Coolier - 新生・東方創想話

幸せでごめんなさい

2018/12/16 09:42:41
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――――やっぱり、おまえと踊るのは楽しいわね。

 昨日、天人様が私に、そう言ってくれた。
 私は幸せだ。この貧乏神の私が天人様を喜ばせている。私が何をやらかしても、私の後ろめたさを天人様は笑い飛ばしてくれる。
 ああ、申し訳がない。謝りきれない。胸が一杯だ。
 青空がこんなにも綺麗なものだということをすっかり忘れていた。虹を放つような天人様の御髪にも劣らない。気分ひとつでこうまで変わるものなのかと疑わずにはいられない。
「姉さん、話聞いてる?」
「へ? うん聞いてるよ」
「……見てらんないね。姉さんのくせにそんな浮かれた顔して」
 女苑が壁に背中を預け、とてもつまらなそうに一服していた。
 ここは女苑が現在狙いをつけているお屋敷の裏である。
 異変のほとぼりも冷めて寺からオサラバした女苑だったが、しばらくは大人しく地道に事を構えていくつもりらしい。人里にある大きくも小さくもない商家に女中として入り込んでいた。
 今日も日中は私は暇だった。そこでその女苑の様子を見にきたところ、ちょうど女苑の休憩と重なった。お互い適当に近況報告のようなものをして、適当に時間を潰していたところである。備品やら商品の在庫やらが積み上げられた通路の袋小路で私は膝を抱え、空を見上げていた。
「で、私の方はさっきも言ったけど、まだしばらくは私ひとりでいいから」
「ええ」
 最近は天人様のおかげで予定ができる機会が増えた。暇なのはいつものことのはずなのに、夕方がとっても待ち遠しくて、そわそわが止まらない。暇をもて余すことには慣れていると思っていたが、そうでもなかったようだ。何の気なしに仰ぎ見ている空は壁に区切られていて狭いけれど、天人様が感じ見えてしまえて儘ならない。幸せな悩ましさだ。
「この程度の仕事なら、目立たないようにさえしてれば問題ないだろうからさ」
「ええ」
 今も天人様は、今日の夜遊びのための資金繰りをしている最中のはずだ。当然それを円滑に行うためには私が協力するわけにはいかない。他力本願すぎてヒモにしかなれない自分を疎ましく思うのも今さらだ。代わりに何ができるというわけでもないということを再認識するまでがお決まりの流れである。
「……もしかしたら仕上げの時にだけ呼ぶかもしれないから、あんまり頻繁にウロチョロしてないでよね。わざわざ姉さんなんか探し回りたくないんだから」
「うん」
 それにしても、こんな私と違って女苑は立派だ。長年私を取り扱ってきただけのことがある。こうしてめげずに自分で道を切り拓こうとする生き方が身について揺るぎない。私も天人様に同行することで運が回ってくれば、女苑のように自立して生きていく勇気が得られはしないだろうか。
「…………。今回はあと半年くらいかけるつもりだから…………」
「うん」
「……チッッ!」
 突然女苑が舌打ちし、続いてカッッと硬い音が鳴り、驚いて女苑を見る。女苑はキセルで壁を叩いて灰を落とし、それを乱暴に踏みにじっていた。
「それまで好きにしてたらいいさッ……!」
 女苑は言葉を吐き捨てると、きびすを返して行ってしまった。
 きっと私の何かが癪に触ったのだろう。よくあることだ。何かストレスでも溜まっていたのかもしれない。ストレスといっても、今回のお屋敷のようにじっくり時間をかけて、というやり方も女苑は嫌いではないはずだし、実際何度も経験してきたことだ。仕事は派手にやるのが好みであっても、それも今さらだ。私の振る舞いに関してはそのあらゆることに文句をつけたがる女苑のことだし、私のことは、まあいいか。
 あと思い当たるとすれば、寺を飛び出してきたことを気にしているのかもしれない。あの寺の様子を覗きに行ってみようか。女苑は疎ましく思っているようだが、この先も女苑が何度となくお世話になりそうな予感がしている。ここは姉として挨拶に行かねばと思っていたところだ。
 ただご住職かご本尊さんに捕まると時間がかかってしまうから、明日の昼前がいい。そうでなくても下手に出歩いて不幸が起きたら天人様との予定が台無しになりかねない。それだけは断固として回避せねば。
「…………?」
 不意に、何かが焦げる臭いがした。
 はたと私は我に帰り、横を見下ろす。
 女苑の消し損ねた灰の火が枯れ草に移り、見る見る内に大きくなろうとしていた。
「………………うわっ」
 しばし呆然として、火が音を立てるほどの大きさになってからようやく私は跳ねるように立ち上がった。その拍子に、積み重ねてあった木箱の山に肩がぶつかる。
 あ、と思った時にはもう遅かった。木箱の山は絶望的なまでに傾いていて、それを私は見送ることしかできなかった。連鎖してなぎ倒されてゆく木箱の中から柿が飛び出し、私を追いかけるように通路に散らばってくる。またもや反応が遅れ、足をとられてすっ転ぶ。思わず掴んだ戸棚までもが崩壊し、廊下に沿って積み置きされていた備品が上段から順々に崩れ落ちていく。
 落ちるものも倒れるものも全てなくなった時にはもう、私もろとも通路をすっかり塞いでしまうのであった。
 流石だ。流石の私だ。しかしこんな私でも、今日はまだ幸いな方である。なにせ近頃の私は三食欠かさずに頂けているのだ。おかげで腹から声が出る。
「じょおーーーーーん!! じょーーーーおーーーーん!!」
 女苑もここまで大きな私の声を聞いたことがなかったかもしれない。すぐにすっ飛んできてくれた。私もおそらく、ここまで表情を飛躍させてゆく女苑を見たことがなかった。怯えたような顔で現れ、呆然としながらも手を振る私を見つけて安堵し、奥でどんどん大きくなる小火を認めてまた驚き、頭を抱えて怒りだしたかと思えば泣きそうな顔になり、私を引っ張り出しながらドッカンドッカン音を立てて通路を開拓しはじめた。騒ぎを聞きつけて店の男衆もやってきた。
 私は知っている。こういう時、私はここにいない方がいい。女苑もきっとそう言う。だから私はそそくさとお屋敷から逃れ、予定より早いが天人様のもとへと向かうことにした。
 火の見櫓の半鐘が鳴り響く。人目をかわすように私はコソコソと裏路地を走る。表にこっそり顔を出すと、火消しがドヤドヤとあのお屋敷を目指して走り回っていた。女苑の無事を願うばかりだ。

