小悪魔――メープルはとても良い子だと思う。
大人しく、礼儀正しく、心優しい、とても悪魔らしくない子だ。
だから思う。
メープルはもっと自分を前面に押し出して生きてもらいたい。
消極的で、恥ずかしがりやで、謙虚で、引っ込み思案。
やりたいこと、耐えていること、色々あるだろう。
だから私は聞く。
「メープル、貴女が本当にやりたいことは?」
「私の喜びは、パチュリー様に仕える事です」
「メープル、貴女の趣味は?」
「こうやって本の整理をしたり、掃除をしたり、
パチュリー様の周りを良くする為に思考することでしょうか」
「メープル、貴女は幸せ?」
「はい、もちろんです」
いつも変わらない返事だった。
* * *
私が図書館にいる間、メープルが図書館から離れることは無い。
それは従者としての当然の務めを守っているからだ。
眠っている図書館に目覚めを与え、疲れた図書館に休息を与えている。
平坦な繰り返しの毎日を快適に過ごせているのは単に彼女のおかげだ。
数日ほど休暇を与えようとしたこともあるが、頑なに断られてしまった。
厳しく命令してしまえば強制的に休ませることも可能なのかもしれないが
可愛らしい表情が崩れ、泣きそうになるのを見てはそれも出来なかった。
そしてその事実に気づいたのは、
暖かい昼――レミィと紅茶を飲んでいるときだった。
「今日も平和ねえ、パチェは最近何をやっているの?」
「相変わらず本を読んでいるわ、貴方こそ最近はどうなの」
「相変わらずまったりしてるわ、紅茶を飲んだり夜を散歩したり」
「平和ねえ」
「平和ねえ」
平和だ。
ほのかな暖かさと心地よい空気がこの身に安心感をもたらしてくれる。
時折、風に乗ってバイオリンの調べが流れてきているかのような錯覚も覚える。
なんとも優雅な一時をいつものように過ごしながらその考えに至った。
私が本を読んでいる間、メープルは務めを果たしている。
では私が紅茶を呼んでいる間はどうなのだろうか。
昼休みは? 夜は? 自室では?
独りで、図書館から離れたとき、どうやって過ごしているのだろうか。
私はそれがイケナイ事だと思いながら、好奇心を勝利させ決断した。
「…………パチェ?」
「お嬢様、あれはパチュリー様が
何か良からぬことを思いついた時にする顔です。
関わってはいけませんよ」
「そうね、心得たわ」
私は翌日決行することにした。
* * *
「パチュリー様、お昼の時間です」
咲夜が真面目さを押し出した――なんと面白味の無い――表情で迎えに来た。
同時にメープルもお昼の休憩に入ることになる、私を見送ってからだが。
「いってらっしゃいませ、パチュリー様」
私の従者に見送られ、親友の従者に付き添い図書館を後にした。
しかし、今日はそのまま行くことは無い。
私はメープルの視界から消えるまで歩くと、そこで立ち止まる。
そっと図書館の方に目をやる。
そこには彼女がせせこましと図書館に鍵をかけ歩いていく姿を確認した。
自室に一旦戻るようだ――私は図書館に自室が備え付けてあるから便利だけど――
「パチュリー様、どうなさいました?」
ほんのり苛立っているような咲夜の声には耳を貸さず、
私はメープルの後を付ける。
メープルは自室に入りしばらくすると、
何かのケースとお弁当箱らしきものを持ち現れ、そのまま外に向かっていった。
――ガチャガチャ
私はメープルの部屋のドアノブを思い切り回したが、どうやら鍵がかかっている。
仕方ないので私は側に直立して控えていた咲夜に手を伸ばした。
「……パチュリー様?」
「マスターキー、持ってるんでしょ」
