「これを次の誰かに繋いでほしいんだ」
その男の人は初対面の私に一冊のノートを手渡してきた。
知らない人にいきなり話しかけられてどんな顔をしたらいいかわからなかったので、私はとりあえず猿のお面で顔を隠すことにした。
◆1件目
紹介人 天狗A
店の名前 セブンセンシズ (予算:お酒込みで4000円くらい)
場所 ふもとの里の大通りにあるタバコ屋さんから1本横道に入ったところ
・人里にある洋風のバーなのですが、出てくる料理が和食一辺倒という風変わりなお店です。お味の方も大変すばらしく、知る人ぞ知る名店として一部に熱狂的なファンがいるほど。特に煮物に関しては天下一とまで呼ばれるほどの品で、味のしみた極上の一品があなたの舌を満足させてくれることでしょう。 天狗A
・半信半疑で行ってみましたが本当においしかったです。ただちょっと西洋の雰囲気は苦手でした。普通の内装にすればいいのにと思いました。味はとてもおいしかったです。 天狗その二
・店に入ってまず圧倒されるのが材質を統一された椅子とテーブルで、マホガニー製のかなりいい奴を使っている。どういう伝手で輸入したのかは教えてもらえなかったけど、薄暗く調節された間接照明と相まっていい雰囲気を演出していると連れが言っていた。皿や食器類も相当の一品を使ってそうな割には料理自体の単価が安く、回転率も低そうでたぶん利益出てない。もともと妖怪お断りの店だったらしいけど数年前に妖怪歓迎へと転向したことでだいぶ持ち直したらしい。英断だったと思う。料理はおいしかった。 ぐるリン
・素晴らしい料理でした。牛スジと豚の角煮が特に美味しいです。角煮は梅肉を使ったものとそうでないものを選べるのですが、私は使っていないもののほうが好きでした。あとは牛肉と野菜のすき焼き風の煮物も大変良いものでした。お酒はいただきませんでしたが、食事を堪能させていただきました。 セイントシロちゃん
・この店幻想郷有数の名店だからね。私が紹介したかったくらいだよ。裏メニューで日本酒頼めることは知っておいて損はないよ。 黒猫
・知り合いの女の子を誘ったけど断られたから1人で行ったよ。
まあ俺はこういうシャレオツでイケてるお店に入るにあたって結構緊張を強いられたんだけど、入り口で盛大にこけたあたりでそういうのは消えたね。アライグマに手渡した綿あめみたいに。
そんで料理もめっちゃおいしかったよ。言葉を失うくらい。
俺がそういうの失っちゃやばいと思うんだけど実際それくらいおいしかったよ。そんで上でぐるリンちゃんが書いてるけど実は結構お安いのね、一皿600円とか700円とか。ぐるリンちゃんが誰なのか知らないけどちゃん付けしちゃうね。
でもおいしいからって俺みたいに調子こいて何皿も頼むと財布忘れてたことに気付くことになるから気を付けてね。この店会計を皿洗い払いできないから。 お客さん
「んまぁーい!!」
「こころちゃん声が大きいよ」
「一輪! これすごいおいしい! これはおいしくてどうにかなりそうな舞」
「舞っちゃだめ! 舞っちゃだめだから! お店の中で舞っちゃだめだから他の人たちもお食事中だから!」
「うー?」
抹茶がダメらしい一輪が私を押さえつけてくるが、そんなことで私は止まらない。
皿から香り立つ期待感、見目麗しき豚肉とネギの高揚感、舌の上で弾けて混ざるコクとうま味の多幸感。
それらが複雑に混ざり合い66種のどの面にも属さない感動的な感情を私にもたらしていた。
超うまい。
寅さんの作る漬物よりも屠自古の作る煮魚よりも一輪の作るチャーハンよりも雲山の作る綿あめよりも。
「んまぁーい」
「角煮おいしい? よかったねぇこころちゃん」
「うん!」
隣で何かの魚の煮つけに箸をつけている一輪からも歓喜の感情があふれてくる。
こういう時にあまたの肉料理を差し置いて魚を頼むなんてやっぱり一輪は頭おかしいなと思ってたけど、いざ目の前でおいしそうに食べられるとそちらも気になってくるのが人情というもの。もっと言えば付喪神情というもの。
つまり、一口ちょうだいなのである。
「ん? いいよ」
「仏だ! 一輪は仏だったんだ!」
「代わりにこころちゃんの角煮も味見させてよ」
「やだー! これは私んだ!」
「狭っ! こころちゃん心狭っ!」
一輪からもらった魚の煮つけを最大効率で口の中に入れ、一口で頬張れる量が最大になる理論値そのものに迫る勢いで齧り取る。変顔で嘆く一輪を無視してもぐもぐと咀嚼してみれば、甘辛く煮付けられた魚の味が口の中で暴れまわりそして鼻から噴き出した。
「こころちゃん鼻水出てるけど自分で拭け」
「うん!!」
ご飯だ、ご飯が欲しい。
この口の中の味わいが消える前にご飯を掻っ込むのだ。
肉があるのに魚を頼むなんてやっぱり頭おかしいけど、でもそれ以上においしい。
たまらない止められない。
「ハムッ ハフハフ、ハフッ!!」
「おいしそうに食べるねぇこころちゃん。しっかしよくもまあ見ず知らずの人から人へこんだけ連鎖するもんね。オカルト絡みじゃなさそうだけど」
ご飯をごくりと飲み干し再び角煮へと手を付ける私をよそに、一輪がノートを開いてうんうん頷いている。
私がこの前もらったノート。知らないお兄さんからもらったノート。そしてたぶん、何人もの先人たちが誰かに渡してきたノート。
そのノートに書かれていたお店を巡ってみたいと一輪に相談したのは一昨日で、ついに本日、和尚さんに内緒でこうして山のふもとの里にまで食道楽に来ていた。ちなみにお金は一輪持ちなのである。
「店長さん。前にもこのノート持ってる人来てたりしますか? あ、来ますか。そりゃそうよね、たぶんまた誰かが来ますから。私の知らない誰かが」
「一輪、それ定点観測みたいだ」
「そうだねこころちゃん。同じノートを手にした人たちが次々やってくるお店とかロマンあふれるよね。それだけで一冊の小説になりそう」
「えもい」
「えもいね」
えもい。
煮物のおいしい、実にえもいお店だった。
・お肉もお魚もとってもおいしかった。えもい。 ここいち
◆2件目
紹介する人 天狗その二
名称 はるじま食堂
場所 妖怪の山西側中腹あたり 滝つぼの近く
・500円だけ持ってこい。という謳い文句で有名な所で、とにかく量が多くておなか一杯になれる食堂です。ご飯の量を小、中、大、塔から選べますが、塔を選んではいけません。もっと言うと小以外選んではいけません。からあげの定食がおすすめです。 天狗その二
・行こうとすると白狼天狗に止められるのでなんとか言いくるめて進まねばならないという点では最悪の立地だ。外観は普通の食堂って感じで可もなく不可もない印象だった。内装も特にこだわっている様子もないのでまあそういう客層向けの店なのだと思うし別におかしいということはない。ただその客層がほぼ白狼天狗なので一見さんは千里眼でじろじろ見られることを覚悟したほうがいい。それか時間をずらしたほうがいい。味はまあ普通。量は多い。連れが中を頼んで後悔していた。コストパフォーマンスという点では優れていると思う。 ぐるリン
・初めての方はその場にいるほかのお客様に『そのご飯は大ですか?』と聞いてみるとよいでしょう。『これは小です』と返ってきます。紹介してくださった天狗様おすすめのからあげ定食は非常に美味です。あとは生姜焼き定食や油林鶏定食も味わい深いものでした。ただ油林鶏定食は頼む人が少ないのか出てくるまで時間がかかりますのでお気をつけください。監視のためについて来てくださった天狗の方がいい時間だしと言って同席してくださったのはご愛敬です。 セイントシロちゃん
・大衆食堂としての存在意義はしっかり果たしているし、確かにコスパもいい。全否定する気はないけど、でもはっきり言って味は期待しないほうがいい。テーブルもべたつくし、滝の音もうるさい。 黒猫
「止まれ……身分を照会させてもらう」
「哨戒だけに?」
「こころちゃん静かに」
このノートに書かれていた第2のお店。なんだかリーズナブルでボリューミーな雰囲気を感じ取った我々調査員は、すきっ腹を抱えて妖怪の山まで遠征していたのだ。
ヒュー! 食べ盛り万歳! 白米万歳! 『塔』行ってみようよ『塔』!
