Coolier - 新生・東方創想話

賢者の行く道

2005/12/08 14:11:43
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これは21集「賢者の回り道」の続編に当たります。

 *

「ここよ。殆ど使ってないけど」
 レミリアがパチュリー案内した先は、これまでと若干質が変わっていた。これまでは紅く、ともすれば威圧する風の空気を発していたのだが、途中変わった雰囲気は色を感じさせず、それでいて澄みすぎた水のように空気が堅い。
「使ってないって。……まさかずっと?」
 もったいないとでも言いたいような響きを乗せて、魔女が悪魔を見つめる。
「魔法とかにあまり興味ないの。でも普通の物語も置いてあったわね」
 ちょっと多すぎて探しにくいけど、と付け加えながら城の主が何事かを唱え始める。おそらくは封を解く呪文だろう、と即席の友人は当たりを付けた。
「確かに真っ当な本もあるでしょうね、ヴワルなら」
 とは言ってみたものの、同業が血眼になって求めるだろうこの大図書館の用い方としては、なにやら空しさを覚えないでもないパチュリーである。この魔王にとっては、大した所蔵物でもないのだろうが。
 レミリアの詠唱が終わりを告げると同時に、音一つ立てずにゆっくりと扉が開き始める。
「先代は有効活用していたみたいよ? 色々と」
 軽く戯けるようにして言いながら、レミリアは視線で付いてくるよう促す。
 扉の先から流れてくる空気には、様々な紙やインクの匂いが雑多にこびりついている。パチュリーにとっては嗅ぎ慣れた種類の空気。
「先代、ね」
 パチュリーは、一瞬過去に飛びそうになった思考を留める。
 前の紅い悪魔は、娘によって亡き者にされたとまことしやかに囁かれている。かなり以前のことなので細かい情報は薄らいでいるが、それを疑うほどの要素もない。それに彼女ほどの存在であれば、親だからと下に付くような玉でも無さそうである。
「快く譲ってくれたわよ? 今は何処に居られるとも知らないけどね」
 呟きを聞いたのか、レミリアは殊更に含みを持った微笑みを浮かべてパチュリーを振り返った。彼女はなんでもないように向き直ると、歩を進める。
 彼女が流言の通り簒奪者であったところで、パチュリーは気にすることでもないと考えている。人の世でもそんな事は日常の如く行われているし、むしろ悪魔には相応しい行為で、魔王ともあればむしろその不覚を責められるべきだろう。
 パチュリーが少しだけ気になったのは、彼女がそれを本当は気にしていそうな気配がしたことだ。レミリアの持つ風格は間違いなく本物で、それはつい先ほど身をもって知っている。こんな考えはきっと妄想に近いだろうと、パチュリー自身も思う。
 ただ先代のことを口にする彼女の羽が、表情とは裏腹に力なく垂れ下がっていたくらいで。


 見渡す限り、棚の列。中に詰まっている物は言うまでもない事ながら、すべて本。
「明らかに外観と中身が違うわね」
 そしてパチュリーの言葉の通り、あまりにも広すぎた。灯り無しでは、視界よりも先にまだ本棚が続いている。中身通りの面積を外に対してヴワルが持っているのならば、魔王の居城のすべてを覆いかねないほどだ。
「ここは少し、現実からずれているんだってさ。だから有り得ないほど広いし、存在しない物もある」
 レミリアが辺りに視線を送ると、ヴワル全体が薄ぼんやりと発光し先が見えるようになる。灯りが闇を暴くが、それはむしろパチュリーの驚きを助長した。先が見えても、やはり果ては見えなかったからである。
「なるほど。ここなら無い物もあって不思議じゃない」
 果てがただ、何となく見えない。遠くに空や地平線が広がっているわけでもなく、敢えて言えば薄ぼんやりとしているとでも言うべきか。本当にここは真っ当な空間ではないのだろう。
 だから散逸した物、存在しなかった物、存在できなかった物。そういった物が在ることが出来る。ここならばどんな書が在っても可笑しくはない。
「ああ、そうそう。ここ400年ほど止まったままだから、その辺りは頑張ってね」
 レミリアは思いだしたように付け加える。
「止まってたって云うのは? まさか」
 鸚鵡返しにしつつ、パチュリーが嫌な予測を浮かべる。図書館が動くはずは普通はない。止まっていたとするならば、機能が停止していたというのが自然な流れとなるだろう。ならばヴワルの機能は何か。
 普通の図書館ならば、貸し出しの停止。しかし、貸し出しなど元より行っていたとは思えない。ならば。
「行き場のない物が、そうね。流れ着くって言えばいいのかな。そういうことはずっと行われていないよ」
 私興味ないし、と先にも言ったようなことを付け加える悪魔。
「その辺を動かし直すことは出来ないの?」
 先ほど、レミリアが入り口を開けることには問題なかった様子だ。ならば、この図書館が彼女の制御下にあってもおかしくはないはずである。
「だって私、魔法使いじゃないもの。だから頑張ってね、魔女のパチェ」
 辺りを見回すようにしてから、最後にパチュリーに向かって哀れむような面白がるような視線を送る。周りにあるものは、本、本棚、本棚の列、それらが無数に広がる様。この中から方法を見つけ出せ、と言うつもりだろう。
 書の山は歓迎すべきだ。知識の宝庫は望ましい。ただ、それも過ぎれば食傷にもなる。
 とは言えこれだけの書の量を前に、指針が与えられたと思うことも可能だ。自身の不全を埋めるという最大目標があるとは言え、近い目標は有効と言える。
 横で吸血鬼が退治される英雄譚を読み始めたレミリアを尻目に、パチュリーは手近な本棚から片付けることに決めた。