「あの、それは流石に……」
それは当然の反応だと思う、従者としても曲げてはいけない事だと理解している。
でも今回はそれを承知で、どうしても知りたいことがあるのだ。
これは悪いことじゃない、メープルのためなんだ、と誰にでもなく言い聞かせた。
「別に何か悪いことをするんじゃないんだから、いいじゃない」
「そういう問題では無いと思います」
「どうしてもダメ?」
「どうしてもです」
「分かったわ、諦める。
そういえば咲夜から預かっているアレなんだけど、
この後にでもちょっとレミィにも見せてみようかと思っているわ」
「はい、開きましたよ」
時が進まずに仕事をこなせる咲夜はとても優秀なメイドに違いない。
だから後ろで恨みがましさと罪悪感が募ったような目をするメイドは放っておく。
パチュリーは彼女の部屋にその足を踏み入れた。
そこには――
「…………。
これ……それも……あれも……まさかあの子は……」
――その部屋には確かに、メープルの趣味が散りばめられていた。
私はすぐさま部屋を出て、勢い良く鍵を閉めた。
咲夜にはレミィの元に行ってもらい、私は独りで彼女を探しに太陽の元に出た。
* * *
私がそこに辿り着くと、彼女は丁度サンドイッチを食べ終わったところだった。
口をハンカチで丁寧に拭くと、弁当箱をしまい、例のケースを開いた。
「……あの子、毎日ここでそんなことをしていたのかしら」
彼女はケースから出したそれを構え、目を瞑り、ゆっくりとそれを奏でた。
ほのかな暖かさと心地よい空気がこの身に安心感をもたらしてくれる。
そしてこの美しいバイオリンの調べは錯覚ではない。
そこには確かに、メープルがバイオリンという楽器を使い自己を表現していた。
――なんて、美しい。
本当に美しい、ただどこか――悲しみを感じるのは私の気のせいだろうか?
夢中になって演奏しているメープルの前まで近づき、私はじっと佇んでいた。
「……パチュリー様?」
演奏が途切れたかと思うと、目の前の彼女は戸惑いの表情を私に向けた。
「あ、あの、もしかして、聞いていたんですか」
「ええ、もちろん。……凄い上手なのね、素晴らしかったわ」
「はやや……そ、そんな……」
見る見る間にへなへなと萎み、彼女は座り込んでしまった。
そして事もあろうか、目が輝いたかと思うと水滴がぽつり、ぽつりと垂れ落ちた。
「え、ちょっ……ちょっとメープル?」
そんなに知られたくなかったのだろうか。
演奏を聴かれてしまったことがそれほど恥ずかしかったのだろうか。
あんなに陶酔して演奏していた彼女を見るのも、
こんな泣きじゃくっている子供のような彼女を見るのも初めてだ。
私は背中をポンと叩き、落ち着かせると
手を引いて彼女の自室まで付き添ってやった。
* * *
「えーと、いらっしゃいませ……。
パチュリー様を部屋にお招きするのは初めてですね」
私は彼女の部屋に二度目の入室をすることになった。
部屋は綺麗に片付いているといった印象で、彩色の可愛さが目立つ。
そしてなにより、部屋の中央隅に設置された大きなピアノ。
そして棚に飾られた様々な木管楽器と弦楽器。
棚に飾られてるのはほんの一部なのだろう、
部屋の奥には中身が詰まってそうなケースも並んで置かれている。
もしかしたら日によって色んな楽器を使い分けているのかもしれない。
「貴女は音楽が趣味だったのね」
「はい……ごめんなさい」
「別に謝ることじゃないわ、素敵じゃない。どうして隠してたの?」
私は当然の疑問をぶつけた、あれほどの腕前なら恥じることもないだろうに。
