CASE 1
――八雲藍の証言
麓の木々はほんのりと朱に色を染め直している時期。
だが、深い深い山間にぽつんと佇む古めかした禅寺は既に深紅の葉々に覆われていた。
そろそろ霜が吸血鬼の如く降りてきて、紅彩の葉を一瞬でボロボロの朽葉に変えてしまうだろう。
そんな予感めいたものを覚える曇天の空を八雲藍は縁側からぼんやりと見つめていた。
別に物思いに耽っていたわけではない。
彼女の脳裏に浮かんだ言葉は「今日は洗濯を控えた方がよいだろう。」という実に所帯じみたものであった。
「……さーてと」
自分の肩を適当に揉み解しながら、藍は縁側をあとにする。
当面の問題は午後の時間の使い方であった。
昼食からまだ間もなく、後片付けは終了している。掃除は午前中のうちに済ましてしまっていた。
午後にやろうとしていた洗濯はこの天気で延期。彼女の式神は近隣の猫を引き連れて早朝から合宿をすると出て行ったきりだ。
無論、この天気だから進んで外出する気にもなれないし、食糧の備蓄も余裕がある。
ならば夕飯時まで部屋にこもって、クロスワードパズルの続きでもすることにしよう。
そんなことをぼんやりと考えながらとりあえず足先は自室の方を向けていた。
藍にとってクロスワードパズルの楽しみ方は隠されたキーワードを探すことではなく、全ての空白を綺麗に埋めることにある。
各所に散りばめられた空欄をひとつも齟齬なく完成させることが、まるで歯車を幾重にも駆使した機械を完成させたような充実感を藍に与えてくれるのであった。
無論、これは彼女の主のお下がりであったが、彼女の手に渡るのはほとんど新品同様なのである。
彼女の主、八雲紫にとってクロスワードパズルは思索の時間にも値しないのだろう。
それでも、頻繁にその手の本を持ち帰ってくるのは主なりの気遣いなのだと藍は考えていた。
「ちょっと藍、いま手を空けられるかしら?」
噂をすればなんとやら、午後の予定も藍を呼ぶ声によって簡単になかったことにされてしまう。
「ええ、……それで御用件はなんなのですか?」
藍は特にどこを見つめるでもなく、呟くように応答した。
彼女の耳元で囁かれているような声は、実際に耳元で囁かれているのだろう。
かの大妖怪にとって空間という概念ほど容易いものはない。
届くも届かないも触れるも触れられないも、その事実そのものが彼女の支配下に置かれているのだ。
布団に入ったまま己の式神の耳元で囁くことなど、八雲紫にとってはこれくらい造作もないことなのである。
「この本を今日までに図書館まで返却してくれないかしら? 今日が返却日なのよ。」
その言葉と共に藍の手の上に数冊の本が突如出現する。
「ええ、わかりました……」
そう言いながら、藍は手元に置かれた本を確認する。
それは本というには装丁が荒く、中綴じのものである。
表紙には様々な大きさの文字が飛び交い、色とりどりの写真が表紙上をひしめいている。
その中でひときわ目を引く文字が『週刊○性』『女○セブン』『女○自身』と書かれた題名であった。
「…………………………」
一瞬、藍の脳裏にノイズのように見知らぬ映像が広がる。
そこには頭にタオルやら、パーマのロッドやら、ヘルメットのような機械を頭に装着した女性が黙々とその本を読んでいるのであった。
「どうしたの? 藍。」
「い、いえっ、ただ『週刊』と書かれているものがよく借りられましたね。」
紫の怪訝そうな声によって藍は現実に引き戻される。
咄嗟に今までとは全く違う疑問を口にする辺り、藍も自分の幻視が強ち間違っていないことを直感しているのだろう。
「私くらいしか幻想郷では読者がいないから良いのよ。」
「はあ……」
――つまりそれは幻想郷一おばさんくさいということなのではないか?
藍は自分の頭を過ぎっていった疑問を黙殺する。……誰だって惨劇の主役にはなりたくはないのだ。
嫌な想像を振り払うように表紙を再び凝視する藍。
そこには柔らかな笑みを浮べた男性の写真がカメラ目線でこちらを覗き込んでいた。
そういえば、男性と同じような眼鏡とマフラーとカツラを紫様も持っていたような気が……。
振り払おうにも物的証拠が出てきてしまう現実に藍は軽く眩暈を覚える。
「藍?」
「いいいいいえっ! 滅相も末法もございませんとも!」
「あら、……本当にそう?」
流石に二回目ともなると紫も不審に思うのか、気だるそうな声にスキマ妖怪特有の胡散臭さが混じってくる。
藍も自分の失態に内心舌打ちを隠せないが、今はそれどころではない。
「えっ、え~と~……」
長期戦になれば論で負ける藍に勝ち目がないことは明白だった。
だからといって先程のことを素直に話せるわけがない。
そんなことをしたら『モミアゲとアゴヒゲの境界』や『額と生え際の境界』なんて微妙にセンシティブな場所に送られることは間違いないのである。
「じ、実はですね、紫様が素直に借りたものを返すなんて珍しいなぁ~と思いまして……」
藍はおそるおそる自らの主に向かってそう告げる。
勿論、さっきまでのこととは違う内容だが、同じ失礼な意見でも禁句のアレに比べたら数段マシという判断が藍の中には存在していた。
「なんだ、そんなこと。」
藍の思惑が功を奏したのか、紫の声には幾分か落胆の色が込められていた。
「いくら私でも正式に借りたものはきちんと返すわよ。……それにあそこには怖い司書さんがいらっしゃいますからね。」
「司書? あの小悪魔のことですか?」
藍はそれに驚いたような声を上げる。
彼女の主が人を茶化すことは熟知しているが、あの『怖い』という発言に冗談ならざるものが混じっていたように藍には感じられた。
「ふぅん『小悪魔』ね……。あなたほどの妖怪でもわからないのね。」
「え、ええ……。」
面白そうな声の紫に対して、藍は呆然としたままだった。
彼女にとって小悪魔はそれなりの力はあるが、他の紅魔館連中には遠く及ばない程度の実力者という認識である。
そのため藍は一度も彼女を脅威と思ったことがないのだが、紫にとってはそうではないようだった。
「彼女が小悪魔だったら世界中の悪魔はどうなるのかしらね? でも、だからこそ小悪魔らしいといえば小悪魔らしいと思うのだけど。」
含みを持たせたまま、神隠しの主犯――八雲紫は愉快そうに独白するのだった……。
CASE 2
――魂魄妖夢の証言
冥界の季節の移り変わりは幻想郷のそれよりも一足ばかり早い。
一時は二百由旬を燃え上がらせんばかりの桜の紅葉も、既に見事な土気色と化している。
その寒々と裸になった木々が埋め尽くしている庭と向かい合うように縁側に座っている人影がひとつあった。
