*永遠亭の兎として一羽オリジナルの背景を持つサブキャラが登場します。
例えそれであの子を騙し続けるとしても、それがあの子のためならば……
なんて言ったけど、半分は私の意地のため。最後まで私のやり方でやり抜くだけよ。
私、因幡てゐは諦めたらそこで終わりだと思うのです。
あの子もそんな風に生きてほしい。だから、今日も嘘をつく。
これは、大嘘つきのてゐがささいな嘘をその名に恥じないようひたすらにつき通した話。
秋晴れ。
爽やかな風、心地よい日差し。
素敵な予感のする午後の竹林をてゐがこれまたご機嫌に散歩していた。
深い竹林の奥にある永遠亭はウサギたちによって管理されている。
以前と違って月の博覧会など、外へ向けたイベントも行うようになったため、当然一羽あたりの仕事の量も増えた。
てゐもまた、屋敷周辺の見回りなどというつまらない仕事に借り出されていた。
とまあ、普段ならくたびれるだけでやりたくない仕事だが、今日はほんとにいい天気。
少しくらいサボっても誰に監視されてるわけでもない。
それで痛む良心や真面目さをてゐはあまり持ち合わせてはいなかった。
「~♪」
口笛を吹きながら気ままに歩く。
一応、屋敷周辺に仕掛けていた罠のチェックはして回ったが、それもついでにといった感じ。
風が耳をなぜる。揺れる竹のサワサワという音も心地よい。
ウサ耳をそっと触れ合わせてウサウサするにもいい陽気。
唯一不満なのはどこまで言ってもあまり代わり映えのしない竹だらけの風景。
けれどその視界にいつもと違うものが映った。
竹の根元にうずくまる、片方、左側の耳の折れた兎。
いや、まだ幼い兎の妖怪だった。
永遠亭では見たことのない顔。きっと野兎の妖怪だろう。
珍しかったし、その日のてゐはとにかく本当に機嫌がよかったのだ。
「見かけない顔ね、こんなところで何をしているの?」
「うるさい、どこで何してもおいらの勝手だろ! おばさん」
次の瞬間仔兎の周りを無数の弾が囲んでいた。
そして大きくハンマーを振りかぶり真っ直ぐ仔兎めがけて振り下ろそうとするてゐがいた。
そのままではハンマーに、下手に逃げても弾幕にあたるだろう。
覚悟を決めたのか、仔兎はその場でただ目を閉じた。
振り下ろされたハンマーは兎の直前で止まり、弾は全て兎をグレイズして飛び去った。
「あら、あなた結構度胸あるじゃない」
「ま、まぁな……」
本当はすくみあがってぴくりとも動けなかっただけだった。いや、動いても無駄と、どこか諦めていた。
けれど、機嫌のいいてゐが勝手に勘違いした。
「変なこといってごめん。おまえ、強いんだな……」
仔兎は素直な感想をポツリとつぶやいた。
てゐはにこりと微笑んで調子に乗った。
「もちろん、私を誰だと思ってるの? 最強の大妖怪、因幡てゐ様とは私のことよ」
「聞いた事あるような…ないかな?」
「無知は罪よ。この奥の永遠亭を実質仕切ってるのだって私なんだから」
「永遠亭、ホント!?」
「そう! 一応表向きは姫様と永琳様が仕切られているけれど、裏で全てを操っているのはこの私!」
えへんと胸を張るてゐ。
普段なら威厳のかけらもない可愛らしいそのしぐさも、仔兎にとっては違った。
なにより、永遠亭と最強という言葉にその瞳が輝いた。
「お願いしますてゐ様、おいらを永遠亭で働かせて!」
「ふーん」
頬に指を当てて考えるてゐ。
「永遠亭の仕事は厳しいわよ?」
本当は、自分の仕事がその分減ってラッキー、と思っていたがそんな事はまったく表情に出さない。
「どんなに厳しくても、おいらがんばるよ、だって、ちゃんと働きさえすれば危険な事しなくても生きていけるもん……」
元気のよかった仔兎の瞳に影が刺す。
仔兎の必死な様子に、てゐは昔のことを思い出した。
生きる事に必死だったはるか昔の事を。
「運がいいわね。だって、最初にこのてゐ様に会えたんだから。決めた、あなたを私の直接の部下にしてあげる」
「ありがとうございます…てゐ様!」
勢いよく頭を下げる仔兎の頬を一滴の涙がつたい落ちた。てゐはなぜか少し動揺してしまった。
だから、柄でもなくてゐは仔兎の手をとって言ったのだ。
「大丈夫、私の言うとおり働けば何があっても私が守ってあげるから」
「ほんと!?」
「もちろん。約束するわ」
何気ない約束で、仔兎の瞳は澄み渡り、てゐの姿を心に刻んだ。
それから数日
「ウサギたちがケンカ?」
鈴仙は報告を聞いて額に握りこぶしを当ててうなだれる。
頭が痛い。最近胃の調子も悪い。これで今週四度目。こんな気分じゃこっそりウサウサする気にもなれない。
ケンカするのは決まって同じ、耳の片方折れた仔兎。
普段はいたって真面目でよく働くその兎がケンカを始める理由はいつも一つ。
「だって! みんなてゐ様が永琳様とか、よりにもよって鈴仙より弱いって馬鹿にするんだもん!!」
「あははは……そうね、あなたは悪くない! さすが私の直属の部下!」
「そうですよね!」
勢いでごまかそうとするてゐの言葉に仔兎は目を輝かせて同意する。
「てゐ」
「別にいいじゃないよぅ」
あきらめ混じりの鈴仙の抗議にあまり悪びれた様子もないてゐ。
輝夜は ”あらあら、今日もイナバたちは元気ね” と、いつもまったく無関心。
永琳も ”私が兎にどう思われようと関係ないわ。それより鈴仙、てゐ、ウサギたちの管理はあなたたちの仕事でしょう?” といった様子。
結果、頭を悩ますのは鈴仙一人であった。
