ざあざあと。
夜空が声を上げて泣いていた。
とぼとぼと。独り竹林の中を歩いていく。
前髪が顔に張り付いて、視界は殆ど塞がっていた。
時折竹の根に足を取られ、べしゃりと泥の中に頭から突っ込んでしまう。
ぶつぶつと。
鈴仙は喉の奥から押し出すように、ひたすら何かを呟いていた。
雨の音に吸い込まれ、ろくにあたりに響いていないが。
どれだけ転んでも、呟きを止めることはなかった。
「──霊夢は私と違ってキレイなはずだ。
霊夢はキレイじゃなきゃいけないんだ」
ぶつぶつと。
まるで何かを呪うかのように。
「私なんかと違って、霊夢はキレイじゃなきゃいけないんだ。
霊夢が汚れるのを許しちゃ駄目だ。
霊夢が汚れちゃったのなら、キレイにしてあげなきゃいけないんだ」
ざあざあと。
降り注ぐ雨が耳に絡む。
「霊夢をキレイにしなきゃ。
霊夢をキレイにしなきゃ。
キレイにするにはどうしたらいいんだろう。
私は何をしたらいいんだろう」
とぼとぼと。
竹林を、あてもなく進んでいく。
「そうだ、薬だ。
薬で霊夢をキレイにしてあげなきゃ。
私の薬で、霊夢を元通りにキレイにしてあげるんだ」
ぶつぶつと。
頬の端を歪めながらも呟き続ける。
「でも、汚れちゃった霊夢は、私の薬を嫌がるかもしれない。
でも、それで諦めちゃ駄目だ。霊夢はキレイじゃなくちゃいけないんだから。
霊夢が嫌がっても、ちゃんとキレイにしてあげなきゃ」
ぶつぶつと。
鈴仙の呟きは止まらない。
「でも、どうしよう」
鈴仙はぼんやりと空を見上げた。
「霊夢は私なんかより強いんだから、もし本気で嫌がったら、薬を使うこともできないよね」
冷たい滴が頬を叩く。
「だけど、霊夢をキレイにしなきゃ」
顔は泥と雨でぐしゃぐしゃになっている。
「私の薬で──確実に」
一筋、雨ではない水滴が頬を伝った。
自分が一番得意な薬──それは決まっている。
ただ、その薬を抵抗する相手に使うのは難しい。
「技術だ……」
ぽつり、と鈴仙の唇から言葉が漏れる。
「相手が受け入れようと嫌がろうと関係ない。
誰がどんな状態でも、私の薬をねじ込む技術さえあれば……」
しかし──果たしてそのような技術が存在するのだろうか。
自分が一から作るのは無理だ。
薬を作るのとは訳が違う。
技術というものは、長い時間をかけて、目的に沿って錬磨されていくものである。
簡単に思いつけるものでは決してない。
ざあざあと降りしきる雨の中、とぼとぼと竹林を独り歩く。
ぶつぶつと呟き続けて考えをまとめようとしても、組み伏せられた霊夢の姿が頭から離れず、ろくな考えがまとまらない。
明確なのは、一つの欲求。
技術が欲しい。
相手がどんなに抵抗しようと。
──自分の座薬を突き入れる技術。
「……あれ? ここは……」
ぼんやりとした顔で、目の前の建物を見上げる。
見覚えのある建物。
輝夜の命令で、何度か刺客として遣わされた場所。
小さなボロ屋。
せいぜい1人か2人しか住めなさそうな小屋である。
その小屋の窓の向こう。
見覚えのある者と、目が合った。
相手が慌てて小屋から出てくる。
「ど、どうしたんだ!? こんな雨の中、ずぶ濡れで……!」
藤原妹紅の小屋から出てきたのは。
ワーハクタクの上白沢慧音だった。
「……お願いします……」
技術が、欲しかった。
「……掘り方を……教えてください」
それだけ言うと、鈴仙は気を失った。
「けーね、どうしたの?」
「ああ、こいつが……」
「……あら、輝夜のトコの兎じゃない。やっつけたの?」
「いや……私に用があるみたいなんだ」
「用?」
「妹紅……」
「ん?」
「コイツを、後継者にしようと思う」
「後継者って……え、ちょ、まさかアレの!?」
「ああ。私の代で終えるはずだったんだがな」
「いや、代っていうかそもそも作ったのもけーねだしっていうかちょっと私急用ができたから……っ!」
「まあ待て妹紅。せっかくだから付き合ってくれ」
「いやああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
そして、数ヶ月が過ぎた。
「どうしたんですか? いきなりこんなところに呼び出して……」
魂魄妖夢は、いきなりの呼び出しに困惑していた。
主に苦労させられる者同士、少なからず気が合っていた相手が、何故が真剣な目でこちらを見ている。
「自分の実力を知りたくて」
「……?」
「立ち合いを、お願いしたいの」
「む」
「私と、闘ってください」
ストレートな相手の願いに、思わず妖夢の口の端が吊り上げられた。
「……いいものですね。若いということは……」
相手の気迫に、ゾクゾクしている自分がいる。
魂魄妖夢は庭師であると同時に、主の剣術指南役でもあるのだ。
楼観剣を構え、妖夢は言う。
「始めましょうか」
戦いは、ほとんど一方的にすら見えた。
幾度となく、鋭い斬撃が繰り出される。
一撃一撃が、幽霊10匹分の殺傷力。喰らった瞬間、戦闘不能になってしまう可能性が高い。
(早く鋭い攻撃……完成された剣術……)
修行の足りない者ならば、足が竦んでろくに戦えもしないであろう強敵。
しかし。
(それでもなお……この勝負、敗ける気がしない!)
