Coolier - 新生・東方創想話

「早苗、私をスレイブにして!」

2018/08/09 17:58:12
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「早苗、私をスレイブにして!」
「……はい?」
 人里に流れる運河。そのほとりに腰掛けていた早苗は、同じく隣で座り、菫子が合唱しつつ発した衝撃的な言葉に被弾し、呆気にとられていた。
 彼女達の仲が良好であるということは、知らぬ存ぜぬ者はいるまい。けれどそれはあくまで友情としてのものであり、上下関係など、ましてや奴隷にして欲しいと頼みこむようなものでもない。
 早苗もまたそれは判っていた。ならばどうして、と彼女は拝むような姿勢を続ける友人を見ながら頭を捻り、言葉を零す。
「住み込みで働きたいっていうのなら歓迎だけど……」
 菫子は時々、守矢神社でお手伝いをしている。もちろんボランティアではない。時間に応じて給料が発生するものである。
 それと関連させて、もっとお金を欲しているのではないか、と早苗は考えたのだ。
 しかし、彼女の予想は大幅に外れていたらしく、菫子は半目で早苗を見つめながら眼鏡の位置を直していた。
 違うかーと呟きつつ、大げさに頭を抱えながら早苗が再考を始めた様子を見て、菫子は眉を顰めながら口を開く。
「もしかして、早苗は知らないの? 完全憑依異変のこと。数週間前から流行りだしたっぽくて、巷ではその話題で持ちきりよ?」
「完全、憑依?」
 聞き慣れない単語を、早苗は反芻する。その様子を見て、からかっているのではなく本当に知らないのだと理解し、菫子は驚きとばかりに目をしばたたかせた。無論、早苗が鈍感なわけではなく、しっかりとした理由があった。
「だって、仕方ないじゃない。その異変が始まる少し前から仕事で忙しかったのよ」
 そう、早苗は忙しかったのだ。
 それはもう類まれなる忙しさで、妖怪の山を西へ東へ行ったり来たり、ろくすっぽ休みはもらえず、サービス残業は当たり前、心も体もヘトヘト。
 そんな激務もようやく落ち着きを見せ、久方ぶりの休暇を与えられたのだった。
 早苗が人里にいるのも、休暇を利用して買い物を楽しむという目的があった。それは、隣の超能力者によって早々に阻止されてしまい、この状況に至るのだが。
「声を掛けてくれたら、お手伝いしたのに」
「気持ちはありがたいけど、私でないと対処できないものだったのよねぇ」
「あらら」
「それより、スレイブって結局なんなの?」
「あー、そうね。じゃあ今から説明するわ。最初からね」
 完全憑依異変とは、全くの別人が、対象者の精神と肉体を乗っ取る怪現象のことだ。
 一般に、取り憑いた者はスレイブ、取り憑かれた方はマスターと呼ばれている。
 有志の調査により、完全憑依には、互いが同意の上で成り立つ同意完全憑依、スレイブが無断で取り憑く強制完全憑依という二種類が存在することが判明している。
 同意完全憑依の場合、憑依解除の権限はマスターが握り、強制完全憑依の場合にはスレイブが握っている。
 その他、細かい情報を菫子は身振り手振りを交えながら早苗に伝えた。
「私の知らないところで、そんなことが起こっていたのね」
「発覚した当初から、みんなタッグを組んで色んな所で強さを競い合ってるわ。大したデメリットもないし、組むだけで強くなれるシンプルなものだからね」
「にしても、えらく詳しいね。自分で調べたの?」
「カセンチャンから聞き出したわ。……で、この異変を発生させたのが、依神姉妹と呼ばれる貧乏神と疫病神の二人よ」
「うっわー。近づきたくない組み合わせ。っていうか、え、首謀者は判っているの?」
「判っているどころじゃないわ。戦ったもん」
 数日前、ペットにしようと企んでいる小人に取り憑いて一緒に暴れていたら、成り行きでその二人の元まで辿り着いていたそうだ。
「因みに結果は?」
「惨敗よ惨敗。小動物がマスターだったのもあるけど、ボコボコにやられたわ。なんだか普通以上に疲れていたっていうのもあるんだけどさ。……で、これは後から知った事なんだけど、彼女達には絶対に勝てないんだって。他にも負けたタッグはわんさかいるそうよ」
「つまり、絶対に勝てない二人に復讐したい、と」
「そういうこと。どちらかというと、早苗にお願いしちゃってるから仇討ちかな? ちなみに、理由はまだまだあるわよ。詳しい原因は知らなかったけど、夢だか現だかごっちゃになる怖い経験をしたし、何より疫病神には前に一度取り憑かれていて、その時お金を巻き上げられたのよね。ほんっとに、チョームカつく」
 話しているうちに、当時の感情が思い起こされたのか、菫子は露骨に不機嫌な表情を浮かべた。
「災難ねぇ。とりあえず目的と動機は判った。……でも、どうして私なの? 霊夢さんや、魔理沙さん、他にもたくさん知り合いはいるでしょう?」
 深秘異変からずいぶん経つ。その年月で、菫子の友好関係も広いものとなっていた。だから、自分以外にも組める相手が――敵討ちを頼める相手が幾らでもいるはず。その中でどうして自分を選んだのだろうか、と早苗は疑問に思ったのだ。
 菫子は、よくぞそこに食いついてくれたと言わんばかりに、若干わざとらしくおどけながら口を開く。
「レイムっちもマリサっちも別の目的で動いてるっぽいからねぇー。香霖堂の人は見るからに弱そうだしぃ」
「つまり、消去法?」
 途端、菫子は早苗にぐいと近づき、彼女の瞳を覗き込んだ。
 ギラギラと輝く意思が宿っているその眼を見て、早苗は生唾を飲む。
「いいえ。たとえ彼女達が手隙だったとしても、貴女を選ぶわ。だって、現人神と超能力者の二人組よ? 強靭無敵、最強に決まってるじゃない。
 ……それに、私が思いつく限りでは、貴女だけなのよ。最凶最悪な彼女たちを出し抜いて、ギャフンと言わせられる人は」
「絶対に勝てない相手を、出し抜く? 私が?」
「そう。……興味、湧いてきた?」
「最初から興味津々だったけど、さっきのセリフがよく響いてきたわ。お仕事で溜まったフラストレーションを、妖怪退治で発散するのも良さそうね!」