「ほらこころちゃん。ご挨拶は?」
「ういぃぃぃぃぃっす! どうも! こころでーす!」
「……どうも」
「あ、すいません。なんか今朝から大食いに燃えてて変なテンションになっちゃってるんです」
「これはお腹すいたの舞!」
「大食いですか。それならちょうどこの辺に……あれ? うわ、そのノート……」
おっとぉ? と運命のいたずらを感じ取ったらしい一輪が犬天狗へノートを見せてあげるように頼んでくる。しかたねぇなぁ。
「持ってけ泥棒!」
「ありがとうございます。……うわ。思ってたより追記されてる」
ペラペラペラとノートをペラる犬天狗だけども、一通り読み終えて満足したのかすぐにノートを返してくれた。
そしてご丁寧にあっちの方です、と店の場所まで案内してくれるという親切心。感心だね。感心の極みだね。
「ご飯! からあげ! 塔!」
「塔はいけません」
「やだー! 塔頼むのー!」
「……あの店の机から天井までの高さはおよそ2メートル9センチです」
「んー?」
その情報を聞いても机の上に立って踊れるスペースはあるなぁとしか思わなかった私だけども、隣で聞いていた一輪の感情が濁ったのでたぶん一輪には犬天狗の言わんとすることが理解できたんだと思う。ならいっか。
「着きましたよ。ここがその店です」
「ありがとうその二!」
「こころちゃんその二呼ばわりはあんまりだと思うよ」
そこは滝の音がゾバババババと聞こえてくる騒がしいお店だった。
天狗その二をお昼に誘って断られている一輪を無視して店の中に入ってみれば、そこにいたのは犬、犬、犬。白い毛並みの薄汚れた天狗たちが私の体をじろりと睨んでくるのであった。視姦であった。でも踊っちゃう。
「こころちゃん何やってるの? お腹すいたの舞?」
「違うこれは人に見られすぎて本能が抑えきれなくなってるだけ。つまり付喪神的本能」
「大変ね」
結局その二は仕事に戻ったと言う一輪といっしょにテーブルに着く。着くというよりべたつく。
そんで隣のテーブルの犬のご飯をのぞいてみれば、すり鉢みたいなどんぶりに山盛りのご飯が乗っているのが見えた。あれは大かな? 犬だけに。
「おにーさん! それ大盛り?」
「ん? 小だよ」
「そっかー!」
犬にお礼を言い、塔を頼むのはやめようかなという気分になってきた私は一輪からメニューを受け取った。『500円だけ持ってこい』とでかでかと書いてあってダサかった。
ノートとメニューを見比べながらやっぱりからあげでいいかなぁと考える。うん。からあげ。とりにく。とりにくってのはニワトリの肉のこと。
「からあげ定食にするー」
「そっか。ご飯は小だよ」
「ちぇー。一輪は? 魚あるよ?」
「私は水だけでいいや。でもお味噌汁は普通サイズだし単品とか頼めるかなぁ」
「おなかすいてないの?」
「まあね」
「えもい」
「えもくはない」
シニカルに笑う一輪が本当にお味噌汁だけ頼むのでこいつ頭おかしいのかなと思ったけれど、いざ自分の前にすり鉢みたいなどんぶりに乗せられた山盛りのご飯が届くとそんな感情も彼方へと消えていった。消えていったというか、それどころじゃなくなった。
ご飯もさることながら、からあげそのものの量もまた尋常にあらず。きっとニワトリを1羽まるごと使ってる。
ふとさっきの隣の犬の席を見てみれば、おかずのお皿も結構大きかったことに気が付いた。焼肉屋で出てくる大皿くらいのサイズだった。さっき気が付きたかった。この犬はおかずから先に全部食べるタイプの犬だった。
「……っ」
「こころちゃん半分もらっていい?」
「え!? い、いいよ! しょうがないなぁ一輪は!」
「昨日は角煮くれなかったけど」
「すいませんでした」
店員に小皿をもらい仲良くからあげとご飯を半分こした私たちは、それでもおなかいっぱいになれたのである。
周りの犬たちがひとりでペロリと定食を平らげている姿に吐き気を催す場面もあったものの、肉体労働者たちの喜びに満ちた感情は私にいくらかの活力を与えてくれたこともまた確かだと思った。
途中からご飯に味噌汁をかけて食べてた一輪は賢いと思った。
・多いので2人で分けて食べたほうがいい。小以外を頼むやつは馬鹿。えもくない。 ここいち
◆3件目
紹介人 ぐるリン
店名 みすち屋
出店場所 迷いの竹林南部 屋台のため時折違う場所で営業することもある
営業時間 午後6時から午前2時まで
定休日 木曜定休、年末年始、ライブがある日はお休み
・ヤツメウナギのおいしいほっと落ち着く小料理屋。経営しているのはなんとあの大人気妖怪バンドグループ鳥獣伎楽のメンバーであるミスティア・ローレライだ。人気アイドルの手料理が食べられる機会なんてそうそうあるもんじゃないと思ってはじめは冷やかし半分だったんだけど、今ではすっかり料理目当てに通うことになっちゃったくらいに料理がどれもこれもうまい。今日は気取らずに飲みたいなと思うときはフラッと寄ってみるといい。いいことがあった時もちょっとヤなことがあった時も、割烹着の似合う美人な女将があなたの話を驚くほど親身に聞いてくれるよ。 ぐるリン
・やはり焼き物がメインのようで、かば焼きや牛肉の串焼きが大変おいしかったです。ただ店主の意向で鶏肉だけは扱っていないそうなのですが、卵はいいらしいので遠慮なく注文するといいでしょう。 セイントシロちゃん
・かば焼きよりむしろだし巻き卵の方がおいしい。焼酎に合う。ていうか最初の宣伝が本気っぽいんだよ。いくらもらってんだ。 黒猫
「うーん。ここ行ったことあるし次にしない?」
「やだ! 行きたい!」
「そろそろお財布の都合もなぁ……、うーん」
渋る一輪を引っ張りながら、食道楽を追求すべく竹林に進む調査班。
お昼に食べた犬天狗御用達のからあげ定食は異次元のボリュームだったけども、なんだかんだ夜になればおなかもすいてくるから不思議なものだ。夕飯はちゃんと入った。
でもこれは深夜の外食。寺からの脱走。この支配からの卒業。しかも居酒屋へ。
つまりばれたらめっちゃ怒られる。
「ねえ一輪、お寺は大丈夫だよね。ばれてないよね」
「うん? んー、そうだね。マミさんに賄賂送っといたから大丈夫だと思うよ」
「なんて頼りになる一輪だ!」
猿の面をかぶりながら一輪に体当たり。そのまま抱き着いて頬ずりする。
今回は割と綱渡りなことをしているので、いかにも一輪が喜びそうなことを適宜していかないと後がよろしくない。
一輪は私に甘えられるのがうれしい。私はただ酒にありつける。最高の共生関係と言えよう。うん、言えてる。
「ヨシ」
「なにがヨシなのこころちゃん。お店やってなさそうだよ」
「んむー?」
うなりながら竹林の南の方をうろうろし、なんとなくたどり着いたそれっぽい場所にはお店もお客もいない代わりに看板だけがポツンと置いてあった。
『今夜はライブだよ!! お店出せなくてゴメンね♪ 東の里の近くの大切り株まで聞きに来てね!! 急がないと終わっちゃうんだからね!!』とか書いてある。バンドやってるイラストも描いてある。翁の面を投げつけてみたが書いてあることは変わらなかった。
ヨシ。
「一輪!」
「行かないよ?」
「うるせぇ! 行こう!!」
「いやさすがにそれは姐さんにばれたときのリスクが跳ね上がるし」
「うるせぇところに行こう!!」
「微妙に変えてきやがったよ」
いや行くでしょ。これで行かないとか頭おかしいでしょ。
もうしょうがないから力いっぱい抱きしめてほっぺにキスして耳元でうるせぇ行こうとささやいた。
「最後のセリフに情緒がない。やり直し」
「やり直させるんだ」
「冗談だよ、しょうがない。ちょっとだけだよこころちゃん。ライブ最後まで見てられないからね」
「いやったー! ありがとう一輪!」
酒は飲めなさそうだな。という一輪の独り言は聞こえなかったことにして、我々調査班は急遽予定を変更し、ライブ会場へと向かうのであった。
お店に行けなかったのは残念だったけど、まあ行ったことあったし。今度でいいや。
・ちょうど新曲のお披露目だった。いろんな妖怪たちが歓喜の感情を爆発させていてすごく楽しかった。すごくえもかった。焼きそばはおいしくなかった。お酒の出店もあってよかった。女苑が捕まってた。 ここいち
◆4件目
御紹介いたします セイントシロちゃん
お店の名前 璃々苑 (予算:18000円くらい)
場所 北の里中心街 自警団第四駐屯所の少し南
営業時間 11:00~14:00(昼の部)、17:00~23:00(夜の部) 昼夜ともにラストオーダーは閉店30分前
定休日 年末年始
注意 完全予約制のため、事前予約が必要です。予約は代理人でも問題ありません。
