「休日出勤手当、とは何ですか?」
振りかざした剣先を地に向けて妖夢は言う。
さっきまで空に向かって二本の剣をぶんぶん振り回してた妖夢の姿は控えめに言って滑稽だった。狂気だ、これは狂気なのだとわたしは思い込む。赤い目を光らせる。きっと、お屋敷の悪い女主人にお金もお休みももらえずのべつまくなし働かさせられるせいで妖夢は狂ってしまい、なにもないところに動く土塊のようなものが見えるようになってしまったのだろう。ああ、かわいそうな妖夢。
「休みの日にお仕事をするとお給金が多くなるんだよ。ほんとうは休みの日なのにがんばったねって」
「へぇ~、いいですね」
「ぜーんぜん、よくない」
膝の上に抱いたお薬の袋が心地よく重い。
さぼっているのではない。白玉楼に売りに来ているのだ。
師匠、師匠、これは訪問販売なのです。古き良き伝統の営業形態です。
わたしの上に影をつくる大きな桜の樹の葉の間から、暖かい木漏れ日が染みだしてきて眠くなってしまう。はて目覚まし薬でもあったかなと、袋を逆さにしてその中身を芝生の上に全部ぶちまけてみた。風にそよぐ柔らかな芝生の上に原色めいたカラフルな薬たちが散らばっているのは、どこか不健康だなとわたしは思う。それから甘い味のするドロップ状の薬を取り出して舌の上でゆっくり溶かした。
これはいったいどんな効能があるのだっけ。
まあ、どうだっていいか。
どうせ薬なんかプラシーボで、効くと思ったから効くのであり、効かないと信じたならそれはただのすーすー透き通る飴なのだ。
「わたしは今日もお仕事だよ」
「うん」
「妖夢だって土日出勤でしょ?」
「そんなのしたことない」
「いっつもそうだよ。わたしが遊びに誘っても幽霊のお食事の用意とか、言うじゃん。いやになんない?」
「わたしは好きでやってますから。べつにお食事の用意は仕事じゃない。幽々子様のお世話ができるのはわたしの喜びなんですよ」
「うひゃあ。魂魄妖々ちゃんは、歩く軍規律だね」
「よーよーちゃん?」
「まったくさ、妖夢を見てると、また逃げ出したくなるよ。せっかく月からやっとの思いで逃げ出してきたのにさあ、ここもかよ!ってね。いったい次はどこに逃げればいいわけ?」
「火星とか、ですか?」
「火星かぁ。火星、火星、火星ね。昼間はあついし、夜はさむい。快適だね」
「そういえば火星には蟹の化け物がいるらしいんですよ。足が8本あって円状についてるんです。あれって蛸だってみんなは言うけど、ほんとは甲殻類で、とっても硬いんですよ。戦ってみたいなあ。斬れるかなぁ? 是非お相手願いたいですね」
「血の気が、もう」
すごいね、ってわたしが言うと妖夢はまじめくさった顔で、わたしなんかまだまだですよ、と言う。ため息をついてわたしは奥歯の端で咳止めドロップをふたつに割る。
そうだった、それは咳止めドロップでした。
噛み砕くと急に苦い、初恋の味。
『あ、それなら、咳止めドロップがおすすめですよ。甘くて苦い、初恋の味』
ねえ、師匠、初恋の味ってなに?
どうして咳止めドロップが初恋の味なんかしなきゃいけないわけ?
