秘封倶楽部は大学非公式のサークルである。それどころか大学の名前を使って活動、交流してるでもなし、私達二人の集まりと言っていい。あくまでサークルとしての体を保っているのは過去の名残だ。人を遠ざけるために人を集めたとかどうとか蓮子から聞いた覚えがあるが、詳しくは覚えていない。
しかし何にせよ非公式であり、なおかつ分かりやすい実績を残しているわけでもない私達に活動費や活動部屋が与えられるわけもなく。他の非公式サークルのように食堂や大学外の賃貸で集まるのも二人でやるには大げさだということで、私達は専らどちらかの自室で集まることにしている。
「…………ふぅ」
私は持ってきた文庫本を後書きまで読み終え息を吐いた。参考文献であったり出版年月日だったりが記載されているページを余韻と共にめくり、この物語が終に幕を下ろすのだという、どこか寂しいような惜しいような、だが満たされた気持ちで裏表紙を閉じる。
なかなかに面白かった……。まさか犯人が使用人だったとは。隠された色恋についても巧みな伏線回収に驚かされた。
凝り固まった体を軽く伸ばしながら顔を上げると、蓮子はまだ本の世界に囚われたまま仏頂面を浮かべていた。
蓮子は本を読んでいる時いつも苦い表情を浮かべている。小難しい本を読んでいる今のような状況なら共感できるが、面白可笑しいコメディーを読んでいても彼女は同じような顔をしているのだ。過去に気になって訊ねて見たことがある。面白くないのか、と。しかし蓮子は真面目な顔で答えた。『面白いからよ』と。曰く、面白いものだからこそ頭を十全に回転させて楽しんでいて、反面それ以外のところで意識が薄くなっているのだとか。
実際読書中の蓮子の集中力には目を見張るものがある。眼の前で手を振ってみても気付かないのはもちろん、体に触れてみても彼女は反応しない。今もきっと同じで、なにかいたずらでもしてやろうかと一度画策してみたものの、何も思いつかなくてすぐやめた。
ふと蓮子の読んでいる本に視線をやると読み終えるまでまだ少しありそうということで、私は一度その部屋を後にした。そして帰ってきた頃には予想通り蓮子は本を読み終わっていて、慣れた手付きで目薬を指している。
「キッチンを勝手に使わせてもらったわ。はいこれ」
「ん、ありがと。別にいいのよ? 毎回そんな律儀に許可を取らなくても」
「親しき仲にも礼儀あり、と言うでしょう?」
「そういうとこ真面目よねぇメリーは。……うん、美味しい」
蓮子は受け取ったコーヒーに口をつけ頷いた。砂糖多めミルク多め、あれば蜂蜜も追加。頭をフルに使う読書の後、蓮子が好んで飲むコーヒーだ。蓮子に合わせて私も飲んでいるが、彼女ほど頭を使っていなくとも読書の後のコレは確かに体に染みるものがある。
「それで、何かわかった?」
「正直お手上げね。足がかりすら掴めない」
そう言う蓮子の声音には疲れが見える。彼女の視線の先には小さな金属の箱。指輪でも入ってそうな形のそれの口には数字の書かれた五枚のパネルが並んでいる。パネルにはそれぞれ『四』『六』『四』『零』『七』とアラビア数字で書かれており、それらは上下にスライドできるようになっている。それこそが今蓮子を悩ませている要因だ。
時は千九百年代。力を持っていたとある富豪の一家は唯一の跡取りが病に倒れたことを機に没落。彼らの住んでいた屋敷は取り壊されることとなった。しかし数日前に私達が訪れた時もなお、その屋敷はその場に残っていた。どうしてか。
その屋敷はいわゆる『曰く付き』だったのだ。
取り壊しの計画を立てるためとある業者の責任者がその屋敷を訪れた。彼は優秀だと噂されていたし、準備も怠らなかった。けれど計画が進行することもなく、結局取り壊しは中断された。理由は至極単純なものだった。
入れなかったのだ。関係者から鍵を受け取り、彼は確かな技量を持ったその腕に解錠の感覚を得た。だというのに扉は開かなかった。窓も裏口も開かない。やむなしということ窓を割ろうとするもびくともせず、重機を持ち出してもまるで見えない壁に守られているかのようにその屋敷は佇み続けたという。
私達が屋敷を訪れたのはその謎を解き明かしたくて、というわけではない。これらの噂はすべて後から調べて知ったものだ。
『結界の境目が見える目』。私のこの双眸が私達二人をその屋敷へと導いたのだ。
結界の境目はそう広範囲に渡るものではない。しかしその正常たり得ない綻びは、決して小さくない影響――ヒビのようなものを周囲へと広げる。そしてそれは光の線として私の目に映り、道標となる。
そうして屋敷辿り着いた私達。屋敷はなおも侵入者を拒み続けていたが、しかしそこは一つの偶然と一つの必然が味方した。