・店内に入るとまず備長炭の上品な香りが迷える子羊たる我々を出迎えてくれます。客室は2階と3階になりますので、肉に思いを馳せながら給仕人の方についていきましょう。北の里が牧場を中心とした円環状に店が並んでいることは皆さまご存知かと思われますが、中心に近いほど格の高い店であるということは案外知られておりません。本店はまさしく中心街、幻想郷最高峰の焼肉屋です。まずタン。薄切りと厚切り、ネギの有り無しが選べますが、ずばり薄切りのネギ有りがベストです。炭火から発されるほのかな明かりを頼りに網へとタンをおろせば、肉に火が通る香ばしい音色が焼肉時間の始まりを告げてくれます。続いてはヒレ。タレもあるのですがこれは塩でいただきましょう。そして本命のカルビ。通常のカルビとツボ漬けカルビというやや味の濃いカルビがあります。当然ながら脂身だらけの下品な安物とは違います。適度な脂身にきめ細やかな色合い、どちらも幻想郷最高峰の名にふさわしい大変な美味です。少し細かい話になりますが、この店で使われているタレは店主のいとこが経営している業者で製造されているそうです。製法までは教えていただけませんでしたが、使っている果実は輸入品ではなく幻想郷産のもので、その年最高の品を独自に入手しているとのことでした。この特性のタレは他の店には卸さないため、璃々苑でしか味わうことはできません。ぜひじっくりとご堪能ください。カルビを堪能したら赤身に入ります。ロース、ハラミ、イチボ。どれも光り輝くような存在感を放つ堂々たる肉質です。自慢のタレでいただきましょう。時折本当においしい肉は塩で食べるべきだと主張する未熟者がおりますが、それはこの店のタレを知らないから言えるのです。そのようなことを言うものは死後裁きに遭います。ここのタレはしょっぱいだけの廉価品ではありません。ほんの少し肉にさらすだけで、その味を十二分に際立たせてくれる一品です。そして最後はホルモンです。苦手な方もいるらしいので無理はしなくていいと思いますが、新鮮なホルモンは国宝級のおいしさです。璃々苑では10種類ものホルモンを注文することができますが、私が好きなのはレバーとミノとヒモです。これらは外せません。ご参考までに。またこれは一番大事なことですが、焼肉屋には火曜日から土曜日の間に行きましょう。焼肉屋で出される肉は流通前に第三者機関による検査が行われるため、基本的にさばいたその日にお店に並ぶわけではありません。その検査場も土日はお休みとなるため、金曜日に検査した肉を土日と月曜日に出すことになります。食品衛生上何ら問題はありませんが、内臓系の肉は鮮度が命。月曜日が祝日の時の火曜日ともなると目も当てられません。ぜひとも他の曜日に行きましょう。全座席個室ですので時間を気にせず焼肉を堪能できることでしょう。 セイントシロちゃん
・紹介してる人の焼肉に対する愛が重いんだよ。とはいえ、件の焼肉屋は紹介文の表現に遜色ない味だった。正直今まで知らなかったことが恥ずかしかったレベル。タレがどうとか果実がどうとか言ってたけど、戯れに調査してみたら全部マジだった。イカれてるようにしか見えないけど上の紹介文は信用していいと思う。 黒猫
・最初の店からこっち、ずっと人間には行けない店ばっかりだったから焦ったね。最後まで出番ないかと思ったよ。サンキュー、セイントシロちゃん。サンキュー、北の里。
戸隠さんを誘ったけど断られたから1人で行ったよ。1人焼肉とかいつ以来だろうね。
そしてクッソうまいのねここの焼肉。俺も焼肉くらい行くことあるけどこの店尋常じゃないね。舌溶けるかと思ったよ。
語彙がね、もうね、どうにもならないね。ほら、寒い国の言語には雪の種類を表す言葉が多いだとか、文化によって語彙に偏りがあるとかいう話あるじゃん? 食べ物の味に関する語彙が豊富な言語とかないかね、そうじゃなきゃ表現しきれないよマジで。
グルメ界の食材かと思ったもん。ジュエルミートとかGODとかそれ系。このタレも猛獣のうろつくどこかの泉から湧いて出てるに違いない。
あとそうだ、予算とか事前にわかるといいと思ったから行った店の目安追記しておいたんで参考にしてね。
俺が行ってない店も誰か追記しておいてくれないかなぁ(なげやりに言うのがコツね)。 お客さん
「姐さん、今お時間よろしいでしょうか」
「あら雲居。どうしました改まって」
「いえ、最近こころちゃんが外食にはまっちゃったらしくて、いつも私たちだけ申し訳ないなぁと思いまして」
「ふむ、秦もなんにでも興味を持つ年頃でしょう。事前に連絡さえしてもらえれば問題ありませんよ。他の者には私から言ってありますし」
「ありがとうございます。ところでちょっとご相談がありまして、実は次にこころちゃんが行きたいって言ってるお店がちょっとお高い所でして、今回だけ特別予算を組ませていただけませんでしょうか」
「……雲居。外食そのものは構いませんが、お小遣いの範囲で賄えないようであれば、それは行くべきでない分不相応なお店ということでしょう。我慢を覚えさせるのも教育の一環ですよ」
「おっしゃること誠にその通りなんですが、どうもこのお店かなり熱烈なファンがいるみたいでして、どうしても行ってみたいって言うんですよ」
「ですから、お小遣いを貯めて行く分には構いません。欲しいもののために他を我慢し、その果てに達成するというのもよい情操教育となるでしょう」
「璃々苑、っていう店なんですが」
「……ッッ!!」
「なんでも幻想郷最高峰のお店だとか、秘伝のタレをいとこの業者から卸してるとか」
「へ、へぇー。そんなお店があるのねー」
「外食といえば、姐さんも先々月あたりに多かったような……」
「え、ええ、まあ。ご近所付き合いや、檀家さんたちとの交流もありますので、そういうことが重なる時期もあるますとも。ええ。うん」
「ふもとの里の洋風バー、妖怪の山の大盛り食堂、ミスティアさんの店……」
「わ、私にはなんのことだかわかりかねますよ?」
「そうですかねぇ。そういえばどうもおかしなことに姐さんが檀家さんに会いに行くと言っていた時間帯にその檀家さんが他の場所で目撃されていたり、昼前に終わったはずの会合なのに帰りが夕方だったりとそういったことが多発していたのもその時期だったような」
「……。いやあの、ね。あまり探るようなことは感心しませんよ」
「いやしかもノートを見ると結構な回数来店しているような記述があるんですが、お小遣いの範囲じゃ絶対に足りないはずなんですよね。私はこの寺の財務を任せていただいておりますが、その割には不明瞭な支出もないんですよ。これはまさか私の知らない収入があるのかなー。なんて。誰かからちょこちょこお小遣いもらってるのかなー。なんて」
「……いや、その」
「本格的に調べればもっと出てくるでしょうねー。この寺で金のことで私に敵うやつはマミさんだけですし」
「しかし、だからと言って特別扱いはちょっと……」
「ところでこのお店について他の方からの感想が追記されていましてね。お店に行ってみた感想だけでなく紹介している方自身へも言及されていたりするんですが、見たくないですか? 感想」
「……雲居。私の知るあなたはコミュ力こそ抜きんでていますが基本無能で、お酒に頼る以外の手段など使おうともせず、それゆえ扱いやすかった。いつの間に……こんな清濁織り混ぜた完璧な交渉術を身につけました」
濁しかないだろ。と、私は思った。
ノートを貸してほしいなんて言うから何をするのかと思ったら、和尚さんの前でぴらぴら振って見せるのに使うなんて悪鬼そのものだった。
しかしそんなこんなでスポンサーを見つけてきた一輪にお金のことはすべて任せ、私は肉への期待に胸を膨らませながら人里へと繰り出すのであった。
「ねぇ一輪」
「なぁにこころちゃん。私は店の予算を書いておいてくれたこのお客さんとかいう人に心底感謝しているところだよ?」
「ここの焼肉を私のフルコースに入れたい」
「捕獲レベルが高すぎるかもね」
適当なことを話しながらたどり着いた焼肉屋。
今までのとは格が違うぜと言わんばかりに豪華な造りのお店に、お前たちとはもらってる給料が違うぜと言わんばかりに品のある給仕さんが受付をしてくれた。
玄関口に漂っている香りがすでにおいしそうだった。
予約はセイントシロちゃんとの交渉前に済ませてあったので、案内されるがままになんとなく大陸っぽいデザインの調度品を眺めながら廊下を進み、不必要にスペースの確保された個室でテーブルに着いた。
ほどなくして届けられた七輪には煌々とした感じの炭がたっぷりと詰められており、上に乗せられた網にもうっすらと油が引いてあることがうかがえた。
うーん。これは高級。
「ねえ七輪」
「一輪だよこころちゃん」
「私はこの七輪に話しかけてるの」
「……私も自分の心に話しかけてたんだよ」
自分の内面に声を出して話しかけるとか頭おかしいと思ったけど、つまらないことを言いあって焼肉を汚すこともあるまい。
ひょっとこのお面をかぶりながら、私はお肉が来るのを待つのであった。
今日はいっぱい食べる。
いつかの犬の食堂で食べた時よりたくさん食べる。
塔。
「ふんすふんす!」
「気合入ってるねこころちゃん。紙エプロン着ける?」
「着ける!」
言ってる間に届けられた薄切りタンネギ有りの皿。
焼く前なのにすでにおいしそうなのはなぜだろうか。
炭火に照らされててらてらと輝く網にそいつを乗せてみれば。
シュゥ、という上品な音が沸き立つのであった。
そして気になるお味の方は……。
ひゅう。
・すごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおくおいしかった。おいしすぎて『おいしい』以外の感想がちょっと出てこないくらい。とにかく超おいしかった。自分が食べたものが今でも信じられない。なんちゅうもんを食わせてくれたんや。紹介してる人と同じメニューにしてみたんだけど本当に頬が落ちるかと思った。気が遠くなるほどえもい。これはジュエルミート。私のフルコースの肉料理は決まった。 ここいち
◆ 5件目
紹介:お客さん
名前:総菜処オリハルコン
予算:1000円くらい
営業時間:16時から20時までの4時間
定休日:土曜日曜祝日
場所:鈴奈庵の近く
・飲食店じゃないんだけどめっちゃおいしいので紹介するね。
小分けされた総菜をばら売りしてる店なんだけど、どれもめっちゃおいしいんだよね(2回目)。
ただ前に紹介されてる店においしい所が続いてるからだんだん感動が薄れてきちゃってるかもね。そういうのヴェーバー・フェヒナーの法則っていうんだけど、大抵そういう時は時間空ければ解決するから楽なもんだよ。俺はそういうの詳しいんだ。
あと、営業時間前に行くと追い返されるから気を付けてね。グッドラック、シン・カザマ。 お客さん