芝生に寝転がったまま顔だけ起こして妖夢を見る。
舞う木の葉を一心不乱に切り裂いて回っている。
オフの時の妖夢はとても子どもっぽい。というか動物じみている。辻斬りがこの子の走性なのかしら。ところかまわず剣を抜いてぶんぶん振り回す。たとえば、お屋敷でご主人様のお相手をしてるときや弾幕ごっこで戦っているときはもっと違う、ずっと理性的で、しゃきっとしている。わたしといるときにだってその十分の一でいいから立派な姿を見せてくれないものだろうかと思う。
あの夜のことを思い出して指でつくった銃口を妖夢に向けてみれば、気づいた妖夢が切っ先を向けてくる。
「弾幕ごっこ?」
「したくなんかない」
「わたしはしたいです。また鈴仙さんと戦ってみたいなあ。あのときはすっごく楽しかったです!」
「それはそれは。素敵な思い出だね。宝石みたい……。できればそのまま宝箱のなかに永遠にしまっといてもらいたいくらいだよ」
それから、不意に思いついてわたしは言う。
「っつか、さあ、妖夢」
「なに?」
「土日出勤してみたくない?」
「はい?」
「今度、あの幽霊にお暇をもらってさわたしの仕事を手伝ってよ。それならいいでしょう? 最近忙しくてひとりじゃ手が足りないんだよね」
「ここで休んでるじゃあないですか」
「さぼりじゃない。足を使った営業だ」
「はあ」
「休日出勤手当も出すよ。もらったことないんでしょ?」
「そんなにいうのなら……」
「じゃあ決まりね、次の日曜待ってるからね!ばんっ!」
それでふたりで町にいた。
毎日の売上からちょっとずつお金を抜いてプールしたものを日曜の売上の分にするつもりだから今日はお薬を売らなくてもよかった。薬袋はとりあえず手頃な土の中に埋めておいた。雨さえ降らなきゃいいけど。でも今日はとってもいい天気だ。じりじりと肌を焼く太陽が恨めしいくらい。
「それで、お仕事とは?」
「その前に服を着替えよっか」
それで服屋で服を買った。
『月世界』という名前のセレクト・ショップだった。
これは名前まま、月世界風のファッションを幻想郷に紹介するのがコンセプトだった。
妖夢が服を選べないというので、わたしは選んだ。妖夢が様々な色合いに変身するのを見るのはなかなか楽しかったけど、どうしてか毎回着替えるのにめちゃくちゃ時間がかかるので――思うに、新しい姿を見せるのに恥ずかしがってわざと時間をかけているのか、あるいは実は半霊と奇妙な一点で結びついてて、そのせいで服を脱いだり着たりするのに特殊な行程を要するのかも知れなかったが、次第にわたしは面倒くさくなってしまい、最終的にセール中のかごのなかにあったピンク色のパーカーとジーンズをあてがった。
「なんか変な感じですね。この服、なんていうんですか?」
「パーカーっていうんだよ」
「ぱ、あ、か、あ?」
「ばーか」
「え?」
「なんでもないってば。なんでもないよ」
わたしは、とてもうざったい。
人間たちが放った邪悪な月面探査機の残骸になってしまいたかった。
兵士だった頃はそんなものをよく見た気がする。代わり映えのしない月の荒野を歩きながら見つけては同じ軍服を着た友人たちと踏みつけて遊んでいた。うまく踏めると、火花が散らすことができるのでそれを見るのが楽しかった。ひとり、とてもうまく踏めるやつがいて、そいつがあげる火花はちょっとした見物だった。酸化剤のポケットがあんだよ……、とそいつは言ったが、わたしたはだれも真似できなかった。ある日、そいつは自分の火花にやられて片足を失った。退役したときにもらった従軍保険で未開拓の郊外にアパートを買い、その後はだいぶいい暮らしをしたという。ときどきはわたしたちもそいつについてあれこれ羨ましいというようなことを言ったが、それ以来だれも探査機の残骸を踏んだりはしなかった。もう彼女に会うことはないんだろう。彼女のピンク色の結婚式の招待状は永遠亭のわたしの部屋の机の引き出しのなかにまだ眠っている。
それからは町をうろつきながら、ふたりで食べた。
妖夢もわたしも食べるのが好きだったから、食べ歩くのはよかったけど、ここでも妖夢はだるかった。食べるたびに逐一、長々とした感想を喋るんだった。なあなあ妖夢はTVリポーターかよう、とわたしが言うと、妖夢のほうではきょとんとした顔でTVリポーターとは?みたいなことを言う。
「わぁ、このクッキーはすごいですね。味が……口の中にひろがって、味がいっぱいです。このさくさく感!まるで上手に焼けたクッキーみたいですね!みたいですよ、ほら」
半ばむりやりそいつを口の中に押しこまれ感想を求められるので、わたしは言葉を探すけど、適切なものが見つからない。仕方なくやけぱちになって妖夢とおんなじやつをそのまま言う。
この、さくさく感!