   ※

 天人様は、人里の露店街で場所を借り、今日も天界産の桃を販売していた。地上に下ろしてしまうと天界由来の特性がほとんど抜け落ちてしまうそうだが、味は一級品のままのため結構なお値段でもありがたくお買い上げしてもらえるのだ。貧乏舌の私でも世界一だとわかるほどに美味い。お土産にするとさしもの女苑も喜ぶほどだ。
 しかしそれほどの品を捌き続けようとも、左団扇ができるまでには至らない。それには理由がふたつある。
「あら紫苑、早くきてくれてちょうど良かった。今日はもう完売よ。どっかで火事みたいだし、客足が減る前に売れて助かったわ」
 ひとつは、数が出せないためだ。
 ゆっくりお昼ご飯を食べて、昼寝をしてから露店を開き、夕暮れ前には売れてしまう。お日様は今日もまだ山の上にある。評判になってきたとはいえあまりに早い。その程度の量なのだ。
「軍資金は多いに越したことはないけど、まあ仕方ないか。はじめから不利なことなんていくらでもあるわ」
 天人様は露店をたたみながらそうボヤく。チラッと顔色を窺うと、言葉とは裏腹にまるでへこたれていなかった。
 一度天界から桃を卸してもらっているところを見たことがある。天人様の知り合いだという天女様が桃の入った籠を背負って降りてくるのだ。天人様は、これだけ? とか不満を漏らし、天女様は、これが精一杯です、と言ってにべもない。天女様が私をチラチラ見てくるため私は空気を読んで少し離れ、聞こえない振りをしていた。事情はなんとなく知ってはいるけれど、そこは私が口を挟むようなことではない。
「さて、それじゃあ行きましょうか。今日こそ蹂躙してやるわよ」
 ふたつ目の理由は、これから行く予定の場所にある。
 閉めた露店を後にして、私たちは商店街を去る。大きな水路をふたつ通りすぎる頃にはだんだん私の粗衣が周囲から浮かなくなってきた。
 暇そうにたむろっている柄の悪い男たちが私たちを、主に堂々と威光を振りまく天人様を無遠慮に睨んでくる。天人様は不敵に笑い返すし、男たちはそれ以上は何もしてこなかった。私はこの界隈に来ると念のため天人様の盾になる心積もりをしているが、私たちは最近この界隈では上客として有名になったため、口説かれることはあっても手を出されることはそうそうない。
 そして私たちは、今日もノコノコやってきた。門扉に佇む屈強な大男に挨拶をかわし、桃の売り上げを握りしめ、私たちはとある長屋へと入ってゆく。
 ここは賭場。私たちは連日毎晩ここへ通っている。お金の貯まらないふたつ目の理由は、もう説明するまでもない。
「おや、今日は早いのう。まだあんまり集まっとらんぞ?」
「構わないわ。何かすぐに始められる?」
 人間に化けた狸の親分に迎えられ、早速天人様はテーブルにつく。私は今日も天人様に憑いて離れない。天人様は、あえて貧乏神を背負って賭場に立つのだ。
 はじめは、女苑と組む時の常套手段、私が相手に憑依することで不運をもたらし破滅させるつもりなのだと、当然のように考えた。私を知る者なら誰もが思いつくことだが、我ながらそんなに甘いものではない。女苑が何のリスクもなく私と過ごしてきたと思われるのも癪だった。
 この天人様もそんなものなのかと失望しそうになったが、しかしこの天人様は真逆のことを考えていた。自分に憑き、ずっとそばにいてほしい。そう言ったのだ。
 もちろん天人様の目標は稼ぐことである。ただし、運ではなく、腕のみで稼ぐつもりだ。

――――私はね、呪われてるの。
    運が良すぎるっていう呪いよ。――――

 これは、はじめてふたりで賭場に行く前、天人様が言っていたことだ。自分は運が良すぎるから結局は負けることになる、そう言っていた。意味がわからなかった。

――――運で勝つっていうのは、こぼれ落ちるはずだった勝ちを拾ってるだけなのよ。私は生まれてこの方ずっとそればっかりだった。運で勝たせてもらってるだけ。勝負事に限らず、あらゆることがなんとなく上手いこと運ばれてしまう。なんにもしなくても満たされる。それに気がついちゃったらね、何もかもがつまらなくなったの。歌も踊りも勉強も、全部、全部。――――

 ちょうど四人そろったので雀卓が成立した。夜更けの前の肩慣らしに、半荘を一回戦だけ行う。相手はこの界隈に生きる住人がふたりと、さっきの狸の親分だ。こいつは打ち回しまでまさにタヌキである。他のふたり、小太りの男とヒゲの男もその道が長いらしく、博打となれば相手が妖怪だろうと怯まない猛者たちだ。舐めてかかれるカモはこの賭場にはいない。

