ご注意―この話は作品集21『紫煙~咎兎~』の続編になります。
先にそちらを読んで頂かないと、おそらく訳が解らぬことと思います。
「目付きが悪い」
「あん?」
廊下でのすれ違いざま。
唐突にそんなことを言ってきたのは因幡てゐ。
白兎の妖怪らしいが耳以外白い部分が無い。
此処でよく私に絡んでくる兎である。
「……なによいきなり?」
「まーた半眼になってるっての!」
「ああ……」
納得。
私は目を擦ろうとして、思い止まる。
こいつの前でそんなことをしようものなら即刻蹴りが飛んでくる。
曰く『健康に良くない!』らしい。
私は師匠に貰った目薬を差す。
「っち」
「何で舌打ち?」
「べーつにー」
なんとなくつまらなそうなてゐ。
……狙ってやがったな。
もっとも不意討ちにしろなんにしろ、こいつから一撃貰ったことは無いのだが。
「やっぱり午後はつらいんだ?」
「……辛い……眼精疲労に頭痛と肩こり……」
「健康じゃねぇなぁ……」
喧しい。
私だって嫌なんだ。
「もう半年だっけ?」
「弟子入りしてから百九十三日目、眼開けっ放しを始めて百三十二日……」
半年前、私は師匠と戦い手酷くやられた事があった。
寝たきりの生活の中で、師匠と私の会話が……、
『これから視覚を切るの禁止ね?』
『は?』
『すぐにとは言わないわ。最初は二時間くらいかしら?』
『……狂視入るんだけど?』
『それはあくまで貴女の能力。なら貴女に御せない筈がないわ』
『……なんでそんなこと?』
『貴女は眼を使わな過ぎるの。そんなんだと、いつか深海魚みたくなるわよ?』
『はぁ……』
『始めてみれば、貴女もこれの必要性に気づくわ。とにかく、これは命令』
『師としての?』
『そう、師としての』
『……判りました』
寝たきりの私に他にすることなど無い。
此処で自分の力の制御に当ててみるのもいいと思った。
……それが間違いだった。
狂視の制限は直ぐに慣れたが、網膜に掛かる負担は私の予想を遥かに超えていた。
何かを狂わすことにしか使っていなかった視覚。
私は代わりに聴覚で生活をしていたのだ。
それはいつの間にか、私に『ものを見る』という機能をひたすらに弱体化させていた。
「はぁ……」
首を回すと肩が鳴る。
少し楽になった。
「マジで大丈夫?」
「……ああ」
駄目だと言っても代わってくれるわけじゃない。
なら聞くな。
あんたの視線に合わせて下向くのもきついんだ。
私は今度は肩を回す。
やはり、破滅の音がした……
「年寄り臭いよ?」
「あんたが言うな」
因幡てゐ。
私の胸ほどまでしかない身長と幼い顔立ち。
どう見ても餓鬼にしか見えないこいつの正体は……
実は私より年上だったりする。
「……なによ?」
「……いや、世も末だなって」
「は?」
「いいの、気にしないで」
まぁ、こいつの外見などどうでもいい。
しかし、それに騙される奴は案外多い。
自分の持っているものをしっかりと把握した上で武器にする。
詐欺師……
こいつは自分でそう名乗っていた。
「……あ、っとそうだ」
「どしたの?」
「ちょっと一服」
「はぁ!?」
今日はまだヤニ吸ってなかった。
日課をこなさないと健康に良くない。
「ふ……」
「……」
「不健康ー!!」
奇声を発した妖怪兎。
次の瞬間、側頭部を狙ったハイキック。
私はしゃがんで回避しざまに水面蹴りで切り返す。
「うぇ!?」
「……」
うつぶせに倒れるてゐ。
間髪入れずに踏み抜く私。
「ぐぇ!?」
「悪くない蹴りなんだけどね?」
こいつのタッパで私にハイキックは無いだろう。
既に白目剥いてるから、そういってやることも出来ないが。
戻ったら出来ることと出来ないことの話をしてやろう。
「……ったるいなぁ」
私は首と肩を回しながら歩き出した。
* * *
いつもの空き地。
いつもの場所。
そこに座って煙を吸う。
身体の中に溶け込む異物。
それは私を内部から腐敗させ、溶かしていく。
「……」
煙を吐き出す。
そこに溶けた私ごと。
また少し、私が軽くなった。
頭の中が空っぽになる。
堕落していく感覚。
ああ……楽だ……。
「月……出てるんだ……」
煙草の先から紫煙が登る。
それを追って視線を上げれば、真昼の月が浮んでいた……
いつの間にか胸元のペンダントを弄っていた。
ID9001078 Isuna
月で亡くした、もう一人の私……
此処最近、月兎の会話に耳を貸すことはしなくなった。
その代わり、彼女のことを想うことが多くなった。
身体の傷は時間が治してくれた。
しかし喪失感は深まる一方だった。
「はぁ……」
此処に来て、そろそろ一年。
八意永琳を師事して半年。
あれだけ居心地の悪かった永遠亭にも慣れてきた。
穏やかな時間だと思う。
しかしだからこそ、埒も無いことを考えてしまう。
どうして私がここに居るのだろう……
どうしてあの子が此処にいないのだろう……
「……」
そのとき、背後から足音が聞こえた。
軽い音。
おそらく、相手はまだ私を視認していない。
まだ竹林の中だろう。
その程度には距離がある。
私は立ち上がり、スカートの埃を払う。
「……」
足音の主はゆっくりと間合いを詰めて来ている。
音を立てない様、慎重に。
私は吸殻を携帯灰皿に捨てる。
「ったく」
今度は櫛を取り出すと、腰まである長い銀髪を整える。
……ようやく私が見える位置に来たようだ。
そのとき、私は身づくろいを終えていた。
私はまだ振り向かない。
後5メートル……
背後で握られた拳が開かれるのが分かった。
今、彼女は勝利を確信した……が、
「何してるんです?」
「ひゃあ!?」
突然振り向いた私に、彼女は驚いて尻餅をつく。
やはりというか、なんと言うか……
声の主は蓬莱山輝夜。
永遠亭の姫にして、月においての反逆者。
私の今の家主に当たる女である。
彼女は事あるごとに私に奇襲をかけてくる。
「一回くらい見逃してよぉ……」
「その一回が敵だったら死ぬでしょうが?」
もっとも彼女であると認識していればこそ、私は悠長に身だしなみ等整えていたのだ。
無論、バレバレであると皮肉るために。
「でも“だーれだ”ってやりたいじゃない?」
「……師匠にやってください」
「むぅ」
もっとも、こいつの有様を見るに、皮肉が通じているとも思えない……
私は姫に手を貸し、立たせてやる。
「ありがと、イナバ」
「……」
私はイナバじゃない……
八意永琳といい、こいつといい、どうして他人に変わった名前をつけるのか?