ですよねえ、と妖夢は笑っている。
そういえば妖夢はずっと映していた。
通りのウインドウや川の水面に自らの姿を映しては見て、こっそりはにかんだ。
ふと気がついたようにこんなことを言うんだった。
「よく見れば、わたしたち、おそろいですね」
たしかにその日わたしは月世界風のパーカーを羽織っていた。
でも、それはもちろん、ちがう色のちがう形のパーカーなんで、わたしたちは全然別個体だった。
「おそろいなんかじゃあないよ」
「む。では、なんですか?」
「なにって……。似てるだけ……」
「あ、じゃあ、お似合い、ですね」
「あのさ、あのさ……、まじで言ってんのそういうのって?」
妖夢は肯くから、わたしは余計にうざくなる。
夕暮れた町の水流の乏しい河川敷で、わたしたちはとてもうざかった。
川の流れに沿って並んで歩いていた。夕日は無遠慮に照らし、そのせいでわたしたちはひとつなぎの濃い影になった。わたしたちは手を繋いでいた。とんぼのような虫が水平に飛んだ。妖夢は鼻歌してた。それが知らない歌だったら少しはよかったのに、それをわたしはよく知っていた。妖夢のすさぶ流行歌はいつでも半音ずれてたから、わたしはすぐに忘れてしまうんだろう。
「これが土日出勤なんですね! この、楽しい感じ! 空中に色とりどりの音符が浮かんでてそれを斬ると音がして順番に斬っていったらメロディーになるみたいな」
「うん、ちがうと思うな」
「む。では、土日出勤とは?」
「そうだなぁ……土日出勤は地獄だね。地底の火。ひりひりと焼き付くようなね。でも死ぬことはできない。生き地獄だよ。終わりのないってこと。閻魔様に舌を引き延ばされるんだけど決して抜けることがなくてどこまで伸びて広がってそのまま三途の川に架けられて死者たちがぞろぞろぞろとその上を渡っていくんだ。中には死んだことを認められなくて向こう側に逝きたくないあまり橋の上で、つまりわたしの舌ってことだけど……必死で爪をかけるやつもいる」
「いたいいたい」
「痛いよねぇ」
「土日出勤に効く薬とかはないんですか?」
「あるよ。でも大方の薬って対症療法で根本的な解決にはなんないから、結局は土日出勤に慣れるだけ。そして慣れた分逃げらんなくなって、いずれはわたし自身が土日出勤になっちゃうんだよ」
「なんだか土日出勤というのは化け物じみていますね」
「そ、化け物だね」
「鈴仙さんもいずれ化け物になっちゃうんですか?」
「たぶんね」
「そしたらわたしは鈴仙さんをふたつに斬り裂いてしまうかもしれません」
「そう、今だってわたしは妖夢にまっぷたつなんだよ」
「えー、それはやです」
「わたしだって、いやだもん」
でも、妖夢はわたしを切って裂いたのだ。
わたしはここで残った半身をひきづっていた。断面のささくれ。わたしはとても……。今日が雨降りだったらよかったな。曇りでもいいし。でも今日はよく晴れて夕日がわたしの断面を照らすから、てらてらと赤く輝いて、惚けてるみたいだった。わたしは今すべてを終わらせてしまいたかった。
妖夢が言った。
「でも、そんなにいやならやめたっていいんじゃないですか」
「別にそうだけど、でも師匠が悪いわけじゃないしね」
「そうですか?」
「性分だよ。すぐいやになっちゃうの。なにやっても」
「でも、鈴仙さんは強いじゃないですか」
「そんなことない。負けたし」
「あれは本気じゃなかったんですよね。月からの追手のこともあったし動揺してた。それに弾幕ごっこじゃなくて、本気の勝負なら……」
「わたしはいつでも本気だよ。真面目に生きてるの」
「またまた~」
「妖々ちゃんのこと、わたし嫌い」
「わたしは鈴仙のこと好きですよ」
「あ、そ」
繋いでた手を離して、妖夢の前でひらひらと振る。
妖夢が手刀で叩いた。痛かった。
「ね、また、いつか、勝負して下さいね」
「いつかね、いつか」
「いつかっていつです?」
「そうだね、わたしがここから火星に逃げてその次は火星、木星、天王星――太陽系の外側まで行ったらかな」
「太陽系の外側にも兎はいるかな?」
「烏はいる。兎はそうね、いるかもね」
「土日出勤も?」