 彼女なら、信頼する友人ならそう言ってくれる。その確信が見事的中した菫子は、早苗の手を取り、ニィと笑いながら言った。
「では改めて。早苗、私をスレイブにして!」
「お安い御用よ!」


 ◆


「意外と簡単にできるのね、完全憑依って」
「だからこそ流行ってるのよ」
 命蓮寺。人里の外れに建つお寺だ。そこに彼女達はやってきて、完全憑依を試していた。
 結果は良好なようで、霊体となった菫子が早苗の傍をふよふよと浮かんでいる。
「実体から解き放たれた感想はどう? 菫子」
「これが二回目だけど、やっぱり不思議な気分ね。泡風呂の中を漂っている……みたいな」
「へー。依神姉妹をぎゃふんと言わせたら、今度は私がスレイブをやってみたいわ」
「良いと思うけど、私には憑依しないほうが良いかも」
「どうして?」
「だって、憑依してる状態で私があっちの世界に戻っちゃうと、どうやらスレイブも連れてかれちゃうっぽいのよ」
「なにそれ」
「それがさー、疫病神に取り憑かれたって話、したじゃん? その時さ、どうやら外の世界にも一緒に来てたらしいの」
「マジ?」
「マジよマジ」
「それなら……確かにやめた方が良さそうね。外の世界とは完全に縁を切ったわけだし、今更迷い込んじゃうのもねぇ」
「……で、貴方達は何しに来たの?」
 話に花を咲かせる彼女たちの邪魔をするかのように、境内に響く第三者の声。
 その少女の登場を待っていたとばかりに、菫子は視線を上げながら口を開く。
「そりゃもう、完全憑依に成功したら」
 菫子の言葉を、早苗が続ける。
「実践あるのみでしょう?」
 視線の先。本堂の上には、雲居一輪が腕を組み、仁王立ちしていた。
 一輪は、非常識な彼女達を見下ろし、一つ息を吐いてから口を開く。
「商売敵のテリトリーにズカズカと入ってきて、しかも好戦的。最近の人間は礼がなってないねぇ」
「仏教徒らしく説法でも説こうっての?」
「隠れてお酒を飲むようなお方の御高説、一体どんなものかしら」
 不誠実な彼女たちに苦言を呈する一輪に対し、菫子と早苗は交互に煽りを放つ。
 普段以上に無礼なその様に、一輪は青筋を立てつつ一歩踏み込む。衝撃で、瓦の幾つかが屋根からずれ落ちた。
「ふん、安心しなさい。貴方たちのような分からず屋は、力でお灸をすえるものと相場が決まっているのよ!」
 来る。早苗たちが身構えた直後、一輪が握り拳を天へ向け、叫んだ。
「拳骨『夢の鉄槌落とし』!」
 桃色の拳が次々と空中に現れ、早苗めがけて振り下ろされる。
 菫子たちの狙い通りに、戦いの火蓋が切って落とされたのだ。
 早苗は一瞬だけニヤリと笑った後、正確無比に落下してくる拳骨を見切り、華麗なステップを駆使して避けた。目標を失った拳は地面に叩きつけられた後、地鳴りを残して霧散。
 もちろん攻撃は一度だけではなく、拳が立て続けに出現し、次々と彼女を襲っていく。
 早苗が回避に専念し、七波目の拳が消えた直後、一輪が霧の中から現れ、カードを切った。
「拳固『夢想の殺風』!」
 一撃、一点集中攻撃。
 小細工無しの、ストレート。
 被弾してしまえば、先程のそれよりもダメージは遥かに大きいだろう。
 だが早苗は、幾多の異変解決の経験から、程なく至近距離で追撃してくるだろうと見越していた。
 彼女はギリギリまで拳を引きつけ、重心を落としてから真横へと飛び、躱す。
 一点集中とは、裏を返せば弾が一つの自機狙い。来るとわかっていれば、避けるのは造作もない。
「チッ……」
 加えて、攻撃後の隙が大きい。早苗はそれを見逃さなかった。
「奇跡『客星の明るすぎる夜』!」
 星の印を素早く組むと、彼女の目の前に煌々と輝く恒星が現れ、それから発せられる強烈な光が一輪を襲う。雲山を駆使し身を守ろうとするも、彼女はあえなく吹き飛ばされた。
 地面を転がり灯籠に叩きつけられた一輪に対し、早苗がもう一撃御見舞いしようとカードを切りかけた直後。菫子が現れ、早苗に声をかけた。
「ねえ早苗。ヒマなんだけど」
「あ、そうだった。これは完全憑依のテストだったわね。交代する?」
「普通に交代するのはつまらないし、ほら、アレやってみない?」
「アレ……なるほど、名案ね!」
 相棒の考えを瞬時に理解し、早苗はカードを持ち替え、宣言する。
「秘念符『一子相伝のサイコキネシス』!」
 早苗を取り囲むように展開される、六芒星を形作る弾。それらは散らばり、空間を一気に満ちる。
 吹き飛ばされたということは、即ち距離が離れたということ。距離を詰められる僅かな時間で体勢を立て直し、一気に懐へ潜り込もうと考えていた一輪だったが、瞬く間に展開された弾幕を無視することは出来ず、回避を余儀なくされた。
 しかし、最初こそ、眼の前に迫る弾を一つずつ避け、または雲山の拳骨で払いのけるので精一杯だった一輪も、時間が経つに連れ、無駄な動きが無くなっていった。視線も弾幕だけではなく、幾度か早苗の方へ向けられ、反撃の機会を窺っている事は確かで。
 早苗の放った弾は、一定の法則を持って拡散している。つまり、その法則さえ見抜ければ、簡単に避けられるのだ。
 だが、そこで終わらないのが合同スペルカードである。
「これならどうかしら?」
 菫子が早苗と入れ替わり、すぐさま指を鳴らすと、呼応するかのように弾幕の一部が進行方向を変え、一輪の背後をめがけて飛んでいく。
 一輪は既の所で弾の接近に気が付くも、四方八方を囲まれていた所為で動作が大きく制限されていた。
 咄嗟に雲山の拳で背後を守ったものの、集中力を分散させた影響か、前方から飛来した幾つかの弾に被弾してしまう。
 呻き声を漏らしながら、膝をつく一輪。その様子を見て、菫子は嘲笑う。
「もう終わりかしら? なんなら完全憑依を使う時間を設けてあげてもいいんだけど?」
「私には雲山だけで十分よ! 積乱『夢見越し入道雲』!」
 宣言した瞬間、一輪の背後に雲山の本体と拳が現れ、回転しながら弾幕を乱打し、空間を掻き乱していく。同時に、回転で発生した突風によって周囲の弾も吹き飛ばした。
 轟音と共に滅茶苦茶にされる弾幕。そのあまりの力技に、菫子は目をしばたたかせた。
