Coolier - 新生・東方創想話

少女と人と妖怪桜-妖怪桜-後編

2005/11/29 18:39:52
最終更新
サイズ
20.69KB
ページ数
1
閲覧数
795
評価数
1/17
POINT
700
Rate
8.06


 空から太陽が消えてから、幾ばくかの時間が経過したように思われた。西行妖には人間たちが動き始めるのが感じられたし、麓のほうで篝火が幾つも焚かれているのが見えた。里の裏手にも篝火が移動しているのが見えたが、何故そっちの方へと向かっているかはわからなかった。


 どうせここから人は消えるのだから目に付く人間を食い尽くしてしまおうかという考えが心を過ぎったが、すぐにそれを却下した。人の動きを見ているのが面白かったし、彼らの殺気と怯えに満ちた目をみることもまた面白いと思っていた。だから自分が動くことでそれに水を差したくなかった。


 人間達が長い階段を一段一段上っていく様を横目に見ながら屋敷に意識を移すと、そっちのほうでは何の動きもなかった。西行妖に感じ取れる限りでは、声の一つも聞こえてこない。虫や鳥の鳴き声はそこらじゅうから聞こえていたが、人間たちが近づくにつれ徐々に彼らが沈黙していくのが分かった。いや、人間たちから離れていくように動いてさえいる。


 虫でさえも、本当に危険なものとそうでないものとは区別がついているのだ。


 やがて先走っていた何人かが屋敷の前に到達すると、屋敷の前には一人の人間が見えた。あの半幽霊を連れた男、既に抜き身の刀を手にしており、彼からも麓の人間と同じちりちりとした殺気が感じ取れた。気のせいか、半幽霊でさえも何かしらを漂わせているように思える。


 だが争うことなく男は振り返り、屋敷の中へと走っていった。先頭集団が追撃にかかり屋敷の中に入ったが、中で起きている音と悲鳴を聞けば何があったかは明らかだった。少し経って屋敷から出てきた男は全身を血みどろにし、刀にもべっとりと返り血がこびりついていた。おそらく中に入った人間は全員死んだのだろう。


 半幽霊の男は足を震わせ、今にも地面に膝をつきそうに見えた。男にどういう心境の変化があったかは知らないが、そんな状態でいることを許してくれる状況ではないのは確かだった。


 続々と階段から人間たちは上がってきて、そのうちの数人は弓矢を携えていた。男を見てすぐに矢をつがえると、おそらく今見ているものが何かすら分かっていないだろう男に矢が射ち込まれた。何本か、おそらくは何十本か。篝火で人間たちの顔が見えたが、彼らの殆どは獣のような顔をしていた。残りは目の前で起きていることが信じられないとでも言う風に、己はあくまで無関係だとばかりに怯えきった顔をしている。


 幾つかは刀で弾き飛ばしただろうが、血みどろの刀を掻い潜った弓矢は男の体に吸い込まれていった。肉に鏃が突き刺さる音がして、何本もの線が男から生えたように見えた。胴体、足、手、体に矢を射ち込まれた男は暫くの間体を痙攣させていたが、やがてばったり倒れた。


 倒れ付した男を踏み越えて人間たちは続々と屋敷の中に入りこみ、暫くしてから幽々子と屋敷の人間―――あの酷い物を感じさせる男と女―――が庭に連れ出された。男は何発か殴られたように顔を所々腫らしていたが、幽々子は今がどういう状況なのか分からないと言った様子だった。見た目に怪我などは無かったが、足取りがふらついて今にも倒れてしまいそうだ。倒れないでいられるのは、傍らの男がぞんざいに支えているからだ。


 女は声も出さず泣いていたが、男は何かしらを言っていた(むしろ叫ぶに近い)。人間たちはそれをまったく気にせず、無理矢理砂利の上に幽々子を座らせた。首を突き出させ一人が刀を振り上げる。これから何をする積もりなのか、子供でも分かるだろう。


 このままでは確実に幽々子は死ぬ。


 己がどうするべきか、迷った。少女を守るために男を食うか、放置するか、それとも―――いっそのこと幽々子を食ってしまうか。幽々子の能力には非常に興味が持てる(色々な意味で)し、あの無数の蝶を見た後では、その恩恵にあやかりたい。そして能力の持ち主は今まさに首を切られようとしている。彼女を食うか? 放置するか? もしも幽々子を食えば、その能力の一部が自分の中に入るかもしれない。そうすれば延命の足しになるかもしれないし、ひょっとすれば想像もしなかった能力が新たに手に入るかもしれない。だが何の得にもならないかもしれない。目の前で幽々子を食った己の存在を危惧した人間達が死に物狂いで襲い掛かってくるかもしれない。そうすればどっちにとっても絶対に好ましくないことになる。


