Coolier - 新生・東方創想話

Outer Scientism

2018/11/10 02:47:14
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 一度目の訪問では、見知らぬ家にお邪魔することに対して、かなりの抵抗感があった。
 初めて見る部屋のレイアウトに、存在は伝えられているものの、面と向き合うのは初めてな相手。馴染みの無い匂い。知らない習慣。
 その時は結局、一度もリラックスすることは出来なかった。きっと、終始ぎこちない笑顔が浮かんでいたと思う。というか、そのことで暫く彼女にいじられた。
 けれど、二度目ともなれば段々と慣れてきて、三度目となる今回はもう順応しきっていた。彼女の両親とも自然と会話でき、自然な表情を浮かべられている。
 目新しいものに対するドキドキ感、馴染みない空間に対する居心地の悪さは消え、代わりに安らぎを感じる場所となったのだ。
 彼女の実家が、安心感を抱けるような場所になった事が少しこそばゆいなと思いつつ、彼女の部屋でラフな格好のままくつろぐ。
 そろそろ日付も変わる頃合い。普段とは異なるシャンプーの香りに包まれつつ、彼女のベッドの上で寝そべりながら端末を弄っていると、廊下からドタドタと騒がしい音が聞こえてきた。
 就寝前だというのに、そんな急いでどうしたのよ。心の中で呟きながら視線を扉へ向ける。
 刹那、シャワーを浴びたばかりであろう彼女がバスタオルを体に巻いたまま部屋に駆け込んできて、こう言い放ってきた。
「メリー、出掛けるわよ!」
 それが数十分前の出来事。
 そのまま、お互いが普段の服に着替え終わるや否や、彼女に手を引かれ、自動運転車に押し込まれていた。
 自動運転車は、卯酉東海道の整備に伴いベッドタウンと化した東京西部、その中心部から東へ走る。
 車窓から見える景色は、住宅街から合成食料工場エリアに突入していた。工場の敷地と道路とを隔てる人工の森林は、どこまでもわざとらしさを感じる。自然のかけらも無い。
 初めて見た時こそ、奥に隠れるように立つ四角い工場などに対し、密林の奥地に潜む古代遺跡っぽさを感じて感動していたが、今ではもうただの箱という感想しか思い浮かばない。
 そんなつまらない景色から視線を外し、握りしめていた缶ビールの中身を一気に喉へ流し込む。
 見たことのない銘柄だが、キレや喉越しは大手の定番モノより優れているように感じる。とても美味しい。おつまみのスモークチーズとも良く合う。
「おお、良い飲みっぷりね、メリー」
「人がゆったりしていて、さあ寝ましょうかって時に無理やり外へ連れ出されたら、そりゃやけ酒もしたくなるわよ」
 飲んだ拍子にずれた帽子の位置を直し、空き缶をビニール袋に入れながら、私の真正面、進行方向に向いて座っている彼女へと視線を向ける。
「なるほど確かに」
 彼女はうんうんと頷くと、缶が大量に入っている袋から缶ビールを二本取り出し、片方をこちらに渡した。受け取ってから、どちらが言うでもなく同時に栓を開け、缶を軽くぶつけた後、一口飲む。
「ちなみに、これは旧型酒よ」
 飲み口に唇を付けて飲みかけた直後に彼女はサラリと衝撃的な事実を零し、私は思わずむせ返った。
「ちょ、ちょっと蓮子! そういう事は先に」
「訊かないほうが悪いわ」
 弁解どころか、蓮子は舌をちろりとだし、小馬鹿にするかのように小さく笑う。
「いやでも、缶製の旧型酒なんて聞いたことが……」
 政府により新型酒の製造が奨励されるようになってから、大手メーカーは軒並み旧型酒の製造を止め、新型酒へとシフトしていった。世に出回っているような、缶に詰められている酒類の殆どは新型酒だ。
 私は疑いつつも缶の印字を読む。すると、『この製品には、アルコールの分解を促進する厚労省指定人工酵素は含まれておりません』などとご丁寧に書かれている文章を発見した。
「うえー、本当だわ。ってまさか」
「そのまさかよ」
 パンパンに膨らむほど缶が入っているビニール袋を指さしながら引きつた笑みを浮かべると、蓮子はいたずらっぽくはにかんでみせた。目眩がした。
「そんな危なそうな物、どうやって入手したの?」