「そ、そんなのってアリ……?」
「まだまだぁ!」
 一輪は急制動し、両腕を胸の前で交差させ、両足を肩幅まで広げて重心を少し落とすと、雲山の本体が猛烈に膨らみ始めた。
 その様子はまるで、真夏に見る巨大な入道雲。数秒後には雲山の内部に稲妻が走り、神鳴りが轟きだす。
 菫子は数瞬だけ呆気にとられていたものの、一輪の意図を察知し、対抗出来るカードを取り出した。
「稲妻『夢幻帯電超入道』!」
「念力『テレキネシス 電波塔』!」
 雲山から全方位へと放たれる、電気を帯びたレーザー。それらは空間を駆け抜け、菫子めがけて進むかと思われたが、後少しの距離で、菫子が呼び出した電波塔のへと吸い込まれていった。
「なっ」
「流石は菫子、科学的な対処だわ」
 入れ替わった早苗が、電波塔を見上げながらそう言った後、一輪を見据える。
 対する彼女は、歯ぎしりをして早苗を睨みつけていた。
「そんなボロ屑、雲山で握りつぶしてやる!」
「出来るものならやってみなさい! そんな余裕があるのならね!」
 互いに互いを挑発し、息を整える。
 向かい合い、相手のスタミナと力量を推測し、次の策を講じつつ、ジリジリと近づいていく。
 勝負はまだまだこれから。彼女たちは闘気に満ちていた。
 両者が自身の間合いまで漸近し、同時にスペルカードを切ろうとした、その直後。
「そろそろ良いでしょう」
 二人の間に割って入るかのように、薄紫色の物質――夢魂が現れた。
 事態の急変に早苗は驚きつつも、何が起こっても対処できるようカードに手を添える。
 一方の一輪は、何故か露骨に嫌な顔をしていた。
 互い違いな反応を他所に、夢魂はもこもこと表層を膨らんでいき、終いには人の形を形作った。紺に近い髪色、赤く長いナイトキャップ、ボンボンの付いたモノクロのワンピースを着た少女の形に。
「あ、貴方は」
 いつか、夢の世界で見た少女。その突然の登場に、早苗は目をしばたたかせる。
 それとは対象的に、一輪は不満そうな声を上げながら少女に食って掛かった。 
「まだ暴れ足りないんだけど?」
「これが五回目の延長で、最後だと言ったでしょう」
「でもー」
「ダメです」
「がー! けちぃ」
 終始難色を示していたものの、一輪は少女の指示に渋々従い、夢魂に包まれ、そのまま消えてしまった。
 突然の妖怪消失に理解が追いつかないと行った表情を浮かべていたものの、はっと我に返ってから、早苗は呟く。
「ドレミーさんが、どうしてこちらの世界に……? というか一輪さんは何処へ?」
「あれ、早苗も知ってたの? あの獏」
 ドレミーの名を聞き、菫子が霊体として早苗から飛び出てきた。
「その口ぶりだと、菫子も知ってるのね」
「まぁ、ね。ついこの前、色々とお世話になったわ」
 そう語る菫子の表情は、あまり良いものでは無かった。
 二人が話をしていると、ドレミーが彼女たちの方へと目線を向けた。そして、霊体状態の菫子を見て、呆れたような表情を浮かべつつ口を開く。
「完全憑依で遊んでいる者がまた……。夢の世界を乱す危険な行為だと言っているでしょう?」
 眉を顰めながら早苗が言う。
「それは初耳です」
「さーなんのことやらさっぱり」
「特に貴方」
 マズイことが聞かれたと言わんばかりに菫子が適当にはぐらかしにかかるも、ドレミーがするりと近づき、指を指しながら言葉を続ける。
「貴方は特殊な状況にいると、何度も忠告しているでしょう? そのスレイブ状態も然り。むしろ、夢の世界への干渉が強いスレイブ側のほうが、余計こんがらがってしまう。今すぐにでもやめたほうがいいですよ」
 真剣な表情に、真面目なトーンでの忠告。その様子からは、嘘を言っているようには見えない。
 だが……否、だからこそ菫子は、口角を上げながら返事をした。
「お気になさらず。私は超能力者だから」
 顔を引き攣らせ、なにか言いたげな表情を浮かべていたドレミーだったが、最終的に諦めたのか、溜め息を吐きつつ夢魂に包まれて消えた。
 ドレミーが去った後、早苗は相棒の身を案じ、菫子に訊いた。
「あんなこと言ってたけど、菫子はさっきデメリットはないって言ってなかった? 大丈夫なの?」
「平気だってば。気にせず行きましょう」


 ◆


 以降も彼女達は、順調に勝利を重ね続けた。その百戦錬磨たるや、完全憑依異変を利用する者達の間では一躍有名になるほどで。
 異変解決にも慣れてきた早苗に、荒削りだが超能力のパワーは飛び抜けて高い菫子の組み合わせ。
 加えて、外の世界で過ごしていたという共通点があるからか、感情のシンクロ率がとても高い。
 勝つ要素しかないのだ。負ける要素がないのだ。
 彼女達は完全憑依をものにし、着実に強くなっていった。
 ……だが、しかし。
 ドレミー・スイートが指摘したとおり、完全憑依には、夢の国に対し過度な干渉をしてしまう弊害があった。
 その多くは、憑依対象者の夢の住民が現の世界に出現し、本人が秘している本音を何倍にも誇張して吐露してしまう形で現れる。それなら赤っ恥をかくだけだ。
 しかし、彼女は。
 夢幻病という非常に特殊な境遇と相まって、彼女の魂は、憑依するたびにジワジワと蝕まれていった。
 それは僅かなものであり、彼女が普段幻想郷に滞在している短時間であれば、蝕みは現実によって矯正された。
 けれど……けれど。最初の戦闘から幾日か経った日。
 その日は日曜日。いつもの菫子であれば週末は外界で過ごし、幻想郷へ行くにしてもアラームを一定の間隔で鳴るよう設定し、あちら側へ必要以上に飲み込まれないよう工夫をしていた。
 けれど彼女は、一日ぐらいなら平気だろうと甘く見積もり、夜更かしをした後、日が昇ってから就寝した。
 日中を幻想郷で過ごすことにしたのだ。今日は依神姉妹に邂逅できる。そんな根拠のない予感からだった。
 そして、幻想郷で早苗と合流し、また戦いに明け暮れていった。
 ……授業中の睡眠でちょくちょく入り込んでいく日は、つまり普段であれば、試合の回数は多くて三回ほど。
 だが、この日は太陽が天頂を通り過ぎる前に、既に二桁に達していた。
 塵も積もれば山となる。その言葉が示すとおり、僅かな蝕みは次第に大きくなっていった。
