Coolier - 新生・東方創想話

悪魔嬢レミリア 紅月の十字架  前編

2005/12/04 12:55:44
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 それは、月下に奏でる鮮紅の狂争曲。








 悪魔嬢レミリア 紅月の十字架 

 - Can't wait till the night -











 Ⅰ. Beginning



「はあ……」
 紅魔館三階・外周沿いの回廊。
 晩秋を迎えた山々の紅葉を窓越しに遠く眺めながら、生気の無い溜息を漏らしているのはメイド長、十六夜 咲夜である。
 館の西側に設置されたこの回廊には窓が少ない。西日の進入を嫌うこの館の主人の意向を反映した構造である。
 夕陽に照らされた彼女の顔はしかし青白く、普段の覇気が微塵も感じられなかった。
 また一つ、深く息を吐く。
 彼女の一人物想う佇まいを傍から見れば、まさしく憂える美少女と言った風情である。乙女心と秋の空、などと誰かが言うが、彼女の苦悩の原因はそんな生易しいものではない。もっと切実な、現実的な問題であった。
「ふう……。……お腹、痛い……」
 ううう、と呻いて下腹部をさする咲夜。
 まあ単純に言えば、女性特有の「月の御使い」というやつだ。
 昨日からどうも調子のよろしくなかった彼女だが、今日はまた一段と重い。立っているのが耐えられない程ではないが、どうしても集中力が欠け仕事に支障が出る。
 その所為で今日は食器を割るという大失態を犯してしまった。普段ならば手を滑らしたとしても即座に時を止め、陶器やガラスが床に落下する前に回収出来るのだが……手にした布巾から中身が滑り落ちたことに気が付かなかったのだから仕方が無い。
 他にもパチュリーに出した珈琲を濃く炒れ過ぎるわ、ふと昼間に目を覚ました、彼女の最も敬愛する主人―――そう、この館を統べている存在でもある吸血鬼の令嬢レミリア・スカーレット―――その夜食(?)にと出したスープの塩加減を間違えるわと些細なミスを連発した。無論、「完全で瀟洒なメイド」を自称する彼女にとっては犯してはならない過ちである。少なくとも彼女はそう考えており、思わず口内のモノを噴き出した両名に平謝りする羽目となった。
 それらの事が原因となり、気分転換に散歩に行くと言い出したレミリアから置いてけ堀を食らってしまったのである。レミリア当人にしてみれば、今日の咲夜の様子はまさに鬼の霍乱とも呼べるものであり、彼女の身体を案じての判断であった。しかし咲夜からしてみれば、己の不手際によって主人の機嫌を損ねてしまったと感じられ、これまた気落ちする要因となってしまったのだ。
 パチュリーからも今日はもう休むようにと勧められ、仮眠室へと向かう途中であったのだが……そこに主人の姿は無いと解っていても窓の外を眺めてしまうのは未練である。その様を例えるなら、置いていかれた子犬のような……。
しばらくぼうっとしていた咲夜だが、何時しか窓際に夜の影が忍び込んできたのを認めて再び歩き出す。
「ええと……少し横になって。今日はもう休む……それからお嬢様の食事の用意を……」
 ぶつぶつと呟きながら、頼りない足取りで人気の無い廊下を進む。
 丁度仮眠室の前に差し掛かった頃、
「さくやーーーっ☆」
 自分を呼ぶ声が背後から聞こえ、その場に立ち止まった。その声色は幼い少女のものである。
「あら? お嬢様、もうお帰りに……」
 咲夜は振り向こうとするがしかし、
「咲夜っ!」
 がばっ、と背後から飛び付かれる感触。同時に視界が暗く閉ざされる。
「だーれだっ?」
 背中に感じる温かい感触と心地良い重み、自分の視界を何とか覆えているほどの小さな手のひら。
 咲夜は朦朧とした意識の中で、あれ、こんな可愛いらしいところもあったかな、と思いつつ答えた。それが誤りであるとも疑わずに。
「……如何なさいました、お嬢様」
 耳元でくすくす、と小さな忍び笑い。
「ぶー。大ハズレ!」
 その言葉の意味を理解する間も無く、
「っ!!」
 首筋に鋭い痛みを感じた。
「な……!?」
 途端よろめく咲夜から離れて、その目前に彼女は降り立った。
「正解は―――言わなくても、もう判るでしょ?」
 その姿を認め驚愕に目を見開く咲夜。
「妹……様…………!?」
 煌く金の髪をフワフワと揺らして、紅いドレスを翻し眼前に現れた彼女はそう、レミリアの妹フランドール・スカーレットだ。
「そん……っ、なに、を……っ!?」
 首筋からの焼け付くような痛みに苛まれながら、咲夜はたどたどしく言葉を紡ごうとする。
 その様子が滑稽で堪らないのか、フランドールは嬉々とした調子で尋ねる。
「どうしたの咲夜? 私が近づいても全然気付かないんだもの、可笑しいったらないわ」
「そ…んな……」
 何故彼女が目の前に居るのか? いや咲夜はむしろその疑問よりも先に、フランドールの強大な気配に気が付くことの出来なかった自分自身に戦慄を覚えた。今の私はそこまで気が抜けていただろうか、と。
 しかしすぐに、その思考も感覚の渦に飲まれてしまう。先程までの鈍い痛みと気持ちの悪さではなく、身体の内側から来る熱と疼き、そして急激な脱力感に。
 ついには身体を支えきれなくなり、床に膝を着く咲夜。
「まあいいや。間違えた罰として―――」
 その様子を見下ろして、フランドールの口元が愉悦に釣り上がる。そして命じた。
「一緒に遊ぼ、咲夜」
 項垂れたままの咲夜から、
「……はい。フランドールお嬢様」
 そう、主へのか細い返事が聞こえた。