無論、始めは抗議した。
しても聞きいちゃいなかったが。
奴らは私が疲れ果てるまで引きはしないのだ。
……待つことに馴れた永遠はこれだから困る。
私はまた煙草を咥えた。
「あ、私も一本」
「ん」
箱から一本スライドさせてやる。
こう見えて、彼女も結構な愛煙家だったりする。
彼女に火をやってから、私も自分の煙草に火をつけた。
「あ~……染みるなぁ」
「そう?」
彼女は本当に幸せそうである。
快楽主義者を自称する女だが、こういう姿を見ているとつくづく納得がいく。
「イナバは不味そうねぇ?」
「そうですか?」
「うん」
「そうですか」
「駄目よ? タバコは楽しんで吸うものなんだから」
無駄に元気なお姫様だ。
かつては怜悧な才女だったと師匠は言っていた。
それが嘘だというのは、私とてゐの一致した見解である。
『……』
しばらく無言の時が過ぎる。
その間、姫はニコニコしながら私を見ていた。
「……なんすか?」
「んーふふふ……」
気色悪い。
こいつがこんな笑いをしたときは決まって良くないことが起こる。
何時だって師匠が頭を抱えて泣き出すのは、こういうときなのだ。
「実は、ちょっとイナバにお願いが……」
「嫌です」
私は迷わず踵を返す。
冗談ではない。
そういうことは師匠の管轄だ。
しかし歩き出すより早く、姫は私の足にしがみついた。
「そんなこと言わないのぉ」
「……お召し物が汚れますよ」
彼女に敬語を使っているのは、無論皮肉である。
やはり、こいつに通じているとは思えなかった。
「……聞くだけですよ」
「ありがとイナバぁ」
「離れてください」
「はーい」
ようやく離れる輝夜姫。
……かつてこいつに求婚した連中は、いったい何を考えていたのだろう。
「……ちょっとね?」
ようやく本題に入ったか……
いや、別に入って欲しかったわけではないが。
しかし彼女の次の一言は、私の中に霜を降らせた……
「ヒトカタをぶっ壊して欲しいなって?」
「人……形?」
「そう」
全く表情を変えずに言い切る姫。
こいつは……
「私が言うのは滑稽ですがね……」
「なぁに?」
「死んだら生き返ったりしないんですよ?」
「大丈夫、死なないから」
「はい?」
また、訳の解らぬ事を言う。
てっきり殺人依頼かと思ったが、違うのだろうか?
「これは私から貴女への難題よ? 無事に解けたら、お祝いしましょう!」
それだけ言って、踵を返す姫。
私の返答など聞きもせず。
何だったのだろう……
ふと見ると、姫は立ち止まりこちらを見ていた。
「永琳は……貴女に良くしているかしら?」
なんの意図かは判らない。
だが、その質問に迷う必要は無い。
「ええ。良くしてくれているわ」
「そう……あいつ、貴女を信じてるのね」
寂しそうに微笑む姫。
今、私にかけられる言葉は無かった。
「永琳は強いわ」
「そうですね」
「でも、私はそこまで強くない……」
「そうですね」
今度こそ、振り返らずに歩き出す輝夜。
「私にも……信じさせて……」
そう呟いた彼女。
私に聞かせるつもりは無かったろう。
口の中で消えてしまうような、かすかな囁き。
それでも、私は聞いてしまった……
耳が良いから、聞いてしまった……
* * *
永遠亭内に一箇所だけ、喫煙可能な場所がある。
それが師匠の私室。
別名『イナバの人体実験場』
てゐも決して近づかない永遠亭の難所。
此処での喫煙は師匠との暗黙の了解になっている。
私はそこで先ほどの姫との会話を話していた。
「そう、姫がそんなことをね……」
師匠はフラスコの液体をスポイトで吸いだす。
「なんというか、複雑そうでした」
眼の高さに持った試験管に、スポイトの中身を慎重に落とす。
「姫は貴女に期待してると同時に諦めているの」
試験管から煙が昇る。
「諦める? 何をです?」
軽く振って中身を混ぜる。
「もちろん、貴女と歩むことを……よ」
師匠は試験管立てに差してこちらを向いた。
試験管からは未だに煙が湧き出ている。
凄まじい異臭。
ゴム手袋を外し、その手で耳朶を摘まむ師匠。
……どうやら火傷したらしい。
そして、おそらく失敗したのだろう。
「貴女のオリジナルと私達は、三人だったわ」
「……」
「それこそ、無邪気に永遠を信じられるくらい三人だった……」
少し遠い瞳で語る師匠。
「それでも、そこに永遠なんて存在しなかった。結局、私達は二人になった」
そこに失敗を匂わせる材料は無い。
しかし、耳から手は離さない。
「『私達は、また三人に還る』」
「はい?」
「あいつが最後にそう言ったのよ」
「師匠はずっと信じてた?」
「ええ、あいつは嘘吐かないもの」
なるほど……
それで、信じさせて……か。
「それで、ヒトカタって蓬莱人のことですか?」
「ええ、……強いわよ」
「死なない不死者をぶっ壊せ……か」
これは確かに難題かもしれない。
私は半年前、師匠で既に失敗しているのだ。
「もしそれで貴女が負ける程度なら、姫は本当に諦めるんでしょうね」
「そんなことをしないと、一緒にいることも出来ないんですか?」
「……永遠なんてやってるとね……」
「はぁ」
「毎日が惰性と予定調和の集積でしかなくなっていくの……」
「……」
「だから、自分で『決める』のよ、絶対の約定を」
「もし私がこれを成し遂げたなら……?」
「姫は貴女を信じる、そして、絶対に裏切らない」
……どうしたものか。
別にここで姫に見限られたところで苦はない。
全てのモノに好かれよう等と考えたことは一度も無いのだ。
だが……
―――信じさせて
「それで、貴女はどうするの?」
いつもの柔和な表情に戻って尋ねる師匠。
「どうすると言ってもなぁ……」
「貴女には重荷でしょう? オリジナルの面影なんて?」
「別に」
どうでもいい。
長く生きているのなら、いろいろなこともあったのだろう。
私がオリジナルと同じ顔をしている以上、思い出すのも無理からぬことだと思う。
「それで、死なないヒトカタって何処にあるんです?」
「行く気なの?」
「ええ、どうせ暇ですから」
「暇って貴女……」
師匠は頭を振ってため息を吐く。
……まぁ、確かに薬学の勉強はブッチしてるが。
それも仕方あるまい?