 *

「それで。彼女とはそれっきり?」
 レミリアは物語を捲り、パチュリーは資料を捲る。日々似たような光景が、時計の針を進めて繰り返されていた。
「流石に合わせる顔もなくてね……。何を言うべきかも判らないし」
 少し表情を翳らせてパチュリーが言う。些末事と切って捨ててしまえれば楽なのだろうが、そこまで割り切ることも難しい。種族間の差による物ならば割り切りようもあったが、これは単純に己の失点であると考えているからでもある。
「スッキリさせておくことを勧めておくわ。因果が絡んで、考えもしなかった結果を生むことは少なくないわ」
 例え視えていたとしてもね、とレミリアが付け加える。
 嘘か誠かパチュリーは確証を持てていないが、この友人は運命を操ると公言している。対峙したときのことを鑑みれば事実であっても何の不思議もないが、時折妙に大仰なことをからかうように言って見せたりするので何とも判断しがたい。
「遺恨を残すべきでないのは解るのだけど」
 半年ほどここに住み着きその間話もするわけだが、どうにも今ひとつレミリアの性格を掴み切れていないとパチュリーは感じている。情緒不安定ともまた違うのだが、彼女も自分との距離をまだ掴めていないのかも知れ無いとも思う。パチュリー自身と同様に。
 ただ最近は、互いの話しにくいようなことも、時折口にするようにはなっていた。パチュリーのかつての巣のことであったり、レミリアの先代のことであったり。
「見つけた。やれやれ、ようやくね」
 ため息と共に言葉を吐き出す。目的の記述がパチュリーの目に留まった。それは初めて目にしたわけでもなく、遂に確証を持つに至ったと言うことである。たった一つの資料から確信を得るような愚を犯す気は、この魔女に毛頭無い。
「当たり? ご苦労様ね」
 やれやれと言いたげにレミリアも友人をねぎらう。横で見ていただけではあるが、衣食住と資料の用意をしていればパトロンとさえ言えるだろう。それにパチュリーの顔を見ていれば、そのようなことを言いたくなるのは当然かも知れなかった。
 半年のうちに顔色は悪化し、睡眠不足と目の酷使により隈が取れない。女所帯の気軽さから、概ね寝間着同然の格好が基本とさえなっている。本の虫であるところのパチュリー・ノーレッジは、本末転倒気味にヴワルを漁っていた。
「どうやらここへ流れ着くべきラインが、横取りされる形になっているみたい。ここが停まっている間に、常連を持って行かれたようなものかしら」
 ヴワルの機能を再起動する手段は早々に見つかったのだが、それをしてもウンともスンとも言わなかった。スイッチが入っていなければ、入れてやればよい。しかし、それで何も起きなければどうするか。
 400年止まったままの図書館から使える情報を引き出し、自前の知識を総動員して理由を類推する。効率的に書を検索するための魔法を組み、それを改善するための魔法を構築し、その歪を修正する魔法を更に開発。そのようなことを繰り返し、ようやく状況が判明する。
「レミィに前言ったとおり、ここの機能自体は既に正常に動いている。ただ、競争先に力負けしているだけ」
 まだ訪れたことの無かった地について書かれたものであったために、強奪した書を取っておいたことが幸いした。それは東洋の島国について記述された物で、直接的な魔術の書ではなくその土地の魔物に関して書かれたものだった。それもまだ、かなり新しい。
「相手は東洋の島国にあるファンタズマゴリア。隠れ里だとか妖精の国だとかね。そこでは、幻想郷と云うそうよ」
 そこはかなり古くから存在する魔物の土地、当地で言う妖怪が住まう場所であるらしい。400年止まったままのヴワルにも、その記述は少なくない。特異なことにその土地は、妖怪と戦う者達の土地でもあったという。
「フラグが立った、ってところかしら。ようやく先行きがまとまってきたわ」
 嘆息と共にレミリアが言葉を吐き出す。一瞬過ぎり何事もなく消えた陰りは、疲労の極みにあるパチュリー以上に憔悴しているようにも取れる。
「未来の話? 分かっているのなら教えてくれればいいのに」
 そう簡単には行かないと何度か聞いていながらも、パチュリーは何となく口にしていた。どういう種類のどれだけの効果を持つモノなのかはパチュリーよく解っていないが、レミリアが運命だとか言われるような物に干渉できることは間違いない。ただ、彼女にしか分からない基準のようなモノがあって、好き勝手に何でも出来るというわけにはいかないらしい。
「私の予知は外れるし、外せるのよ。だから大筋にはなるべく触らないで、肝心なところに手を出さないと滅茶苦茶になるの」
 レミリアは肩をすくめながら言う。
 予知を基準にし過ぎるとそれによる変動が重なって、大本の予知が当てにならなくなるというところだろう、とパチュリーは考える。
「だからこういう事は、賢いパチェに任せておけば自ずと正解にたどり着く。今、証明されたようにね」
 大輪の笑顔でレミリアは言う。
「……お褒めに与り光栄ね」
 信頼しきったような微笑みを向ける悪魔というのはどうなんだろう、と魔女も疑問を抱かないではないが、悪くはないとも感じる。本当にごく普通の友人のようだ。
 例えば、古巣で別れた彼女のような。
「それで、その競合先をどうする? 叩き潰すのが良いかしら?」
 そしていきなり物騒な話へと転換される。やはりそれでこそ悪魔らしい、と云うことかも知れないが。
「叩き潰すにも、世間的にはもう無いの。私が生まれるしばらく前に、妖怪が棲んでいた土地丸ごとすべて断絶して、行くも来るも叶わないそうよ」
 博麗と言われる途轍もなく強力な結界でもってその国に棲む妖怪は尽く、幻想郷ごと放逐されたらしい。その中には一国を揺るがす様なほどに強大な魔さえ幾つも含み、しかし、それらでさえも気配一つ現さなくなったという。
 それどころか今現在、その島国以外の魔物達迄もが次々に放逐されているらしい。
「それはまた人間達も思い切ったことをするのねぇ。まあ、確かに突然消えてる連中はいるわね」
 考えてみれば、とレミリアにも幾つか心当たりに思い至る。特に弱まっていたわけでもない勢力が、突然霞のように消え失せることがここ何年かあった。化け物の方が言うのも何だが、まるで神隠しにあったようだとも聞く。
「私の結論はこう。幻想郷の中へと入ってしまえば、ヴワルの機能は滞りなく働く。だから私の向かうべき所は、そこ」
 幻想郷へは行くことも来ることも叶わない。しかし、今現在そこへと消えているらしい者が居るのも間違いない。幻想郷へと誘う機構は間違いなくあるのだ。
「それじゃすぐ準備にかかった方がいいわね。でも行けないんじゃないの?」
「あっさりとしてるわね……。戻って来れない可能性の方が高いんだけど」
 現状どうしてもヴワルの機能を取り戻したいのはパチュリーで、レミリアの方ではあるまい。事実、放置されて長いのだから。
「そんな事言ってヴワルをかっぱらうつもりかしらね? あげないよ」
 仲間はずれに文句をつけるような調子で、レミリアは口を尖らせて言った。話が逸れていると感じて、パチュリーは話題を戻す。
「行けないのならばそこへと、放逐されればいいのよ」
 言ってみれば、わざと攫われようと云うことだ。ただ、
「なるほどね。それでさっきの事。貴方の方こそどう、パチェ。やり残しがあっても戻って来れないんじゃないの?」
 パチュリーにとっては、今更の質問である。そんなものを今になって気にし出すなら、古巣を飛び出て来たり等はしない。
「私は別に、ここで用を残していない。魔女なんて言うモノも、ここから消えるには相応しい遺物じゃないかしら」
 少なくとも、必要なことはない。魔法などと言うモノも、この世界に最早必要あるまいと思う。空さえ既に、ヒトの手で制覇されようとしている。おとぎ話の夢物語も、いずれ手垢にまみれる事になるだろう。
「本当になにもない?」
 幼い顔に純粋な疑問を乗せられて、パチュリーは一瞬言葉に詰まった。全く余計なことで全くどうでも良いはずのことが、飲み下せずに残っているのを自覚する。あまり認めたくはなかったが。
「さっきも言ったけど、色々と痼りを残すとだんだん運命に雁字搦めにされて行くものよ。手が届くうちに何とか出来るなら、それに越したことはないわ」
 忠告にも独白にも聞こえる言葉。表情は薄く、感情はあまり読めない。
「……少し外の空気を吸ってくるわ」
 それは実体験からかと口にしかけたが、下がった羽を見て口には出せなかった。パチュリーは逃げるような気分を抱いて、ヴワルの外へ向かった。