「勘違いしないで、メリー。旧型酒の製造販売は非推奨だけど合法よ。まあ、こういう缶製品は流通ルートが限られている上に値段がべらぼうに高いから入手難易度は高めね」
「何でそんな物が大量にあるのよ」
「両親が製造会社の関係者と知り合いでね。友達価格で譲ってもらってるんだってさ」
「……流石東京って感じだわ」
 自分の知らない文化を目の当たりにし、驚きながら手に持っていた缶の中身を飲もうとし、慌てて止める。これは旧型酒。一気に飲み過ぎれば悪酔いしてしまうものだ。先程まであんなにがっつり飲んでいたのだから最早手遅れな気もするが、開き直るよりかは幾分マシ……だと自分に言い聞かせ、ちびちびと飲む。
 その様子を見ながら、蓮子はからからと笑う。被っている帽子がゆらゆらと揺れた。
 彼女はひとしきり笑い、スモークチーズをかじりつつ口を開く。
「にしても、メリーがお酒をぐいぐい飲むだなんて珍しいわね」
「やけ酒だって言ったじゃん」
「そうであってもよ」
 私は首を傾げつつ、振り返ってみる。新型酒であろうと、適量は守っているつもりだ。
 だがそれはあくまで一人で飲む時の話であり、蓮子と一緒の場合はその限りではない。私が止めるべきなのかも知れないが、彼女は少し飲みすぎてしまう質で、ついついそれに付き合ってしまう。
 つまり、
「普段と同じだと思うけど」
 と答えてから、私もチーズを口の中へ放り込んだ。
 だが彼女は私の返事に満足していないらしく、立てた人差し指を左右に振りつつ、得意げに話し出す。
「私には判るわ。ほろ酔い気分でもいいからと、無意識が非日常を求めていたのよ」
 思わず目をしばたたかせる。もしかすると、彼女の眼に、私が退屈そうにしているように映ったのだろうか。
 それとも、本当に私自身がそう感じているのか。
「……さぁ。判んない」
 アルコールが回った大脳は答えを吐き出すことを放棄し、誤魔化すために更にアルコールを摂取する。やはり美味しい。
「大丈夫。これからすごい非日常が味わえるから」
 これから。そう聞いて、前々から抱いていた疑問が浮かんできた。
「ちなみに、これは何処へ向かっているの?」
「メリーが行ったことのないところよ。もうすぐ見えてくるんじゃないかしら」
 蓮子は目線を私から窓の外へと移した。
「〇時五三分。あんまり星はよく見えないわね」
 自分もその後を追って振り返ると、工場群の向こう側で淡く紫色に輝く電波塔が見えた。
「あれ?」
「多分、メリーが思っている場所とは少しずれてる」
 私はますます首を傾げた。そんな私達を乗せて、自動運転車は東へ走っていた。

 ◆

 自動運転車は電波塔の真下……ではなく、側に建つ建造物の付近で静かに停車した。
 すり鉢状の窪地の中に饅頭型のドームが鎮座し、左右に二階建ての建物が伸びている不思議な施設が、切れかかった街灯によって照らされている。まるで、闇に浮かぶ孤島だ。
 見たことのない場所に、私は思わず言葉を漏らした。
「何、ここ?」
「科学館よ」
「科学……館?」
 意外な目的地に驚く私をよそに、蓮子は膨らんだビニール袋を肩に提げ、私の手を引きながら車外へ出て、その科学館と呼ばれた施設へと歩きだした。
 入り口があると思われるドーム下に向かっていると、前庭と思しき場所に奇妙な形をしたオブジェクトを幾つか発見した。明かりが少ないせいでかなり不気味に見える。あれは一体何なのだろうか。蓮子は目もくれずに進んでいる辺り、あれらが目的の物ではないのは確かだが。
 辺りを見渡しつつ進んでいると、ほんの少し先を行く蓮子が話しかけてきた。
「その様子だと、初めて来るようね」
「当たり前じゃない、この国でももう数えるほどしか無いんじゃないの?」
 科学館は、科学教育を主目的とした施設は、もはや絶滅危惧種となっていた。
 原因はヴァーチャル技術の発展である。安価で高性能なVR機器が開発され普及した昨今、子供のための教育を目的としたソフトウェアが個人によって多数作成され、人気を博した。結果、科学館などはその目的を果たしたとみなされ、次々と閉館されているのだ。または、実物の保存などに主眼を置き、専門性を高めた結果、一般市民を締め出すこととなっている。