「もちろん。土日出勤は宇宙のすべての星にあるんだよ。あの一番星、今は見えないけれどじきに見えるようになる、この空を埋め尽くして燦めいて、いたずら好きな兎がつくった足下の落とし穴のことを忘れさせるありとあらゆる星の光に土日出勤はある」
「なんだか素敵ですね」
「ぜんぜん、素敵じゃあ、ない」
指で拳銃をつくって妖夢のこめかみをこづくと、彼女はそのままバランスを崩してしりもちをついた。そのまま空の中空を指さして言った。
「あ、星?」
指の先を見れば不意にきらめくものがあり、それはカメラのシャッターだった、天狗の。
いったいどんなニュースを切り取ったのだろう。
妖夢を銃で撃つ、わたしのこと。平和な町の夕暮れの少女の喧嘩。あるいは、もっと前、わたしたちが手を繋いで歩いていた頃から見ていたのだろうか。まるで恋人みたいに見えるふたりの少女。その痴話げんか。
わたしの休日なんか、別に、全然センセーショナルじゃないのにね。
わたしは天狗のしっぽを指さし、叫ぶ。
「妖夢、あれが土日出勤だよ、こんな日にまで仕事して。空飛ぶ土日出勤だ!」
「空飛ぶ……」
「はやく斬らなきゃ!」
そしてわたしたちは走り出している。
おぅいおぅい待ちなさい土日出勤とかなんとか叫びながら駆けながら、これは、これはこれは、これは、なに?と妖夢が問うので、わたしは言った。
「たまにの休日!」
おしまい
振りかざした剣先を地に向けて妖夢は言う。
さっきまで空に向かって二本の剣をぶんぶん振り回してた妖夢の姿は控えめに言って滑稽だった。狂気だ、これは狂気なのだとわたしは思い込む。赤い目を光らせる。きっと、お屋敷の悪い女主人にお金もお休みももらえずのべつまくなし働かさせられるせいで妖夢は狂ってしまい、なにもないところに動く土塊のようなものが見えるようになってしまったのだろう。ああ、かわいそうな妖夢。
「休みの日にお仕事をするとお給金が多くなるんだよ。ほんとうは休みの日なのにがんばったねって」
「へぇ~、いいですね」
「ぜーんぜん、よくない」
膝の上に抱いたお薬の袋が心地よく重い。
さぼっているのではない。白玉楼に売りに来ているのだ。
師匠、師匠、これは訪問販売なのです。古き良き伝統の営業形態です。
わたしの上に影をつくる大きな桜の樹の葉の間から、暖かい木漏れ日が染みだしてきて眠くなってしまう。はて目覚まし薬でもあったかなと、袋を逆さにしてその中身を芝生の上に全部ぶちまけてみた。風にそよぐ柔らかな芝生の上に原色めいたカラフルな薬たちが散らばっているのは、どこか不健康だなとわたしは思う。それから甘い味のするドロップ状の薬を取り出して舌の上でゆっくり溶かした。
これはいったいどんな効能があるのだっけ。
まあ、どうだっていいか。
どうせ薬なんかプラシーボで、効くと思ったから効くのであり、効かないと信じたならそれはただのすーすー透き通る飴なのだ。
「わたしは今日もお仕事だよ」
「うん」
「妖夢だって土日出勤でしょ?」
「そんなのしたことない」
「いっつもそうだよ。わたしが遊びに誘っても幽霊のお食事の用意とか、言うじゃん。いやになんない?」
「わたしは好きでやってますから。べつにお食事の用意は仕事じゃない。幽々子様のお世話ができるのはわたしの喜びなんですよ」
「うひゃあ。魂魄妖々ちゃんは、歩く軍規律だね」
「よーよーちゃん?」
「まったくさ、妖夢を見てると、また逃げ出したくなるよ。せっかく月からやっとの思いで逃げ出してきたのにさあ、ここもかよ!ってね。いったい次はどこに逃げればいいわけ?」
「火星とか、ですか?」
「火星かぁ。火星、火星、火星ね。昼間はあついし、夜はさむい。快適だね」
「そういえば火星には蟹の化け物がいるらしいんですよ。足が8本あって円状についてるんです。あれって蛸だってみんなは言うけど、ほんとは甲殻類で、とっても硬いんですよ。戦ってみたいなあ。斬れるかなぁ? 是非お相手願いたいですね」
「血の気が、もう」
すごいね、ってわたしが言うと妖夢はまじめくさった顔で、わたしなんかまだまだですよ、と言う。ため息をついてわたしは奥歯の端で咳止めドロップをふたつに割る。
そうだった、それは咳止めドロップでした。
噛み砕くと急に苦い、初恋の味。
『あ、それなら、咳止めドロップがおすすめですよ。甘くて苦い、初恋の味』
ねえ、師匠、初恋の味ってなに?