 無視できないほどに。
 それは、疲労のような形で彼女の身に現れた。
 完全憑依によって、感情を――精神を一部共有している早苗は、彼女の些細な変化にすぐ気がついた。
 ドレミーの忠告が引っかかっていた早苗は、その場ですぐ憑依状態を解除し休憩するよう勧めたものの、菫子は強がって憑依を続けた。
 彼女がそういうのなら問題ないだろうと早苗は考え、菫子を信頼し、それ以上言うことはなかった。


 ◆


 太陽のライブステージ。プリズムリバー楽団と堀川雷鼓のコラボライブのために作られたステージだ。
 前方には既に数多の観客が総立ちで彼女たちの登場を待っていた。その表情は、日が暮れて、照明が必要となるほど薄暗くなっていてもなお、明るく輝いて見えて。
 ステージ正面後方には祭り櫓が建てられ、それを取り囲むように屋台がズラッと並んでいる。興奮し財布の紐が緩んでいる観客を狙っているのは、商魂たくましい人々もそうなのだ。
 早苗と菫子はというと、喧騒に紛れることなく、祭り櫓の屋根に腰掛け、観客をつぶさに観察していた。依神姉妹を探しているのである。
 彼女達はどうやらライブの日に必ず現れるとは限らないようで、数日前に一度覗きに来た際は、結局影も形も見つからなかった。
 戦いを繰り広げるついでに、依神姉妹と戦ったことのあるタッグには、どういった状況で遭遇したのか聴取してまわった。けれど、これといった共通点は見いだせず、彼女達は気まぐれなのだということぐらいしか分からなかった。
「あー、お腹空いたなー……」
 早苗は双眼鏡――菫子がアポートしたものだ――で人だかりを注視しながら、ぐぅと鳴るお腹を手で押さえる。周囲には香ばしい匂いが立ち篭めており、それは彼女の空腹を刺激するのに十分だった。
「アイツらを見つけてギャフンと言わせたら、屋台でなにか食べよっか」
 そう返す菫子は、スマホで辺りを撮ると、画像を覗き込みながら虱潰しに彼女達を探している。
「霊体状態でもスマホは使えるのね」
 意識と目線は群衆に向けたまま、ふわふわと浮きながら端末とにらみっこしている菫子に、早苗がそう声を掛ける。
「そうっぽい。そういえば、夢の世界では使えたのかな……? 試してみればよかったわ」
「夢の世界? 菫子も行ったことあるんだ」
「行ったというか、巻き込まれたと言うか……」
「ふぅん。そのことも後で聞こうかな。それよりさ、私はどうすれば依神姉妹を出し抜けるの?」
 最初の時にそう口説かれた早苗だったが、肝心な詳細を聞かされていなかった。
 問われた菫子は、逡巡した後、意味深な笑みを浮かべつつ答える。
「早苗ならわかるわ」
「えー、ヒントはないの?」
「簡単に進んじゃつまらないでしょう?」
「それもそうだけど……」
「まあ、一つ。ヒントをあげるわ。……貴女の信じるものを、信じなさい」
「私の……信じるもの?」
「そう。それより早苗、こっち向いてよ」
 何よ、と訊きながら早苗が顔を上げ彼女の方へ向くと、菫子は早苗の肩に腕を回し、スマホの前面カメラを構え、
「はい、チーズ!」
「え、ちょっと」
 短い掛け声の後、パシャリとシャッターを切る。友人の急な無茶振りにもかかわらず、早苗は直ぐ様意図を理解し、ピースサインを作り、ニコリと微笑んだ。 
「菫子も好きねぇ、それ」
「自撮りが好きなわけじゃないわ。大好きな友達と、ワクワクするような日常を過ごしている、この大切な瞬間を残しておきたいだけ」
 これじゃあ遊びに来てるのと大差ないわね、と早苗は思いつつ意識を観客の方へ戻す。
 一方の菫子は、撮った写真を確認し、後ろを振り返って、
「うわぁあ!?」
 驚き叫びながら、真正面から早苗に抱きついた。さらなる不意打ちには対処できず、衝撃で二人とも倒れ込んでしまう。
「いたた……。ちょっと、どうしたのよ!」
「後ろっ! 後ろに!」
 早苗に覆いかぶさるように四つん這いになっていた菫子は、体を起こして帽子を押さえつつ早苗の後方を指差し、叫ぶ。
 彼女の反応を見るに、依神姉妹では無さそうだと当たりをつけつつ、早苗はどうにか首を動かし、後方へ――正確には頭上の方を――視線をやる。そこには、
「こんばんは」
 境界のスキマに腰掛け、悠々とした雰囲気を漂わせる八雲紫の姿があった。
 唐突な賢者の登場に、早苗は暫しきょとんした表情を浮かべていたが、慌てて菫子の体から離れ、軽く頭を下げた。
「こんばんは。ご無沙汰しています」
「え何、早苗も知ってるの? あいつの事」
 相棒の思いがけない態度に、菫子は目をしばたたかせる。早苗は紫に聞こえないよう、小声で菫子に耳打ちした。
「前に色々あったのよ。それより、貴女が紫さんを知っている事の方が驚きだわ」
 そして早苗は、紫に視線を向けた。自然体を装いつつも、何かあったら動けるようにと大幣に手をかける。紫が現れるときは、大抵何かしらの面倒事を引き連れていることが多いからだ。
 警戒心を露わにする早苗に、ワンテンポ遅れて早苗に習う菫子。彼女たちを交互に見た紫は、小さく肩を落としてから口を開いた。
「ここ数日、派手に暴れまわっている二人組が居ると聞いて来てみれば……。意外な組み合わせね。もしかして、完全憑依の調査?」
「調査も何も、首謀者を叩きのめすためだけに、こうして力をつけてきたのよ」
 早苗が肯定する前に、菫子が堂々と答える。彼女が受け答えしたいのなら、と早苗は半歩下がった。
 対する紫は、菫子をじぃと見つつ、言葉を続ける。
「そう……。残念だけど、今すぐに手を引きなさい」
「どうして」
「手筈は既に整った。本日、博麗の巫女により、完全憑依異変は解決される」
「なっ……!」
 突然の異変解決宣言に、二人は動揺する。
 菫子は反射的に嘘だと言いかけたものの、彼女がここで嘘をつくメリットなどないことや、異変の発生時期から逆算して解決の緒が掴めていてもおかしくないと考え、ただただ口をつぐむしかなかった。
 そして、早苗もほぼ同時に同じ結論に達していた。
「私としては、これ以上不確定要素がうろちょろされると困るの。さっさとお祭りにでも混ざってきなさい」