 *

 パチュリーの身体は、安静にしていれば良い状態でいてくれるというわけでもない。あまりに動かないでいると、やはり体調を崩す。現在寝込むような状態にはなっていないが、パチュリー自身も何となく節々が軋んでいそうな気がしていた。
 最近は安静と言うよりは単に動き回らないだけで、不規則な上に睡眠量も減っていた。身体によいはずもない。
「……何のために本を漁っているんだか」
 馬鹿馬鹿しさに魔本を持たない手で額を抑え、独り呟き自嘲する。
 もともと、本を読むこと自体が好きなのだ。その対象が溢れかえっていれば多少羽目を外すのも仕方のないことであり、その上知識の名を冠しているのだからもう仕方のないこと、などと自己弁護を考えてみるがどう見ても開き直りだろう。
 これでは、何のために飛び出てきたのかも分からないような状況だ。わざわざこれまで在った物を捨ててまで。
「む?」
 取り留めなく思考しながら散策していたパチュリーの視界に、僅かな違和感が走る。数瞬前の記憶を正確に掘り返し、原因に思い当たった。
 かすかなズレの源は、何の変哲もない扉。
 この城にある他の扉と何らデザイン上の差異もなく、意味ありげな文字が書かれているわけでもない。一度把握しておけば、ここに扉があるのだ、という事実以外の何かを生み出す要素など持ち合わせていない、ただの扉である。
 昨日まで存在していなかったことを除いて。
「フラグが立った、とか言ってたわね」
 影響の大きな出来事が起こるためには、それを引き起こすための原因が存在しなければならない。出来事が大きければ大きいほど、原因も多く大きくなる必要がある。その出来事の起因をレミリアは、フラグ、と時折口にしていた。
 扉の内部を透過してみても、不可解な構造は存在しない。鍵さえ付いていない様子だ。何らかの魔術的措置も見られない。かすかにその残滓を感じ取ることも出来るが、下手をすればそれは数百年も前のモノではないかと思われるほどに薄い。
 言い換えれば、これが今日までパチュリーの認識外にあったことが、最も不可解な事実となる。
「ま、同居人として間取りの把握はしておこうかしら」
 パチュリーがノブを掴み軽く回す。魔法を用いるまでもなくその扉は軽く軋む音だけを立てて、すんなりと魔女を迎え入れた。

 *

 レミリア・スカーレットは隠し事をしている。これは疑いようもない事実だ。
 別にそれを咎め立てようという気もないし、秘密をすべて打ち明けろと言う気もない。意識的な隠し事ですら幾つも抱えているのが普通だろうし、ただ言っていないということまで含めればあらゆる存在が不誠実になってしまうだろう。
 今回は、その確認の機会を得ただけのこと。これがレミリアの意志なら曝くことにもならず、そうでないなら不注意と言うべきだ。そもそも隠し事があること自体は、既に明白だったのだから。
「意外と深いわね」
 呟いた声が、奥深くまで反響しているのが判る。下へと向かう階段がドアの先から続いていて、灯りもない暗がりでは先も見えない。灯りをもたらし視界を強化する魔術を起動し、風を生み出してそれに乗って下り始める。
 隠し事についてはまず、自身を必要とした明確な理由を説明されていない。当人が隠していることを明言していたので、隠し事に含むべきかは判断を要することだろうが。
 次にこの城の構造について。城の例に漏れず、この魔城も多くの隠し通路などを持っている。これについては既に構造を大まかに把握しているパチュリーにとっては類推することは容易で、付け加えるとレミリア当人がすべて把握しているのかも疑わしい。
 今日見つけた、おそらくは見えるようになった、ここも怪しげな場所の一つという認識はあった。数が多すぎて、いちいちここを特別視する理由もなかっただけである。
 そしてもう一つの隠し事こそが、おそらくここと関連している。
 それはレミリアの食事から疑いを持つに至った。彼女の食は細く、彼女曰く臣民である、近郊の村から渡される乙女の血も飲みきることはない。そのくせ他にも血を加工した料理や、それ以外の普通の食物も用意させている。
 貴族的な無駄と言えばそれまでなのだろうが、残りが丁度一人分ほどであることが違和感として残っていた。
 風に乗ったパチュリーはゆるりと、四角い螺旋を下って行く。
 つまりここには、誰かもう一人居るのだ。可能性として挙げられるのはやはり、レミリアの血族がまず浮かぶ。予想が正しくこの先にいるとすれば、地下に幽閉されるのが相応しいのは彼女の汚点となる何か。
 例えば先代のスカーレットだとか。
 始末してしまえば後腐れがないわけだが、何らかの妨げがあるのかも知れないし、彼女の気まぐれかも知れない。冷徹な判断か心情的な惰性か、そのどちらもが彼女にあり得るように思われる。
 地下に埋まった塔のような構造を逆順し、遂に麓へと至った。内部へと向かう扉は巨大で、しかし閉じきらずに歪んでいる。刻まれた装飾はすべて呪的なもので、しかし、一部は熔けて欠けていた。ここが災害の跡か闘争の跡かを天秤にかければ、後者に傾くだろう。
 これまでの想像も、この先になにもなければただの妄想だ。先に進まなければ確定せず、進むだけで確定する。ここまで来ての思考は最早無意味。
 損壊した扉も壁も未だ堅牢さを保っているように見え、今にも崩れそうな気配はないようだ。しかしそれでも、次の瞬間崩壊の時が訪れないとも限らない。いざというときに備え、パチュリーは手元の魔書はいつでも起動できるようにしておく。
 わざわざ開ける必要もないほど歪んだ扉の隙間を抜け、パチュリーは中へと足を踏み入れる。