あれ? と思って私は何度かノートを読み直した。だけどもやっぱり5件目の紹介はこの記事で、焼肉屋との間にお店の紹介はなかった。
じゃああの黒猫とかいう奴はケチつけるだけつけてなんにも紹介しないで去っていったってことだろうか。なんてえもくない奴だ。
「一輪! 私もお店紹介したい!」
「おお、いいじゃないの。どこ紹介するの?」
「えもいお店!」
「そっかーえもいお店かー」
最後のお店はたまたま午後の布教活動をする場所に近かったので、さぼりついでに向かってみることにしたのだった。ちょうどお店が開く時間だったのでちょうどよかった。
さぼるのはいつものことだった。
「こころちゃん。はいこれ」
「うん? 千円札?」
「今回は総菜屋さんみたいだからね。こころちゃんが2人分見繕ってくれないかな。おやつ代わりに」
「うん! いいよ!」
さて、ポケットにお金をねじ込みながら雑踏を進んでいくけども、それっぽい総菜屋が見つからない。
鈴奈庵の近く。とかいうざっくばらんすぎる位置情報で果たして見つかるのかという不安が調査員を襲いスタッフも諦めかけたその時、クソみたいに読みづらい行書でデカデカと『オリハルコン』と書いてある看板を見つけた。
なんて神経質そうな文字だ。
「ねぇ一輪、今何時?」
「んー? ちょっと待ってねー」
もたもたと懐から時計を取り出す一輪。
お店は見た感じまだ開店前だったけど、並んでいる人もいるってことはそろそろっぽい気もする。
「うん。もうすぐ開く時間だよこころちゃん」
「ヨシ」
「人が並んでるなんてよっぽどおいしいんだろうね」
一輪がじゅるりとよだれをぬぐうようなそぶりを見せる。前の焼肉屋がやばかっただけに実は今回あんまり期待してなかったんだけど、その感情に引きずられて私もちょっと楽しみになってきてしまった。
じゅるり。
「お? ここが最後尾だぞぉ。割り込みすんなよぉ?」
微かにおいしそうなにおいが漂ってくる総菜屋。
入り口前の邪魔にならないところに並んでいたそいつは、小さな角を頭に生やした妖怪だった。
里の中で妖怪丸出しなのもどうかと思うけども、それより前髪を一部だけ赤く染めるというロックな感じというか、世間の感情をことごとくあざ笑うような、そいつはちぐはぐな格好の妖怪だった。
というか1人しかいないのに最後尾も何もないと思う。
「へいへーい! しないよそんなこと!」
「はいはいこころちゃん。ちゃんと並ぼうね」
「……元気いいなお嬢ちゃん。いいことでもあったかい?」
「うんー? いいことはこれからあるんだよ! 総菜! おやつ!」
「おやつかぁ。おやつ替わりならレンコンのちょっと辛いやつとか、サンマのあんかけ揚げとかがいいなぁ。一品で完結してるからご飯とかいらないし。口直しにキュウリの漬物もあるといいぞぉ」
「うおー! 肉は!? からあげは!?」
「おお。ここのからあげは絶品だぞ。特に揚げたては最高だ。噛むたびに肉汁があふれてきやがる。あとは豚肉のホルモン炒めとかかなぁ。味噌味でこってりしててうまいんだが、ご飯が止まらなくなるのが難点だな。つい食べ過ぎちまう」
「うおおおおおお!!」
「こころちゃん落ち着いて」
「あと酒のつまみにいいのはソラマメとか枝豆とか。ここの枝豆はシソがまぶしてあってビールに合うし、サバの味噌煮とシシャモ焼きで飲む日本酒はたまらないぞぉ」
「うおおおおおお!!」
「一輪落ち着いて」
騒ぐ我々であったが、それもやむなし。
常連らしき妖怪のおいしい総菜情報には、我々調査員の腹の虫を鳴らすのに十分なパワーがあったのだ。
しかし、はて。三者三葉に期待の感情が盛り上がっていくのを感じるが、私はふと妙な感覚を覚えた。
期待は期待。
確かに未来に対する希望がみんなの心の中からにじみ出ているのだが、目の前の妖怪の感情が妙に邪悪なのだ。
この妖怪の気質なのかなとも思ったけれど、なんとなく、そうじゃないような予感が私の中で渦巻いた。
この妖怪が期待しているのは、総菜の味じゃない。
なんだろう。
何かこう、悪意に満ちているような気がする。
「……ハッ!!」
「おう?」
「どうしたのこころちゃん」
ピーン、とブッダからの天啓を得た私は懐からノートを取り出す。そして改めて中に書いてある紹介文を、お客さんなる人が書いてくれた注意文を確認した。
曰く、営業時間前に行くと追い返される。
付喪神的に直感した。
これだ。一輪と雑談に興じるこの妖怪が期待しているのは、これだ。
「一輪! 行くよ!」
「へ? こころちゃんどこ行くの? お店開いちゃうよ?」
「いいから!!」
一輪の手を引いて総菜屋と悪魔みたいなことをする妖怪から離れる。
不思議と満足そうな感情を発しながらこちらに手を振る妖怪を尻目に、適当な曲がり角まで進んで身を隠した。
「一輪今何時?」
「どしたのさこころちゃん。総菜はいいの?」
「いいから何時?」
「え、うんもう。えーと、……ちょうど4時だよ」
「うわぁ。時間ぴったりだ」
通りの陰からこっそりと覗いてみれば、店内から現れたいかにも神経質そうなおっちゃんがさっきの妖怪を怒鳴りつけているところが見えた。
理不尽なまでの激怒の感情がさっきの妖怪に向かい、シッシッと虫でも払うかのようにどこかへと追いやられてしまった。
うわぁ。
あぶない。巻き込まれるところだった。
「うわ、何あれ」
「一輪これ。ノートに書いてあった」
「……ほんとだ。よく気付いたねこころちゃん」
この紹介してる人もあの妖怪と同じ目に遭ったのかもしれない。
いや、たぶんあの妖怪わかっててやってる。あれだけ商品のことを語れるくらい常連なのにこんなの知らないわけがない。
それどころか小粋なトークで散々期待させておいて、感情を高ぶらせた客が店員のおっちゃんに蹴散らされるのを眺めて悦に入る気だったのだ。
だってあの妖怪からおっちゃんに対する怒りや困惑の感情が感じられないんだもの。間違いなくわかってやってる。危なかった。
「ヨシ。行こう一輪」
「うん。今日のこころちゃんは頼もしいね」
「ふんすふんす!」
そして開店。店内。総菜。
広くもないスペースに所狭しと並べられた総菜たちは、どれも本当においしそうだった。
開店と同時にどこに隠れていたのかと思うほどお客が集まってきたことを思えば、そして彼らの感情がかなり好意的な部類であることを思えば、ここの総菜のレベルの高さが期待できるものであることがうかがえた。
千円で何を買おうか散々悩んだけども、結局からあげとメンチカツと豚肉の炒め物にした。
あの妖怪のおすすめなど信じない。というかお肉食べたかった。
サンマのあんかけおいしそうと一輪がちらちらこっちをのぞいて来ていたけど、選択は私に委ねられていたので無視して肉を選んだ。
お会計を済ませて店の外へ出る。
一輪とともに里の外まで足を延ばし、適当に涼しげな木陰に腰を下ろす。
そしてもらったお箸で総菜をつつけば、作りたての料理から期待以上の歓喜が私の舌に広がった。
まずはからあげ。
揚げたてそのままの熱を孕んだジューシーな脂が噛むたびに口の中で暴れ回る。
口の端から垂れるよだれをなめとりながら、私は一輪と幸福を分かち合った。
うまい。天狗その二にも教えてあげたい。
このからあげをおかずにしたなら、きっと塔だって食べきれるだろう。
豪快なほどの歯ごたえを返すこの鶏肉には、魔法がかかっているようだった。
続いてメンチカツ。
この手のひき肉には古めの肉を使うところも多いと一輪が教えてくれたが、このメンチカツは明らかに違っていた。
かぶりつくたびにその存在を声高に主張するこの牛肉が、そんな小細工とは無縁な代物であることは明白だ。そんなことは肉の専門家であるセイントシロちゃんでなくともたやすく理解できた。
メンチカツにはしょうゆ派の私だけども、これには何もかけなくていいと思う。
余計な味付けはバランスを崩すだけ、そう思えるほどに完成された料理だった。
最後に豚肉の炒め物。
豚肉と玉ねぎが甘しょっぱく炒めれらたこの一品は、一口食べただけでご飯を掻っ込みたくなる代物だ。
マヨネーズが巧みに混ぜ込まれているこのダイエットの敵は、最初に食べるべきだったと後悔するほどに食欲を掻き立てられる。
ご飯だ。ご飯が欲しい。
白い飯を口いっぱいに頬張りたい。
黒猫よ。文句だけ言って消えていったグルメな子猫ちゃんよ、見てるか? 私はこの炒め物をフルコースのオードブルにするぞ。
ああ、おいしい。
本当においしい。
なんでだろう。今まで教えてもらったお店はどこもみんなおいしかったけど、ここの総菜はそのどれよりも輝いて見える。
店としてはいっそ安い部類なのに、不思議と満足感は期待以上だ。
あの邪悪なる妖怪のたくらみを突破して手に入れたものだからだろうか。
一輪と2人で分け合ったおやつ代わりの総菜からは、心地よい勝利の味がした。
・豚肉の炒め物がすごくおいしかった。ご飯が欲しくなる。でもお店が開く時間の前に並んでると本当に追い返されるから気を付けて。 ここいち
◆ 6件目
「これを次の誰かに繋いでほしいんだ」
その男の人は初対面の私に一冊のノートを手渡してきた。
知らない人にいきなり話しかけられてどんな顔をしたらいいかわからなかったので、私はとりあえず猿のお面で顔を隠すことにした。
怪しさ満点のノートをめくってみると、どうやらいろんな人たちが知ってるグルメを紹介して追記しているようだった。誰かが始めた悪戯が、何人もの愉快犯たちの手に渡ってきたらしい。
正直なんだこれって思ったけども、ただその連鎖が、捨てようと思えばいつでも捨てられたノートを誰も捨てずに後へと繋げてきたことが、ちょっとした奇跡のようにも思えた。
どこの誰だか知れないお前に。
最高の店を教えてやる。
えもい。
そんな酔狂なえもさが、私の感情を一発で揺さぶった。
