衛生状態の悪さは容易に体を蝕む。
 気づいても時既に遅し。こうなっては仕方あるまい。病をうつすことはなかろうが、体調が悪い者がいては気を遣わせるだけだ。せっかくのパーティーを台無しにするつもりはない。渡すものだけ渡してさっさと帰ろう。
 そんな自身はどう思われるか。考えるだけで重心がぶれ、高度が下がり、時の鐘に激突しそうになった。慌てて旋回して高度を上げ、いけないいけないと首をふる。
 不意に鼻の頭に冷たいものが降ってきた。視線を上げ、ああ、と白い息をはく。鍾乳洞の天井を覆った分厚い雲から粉雪がちらちらと舞い降りていた。
 クリスマスの時分に降る雪は「ホワイトクリスマス」と呼ばれてありがたがられるそうだが、この状況では疎ましさが勝る。寒いわけだ、と襟巻きを巻き直し、速度を上げようと妖力をこめる。途端に気分の悪さが襲ってきた。諦めて速度を落とし、パルスィは瞑目する。


 雪雲も灼熱地獄跡の熱には敵わない。地霊殿に着く頃には体にまとわりついてきた雪はとけ、全身びしょ濡れというありさまだった。服が濡れているのは気持ち悪いが、変な風に火照った肌が冷まされるのは悪くない。
 形式上呼び鈴を鳴らし、返事を待たずに扉を開ける。途端に黒い影が突っこんできた。
「パルしぃー!」
「ちょ、あぶなっ」
 相変わらずひとの名前をきちんと呼ばない八咫烏を受け止めるも、あまりの衝撃にくらりと意識が遠くなる。たたらを踏んだが堪えきれない。危うく倒れそうになったところを「だめよ、お空」とこいしに支えられた。
「今日のパルスィさんは一応お客様だよ? お客様に突撃しちゃ……あれ?」
「パルしぃ、びしょ濡れ?」
「でも、熱くない?」
「う?」
「ちょっと、えっと、まって。いいからはなれなさい、あなたたち」
 慌てて身じろいだが、前方から空に、後方からこいしに抱きしめられているような体勢はそう易々と抜け出せなかった。というか空の腕力が意外と強い。あんな棒を振り回せるだけあるということか。
 そうしてもたついていたら、騒ぎを聞きつけたのだろう、エプロンをつけたままのさとりと燐もやって来た。「早かったですね、パルスィ」と綻んだ口元が、柔らかなまなざしが、即座に「ん?」と引き締められる。
「お姉ちゃん、なんかパルスィさんが熱い」
「さとり様、パルしぃが、」
「さとり、あの、すぐに帰るから、」
 完全にタイミングが被った三者三様の言葉を聞き終える前に、さとりは「なるほど」と片目を閉じ、息をついた。フリルの付いた桃色のエプロンを解き「お燐」と名を呼ぶ。
「パルスィを寝かせます。手伝って」
「え、お姉さんどうかし……あれ? 白粉のにおい?」
「ちょっまっ」
「こいしは氷嚢を、お空は着替えを持ってきて」
「やっぱり?」
「はーい」
 ふたりが離れていったので体の自由を取り戻すも、軽くふらついたところをさとりに支えられ、お燐に背後を奪われた。薄い手のひらが額に当てられる。水仕事をしていたのかひんやりしているのが気持ちいい。目を細めたら、さとりは困ったように眉を下げた。
「まったく、無理をして。たしかに、あなたが来てくれなければ事情もわかりませんでしたが、それにしても。……駄目です、少なくとも治るまでは帰しません。……あのねぇ、パルスィ、あなたのことで面倒があるわけないでしょう。ひとりにするほうが心配です。お燐、行くわよ」
 あれよあれよという間にさとりの私室に連れて行かれ、濡れた服をひん剥かれ、浴衣を着せられ髪を拭かれる。挙げ句、三人がかりでアルコーブベッドに押しこまれたかと思うと、
「お燐」
「ぅなーん」
 猫形態になった燐が胸のあたりに丸くなった。ゴロゴロと喉を鳴らし心地よさそうに目を細める。
 許されない。この仕打ちは許されない。動けないではないか。抜け出せないではないか。
 心中で上げた悲鳴を「動いちゃだめですって」と流し、氷嚢を額に載せられた。さとりが覗きこんでくる。