それは、
一瞬だった。
妖夢が斬撃を放った瞬間。
相手の姿が、かき消えたのだ。
「っ!?」
戦いの途中で敵の姿を見失うなんて、度し難い失敗である。
背後に相手が立つ気配。
瞬間、致命的な一撃が叩き込まれるのを妖夢は覚悟した。
しかし。
どれだけ待っても、決着の一撃は訪れなかった。
妖夢の頭を、怒りが支配した。
「この私を情けにかけるかっ!」
真っ向勝負で、情けをかけられる筋合いはない。
巫山戯た答えが返ってきたら、その瞬間振り返って叩っ斬ろうと決心した。
が。
「徒(いたずら)に傷つける愚を避けたかった……。
ただ……貴方は偉大な庭師。
情けをかける無礼は、許されない」
それが、妖夢が最後に聞いた、言葉だった。
次の瞬間。
ズドン! と。凄まじい音が響き渡った。
木々は震え、小鳥たちが遠くへ飛び立っていく。
倒れる妖夢。
それを少しの間見つめてから、相手は静かに離れていく。
──心得其ノ壱・先ず背後を取るべし
そんな呟きが、残されていった。
魂魄妖夢の敗北は、幻想郷中を駆け巡った。
発見されたときは白目を剥いて泡を吹いていたそうだ。
しかし、目立った外傷はなく、お尻の部分が微かに破けていただけらしい。
お尻の部分、で上白沢慧音を連想した者もいたが、それでは出血していないのがおかしかった。慧音の角は鋭く、Caveされた者は著しい出血を伴うものだと、体験者たちは知っている。
では、一体誰が──!?
「……うう。お腹空いた……」
博麗神社の境内にて。
まるでそれが基本中の基本であるかのように。
博麗霊夢は飢えていた。
鈴仙・優曇華院・イナバが来なくなったのを境に、博麗霊夢は再び困窮の道を歩むことになっていた。
とはいえ、霊夢は特に鈴仙を恨むわけでもなく、飢餓生活を享受していた。
小町にいくらかお金を貸していたので、それが返ってくるまではそこそこの生活ができていたが、先日とうとう小町に貸していた分が利子も込みで全額返ってきて、定期収入は完全に絶たれてしまった。
というわけで、博麗の巫女は、良い感じで干物になりかけていた。
──と、そんな霊夢が転がる神社の境内に、2つの人影が降り立った。
「御機嫌よう。今日も嫌な天気ね」
「あら、随分とやつれてるじゃない」
日傘を差した吸血鬼と、瀟洒なメイドだった。
「なによ……。お茶なんて出涸らし25回目くらいしか出ないわよ……?」
石畳の上でカサカサになりながらも、霊夢はそう悪態を吐いた。
「気にしないわ。──咲夜」
レミリアがぱちりと指を鳴らした次の瞬間、瀟洒なメイドは境内のど真ん中にテーブルをセットし、お茶一式を用意した。
「く……クッキーの……香り……」
ずりずりと、飢餓巫女がテーブルへ這っていく様子は凄まじくシュールである。
「あら、随分ぶざまね霊夢。
どう? 犬の真似して私の手を舐めれば、わけてあげないこともないわよ?」
「……くっ!」
(……嗚呼、お嬢様! 許されるのであれば私がペロペロしたいです!)