 Ⅱ. 変容 - Dejavu -



「妙ね」
 彼女は自分の住処の方角を眺めるなり、開口一番そう呟いた。
 湖畔の断崖、その上空に佇むのは幻想郷でも知らぬものの居ないという紅い悪魔のご令嬢ことレミリアである。
 紅魔館を出発してから二~三刻ほど経ったであろうか。日は沈み、紅い月が天を支配する時間帯になっていた。
 秋というにはいささか肌寒くなってきたこの時節、日ごとに夜が長くなってゆくのを感じ取れる。夜の一族たる彼女を初め、妖怪たちも活動時間を延ばす頃である……一部冬眠する者達を除いては。
 さて何が妙かというと、彼女の視線の先にあるその光景―――湖の対岸の畔に建っている彼女の住居紅魔館、その周辺に暗雲が垂れ込め激しい雨が降っているではないか。彼女の頭上には紅い紅い満月が煌々と輝いているにも関わらず、である。
 紅魔館の周囲にのみ雨が降っている―――それが持つ意味は二つ。外部から吸血鬼の進入を防ぐためか、もしくは内部から吸血鬼が出て行くのを阻止するためか。
 無論館の主たる彼女には、勘当されるような覚えは無い。ならば自ずともう一方に絞られる。
「また、か」
 言って彼女は嘆息する。
 この時点で、彼女は館内にて起こっているであろう異変に大方の予想がついた。
 今から二年ほど前、あの一軒が有って以来というもの……たまに起こる事なのだ。
 自分が不在だとは言え、優秀な使用人たちに任せておいても大抵はすぐに解決される筈である……しかし、よく考えてみれば今日は多少状況が異なる。最も信頼を寄せる従者が体調不良で使いものにならない状態だった。友人であるパチュリー一人に任せるには流石に荷が重いような気もする。
 既視感。
 レミリアは以前もこのような状態が有った事を思い出す。自分と従者が出払ったおりにこうして雨によって締め出された、あの時の事を。
 当時それを解決した二色巫女の存在が一瞬脳裏を過ぎるが―――。
 ―――またアイツにやらせようか? ……いや、つい最近お礼参りを果したばかりなのだ、昨日の今日でこちらから下手に出て何かを頼むなんて事は出来ない。そんなのは癪に障る。
 そう結論付けて、その線は打ち切った。ならば残された選択肢は一つ、自ら異変を解決する事だ。
「まあ、なんとかなるか。今日は満月だし……」
 外出時に持ち出していた日傘を再び開いて、レミリアは館へと向かった。