「お断りよ!」
 無論、そんなことを言われて、はいそうですかと従う菫子ではない。けれど、その拒絶は想定内だったようで、紫は淡々と対処する。
「これは貴女のためでもあるのよ、宇佐見菫子」
 紫に名前を告げられた直後、菫子の背筋にぞわりと悪寒が走った。刹那、彼女の傍でスキマが開き、扇子が菫子の首元に当てられる。その数瞬の動きに彼女たちは反応できず、ただ紫を睨むことしかできなかった。
 彼女の稚拙で反抗的な態度を折るために、紫は口を開く。
「夢と現の境界が揺らいでいる。このままだと、意識が希薄になり、個としての存在が維持できなくなる。……簡単に言えば、死ぬわよ」
「そんなっ……!」
 相棒に対する、死の宣告。紫の瞳を見ても、嘘をついているとは考えられず、早苗は口を押さえて、狼狽える。
「別に、どうでもいいわよ、そんなこと!」
 菫子も、フェイクだとは思っていなかった。それを踏まえて尚、彼女は反発する。
 駄々っ子のように往生際の悪さを見せる菫子に対し、賢者は赤子をあやすように優しく諭す。
「一時の感情に身を任せて、目標を達成しても、それで身を滅ぼしてしまえば本末転倒でしょう? 何度でも言います。この忠告は、貴女のためですよ」
 ここまで言って従わないわけがない。紫はそう踏んでいた。実際、相手が普通の少女であれば、話はここで終わっていただろう。
 だが、彼女は。宇佐見菫子は。
 眼鏡の位置を直し、彼女は口を開く。
「私は決めた。アイツラをギャフンと言わせると。だから私は、それに向かって突き進む。それ以外に興味はない。
 夢と現が揺らいでる? 命に関わる? そんなのどうでもいい。途中で折れちゃ、意味ないのよ。後々、絶対に後悔するのよ。
 いつまでも、どこまでも、最後まで全身全霊。それが私の……秘封倶楽部の掟よ!
 私のためだなんてほざくなら、今すぐに目の前から消えて。なんなら、この前みたいに戦う? マスターは早苗だけどね」
 紫の言葉は、優しくも残酷なまでに正しいものだった。
 だがそれは、あくまで一般論。命を大切にする人々だ。
 何よりも好奇心を優先する。何よりも深秘を曝くことを優先する。
 何よりも、自分の想いを優先する。
 彼女は、秘封倶楽部とは、そういう存在なのだ。その精神は、深秘異変と呼ばれる事件において、霊夢を前にして菫子がとった行動からも窺える。
 菫子の言葉は、自身の想いを貫こうとする覚悟に他ならず。
 だが、その秘めたる願い、自信と真っ直ぐな姿勢は、何よりも本物で。
 それらを内包する瞳の輝きを見た紫は、はっとさせられ、俯いた後にくるりと背を向けた。
「そこまで言うのなら……勝手にどうぞ。異変解決は明日にでも出来ますから」
 戦いに発展するだろうと思っていた早苗は、紫の拍子抜けな素振りに目をしばたたかせた。
 私の心のこもった言葉が響かない訳がないとは想いつつも、えらく簡単に譲歩したな、と菫子が思っていると、紫はスキマに身を滑り込ませつつ、言い残す。
「そこで待っているわよ。最凶最悪な双子が」
 紫が浮かんでいた空間の、向こう側。ライブ会場の直上。
 そこに浮かぶ、二人の少女の姿。
「見つけた……!」
 早苗が呟くと、それを察知したかのように、二人は早苗たちに意識を向けた。
「あーあ。また面倒くさそうな奴らが現れたわよ」
「山の巫女だー。私とは違って貧困とは無縁そうな奴だー」
 様々なアクセサリーでこれでもかと着飾っている少女と、薄汚れたパーカーを身に着けた、いかにも幸が薄そうな少女。
 依神女苑と依神紫苑だ。
 いよいよ目標とご対面し、早苗は独りごちる。
「アンタたちが……菫子の仇!」
「菫子ぉ? ああ、この前ちっこいのに憑依してたやつか。弱っちかったよ」
「あれは私のせいじゃない!」
 煽るように嘲笑いながら女苑は吐き捨て、菫子は食って掛かる。
「ザコが何か言ってるよ。ひもじいねぇ」
「哀れすぎ。負けて寝込んでりゃいいのに、すぐまた突っかかってくるとか、頭悪いんじゃないの?」
「心配ご無用。ハイゼンベルク並みに頭が良いから。それに、早苗となら絶対に負けない」
「菫子の言う通り。私達こそが、最強のタッグよ! アンタたちみたいな外道、敵じゃあない!」
「ほう? 言うじゃないか、山の巫女。その湧き出る運が枯れ果てても、ふんぞり返っていられるかな?」
 言い争いの後、女苑がせせら笑った瞬間。突如、真下の観客が沸き上がる。ステージ上に奏者が現れたのだ。
 プリズムリバー三姉妹に加え、堀川雷鼓の計四人。彼らは各々の位置で構えると、雷鼓の合図で演奏が始まった。
 騒霊と付喪神の、鼓膜と魂に響くアンサンブル。
 アップテンポながらニヒルな死生観のある曲調によって、観客のボルテージが瞬く間に高まっていく。
 その様子を見て、紫苑が心配そうに口を開いた。
「演奏が始まっちゃったよ、女苑」
「落ち着きなよ姉さん。どーせすぐ片付くから」
「それもそうね。貧乏神の私と」
「疫病神の私」
「我らが何故最凶最悪の姉妹なのか、身を以て知るが良い!」
 同時に叫ぶや否や、女苑は腕にかけていた琥珀色のバッグを早苗にめがけて投げつけた。
「くだらない小細工ね!」
 単調な投擲攻撃。対処も簡単だ。早苗は手を振るい、軽くはねのけた後、構える。
 だが。
「気をつけて、早苗!」
「甘いわ!」
 刹那、離れた場所に居たはずの女苑が、目の前に、至近距離で拳を構えていたのだ。
「なんで」
 息つく暇もなく、女苑はボディーブローを食らわせようとする。しかし、早苗もただやられるだけではない。既の所で身を翻し、空中に躍り出ることで難を逃れた。
 間合いを取る中、菫子が言う。
「あのバッグを介して超高速移動するの。傍から見れば瞬間移動ね」
「そいつは、厄介だわ」
「楽しくおしゃべりしている暇なんて、あるのかしら?」
 女苑はそう言い終わるや否や、どこからともなく取り出したアタッシュケースの中身をひっくり返した。
 その正体は、日本銀行券、合衆国ドル紙幣、人民幣、ユーロ紙幣などなど、あらゆる国の紙幣。
 本来ならば幻想郷にないはずの紙幣は空中に静止したかと思うと、一定間隔で列を成し、波のように早苗達めがけて飛翔した。
