じーわ、じーわと蝉の声。青い空、高い雲、きらめく太陽。夏だというのに、穣子は元気だ。午前中いっぱい使って、畑の世話を欠かさない。
妖怪の山の麓、里と山との境界近く。穣子の畑は、鬱蒼とした森の中にぽっかりと空いた妖精の空き地 にある。空き地いっぱいに畝が立てられているのは中々に壮観だ。
今、畑は半分程の面積に作物が植わっている。もう少し正確に言えば、こうだ。
穣子は畑全体を四分割して運用している。まず最初の四分の一、ここには夏の作物が植えられていた。胡瓜、瓜、玉蜀黍、茄子などなど。これらは今まさに、たわわに実りを誇っていた。
次の四分の一、ここは秋の作物だ。薩摩芋、南瓜、人参、蕪など、一日千秋の思いで穣の季節を待っている。私たちは秋の神様なのだから当然といえば当然なのだけど、この秋の畑が一番広く取られていた。
また四分の一、ここは一見何も植えられていないように見える。だけどふかふかの土を少しめくれば、そこには厳しい冬にも耐えようとする作物――大根、春菊、キャベツに白菜――が、種の姿で芽生えの時期を待っていた。
最後の四分の一。ここだけが、本当に何も植えられてない休耕地であった。穣子はここに畝を掘って、落ち葉や抜いた草をそこに放り込んでいた。
春になったら、また美味しい作物が実るように……。穣子は、よくそんなことを言っていた。
私は、畑の片隅にしつらえられた椅子に腰かけていた。優美な椅子と丸テーブルのセットで、所々白い塗装が剥げている。結構な年代物である上にこうして雨ざらしにまでしているのに、驚くほどに座り心地が良かった。
風通しの良い木陰で涼みながらぼうっとしていると、なんだか懐かしいような、胸がきゅうとなるような甘酸っぱい想いが胸の内を流れていく。
季節のせいかしら、そう私は思った。
夏は生の季節だ。太陽も植物も動物も、そして人間も、ぎらぎらとした生命を剥き出しににするようにして夏を謳歌している。
だからこそだろう。こうしてとても穏やかな気持ちになる瞬間に、どうしようもなく死を想ってしまうのは 。生命が眠りにつく冬の季節に、生の充実を感じるのと丁度真逆である。
ぼんやりとそんなことを考えていると、がさがさと茂みをかき分ける音が聞こえてきた。
「ふう、やれやれね」
茂みの向こうから現れたのは、雛だ。トレードマークの大きなリボンにくっついた小枝やら葉っぱやらを払い落としている。片方の手は、大きな竹編みのざるを持っていた。
「お疲れ様。首尾は?」
「上々よ。よく冷えた夏野菜は、やっぱり美味しいわねえ」
雛はそう言いながら、ざるをテーブルの上に置いた。ざるに入っていたのは、トマト、胡瓜に真桑瓜。小山のようになっているこれらは、どれも朝早くに穣子が収穫した採れたてだ。
雛はこれらの作物を川の水で冷やしてきたのだった。
「つまみ食いしたわね」
私は肘をついたままに苦情を申し付けた。ざるの中身が、川に行く前より減っている。特に顕著なのが胡瓜の量だった。
「労働に対する正当な報酬よ」
雛は一向に悪びれない。私の隣に腰掛けて、平然とトマトにかぶりついた。私はため息をひとつ吐いてから、くすりと笑って雛からトマトを受け取る。何のことはなく、私もまたつまみ食い窃盗団の一員なのだ。
「穣子は?」
「あそこ。水撒いてるから、多分もうすぐ終わりね」
私は畑の一角を指差した。穣子は大きな如雨露を抱え持って、何度も何度も井戸と畑を往復している。肩までしかないサマードレスに麦わら帽子という格好だが、それでも日差しのきついこの時間は厳しいようで、全身汗びっしょりだ。
本当は水やりにしろ何にしろ、もっと楽にやる為の工夫ならいくらでもあるはずなのだ。守屋程ではないにしても、畑に水路を切って水が全体に行き渡るようにすれば、一々水やりをする手間は随分となくなる。それはよくわかっているのだろうが、穣子は決して受け入れはしない。
「頑張るわねえ」
雛も同じような想いを抱いたのか、しんみりと呟いた。ここの畑作業に、私たちは関わらない。
いや、正確に言えば関われないのだ。
この畑は、秋穣子という神霊を形成する基礎部分、「存在理由」の核となる部分なのだ。
「ああそう、これもあったわね」
唐突にそんなことを言い出して、雛はざるの底から茶色い瓶を三本引っ張りだした。よほど冷えているのか、どの瓶も全面びっしりと玉の汗をかいている。
「あら、いいわね。麦酒なんて、気が利いてるじゃない」
「河童に会ってね。交渉の結果よ」
茄子と胡瓜でお盆用の牛と馬を作りながら、雛が答える。なるほど、どうりで胡瓜の本数が少ない訳だ。
「そんなに作るの」
私は雛の手元を見つめながら尋ねた。話している間にも、牛と馬の群れが、テーブルの上を埋め尽くしつつあった。
「いいじゃない。これもある種の流し雛なのよ」
雛が言うには、昔は盆明けに供物と一緒に牛や馬も流したらしい。今は食べちゃうから、新鮮さがウリになるのよ、とのこと。それって、穣子の作物で商売するってこと?
