このあいだ偶然さ、こいし様が出かけるところに出くわしたんだよ。そう、ほんと偶然。つってもこいし様からしたら偶然じゃないのかもしれないけどさ。あたいにそれは判断つかないよ。こいし様だし。
ともかくさ、そういうわけで声かけたんだよ。こいし様、おでかけですかー? ってね。
「あーお燐、見て見てーほらポニーテール!」
するとさ、こいし様も気付いてそんなことを言いながらまとめた髪を振って見せたんだね。そう、こいし様ったらいつの間にか髪型変えてたんだよ。
あたいはちょっとびっくりしたけど、まあそういうこともあるかなって思ったし、それに実際似合ってたからね。なかなかいいですね、さとり様にはもう見せました? とまあこんな風に返したんだ。でもそしたらこいし様、「お姉ちゃんはどうせ気付いてもくれないもの」なんて言うんだよ。こいし様たら相も変わらず不思議なこと言うなあ、さとり様はあんなにしっかりこいし様のこと考えてるじゃないか。そう思ったんだけど、口に出そうとしたときには既にこいし様はいなくなっていたからね。その場ではこいし様の言葉の真意は分からずじまいだったのさ。
そう、その場ではね。
その後にさ、さとり様のところへ行く用があったんだよ。だからそのときついでにね、こいし様が髪型を変えて、ポニテにしてましたよ。なかなか似合っていましたよ。なんて伝えたんだ。でもさとり様、あんまし反応がなくてさ。あたいがどうしたのかと思ってたら、ふいに言ってきたんだよ。
「お燐には、まだ、こいしが人型に見えるのですね」って。
「羨ましいですね」って。
すごく怖かったね。ならあたいの見ていたこいし様はなんだったのかとか、もしかしてあたいもさとり様から見れば人型じゃないのかもとか、とにかく色んな考えがばーって頭の中を駆け巡ってさ。さとり様が背中を撫でて落ち着かせてくれなかったら、脳みそが焼き切れてたかもしれないよ。
え?
どうしてそんな話を聞かせたのかって?
いやさ、落ち着きはしたんだけど、でも未だにちょっぴり怖いんだね。あたいに見えているのは本物なのか、他のやつと同じものが見えているのか、ってさ。
だからさ、聞かせてほしいんだ。
ねえお空。こいし様って、どんな姿だったっけ?
・ ・ ・
ええ、そうです。
私には、こいしの姿が、どうしても人間のものとは見えないのです。
こいしのことですから、恐らくあれは私への意地悪なのでしょう。全くあの子も性格が悪くなったものです。私に似て、と喜んで良いものか、それとも悪いところばかり、と悲しめばいいのか。それは、いまいち悩ましいところではありますが。
ああいえ、昔からというわけではありませんよ。少なくとも、こいしが眼を閉ざしてから100年程の間は、あの子の姿はひとの形として私の目に映っていたのです。
ですが、あれはいつ頃だったでしょうか。
ある時、こいしが一週間ほど帰らずにいたことがありました。今でこそそのようなことは多々ありますが、当時は本当に珍しいことだったのですよ。
私はこいしが帰ってこないことに不安を覚えました。迷子になっているのではないかだとか、事故に遭ったのではないかとか、そういったことを一人悶々と考えていたのです。そうしてそのうちに、私は人探しの立て札を出した方がいいのではないかと、そんなことを思いついたのです。
幸か不幸か私は絵心というものも一応は持ち合わせていましたから、すぐに画材その他を用意してさあこいしの姿を描こうと意気込んだのですが。
ええ。これが失敗でした。
最初に一度、最後まで描ききってみたのですが、これがどうにも違和感がある。ならばともう一度描いてみると、むしろ更に違和感が増す。描いても描いても違和感は消えるどころか増していくのです。
今だから分かりますが、あれは私の認知によるものだったのでした。こいしは私の能力を受けつけない、こいしの心は私には読めない。それは形容し難い質感として私の眼には映るのですが、絵の中のこいしにはその質感が足りなかったのです。