「とにかく、もうケンカはしないようにね!」
「……」
返事をしない仔兎。
鈴仙は大きくため息をつく。
「まあまあ鈴仙。私からちゃんと言っておくから」
「ホントだよ? 絶対だよ? もう私、師匠の胃薬だけは飲みたくないんだからね?」
鈴仙は、妙にしつこく念を押すとふらふらと部屋を出て行った。
その鈴仙の様子がさすがに少し不憫だったので、てゐは仔兎を嗜めた。
「そういうことだからさ。ちょっとだけケンカするのも抑えてあげてね」
「……でも」
「でも?」
仔兎はうつむいて後ろ足で部屋の畳をペシと一度叩いてから顔を上げ、真っ直ぐてゐの瞳を見つめてきた。
「みんな、おいら以外みんな! てゐ様が最強だって言っても信じてくれないんだよ?」
「馬鹿ね」
てゐは耳を倒して顔に影を作ると、わざと芝居がかった低い声音で語った。
「能ある鷹は爪を隠す、プリチーなウサギほど力を隠すものなのよ」
「う…うん。それは、分かるんだけどさ……でも」
てゐの物言いに少し気おされる仔兎だったが、それで納得できないものがあった。
「でも、何なのよ?」
「でも……でも、そんなのって悔しいよ! だって、てゐ様はおいらのご主人様なのに!!」
これにはさすがのてゐも驚いた。
”悔しい”に”ご主人様”…か、なんとも純粋に慕われたものだ。
それはやはり嬉しくもあり、けれど素直で思い込みも激しそうなこの仔兎を考えるとこのままではいけないかなとも思えた。
なにより、ここまで言われては放って置けない。どうしたものか。
そんな迷いは表情に見せずにてゐは言った。
「まず、ご主人様は悪くないけどやめて」
「でも…」
「でもはもう十分よ」
「それじゃ…えっとその、お姉ちゃん…てゐお姉ちゃん…だめ?」
お姉ちゃん…か、ご主人様とずいぶん意味が違うようにも思えたがそういう発想がが子どもらしい。
「それでいいわ。で、あなたはどうしたら納得するの?」
「てゐお姉ちゃんのかっこいいところが見たい!!」
-------
「-----というわけなのよ、鈴仙」
「それで、私にどうしろっていうの?」
鈴仙の部屋に突然押し入り、目の前に正座してニコニコ話をしだしたてゐ。
一人部屋で足を横に投げ出しそっと耳を合わせてウサウサしようか迷っていた鈴仙は慌てて居住まいを正し、結果二人は正座して向かい合った。
鈴仙の視線が何か言いたげだったが、てゐは笑顔で無視をした。
「だからね、理由は何でもいいからさ? あの子の前で鈴仙と私が戦って、私が勝って見せればいいのよ!」
胃がキリキリ痛んだ。
「何で私がそんなことしないといけないのよ…」
「だからー、あの子のためだって。一回納得すればそれでもうケンカしたりしなくなるはずよ。それで鈴仙の悩みも解決、みんな丸く収まるわ。それがあなたにできる善行よ!」
「意義ありー、せんせー、てゐちゃんが嘘を謝ってあの子の誤解を解いたらいいだけだと思いまーす」
どこにも居ない先生へのやる気のない告げ口風の抗議。
少し淀みかけた視線はただただ真っ直ぐ無表情でてゐを見つめている。
てゐは笑顔で無視をした。
「それじゃ、明日丁度あの子が外の見回りだから鈴仙があの子に態度が悪いって注意する。そこへ私が登場してかっこよく鈴仙を退治する。あ、鈴仙の攻撃は演技でいいよ。私だけ本気で鈴仙に攻撃して倒すから」
「普通、てゐの攻撃も倒されるのも演技なんじゃないの?」
「それじゃ嘘っぽくなるじゃない」
「そもそも嘘じゃ……ていうか、いつの間に私がそれやる事決定?」
「鈴仙、お願い。あの子のためなの」
てゐは笑顔を曇らせ、伏目がちで瞳を潤ませた。そして鈴仙のほうに少し体を倒して懇願する。
演技だと分かっていてもその真剣な表情に鈴仙の心は切なくなった。
てゐはそのままさらに体を倒した。ミルクキャロットの甘い香りが漂う。
鈴仙の胸にしなだれかかる寸前で止め、ただ耳だけをそっと鈴仙の耳に重ねた。
ゾワゾワっと鈴仙の背中が震え何かが全身を駆け巡った。
触れ合うふわふわの柔毛がもどかしい。
「あ、の?」
「いいよ……」
え、いいの? いいのか…って何が!? 何でそんな目で私を見上げるの!? ああ、でも……いいのかな? やっぱりダメ だ…め…でも、いいって言ったし…そんな、私正気を保って! う……う、ウサ…うぅぅーー
「う…うん」
鈴仙は顔を真っ赤にしてこくんと小さく頷いた。
「ありがとーーーーー!」
てゐは満面の笑顔で立ち上がった。鈴仙の手をとって大きくブンブンと振るとそのまま勢いよく部屋を出て行く。
「明日のお昼過ぎだからね? 約束よ、鈴仙」
「え、あれ? あのぉ…てゐ…ちゃん……」
思わず自分がてゐに向けて腕を伸ばしていたことに気がつき、腕と肩と耳をがっくりと下ろした。
その日の夜、鈴仙が師匠の元を訪れたか、あるいは自室で一人枕をぬらしたか、それは定かではない。
夜が明け日が昇る。快晴、快風、絶好の見回り日和、ケンカ日和、はたして鈴仙の心はどんよりであった。
てゐの言う事など無視しても問題はないのだが、はめられたとはいえ一度頷いた事に律儀に従う己の真面目さに少し嫌気を覚えつつ外の見回りをしている片耳の折れた仔兎の元へ向かった。
兎はすぐに見つかった。必要以上にキョロキョロしながら三歩進むごとにしっかりと周辺を確認している。
実に平和だ。こうして見ていると仔兎の仕事振りもまじめで共感が持てた。問題兎には見えない。