向き不向きがあるのは人だけではないのだ。
「……居場所はてゐが知ってるわ」
「師匠は行かないので?」
「私が行ったら勝っても負けても、姫は私の介入を疑うでしょう?」
なるほど、納得。
「では、明日にでも行ってきます」
「お弁当作ってあげましょうか?」
「てゐの分だけお願いします」
正直何が入っているか解らない弁当など食べたくない。
それ以前に、私は食事など必要ない。
私は師匠の部屋にある、私専用の灰皿に吸殻を捨てる。
「さっきも言ったけど、強いわよ?」
「どっちが勝つと思います?」
「そうねぇ……」
そう言って笑う師匠は、珍しく真剣な表情を見せた。
「貴女が持ってるものを全部使って、それでようやく七分と三分……その程度の勝ち目でしょうね」
「どっちが七?」
「ヒトカタよ」
「それは、結構なことですね」
「ええ、結構なことね」
それだけ言って、師匠はデスクに向かった。
私も師匠の部屋を出る。
師匠は何も心配していない。
なら、私はその通りの結果を出すだけだ。
七対三の勝算を覆す。
難しいことではない。
私は、このときそう思った。
* * *
「竹林を出てまた竹林に入るのか……」
「仕方ないって、此処に住んでるんだから」
姫がらしからぬことを言った翌日のこと。
私はてゐの案内で『死なぬヒトカタ』の住所を尋ねていた。
最初、てゐは散々渋っていたが……
「♪」
今は非常に上機嫌である。
その手には師匠が作った弁当箱。
因みに私が作ったことになっている。
流石に師匠のお手製とは言えない。
「……あんまり期待しないでね?」
作ったの師匠だし。
「うん、味は期待してない」
「健康にはいいはずだから」
「ほほう……私を唸らせる出来かしら?」
さあ、それはどうだろう。
一つ言えるのは、師匠がまともな弁当など作るはずがない。
しかし師匠はてゐのために作ったはず。
ならば味度外視の薬膳料理を仕上げた可能性が高いだろう。
……無邪気に喜ぶ詐欺師が、少しだけ哀れだった。
「あれがそう?」
やがて見えてくる、竹林の奥に佇む一軒屋。
「そ、ごく普通の一軒家」
確かに家のように無駄に広いわけではない。
しかし、外観だけ見ると決して狭いわけでもない。
独りで住むには、やや広すぎるのではなかろうか?
そういえば、家族構成など聞いてこなかったが。
「もこーう! いるんだろ!?」
突然隣の兎が叫ぶ。
いきなり正面から行くしか選択肢が無くなった。
奇襲、掛けてみたかったな……
成功するしないは別にしても。
まぁ、いいか。
収穫もあった。
どうやら私の相手はモコウという名前らしい。
……なんで相手の詳細を聞いてこないんだ私は?