どうして咳止めドロップが初恋の味なんかしなきゃいけないわけ?
芝生に寝転がったまま顔だけ起こして妖夢を見る。
舞う木の葉を一心不乱に切り裂いて回っている。
オフの時の妖夢はとても子どもっぽい。というか動物じみている。辻斬りがこの子の走性なのかしら。ところかまわず剣を抜いてぶんぶん振り回す。たとえば、お屋敷でご主人様のお相手をしてるときや弾幕ごっこで戦っているときはもっと違う、ずっと理性的で、しゃきっとしている。わたしといるときにだってその十分の一でいいから立派な姿を見せてくれないものだろうかと思う。
あの夜のことを思い出して指でつくった銃口を妖夢に向けてみれば、気づいた妖夢が切っ先を向けてくる。
「弾幕ごっこ?」
「したくなんかない」
「わたしはしたいです。また鈴仙さんと戦ってみたいなあ。あのときはすっごく楽しかったです!」
「それはそれは。素敵な思い出だね。宝石みたい……。できればそのまま宝箱のなかに永遠にしまっといてもらいたいくらいだよ」
それから、不意に思いついてわたしは言う。
「っつか、さあ、妖夢」
「なに?」
「土日出勤してみたくない?」
「はい?」
「今度、あの幽霊にお暇をもらってさわたしの仕事を手伝ってよ。それならいいでしょう? 最近忙しくてひとりじゃ手が足りないんだよね」
「ここで休んでるじゃあないですか」
「さぼりじゃない。足を使った営業だ」
「はあ」
「休日出勤手当も出すよ。もらったことないんでしょ?」
「そんなにいうのなら……」
「じゃあ決まりね、次の日曜待ってるからね!ばんっ!」
それでふたりで町にいた。
毎日の売上からちょっとずつお金を抜いてプールしたものを日曜の売上の分にするつもりだから今日はお薬を売らなくてもよかった。薬袋はとりあえず手頃な土の中に埋めておいた。雨さえ降らなきゃいいけど。でも今日はとってもいい天気だ。じりじりと肌を焼く太陽が恨めしいくらい。
「それで、お仕事とは?」
「その前に服を着替えよっか」
それで服屋で服を買った。
『月世界』という名前のセレクト・ショップだった。
これは名前まま、月世界風のファッションを幻想郷に紹介するのがコンセプトだった。
妖夢が服を選べないというので、わたしは選んだ。妖夢が様々な色合いに変身するのを見るのはなかなか楽しかったけど、どうしてか毎回着替えるのにめちゃくちゃ時間がかかるので――思うに、新しい姿を見せるのに恥ずかしがってわざと時間をかけているのか、あるいは実は半霊と奇妙な一点で結びついてて、そのせいで服を脱いだり着たりするのに特殊な行程を要するのかも知れなかったが、次第にわたしは面倒くさくなってしまい、最終的にセール中のかごのなかにあったピンク色のパーカーとジーンズをあてがった。
「なんか変な感じですね。この服、なんていうんですか?」
「パーカーっていうんだよ」
「ぱ、あ、か、あ?」
「ばーか」
「え?」
「なんでもないってば。なんでもないよ」
わたしは、とてもうざったい。
人間たちが放った邪悪な月面探査機の残骸になってしまいたかった。
兵士だった頃はそんなものをよく見た気がする。代わり映えのしない月の荒野を歩きながら見つけては同じ軍服を着た友人たちと踏みつけて遊んでいた。うまく踏めると、火花が散らすことができるのでそれを見るのが楽しかった。ひとり、とてもうまく踏めるやつがいて、そいつがあげる火花はちょっとした見物だった。酸化剤のポケットがあんだよ……、とそいつは言ったが、わたしたはだれも真似できなかった。ある日、そいつは自分の火花にやられて片足を失った。退役したときにもらった従軍保険で未開拓の郊外にアパートを買い、その後はだいぶいい暮らしをしたという。ときどきはわたしたちもそいつについてあれこれ羨ましいというようなことを言ったが、それ以来だれも探査機の残骸を踏んだりはしなかった。もう彼女に会うことはないんだろう。彼女のピンク色の結婚式の招待状は永遠亭のわたしの部屋の机の引き出しのなかにまだ眠っている。