本気で悩む巫女と、本気で羨ましがるメイド。
そして本当はお茶の時間を仲良く共有したいのに素直になれない吸血鬼。
そんな三者三様の姿が晒されている博麗神社の境内に、新しい人影が降り立った。
最初に気付いたのは、レミリアだった。
「あら、貴女確か、あのNEETのところの兎じゃない。
最近行方不明になったって聞いてたけど……──ッ!?」
現れた人影に声をかけ──瞬間の判断で横に飛んだ。
刹那。
“何か”が、レミリアのいた空間を貫いた。
ずぎゅん、と空気を引き裂いて、レミリアの腰よりやや低い位置を、背後から襲っていた。
「……何のつもりかしら?」
瞳を赤く輝かせ、幼き吸血鬼は相手を睨む。
睨むのはレミリアだけではない。
突然主を攻撃した不審者に、従者もいきり立って前に出る。
「──理由は別に話さなくても良いわよ?
それが何であろうと、貴方のことは可愛がってあげるから」
「こらこら、咲夜。落ち着きなさい。
──私の獲物を横取りする気?」
主人も従者も、やる気満々である。
しかし、相手は特に動じる風もなく。
「……霊夢に、何をさせようとしたの?」
抑揚のない声で、そう言った。
「……? 何をって……その……お茶会を」
「別に、ただ飢えた巫女に犬の真似をさせてあげようとしただけよ?」
顔を赤く染めてぼそぼそと答えようとした主人の声を遮り、瀟洒なメイドは挑発するようにそう言った。
「…………」
レミリアがその場にしゃがみ込んで“の”の字を書き始めたりしたが、気にする者はその場にはいなかった。
──と。
そんな咲夜の挑発には乗らず。
重く暗い声がその場に響く。
「霊夢を汚すのは許さない。
霊夢は本来、キレイな存在なの。
今はちょっと汚れちゃってるけど……でも、これから私がキレイにしてあげるんだから、今以上に汚すなんて許さない。
もし、邪魔をするのなら。
──貴方達から、先にキレイにしてあげる」
紅魔館の2強に全く気後れすることなく。
鈴仙・優曇華院・イナバは、強い口調で宣言した。
「……へえ。兎が随分と吐くじゃない。
いいわ。私が相手をしてあげる。咲夜、手を出しちゃ駄目よ」
そう言って、レミリア・スカーレットが前に出る。
その表情に畏れは欠片も存在せず。
己が勝つという絶対的な自信だけが、其処にあった。
だが。
その自信は、即座に砕かれることになる。
「……霊夢を犬みたいに扱うなんて許さない!」
鈴仙が動いた。
その速度は決して速いわけでもなく、レミリアの不意を突いたわけでもない。
ただ、前に駆け出しただけ。
なのに。
レミリアは、鈴仙の姿を見失った。
「っ!?」
気付いた時には既に遅く。
鈴仙は、レミリアの背後に回り込んでいた。
──心得其ノ壱・先ず背後を取るべし
(時間を止めた!? いや、違う!
まっすぐ来ると思いこませて、既に横に回り込んでいたのか!)
以前、似たようなものを見たことがあった。
確か──月の異変があったあのとき。
永遠亭に向かう前に、村の人間を守るとかで、自分たちの前に立ち塞がった半人半獣──
(こいつ……“まっすぐ進む”という歴史を食ったのか!?)
しかし、それはワーハクタクにしかできないはずのこと。
この月兎はどうやって、あのワーハクタクと同じ技を繰り出したのか。
しかし、考える余裕はなく。
既に鈴仙は攻撃態勢に移っていた。
500歳とはいえ、外見は幼い少女。
鈴仙の胸ほどまでしかない身長の少女に、しかし鈴仙は欠片も遠慮をすることなく。
──心得其ノ弐・躊躇わず撃ち込むべし
己の武器──座薬を、幼き尻に突っ込んだ!
しかし。
レミリアも、伊達に長生きしてるわけではない。
座薬が突き込まれるその瞬間。
臀部を高速で円運動させ、押し込まれる座薬を弾き飛ばした。
尻自ら球を成し、
防御(うけ)完全とす。
これぞレミリアの下半身防御──“尻廻し受け”である。
(──咲夜のタックルから逃れるために編み出したこの防御、こんなところで役に立つなんてね!)
一度防いでしまえばあとは容易い。
敵が次弾を撃ち込む前に、必殺の一撃を叩き込むのみ。
後ろに回らせさえしなければ、こんな座薬兎、敵ではない──
「……なっ!?」
そして。
今度こそ、レミリアは心の底から、驚いた。
振り返った先、そこに鈴仙がいるはずなのに。
(こいつ……この距離、このタイミングで、回り込んだというの!?)