願わくば、最初に会ったのが私だったならあの子ももっと幸せに生きられただろうに、と考えて首を振る。
それで幸せに生きられるのはむしろ私だ、と鈴仙は結論付けた。
仔兎の奥の草むらには、てゐが隠れて見張っていた。実に抜かりない。
あれこれ考える事で行動を起こすのを先延ばしにしていたが、それも限界、睨まれた。
鈴仙は仔兎に声をかけた。
「こんにちわ」
「!! ……なんだ、鈴仙か。驚かせないでください。おいらになんか用ですか?」
「あはは、ごめんごめん。うん、用ってほどのものじゃ、あるようなないような……」
「暇なんですか? 永琳様のお手伝いとかやる事はたくさんあるんじゃないんですか?」
妙に棘のある、というか見下したような仔兎の話し方に鈴仙は遣り辛さを感じ、口の中でてゐのバカと小さく二回呟いた。
「んー、そうなんだけど。今はあなたにお話しがあるの」
「おいらに?」
「最近あなたはケンカのしすぎよ、よくないことだわ」
「確かにそうですね……そのことはてゐ様にも叱られました」
さっきまでの威勢をなくし、しゅんとする仔兎は実に素直だった。
あれおかしいな…鈴仙は思った…こんな素直な仔兎に私はこれから…
「えっと、うん、そこで私があなたを懲らしめに来たのでした……覚悟!」
「ケンカはよくないって自分で言っといて、暴力ですか?」
「……おかしいわよね」
「おかしいですよ」
「私は何でこんなことしてるのかしら」
「おいらが知るわけないじゃないですか」
……。
「あーもう、じれったい!! 漫才じゃないんだから!」
「あ、てゐお姉ちゃん!!」
お姉ちゃん!? あからさまな仔兎の態度の変化に驚いている鈴仙に、草むらから飛び出してきたてゐがビシッと指を向けた。
「鈴仙! 私の大切な部下によくも絡んでくれたわね! 懲らしめてあげる!」
「お姉ちゃんかっこいー!!」
ええぇぇこの展開はありなの? てゐなら許されるの? 鈴仙は理不尽を嘆いた。
もういいや、どうにでもなれ。 そして吹っ切れた。
「あはは、今日は焼肉しちゃうぞー、がおー」
「てゐお姉ちゃん、怪獣うどんげいんだよ、怖いよ! 食べられちゃうよ」
「大丈夫、最強のお姉ちゃんが守ってあげるから! 怪獣うどんげいん! この子は私が守る!!」
ていうかー微妙…
てゐの視線が冷たく鈴仙の涙腺を震わせて、キラキラと鈴仙の大切な何かが一つこぼれ落ちていく。
「……いきます!」
鈴仙はその場でくるりと一回転し、舞わせた長い銀髪から真っ赤な狂眼を光らせた。
規則正しくびっしりと円形に敷き詰められた細長い弾が、幾重にも重なっててゐを襲う。
「いきなり!? あなたは危ないから離れてて!」
てゐは仔兎から離れるように弾を避ける。鈴仙の弾幕は落ち着いてかわせば抜けられないことはない程度。
体をひねって細く狭い弾の隙間をくぐり抜け、密度の濃い弾幕は大きく跳ねて飛び越した。
時折余裕の笑みすら浮かべる華麗なてゐの動きを仔兎は輝く瞳で食い入るように見つめていた。
すごい、すごい、かっこいい、やっぱりてゐお姉ちゃんが最強だ! 仔兎はもう嬉しくてしょうがない。
「てゐ、避けてばかりじゃ勝てないわよ!」
鈴仙がてゐを挑発する。そろそろ終わりにしようという合図だった。
てゐが広げた両手を思いっきり勢いよく前に倒すと、隙間なく並んだ弾の列が風を切って鈴仙に迫った。
こちらは鈴仙と違って手抜きはない。必要以上に容赦なく弾を並べ、もはやルール違反スレスレの超高密弾幕。
ここで鈴仙がわざとてゐの弾に当たって終わる予定。だったが……
「あはははははは」
人も兎も何かを失うと強くなるらしい。
無意味とも思える左右に体を揺らすフットワークで弾の斜め後ろをかするように避けながら鈴仙はどんどんてゐとの間合いを詰めた。
「ちょっと鈴仙、話が違うって」
「私だって、ただやられるだけじゃないよー」
ついに鈴仙はてゐの真正面に立った。そして不敵に笑う。
ん? 目の前? てゐは冷静に状況を見据えた。
「あはははは」
「えい!」
ピコンッ☆
「はう」
ひょいっと手を伸ばし、鈴仙の額にデコピンする。
鈴仙はくるくると大げさに回転しながら下がっていき、ヨヨヨとその場に崩れ落ちた。
「やーらーれーたー」
「わざとらし過ぎよ!」
てゐはすぐ横の木を後ろ足で蹴った。とたん鈴仙の足元が自らの存在を否定した。
パキっと乾いた気持ちよい音を立てて穴が開き、鈴仙は落ちた。
同時に上から水がザァと降ってくる。
穴の底で水浸しの鈴仙は突然の天変地異に声が出なかった。ただぼんやりと上を見ると、入り口の穴から差し込む光の向こうにひっくり返ったバケツが見えた。それでこれがてゐの罠だと気がつく。
「ここまでしなくても……」
穴から這い出る気力もなくし、鈴仙はしばらくそこで人生について興味深い考察をするのだった。
「てゐお姉ちゃん! やったね!」
仔兎がてゐの元に駆け寄って力いっぱい抱きついてきた。
てゐは仔兎の重みを感じたがきちんと受け止め、耳をなでてあげながら言った。
「どう? 私が最強だってわかってくれた?」
「勿論だよ! お姉ちゃんすごいかっこよかった!」
ホントだよ、すごかったよ、とてゐの袖を強く何度も引っ張りながら見上げる仔兎。
てゐが腰をかがめ仔兎と視線をそろえると、仔兎はさらに強く抱きついて、そして折れてないほうの耳をそっとてゐの耳に押し当てた。
「っちょ」