 空から湖へと降り注ぐ天水の群れを、一陣の紅い疾風が切り裂き、突き進んでゆく。
 紅魔館周辺の湖上には、幻想郷のご多分に漏れず悪戯好きの妖精たちが数多く生息している。とはいえ人間相手ならまだしも、嫌われ者の悪魔に手を出そうとする物好きはそう多くは無い……はずであった。
「それがなんだってこう、今日に限ってウルサイのかねえ」
 ひっくり返らないよう魔力で強化した日傘を盾に飛翔するレミリアへと、どういう訳かひっきりなしに彼らが襲い掛かってくるのである。
 鬱陶しいことこの上無い。まさかこの自分に対する畏れを忘れてしまったとでもいうのだろうか?
「有象無象が束になってもムダだって。いい加減、散れ」
 不機嫌を露わにレミリアは出力を上げる。紅光を纏った彼女は妖精たちとその弾幕とを雨粒同様弾き退けつつ突き進む。


 程無くして陸へと辿り着いた。
 紅魔館前庭。
 本来ならば月の光に紅く映える筈のその場所は、しかし暗雲に遮られ暗く黒ずんで見える。
 彼女は速度を緩めて静かにそこへ降り立ち、立派な門構えの向こうに佇む屋敷を見上げた。
 やはり様子がおかしい。静か過ぎる。それでいて、今にも暴発しそうなくらい力に満ちている……そんな異様な雰囲気だ。
 内部を直接確かめるべく、暗く闇に沈んだ正面通路を進む。そこに、彼女とは別の人影が一つ立ちはだかった。
「そこの不審者。ここから先には行かせないわ」
 謎の中国人風妖怪紅 美鈴が、実に門番らしい台詞と共に現れる。
 一瞬怪訝な顔をするレミリアだが、美鈴の言葉と視線が自分に向けられている事を理解するやたちまちの内に表情を険しくする。
「不躾だわ。門番が主を迎える言葉だとは思えないけど」
「主? うちのお嬢様なら館の中にいらっしゃいますけど? さあ、子どもはもう帰りなさい」
 さもなくば、と言わんばかりに構えを取る美鈴。普段、レミリアの帰りを畏まって迎える時とは対極の応対である。彼女が主に向かってこんな大それた事をするなんて、とても正気の沙汰とは考えられない。事実おかしくなっているのだろう。レミリアはそう判断した。
「笑えない冗談だな。生憎門番の世話をしている暇は持ち合わせていないの―――」
 言うが早いか、レミリアの姿が消える。
「?」
 瞬間、
「ッ―――!?」
 美鈴の身体が宙に舞った。
 鋭く重い痛みを感じながら、美鈴は空中でかろうじて姿勢を制御すると、即座にスペルカードを発動させ弾幕を展開した。油断できる相手ではないと瞬時に悟っての行動である―――しかし、それが意味を成さない相手も居るのだ。
「遅い」
 突如頭上から声が聞こえたかと思うと、次の瞬間には地上に叩きつけられていた。
「――――――」
 背中から打ち据えられ、声も無く倒れ臥す美鈴。
 彼女に痛烈な一撃を浴びせたレミリアは音も無く地上に降り立ち、倒れたままの門番を見下ろした。
「暇は無いって言ったろ? しばらくそこで頭を冷やすといいわ」
 速攻。
 美鈴の懐に潜り込み畳んだ傘で腹部を打突し、浮き上がったところを先回りして背後から蹴りを叩き込んだのだ。
 例え雨雲に遮られていようと、今晩は満月の夜である。彼女の身体能力は最大に高まっており、この程度は食事前の軽い運動にも満たない。
「さてと」
 振り返り、門へと進み始めるレミリア。
「く―――まち、なさい」
 必死に身体を起こす美鈴。
 それを気配だけで感じ取り、レミリアは振り返りもせず言葉を投げた。
「もう辞めときなって。勝負にもな―――」
『華厳明星!!』
「!」
 咄嗟に横に飛び、背後から迫り来る光の塊をかわすレミリアだが―――しかし間に合わない!
「チッ……!」
 直撃は免れたが、その圧力に堪らず吹き飛ばされる。
「!!」
 しまった。そう思った時には既に遅い。衝撃でひしゃげた日傘はその役目を果さず、
「あ……」
 降りしきる雨がレミリアの身体を濡らした。
 は、と息が漏れる。雨水に触れた先から急激に力が失われてゆく。先ほどまでは羽のように軽かった身体が、瞬時に鉛のそれへと変貌する。油を挿したばかりの歯車が急激に錆付いてゆく。……このままでは、止まってしまう。
 拙い!
『デーモンクレイドル!!』
 考えるより先に身体が動いた。閃光を纏って宙を奔る。光の一矢と化した彼女は降り注ぐ猛毒の雫を振り払い、行く手を阻む鋼鉄製の門をブチ抜き、館の壁を貫いて―――そこでようやく止まった。