人影は庭を見るのでもなく、座布団の上に正座して読書に夢中である。
風ひとつない秋晴れの今日の天気では屋敷の中よりも外の方が暖かい。
彼女が縁側にいる理由はただその一点に集約されていた。
「ふぅ……。」
本を読み終えたのか、余韻に浸るようにゆっくりと本を膝元に置いてお茶を啜る。
当然、お茶は冷め切っていたが、読書後の軽い興奮感にはそれくらいがちょうど良かった。
「さしもの海○雄山とて義理の娘には弱いのね……。」
「何の話ですか? 幽々子様。」
縁側を通りがかった妖夢が不思議そうな様子で話しかける。
「第52巻の話よ。」
「いや、わかりませんって。」
「ある意味、究極と至高のツンデレ?」
「……もういいですから、とりあえず謝っておいてください。」
呆れ口調で返す妖夢なのだが、毎度ことなので気にしてはいない。
幽々子にしてもこの話はこれで終わりなのだろう、あっけらかんとした表情で空になった湯呑みを妖夢に手渡していた。
「.ああ、そうそう妖夢、ちょっと頼まれてくれないかしら?」
「なんでしょう?」
「この本の続きを借りてきて欲しいのよ。次は53巻から57巻までね。」
今度は5冊重ねられた本が妖夢の手に押し付けられる。
「規則とはいえ、5冊しか借りられないのはなかなか不便よね。」
「ええ、まあ……。」
曖昧に同意する妖夢。
――帯出期限が2週間なのだからそれくらいでちょうど良いと思うのだが、幽々子の読んでいる絵巻物ならば確かに短いのかもしれない……。
内心ではそんなことをぼんやりと考えていた。
「それじゃあ、これからひとっ走り行ってきますね。」
新しく淹れたお茶を幽々子に差し出して、妖夢は告げる。
「いってらっしゃ~い。小悪魔さんにはくれぐれも粗相のないようにね。いきなり斬り付けたりしたらダメよ?」
「そんなことしませんよっ!」
他の紅魔館住人は何度か刃を交えたことがあるのだから、妖夢のその言葉にはいまいち説得力が欠けている。
「あと、今度は菓子折を持って行くと伝えておいてちょうだいね。」
「わかりました……って、ええっ!!」
驚愕の表情を浮かべて妖夢はもう一度自らの主君の顔を見つめる。
「うん? どうしたの妖夢。」
そこには至極当然そうな表情の白玉楼主の姿があった。
「いっ、いや、なんでもありません! 行ってきま~す!。」
そういって、妖夢は逃げるように冥界を後にしたのであった……。
CASE 3
――小野塚小町の証言
無縁塚には曇天しか存在しない。
それは単純に言ってしまえば雰囲気作りの問題なのだろう。
ドンヨリとした空に、軽く濁った川。
これがカラカラの晴天に、透き通るような川だったのなら、今頃賽の河原の子供たちが水遊びに興じているのではないだろうか?
一面には多少見頃の過ぎた彼岸花と秋桜が鮮やかとはいえないまでも、見事なまでに咲き狂っていた。
「小町~、少々よいですか?」
そんな無縁塚に清雅な声が響き渡る。
「は~い、なんでしょうか? 映姫様。」」
しばらくの間を伴ったあと、間延びした声で三途の川渡しは映姫の執務室に姿を現した。
彼女が遅れたことに関して、映姫は特に咎める気はない。
おおよそ川渡しに時間が掛かったのだろう。
彼女はこの死神が好んで川渡しに時間の掛かる悪人を乗せていることを知っている。
善人にせよ悪人にせよ、川を渡ることは全ての者に課せられる使命である。
だからこそ、小町のような物好きな死神も必要なのだと映姫は理解していた。
「……なにやら香ばしい匂いがしますが、串焼きですか? それとも焼き芋ですか?」
「五平餅を…って、いや、それは語弊があるってもんですよ! 映姫様。」
……まあ、こんなところもあるのだが、根は素直で真面目な良い娘なのである。
「お昼休みと重なってますから、今回は大目に見ましょう。」
チラチラと上目遣いでバツの悪そうな表情の小町に、映姫は歎息まじりでそう応える。
「それで、ご用件と言うのはなんなのですか?」
「おつかいをちょっとね。」
微笑ましいくらいに表情に生気を取り戻す小町に、映姫は苦笑を浮べながら机の引き出しから二冊の本を取り出す。
「これを紅魔館の図書館まで返しに行ってきて欲しいのよ。」
そういって映姫が差し出した本を、小町は興味深そうに見つめる。
だが、それもすぐに生温い苦笑いへと姿を変えた。
「『純粋理性批判』と『どんと来い、超常現象』ですか……。なんというか、ビーフストロガノフと豆もやしって感じの組み合わせですねぇ。」
などと適当なことを口にしながら、小町の内心では「やっぱり山田だからなのか! 山田なんだな!」という絶叫が迸っていた。
「趣味の読書なのだから、多少ジャンルが無節操になることは仕方がないことよ。」
教え子を諭すような理知的な微笑みで映姫は応える。
「じゃあ、次は六星占術ですか?」
「それはもう読み終えたわ。」
その何気ない映姫の反応に小町は小さくガッツポーズを取る。
胸中では「『ズバリまるっとお見通しだ!』とか裁判で言っているんだ! 絶対使ってるよね!」などと想像して独りで悶えているのであった。
「……小町?」
小刻みに震えている部下に怪訝そうに声をかける映姫。
「ああ、いえ、それじゃあ行ってきますね。」
それに何事もなかったかのように澄まし顔で応える。
この瞬時の切り替えというか、厚顔鉄面皮っぷりは流石はサボタージュの泰斗といったところだ。
「ちょっと待ちなさい。」
しかし、颯爽と退室していく小町の背中に映姫からの制止の声が掛かる。
刹那、身を軽く竦ませながらも、小町は背後の相手に悟られないくらい小さく息を吸った。
「はい、なんでしょうか?」
にこやかな営業スマイルを貼り付けて彼女は上司の方を向き直る。
其の実、首筋から背中にかけて冷汗とか脂汗が滝のように流れ落ちていた。
「ついでに言伝を頼まれてくれないかしら?」
「言伝……ですか?」
「そう、言伝……。」
何処か思いを馳せるような笑みを浮べて映姫は頷く。
珍しい表情を浮かべる上司に驚きながらも、小町はほっと胸を撫で下ろしていた。
「それで、どなたに伝えれば宜しいんで?」
「図書館の司書さんに伝えておいて頂戴。『今度暇ができたら、一緒に杯を酌み交わしながら昔のお話をしましょう。』って」
そのときの映姫の表情は長年付き合っていた友人に向けるような穏やかなものであった……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「「「ねぇ! 信じられないでしょう!?」」」
異口同音の言葉が室内に大きく響き渡る。
「そんなこと突然言われても……。」
