「この罪人は、×××で◯◯◯でありますので、有罪に間違いありません」
「裁判長、どうぞ良識ある御判決を」
「保留」
かくして、五十三件目の保留となった。霊魂の留置場は、もはやパンク状態である。これではいかんと、四季映姫・ヤマザナドゥ本人としても、思っているのだ。しかしどうにも、お茶を濁したい。はっきりと、したくないのだ。もやもやでありたい。モヤザナドゥ。改名さえ考えたものの、それも、保留中。
本来、白黒つけねば気のすまない性質、そのはずなのだけども、それゆえに、五十三件の保留、外野からして、地獄裁判長四季映姫の所業とはとうてい思われず、もしや偽物ではないかと噂すら立っているが、しかし、本物である。
「裁判長。もはや、保留などと、これ以上の暴挙は、ゆるされませんぞ」
「どうぞ御決断を」
「延期」
そして、ああ、今回も、やってしまった。五十四回目。どうにも、こうにも、ない。もはや言葉遊びで、糾弾から逃げまわる始末である。検事、弁護、傍聴、みんな白い目で、某モヤザナドゥ裁判長を見ていた。その白黒だけは、よく覚えている。
どうして、このように、優柔不断となってしまったのだろう。こんなことでは、地獄裁判長の職など、とてもつとまらぬ。いっそ、これ以上の迷惑をかける前に、やめてしまった方がいいかしら。いいや、でもなぁ。もったいないなぁ。うーん、まあ、保留! といった具合で、なんにも決まることはなく、まさしく与太郎、与太映姫・モヤザナドゥ、もはや原形が残っておらぬ、なにかとグレーな地獄裁判長は、かくして完成せられた。
そのような職務放棄も、いよいよ、上から咎められたか、執務室まで辞令が届いた。妙に、変則的な辞令である。問答無用で辞めさせられるとばかり、思っていたところ、どうにもそういうわけではなく、辞令に書かれていたのは次の通りで、
『明日、保留中の全ての判決を下すか、もしくは裁判長の職を辞するか、明日の正午までに選択すべし、なお、保留、の返事は、我々、辞職と解すること、注意されたし。』
などと、最後の機会を与えられていることは、明らかであった。
決めねばならぬ。
決められるのか?
五十四の失態を繰り返して、この期に及び、そのような自信が、どこから湧いてくるのか。
小町に、相談しようか。
そんな考えが、一瞬頭をよぎり、しかしすぐ頭を振る。そこは、優柔不断でなく、速やかに、頑なであった。小町には、あのような悪徳の死神には、決して相談など、してなるものか。
映姫が、小町と口論を起こしたのは、優柔不断の始まる、その直前くらいである。確かに、すこし、ひどい言葉で説教したかもしれない。多忙で、苛立っているときに、軽薄にサボタージュなどされて、冷静でいられなくなったことも、ほんのすこしは、あるだろう。しかし、ことの発端、その原因は、小野塚小町、その人にあり、こちらから歩み寄っていくなどと、ありえぬ。そんな感じに、白黒つけているように見えて、なにやら、うじうじと、やっている。
結局、次の正午まで、うんうん唸っているように見えて、なんにも決まることはなく、半分泣きべそで、映姫は『保留』の文字をしたため、返答として、飛脚に渡してしまった。ああ、なんとも、情けなく、破滅。まさか、このような終わりとは。どうしようもないと自虐しつつ、しかし、この保留もまた、実は私自身の決断の結果なのではなかろうかと、意味の分からない納得をして、執務机に顔から伏していた。
「四季映姫・ヤマザナドゥ殿。お迎えに上がりました」
運命の正午、是非曲直庁の制服を着て、したっぱが迎えにきた。いよいよ、解雇宣告か。はかなくも、失職。映姫は観念して、したっぱに着いていく。廊下を歩く、こつこつと白々しい足音が、嫌に響いて、もはや悲しく、誰のせいかといえば、自分のせいでしかないので、涙もなにもない。
じきに、大きな扉の前まで来た。この先に、是非曲直庁の重役たちがいて、映姫はその前に立ち、厳しい視線を向けられ、ただ一言、クビ、などと告げられて、それでおしまいだ。
ぎぃ、と軋む音、大きな扉が開き、その先の光景が見える。ぼんやりと、呆けた顔で立っていた映姫は、その光景を見て、ゆっくりと、驚いた。重役が、厳しい顔でいるはずの部屋、そこには、検事、弁護、そして傍聴がいる。
荘厳に、法廷が広がっていた。
「それでは、被告霊その一、再審を開始する」
映姫の代わりに、別の判事が、開廷を告げる。映姫は、なし崩しに、裁判長席へと座らされた。ひたすら、困惑である。どうして、私は、ここにいるのだろう。確かに『保留』と、返事をしたはずであった。普通、今頃はクビ。無職であるはずが、この裁判長席に、座っている。
映姫の困惑など、どうでもよいといったふうで、裁判は粛々と進んだ。そうして、すぐ、判決を迎える。法廷の全ての目が、映姫に注がれていた。映姫は、生唾を飲み、視線を泳がせ、
「判決を、……」
言いかけて、ふいと、馬鹿らしくなり、言葉が途切れる。ああ、いつもの感覚。五十四回くり返した、感覚であった。やはり、だめだ。どうしようも、しがたい。これまでと、なんにも変わっていないのである。こと、この状況となっても、同じ。心の中が、白と黒で混ざり合い、もやもやと、グレーになっていって、口がまるく開き、そして、
「ほりゅ」
