悪魔嬢レミリア 紅月の十字架 - Can't wait till the night -
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Ⅴ. Destiny - 幻想的舞曲 -
「あら、お姉様。待ちくたびれちゃったわ」
紅魔館最上階・館主の間。普段は正式に招待された来客との謁見に用いられる部屋である。その最奥に据えられた玉座に腰掛けて、フランドール・スカーレットは微笑んでいた。手にしたグラスに注がれた紅い液体をくるくると器の中に躍らせながら、ようやく自分の前に現れた姉、レミリアを歓迎する。
「それでお姉様。どう? パーティは楽しんで貰えた?」
「パーティ、ねえ。お茶もお菓子もお酒も用意されていなかったけど。慌しい舞踏会ね」
軽口で答えるレミリアだが、その顔に笑みは無い。
「不満そうだね。咲夜はダンスの相手に足りなかった? 折角少し弄ってあげたのに」
対して悪びれもせず嬉々と尋ねてくるフラン。
「違うね。咲夜だけじゃなく、どいつもこいつも役不足なのよ。お前のタクトじゃ足枷になるばかりで皆上手く踊れやしない。
―――紅魔館の主の座、一朝一夕で務まるとは思わないことね」
見るものを凍てつかせる視線で己の妹を見据えるレミリア。それにつまらなさそうにフンと鼻を鳴らしてフランは反論する。
「そうかな? みんな弱っちいだけじゃないの? ……こんなあっさり館ごと手に入っちゃうなんて、簡単過ぎてつまらない」
「ああ、そうそう。それでフラン、つまらないとか言いながら、なんでこんな事をしたわけ? ―――悪戯にしては過ぎるじゃない」
普段のそれとは異なる彼女の振る舞いに対し、レミリアは疑問の核心を投げ掛ける。
それにキョトンと小首を傾げ、フランは事も無げに答えた。
「何故って、お姉様にも解かるでしょ? 散歩がしたかったの」
「……?」
レミリアがその真意を計りかねると、
「だから、外に出て遊びたかったんだよ。でもみんなダメって言うじゃない? ―――最近はなんだか知らないけど、身体が疼くの。どんどん元気が溢れてきて、もう居ても立ってもいられない。今日は無性に外へ出てみたくなった、それだけ。でも夜になる前に雨が降ってきちゃった。仕方無いからこうしてウチで遊んでいるのよ」
フランが幾分高揚した調子で語る。そこまで聞いて、レミリアはようやく心当たりに行き着いた。
「紅い月の所為、か」
二ヶ月ほど前に幻想郷に戻った真実の紅い月。それはしばらく隠され遮蔽されていた分、より強力に地上を照らした。
幻想郷に在って月の影響を受けやすい妖怪たちは途端に元気が出すぎたりハイになったりして、度々問題を起こす事が有った。事実吸血鬼であるレミリアも月の魔力の恩恵を受け、今まで以上に力を充実させていた。まして満月の夜ともなれば心は逸り、もう素敵に無敵な状態である。
それは、彼女の妹であるフランドールにも当てはまる事だったのだ。力の制御や加減というものを知らない彼女にとってはまさに猫にマタタビ、紅魔館内に閉じこもり直接月を見ずともその気配に中てられているのだろう。
自らの行動を律する事を知らず、その身体の変調の理由さえ理解していない彼女は、ただ何となく思いついた事を試してみただけなのだ。
「本当に過ぎた悪戯ね」
深く溜息を吐くレミリア。フランへの影響を考慮していなかった失態に反省する。
