死神の説教
死神と名乗る女がいる。曰く、三途の川を司る死神。京都の花魁、あるいは平安の貴族娘を思わせる派手な衣装でついた呼び名は「死神小町」である。奪衣婆とは違うらしい。三途の川を渡す舟の船頭を務めているのだという。ではなぜいま東京御茶ノ水神田界隈をうろついているのか。
「休暇だからさ。地獄は今経営難なんだ。どんな組織にも収支ってものがあるだろ? 地獄は今まさに火の車なんだ。極楽へ送るには経費が掛からないが地獄に回されると何億年も面倒を見てやらなくちゃいけない。その費用は地獄持ちだ。そこで、現世のうちから地獄に落ちないように諭す奴が必要になってきたんだ。私は休日返上でその実証実験に駆り出されているんだ」
私のこのルポ企画で「怪奇」そのものに出会える機会はごく少ない。死神だと名乗るこの怪人は見た目に似合わないせちがらくシビアな事情を持ち合わせている。今の彼女はただ奇抜な恰好をした変人ではっきり言ってクズ中のクズネタである。
「本当はハクレイって土地で死ぬ連中を送っていたんだが、あそこは限界集落でいよいよ人が死ななく、いや、死ぬ人がいななってきて、最近はこの辺の連中も私が送ってる。このあたりは診療所がたくさんあるだろ? 元々別の担当のやつがいたんだが手伝ってやってるんだ。
馬鹿な連中だよ、内臓をぜんぶ腐らせて初めて心も腐っていると気づくんだ。いまさら極楽域に乗り換えはできんが、死ぬ間際でも罪深さを自覚して悔いることができれば閻魔にも媚びいるすきができるものさ」
極楽地獄に閻魔様というくせに、罪と断罪の考え方はキリスト教のそれに近しいように思える。私たちの背後で教会の鐘が鳴った。正午を知らせている。思わず振り返った私の肩を抱いて、上野まで歩こうと彼女は言った。私はレコーダーを回しながら彼女のあとを追った。徒歩では30分弱の道のりである。西洋美術館を訪問したことがあるか、と尋ねられた。私は一度だけ訪れたことがある。「では地獄の門は、」これも知っている。オーギュスト・ロダンの傑作で、国立西洋美術館の前に鎮座するものはレプリカではなく実物である。
「知っているだと?」
彼女は骨盤の底からくぐもった低い声で私を諭した。私の先を歩む彼女が振り返ると私の瞳のレンズは彼女だけにピントを合わせ背景をぼやかせた。
「知っているとはなんだ? 経験していることとただ名前を読んだことがあることは大違いだ。そういう連中が私の船で叫びに叫ぶ。大半のやつは船に乗ったその時点で自分が咎人だと気づく。それでは遅いのだ。だからお前にも地獄の門を”知って”もらう」
彼女の声に気圧されてしまったからなのか。ほんのちょっと言葉を交わす間に上野に到着していた。まるで道のりが一挙に縮んでしまったような錯覚さえ覚える。
地獄の門の向かって左の側面に赤ん坊が一人もだえ苦しんでいるのを見つけた。地獄の門を前にしてたったの一枚も写真を撮ることができず、たったの一言も口にできなかった。死神小町はいなくなっていた。私は母親にきつく責められた少女のように落ち込んで新幹線に乗った。
果たして説教の効果はてきめんと言えよう。真偽を疑うものは御茶ノ水にある古い教会を訪れたし。
死神と名乗る女がいる。曰く、三途の川を司る死神。京都の花魁、あるいは平安の貴族娘を思わせる派手な衣装でついた呼び名は「死神小町」である。奪衣婆とは違うらしい。三途の川を渡す舟の船頭を務めているのだという。ではなぜいま東京御茶ノ水神田界隈をうろついているのか。
「休暇だからさ。地獄は今経営難なんだ。どんな組織にも収支ってものがあるだろ? 地獄は今まさに火の車なんだ。極楽へ送るには経費が掛からないが地獄に回されると何億年も面倒を見てやらなくちゃいけない。その費用は地獄持ちだ。そこで、現世のうちから地獄に落ちないように諭す奴が必要になってきたんだ。私は休日返上でその実証実験に駆り出されているんだ」
私のこのルポ企画で「怪奇」そのものに出会える機会はごく少ない。死神だと名乗るこの怪人は見た目に似合わないせちがらくシビアな事情を持ち合わせている。今の彼女はただ奇抜な恰好をした変人ではっきり言ってクズ中のクズネタである。
「本当はハクレイって土地で死ぬ連中を送っていたんだが、あそこは限界集落でいよいよ人が死ななく、いや、死ぬ人がいななってきて、最近はこの辺の連中も私が送ってる。このあたりは診療所がたくさんあるだろ? 元々別の担当のやつがいたんだが手伝ってやってるんだ。
馬鹿な連中だよ、内臓をぜんぶ腐らせて初めて心も腐っていると気づくんだ。いまさら極楽域に乗り換えはできんが、死ぬ間際でも罪深さを自覚して悔いることができれば閻魔にも媚びいるすきができるものさ」
極楽地獄に閻魔様というくせに、罪と断罪の考え方はキリスト教のそれに近しいように思える。私たちの背後で教会の鐘が鳴った。正午を知らせている。思わず振り返った私の肩を抱いて、上野まで歩こうと彼女は言った。私はレコーダーを回しながら彼女のあとを追った。徒歩では30分弱の道のりである。西洋美術館を訪問したことがあるか、と尋ねられた。私は一度だけ訪れたことがある。「では地獄の門は、」これも知っている。オーギュスト・ロダンの傑作で、国立西洋美術館の前に鎮座するものはレプリカではなく実物である。
「知っているだと?」
彼女は骨盤の底からくぐもった低い声で私を諭した。私の先を歩む彼女が振り返ると私の瞳のレンズは彼女だけにピントを合わせ背景をぼやかせた。
「知っているとはなんだ? 経験していることとただ名前を読んだことがあることは大違いだ。そういう連中が私の船で叫びに叫ぶ。大半のやつは船に乗ったその時点で自分が咎人だと気づく。それでは遅いのだ。だからお前にも地獄の門を”知って”もらう」
彼女の声に気圧されてしまったからなのか。ほんのちょっと言葉を交わす間に上野に到着していた。まるで道のりが一挙に縮んでしまったような錯覚さえ覚える。
地獄の門の向かって左の側面に赤ん坊が一人もだえ苦しんでいるのを見つけた。地獄の門を前にしてたったの一枚も写真を撮ることができず、たったの一言も口にできなかった。死神小町はいなくなっていた。私は母親にきつく責められた少女のように落ち込んで新幹線に乗った。
果たして説教の効果はてきめんと言えよう。真偽を疑うものは御茶ノ水にある古い教会を訪れたし。
生者の行動を戒めてこそのあの世勢だと思いました
説教して終わりではなくさらっと怪奇現象も見せてくれていて、秘封倶楽部の話としても成り立っているのがすごかったです