――――私も異変を起こしたことがあるんだけど、あれはあまりに退屈すぎて腐ってた時ね。 呪い殺されてたまるかって奮起したのよ。あんなにやけっぱちだったことはないわ。上からも下からも色んな奴らが私を咎めにきた。――――

 東4局、天人様が五順目にしてあっさりとツモあがりし、狸の親番を蹴ってトップに踊り出る。

――――その中でも私をボコボコにしてみせた連中はみんな地上の輩だったんだけど、よく覚えてる。そいつらは私より実力があった。パワーがどうこうじゃなくて、テクニックがあった。どいつもこいつも不遇なくせしてさ、私の恵まれた才覚を乗り越えられるくらい、ずっと上手だった。――――

 小競り合いが続き、南3局、小太りの親番。親とヒゲから早々にリーチがかかった。山場がきたとわかった。狸もふたりをあがらせまいと、鳴きを入れて早上がりを目指す。中盤、誰も思惑通りにあがれない中、天人様が勝負に出た。
「カン!」
 新ドラが表示され、狸とヒゲから嫌そうな表情が漏れた。親の染め手気配に被さる二枚目のドラが出たのだ。ここで親にあがられてしまえば、もう逆転は厳しいだろう。
「リーチ!」
 それでも天人様は怯まない。この事態も覚悟の上で鳴いたはずだ。当然だったか。

――――けっこう悔しかったのよ。下手くそが調子に乗るな、そう言われてるみたいでさ。剣術でさえ、それまで天錻の才があるだなんて言われてきて、いい気になってそれだけは唯一鍛えてきたつもりだったから……もう、ね。――――

「きたッ! ツモ!! 裏は――――乗った! ……うーん、それでも跳マン止まりかあ……」

――――その反面、後になってからすごく、燃えたの。下界の奴らは、総じて足りないのは気品だけ。相手の優位や自分の不利を覆すあらゆる技量は下界に分があった。私はそれを学ばなければならないわ。――――

 土壇場で抜きん出た天人様はオーラスも無難に乗り切り、軍資金が昨日のスタートに比べて倍近くまで増えていた。

――――紫苑、あなたに出会えてよかった。あなたのおかげで私の呪いは中和されている。賭けを学び、技術を学び、勝負を学ぶことができる。それらはどれも絶対的な優位性を振りかざすだけでは絶対に手に入らないものなのよ。――――