「とにかくそういう事なの。―――折角主賓が到着したんだから、話してるだけじゃつまらないわ」
手のひらで弄んでいたグラスを脇へと投げ捨て、フランは立ち上がる。乾いた音を立てて硝子は砕け、その内容物が紅い絨毯をさらに紅く濡らしていく。
「遊びましょ、お姉様」
正面からぶつかり合う紅い姉妹。
互いが放つ光弾はそれぞれを相殺しあい、紅一色の室内をより眩く紅く染め上げる。
姉妹水入らず、たった二人だけの舞踏会。途切れなく攻撃を繰り出しながら軽やかに舞う妹に対し、しかし姉の動きは精彩に欠ける。
「どうしたのお姉様? 避けてばっかりじゃ張り合いが無いよ!」
フランの掌から放たれ高速で飛来する魔力弾の数々を最小限の動作で梁し、避けきれないものは魔力光でその軌道を逸らして対処する。
戦闘開始からわずか数分、これまでフランの撃ちだした光弾の数は三桁を上回る。その悉くをレミリアは回避していた。
しかしそんな彼女の表情は険しいままで、いつもの余裕など微塵も感じられない。防戦一方の状況に小さく舌打ちする。
(まさか、ここまでとはね)
フランの魔力は予想よりも増大している。最初の一撃はかろうじて相殺したが、それは明らかにこちらの出力を上回っていた。気力充実のフランに対し、レミリアは雨に打たれてそもそも本調子で無い上、今までの連戦でだいぶ消耗している。フランのペースに付き合っていたら、あっという間に魔力を使い果たしてしまいかねないのだ。
この自分が逃げに徹せざるを得ない、その屈辱に耐えつつ勝機を探るレミリア。
「ふん、少しは本気出したら? ……そっちが来ないんなら、私から行くよ!」
言ってフランはスペルカードを宙に放り、魔力を開放する!
『フォーオブアカインド!!』
彼女の力ある言葉に呼応して呪場が生じ、瞬く間にその分身を作り出す。結果四人に増えたフランは見境無く一斉に魔力弾を撒き散らす!
「「「「「消し飛べーっ!!」」」」
「くっ!」
無数に飛び交う弾幕を避けきる事は不可能と判断し、レミリアもスペルカードを発動させる!
「いつまでもこの私を無礼るな……! 当たれッ! 『マイハートブレイク』ッ!」
手のひらに生み出された一本の巨大な矢を前方へと力の限り投擲する。
それは彼女の目前に迫る弾幕を掻き消しながら一直線に突き進み、
「きゃ……」
フランドールのうち一人を貫き霧散させる。
「「「あははっ、ハズレっ!」」」
残る三体はそう嘲笑うと、それぞれ距離を取って別の方向へと散らばる。
「実はこんな事も出来るのよ。せーの、」
三人のフランはそれぞれ懐からさらなるスペルカードを取り出しその力を行使する!
『クランベリートラップ!』
『スターボウブレイクッ!』
『カタディオプトリック!』
なんと三体が同時に、異なるスペルを解き放った。
「そんなッ!?」
これには流石のレミリアも驚愕する。分身の分際で本体と同等の力を必要とするスペルを制御するなど、デタラメにも程が有る!
正しく発動した三種のスペルは術者の要望に応じ、目前の対象を跡形もなく打ち砕かんと襲い掛かる。
悠長に考えている暇は無い。レミリアに残された魔力は僅かであるが、使い惜しみ出来る状況ではない。
最後の一撃、これを外せば後は無い。確立は三分の一!
「いちかばちか……貫けッ!」
紅い魔力を身に纏い、最も弾幕の薄い部分を見定め高速飛翔する!