「いえ、その……隠しているつもりは無かったのですが……。
特に言うべきでもないかと思いまして」
「私は以前貴女に趣味を尋ねたけど、この事は言わなかったじゃない?」
「そう……ですけど」
「はっきり言いなさい。……何を遠慮してるの?」
私はちょっと脅すような勢いになってしまったので、
自分を落ち着かせ、語尾をなるべく柔らかくした。
「いえ、あの……その……パチュリー様は、音楽はお嫌いかなって……」
「私が? どうして?」
「五月蝿いのは嫌ですよね?」
不安な眼と共に訴えかけられ、はあなるほど、と私は思った。
「それはそうよ。でもああいったものなら耳障りではないし、たまには心地良いわ」
「……本当ですか?」
「ええ」
そうか、彼女は私をわざわざ気遣ってくれたのだ。
本当に良い子だ、少しくらいこの子のために何かしてあげたい。
「ええ、だから」
私はちょっと勿体振りながら、一つの提案を言った。
「そうね、貴女がやりたいこと一つ、どんなことでもやらせてあげるわ」
彼女はきっとこういってくれるに違いない。
『パチュリー様のために、時折曲を弾かせて頂けないでしょうか』なんて。
可愛い従者のためだものね、と微笑ましい気持ちで一杯になった。
「本当ですか……いいんですか?」
「ええ、二言は無いわ。貴女のやりたい音楽を解き放ちなさい」
「じゃ、じゃあ私……!」
私は目を瞑って、時を待った。
幸せを掴んだ我が子を見守るような、そんな暖かい気持ちで――
「合奏がしたいです!」
* * *
「というわけで皆様には今から楽器を練習して頂きます」
――先ほどとは打って変わって冷めた私を他所に、
彼女はひたすら熱くなっていた、まるで猪のような猛進ぷりだ。
私はあの後――
『じゃあちょっと面子を集めてくるわ』
――といった具合に、とりあえずレミィと咲夜を巻き添えにした。
ごめんねレミィ、友達はこういう時に使うの、と心の中で謝ってあげた。
実際には目が合わないようにこそこそと避けた。
「皆さんの中で経験のある方はいらっしゃいますか?」
レミリアと私は当然無かった。
咲夜は『ダンスを昔嗜んでおりました』とのことだが、楽器は無い。
ふむ、と彼女は少し考えてから提案してきた。
「では楽器の方は私のほうで選ばせて頂いて宜しいでしょうか?」
「特に異存ないわ、楽しければなんでも」
「私も構いません」
「任せるわ」
なんだかレミィは案外乗り気みたいで意外だった。
芸術関係に興味がありそうで無いやつだと思っていたのだが。
メープルはちょっと考えてから自室に戻ると言いこの場を去った。
その隙に二人して非難の目を向けてくるのだからたまったものじゃない。
「いやまあいいんだけどね、面白そうだし」
「そんなものですかねぇ……」
「そうそうレミィ、貴女に見――」
「確かに合奏って面白そうですよね、咲夜わくわくしちゃう!」
時間の経過を感じさせない素早い対処力は、優秀なメイドに違いない。
だからこの馬鹿丸出しの痛い演技も良しとしよう。
そんなどうでもいい時間を過ごし、ようやくメープルが帰ってきた。
いや、もしかしたら違うかもしれない。
彼女は、本当にメープルなのか判断できないほどの物を抱えて運んできた。
ケース、本、何か、何か、何か……駄目だ、分からないものが多い。
ポン、ポン、ドン、カチャ、カチャ……と私たちにそれらは渡された。
楽器を一つ、教則本らしきものを一つ、そして目の前には黒いスタンド。
おそらくこのスタンドは本……楽譜を置くためのものだろう
「これは……横笛かしら?」
最初に口を開いたのはレミィだった。