 中は見上げるほどの伽藍堂。ただ、降りてきただけの深さを持つ円柱で、何があるわけでもない。本来全くの空であるはずの伽藍堂には、望まれたはずもない砕けた石ころのみが転がる。本来その空白は、空白であるだけの意味を持っていたはずだ。
 空に意味を与えるはずのものは、壁面を埋め尽くす呪文の海。それは所々が欠け、力の供給も受けず、既に機能を停止して久しい様子だ。力ある脈動を見せることは最早無く、ただの薄気味悪い装飾と成り果てている。
「召還か、創造?」
 それでも智を持つ者が見れば、砕けた破片を拾い集めることも出来る。パチュリーの見立てからすればここは、悪魔を産み落とす胎となる場の筈だ。空白に魔を満たし、その結晶を現界させる。
「それにしても少し迂遠、かしら」
 真性の悪魔ならばごく当たり前の産み落とし方も、神話の如き産み落とし方もあり得るはずだ。レミリアのような吸血鬼としての属性を持つ者ならば血液を吸い尽くしてやれば、或る程度才能を持つ相手である場合、同族となす事も可能なはずである。彼女の小食振りでは無理があるが。
「でも、意外な掘り出し物ね。ここまで降りた甲斐は、……む?」
 視界のぶれを感じ額に手をやるパチュリーだったが、同時にそれが目眩によるものでないことに気付いた。視界ではなく、視界に映っているものが別の何かと二重写しになっているのだ。
 空間の異常は感じないが、何者かの魔力が綻びるのは感じ取ることが出来る。おそらくここは元々二重写しの場所になっていて、それが綻びていく今、隠されていた何かが現れようとしているのだ。
「1名様ごあんな~い」


 甲高い声を合図にしたように周りの光景が安定する。最初の印象は、ただ紅い。色を意識させない空の堂から遷った部屋は、対照的に酷く紅かった。この城らしい色と言えばそうではあるが、パチュリーは少しの違和感を覚えている。ほんの僅かだがずれているような、書類が一枚だけ裏返っているような痼り。
「ホストは貴方かしら?」
 この部屋の主とおぼしき人物の方へ、パチュリーは視線を移す。レミリアとさほど変わらないような背丈に、やはり人形のように整った顔立ち。髪は彼女に対応するように金糸で、服装の色はなお紅く、瞳は相似形のような紅。
「呼んではいないけど、開けておいたわ」
 答える彼女の翼は異形。人型に羽を生やせば元より異形ではあるが、レミリアの翼は典型的な悪魔らしい蝙蝠に似た形で、ある種の安心や納得を与える。しかし、彼女に生えた翼はそのものが抽象化に過ぎて、前衛的な造りと化した真っ向からの異質だった。
 黒々とした骨組みだけがあり、冬枯れに残った葉のように宝石の羽が散りばめられている。これだけを見せても誰一人として翼とは思わないだろうが、それが人型の背にあるというさらなる異形を以て、翼であるという説得力を逆説的に得ているのかも知れない。
「お姉様ったら、なかなか紹介してくれないんだもの。お客様を独り占めしちゃってさ」
 口を尖らせて言う様は、まるで見た目通り子供であるかのようだ。
「お姉様? じゃあ、貴方は」
「そ。私はレミリアお姉様の妹、フランドールって言うの」
 金と紅の少女、フランドールは作り物めいた翼を揺らす。やはりアレは飾りなどではなく、彼女の一部であるようだ。
「それで、お客様の貴方はだあれ?」
 フランドールは首を傾げてパチュリーに問うた。問いにパチュリーは一瞬思案し、
「私はマリー、」
「いや、真っ向から偽名使われてもねぇ。パチュリーさん」
 フランドールは半眼の、いかにも呆れた様子で嘘吐きを見た。パチュリーは悪びれた様子もなく、ばれてたのか、などと呟いている。
「別に故無く虚言を弄したわけではないわ。少し気になることがあっただけ」
「へぇ?」
 フランドールは促すような視線をパチュリーに送る。
「こんな地下深くに閉じこもって、こんな紅すぎる部屋にいて」
「こんな所に住んでるヤツは、頭がおかしいに決まってる、っと!」
 愉快げに振り回した手に従うように、力任せに放たれた魔力がパチュリーへと殺到する。詠唱もなければ溜めもなく、方向性も定まらない粗雑な一撃。
 それがパチュリーの結界を揺るがす。荒れ狂う魔力の渦はさながら暴風で、レミリアとの一戦の後からも改良を続けた守りが嫌な軋みを上げている。
「いきなりね。何となく、そうなるんじゃないかと思っていたけれど」
 あまりに紅すぎる部屋を見て、パチュリーはそんな事を感じていた。紅以外の色を追い払うような、紅という色以外のものを放逐するような一色の部屋。伽藍の堂と重なっていたのは自然であったのかも知れない。
 まるで何もない空であるような雰囲気だけは、あまりにそっくりだったから。
「あっはは、ごめんねぇ。お代くらい払うからさ」
 パチュリーの手にある魔本から、ページがごっそりと破れ落ちる。結界にかかった負荷を肩代わりしたためだ。結界ごと吹き飛ばされるよりはマシだったが、あとで補充する手間は考えたくもない。
「魔女の俸給は安くないよ。昔はよく国を傾けたくらいに」
 金銭でこの類の手間を省くことは難しいが。
「コインいっこ」
 フランドールは指を一本立てて笑い、
「賭け金? でもお生憎」
 パチュリーはいつのまにか手に握りしめたものを宙に放り、
「銀貨で良ければ間に合っているわ」
 くるくると回る銀貨を見据え、魔本を開き詠唱を始める。
『暴虐の王。財の守護者。空を駆ける災いの顎』
 詠唱を受けて銀貨は延び、展開し、限界を超えて広がり、見上げるほどに膨張した。まるで水飴のように練り合わされる銀塊は、次第に一定の形へと収束し始める。
『銀の器に具現せよ』
 それは最早銀塊ではなく、銀の彫像だった。必要以上に鋭い牙を生やした大顎を持ち、翼を生やした幻想の獣。蜥蜴を莫大に引き延ばして羽を付けたような獣は、銀の鱗に覆われた身を震わせて咆哮を上げた。
「わお。意外と派手好き?」
「それなりに、ね!」
 銀の竜がフランドールへと襲いかかる。その巨躯、金属の輝きに見合わず、がっしりとした足に支えられた動きは素早い。その長い尾と翼でもって重心を自在に操り、滑らかに動くのである。