 早苗と菫子は驚いたものの、リアクションをぐっと飲み込み、持ち前の回避力を駆使しながら紙幣弾幕を掻い潜る。若干のランダム性はあるものの、女苑を起点に展開される固定弾幕であり、法則さえ見抜ければ、意識を過剰に割かずとも避けることができた。
 つまり、攻撃に転ずる機会ということ。
「菫子、アレやるわよ!」
「了解!」
 早苗は素早く五芒星をなぞり、宣言。
「秘念符『ミラクルテレキネシス』!」
 彼女の周囲に、赤色の楕円弾が展開される。これらが起点となり、更に弾幕が炸裂し、空間を埋め尽くすのだ。避けるのは至難の業である。
 しかしこれは合同スペルカード。それを踏まえた上で、菫子の力が加わり、更に弾幕の変化が多彩になることで、形勢がひっくり返ることは明らかだった。
「あとは任せて!」
 菫子が入れ替わり、触媒のスプーンを取り出し、自信満々で力を入れた、その直後。
「……ぇ?」
 ドクンと、殴られたかのような衝撃が胸に突き刺さり、冷や汗が背中を伝う。
 何が起こっているのか理解が追いついていないといった表情で、菫子はふらりと体が揺れ動き、握っていたスプーンが手からこぼれ、早苗が放った弾幕が弱々しい光となって消え、体の端が透明になっていき、重力に導かれるまま地面へと落下し始めて。
「菫子!」
 観客と激突する直前で、マスターである早苗が慌てて入れ替わり、なんとか体勢を整える。
「ちょっと、一体どうしたのよ!?」
 精神を一部共有している早苗にも、状況は伝わっていた。自己が周囲へ溶け出していくかのような、異様な感触を。
「わからない……。体が急に言うことを聞かなくなって……」
 菫子が紫の言葉に反発したのは、自分の意志を貫こうという理由もあったのだが、何より彼女の発言がハッタリに近いものだと感じていたからだった。
 スレイブ状態でいると、確かに普通とは違う感触を覚え、それが疲労感という形で蓄積していることはわかっていた。だから、それが積み重なったところでどうとでもなるだろうと踏んでいたのだ。
 だが、この現象は? 疲労感が別の形で体を襲ったというのか?
 菫子が長考状態に入っていると、紙幣弾幕が突如軌道を変え、彼女たちに迫り。
「きゃっ!?」
 紙幣の端に火がついたかと思うと、一斉に爆発。
 爆風に巻き込まれ、早苗は為す術もなく吹き飛ばされた。
「そのスレイブは使い物にならないっぽいわね。そんなお荷物を抱えて私達に挑もうだなんて、片腹痛いわ! 不運『ようこそ極貧の世界へ』!」
 余裕な態度を見せていた早苗の無残な姿を見て、女苑はせせら笑いながらカードを切る。
 観客が詰まっているステージ全体から光り輝く弾が発生し、それらが次々に動き出して、女苑へと吸い込まれていく。
 普段自分たちが使用している弾とは違った性質を感じるものの、それを深く考える前に弾幕が後方から迫っていた。
 それらを避けるために意識を後ろへ向けた、直後。
「はぁっ!」
 またもバッグが飛んでくる。早苗は咄嗟に避けるものの、女苑が高速移動し、殴り込んでくる。
 ジャブ、フック、パンチング、ボディーブローにストレート。
 あらゆる打撃技を、早苗はギリギリの動作を駆使して回避していくが、これに加えて弾幕も避けなくてはならなかった。
 大幣で抵抗しようとするも、ショートステップで安易に避けられるばかりで。
「まだまだぁ!」
 すると、女苑の後ろで隠れるように待機していた紫苑が前に出てきて、どす黒い弾幕を周囲にばらまいた。
「開海『モーゼの奇跡』!」
 不気味なまでに紫苑が動いていなかった状態を警戒していた早苗は、直後に対抗できるカードを切った。
 紫苑の弾幕は吹き飛ばされ、戦いの流れはリセットされたようにも見える。
 けれど、接近戦偏重な女苑に無理に対処してきた早苗は、すでに息が上がりつつあった。
 女苑は余裕をかましていたものの、弾幕を相殺されたことが気に食わないのか、不愉快そうな表情を浮かべている。
「小癪な……。なら、これならどうだ! 財禍『プラックピジョン』!」
 ショートステップで距離をとった後、カードを宣言。腕を振るうと、早苗の真下から小銭や小判などが出現し、彼女に襲いかかった。
 先ほどと同じように弾に対する妙な引っ掛かりを感じながらも、嫌らしいところから飛んでくる弾だな、と早苗は考えながら必死に避ける。
 女苑が近接戦闘をふっかけてこない点では、先の弾幕よりも避けやすい。しかし、それが不気味に思えてくるのもまた事実で。
 スペルカードを切ろうかとも考えたが、形勢をひっくり返せる見込みがない以上、無駄に体力を消耗することになりかねず、どうしても踏み切ることができずに居た。
 早苗が苦々しい表情で弾幕を回避していると、黙り込んでいた菫子が現れた。
「早苗! 恐らくあいつらは、この場にいる全員から財や運を巻き上げて、内側に溜め込んで、負のオーラに還元したり攻撃に使ったりしている! さっきのお金とかも、財が具現化した姿だったのよ!」
「さっきから感じていた違和感は、そういうことだったのね。つまり、観客の財布が空にならない限り、攻撃し放題ってことか……」
「小人との時は散々酷使されてたけど、早苗が攻撃に集中してくれたから気付けたわ。ありがとう」
「どうも。……まって、つまり、今あいつらはパワーを内側に溜め込んでいるってこと!?」
 大小様々な財が寄って形成された巨大な塊を避けながら、早苗は恐るべき想像を口走る。
 以前のスペルカードでは比較的早めにパワーが開放されていた。けれど、今回はその素振りを見せていない。
 嫌な予感に突き動かされ、菫子が叫ぶ。
「これ以上はマズイ! 供給元たる観客から引き剥がさないとっ!」
「了解! 蛇符『神代大蛇』!」
 早苗はスペルカードを切ると、巨大な蛇が出現し、依神姉妹に襲いかかった。しかし彼女達は、その場から離れないよう、最小限で動いて避けている。
 まるで、早苗たちの意図を読んでいるかのように。
「ちっ、動かないか……。直接攻撃してふっとばしたいけれど、接近したらオーラの塊を発射してくるかもしれない。そしたら、私達だけじゃなく、観客にも被害が……」
