私は眠っていた。眠りから覚めたとき、ピンク色の、暖かで、丸っこくて大きい何かがベッドの中に割り込んでいるのを見つけた。
空は晴れている。開けっ放しの襖の向こうに、庭先と、橘の木と、広がった夏雲があった。私は、眠たい頭で考えた。妖夢を呼ばなければいけない。妖夢は幽々子がここに来ていることを知っているのかしら。
夏用の薄い布団をめくり、半身を起こした。様子をうかがっていたかのように、藍が部屋へと入ってくる。手には湯飲みを持っている。手渡されたそれに口を付けた。よく冷えていて、寝汗をかいた身体に染み渡った。
「どうして、この暑いのにくっつきに来るのかしら」
「知りませんよ」
湯飲みを受け取ると、さっさと藍は引き下がっていった。冷たいんだか優しいんだか。
「あ、そうそう」と藍が戻ってきて言った。「妖夢さん、私のところで待たせていますから。用事が済んだら、教えてください」
用って、何だろう。そもそも用というほどのことがあって、幽々子はここで寝こけているのか。
頭の中が少しすっきりしてきた。……けど、私はもう一度寝っ転がった。布団を被ったら、もう一度眠ってしまえそうだった。布団に頭を押しつけながら、用事について考えた。……もしかしたら、藍の言う用事とは、色めいた事柄をオブラートに包んだものだろうか。確かに、私と幽々子の距離はいかにも近かった。幽々子のふとももが、私の足に触れている。
ついついっと、指先で中空をスワイプすると、境界が開いて、寝転んだまま色んなところの様子をうかがうことができる。霊夢が暑さでうだり、ちゃぶ台に突っ伏している様子が見れたり、霊夢の友達の魔理沙が、この暑いのに暑い服で頑張って、家を閉じきって実験に勤しんでいる様子も。そうやって時間を過ごしてるうち、幽々子は目覚めるだろうと思ったけど、幽々子はなかなか起きてこなかった。
「いい加減、いつまでも寝てないで起きてください」と、しまいには藍に怒られてしまった。藍は私を子供みたいに叱りつける。藍の方ではそういう役割を押しつけられたと思い込んでるのかも知れない。仕方なしに身体を起こしたけど、服を着る気にはなれなかった。下着の格好のままでうろうろしてると、また怒られるだろうなと思った。
起き上がって居間に行くと、妖夢がいた。並んで座ってたら、冷麺が出てきた。妖夢と並んで冷麺をすすっていると、幽々子が起き上がってきて、私達と一緒にテーブルを囲んだ。冷麺がまた出て来た。
「ごちそうさまでした」
妖夢は食べ終わると、箸をきちんと揃えてそう言った。「どういたしまして」と藍は、無表情だけど、嬉しそうな声色で答えている。
「……ごちそうさま」
私が言ったら、じとりとこっちを見て、さっきとは全然違った声色でもう一度「……どういたしまして」と繰り返した。冷たい。もっと優しくしてもいいと思うのに。
「藍の作るごはんもおいしいわねえ」と、幽々子は三杯もおかわりしてご満悦だった。
それにしても、何だか居心地が悪い。私の方では、全く惑っている。いつも仲が悪いわけじゃない。藍も妖夢も、喧嘩をするような間柄ではない。なのに、藍も妖夢も、言葉の歯切れが悪く、会話が弾まないのだ。そのくせ私が話しかけたことには冷たく変事も途切れがちだし、なんでこうなっているのだろう? 幽々子は笑っていて我関せずだし。
沈黙をよそに、幽々子は部屋の片隅に転がっていた三味線を所望した。藍が手渡すと、撥を一本の弦に引っかけ、きりきりと緊張させて、千切れんばかりに責め立てた。それから手首を返し、弾けんばかりに引き鳴らした。乱暴な取り扱いだ。だが、それ以後は生娘の肌に触れるかのようだった。微かにすすり泣くような三味線の音が、部屋の中には満ちた。
幽々子は上機嫌に見えた。けれど、幽々子はいつでも上機嫌に見える。それが、本当に機嫌がよいのかどうか、本当のところはわからない。でも、少なくとも、妖夢には変わった様子は見られなかった。妖夢は幽々子といつも一緒にいるとは言っても、未熟だからな。やっぱり、本当のところはわからない。