 一気に間合いを詰められたフランドールは、元の距離を保とうとするかのように素早く飛び退る。奇妙な翼とは裏腹に、動きは飛行の要素を遺憾なく備えていた。しかし、その反応は少々パチュリーの予測と外れている。
 この魔法はパチュリーが、自身の接近戦に於ける不利を補うために編み出したものだ。接近させなければ良いのは間違いないが、いざされればどうしようも無いというのはいかにも無策に過ぎる。肉体を強化する術を掛けたとしても、素手で巨大な宝石を割る類の人種を相手にするのは同類か自殺志願者、あとは被虐趣味者くらいのものだろう。
 フランドールもレミリアの妹であれば吸血鬼であり、それも姉の豪腕振りを考えればこの巨竜と殴り合いを始めるのではないか。そう考えたのだが、彼女に肉弾戦を挑もうという気配は見られなかった。接近戦の間合いを嫌っているようにすら見える。
 フランドールの動きは凄まじく速く、間合いを保つことに成功しているようではある。しかしそれも、相手が接近戦だけを挑んでくるならばの話だ。噛みつくだけでは竜とは言えまい。銀の竜は大きく顎を広げ、
「っづ!?」
 爆音と共に吹き出した吐息が、フランドールの身を焼いた。竜の身体を構成する銀を高温高圧の炎の形で放つ。この竜像の魔術で想定している相手はレミリア、延いては吸血鬼全般だったが、銀の特性から多くの魔に効果的なはずである。
 フランドールは身体から白煙を上げつつ、左手に生み出した悪魔の尾のようなものを振り回し始めた。
「えーっと。『流れ星、帚星。ぎゅーっと飛んで、虹色にバーン』!」
 出鱈目も良いところだったが、それは間違いなく魔法の詠唱だった。それならばあの黒くひょろ長い物体は魔法の杖か。
 しかし、そのようなことをパチュリーが考えられたのは、ほんの一瞬だけだった。視界を七色の閃光が、聴覚を爆音が埋め尽くす。
 出鱈目で、まともな手順を踏んでいない、せいぜいがおまじないと言った程度の詠唱は、莫大な魔力を帯び、光の波長さえ狂わせて虹色に輝く流星雨を降り注がせたのだ。天からの光を浴びたちっぽけな銀竜は、破片も残滓さえも残さず消え去った。
「レミィも大分無茶苦茶だと思ったけど。人間の魔術師が見たら泣くよ、きっと」
 おまじないで天変地異を起こされては堪らないだろう。何代にも渡る研究の成果だろうと、この暴力の前には紙風船同然だ。
「ふーん。ずいぶんと親し気ね、レミィなんて」
 別段と荒い口調でもなかったが、なぜかパチュリーは空気が冷えたような感覚を覚えた。
「それはまあ。……友人って云うことになってるしね」
 別に後ろ暗いことがあるわけでもないが、レミリアが先に愛称で言ったからだとか何となく言い訳じみた事を考える。レミリアに対し不満を特に抱えているでも無し、むしろ好感を持っているくらいだとも感じていた。
 問題は別の方なのである。
「んじゃ、お姉様を騙してるんだー。死ね」
 言ってフランドールは、杖を持たない右手を握りしめた。
「え?」
 何の躊躇もなく突き刺さる殺意。問いただすことも、罵倒さえもなく。抜け落ちた過程を夢想するも無く、パチュリーは明確な死が襲いかかるのを感じる。
『賢者の石よ!』
 故にパチュリーも、すべての過程を省いた命を送った。今まさに襲い来る得体の知れない呪いは、自己を殺滅してなお余りある禍々しさを秘めている。あるいは尊き天の勅命にも似た絶対の神秘か。
 パチュリーがその身に受けているのは、破壊。物質を破壊し、精神を破壊し、法則を破壊し、存在を破壊し、非存在を破壊し、ありとあらゆるものへと徹底的に行われる破壊。展開した防壁を破壊し、その素の魔力を破壊し、魔法を定義する法則を破壊し、定義を行うパチュリー自身を破壊し、その痕跡をも破壊する。
 その浸食を、魔女を廻る五冊の魔書が遮断する。
 破壊に対抗するようにパチュリーは自身の残滓から自己を再構築し、法則を再構築し、魔力を再構築し、再び防壁を再構築した。しかし、高速で回り無尽蔵の魔力と魔法を生み出し続ける陰陽五行の円環を嘲笑うように、破滅の呪いはパチュリーに食らいついて離れない。
 それでも、五冊の魔本は瞬く間に滅しながらも、互いを補完して踏みとどまっている。
 一方のフランドールは誤って皿でも落としたような顔をして大きく開けた口に手を当てていたが、パチュリーの視界には入っていなかった。見る余裕があろう筈もないのだが。
 このままではいたちごっこが永久に続くだけだ。無限に壊し続けるものと無限に再生し続けるものが、ウロボロスの尾のように世界の終わりまで破壊と再生を繰り返す。そうパチュリーは考えたが、事実が異なることも同時に認識していた。もしパチュリーが完全であればそうなっただろうが、ひ弱な肉体がじきに根を上げる。
 しかしながら、諦めるにはまだ早く未練も多い。ならば解決手段は何か。
『回れ陰陽の円環。応報せよ因果』
 人を呪えば穴二つ、という。
『果は因の元へと還れ』
 なけなしの全力を使って、破壊の方向を発生源へと向ける。片っ端から蝕もうとする破壊を前に、パチュリーはその端から修正し続けて呪い返しの形を無理矢理保つ。どこから来るか判らない雨漏りを、たった一つの受け皿で防ぎ続けるような綱渡りが続く。
 永遠のような刹那が過ぎ、パチュリーに罹るあらゆる負荷が霧散する。それは行き先を求めて送り手を見いだし、果は因の元へと向かってフランドールの右腕が消滅した。
「嘘!?」
 消えた右手を丸めた目で凝視し、フランドールは驚きの声を上げる。つい、やってしまったことなので、上手く行かなくて結構ではあったが。まさか本当にそうなるとは。
『夜天より照らすもの。日を映して天に。水面に映り地に』
 パチュリーの詠唱がフランドールの思考に水を差す。
「えーと。悪気はなかったんだけど、ってのはダメ?」
 上目遣いに確認してみるフランドールに、パチュリーは半眼で、
「駄目。『静かなる光よ在れ』」