「……そんなに気になるのでしたら、パーティーはちゃんと開きますから。こちらのことは気にせずゆっくり休んでください。また後できます。……ねえ、パルスィ、このくらいで不安にならないでくださいな。私の気持ちはそんなに軽いと?」
「知ってたけどさ。姉がデレデレになってるとこ見るのってけっこうキツいね、お空」
「そうですか? いつものことですよ」
「にゃあ」
「……あなたたち三人にはあとでお話があります、逃げないように」
 きゃーっ、と楽しそうな悲鳴を上げて逃げて行く。
 やれやれと肩を落としたさとりは、仄かな微笑を浮かべて頬をなでてきた。柔らかな手つきが胸に巣くっていた不安をはらっていくようだ。ふっと肩の力が抜ける。腹のあたりがじんわりと温かくなる。
 よしよしとなでられるうちに、途方も無い脱力感と緩やかな眠気が襲ってきた。まぶたを持ち上げていられない。「おやすみなさい」と優しく両目を覆われる。暗くなった視界に目を閉じてみたら、燐が上機嫌に喉を鳴らす声が思ったより近くに聞こえた。規則正しい呼吸に合わせて、くるるるる、くふるるる、と鳴る喉の音が明瞭な意識を穏やかな暗闇に引っ張っていく。

 ***

「珍しい酒が!」
「のめると」
「聞いてー!」
 宴もたけなわ。方々に十分な料理と酒が行き渡り、後はペットに任せて私室のパルスィのところへ引き上げようかと思っていた矢先に、勇儀とキスメとヤマメが玄関口から乗りこんできた。文字通り扉を蹴破って。おそらく二軒目、あるいは三軒目なのだろう。半壊した扉がほろ酔い具合を語っている。
 地霊殿の主として訪客はもてなすべきと承知している。けれど、彼女ら相手にそこまで畏まる必要はないだろうし、パルスィの様子も心配だ。
 必須事項だけ伝えれば良かろう。
 八雲に打診し幻想郷経由で手に入れた酒の数々をズラリと並べ、左端のかたまりから示していく。
「こちらがウィスキー。麦のお酒です。これがワイン。葡萄酒ですね。こちらのブランデーも葡萄酒ですが、ワインにもう一手間加えたものと理解していただければ。特に珍しいのは、このミードでしょうか。蜂蜜を発酵させたお酒です。個人的にはいちばん好みでした」
「すまん、おぼえきらん。どれがなんだって?」
「好きに試してみてください。ただ、そうですね……ウィスキーとブランデーは度数が高いので、清酒のように水感覚で呑むのは止めたほうがいいと思います。お料理はそちらに」
 小ぶりのグラスを手渡すと、勇儀は興味深そうに瓶を手に取った。さっそくウィスキーに手を出すあたり筋金入りである。
 勇儀たちの相手は「いらっしゃーい」と駆け寄ってきたこいしに任せ、さて、と立ち上がる。あたりを見回していたキスメがこちらを見上げてきた。
『パルさんは?』
「体調を崩してしまったので、休ませています」
「んぁ? おりんの話? パルちゃんの話?」
「パルスィの話です」
「なんだ、風邪でもひいたのか? 珍しい」
「ねー。姐さんに次ぐ健康優良児だと思ってたのに」
 さとりがいるなら大丈夫だろう、との思考が流れてきてどんな顔をしたものかと固まってしまう。けれど、キスメの『悩んでたもんねぇ』の一言に眉が下がった。
 彼女の心に浮かんでいる(おそらく最近の)パルスィは、欄干にもたれたまま難しい顔で虚空を睨みつけている。詳細は本人に聞かないとなんとも言えないが、少なくとも、パーティーを楽しみに待っていたわけではなさそうだ。
「なんだいさとり、また小難しい顔して」
「あいたっ」
 額を小突かれた。手加減していても力の勇儀である。パルスィの全力のデコピンくらいの威力はあった。
 痛いですよ、と額を押さえると「加減を間違えた」とカラカラ笑われる。
「パルスィんとこに行くんだろう。そんな顔をしていたら気を遣わせるよ」
「……そうですね」