 私も幼い頃にはVRを通じて様々な事を学んだ。
 今思えば、ヴァーチャルの方が影響を受けやすいわけで、効率の良い教育器具だからというわけで普及した面もあるのかも知れない。
「まあね。国立のものが片手で数えられるほどだったかしら。でもその他に、個人が経営しているものも幾つか存在しているわ」
「なるほど、つまりここは、その数少ない生き残りというわけね」
 入り口付近まで来た。全面ガラス張りという構造だが、ただでさえ少ない街灯の光は、地形の関係で殆ど届いていない。そのせいで、館内が暗闇であること以外、全く判らない。
 私が注意深く観察していると、蓮子は私の手を放し、自動ドアの前に立ってから、こちらの方を振り返った。
「残念だけど、これはもう死んじゃってる。今から十年くらい前かな」
 少し寂しそうな表情を浮かべたかと思うと、彼女は視線を逸らすようにドアと向かい合う。次の瞬間、隙間に指を滑り込ませ、力技で無理やりこじ開けた。
 そういうのは普段なら私の担当だったような、と考えていたら、埃っぽい空気がドアから流れ出てきた。
 私が咳き込んでいると、蓮子は何処からか取り出したLEDのランタンを、ビニール袋を提げている方の手に持ち、電源を入れた。私達の周囲がぼんやりと照らし出される。
「それじゃ、入るわよ」
「不法侵入ね。これで何回目かしら?」
 茶化すように言ったが、蓮子の反応は芳しくない。
「どうしたのよ」
「多分、不法ではないはず」
「どういうこと?」
 科学館の中へ入り、辺りを見渡す。ホコリ、ガラス片やプラスチック片、それと何故か巨大な探査機のようなものが転がっていた。確かボイジャーという名前だっけ。
本物は確かヘリオポーズを飛んでいるはずだから、あれは実物大の模型だろう。
「この科学館はね、市から大伯母さんが譲り受けたものなのよ」
「ゆず……うん?」
 彼女の発した言葉の意味が理解できず、私は首を傾げてしまった。
 歩きながら蓮子は補足をする。
「地元では割と有名な人物だったらしくてね。ここが廃館になると聞いてから色々と根回しをして譲渡してもらい、彼女が私営科学館として運営していたの。で、親戚ってこともあって幼い頃から何度も来ていたってわけ」
「初耳なんだけど」
「だって訊かれなかったもん」
 今日それを言うのは二度目ね、とツッコむ代わりに、私はじっとりとした視線で彼女を見た。彼女は何も言わず、笑ったまま缶の蓋を開けビールを飲んだ。
 そうこうしている内に私達は、エントランスから常設展示へと移動していた。
「大伯母さんはね、父方の祖父のいとこに当たる人よ。とても聡明で、とても思慮深く、赤い眼鏡と帽子がよく似合う、優しい人だった。そんな彼女は、好奇心旺盛で幼かった頃の私を、ここへ連れてきてくれたの。その時のワクワク感は、今でも覚えているわ」
 蓮子がランタンの明かりを調整すると、正方形状の展示室全体に光が行き届いた。
 入り口には『宇宙の科学 極小と極大の世界』と書かれている。ここの展示室のことだろう。
 半世紀近く前に引退したスペースシャトルの実物大模型――先端部分だけだがそれでも巨大だ――や、これまた半世紀近く前に計画が終了した国際宇宙ステーション、その実験棟モジュールである『きぼう』の実物大模型。
 他にも、物体の運動に関する展示や、情報の更新が数十年前でストップしているらしい月面探査に関する展示。どれも埃を被っていた。
 時代を感じさせる展示物に驚きながら部屋の中を進んでいると、角に一際目立つものがあることに気が付いた。
 長い鉄製の棒の先端に椅子が取り付けられているという、不可思議な展示物。
「あれは何?」
「ムーンウォーカーね。月面での低重力を体験できるものよ」
「月面旅行の予習に最適ね」
「もう動きそうにないけれど」
「あら、残念」
 ムーンウォーカーが展示されている場所の床には、レゴリスの代わりに埃が積もっている。
 薄汚れている椅子に近づきながら、蓮子は口を開く。
「この科学館へ来た時には、必ず一度は体験していたわ。それぐらい印象的な展示だった。夜空に浮かぶあの丸いものは、私に場所を教えてくれるあの光は、月と呼ばれる星で、しかもジャンプすると地球の六倍もの高さまで飛べるなんて、不思議で仕方がなかったもの」