 *

 パチュリーが貧血を起こしたところで月光の驟雨は終結した。
「……本当に身体弱いんだ」
「放っておいて……」
 しばらく不摂生をしていたとは言え、本当に頼りない身体である。言われるとパチュリーには反論のしようもない。
「ところで、レミィのこと騙しているって云うのは何かしら」
 今のところは裏切りを働いてたりはしない。今のところは、という風にもパチュリーは思っているが。
「だって、貴方。お姉様の意に沿わないことをしたら、裏切りだとか思ってるんじゃないの?」
 パチュリーは黙り込む。その通りだと思っていたので、否定されると正直困りものだった。
「そのくらいで恨むほどケチじゃないよ、お姉様は。手下が欲しいだけだったら、400年ものたのたしてないって」
 言われればレミリアは従僕さえ持たず、フランドールと二人だけだったのだ。ならばしかし、有人に求めるものとは一体何なのだろうか。
「友達って何なのかしらね?」
 哲学的、あるいは間抜けな問いがパチュリーの口を吐く。レミリアは何を以て友を求め、パチュリーは何を以て一人の人間を友と思っていたのか。
「さぁ? 私をわざわざ生かしてる物好きなんだから、実用品が欲しいワケじゃないのは確かだと思うけどねー」
 判るでしょ、と気安げにフランドールは問いかけた。自身のことの割にずいぶんと軽い扱いだが、パチュリーも先ほど思う存分体感している。彼女の力は余りに危険すぎ、それを扱う彼女は信じられない気安さでそれを振るった。彼女は存在しているだけで、間違いなく危険なのである。
「下手に何でも出来るから要らないことまで背負い込むのよね、お姉様ったら。愚痴でも聞いてやってよ、言わないだろうけど」
 自分で言っておきながら、フランドールはすぐさま否定した。確かに弱音をこぼすレミリアというのは、パチュリーにもあまり想像しにくいものではあったが。
「幽閉されている、というわけでは無さそうね」
 フランドールのレミリアに対する態度には、恨みの類が見受けられない。何かずれいている感はあるが、自らの境遇を理解できていない風もない。むしろ言葉の端は知性的と言っていいかも知れない程である。
「せいかーい。お姉様が言うには、私が外に出たら本格的に発狂するってさ」
「発狂?」
 少しおかしいようには見えるが、パチュリーには発狂したりすると言うほどではないように思える。それになぜ外に出ればなのか。むしろ延々と閉じこもっていた場合に気が狂うのではないだろうか。
「私は何でも壊せるから外になんか出ると、全部今にも壊れそうに見えるって。なる程って思ったから閉じこもってるの。お姉様は閉じこめてるって言うだろうけどね」
 フランドールは顔を顰めて言った。彼女の言う、レミリアの自罰的傾向が気に入らないのだろう。その辺りで押し問答でもあったのかも知れない。
 何でも壊せるという彼女の言には説得力があった。実際それを受けたパチュリーの認識が正しければ、本当に世界さえ破壊しうる力だろう。それを容易に振るう彼女からすれば、おそらくこの世はガラス造りのように脆く見えるはずだ。そんな世界を見て、正気で居られるはずもない。
「でも意外と壊れないのかしらね? お姉様も壊せなかったし、貴方も失敗しちゃったしな~」
「……変な姉妹ね、あなた達」
 本気で残念そうな様子のフランドールを、パチュリーは呆れた目で見る。
 ただ、レミリアが自身を欲した理由の一端が、パチュリーには少し見えてきたような気がしていた。レミリアはフランドールの周りに妹が破壊できない、あるいは破壊しにくい者を用意したいのではないか、と。
 パチュリーの思考を遮るように、彼女の後ろでドアが開く音がした。ドアなんてこの部屋にあったかしら、と訝しげに振り返るパチュリーの耳に、
「二人とも生きてる!?」
 との声が届いた。果たしてどちらがどうなった結末を想像していたのかしら、などと愚にも付かないことをパチュリーは考える。
「ノックもしないなんて行儀悪いわねぇ、お姉様」
 フランドールは自身とパチュリーを見てあからさまに胸をなで下ろしている姉の方へ、明らかに面白がっているような顔を向けた。レミリアはキッとした視線を妹の方へと返しながらツカツカと歩み寄り、
「フラン、ちょっとこっち来なさい」
 レミリアは猫の子にするようにフランドールの首根っこを引っ掴み、軽々とズルズルと部屋の隅の方へと妹を引きずっていった。引きずられるフランドールは、パチュリーに笑顔を向けて気安げに手を振っている。
「……本当に変な姉妹ね、あんた達」


「ちょっと! なんでいきなりパチェを引きずり込んでるの!」
 レミリアは腰に両手を当てて、小声でフランドールに食って掛かる。
「お姉様がなかなか紹介してくれないから、ちょっと引っ張り込みましたー」
 フランドールは猫のように目を細めて笑い、悪びれるどころか面白がっている。
「ちゃんと日取りは決めてある、って言ったじゃない」
 レミリアはちらりとパチュリーを見た後、更に小声になって言った。
「お姉様の友人として相応しいか、見てあげたのよ」
「……参考までに聞くけど、相応しくなかったらどうする積もりなのかしら?」
「コロス。あいたっ」
「あっさり殺さないの!」
 かなり重い音を立てて妹の頭をどやしつける姉。悪魔ですら痛がるような威力だったのか、フランドールは左手で頭を抱えてしゃがみ込んでいる。右手はまだ失われたままだ。
「ちょっと、まさか」
 右手の欠落を見とがめたレミリアに、
「ああ、やったやった。防ぐとか絶対有り得ないと思ってたんだけど。凄いよね~」
 からから笑いながら、感心したようにフランドールは曰った。まだ頭を押さえたままだったが。
 それを受けてレミリアは額を抑え、目眩でも覚えたようにふらりと揺れる。そのまま深窓の令嬢のように頽れるかのように見えたが、何とか踏みとどまった。そして大きく息をつくと、気を取り直したように毅然とした表情をフランドールへ向け、
「フランドール。強者には強者としての責務というものがあるわ。貴方はまだその力に振り回されたままで居る」
「ぐ」
 フランドールは、レミリアの態度に押されたように呻く。
「私より強い力を持つ貴方がそれに振り回されるのは、仕方のない事とも言えるわ。けれど貴方はそれ故に、より大きな自覚を持たなければいけないの。と言っても貴方の場合、自覚しすぎてもいけないのよね」
 フランドールの力は強すぎる。正確に把握しては正常でいられない。少しおかしいくらいで丁度良いのだ。
「だから程良くきちんとしつつ、程良く迷っていなさい。貴方を抹殺するなんて面倒を私にさせないように、ね」
「めんどくさそう」
 殊更に軽く言って見せた姉に、妹は顔を顰めた。フランドールをどうしようも無いと判断すれば、レミリアは言ったとおりに妹を殺してのけるだろう。やり遂げた後にこれも貴族の義務だ、とでも言ってのけるに違いないとフランドールは思った。きっと、なにもかも奥底に閉じこめたままで。


「家族会議はおしまい?」
 比喩抜きの空気性椅子に腰掛けたパチュリーが、本を横目に戻ってきたレミリアに言った。
「恙無くね」
 レミリアは何も問題ないという顔をして見せた。
「妹さんの頭を殴ってた様に見えたけど」
「家族のコミュニケーションね」
 何ら後ろめたいことなど無い、とでも言いたげである。家庭内暴力などと言うのも無粋だろう。おそらくフランドールは客に行った歓待を姉にもしているに違いない、とパチュリーは当たりを付けた。その予想は事実、正鵠を射ている。
「それじゃフラン」
「ごきげんよう、お姉様。パチュリーもまたね」
「今度はお手柔らかにね」
 別れの言葉を交わす間に視界が揺れ始める。ほんの数瞬でフランドールの姿は消え、既に光景は伽藍の堂に切り替わっていた。彼女の気配さえ感じ取れず、本当にいたかさえ疑わしいほどだった。