背後に再び鈴仙の気配。
鈴仙は、レミリアが振り返ると同時、再び背後に回り込んでいた。
後ろに回り込むことに特化された、神業とも言える足運びである。
そして。
(しかも……この距離、このタイミングで、2発目まで──)
初弾を放ってからおそらく1秒も経っていない。
なのに、既に鈴仙は攻撃態勢に入っていた。
超低空からの座薬射出。
しかし、レミリアにもあの“尻廻し受け”がある。
この勝負、堂々巡りになるかもしれない。
レミリアはそう思ったが、あいにく現実はそうはならなかった。
──心得其ノ散・奥まで押し込むべし
レミリアが尻を回すよりも速く。
鈴仙は、座薬を直接指で押し込んでいた。
刹那の世界、鈴仙の指がずぶずぶと押し込まれていく。
指からの射出ではなく、指で直接座薬を押し込む。この威力は、1発目の比ではなかった。
“尻廻し受け”は優れた防御技術だったが。
指を使ってでも座薬を押し込みたい、という思いの硬さに突き破られた。
それでも、レミリアは最後まで諦めなかった。
(くっ……! 能力発動!)
──運命を操る程度の能力。
こうなったら、運命そのものを操作して、“座薬を押し込まれない運命”をたぐり寄せるしかない。
が。
(そ、そんな……!?)
幾万通りにも分岐した運命の筋。
その全てが、“座薬を押し込まれる運命”に繋がっていた。
レミリアは、この瞬間、ついに絶望してしまった。
こいつの座薬は、数多の運命すら貫いて、敵の菊座に押し込まれるというのか──
ズドン! と。この世のものではないかのような音が境内に響いた。
「お、お嬢様ああああああああああっっっ!!!」
咲夜の悲鳴が響き渡る。
鈴仙の一撃を叩き込まれた幼き吸血鬼は、そのまま石畳の上に崩れ落ちた。
全身は完全に脱力し、尻を高く上げた状態で地に伏している。
ある晴れた日の昼下がり。レミリア・スカーレット──座薬に倒れる。
「……貴様……よくもお嬢様を……お嬢様を……ッ!」
十六夜咲夜は、激怒していた。
己の主を倒した兎に対して。
己の主をむざむざあのような目に遭わせてしまった自分に対して。
そして何より。
己の主の麗しき尻に、先に指を挿入れた者がいるという非情な現実に対して。
心の底より、怒り狂った。
「……それがどうしたというの? 霊夢をキレイにするのを邪魔したんだから、これくらい当然よ」
怒り狂う咲夜を涼しげに眺めて、鈴仙はそう言い放った。
「……決めたわ。お嬢様の菊座を犯したその指、私が切り落としてあげる」
咲夜の瞳が、氷のように冷たくなる。
「──そして、持って帰って心ゆくまましゃぶってやる!」
冷たさと同時に、燃えサカる情熱を秘めた女。それが十六夜咲夜である。
即座に飛びかかるかと思われた咲夜だが──冷静に相手のことを観察していた。
咲夜はこれから、己の主に勝利した者と戦い、勝ちを収めなければならないのだ。
激情に駆られたまま戦っても、高確率で敗北するだろう。
──全ては、主人の尻をほじった指をしゃぶるため……もとい主人の無念を晴らすため。
瀟洒なメイドはあくまで冷静に、相手の能力を見極めようとしていた。
「──貴方、随分と戦い方が変わっているわね」
以前の鈴仙の戦法は、遠距離からの座薬の連射である。
それに時折“狂気の瞳”を織り交ぜることで、相手を翻弄し座薬を突き刺す。
しかし──先程の戦い方は遠距離戦などではなく、バリバリの接近戦だった。
月の異変の際に戦ったあの鈴仙とは別人、と考えた方がいいだろう。
ふと、鈴仙が口を開く。
「座薬を押し込む技術が欲しかったの」
「……?」
鈴仙の言ってる意味が、咲夜にはわからなかった。
「弾幕としての座薬ではなく、薬としてお尻に挿入する座薬を、確実に相手に入れられる技術が、欲しかったの」
「それが、どうし」
「そして私にとって運の良いことに、師匠は後継者を欲していた」
咲夜の言葉を遮るように、鈴仙はそう言った。
「師匠……?」
突然出てきた呼び名に、咲夜は眉をひそめた。
「そう。師匠は私を後継者と認めてくれた。
──上白沢流後掘術(かみしらさわりゅう こうくつじゅつ)。
座薬を以て、技を継いだわ」
「上白沢流後掘術……!?」
「全てはCaveのために。師匠が長い年月をかけて作り上げた、究極の尻掘り技術。
敵の菊座を攻略すること、それだけに全てを賭けた歴史の集大成よ!」
とんでもない歴史である。
それを誇らしげに語る鈴仙も、既に戻れない域に達していた。
「そう……。貴方の背負うものの重さが、少しはわかった気がするわ。
でも、私は貴方を許すことはできない!」
レミリアの小さなお尻は自分のもの。常々そう思い続けて、メイド長という激務をこなしてきた。
