日光射し込む薄暗い部屋の中、僕は一人で本を読んでいた。
「……」
内容はぼんやりとしていて、良く分からない。覚える程でもなかったのか、そもそも読んでいなかったのか。
「どちらにせよ、所詮その程度の物だと言う事だな」
最後のページまで捲り終えたその本は、気付くといつの間にか消えていた。せめて名前くらいは知りたかったのだが、特にその気は無いようだ。
「さて、次は何を読もうか」
僕の方からやる事は何も無い。このまま何も起こらないと言うのなら、ただそれだけなのだーーそう、何も起こらなければ。
「……おや?」
それは、少し変わったお客さんとでも言うべきだろうか。それとも少し有情な取り立て人と言うべきか。
「こんばんは、良い夢見てますか?」
「ああ、お陰様でね」
「それは良かったですね」
「……こんな辺鄙な所に一体なんの用だい?ドレミー」
夢の世界全体を管理しないといけない彼女が、こんな所で油を売っていて良い筈が無い。
「それはまた大した愚問ですね?私がこんな辺鄙な所に来る理由なんて、三つくらいしか無いに決まってるでしょうに」
「三つもーーいや」
三つもあるのか。
「三つもあるのか?」
「……あのですね霖之助さん、思い留まったのにわざわざ言い直すのはかなり性格が悪いですよ?」
「文句ならあっち側の僕にでも言ってくれ」
「全くいやらしい方ですね」
「で、何か用件があるのか?」
「用件ですか?もちろんお仕事ですよ」
『意味も無く夢の中に入っても許される程、楽な立場でもありませんからね』とドレミーは笑う。とてもじゃないが、仕事をしている者の顔には見えなかったとだけ言っておこう。
「しかし仕事か、なら僕は今悪夢を見ていると言うのかい?そうは感じないのだが……」
「あはは、少し違いますね」
「違う?」
「貴方ではありませんよ、悪夢を見てるのは」
その言葉に、ようやく合点が行く。今ここに居るのは僕と彼女だけではない、さっき彼女と一緒にこの夢に入って来た気配があるのだ。
「なるほど、だったらこれはその少女の物だと言う事か」
そして僕は言うならば客演、その悪夢の片端を彩る役割なのだろう。
「相変わらず理解が早くて助かりますね」
「ふん、いよいよ悪夢らしくなって来たよ」
「貴方の物ではありませんけどね」
「『悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり』……悪夢に巻き込まれ役割を与えられた以上、これは僕の悪夢でもあるのさ」
「……わざわざそっちを選ぶんですか?やはり捻くれ具合はどっちもどっち、ですね」
「好きに言え」
しかし、少し疑問が残る。この空間はあくまで僕の夢だ、少女はその中で一体どのような悪夢を見ると言うのだ?
「試してみます?」
「……まるで僕の方を試すような言い方だな」
「いえいえ、そんな事ありませんよ」
そこまで言うなら、試さない理由も無いだろう。そう思いながら、少女の居る方へ振り向いてみる。しかしそこにはーー誰も、居なかった。
「消えた……?」
いや、違う。少女は今もそこの本棚の前に立ったまま、並んだ本を眺めている。なのに僕の目には誰一人映らないし、その気配も感じられない。
「……なるほど」
「何か分かりましたか?」
「いや、全くだよ」
「あらあら、それは残念ですね」
「気にしても仕方が無い、と言う事以外はね」
「そんな物なんですよ、悪夢なんて」
「……しかし、何故君は何もしない?悪夢を処理するのは君の仕事じゃないか」
「それはまぁ、別に何もしなくても良いのではないかと思ったので」
「とんだ職務怠慢だな」
「心外ですね、仕事はちゃんとやってますよ」
「どうなのやら」
「もう、私だって結構忙しいんですからね?」
「いや、忙しいのは分かるが……」
実際、最近は夢の世界がかなり騒がしい。その原因までは計り兼ねるが、彼女の仕事が一筋縄にいかないのは明白だろう。だからと言って他の仕事をないがしろにするのはどうかと思うが……。
「おや、理解して頂けるんですか?なら、少しくらい手伝ってくださるのも吝かではありませんよね?」