「…………」
 目眩を覚え膝をつくレミリア。
 危機を脱することは出来たが、その代償は大きかった。体力魔力共に大幅に目減りしている……。回復までにはかなりの時間を要するだろう。
 窮鼠猫を噛む、その通りの状況に陥ったことに再度舌打ちする。……まあ、あの位根性が有ったほうが門番としては優秀なのだろうが。
「あら。如何なさいました?」
 前方の床に伸びる影。頭上から掛けられた声にレミリアが顔を上げると、メイドが一人こちらの様子を窺っていた。
「……ああ、体調が優れないの。咲夜を呼んで……いえ、部屋へ運んでもらえる?」
 いつも通りメイドに指示を出す彼女だが、しかし期待に沿う返答は得られなかった。
「当館のメイド長に御用事ですか? ですけど、壁を壊して入ってくるような方をお通しする訳には参りませんわ」
「……なに?」
「貴女を侵入者と見なし、排除させて頂きます」
 恭しく一礼すると、そのメイドはレミリアに向けていきなり魔力弾を放った。
「!」
 それをかわすレミリアだが、その動きに先ほどまでの俊敏さは見られない。
「はい、みんなー! 侵入者ですよ、手伝ってー!!」
 メイドが笑顔を湛えたまま声を張り上げると、一体何処に控えていたのかそこかしこからメイドたちが、それに加えて館に棲んでいる妖精や毛玉ら下級妖怪がわらわらと沸いて出てきた。
「なに? お前たち皆、主人に手を上げる気なの?」
 鋭い視線で彼らを睨みつけるレミリアだが、
「私たちは従順な紅魔館の従者です、そのようなことは決して。ただ貴女は、私どもの敬愛するお嬢様では御座いませんわ」
「……そう」
 その言葉を聞いて思い出した。今館の内部で起こっている異変の事を。その影響が出ているに違いない、そうレミリアは考え至る。
「なら再びその胸に刻み込みなさい。あんたたちが誰に仕えているのかって事を、ね!」







 Ⅲ. Rising - Master of Librarian -



 紅魔館内を疾駆する。
 息を荒げつつも群がる妖精どもを薙ぎ払い、追い縋るメイドたちをあしらい引き離し―――。
 果てしなく長い赤絨毯の回廊を走り抜け、幾重にも連なる螺旋階段を駆け上がり……普段の何倍もの時間と労力とを掛けて、レミリアはようやく目的の場所の一つ、ヴワル魔法図書館へと足を踏み入れた。
「やれやれ。殺さないように手加減するのも案外疲れるものね」
 今までの道程を思い出しながらそうぼやく。
 流石に自分の従者を使いものにならなくしてしまう訳にはいかない為、適度にひっぱたいて気絶させたり、衣装のみを切り裂いて身動き出来ないようにしたりと大変だったのだ。毛玉や妖精は放っておいても勝手に発生するモノなので、その分のストレスはそちらへ向けられることとなったが。
 現在の紅魔館内部は、自分の良く知っているものとは構造が異なる。おそらくは何者かが空間をいじっているためであろう、部屋と部屋との繋がり方が順路通りではない部分がたびたび見かけられた。その為尚更時間が掛かってしまったのである。
「ふう。……さてと」
 立ち止まる彼女。しかし、一時の休息ですら許してもらえないようである。彼女の背丈より遥かに高い書架から、そこに納められた魔導書が何冊もひとりでに浮かび上がりこちらへ向かってくる。主に本泥棒撃退用に図書館の主によって設置された防衛システムであった。
 それらをうんざりとした顔つきで見上げて、
「次は黴臭い連中か。燃やして消毒すると怒られそうだし、厄介だな」
 文句を言いながら飛び立つ。目指すは館内中央に位置する司書室である。