 幽々子を食うか食わないか、放置するのか、男を食うか、考えろ、食うか、放置するか、他の道をとるか。何か他に方法と呼べるもの、己の得となりこの場をしのげるもの。そんなものがあるのだろうか。何かを犠牲に? しなければこの場を乗り切れないと? どうする?
 考えろ、考えろ、考えろ、食うか食わないか食うか食わないか。食うのか食わないのかどうするのか。




 
 食おう。




 
 すぐに自身を粒子化すると、一瞬もしないうちに幽々子の頭の中に入り込む。傍にいる男は刀を掲げている。男がやる気になれば幽々子の首は切り落とされる。そうなれば彼女の能力も共に死ぬだろう。急げ急げ、早くしろ。時間が無い。


 中に入って最初に気付いたことは、辺り一面がどろどろになっていることだった。まるで粘液になってしまったようで身体の反応も鈍く、良く見るとでたらめな動きをしているものがあちらこちらに存在していた。ぴんとくる―――彼女は病気だったのだ。それならば屋敷から出てこなかったこともこの身体のことも説明がつく。


 一見すれば彼女の中は他の人間と殆ど変わりないものに思えたが、探っているうちに何か異様なものがあることに気が付いた。それは体の中にあるどんなものとも似ていなくて、もしかすれば光を放っているかもしれない。音を立てているのかもしれない。幽々子とは別の意志を持っているのかもしれない。西行妖にはどういうものか判別ができなかったが、それは間違いなく異様だった。他の人間には絶対にありえないものだった。これが彼女が持つ能力の源泉なのだろうか。この場に留まって調べたかったが、そんな時間が無い事は重々承知していた。


 病気の影響で黒く濁っていた心を見つけると、幽々子の意識と同調し紛れ込ませる。おそらく幽々子は今、自分の中に他の誰かが出現したような感覚を味わっているだろう。しかし正確なことについては全く分かっていないに違いない。


「待って」

 幽々子の声を借りて言う。重病人特有の不明瞭な声色であるそれで、他の人間と比べて背の高い男に訴えかけた。目を見開き息を止めていた男は、声をかけなければ数瞬もしないうちに刀を落としていただろう。際どいところだった。

「最後に……最後に、あれに触らせてください」

 西行妖が自身に顔を向けると、目の前には眼前の巨木があった。これが己自身の姿であり、幽々子の中には『桜』という一単語があった。


 己は、桜というものなのか。


 長い時間のうちに落としてしまったものを、どうやら拾うことができたらしかった。桜、その一単語がどこか懐かしく思えるのは気のせいではないだろう。己は隣にあった樹と同じ物だった。


 西行妖が納得すると同時に、幽々子が西行妖の存在に気が付いたのも分かった。彼女の中に入り込み勝手に声を使ったことも知られてしまったが、まあ別に構いはしない。それに幽々子も敢えて今の言葉を撤回しようとはしなかった。


 ふと気が付くと、幽々子の心の中は荒れ狂っていた。今にも彼女は叫びだしてしまいそうな程であったし、手足もがくがくと震えている。今にも死のうとしている緊張のせいか、もしくは他のものだろうか。


 それにこれは―――とても強い慙愧、もしくは謝―――


 不意に桜の方へと突き飛ばされ、いきなりのことに地面に倒れこみそうになった。あの嫌な物を放つ男が何か言った気がするが、正確なものは聞き取れなかった。


「おら、さっさと行け」

 後ろから威圧的な男の声がした。

「変な真似したらお父さんとお母さんが大変なことになるからな。すぐに戻って来い」

 男の声は子供を殺すことに対する躊躇いのせいか、声は少しだけだが震えていたし上ずっていた。もしかすれば、その躊躇いが幽々子に少しだけの猶予を与えたのかもしれないと西行妖は思った。


 幽々子の体の中にある彼女の心がすぐに反応し、首を振り向けて男を見た。その目に幽々子は強い敵愾心を込めていたが、後悔の念もまた混じっていた。先ほど感じ取れたかのように思えたものは、今ではどこにもないようだった。気のせいだったのかもしれない。