第一に、外部からのどんな衝撃をも受け止めた屋敷は内部からの腐食までは防げなかった。故に私達が訪れたそのときには既にかつての威光など見る影もなく、人ひとり通れるくらいの隙間はいくらでも見つけられた。そしてそんな状況であっても屋敷を守っていた力は私がどうにかできるものであった、というのがもう一つだ。
生い茂る草木をかき分け崩れない足場を慎重に選び、今にも壊れそうな屋敷を私達は探索した。中は殆どが風化してしまっていたが、ただ一室。元が何の部屋だったかももうわからないその場所の一角を見て、私は声を失った。
木製の小さなデスク。ところどころに付いた傷や汚れが使い古されたことを物語る、三つの引き出しが付属した何の変哲もないその机が、まるでつい先程まで利用されていたかのように、ホコリ一つ被らず鎮座していた。
咄嗟に蓮子の方を振り返れば、彼女は私の行動の方に驚く様子を見せる。その反応で気付いた。これだ、と。
使い古された風体に似合わずそのデスクには物がなかった。見つかったのはたった二つ。一冊の日記帳と、金属でできた小さな箱である。
「中には何が入ってるんでしょうね」
「そりゃあ指輪でしょう、やっぱり」
疲れからか蓮子の答えは少し投げやりになっている。実際その箱は指輪が入っていそうな形と大きさをしているけれど。
「指輪の容れ物に鍵なんて掛けるかしら」
「それなのよね……。中身がいくら高価なものだとしても、箱ごと盗まれでもしたら意味が無いもの。だからわざわざ鍵を掛けたのは何かを隠すため。例えば結婚指輪を見られないように、なんて憶測をつけたんだけど、だからといって謎解きが進展するでもないし、理由もわからないしでやってられないのよ」
言いながら蓮子は床に体を投げ出す。実際そうとう参っているのだろう。外では決して見られない彼女の姿が、少し微笑ましくて笑みが零れた。
「そういう時は問題に立ち返ってみるのが一番よ」
それも一度目とは違う方式の方が好ましい。私は体を伸ばしてテーブルの上の日記帳を手に取って開く。
「私が読みあげるから、そのままで聞いてなさい」
蓮子の返事はなかったが、ちらりと彼女の方を窺えば仰向けのままじっと天井を見つめている。同意と見て私は日記へと視線を戻した。
この日記は例の屋敷に住んでいた富豪一家、その中で唯一の跡取り息子が残した日記だと私達は考えた。しかしどこかに名前が書いてあるわけでもなし確証はない。そのことも踏まえて私は順に読み始めた。
十月十日
母が縁談を持ってきた。何でも麓の赤い屋根の屋敷に住む娘だという。母らしい勧めだ。しかし私は今誰かと家庭を持つつもりは無い。なあなあにして引き伸ばしているが、やはりハッキリと断るべきだろうか。
十月十七日
件の女性が家に来ていた。母が招いたそうだ。名をすみれと言うらしい。写真を見た時も思ったが、確かに彼女は整った顔をしている。しかし随分母と仲がいいが、何か気が合うことでもあったのだろうか。
十一月二日
強く言われてすみれさんにカバンを買ってやった。彼女がそういうものを欲しがるのは理解できないが、自分も似たようなものだから悪くは言えまい。喜んでいたのだから良しとしておこう。
十二月八日
興味深い絡繰を見つけた。今までになかった仕掛けだ。今度彼女に見せに行こう。彼女だけは私の話を熱心に聞いてくれる。
十二月十日
今日父に呼び出された。予定通り家の跡取りは私となるだろうこと。そしてもう近くにはその引き継ぎを済ませてしまおうかと考えている、とのことだった。私は動揺した。家名を継ぐ前にやりたいことがまだ山のようにあるからだ。母もすみれさんも父に賛成している。どうやら残された時間は少なそうだ。
十二月二十七日
母が彼女にきつく当たっているのを見た。機嫌が悪くなるといつもこうだ。何を言っても聞き入れないために、ただ耐えて機嫌が戻るまで待つしかない。傷付く彼女を見るのは辛い。
一月六日
すみれさんと正式に籍を入れる日が決まった。ちょうど一週間後だ。
一月九日
素晴らしい箱が出来た。明日にでも彼女に見せたいものだ。彼女はどんな顔をするだろうか。
日記はその日で途切れている。ほぼ毎日記述はあるがどれも一行にも満たないもので、重要そうな日の分を抜粋してみるとこんなものだろう。
これだけの量とは言え読み上げると中々に時間がかかる。一息ついて顔を上げると蓮子はいつの間にやら起き上がり、手帳片手にペンを握ってテーブルに向かっている。
「日記の一番初めの日付は十月十日。ただこれは『あの日記帳』の、と考えるのが自然かしらね」
「随分まめに付けていたようだもの。もっと前から日記を付けていたと考えるのが私も正しいと思うわ。そうなるとあの日記帳だけが残っていたのが気になるけれど」
私が何気なく口にした疑問を蓮子は紙の上に残して続ける。
「次に日記を書いたのが誰かということだけど、調べによるとあの屋敷に頻頻に出入りしていたのは四人。当主の金渡宗佑とその妻良子。跡を継ぐ筈だった一人息子の金渡志郎。そして彼の婚約者であるすみれという女性。これはその日記の内容と一致する」