「ふぃ~。汗でべったべた。川で洗ってくる―」
私がもやもやしてると、穣子が作業を終えて戻ってきた。本人も言う通り、全身汗みずくだ。
「お疲れさま。いってらっしゃい」
毛巾を手渡し、笑顔で送り出す。
振り返ると、雛がによによと笑っていた。
「……なに?」
「いやね、水浴みを撮って、『川面にたゆたう秋の女神~大豊作~』……なんて」
「蹴り砕くわよ?」
「……前から思ってたんだけど、静葉って案外妹バカよね」
私たちふたりが馬鹿話をしている間に、穣子が髪の毛を拭き拭き帰ってきた。
「ふー、さっぱりぱり」
「おかえり。冷えてるわよ」
「おー、麦酒まで」
椅子に座りながら、感心したように穣子が声をあげる。雛は手早くテーブルの上を片付け、さんにんの前に麦酒の瓶を並べた。栓抜きを手にして、しゅぽん、と王冠を開け外す。輸送中に揺られたせいか、開封した瞬間にしゅわしゅわと泡が瓶口から垂れ落ちた。まあ、些細なことよね。
「はい、かんぱーい」
手を泡まみれにしながら、瓶をかちんとぶつけ合う。ぐい、と一口。からからに乾いた喉を、ほろ苦い液体が気持ちよく滑り落ちていく。やっぱり夏は麦酒、これは幻想少女の共通認識といっても良い。
ひと息入れてから、それぞれざるの作物に手を伸ばす。トマトはそのままで充分。胡瓜は生でも塩でも、もろみ味噌をつけて食べても美味しい。
でも私が好きなのは、これ。真桑瓜だ。
しゃくしゃくとした口当たり、優しい甘み。果汁が多いため、水分補給にはうってつけだ。
私はさくさくと瓜を半月形に切り分けた。ひとつを選び、かぶりつく。西瓜とも、メロンともまた違う甘さが口の中いっぱいに広がった。
「うん、んまい」
穣子が満足そうに呟く。しばらく無言で、私たちは真桑瓜を味わった。
どーん、どーん、と幻想郷全体に砲声が響き渡る。夏祭りの合図だ。厳密には少し違って、夜に行う花火の試し打ちなのだけど、ほとんどの住人は夏祭りの合図に打ってると思っている。
「ん、早いね」
「そろそろ、お神輿の時間だからね」
雛が瓜を頬張りながらそう言うと、穣子の目がキラキラと輝きだした。
「おー。お姉ちゃん、早く見に行こ」
「浴衣着て行くって言ってたじゃない」
私が軽くたしなめると、穣子は納得したように頷いた。
「あ、そっか。うーん、ていっ!」
穣子はぎゅうっと握りこぶしを作った後、ぱあっと両手を開いた。その動きに合わせるように、首元からふわりと衣装が変わっていく。パッションオレンジのサマードレスから、群青色の浴衣へ。
穣子の浴衣は、群青の地に葡萄柄のものだ。薄い青から紫、黄緑と、葡萄の色は様々だ。帯はパステル系のクリーム色。稲の模様が透かしで入っている。うん、妹という色眼鏡抜きでもかわいい。いや、かわいすぎでしょ。神かよ。神だよ。
「左右の重ねが逆」
平然を装った私の指摘に、穣子はうーん、と唸り、襟元を指で弄った。左前になっていた浴衣が、正しい形に戻る。神霊である私たちにとって、これくらいは朝飯前だ。
「うん、よろしい」
私は頷く。その時には、私の準備も終わっていた。
私の浴衣は生成りの地に、銀杏柄の藍の染め抜き。帯は深い紅色、その上に山吹色の帯ひもを結んでいる。
……帯の色、ちょっと派手すぎたかな。
「雛は?」
「準備出来てるわ」
椅子から降りて、雛はくるりと一回転する。まるで演劇の早着替えのように、雛の服が変わった。
雛が選んだ浴衣は、黒地に渦巻き模様。渦巻きは赤、青、白、黄、緑、水色……どれもビビットだ。帯は赤青白の三色旗 、全体的に派手な印象だけど、不思議に雛には似合っていた。
雛はにっこりと笑う。髪型も弄っていて、いつもの顎下結びは解いてポニーテールに上げていた。綺麗なうなじが垣間見え、普段とは一味違った色気を醸し出す。こういうお洒落では、私は彼女に敵わない。