「ええ、そうです。レミリア様にお似合いの素敵な楽器ですよ」
左手をしっかり持って真っ直ぐに、
そしてここの部分に唇を当て吹き込むんです、とメープルは丁寧に教えた。
――綺麗な高い音が耳に響く。
「そうです、その感覚ですね。指を押さえることで色んな音になりますよ。
この本で、まず一通りの音階を吹けるようにしてください」
「綺麗な音ね、気に入ったわ」
「私のコレはなんなんでしょう?」
咲夜がメープルに聞く、レミィのとは少し違って大きく黒い楽器だ。
楽器なんてろくに知らない私たちにとっては、お目にかかれないタイプだと思う。
「それも笛ですよ。縦に持っていただいて、上から吹いてください」
「分かりました」
……そろそろ限界だ、と私は溜まりかねて呟いた。
「ちょっとメープル、これ大きいし重すぎなんだけど……」
「あ、済みません。コレは本来座って弾く楽器なんですよ」
メープルは、その巨大なバイオリンらしきものを下から出ている棒で支え立てた。
しゃきしゃきと動き椅子を持ってくると私を座らせ、講釈した。
「体の左側で持つような感じで、そして右手は包み込むようにこの弓を持ってください。
この弓で弦を横に引けば……音が鳴ります、まずはその感覚を掴んでください」
――再び、今度は高音域の美しい、ゆっくりと流れる笛の音が耳に響く。
「凄いですね、レミリア様」
レミィの美しい指先は、実に器用で滑らかな動きをしていた。
咲夜はすっかり惚けて主人を見つめている。
パフォーマンスという面で考えても、それは確かに向いていると思う。
さて、私も負けてられないわ――おごそかに弓を引いた。
――ガタン!
余りにも耳障りな、寒気が出るような音に思わず弓を落としてしまった。
気持ち悪い――なんか吐きそう。
レミィと咲夜まで不快な表情をしている。
それは責めるようなものではなく、何が起きたのか分からないといった戸惑い。
メープルのバイオリンからはあんな美しい音色が出ていたのに、
どうしてこんなことになったのかは、私にも分からないのだ。
「パチュリー様、落ち着いてください。
弓は上手く引かないと、擦れるだけでこんな音が出てしまうのです。
そうですね……しっかりとこう弓を当てて……一定の力で抑えたまま引くんです。
最初は勢い良く引いた方が良いかも知れませんね」
言われたとおり――添えられている小さい手に習い、
そのまま勢い良く引いてみると、今度は普通の音が出た。
独りでやってみてもなんとか音が出せた、まだちょっと安定しないけど。
「ねぇ……これちっとも音出ないんだけど」
私とレミィが音を出し、音階鳴らしに挑戦している段階だというのに
気づけば咲夜から全く音が聞こえないことに気づいた。
楽器が壊れてるんじゃないかという疑問もおそらく出ているに違いない。
咲夜は何度も息を吹き込み、楽器から音が生まれないことをアピールした。
「咲夜さん、風船を膨らますように楽器に息を溜め込むくらいの感じで……
そう、歌っているかのごとくお腹の中から強く吹いてみてください」
――なんとも深みのある独特な音が図書館に響く。
メープルはニコリと咲夜に笑って見せる、
咲夜は自分が出した音に酔っていてそれに気づかなかった。
それを見ていた私も思わず笑顔が零れてしまう。
――音が出せることにこんな喜びを感じるなんて、ね。
こんな早いうちから私たちは『ハマっている』のだ。
皆、各自の練習にのめりこみそれぞれの楽器を使いこなしていった。
当のメープルはというと、独りで必死に何かを書いていた。
なんなんだろう?