蓮子は彼らの名前を家系図のような形で書き連ねていく。 その中から一つの名前を勢いよく丸で囲んだ。
「そして日記を書いたのはやっぱり金渡志郎で間違いないでしょうね」
「ええ。何らかのミスリードを警戒して読んでみたけれど、流石にその前提は覆らないと思う」
もちろん最初から全て偽造、という線も無くはない。誰かしらがあの屋敷にいた人物を語ってこの日記を残した可能性だってあるだろう。けれどそれを疑い始めたらキリがない。それに、あの結界の主にはそういう邪念はないように思えた。
ゴトリ、とテーブルの上に例の箱を置いて蓮子は簡単にスケッチしながら言う。
「そしてコレは最終日の日記に記された『素晴らしい箱』と考えていいでしょう。日記があの日を境に途切れていたこと、日記とセットで残っていたことを踏まえて疑う余地はないと思うわ。……ここまでで何か気になることはある?」
蓮子が一区切り付けたここまでが、私達が事前に『確定事項』としていた内容だ。しかし私は彼女の問いにイエスの意を示す手を挙げる。
「改めて読んでみて、どうにもつながりに違和感があるのよね」
私は蓮子に見えるようテーブルの上に日記を広げ指で指し示す。
「ここ。彼の母が苛立っていた日の日記ね。母親の為人は察するしかないけれど、その後仲が修復するようなこともなく息子との結婚を許すかしら」
「彼の母親は機嫌が悪くなると他人に当たるのがいつものことだったみたいよ? 時間が経てば元に戻るのもいつものことで、特別書く必要はなかったんじゃないかしら」
「そう、『いつものこと』として書かれているのよ。それ自体が違和感なのよね」
私は表情を伺うように蓮子の方を見据える。まだ疲れは垣間見えるが、私の言に興味が湧いたらしくその瞳にはやる気が見える。私は少し意気込んで続けた。
「それに付随して、彼は婚約者のことを『彼女』と表記している時があるわ。だけど逆に『彼女』と書かれているものには二種類あるのよ。すみれさんとしっかりと明記しているものとそうでないもの。そして後者に当たるもの三つの内の一つは『母がきつく当たっていた日記』。つまり――」
蓮子は体を起こし目を薄く見開いた。
「『彼女』はもう一人いた――?」
蓮子の辿り着いた結論を私は首肯する。
「記録に残っていないからそれが誰かはわからないけれどね。あるいは友人、あるいは血縁、あるいは」
「使用人。彼らと言葉を交わす機会が十分にある者となれば限られる。それにその『彼女』が使用人なら母が『彼女』を日常的に嫌っていたこと、すみれさんを婚約者として勧められたことを『母らしい』と表現したことに筋が通るわ」
蓮子の思考が加速しているのを肌で感じる。それに共鳴するように私の鼓動も速くなる。
「彼の趣味は家族には理解されていなかった。みんな家を継いでもらうことで頭がいっぱいだったみたいだもの。唯一理解してくれた彼女の存在は大きなものだったでしょうね。そしてそうなれば『彼女に見せたい』も意味深ね」
「許嫁との結婚が正式に決定した後、というのもタイミング的にしっくり来る。そうすると、やっぱり中身は指輪なんじゃないかしら。自分が本当に結ばれたいのは貴方だ、って。そして二人で駆け落ちした。跡取りがいなくなった事実とも合致する」
言葉に言葉を、意見に意見を。言い終わるより先にすべてを理解し、理論を組み立て、重ねるように交わしていく。一呼吸が終わるより早く二人の熱は増していく。
「それは変よ。仮に駆け落ちしたのならこの箱を屋敷に置いていくとは思えない。絡繰りに魅せられた彼が見せたいと残したこの箱を」
「ちょっと待って。そうよ、彼が『見せたい』と言ったものは『箱』なのよね。絡繰り好きの彼に『見せたい』と言わしめたからには会心の出来なのかと思っていたけれど、『見せたい』相手は禁断の恋の相手。中身ではなく絡繰りにこそ意味が込められているのだとしたら――」
まるで時が止まったかのように部屋全体を静寂が支配した。加速していると錯覚する意識の下、私は唾液の嚥下すら躊躇いただ息を潜めている。
――カラン、と。蓮子の手から滑り落ちたペンの音で静寂は破られた。
「何よ、単純な謎じゃない」
蓮子は脱力して顔を伏せる。その口元は心なしか緩んでいる。
「相手の名前は……レイナかしらね」
「なにかわかったの?」
箱を私の方に突き出して蓮子は楽しそうに笑う。ただその眼差しは真剣そのものだ。
「そもそもの話よ? これが箱でありそこに絡繰りがついていれば、誰だってその絡繰りが箱を開く鍵だと思うわ。現に私達もそう考えていた。だけど違う。この箱は『開かないこと』に意味があったのよ」
「それは、箱って言うのかしら」