「穣子、これ売ってもいい?」
雛は片手に持ったバスケットを見せながら言った。中身はさっき作っていた牛と馬だ。
「わ、すごい。でもなんで私に?」
「いや、これ穣子の野菜じゃん」
「え?……あー、別にいいよ、気にしないで」
ひらひらと手を振りながらゆるく笑う穣子。私はこっそりため息をついた。この娘はこれだから。
穣子が気にするのは豊作かどうか、その一点だけだ。収穫した作物自体には、驚くほど執着しない。でも、だからって無料で配り回ることはないのだ。神霊だって先立つ物は必要なのだから。
この娘のおひとよしが、いつか命取りにならないか、私はほんの少しだけ畏れていた。神というのは、好かれるだけでは敬われないのだ。
「それじゃ、行きましょうか」
雑念を払うように頭を振って、私はふたりに声を掛ける。
「お姉ちゃんっ」
穣子が手を伸ばしてくる。私はその手を握った。
土の匂いのする手、よく日焼けした手、作業によって節くれだった手。働き者の手だ。
私はこの手が好きだった。
私たちはお喋りしながら山を降り始める。
風に乗って、かすかに祭囃子が聞こえてきた。
かなかなかな、と蝉の声。群青に染まる空、朧に光るお月さま。祭囃子に線香の香り、花火の火薬臭。
生のきらめき、死の匂い。
今日は、盆まつりだ。
妖怪の山の麓、里と山との境界近く。穣子の畑は、鬱蒼とした森の中にぽっかりと空いた
今、畑は半分程の面積に作物が植わっている。もう少し正確に言えば、こうだ。
穣子は畑全体を四分割して運用している。まず最初の四分の一、ここには夏の作物が植えられていた。胡瓜、瓜、玉蜀黍、茄子などなど。これらは今まさに、たわわに実りを誇っていた。
次の四分の一、ここは秋の作物だ。薩摩芋、南瓜、人参、蕪など、一日千秋の思いで穣の季節を待っている。私たちは秋の神様なのだから当然といえば当然なのだけど、この秋の畑が一番広く取られていた。
また四分の一、ここは一見何も植えられていないように見える。だけどふかふかの土を少しめくれば、そこには厳しい冬にも耐えようとする作物――大根、春菊、キャベツに白菜――が、種の姿で芽生えの時期を待っていた。
最後の四分の一。ここだけが、本当に何も植えられてない休耕地であった。穣子はここに畝を掘って、落ち葉や抜いた草をそこに放り込んでいた。
春になったら、また美味しい作物が実るように……。穣子は、よくそんなことを言っていた。
私は、畑の片隅にしつらえられた椅子に腰かけていた。優美な椅子と丸テーブルのセットで、所々白い塗装が剥げている。結構な年代物である上にこうして雨ざらしにまでしているのに、驚くほどに座り心地が良かった。
風通しの良い木陰で涼みながらぼうっとしていると、なんだか懐かしいような、胸がきゅうとなるような甘酸っぱい想いが胸の内を流れていく。
季節のせいかしら、そう私は思った。
夏は生の季節だ。太陽も植物も動物も、そして人間も、ぎらぎらとした生命を剥き出しににするようにして夏を謳歌している。
だからこそだろう。こうしてとても穏やかな気持ちになる瞬間に、どうしようもなく
ぼんやりとそんなことを考えていると、がさがさと茂みをかき分ける音が聞こえてきた。
「ふう、やれやれね」
茂みの向こうから現れたのは、雛だ。トレードマークの大きなリボンにくっついた小枝やら葉っぱやらを払い落としている。片方の手は、大きな竹編みのざるを持っていた。
「お疲れ様。首尾は?」
「上々よ。よく冷えた夏野菜は、やっぱり美味しいわねえ」
雛はそう言いながら、ざるをテーブルの上に置いた。ざるに入っていたのは、トマト、胡瓜に真桑瓜。小山のようになっているこれらは、どれも朝早くに穣子が収穫した採れたてだ。
雛はこれらの作物を川の水で冷やしてきたのだった。