* * *
あれから数日が経った。
レミィはすっかり使いこなし、趣味の一部といっても過言ではない様子だった。
咲夜は仕事の合間に練習を重ねているようで少し疲れも見えた。
私も読書の合間に、なるべく面倒くさい気持ちを抑え、
――確かに楽しいのだが、本を読む楽しさには勝らない――練習した。
その結果、落ち着いたペースでなら問題なく弾きこなせていると感じる。
弦を押さえる段階で、指がかなり痛むのでメープルに相談したところ
ちょっと残念そうな、困ったような、それを隠しきれぬ不思議な表情をした。
フィンガーピースなるものを渡してくれて、楽に押さられるようになった。
多分、邪道なんだろう、と私は悟った。
メープルは純粋だから、きっと音楽においてもそう考えているだろう。
「一週間後にコレを演奏して紅魔館の皆さんに聴いてもらいますよ~」
再び図書館に集められた私達は、数枚の薄い紙を配られた。
どうやら楽譜のようだ、量は多くないのだが……。
『遅く、静かに』と記載されてることから、見た目より長い曲に見受けられる。
「レミリア様は四人の中で一番高い音で、美しい旋律を吹いてもらいます。
いわば主役なので頑張ってくださいね」
「心得たわ」
レミィは満面の笑顔でそう答えた。
「咲夜さんには、三拍子のリズムを常に刻んでもらいます。
これをしっかり吹いて頂けると、横のレミリア様もやりやすくなると思うので」
「分かりました」
咲夜はキリっと満足気な表情でそう答えた。
「パチュリー様は、一番低い部分を厳かに弾いて貰います。
この土台部分がしっかりしていないと曲が途端に薄っぺらくなります。
大事な役割なんですけどお願いします」
「……分かったわ」
私は、まさしく適材適所ね、と心の中で思っていた。
各自譜面を見ながらの練習をする。
レミィの方から聞こえてくる旋律がこの曲の主となる部分のようで、
実に美しい曲である事が想像できた。
それにしてもレミィは上手い、これが才能というやつなのだろうか。
余裕そうな表情で、一つ一つの旋律を楽しみながら吹いている。
私の方はというとあまり難しくないこともあり、自分の練習より他に耳が行く。
正直言えば良く分からない、こんなパートが本当に重要なんだろうか?
しかしそれにしても……。
「はぁ……はぁ……」
咲夜が辛そうだ。
どうやら休み無くリズムを刻む役目のようで、
強く息を吹かねばならないそれと息継ぎとの兼ね合いが上手く行ってない。
度々苦しそうに笛から口を離し、大きく深呼吸を繰り返していた。
「咲夜さん、ブレスのタイミングなんですけども」
「はぁ……何でしょう」
「最初からタイミングを決めて譜面にチェックしておくといいですよ。
そうすると精神的にも楽ですし、体力の配分も気をつけられるはずです。
タイミングはなるべく曲の切れ目……小節の終わりであれば問題無いです」
……咲夜は本当に楽しめているのだろうか?
メープルと咲夜のやりとりを見ながら、そんな疑問が私に少し浮かんだ。
* * *
「大変長らくお待たせしました。
只今より、
紅魔館の主、レミリア・スカーレット様。
メイド長、十六夜咲夜さん。
図書館の主、パチュリー・ノーレッジ様。
私、メープルによる演奏会を行わせていただきます」
――パチパチパチパチパチパチパチ……
いつもは静寂極まるこの図書館に、想像もしなかった量の拍手が響き渡る。
私は甚く実感した、ついにこの日がやってきたのだと。
時間にして十日余り、三人とも初めて楽器に触れて、音を出す喜びに触れた。
それぞれの苦労を経て、ここまでやって来た。
今でも、自身は音楽にそう入れ込んでいるわけでは無いと思っている。
それでもこの成果を、今までの過程を、心の底から感慨深く思う。
多くの人が見ている、緊張に胸が高鳴る、肩が震える。
多くのメイド、門番隊が居る、でも特に見知った顔が居るわけじゃない。
一番後ろに黒いのが居る気がするが、生憎私は遠くが見えない目だったはずだ。
だからあれはきっと知人じゃない、魔法使いなんかじゃない。