「この最新の人、『お客さん』っていうのがあなた?」
「い い や 違 う よ 」
男の人はそう言ってほほ笑んだ。デスゲームを生き残った後の藤原竜也みたいな笑顔だった。
「あたいはなにも追記しなかった。本当は煮物屋さんを紹介したかったけど、最初に紹介されちゃってたからやめたよ」
「ふーん」
「お友達を誘って行ってくるといい。仲のいいお友達とね」
「……うん」
全然関係ないけど地底とかいいよね。全然関係ないけど。と、男の人はそう念押しして帰っていった。
意味はよくわからなかったので結局一輪と行くことにした。
あれから2週間。今、私は6件目のお店を追記している。
彼らに続くために。次の誰かに繋げるために。
紹介する私の名前、お店の名前、お店の場所と営業時間とか。前の人に倣って値段も書いておこう。そして、そこがどんなにえもいお店なのかも。余す所なく書ききろう。
「1人で大丈夫? こころちゃん」
「大丈夫! 行ってくるね一輪!」
「いってらっしゃい。気を付けてね」
「うん!」
手を振ってくれる一輪と別れ、私は地底へと向かう。
洞窟を越え、橋を越え、旧都を突っ切り、新築みたいにピカピカの地霊殿へと。
そして手渡す。
前の人たちがそうしてきたように。
次の人もきっと同じように続いてくれると信じて。
愉快犯たちのバトンリレー。
私の宿敵よ。これを次の誰かに繋いでほしい。
なくしたら許さないけど、どうか堪能してほしい。
地上にある数々のお店を。
私が追記したお店を。
お前に教えたいと思ったお店を。
たった今私が繋げた、出来立てのグルメノートを。
了
その男の人は初対面の私に一冊のノートを手渡してきた。
知らない人にいきなり話しかけられてどんな顔をしたらいいかわからなかったので、私はとりあえず猿のお面で顔を隠すことにした。
◆1件目
紹介人 天狗A
店の名前 セブンセンシズ (予算:お酒込みで4000円くらい)
場所 ふもとの里の大通りにあるタバコ屋さんから1本横道に入ったところ
・人里にある洋風のバーなのですが、出てくる料理が和食一辺倒という風変わりなお店です。お味の方も大変すばらしく、知る人ぞ知る名店として一部に熱狂的なファンがいるほど。特に煮物に関しては天下一とまで呼ばれるほどの品で、味のしみた極上の一品があなたの舌を満足させてくれることでしょう。 天狗A
・半信半疑で行ってみましたが本当においしかったです。ただちょっと西洋の雰囲気は苦手でした。普通の内装にすればいいのにと思いました。味はとてもおいしかったです。 天狗その二
・店に入ってまず圧倒されるのが材質を統一された椅子とテーブルで、マホガニー製のかなりいい奴を使っている。どういう伝手で輸入したのかは教えてもらえなかったけど、薄暗く調節された間接照明と相まっていい雰囲気を演出していると連れが言っていた。皿や食器類も相当の一品を使ってそうな割には料理自体の単価が安く、回転率も低そうでたぶん利益出てない。もともと妖怪お断りの店だったらしいけど数年前に妖怪歓迎へと転向したことでだいぶ持ち直したらしい。英断だったと思う。料理はおいしかった。 ぐるリン
・素晴らしい料理でした。牛スジと豚の角煮が特に美味しいです。角煮は梅肉を使ったものとそうでないものを選べるのですが、私は使っていないもののほうが好きでした。あとは牛肉と野菜のすき焼き風の煮物も大変良いものでした。お酒はいただきませんでしたが、食事を堪能させていただきました。 セイントシロちゃん
・この店幻想郷有数の名店だからね。私が紹介したかったくらいだよ。裏メニューで日本酒頼めることは知っておいて損はないよ。 黒猫
・知り合いの女の子を誘ったけど断られたから1人で行ったよ。
まあ俺はこういうシャレオツでイケてるお店に入るにあたって結構緊張を強いられたんだけど、入り口で盛大にこけたあたりでそういうのは消えたね。アライグマに手渡した綿あめみたいに。
そんで料理もめっちゃおいしかったよ。言葉を失うくらい。
俺がそういうの失っちゃやばいと思うんだけど実際それくらいおいしかったよ。そんで上でぐるリンちゃんが書いてるけど実は結構お安いのね、一皿600円とか700円とか。ぐるリンちゃんが誰なのか知らないけどちゃん付けしちゃうね。
でもおいしいからって俺みたいに調子こいて何皿も頼むと財布忘れてたことに気付くことになるから気を付けてね。この店会計を皿洗い払いできないから。 お客さん
「んまぁーい!!」
「こころちゃん声が大きいよ」
「一輪! これすごいおいしい! これはおいしくてどうにかなりそうな舞」
「舞っちゃだめ! 舞っちゃだめだから! お店の中で舞っちゃだめだから他の人たちもお食事中だから!」
「うー?」
抹茶がダメらしい一輪が私を押さえつけてくるが、そんなことで私は止まらない。
皿から香り立つ期待感、見目麗しき豚肉とネギの高揚感、舌の上で弾けて混ざるコクとうま味の多幸感。
それらが複雑に混ざり合い66種のどの面にも属さない感動的な感情を私にもたらしていた。
超うまい。
寅さんの作る漬物よりも屠自古の作る煮魚よりも一輪の作るチャーハンよりも雲山の作る綿あめよりも。
「んまぁーい」
「角煮おいしい? よかったねぇこころちゃん」
「うん!」
隣で何かの魚の煮つけに箸をつけている一輪からも歓喜の感情があふれてくる。
こういう時にあまたの肉料理を差し置いて魚を頼むなんてやっぱり一輪は頭おかしいなと思ってたけど、いざ目の前でおいしそうに食べられるとそちらも気になってくるのが人情というもの。もっと言えば付喪神情というもの。
つまり、一口ちょうだいなのである。
「ん? いいよ」
「仏だ! 一輪は仏だったんだ!」
「代わりにこころちゃんの角煮も味見させてよ」
「やだー! これは私んだ!」
「狭っ! こころちゃん心狭っ!」
一輪からもらった魚の煮つけを最大効率で口の中に入れ、一口で頬張れる量が最大になる理論値そのものに迫る勢いで齧り取る。変顔で嘆く一輪を無視してもぐもぐと咀嚼してみれば、甘辛く煮付けられた魚の味が口の中で暴れまわりそして鼻から噴き出した。
「こころちゃん鼻水出てるけど自分で拭け」
「うん!!」
ご飯だ、ご飯が欲しい。
この口の中の味わいが消える前にご飯を掻っ込むのだ。
肉があるのに魚を頼むなんてやっぱり頭おかしいけど、でもそれ以上においしい。
たまらない止められない。
「ハムッ ハフハフ、ハフッ!!」
「おいしそうに食べるねぇこころちゃん。しっかしよくもまあ見ず知らずの人から人へこんだけ連鎖するもんね。オカルト絡みじゃなさそうだけど」
ご飯をごくりと飲み干し再び角煮へと手を付ける私をよそに、一輪がノートを開いてうんうん頷いている。
私がこの前もらったノート。知らないお兄さんからもらったノート。そしてたぶん、何人もの先人たちが誰かに渡してきたノート。
そのノートに書かれていたお店を巡ってみたいと一輪に相談したのは一昨日で、ついに本日、和尚さんに内緒でこうして山のふもとの里にまで食道楽に来ていた。ちなみにお金は一輪持ちなのである。
「店長さん。前にもこのノート持ってる人来てたりしますか? あ、来ますか。そりゃそうよね、たぶんまた誰かが来ますから。私の知らない誰かが」
「一輪、それ定点観測みたいだ」
「そうだねこころちゃん。同じノートを手にした人たちが次々やってくるお店とかロマンあふれるよね。それだけで一冊の小説になりそう」
「えもい」
「えもいね」
えもい。
煮物のおいしい、実にえもいお店だった。
・お肉もお魚もとってもおいしかった。えもい。 ここいち
◆2件目
紹介する人 天狗その二
名称 はるじま食堂
場所 妖怪の山西側中腹あたり 滝つぼの近く
・500円だけ持ってこい。という謳い文句で有名な所で、とにかく量が多くておなか一杯になれる食堂です。ご飯の量を小、中、大、塔から選べますが、塔を選んではいけません。もっと言うと小以外選んではいけません。からあげの定食がおすすめです。 天狗その二
・行こうとすると白狼天狗に止められるのでなんとか言いくるめて進まねばならないという点では最悪の立地だ。外観は普通の食堂って感じで可もなく不可もない印象だった。内装も特にこだわっている様子もないのでまあそういう客層向けの店なのだと思うし別におかしいということはない。ただその客層がほぼ白狼天狗なので一見さんは千里眼でじろじろ見られることを覚悟したほうがいい。それか時間をずらしたほうがいい。味はまあ普通。量は多い。連れが中を頼んで後悔していた。コストパフォーマンスという点では優れていると思う。 ぐるリン
・初めての方はその場にいるほかのお客様に『そのご飯は大ですか?』と聞いてみるとよいでしょう。『これは小です』と返ってきます。紹介してくださった天狗様おすすめのからあげ定食は非常に美味です。あとは生姜焼き定食や油林鶏定食も味わい深いものでした。ただ油林鶏定食は頼む人が少ないのか出てくるまで時間がかかりますのでお気をつけください。監視のためについて来てくださった天狗の方がいい時間だしと言って同席してくださったのはご愛敬です。 セイントシロちゃん
・大衆食堂としての存在意義はしっかり果たしているし、確かにコスパもいい。全否定する気はないけど、でもはっきり言って味は期待しないほうがいい。テーブルもべたつくし、滝の音もうるさい。 黒猫
「止まれ……身分を照会させてもらう」
「哨戒だけに?」
「こころちゃん静かに」
このノートに書かれていた第2のお店。なんだかリーズナブルでボリューミーな雰囲気を感じ取った我々調査員は、すきっ腹を抱えて妖怪の山まで遠征していたのだ。
ヒュー! 食べ盛り万歳! 白米万歳! 『塔』行ってみようよ『塔』!