「つまみ食いしたわね」
私は肘をついたままに苦情を申し付けた。ざるの中身が、川に行く前より減っている。特に顕著なのが胡瓜の量だった。
「労働に対する正当な報酬よ」
雛は一向に悪びれない。私の隣に腰掛けて、平然とトマトにかぶりついた。私はため息をひとつ吐いてから、くすりと笑って雛からトマトを受け取る。何のことはなく、私もまたつまみ食い窃盗団の一員なのだ。
「穣子は?」
「あそこ。水撒いてるから、多分もうすぐ終わりね」
私は畑の一角を指差した。穣子は大きな如雨露を抱え持って、何度も何度も井戸と畑を往復している。肩までしかないサマードレスに麦わら帽子という格好だが、それでも日差しのきついこの時間は厳しいようで、全身汗びっしょりだ。
本当は水やりにしろ何にしろ、もっと楽にやる為の工夫ならいくらでもあるはずなのだ。守屋程ではないにしても、畑に水路を切って水が全体に行き渡るようにすれば、一々水やりをする手間は随分となくなる。それはよくわかっているのだろうが、穣子は決して受け入れはしない。
「頑張るわねえ」
雛も同じような想いを抱いたのか、しんみりと呟いた。ここの畑作業に、私たちは関わらない。
いや、正確に言えば関われないのだ。
この畑は、秋穣子という神霊を形成する基礎部分、「存在理由」の核となる部分なのだ。
「ああそう、これもあったわね」
唐突にそんなことを言い出して、雛はざるの底から茶色い瓶を三本引っ張りだした。よほど冷えているのか、どの瓶も全面びっしりと玉の汗をかいている。
「あら、いいわね。麦酒なんて、気が利いてるじゃない」
「河童に会ってね。交渉の結果よ」
茄子と胡瓜でお盆用の牛と馬を作りながら、雛が答える。なるほど、どうりで胡瓜の本数が少ない訳だ。
「そんなに作るの」
私は雛の手元を見つめながら尋ねた。話している間にも、牛と馬の群れが、テーブルの上を埋め尽くしつつあった。
「いいじゃない。これもある種の流し雛なのよ」
雛が言うには、昔は盆明けに供物と一緒に牛や馬も流したらしい。今は食べちゃうから、新鮮さがウリになるのよ、とのこと。それって、穣子の作物で商売するってこと?
「ふぃ~。汗でべったべた。川で洗ってくる―」
私がもやもやしてると、穣子が作業を終えて戻ってきた。本人も言う通り、全身汗みずくだ。
「お疲れさま。いってらっしゃい」
毛巾を手渡し、笑顔で送り出す。
振り返ると、雛がによによと笑っていた。
「……なに?」
「いやね、水浴みを撮って、『川面にたゆたう秋の女神~大豊作~』……なんて」
「蹴り砕くわよ?」
「……前から思ってたんだけど、静葉って案外妹バカよね」
私たちふたりが馬鹿話をしている間に、穣子が髪の毛を拭き拭き帰ってきた。
「ふー、さっぱりぱり」
「おかえり。冷えてるわよ」
「おー、麦酒まで」
椅子に座りながら、感心したように穣子が声をあげる。雛は手早くテーブルの上を片付け、さんにんの前に麦酒の瓶を並べた。栓抜きを手にして、しゅぽん、と王冠を開け外す。輸送中に揺られたせいか、開封した瞬間にしゅわしゅわと泡が瓶口から垂れ落ちた。まあ、些細なことよね。
「はい、かんぱーい」
手を泡まみれにしながら、瓶をかちんとぶつけ合う。ぐい、と一口。からからに乾いた喉を、ほろ苦い液体が気持ちよく滑り落ちていく。やっぱり夏は麦酒、これは幻想少女の共通認識といっても良い。
ひと息入れてから、それぞれざるの作物に手を伸ばす。トマトはそのままで充分。胡瓜は生でも塩でも、もろみ味噌をつけて食べても美味しい。
でも私が好きなのは、これ。真桑瓜だ。
しゃくしゃくとした口当たり、優しい甘み。果汁が多いため、水分補給にはうってつけだ。
私はさくさくと瓜を半月形に切り分けた。ひとつを選び、かぶりつく。西瓜とも、メロンともまた違う甘さが口の中いっぱいに広がった。