「……どう言う意味だい?」
「ちょうど今、その『一筋縄ではない』仕事が舞い込んで来たんですよ」
そう告げるドレミーの姿が、段々とボヤけて行く。
「待て、悪夢はどうするつもりなんだ」
「ああ、それなら心配しなくても大丈夫ですよ?ここは任せますので、では」
「おい、ドレミー!」
制止するも虚しく、彼女の姿は完全に消えてしまう。少女と二人だけになってしまった僕は、その静寂をただ味わうしかなかった。
「……全く、冗談も程々にしてくれよ」
勿論分かっている、彼女は無責任に仕事を投げ出すような者ではない。ただ、心臓に悪いのでああ言う冗談は止めて欲しいものだ。
「……うん?」
はてさて、いつの間に……だろうか。僕の目の前に、あの少女が立っていた。ドレミーと入れ替わったように、こちらをじっと見つめている。
『……』
話しかけられるなんて事も無く、何を求められているのかも分からない。きっとこの状況こそが正解で、僕は干渉するべきではないのだろう。何よりこれはドレミーの仕事なのであって、僕の仕事などでは無いのだ。
「いらっしゃい、お客さん」
……まぁ、うん。僕にとってこの少女は貴重なお客さんでもあるんだし、ドレミーにも何だかんだ世話になっている。……つまりあれだ、今回だけだ。今回は広い心をもって目を瞑ってあげると言う訳だ、うん。
「あれ、話かけられちゃった?」
「ああ、ずっとこっちを見ていたからね」
「へぇ、お兄ちゃんったら面白いんだ」
そう言う事で改めて、目の前の客とのご対面となる。緑の髪色が目立つその顔は、少女の姿である事を鑑みてもまだ幼さが抜けていないようにも見えた。
「何か欲しい物があるのか?」
「無いよ!……ううん?」
晴々しい程の即答である……と思いきや、彼女は釈然としない唸り声を上げる。何か悩んでるのだろうか?
「必要な物があれば、遠慮なく言ってくれて構わないよ。こんな場所ではあるが、道具屋としての品揃えには自信があるのさ」
「……あのね、私ね?今帽子を探してるの」
「帽子を探してる?」
「うん」
『探してる』……つまり、彼女は自分の帽子を無くしてると言う事か。道具屋に頼むのは些か場違いな気もするが、まあ良いか。そのような覚えは特に無いが、もし彼女が帽子を無くしたのがここだとすれば……ふむ。
「まぁ、帽子掛けの所を見てみるべきなんじゃないかな」
「帽子掛けって、どこにあるの?」
「扉のすぐ左側さ」
「そうなんだ!ありがとう森近さん!」
「うん?……ああ、気にしなくても良いよ」
「ところで森近さん、そのお菓子食べても良い?」
「お菓子……?」
彼女が指差した机の上、その先には確かに飴菓子の入った袋が置いてあった。
「これは……ああ、そう言う事か」
意識が段々晴れて行く。そう、これは僕が作った菓子なのだ。いつもなら気にも止めないだろうに、我ながら酔狂なものだ。しかし、珍しい客へのおもてなしとしてはぴったりの品とも言える。
「もちろん、食べても良いよ」
「やった!でも本当に貰って良いの?」
「僕はドレミーのようには出来ないからね、せめての餞別と言ったところかな」
「……そっかーそうなんだねーあは、ふふふ」
僕がそう言うと、彼女はなにが可笑しいのかクスクスと笑い始める。確かに少し格好つけた言い方ではあるのだが……。
「ねぇ森近さん、本当の事教えてあげようか?」
「うん?何だ?」
「私の悪夢、もうバクのお姉ちゃんに食べてもらったんだよ?」
「……何?」
「それからここに連れて来てくれたの、森近さんに会えるようにね」
「……つまり?」
「つまり、そういうこと!じゃあね、バイバイ!」
……彼女の姿は、その言葉を最後に消えて行った。唖然としてる僕を残して。
「……結局、僕はただ巻き込まれただけだと言うのか……?」
いや、今のは聞かなかった事にしよう。
「はぁ……」
疲れが押し寄せて来る。とにかく、これで僕の役割も終わりだ。もうここには誰も居ない、これ以上目を瞑ってやる必要も無いだろう。