「という訳でパチェ、説明してもらえる?」
 自分の机でいつものように読書に耽っていたレミリアの友人、パチュリー・ノーレッジにそう話を切り出した。
 パチュリーがマイペースな性格なのは知っているが、これだけの異変が起こっているのに全く動じていない様子だったので、彼女は内心少し呆れていた。
「と、その前に。こいつパチェの部下だろ? 途中で襲ってきたから、のして持ってきてやったよ」
 レミリアが小脇に抱えている人物は、魔法図書館でパチュリーの補佐をしている小悪魔である。こっぴどくやられたのか、服はとこどころ破れて人前には出せない有様だ。彼女自身は目を回したままである。
 そこでようやく書物から視線を上げるパチュリー。小悪魔を一瞥して、
「そこに置いといて。……先に説明するんでしょ?」
「ええ、お願いするわ」
 レミリアはばたんきゅー状態の小悪魔を脇にある仮眠用のソファに放り投げて、パチュリーに向き直った。
「……多分もう察しがついてるでしょうけど、これは妹様の仕業よ。そしてこの雨は私の防衛策」
「やっぱり」
 レミリア自身紅魔館内を奥へと進むうちに気が付いたことだが、次第に漂う魔力が濃くなっていたのだ。その気配が彼女の良く知るただ一人の肉親のものである事に気付いたのは、雨によって奪われた魔力が徐々に回復してきてからである。しかし、それだけでは腑に落ちない点が有る。
「それはいいとして、何でみんなおかしくなってるわけ? 前の時はこんな風にならなかったわ。あの子の魅了魔法じゃここまで酷くはならないでしょ」
 フランドールが暴れる時は決まって力尽くであり、こんな小手先の効いた嫌らしい方法ではない筈である。
「そうね。……でも思い当たる節が一つだけ有るわ」
「なに」
 身を乗り出して問うレミリアに、パチュリーは静かに答える。
「紅魔館の主人の座。それを力で従えたのかも知れないわね」
「そんな事出来るの?」
「さあ」
 レミリアの疑問も最もだ。しかし振り返ってみれば、今まで対峙した従者たちはパチュリーただ一人を除いて、レミリアの事を全く知らない素振りであった。もし紅魔館の主の立場をそっくりそのまま挿げ替えたとしたら、それも有り得るのかも知れない。
「でもそうでもなければ、皆レミィに逆らうなんて出来る筈も無いでしょう? 方法は不明だけど、きっとそういう事」
 紅魔館一の知識人であるパチュリーにもそれ以上の事が判らないのであれば、結局レミリア自身でフランドールを見つけ出し問いただすしかないということだ。
「解ったわ。それは当人に直接聞き出すことにして……ところで咲夜見なかった?」
「いいえ。それよりレミィ」
 パチュリーがニヤリと微笑む。
「貴女は大きな間違いを犯しているわ……おかしくなっているのは、実は私もなのよ?」
 言って席を離れるパチュリー。
「え?」
 レミリアが怪訝な声を上げる頃には、パチュリーの高速詠唱が完成していた。
「レミィを妹様の下へ行かせる訳にはいかないわ……さあ、せいぜい頑張って」
 突如として眩い光が室内を飲み込み、レミリアは思わず瞼を閉じる。
 一瞬の浮遊感。肌に感じる空気の温度が変化した事を感じ取り、瞳を開く。
 視界に広がったのは堆く書籍の積まれた室内ではなく、冷たい石畳によって構成された広い空間……。耳には大量の水が流れる音。
「ここは……。やってくれるじゃない!」
 レミリアはそう苛立たしげに吐き捨てた。
 彼女が立つのは紅魔館奥深くに存在する地下水路。流水の上を渡れない吸血鬼にとってそこは、紅魔館中最も難解な迷路と化す。
 早速、騒ぎを嗅ぎ付けた妖精・妖怪どもが彼女目掛けて押し寄せてくる。
「邪魔だって言ってるのが解らない!?」
 それらを吹き飛ばしながら進むが、慎重に足場を選ばざるを得ないためなかなか埒が明かない。空を飛ぼうにも、水路の直上に僅かでも掛かればたちまち魔力を奪われるだろう。
 行く手を阻む雑魚どもとあいまって複雑怪奇な牢獄と化した地下水路。その館内地上部へと遥か上方まで繋がる吹き抜けを通して、レミリアは地の底から天を睨んだ。
「上等。待ってなよフラン」