「いきなりで悪かったけど、あの子が妹のフランドール・スカーレット。見ての通りの娘よ」
 歪んだ扉をくぐりながらレミリアが言う。
「まあ、あの通りなんでしょうね」
 見た後でまた後で説明しろと言われても、パチュリーは困る気がした。なにやら説明し難い人物である。
「400年あそこに閉じこめたままだから、多少おかしいのは大目に見てちょうだい。初めからああだったけれど」
 フランドールの言った通り、レミリアは自身で閉じこめていると言った。これがどういう意識に基づくのか、そこまで考えるのはまだ性急かとパチュリーは考える。
「彼女が私をここに置いた理由かしら?」
 それが一番納得の行く理由だろう。
「そうね。それが一番かしらね。私はあの子を閉じこめる檻を広げたいと思っているのよ」
「檻から出す、とは言わないのかしら?」
「あの子を檻から引き出すことはないわ。今が神話の時代だとでも言うならともかくね。むしろ、そうだった時の方が厳重な檻が必要かな?」
 確かに彼女の力は神話世界の終末を想起させる。例えば、世界を焼き尽くす炎のような。
「だからね、パチェ。幻想郷へ行くことは私にとっても都合が良いのよ。向こうで檻を用意してくれるなら大歓迎」
 つまり幻想郷はパチュリーにとってだけでなく、レミリアの目的地でもあったわけである。正確に述べれば、博麗という結界で遮られた幻想郷という箱庭、がか。
「それなら予め、幻想郷に居た方が便利なのではなかったの?」
 上りの階段を風に乗って上りながら、パチュリーが問う。今はパチュリーが水先案内人と化しているが、レミリア自身が幻想郷のあった位置を知らないとも思えなかった。隔離が行われる前であれば、そこへ行くことはもっと楽であったはずだというのに。
「それじゃ貴方に会えないじゃないの」
 上りの階段を踏みしめながら、レミリアはなんでもないように答えた。なぜそんな事を今更聞くのか、とでも言いたいような風情である。
 パチュリーとしてはまさに絶句としか言いようもなく、風任せに浮いていなければ立ち止まっていただろう。返す言葉が見あたらなかった。なぜそうまで無条件に信頼を寄せているのかだとか、聞くことは色々とあるのだろうが。そんな事を今聞くのは、流石に無粋な気がしたのだ。
「それで頼みたいことがあるんだけど」
 無言を納得と受け取ったのか、レミリアは話題を変えて続けた。
「フランドールの。なんて言うのかしら、養育係? なんだか違う気もするし、あの子の方が年上だし、変だとは思うんだけど」
「良いわよ」
「さっきの騒ぎを考えたら嫌だろうけど、出来れば……ええーーー!?」
 パチュリーがあっさりと受けるとは思っていなかったのか、レミリアは常にない素っ頓狂な声を上げた。パチュリーとしても、このようなレミリアは初めて見る。
「えっと、良いの? だってフランよ? さっきのも悪ふざけだろうけど、本気よ?」
 そうだろうな、とパチュリーも思った。フランドールは本気でパチュリーを殺そうとしたのだろうし、本気でパチュリーとの会話を楽しんでもいたのだろう。
「何。断った方が良かった?」
「いやそんな事はないけど……」
 どうにもパチュリーの態度が解せないらしい。パチュリーとしてもそう大したことを言っているつもりもなかった、なくなったと言うべきだろうか。むしろ彼女としては、自身の理解が遅かったことを罵りたい気分ですらあった。
 レミリアが友人としてのパチュリーを求めていることを、本当に今更、納得したのだから。
 無論、これが誤解である可能性もある。すべてがパチュリーを利用するための布石と取ることも出来る。ただ、騙されても構うものかという開き直りにも似た気分になっていた。
 そう感じていると、やはり気になることがある。かつての友人が今のパチュリーのような気分でパチュリーを見ていたなら、彼女に対する罪悪感は見当違いも良いところなのではないかと。
「抜かったわね……。あの子の実家聞いてなかった」
 筋を通しておくべきと考え、行き詰まった思考が口を吐く。この時節は確か帰省していて、彼女は彼の地にはいない。
「なんの事?」
 突然独り言を口にしたパチュリーをレミリアは訝しげな、具体的に言えば頭の調子の心配をしているような目つきで見る。精神疾患を疑われたパチュリーとしては非常に遺憾だったが、冷静に見ればさもあろう。
「貴方の言う痼り、っていうのをどうにかしようと思ったんだけど」
 いっそのこと古巣から情報を引き出すなど考えてみるが、どう考えても襲撃である。
「やれやれ……。仕方ない」
 物騒な考えへと飛んでしまったパチュリーを見てレミリアはため息を吐くと、額をこつこつと指で叩きながら精神を研ぎ澄ませ始めた。すると瞳の焦点がずれ、目まぐるしく動き始める。少しの間それが続き、ふと眼球の動きが止まった。
「あ~あ、やっぱりか。明日ね、明日。貴方の元の部屋へ、そうね、夕飯時で良いでしょう」
「は?」
「そうすれば上手く会えるって言ったのよ。私の託宣、有り難く受けておきなさい」
 レミリアは自信ありげだったが、この時期に居ないのも間違いない筈なのだが。確か誕生日は家族と祝うとか言っていたことを、パチュリーも覚えている。納得しがたい様子のパチュリーにレミリアはため息を再び吐き、
「明日は何の日? 解らないなら貴方をこれから『本の虫』ではなくて、本の『虫食い』とでも呼ばなければならなくなるよ?」
 その日はパチュリーも記憶にあった。流石にまだ忘れるほど月日を重ねてもいない、が。
「駄目だったらその時こそ、魔術師達を脅しつけでもしなさいな」
 階段を上り詰め、二人は元の廊下へと出た。

 *

「ねぇ。パチェって魔女っぽくないよね」
 気軽に言ってくる隣人。いつも通り、ひとの蔵書を勝手に読んでいる。
「それはどういう意味で?」
 戯けた意味ではないでしょうね、と怨念を込めて言う。いつもの行為は今更言わない。
「生粋の魔女だって言うから、とんがり帽子とか期待してたんだけど」
「あの服を着て出歩けと言うの、あんた」
 黒いとんがり帽子に黒いローブを羽織って出歩き、店先で生鮮食品を選ぶ少女。手には古めかしい箒を持って。
 想像して目眩が走った。
「あ、持ってはいるんだ。今度着てきてく」
「嫌よ。仮装行列じゃあるまいし」
 パチュリー母が渡したものの中で、最も使い道のない一品であった。ヒトの隙間に隠れて暮らす魔女が、堂々と着て歩く代物ではない。
「んじゃパーティで。今度パチュリーのを祝ったげるから」