それをあっさり奪われてしまった悲しみは、長年積み重ねられた掘り心すら打ち砕こう。
「覚悟なさい、座薬の伝承者。
その指、私が貰い受ける」
「……貴方も霊夢をキレイにするのを邪魔するのね。
いいわ。上白沢の奥義、そのお尻に教え込んであげる」
両者共に気合いは十分。
あとはどちらかが先に仕掛ければ、その時点で戦いは始まるだろう。
──その前に。
鈴仙が、ひとつ確認しておきたかったことを確認する。
「貴方は……時間停止能力者と聞いているけど」
「それが何か?」
「いえ……時間を止めたからといって手に入るものではない……。
──最萌トーナメント準優勝の称号」
「…………」
「時間を止めるのならば好きに止めるといいわ。
私の座薬は、時間が止まっても止まらない」
「いつ止めるのかは私が決めるわ。
むろん、貴方の座薬もね?」
一刹那、互いの視線が絡み合う。
そして次の瞬間。
己の勝利をもぎ取るために、メイドと兎が飛び出した。
先に仕掛けたのは咲夜だった。
鋭いナイフの一撃──しかし、それが決まるとは思ってなかった。
「っ!」
レミリアのときと同様、鈴仙の姿がかき消える。
これを初見でやられていたら、おそらく咲夜も面食らっていただろう。
しかし、先にレミリアにこの技が使われるところを見ていたおかげで、咲夜は既にカラクリを見抜いていた。
おそらく、本来の上白沢流後掘術では、上白沢慧音がまっすぐ突っ込むと同時に“自分がまっすぐ突っ込んだ歴史”を無かったことにし、敵の背後に回り込む、というものなのだろう。
シンプルだが不意を突きやすい、理に適った戦術である。
しかし、鈴仙は月の兎であり、ワーハクタクではない。
歴史を喰らう能力がない以上、慧音とは別のアプローチで、こちらに見失わせているはずである。
それはきっと──
ガキン、と鋭い音が響いた。
鈴仙が咲夜の背後に回った次の瞬間。
必殺の座薬が撃ち出され──そして咲夜に止められていた。
その様子を、一体どのように言い表せばいいのだろうか。
咲夜は背骨を270度以上ひん曲げて、己の尻に向かっていた座薬を、口で受け止めていた。
銃弾にも匹敵しそうな勢いの座薬を、前歯でがっちりと噛み止めている。
なんという柔軟性。なんという咬合力。
その光景に、鈴仙は思わず動きを止めてしまった。
咲夜はそれを見逃さなかった。
折れていてもおかしくない──否、普通ならへし折れていそうな背骨を元に戻す勢いで、全身を回転させてその場を離脱する。
「くっ……!」
同時に放たれたナイフを、鈴仙は慌てて座薬弾で撃ち落とす。
呆けずに気をしっかり持っていれば、2発目、3発目の座薬を撃ち込むことも可能だっただろう。
しかし、ほんの一瞬、咲夜の人間離れしたパフォーマンスに、我を失ってしまっていた。
やや離れたところに着地した咲夜は、そのままバリボリと座薬を噛み砕いた。
そのまましばらく口をもごもごさせたかと思うと、おもむろにペッと破片を吐き捨てた。
「今の技は見切ったわ。もう、背後は取らせない」
自信満々に言い放つ咲夜。
言い返さないところを見ると、鈴仙もカラクリがばれたことを確信しているのだろう。
──鈴仙・優曇華院・イナバは、狂気を操る程度の能力を持つ。
月の狂気を放つ赤い瞳で相手を惑わせる。それを応用し、本家上白沢流後掘術の歩法を再現したのだろう。
カラクリは非情に簡単。
ルナティックレッドアイズの応用で、自身の姿を相手の視界から一時的に消し去り、それに動揺した瞬間に、移動の軸をずらして背後に回り込む。
実際に鈴仙の姿が消失するのはほんの一瞬だが、その瞬間に相手が予測している動きから横にずれることで、相手に消えたと錯覚させているのだ。人間の視界は意外に狭く、焦点をはっきりと合わせた状態だと、ほんの少し横にずらすだけで見えなくなってしまう、それを利用した戦術である。
自分の姿を消す瞬間、横に体をずらす瞬間、敵の動揺を誘う瞬間、どれかひとつがずれるだけで成り立たなくなってしまうが──成功すれば本家本元にも見劣りしない、背後に回る究極の歩法となるのである。
しかし──咲夜はこれを見事防ぎきった。
視覚を惑わすことにより、相手の動揺を誘いその隙へ滑り込むというのなら、最初から視覚を捨てて備えればいい。
とはいえ、視覚を失った状態で、何の助けもなく相手の攻撃を察知することなど不可能である。
咲夜は──視覚の代わりに、嗅覚を以て鈴仙の攻撃を察知した。
「お嬢様は……決して無駄死にしたわけではないわ」
咲夜は鈴仙を見据えながら、淡々と言葉を紡いでいった。
「まずひとつ、貴方のその歩法を見破ることができた。初見だったら、きっと見破ることはできなかったでしょうね。
そしてもう一つ。
──貴方の指に、お嬢様のお尻の臭いを残したことよ!