 Ⅳ. Clockwork - 月に憑かれし聖架 -



 ひたすら上へ、上へと昇ってゆくレミリア。刻一刻と強くなってゆくその気配―――フランドールの魔力は館の最上部に位置する館主の間から発せられているようだ。
 それを辿る内、いつしか彼女は時計塔へと侵入していた。
 ギシギシと軋みをあげて回転する大小無数の歯車。その全てが巨大な二本の針に正確な時を刻ませる為、一分の狂いも無く動き続けている。もし仮にその機械仕掛けに捕らわれたものなら、如何なる者でも轢死体に変わるは必定であろう。
 しかしその、彼女の背丈の数倍はあろうかという歯車の群れ……複雑に絡み合うその最中を巧みにすり抜けながら、彼女はひたすら天を目指す。
 途中、彼女を追っていた妖精や毛玉が数匹歯車に引き込まれて血も凍るような断末魔をこの円筒中に響かせた。それすら耳に心地良く、レミリアは更に上へと翔け昇る。先程味わった水流の檻に比べれば、こんなものはまだ余裕の有る曲芸、お遊び程度である。
 さほどの時間を要せずして、彼女はその最上部、時計塔制御室へと辿り着いた。
 大時計の針の裏側にあたるそこではやはり、時を刻む為の金仕掛けたちが狂おしげなまで精密に細密に回り続けている。
 月明かりすら届かぬその部屋を微かに照らしているのは幾つか壁に掛けられたランプ。その薄汚れた硝子越しのぼやけた光は、室内に大小二つの人影を生み出していた。
「やっぱりここにいたのね―――咲夜」
 小さな影はレミリア。室内で静かに佇むもう一方にそう呼びかける。
 彼女の声に反応して、その大きな影―――十六夜 咲夜はゆっくりと振り向いた。
「探したんだから。さあ、こんな所で油を売ってないで、私についてきなさい」
 言ってレミリアは室内奥の館本棟に通じる空中回廊への扉へと向かおうとする……が、
「…………」
 その行く手を無言のまま遮る咲夜。
「何のつもり? ……咲夜、言いたいことがあるならハッキリ言ったらどう?」
 咲夜が顔を上げる。その両の瞳には、普段とは異なり紅い光が宿っている。
「……こんな所までやってくるとは大したネズミね。残念だけど貴女は此処で磔に処される定めですわ」
 やはりそうか、とレミリアは嘆息する。その紅い瞳―――彼女の内なる魔が「開いている」のだ。大方、フランの魔力に中てられたのだろう。
「全くどいつもこいつも……再教育が必要だな」
「大言は無用。瞬く時間すら貴女から奪ってみせる」
 咲夜の姿が揺らぎ、次の瞬間レミリアの居た床に多数のナイフが突き立った。
 戦いの火蓋はそれで切って落とされたのだ。