「四季様!」
がたりと、突然に、傍聴席がどよめく。身長の高い、着物をまとった、赤髪の女が、立ち上がっていた。小野塚小町。その人と、目が合う。驚いている暇もない。小町は、ただちに、どこまでも必死で、懸命に、そして泣きそうな顔をして、
「ごめんなさぁぁああい!!!!!」
力をこめ、鮮烈に、とてつもない大声で、謝り散らした。
「あたいが、全部、悪いんだ、四季様が疲れているときに、あんな、軽く、軽々しく、ああ、思い出すだけでも、胸が苦しくて、四季様が、様子が変だって、聞いていたのに、見てみぬふりで、こんなことに、だから、あたいが悪いんです、でも、しかし、このまま、こんなふうに、いなくなるなんて、そんなのは、いけないんだ、だから、ごめんなさい、映姫様、あたいは、……」
なにがなにやら、言っていることは、要領を得ず、そのうち、警備の者が現れて、小町は強制退場である。大暴れしていたが、ずるずる引きずられて、そのうち、見えなくなった。沈黙だけ、法廷に残り、しかし視線は、徐々に、映姫のほうへ集まってくる。映姫はもう、ひたすら、顔を伏し、赤面を隠すほかない。
しばらくして、判事が「判決を」とか言って、どうしようもなく、映姫は顔を上げた。変わらず、注目が集まっている。小町の大立ち回り、その直前と、なんら変わらぬ光景。しかし映姫は、気づく。映姫の中にある、確かな異物感。映姫ではない、灰色をした、ぐるぐる渦巻く、なにかがいる。
「浄玻璃の鏡が、全てを映し出します」
鏡を取り出し、さりげなく、自分自身の顔を映す。そうして背後に、見た。瘴気に似た、灰色の煙。ただよっている、映姫以外のもの。異物。それは、見つかった以上、造作もない存在であった。映姫が軽く睨みつけると、あっさりと霧散して、かき消える。モヤザナドゥ裁判長の最期は、なんとも、あっけない。
「再審など、必要ありません。被告その五十四まで、今すぐ、ここへ連れてきなさい」
前触れもなく、言い放ち、どよめきが起こる。しかし、有無を言わせぬ強さがあった。映姫の前に、五十四の霊が、一直線に並べられる。映姫は、向かって左端の霊へ、びしりと、悔悟の棒を差し向け、そこから、右へと、順番に、流れるように、
「黒黒白黒白白黒白黒黒白黒黒白黒黒白白黒白黒白黒黒白黒黒白黒黒白白白黒黒黒黒白白黒白黒白黒黒白黒黒白黒白黒黒黒!」
滞納分は、実に、たった十秒で、早口言葉にして、判決されたのである。
判決から、数十分ほどが経ち、映姫が執務室で休んでいるところへ、おどおど、こそこそ、入室してくる影があった。高い身長のわりに、その姿は小さく見えて、まるで怯える子犬、様子をうかがう齧歯類、しかしすぐに、映姫から見とがめられ「小町」と呼ばれると、背筋がぴんと張って、まさしく地蔵のように、直立不動。
「あ、あのぅ。四季様。その、……」
もじもじしている小町に、映姫はすたすたと、毅然に歩み寄っていき、そうして、悔悟の棒で、額を引っぱたく。きゃん、などと変な声を出して、しかし、そんなに痛くはなさそう。無論、みねうち。手加減されている。
「まったく、小町ときたら、あのような、公的な場で、いきなりなにをしでかすかと」
「すみません」小町は、縮こまる。
「あんな、わけの分からないことを言われて、私も、どんな顔をしていればよいのか、……」
お小言、お説教。小町は、実にばつの悪そうな顔で、映姫の顔を見たり、天井を見たり、床を見たり。そんな小町と、目が合う瞬間を、見計らい、映姫は、小町の手を握って、
「小町。ごめんなさい」
ふいと、謝罪。
「四季様、……」
「変だわ。本当に。あんなに、頑固になって、些細なことなのに、ひどい言葉で、小町をののしりました。本当に、ごめんなさい」
「そんなこと言ったら。あたいだって」
それから、数分もかけて、お互いに、思いの丈、謝りに謝り、いよいよ収拾もつかず、わけが分からなくなり、なにやらお馬鹿の集団に思えて、気がつけば、笑い合っていた。
今夜、飲みに行きましょう。とか、そんな感じの会話をして、小町は執務室から出ていった。晴れ晴れした気持ちで、映姫は、執務机の椅子に座る。前に座ったときは、今とは全然違う、すっかり灰色な気持ちでいたことを、思い出す。それは、異物の仕業。『後神』などという、ごく下等な神霊の、侵入を許した。その結果が、あの、モヤザナドゥ裁判長であった。
普通ならば、このように、下等の干渉を受けることはない。よっぽど、抵抗力が弱っていない限り、ありえぬ。そう、それこそ、よほどのことが起きて、よほど動揺でもしていなければ、そのようなことは、ないのだ。そう思えば、思うほど、映姫は、不出来で、大ざっぱで、一途で、熱心で、人の手紙を勝手に書き換えてしまうような、手のかかる部下のことを思い出し、これはいけないと、ひたすら、机に顔を伏せるほかない。
次は誰が、どんな怪異に見舞われるかも楽しみの一つとして良いのかな
漫談になりそうなお話。楽しかったーやっぱり肝はあれですね
本来の調子を取り戻した四季様の閻魔っぷりがよかったです
微笑ましくなりました。
二人の間で、四季様をよほど動揺させることとは一体何か。
その答えは、まあ、保留ということで。
地の文の口調も、映姫様らしさと思うとむしろそれらしくて納得です