それに気圧されながらも、紅魔館門番は宥めるように3人の来訪者に言葉を返した。
ちなみにここは上海紅茶館。
細かい説明を省くが、簡潔にいうと門番達の休憩場所なのである。
今はこの突然の来訪者達のお陰で、4人の貸しきり状態となっていた。
「そんな悠長な! いいですか、あの紫様がですよ? ジャイアニズムの体現者というかジャイアニズム・ジ・オリジンといっても過言ではないあの方が、借りたものをきちんと返すなんて言っているんですよ! それが異常である筈がない! というよりか満月の大異変に比肩するテンペストなんですよ!? わかってますか、紅さん?」
「はあ……。」
「そうですよ! あの餓鬼十王も裸足で逃げ出すような食い意地の権化である幽々子様が、菓子折を持っていくといっているんですよ!? 客人に茶菓子を出しても9割は自分で食べてしまうあの方が、他所に食べ物を差し上げるとおっしゃっているんです! それこそ幻想郷に春が訪れないような一大事なんです。そこのところを理解しているんですか、美鈴さん?」
「ええっと……。」
「そうそう! あの仕事に生きる女を通り越してワーカホリックであらせられる映姫様が、その仕事を一休みしてまでお話をしたい相手なんだよ!? 信じられるわけがないじゃないか! きっと二人で山奥に行って『ウヌャニュペェィギュゥリュ星人』を呼び寄せようとしているに違いない! それこそ次なる大異変の発端ともなりかねないんだよ!? 大丈夫かい、中国さん?」
「えっ、三段オチ!?」
そんなツッコミを入れながらも、ちょっと安心してしまう中国なのであった。
「……まあ、皆さん腰を下ろしてください。」
三者三様の迫力に圧されて、ほとんどブリッジ同然の姿勢になっていた。
「皆さんの言いたいことは要するに『小悪魔さんは何者であるか?』ということなんですね?」
その言葉に3人の来訪者は黙って頷く。
「それで、何で私にそのことを訊くんですか?」
とりあえず、真っ先に浮かんだ疑問を口に出してみる中国。
それに対して、この中で一番弁が立つ藍が代表して答えた。
「小悪魔が身分を隠しているとしたら、まず本人に訊いても答えてはくれないでしょう。召喚主であるパチュリーも同様。我々にしてみたら新参者である咲夜は知らないだろうし、あの館主が素直に教えてくれるとは思えない。」
「それで私のところに?」
再び頷く一同。
自らが仕える主を『素直じゃない』と批評されることはあまり愉快ではなかったが、わからないわけではない。
「ここで答えなかったらお前さんの出番の寿命は30文節で終了だよ?」
「うっ……。」
鼻歌を歌うくらい気安く発せられる小町の言葉。
これで追い詰められるのだから、やはり芸人気質といえないこともない。
しばらくの懊悩の末、中国は観念したかのように口を開いた。
「あそこは元々パチュリー様の書斎に過ぎなかったんですけど、蔵書が増えるに従って肥大化していったんですよ。」
その頃の様子を思い浮かべているのだろう、苦笑いと共に中国は語り始める。
「……でも、たしかに図書館としての様相を呈したのは小悪魔さんが現れてからですね。図書館に警備隊が組織された時期とも重なってますし。」
と、ここまで滔々と話していた中国であったが、突然三人に顔を寄せるように合図を出した。
「ここだけの話ですよ? 実は図書館警備隊の人事権っていうのは全て小悪魔さんにあるんですよ。他のメイドはメイド長に委任されているんですが……。あ、いえ、それに関して不満があるわけじゃないですよ? 司書は特殊技能ですからね、一般のメイドと異なる人事枠があっても不思議じゃありません。ただ……。」
「ただ?」
テーブルの上空でひしめき合っている顔のどれかが続きを促すように反復する。
「ほら、図書館警備隊ってかなり統率の取れた動きをするじゃないですか。そりゃあ個々の力ではお嬢様直属の近衛メイド隊や、妹様のお世話部隊に及ばないにしても、連携の取れた動きに関してはあそこが一番なんです。まるで軍隊みたいに。」
「軍隊…ですか?」
幻想郷では耳慣れない言葉に、妖夢は無意識に問い返した。
「ええ、小悪魔さんがどこからスカウトしてくるのかわかりませんが、普通のメイドではないことは確かだと思います。」
知りうる限りのことは話したとばかりに、中国は椅子に深く腰掛けなおす。それと同時に自分のグラスを一気に飲み干した。
ひとりだけ冷たい御茶を準備している辺り、用意周到である。
「うーん、映姫様も8万の獄卒を統帥する方だから、そっちのつながりもありえないことはないか……。」
すっかり温くなったティーカップを手にしながら、小町がゆっくりと自分の意見を述べた
「えっと、つまり小悪魔さんは魔界でそれなりに名のある将ということですか?」
理解が他の人物よりも遅れている妖夢が恐る恐る手を挙げて発言する。
「今の話から推察するとそういう結論になるのだが……」
それに対して歯切れ悪く藍が答えた。
歯切れの悪い理由はこの場にいる4人全てが理解している。
「でも、先程本を返したときに注意深く観察しましたが、将はおろか他のメイドよりも少し抜きん出ている程度の魔力でしたよ?」
最年少の特権ということで、ここでは真っ先に妖夢がそのことを口にしていた。
「私も小悪魔さんとは長い付き合いですが……」
テーブルに両肘をつけ、神に告白でもするように両手を合わせて中国はおもむろに切り出した。
その姿に一同は固唾を呑んで次の言葉が紡がれるのを今か今かと待ちわびる。
「…………………………」
記憶の引き出しを全て開いていくという、短いようで長い沈黙。
――そして、
「同感ですね。」
困ったように笑いながら中国も妖夢の言葉に頷いたのだった。
それを聞いた3人はお互いに目配せ合って、席を立ち上がる。
「結局は無駄骨か……。」
「あのときに刈り取って置けばよかったよ。」
「斬る価値もありませんでした。」
「ひどひっ!」
立つ鳥跡を濁さずというべきか、お茶とお茶請けをきっちり空にして三人は紅魔館を後にしたのであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「…………それで、今度は私のところというわけですか?」
呆れとも苦笑いともつかない笑みを浮べて、射命丸文は突然の来訪者に向き直る。
「まあ、幻想郷の事情に精通していて、尚且つ素直に教えてくれそうな人物といったら……ね。」
藍も似たような笑みをもってブン屋の少女に返した。
「確かに情報の透明化と並列化が私の使命ではあります。」
脇に抱えたメモ帳をパラパラとめくる文。