 宇宙に浮かぶ地球が描かれている壁面を見上げてから、蓮子は私の元へと戻ってきて、そのまま手を取って歩きだした。
 もう誰にも触れられることのない、時代に取り残された展示物を見て回りながら、蓮子は回想する。
「初めて来た時は、新たな発見と驚きの連続だった。
 夜空に輝くあの光は、私に時を教えてくれるあの光は、太陽と同じ恒星だけどとても遠い距離にあること。私が住んでいるこの星は、太陽系という集団の一員だということ。全ては宇宙という巨大な空間の中にあるということ。宇宙は今も膨張し続けていること。宇宙の始まりの謎を追うに連れて、ミクロの世界へとたどり着くこと。――この世界は、ひものようなもので出来ているかも知れないということ。
 目前に漠然と広がっていた世界が、朧気にぼやけていた世界が、鮮明に明確になっていく感覚は、とてもワクワクした。一つ一つ展示を指差しては、一緒に回っていた大伯母さんに説明をせがんだ事をよく覚えているわ」
「知識が境界の切れ目を明確にする……ね」
 いつの日かに言った言葉を反芻する。
 見えないもの、知らないものは認識できず、存在しない事に等しい。
 世界という巨大で曖昧なものから切り離し認識するためには、まず知識が必要なのだ。
 自身の眼に触れながら、ふと思う。
 私はこれまで、蓮子との倶楽部を通じて、結界や境界の向こう側に関する知識を沢山身につけてきた。それと同時に、見える異世界が増えている。もしかすると、サナトリウムでの隔離の他にも、覚えた知識によって能力が高まっている可能性もあるのかもしれない。
 それにしても、今日の蓮子は何時になく饒舌だ。旧型酒の過剰摂取によるものだろうか。
 何れにせよ、邪魔をするのは悪い気がして、今回は聞き手に徹することにしよう。いつの日か、夢の話を聞いてくれた時の恩返しだ。
「足繁く通うようになってから、幼い頃の私は次第にこう思うようになったの。『此処では世界のあらゆることが判る』ってね。そして、こうも思ったわ……」
 蓮子は自身の眼に触れながら、呟くように言葉を零す。
「――私の瞳の秘密も、ここにあるかもしれない、と」
 展示品をひと通り見てから、閉塞感を抱かせるようなトンネルを通ると、次のゾーンへと来ていた。
 壁に『生命と生活の科学 人間・機械のしくみ』と書かれている通り、機械と人体が対角線を境に向かい合って展示されている。
 ランタンの光によって照らし出される人体模型や装置は、私の瞳には少し不気味に映った。
「結論から言って、何もなかった。手掛かりさえもね」
 体の一部が拡大された模型が置かれているゾーン、そのうちの巨大な眼球の前に蓮子は立つと、帽子を目深に被り目線を隠しながら話を続ける。
「瞳は光の量を調節し、水晶体がピントを合わせ、入ってきた光は網膜から視神経を通じ脳に伝達される。眼には、夜空を見て時と場所を知る事に関する仕組みは存在しなかった。脳も同様にね」
 顔を上げ、機械の仕組みが展示されている方へと視線を向ける。歯車が複雑に噛み合わさった謎の機械は、奇抜な配色と相まって、子供が作った積み木のお城のような印象を私に抱かせた。
「ではこれは、機械によるもの? 確かに現在地を知るのはGPSにも似ているけれど、自分の体に機械が埋め込まれているだなんてありえないし。SFめいたナノマシンなんかもないしね」
 ヒロシゲに取り入れられた技術だというリニアの仕組みを眺めていると、またも蓮子に手を引かれた。まだ展示をろくに見ていないのに。
 彼女も、ここの展示品はちょっと怖かったのだろうか。
「ある日、私の眼の秘密は、科学では説明できない何か……科学という枠の外側にあるのでは、そんな思いが頭をよぎった。でも、すぐに否定したわ」
 とうとう最後の展示室に来てしまった。入り口には『地域の展示 武蔵野に関する地質・自然』。いわゆる地球科学関係か。
 岩石などが配置されているゾーンと、緑が生い茂っているゾーンとが、先程の展示室と同じ様に向かい合って展示されている。中心には巨大な地球儀が鎮座していた。