 気持ちを切り替えなければ。ゆるゆると首をふる。
 何を思ったのか「そもそも、おまえさんは表情がかたいんだよなぁ」とグラス片手に頬をつままれた。
「お、柔らかいじゃないか」
「にゃにがひたいんでひゅか」
「いやぁ、ほぐしてやろうと思ったんだが。こりゃあもち肌ってやつだな。癖になりそうだね」
「ひりまひぇ……っていうか、いひゃい、ゆーぎ、いひゃいでひゅってゆーぎ!」
「おお、悪かった悪かった」
 遠慮なくこね回され右の頬がジンと熱を持つ。
 痛かった、と頬をさすったら詫びとばかりに瓢箪が差し出された。
「風邪は卵酒に限るよ。私らからの贈りもの兼見舞いってことでひとつ。メリークリスマス、だったか」
「強すぎませんよね、これ」
「パルスィなら大丈夫だろうさ。……多分ね」
 まあ、最悪アルコール分を飛ばせば良いだろう。
 各々に頭を下げ今度こそ大広間を後にする。そんなさとりの第三の眼は、勇儀の意味不明な(そしてそもそも意味などなかった)行動を探るのに能力の大半を使っていたし、自身の心の大半をパルスィの様子に持って行かれていたので、その後起きたやりとりを知るどころか、予想することもできなかった。
 つまり、
「じー」
「じーっ」
「じとーっ」
「まあさとりの場合、表情以上に行動が語ってるわなぁ。にしてもこの香ばしさ、異国の酒もたまになら悪くな……どうした、三人とも?」
「土蜘蛛は見た」
「釣瓶落としも見た」
「妹も見ちゃった」
「なにをだね?」
 きょとんとする勇儀に三人はやれやれと互いを見やる。
「無自覚ってタチ悪いわ」
「こいしちゃん」
「なんていうか……えっと……一途すぎてパルスィさん以外のこと見えてないからこそのていたらくっていうか……だめだぁフォローできません」
 顔を覆ったこいしとは対照的に、ヤマメとキスメは天を仰ぐ。三人を不思議そうに眺めながら勇儀はブランデーの瓶に手を伸ばす。マイペースにグラスを傾ける彼女の姿に、「まあいざとなって困るのは本人だし」と変な具合に開き直ったこいしたちもまた、若干自棄が入った勢いでズラリと並んだ瓶に手を伸ばす。
 混沌たる状況は地霊殿の主が存ぜぬところで起こっていた。


 卵酒の材料と火鉢を持って私室に戻る。ひとりと一匹は熟睡したままだった。頬を緩め氷嚢を除けようとしたさとりだったがあることに気づき硬直する。
 パルスィを動かさぬよう命じた時は、こちらの目もあってか幾分遠慮がちに丸くなっていたお燐だったのに、今や完全にリラックスしきって手足を目一杯に伸ばしている。だけなら別に気にしないけれど、やはり猫形態でも枕がほしいようで、くるんと丸い彼女の後頭部はパルスィの胸元に預けられている。
 主の恋人のおっぱいを枕にぐっすり寝入るとはずいぶん良いご身分で──
(……いや。頼んだのは私なんだから)
 辛うじて理性を取り戻し吐息をひとつ。
 氷嚢を回収して、これ以上視界に入れているのは精神衛生上よろしくないと火鉢を細々整えていたら、物音を聞きつけたお燐が身じろいだ。
 眠そうに目を開けさとりを見やり『おはようございます、さとりさま』と全身で伸びをする。その体勢のままいつものように足踏みをしようとしたので急いで抱き上げた。パルスィの胸をもみしだいて良いのは私だけです、さすがに。
「おはよう、お燐。といってももう夜だけれど」
『ありゃ。パーティーって終わっちゃいました?』
「どちらかというとこれからかしら。勇儀たちも来たわ。お酒やお料理は食堂のほうに取ってあるから」
『やった! ありがとうございます、さとり様。やー、ほんとはお姉さんが起きなければすぐ行くつもりだったんですけど』
「そう頼んだつもり。ずいぶんぐっすり寝ていたわね」
『あったかくて、つい。橋姫のお姉さんって着痩せするほうなんですねぇ……さとっ、さとりさま目が、目が怖いです。あたいなんか変なこと言いまし、あっ言いましたね。わぁぁごめんなさい、口が滑りました。忘れますから、べつにいい匂いとか柔らかいとか思ってなかったですから、どうかご慈悲を!』