お昼だけでなく、夕食まで食べるような時間になって、そろそろ、と妖夢は言った。幽々子は少し名残惜しそうにし、それから、またね、紫、と自分に言うみたいに言った。幽々子は三味線を藍に返して、立ち上がった。
藍は玄関まで見送りに行ったけど、私は居間に座ったままでいた。
私は幽々子が嫌いなのかもしれない。昔は友達だった。それを、今も同じであるように幽々子は振る舞う。昔と同じようにできないのは、幽々子が一番知っているはずなのに。私は私で、意地になりすぎて、過度に突き放してしまっている。
私が幽々子にしてあげられることは、もう何もない。何をしたって、子供じみた慰めにしかならない。何もかも虚しく、時間が経ってゆくにつれて、ますます虚しい。
それにしたって……、私は、いかにも冷たい。
「ね、藍。どうして怒っているの」
幽々子を見送りに行って帰ってきた藍は、一言も喋らず、相変わらず怒っていた。里行きの人間風の姿に着替えて、どうやら買い出しに行くみたいだった。「ねーえ」と重ねて声をかけると、藍は声に怒気を含ませて答えた。
「私、これから出かけますから。話はあと」
じっとりと、藍が出てゆこうとする背中を眺めると、藍は私を振り返った。藍を見ている私と目が合った。なんとも居心地の悪い空気が私たちの間にあった。
「どうして怒ってるか知りたかったら、一人で考えててください」
ばたん、と苛立ち紛れに玄関の扉を閉める音は、壊れんばかりに大きかった。
晩ごはんのときは、橙も一緒だった。橙は昼間のことを知らない。気ままに藍や私と喋っていたけど、藍との時は藍とだけ、私との時は私と話すだけで、藍と私の会話が重なることはなかった。橙の視線は時々、私と藍の間を行き来した。
「ねーえ」と私が藍を見ると、藍は私をきっと睨んだ。
橙は夜になって、ひっそりといなくなった。いつもの通り、どこかの木の上で眠るのだろう。それでやっと、話を切り出せた。
「ねえ藍、どうして怒っているの」
「紫様は、本気で言ってるんですか。妖夢を待たせて、いつまでも幽々子様と寝床にいて。妖夢に悪いと思いませんか。妖夢の教育にも良くないと思いませんか。紫様は、霊夢の前でもそんな態度でいられますか」
霊夢を持ち出されると、弱い私だった。
「……だめね。本気で怒られるわ」
「でしょう。それなら、きちんとしてください」
きちんとしてください、たって、それは私の責任なのだろうか。私が呼んだわけでもなし、幽々子は勝手に潜り込んでくるのだし。それも夜半に、夜盗のように潜り込んでくるんだから、拒みようもない。だいたい、お泊まり会のように一緒に寝っ転がって寝たくらいで、何を気にすることがあるんだろう?
藍も私も大人だ。そんな風には考えないのかもしれない。でも、本当に違うのだ。そんなことを言ったって藍は信じないだろう。幽々子だっておとなしく帰りもしないし。なんだか面倒で、何もかもどうでもよくなった。
いつの間に来るのだろう。眠る時はいないのに、夜中になると幽々子はいる。勝手なやつだ。失礼なやつだ。しかし、幽々子は不思議なこととは全く思っていない。死人だから、常識が通じないのかもしれない。死んでるのにご飯食べるし。
幽々子は姿勢よく私の隣に転がっていた。昼間は暑いけど、夜になると涼しい風が吹いていた。眠る時にタブレットをつけっぱなしだったせいで、Netflixのドラマが流れっぱなしだった。手を伸ばしてタブレットの電源を落とした。
うるさい音を消したおかげで、幽々子の寝息まで聞き取れるようになった。叩き起こして、その安らかな寝息を邪魔してやりたい。それで外へ放り出してやったら、幽々子はどうするだろう。妖夢に連れて帰ってもらうだろうか。たぶん、妖夢は来てないだろう。夜中に勝手に抜け出て、妖夢は朝になってから邸に幽々子がいないことを知り、探してここに来るのだ。妖夢もおらず、外でめそめそ泣いているだけだろうか。