それからは町をうろつきながら、ふたりで食べた。
妖夢もわたしも食べるのが好きだったから、食べ歩くのはよかったけど、ここでも妖夢はだるかった。食べるたびに逐一、長々とした感想を喋るんだった。なあなあ妖夢はTVリポーターかよう、とわたしが言うと、妖夢のほうではきょとんとした顔でTVリポーターとは?みたいなことを言う。
「わぁ、このクッキーはすごいですね。味が……口の中にひろがって、味がいっぱいです。このさくさく感!まるで上手に焼けたクッキーみたいですね!みたいですよ、ほら」
半ばむりやりそいつを口の中に押しこまれ感想を求められるので、わたしは言葉を探すけど、適切なものが見つからない。仕方なくやけぱちになって妖夢とおんなじやつをそのまま言う。
この、さくさく感!
ですよねえ、と妖夢は笑っている。
そういえば妖夢はずっと映していた。
通りのウインドウや川の水面に自らの姿を映しては見て、こっそりはにかんだ。
ふと気がついたようにこんなことを言うんだった。
「よく見れば、わたしたち、おそろいですね」
たしかにその日わたしは月世界風のパーカーを羽織っていた。
でも、それはもちろん、ちがう色のちがう形のパーカーなんで、わたしたちは全然別個体だった。
「おそろいなんかじゃあないよ」
「む。では、なんですか?」
「なにって……。似てるだけ……」
「あ、じゃあ、お似合い、ですね」
「あのさ、あのさ……、まじで言ってんのそういうのって?」
妖夢は肯くから、わたしは余計にうざくなる。
夕暮れた町の水流の乏しい河川敷で、わたしたちはとてもうざかった。
川の流れに沿って並んで歩いていた。夕日は無遠慮に照らし、そのせいでわたしたちはひとつなぎの濃い影になった。わたしたちは手を繋いでいた。とんぼのような虫が水平に飛んだ。妖夢は鼻歌してた。それが知らない歌だったら少しはよかったのに、それをわたしはよく知っていた。妖夢のすさぶ流行歌はいつでも半音ずれてたから、わたしはすぐに忘れてしまうんだろう。
「これが土日出勤なんですね! この、楽しい感じ! 空中に色とりどりの音符が浮かんでてそれを斬ると音がして順番に斬っていったらメロディーになるみたいな」
「うん、ちがうと思うな」
「む。では、土日出勤とは?」
「そうだなぁ……土日出勤は地獄だね。地底の火。ひりひりと焼き付くようなね。でも死ぬことはできない。生き地獄だよ。終わりのないってこと。閻魔様に舌を引き延ばされるんだけど決して抜けることがなくてどこまで伸びて広がってそのまま三途の川に架けられて死者たちがぞろぞろぞろとその上を渡っていくんだ。中には死んだことを認められなくて向こう側に逝きたくないあまり橋の上で、つまりわたしの舌ってことだけど……必死で爪をかけるやつもいる」
「いたいいたい」
「痛いよねぇ」
「土日出勤に効く薬とかはないんですか?」
「あるよ。でも大方の薬って対症療法で根本的な解決にはなんないから、結局は土日出勤に慣れるだけ。そして慣れた分逃げらんなくなって、いずれはわたし自身が土日出勤になっちゃうんだよ」
「なんだか土日出勤というのは化け物じみていますね」
「そ、化け物だね」
「鈴仙さんもいずれ化け物になっちゃうんですか?」
「たぶんね」
「そしたらわたしは鈴仙さんをふたつに斬り裂いてしまうかもしれません」
「そう、今だってわたしは妖夢にまっぷたつなんだよ」
「えー、それはやです」