『動くな』
 止まった時の中で、咲夜はレミリアを取り巻くよう無数にナイフを投擲する。
「―――これでチェックメイト!」
 しかし時が動き出した時点で、すでにレミリアは別の場所に回避しているのだ。これで二度目、先程通用しなかったのも偶然では無いらしい。
「何故かわせる―――!?」
 牽制用に幾何学的な軌道を飛ぶナイフを投擲しながら咲夜は目前の事象に驚きを隠せずにいた。
 停止した時の世界は彼女の世界。まさしく独壇場であり、今の今までその支配から逃れる術を持った例外に出会った経験は無かった。確かに仕留めた、その確信を二度も打ち破られたのは初めてである。
「やはりまだ本調子じゃないみたいね。ナイフにいつものキレが感じられないよ?」
「!!」
 言ってレミリアは複雑に飛び交うナイフその悉くを紙一重に避けて、そのまま咲夜の懐へと飛び込む!
「ほらスキだらけ」
 咄嗟の防御も功を奏さず壁に叩きつけられる咲夜。
「ぐっ……!!」
 受身を取って体勢を建て直し、飛び退りつつ懐からスペルカードを取り出す。
「串刺しになりなさい!」
 発動したのは『夜霧の幻影殺人鬼』。彼女の十八番、方位を問わず無数のナイフが標的を切り裂かんと迫る!
「ふん。芸が無いわね」
 しかし自分を狙って正確に飛来する銀の弾丸を鼻で笑い、
「『千本の針の山』。串刺しになるのはそっちよ」
 その全てに短剣と光弾をぶつけて弾き散らす。レミリアの放ったそれは尚も勢いを失わず、咲夜の身体を幾筋も浅く薙いだ。
「きゃ、あっ!」
 その白い肌に鮮血の花を咲かせ、咲夜はくず折れる。
「あはは、可愛い声。もっと鳴いてみる?」
 無防備に咲夜に歩み寄る。
「いか、ない」
「ん?」
 何事かを咲夜が呟くのを、レミリアはひょいと覗き込んだ。刹那、
「……私は負ける訳にはいかない、お嬢様のために!」
「む」
 血の滴る両手に白銀に光る凶器を握り締め、
「……ぁぁあああああッッ!!」
 空間すら切り刻む剣舞『ソウルスカルプチュア』を解き放つ!
 創傷に疼く両腕を千切れる程に加速させ、レミリアを塵に帰そうと唸りを上げる。
 しかし、
「―――居ない」
 確かに捕らえたはずなのに。手ごたえも有った筈―――!
 トン。
 後ろから肩に触れる手。
「お前が刻んだのは私の幻影。切り裂き咲夜が聞いて呆れるわ」
 耳元にその声が届くのと、身体に熱い衝撃が撃ち込まれるのとは同時であった。
 その場に倒れる咲夜。
「う……ああ……っ、どう、して」
「どうして斬撃をかわせたか? 寸前に時を止める小細工までしたのに? ―――それは簡単な事よ咲夜。『時を止めたところで、私に攻撃は当たらない』そういう運命だったからよ」
「……?」
「まだ解らないって顔ね。忘れた? 私の能力―――『運命を操る力』。今のコレは、簡単に操り導ける結果だった。つまりはそういう事よ」
 微笑を浮かべて咲夜を悠然と見下ろすレミリア。
(さて、咲夜を倒したのはいいけど……どうやって正気に戻そうかしらねぇ)
 その方法に頭を悩ませるレミリアだが、それもすぐに遮られる。
「申し訳……御座いません……お嬢、様」
 うわ言のように呟く咲夜の声。それに嗚咽が混じっていた為だ。
 咲夜は満身創痍で、既に覚悟を決めているのか身じろぎ一つしない。
(なんか私が悪者みたいだな)
 頬を掻きつつ、レミリアは訊ねる。
「……そのお嬢様とやらは、お前にとってそんなに大事なの? 折角だから冥土の土産に聞いておいてあげるけど」
 どうせおかしくなっているのだからまともな返答は期待出来ないだろう、そう思いつつも一応問うてみる。
「お嬢様は……行き場の無い私に……う、けほっ……居場所と名前を下さって」
「ふんふん」
「いつもお側に置い……て、可愛がって、下さる」
「……なんか照れるな」
「私は……その御恩に報いる事が出来ず、この有様…………申し訳御座いません、フラ……ル、様」
「……なんだって?」
 咲夜から上がったか細く途切れたそれを聞いて、レミリアの表情が一変する。
「お赦しを……ドール、様」
「―――言うな。それ以上言うな!」
「私の敬愛する、―――フランドールお嬢様」
「咲夜ッ!!」
 彼女の口からその名が挙がった事に激昂し、レミリアは咲夜に掴み掛かる。