藍がちらりと垣間見たところ、ページのほとんどがどこぞの氷精の観察日記と化している。
現に文がいたのは先程まで大ガマのタイトル防衛戦が行われていた蓮沼なのであった。
大ガマは既に沼の奥へと帰り、満身創痍のチルノを妖夢が介抱してあげている。
「あーっはっはっ! 寒さに弱い蛙が相手なのにこの様とは無様なもんだねぇ。」
「うるさいわね! 今日は不意を突かれただけよ!」
それを遠くから小町が野次を飛ばしているのが今の状況であった。
「でも、私も小悪魔さんについては取材したことがないのですよ。」
物凄い勢いでページを手繰りながらも、口調だけは緩やかに文は答える。
「不意だって? 属性で勝っているのに負けるということだけで十分無様なのに、その上に不意まで突かれたってか!」
「う~~……、今度はアンタを氷漬けにしてやるわ!」
「他にそれらしい情報は?」
向こうのことは完全に無視しながら藍は続ける。
それに対して文の口元が少しばかり歪んだ。
「おっ、面白いね! 売られた喧嘩は買うのが信条だ。……まあ、子供の喧嘩にまでしゃしゃり出るのはどうかと思うけど。」
「まずはその減らず口を歯の根も噛み合わない状態にしてあげるよ!」
「さしもの私も西洋悪魔学に関しては知識が薄いもので……。あっ、そうそう紅茶淹れるのがお上手ですよねぇ。」
「ごきげんようブン屋さん。」
「あ~んっ、待ってくださいよ! 情報はありませんが、調査方法には良いアイディアがありますよ?」
あっさりと飛び立とうとする藍の腕にしがみ付いて、文はいやいやと首を力いっぱい左右に振る。
この平時、記事にできることがチルノ観察日記くらいであるのに危機感を覚えていたこともあり、文としてはこんなおいしいネタを逃がすわけにはいかないのであった。
「ほらほら、どうしたどうした? お次は怪我を理由にするのかな?」
「アンタは絶対泣かす!!」
「それで調査方法というのは?」
「今までの意見を総合すると小悪魔さんの実力が測れないことが問題のように思えます。私たちより力ある者ならば、私たちに悟られないように力を抑えることも可能でしょう。ならば、強襲でもして相手に本気を出させるのが一番かと。」
無害そうな表情でさらっと恐ろしいことを口にする文に、藍は内心舌を巻く。
「だが、紅魔館内でそんなことをしたら咲夜や他の面子が黙ってはいないだろう?」
「まだまだ青いねぇ~、お前さんの見た目よりも真っ青だよ。」
「アンタだって赤い頭してるじゃない!」
「ええ、ですから外におびき出します。」
「どうやって?」
「これですよ。」
そういって文は得意そうに一枚のリストを取り出した。そこには『貸出者名簿』と書かれている。
「小悪魔さんは返却日を過ぎても本が返されない場合、その貸出人の元を訪ねるんです。」
「……なんか、可哀想になってきたな。」
「むきーーー! 同情されるのが一番ムカつくわよ!」
「そのときに罠でも仕掛けておけば否応なく真の力を見せてくれるでしょう。」
どこまでも無邪気な顔で文は淡々と述べる。
藍はその様子に関しては深く考えないことにして、あごに手を当てて思案を巡らせた。
「うーん、確かに計画としては問題ないわ。……ただ一点の疑問を除けば。」
「なんです?」
「はあ……。」
「ちょっと! 言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ!」
「そのリストが本物であるかということ。」
「なるほど、流石は藍さん。でも、それはご安心下さい。これは小悪魔さんから直接頂いたものです。ほら、私って『図書館便り』の原稿も担当してますから。」
その言葉に藍は図書館にある『ご自由にお取り下さい』と書かれていた箱の存在を思い出した。
手が空いた時になんとなく見ることは見るのだが、持ち帰るには微妙に邪魔なので結局は元に戻すあの紙の事だろう。
まあ、それならばこのリストの信憑性も十分に頷ける。
「小町~! それから妖夢、ちょっと来てくれ!」
沼の上で動き回っている死神と、所在なさげにそれを見上げている半人半霊の少女に声をかける。
「合点!」
「あ、わかりました~。」
返事は同時だったが真っ先に駆けつけたのは言うまでもなく妖夢の方であった。
小町の方はこれで締め括りとばかりに鎌を大きく構える。
「あたいのことを無視するな~! ……って、なにこれ! なんで鎌なのにあたいの体に巻きついてくるのさ!」
「フィッシュ!」
そうして小町は鎌の刃でぐるぐる巻きにされたチルノを力いっぱい引き上げる。
「なんでさーーーー!」
沼の上空をチルノの絶叫がドップラー効果を引き起こしながら木霊したのだった。
「……ゲット。」
「まあ、いいけど……。」
チルノを肩に軽々と担ぎながら、小町も合流する。
妖夢は先に文から講釈を受けており、リスト片手に何度も大きく頷いていた。
「それで、これからの方針は?」
小町は手隙となった藍の方に話しかける。
「端的にいえば、小悪魔をおびき出して罠にかける。そのリアクションで相手の実力を改めて見極めるといったところかな。」
その簡潔さが気に入ったのか、小町は了解したとばかり笑顔を浮かべた。
……だが、
「アンタたち小悪魔のお姉ちゃんに酷いことするつもりだな! そんなことあたいが許さないんだからね! 小悪魔のお姉ちゃんはお菓子くれたり、ご本を読んでくれたり、アンタたちよりもずっと、ずぅ~~っと優しいんだから! 小悪魔の姉ちゃんに言いつけてやる!」
小町の背後で蓑虫になっている氷精が大きな声でわめき散らす。
「どうしたんですか?」
文の講釈が終わったのか、その声を聞きつけた妖夢が不思議そうな顔で訊ねた。
「……なんというか、ね?」
藍は言葉を濁しながら、チルノの方に目を向ける。
小町も妖夢も文もそれに倣って、全員がチルノの方を見上げた。
「う~、なんだよ……あたいはぼうりょくには屈しないぞ! チルノ死すとも自由は死せず! 欲しがりません勝つまでは!」
「だったらケーキを食べればいいじゃない……っと。」
滅茶苦茶なチルノの台詞をそれこそ適当な言葉でもって応えて、小町の鎌が容赦なくチルノを絞め落とす。
捨て台詞のひとつも許さないまま絞め落とす容赦のなさに妖夢は密かに慄いていた。
「それで、どこで待ち伏せするの?」
「うん、そうだな……。」
「ここなんてどうでしょう? 人気もありませんし。」
「………………………」
何事もなかったように繰り広げられる議論。