『ドラキュラクレイドル』、かつて魔王と恐れられた伝説の吸血鬼の名を冠したスペル。その二つ名の通り、目標を串刺しにせんと突撃する秘技である。
幾重にも折り重なる光の網目を切り裂き、再度フランの一を捉えるレミリア。
ソレは彼女の渾身の一撃をまともに受けて声も無く吹き飛び―――消滅した。
つまり、
「またハズレだねえ」
「残念だったねお姉様」
背後から掛けられた二つの言葉に反応する間も無く、
「ぐ……っ!」
二人のフランから容赦の無い攻撃を浴びせられる。レミリアの硬直を狙ってフランたちは蹴りを叩き込み、体勢を崩した彼女を二人でお手玉のように代わる代わる打撃を浴びせてゆく。
「…………っ!!」
次々と襲い来る衝撃に悲鳴を上げることも許されず、
「「それっ!」」
そのまま床へと叩きつけられる。
「は……あ……」
必死に上体を起こすレミリアの前に、いつの間にか一人に戻ったフランが降り立つ。姉の無様に這い蹲る姿を見下ろしながら、さも愉快そうに笑った。
「やっぱり。あんたの言う『運命』って、操れるのは自分より力の弱いものだけなんでしょ? じゃなきゃ、こんな風にはならないもんねぇ」
しかし妹の罵倒にも、レミリアは視線で彼女をねめつけるのみだ。
「じゃあ、これでお終い。勝負は私の勝ち。晴れて私は自由の身……今度はあんたが閉じ込められる番だよ」
フランがレミリアに向けて突き出した掌に急速に魔力が集まってゆく。
だが、彼女の命運は未だ尽きてはいなかった。
「!?」
フランが魔力を解き放つ瞬間、突如として彼女と姉との間に光のカーテンが現れる!
それはフランの魔力弾と干渉して派手に炸裂させた。
「な、なに?」
突然の異変に驚くフラン。自ら放った光弾の爆発に巻き込まれたため、あっという間に衣服は破れ所々煤けてしまっていた。
「……そこまでよ。レミィにそれ以上触れさせないわ」
爆発によって舞い上がった白煙が薄れると、その向こうに見覚えのある人物が佇んでいた。傷ついたレミリアを抱き寄せた彼女はヴワル魔法図書館司書、パチュリー・ノーレッジである。
「……邪魔する気?」
フランの不機嫌な声。それにパチュリーはええ、と短く答える。
「パチェ……? どうして」
レミリアが目を開き、意外な登場者に向けて尋ねる。確か彼女もフランの魔力に中てられおかしくなっていた筈なのだが。
「……目が覚めて正気に戻った小悪魔にひっぱたかれたの。それで私も元に戻ったのよ」
なんだか結構いい加減だな、とレミリアは思うが、結果危ない所を救われた訳だ。それ以上の追求は避ける。
「姉妹のスキンシップを妨害するなんて、ずいぶん無粋なのね。……興が削がれちゃったわ」
言ってフランドールは心底つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「ふん、まあいいわ。そうだなあ……次は鬼ごっこね。これで決まり」
彼女は一人発案し自分で納得して、
「負けたお姉様が鬼だよ。さ、私を上手く見つけてみせて」
口元に微笑を浮かべそう言うが早いか、くるりと背を向けて部屋の奥へと走り去ってゆく。
「フラン!? 待て、何処へ……!」
レミリアの静止の声も空しく、小さな紅い後姿はやがて見えなくなった。
Ⅵ. Moon Fight - 異形の血族 -
「…………居ない?」
フランを追って奥へと進むもそこは行き止まり。館主の間の裏に位置しているそこはレミリア用の簡易ドレッシングルームである。そこから先へは他の部屋へと通じていないのだが、室内の何処にもフランの姿は無い。