どうにも、私は幽々子のことになると意地になるらしい。
朝になると、誰も起こしにも来なかった。居間には置き手紙があった。『外に出かけています。妖夢も一緒です』と書いてある。何もかも、私が自分でしなくてはならなくなった。幽々子を起こし、ご飯を用意して、時間を潰し、幽々子の相手をしなくてはならない。どれもこれも、面倒なことばかりだ。
幽々子は寝床でくうくう眠っている。幽々子の眠りは深くて、一度眠るとなかなか目覚めないのだ。幽々子はするべき仕事もほとんどなく、妖夢のほかに親しい友達もおらず、毎日時間が過ぎるのは長いことだろう。眠りで時間をごまかすのは、幽々子なりの逃避なのかもしれない。
眠っていてくれるのなら気楽なことだ。自分の身体を、幽々子の隣に放り出すと、時間が過ぎるのに任せることにした。することもなく、毎日退屈なのは私も同じだ。藍が帰ってくるか、幽々子が起きるまでぼうっとしていることにしよう。
幽々子はいつもと同じく、棒のように伸びて、姿勢よく眠っている。口元もきちんと閉じている。空気もスムーズにきちんと通っているみたいだった。幽々子がみっともなく口を開いて眠っていたり、いびきをかいたりしているのを見たことはない。
私は少し気になることがあって、幽々子の鼻をつまんでみた。幽々子は幽霊なのだから、酸素を吸うことはないはずだ。だけど事実空気を取り込んでいて、鼻をつままれると、うぅん、と呻いて不快げに眉をひそめた。嫌がって、虫でも払うように腕を伸ばし、私の手を払った。抗わずに、そのまま話してあげると、元のように穏やかな寝顔に戻った。
「妖夢?」
と、目を閉じたまま、幽々子がつぶやく。うぅん、と呻いて、そのまま寝返りを打った。身体が半ば、私の身体によっかかるような形になって、伸ばしたままの片腕が私の首元に触れた。幽々子の吐息が耳元にかかり、柔らかい二の腕が私の喉に触れていた。境界を閉じてしまうと、幽々子の髪に触れて、撫でてあげた。
「うふふ」
と、幽々子が笑った。起きていたのだ。それとも、今になって起きたのか。髪に触れている私の手を取り、幽々子自身の背中へと持っていった。されるがままに手を伸ばすと、幽々子を抱きとめるような感じになった。
人間と妖怪が、同じように時間を過ごすことは不可能だ。……それが分かっていて、私は幽々子を繋ぎ止めようとした。幽々子は自ら、人間としての規範を捨てて、時間の軛から解き放たれた。
……幽々子を抱いていると、繋ぎ止められなかったことを思い出す。それが、私には嫌なのかもしれない。どんなふうに時間を過ごそうとも、閨を共にし、肉体の繋がりを求めようとも、全て終わってしまったことのようで。自分の無力さを思い知らされて、虚しくなるばかり。
幽々子が薄めを開けて、笑っている。私は思いを隠して、幽々子を見ていた。
「起きていたの」
幽々子は答えず、くすくす笑うばかりだった。
「ねえ紫、お腹が空いたわ」
「何もないわ。藍も妖夢もいないし……」
「あらそう。私、紫に何か作って欲しいわ。紫の作るものが食べたいの」
「いいわよ。じゃあ、起きないと」
幽々子はますます笑った。笑って、幽々子の方からも、私の身体へ手を伸ばしてきた。腰に手を回し、身体をくっつけて……楽しそうだった。身体は立派に大人になっているくせに、笑い声はまるで子供のようだった。
冷蔵庫の中には、藍が作ってくれたご飯が入っていた。温めたら、すぐにご飯にできる。それを素知らぬ顔して幽々子に出したら、「紫が作ってくれたものはおいしいわ」と笑っていた。
すでに時間は夕方に近い。けだるい初夏の昼過ぎだった。風もなく、蝉の声ばかりがうるさい。
妖夢も藍も、帰ってくる気配はなかった。よほど藍の怒りは大きいらしい。まあいいか。どうにでもなるだろう。この様子では夕飯も済ませ、酒も入れて夜半に帰ってくるかもしれない。