妖夢は気絶したまま転がされているチルノを木に縛り付けて、自分も修羅になることを心の中で固く決意するのであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……まあ、そういうことなら仕方がないわね。」
一年中黒々とした樹木に覆われている魔法の森。
そこを住居に構えている魔法使いの一人が溜息まじりにそう応えた。
「って、それで納得するわけないでしょうが! なんで、私が軟禁されなきゃいけないのよ!」
「縄で物理的に拘束されてますから、この場合は監禁になりますね。」
先程よりも手馴れた感じのある妖夢がアリスを椅子に括り付けながら淡々と述べる。
「更に悪いわよ!」
沸点が高いのか、ノリツッコミ体質なのか判断がつかないまま、見かねたように文がフォローの言葉を挟んだ。
「まあまあ、魔法の森は人も妖怪も滅多に立ち寄りませんし、ちょうどアリスさん今日が本の返却期限じゃないですか。」
「そんなの万年遅滞者の魔理沙のところに行けばいいじゃない!」
「彼女は館長の特別措置で別件扱いですから。」
「あのもやしめぇ~~!!」
完全に爆発したアリスだったのだが、どこか怒りのベクトルが違った方を向いている。
今度はその感情の奔流を逸らす為に藍が文の言葉を引き継いだ。
「それに理由はこれだけじゃない。アリスなら西洋の悪魔にも詳しいと思ってね。」
「そりゃあ、まあ……、グリモワールに登場する悪魔や魔神の類ならば記憶しているわよ。」
「じゃあ、小悪魔さんの正体について心当たりが!?」
アリスの手首を痣にならないくらいの絶妙な力加減で縛りながら、妖夢は明るい声をあげる。
だが、アリスは困ったとも心苦しそうとも取れるような曖昧笑みを浮べて答えた。
「いいえ、悪魔と一口に言っても膨大な数がいるの。それこそ幻想郷に住むモノ全ての数よりも多いわ。だから、全部の名前を覚えるなんてことは不可能に近いわね。大した力のない小悪魔なら尚更よ。」
「そうですか……。」
妖夢は声から落胆を隠さないまま、弱々しく溜息をつく。
そのまま、沈黙の帳がマーガトロイド邸の内部をゆっくりと包み込んだ。
聞こえるのは縄の微かに擦れる音と、彼方からの戸棚を開いたような音だけである。
「ねぇ~~、紅茶を淹れたいんだけど、どのお茶を使えばいいのかね?」
彼方からの音に続いて、人知れず台所を物色していた小町の声が居間の方に響いてくる。
「あっ、それなら右から三番目のやつがお客様用だから……ってナニ説明しちゃってるのよ、私!」
やはりアリスはノリがよいのであった。
アリスを完全に拘束し、小町が淹れてきた紅茶で小休止を挟む。
日が満足に入らないここでは時間感覚を失いがちになるが、壁に立てかけられたアンティークの時計の針は逢魔が刻を示していた。
小町の淹れてきたお茶を肴にテーブルの上ではお茶の淹れ方についての話題が花開いている。
紅茶の評判は上々で、意外そうな表情の一同に「まあ、これでもOLだから。」と何食わぬ顔で小町は答えたりするのだった。
そんな時間がゆるゆると続いていたが、突然叩かれる窓ガラスの音に場の空気が一瞬にして引き締まる。
「おや、そろそろ小悪魔さんのご到着みたいですよ。」
窓を小突いて合図してきたカラスに目をやりながら、文は心底楽しげにその事実を口にした。
耳を澄ませば、確かに草を踏み小枝が折れる音がこちらに近づいてくることがわかる。
「ところで、罠にかけるといってもいったいどうするつもりなの?」
部屋の隅っこに放置されたままのアリスがかなり不安そうに疑問を口にした。
幻想郷に有数の実力者たちが自宅の軒先で大暴れしようとしているのだから無理もない。
藍は窓から小悪魔の姿が視認できることを確かめてから、若干緊張した面持ちで答えた。
「罠にかけるというよりは檻に閉じ込めるといった方が正確かな。……妖夢、お願い。」
「はっ! 不肖この魂魄妖夢めが一番槍を努めさせていただきます!」
バシッとアリス邸一同に敬礼を掲げたあと、妖夢は二本の刀をゆっくりと抜き放った。
「人界剣『悟入幻想』!!」
スペルカードの発動とともに妖夢の姿が掻き消える。
それから数瞬遅れて水の割れるような甲高い音が響いた。
「いやっ、なんで窓から飛び出す必要があるのよ!! きちんと玄関から出て行きなさいよ!」
「ドアよりも窓の方が蹴破りやすいからじゃないのか?」
「………………。」
小町がさも当然そうに述べるのを見て、これは天災なのだと割り切ることにした。
「こんばんは、小悪魔さん。」
妖夢は両刀を構えながら、眼光鋭く告げた。
「こんばんは、妖夢さん。……あの、これはいったいどういうことなのでしょうか?」
小悪魔は状況を把握できないまま、おどおどと妖夢に問いかける。
「訳は訊かないで頂きたい。ただ、アリスが借りた本を取り返したくば私を倒してからにしてもらいましょうか!」
「はあ……。」
首を傾げながらも、妖夢の迫力に圧されるように小悪魔は頷く。
事情については全くわからないが、目の前の少女が本気だということは小悪魔にも十分把握できた。
「ですけど、私と妖夢さんが争ったところで私に勝ち目なんてありませんよ? 妖夢さんもそのことは承知のはず……」
「ええ、わかっています! それでも、戦わなければならないこともあるんです!」
あくまでも穏便に済まそうと説得を試みる小悪魔を妖夢は一喝の元で切り捨てる。
その迫力に反射的に身を竦ませる対面の相手に冷徹な眼差しをおくりながら、妖夢は足元に力を込めた。
「……これが最後ですよ小悪魔さん。これは私とあなたとの戦いではない。図書館司書としてのあなた自身との戦いです。」
妖夢の言葉にそれでも柔和な笑みを絶やさなかった小悪魔の表情がハッとしたように引き締まる。
「悟入幻想によって退路を立たれた今、あなたに戦う以外の選択肢は残されていません。さあ、どうしますか!? 小悪魔さん!」
楼観剣を突きつけてきっぱりと言い放つ妖夢。
小悪魔の表情にも先程までの穏やかな印象は完全に消え失せ、石榴の花弁を思わせる鮮紅色の瞳が真っ直ぐに妖夢へと注がれていた。
「……わかりました。本の管理保管するのが司書の務め。ならば紅魔館の司書として私の本分を全うさせていただきます。」
自分の胸に手を当てて小悪魔は悠然と告げる。
宣告の先は妖夢でも他の誰でもなく、小悪魔自身を縛る戒めに対してのものなのであった……。
「おっ、どうやら始まるみたいだぞ。」
「小悪魔さん空中に六芒星を描き始めましたよ。」
「使い魔でも召喚するつもりなのかね?」
割れた窓から外を覗きつつ、3人は思いのままに意見を口にする。
「あんたら共同戦線を張るんじゃなかったの? まあ、私は家が壊れなくて助かるから良いけどね。」
