――ザンッ――
仕事をする時には、いつも心の中で唱える呪文がある。
――ザンッ――
その呪文を唱えるようになってから、あたいの仕事は作業になった。
――ザンッ――
始めから唱えていたわけではないお呪い。
――ザンッ――
いつから、こんなモノが必要になったのか……
あたいは死者達を幸せな来世へ届けたかった。
誰だって死にたくなんかなかっただろう。
平和で豊かな人生を、満足なうちに終われた者も。
絶望の中で後ろ向きにその生涯を終えた者も。
幸せだった者はその次も、そうでなかった者は次こそは。
きっと幸せになってくれることを願って……
そんな仕事につけた事を、あたいは心から誇っていた。
何時からかしら?
そのことに気づいてしまったのは……
あたいがこの仕事について、最初の飢饉だったと思う。
あのとき、大勢の死者達が無縁塚に列を作った。
肉体を亡くした魂は此処ではその存在がどんどん劣化してしまう。
あたいはあらん限りの手を尽くし、そいつらを向こう岸へ渡そうとした。
だけど……
そのときに、あたいはとうとう気づいちまった。
どう足掻こうと、向こう岸に渡ることの出来ない種類の魂があるということに……
そいつらを渡そうとする時は、いつも川は広く深くなる。
あたいはそれでも、彼岸へ渡そうと幾度も試みた。
今度こそは、と思いながら舟を漕ぐ。
特に死者と会話をすることもない。
あたいが一方的に喋るだけ。
どうせそいつらは、ろくに口などきけはしないのだから。
手は決して休めない。
全力で対岸を目指す。
だけど、舟は必ず途中で壊れ、魂は川へと沈んでいく。
あたいはそれを見届ける間もなく、岸へと飛んで帰る。
泣いてる暇などなかった。
まだ、大勢の死者が待っているのだから。
そして新たな死者を舟に乗せ、彼岸へと向かい、失敗する。
―――結局、あたしは誰一人として救えなかった
自身の絶望と無力感に打ちのめされ、あたいは泣いた。
そして……涙が枯れ果てた頃に、漸く悟った。
そいつらはどうやっても、彼岸へ辿り着けるはずがないことを。
死者の持っている金は、生前に死者の事を心から慕っていた者の財産で決まる。
そいつらから渡される金は、決して六文には届かない。
それは悪人だから。
その人を、心から慕っている人がほとんどいないという証明。
つまりはそれだけで、裁きを受けるまでもない悪。
あふれる嗤いが抑えきれない。
気がつけば簡単だった。
視界が滲んでよく見えない。
あたい嗤いながら、また泣いた。
あたいは対岸に渡れぬ魂を着服し、それを使って鎌を一振りこしらえた。
その魂は一文も持たない極悪人。
船を出したところで、途中で力尽きることなど解り切っている。
なら、どう扱っても構うまい。
鎌を振り上げ、振り下ろす。
一定のリズムで何回も。
死神は神に仕える農婦。
なら、あたいが刈り取った魂は、別の神が来世に導いてくれるかもしれない。
たとえ、そいつらが……
閻魔の裁きを受けることの出来ない『極悪人』だったとしても。
例えば春……
誰にも望まれずに生まれてきた赤子の魂……文無し
極悪人
例えば夏……
日が長くなったと油断し、黄昏時に妖怪に喰われた幼子の魂……三文
極悪人
例えば秋……
決して治らぬ病と闘い続けた赤子の魂……一文
極悪人
例えば冬……
凶作の年に生まれ、極寒の山中に子返しされた赤子の魂……文無し
極悪人
何時の頃からか、あたいの鎌は刃の途中から歪みを見せるようになった。
魂で作ったこの鎌は、あたいの魂の歪みをモロに写す。
……皮肉にも、鎌は歪めば歪むほどあたいの手に馴染んでいった。
あたいが左手を虚空に翳す。
―――違う
吸霊。
―――こんなことがしたかったわけじゃない
無縁塚の魂が、あたいの呼び声に応じて集う。
―――あたいは……
鎌を振り上げ、振り下ろす。
―――この手に掛けた魂たちにこそ、幸せになって欲しくて……
その度に、悪人が二つに分かたれる。
一仕事終えたら一休み。
懐から取り出した紙。
四季様からの督促状。
前に魂を送ったのは一週間も前のこと。
督促状が来るのも納得がいく。
でも、仕方ないだろう?