「墓穴を掘っているわよ」
『あれぇ!?』
 にゃうにゃうみゃあみゃあと慌てに慌てるお燐の姿に若干の同情が禁じ得ないが、存外強烈な嫉妬はそう易々とおさまらない。苦笑しようとしても表情は強張ったままだ。独占欲の強さは自覚していたけれど、ペットにも向けてしまうほどだとは。
 腹のあたりが蛇に噛まれているような不快感を持て余す。どうしよう、と内心眉を下げた、その時だった。
 不快感がふわりと軽くなっていく。胸中をかきむしっていた魔物が宥められる。わき水の如くこんこんと溢れていた八つ当たりに近い妬み言が、音もなくゆるやかに引いていく。
 この感覚にはおぼえがあった。お燐と顔を見合わせベッドを見ると、まだ眠そうなパルスィがのろのろ起き上がる。しょぼしょぼと細めるまぶたから覗く浅緑の瞳は煌々と輝いている。
「パルスィ。体調はいかがです?」
『だいぶいいわ。ごめん、気遣わせて』
「謝らないでください。回復したのならなによりです。お燐もえらかったわ。八つ当たりをしてしまって、ごめんなさい」
『や、橋姫のお姉さんが絡むとさとり様がだめになるのはわかってるんで』
 面目がない。
 肩を落としたさとりの腕を蹴り、お燐はベッドの縁に降り立つ。パルスィの膝に乗っかり腕をちょいちょいやって、にゃあんと鳴いた。
『お姉さん、もうちょっと寝てなくて大丈夫なの?』
「さとりじゃないんだからわからないって」
「寝てなくて大丈夫なの、だそうですよ」
「ああ。十分休ませてもらったからね」
 ピンと立った耳の付け根をくすぐってやり、パルスィはさとりに一瞥を寄越し片頬を上げた。
「それに、おいしそうな嫉妬を枕元にぶら下げられちゃ、目も醒めるわ」
『助かりました』
「お恥ずかしいかぎりです」
 やっぱり面目がない。

 お燐を送り出し、パルスィの着替えとシーツの新調を手伝う。熱湯に通した手ぬぐいで手足や顔を拭くとずいぶんサッパリしたようだ。卵酒をご所望なので窓を細く開け、火鉢に小鍋をかける。
 瓢箪から酒を注ぎ、よく混ぜた卵と砂糖とをとかしていく。木べらをゆっくり動かしながらパルスィに眼を向ける。形の良い眉が気弱に下がった。
「それで、どうしましたか」
「勝手に自滅しただけだから」
 遮るような言葉に『無理させちゃって』と肩を落とす。問いかけを呼び水にしてわき起こってきた心を読む。痛々しいほどに一途で不安定な心持ちに和やかな気持ちになる一方、申し訳なさもこみ上げてきた。
 こちらの意思は行動で伝わっているだろうと高をくくってしまった。追いこまれていたのは事実だが、それでも、一言添えればここまで参りはしなかっただろうに。
 湯気が立ってきた小鍋を脇に避け「パルスィ」と目も向ける。
「言葉が足りず、すみませんでした。あなたの"わがまま"はできるだけ聞きたいんです。面倒を気に病むよりは、喜んでいただけませんか?」
「結論からはじめるのやめて」
 こちらを見ていられないらしい。パルスィは毛布を頭の上まで引っ張り上げた。
 幼子のようにいじけた仕草がほほえましいが『嫌われたら立ち直れないもの』との泣き言はいただけない。「嫌いませんよ」と微苦笑して毛布ごと抱きしめた。
「どれだけ好きでいると思っているのですか」
『心変わりは一瞬だし』
「これでも拘りは強いほうですから、あなたがこちらを見てくれているあいだは大丈夫だと予想してますけども」
『心が気まぐれなのは知ってるし』
「その理論はあなたにも適用されるのでは?」
『橋姫がそんなに軽いと思ってるの』
「種族を持ち出すのはずるいですよ」
 手探りで毛布から引っ張り出す。
 弱々しい顔つきで、それでも頑迷に唇を結び俯いている恋人殿にそっと口付けた。緑目が揺れる。綻んだ頬はそのままにぎゅうと抱きしめ背中をなでていると、大分逡巡していたが、ようやくおずおず抱き返された。