しかし、それに当時の私が気付くことはありませんでした。ただただ違和感を感じながらも、そこで理由を考えることもなく、そのまま何度となく描き直していたのです。
気付いた時にはもう手遅れでした。私の頭はゲシュタルト崩壊の様相を呈していて、こいしの姿を思い出すことすら困難になっていました。それまでに描いたこいしの絵も、記憶とはまるで違うものに思えて、思わず私はそれを全て火にくべてしまったのです。
「お姉ちゃんただいま」
こいしが帰ってきたのは、その時でした。
私は振り返って、こいしの姿を目にして、その姿に違和感を持って、それが私のこいしを見ることのできた最後の瞬間でした。
私の視界の内のこいしは、見る間にその姿を書き換えて、形容し難い――敢えて形容するなら、蛸と蜘蛛と蛇を掛け合わせて立方根で括ったような――姿にそのかたちを書き換えたのでした。
・ ・ ・
まったく、お姉ちゃんは偏屈すぎていけません。私がこんなひねくれた意地悪をするようなタマだとでも思っているのでしょうか。思っているのでしょうねお姉ちゃんあの性格ですし。いやはやひどい姉もいたものです。そこも含めて好きなんですけどね。まあそれはともかく。
ええ、そうです。お姉ちゃんのあれは、私の能力の影響です。それについては間違いありません。しかしながら一つだけ、あれはわざとじゃないということだけは主張させてほしいのです。
そうです。これ、私の制御がきかないんです。
いやほんと、どうにも厄介で仕方ないのですが、しかしこういう類はどうすることもできないものです。昔の読心の能力に比べれば遥かにマシではあるのですが、でも面倒なことには変わりありません。
……まあ、しかしてそこまで困ったことは、お姉ちゃんの件以外にはないのですが。
まずもって件の能力というのは、「相手の想像通りに私の姿を見せる」というものとなっているわけでして。これは案外、悪い能力ではないのです。
例をあげれば、そうですね。まず人里で子供たちと遊ぶ時には、私の姿は端からすれば「普通の人里の女の子」に見えているわけです。一方、妖怪の私を知っているひとというのはほぼ例外なくお姉ちゃんのことも知っていますから、「古明地の妹」と名乗れば相手は勝手に私の姿を脳内補完してくれる。とまあ、皆さんはちょっとばかし言葉を並べれば概ね同じような姿かたちを想像してくれますから、ふつうは特段の問題もないわけなのです。
なのですが。
ほんと、お姉ちゃんの件に関しては暴発としか言いようがないのですよね。或いは、げに恐ろしきは疑心暗鬼、と言ったところでしょうか。
何があったのか未だに私は知りませんが、お姉ちゃんは私の姿にあるとき疑問を抱いたのでしょう。そうして訝しみを抱いたままに私の姿を見たのです。そうすると、私の姿は想像に依りますから、疑う分だけ姿はぼやけます。ぼやけた姿はお姉ちゃんの疑いを確信へと塗り替えて、そうして騙されていたという恐怖が、ありもしない私の実像をお姉ちゃんの脳内に生み出したのでしょう。
それが、自身の心の生み出した虚像であるとも知らずに。
……しかし面白いですよね。ひとの心を武器にするサトリ妖怪ともあろうものが、その実自分の心に苦しめられているなんて。
まるで寓話みたいです、と私はくすりと笑いました。
「ああ、そういえばさ、フランちゃん」
私は、ふと疑問を抱いて訊きました。
「フランちゃんにはさ、私って、どんな風に見えてるの? 」
つまり、お姉ちゃんを写真ですら見たことのない、どころかひとを見たことすら僅かしかない、そういう相手には私はどう見えるのでしょうか、と。
「こいしは、こいしよ」
私は、フランドール・スカーレットは、部屋の片隅に転がった石ころに向かって、そう応えた。
ともかくさ、そういうわけで声かけたんだよ。こいし様、おでかけですかー? ってね。
「あーお燐、見て見てーほらポニーテール!」
するとさ、こいし様も気付いてそんなことを言いながらまとめた髪を振って見せたんだね。そう、こいし様ったらいつの間にか髪型変えてたんだよ。