「言わないでしょうね。けれどこれは『箱』である必要がある」
蓮子はその箱の開き口に付いた五つのパネルを指差す。事前に謎を解いたことで二枚は上に、二枚は下にスライドされている。
「この絡繰りを見て。私達は正解らしき形を作ってけれどこの箱は開かなかった。でも意味がないわけじゃなかったのよ」
「つまりそこに彼が見せたかったものがあるの?」
「ええ。それもすごくシンプルな。この上の数字を見て。『四』と『六』――『シロー』と読めるでしょう?」
蓮子が失笑した理由をなんとなく理解し一瞬思考が鈍る。なるほど、確かに『素晴らしい』と形容した割にはシンプルすぎる。
「……だから相手は『零七(レイナ)』?」
「ええ。そして唯一このパネルだけが動かされることなく残っているのよ」
蓮子は中央に残った一枚のパネルを指でなぞり、私を見据えて一呼吸。自然、私にも緊張が走る。
「謎を解いても開かない箱。そして二人を繋ぐこの数字に彼が込めた思いは」
「『何者も二人を分かつことはなく』そして……『四(死)こそが二人を繋ぐ』……かしら」
「ん~! やっぱりあの店は当たりね」
「そうね。酸味と甘味のバランスが絶妙だわ。あの雰囲気の中で頂いたらもっと美味しく感じるかも」
「次は私もそれを食べてみようかしら。だけどチーズケーキも捨てがたいのよねぇ」
空になったカップにコーヒーを入れ直し、私達は以前から目をつけていた店のケーキを舌鼓していた。疲弊した脳に糖分が染み渡る感覚は、何かイケナイことをしているような錯覚すら起こさせる。大丈夫。これは合法、合法だから。さっきのコーヒーも合わせると女子的には怪しいけれど。
ちらりと、美味しそうにチョコレートのケーキを頬張る蓮子の方へと視線を移す。
蓮子はどれだけスイーツを摂取しても太る気配すら見せない。別段不思議ではない。それだけ彼女は思考にカロリーと糖分を割いているのだろう。しかし私は違う。彼女に合わせていたら気付いた頃には……、ということになりかねない。とはいえこのケーキの味は逆らえるものではない。あと一口、あと一口……。
そういうことで少しは頭を使おうとでも思ったのだろうか。蓮子の様子を伺っていて頭をよぎった問いが口を突いて出た。
「蓮子は、死が彼らを繋いだと思う?」
蓮子はケーキを食べる手を止めるも、しかしフォークは摘んだまま視線を上に向けた。
「そうねー。死がなんなのか、死後の世界があるのかどうかは現代でも解明されていないわ。もし彼らがお互いに思いあったままその人生に終止符を打ったなら、仮に死後の世界なんて物があったとしても認知できない以上その関係が更新されることもないでしょう? そういう意味では、彼らの愛は揺るぎない永遠のものになったと言えるんじゃいかしら」
「……そっか」
蓮子の答えを聞いて、満たされた糖分で回った脳が一つの推論を導き出す。
「彼らは二人の関係を家族に認めてもらえなかったわけでしょう。だけど、ううん。『だからこそ』彼らは誰かに認めてもらいたかったんじゃないかしら。だからこの箱と日記を残した。万一家族に見つかれば処分されるかも知れないという思いが結界まで作り上げて」
「二人で人知れず結ばれる、ということもできたはずでしょう? だけど彼らは自分たちだけが知っていればいいと、心中という選択をした。それでいて誰かに関係を認めてもらいたい、なんて少し傲慢じゃないかしら」
「それは違うわ」
つい先程読んだ小説の内容が思い出される。あれは結果として男の思い込みで終わったが、彼の思いは理解できた。
「心中は彼らの抵抗で、最大の主張なのよ。死という撤回の効かない選択をするほどに、自分たちの愛は大きいと。有無を言わせぬ一方的な主張」
「一方的な主張、ね。反論も許さず、主張が通ったことの確認はおろか意味すら投げ捨てている。確かに一方的、どころか独りよがり、いえふたりよがりかしら」
「そういえば、メリーは死が二人をつないだと思うのかしら?」
蓮子の質問に私はまぶたを下ろす。答えは既に決まっていた。
「思わないわ。愛や絆というのは瞬間的なものじゃなくて、継続的な関係性のことを指すもの。彼らが死を選んだ時点で二人の仲はすでに過去のものよ」
「あら意外ね。こういうものはメリーの琴線には触れないのかしら」
「何かの物語の中で登場する分には嫌いじゃないわ。だけど現実で彼らの選択を美化してしまえば、今こうして生きている私達が惨めに思えるじゃない」
ふと窓の外の空を見上げる。日はずいぶんと傾き、宵の明星が目に入る。彼女ならその空を見て何を思うのだろう。
「極論私達の人生に意味なんてないわ。重要なのはどこに意味を見出すか。だったら死ぬことよりも、生きることに意味を見出したいでしょう?」
私はとびきりの笑顔を浮かべた。
そんな私を見据える蓮子の表情は酷く印象的だった。