ーーそして僕は、ゆっくりと目を開ける。
「……」
内容はぼんやりとしていて、良く分からない。覚える程でもなかったのか、そもそも読んでいなかったのか。
「どちらにせよ、所詮その程度の物だと言う事だな」
最後のページまで捲り終えたその本は、気付くといつの間にか消えていた。せめて名前くらいは知りたかったのだが、特にその気は無いようだ。
「さて、次は何を読もうか」
僕の方からやる事は何も無い。このまま何も起こらないと言うのなら、ただそれだけなのだーーそう、何も起こらなければ。
「……おや?」
それは、少し変わったお客さんとでも言うべきだろうか。それとも少し有情な取り立て人と言うべきか。
「こんばんは、良い夢見てますか?」
「ああ、お陰様でね」
「それは良かったですね」
「……こんな辺鄙な所に一体なんの用だい?ドレミー」
夢の世界全体を管理しないといけない彼女が、こんな所で油を売っていて良い筈が無い。
「それはまた大した愚問ですね?私がこんな辺鄙な所に来る理由なんて、三つくらいしか無いに決まってるでしょうに」
「三つもーーいや」
三つもあるのか。
「三つもあるのか?」
「……あのですね霖之助さん、思い留まったのにわざわざ言い直すのはかなり性格が悪いですよ?」
「文句ならあっち側の僕にでも言ってくれ」
「全くいやらしい方ですね」
「で、何か用件があるのか?」
「用件ですか?もちろんお仕事ですよ」
『意味も無く夢の中に入っても許される程、楽な立場でもありませんからね』とドレミーは笑う。とてもじゃないが、仕事をしている者の顔には見えなかったとだけ言っておこう。
「しかし仕事か、なら僕は今悪夢を見ていると言うのかい?そうは感じないのだが……」
「あはは、少し違いますね」
「違う?」
「貴方ではありませんよ、悪夢を見てるのは」
その言葉に、ようやく合点が行く。今ここに居るのは僕と彼女だけではない、さっき彼女と一緒にこの夢に入って来た気配があるのだ。
「なるほど、だったらこれはその少女の物だと言う事か」
そして僕は言うならば客演、その悪夢の片端を彩る役割なのだろう。
「相変わらず理解が早くて助かりますね」
「ふん、いよいよ悪夢らしくなって来たよ」
「貴方の物ではありませんけどね」
「『悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり』……悪夢に巻き込まれ役割を与えられた以上、これは僕の悪夢でもあるのさ」
「……わざわざそっちを選ぶんですか?やはり捻くれ具合はどっちもどっち、ですね」
「好きに言え」
しかし、少し疑問が残る。この空間はあくまで僕の夢だ、少女はその中で一体どのような悪夢を見ると言うのだ?
「試してみます?」
「……まるで僕の方を試すような言い方だな」
「いえいえ、そんな事ありませんよ」
そこまで言うなら、試さない理由も無いだろう。そう思いながら、少女の居る方へ振り向いてみる。しかしそこにはーー誰も、居なかった。
「消えた……?」
いや、違う。少女は今もそこの本棚の前に立ったまま、並んだ本を眺めている。なのに僕の目には誰一人映らないし、その気配も感じられない。
「……なるほど」
「何か分かりましたか?」
「いや、全くだよ」
「あらあら、それは残念ですね」
「気にしても仕方が無い、と言う事以外はね」
「そんな物なんですよ、悪夢なんて」
「……しかし、何故君は何もしない?悪夢を処理するのは君の仕事じゃないか」
「それはまぁ、別に何もしなくても良いのではないかと思ったので」
「とんだ職務怠慢だな」
「心外ですね、仕事はちゃんとやってますよ」
「どうなのやら」
「もう、私だって結構忙しいんですからね?」
「いや、忙しいのは分かるが……」
実際、最近は夢の世界がかなり騒がしい。その原因までは計り兼ねるが、彼女の仕事が一筋縄にいかないのは明白だろう。だからと言って他の仕事をないがしろにするのはどうかと思うが……。
「おや、理解して頂けるんですか?なら、少しくらい手伝ってくださるのも吝かではありませんよね?」