「さあ、卵酒もいい塩梅ですよ。いかがですか」
「…………もらう」
「はい」

 マグカップを両手で持つ姿がなんともあどけなくて頬が緩む。「食べるものも持ってきましょうか」と確認すると「今日はいい」と首をふられた。
「では、明日ですね。材料はまだ残っていますから、大丈夫ですよ」
『気合い入ってそうね』
「いろいろ調べたら楽しくなってしまって」
「勝手に読むな」
「性分です」
 写真だけでもと参考にした料理本を、しかしパルスィは見ようとしなかった。『さとりが作ってくれたの見たいから、いい』らしい。なんと言おうか、今日のパルスィはいつもよりも素直に甘えを示してくれて、大変に喜ばしいのだが些か心臓に悪い。
「なに鼻の下のばしてんのよ」
「パルスィは可愛らしいなと」
『意味わからない』
「ただの感想です。では、そうですね……クリスマス仕様の料理を用意しましたので、お楽しみにとだけ」
 うん、と頷いてマグカップに口をつける。そんな彼女の心にふわりと浮いてくるものがあった。クリスマス、の単語に反応したらしい。丁寧に包装された小箱がふたつ。上着のポケットか。
 そういえば忘れていた。立ち上がり、室内に干していた彼女の上着を拝借する。「あ、ちょっ、まって」と妙に慌てた声が聞こえたが構うことはあるまい。さとりたちへの贈りものだ。
「私のはどちらですか? ……緑のほう、わかりました。こいしには明日渡しましょう。そちらのほうが正式ですし……おや、お守り。しかも手作りですか。ありがとうございます、きっと喜びますよ」
「ほんっとうに妬ましい能力よね!?」
「重宝していますよ」
 ベッドの縁に戻り包装を開ける。深緑色の万年筆だ。なめらかな手触りは造りの上質さを伝えてきて、ほどよい重みが手にしっくり馴染む。余計な装飾や模様のないシンプルなデザインは好みに合っていた。
「ありがとうございます。今使っている羽ペンがそろそろくたびれてきていたのですよ。万年筆なら長く使えますね」
「……既製品で悪いけど」
「それを言われたら、私だって謝らないといけなくなります」
 頭を抱えて深いため息をついた彼女に紙面を差し出す。
「受け取っていただけますか?」
「まってこれどう見ても住宅設計図」
「考えてみたんですけれど。土地をいじりたくないのなら、二階建てにすれば広さが得られますし、居間や寝所の他に書斎も作れると思うのですよ。天井を高めにすれば圧迫感はありませんし、水回りを一階に集めれば工事の手間もそこまでかからないかと」
 いかがでしょう、と窺ってみる。パルスィは眉間に皺を寄せた。
『却下』
「だめですか」
「今の狭さが気に入ってるの。広くすればいいってもんじゃないでしょう」
 その言葉も全力で引きに走る態度も八割方予想はしていたが『狭かったらいっしょに寝られるし』の言葉は不意打ちで頬が染まるのを禁じ得なかった。こほんと咳払いをひとつ。
「部屋を拡げても寝所をひとつにすればいいのでは?」
『意外と馬鹿にならないのよ』
「そういうものですか」
 あなたが言うならそうなのでしょうね、と頷きつつ本命の小袋を取り出した。パルスィがなんとも表現しがたい顔になる。
「冗談がわかりづらい」
「冗談ではありませんよ。受け取らないだろうと予想していただけです」
『その労力をこっちに使ってほしかった』
「そうですね、反省しています。今度からはあなたといっしょに考えましょう」
「家から離れなさい」
「だって、書斎ほしくないですか?」
『ほしいけど』
 小袋の口を結わえていた紐を解く。ぽんぽんとかけ合っていたのが嘘のように沈黙した。取り出した髪飾りを手のひらに載せ、じっと見つめる。