思わず頭を抱えて座り込んだ。
「何やってんの?」
「聞かないで……ちょっと、眩暈がしただけだから……」
てゐはそれ以上気にせず、どんどん家に近づいていく。
相手方からの奇襲など全く考えていないらしい。
いいんだろうか……
一応、てゐを庇える距離でついていく。
私達はすぐに正面玄関にたどり着いた。
「もこう? 入るよ!?」
いい終わるや否や、速攻で引き戸を開ける開運兎。
その行動には相手の返答など待つ素振りもない。
私はてゐの頭上から中を見る。
正面の土間から居間に通じ、居間の中央には囲炉裏がある。
囲炉裏には鍋が吊ってあり、囲炉裏端には一人の少女。
「……いらっしゃい」
「無視すんなよ」
「そっちの兎は初めてね」
「ええ……」
「だから無視すんなっての!」
私はてゐを押しやると、彼女の視線の前に立つ。
私と同じ、長い銀髪。
やや大きめの服を着て、サスペンダーで吊っている。
そして、両手をポケットに突っ込んで笑っていた。
見た目は特にこれと言った特徴のない女である。
しかし彼女が纏う雰囲気はそれなりの修羅場をくぐって来た者のそれ……
「はじめまして、藤原妹紅、と申します」
私は膝をついて頭を垂れる。
視線を外し、聴覚を最大限に研ぎ澄ます。
これは駆け引き。
今、私は完全に無防備に見えるだろう。
彼女は一体どう出るか……
あ!? てゐの奴、さっさと上がって寛いでやがる。
「はじめまして、私はレイセン。本日は蓬莱山輝夜の使者として参りました」
「あ、少し待ってて」
「はい?」
「用件は判ってる。だから、少し待っててちょうだいな」
私は顔を上げて妹紅を見やる。
彼女は私を見ていなかった。
彼女の視線は目も前の鍋に注がれている。
「上がっていいわよ」
「……失礼します」
私は注意深く彼女を観察しつつ囲炉裏端に腰を下ろす。
「なーに猫被ってんの?」
「あ、やっぱり畏まってるんだ?」
「そりゃあもう、家ではひたすら生意気なんだから」
「ああ……気が強そうだものね、彼女。可愛いなぁ」
いきなり他人をダシに談笑する妹紅とてゐ。
私はそれを聞き流し、ひたすら妹紅を観察する。
仕草、表情、そして心臓の鼓動から発汗の有無まで……
「随分抜け目ないのね?」
「貴女……本当に私が何しに来たか判ってる?」
「ええ、殺しにきたんでしょう?」
ちゃんと判っている。
そんな相手が近くにいて、まだ警戒する素振りも見せない。
唯の馬鹿か……あるいは絶対の自信があってのことか……
……後者だろうな。
私は早々に見切りをつけた。
私も先ほどから、彼女に対して撃ち込めないでいるのだから。
なるほど……勝ち目七対三か。
私が緊張を解くと、妹紅は私に笑いかけた。
「殺り会うのはいつでも出来るけど、食事には食べ時があるからね」
そういって、鍋の蓋を取る妹紅。
「そうそう、そんなに硬いと人生損するよ?」
したり顔で言うてゐ。
……さっきから喧しいな。
余計なお世話だ。
私はこの軽薄白兎を黙らそうと拳を握り……ふと思いとどまった。
てゐは例の包みを広げている。
どうせそれを一口喰ったら黙るのだ。
ならば、私が介錯する手間さえ勿体無い。
「そうかもね……」
私は消極的に同意しておく。
これは珍しいことだろう。
「なによいきなり……変な奴」
「別に……生き残ったら、貴女の忠告に従おうと思っただけよ」
無論、貴様が生き残れたら……である。
私は立ち上がって玄関に向かう。
「何処行くの?」
「一服してくる。終わったら声かけて」
「いいの? 裏から逃げるかも知れないよ?」
「それは絶対にない」
殺しに来た相手と談笑する妹紅。
そのくせ、私が来てから一度も注意は外さなかった妹紅。
そして……私と同程度には、私を観察していた妹紅。
背中を駆け上がる震えが止まらない。
口の端に浮ぶ歪みを抑えられない。
私でさえこうなのだ。
『毎日が惰性と予定調和の集積でしかなくなっていくの……』
そんな奴が、この愉悦を知らない筈が無い。
こんなイベントを回避して、永遠なんてやっていられる筈が無い。
私はてゐの断末魔を聞きながら、妹紅の家を出た。
* * *
「やろうか?」
「ええ」
妹紅が出てきたのは、私が八本目の煙草に火をつけた時だった。
出てきたのは彼女一人。
「……てゐはどうしたの?」
「……いい友人を亡くしたよ」
そうか、逝ったか。
後で骨くらい拾ってやろう。
師匠は喜んでいろいろしそうだし。
「……」
「なにか?」
「いや、不味そうに吸うなと思って」
「……」
「何よ?」
「いや、姫と同じこと言うなと思って」
「……」
妹紅は心底嫌そうに顔を歪める。
どうやら仲が悪いらしい。
なんとなく、そんな気はしたが。
それにしても……不味そうか……
顔には、出してないつもりなんだが。
私は咥え煙草を吐き出した。
―――それが地面に落ちた瞬間……
妹紅が私に向かって走る。
マズルフラッシュが閃き、硝煙の匂いが辺りに立ち込める。
白金の銃、エンゼルクライムの一斉射撃。
妹紅は……止まらない!?
「はっ!」
裂帛の気合と共に繰り出される拳を、首を捻じって何とか避ける。
だが突き出した拳を変化させた裏拳まではかわせない。
私はまともに喰らう直前、自分から飛んで衝撃を逃がす。
そのまま中空で身を捻り、身体を丸めつつさらに回転。
私の膝が妹紅の顎先をまともに捉えた。
「っぐ……」
「っと……」
よろめきつつも倒れぬ妹紅
何とか足から着地する私。
同時にバックステップで距離を取り、打たれた頬に手を当てる。
皮膚が当たった感触じゃない。
もっと硬い……金属質の物で殴られた。
「……手甲か?」
「うん。ご名答」
おそらくそれで私の弾丸も遮ったんだろう。
だが、貫通力に優れた私の白金は手甲に仕込んだ鉄くらい容易に貫けるはず。
これは……よほど上手く受け、流したのか……?。
理屈は判る。
それでも実際やってのけるとなると、尋常ではない技量がいるだろう。
「化け物……」
「そうだよ? 今更気づいたの?」
妹紅は体勢を立て直すと、左手を虚空に翳す。
その掌から鳥を象った紅蓮の炎が生まれる。
私も銃のカートリッジを交換する。
そして漆黒のもう一挺……ピースメイカーを取り出す。
……お互いに口の端から流れる血を拭って宣言した。
「さぁ……ここからよ?」
「ええ……始めましょうか?」
妹紅が不死鳥を空に放つ。
解き放たれた不死鳥は大空に舞い上がり、翼を打って私に迫る。
それと同時に妹紅は私との距離を詰める。
同時攻撃。
だが、それは私の読みの内。
私は頭上から迫る火の鳥を見据える。
無機物狂視『軌道変化』
「え!?」
真っ直ぐに私を襲うはずの不死鳥。
しかしそれは私に届かず、その手前の妹紅自身に向けて落ちていく。
「っち!」
妹紅は咄嗟にもう一羽の不死鳥を生み出し、頭上の反逆者を迎撃する。
熱波が辺りに撒き散らされるが、双方にダメージは無い。
私もそこまで期待していた訳ではない。
だだ、彼女の足を止めたかっただけ。
二挺拳銃の一斉射撃……そこから……
無機物狂視『誘導』
左右から計十四発の弾丸が放たれ、不規則な軌道で妹紅に迫る。
速度と威力は『軌道変化』に劣るものの、これは確実に相手に当たる。
だが……
「ふ……」
妹紅は背中から紅蓮の翼を生み出し、空に舞う。
私の弾丸はそれを感知し、妹紅を追って軌道を変える。
……あ?