「えへへ、うさうさぁ、お姉ちゃん大好き!」
「……もう、しょうがないんだから」
まだ幼い仔兎のすることに強く反対できず、てゐは少し顔を赤らめつつ、仔兎の折れた耳に手を当てる。
「あ、ごめんなさい。おいら嬉しくてつい……」
「ううん、別に気にしなくていいけど。甘えん坊ねー」
てゐがくすりと優しく微笑むと、仔兎は少しいじけた顔をした。
「だっておいら、一人じゃできないから……」
なるほど、今まで特に気にしなかったが、確かに片耳が折れている。生まれつきのものではない怪我の痕が見られる。
「この耳どうしたの?」
聞いてから、まずかったカナと思ったてゐだが、仔兎は気にした様子もなく淡々と語りだした。
「人間に撃たれたんだ。おいらの父ちゃんと一緒に……」
仔兎いわく。
まだ仔兎が本当に幼かった頃。親子二人は食べ物がなく飢えていた。
春がなかなか来なくて、日が照らず、その歳は作物が不足した。
父親は子に食べさせるため、危険を承知で人の畑に入り、人参を掘って、見つかって、撃たれた。
耳の怪我はそのとき逃げるしかできなかった仔兎を仕留め損なった猟銃の弾の痕。
「ごめんね、嫌な事聞いちゃって」
「お姉ちゃん、気にしないでいいよ。だっておいらには今お姉ちゃんが居るから! 優しくて最強のお姉ちゃんが居て永遠亭は安全でちゃんと働けば食べ物だってもらえる。もう怖いものなんてないよ」
「そっか」
てゐは仔兎をぎゅっと抱きしめる。初めて会ったときから妙に気になっていた理由に気がついた。
この子は一人で生きてきた、強く生きることを迫られた、それが昔の自分に重なって思えたから、だから放って置けない。
やがて日が落ちて夜は冷える。
鈴仙は自室で己の不幸に凍えていた。
「とうさま、かあさま、おししょうさま、わたしはいらないこかもしれません。これはつきのなかまをみすてたばつなのでしょうか…ックシュン」
師匠に作ってもらった舌が痺れるほど苦い風邪薬を飲んで、布団に包まっている。
ゆらゆらとろうそくの灯りがゆれた。軽い振動と部屋のきしむ音がして、バタンと戸が開いた。
入ってきたのはてゐ。鈴仙がこうまで落ち込んだ元凶である。
元凶は両手に抱えた盆に何か湯気の立つものをのせていた。そっと鈴仙の布団の横まで来ると、盆を下に置いた。
ほのかに暖かいにんじんの香りが広がる。
「鈴仙、今日は……ちょっとやりすぎたと思った」
「てゐ……」
「これ、ホットミルクキャロット。飲んであったまれば気分もよくなるわ。風邪なんて気のせい」
鈴仙は体を起こし、てゐに差し出されたカップに口をつける。
白とオレンジの渦巻き模様の飲み物が鈴仙の体を満たしていく。
ほんのりと甘く、酸味付けに入ったレモンが人参のコクと香りを深めている。
不思議なもので、たったそれだけで風邪の具合がよくなった気がした。少なくとも舌の痺れは取れた。
鈴仙の頬にもオレンジの渦巻きのように朱が刺す。
ゆっくりと、鈴仙が飲み干すまで二人は無言だったけれど、代わりにろうそくの光が部屋を満たした。
「ふぅ、ご馳走様。ありがとうてゐ」
「こっちこそごめんね」
「急にどうしたの? てゐらしくもない」
「ちょっと、思うところがあって」
「鈴仙?」
「てゐ?」
「鈴仙からでいいよ」
「てゐからでいいよ」
「うん、あのね。今日のことだけど……怪獣うどんげいんはやっぱりどうかと思った」
「って、それ最初に言ったのあの仔兎だから……」
「そっか」
「そうよ」
「てゐ?」
「何?」
「どうしてそんなに、あの仔兎を気にかけるの? ううん、それはいい事だと思うけど、てゐが理由もなしにそんなことすると思えない」
「多分…」
てゐは鈴仙から空のカップを受け取って、盆に戻す。
ろうそくの灯が揺れている。
「多分ね、あの子にとって私が生きる希望、見たいなものなんだ。自分で言ってて恥ずかしいけどさ」
「希望?」
「昔の私はただただ一生懸命生きてきた。結構あくどい事もしたよ、長生きするために。それは生きてやりたい事があったから。あの子はつらい事があって、生き抜くことを少しあきらめかけてた。でも、偶然だけどこの永遠亭とそして私にあきらめないでがんばる理由を見つけたみたい。あんなに素直に慕われたらさ、ほっとけないじゃない」
てゐは盆を持って立ち上がった。
「だからね、あの子のためにも私はずっとあの子の希望で居てあげたい」
私らしくないかな? とてゐはおどけて笑った。鈴仙は無言でてゐの瞳を見つめる。
てゐは先に視線をそらし、お大事に、と言って立ち去ろうとした。
が、鈴仙がその背中に声をかける。
「でもさ、結局今日のことだってあの子を騙したのと一緒だよ」
てゐの歩みが止まる。
「てゐ、私ならこれでいいけどさ、嘘はいつかばれるから。いつまでもこう上手くはいかないよ」
「分かってる。でも、これが私のやり方で今までずっとこうしてきたんだから。自分のためにもがんばるしかないの!」
「ねぇ、てゐが長生きしてまでしたかったことって、何?」
てゐはくるりと振り返り、笑顔で答えた。
「それは、秘密です。でもね、わりと今幸せ。だからあの子にもね」
また明日、と手のひらを小さく振りてゐは部屋から出て行った。
鈴仙は目をつぶっててゐの笑顔を思い出し、そのまま眠りに落ちた。
それから、しばらく永遠亭は平和だった。
ケンカもあれ以来起きてない。
人里の守護者、上白沢慧音が永遠亭を訪ねてきたのはそれから一ヵ月後だった。