「ほらこころちゃん。ご挨拶は?」
「ういぃぃぃぃぃっす! どうも! こころでーす!」
「……どうも」
「あ、すいません。なんか今朝から大食いに燃えてて変なテンションになっちゃってるんです」
「これはお腹すいたの舞!」
「大食いですか。それならちょうどこの辺に……あれ? うわ、そのノート……」
おっとぉ? と運命のいたずらを感じ取ったらしい一輪が犬天狗へノートを見せてあげるように頼んでくる。しかたねぇなぁ。
「持ってけ泥棒!」
「ありがとうございます。……うわ。思ってたより追記されてる」
ペラペラペラとノートをペラる犬天狗だけども、一通り読み終えて満足したのかすぐにノートを返してくれた。
そしてご丁寧にあっちの方です、と店の場所まで案内してくれるという親切心。感心だね。感心の極みだね。
「ご飯! からあげ! 塔!」
「塔はいけません」
「やだー! 塔頼むのー!」
「……あの店の机から天井までの高さはおよそ2メートル9センチです」
「んー?」
その情報を聞いても机の上に立って踊れるスペースはあるなぁとしか思わなかった私だけども、隣で聞いていた一輪の感情が濁ったのでたぶん一輪には犬天狗の言わんとすることが理解できたんだと思う。ならいっか。
「着きましたよ。ここがその店です」
「ありがとうその二!」
「こころちゃんその二呼ばわりはあんまりだと思うよ」
そこは滝の音がゾバババババと聞こえてくる騒がしいお店だった。
天狗その二をお昼に誘って断られている一輪を無視して店の中に入ってみれば、そこにいたのは犬、犬、犬。白い毛並みの薄汚れた天狗たちが私の体をじろりと睨んでくるのであった。視姦であった。でも踊っちゃう。
「こころちゃん何やってるの? お腹すいたの舞?」
「違うこれは人に見られすぎて本能が抑えきれなくなってるだけ。つまり付喪神的本能」
「大変ね」
結局その二は仕事に戻ったと言う一輪といっしょにテーブルに着く。着くというよりべたつく。
そんで隣のテーブルの犬のご飯をのぞいてみれば、すり鉢みたいなどんぶりに山盛りのご飯が乗っているのが見えた。あれは大かな? 犬だけに。
「おにーさん! それ大盛り?」
「ん? 小だよ」
「そっかー!」
犬にお礼を言い、塔を頼むのはやめようかなという気分になってきた私は一輪からメニューを受け取った。『500円だけ持ってこい』とでかでかと書いてあってダサかった。
ノートとメニューを見比べながらやっぱりからあげでいいかなぁと考える。うん。からあげ。とりにく。とりにくってのはニワトリの肉のこと。
「からあげ定食にするー」
「そっか。ご飯は小だよ」
「ちぇー。一輪は? 魚あるよ?」
「私は水だけでいいや。でもお味噌汁は普通サイズだし単品とか頼めるかなぁ」
「おなかすいてないの?」
「まあね」
「えもい」
「えもくはない」
シニカルに笑う一輪が本当にお味噌汁だけ頼むのでこいつ頭おかしいのかなと思ったけれど、いざ自分の前にすり鉢みたいなどんぶりに乗せられた山盛りのご飯が届くとそんな感情も彼方へと消えていった。消えていったというか、それどころじゃなくなった。
ご飯もさることながら、からあげそのものの量もまた尋常にあらず。きっとニワトリを1羽まるごと使ってる。
ふとさっきの隣の犬の席を見てみれば、おかずのお皿も結構大きかったことに気が付いた。焼肉屋で出てくる大皿くらいのサイズだった。さっき気が付きたかった。この犬はおかずから先に全部食べるタイプの犬だった。
「……っ」
「こころちゃん半分もらっていい?」
「え!? い、いいよ! しょうがないなぁ一輪は!」
「昨日は角煮くれなかったけど」
「すいませんでした」
店員に小皿をもらい仲良くからあげとご飯を半分こした私たちは、それでもおなかいっぱいになれたのである。
周りの犬たちがひとりでペロリと定食を平らげている姿に吐き気を催す場面もあったものの、肉体労働者たちの喜びに満ちた感情は私にいくらかの活力を与えてくれたこともまた確かだと思った。
途中からご飯に味噌汁をかけて食べてた一輪は賢いと思った。
・多いので2人で分けて食べたほうがいい。小以外を頼むやつは馬鹿。えもくない。 ここいち
◆3件目
紹介人 ぐるリン
店名 みすち屋
出店場所 迷いの竹林南部 屋台のため時折違う場所で営業することもある
営業時間 午後6時から午前2時まで
定休日 木曜定休、年末年始、ライブがある日はお休み
・ヤツメウナギのおいしいほっと落ち着く小料理屋。経営しているのはなんとあの大人気妖怪バンドグループ鳥獣伎楽のメンバーであるミスティア・ローレライだ。人気アイドルの手料理が食べられる機会なんてそうそうあるもんじゃないと思ってはじめは冷やかし半分だったんだけど、今ではすっかり料理目当てに通うことになっちゃったくらいに料理がどれもこれもうまい。今日は気取らずに飲みたいなと思うときはフラッと寄ってみるといい。いいことがあった時もちょっとヤなことがあった時も、割烹着の似合う美人な女将があなたの話を驚くほど親身に聞いてくれるよ。 ぐるリン
・やはり焼き物がメインのようで、かば焼きや牛肉の串焼きが大変おいしかったです。ただ店主の意向で鶏肉だけは扱っていないそうなのですが、卵はいいらしいので遠慮なく注文するといいでしょう。 セイントシロちゃん
・かば焼きよりむしろだし巻き卵の方がおいしい。焼酎に合う。ていうか最初の宣伝が本気っぽいんだよ。いくらもらってんだ。 黒猫
「うーん。ここ行ったことあるし次にしない?」
「やだ! 行きたい!」
「そろそろお財布の都合もなぁ……、うーん」
渋る一輪を引っ張りながら、食道楽を追求すべく竹林に進む調査班。
お昼に食べた犬天狗御用達のからあげ定食は異次元のボリュームだったけども、なんだかんだ夜になればおなかもすいてくるから不思議なものだ。夕飯はちゃんと入った。
でもこれは深夜の外食。寺からの脱走。この支配からの卒業。しかも居酒屋へ。
つまりばれたらめっちゃ怒られる。
「ねえ一輪、お寺は大丈夫だよね。ばれてないよね」
「うん? んー、そうだね。マミさんに賄賂送っといたから大丈夫だと思うよ」
「なんて頼りになる一輪だ!」
猿の面をかぶりながら一輪に体当たり。そのまま抱き着いて頬ずりする。
今回は割と綱渡りなことをしているので、いかにも一輪が喜びそうなことを適宜していかないと後がよろしくない。
一輪は私に甘えられるのがうれしい。私はただ酒にありつける。最高の共生関係と言えよう。うん、言えてる。
「ヨシ」
「なにがヨシなのこころちゃん。お店やってなさそうだよ」
「んむー?」
うなりながら竹林の南の方をうろうろし、なんとなくたどり着いたそれっぽい場所にはお店もお客もいない代わりに看板だけがポツンと置いてあった。
『今夜はライブだよ!! お店出せなくてゴメンね♪ 東の里の近くの大切り株まで聞きに来てね!! 急がないと終わっちゃうんだからね!!』とか書いてある。バンドやってるイラストも描いてある。翁の面を投げつけてみたが書いてあることは変わらなかった。
ヨシ。
「一輪!」
「行かないよ?」
「うるせぇ! 行こう!!」
「いやさすがにそれは姐さんにばれたときのリスクが跳ね上がるし」
「うるせぇところに行こう!!」
「微妙に変えてきやがったよ」
いや行くでしょ。これで行かないとか頭おかしいでしょ。
もうしょうがないから力いっぱい抱きしめてほっぺにキスして耳元でうるせぇ行こうとささやいた。
「最後のセリフに情緒がない。やり直し」
「やり直させるんだ」
「冗談だよ、しょうがない。ちょっとだけだよこころちゃん。ライブ最後まで見てられないからね」
「いやったー! ありがとう一輪!」
酒は飲めなさそうだな。という一輪の独り言は聞こえなかったことにして、我々調査班は急遽予定を変更し、ライブ会場へと向かうのであった。
お店に行けなかったのは残念だったけど、まあ行ったことあったし。今度でいいや。
・ちょうど新曲のお披露目だった。いろんな妖怪たちが歓喜の感情を爆発させていてすごく楽しかった。すごくえもかった。焼きそばはおいしくなかった。お酒の出店もあってよかった。女苑が捕まってた。 ここいち
◆4件目
御紹介いたします セイントシロちゃん
お店の名前 璃々苑 (予算:18000円くらい)
場所 北の里中心街 自警団第四駐屯所の少し南
営業時間 11:00~14:00(昼の部)、17:00~23:00(夜の部) 昼夜ともにラストオーダーは閉店30分前
定休日 年末年始
注意 完全予約制のため、事前予約が必要です。予約は代理人でも問題ありません。
・店内に入るとまず備長炭の上品な香りが迷える子羊たる我々を出迎えてくれます。客室は2階と3階になりますので、肉に思いを馳せながら給仕人の方についていきましょう。北の里が牧場を中心とした円環状に店が並んでいることは皆さまご存知かと思われますが、中心に近いほど格の高い店であるということは案外知られておりません。本店はまさしく中心街、幻想郷最高峰の焼肉屋です。まずタン。薄切りと厚切り、ネギの有り無しが選べますが、ずばり薄切りのネギ有りがベストです。炭火から発されるほのかな明かりを頼りに網へとタンをおろせば、肉に火が通る香ばしい音色が焼肉時間の始まりを告げてくれます。続いてはヒレ。タレもあるのですがこれは塩でいただきましょう。そして本命のカルビ。通常のカルビとツボ漬けカルビというやや味の濃いカルビがあります。当然ながら脂身だらけの下品な安物とは違います。適度な脂身にきめ細やかな色合い、どちらも幻想郷最高峰の名にふさわしい大変な美味です。少し細かい話になりますが、この店で使われているタレは店主のいとこが経営している業者で製造されているそうです。製法までは教えていただけませんでしたが、使っている果実は輸入品ではなく幻想郷産のもので、その年最高の品を独自に入手しているとのことでした。この特性のタレは他の店には卸さないため、璃々苑でしか味わうことはできません。ぜひじっくりとご堪能ください。カルビを堪能したら赤身に入ります。ロース、ハラミ、イチボ。どれも光り輝くような存在感を放つ堂々たる肉質です。自慢のタレでいただきましょう。時折本当においしい肉は塩で食べるべきだと主張する未熟者がおりますが、それはこの店のタレを知らないから言えるのです。そのようなことを言うものは死後裁きに遭います。ここのタレはしょっぱいだけの廉価品ではありません。ほんの少し肉にさらすだけで、その味を十二分に際立たせてくれる一品です。そして最後はホルモンです。苦手な方もいるらしいので無理はしなくていいと思いますが、新鮮なホルモンは国宝級のおいしさです。璃々苑では10種類ものホルモンを注文することができますが、私が好きなのはレバーとミノとヒモです。これらは外せません。ご参考までに。またこれは一番大事なことですが、焼肉屋には火曜日から土曜日の間に行きましょう。焼肉屋で出される肉は流通前に第三者機関による検査が行われるため、基本的にさばいたその日にお店に並ぶわけではありません。その検査場も土日はお休みとなるため、金曜日に検査した肉を土日と月曜日に出すことになります。食品衛生上何ら問題はありませんが、内臓系の肉は鮮度が命。月曜日が祝日の時の火曜日ともなると目も当てられません。ぜひとも他の曜日に行きましょう。全座席個室ですので時間を気にせず焼肉を堪能できることでしょう。 セイントシロちゃん