寝る間も惜しんで船を出しても、対岸まで辿り着けないのだから。
くだらねぇなったく……
あたいは心の中で呪文を唱えながら、督促状を破り捨てた。
……そろそろ、また殺すか。
今度は声に出してみた。
「マイペース、マイペース」
誰にも望まれずに生まれてきた赤子の魂……文無し
極悪人
例えば夏……
日が長くなったと油断し、黄昏時に妖怪に喰われた幼子の魂……三文
極悪人
例えば秋……
決して治らぬ病と闘い続けた赤子の魂……一文
極悪人
例えば冬……
凶作の年に生まれ、極寒の山中に子返しされた赤子の魂……文無し
極悪人
↑これ、本当にそうでしょうか?
だとすれば、この世界はとてつもなく冷たい。つまんない場所です。(もちろん、こんなことばかりではないはずですが。
だって一欠片の愛情もない。
望まれない子だから極悪人?
黄昏時に妖怪に喰われた子が極悪人?
決して治らぬ病気と闘い続けた子が極悪人?
凶作の年に生まれて極寒の山中に子返しされたから極悪人?
生まれる場所を選べない子供が、まだまだ遊び盛りだった子供が、必死に生きようと病気と戦い続けた子供が、どんな極悪人だと言うのでしょうか?
罪と悪は違うとはいえ、いくらなんでもたとえが悪すぎます。
どんなに望まれない子でも、親の言いつけを守らない子でも、食い扶持を減らすために家から出された子でも、病気と闘って子ならなおさら、彼らが死んだとき親はその子のために涙を流すはずです。
きっと、それが彼らを来世に送り出す財産になると思います。でなければあまりにも救いがない。
全体の雰囲気は好きだったので、それだけに残念です。
長々とすみませんでした。
救いの無い。あまりにも救いの無い話。読んでいて、はっきりと嫌な気分になりました。
その上での、右の得点です。
良い例が思い付かないのですが……例えば、ホラー映画。
ああいうのって、理不尽なストーリー、何も解決していないラスト、でもそれが、その作品のウリとなっている。
観る者は、あくまで架空の物語である、現実ではない、という前提に守られて、その残酷な世界を味わう。
このお話は、ホラーではないですが、兎に角、そう思っての得点です。
その本人がどうあがこうとも、『先』が無ければ何も起きず、只終わるだけ。
救える「かも」しれないから小町は魂を狩り続ける。
延々と自らの心も一緒に削り落としながら。
永遠に小町は救われないのだろうな、と思いました。
例えこの仕事を続けようともこの仕事を止めようとも。
悲しむ親も失い(または残し)、たった一人で川岸まで来る。
そしてその魂に金は殆ど無い。……当たり前ですね。
だが、親ですら見捨てるほどの人でなしだったら?