従者もいなくなったというのに、幽々子は気にもしていなかった。むしろ気ままな時を楽しげに過ごしているようだった。気をもんでいるのは私と藍、それから妖夢だけ。周りの者ばかりが振り回されている。
でも、幽々子を怒っても仕方ない。私も気ままにやることにした。隙間からお酒を引っ張り出し、グラスに注いだ。澄んだ透明な日本酒で満たされると、たちまちグラスには露が浮いた。
「いいわね。私もほしいわ」
幽々子に請われるがまま、グラスごと幽々子に手渡した。同じのを手元に作ると、幽々子はわずかにグラスを傾けてきて、乾杯した。
「幽々子は近頃、私のところによく来るわね」
「そう、聞いてよ紫。妖夢が最近、一緒に眠ってくれないの」
「へぇ?」
「近頃暑いからかと思ったのだけど、でも、あの子、一人で遅くまで起きてるのよ。なんだか、何かをこそこそとしてるみたいだし……何かを隠してるみたいなのよ」
つーっと宙に線を引くと、妖夢の部屋の様子がわかる。布団が片隅に畳まれて置かれている。ちょうど、布団の枕元に来る位置には小棚が置いてある……引き出しを開くと、数冊の本が入っていた。
ちょっとエッチなシーンのある少年漫画の単行本だった。こんなものを読むのにも人目を避けて、幽々子にも隠すなんて、妖夢はずいぶん可愛らしい。しかしその余波が私の寝床にも来ているのだ……それが理由というわけでもないけど、私にも稚気が働いて、その漫画の置いてあるところに、こっそりフランス書院の美少女文庫シリーズを数冊入れておいた。
しかし、こんなことをしたら、妖夢はますます寝床に幽々子を近づけなくするんじゃないか。でもまあ、面白いから、いいか、と私は思った。
「妖夢と一緒に眠っているの?いつも」
「ええ。一人で眠るのって寂しいし、退屈だもの。紫はそう思わない?」
「思わないけど……たまには藍のところにでも行ったらどうかしら」
「紫がそうしてほしいならそうするわ。でも、時々は来てもいいかしら」
だめ? と、幽々子は顔を傾けてみせる。別にいいけどさ。
「私、お父様が好きだったの。いつも一緒に眠ってた。でも、お父様はいなくなったわ。 私、子供ね。それでも、誰かと一緒に眠るのが好きなのよ」
それにしたって、妖夢の代わりか。ふん。私が考えすぎているみたいで、嫌な気分だった。
藍はずんどこに酔っ払っていた。妖夢に付き添われ、人力車に乗って帰ってきた。ずいぶん愚痴に付き合わされたらしい。帰ってからも、藍は私にだけ聞こえるよう耳元でやかましく呟いていた。ちょうど幽々子とホラー映画を見ているところだったのだけど、ベッドシーンが映るだけで怒られて大変だった。その日は、妖夢も幽々子も酔っていたし、二人も泊まってもらうことにした。
橙を隙間から引っ張り出して、手伝ってもらう。橙と二人で、客間に布団を広げた。働いているのを見るので、橙も物珍しげにしていた。橙も、藍のところに泊まるみたいだった。
「今日は久々に妖夢の隣で寝られるわね」と、幽々子に冗談を言うと、「本当に久しぶりよ。妖夢が部屋に入れてくれないから」と答えていた。幽々子様、と妖夢が怒りと恥じらいの混じった声をあげた。妖夢にあげた本については、あとで本気で怒られるかもしれない。
それはそれとして、妖夢が幽々子を連れて客間に引っ込み、溶けている藍を橙と二人で藍の部屋に放り込むと、私も久しぶりに一人になった。近頃暑くなってきたのは確かだから、一人の方が涼しいことは確かだ。
それでも、やっぱり、幽々子は寝床に潜り込んできた。藍はますます怒ることだろう。気配が質量を持って布団に入り込んでくると、幽々子だとわかったので、寝ぼけた頭をはっきりと覚醒させることもなかった。
「何をしてるのよ……」
自分でも、とぼけたような声を出しているのが分かった。今は知覚していても、朝になったら忘れているだろう。朝になってから、そういえば幽々子が潜り込んでいたな、と考えるのだ。
「妖夢ったら、寝ちゃったんだもの
「妖夢は起きなかったの?」
「ぜんぜん。ぐっすり眠っているもの」