しかし確かにこの部屋へと彼女が駆け込むのを二人は見ている。パチュリーは傷ついたレミリアを肩で支えながら歩いてきたため数分のタイムラグは有るものの、それで見失う筈も無いのだが……。
背丈の小さいフランならクローゼットやベッドの下に潜り込むのも容易だろうが、幾らなんでもそんな普通のかくれんぼである筈も無い。事実、室内からフランの魔力は一切感じられない。まるで突然消え失せてしまったかのように……。
「レミィは少し待ってて」
パチュリーは言ってレミリアをベッドまで連れてゆくと、部屋の中心に移動して何がしかの呪文を唱え始める。
その指から青い光が彼女を中心に同心円状に広がり……部屋のある一点に差し掛かったとき、変化が生じた。
「やっぱり」
パチュリーが視線を向けた先に有るのは、壁面に据え付けられた大きな姿見。しかしそれは普通の鏡ではなく魔術によって細工が施された特別製であった。本来鏡に映らない吸血鬼の姿でさえ映し出すことが可能な他、館内の監視・連絡にも使える優れものである。その姿見はパチュリーの魔法に反応を示した。鏡面に紅い波紋が浮かんでいるのである。
「レミィ。ここに歪みが有るわ。……妹様は恐らくこの先ね」
振り返ってそう告げると、レミリアは姿見を一瞥した。
「そう、厄介ね…………く」
先程のダメージは相当大きかったらしく、レミリアは再び呻いて頭を垂らす。息遣いも荒く苦しい様子が手に取るように伝わってくる。
「……レミィ」
友人の苦悶の表情を見兼ねて、パチュリーはある提案を持ちかけた。
「私の魔力を吸って。そうすれば大分良くなる筈よ」
レミリアは一瞬自分の耳を疑う。
「なに言ってるのよパチェ。私が血を吸うのは、私を恐れている人間からだけよ。……パチェは私を恐れていないし、そもそも人間でも無いじゃない」
至極尤もな意見だがパチュリーはそれに反論する。
「レミィ、吸うのは血ではなく魔力よ。魔女の力なら、人間の血よりもずっと変換効率がいい筈……さあ」
言って彼女は身に纏っている緩やかなローブの胸元を自ら引き裂き、その白い肌を露わにする。
……ゴクリ。
思わず生唾を飲み込むレミリア。
パチュリーの首は病的なまでに白く、ほんの少し触れただけで手折れそうな程細い。しかし確かに息づき、その皮膚の下に鮮やかな紅い血流を隠している。
レミリアの吸血鬼としての本能がそれを欲していた。傷を癒すには力が足りない、渇きを癒さなければ……!
「……」
衝動に突き動かされるままレミリアは無言でパチュリーの懐に顔を埋めると、鼻先で探るように柔らかな紫の髪を掻き分けてゆく。そうして透き通るように白い喉元に辿り着くと、自身の可愛らしい歯牙を食い込ませた。
「んッ…………!!」
パチュリーが鋭い痛みに身じろぎする。
首筋から広がる熱い疼き。少量の血液とともに、全身の力が吸われてゆく……その倦怠感すら心地良い。
「あ、は……レミィ……」
焦点の定まらない視線で自らに食らいつく友人の姿を見つめ、その名を呼ぶ。
その時。
「お嬢様! こちらにいらしたので……って、え?」
部屋のドアを瀟洒とは呼べない勢いで開け放ち乱入してきたのは……言わずもがな、先程合流を約束していた十六夜 咲夜であった。
ベッドサイドで二人の少女が縺れ合う、その目前に広がる光景に固まること数秒。
「…………??」
パチュリーが投げかけた、その惚けた視線と目が合う。途端我を取り戻し、
「し、失礼しましたっ!!」
物凄い勢いで回れ右、咲夜は一目散に部屋を退出した。
「…………あ」
数分後。
「……知りませんでした。お嬢様とパチュリー様が、あそこまで深い仲だったなんて」
「だから違うって言ってるだろ。パチェには魔力を分けて貰っただけだってば」