 気がつけば、部屋の灯りが外よりも明るくなっていた。それに気がついたのは、部屋を照らす蝋燭の灯りが一斉に揺れたような気がしたからだ。
 夕闇がすぐそこまで忍び寄ってきていた。
「やってるね。調子良さそうじゃん」
 長屋の常連のひとり、鵺だ。
「まあね。ちょうど区切りがいいわよ。席、誰か代わってもらう?」
「麻雀かあ……うーん今日は麻雀はいいかな。それよりポーカーしない? 最近ハマってるんだ」
 天人様は麻雀の精算を済ませると、鵺と部屋を移動する。この大部屋の一角には最近作られたポーカーテーブルがあった。堀炬燵を改造したテーブルだが、それとカードを用意するだけで予算が尽きたのか、本来使われるはずのチップコインは目にしたことがない。その代用として、腐るほどある麻雀の点棒が色を塗られて使われていた。ふたりは同じ点数 十万点を買い取ってからテーブルにつく。そこにはすでに五人のプレイヤーが座っていた。
 ディーラーが化け狸に代わり、鵺はその隣に座る。欠伸をしながら伸びをして触手を露にし、そして当たり前のように狸の太い尻尾をつかみ寄せ、膝の上でクッションにしはじめる。もはや自分たちが妖怪であることを隠しもしないし、周りの人間も既知とばかりに追及しない。
「ねえ、イカサマしてもいい?」
 ところが、鵺の早速の発言には流石に皆が戦慄したようだった。
「いいけど、見つけ次第指を折るわよ?」
「その時はわしが直々に折ってやろう」
 天人様と化け狸だけは平然と返す。
「はいはい平手ね。わかってるよーだ」
 流石だなあ、と思う。鵺に対してだ。
 カードが配られる前だというのに鵺はもう勝負の仕掛けを整えにきたのだ。背中に生える異形を見せつけ、ディーラーに入った狸の親分との仲をアピールし、その上での今の発言だ。否応なしに全員の意識が鵺に集められる。鵺の行動が場に影響を及ぼしやすくなったのだ。ただでさえ手数の多さで攻めてくるスタイルなのだ。このままでは手がつけられなくなる。
 ここ何日も通ってわかったことだが、鵺という怪異は、もはや存在がイカサマのようなものだった。小手先のイカサマに頼るまでもなく、ブラフがとてつもなく上手い。 ポーカーのようにいかにブラフを差し込むかが勝負の分かれ目になるゲームにおいて、この鵺に隙はない。
 ポーカーの理想の勝ち方はまず、手役で負けていようとブラフで相手を勝負から降ろして勝つことである。そして勝負手が入れば相手にブラフと思わせて勝負を受けさせ、手役で勝つのだ。
「『レイズ』。三〇〇〇〇点」
 鵺がいきなり大きく賭けた。
 はじめのゲームでいきなり大きく賭けられるほどの手札が入るのは、当然ながら確率的に低い。ブラフの可能性が高い。しかし、いや、まさか、そう考えさせられてしまうのが鵺の恐怖だ。
 小さく負けて、大きく勝つ。この鵺は、言うは易いその理想をやってのけるから恐ろしい。テーブルを支配する本物としか思えない恐怖に身を削られ、いざ勇気を振り絞った時に限って自分より上の役が用意されている。勝てる気がしない。
 それでもこのテーブルから誰も去ろうとしないのは、博打であれば妖怪上等を掲げられるほどに腕の立つ連中ばかりだからである。そして、ぶっちゃけ男ばかりのむさ苦しい長屋のテーブルに3人も女の子が集まりトランプで語り合ってくれるのだ。金を巻き上げられるとしても男ならそれだけで満足なのかもしれない。
「……『オールイン』」
 しかしただひとり、この天人様は違う。ひと味もふた味も違う。
 実はこの天人様、金を巻き上げること事態にはさして興味がない。天人様にとって重要なのは、この手のスキルゲームの名手である封獣ぬえをはじめとしたここの連中に技術で勝つことなのである。私が取り憑くことで絶対的な強運をあえて制限し、この界隈に巣食う賭博の猛者たちより技量で上回る比那奈居天子になることしか考えていない。勝負師としての格を賭けた勝負を求めてこの長屋に通っているのだ。
 さて、天人様と鵺が加わったこの最初のゲーム、まず、鵺がいきなり強く賭けた。場が暖まっていない段階ではハイリスクでローリターン。とはいえテーブルの影響力を強めるためならば出だしが肝心であるし、プレースタイルから考えてもまだ納得がいく。本当に強い手札を持っている可能性だって確かにある。ブラフと読んでも勝負ができる手を持っていないと受けることは難しい。鵺の後番は続くことなく、次々に降りてゆく。
 しかしそこに待ったをかけたのが我らが天人様なのであった。決死の切り返し、オールイン(持ち点全賭け)だ。これができるということは手番から考えて、経験的にも理屈から考えても、ブラフ臭の強い今回の鵺と違ってちゃんと強い手札を持っている可能性が十分にある。ただ、だからこそブラフも通りやすい、と考えてしまえば鵺にとっては悩ましいところだろう。
 鵺の思惑の逆を突き、天人様が鵺に選択を求めたのだ。
 そして、鵺の口角が釣り上がる。何度見てもこの笑みには不安にさせられる。外野の私まで気分が落ち着かない。
 しかし天人様は動じない。
 凛々しいポーカーフェイスで受け止める。
 その横顔を見て、私はほっと息をつくことができた。
「やーめた。降り降り」
 鵺は長考とまでは言えない程度に引っ張った末、この勝負から降りた。ふたりの手札は伏せられたままディーラーのもとへと戻り、場に出ていた点棒がすべて天人様へと入ってゆく。
 必ずしも手札が明かされないため、ポーカーは相手を読まなければ最終的に勝つことはできない。
 大方の予想通りに鵺は強くもない手でブラフをしていたのかもしれない。ひょっとしたら天人様もブラフで返しただけかもしれない。あるいは強手同士のぶつかり合いで、仕留めきれずに鵺を逃がしたのかもしれないし、命拾いをしたのは天人様の方かもしれない。結論は確定しない。しかしその考察は仮定のまま、後に来るであろう山場の時までの肥やしとなる。この積み重ね、鎬の削り合いの果てにあるものこそが天人様の学ぼうとしていることだと私は考えている。
 鵺の恐怖が薄まり、テーブルは静かに回りはじめた。プレイヤーもそこそこの人数がいるためそもそも確率的にブラフは通りにくい。手札に頼るか、大事に至らない程度のブラフで探り合いが続く。天人様も鵺も、最初のゲーム以降はお互いを意識したプレイングをしているようには見えない。時折ふたりが一対一になっても、特別張り合うことなく勝負は流れてゆく。
 早くも二時間が経過した。長屋は本日も盛況となり、すべてのテーブルが満員になっていた。空き待ちの客も何人もいるため、今ある点棒が尽きた時点でテーブルから立ち去らなければならなくなる。誰かが飛んでは別の誰かが入ってくる中、天人様はスタートダッシュ以降は堅実なプレイングで着実に点棒を稼いでいた。鵺もあれ以来派手な動きを見せず、それでも少しずつ盛り返しを見せ、いつの間にか原点より点棒を増やしているようだった。