「う、げほっ……!」
「!」
 そこでレミリアは気が付いた。咲夜の首筋に生々しく残る、二つの小さな刺し傷の痕に。微かだがそこから、彼女の妹の力が感じ取れた。
「……そう。そういう事。あの子に支配されていたのね」
 それならば理解出来る。咲夜の記憶の中から自分の居場所を奪った事。しかし納得は出来ない。
 レミリアにとって、咲夜の存在は家族にも等しい。同様に、咲夜にとってレミリアは己の命より尊い存在である。その記憶を、思い出を、絆を踏みにじる事は決して許されるものではない。それを行ったのが彼女の妹でなければ、瞬時に八つ裂きにされていたことだろう。
 とはいえ、怒りに身を任せていても仕方が無い。荒ぶる心情を何とか押さえつけ、咲夜に告げる。
「でも、お前に落ち度が無かった訳じゃあないからね。うっかり咬まれるなんて、気が抜けているにも程が有る。……躾が必要だな」
「……え?」
 僅かに血のシミが滲んだシャツの襟元をはだけさせ、ゆっくりと唇をその白い首筋へと寄せる。
「ふむ……」
「あ、なに、を」
 小さな咬傷に口付ける。そしてそこを清めるように、レミリアは丹念に小さな紅い舌を這わせた。
「ひっ……」
そのくすぐったさと温もりに声を上げる咲夜。
「んむ、ちゅっ……」
「ん……」
 知らない敵に組み伏せられているというのにしかし、何故かその心は不思議と落ち着いている。懐かしい匂いが鼻腔をくすぐり、咲夜は自分でも訳の解らない申し訳無さに胸が詰まった。
「ぷは。……少しの間、我慢してなさい」
 言って、首筋に二本のキバを立てるレミリア。彼女の体格にそぐう小さな、可愛らしくさえ見えるそれは、しかし確かに咲夜の身体に潜り込んだ。
「―――ッ!?」
 ちくりとした痛み。途端、そこから広がる熱さに堪らず悲鳴を上げる。
「い―――や、放してっ……!」
 しかし身体に力が入らず、ただ熱い疼きだけが全身を支配してゆく。
「―――、あ」
 ふ、と咲夜が動かなくなったのを確認して、レミリアは唇を離した。
 食事ではないため、ほとんど血を吸っていない。逆に自分の魔力をキバで介して相手に送り込み、その者を支配する呪法なのだ。先にフランによって注がれた魔力を帳消しにする。
「これでよし」
 口元に付いた微量の朱をぬぐう。
 ……数分後。
「あれ……ここは」
 気を失っていた咲夜が目を覚ます。
 幾度か目を瞬かせた後、彼女の主人の姿を傍らに認めて、
「あ……!」
 途端飛び起きその前に平伏する。
「お嬢様、申し訳御座いません! 私なんてことを……!」
 レミリアはそれを手で制し、
「咲夜」
「は、はい」
「今一度問うわ。お前の主人は誰?」
「お嬢様……レミリア・スカーレットお嬢様です!」
 その必死に許しを請おうと哀願する様は、まるで捨てられまいと縋りつく子犬のよう。瀟洒、などという言葉とは遥かに遠い。
 ―――そう、咲夜のこんな姿を見ても良いのは私だけ。
 レミリアはそれを満足げに眺めながら、凛とした声音で厳然と告げた。
「そう。咲夜、お前の主人は唯一絶対、この私。―――二度と主を違える事の無いよう」
「はい!」
 迷わず即答する咲夜にようやく溜飲が下ったのか、満面の笑みを浮かべ跪いた彼女の頭を優しく撫でた。
「さて、早速だけど。アイツの所へ向かうわ。咲夜、お前は後から追ってきなさい」
「お嬢様、私もお供し―――う」
 立ち上がろうとするが、目眩を覚えふらつく咲夜。
「ほら、無理しない。私の魔力を分けたから傷は何とかなるけど、今日はもともと調子悪いんだろ? 少し休んでから合流すること」
 そう諭すと、咲夜は先程の負い目も有ってか素直に従った。
「さて。急がないとね」
 レミリアは振り向き長らく閉ざされていた件の扉を開け放つと、弾丸のようにその先へと突き進んでいった。






……後編に続く。
k.
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コメント



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20.90ドソパチ削除
自分がのめりこんだ時点で高得点です。