何故か扉の前で目の幅一杯に涙を流していた従者に呆れた口調で説明するレミリア。
「調子はどう、レミィ?」
「おかげさまで随分持ち直したよ。さてと」
レミリアは鏡に向き直る。
「妹様はこの先にいらっしゃるのですか?」
咲夜は姿見を覗き込んで尋ねる。それには紅い波紋が浮かび、水面のように揺らいだままだ。
「気配が感じられなくなったので、てっきりお屋敷の外に出てしまわれたのかと。それで急いで来たのですが」
「……今アイツが居るのは、ここであって此処じゃない所よ。まあ行ってみたほうが早いな」
パチュリーもそれに頷くのを見て、レミリアは鏡へと手を伸ばす。それが表面の波紋に触れると、難なく鏡面の内へと潜り込んだではないか。
「これは……」
「さあ行くよ。鏡の向こう、もう一つの紅魔館へ」
姿見を潜り抜けた先に広がるのは、先程までと同様の造りの部屋。
「見た目、変わらないんですね。鏡の中の世界だから、てっきり左右反対になるのかと思いましたわ」
辺りを見回しながら咲夜が見たままの感想を述べる。
「でも違うってことは解るでしょう? ……ここは紅魔館の二重存在、その影に当たる場所……いわば裏の紅魔館ね」
パチュリーの説明にレミリアも相槌を打つ。
「咲夜は初めてだったよねえ、ここに来るの。まあ、私もここの事はほとんど知らないんだけど」
「ええ。確かに違いますわ」
外見的には大差無いが、咲夜は大きな違和感を覚えた。自分たち以外に動くものの気配が全く無い事といい、掃除も手入れもされていないのにも拘らずチリ一つ落ちていない事といい……。感覚的には、時の静止した世界にも近いものが有るが、それとは一つ決定的に異なる点が有る。それは生きるものの存在しないであろう中にあって、しかしこの館自体が不気味な存在感を放っているのだ。まるでそれそのものが巨大な生物であり、自分がその体内に居るかのような気持ちの悪さを感じさせる。
「これ以上詳しい話はまた後。私はフランを追うんだけど……二人には別にやって欲しいことが有るの」
レミリアがパチュリー、そして咲夜に告げる。
「今のあの子は真実の満月の影響を受けて、その力を増大させている。正直、私でもまともに戦ったんじゃ埒が明かないわ……そこで、二人はアレを取ってくる事」
「アレを使うのね?」
「ええ、それしかなさそうだし。余りこっちで暴れられても困るしね」
レミリアとパチュリーの会話がいまいち掴めず、咲夜が尋ねる。
「アレ、って何です?」
「それは道すがらパチェから聞いて。それじゃあ任せたよ」
言ってレミリアは翼を広げ、疾風の如く飛び立った。
「お嬢様、お気をつけて!!」
「さて私たちも行きましょう、咲夜」
「はい!」
暗闇に支配された館内を咲夜・パチュリーの両名はひた走る。
「これは……」
途中窓の有る回廊に差し掛かり、そこから外の様子を見た咲夜が思わず立ち止まる。
毒々しい緑色の空。館の足元に広がる湖には、水面の代わりに得体の知れない黒いモノが蠢いている。それより向こうは霧に霞み窺い知ることは出来ない。
「余り気にしない事。人間には毒ね……まともに考えるとおかしくなるわよ」
「はい……」
パチュリーに促され、再び走り出す咲夜。やはりこの世界は尋常ならざる場所なのだろう。
やがて、二人はその目的地へと辿り着いた。
「ここね」
館内中心に位置する、完全な暗黒に閉ざされた一区画。
「ええと……物置ですか?」
普段の紅魔館、便宜的に「表」とするが、そちらでは単なる物置として使われている一連の構造群。いかにも意味有りげな装飾の施されたそこはしかし、主の「使わないから」の一言で倉庫扱いされている場所である。