そうして本日の秘封倶楽部の活動は終了した。
けれど。
私達――秘封倶楽部の活動は終わらない。
その生に意味を見出す限り。
しかし何にせよ非公式であり、なおかつ分かりやすい実績を残しているわけでもない私達に活動費や活動部屋が与えられるわけもなく。他の非公式サークルのように食堂や大学外の賃貸で集まるのも二人でやるには大げさだということで、私達は専らどちらかの自室で集まることにしている。
「…………ふぅ」
私は持ってきた文庫本を後書きまで読み終え息を吐いた。参考文献であったり出版年月日だったりが記載されているページを余韻と共にめくり、この物語が終に幕を下ろすのだという、どこか寂しいような惜しいような、だが満たされた気持ちで裏表紙を閉じる。
なかなかに面白かった……。まさか犯人が使用人だったとは。隠された色恋についても巧みな伏線回収に驚かされた。
凝り固まった体を軽く伸ばしながら顔を上げると、蓮子はまだ本の世界に囚われたまま仏頂面を浮かべていた。
蓮子は本を読んでいる時いつも苦い表情を浮かべている。小難しい本を読んでいる今のような状況なら共感できるが、面白可笑しいコメディーを読んでいても彼女は同じような顔をしているのだ。過去に気になって訊ねて見たことがある。面白くないのか、と。しかし蓮子は真面目な顔で答えた。『面白いからよ』と。曰く、面白いものだからこそ頭を十全に回転させて楽しんでいて、反面それ以外のところで意識が薄くなっているのだとか。
実際読書中の蓮子の集中力には目を見張るものがある。眼の前で手を振ってみても気付かないのはもちろん、体に触れてみても彼女は反応しない。今もきっと同じで、なにかいたずらでもしてやろうかと一度画策してみたものの、何も思いつかなくてすぐやめた。
ふと蓮子の読んでいる本に視線をやると読み終えるまでまだ少しありそうということで、私は一度その部屋を後にした。そして帰ってきた頃には予想通り蓮子は本を読み終わっていて、慣れた手付きで目薬を指している。
「キッチンを勝手に使わせてもらったわ。はいこれ」
「ん、ありがと。別にいいのよ? 毎回そんな律儀に許可を取らなくても」
「親しき仲にも礼儀あり、と言うでしょう?」
「そういうとこ真面目よねぇメリーは。……うん、美味しい」
蓮子は受け取ったコーヒーに口をつけ頷いた。砂糖多めミルク多め、あれば蜂蜜も追加。頭をフルに使う読書の後、蓮子が好んで飲むコーヒーだ。蓮子に合わせて私も飲んでいるが、彼女ほど頭を使っていなくとも読書の後のコレは確かに体に染みるものがある。
「それで、何かわかった?」
「正直お手上げね。足がかりすら掴めない」
そう言う蓮子の声音には疲れが見える。彼女の視線の先には小さな金属の箱。指輪でも入ってそうな形のそれの口には数字の書かれた五枚のパネルが並んでいる。パネルにはそれぞれ『四』『六』『四』『零』『七』とアラビア数字で書かれており、それらは上下にスライドできるようになっている。それこそが今蓮子を悩ませている要因だ。
時は千九百年代。力を持っていたとある富豪の一家は唯一の跡取りが病に倒れたことを機に没落。彼らの住んでいた屋敷は取り壊されることとなった。しかし数日前に私達が訪れた時もなお、その屋敷はその場に残っていた。どうしてか。
その屋敷はいわゆる『曰く付き』だったのだ。
取り壊しの計画を立てるためとある業者の責任者がその屋敷を訪れた。彼は優秀だと噂されていたし、準備も怠らなかった。けれど計画が進行することもなく、結局取り壊しは中断された。理由は至極単純なものだった。
入れなかったのだ。関係者から鍵を受け取り、彼は確かな技量を持ったその腕に解錠の感覚を得た。だというのに扉は開かなかった。窓も裏口も開かない。やむなしということ窓を割ろうとするもびくともせず、重機を持ち出してもまるで見えない壁に守られているかのようにその屋敷は佇み続けたという。
私達が屋敷を訪れたのはその謎を解き明かしたくて、というわけではない。これらの噂はすべて後から調べて知ったものだ。
『結界の境目が見える目』。私のこの双眸が私達二人をその屋敷へと導いたのだ。
結界の境目はそう広範囲に渡るものではない。しかしその正常たり得ない綻びは、決して小さくない影響――ヒビのようなものを周囲へと広げる。そしてそれは光の線として私の目に映り、道標となる。
そうして屋敷辿り着いた私達。屋敷はなおも侵入者を拒み続けていたが、しかしそこは一つの偶然と一つの必然が味方した。
第一に、外部からのどんな衝撃をも受け止めた屋敷は内部からの腐食までは防げなかった。故に私達が訪れたそのときには既にかつての威光など見る影もなく、人ひとり通れるくらいの隙間はいくらでも見つけられた。そしてそんな状況であっても屋敷を守っていた力は私がどうにかできるものであった、というのがもう一つだ。