妹紅は真下に向けて火の鳥を放つ。
それは私の弾丸を全て巻き込み、消滅した。
地上において包囲しても空に逃れた所を追いかければ、全て下からの攻撃に化けてしまう。
なるほど……そういう避け方もあるんだ……
「っぶないなぁ」
「……」
翼を消して地面に降り立つ。
笑みさえ浮かべて話す妹紅。
先ほどから見るに、彼女は接近戦をやりたいらしい。
……どうしたもんだろう。
昔、月にいた頃……
前衛はイスナの仕事だった。
あの子がいたから、私は後ろでフォローすればそれで済んだ。
だが、既にあの娘はいない……
彼女がしてくれたことは、今は私が自分でしないといけないんだ……
速度は、たぶん私に分がある。
しかし決して圧倒的な差がある訳でもない。
そして退き足よりも追い足の方が速いことを考えると、おそらく妹紅からは逃げられない。
逃げられないならやるしかないか……
「じゃ、行くよ?」
っち、まだ考えが纏まってない。
妹紅は両手から火の鳥を生み出すと、矢継ぎ早に繰り出してくる。
その軌道は……私を狙っていない?
適当に撃っているならうかつには動けない。
私は妹紅の動きに注意しつつ、不死鳥の軌跡を分析する。
この軌道は……対衝突!?
両手から生み出された二羽の不死鳥は、私の周りで激突。
それは轟音と熱波を撒き散らし、炎が妹紅の姿を覆い隠す。
まずい……
私は此処に来てようやく相手の意図に気がついた。
相手の狙いは私の視界の撹乱と……轟音で聴覚を潰すこと!
幾つもの火の鳥が、私の周りで衝突する。
既に最初の二羽の時から、私の鼓膜は情けない悲鳴をあげていた。
そこに妹紅が飛び込んでくる。
今までよりも数段早く。
聴覚の使えない今、銃でこいつを捕らえる自信は無い。
私は二挺をホルスターに納めると、右手にコンバットナイフをかまえる。
「そうこなくっちゃね!」
落ち着け……
こうなったら開き直るしかない。
実戦使用はこれが初めてだが、出来るはず。
私の能力なら私が御せない訳がない。
師匠がそういうなら間違い無い。
妹紅は私のナイフの間合い半歩手前で、私の左側に回りこむ。
視界の中で私はその様を『ゆっくりと』視た。
私はそちらに身体を向ける。
丁度ナイフの反対から接近した妹紅の拳が、私の顔面を襲う所だった。
妹紅は命中を確信していたんだろう。
だが……
「……遅い」
「!?」
実際は私が被せた左のクロスを寸前で止まって回避した。
眉を潜めて距離を取る妹紅。
この闘いの中で初めて、彼女の方から退いた。
「……良い目してるねぇ」
「さりげなく自慢だから」
何とか……成功か……
これが死蔵していた私のチカラ
半年前に師匠と殺りあった時には、まだ自覚出来ていなかった私の能力……
『拳銃の弾丸すら』視認出来る動体視力。
昔の私は、目を狂気操作の補助器官としてしか認識していなかった。
自分の撃った弾さえ見れれば、それで勝てたから。
だがそれだけでは勝てない相手に会って……
私は自分自身すら、自由に出来ていないことに気がついた。
これは、その内の一つ。
もっとも常に馴れない集中を続けねばならない分、目に掛かる負担もまだ大きい。
……そろそろ耳鳴りも収まってきた。
さっさと決めようか……
私は左手に漆黒の銃を構える。
「あ、耳戻ったんだ?」
「ええ……今しがたね」
同じ轍は踏まない。
半年前に思い知った。
蓬莱人相手に殺し合いをするのは馬鹿げてる。
倒しては蘇るいたちごっこに付き合っていたらこっちが持たない。
殺さぬ程度に、しかし自殺も出来ない程度に半殺しにするのがベストなのだ。
そのためには、オーバーキルを前提に改造したこの銃は向いていないのだが……
「その手甲はぶっ壊さないとね」
「ぶっ壊されると困るなぁ……」
ケタケタと笑う妹紅。
そして彼女はおもむろに手甲を外し、地面に落とした……?
「何のつもり?」
「いやぁ……ほんとに壊してくれそうだからね?」
「……舐めてんのか?」
「まさか?」
そう言って、妹紅は静かに私を見据えた。
思わず半歩、退いた……
ヤバイ……
背中が嫌な汗をかいている。
それまでを激流と称するなら、今の妹紅は正に清流。
穏やかな、しかしその水位はこれまでを遥かに凌ぐ……
そんな威圧感がある。
しかし……
「これ壊されると、ダチんとこ行かなきゃ直せなくてさ……」
「……」
「そんときの説教がうざいったらないのよ……」
「……」
「本気で心配なんかしてるもんだから、余計にね?」
「……あんたさぁ……」
もとより、私は我慢強い方ではなかったと思う。
それは認める。
だが……これは、少しキタ……
「やっぱり舐めてんだろ?」
「舐めてないって……ただね?」
やかましい。
既にオーバーキル云々は頭になかった。
生き返ることが嫌になるまで殺しつくしてやる。
私は左手の銃を閃かす。
無機物狂視『拡散』
妹紅の周囲に陽炎が揺らめく。
そして私の弾丸は、彼女の手前で全て……熔けた!?