 彼女は足をふらつかせ時々倒れこみそうになりながらも西行妖の言った通りに桜へと歩いていき、かつて妖怪桜の能力を制限していた黒い猛毒の上を踏みしめる。常人が触れると数秒で身体が蒸発する劇物を易々と踏み越えて、幽々子は西行妖自身に触れた。西行妖が幽々子の視界を使い見上げると、漆黒の空の中に己が枝を高く伸ばしているのが目に入る。


 始めて触った時もこうやって見上げた、幽々子はそう考えていた。同じ体の中にある幽々子の考えていることは手にとるように分かった。それが良いことか悪いことかは判別できなかったが、その独白を意思を持つ桜は聞いてみる気になった。


 彼女は今、過去を思い起こしていた。桜に触れた時から今に至るまで、過去に見た何百の景色、何千の音、それら全てを思い起こしては短い時間で再体験していた。ある意味では、それは走馬灯にも近いものがあった。そしてその考えは、あながち間違いでもないのかもしれない。


 ふと西行妖は幽々子の中にしこりのようなものはあることに気づき、興味を持った。彼女の心の奥底に沈み込み重く黒くへばりついているそれを読み取ると、どうやら本当に長い間幽々子を苛んで来たようだった。今もじくじくと音を立てて、心を腐らせようとしている。いや、目的の面から言えばそれは成功していたと言える。


 今まで幽々子が手にかけてきた人々への強い慙愧の念。どす黒い後悔、怯え、悲嘆、精神的自傷をも厭わないとても強い自虐心。


 悪性の病気のようにそれは心の中に巣食い、既に彼女の心を救いようのない状態にまでひきずりこんでいた。それらの感情は亡霊と化し、常に幽々子に呪いをかけていた。心から悪性感情を読み取るついでに、幽々子が心の底で本当に望んでいたことを知ることもできた。それが良いにしろ悪いにしろ。




 
 自尽。




 
 それひとつのみしかなかった。


 心の中にはぽっかりと暗闇が口を空けており、その中で唯一の救いであるようにそれは光を放ちながら存在していた。これが彼女の最終的な拠り所とするものだったのだろうか。彼女の人生は、これを成就するのみに捧げられたものだったのだろうか?


 もう十分だろう。時間をかけすぎた、これ以上は後ろの人間たちに不審がられる恐れがある。妖怪桜はそう判断した。


 表面に触れている幽々子の手から桜へと戻り、彼女の手を通して―――吸い込んだ。


 その途端、とても表現できそうに無いものが桜の中に流れ込んできた。最初の感触こそただの人間と同じだったが、吸い込んでいる時に何か違うものを感じ、そこから大きな変化があった。西行妖は少しの動揺と共に、今までで最大限の歓喜を味わった。ごんごんと流れ込むものに対し、ただそれしか出来なかった。


 それは妖怪桜の中にどんどんと入り込み、身体の中を急速に満たし、かつて持ち合わせたことがない程の力を与えてきた。それを吸い取られた幽々子が大きく震えながら地面にひざをつくのが見えたが、そんな事は既に瑣末だ。今はただ、自身の中で暴れまわる物こそが肝要なのだ。


 凄い、凄い、凄い、凄い、凄い、凄い、凄い、凄い、凄い、凄い、凄い。凄い、凄い、凄い、凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い。


 果てしなく力が湧いてくる。今まで狭窄だった視野が一気に広がる。今まで異質だったものを中に取り込んでいくに従い、永遠が姿を消し過去が現在へと回帰してくる。今の自分に比べればこれまでの己など亡骸に等しい。最高としか表現のしようもない。いや、表現なんて出来るものだろうか? これは思考で表現できるものか? これは言葉で表現できるものなのか?


 否。


 こんな力を持った己を恐ろしく思えるほどそれは凄まじかった。過去、己自身がどういうものだったか何を感じ取り何を考え何を食っていたか、全てが戻ってきた。いやそうではない、復活したのだ。伝説に出てくる不死鳥のように蘇り、更なる力を持ってこの庭に出現したのだ。