 さらに夜も更け、賭けの点数の下限が上がった。長屋の熱気も上昇し、次第に勝負が激しさを増してきていた。
 天人様が熱い煎茶をグビグビと飲み干してゆく。
「――――『コール』!」
 湯呑みをカッと鳴らして置き、覚悟を決めるように天人様が発声して点棒を投げる。
「うーん……『コール』かな」
 はじめはチェックで回していた鵺も、それに続いた。相手は現在持ち点が一番高いロン毛だ。今回は少額の賭け点で始まったのだが、このテーブルの平均以上の点数を持つ三人の勝負となった。これは盛り上がりそうな予感がした。
 しかし四枚目の場札が追加され、そのカードを見て、私は少し興が削がれた気がした。「7」「5」「4」、そして四枚目は「6」。場札だけでストレートができかかっている。プリフロップからしてストレートを完成させられる残りの手札は誰が持っていてもおかしくない。このようなあからさまな強手が見えていると、勝負から降りやすいものである。
 ところが、
「うーん……『ベット』一〇〇〇〇」
「……『レイズ』二四〇〇〇だ」
 鵺を皮切りにロン毛が続き、
「『リレイズ』!! 五〇〇〇〇!!」
 さらに間髪入れずに天人様が点数を高めて見せたのだ。
 十中八九、ロン毛と天人様は両方とも勝負手を手に入れている。点数上位同士の対決に、私は唾を飲み込む。
 周囲の喧騒とは真逆の、張り詰めた空気が流れる。
 現時点で相手に自分よりも強い役ができているのか否か。また、最後の場札で逆転され得る手を相手が持っているのか。その確率の計算と、読みの精度、そして度胸が試されている。
 静かに思考を巡らせている鵺の顔色を伺い、天人様は口を開いた。
「この『リレイズ』は、さしずめ源頼政の鏑矢というところかしら。正体を現してみなさい!」
 天人様はすでに半分以上の持点を場に出している。そしてこのゲームにおいて天人様のアクションに矛盾はない。コールで喰らいつき、勝負ができる役が完成したのだとレイズ額で主張をしている。その上での悩める鵺に対する決定的な挑発。最後の場札を残してなおオールインも辞さない姿勢だった。
 これでもまだついてくるなら覚悟しろ。天人様はそう言っているのだ。ロン毛にもこの発言は響いていることだろう。
 鵺は、糸が切れたかのように狸の尻尾に突っ伏すと、ぴくりとも動かなくなってしまった。
「……これ、どうしたぬえ、起きんか」
「起きてるよぉ…………。たださあ……、頼政の大将を引き合いに出されちゃったからさあ……かなわないよぅ…………。はぁ……うん、いいよ、『オールイン』」
「「!?」」
「えーと……だいたい八〇〇〇〇点くらいかな」
 ロン毛と天人様だけの勝負かと思いきや、鵺までもが食い込んできた。この三人の中では一番持点の低い鵺ではあるが、ロン毛も天人様も、鵺のこの全額勝負を受けて負けてしまえぱ首が回らなくなる。ここで降りれば痛手ではあってもまだまだ戦える点数が手元に残る。
 ロン毛は歯を食い縛って悩んだ挙げ句、カードを捨てた。きっと彼は英断を下したのだろう。鵺のはじめのベットに打ち返すことができる役ではあっても、この額のオールインに耐えられるほどではなかったらしい。場札はストレートの気配。ともすれば、ロン毛は下目のストレート、あるいはツーペアあたりだったのかもしれない。
 捨てられた手札は明かされない。誰も彼を責めることはできない。
「あれ? 受けてくれないの? てんこちゃんは? 受けてくれるんでしょ? それとも当てが外れた?」
「…………むぅ……」
 天人様が勝負手を持っているのはまず間違いない。しかしロン毛と同様この場の最強手ではなかったらしい。鵺はどうだろうか。この場の最強手かそれに近い手を持っている可能性はいかほどあるのだろうか。
 鵺はこのゲーム、控え目なアクションが続いていた。強い手を持っている時に限って賭けが盛り上らず、少額の儲けで終わってしまうということはままある。機を逃がすか、あるいは逆転されるかもしれないリスクを背負ってでも強く打って出ることもなく正体を隠し続けるなどということは、――――まずい、むしろ鵺の通常技だった。鵺という存在が手役の強さを保証しているかのようだった。
「天子よ、迷っているところですまんが、あと三〇秒以内に頼むぞい」
 山場とはいえ、時間は有限である。ディーラーが秒読みをはじめた。
 意地を張ったところで本当に負けていたら悲惨だが、私なら受ける。受けざるを得ない。そして私は敗けるだろう。しかしこの勝負は最早天人様と鵺だけのものだ。これこそが腕を競い合う勝負の瞬間だった。私が憑いていようと関係のない、天人様の望んだ展開だ。私と周囲は黙って見守るしかない。
「正体見たり、枯れ尾花――――ってね」
 天人様は、破顔した。そして、点棒を上乗せすることなく、手札を開いて優雅に捨てた。
 どよめきが起きる。
「そう甘くはないか。『フォールド』。……あーあ、ごめんね。私、9のポケットペアよ。あんたストレートできてるでしょ? 私も上目のストレートドローがあったけど、このオールインは受けられないわ」
 鵺も手札を開いて見せた。
 皆、黙ってしまった。皆、ドン引きしていた。
「うんにゃ、私も9持ち、上目のストレートドローだよ。それから一応トップヒット。7のワンペ」
「………………嘘でしょッ……」
「下ストはそっちの兄ちゃんじゃない? フロップの時点で強打するべきだったね」
 ふたを開ければ天人様も鵺もほとんどブラフであり、先に勝負を降りていたロン毛が勝っていたのだ。しかし手札とポジション、いずれも最も分の悪かったはずの鵺が勝つという、恐ろしい結果に終わった。
 見ると、そのロン毛がとんでもない表情をしていた。歯を剥き出しにし、青筋をピクつかせ、見るからにブチギレる寸前だった。相手が天人様だろうと鵺だろうと構わず飛びかかりかねない勢いだ。無理もない。セミブラフとはいえ罠に嵌められ、高確率でガッポリ儲けられたであろう勝負から降ろされてしまったのだから御愁傷様だ。
 一方の天人様は、うなだれて見せはするものの、山場をひとつ越えてとなりの優男と穏やかに軽い談笑をしていた。
 しかし、天人様に憑いている私にはわかる。クールに振る舞っているように見せてはいるが、天人様も気質を爆発させる寸前だった。取り繕った笑顔の下ではロン毛ほどではないにせよ青筋を浮き立たせ、髪が逆立ちそうになっている。
 果たして天人様は立ち上がった。
「ぬえ!」
 歯を食い縛りながら笑って見せている。
「ねえ、花札しない? ふたりで、花札。どう?」
 鵺はその申し出に少しだけ面食らったようだったが、イタズラを思い付いたような含み笑いを見せ、快諾した。