妹紅の全身が炎に包まれる。
空気が……熱い……
「火吹き矢ってとことん相性悪いんだよ、私とさ」
妹紅がその手を虚空に伸ばす。
それは太陽と重なり、そして握り締められた。
空間狂視……
「堕ちろ!!」
「歪めっ!!」
私が叫ぶのと、彼女の拳が大地を叩くのは殆ど同時だった。
―――
「なになに!? どしたの!?」
朱に染まった世界。
奇跡的に無事だった小屋から、てゐが飛び出してくる。
その声で、私は気がついた。
いけない。
コンマ何秒か気絶していたらしい。
てゐは……どうやら無傷のようだ。
もっとも、そうでないと立つ瀬がない。
私の空間狂視は全力で妹紅の家をカバーしていた。
おかげで炎も土砂も、彼女の家までは届かなかった。
……こっちは結構ボロボロだけど。
「レイセン! 無事!?」
「……に見える?」
「あんま見えない」
「正解よ」
立ち上がった私に、てゐが駆け寄ってくる。
妹紅の姿が見えない。
奴は……
「あー……ちょっとアンフェアだったかな?」
背後から気さくな声がかけられる。
私はゆっくりと振り返る。
出会った時と同じ……
大き目の服をサスペンダーで吊り、ポケットに手を入れて笑っていた。
しかしその肩は大きく上下し、口からは荒い息をついていた。
おそらく、彼女にとっても相当大きい術だったのだろう。
決着が近いな……
「気にしないで。私が甘かっただけだから」
「うん……そいつを忘れてた私も私だけどね」
辺り一面が火の海だった。
炎が風を生み、私達の髪を靡かせる。
前に師匠が言ったことがある。
山は時々、火を吹くことがあると……
私は実際に見たことはない。
だから今なら、実はそれはこいつの仕業だ、と言われれば納得しそうだった。
「さ、この熱気の中でそいつが撃てる?」
「……無理でしょうね」
既に銃身がかなりの熱を持っている。
その上、この気温の中で撃とうものなら本当に暴発しかねない。
私はブレザーを脱いで傍らのてゐに渡す。
てゐは何も言わずに受け取ってくれた。
「さ? 殴り合いしよ?」
「結局そこに行き着くのか……」
心底嬉しそうに笑う妹紅。
……ムカつくなその顔。
「てゐ、それ持って山を降りて」
「……あんたは?」
「すぐ行くわ……あいつを倒したらね?」
「ん……死ぬなよ」
「……善処する」
てゐは踵を返して走り出す。
その瞬間、私も妹紅に向かって走る。
妹紅は余裕を持って構える。
「は!」
何の小細工もなく、正面からの右フック。
妹紅は顔に届く寸前、左腕で拳を遮った。
彼女の顔が苦痛に歪む。
ガード越しにも一瞬腕が潰れたのだろう。
彼女の僅かな遅滞を逃さず、右手を引く間も惜しんだ左の掌底。
彼女は右手で外に流す……ここだ!
「あ!?」
私は突き出した両手を開いて妹紅の腕を掴む。
そして引き寄せながらその鳩尾に膝を叩き込む。
「ぐっ……」
妹紅の身体がくの字に折れる。
私は妹紅の頭に叩き落すため、両手を組んだ。
だが妹紅は起き上がりざま、後頭部で私の顎をかち上げる。
「っつ!?」
舌を噛まなかったのは運が良かった。
しかしたたらを踏んだ私は、妹紅のハイキックまでは避けられなかった。
側頭部に衝撃を受け、まともに吹っ飛ばされる。
地面に倒れた私を追いかけ、間髪入れずに踏み抜く妹紅。
私は全身をばねにモーション無しで跳ね起き、彼女の足を回避する。
「っふ!」
起きた所に、左足を狙った妹紅のローキック。
退くだけの時間はない。
私は命中の瞬間を見切って左足を地面に叩きつける。
ローがまともに入ったが、ダメージはない。
タイミングよく大地を蹴って衝撃を地面に逃がしたのだ。
彼女の体制が戻る前に、私は左拳で妹紅の側頭部を殴りつける。
避けられるタイミングではない。
だが妹紅はインパクトの瞬間に身体ごと首を捻じって威力を殺す。
しかもそのまま旋回し、逆に自分の左肘で私の頭を打ちぬいた。
「っ!?」
声さえ上げられず、よろめく私。
だが妹紅からの追撃もない。
威力を殺したとしても、決して零に出来るわけではない。
彼女の膝も、私と同様に揺れていた。
もはや私に余裕はない。
そしておそらく、妹紅も似たようなものの筈。
『っこのぉ!』
私達は殆ど同時に立て直し、お互いに向けて殴りかかる。
此処で……決める!