そう、あれはただの錯覚だから気にしない、私は緊張する必要は無い。
「それでは始めます。曲目は――」
何も物音が聞こえず、皆がじっと固唾を飲んで待っていた。
そしてその静かな図書館に、一つの美しい高い音が響き渡る。
まずこの曲はレミィの独奏から始まるのだ。
出だしというのは肝心だ。
何よりも度胸が必要で、いつもの調子で気軽に音を出せるかというとそうでもない。
もし最初に変な音を出してしまったら……、という妙な重圧がこのときはのしかかる。
でもレミィはそれを感じさせない――本当に感じてないんだろう――余裕の調子だった。
観客はレミィを見つめる、
白い綺麗な手の織り成すこの旋律はやはり間違いなく美しいのだ。
魔理沙も感心したように……ごほっ、黒いのなんて居ないんだったわ。
とりあえず落ち着きましょう。
そろそろ咲夜が入る頃なので私は咲夜の様子を伺った。
――あらら……
その指先はカタカタと音を鳴らし震え、膝元はガクガクと目に見えて動いている。
相当緊張してしまっている、これではとても無理だ、としか思えない。
だが既に演奏は始まっているのだから、どうしょうもないのだ。
ちらり。
咲夜の震えが止まった。
何かと思えばレミィが一瞬だけ、吹いていた笛を斜めに上手く引き下げ、流し目を送った。
ただ一つのことで、そんなことで、咲夜の緊張は解けたのだ。
おそらく責任感を再認識したとかそういう堅いことでは無いのだろう。
あの目に込められていたのは、咲夜が感じ取ったのはおそらく――
高く美しい音に、拍子を刻む深い音が混ざった。
見事に上手く入り込んでいる、息がピッタリ合っている。
先ほどの状態の咲夜からは考えられない、落ち着いた音色だ。
それでもやはり必死に、必死に吹いているのはしょうがないことだ。
見ると、既にメープルが弓を構えていた。
次はメープルが入るのだ――最初は彼女は何をするのか分からなかった。
まさか自分は混じるのは遠慮しますとか言い出すんじゃないかと本気で危惧したが、
聞いてみれば『そんな事は無いですよ、私はバイオリンでサポートしようと思います』。
どうやら基本的にレミィの裏で同じ旋律を弾き、膨らませる役目のようだ。
そうなると少なくとも、レミィより確実に目立たないパートということになる。
彼女らしいといえばそれまでだけども、少し残念に思った――そして入った。
流石に素晴らしい、格の違いを感じるのは気のせいじゃないんだろう。
誰も知らなかったメープルの趣味、いわば特技。
知らないものから見れば、レミィが笛を美しく吹ける事以上に驚きだろう。
黒いのも、もし見てたらそう思うだろう――今はきっと自宅に居るから。
――二人はお互いを理解しあってる。
咲夜とレミィを見て、私は羨ましくなった。
私は今までメープルの趣味一つすら知らなかった。
今でも彼女の事を理解してるとは言えないし、支えてあげられてるかも分からない。
メープルは……本当に幸せなんだろうか。
そんな私の考えを他所に、ついに私が入る場面まで進んでしまった。
大丈夫、私は緊張していないはず。
――どくん。
あっ、と思ったときには既に体に変化が現れた。
メープルが今、私の事をちらりと、満面の笑顔で見たのだ。
確かにあった緊張は嘘のようになくなり、良い意味で胸が高鳴り気分が高揚する。
そして私はとんでもない勘違いをしていたことに気づいたのだった――
私は弦を鳴らした。最低音の音色を鳴らすことでこの曲に広がりを持たせる。
今だから分かる、この重要さに。
要らないパートなんて最初から無かったのだ。
皆が平等に主役であり、どれが欠けても成立しない。
この四重奏は、確かに私たち、そして観客に感慨深いものを与えていることだろう。
私は正直余裕があったので、曲を落ち着いて堪能することが出来た。
美しい、癒される旋律に心を委ね、安息を覚えた。
演奏が難しくない事もあり、一番後ろに位置する私は他の三人を良く観察することが出来た。
レミィはすっかり陶酔して夢中で吹いている。
咲夜は苦しそうに顔を動かし、常に必死だ。
メープルは――。
――あれ?