くくく、と闇の中で、幽々子が笑っている気配がする。幽々子の首筋を探り、抱き寄せると、私の胸元でますます笑った。吐息が漏れて皮膚をくすぐる。
藍はどう思うことだろう。少し離れたところで妖夢も眠っている。橙もいる。本気で怒って、出ていくかも。本当にそうなったらどうしよう? 一日じゅう暑さに耐えて、ひたすら眠り、気が向いたらご飯を食べたり、宅配ピザを頼んだりする。幽々子もたぶん、出ていったりしないだろう。それはそれで鬱陶しい。
藍は私たちが何をしていると思うだろう。何もいかがわしいことはしていないのに……幽々子は幼子みたいだし、私はそんな幼子みたいな幽々子に手を出す気分にはなれない。そんなことをするくらいなら、よそで男でも作ってくれるほうがよっぽどましだ。私では幽々子を救うことはできない。
人が救われることなんて、ないのかもしれない。その時その時だけ、少しだけ癒やされていくだけなのかも。幽々子が、私といようと、誰か別の男といようと、似たようなものなのかも。私は幽々子を癒やしてあげたいと思う。
幽々子は焦がれて、そのまま死んだ。死んだあともそれを無限に続けさせるのは、酷ではないかとも思う。終わってしまうということは一つの救いだ。何かを諦めてしまうことができる。私は幽々子の永遠に、付き合ってゆくことができるのかな?
しかし今は、ひたすらに眠たい。幽々子も瞳を閉じている。眠って、明日になって、何もかもが流れるままに進んでいく。とりあえず、藍は怒ることだろう。幽々子を夜のうちに帰しておくという小細工をする気分にもなれない。幽々子はこんなに安らかに眠っているのに。
窓辺の向こうで、黎明のごとく昏い蝶々が、ひらひらと舞っていた。
目が覚めると、一人だった。ちょうど廊下を通りかかった藍に、幽々子のことを尋ねると、「帰りましたよ。妖夢と一緒に」と、そっけなく答えた。
「ここしばらくお世話になったから、しばらくしたらまた来るって言ってましたよ」
藍は言うだけ言って、すぐどこかへ行ってしまった。まだ態度は冷たいけど、話してくれるくらいには気分は良くなっているらしい。
起きた時に一人なのは久々で、珍しいことだ。でも、それが普通で、いつかは元に戻っていくことだった。幽々子は冥界で暮らし、私は異空間で暮らす。人の真似事をしても、人と同じように他人を愛すことはできず、人と同じようには暮らすこともできない。
私も幽々子も、人だったなら、と考える。幽々子は人であった頃のように、他人を愛する。私は人ではなく、幽々子もまた人ではない。人であった頃をやり直すには、きっと物質的な法則を超えたものが必要だ。輪廻転生の教えであるとか……。
幽々子にとっても、私にとっても、一瞬の癒やしというものだけが、唯一の救いなのかもしれない。
まあ、それはそれとして。私には霊夢がおり、幽々子には妖夢がいる。人間のように子供を作るということはなくても、私達の影響を受けて子供は育っていく。するべき仕事があるというのも一つの癒やしでもあるし。時間はいくらでもあるのだから、気ままにすればいい。どのみちしばらく来ないとは言っても、幽々子はまたすぐに来ることだろう。私達には時間はいくらでもあって、それからすれば、一年や二年待ったところですぐのことだ。
そう思ってたのだけど、次の日の朝には、また幽々子は潜り込んでいた。いつの間に、どうやってかも、何のつもりかも分からない。単にびっくりさせたいだけかもしれなかった。
「妖夢がね、異様に怒ってて。追い出されてしまったのよ」
ああ、と私は思い至った。そういうことになるのか。
「それで、しばらくお世話になりたいのだけど、いいかしら……?」
藍はいい顔をしなかったけど、私のせいだから(言わないけど)、一も二もなく許した。数年に一度も会わないこともあれば、こんな風に一緒に過ごすのも気ままなことだ。
でもまあ、そういう風に過ごすことも、奇妙に嬉しいことではあった。どうしてか私は、幽々子に優しくしたい気分になっていたのだ。