それは、当然の罪と言える。
それに、愛情も無いと仰いますが、それもそのはず。
いくら足掻こうが金が足りなければどうせ船は沈む。赤子たちの魂は救われないのですから。
人間の感情ではわからない事でしょうね。
ならば『現世の我々の基準においてどうしてこんな子供が極悪人になるんだ!』などと思っても、それはまったく法則が異なるあの世においては『極悪人』となってしまうんでしょうねぇ……何しろ『基準』が違いすぎますから。
まあだからこその、小町の苦渋の選択なんでしょうねぇ。
彼女らの霊的法則からの解放、それならあるいは別の法則が救う可能性は無きにしも非ず、と。
とはいえ。原典キャラ設定より。
『彼女の気分次第で、河幅や深さが変わる』
だそうですので小町ががんばれば何とかなるのかもしれないですねぇ。
やりきれない気持ちを残すバッドな話、として纏まっていてそれは確かに秀逸だと思います。ただ主観ではどうしても点数を入れられない。救いとまでは行かなくても、何か閻魔様が一言、小町を気にかけて温情の……いや、『残酷な一言』でもやってくれたら納得できたのかもしれない、そうせめて小町が『割り切っている』状態にまであるならば(自分はこの作品での小町は、今後仕事を続けられるように見えない、自害すらしそうに見える)……あの世はそんなに甘くない、か。
それの延長で、最後の小町がわざわざ口に出す台詞に最高に絶望的な、自虐的な、痛烈なものを強く感じました。
赤子でも文無しであれば極悪人。なるほど。罪は無くても悪である。
あの世の基準ではそうなるのでしょうねぇ。
なかなか奥の深い作品で楽しめました。
次の作品も期待してますよ~。
しかし、一応プログラマを生業としている私としては、そのようなシステムがまともに運用できるわけがないと思います。
プログラム的には間違えていないが、仕様上のミスがあるということですね。
ですから、たぶん生まれたときに初期値設定とかされているのではないでしょうか。
いや、くだらない意見ですみません。
折角の二次創作の場ですから「何故そうなのか」という筆主様の考察も交えて欲しかったです。
これではあまりにも”まんま”な気がします。
それでも小町の苦悩と彼女の選択には少なからず共感を覚えました。
命や魂の選別までもシステム化されるというのは本当に悲しいものですね。
彼女の鎌が、地蔵菩薩の手であると思うからこそ映姫は黙認したのかも。
でも、小町の心が砕かれるのは見たくないよ・・・・><
この小町、素敵すぎ!
悪というのは善の対極。正義とか倫理とか道徳とか、そういったものを基準に判ぜられる流動的なもの。罪というのは単純なルール違反、或いは基準未満のことだと思います。少なくとも司法の場では。
明文化された法を基準として、ただ単純に、システム的に振り分けれらる罪。そこに人の感情が入れば、司法は崩壊します。ならば、冥界の法に従い罪人と断ぜられた者は、やはり罪人なのでしょう。私らの関わる法は、ここまでどうしようもないことにならないよう、いろいろ七面倒くさい手順を踏むわけですが。
法は、万人に対して究極的に平等でなければならない。以前読んだ法廷モノの小説かなにかに、「判事は人である前に判事でなければならない」といって、自分を摩滅させていった人物がいましたが、小町もそんな感じですな。
しかし、しんどい話だなぁ。小町がまだ頑張っているから、なお辛い。
なにかしら吹っ切ってシステムの一部となっていれば、ただ乾いただけの話で済んだろうけど、小町が諦観に濡れながらもまだ足掻いているから、この後の緩やかな絶望が思われて非常にキツイ。
ああ、しんどい話だなぁマジで。
罪なき罪など閻魔様でも計りゃせぬ。
巡り巡って、もう一度。
不思議な文章です。
実際の所、神ならぬ人に神が理解できるはずが無く、理解できたとするのならそれは神ではありません、人です。人より絶対的に上の存在である者こそが神であり、だからこそ我々は神の意志に背く術を持たない。
神が本当にそうだというのであれば、恐らくはそうなのでしょう。人から見れば確かに冷淡で救いようがなくていいようもなく悪辣です。でもそれはあくまで人の意見に過ぎません。悪法も法という言葉は、何とこういう所でも通用してしまいます。この場合、悪法という言葉は人の主観。神の言葉ではありません。