あたいはちょっとびっくりしたけど、まあそういうこともあるかなって思ったし、それに実際似合ってたからね。なかなかいいですね、さとり様にはもう見せました? とまあこんな風に返したんだ。でもそしたらこいし様、「お姉ちゃんはどうせ気付いてもくれないもの」なんて言うんだよ。こいし様たら相も変わらず不思議なこと言うなあ、さとり様はあんなにしっかりこいし様のこと考えてるじゃないか。そう思ったんだけど、口に出そうとしたときには既にこいし様はいなくなっていたからね。その場ではこいし様の言葉の真意は分からずじまいだったのさ。
そう、その場ではね。
その後にさ、さとり様のところへ行く用があったんだよ。だからそのときついでにね、こいし様が髪型を変えて、ポニテにしてましたよ。なかなか似合っていましたよ。なんて伝えたんだ。でもさとり様、あんまし反応がなくてさ。あたいがどうしたのかと思ってたら、ふいに言ってきたんだよ。
「お燐には、まだ、こいしが人型に見えるのですね」って。
「羨ましいですね」って。
すごく怖かったね。ならあたいの見ていたこいし様はなんだったのかとか、もしかしてあたいもさとり様から見れば人型じゃないのかもとか、とにかく色んな考えがばーって頭の中を駆け巡ってさ。さとり様が背中を撫でて落ち着かせてくれなかったら、脳みそが焼き切れてたかもしれないよ。
え?
どうしてそんな話を聞かせたのかって?
いやさ、落ち着きはしたんだけど、でも未だにちょっぴり怖いんだね。あたいに見えているのは本物なのか、他のやつと同じものが見えているのか、ってさ。
だからさ、聞かせてほしいんだ。
ねえお空。こいし様って、どんな姿だったっけ?
・ ・ ・
ええ、そうです。
私には、こいしの姿が、どうしても人間のものとは見えないのです。
こいしのことですから、恐らくあれは私への意地悪なのでしょう。全くあの子も性格が悪くなったものです。私に似て、と喜んで良いものか、それとも悪いところばかり、と悲しめばいいのか。それは、いまいち悩ましいところではありますが。
ああいえ、昔からというわけではありませんよ。少なくとも、こいしが眼を閉ざしてから100年程の間は、あの子の姿はひとの形として私の目に映っていたのです。
ですが、あれはいつ頃だったでしょうか。
ある時、こいしが一週間ほど帰らずにいたことがありました。今でこそそのようなことは多々ありますが、当時は本当に珍しいことだったのですよ。
私はこいしが帰ってこないことに不安を覚えました。迷子になっているのではないかだとか、事故に遭ったのではないかとか、そういったことを一人悶々と考えていたのです。そうしてそのうちに、私は人探しの立て札を出した方がいいのではないかと、そんなことを思いついたのです。
幸か不幸か私は絵心というものも一応は持ち合わせていましたから、すぐに画材その他を用意してさあこいしの姿を描こうと意気込んだのですが。
ええ。これが失敗でした。
最初に一度、最後まで描ききってみたのですが、これがどうにも違和感がある。ならばともう一度描いてみると、むしろ更に違和感が増す。描いても描いても違和感は消えるどころか増していくのです。
今だから分かりますが、あれは私の認知によるものだったのでした。こいしは私の能力を受けつけない、こいしの心は私には読めない。それは形容し難い質感として私の眼には映るのですが、絵の中のこいしにはその質感が足りなかったのです。
しかし、それに当時の私が気付くことはありませんでした。ただただ違和感を感じながらも、そこで理由を考えることもなく、そのまま何度となく描き直していたのです。
気付いた時にはもう手遅れでした。私の頭はゲシュタルト崩壊の様相を呈していて、こいしの姿を思い出すことすら困難になっていました。それまでに描いたこいしの絵も、記憶とはまるで違うものに思えて、思わず私はそれを全て火にくべてしまったのです。
「お姉ちゃんただいま」
こいしが帰ってきたのは、その時でした。
私は振り返って、こいしの姿を目にして、その姿に違和感を持って、それが私のこいしを見ることのできた最後の瞬間でした。