「……どう言う意味だい?」
「ちょうど今、その『一筋縄ではない』仕事が舞い込んで来たんですよ」
そう告げるドレミーの姿が、段々とボヤけて行く。
「待て、悪夢はどうするつもりなんだ」
「ああ、それなら心配しなくても大丈夫ですよ?ここは任せますので、では」
「おい、ドレミー!」
制止するも虚しく、彼女の姿は完全に消えてしまう。少女と二人だけになってしまった僕は、その静寂をただ味わうしかなかった。
「……全く、冗談も程々にしてくれよ」
勿論分かっている、彼女は無責任に仕事を投げ出すような者ではない。ただ、心臓に悪いのでああ言う冗談は止めて欲しいものだ。
「……うん?」
はてさて、いつの間に……だろうか。僕の目の前に、あの少女が立っていた。ドレミーと入れ替わったように、こちらをじっと見つめている。
『……』
話しかけられるなんて事も無く、何を求められているのかも分からない。きっとこの状況こそが正解で、僕は干渉するべきではないのだろう。何よりこれはドレミーの仕事なのであって、僕の仕事などでは無いのだ。
「いらっしゃい、お客さん」
……まぁ、うん。僕にとってこの少女は貴重なお客さんでもあるんだし、ドレミーにも何だかんだ世話になっている。……つまりあれだ、今回だけだ。今回は広い心をもって目を瞑ってあげると言う訳だ、うん。
「あれ、話かけられちゃった?」
「ああ、ずっとこっちを見ていたからね」
「へぇ、お兄ちゃんったら面白いんだ」
そう言う事で改めて、目の前の客とのご対面となる。緑の髪色が目立つその顔は、少女の姿である事を鑑みてもまだ幼さが抜けていないようにも見えた。
「何か欲しい物があるのか?」
「無いよ!……ううん?」
晴々しい程の即答である……と思いきや、彼女は釈然としない唸り声を上げる。何か悩んでるのだろうか?
「必要な物があれば、遠慮なく言ってくれて構わないよ。こんな場所ではあるが、道具屋としての品揃えには自信があるのさ」
「……あのね、私ね?今帽子を探してるの」
「帽子を探してる?」
「うん」
『探してる』……つまり、彼女は自分の帽子を無くしてると言う事か。道具屋に頼むのは些か場違いな気もするが、まあ良いか。そのような覚えは特に無いが、もし彼女が帽子を無くしたのがここだとすれば……ふむ。
「まぁ、帽子掛けの所を見てみるべきなんじゃないかな」
「帽子掛けって、どこにあるの?」
「扉のすぐ左側さ」
「そうなんだ!ありがとう森近さん!」
「うん?……ああ、気にしなくても良いよ」
「ところで森近さん、そのお菓子食べても良い?」
「お菓子……?」
彼女が指差した机の上、その先には確かに飴菓子の入った袋が置いてあった。
「これは……ああ、そう言う事か」
意識が段々晴れて行く。そう、これは僕が作った菓子なのだ。いつもなら気にも止めないだろうに、我ながら酔狂なものだ。しかし、珍しい客へのおもてなしとしてはぴったりの品とも言える。
「もちろん、食べても良いよ」
「やった!でも本当に貰って良いの?」
「僕はドレミーのようには出来ないからね、せめての餞別と言ったところかな」
「……そっかーそうなんだねーあは、ふふふ」
僕がそう言うと、彼女はなにが可笑しいのかクスクスと笑い始める。確かに少し格好つけた言い方ではあるのだが……。
「ねぇ森近さん、本当の事教えてあげようか?」
「うん?何だ?」
「私の悪夢、もうバクのお姉ちゃんに食べてもらったんだよ?」
「……何?」
「それからここに連れて来てくれたの、森近さんに会えるようにね」
「……つまり?」
「つまり、そういうこと!じゃあね、バイバイ!」
……彼女の姿は、その言葉を最後に消えて行った。唖然としてる僕を残して。
「……結局、僕はただ巻き込まれただけだと言うのか……?」
いや、今のは聞かなかった事にしよう。
「はぁ……」
疲れが押し寄せて来る。とにかく、これで僕の役割も終わりだ。もうここには誰も居ない、これ以上目を瞑ってやる必要も無いだろう。
ーーそして僕は、ゆっくりと目を開ける。