だからそれに気づくことが出来た、多分二人は気づいていないだろう。
曲が終盤になり、本来そこではメープルのパートは休みに入る事になっていた。
しかし私の耳には、目の前からのバイオリンの音が確かに聞こえていた。
――なんて、美しい。
それはメープルのアドリブだった。
私は彼女が外で独奏していた時の事を思い出す。
同様に、彼女は感情を込め、確かに何かを強く表現していた。
あの時は何かの悲しみかと想っていた、けれど今は違って聞こえる。
――一体彼女は何を想って……いるのかしらね。
そこに居るのは健気で可愛い――幸せそうな悪魔だった。
* * *
結果として演奏会は大成功だった、そうだ。
レミィが言ってた。
レミィはすっかり大満足だったみたいで、今も楽器を続けてるそうだ。
咲夜は辞めたみたいだけど、レミィに言われて時たま吹かされるそうだ。
私はもうやらない、楽しかったけどあんな疲れるのはもう御免だった。
私はやっぱり本を読みたいから、それ以外に労力を割くことは滅多に無い。
「パチュリー様、お昼の時間です」
咲夜がまたつまらない表情で迎えに来たので、追い返すことにした。
「ここに持ってきて」
「はぁ。分かりました――どうぞ。では失礼します」
一瞬に目の前の机に料理と紅茶を並べる事が出来る優秀なメイド。
でもその優秀なメイドは、私には要らない。
「パチュリー様、今日はここでお昼なんですか?」
「ええ、そうよ」
だって、私はとんでもない勘違いをしていた事に気づいたのだ。
メープルはしっかり自己を表現できる子だった。
メープルはちゃんと幸せに生きていた。
メープルは私に曲を聞かせようとは頭に無かった。
「今日のお昼は、図書館で演奏してみないかしら?」
「……え?」
私はメープルの事を知りたかった。
私はメープルの幸せの一部になりたかった。
私はメープルに曲を聞かせて欲しかった。
「今日はそんな気分なの、やってくれるかしら」
「は、はい、喜んで!」
このヴワルは、心地よい自然の息吹も、人口の営みも感じさせない。
ただ静寂極まる、幻想郷唯一の場所だった。
でも時折、美しいバイオリンの旋律が流れる。
私の居る図書館はそんな所なのだ。
紅茶を口に含み、ゆっくり飲み流す。
椅子に背をもたれ、目を瞑り、美しい調べに心を委ねる。
どんな嫌なことがあっても、私はこの一時でたちまち癒される。
そうやって、私は今のこの状態を想った。
幸せだ。
上手下手とか関係なく『音』を生み出せる。ただそれだけの事がなんて素晴ら
しい事か……
楽器に不慣れな三人が、初めて『音』を生み出せた時の戸惑いと喜びが伝わっ
てきました。
そしてメープルを含めた合奏……素敵でした。おまけの演奏を鳴らしながら
最後の合奏のシーンを読み返すとまた味わいが増してきます。
良い演奏でした♪
個人的にはもう少し中身を分かりやすく書くor考えさせる地点を作る。 して欲しかったですね。
作品の雰囲気的に明るい話なので深く読む事は出来ません。
やろうと思えば出来るけど、普通はしません。
こういったジャンルは読者に考えさせるよりも、筆者から染み込ませていくのが良いかと。
あと、オマケの曲ですが。
できればBGMとしてでなく、作品に沿って作って頂きたかったです。
咲夜さんが息継ぎ無しで吹いてたりするのは逆に少ししょんぼり。
あと、曲の長さに合わせて文の量を調節してくれたりしてたら最高でした。 鼻血出します。
個人的な結論としては全体的にちょっとボリューム不足かと。
超長文失礼しました。 これからも頑張って下さい。
だけれど、世界を作り出せるその魅力というのは、何ものにも変えがたいのだと思います。それはきっと、物語とか、そう言うものにも通じるのだと思います。