・紹介してる人の焼肉に対する愛が重いんだよ。とはいえ、件の焼肉屋は紹介文の表現に遜色ない味だった。正直今まで知らなかったことが恥ずかしかったレベル。タレがどうとか果実がどうとか言ってたけど、戯れに調査してみたら全部マジだった。イカれてるようにしか見えないけど上の紹介文は信用していいと思う。 黒猫
・最初の店からこっち、ずっと人間には行けない店ばっかりだったから焦ったね。最後まで出番ないかと思ったよ。サンキュー、セイントシロちゃん。サンキュー、北の里。
戸隠さんを誘ったけど断られたから1人で行ったよ。1人焼肉とかいつ以来だろうね。
そしてクッソうまいのねここの焼肉。俺も焼肉くらい行くことあるけどこの店尋常じゃないね。舌溶けるかと思ったよ。
語彙がね、もうね、どうにもならないね。ほら、寒い国の言語には雪の種類を表す言葉が多いだとか、文化によって語彙に偏りがあるとかいう話あるじゃん? 食べ物の味に関する語彙が豊富な言語とかないかね、そうじゃなきゃ表現しきれないよマジで。
グルメ界の食材かと思ったもん。ジュエルミートとかGODとかそれ系。このタレも猛獣のうろつくどこかの泉から湧いて出てるに違いない。
あとそうだ、予算とか事前にわかるといいと思ったから行った店の目安追記しておいたんで参考にしてね。
俺が行ってない店も誰か追記しておいてくれないかなぁ(なげやりに言うのがコツね)。 お客さん
「姐さん、今お時間よろしいでしょうか」
「あら雲居。どうしました改まって」
「いえ、最近こころちゃんが外食にはまっちゃったらしくて、いつも私たちだけ申し訳ないなぁと思いまして」
「ふむ、秦もなんにでも興味を持つ年頃でしょう。事前に連絡さえしてもらえれば問題ありませんよ。他の者には私から言ってありますし」
「ありがとうございます。ところでちょっとご相談がありまして、実は次にこころちゃんが行きたいって言ってるお店がちょっとお高い所でして、今回だけ特別予算を組ませていただけませんでしょうか」
「……雲居。外食そのものは構いませんが、お小遣いの範囲で賄えないようであれば、それは行くべきでない分不相応なお店ということでしょう。我慢を覚えさせるのも教育の一環ですよ」
「おっしゃること誠にその通りなんですが、どうもこのお店かなり熱烈なファンがいるみたいでして、どうしても行ってみたいって言うんですよ」
「ですから、お小遣いを貯めて行く分には構いません。欲しいもののために他を我慢し、その果てに達成するというのもよい情操教育となるでしょう」
「璃々苑、っていう店なんですが」
「……ッッ!!」
「なんでも幻想郷最高峰のお店だとか、秘伝のタレをいとこの業者から卸してるとか」
「へ、へぇー。そんなお店があるのねー」
「外食といえば、姐さんも先々月あたりに多かったような……」
「え、ええ、まあ。ご近所付き合いや、檀家さんたちとの交流もありますので、そういうことが重なる時期もあるますとも。ええ。うん」
「ふもとの里の洋風バー、妖怪の山の大盛り食堂、ミスティアさんの店……」
「わ、私にはなんのことだかわかりかねますよ?」
「そうですかねぇ。そういえばどうもおかしなことに姐さんが檀家さんに会いに行くと言っていた時間帯にその檀家さんが他の場所で目撃されていたり、昼前に終わったはずの会合なのに帰りが夕方だったりとそういったことが多発していたのもその時期だったような」
「……。いやあの、ね。あまり探るようなことは感心しませんよ」
「いやしかもノートを見ると結構な回数来店しているような記述があるんですが、お小遣いの範囲じゃ絶対に足りないはずなんですよね。私はこの寺の財務を任せていただいておりますが、その割には不明瞭な支出もないんですよ。これはまさか私の知らない収入があるのかなー。なんて。誰かからちょこちょこお小遣いもらってるのかなー。なんて」
「……いや、その」
「本格的に調べればもっと出てくるでしょうねー。この寺で金のことで私に敵うやつはマミさんだけですし」
「しかし、だからと言って特別扱いはちょっと……」
「ところでこのお店について他の方からの感想が追記されていましてね。お店に行ってみた感想だけでなく紹介している方自身へも言及されていたりするんですが、見たくないですか? 感想」
「……雲居。私の知るあなたはコミュ力こそ抜きんでていますが基本無能で、お酒に頼る以外の手段など使おうともせず、それゆえ扱いやすかった。いつの間に……こんな清濁織り混ぜた完璧な交渉術を身につけました」
濁しかないだろ。と、私は思った。
ノートを貸してほしいなんて言うから何をするのかと思ったら、和尚さんの前でぴらぴら振って見せるのに使うなんて悪鬼そのものだった。
しかしそんなこんなでスポンサーを見つけてきた一輪にお金のことはすべて任せ、私は肉への期待に胸を膨らませながら人里へと繰り出すのであった。
「ねぇ一輪」
「なぁにこころちゃん。私は店の予算を書いておいてくれたこのお客さんとかいう人に心底感謝しているところだよ?」
「ここの焼肉を私のフルコースに入れたい」
「捕獲レベルが高すぎるかもね」
適当なことを話しながらたどり着いた焼肉屋。
今までのとは格が違うぜと言わんばかりに豪華な造りのお店に、お前たちとはもらってる給料が違うぜと言わんばかりに品のある給仕さんが受付をしてくれた。
玄関口に漂っている香りがすでにおいしそうだった。
予約はセイントシロちゃんとの交渉前に済ませてあったので、案内されるがままになんとなく大陸っぽいデザインの調度品を眺めながら廊下を進み、不必要にスペースの確保された個室でテーブルに着いた。
ほどなくして届けられた七輪には煌々とした感じの炭がたっぷりと詰められており、上に乗せられた網にもうっすらと油が引いてあることがうかがえた。
うーん。これは高級。
「ねえ七輪」
「一輪だよこころちゃん」
「私はこの七輪に話しかけてるの」
「……私も自分の心に話しかけてたんだよ」
自分の内面に声を出して話しかけるとか頭おかしいと思ったけど、つまらないことを言いあって焼肉を汚すこともあるまい。
ひょっとこのお面をかぶりながら、私はお肉が来るのを待つのであった。
今日はいっぱい食べる。
いつかの犬の食堂で食べた時よりたくさん食べる。
塔。
「ふんすふんす!」
「気合入ってるねこころちゃん。紙エプロン着ける?」
「着ける!」
言ってる間に届けられた薄切りタンネギ有りの皿。
焼く前なのにすでにおいしそうなのはなぜだろうか。
炭火に照らされててらてらと輝く網にそいつを乗せてみれば。
シュゥ、という上品な音が沸き立つのであった。
そして気になるお味の方は……。
ひゅう。
・すごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおくおいしかった。おいしすぎて『おいしい』以外の感想がちょっと出てこないくらい。とにかく超おいしかった。自分が食べたものが今でも信じられない。なんちゅうもんを食わせてくれたんや。紹介してる人と同じメニューにしてみたんだけど本当に頬が落ちるかと思った。気が遠くなるほどえもい。これはジュエルミート。私のフルコースの肉料理は決まった。 ここいち
◆ 5件目
紹介:お客さん
名前:総菜処オリハルコン
予算:1000円くらい
営業時間:16時から20時までの4時間
定休日:土曜日曜祝日
場所:鈴奈庵の近く
・飲食店じゃないんだけどめっちゃおいしいので紹介するね。
小分けされた総菜をばら売りしてる店なんだけど、どれもめっちゃおいしいんだよね(2回目)。
ただ前に紹介されてる店においしい所が続いてるからだんだん感動が薄れてきちゃってるかもね。そういうのヴェーバー・フェヒナーの法則っていうんだけど、大抵そういう時は時間空ければ解決するから楽なもんだよ。俺はそういうの詳しいんだ。
あと、営業時間前に行くと追い返されるから気を付けてね。グッドラック、シン・カザマ。 お客さん
あれ? と思って私は何度かノートを読み直した。だけどもやっぱり5件目の紹介はこの記事で、焼肉屋との間にお店の紹介はなかった。
じゃああの黒猫とかいう奴はケチつけるだけつけてなんにも紹介しないで去っていったってことだろうか。なんてえもくない奴だ。
「一輪! 私もお店紹介したい!」
「おお、いいじゃないの。どこ紹介するの?」
「えもいお店!」
「そっかーえもいお店かー」
最後のお店はたまたま午後の布教活動をする場所に近かったので、さぼりついでに向かってみることにしたのだった。ちょうどお店が開く時間だったのでちょうどよかった。
さぼるのはいつものことだった。
「こころちゃん。はいこれ」
「うん? 千円札?」
「今回は総菜屋さんみたいだからね。こころちゃんが2人分見繕ってくれないかな。おやつ代わりに」
「うん! いいよ!」
さて、ポケットにお金をねじ込みながら雑踏を進んでいくけども、それっぽい総菜屋が見つからない。
鈴奈庵の近く。とかいうざっくばらんすぎる位置情報で果たして見つかるのかという不安が調査員を襲いスタッフも諦めかけたその時、クソみたいに読みづらい行書でデカデカと『オリハルコン』と書いてある看板を見つけた。
なんて神経質そうな文字だ。
「ねぇ一輪、今何時?」
「んー? ちょっと待ってねー」
もたもたと懐から時計を取り出す一輪。
お店は見た感じまだ開店前だったけど、並んでいる人もいるってことはそろそろっぽい気もする。
「うん。もうすぐ開く時間だよこころちゃん」
「ヨシ」
「人が並んでるなんてよっぽどおいしいんだろうね」
一輪がじゅるりとよだれをぬぐうようなそぶりを見せる。前の焼肉屋がやばかっただけに実は今回あんまり期待してなかったんだけど、その感情に引きずられて私もちょっと楽しみになってきてしまった。
じゅるり。