私の視界の内のこいしは、見る間にその姿を書き換えて、形容し難い――敢えて形容するなら、蛸と蜘蛛と蛇を掛け合わせて立方根で括ったような――姿にそのかたちを書き換えたのでした。
・ ・ ・
まったく、お姉ちゃんは偏屈すぎていけません。私がこんなひねくれた意地悪をするようなタマだとでも思っているのでしょうか。思っているのでしょうねお姉ちゃんあの性格ですし。いやはやひどい姉もいたものです。そこも含めて好きなんですけどね。まあそれはともかく。
ええ、そうです。お姉ちゃんのあれは、私の能力の影響です。それについては間違いありません。しかしながら一つだけ、あれはわざとじゃないということだけは主張させてほしいのです。
そうです。これ、私の制御がきかないんです。
いやほんと、どうにも厄介で仕方ないのですが、しかしこういう類はどうすることもできないものです。昔の読心の能力に比べれば遥かにマシではあるのですが、でも面倒なことには変わりありません。
……まあ、しかしてそこまで困ったことは、お姉ちゃんの件以外にはないのですが。
まずもって件の能力というのは、「相手の想像通りに私の姿を見せる」というものとなっているわけでして。これは案外、悪い能力ではないのです。
例をあげれば、そうですね。まず人里で子供たちと遊ぶ時には、私の姿は端からすれば「普通の人里の女の子」に見えているわけです。一方、妖怪の私を知っているひとというのはほぼ例外なくお姉ちゃんのことも知っていますから、「古明地の妹」と名乗れば相手は勝手に私の姿を脳内補完してくれる。とまあ、皆さんはちょっとばかし言葉を並べれば概ね同じような姿かたちを想像してくれますから、ふつうは特段の問題もないわけなのです。
なのですが。
ほんと、お姉ちゃんの件に関しては暴発としか言いようがないのですよね。或いは、げに恐ろしきは疑心暗鬼、と言ったところでしょうか。
何があったのか未だに私は知りませんが、お姉ちゃんは私の姿にあるとき疑問を抱いたのでしょう。そうして訝しみを抱いたままに私の姿を見たのです。そうすると、私の姿は想像に依りますから、疑う分だけ姿はぼやけます。ぼやけた姿はお姉ちゃんの疑いを確信へと塗り替えて、そうして騙されていたという恐怖が、ありもしない私の実像をお姉ちゃんの脳内に生み出したのでしょう。
それが、自身の心の生み出した虚像であるとも知らずに。
……しかし面白いですよね。ひとの心を武器にするサトリ妖怪ともあろうものが、その実自分の心に苦しめられているなんて。
まるで寓話みたいです、と私はくすりと笑いました。
「ああ、そういえばさ、フランちゃん」
私は、ふと疑問を抱いて訊きました。
「フランちゃんにはさ、私って、どんな風に見えてるの? 」
つまり、お姉ちゃんを写真ですら見たことのない、どころかひとを見たことすら僅かしかない、そういう相手には私はどう見えるのでしょうか、と。
「こいしは、こいしよ」
私は、フランドール・スカーレットは、部屋の片隅に転がった石ころに向かって、そう応えた。
終始漂う不穏な雰囲気がよかったです
さとりが抱いたイメージもさとり本人の心の在りようから来たものだと思うとやるせない
オチもよかったです
しかし、思い込みとか、ゲシュタルト崩壊とか、疑心暗鬼とか、このあたりは無意識に支配される領域なんでしょうか。私にもわかりませんが……
>ゲシュタルト崩壊とか、疑心暗鬼とか
このあたりは無意識に支配される領域か否かは、ちょっとこちらにも判断つきかねます。
ただ、この辺りはこいしちゃんが操っているもの、というわけではありません。
どっちも、単にさとり様が自滅しただけの案件なので。
>思い込み
認知バイアスというものがありまして、これは確か「事前に持っていた情報によって外からの情報に取捨選択や改変が加わる」というものだったはずです。
これは明らかに無意識の領域だろうということで、これが今回のこいしちゃんの能力の元ネタとなっています。
皆さま、評価ありがとうございます。
オチも好き。