 死蝶を身体の隅々に流すに従い、身体の中に途方も無いものが溜まっていく。耐え切ることなど到底できなかったから、外界にそれらを放射しなければならなかった。


 視界の隅っこにいた人間にそれを向けてみると、肉が千切れる音と共に瞬く間に人間はバラバラになった。悲鳴をあげることすら忘れている人間達がただ呆然と立ち尽くしているのを見て、西行妖は大きく声をあげて笑った。大きく尾を引くそれは屋敷の中にいた人間全てに届き彼らが恐怖に顔を青ざめさせているところを想起し、妖怪桜は今までよりも大きな歓喜に包まれた。これぞまさしく、かつての己が望んでいたことだからだ。己が死に掛けた生き物でなく、どの生き物よりも強い力を保持した強者なのだと。


 西行妖は今、全てを見通すことが出来た。試しに麓へと目を見ると(勿論庭で起きていることからは意識を移さず)、家の中で震えている女子供、大きな怪我のせいでここに来れなかった男が秒刻みに吐き出す呪詛―――彼は以前に幽々子が狩った人間の親友だということも分かる―――山の中で夜行性動物が動き回る様、獲物を捕食するところ、飛び回るところ、風で落ちる木の葉の表面を走る細胞の一つ一つに至るまで。見ることが出来た。


 何度繰り返しても構わない。己は全てを見通せるのだ。


 桜の表面にも変化が現れる。根が今までよりも大きく広くそれを伸ばしはじめ、それまで枯れ枝同然だった枝からは無数の花が咲く。そうだ、西行妖という桜だったものは咲き誇ったこともあるのだ。太陽の光に照らされながら、夜風に吹かれ、雨風に晒されながらも咲き乱れ、そして栄華を誇っていたこともある。


 そして今、失われたものは全て戻ってきていた。歓喜、歓喜、歓喜、確かに表現のしようが無くとも、今はそう表現するべきだと思った、確信していた。


 漆黒の夜空に桃色の花びらが咲き乱れる。無限の如く、かつて空を埋め尽くした死蝶よりも多く、それでいて尚美しく。今まで足りなかったものを全て補完し、かつ新しいものを取り込みきったようなものだ。今の己こそまさしく完全だ、神と同義だ、西行妖はそう考えた。


 体の中を見下ろすと、幽々子の中にいたものがますます己を満たしていくのが分かる。これほどの力を与えておきながら未だに貪欲に流れてくるそれを見て、これほどの代物が人間の中に存在できたことが信じられなかった。今の自分は気象すら操作できるだろう。もしかしたら大地も、この世界すら自在に操作できるかもしれない。


 試しに力を少しだけ込めて、上空の方へと向ける。以前の地響きとは比べ物にならないほど大きく大気が震え、見る間に空からは大量の雨が降り注いできた。上に雲は一片たりとも無い。全てを自身の力で行ったのだ。触れた雨粒は冷たく、これが存在しているものだと裏付けている。すぐに雨は止んだが、それで十分だった。後は力の入れ具合が大きいか小さいかの問題なのだから。


 近くで何がしかが聞こえて、ようやく人間たちが我に帰ったことに妖怪桜は気が付いた。今更のように武器を放り出し悲鳴をあげてあちこちを逃げ惑う人間たちは、まさしく鼠の糞かゴミクズだ。もうあんなやつらを食わなくても己は生きていけるのだ。数千年か、百万年は優に超えるかもしれない。いちいち吸う手間や面倒をかけずにやっていけるし、何よりもう人間達に狙われることを危惧しなくても済む。餌が減ることや己の消滅について憂慮しなくても済むのだ。死だと! 今の己からは最も縁遠い単語であることは間違いない。それくらい己は素晴らしく高尚な存在へと昇華したのだから。


 思考が逸れた、ならばあいつらをどうするか? あの煩く走り回る己よりも遥かに下等な生物の存在を?


 結論は、実に簡潔なものだった。


 潰そう。


 力を線にして一人に向けると、胸の真中に綺麗な大穴があいた。上から点にして降り注がせると何人もの身体が穴だらけになり、少し遅れて中身が噴出してきた。線にして振るうと上半身と下半身が分かたれ飛び散る。弾にして投げつけると、下にいた男の頭が爆砕したのが見えた。平べったい板として落とすと、何人かが文字通りぺしゃんこになった。まだあの嫌な何かを感じさせた男が生きていたと思うが、今となってはどうでもいい。どうせ奴も人間なのだ、ゴミに区別をつける必要などどこにもない。等しく潰されるべき存在なのだから。当然の如く、”敵”になど成れる筈が無い。千人が大挙してやってこようとまとめて切り払えるからだ。