 部屋の角には、地層とその上に植生している雑木林がレプリカで再現されている。
 壁にかかっている標本箱には、何も入っていない。管理されなくなったことで、中身が微生物によって分解されてしまったのだろう。
 化石などが展示されていることも相まって、より一層、世界から取り残されているような情緒があった。
「ここに展示してあり、体験できる科学が世界の仕組みの全てで、他はデタラメ。そう思い込んでいた。幼い頃とはいえ、視野の狭い考え方だったと思う」
 アルコールが回っているのか、蓮子の足下が少しふらついている。大丈夫かなあと思いつつ手を引かれていると、彼女は岩石コーナーに設けられた『特別企画展 信仰を得た岩石達』の前で立ち止まった。
 小さな標本箱を手に取りながら、蓮子は続ける。
「悩んだ私は、大伯母さんにこう聞いたわ。科学では判らない事は、ここには無い世界の仕組みは、どうしたら判るの? とね。すると、こう返ってきた。
『世界の仕組みを解き明かすことは、世界の秘密を曝くということ。曝くということは、識るということ。科学も大切だけど、それだけに留まらず、まずはあらゆることを識り、行動しなさい。そうすれば、自ずと機会は巡ってくる』ってね」
 蓮子の親戚らしいアドバイスだな、と思いながら酒を呷り、彼女の様子を見る。
 彼女の声に力が入る。思い出に感情が重なって高ぶっているのだろう。
「それからというもの、科学の知識をより深めるために一層ここに通ったり、本を読んだりし始めた。科学に縛られた客観にとらわれてはいけない。といっても、科学そのものを理解しなければ、外との境界線すら曖昧になってしまうからね。そして、視野を広げるために、様々な分野にも手を出したわ」
 巨大な地球儀を見上げ、彼女は言う。
「こうして振り返ってみると、今の科学世紀の限界を私に知らせるために大伯母さんはここを残してくれていたんじゃないかとさえ思う。
 ヴァーチャル技術が発展し、VR空間で手軽に科学に関する映像体験を得られるようになった。ヴァーチャルのほうがリアルよりも刺激的で影響力が強いことも、その後押しになっているのだと思う。
 それでも、感触など視覚以外の情報を合わせた体験は、未だにリアルのほうが優っている。
 ……そして私は、たとえ科学の向こう側であったとしても、客観性や反証可能性があるのなら、それが真実なのだろうという結論に至った。超能力だろうと、オカルトだろうと、ね」
 客観性、という言葉を強調していたような気がするが、ここで突っ込んでしまえば話の腰を折りかねない。主観と客観の話はまた今度だ。
 蓮子は再び私の手を取って歩き始めた。その一瞬前、空き缶が詰まった袋をその辺に放置してたように見えたが、彼女の親戚の施設だし問題無いのだろうと無視した。
「科学を極める努力は一定の進捗を得ていた。こうして、最高学府に進むことが出来ているのがその証左」
 今度は一転してトーンを落とし、話し出す。
「でも、一つだけ問題があった。科学の外を見る機会には巡り会えていなかった事よ。
 重力が統一された今、このままだと、地上に残った僅かな不思議さえも曝き尽くされてしまいそうだった。
 一応、信頼できる筋からオカルトグッズを蒐集するなんてこともしていたけど、それが本物だと証明する方法が無かった。
 向こう側への手掛かりすらない現状からして、正直言って、この眼は未解決問題として永遠に引きずることになるんじゃないかって半ば諦めていた。熱が冷めかけていた」
 展示室を抜け、長い廊下を通り過ぎたその先には、ドーム状の巨大な空間が広がっていた。斜面には椅子が多数設置されており、その上には埃とともに白い布状の何かが覆いかぶさっている。
 斜面の中心には球状の機械が設置されていた。視線を上げてみれば、むき出しの鉄筋とコンクリートが天蓋の代わりに私を見下ろしている。
 漸く私は、ここがプラネタリウムを上映するためのドームであることを理解した。
 もう星を映し出すことは無いであろう投影機の側まで近づいたその時、蓮子はくるりと振り返り、私の眼を見つめてきた。
「そんな時……、大学の入学式の日、貴方に出会った」
 彼女の眼には、熱が宿っていた。揺るぎない想いで満ち満ちていた。