 遠距離も接近もダメ、これでは八方塞がりだ。早苗がどうにかならないかと思案していると、彼女の言葉をヒントに、菫子が、あっと声を上げる。
「接近……? そうだ、早苗! それだよ!」
「え、どういうことよ、菫子」
「あいつらは確実に攻撃を当ててこようとするはず。なら、直前に接近行動をしてくる。そこがチャンスよ」
「接近行動? でも……ああ、そうか!」
 女苑の移動速度は、攻撃を当てられないほど早い。けれど一度で進む距離は僅かで、けれど長距離を詰めるには不向き。
 ならば、女苑が取る行動はただ一つだった。
「けど、どうするの?」
 行動が読めても、早苗には対処する術が思いつかなかった。それを汲み取り、菫子は言う。
「私がやるわ」
「大丈夫?」
 逡巡し、彼女は意を決して答える。
「……大丈夫よ。落ち着いたから。さっきみたいにはならない。……私を、信じて」
「そう言われて、首を縦に振らない友は居ないわ。任せる!」
 全てを託された菫子は、早苗と入れ替わり前に出る。
 その決断をみて、女苑は腹を抱えてケラケラと笑いだした。
 先程の動きで、菫子の様子がおかしいことを把握しているからだ。
「ザコでも壁ぐらいにはなるだろうな! だが、そんな薄っぺらいものは、粉々に砕け散るだけだ!」
 女苑はそう叫び、バッグを菫子めがけて投擲した。
 黄金色の鞄は真っ直ぐに空気を進み、菫子に激突し、女苑はカードを切りながら超高速移動する。彼女たちの予想通りに。
「貧符『超貧乏玉』!」
 そして、負のオーラの凝縮体を目一杯力を込めて叩きつけた。
 轟音とともにめくれ上がる地面。周囲に立ち込める土煙。薄暗い照明と相まって、空間全体が薄暗くなる。
「ふん、口ほどでもなかった……何っ」
 勝ちを確信していた女苑だったが、感触に違和感を覚え、煙を振り払う。
 そこは、ライブステージではなく、傍の空き地だった。
「どうして!?」
「その妙な技、バッグを介して超高速移動するのね。けどそれ、バッグまでは無意識に移動しているでしょう?」
 女苑の背後に立つ菫子が、飄々と種明かしをする。
「私はそこを突いた。バッグと共にテレポーテーションすることで、別の場所へと引きずり出したってわけ」
「流石、我が相棒ね」
 菫子と入れ替わった早苗が、そう零す。勝負の流れは、彼女たちへと向いていた。
「さあ、観念なさい。貴方達の力の源である観客とは距離がある。これ以上吸い取ることは出来ないでしょう?」
「大人しく、負けを認めなさい!」
 早苗が大幣を構え、霊体の菫子が煽る。
 対する依神姉妹は、呆然とした表情を浮かべながら顔をうつむかせ、地面にぺたりと座り込んでしまった。
 見るからに、戦意喪失状態。このまま試合は終わるかと思われた。
 けれど。
「……ふふふ」
「アハハハハ!」
 二人は自分自身の肩を抱き、笑い震え始めた。
「何がおかしい!」
 態度の豹変っぷりに驚きながら問う早苗を無視し、紫苑が叫ぶ。
「いいねぇいいねぇ、この感触。気持ちいいねぇ。ゾクゾクするねぇ。
 一生懸命に知恵を絞って、頑張って、努力して、前へ進んで。それが絶望へと通ずる道であるとも知らずに。
 そう思うと、負けて悔しがる様を一層楽しめそうだわ!」
「……こんな形で追いつめられたのは初めてだ。褒めてやる」
 ボソボソと呟きながら、ゆらりと立ち上がる女苑。
 そのオーラは先程とはまるで異なっていて。早苗たちは圧され、ジリジリと距離をとっていた。
「だが、相手が悪かったな!」
 オーラが指数関数的に跳ね上がり、周囲の空気がかき乱され、木々がざわめく。
「今まさに! お前達の負けは確定した!
 これまでの勝利を、幸運を、愚行を怨め! そして、二度と立ち上がるな!」
「憑依交換『アブソリュートルーザー』!」
 依神姉妹の宣言とともに放たれる閃光、とてつもない衝撃。
 立っていることすら叶わず、早苗は地面を転がった。
 数秒後、早苗は直ぐ様起き上がり、あたりを見渡す。
 すると、傍には紫苑がふよふよと浮かんでいたのだ。
 驚愕の表情を浮かべる菫子をみて、女苑が勝利宣言をする。
「さあ、お前のスレイブは私のものに、姉さんはお前のスレイブになった! 貧乏神に取り憑かれたお前が勝つ確率なんぞ、万に一つもありはしない!」
「何よこの強烈な負のオーラ……! それより、スレイブが入れ替わったって、まさか菫子は」
「そのまさかさ」
「早苗!」
 距離をおいた場所に、女苑が立っていて、彼女の背後では菫子が霊体状態で浮遊していた。
「ぐ……っ、でも、同意完全憑依なら、私の意思でスレイブを外すことだって」
 早苗が完全憑依に関する記憶を洗いざらい思い出し、取れる選択肢を探し出す。その様を女苑は笑い飛ばした。
「おおっと。残念だが、これは同意か強制かという情報も交換される。姉さんは私に強制完全憑依をしていた。だから、姉さんの意思でないと外せないよ! ……さあ、完全な敗北をその身に刻みつけな!」
「いいえ! 私は、諦めない!」
 臆することなく、早苗は弾幕を張る。だがそれは、弱々しく小さく、数も少なくて。数瞬の後、女苑に届くことなく消えてしまう。
 苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべて舌打ちをするも、早苗は構えを解かない。
 何故なら、菫子が、出し抜けると言っていたのだ。
 彼女が嘘を吐くはずがない。絶対に、出来るはずなのだ。
 早苗は必死に考える。「貴女が信じるものを信じる」という言葉の意味を。
 足掻く早苗をあざ笑うかのように、女苑が構える。
「さて、お前の力を使わせてもらうわ。……って、あー? なんかお前、妙に弱ってるな。まあいい、壊れるまで使うだけよ。念力『テレキネシス 不法投棄』!」
「ぐ……っ!」
 菫子のスペルカードを、女苑が切る。大小様々な瓦礫が空中に出現し、周囲に飛び散っていく。
 当の菫子は自分の意志では動けなくなっているらしく、霊体のまま浮遊していた。
 早苗は瓦礫を避けながら、考える。
 一体何を信じろというのだ?