生物狂視『発狂』
「あ……っ!?」
私は妹紅自身を狂視する。
ほんの一瞬。
それが、私の限界だった。
慣れない目の行使によって、私自身の疲労は既にピーク。
目が開かず、そして熱い。
おそらく眼球の毛細血管が破裂したんだろう。
しかし一瞬とはいえ平衡感覚、距離感、その他の感覚を完全に狂わされた妹紅は、渾身の一撃をまともに空ぶった。
私は殴りかかるモーションを、ハイキックのそれに切り替える。
彼女の体が泳ぐ中、私は全身全霊を持って彼女の顔面を蹴り抜いた。
「っが」
「足癖悪いんだよね……兎って」
吹っ飛ぶことすら出来ず、崩れ落ちる妹紅。
正直……私ももう動けない。
だが……彼女が寝ていてくれれば、姫の用事は事足りる。
私は荒い息を吐きながら、彼女に語りかけた。
「……姫の用件って伝えたっけ?」
「どうせ殺せって事なんだろうけど、あんたの口からは聞いてない……」
「そっか……殺せとは言ってなかった」
「……珍しいね……じゃあなんて?」
「……まぁいいわ。すぐに済むからじっとしてて」
私は妹紅の上に倒れこんだ。
正確には肘から、彼女の脛に。
「痛ってぇーーーーーー!?」
骨が砕ける感触があった。
良し!
壊した!
私ももう、動けない。
火の海の中で行動不能。
このままだと死ぬだろう。
だけどやれるだけはやったと思う。
姫は……私を信じてくれるだろうか……
「ちょ! 重いって、痛いんだからさっさと退く!」
「……無理」
「はぁ!? ちょとあんた!」
妹紅が何か騒いでる。
私はその声を聞きながら眠りに落ちていく。
意識を失くす寸前に、師匠の声を聞いた気がした……。
* * *
「はい、あーん」
「自分で飲みますから置いてください」
「絶対駄目。貴女はそう言っていつも薬飲まないんだから」
「師匠の薬はどうも本能が忌避するんです」
「失礼な……私以上の薬師はそういないわよ?」
「それは重々承知ですがね」
あれから既に三日。
私達は師匠に回収されたらしい。
傷自体は大したことのなかった私は、翌日には既に起き出せた。
しかし、目に巻いた包帯が取れるまで、絶対安静を言い付けられたのだ。
「妹紅はどうなったんです?」
「彼女は姫が遊んでるわ。……いろいろと」
「そうっすか」
どうやら彼女も随分と大変な目にあっているらしい。
死ねないというのも哀れだな。
まぁ、彼女がどうなろうと私には関係ない。
車挽きにでも串刺しにでもなってくれ。
「さ、包帯取るわよ?」
「はい。お願いします」
師匠は手際よく私の包帯を解いてゆく。
やがて、全ての包帯が取り払われ、ガーゼも外された。
「……どう? 見える?」
「……まだ……ぼんやりとしか……」
「そう、視力は死んでなさそうね」
「ええ」
私は床から出ると、枕元にある普段着に着替える。
「……少しは恥らってちょうだい」
「何をです?」
「……なんでもないわ」
いつもの服に身を包み、武装を確認したところで師匠から声がかかる。
「ところでね、ウドンゲ」
「はい?」
「姫がお呼びよ」
「……用があるなら自分か……っちょ! 師匠?」
「はいはい、いいからいらっしゃいな」
師匠は耳を掴んで歩き出す。
ちょ……耳が萎れる!
「離してくださいって! 行く! 行くから!!」
「やっと素直になってくれたのね?」
「……覚えてろ」
「何か言った?」
「いえ? 別に」
私は師匠の横を歩く。
しばらく行くと姫の私室。
中から姫の笑い声と、妹紅の悲鳴が聞こえてきた。
……どうやらお楽しみらしい。
スプラッタを見る趣味はないんだが……
「……失礼します」
自分の思考に浸っているうちに、師匠は入室の許可を得ていたらしい。
中から襖が開けられる。
開けたのは因幡てゐ。
既に中で待っていたらしい。
珍しいこともあるものだ。
こいつに姫の付き人なんて出来るわけ無いと思っていたが。
姫の部屋は……ある意味想像以上の地獄絵図と化していた……
「ほーら、もこたん。あーん?」
「あーんじゃねぇ! 離れろタコ!」
「病気や怪我の時くらいかか様に甘えなさい」
「誰がかか様だ殺すぞダラズ!」
「照れなくてもいいのよもこたーん」
「触るな! 寄るな! 引っ付くなー!!」
「そーれミツバチ戦法」
「やめーい!!」
……私はどうやら視覚と聴覚に異常をきたしていたらしい。
しかしどんなに目を擦っても、そこにある景色は変わらない。
姫の布団に寝て足を吊った妹紅。
それを甲斐甲斐しく? 介護? する姫……
そのとき、私の肩と背中に手を置く者があった。
師匠とてゐ。
その二人の表情は慰労と、何よりも沈痛に何かを告げていた。
すなわち、『諦めろ』と……
あ、てゐから蹴りが来なかったな……
「あー、イナバだー」
私に気づいた姫が、とてとてと走って寄ってくる。
なんというか、見ていて転びそうで非常に危なっかしい。
姫は私に駆け寄ると、勢いそのままにしがみ付いて来た。
「怪我は大丈夫?」
「……一応」
「そっか」
「……」
心底嬉しそうに微笑む姫様。
なんというか、これまでにない懐きようだが……
困惑する私に、師匠が横から囁いた。
「これから、姫は貴女に一切遠慮はしないわよ?」
「……マジですか?」
「マジだねぇ」
妙に達観した様子のてゐ。
腕を組んでしみじみ頷くその様は、とてつもなく似合ってなかった。
「ねぇ、今日が何の日か覚えてる?」
「……何かの祝日?」
「そう! イナバが始めて家に来た日よ」
「……そうでしたっけ?」
「うん、そう」
よく覚えているものだ。
姫がくっついているので振り向けない。
私は首を巡らして、師匠とてゐを見る。
二人はそれぞれの表情で頷いた。
どうやら間違いないらしい。
「だから、今日がイナバの誕生日よ」
「は?」
「どうせ自分の生まれた日なんて判んないでしょ?」
「それは……まぁ……」
これは私の生まれが特殊なことはあまり関係がない。
月では割と普通のことだったりする。
そういったことには非常に関心の薄い種族だった。
「だから今日。どうせなら、おめでたい日がいいじゃない?」
「……あのね……姫?」
「ん?」
「そいつ生け捕るの……すっごく苦労したんですよ?」
「もこたん強いもんね?」
「もこたん言うな!」
妹紅の抗議は全員にシカトされる。
仕方あるまい?