 そんな他愛のない会話。

 *

「凄いわねぇ、その格好。正装?」
「一応そうなるんだろうけど……。これをフォーマルとは言いたくないわね、正直」
 笑いをこらえて言うレミリアに、顰めっ面でパチュリーが答える。過剰に巨大なとんがり帽に、羽織るは漆黒のローブ。極めつけは古めかしい箒だ。見れば誰もが魔女を想起し、誰がも本気で魔女とは思うまい。
 薄暗い空気に吐くため息が白い。しばらくヴワルに引きこもっていたため季節感が失せていたが、外に出れば立派に寒風吹き荒ぶ季節である。意外にもローブが防寒具として役に立つことに感心した。着て出歩きたいとは到底思えないが。
「それじゃ行ってくるわ」
 パチュリーが箒に横座りして念を込めると、まるで重さを失ったかのようにふわりと宙に浮く。更に追加で短い詠唱を加えると、箒に乗ったパチュリーは凄まじい轟音と共に一瞬で加速し、空の彼方へと消えた。


「まあ、今回は人の子に譲ってあげるわ。私達の時間はたっぷりあるんだし、ね」

 *

 さてどうしたものか、とパチュリーは悩んでいた。目の前には窓があり、かつての自分の部屋が、あろう事かそのままある。今日という日に影響を受け、彼女が訪れるくらいならばあり得るとも思っていたが。ここの魔術師達は、パチュリーが思っていたよりも感傷的だったらしい。
 窓の先には、果たして彼女がいた。蝋燭の火に金色の髪と浮かび上がらせ、傍らには鶏の死骸があり、彼女の出自を考えれば悪魔でも召還しているのかと思わせることも可能かも知れない。ただし、蝋燭の色彩は豊かで、その台はデコレートされたスポンジであり、鶏の死骸は調味料と加熱が加えられている。
 燭台の灯が、彼女の髪を留めた三日月型の装飾を光らせる。頬杖を付いた彼女の表情は物憂げで、何か気の利いた台詞でも用意していなければ声を掛けがたい様子だった。その彼女がふと、本当に自然な様子で顔を上げた。ただの偶然としか言えない間の良さ、あるいは悪さで、箒に腰を掛けていたパチュリーと完全に目が合った。
 彼女が目を丸くして、すうっと息を吸い込むのが見える。パチュリーは慌てて、彼女から見て必死の形相で口元に指を当て、静かにというジェスチャーを送った。彼女は叫ぶのを止めて窓際に駆け寄ると、手を掛けるのももどかしげに窓を開ける。
「パチェ!?」
「えーと。召還されているような気がしたので来てみたわ」
 言ってパチュリーは、蝋燭とローストチキンに目をやった。


 話すことは多かった。
 パチュリーが出て行った後の騒ぎは、彼女が思っていたほど大きくなかったこと。ひとえに修行不足であった、とのことらしい。部屋がそのままであったのも、優秀な魔女が帰ってくるならばそれに越したことはないとか。
 彼女以外の知人の動向。実家の様子。パチュリーの現状。
「それで、その幻想郷って云うのは遠いの?」
「距離の問題ではなく遠い、と言えるでしょうね」
 二人分を超える量の食事を、友人は半分以上既に食い散らかしていた。この身体の何処に入るのかという疑問は、未だ解けていない。
「ふぅん」
 彼女は唸り、腕を組んで黙り込む。しばらく考え込んでいたかと思うと、
「いずれ追い付いてやるから覚悟しておくのね」
「追いかけてくる気?」
 呆れたように言うパチュリーに、
「貴方って云う強力な魔女に追い付き、追い越してやろうって言ってるのよ。私が駄目でも、いずれ子孫が追い付いてやるんだから。その時は貴方のヴワルから色々かっぱらってやる」
 彼女は鼻息を荒くして言い放つ。パチュリーが思っていたより、彼女はずっと逞しいようだ。というよりはこんな相手だったことを、妙な後ろめたさに隠されて忘れていたというのが正しいのだろう。
「それは楽しみに待っているわ、人間の魔法使い。でも、あんまり待たせると忘れてしまうから」
 二人は顔を見合わせると、クスリと笑いあった。
「仕方ないなー。忘れないようにこれでも持っていって」
 言って彼女は月形の髪留めを外すと、髪がはらりと流れた。彼女は髪を纏めて後ろにやると、パチュリーに髪留めを手渡す。
「私は覚えていても、貴方自身が来なければ顔も判らないしね。貴方の子孫にはこれでもくれてやってちょうだい」
 言ってパチュリーは帽子を彼女に被せ、箒を手渡す。
 図らずも、二人は贈り物を交換する。少しずれた二つの誕生日と、奇妙な約束の記念品。

 *

「事は済んだ?」
「ええ。それじゃあ行きましょう、幻想郷へ」
 本当はもう少し話が進む予定だったのですが、なぜか分量が増えた人妖の類です。

 集を空けない予定とか言っておいて、思いっきり空けました。待っていた方あらばごめんなさい。
 次はインターミッションぽい、予定?
 東方SSなのにようやく幻想郷行き、の筈、です。

 ここまで読んで下さった方に感謝を。

再追記:重ねて誤字指摘ありがとうございます。
 うーわー。よりにもよって決壊デスヨ決壊……。
 引き続き修正。
人妖の類
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コメント



0.3870簡易評価
2.70名前が無い程度の能力削除
今回は妹様遭遇編ですか。
のんびりゆっくり頑張ってくださいな。続きをお待ちしてます。
22.80no削除
なるほど、なんとなく複線が読めました。
続きを期待します。
32.90無為削除
誤字>博麗という決壊で

ラストの約束のシーンで、何とも嬉しいような悲しいような気分になりました。
そーなのかー。
39.80おやつ削除
……面白くなってきやがった!!
いえ、これまでもですが、さらにです。
話の一つの山場を超えたところでしょうか?
続きをお待ちしております。
40.70Mya削除
 拍手喝采。素晴らしい。前々作をさらりと流してしまったので、改めて読み返しましたよ。単品としても充分に面白いですが、一連のものとして見ると更に倍です。

>「本」の数瞬でフランドールの姿は消え
 これは誤字……ですかね?
42.100紅狂削除
素晴らしいフランドールを書かれた氏に最高の賛辞と感謝を。
49.100名前が無い程度の能力削除
この文字密度と長さで、まだ食べ足りない気分……
もうたまりません。
63.100名前が無い程度の能力削除
ああもう続きはドコダ!? 探せ探せ探せ~!!
65.90名乗るNahanasi削除
続編ごちそうさまでした。
前作でもそうでしたが、パチェのジト目以外の表情を多く幻視できました。
それとフランが。彼女の性格というか「少々おかしい」部分が実にバランスよく、
狂い過ぎず、知的過ぎず、子供過ぎず、なるほど納得です。
この2人が自分の中でかなり明確になりました。
氏の描く物語には鋭さと軟らかさがあるようです。ディモゥルトッ!
81.100自転車で流鏑馬削除
これはいい魔理沙先祖
86.100名前が無い程度の能力削除
伏線回収見事。やっぱ彼女は魔理沙先祖かなぁ…
フランの幽閉の原作設定を上手く、良い方向に解釈しててとても良かったです
しかしこのパチュリー、健康体のガチュリーだったらほんと敵なしですな