そのおかげで、私は目をつぶっていても、貴方の指の位置がわかるわ。
週に一度の、お嬢様の下着一人フリスビーを欠かせたことがない私にとって、お嬢様のお尻の臭いが移った座薬を口で受け止めることなんて朝飯前よ」
堂々と、かなり変態的なことを宣言する咲夜。
「しかし……撃ち出された座薬には、味も臭いもほとんど残っていないのね……。
やっぱり……指を直接味わわなきゃ駄目みたい」
じゅるり、と湿った舌なめずり。
咲夜の視線は、鈴仙の人差し指を捉えて放さなかった。
「それは残念なことね。
──だって、すぐに貴方の臭いが上書きされるんだから!」
叫ぶと同時に、ズガンと大きめの座薬を撃ち出した。
高速で襲いかかる座薬弾を、しかし咲夜はこともなげに口で受け止める。そしてそのままバリボリと噛み砕き、レミリアの味と臭いを堪能した後吐き捨てる。
そして、再び鈴仙の姿を見失う。
「甘い! 何度私の視界から消え去ろうと、お嬢様の臭いを捉えるわ!」
咲夜は即座に視界を放棄。全神経を嗅覚に集中し、レミリアのお尻の臭いを嗅ぎ分ける──
「──なっ! 正面!?」
「上白沢流の真髄は、接近戦よ!」
叫ぶ瞬間、咲夜が取り出そうとしたナイフ全てを座薬弾で撃ち落とす。
咲夜は正面から来るはずないという思いこみで、迎撃反応が微かに遅れ、咄嗟に出したナイフは全て撃ち落とされた。これで一瞬、彼女は完全な無防備となる。
時間を止める余裕すら与えない。
鈴仙はこの瞬間に、己の全てを賭けることにした。
「掘ったーーーーーーーーーーーーッ!!!」
──上白沢流奥義
直 入 !
ズドン! と。まるで大砲が炸裂したような音が、咲夜の臀部から響き渡った。
「…………ッッッ!!!」
声にならない悲鳴を上げ、咲夜はその場に倒れ──なかった。
「ギ……ギギ…………オ……オジョウサマの、おシリの……アジ……!」
まさに執念。
主に対する過剰な偏愛が、今の咲夜を支えていた。
「奥義を叩き込まれても未だ倒れないその姿勢……。
……どうやら貴方は、強敵と呼ぶに相応しいみたいね」
鈴仙は、咲夜に真摯な瞳を向ける。
強敵と認めた相手には、全力を尽くすのが上白沢流の礼儀である。
「オジョウサマ……オジョウサマ……グギギ……」
最後まで諦めない、瀟洒なメイドの背後に立つ。
「さあ……今度こそ、貴方もキレイになりましょう?」
──上白沢流奥義
一 点 貫 !