 天人様が最後に選んだ花札、「こいこい」も、これまた運を捌く類いのゲームだ。しかしポーカーと違ってどんな手札でも勝負を始めなければならない分、運の要素がより強いとも言える。
 天人様が欲するものは、不運を乗り越えて勝利を修められる腕である。しかしそれは、蕀の道だ。多くの敗北を積み重ねなければならず、それでも踏破は難しい。極めた先にも必勝などはあり得ない。選んではいけない道だ。
 でも、他ならぬ天人様が選んだ道なのだ。だから、今日も私は天人様の背中を見つめて不屈を祈る。
「『赤タン』。『タン』は六枚目。七点倍で十四点。いいねーいいねー幸先いいよー」
 落ち着きを取り戻した天人様は飄々と笑う鵺と座蒲団を並べて対峙する。先の勝負でしっかり稼いだ鵺と、敗けが込んでいる天人様。今のゲームで軍資金が残り二点単位となり、このままでは取り決めの賞金十点単位を払えられずに借金になってしまう。勝負は最長で六回戦までの約束とはいえ、もはや三回戦すら怪しくなってしまった。軍資金の余裕の無さに加え、さらに私が憑いている分、運勢でも不利であろう。
「やるじゃない。でも、せいぜい油断しないことね。気を抜いたら刺してあげる」
 とは言えこの程度の二重の不利などいつものことなので、天人様はいつも通りに鵺の隙を伺い逆襲を狙っている。口を開けば挑発だ。
 当然のように辛い道のりを歩もうとする姿は、正直、見ていて辛い。やめてほしいと思うこともある。花札に限らず勝負事に運が絡まないことなどおよそ無いため、天人様が負ける度に私はどうしても負い目を感じてしまう。折れたことはないしそんな姿は想像もつかないが、そうならない保証もない。折れるところを見るはめになるくらいなら愛想を尽かされて別れてしまう方がましだとすら思う。
 しかし、天人様が私に話してくれた賭場で貧乏神を背負う理由。実は私には、この話に心当たりがあった。だから私は理解ができたし協力もしている。
 その心当たりはというと――――今頃無事にしているだろうか。お寺の方たちか巫女あたりに見つかっていなければ逃げおおせてはいるだろう。ただ、例えそうでもそうでなくても、きっと――――
「あ、五枚目。『タン』」
 さて二回戦。安手とはいえ、また鵺に先に役を作られてしまった。
「あがる?」
「うーん、しょーがないなー。『こいこい』するよ」
「…………」
 緊張感のない鵺に対し、天人様に怒りが募った。すかさず手札からカス札を出し、場札を直取りする。
「あら?」
「はい、『猪鹿蝶』であがり。『こい倍』で一〇点」
「あっひゃーやられたー」
 ようやく天人様が一矢報いた、ように見えるがこんなもの、ただ鵺に情けをかけられただけである。リスクを冒して番を回す価値があるほどの待ちは鵺にはなかった。リードもしているしこの回は安手で流していいはずである。
 割りに合わない行動は余裕の表れ。しかし天人様にとってはナメられているだけだった。天人様の怒りは静かにみなぎり、大袈裟に悔しがってみせる鵺を睨む。
「…………」
「悔しい? 悔しいの? 私もね、すんごい悔しいよ。次こそ仕留めてあげる」
「…………」
 鵺の挑発に乗らず、集中している。先ほどとは気質の高まり方が違っていた。
 そして、天人様の巻き返しがはじまった。
「あ」
 まず鵺の『三光』の待ちを蹴り、『花見酒』で五点。
「げえっ!」
 引きの悪い鵺を尻目に、『月見酒』と『花見酒』から『こいこい』を経て『三光』と『タン』を作り、七点倍で三四点。
「…………ぬぅ、あがる」
 天人様の待ちは『雨四光』と『猪鹿蝶』、『花見酒』、そして『タネ』だった。そこに鵺の『カス』の一〇枚目が間に合い、惜しくも一点の負け。しかし次は規定の最終回。十分なリードを守って回数を消費させたとも言えるため、悪い結果ではない。
 博打は感情如何で負けるようにできているし、感情を制するだけで勝てるほど甘くもない。それに私が憑いているのだ。いかに天人様でも気合いで運は引っ張れない。天人様の読みと見極めが不利を乗り越え、鵺を追い詰めているのだ。
 そして、天人様が最後の勝負に出た。
「『青タン』、『タン』……『こいこい』よ!」
「ここで『こいこい』? してくれんの? 欲張りすぎじゃない?」
 現在天人様の三四点差。残り手札は互いに二枚。現在二役で勝ち逃げできるところを、七点倍を目指してあがりを拒否したのだ。しかし鵺も『花見酒』だけとはいえ待ちがある。あっさりあがられるかもしれない。ここであがるべきだったはずだ。それでも天人様は稼ぎ時と考え、賭けに踏み切ったのだ。
「今まで散々喰われてきた分、取り返す時が来たということよ」