「お? ここが最後尾だぞぉ。割り込みすんなよぉ?」
微かにおいしそうなにおいが漂ってくる総菜屋。
入り口前の邪魔にならないところに並んでいたそいつは、小さな角を頭に生やした妖怪だった。
里の中で妖怪丸出しなのもどうかと思うけども、それより前髪を一部だけ赤く染めるというロックな感じというか、世間の感情をことごとくあざ笑うような、そいつはちぐはぐな格好の妖怪だった。
というか1人しかいないのに最後尾も何もないと思う。
「へいへーい! しないよそんなこと!」
「はいはいこころちゃん。ちゃんと並ぼうね」
「……元気いいなお嬢ちゃん。いいことでもあったかい?」
「うんー? いいことはこれからあるんだよ! 総菜! おやつ!」
「おやつかぁ。おやつ替わりならレンコンのちょっと辛いやつとか、サンマのあんかけ揚げとかがいいなぁ。一品で完結してるからご飯とかいらないし。口直しにキュウリの漬物もあるといいぞぉ」
「うおー! 肉は!? からあげは!?」
「おお。ここのからあげは絶品だぞ。特に揚げたては最高だ。噛むたびに肉汁があふれてきやがる。あとは豚肉のホルモン炒めとかかなぁ。味噌味でこってりしててうまいんだが、ご飯が止まらなくなるのが難点だな。つい食べ過ぎちまう」
「うおおおおおお!!」
「こころちゃん落ち着いて」
「あと酒のつまみにいいのはソラマメとか枝豆とか。ここの枝豆はシソがまぶしてあってビールに合うし、サバの味噌煮とシシャモ焼きで飲む日本酒はたまらないぞぉ」
「うおおおおおお!!」
「一輪落ち着いて」
騒ぐ我々であったが、それもやむなし。
常連らしき妖怪のおいしい総菜情報には、我々調査員の腹の虫を鳴らすのに十分なパワーがあったのだ。
しかし、はて。三者三葉に期待の感情が盛り上がっていくのを感じるが、私はふと妙な感覚を覚えた。
期待は期待。
確かに未来に対する希望がみんなの心の中からにじみ出ているのだが、目の前の妖怪の感情が妙に邪悪なのだ。
この妖怪の気質なのかなとも思ったけれど、なんとなく、そうじゃないような予感が私の中で渦巻いた。
この妖怪が期待しているのは、総菜の味じゃない。
なんだろう。
何かこう、悪意に満ちているような気がする。
「……ハッ!!」
「おう?」
「どうしたのこころちゃん」
ピーン、とブッダからの天啓を得た私は懐からノートを取り出す。そして改めて中に書いてある紹介文を、お客さんなる人が書いてくれた注意文を確認した。
曰く、営業時間前に行くと追い返される。
付喪神的に直感した。
これだ。一輪と雑談に興じるこの妖怪が期待しているのは、これだ。
「一輪! 行くよ!」
「へ? こころちゃんどこ行くの? お店開いちゃうよ?」
「いいから!!」
一輪の手を引いて総菜屋と悪魔みたいなことをする妖怪から離れる。
不思議と満足そうな感情を発しながらこちらに手を振る妖怪を尻目に、適当な曲がり角まで進んで身を隠した。
「一輪今何時?」
「どしたのさこころちゃん。総菜はいいの?」
「いいから何時?」
「え、うんもう。えーと、……ちょうど4時だよ」
「うわぁ。時間ぴったりだ」
通りの陰からこっそりと覗いてみれば、店内から現れたいかにも神経質そうなおっちゃんがさっきの妖怪を怒鳴りつけているところが見えた。
理不尽なまでの激怒の感情がさっきの妖怪に向かい、シッシッと虫でも払うかのようにどこかへと追いやられてしまった。
うわぁ。
あぶない。巻き込まれるところだった。
「うわ、何あれ」
「一輪これ。ノートに書いてあった」
「……ほんとだ。よく気付いたねこころちゃん」
この紹介してる人もあの妖怪と同じ目に遭ったのかもしれない。
いや、たぶんあの妖怪わかっててやってる。あれだけ商品のことを語れるくらい常連なのにこんなの知らないわけがない。
それどころか小粋なトークで散々期待させておいて、感情を高ぶらせた客が店員のおっちゃんに蹴散らされるのを眺めて悦に入る気だったのだ。
だってあの妖怪からおっちゃんに対する怒りや困惑の感情が感じられないんだもの。間違いなくわかってやってる。危なかった。
「ヨシ。行こう一輪」
「うん。今日のこころちゃんは頼もしいね」
「ふんすふんす!」
そして開店。店内。総菜。
広くもないスペースに所狭しと並べられた総菜たちは、どれも本当においしそうだった。
開店と同時にどこに隠れていたのかと思うほどお客が集まってきたことを思えば、そして彼らの感情がかなり好意的な部類であることを思えば、ここの総菜のレベルの高さが期待できるものであることがうかがえた。
千円で何を買おうか散々悩んだけども、結局からあげとメンチカツと豚肉の炒め物にした。
あの妖怪のおすすめなど信じない。というかお肉食べたかった。
サンマのあんかけおいしそうと一輪がちらちらこっちをのぞいて来ていたけど、選択は私に委ねられていたので無視して肉を選んだ。
お会計を済ませて店の外へ出る。
一輪とともに里の外まで足を延ばし、適当に涼しげな木陰に腰を下ろす。
そしてもらったお箸で総菜をつつけば、作りたての料理から期待以上の歓喜が私の舌に広がった。
まずはからあげ。
揚げたてそのままの熱を孕んだジューシーな脂が噛むたびに口の中で暴れ回る。
口の端から垂れるよだれをなめとりながら、私は一輪と幸福を分かち合った。
うまい。天狗その二にも教えてあげたい。
このからあげをおかずにしたなら、きっと塔だって食べきれるだろう。
豪快なほどの歯ごたえを返すこの鶏肉には、魔法がかかっているようだった。
続いてメンチカツ。
この手のひき肉には古めの肉を使うところも多いと一輪が教えてくれたが、このメンチカツは明らかに違っていた。
かぶりつくたびにその存在を声高に主張するこの牛肉が、そんな小細工とは無縁な代物であることは明白だ。そんなことは肉の専門家であるセイントシロちゃんでなくともたやすく理解できた。
メンチカツにはしょうゆ派の私だけども、これには何もかけなくていいと思う。
余計な味付けはバランスを崩すだけ、そう思えるほどに完成された料理だった。
最後に豚肉の炒め物。
豚肉と玉ねぎが甘しょっぱく炒めれらたこの一品は、一口食べただけでご飯を掻っ込みたくなる代物だ。
マヨネーズが巧みに混ぜ込まれているこのダイエットの敵は、最初に食べるべきだったと後悔するほどに食欲を掻き立てられる。
ご飯だ。ご飯が欲しい。
白い飯を口いっぱいに頬張りたい。
黒猫よ。文句だけ言って消えていったグルメな子猫ちゃんよ、見てるか? 私はこの炒め物をフルコースのオードブルにするぞ。
ああ、おいしい。
本当においしい。
なんでだろう。今まで教えてもらったお店はどこもみんなおいしかったけど、ここの総菜はそのどれよりも輝いて見える。
店としてはいっそ安い部類なのに、不思議と満足感は期待以上だ。
あの邪悪なる妖怪のたくらみを突破して手に入れたものだからだろうか。
一輪と2人で分け合ったおやつ代わりの総菜からは、心地よい勝利の味がした。
・豚肉の炒め物がすごくおいしかった。ご飯が欲しくなる。でもお店が開く時間の前に並んでると本当に追い返されるから気を付けて。 ここいち
◆ 6件目
「これを次の誰かに繋いでほしいんだ」
その男の人は初対面の私に一冊のノートを手渡してきた。
知らない人にいきなり話しかけられてどんな顔をしたらいいかわからなかったので、私はとりあえず猿のお面で顔を隠すことにした。
怪しさ満点のノートをめくってみると、どうやらいろんな人たちが知ってるグルメを紹介して追記しているようだった。誰かが始めた悪戯が、何人もの愉快犯たちの手に渡ってきたらしい。
正直なんだこれって思ったけども、ただその連鎖が、捨てようと思えばいつでも捨てられたノートを誰も捨てずに後へと繋げてきたことが、ちょっとした奇跡のようにも思えた。
どこの誰だか知れないお前に。
最高の店を教えてやる。
えもい。
そんな酔狂なえもさが、私の感情を一発で揺さぶった。
「この最新の人、『お客さん』っていうのがあなた?」
「
男の人はそう言ってほほ笑んだ。デスゲームを生き残った後の藤原竜也みたいな笑顔だった。
「あたいはなにも追記しなかった。本当は煮物屋さんを紹介したかったけど、最初に紹介されちゃってたからやめたよ」
「ふーん」
「お友達を誘って行ってくるといい。仲のいいお友達とね」
「……うん」
全然関係ないけど地底とかいいよね。全然関係ないけど。と、男の人はそう念押しして帰っていった。
意味はよくわからなかったので結局一輪と行くことにした。
あれから2週間。今、私は6件目のお店を追記している。
彼らに続くために。次の誰かに繋げるために。
紹介する私の名前、お店の名前、お店の場所と営業時間とか。前の人に倣って値段も書いておこう。そして、そこがどんなにえもいお店なのかも。余す所なく書ききろう。
「1人で大丈夫? こころちゃん」
「大丈夫! 行ってくるね一輪!」
「いってらっしゃい。気を付けてね」
「うん!」
手を振ってくれる一輪と別れ、私は地底へと向かう。
洞窟を越え、橋を越え、旧都を突っ切り、新築みたいにピカピカの地霊殿へと。
そして手渡す。
前の人たちがそうしてきたように。
次の人もきっと同じように続いてくれると信じて。
愉快犯たちのバトンリレー。
私の宿敵よ。これを次の誰かに繋いでほしい。
なくしたら許さないけど、どうか堪能してほしい。
地上にある数々のお店を。
私が追記したお店を。
お前に教えたいと思ったお店を。
たった今私が繋げた、出来立てのグルメノートを。
了
繋がってほしいですね
面白かったです
面白かった
そしてしれっと混じる戸隠さん。
ネタ満載ながらここいちのかわいさが溢れていて良かったです。
少し不穏そうな背景もちらりと覗いていて、南条さんの作風が響いていました。
あなたの小説は朗らかな音楽です。ある時は悲劇、または喜劇か。
この小説はどちらでもなかったようです。
会話もいいしすらすら読めました
セイントシロちゃん「カルビ」で笑いました
>「ねえ七輪」
>「一輪だよこころちゃん」
>「私はこの七輪に話しかけてるの」
>「……私も自分の心に話しかけてたんだよ」
ここちょう好き
2010年代になり外食の記録はネット上にはあふれかえっていますが、
やっぱりいいもんはいい。
感想とノートの文と掛け合いのバランスがまたいい感じでした。
美味しそうなものを美味しそうに書かれている飯テロなところがとてもいい。ご飯食べたくなります。というかお肉食べたくなります。肉。絶許。
ラストがちょっと判り辛かったので、そこだけ減点な感じですね。
でも、楽しく読ませていただきました。