部屋の隅のアリスが呆れたように呟いた。
しかし、アリス本人も気になるのか、顔は窓の方を向いていたりする。
「小悪魔に逃げられないようにすることが最大目標。今の様子を見ても妖夢の方が勝っているんだから手助けの必要はないだろう。必要となったら私と小町で随時助太刀するさ。」
視線を窓の外から動かさないまま藍は答えた。
「そんなことよりもアリスさん、小悪魔さんが呼び出そうとしているものが何なのかわかりますか?」
「今の段階ではわからないわね。通常なら自分の眷属だから、小悪魔の場合もやっぱりレミリア同様サーヴァントフライヤーに似たものじゃないの?」
推測でもなんでもなく、ただ勘に任せてアリスは話す。
文も気がそぞろなのか、情報を吟味することなくメモ帳を泳ぐように筆を走らせていた。
「――――我が呼び声に答えよ。汝は空を駆ける獣。誠実なる魔獣。」
鈴の鳴るような朗々とした声が風にのって割れた窓から侵入してくる。
「魔獣だそうですよ、アリスさん!」
「………………。」
しかし、アリスは答えない。
俯いたまま床の一点を凝視していた。
手が縛られてなかったのなら、間違いなくそれは頬に添えられたか胸元で組まれていたことであろう。
「アリスさん?」
「どうしたっていうんだい?」
「あっ、いや、なんでもないわよ。」
二度目の呼びかけでアリスは我に返って、そう答える。
「……まだ結論を出すには早いわよね。魔獣なんてたくさんいるのだし。」
内心で引きつった笑みを浮べながら、小さな声でそっと呟いた。
「――――汝は勇敢な闘士。30の軍団を従える猛者。」
「今度は闘士だそうです。いったい何人召喚するんでしょうね? やっぱり星座の数だけでしょうか?」
「そうだったら、私たちじゃ太刀打ちできないわね~。」
文と小町が朗らかに談笑するなか、藍だけが西洋の魔法使いの異常に気がついていた。
「どうしたんだ? アリス。」
いつもスマートを信条としているアリスが、大きく目を見開いて呪い殺さんばかりに小悪魔を見つめている。
固定されているはずの体が、椅子ごと小刻みに振動を起こしていた。
「あの娘…なんてものを……呼び出そうとしているのよ……。」
ほぼ痙攣に近い状態の喉からアリスはその言葉だけを何とか吐き出した。
他の二人も異変に気がついたのか、視線が一斉にアリスのほうへと注がれる。
「小悪魔さんの使い魔が判明したいんですか!?」
どこまでも喜々とした文の言葉に、アリスは大きく何度も首を横に振る。
「あれが使い魔なはずがないわ……。だってあの悪魔は小悪魔がどうこうできるレベルの存在じゃないもの。」
「――――汝は魔界の侯爵。72の1柱。」
小悪魔の詠唱にアリスはビクッと身を竦ませる。
「やばいわよ! あの娘『マルコシアス』を召喚するつもりだわ!」
鬼気迫った表情でアリスは高らかに宣言するが、悪魔に縁の薄い面々はただ首を捻るばかりであった。
「小悪魔さんの召喚するものは『マルコシアス』っていうのですね。それはどんなものなのですか? 例の如く『存在の力』を『自在』に操ったりするんですかね?」
その温度差を代表するように、メモ帳片手に文は聞いてくる。
アリスは毒気を抜かれたというよりは観念したように溜息をついて、ゆっくりと口を開いた。
「……いい? 『マルコシアス』っていうのはグリモワールに出てくる悪魔の一人で、地獄最強の魔獣なの。階級は侯爵だから簡単に言えばレミリアよりも偉ぶっているわけ。そんな悪魔が自分よりも数段劣る悪魔に呼び出されているの……それがこの現状なのよ。」
できる限り噛み砕いて話したつもりだったが、実感が湧かないのか3人はキョトンとした表情のままであった。
アリスは頭をかきむしりたい衝動に駆られるが、縛られている為にどうしようもできない。
「つまりね、藍が紫をわざわざ起こしておつかいに行かせたり、小町が閻魔様を呼び出してお茶汲みさせようとしているわけよ。」
小町と藍を恨めしそうに睨め上げながらアリスは呟いた。
流石にこの喩えは刺激的だったのか、一瞬にして宮仕え2人の顔色が変化する。
「それはつまり、『きゃん』いう暇もないくらいのジェノサイド!?」
「ジェノサイドっていってもあんた1人だけどね……。でも、まあ、それだけじゃないわよ? 『マルコシアス』っていうのは一度怒ったら歯止めがきかないの。それこそ幻想郷が焦土となるくらい暴れるわよ。」
小町が取り乱すのを見て冷静さを取り戻したのか、単に諦めの境地なのか、アリスは淡々と事実だけを述べた。
「――――顕在せよ。汝の名はマルコシアス。」
「お、おいっ、呪文を唱え終えたみたいだぞ!」
窓の外を監視していた藍が蒼い顔になって告げる。
小悪魔の召喚式が成功したことを告げるように、この屋敷一帯の魔力濃度が異常なほどの高まりを見せていた。
「どうやったらあの獣を制御できるんだい!?」
魔力の奔流に堪え切れず、窓から背を向けるように立ちながら小町は声をあげた。
「手段は1つだけあるけど、はっきり言って私には無理よ。彼女を召喚するのは魔王を召喚するのと大差ないんだから。そりゃあもう、快速と区間快速くらいの違いね!」
アリスも表面上では取り繕っていても、内面ではかなり動揺していた。
「彼女っていうのは何者なんだ?」
「『マルコシアス』の主にして魔界の公爵。全ての女性からの愛情を与えてくれるっていうありがたい女神様よ! 召喚できるのならとっくにご加護を授かって、今頃魔理沙や霊夢なんかと……ゥフフフフフ……」
「「いいから帰って来い!!」」
間髪いれずアリスを現実に引っ張り戻す2人。
「ダメもとでいいから呼び出してみてくれ!」
「そんな簡単にいかないわよ。あんな上級悪魔呼び出すのに最低3日は準備に必要だもの……って、あれ?」
自分の口から飛び出した言葉が信じられないとでも言いたげな表情をアリスは浮かべた。
「そうよね、いくら同族だからってあんな簡易式で呼び出せる相手じゃない。なのに何故……」
そこで言葉を止めたのは疑問を検討するためではなく、至ってしまった解答に頭がショートしたためである。
「……ったく、あのもやし、なんつーものを司書に雇ってるのよ。」
己の導いた結論に慄きながらアリスは一言、そう感想を搾り出した。
魔力の嵐は止まることを知らず、突風に当てられたように呼吸も苦しくなってくる。
そのなかでアリスは深く深く息を吸い込んで言った。
「小悪魔の正体がわかったわよ。」
アリスの言葉にその場にいた2人の視線が集中する。
それに気付く心の余裕もないまま、アリスはただ魔力の乱気流の隙間に言葉を詰め込むためだけに口を開いた。