メープルの幸せは、誰かに依存するものではなくて。きっと、ちょっと後ろに控えながらも、だけれど確かにはっきりと、彼女は奏で続けるのでしょう。大好きなパチュリーのそばで、幸せの音色を。
咲夜の音の入りでのレミリアとのやり取りとかとてもよく分かります。
音で気持ちを伝えて呼吸を合わせ一つの音楽を作る。
四人の楽器の役回りも実に妙ですね。
よい物語を聴かせていただいてありがとうございました。
みんなの楽器に向いた気持ちというのが、それぞれリアリティがあって良かったです。(本当にこのキャラならこういう反応を示しそうだ…)
任せる楽器の担当も絶妙だと思います。
あと個人的には…妹様にはドラムが似合いそうな感じがするんですが。(笑)
あと………咲夜…。一体どんな弱み握られてるんだ…。
>たろひ氏
そう、音楽は良いのです。それが伝わった事が何よりも嬉しいです。
>名前の無い方
筆者から染み込ませる……確かにそれが良いですね。
オマケですが、オマケだけにそこまで期待して利用して頂けるとは思っておりませんでした。ぜひ貴女に鼻血を出させたいですね、もし今後オマケがあるような事があればもっと凝って見ます。有り難いそれぞれの指摘に感謝します、頑張ります。
>銀の夢氏
深く読み取り味わってくださったようで光栄です。
ちなみに、音楽とSSは等価に魅力ある表現手段だと私は信じて疑いませぬ。
>MIM.E氏
合奏楽しいですね。信頼する仲間同士の演奏、呼吸合わせ。
楽しくないわけがないですよね。そして「物語を聴かせ」なんて洒落た表現に感動。
>れふぃ軍曹氏
リアリティを感じてくれましたか、とても嬉しいです。
妹様は確かに打楽器系ですね、ティンパニとか。
木琴、鉄琴というのもオーエンちっくで良いかもしれませんね。
後書きで言い忘れたのですが、小悪魔の名前は某こんぺ投稿時に決めたもので自分の作品では今後統一で使おうかと思ってます。
コンゴトモヨロシク。
音楽に関しては、時止めたらタイミングが滅茶苦茶になって逆に難しいですもんね。
今回出演がなかった美鈴は、どんな楽器を使うんだろうかと考えてしまいました(私は馬頭琴を思い浮かべました…でもそれじゃこの4人に入れないw)
というよりSSを、曲に合わせて読んだのは初めての経験でした。
ついついページをめくる手が欲しくなりましたね。マウスをいじる手ではなく。
曲も、おまけというには惜しい出来でした。
と、ここまでならファンファーレ。でも薔薇です。
それは何故か?
パチュリーが咲夜の弱みを握っていて、脅している場面。
あれが不協和音を奏でていたからです。
もっと別の書き方があったはず。そう思わずにはいられませんでした。
でも、良い作品には変わりなく。
ありがとうございました。…お身体には気をつけてください。
平坦で感情の起伏が少ないパチュリーの機微が、旋律の如く美しく細やかに表現されている点に胸が暖まる思いでした。やっぱり、パチュリーは無愛想でいるようで実は、というのが一番、個人的に好きです。
美鈴も二胡あたりを引かせたら逸品のような気がしますねー。
総論、お見事でした!
>このヴワルは、心地よい自然の息吹も、「人口」の営みも感じさせない。
これって「人工」ではないですか? 間違っていたらごめんなさい。
やはり美鈴は弾く(はじく)タイプの弦楽器のイメージですかね。
>aki氏
イレギュラーな部分、不協和音は上手く使えば味わいになると思うのですが、やはり扱いが難しいですね。今回は仰るとおり失敗だったように思われます。
>Mya氏
楽しんで頂けて光栄です。斬新さも、良く作品に籠める狙いの一つなので。
誤字指摘有難うございます……気に入ってる表現を間違うとはなんてこった
皆様、今回も大変有難うございました。
今度はメイドコーラス団の歌声も一緒に如何でしょう??
音楽を使われるとは上手いですねー。