「あちらではそうなの? まあいいわ。アレはこの奥に有るの。ついてきて」
パチュリーが先導し、咲夜をその最奥へと誘う。
踏み入れたその先は、小さな石造りの部屋。二重三重の壁の向こうに配置されたそこは、さながら遺跡の玄室を思わせる。
「ほら、あれがアレよ」
パチュリーが指差す先。部屋の中央に有る祭壇、そこで淡い輝きを放っているそれは、
「……鎖?」
青白く光っている以外何の変哲も無い鎖。咲夜はそれに近寄って覗き込んでみるが、やはりそれだけである。
「ちっとも凄いようには見えませんわ」
「……外見は粗末かもしれないけど。それは退魔の力を持つ鎖なの」
「え?」
咲夜は疑問に思う。何故紅魔館にそんなものが有るのか、と。吸血鬼は悪魔であり、そんな代物を身近に置くのは危険な筈だ。
「そう、普通は厄介な物なの。レミィはおろか、私でも触れることすら出来ないわ。でも、それはここに置いておく事に意味が有る」
咲夜の疑問を解消するべくパチュリーは語る。
紅魔館の二重存在であるこちら側は、表と反対の性質を持っている。しかし単に魔と聖などという二元論ではない為、理解し辛い世界ではあるが―――。自らに仇なす存在を逆の世界に封ずる事で、転じて「表」の館の守りと成す。それは例えば、生まれた赤ん坊に悪魔の名を付けることで災厄から遠ざけたりするものと同様の「呪」の一種である。
「紅魔館内で妹様が暴れてもちょっとやそっとで崩れたりしないのは、実はこれのお陰なのよ」
「なんだか難しいお話ですが、なんとなく解ったような」
「咲夜、それを手に取れるのは貴女だけよ。だからレミィは私にその案内役を任せたの」
咲夜は幻想郷からそのほとんどが失われて久しい、希少な「夜の人間」である。悪魔の令嬢に仕える身ゆえ普段は魔の側に近いが、元来人間とは悪魔・妖怪を退治するもの。このような退魔の品を扱う事も可能なのだ。
「それを使えば、妹様の力を抑えることが出来る筈。さあ」
「そんな凄いものなんですね……。判りました」
咲夜はそれをゆっくりと持ち上げる。光が明滅し、それに呼応するが如く咲夜の青い瞳がより一層蒼白く輝いた。
「さあ、急ぐわよ。……ちなみに咲夜、それ持ってるうちは私に近づかないこと」
「はあ」
この様子だと主人にも同様に避けられてしまうのだろうか、そんな事を考えて少々咲夜はブルーになった……もとからブルーデイだったけれど。
裏紅魔館・中央棟テラス。
蛍光色の天に浮かぶ異形の紅い月の下、姉妹は本日二度目の対峙を果す。
「追いつかれちゃったか。―――まあいいわ。こっちは雨も降ってないし、決着を付けるには丁度良さそう」
「そうね。悪ふざけは終わりよフラン」
「全く、何でいつもいつも邪魔するのかしら。私はただ外に遊びに行きたいだけなのに」
「ふん。お前みたいなやつを野放しにする訳にはいかないんだよ」
「相変わらず意地悪。でももういいよ。お姉様を倒して、私は自由を手に入れる!」
言ってフランは何も無い空間から一振りの杖を取り出す。
「変わらないのはお前のほうだろう? やっぱり灸を据える必要が有るわね」
対するレミリアも両手を前方にかざし、虚空から何かを引き出した。
『レーヴァテイン!』
『スピア・ザ・グングニル!』
月下に紅よりもなお赫く輝く刃を翻し、二人は睨み合う。
神代の黄昏に世界を焼き尽くしたとされる魔剣と、「貫くもの」の名を刻まれた大神の槍。互いがまみえたとき、相反する刃は争うが定めなのか。
「「はッ!!」」
一足飛びに間合いを詰めた両者はそれぞれの獲物を振りかざし、渾身の斬撃を放つ。夜虫の鳴き声すら届かぬ夜に、一際高い剣戟が響いた。
いったいこの剣舞はいつから始まったのだろうか?