「わたしだって、いやだもん」
でも、妖夢はわたしを切って裂いたのだ。
わたしはここで残った半身をひきづっていた。断面のささくれ。わたしはとても……。今日が雨降りだったらよかったな。曇りでもいいし。でも今日はよく晴れて夕日がわたしの断面を照らすから、てらてらと赤く輝いて、惚けてるみたいだった。わたしは今すべてを終わらせてしまいたかった。
妖夢が言った。
「でも、そんなにいやならやめたっていいんじゃないですか」
「別にそうだけど、でも師匠が悪いわけじゃないしね」
「そうですか?」
「性分だよ。すぐいやになっちゃうの。なにやっても」
「でも、鈴仙さんは強いじゃないですか」
「そんなことない。負けたし」
「あれは本気じゃなかったんですよね。月からの追手のこともあったし動揺してた。それに弾幕ごっこじゃなくて、本気の勝負なら……」
「わたしはいつでも本気だよ。真面目に生きてるの」
「またまた~」
「妖々ちゃんのこと、わたし嫌い」
「わたしは鈴仙のこと好きですよ」
「あ、そ」
繋いでた手を離して、妖夢の前でひらひらと振る。
妖夢が手刀で叩いた。痛かった。
「ね、また、いつか、勝負して下さいね」
「いつかね、いつか」
「いつかっていつです?」
「そうだね、わたしがここから火星に逃げてその次は火星、木星、天王星――太陽系の外側まで行ったらかな」
「太陽系の外側にも兎はいるかな?」
「烏はいる。兎はそうね、いるかもね」
「土日出勤も?」
「もちろん。土日出勤は宇宙のすべての星にあるんだよ。あの一番星、今は見えないけれどじきに見えるようになる、この空を埋め尽くして燦めいて、いたずら好きな兎がつくった足下の落とし穴のことを忘れさせるありとあらゆる星の光に土日出勤はある」
「なんだか素敵ですね」
「ぜんぜん、素敵じゃあ、ない」
指で拳銃をつくって妖夢のこめかみをこづくと、彼女はそのままバランスを崩してしりもちをついた。そのまま空の中空を指さして言った。
「あ、星?」
指の先を見れば不意にきらめくものがあり、それはカメラのシャッターだった、天狗の。
いったいどんなニュースを切り取ったのだろう。
妖夢を銃で撃つ、わたしのこと。平和な町の夕暮れの少女の喧嘩。あるいは、もっと前、わたしたちが手を繋いで歩いていた頃から見ていたのだろうか。まるで恋人みたいに見えるふたりの少女。その痴話げんか。
わたしの休日なんか、別に、全然センセーショナルじゃないのにね。
わたしは天狗のしっぽを指さし、叫ぶ。
「妖夢、あれが土日出勤だよ、こんな日にまで仕事して。空飛ぶ土日出勤だ!」
「空飛ぶ……」
「はやく斬らなきゃ!」
そしてわたしたちは走り出している。
おぅいおぅい待ちなさい土日出勤とかなんとか叫びながら駆けながら、これは、これはこれは、これは、なに?と妖夢が問うので、わたしは言った。
「たまにの休日!」
おしまい
とても面白かったです
なんだこれ
セリフがいいですね、セリフが 鈴仙がよいです鈴仙
>「無力感を感じてて」ガチャ
すごく好きです
もう空気感から二人のキャラまで最高でした
素っ頓狂な妖夢と疲れた優曇華が織りなす投げやりなやり取りが笑えます
でも休日出勤は人類の敵です
滅ぼさねばなりません
会話がとても良いです。
>毎日の売上からちょっとずつお金を抜いてプールしたものを日曜の売上の分にするつもりだから今日はお薬を売らなくてもよかった。薬袋はとりあえず手頃な土の中に埋めておいた。
追い詰められた郵便局員みたいな事を…
休みはやっぱり必要なんやなって
とっても新鮮で面白かったです。かわいい二人、ごちそうさまでした!
独特のテンポとうどんちゃんの疲れきったキャラが素晴らしい…