生い茂る草木をかき分け崩れない足場を慎重に選び、今にも壊れそうな屋敷を私達は探索した。中は殆どが風化してしまっていたが、ただ一室。元が何の部屋だったかももうわからないその場所の一角を見て、私は声を失った。
木製の小さなデスク。ところどころに付いた傷や汚れが使い古されたことを物語る、三つの引き出しが付属した何の変哲もないその机が、まるでつい先程まで利用されていたかのように、ホコリ一つ被らず鎮座していた。
咄嗟に蓮子の方を振り返れば、彼女は私の行動の方に驚く様子を見せる。その反応で気付いた。これだ、と。
使い古された風体に似合わずそのデスクには物がなかった。見つかったのはたった二つ。一冊の日記帳と、金属でできた小さな箱である。
「中には何が入ってるんでしょうね」
「そりゃあ指輪でしょう、やっぱり」
疲れからか蓮子の答えは少し投げやりになっている。実際その箱は指輪が入っていそうな形と大きさをしているけれど。
「指輪の容れ物に鍵なんて掛けるかしら」
「それなのよね……。中身がいくら高価なものだとしても、箱ごと盗まれでもしたら意味が無いもの。だからわざわざ鍵を掛けたのは何かを隠すため。例えば結婚指輪を見られないように、なんて憶測をつけたんだけど、だからといって謎解きが進展するでもないし、理由もわからないしでやってられないのよ」
言いながら蓮子は床に体を投げ出す。実際そうとう参っているのだろう。外では決して見られない彼女の姿が、少し微笑ましくて笑みが零れた。
「そういう時は問題に立ち返ってみるのが一番よ」
それも一度目とは違う方式の方が好ましい。私は体を伸ばしてテーブルの上の日記帳を手に取って開く。
「私が読みあげるから、そのままで聞いてなさい」
蓮子の返事はなかったが、ちらりと彼女の方を窺えば仰向けのままじっと天井を見つめている。同意と見て私は日記へと視線を戻した。
この日記は例の屋敷に住んでいた富豪一家、その中で唯一の跡取り息子が残した日記だと私達は考えた。しかしどこかに名前が書いてあるわけでもなし確証はない。そのことも踏まえて私は順に読み始めた。
十月十日
母が縁談を持ってきた。何でも麓の赤い屋根の屋敷に住む娘だという。母らしい勧めだ。しかし私は今誰かと家庭を持つつもりは無い。なあなあにして引き伸ばしているが、やはりハッキリと断るべきだろうか。
十月十七日
件の女性が家に来ていた。母が招いたそうだ。名をすみれと言うらしい。写真を見た時も思ったが、確かに彼女は整った顔をしている。しかし随分母と仲がいいが、何か気が合うことでもあったのだろうか。
十一月二日
強く言われてすみれさんにカバンを買ってやった。彼女がそういうものを欲しがるのは理解できないが、自分も似たようなものだから悪くは言えまい。喜んでいたのだから良しとしておこう。
十二月八日
興味深い絡繰を見つけた。今までになかった仕掛けだ。今度彼女に見せに行こう。彼女だけは私の話を熱心に聞いてくれる。
十二月十日
今日父に呼び出された。予定通り家の跡取りは私となるだろうこと。そしてもう近くにはその引き継ぎを済ませてしまおうかと考えている、とのことだった。私は動揺した。家名を継ぐ前にやりたいことがまだ山のようにあるからだ。母もすみれさんも父に賛成している。どうやら残された時間は少なそうだ。
十二月二十七日
母が彼女にきつく当たっているのを見た。機嫌が悪くなるといつもこうだ。何を言っても聞き入れないために、ただ耐えて機嫌が戻るまで待つしかない。傷付く彼女を見るのは辛い。
一月六日
すみれさんと正式に籍を入れる日が決まった。ちょうど一週間後だ。
一月九日
素晴らしい箱が出来た。明日にでも彼女に見せたいものだ。彼女はどんな顔をするだろうか。
日記はその日で途切れている。ほぼ毎日記述はあるがどれも一行にも満たないもので、重要そうな日の分を抜粋してみるとこんなものだろう。
これだけの量とは言え読み上げると中々に時間がかかる。一息ついて顔を上げると蓮子はいつの間にやら起き上がり、手帳片手にペンを握ってテーブルに向かっている。
「日記の一番初めの日付は十月十日。ただこれは『あの日記帳』の、と考えるのが自然かしらね」
「随分まめに付けていたようだもの。もっと前から日記を付けていたと考えるのが私も正しいと思うわ。そうなるとあの日記帳だけが残っていたのが気になるけれど」
私が何気なく口にした疑問を蓮子は紙の上に残して続ける。
「次に日記を書いたのが誰かということだけど、調べによるとあの屋敷に頻頻に出入りしていたのは四人。当主の金渡宗佑とその妻良子。跡を継ぐ筈だった一人息子の金渡志郎。そして彼の婚約者であるすみれという女性。これはその日記の内容と一致する」
蓮子は彼らの名前を家系図のような形で書き連ねていく。 その中から一つの名前を勢いよく丸で囲んだ。