ここは妹紅にとってはアウェーなのだ。
「散々苦労させといて、誕生日?」
「そうよ」
……私の中で何かが湧き上がってくる。
ただ、苦労しただけだった。
しかもこれからは姫も遠慮はしないと来た。
これからはこんな苦労が日常になるのかもしれない。
師匠と同じように、胃薬を持ち歩くのが日常になるのかもしれない。
それはなんと馬鹿馬鹿しく……
優しい時間なんだろう……
「っく……っふ……」
「え?」
「あ……ふふふ……」
「イナバ?」
「姫、妹紅が寂しがってますよ?」
「おい!?」
「あ、ごめんね妹紅ー」
「来るなー!!」
気がつけば、私は腹を抱えて笑っていた。
師匠やてゐはもちろん、姫と妹紅も身体を折って笑う私を見ていた。
そしていつの間にか、てゐも師匠も笑っていた。
散々苦労して誕生日。
あー……可笑しい。
馬鹿みたい……
「さ、今日は宴会よ? お願いね永琳」
「かしこまりました」
そう言って、師匠が部屋を引き取った。
私とてゐも、姫の部屋を後にする。
「あんたの笑ったとこって初めて見たよ?」
「そうでしょうね……こっちじゃ初めてだったかもしれない」
本当に、声を上げて笑うなんて何年ぶりだろう。
私達は中庭に接した廊下に差し掛かる。
中庭からは空が見える。
なんとなく、今は月が見たかった。
「ちょっといい?」
「あん?」
私達は揃って中庭に出る。
空には大きな月が昇っていた。
月明かりが、私達の影を映し出す。
そういえば……こいつといる時間が、此処に来てから一番長かった気がする。
私とてゐの影双つ。
こんなに近くにあったことに、今始めて気がついた。
「綺麗だね」
「……そうかな」
「綺麗だよ」
「……そうだね」
―――ねぇ……イスナ……
貴女はもういないけど
私の隣にある影は、既に貴女のモノではないけれど
だけど……
私達が穢れた地上と呼んでいたこの世界は、残酷な程にやさしくて……
そんな世界で……私はまだ……
「笑っているよ……」
「何か言った?」
「別に……なにも」
てゐが私の手を握ってきた。
「今日は冷えるね」
「そうね……戻ろうか?」
「うん」
屋敷では師匠が厨(くりや)で奮闘しているだろう。
火傷は既に治ったのだろうか……
指でも切ってなきゃいいけど。
私とてゐは月に背を向け、歩き出す。
私達が帰るところへ。
共通の家族が待つ、私達の永遠亭に……
いややっぱ不良うどん、格好ええわぁ~
妹紅の看護をする輝夜もナイスです。
残りの物語もわくてかしながらお待ちしてます♪
ところどころのノリに翻弄されつつも楽しむことが出来ました。
もこたんの扱いが絶妙に良かったです。
こんな激しくも流れるような戦闘シーンは、あこがれるばかりです。
そんな熱い激闘から一転、とてもとても優しい締めくくり方に、ほろり。
暖かい家族のぬくもり、どうか鈴仙が、ずっとなくすことのないよう。
ただそれだけを願い、この点数を捧げます。
定番とはいえ、やはりこれですね。
でも作者さん自身が、自分の作り出した設定に陶酔し過ぎてる感じが見受けられます
もこたん云々で吹きました。
永遠組がそうだったら幸せです。
始まりから会話の中の毒が多少抜けていて、時間の流れを感じました。
そして今回の最後には皆で笑いあうところまで。
時間をかけながらも、かつての幸せを取りもどしていく。
何だかとっても暖かいです。
なんだろう。こう……カッコ美しいお姉さん?
ああもう伝わらないだろうなぁ!なんて伝わらないかなぁ!
もこてるカポーの瞬間の言葉>なんだよそれ。
やはり、熱いバトルはいいもんですな!
結構永遠亭にも馴染んでいるようですし、不良イナバの更正の日々、といった感じです。残り一作、さてどうなるか? 楽しみにしてます。
……しかし、姫はかっるいなぁ
これはガチ♪
幸せになってくれよぉ……
そしてあの輝夜。いや、まぁ大好きです。
著者様からご指摘を受けた瞬間、あの二人をガ○ルバとヴ○ロワに補正してしまいましたMyaでございます。
勝率なんて何のその、一割でもあればそののど笛かっ切るぞと雄々しく牙を剥く優曇華が素晴らしすぎます。もこさんの中の短銃知識は滑腔銃でストップしているはずなので、ライフリング突きのセミオートにはさぞ驚いたことでしょう。
しかし、師匠といいもこさんといい、正規の訓練課程を修了している軍人に敢えてクロスコンバットを挑む辺りが勇ましいです。圧倒的質量で火線の届かぬ遠方から鎮圧するのが一番、楽で兵站の消耗も被害の危険性も少ないというのが軍略なんですが。
だからこその、この台詞なんでしょうね。
「毎日が惰性と予定調和の集積でしかなくなっていくの……」
「……」
「だから、自分で『決める』のよ、絶対の約定を」
深いです! ってまた自分の好き勝手に解釈してますね。スイマセン。
×即頭部 ○側頭部
熱い戦闘シーンが勿体ないんです。
ご指摘ありがとうございました。
彼女と師匠の関係は、背景設定見るに、レミリアと咲夜以上のどシリアスな
関係なのは間違いないですからね。決してギャグ要員に終わるだけの二人
じゃない!