 殺した、ねじ切った、すばらしい、殺した、燃やした、すばらしい、殺した、潰した、殺した、轢いた、殺した、刻んだ、殺した殺した殺した殺して殺して殺しまくった。


 全てが思い通りになっていた。素晴らしかった。哄笑をあげたい気分だった。大きく大きく声をあげて、全ての生き物に知らしめてやりたい。己はここに居るのだと。自分たちより遥かに上の存在が声をあげていることを。そう考えた通り、西行妖は声を出そうとした。


 途端、ぐるんという音と共に、体の中で何かが反転するのを感じた。


 突如として体の中に異物が生まれた。まだ己の下にいる人間から吸い取った物ではなくて、もっと嫌な気分になるもの、血管の中を移動する針の如く異常なものだ。人間でいう吐き気のようなものも催していた。


 不意に気が付く―――己が幽々子の中に入り込めるのならば、幽々子が己の中に入り込めない理由は無いということが。あの人間とはまだ繋がっている。彼女は己に触れているのだ。


 すぐに体の中を覗き込む。


 途端に、意識が半分に割れるような痛みが走った。半身を捻じ切られるようなとてつもない痛みに悲鳴が漏れ、痛みのせいで一瞬意識が消えかけた。何がどうしたのか、どうしてこうなっているのか。心の中に疑問が沸いてきては痛みで潰れ、また沸いてきた。もしかすれば、己の体は本当に千切れているのかもしれない。


 外界に目を向けると、己の体がズタズタになっているのが確認できた。あちこちの枝が切り落とされ、表面が切り裂かれ、まさしく刃を伴う暴風雨の中に取り残された結果だった。―――幽々子がやったのだ。彼女の声を使ったように彼女は己の能力を使い、己にこのような傷をつけたのだ。


 身体の中に幽々子がいる。それも西行妖に対する決意を固めて、防ぎようのない内側に意識を紛れ込ませている。そして彼女は敵意と敵愾心と憎悪を持ち、己を殺そうとしている。いつかどこかで感じたような匂い、体の中からその匂いもしてくる。


 あの男。人間が己の傍に置いたあの嫌なものを感じさせる男。


 あいつの匂いだ、この娘からはあいつの匂いがする。幽々子があいつの意思を持って己を消し去ろうとしている。やはりあの娘も人間だ、決して同族などではない、己を封じ込めようとしている人間、だ、だ、だ―――――


 激痛。激痛。激痛。


 枝が庭に落ちた音がした。幽々子の意識を撥ね付けようとしても、彼女の意思が紛れている身体が言うことを聞かない。中枢がぎちぎちと不協和音を発して思考が作れない。集中することも出来なくなっている。


 爆発が起きた。自分の能力ではない。幽々子の意思でもない。


 幽々子が驚愕している分かる。彼女が関与していない事象だ、幹に穴が開いてしまっている、そこからとめどない激痛が流れ込んでくる。


 はちきれたのだ。直感的にそう思った。


 己の身体が幽々子の能力に耐えられなくなったのだ。


 崩れかけている身体をおぞましく思う気持ちをなんとか抑えこんで身体を見ると、死蝶は既に能力源ではなくなっていた。それらは文字通り死を呼び込むものとなり、西行妖の身体の中を蹂躙していた。あちこちの部位が死んでいき、腐り落ちるのが見える。死が満遍なく己の中に充満し、自分が死に始めていることが分かる。


 西行妖は大きく長く尾を引く悲鳴をあげた。あげたつもりだったが、最早声が出ているのかさえ覚束なかった。能力は反旗を翻し、力は完全に消えうせてしまった。雲がない空から雨を降らすことができた力は、全てを思い通りにできた力は。身体の中から死を追い出すことさえもできなかった。


 幽々子、幽々子、西行寺幽々子、あの人間がやったのだ、あの人間が己を傷つけ、全てを滅茶苦茶にしてしまったのだ。ああ、痛い、痛い憎い、痛い痛い。おのれ。おのれ。痛い。


 機能していた感覚が一つずつ遮断されていく。体の中にある細胞が停止していき、自由が利かなくなってくる。最も小さな自己を守ることに専念、可視範囲も極限まで狭まってしまう、聴覚など、余程大きな音が外で起きたとしても小声程しか聞こえそうにない。守れ、守れ、未だに残っているものを保持しろ。