「美しき赤い髪の悪魔にして、26の軍団を率いる者。72柱の56番、その名も……」
「そこまでですよ。アリスさん。」
しかし、透き通るような玲瓏な声がアリスの言葉をやんわりと遮る。
間近で囁かれたその声に、全員が総毛立った。
「えっ!?」
「なっ……」
驚きで言葉を詰まらせる2人。
そこには突如アリス邸に小悪魔が出現したことに対する小町の声と、ボロボロな状態で気絶している妖夢を見た藍の声、2種の驚きが含まれていた。
「私がこの姿なのは己に呪いをかけているからなんです。ですが、その呪いは真名を呼ぶことによって簡単に解除されてしまうのです。……ですから、決してその名を口になさらないようお願いします。」
どこかに腰掛けながら、小悪魔はいつものように慇懃な態度で告げる。
アリスは半開きのまま硬直した口のまま、激しく首を縦に振った。
そのまま首を縦に振ることで、自然と小悪魔の腰掛けているものの正体が目に入る。
先程までの嵐のような魔力の奔流の原因となった地獄最強の魔獣。
――それは白銀の狼を思わせる尾と、ピンと立った耳を持つ……
「「「メイド長!?」」」
別の意味で驚愕な叫びが邸内を木霊する。
だが、実際に何のまじりっけもなく小悪魔が腰掛けていたのは犬耳と尻尾を生やして四つん這いになっている咲夜だったのである。
「シュールな画だな。」
「新手のプレイかしら?」
「でも、表情には何の臆面もないよ。」
口々に所見を述べる3人、そこからは緊張感など完全に消え去っていた。
小悪魔もそれには苦笑いを浮べて弁解する。
「マルコシアスを顕在させるための憑代を『悪魔 いぬ』で検索したら、一番に咲夜さんがヒットしたんですよ。」
「……我が主よ、私は狼であって犬ではないと何度申したらご理解いただけるのか?」
足元にいる悪魔憑きのメイド長が溜息交じりに抗議する。
感情に連動して尻尾と耳も若干垂れ気味なのがなんともラブリーだなぁと、アリスはぼんやり考えていた。
無論、相手は仮にも地獄最強の魔獣であり、しかも紅魔館メイド長でもあるから、滅多なことは口にしない。
「この場合は『メイド長』改め『メイド魔神』と呼んだほうがいいのかな?」
「いやいや、やっぱり『美獣メイド咲夜』でしょうよ。」
「『美獣』って?」
「美女で野獣」
そんなアリスの密かな努力を全く意に介していないのがこの2人なのであった。
「あんたたち何馬鹿なこと言ってるのよ! あれをただの『Inu Mimi Mode』だと勘違いしてるでしょう!? あれは狼覚醒から理性を保てたものだけが変身できるいわば『スーパーサ○ヤ人4』の状態と同義なのよ? 私たちなんて一瞬で『たわば!!』で『あべし!!』なことになっちゃうんだからね。」
2人を押さえ込もうと弁を振るうアリス。だが、どちらかというとアリスの方がすごいことをいっているのに本人は気付いていない。
「ああっ、そうでした。アリスさん、本の返却をお願いします。」
そんな微妙な雰囲気を拭い去るように、小悪魔はポンと手を叩いて笑顔を向けた。
「あそこのテーブルの上にあるわ。手が使えない状態で申し訳ないんだけど……。」
「ハイ、確かに受け取りました。」
アリスが言い終わる前に小悪魔の手の上に本が出現する。
タネはいうまでもなくマルコシアス咲夜が時を止めて回収したのであろう。
「……では、ここからはペナルティの時間ですね。」
先程までと全く変わらない笑顔を浮かべたまま小悪魔は話すので、全員がその発言を聞き流してしまった。
ペナルティとはなんだろうか? 新しい紅茶の銘柄だろうか? 本の題名だろうか?
誰もが一度、ぼんやりとそんなことを考えて―
「「「ええっ~~!!」」」
――と絶叫した。
「ちょっと待ってよ! 私はどう見ても被害者じゃない!?」
自分の格好を誇示するようにアリスは椅子を揺らす。
「ダメです。いかなる事情があろうと遅滞は遅滞です。」
だが、小悪魔はどこまでもやわらかな笑みできっぱりと却下した。
「違約に対しては何かしらの罰がつくのは当然のこと。本来争いは好みませんが……、司書であり悪魔である私には履行を遵守すべき義務があります。」
この時点になると小悪魔のやわらかな笑みが同時に、角に頭をぶつけたら死ねるくらいの凶器であるのだと誰もが悟っていた。
「では、この場にいる3人に等しくペナルティが与えられんことを……」
「ちょいと待って! 3人って……、あれっ?」
人数に疑問を感じた小町が小悪魔を呼び止める。
しかし、現にこの場にいるのはアリス、藍、小町の3人だけであった。
「あのブン屋めぇ~……。」
「確かに呪文が完成して以降、パッタリと声を聞かなくなってたわね。」
「流石に幻想郷一の俊足を自負するだけはあるな。」
頭に血が上っている小町に対して冷静な2人。
これはもう、単なる慣れの問題なのだった。
「それでは思い残すことはありませんね?」
そんな小町も小悪魔の風のような涼しげな声に体中の血が冷えていくことを自覚していた。
「マルコシアス――」
小悪魔は己が乗騎たる獣に謳うように囁きかける。
足元の半獣半メイドも応じるように尾と耳を張り詰める。
そして、いつまでも柔和を象っている口元がゆっくりと開いた。
「――食い散らかしなさい。」
……永い1日はこうして終わりを告げたのである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
―――文々。新聞
「紅魔館にて図書館一般開放」
幻想郷でも特に目を引く紅い屋敷として有名な紅魔館が今月の間に限り、図書館が一般に開放されることになった。
元々は紅魔館の客人であるパチュリー・ノーレッジさん(魔女)の書斎であったが、蔵書の増加に伴い肥大化し、現在の図書館と呼ばれるに至っている。
「図書館の開放は小悪魔の提案で私は感知してないわ。私はいつも通り本を読んでいるだけよ。」(パチュリー)
一方でこの企画を立ち上げ運営している小悪魔さん(悪魔)は忙しそうに飛び回りながらも、インタビューに答えてくれた。
「文字の読めない方のために絵本もたくさん揃えておきました。眺めているだけでも楽しいので是非とも一度は足をお運び下さい。」(小悪魔)
なお、期間内のイベントとして小悪魔さんによる読書会などが毎日おやつ時に行われている。
そこでは紅魔館のメイド長特製のお菓子と紅茶が振舞われるので、小休止がてらに立ち寄るのも一興だ。
空を飛べない方は、三途の川渡しによる定期船が湖の上を航行するのでそれを利用することをお奨めする。