「そして日記を書いたのはやっぱり金渡志郎で間違いないでしょうね」
「ええ。何らかのミスリードを警戒して読んでみたけれど、流石にその前提は覆らないと思う」
もちろん最初から全て偽造、という線も無くはない。誰かしらがあの屋敷にいた人物を語ってこの日記を残した可能性だってあるだろう。けれどそれを疑い始めたらキリがない。それに、あの結界の主にはそういう邪念はないように思えた。
ゴトリ、とテーブルの上に例の箱を置いて蓮子は簡単にスケッチしながら言う。
「そしてコレは最終日の日記に記された『素晴らしい箱』と考えていいでしょう。日記があの日を境に途切れていたこと、日記とセットで残っていたことを踏まえて疑う余地はないと思うわ。……ここまでで何か気になることはある?」
蓮子が一区切り付けたここまでが、私達が事前に『確定事項』としていた内容だ。しかし私は彼女の問いにイエスの意を示す手を挙げる。
「改めて読んでみて、どうにもつながりに違和感があるのよね」
私は蓮子に見えるようテーブルの上に日記を広げ指で指し示す。
「ここ。彼の母が苛立っていた日の日記ね。母親の為人は察するしかないけれど、その後仲が修復するようなこともなく息子との結婚を許すかしら」
「彼の母親は機嫌が悪くなると他人に当たるのがいつものことだったみたいよ? 時間が経てば元に戻るのもいつものことで、特別書く必要はなかったんじゃないかしら」
「そう、『いつものこと』として書かれているのよ。それ自体が違和感なのよね」
私は表情を伺うように蓮子の方を見据える。まだ疲れは垣間見えるが、私の言に興味が湧いたらしくその瞳にはやる気が見える。私は少し意気込んで続けた。
「それに付随して、彼は婚約者のことを『彼女』と表記している時があるわ。だけど逆に『彼女』と書かれているものには二種類あるのよ。すみれさんとしっかりと明記しているものとそうでないもの。そして後者に当たるもの三つの内の一つは『母がきつく当たっていた日記』。つまり――」
蓮子は体を起こし目を薄く見開いた。
「『彼女』はもう一人いた――?」
蓮子の辿り着いた結論を私は首肯する。
「記録に残っていないからそれが誰かはわからないけれどね。あるいは友人、あるいは血縁、あるいは」
「使用人。彼らと言葉を交わす機会が十分にある者となれば限られる。それにその『彼女』が使用人なら母が『彼女』を日常的に嫌っていたこと、すみれさんを婚約者として勧められたことを『母らしい』と表現したことに筋が通るわ」
蓮子の思考が加速しているのを肌で感じる。それに共鳴するように私の鼓動も速くなる。
「彼の趣味は家族には理解されていなかった。みんな家を継いでもらうことで頭がいっぱいだったみたいだもの。唯一理解してくれた彼女の存在は大きなものだったでしょうね。そしてそうなれば『彼女に見せたい』も意味深ね」
「許嫁との結婚が正式に決定した後、というのもタイミング的にしっくり来る。そうすると、やっぱり中身は指輪なんじゃないかしら。自分が本当に結ばれたいのは貴方だ、って。そして二人で駆け落ちした。跡取りがいなくなった事実とも合致する」
言葉に言葉を、意見に意見を。言い終わるより先にすべてを理解し、理論を組み立て、重ねるように交わしていく。一呼吸が終わるより早く二人の熱は増していく。
「それは変よ。仮に駆け落ちしたのならこの箱を屋敷に置いていくとは思えない。絡繰りに魅せられた彼が見せたいと残したこの箱を」
「ちょっと待って。そうよ、彼が『見せたい』と言ったものは『箱』なのよね。絡繰り好きの彼に『見せたい』と言わしめたからには会心の出来なのかと思っていたけれど、『見せたい』相手は禁断の恋の相手。中身ではなく絡繰りにこそ意味が込められているのだとしたら――」
まるで時が止まったかのように部屋全体を静寂が支配した。加速していると錯覚する意識の下、私は唾液の嚥下すら躊躇いただ息を潜めている。
――カラン、と。蓮子の手から滑り落ちたペンの音で静寂は破られた。
「何よ、単純な謎じゃない」
蓮子は脱力して顔を伏せる。その口元は心なしか緩んでいる。
「相手の名前は……レイナかしらね」
「なにかわかったの?」
箱を私の方に突き出して蓮子は楽しそうに笑う。ただその眼差しは真剣そのものだ。
「そもそもの話よ? これが箱でありそこに絡繰りがついていれば、誰だってその絡繰りが箱を開く鍵だと思うわ。現に私達もそう考えていた。だけど違う。この箱は『開かないこと』に意味があったのよ」
「それは、箱って言うのかしら」
「言わないでしょうね。けれどこれは『箱』である必要がある」
蓮子はその箱の開き口に付いた五つのパネルを指差す。事前に謎を解いたことで二枚は上に、二枚は下にスライドされている。