闇と血に彩られた夜の一族、その末裔の二人が繰り広げる争いは速く激しくなお高く、いつ果てるとも知れず続いていた。
十六夜 咲夜とパチュリー・ノーレッジがその場に辿り着くが、とてもではないがその闘いに介入出来そうも無い。咲夜の携えた退魔の鎖も、使い方を誤れば己の主人を危機に陥れかねない。
二人はただ、その行く末を見守ることしか出来なかった。
近寄れば微塵に刻まれるであろう神速の切り結び。両者一歩も譲らず既に数百と繰り出したそれは、その一撃一撃が全て必殺の威力を持っていた。ただ一度、相手に当たりさえすればそこで終わる。しかしその一度が決まらず、ついにはフランが癇癪を起こした。
「なんで!? なんで当たらないの!? 私のほうが速い筈なのに。私のほうが強い筈なのにっ!!」
「そういう、所が、単純なのさ! だから読み切れるんだよ!」
ギンッ!!
二人の獲物が真っ向からぶつかり、止まる。膠着状態―――鍔迫り合いに移行したのだ。
「なんで? なんで? なんでダメなの? こんなに月が紅い夜くらい、散歩に出たっていいじゃない!」
「こんなに月も紅いから、なおさらダメなのよ。理由が知りたいなら教えてあげるわ!」
「理由?」
「そう。周りの物事が目に入らないうちは、自分の力の意味を知らないうちは、」
二本の刃がギチギチと軋みを上げる。その接点は赤熱し、弾ける寸前だ。
「強大な力を振るう事に責任を持てないうちは―――義務を果せない子どものうちは、自由を手にする権利は無いんだよ!」
「そんなの―――そんなの知らない! 解んないっ! 全部、全部あんたが邪魔するのがいけないのさっ!!」
ギィィン!!
弾き飛ばされ天高く舞う刃。それは―――槍、だ。
武器を失ったレミリアに、フランの魔杖が迫る!
しかし。
「あ」
それが振り下ろされるより速く、レミリアの斬撃がフランの胴を薙いでいた。
「え……?」
信じられない、という顔でフランは自身を眺める。夥しい出血で朱に染まった肌。吸血鬼である彼女にとってそれは致命傷ではないが、先程までの水準を保った戦闘は続行不可能である。
話に気を取られたフランが力を掛けてくる瞬間を見極め自ら獲物を手放し、大降りの攻撃より速く爪で切り裂いたのだ。そもそも殺すつもりは無いのだし、ほんの一瞬でも彼女の動きを止められれば良かったのである。
「咲夜ッ! 今だ!!」
「は、はいお嬢様!」
刹那の展開に目を見張っていた咲夜だが自分の役目を思い出すと、
『時よ』
時間の流れを遅延させ、咲夜の持つ退魔の気配を感じ取り離れようとしていたフランに迫る。
「ご容赦を、妹様」
瞬く間に彼女を鎖で縛り上げる。
「やーっ、なにこれぇっ! え、あ? 力が……ああ」
それから逃れようともがくも、見る間に魔力を奪われてフランは身動き出来なくなった。
「あら、凄い効き目ですわ」
咲夜は鎖の効力を目の当たりにして感心する。縛られぐったりとしたフランの様子を眺めていると、なんだか別の性癖に目覚めそうだ。
そこへレミリアが近づいてきた。
「咲夜、遊んでないで」
「あ、はい」
鎖の端を手にしたまま、咲夜は少し距離を取ってレミリアに場所を譲った。
「フラン」
「……こんなの卑怯じゃない。私のほうが強かったのに、どうして」
恨めしげに抗議するフランをレミリアは覗き込み、その瞳を見据えてしっかりと話した。
「自分ひとりで何でも出来るとは思わないことね。誰かと信頼や絆を結べるというのは立派な力よ。……尤も、他人を思いやる事を知らないお前にはまだ解らないかも知れないけどね」
「う~っ」
なおも不満そうに呻くフランにレミリアは、
「やっぱりお仕置きが必要みたいね。……これで少し反省するといい」
言って鎖に触れぬようフランを抑えて、その首筋に口付ける。