ズドン! と。妄執を断ち切る音が境内に響いた。
今度こそ、咲夜はその場に倒れる。
「……上白沢流後掘術は、
向かう先に尻があるなら、
鉄の壁でも破ってみせる」
そう呟いて、ほんの少しの時間だけ、瀟洒なメイドに黙祷した。
さて。
これで、邪魔者もいなくなった。
「……霊夢」
「ヒィッ!」
ゆらり、と鈴仙が顔を向けると、博麗霊夢は情けない悲鳴を上げた。
万全の状態の霊夢ならば、今の鈴仙を倒すことができたかもしれない。
しかし、極限まで飢え、余力の欠片も残っていない今の霊夢では、走って逃げることすらままならない。
「今の霊夢はね、ちょっと汚れちゃってるかもしれないけど、大丈夫」
「ちょ、鈴仙、落ち着いて……!」
「私の薬で、すぐにキレイになれるんだから」
「は、話し合いましょう、れ、冷静に!」
「霊夢はキレイじゃなきゃいけないの」
「だ、誰か助け──」
「だから、私がキレイにしてあげる」
「──な、なにそのダイコン並みのはーっ!?」
ズドン! と。そんな音がした。
上白沢流後掘術。
それは愛によって生み出され、菊を散らせる悲業の流派。
その流れは、鈴仙・優曇華院・イナバが正式に受け継ぎ、座薬の伝承者として歴史に名を残すこととなった。
幻想郷において、最強という概念は定義するのが難しい。
しかし。
それを敢えて決めるのであれば、候補が3つ存在する。
一つは、フランドールのレーヴァテイン。
使用者に不安は残るものの、破壊力だけならこれに勝るものはない。
一つは、八雲紫の靴下ボクシング。
触れたもの全てを溶解させるそれは、究極の攻撃力を有していると言ってもいい。
そして、最後の一つ。
それが、一点集中に全てを求めた、上白沢流後掘術である。
鈴仙・優曇華院・イナバの戦いは、まだ始まったばかりである──
四季映姫・ヤマザナドゥは悩んでいた。
「……えーと……この予約……どうしましょう」
数ヶ月前、天国行きに予約を一つ入れておいたが、どうもその席は不要になる可能性が高い。
悩んでいた兎は、どうやら悩みを解消したようで、今は我が道を驀進中。
自分の内側だけで済むのならともかく、被害者を多数出しているのはいただけない。
が。
地獄に行かせるとなると、そのためには自分が説教しなければならない。
「……アレに……説教……?」
想像するだけで寒気がする。
もう予約のまま、天国行きにしてしまいたくなる。
しかし、そこは仕事に真面目な映姫である。そんな不正は流石にできない。
いずれ訪れるであろう某月兎の裁断は、どうやって進行するのが安全だろうか。
映姫は真剣に悩み、この問題に対して全力を以て取り組んでいた。
そう。今の映姫は忙しいのだ。
だから、三途の川の方から聞こえる「ズドン!」なんて音を気にする余裕なんてないし、わざわざ確かめに行く必要もない。
小町がきゃんきゃん犬のような悲鳴を上げていた気がするが、何も聞こえなくなったのだからきっと気のせいに違いない。
「ああ忙しい忙しい忙しい」
映姫はぶつぶつと呟いて──決して机の上から視線を上げようとはしなかった。
今の彼女は忙しいのだ。机の上の書類以外に見るべきものなんて無いはずだ。
「閻魔様」
聞き覚えのある声が聞こえたのも、きっと気のせい。
全身がガタガタと震えるのは、異常気象で寒くなっているだけだろう。
「私、どうすれば償いになるのか、わかりました」
「ああ忙しいわ忙しい。忙しいったら忙しい」
何故か視界がぼんやりと滲んできた気がする。
きっと疲れ目なのだろう。あとで目薬を買ってこなければ。
「この世の中は、不幸にも汚れてしまった方がたくさんいると思うんです」
ブルブルと震える万年筆の先が、インク壺を倒してしまう。
黒い液体が書類の上にぶちまけられる。
ああ、急いで拭き取らなければ。しかし拭くものは机の上には存在しない。
顔を上げて、どこかから何か拭くものを持ってこなければ。
……しかし、何故か視線は机の上を彷徨うばかり。
「だから私、みんなのことをキレイにしてあげようと思います」
机の上を拭かなければ。
でも──そう。自分は忙しいのだから、顔を上げることはできない。
「……こ、小町! なにか拭くものを持ってきなさい! 早く! 小町!」
裏返ったような声で、視線を固定したまま映姫は叫んだ。
しかし、部下が応えることはなく、映姫はひたすら「小町! 小町!」と叫び続けるだけだった。
──と。
机の上に白いハンカチが差し出され、そのまま誰かがこぼれたインクをぬぐってくれた。
ガタガタと、全身が震えている。
何で今日はこんなに寒いのか。もう一枚厚着しておけばよかったと映姫は後悔する。
寒い。寒い。寒い。怖い。寒い。寒い。寒い──!
「そうだ、閻魔様。この前のお詫びに、貴方のこともキレイにしてあげますね──」
──ズドン!
座薬の伝承者は、今日も征く。
《完》
結局最後までてゐが行方不明のままで終わらせたのだから、ギャグの比率を強めずにホラー路線の方向で突っ走ってくれたら文句無く100点の作品だったのに!
あのレミリア様に突っ込み、メイド長の背骨を270°回転させる等の演出も素晴らしいものがるのですが、実践の練習相手を永遠亭二強(狂?)にして仕留めるシーンを、復讐する意味合いも兼ねて陰惨に書き上げ、霊夢と懇ろになっていた小町を、霊夢の前でじっくりと血祭りに上げるとか、そう言う生々しい話だったら鼻血吹いて止まらなくなる所でした。 と、ダーク大好きな人間の出来損ないが申しております。
むしろ、前半がかなり気に入ったからこそ後半のにノれなかったんでしょうかね。あのままのノリで行ってたら100点入れてたかもしれません。
それにしても、てゐは生きてるんですかね?