いわく、人里に兎の妖怪が現れ、畑を荒らしたと。
例えそれであの子を騙し続けるとしても、それがあの子のためならば……
なんて言ったけど、半分は私の意地のため。最後まで私のやり方でやり抜くだけよ。
私、因幡てゐは諦めたらそこで終わりだと思うのです。
あの子もそんな風に生きてほしい。だから、今日も嘘をつく。
これは、大嘘つきのてゐがささいな嘘をその名に恥じないようひたすらにつき通した話。
秋晴れ。
爽やかな風、心地よい日差し。
素敵な予感のする午後の竹林をてゐがこれまたご機嫌に散歩していた。
深い竹林の奥にある永遠亭はウサギたちによって管理されている。
以前と違って月の博覧会など、外へ向けたイベントも行うようになったため、当然一羽あたりの仕事の量も増えた。
てゐもまた、屋敷周辺の見回りなどというつまらない仕事に借り出されていた。
とまあ、普段ならくたびれるだけでやりたくない仕事だが、今日はほんとにいい天気。
少しくらいサボっても誰に監視されてるわけでもない。
それで痛む良心や真面目さをてゐはあまり持ち合わせてはいなかった。
「~♪」
口笛を吹きながら気ままに歩く。
一応、屋敷周辺に仕掛けていた罠のチェックはして回ったが、それもついでにといった感じ。
風が耳をなぜる。揺れる竹のサワサワという音も心地よい。
ウサ耳をそっと触れ合わせてウサウサするにもいい陽気。
唯一不満なのはどこまで言ってもあまり代わり映えのしない竹だらけの風景。
けれどその視界にいつもと違うものが映った。
竹の根元にうずくまる、片方、左側の耳の折れた兎。
いや、まだ幼い兎の妖怪だった。
永遠亭では見たことのない顔。きっと野兎の妖怪だろう。
珍しかったし、その日のてゐはとにかく本当に機嫌がよかったのだ。
「見かけない顔ね、こんなところで何をしているの?」
「うるさい、どこで何してもおいらの勝手だろ! おばさん」
次の瞬間仔兎の周りを無数の弾が囲んでいた。
そして大きくハンマーを振りかぶり真っ直ぐ仔兎めがけて振り下ろそうとするてゐがいた。
そのままではハンマーに、下手に逃げても弾幕にあたるだろう。
覚悟を決めたのか、仔兎はその場でただ目を閉じた。
振り下ろされたハンマーは兎の直前で止まり、弾は全て兎をグレイズして飛び去った。
「あら、あなた結構度胸あるじゃない」
「ま、まぁな……」
本当はすくみあがってぴくりとも動けなかっただけだった。いや、動いても無駄と、どこか諦めていた。
けれど、機嫌のいいてゐが勝手に勘違いした。
「変なこといってごめん。おまえ、強いんだな……」
仔兎は素直な感想をポツリとつぶやいた。
てゐはにこりと微笑んで調子に乗った。
「もちろん、私を誰だと思ってるの? 最強の大妖怪、因幡てゐ様とは私のことよ」
「聞いた事あるような…ないかな?」
「無知は罪よ。この奥の永遠亭を実質仕切ってるのだって私なんだから」
「永遠亭、ホント!?」
「そう! 一応表向きは姫様と永琳様が仕切られているけれど、裏で全てを操っているのはこの私!」
えへんと胸を張るてゐ。
普段なら威厳のかけらもない可愛らしいそのしぐさも、仔兎にとっては違った。
なにより、永遠亭と最強という言葉にその瞳が輝いた。
「お願いしますてゐ様、おいらを永遠亭で働かせて!」
「ふーん」
頬に指を当てて考えるてゐ。
「永遠亭の仕事は厳しいわよ?」
本当は、自分の仕事がその分減ってラッキー、と思っていたがそんな事はまったく表情に出さない。
「どんなに厳しくても、おいらがんばるよ、だって、ちゃんと働きさえすれば危険な事しなくても生きていけるもん……」
元気のよかった仔兎の瞳に影が刺す。
仔兎の必死な様子に、てゐは昔のことを思い出した。
生きる事に必死だったはるか昔の事を。
「運がいいわね。だって、最初にこのてゐ様に会えたんだから。決めた、あなたを私の直接の部下にしてあげる」
「ありがとうございます…てゐ様!」
勢いよく頭を下げる仔兎の頬を一滴の涙がつたい落ちた。てゐはなぜか少し動揺してしまった。
だから、柄でもなくてゐは仔兎の手をとって言ったのだ。
「大丈夫、私の言うとおり働けば何があっても私が守ってあげるから」
「ほんと!?」
「もちろん。約束するわ」
何気ない約束で、仔兎の瞳は澄み渡り、てゐの姿を心に刻んだ。
それから数日
「ウサギたちがケンカ?」
鈴仙は報告を聞いて額に握りこぶしを当ててうなだれる。
頭が痛い。最近胃の調子も悪い。これで今週四度目。こんな気分じゃこっそりウサウサする気にもなれない。
ケンカするのは決まって同じ、耳の片方折れた仔兎。
普段はいたって真面目でよく働くその兎がケンカを始める理由はいつも一つ。
「だって! みんなてゐ様が永琳様とか、よりにもよって鈴仙より弱いって馬鹿にするんだもん!!」
「あははは……そうね、あなたは悪くない! さすが私の直属の部下!」
「そうですよね!」
勢いでごまかそうとするてゐの言葉に仔兎は目を輝かせて同意する。
「てゐ」
「別にいいじゃないよぅ」
あきらめ混じりの鈴仙の抗議にあまり悪びれた様子もないてゐ。
輝夜は ”あらあら、今日もイナバたちは元気ね” と、いつもまったく無関心。
永琳も ”私が兎にどう思われようと関係ないわ。それより鈴仙、てゐ、ウサギたちの管理はあなたたちの仕事でしょう?” といった様子。
結果、頭を悩ますのは鈴仙一人であった。