 白い花弁を鮮やかな青玉で縁取り、髪に留める部分にはトラス橋の意匠が彫られている。時間や技術的問題から手作りとはいかなかったが、パルスィの美しさを引き立てられるよう試行錯誤した特注品だ。気に入ってもらえるとありがたいのだが、この反応はもしや──
「……被りました?」
 彼女の場合ライバルは現在だけにとどまらない。とうに現世を離れた者に対抗心を燃やすなど馬鹿馬鹿しいと理解しているが、賢者をも盲目にするのが恋の病だ。意識しなかった言うと嘘になる。
 おそるおそるの問いかけにパルスィは慌てて首をふった。束の間安堵するも、彼女の心は千々に泳ぎ回っていて読みづらい。片目を閉じ眼を見開く。
「いや、そうじゃなくて」
「青玉はお好みに合いませんでしたか? 翡翠や橄欖石も候補にあったのですが、どう考えてもあなたの目には敵わないので髪色に合うほうを優先しまして」
「いや、そうでもなくて」
「……こんな高価なもの受け取れない、なんて言わないですよね?」
「そこまで無粋じゃないわよ。そうじゃなくて、あの、……きれいだとおもう、けど」
 続く言葉にさとりは本気で呆れてしまった。
『こんな可愛いの、私には似合わない』? 馬鹿も休み休み言ってほしい。
「あなたに似合うよう考えたものですよ。はい、貸してください。でもは聞きません、寄越して。失礼しますね……ほら、かわいい。やはり似合っています。私の目は節穴ではありませんでした。待っていてください、鏡を持ってきますから」
「ちょ、さと」
 意図的に話を聞かずにまくし立て、手鏡を渡す。パルスィは沈黙した。
 山吹色の髪に青玉が浮き出るような彩りを添えている。白い花飾りは彼女が意図して消そうとしている楚々とした印象を強めていた。髪飾りに手を当てはにかむ様は可憐な少女そのものだ。おずおずと見上げられたので満面の笑みで首肯したら安心した様子で表情を和らげた。
「お気に召しましたか?」
「……ん」
「そんなに喜んでいただけると贈り甲斐がありますね。どうでしょう、その調子でこんどは着物など」
「だから勝手に読ま……話を進めないでって!」
 ころころ笑う声に時を告げる鐘の音が重なった。
 暮九ツ、異国風に言うなら真夜中だ。クリスマス風に言うならば、
「……ハッピーホリデー、ですね」
「ん? メリークリスマスって聞いてたけど」
「さいきんは宗教が絡んできていろいろあるそうですよ。ほら、山の上の神様とか一輪さんたちのお寺とかありますし、私くらいは配慮しておくべきかと」
「そもそも、異国の聖人の日を地底で祝うってのも妙な話だけど」
「楽しければいいじゃないですか」
 軽口のつもりだったのだが、パルスィは唐突に神妙な顔つきになった。「楽しかった?」と問われ『楽しいって思ってくれた?』と眉を下げられる。なんだかな、と微苦笑してしまう。
「当たり前ですよ。楽しかったですし、今だってとても楽しいです。ちがいますか?」
『ちがわない』
「でしょう」
「なにも言ってないんだけど」
 口を尖らせながらも浅緑の目は優しく笑っていて、さとりはいっそう笑み崩れた。目は口ほどにものを言う。少しずつではあるが、パルスィの目でもものが見られるようになってきたようだ。
 軽く伸びをしてベッドの縁にかけ直し、ねえ、と緑目を覗きこむ。
「パルスィ、もう眠いですか?」
「仕事は?」
「あなたも十分話が早いですよね。急ぎのものは片付けました。私だって一日くらいはお休みがほしいです。……大丈夫ですよ、あなたと話をするほうが充電になります。いっしょに寝坊などいかがですか、愛し姫さま」
「……そうね」
 ふっとまなじりを和らげたパルスィは、さとりの手を取りそっと抱き寄せてくれる。暖かなぬくもりにくるまれ頬が緩んだ。
『あなたとなら、それも悪くないかもね』
「はい」
今年のクリスマスはさとパルのおかげで心穏やかに過ごせました
空賀青
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