今夜もうつ伏せで寝ることはできそうもない。
読んでて話の統一感が無く感じました。
個々の話の内容自体はかなり良かっただけにその点が惜しかったです。
ギャグ編ならギャグで、シリアスならシリアスで
個別に構成されてたらもっと良かったです。
先生!私にも後掘術を教えてください!(ぉ
とってもGJ
違和感無く読めたんでこういうのも良いかな
あんまり好きじゃないなー。
レベルの高いオリジナルの話とお約束ギャグが同居してるのが
ちょっと引っかかってしまう原因ではないだろうか。
ニートとその従者の末路も見たかったです。
ストーカーチックな鈴仙にちょっと萌えていたのにっ
「……掘り方を……教えてください」
ふきましたwwww
ただ、本来笑えそうな場所なのにシリアスにしているために、笑いが半減してしまっています。(バトルシーン
そこが残念な点だったかと…
そりゃもう絶望的に。
タイトルからしてある程度予測は出来たのですが、
個人的には前半の静かな狂気が好みだったような。
と言いますか、前半のだんだんと壊れていく鈴仙の描写には心の底からゾッとしました。
某民国の人も裸足で逃げ出すぐらいの虐げられっぷり、
羽振りの良さが恐怖をさらに喚起していたように思います。
どっちつかずな話とも取れますが(私が言えたことではないけど)
ひとつの作品としての統合性は兎も角。
各所に光る異様に味のある描写が、脳裏へ「ちょwwwおまwww」と思わず突っ込みを入れたくなる程度のくっきりとした場面を想起させてくれました。
なんとなくレスつけ苦手になり、最近は潜って読んでましたが
いい加減定番になってしまったけーねCAVEネタ&うどんげ座薬ネタを、様々な要素を加え大真面目に書き切り、最後まで楽しく読ませてくれたことに感謝し、このコメントを。
点数は文章評価というより、単純に自分が楽しめた、との意味合いで、これを。
ROMりながら応援してます(なにもしない、ともいう
共通ルートに続く、Aルート(コメディ編)を堪能しました。
Bルート(シリアス編)を読めることを、熱望します。
実際、前編を読み終わった時点では、すごく後編に期待していたのですがー。徹頭徹尾コメディ風味だったら80点を入れたかもしれませんし、前編の流れのまま怪奇風味でしたら100点を入れたかもしれません。
……是非、Bルートをっ!
前編で、鈴仙の いつから壊れ初めて居たのだろう と思わせる書き方に
"ヤバ……これ名作かも?!"と思っていたところにこの仕打ち!
最高です(´
落差、というものを表現することが出来る文才が羨ましいです。
なんで真面目な感じがするのにこんなに笑える。
うどんげと霊夢のカップリング……かぁ(妄想展開中
永琳「全知を持ってしてもどうしようもない瞬間、
知の外の能を持ってしないと解決できない事項は厳然として存在し、
それを学ぶはこの永遠と私では不可能で、それを盗む術すら知では不可解。
だからこの永遠亭は此処まで歪み、だからこそうどんげを解放したんだけど……
最悪で最高な新しい師を見つけて、内部から浄化しきりやがるとは……
ありがとう、うどんげ。でも誰彼構わないのはやりすぎよ、痛いわあ……」
輝夜「えーりん、こんどからあのもこにてがみをわたす役はうどんげね。
えーりんとはくたくのりょうほうもってるみたいだし……くせになりそー」
てゐを始めとする兎の気配は無い。全部ひぎられたようだ。
こんなですか?
すなわち「妖忌」と「こーりん」を(ラストジャッジメント
これが「アナルさっくつ(誤読)」ならあれな感じなのですがww
あと、映姫様への因果応報というオチが素敵(笑)
これはある意味で名作だと思いました。
歪み、狂気、恐怖と色々な要素を一つにまとめ上げ、ここまで上手くまとめ上げたSSは初めて見ました。この完成度、惚れますね。
SFCの名作狂気ゲー「学校であった怖い話」を思い出します。
え?誰も知りませんかそうですか。
お見事です。
てか後編のノリなら前編はいらない。
これって鈴仙×霊夢ですよねぇ?
おかしいなぁ・・・・変な結末になってるよぉ・・・
鈴×霊の純愛じゃないのかなぁ・・・
おかしいなぁ・・・
さぞ効くでしょうに。
GJと言わざるを得ないw