「とにかく、もうケンカはしないようにね!」
「……」
返事をしない仔兎。
鈴仙は大きくため息をつく。
「まあまあ鈴仙。私からちゃんと言っておくから」
「ホントだよ? 絶対だよ? もう私、師匠の胃薬だけは飲みたくないんだからね?」
鈴仙は、妙にしつこく念を押すとふらふらと部屋を出て行った。
その鈴仙の様子がさすがに少し不憫だったので、てゐは仔兎を嗜めた。
「そういうことだからさ。ちょっとだけケンカするのも抑えてあげてね」
「……でも」
「でも?」
仔兎はうつむいて後ろ足で部屋の畳をペシと一度叩いてから顔を上げ、真っ直ぐてゐの瞳を見つめてきた。
「みんな、おいら以外みんな! てゐ様が最強だって言っても信じてくれないんだよ?」
「馬鹿ね」
てゐは耳を倒して顔に影を作ると、わざと芝居がかった低い声音で語った。
「能ある鷹は爪を隠す、プリチーなウサギほど力を隠すものなのよ」
「う…うん。それは、分かるんだけどさ……でも」
てゐの物言いに少し気おされる仔兎だったが、それで納得できないものがあった。
「でも、何なのよ?」
「でも……でも、そんなのって悔しいよ! だって、てゐ様はおいらのご主人様なのに!!」
これにはさすがのてゐも驚いた。
”悔しい”に”ご主人様”…か、なんとも純粋に慕われたものだ。
それはやはり嬉しくもあり、けれど素直で思い込みも激しそうなこの仔兎を考えるとこのままではいけないかなとも思えた。
なにより、ここまで言われては放って置けない。どうしたものか。
そんな迷いは表情に見せずにてゐは言った。
「まず、ご主人様は悪くないけどやめて」
「でも…」
「でもはもう十分よ」
「それじゃ…えっとその、お姉ちゃん…てゐお姉ちゃん…だめ?」
お姉ちゃん…か、ご主人様とずいぶん意味が違うようにも思えたがそういう発想がが子どもらしい。
「それでいいわ。で、あなたはどうしたら納得するの?」
「てゐお姉ちゃんのかっこいいところが見たい!!」
-------
「-----というわけなのよ、鈴仙」
「それで、私にどうしろっていうの?」
鈴仙の部屋に突然押し入り、目の前に正座してニコニコ話をしだしたてゐ。
一人部屋で足を横に投げ出しそっと耳を合わせてウサウサしようか迷っていた鈴仙は慌てて居住まいを正し、結果二人は正座して向かい合った。
鈴仙の視線が何か言いたげだったが、てゐは笑顔で無視をした。
「だからね、理由は何でもいいからさ? あの子の前で鈴仙と私が戦って、私が勝って見せればいいのよ!」
胃がキリキリ痛んだ。
「何で私がそんなことしないといけないのよ…」
「だからー、あの子のためだって。一回納得すればそれでもうケンカしたりしなくなるはずよ。それで鈴仙の悩みも解決、みんな丸く収まるわ。それがあなたにできる善行よ!」
「意義ありー、せんせー、てゐちゃんが嘘を謝ってあの子の誤解を解いたらいいだけだと思いまーす」
どこにも居ない先生へのやる気のない告げ口風の抗議。
少し淀みかけた視線はただただ真っ直ぐ無表情でてゐを見つめている。
てゐは笑顔で無視をした。
「それじゃ、明日丁度あの子が外の見回りだから鈴仙があの子に態度が悪いって注意する。そこへ私が登場してかっこよく鈴仙を退治する。あ、鈴仙の攻撃は演技でいいよ。私だけ本気で鈴仙に攻撃して倒すから」
「普通、てゐの攻撃も倒されるのも演技なんじゃないの?」
「それじゃ嘘っぽくなるじゃない」
「そもそも嘘じゃ……ていうか、いつの間に私がそれやる事決定?」
「鈴仙、お願い。あの子のためなの」
てゐは笑顔を曇らせ、伏目がちで瞳を潤ませた。そして鈴仙のほうに少し体を倒して懇願する。
演技だと分かっていてもその真剣な表情に鈴仙の心は切なくなった。
てゐはそのままさらに体を倒した。ミルクキャロットの甘い香りが漂う。
鈴仙の胸にしなだれかかる寸前で止め、ただ耳だけをそっと鈴仙の耳に重ねた。
ゾワゾワっと鈴仙の背中が震え何かが全身を駆け巡った。
触れ合うふわふわの柔毛がもどかしい。
「あ、の?」
「いいよ……」
え、いいの? いいのか…って何が!? 何でそんな目で私を見上げるの!? ああ、でも……いいのかな? やっぱりダメ だ…め…でも、いいって言ったし…そんな、私正気を保って! う……う、ウサ…うぅぅーー
「う…うん」
鈴仙は顔を真っ赤にしてこくんと小さく頷いた。
「ありがとーーーーー!」
てゐは満面の笑顔で立ち上がった。鈴仙の手をとって大きくブンブンと振るとそのまま勢いよく部屋を出て行く。
「明日のお昼過ぎだからね? 約束よ、鈴仙」
「え、あれ? あのぉ…てゐ…ちゃん……」
思わず自分がてゐに向けて腕を伸ばしていたことに気がつき、腕と肩と耳をがっくりと下ろした。
その日の夜、鈴仙が師匠の元を訪れたか、あるいは自室で一人枕をぬらしたか、それは定かではない。
夜が明け日が昇る。快晴、快風、絶好の見回り日和、ケンカ日和、はたして鈴仙の心はどんよりであった。
てゐの言う事など無視しても問題はないのだが、はめられたとはいえ一度頷いた事に律儀に従う己の真面目さに少し嫌気を覚えつつ外の見回りをしている片耳の折れた仔兎の元へ向かった。
兎はすぐに見つかった。必要以上にキョロキョロしながら三歩進むごとにしっかりと周辺を確認している。
実に平和だ。こうして見ていると仔兎の仕事振りもまじめで共感が持てた。問題兎には見えない。