「こっちは助かるからいいんだけど。それに、そろそろだよ?」
「……そろそろ?」
「確かに、次は直取りで役は作れないよ。いい読みだ。でもね、私の観測してる感じからすると、次の山札で当たりが引けるんじゃないかと思ってるんだ。そもそも今回勝つなら、ここで勝負に出るしかないんだけどね」
「はんッ、勝つためのタイミングという話だけならまだわかるけど、さすがに都合が良すぎるわ。それで本当に引けるなら苦労しないわ」
「まあね。でも、やってやろうじゃない。まずお月様~」
 土壇場で光札を出してきたのは意外だが、ともかくこれで鵺は『花見酒』と『月見酒』が待ちとなった。あとは「菊に杯」を引けば両方とも成立だ。場札に「菊」が出ているものの、天人様は持っていない。鵺も流石に最後の一枚がそれではないはずだ。鵺の他の待ちは、『タン』、『タネ』、『カス』、どれも役までは遠い。つまり、山札残り十二枚から今「菊に杯」を引かなくては、鵺は役なしで手番が終わる。天人様は次に高確率で待ち札を直取りできる。九割方天人様の大勝ちだ。
「……あ。――――ハハッ!」
 そして、鵺が笑い声を上げ、天人様は目を剥いた。
「は~ほら見て出た出た「菊に盃」、ほらほら『月見』に『花見』、『七点倍』と『こい倍返し』で四十点! いやぁ悪いねえ! 逆転!」
「 ――――!!? ――――!?? ――――??!」
 天人様は跳ねるように立ち上がり、金魚のように口をパクつかせた。私も思わず場札をのぞきこんでいた。まるでイカサマのような引きだった。しかし鵺にチャンスを与えたのは他ならぬ天人様である。言い訳のしようもない。
 鵺は勝負が決まった瞬間こそ大いに喜びを露わにしていたが、それ以上は余計に煽ることはなく、立ち尽くす天人様を静かに見上げていた。座布団の上に並ぶ花札を穴が空くほどに凝視していた天人様は、やっと鵺と視線を合わせた。
 鵺は自信に満ち、両手を開いて見せる。
 私は身を引き、黙って後ろから見守る。
 天人様の気質は髪を天に衝かせかねないほどに高まっていた。鵺からすれば癇癪を起こされないか毎度不安になっていることだろう。しかし私はわかっているから黙っている。声をかけることはない。
 天人様は歯を食い縛って堪え、天を仰いだ。
 見るに堪えず私は膝を抱えて塞ぎこみそうになったが、天人様の胸中を想って考え直し、一緒に上を向いた。青空は見えるはずがなかった。
 さらに数秒の沈黙。
 やがて天人様の衝動は、長い、長い、静かなため息とともに、天井に溜まっていた煙草の煙をかき混ぜるようにして、消えた。
 天人様は淑やかに正座に直ると、巾着を漁り、負けた分に賞金一〇点単位分を上乗せした額をキッチリ揃えて清算する。
「流石ね。ぴったりオケラよ」
「そんなのたまたまだよ。そこまで計算する余裕はなかったわ」
「……そう。また来るわ」
 今日も軍資金が底をついた。私は放心気味の天人様の手を引いて広間から抜け出す。すごすごと長屋を移動して、ひとまずは小さな食堂に引っ込んだ。
 誰が見ても、今日も私たちは敗者だった。貧乏神とそれに取り憑かれた被害者の図そのものである。軍資金をすべて吐き出し、残った端金でギリギリ買えたタコわさの小鉢をふたりでつつきあっている。天人様が糧を得ているようになど見えるわけがない。
「なんて顔してんのよ」
 天人様が私の髪をくしゃりと撫でた。
「だって……だって……天人様…………」
「……まあ、そうよね。気に病むな、ってのは無理な話よね。でも、そんな顔にさせてしまう私に協力してくれて、本当に感謝してる。……何かお礼をしたいわ。明日はギャンブルはやめにして、さっさと桃だけ売って、別の所へ――――」
「――――ちがう、ちがうんです。天人様、ちがうんです」
「……ちがう?」
「ちがうんです。私が、私だけが幸せなんです。だから、ごめんなさい……ごめんなさい」
「何言ってんのよ。私だって幸せよ」
 不思議そうに私の顔をのぞきこんでくる天人様と目を合わせることはできなかった。私の心中は後ろ暗くて浅ましい。今日も中途半端に気持ちを吐き出して、それの意味するところは言えず仕舞いになる。
「……そうですよね。ごめんなさい。ありがとうございます……でも、ごめんなさい」
「……さ、帰ろっか」
 私たちは手ぶらで長屋を出た。門扉の用心棒に軽く挨拶をして、寝静まった暗い夜道を帰る。気力を使い果たし、緊張の糸も切れた天人様は空元気を振り撒くだけで隙だらけだった。道を間違えるし足元もおぼつかない。危なっかしいと心配していたら、二度目の道間違いの際に後ろから手を引くと、天人様は本当に転んでしまうほどだった。この調子ではいつか本当に襲われたら不覚をとってしまうだろう。