「うん、んまい」
穣子が満足そうに呟く。しばらく無言で、私たちは真桑瓜を味わった。
どーん、どーん、と幻想郷全体に砲声が響き渡る。夏祭りの合図だ。厳密には少し違って、夜に行う花火の試し打ちなのだけど、ほとんどの住人は夏祭りの合図に打ってると思っている。
「ん、早いね」
「そろそろ、お神輿の時間だからね」
雛が瓜を頬張りながらそう言うと、穣子の目がキラキラと輝きだした。
「おー。お姉ちゃん、早く見に行こ」
「浴衣着て行くって言ってたじゃない」
私が軽くたしなめると、穣子は納得したように頷いた。
「あ、そっか。うーん、ていっ!」
穣子はぎゅうっと握りこぶしを作った後、ぱあっと両手を開いた。その動きに合わせるように、首元からふわりと衣装が変わっていく。パッションオレンジのサマードレスから、群青色の浴衣へ。
穣子の浴衣は、群青の地に葡萄柄のものだ。薄い青から紫、黄緑と、葡萄の色は様々だ。帯はパステル系のクリーム色。稲の模様が透かしで入っている。うん、妹という色眼鏡抜きでもかわいい。いや、かわいすぎでしょ。神かよ。神だよ。
「左右の重ねが逆」
平然を装った私の指摘に、穣子はうーん、と唸り、襟元を指で弄った。左前になっていた浴衣が、正しい形に戻る。神霊である私たちにとって、これくらいは朝飯前だ。
「うん、よろしい」
私は頷く。その時には、私の準備も終わっていた。
私の浴衣は生成りの地に、銀杏柄の藍の染め抜き。帯は深い紅色、その上に山吹色の帯ひもを結んでいる。
……帯の色、ちょっと派手すぎたかな。
「雛は?」
「準備出来てるわ」
椅子から降りて、雛はくるりと一回転する。まるで演劇の早着替えのように、雛の服が変わった。
雛が選んだ浴衣は、黒地に渦巻き模様。渦巻きは赤、青、白、黄、緑、水色……どれもビビットだ。帯は赤青白の
雛はにっこりと笑う。髪型も弄っていて、いつもの顎下結びは解いてポニーテールに上げていた。綺麗なうなじが垣間見え、普段とは一味違った色気を醸し出す。こういうお洒落では、私は彼女に敵わない。
「穣子、これ売ってもいい?」
雛は片手に持ったバスケットを見せながら言った。中身はさっき作っていた牛と馬だ。
「わ、すごい。でもなんで私に?」
「いや、これ穣子の野菜じゃん」
「え?……あー、別にいいよ、気にしないで」
ひらひらと手を振りながらゆるく笑う穣子。私はこっそりため息をついた。この娘はこれだから。
穣子が気にするのは豊作かどうか、その一点だけだ。収穫した作物自体には、驚くほど執着しない。でも、だからって無料で配り回ることはないのだ。神霊だって先立つ物は必要なのだから。
この娘のおひとよしが、いつか命取りにならないか、私はほんの少しだけ畏れていた。神というのは、好かれるだけでは敬われないのだ。
「それじゃ、行きましょうか」
雑念を払うように頭を振って、私はふたりに声を掛ける。
「お姉ちゃんっ」
穣子が手を伸ばしてくる。私はその手を握った。
土の匂いのする手、よく日焼けした手、作業によって節くれだった手。働き者の手だ。
私はこの手が好きだった。
私たちはお喋りしながら山を降り始める。
風に乗って、かすかに祭囃子が聞こえてきた。
かなかなかな、と蝉の声。群青に染まる空、朧に光るお月さま。祭囃子に線香の香り、花火の火薬臭。
生のきらめき、死の匂い。
今日は、盆まつりだ。
女の子たちが戯れるさまがすごくかわいらしくて、読んでてすごく楽しかったです
夏の空気も、冷えたビールも、夏野菜も、一瞬で衣装を変える人ならざる彼女たちの振る舞いも、全てがしっくりくる感覚を覚えます
花火の試し打ちの音が聞こえてきた下りでは記憶の中で聴いたことのある音に重ね合わせてしまうほど雰囲気に引き込まれました