願わくば、最初に会ったのが私だったならあの子ももっと幸せに生きられただろうに、と考えて首を振る。
それで幸せに生きられるのはむしろ私だ、と鈴仙は結論付けた。
仔兎の奥の草むらには、てゐが隠れて見張っていた。実に抜かりない。
あれこれ考える事で行動を起こすのを先延ばしにしていたが、それも限界、睨まれた。
鈴仙は仔兎に声をかけた。
「こんにちわ」
「!! ……なんだ、鈴仙か。驚かせないでください。おいらになんか用ですか?」
「あはは、ごめんごめん。うん、用ってほどのものじゃ、あるようなないような……」
「暇なんですか? 永琳様のお手伝いとかやる事はたくさんあるんじゃないんですか?」
妙に棘のある、というか見下したような仔兎の話し方に鈴仙は遣り辛さを感じ、口の中でてゐのバカと小さく二回呟いた。
「んー、そうなんだけど。今はあなたにお話しがあるの」
「おいらに?」
「最近あなたはケンカのしすぎよ、よくないことだわ」
「確かにそうですね……そのことはてゐ様にも叱られました」
さっきまでの威勢をなくし、しゅんとする仔兎は実に素直だった。
あれおかしいな…鈴仙は思った…こんな素直な仔兎に私はこれから…
「えっと、うん、そこで私があなたを懲らしめに来たのでした……覚悟!」
「ケンカはよくないって自分で言っといて、暴力ですか?」
「……おかしいわよね」
「おかしいですよ」
「私は何でこんなことしてるのかしら」
「おいらが知るわけないじゃないですか」
……。
「あーもう、じれったい!! 漫才じゃないんだから!」
「あ、てゐお姉ちゃん!!」
お姉ちゃん!? あからさまな仔兎の態度の変化に驚いている鈴仙に、草むらから飛び出してきたてゐがビシッと指を向けた。
「鈴仙! 私の大切な部下によくも絡んでくれたわね! 懲らしめてあげる!」
「お姉ちゃんかっこいー!!」
ええぇぇこの展開はありなの? てゐなら許されるの? 鈴仙は理不尽を嘆いた。
もういいや、どうにでもなれ。 そして吹っ切れた。
「あはは、今日は焼肉しちゃうぞー、がおー」
「てゐお姉ちゃん、怪獣うどんげいんだよ、怖いよ! 食べられちゃうよ」
「大丈夫、最強のお姉ちゃんが守ってあげるから! 怪獣うどんげいん! この子は私が守る!!」
ていうかー微妙…
てゐの視線が冷たく鈴仙の涙腺を震わせて、キラキラと鈴仙の大切な何かが一つこぼれ落ちていく。
「……いきます!」
鈴仙はその場でくるりと一回転し、舞わせた長い銀髪から真っ赤な狂眼を光らせた。
規則正しくびっしりと円形に敷き詰められた細長い弾が、幾重にも重なっててゐを襲う。
「いきなり!? あなたは危ないから離れてて!」
てゐは仔兎から離れるように弾を避ける。鈴仙の弾幕は落ち着いてかわせば抜けられないことはない程度。
体をひねって細く狭い弾の隙間をくぐり抜け、密度の濃い弾幕は大きく跳ねて飛び越した。
時折余裕の笑みすら浮かべる華麗なてゐの動きを仔兎は輝く瞳で食い入るように見つめていた。
すごい、すごい、かっこいい、やっぱりてゐお姉ちゃんが最強だ! 仔兎はもう嬉しくてしょうがない。
「てゐ、避けてばかりじゃ勝てないわよ!」
鈴仙がてゐを挑発する。そろそろ終わりにしようという合図だった。
てゐが広げた両手を思いっきり勢いよく前に倒すと、隙間なく並んだ弾の列が風を切って鈴仙に迫った。
こちらは鈴仙と違って手抜きはない。必要以上に容赦なく弾を並べ、もはやルール違反スレスレの超高密弾幕。
ここで鈴仙がわざとてゐの弾に当たって終わる予定。だったが……
「あはははははは」
人も兎も何かを失うと強くなるらしい。
無意味とも思える左右に体を揺らすフットワークで弾の斜め後ろをかするように避けながら鈴仙はどんどんてゐとの間合いを詰めた。
「ちょっと鈴仙、話が違うって」
「私だって、ただやられるだけじゃないよー」
ついに鈴仙はてゐの真正面に立った。そして不敵に笑う。
ん? 目の前? てゐは冷静に状況を見据えた。
「あはははは」
「えい!」
ピコンッ☆
「はう」
ひょいっと手を伸ばし、鈴仙の額にデコピンする。
鈴仙はくるくると大げさに回転しながら下がっていき、ヨヨヨとその場に崩れ落ちた。
「やーらーれーたー」
「わざとらし過ぎよ!」
てゐはすぐ横の木を後ろ足で蹴った。とたん鈴仙の足元が自らの存在を否定した。
パキっと乾いた気持ちよい音を立てて穴が開き、鈴仙は落ちた。
同時に上から水がザァと降ってくる。
穴の底で水浸しの鈴仙は突然の天変地異に声が出なかった。ただぼんやりと上を見ると、入り口の穴から差し込む光の向こうにひっくり返ったバケツが見えた。それでこれがてゐの罠だと気がつく。
「ここまでしなくても……」
穴から這い出る気力もなくし、鈴仙はしばらくそこで人生について興味深い考察をするのだった。
「てゐお姉ちゃん! やったね!」
仔兎がてゐの元に駆け寄って力いっぱい抱きついてきた。
てゐは仔兎の重みを感じたがきちんと受け止め、耳をなでてあげながら言った。
「どう? 私が最強だってわかってくれた?」
「勿論だよ! お姉ちゃんすごいかっこよかった!」
ホントだよ、すごかったよ、とてゐの袖を強く何度も引っ張りながら見上げる仔兎。
てゐが腰をかがめ仔兎と視線をそろえると、仔兎はさらに強く抱きついて、そして折れてないほうの耳をそっとてゐの耳に押し当てた。
「っちょ」
「えへへ、うさうさぁ、お姉ちゃん大好き!」