 私自身? 私の力? 私の――
「足掻いても無駄無駄。この私に、疫病神に取り憑かれているのよ? さっさと負けを認めたほうが良いわ」
「取り憑く……憑依……依る……」
 瞬間、早苗の脳裏に、ある考えが閃く。
 それは確かに、自分自身のみが出来る術で。
 けれど本当に実現可能なのだろうか、と一抹の不安が心の隅で燻り、早苗はほんの少し顔を俯かせてしまう。
「早苗なら、大丈夫……!」
 その時、拘束されて身動きがとれないはずの菫子が、声を絞り出した。
 友人の必死な励ましに、早苗は自信を取り戻し、顔を上げる。
 その表情は、明るいものへと変わっていた。
「……?」
 紫苑がその変化を読み取るものの、こうなってはこいつに勝ち目はないと思いこんでいるからか、ぷいと無視してしまった。
「念力『テレキネシス 電波塔』!」
 女苑はそんなことは露知らず、菫子のカードを切る。
 使い慣れている菫子とは違い、雑な電波塔の動きを避けるのは簡単だった。
 そして早苗は、宣言する。
「準備『神々を喚ぶ星の儀式』!」
 大幣を使い、星の印を切る。
 展開された弾幕は、先ほどと同じように弱々しく、すぐに消えてしまう。
「いい加減、諦めな! もはやお前一人では、勝ち目など無い!」
「……そうね。それは正しい。私一人では、勝てない」
「あ? なんだ急に」
 早苗は自信満々な表情で口を開く。
「哀れな神々ね。知らないようだから、教えてあげますよ。
 私の名は東風谷早苗。菫子の友人にして、守矢神社の風祝。神をその身に宿す人間……現人神!」
 すると突如、貧乏神の不健康な白い顔が、一層真っ青になっていく。
「……まさ、か」
 紫苑は肩を震わせながらボソリとつぶやき、振り返る。
「そのまさかだよ」
「貧乏神に、疫病神か。面白そうなことしてんじゃん」
 早苗の背後には、貧乏神の他に、二柱の神が立っていた。
 山坂と湖の権化、八坂神奈子と、土着神の頂点、洩矢諏訪子が。
「守矢の神々……!?」
「早苗に呼ばれちゃ、来ないわけにはいかないよ」
 神奈子の余裕綽々な態度を見て、苦々しく唇を歪ませる疫病神。
「で、でも! 姉さんが傍にいるんだ! そんな事したって……」
「我々の本体は、ここから距離のある妖怪の山中腹。そこまで届くわけがない」
「そもそも、掃いて捨てるほどいそうな野良神様如きが、私達に敵うとでも? それとも祟りで戦おうっての? 一応私、その手には詳しいんだけど」
 彼女たちは笑顔を浮かべたまま、圧倒的な信仰力を行使し、紫苑を羽交い締めにする。貧乏神は、どんどん萎縮していった。
「私の貧乏オーラが、抑え込まれる……」
「早苗! やっちゃえ!」
 菫子の声を合図に、早苗が構える。 
「さあ、三人の神を前にして、疫病神はどこまで耐えられるかしら?」
「う、うっ……」
 一気に苦境に立たされたことは明白で。
 その事実を認めようとしない女苑は、拳を改めて握り直し、辺りを見渡す。どうやら勝ち筋を考えているようだ。
 が、唐突に構えを解く。
「興ざめだわ! 姉さん、早く解除して! トンズラするよ!」
「りょ、了解ーっ」
「ほらよ、さっさとどっかへ行っちまいな!」
 勝てないと諦めたのか、女苑は紫苑に合図を送り、自身は菫子を蹴っ飛ばし、完全憑依状態を解除してしまった。
「菫子!」
 悔しそうな顔で森の奥へと消えていく二人を無視し、早苗は地面に倒れ込む菫子に駆け寄った。
 必死に声を掛けるが、気を失っているようで、返事がない。
「菫子、大丈夫!?」
「あー、はいはい、落ち着いてください」
 彼女を信じていたけれど、まさかと最悪の事態が頭をよぎった直後。早苗の背後からドレミーが現れた。
「何をしにここへ」
「頼まれたんですよ、あのスキマ妖怪に。全く、こういう役回りばかりさせられるのもねぇ」
 ドレミーは溜め息を吐きながらそう零すと、菫子の傍へと寄った。
 夢の世界の事情が絡んでいるのであれば、自分よりも彼女に任せたほうがいいと判断し、早苗は一歩下がる。同時にドレミーは夢魂を取り出し、菫子の口へ含ませた。
「う、うん……?」
 効果はすぐに現れ、菫子はうめき声を上げながら目を覚ました。
「菫子!」
「緊急処置を施しましたが、これ以上はもう面倒を見きれません。これに懲りたら、もう完全憑依に関わるのはやめてください」
「……はーい」
 獏の淡々とした忠告に対し、菫子は生返事をし、ドレミーはやれやれといった表情で消えた。
 早苗は未だに心配そうな表情を浮かべており、それをみた菫子は、へへと笑いながら起き上がり、口を開く。
「すっごくしんどかった。でも、目的通り、あいつらの悔しそうな顔が見られたわ。早苗のお陰ね」
 その様子を見て、安堵の溜め息を吐きながら、早苗は言葉を返す。
「こんな奇策を思いついた貴女ほどじゃ無いわよ」
「ヒントもほぼ無しで悪かったわ」
「楽しかったから関係ないって。それに、私の力を信じてくれたってことでしょう?」
「あ、そう解釈してくれる?」
「……え、それってどういう」
「冗談よ。貴女を信じていたわ。有り難う」
「どういたしまして」
 自らの意志を貫いた少女と、友を信じた少女はそう言葉を交わし、笑いながら手を取り合った。
 

 斯くして、彼女達の目的は達成された。
 最凶の二人が真の最強の二人にとっちめられる、前日の出来事だった。
会長、STG自機抜擢おめでとうございます!!
そんな感じで明日が楽しみです。

夏コミは一般参加ですが、例大祭で頒布した本はメロンちゃんで手に取れます。
興味がある方は是非 → https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=360628


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コメント



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2.70名前が無い程度の能力削除
色々と考えさせられましたが結局は意外性の欠如なのかな、と
もう一つ何か感じ入るものが欲しかった

でも面白かったです