「この絡繰りを見て。私達は正解らしき形を作ってけれどこの箱は開かなかった。でも意味がないわけじゃなかったのよ」
「つまりそこに彼が見せたかったものがあるの?」
「ええ。それもすごくシンプルな。この上の数字を見て。『四』と『六』――『シロー』と読めるでしょう?」
蓮子が失笑した理由をなんとなく理解し一瞬思考が鈍る。なるほど、確かに『素晴らしい』と形容した割にはシンプルすぎる。
「……だから相手は『零七(レイナ)』?」
「ええ。そして唯一このパネルだけが動かされることなく残っているのよ」
蓮子は中央に残った一枚のパネルを指でなぞり、私を見据えて一呼吸。自然、私にも緊張が走る。
「謎を解いても開かない箱。そして二人を繋ぐこの数字に彼が込めた思いは」
「『何者も二人を分かつことはなく』そして……『四(死)こそが二人を繋ぐ』……かしら」
「ん~! やっぱりあの店は当たりね」
「そうね。酸味と甘味のバランスが絶妙だわ。あの雰囲気の中で頂いたらもっと美味しく感じるかも」
「次は私もそれを食べてみようかしら。だけどチーズケーキも捨てがたいのよねぇ」
空になったカップにコーヒーを入れ直し、私達は以前から目をつけていた店のケーキを舌鼓していた。疲弊した脳に糖分が染み渡る感覚は、何かイケナイことをしているような錯覚すら起こさせる。大丈夫。これは合法、合法だから。さっきのコーヒーも合わせると女子的には怪しいけれど。
ちらりと、美味しそうにチョコレートのケーキを頬張る蓮子の方へと視線を移す。
蓮子はどれだけスイーツを摂取しても太る気配すら見せない。別段不思議ではない。それだけ彼女は思考にカロリーと糖分を割いているのだろう。しかし私は違う。彼女に合わせていたら気付いた頃には……、ということになりかねない。とはいえこのケーキの味は逆らえるものではない。あと一口、あと一口……。
そういうことで少しは頭を使おうとでも思ったのだろうか。蓮子の様子を伺っていて頭をよぎった問いが口を突いて出た。
「蓮子は、死が彼らを繋いだと思う?」
蓮子はケーキを食べる手を止めるも、しかしフォークは摘んだまま視線を上に向けた。
「そうねー。死がなんなのか、死後の世界があるのかどうかは現代でも解明されていないわ。もし彼らがお互いに思いあったままその人生に終止符を打ったなら、仮に死後の世界なんて物があったとしても認知できない以上その関係が更新されることもないでしょう? そういう意味では、彼らの愛は揺るぎない永遠のものになったと言えるんじゃいかしら」
「……そっか」
蓮子の答えを聞いて、満たされた糖分で回った脳が一つの推論を導き出す。
「彼らは二人の関係を家族に認めてもらえなかったわけでしょう。だけど、ううん。『だからこそ』彼らは誰かに認めてもらいたかったんじゃないかしら。だからこの箱と日記を残した。万一家族に見つかれば処分されるかも知れないという思いが結界まで作り上げて」
「二人で人知れず結ばれる、ということもできたはずでしょう? だけど彼らは自分たちだけが知っていればいいと、心中という選択をした。それでいて誰かに関係を認めてもらいたい、なんて少し傲慢じゃないかしら」
「それは違うわ」
つい先程読んだ小説の内容が思い出される。あれは結果として男の思い込みで終わったが、彼の思いは理解できた。
「心中は彼らの抵抗で、最大の主張なのよ。死という撤回の効かない選択をするほどに、自分たちの愛は大きいと。有無を言わせぬ一方的な主張」
「一方的な主張、ね。反論も許さず、主張が通ったことの確認はおろか意味すら投げ捨てている。確かに一方的、どころか独りよがり、いえふたりよがりかしら」
「そういえば、メリーは死が二人をつないだと思うのかしら?」
蓮子の質問に私はまぶたを下ろす。答えは既に決まっていた。
「思わないわ。愛や絆というのは瞬間的なものじゃなくて、継続的な関係性のことを指すもの。彼らが死を選んだ時点で二人の仲はすでに過去のものよ」
「あら意外ね。こういうものはメリーの琴線には触れないのかしら」
「何かの物語の中で登場する分には嫌いじゃないわ。だけど現実で彼らの選択を美化してしまえば、今こうして生きている私達が惨めに思えるじゃない」
ふと窓の外の空を見上げる。日はずいぶんと傾き、宵の明星が目に入る。彼女ならその空を見て何を思うのだろう。
「極論私達の人生に意味なんてないわ。重要なのはどこに意味を見出すか。だったら死ぬことよりも、生きることに意味を見出したいでしょう?」
私はとびきりの笑顔を浮かべた。
そんな私を見据える蓮子の表情は酷く印象的だった。
そうして本日の秘封倶楽部の活動は終了した。
けれど。
私達――秘封倶楽部の活動は終わらない。
その生に意味を見出す限り。
二人のバックボーンを考えないとわからないってところがよかったです