日本でいう所の神仏の教えが、真実であって欲しいなと思います。どうか彼岸の世が温情に溢れていますように。
死神はとある漫画でそういう風に説明されていました。小町は死神の中でも心優しすぎたのかもしれません。心が徐々に緩やかに、果てしなく歪み壊れてゆくほどに。
なんともやりきれない印象のお話でした。この小町に心の平安がいつか訪れるとよいのですが。
思わず設定を見直してしまいました。
着眼点と落ちが効いていて鬱りました……
こんな不条理、俺は見たくない。だから目を逸す。
ああ、小町は本当に強いな。本当に。
以下私の意見と感想のごちゃ混ぜです。
江戸時代では幼子を正式に弔うことはしませんでした。
また、罪が問われることもありませんでした。
なぜなら幼子たちは人ではなく神だと考えていたからです。
これを七つまでは神の内、と言います。
つまり自然に近しいものであり、死してもただ神として自然に帰るだけと当時の人は思っていたのでしょう。
理屈としては草木が枯れたり天気が変わったりするのと同じです。当然悲しかったでしょうけど。
この考えでは閻魔の裁きを受けず来世がないのは当然です。しかし悪ではありません。ただ消え行くのみです。そこに善悪はありません。
死んでしまったのは仕方のないこと、そのまま消えるのも仕方のないこと、ならば悲しみに沈むべきではありません。死んだものに引きずられて後ろを向くべきではないのです。
小町のようにしがみついてるだけでなく前を向かなければなりません。もしあきらめられないならば更なる解決法の模索をすべきなのです。
駄文乱文失礼しました。
でも説得はできそうもないです。
何度も向こう岸へ渡そうとし、その度に失敗している小町。
一体どんな言葉で説得すればいいのか……
ちょっと小町を救えるような言葉が見つかるまで、人生(たび)に出ます。
ヒントは白楼剣(塚妖夢ED参照の事)
……例外は何にでも存在するものだったり。
幼子の死は、ただそれだけで悲しみ。天寿を全うせし人の死とは、本質から異にするのでは。
自分より若くして死に行く者に、本能的な悲しみを私達が惜しみなく感じられたなら、
鎌はその刃に赤く錆を浮かべることでしょう。
私達の悲しみの総額こそが、魂の値段だから。
現世で自分にはどうしようもない所で運命を決められ、
せめてあの世には救いがあるのかと思えば、理不尽な結末がまっている…。
あんまりといえばあんまりなお話。
でも彼岸に本当に理不尽な所がないと言われればないとは断言できないわけで。
ただ、そういう行き場のない魂は白玉楼が受け入れるじゃないのかな~と思ったり。
色々と考えさせられる作品でした、謝々。
世界は絶望に満ちていますし、私たちがパソコンに向かっている間も幻想郷で、そしてそこ以外の場所で絶え間なく限りなく人が死んでいます。
発展途上国民を代表とする犠牲者たちの命を吸い上げて私たちは優雅な生活を送っていますし。
ちなみにその事実が存在することから、私たちは生まれながらに『罪人』であると考えます。悪人未満の、罪人です。
それでも私たちは、(或いは善行を積みながら)より良い方向を目指して生きていかなければならないのです。
自ら死を選ぶことは、踏みつけてきた犠牲者たちへの更なる、最悪の冒涜ですから。
長文失礼いたしました。別に募金団体他の回し者ではありません。むしろユニセフなどの超大規模な団体以外は信用しないべきで(略。蛇足。本当にすみません。)
私はこの描き方は気に入りました。
確かに、途中の部分は色々と考える余地はありそうですが
ある意味でその仕事に生きる小町らしさが描かれていると思います。
文章自体に、救いが必ずなければならないということもないとも思いますし。
考えるべき文章、ありがとうございました。
咎なくして悪人となった子たちには閻魔様ではない仏様からの慈悲があるんのではなでしょうか。
でも、そう思わないと運んでやれない自分に耐えきれない
だから運ぼうとせずに斬ってしまうのでしょうか
この話を嫌だと思った人は多分良い人