   ※

 ようやく寝床に戻ると、部屋に小さな灯りがついていた。久しぶりに女苑が帰ってきている。荷物の入った大風呂敷が投げ出され、上着は放置され、半端に広げた一組しかない布団の上で何も掛けずに女苑はひとり横になっていた。一升瓶が転がっていたが、中身は大して減っていないように見える。
 あまり考えないようにしていた昼間の小火騒ぎ。あの後、果たして女苑がどうなっていたのか、どうやら薄々予感していた通りだったらしい。
「じょ、女苑? 風邪引くよお?」
 声をかけると女苑はすぐに起き上がった。寝てはいなかった。おもむろに振り返る女苑の顔は薄暗いのでよく見えないが、どうも涙目になっていそうな気がする。
「遅いッ……」
 声もやはりそのように聞こえた。
「あー、おふとぅーん」
 ところが、私と女苑の間を遮り、すっかり覇気をなくしてしまった天人様が女苑のお布団に倒れ込んでしまった。
「ちょっ、ちょっと布団これしかないのに……」
 そのまま寝入ろうとするので女苑も調子が狂ってしまったらしく、諦めて天人様に構わずクシャクシャにしていた布団を伸ばしはじめた。
 ボロしか着れない自分が言っていいことではないが、普段から身なりのいいふたりがそのままてきとうに布団に入っていく姿は見ていて滑稽だった。
「ほら、今日のことはもういいから、姉さんも入って」
「私は床でいいよ。いくらなんでも三人じゃ狭いし、私は慣れてるし」
「こいつの隣はイヤ。布団の外もイヤ。間入って」
「でも ――――」
「いいからッ、大声出させないで」
「……もう、わかったよぅ」
 細身の私と小柄なふたりとはいえ、三人では窮屈なのは明らかだ。女苑も戻ってきたことだし、明日はいい加減新しいお布団を買い足すようにお願いしてみようと思う。
 それだけ決めると私は仕方なしに布団をめくり、天人様の背中をつついて場所を空けてもらった。そうして言われるままふたりの間に身体をねじこむ。小さな布団で押し合いへし合い、両脇のふたりに私が腕枕をする形でようやくはみ出すことなく納まった。
 早々に大人しくなったふたりをよそに、私は早くも痺れだした両腕に苛まされることになった。ふたりとも骨ばった腕がすぐに嫌になるだろうとの予想が完全に裏切られていた。このままでは明日は腕を上げられなくなるに違いない。
 それでも暖かいふたりに寄り添われ、そのふたりを私が抱え、温もりに包まれた私は幸せを享受することができていた。
 また同時に、罪悪感も感じていた。私の感じている幸せは胸焼けしそうなほどに甘く、そして濁っている。
 私にすがるようにして眠るふたりを見やり、今日のふたりの不運を思いやる。
 ふたりの今日の不運も、当然ながら私のせいに違いなかった。女苑は私が会いに行かなければああもあっさり計画が潰れることはなかったはずだ。天人様も、最後の負け方はいつも運に見放されたものだった。
 私の扱い方をわきまえているはずの女苑や、尽きることのない天賦の強運を持つ天人様でさえ、私が関わればこうなってしまう。結果、私は貧乏神のくせにひとり勝ちのような形でいつも落ち着いてしまっている。
 それでも、あなたたちは私と一緒にいてくれる。そして不運を乗り越えて見せてくれる。苦しめられている姿を見るたび折れやしないかと不安に胸が締めつけられてしまうが、そんなものは杞憂だと笑い飛ばしてくれる。
 あまりに申し訳がない。独りで行きずりの他人に憑いて回る生活ができていたらここまで負い目を感じることはなかった。でも、あまりに申し訳ないんだけど、私はまだ天人様から離れることはできない。天人様に不運を提供することができている私は今、どうしようもないほどに幸せなんだ。
 月並みだけど、幸せは不幸があるからこそ輝いて見えるものである。その幸せに至る幸運の有り難さを、飽くほどの幸運に漬けこまれてきた天人様に知ってもらうことができる。私なんかが、この天人様の、お役に立つことができる。
 不幸の味を知り、不運の捌き方を覚えることで、天人様はより一層輝くことができるようになるんだ。――――そう、ここにいる女苑のように。
 私は思い出す。
 むかしむかしのお話だ。
 女苑に数え切れないほどの不運をもたらしてきた私は、その度にこうして添い寝をしてあげてきた。今よりもずっと強く罪悪感を抱いていた私は、魘されながら眠る女苑に一晩中でも謝り続けたものだった。女苑にとっては謝り続ける私の泣き声が子守唄だった。
 やがて女苑は宝石やブランドもので身を固めるようになり、その宝飾の煌めきよりも女苑の目つきの方がよりギラギラと輝くようになる。その頃には私のせいで魘されて眠る夜はめっきりと減っていた。何があったというわけではなかった。ただ、互いに寄り添い続けるための最適化が繰り返されてきたのだ。
 今日のこれも本当に久しぶりだ。いつも以上に窮屈ではあるけれど、変わらず寄り添わさせてくれてとても安心する。愛おしい。
 女苑は強くなるために私なんかを利用してきてくれた。そして私に悩まされる以上に強くなってくれた。
 だから、大丈夫。天人様の思惑が的を得ていることはわかっているんだ。
 天人様は目指したい道を歩むことができている。
 今までの、そしてこれからの不運も埋め合わせて余りあるほどの成功が私には見えている。
 天人様。女苑。ごめんなさい。やっぱり私は幸せです。あなたたちが遭遇した不運を乗り越える度に、不運に折れないその姿を見る度に、私を踏み台にしてくれる度に、世界が輝いて見えるんです。
「明日は、晴れるかな。晴れるといいね」
 きっと私はいなくなる。いずれそれが最善になる。
 ふたりも青空を、ただそれだけで美しいと感じることがあるのかはわからない。でも、あの何の変哲もない青空を、私はいつかふたりと笑いあって見上げたい。きっと、私はそれで満たされる。





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なぜ女苑は紫苑と一緒にいられたんだ? 天子は紫苑を連れて何がしたいんだ? という依神姉妹登場時からの疑問。そして貧乏神が貧乏神のままで御利益をもたらす解釈をしたいと願ったのがおよそ半年前。「一緒にいたいという想い」以外の考えを形にできたと思います。
石71
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コメント



0.490簡易評価
2.80奇声を発する程度の能力削除
良かったです
6.80名前が無い程度の能力削除
設定が荒いような気もする
けど嫌いじゃない
面白かったです
7.90モブ削除
きっとこの天子は天人の五衰なぞにかっと笑って踏み越えて行ってしまうのでしょうね。面白かったです
9.90南条削除
おもしろかったです
紫苑を使って実力を鍛えようという発想が面白かったです