 風の音。随分風が強くなってきていることしか聞こえない。


 他には殆ど見えず、視界には人間が二、三人。それだけ。


 あの嫌な物を感じさせる男、連れの女、何かぐちゃぐちゃになっているもの、あれらは何だろうか。汚い物だ。それにふわふわしたものを連れた男もいる。あれは確かなんと言っただろう、思い出せない、記憶が死んでいる。更にいえば殆どの代物が消えうせている。


 自分は一体何なのだろうか。


 思い出せない。


 風の音。体の中が貪り食われていく感覚、遠い遠い音、視界にはいるものが分からずいみが きえていてしが あまりに おおく これは


 じぶんは なんだったの  うか


 おも    ない


 音。















 風の音。それに混じって別のおとがする。鋭利な刃物を付きたてたなまなましい音。


 何かが見える。空にういているそれはおおきくて(―――――蝶?―――――)したをみている。


 身体の中でうごめいている。感覚。


 倒れる音。


 中に何か(???  ?思い出すな ?? ?)いる。 何か?


 死の音。とても特殊でそれにしか聞き取れない音。


 啜り泣き。


 慟哭。


 身体では何(忘れる 何もしない) 何もない。


 風の音。


 幾つかの声。


 焼却音。


 土を掘る音。


 落とす音。ごとん。


 土を埋める音。


 風の音。


 風の音。















 少女。盛り上がった土の前にいる。


 何かが 傍に?(思い出さない忘れる) 桃色の髪。


 見覚えがある? 誰?


 無音。風の音。


 目の前が暗くなる。


 明るくなる。


 少女がいる。


 扇を持っている。 前に見た? 庭?


 回る。 舞う。 舞う。


 見たことがある。縁側。女と男と、―――を連れた男の前で


 舞っていた。


 笑顔、 笑顔? 幸せ?


 ?


 無音。


 風の音。


 風の音。










 風の音。

 







 
 視界が開けると、まず最初に花びらが目に入った。視界全てを埋め尽くす程の量、音は何も聞こえない、音とは何なのか分からなかったが、気にしないことにした。


 西行妖と呼ばれている桜は出来る限りの範囲で辺りを見回し、結局花びらしか見えないことに落胆した。それは本当に微かな出来事で、妖怪桜の目が空いた事に誰もが気付かなかった。久々に書架へと向かっていた幽霊嬢でさえも、縁側で休憩を取っていた庭師でさえも。


 体の中に何かが入り込んでいるような気がした。もぞもぞとそれらは動き回り、恐ろしいことを行おうとしている。詳しく思い出せなかったが、それを思い出すと何かおぞましいことになりそうな気がしてやめた。


 己の身体に関することを脇に置き、何かを思い出そうとするがそれも出来ない。己は何なのか、ここは何処か、あれから何年経っているのか。あれとは何のことか。


 桜は知らない。西行寺家一帯の土地は生が絶えた死地として冥界に囚われたことを。


 桜は知らない。かつてこの庭で起きた大虐殺からは考えられない程長い年月が経過していることを。


 桜は知らない。この家で起きた出来事を記した書物が根源となり、すぐ後にある幽霊嬢が行動を起こすことを。


 桜は知らない。己が桜だということを、その根元にはある一人の娘が埋められたことを。その娘が己を強く縛り付けていることを。


 桜は知らない。己を取り巻く何もかもを。己の中に巣食っているものを。


 桜は心の奥底では全てを知らないことを知っていたため、眠ることにした。己の全てを忘れてしまった為、それらを思い出せる時が来るまでを。仮初めではなく己が本当に蘇生するまで。


 その時は永遠に来ないことを知らずして。

 
 
読了された方、お疲れ様でした。迫害されていた少女と人間でない人間と、朽ち果てかけていた桜の物語は全て終わりました。

総じて素晴らしい物語だったと形容は出来ませんが、この作品を書くことができ、また書ききれて私は満足です。

それでは、次の作品を書くときがあったのならばその時に。

では。
復路鵜
http://clannadetc.s56.xrea.com/x/top.html
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.630簡易評価
15.70aki削除
一つの物語を二つの視点で描くのは難しいことだと思います。
特に二つ目は、細かいところを抜きにしても大まかな流れがわかっているのですから。
でも面白かった。
同じ流れの話を読んでいるのに不思議な気分です。
その感謝を込めて。
お疲れ様でした。
16.無評価復路鵜削除
感想をありがとうございます、そして読了されたことに関しては感無量です。
それと、akiさんが感じた気分を感じさせたこともまた満足しています。
次を書く時の励みになります、本当にありがとうございました。