 彼女が語ったあの日の出来事を思い出しながら、私は小さく笑う。
「懐かしいわね。あの時は本当にびっくりしたわ。異能が宿る眼を持つ人が、私の他にも居ただなんて。まあ、初っ端から気持ち悪い眼だなんて言われたことにも驚いたけど」
「それは照れ隠し。ともかく、衝撃は凄まじかったわよ。忘れかけていた、向こう側への想いが再び湧き上がってきた。これが、大伯母さんが言っていた機会に違いないってね。
 事実、貴方と秘封倶楽部を結成してからは、私の常識なんて全く通用しないような世界を体験させてくれた。沢山の秘密に触れ、曝くことが出来た。……夢を、視させてくれた。
 ねぇ、メリー。貴方は、私を科学に縛られた世界から飛び立たせてくれた翼なのよ」
 微笑みを浮かべながら、蓮子はランタンを腰にぶら下げると、小さな箱を目の前に持ち上げ、中から小さな石を取り出した。
「私の眼の秘密に関する事はまだ手掛かりはない。でも、倶楽部活動を続けていけば、きっと見つかると思う。
 だから、その時が来るまで……いえ、その時が来ても、これからもずっと、私を科学の外側へ連れていって」
 鈍い灰色めいた光沢を放ち、表面状を縦横に走る筋は、まるで鳥居のような形を浮かび上がらせている。
 思わず、クスリと笑ってしまった。
「廃館で言いたかったことがそれなの?」
「こんなキザなセリフ、良い感じにお酒が回っていて、なおかつ良い感じのシチュエーションじゃなければ言えないことよ」
 そう言い切ってから、彼女は黙り込んでしまった。輝く眼を私に向けたまま。
 先程までの話の殆どがお酒によって引き出された真偽不明な情報であったとしても、今この瞬間に発された言葉は、真実……本心なのだと、夜空から時と場所を見る瞳が訴えていた。
 やれやれ。ただの意思確認のためにここまでお膳立てしてしまうだなんて、なんだか彼女が可愛く思えてきた。
 でもどうして、急にそんな事を打ち明けてきたのだろうか。この前、冷蔵庫に入っていたプリンを食べちゃったから? 私がこの国の人間では無いから? 私の眼が強くなってしまって距離を感じ、置いていかれるのではと思ってしまったのか?
 何れにせよ、彼女のリクエストに応えてあげなければ。
「……貴方のお陰で、この力と真剣に向き合えるようになった。最近は色々なものが見えるようになって、ちょっと怖くてドキドキすることもあるけど、それを含めても楽しくなってきたし」
 言い終えてから、蓮子の腰にぶら下がっているランタンに手を伸ばし、スイッチを切った。ドーム全体が闇に包まれる。静寂が、辺りに満ちる。
 何も見えない。でも、問題は無い。境界は視えるから。
 それに、私達に必要な光は、星の輝く夜空か、お互いの眼の輝きだ。LEDの冷たい明かりではない。
 小さな石が握りしめられている蓮子の掌に私の手を被せ、もう片方の手で彼女の眼に触れる。
 自らの意思で伸ばした手から彼女の温もりを感じると、否応なしにドキドキしてしまう。こればかりは、何度経験しても慣れることは無い、私にとっての非日常。
「手を伸ばしましょう。外側へと」
 ――そして私達は、世界を視る。
11/11に開催されます「科学世紀のカフェテラス」で頒布予定のコピー本の全文サンプルです。
鳥07「一言芳恩社」で既刊などを用意していますので、一緒に秘封の話をしましょう。
東風谷アオイ
http://gensokyo.town/@A_kotiya
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コメント



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1.100サク_ウマ削除
なかなか良いなと思いました
2.90名前が無い程度の能力削除
好きな雰囲気です
3.80勝っちゃん削除
素敵な作品だと思います。

蓮子が科学に傾倒する始まりの物語として、違和感無く心地良い読後感がありました。
7.100南条削除
とても面白かったです。
蓮子のルーツと活動への情熱がそれらしくてすごくよかったです
11.100名前が無い程度の能力削除
日常的な秘封、良かったです。