他にも人形劇、『ごんぎつね』や『聊斎志異』といった寸劇も開演されるので気になる方は一度足を運んで、詳細なスケジュール表を手に入れたほうが良いだろう。
これからは一段と夜が長い季節となる。外に出て人間を襲うのも良いが、たまには夜長を読書で過ごすことも風情があるものである。
勿論、借りた本はきちんと返却することを忘れてはならない。契約に敏感な悪魔達を刺激することは死にも等しい行いなのだから。(射命丸 文)
「パチュリーさん、先程はインタビューにご協力ありがとうございました。」
文は本から全く目を話さないで質問に答えてくれた、図書館館長にそう礼を述べる。
「まあ、小悪魔の頼みだからね。」
「その小悪魔さんのことなのですけど……。」
そこまで切り出して、文はメモ帳を音を立てて閉じて小脇に抱えた。
パチュリーもその行動は気になったのか、本から目を上げて文の方を見つめる。
「小悪魔さんについて色々調べてみたのですが、小悪魔さんの正体はこの方なのですか?」
1枚の紙を取り出して、文はパチュリーに差し出した。
その紙には駱駝に乗り、冠を携えた赤髪の美女のイラストが描かれ、下には説明書きが記載されていた。
――グレモリー
ソロモン72柱の56にして公爵。26の軍団を指揮する。
駱駝に乗った赤髪の美女として現れる。
過去、現在、未来の知識を持ち、隠された秘宝を発見する。
年齢に関わらず全ての女性の愛情を与えてくれる。
マルコシアスは彼女の元騎乗獣であり、今でも彼女に忠誠を誓っている。
元は月の女神レヴェナであり、また、リリスの妹とも云われている。
パチュリーは黙って見つめた後、軽く息をつきながら口を開いた。
「……あの娘を呼び出したのは本当に偶然だったわ。私は書斎が広くなったこともあって、使い魔の1人でも呼び出して本の整理でもさせようと軽い気持ちで召喚の儀式を始めたの。」
「今にして思えば、私の人生で最大のミスね……。」などと呟きながらも、全くの無表情なパチュリー。
「それで小悪魔さんが召喚されてしまったわけですか。」
流石に記事にする気はない文なのだが、声の端々からは興奮の色が覗えた。
「私もそのときは死を覚悟したわよ。全身から蛆が湧き出るとか、ウロボロスのように永久に自分の身を喰らい続ける呪いでもかけられるものだと思っていたわ。」
「うわっ、それはなんとも……エグイですね。」
「悪魔召喚の失敗としては珍しくない例よ。」
笑みの口元が引きつっている文と、あくまでも淡々と事実を述べるパチュリー。
「それにしても良くご無事で……。何か秘策でもあったんですか?」
「いいえ。ただ、ありのままに事情を説明したわ。」
「ありのままに? それはつまり『本の整理をしてくれる使い魔を呼ぼうとしたら、誤って呼び出してしまった』と?」
「そう。悪魔は嘘を嫌うから正直に告げたわよ。」
結果のわかっている話であるが、文はついハラハラしてしまう。
これもパチュリーがさも事も無げに話していることが更に危機感を倍増させているのであった。
「その行動に対して小悪魔さんは、どう反応なされたのですか?」
話の続きを催促するような文の質問。
その言葉にパチュリーの表情が微かに動いた。
「あの娘は……笑っていたわ。それもすごく楽しそうに。」
眉間にしわ寄せて、呆れているとも不機嫌だとも笑っているともつかないような表情でパチュリーは述べる。
「ひとしきり笑ったあと『幻想郷という新天地でひっそりと新たな生を歩むのも悪くない。』と言っていたわ……。」
――そう、あのときの出来事をパチュリーは忘れることなどできはしないと思っている。
「幻想郷は世界から無縁となったものたちの新天地。ならば世界から忘れ去られた私は、自分の名を捨て、力を捨て、ただの小悪魔として新たに日々を過ごすことも悪くないかもしれませんね……。」
――魔界の大公、グレモリーは今と変わらぬ穏やかな笑みを浮べて魔女に告げた。
そのときの物憂げでどこか溌剌とした笑みは今でもパチュリーの脳裏に鮮明に焼きついているのであった。
「そうですか……。」
パチュリーの小難しそうな表情の裏には懐古と穏やかな笑みが隠されていることを文はなんとなく察していたが、思うだけに止めておいた。
「だったら尚更、そっとしてあげないといけませんね。」
「そうね、仕事に飽きるまではそうしてあげるつもりよ。結局、使い魔は手に入らなかったけれど、優秀な司書を手に入れたことには変わりはないから。」
その素直じゃないところが紅魔館の主にそっくりだと、文は再び本に顔を戻す魔女を見ながら微笑んだのであった……。
@ @ @ @ @
「小悪魔様! 私に少しでもいいから貴女様のお慈悲を! 世界中の女性とは言わないわ。せめて魔理沙と霊夢だけでも!……ね?」
「はははは…………」
まあ、懲りてない人物もいることにはいるのであるが……。
登場人物がバランスよく配置されていて読みやすく
読後感もスッキリしてて、楽しかったと素直に思える作品でした。
という冗談はさておき。
思えばキリスト教は本来の欧州の地方地方に根付く神々を失墜させていったのですよねぇ。イシュタルなんかが典型例だと思いますが。
彼らも追いやられた者たち。そう思えば、幻想郷という新天地でのんびり過ごすというのも悪くない選択肢だったのかもしれませんね。願わくば、のんびりとした幸せを、小悪魔に。お見事でした。
文の一言より。
「やーれやれ、ひっさびさに呼び出しかかったと思ったらなんだこいつは?」
「あなたの力を借りたほうが言いかと思いましてね」
「なんでぇなんでぇ、封印のせいで肝まで小さくなったのか、わが親愛なる主グレブフッ!」
「お黙りなさいマルコシアス。口が過ぎますよ」
「……まったく、あのゴブレットより狂暴だな、このご主人様は」
いやん咲夜さんかっこいー(ぉ
それはともかく、シャナネタですかw
検索条件「あくま いぬ」>十六夜 咲夜 がヒットしました。
小町「フィッシュ」
この件がまた実に良いです。
メイド長もイイ!!
とても面白かったです。
実は最強クラスっていう設定は好きです。大妖精とかリリーとかも、もしかしたら??
オリジナルの方も期待しておりますよ。
あくま いぬ は最強だと思うんだ。
パチュの回想シーンでの彼女の微笑みに、「まつろわぬ者」とされた神々の万感を見ました。
そして美獣メイドを生んだ驚異の魔界テクノロジーに乾杯。
犬耳モードな咲夜さんで悶絶したり……あかん、悶絶しっぱなしやワイ。
面白かったです。
あと結構神経図太いアリスも可愛いよ
とりあえず、何が言いたいのかというと・・・・・・めっさ面白かったです!!