「ひっ!? お姉様、なにを……!?」
「紅魔館の主の座、返してもらうよ」
そのまま歯を立て血を吸った。
「ひあ!? あ、やあ、やめてってば……うあ、ふああっ……」
「ごちそうさま」
そうしてフランドールを一時的に支配下に置く事で、レミリアは紅魔館のコントロールを取り戻したのだ。
Ⅶ. Prayer
それから幾日かが過ぎ。
紅魔館の一室にて、優雅にお茶を楽しむ主従の姿があった。
「ところで咲夜。館内の修復はどの位進んだの?」
月光が差し込む窓辺の椅子に腰掛け、テーブルに茶菓子を運んできた咲夜に尋ねるレミリア。
「ただ今従者一同全力で復旧に当たっておりますが、未だ八割程度です。申し訳御座いません」
頭を垂れる咲夜を手で制し、
「いいって。……派手にやったのは私も同じなんだし」
館内はそのあちらこちらに損傷が及んでいる。レミリアが館内を突破した時のものだ。
当初咲夜が自分の責任だからと言い出し、時を止めて一人で修復作業に当たろうとしたのだが……その間に咲夜が幾つか歳を取りそうだったので止めさせた。こういう時は人海戦術に限る。
「…………本当に申し訳御座いませんでした」
「ん?」
再度深く頭を下げ、咲夜は謝罪する。
「操られていたとはいえ、お嬢様に手をあげてしまうなんて……どうかお赦しを」
それは一体何度目だろうか? レミリアの顔を見るたびに咲夜は謝るのだ。
どうも咲夜はこと私に関しては気負い過ぎるきらいがあるな、とレミリアは小さく溜息を吐く。
「それはもう聞いたわ。それに咲夜、私に傷一つ付けられなかったじゃない。腑抜けているにも程が有るわ」
「うっ……」
痛いところを突かれてしょげる咲夜。
「後で鍛え直してあげるから覚悟すること……って、何故そこで嬉しそうな顔するの?」
「……いえ」
「ヘンなの」
まあいいか、とレミリアは笑って、
「結果が良ければそれでいいんだよ。これも運命だったってこと」
壁に掛けてある日捲りへと視線を向ける。
今日の日付には大きく丸が付けられ、そこには「フラン外泊」と記されていた。
あの時、退魔の鎖によって大幅に弱まったフランの魔力に一時的な封印を施す事が出来た。魔力さえ無ければ、吸血鬼といえどもそこらへんの人間の少女と大差は無くなる。結果、外出しても問題無いという訳だ。
「まあ、少しは勉強になるといいんだけど」
言ってカップに注がれた紅茶を啜るレミリアに、咲夜はしかし尋ねようとした質問を飲み込んだ。
「こうなることがわかっていたんですか?」などと、『運命を操る程度の能力』を持つ少女に投げ掛けるには愚問に過ぎる。
咲夜は先程嬉しそうに笑いながら霧雨邸へと向かったフランの笑顔を思い出す。……それと対照的なものになるであろう魔理沙の顔を想像すると可笑しいような気の毒なような。そんな事を考えていると、
「……本当は、もっと早くこうしてやれれば良かったんだけど」
そんな小さな呟きが聞こえてくる。
その言葉には姉なりの不器用な思いやりが込められている。それを聞いて咲夜は、改めて彼女に仕えている事を誇りに思った。
「さあ、もう一杯いかがですか? 今日は新しいお茶が入っていますわ」
ポットを傾けて笑顔でそれを勧める咲夜。
「じゃあお願いするわ」
レミリアは言って空になったカップを渡し、今は幾分欠けた大きく紅い月を静かに見上げるのだった。
再録とのことですが、こういう場所に出していただけると気軽に読めるので私は全然OKだと思います。
既出作品ということで点数は私的には入れられませんが、読めたことを感謝します。
悪魔城あれんじ(?)お見事ですっ!
あと読者ではなく、作家としての感想になってしまって申し訳ないのですが。
フランドールの性格や、レミリアの能力の扱い方の解釈。
非常に参考になりました。
ありがとうございます。