「……もう、しょうがないんだから」
まだ幼い仔兎のすることに強く反対できず、てゐは少し顔を赤らめつつ、仔兎の折れた耳に手を当てる。
「あ、ごめんなさい。おいら嬉しくてつい……」
「ううん、別に気にしなくていいけど。甘えん坊ねー」
てゐがくすりと優しく微笑むと、仔兎は少しいじけた顔をした。
「だっておいら、一人じゃできないから……」
なるほど、今まで特に気にしなかったが、確かに片耳が折れている。生まれつきのものではない怪我の痕が見られる。
「この耳どうしたの?」
聞いてから、まずかったカナと思ったてゐだが、仔兎は気にした様子もなく淡々と語りだした。
「人間に撃たれたんだ。おいらの父ちゃんと一緒に……」
仔兎いわく。
まだ仔兎が本当に幼かった頃。親子二人は食べ物がなく飢えていた。
春がなかなか来なくて、日が照らず、その歳は作物が不足した。
父親は子に食べさせるため、危険を承知で人の畑に入り、人参を掘って、見つかって、撃たれた。
耳の怪我はそのとき逃げるしかできなかった仔兎を仕留め損なった猟銃の弾の痕。
「ごめんね、嫌な事聞いちゃって」
「お姉ちゃん、気にしないでいいよ。だっておいらには今お姉ちゃんが居るから! 優しくて最強のお姉ちゃんが居て永遠亭は安全でちゃんと働けば食べ物だってもらえる。もう怖いものなんてないよ」
「そっか」
てゐは仔兎をぎゅっと抱きしめる。初めて会ったときから妙に気になっていた理由に気がついた。
この子は一人で生きてきた、強く生きることを迫られた、それが昔の自分に重なって思えたから、だから放って置けない。
やがて日が落ちて夜は冷える。
鈴仙は自室で己の不幸に凍えていた。
「とうさま、かあさま、おししょうさま、わたしはいらないこかもしれません。これはつきのなかまをみすてたばつなのでしょうか…ックシュン」
師匠に作ってもらった舌が痺れるほど苦い風邪薬を飲んで、布団に包まっている。
ゆらゆらとろうそくの灯りがゆれた。軽い振動と部屋のきしむ音がして、バタンと戸が開いた。
入ってきたのはてゐ。鈴仙がこうまで落ち込んだ元凶である。
元凶は両手に抱えた盆に何か湯気の立つものをのせていた。そっと鈴仙の布団の横まで来ると、盆を下に置いた。
ほのかに暖かいにんじんの香りが広がる。
「鈴仙、今日は……ちょっとやりすぎたと思った」
「てゐ……」
「これ、ホットミルクキャロット。飲んであったまれば気分もよくなるわ。風邪なんて気のせい」
鈴仙は体を起こし、てゐに差し出されたカップに口をつける。
白とオレンジの渦巻き模様の飲み物が鈴仙の体を満たしていく。
ほんのりと甘く、酸味付けに入ったレモンが人参のコクと香りを深めている。
不思議なもので、たったそれだけで風邪の具合がよくなった気がした。少なくとも舌の痺れは取れた。
鈴仙の頬にもオレンジの渦巻きのように朱が刺す。
ゆっくりと、鈴仙が飲み干すまで二人は無言だったけれど、代わりにろうそくの光が部屋を満たした。
「ふぅ、ご馳走様。ありがとうてゐ」
「こっちこそごめんね」
「急にどうしたの? てゐらしくもない」
「ちょっと、思うところがあって」
「鈴仙?」
「てゐ?」
「鈴仙からでいいよ」
「てゐからでいいよ」
「うん、あのね。今日のことだけど……怪獣うどんげいんはやっぱりどうかと思った」
「って、それ最初に言ったのあの仔兎だから……」
「そっか」
「そうよ」
「てゐ?」
「何?」
「どうしてそんなに、あの仔兎を気にかけるの? ううん、それはいい事だと思うけど、てゐが理由もなしにそんなことすると思えない」
「多分…」
てゐは鈴仙から空のカップを受け取って、盆に戻す。
ろうそくの灯が揺れている。
「多分ね、あの子にとって私が生きる希望、見たいなものなんだ。自分で言ってて恥ずかしいけどさ」
「希望?」
「昔の私はただただ一生懸命生きてきた。結構あくどい事もしたよ、長生きするために。それは生きてやりたい事があったから。あの子はつらい事があって、生き抜くことを少しあきらめかけてた。でも、偶然だけどこの永遠亭とそして私にあきらめないでがんばる理由を見つけたみたい。あんなに素直に慕われたらさ、ほっとけないじゃない」
てゐは盆を持って立ち上がった。
「だからね、あの子のためにも私はずっとあの子の希望で居てあげたい」
私らしくないかな? とてゐはおどけて笑った。鈴仙は無言でてゐの瞳を見つめる。
てゐは先に視線をそらし、お大事に、と言って立ち去ろうとした。
が、鈴仙がその背中に声をかける。
「でもさ、結局今日のことだってあの子を騙したのと一緒だよ」
てゐの歩みが止まる。
「てゐ、私ならこれでいいけどさ、嘘はいつかばれるから。いつまでもこう上手くはいかないよ」
「分かってる。でも、これが私のやり方で今までずっとこうしてきたんだから。自分のためにもがんばるしかないの!」
「ねぇ、てゐが長生きしてまでしたかったことって、何?」
てゐはくるりと振り返り、笑顔で答えた。
「それは、秘密です。でもね、わりと今幸せ。だからあの子にもね」
また明日、と手のひらを小さく振りてゐは部屋から出て行った。
鈴仙は目をつぶっててゐの笑顔を思い出し、そのまま眠りに落ちた。
それから、しばらく永遠亭は平和だった。
ケンカもあれ以来起きてない。
人里の守護者、上白沢慧音が永遠亭を訪ねてきたのはそれから一ヵ月後だった。
いわく、人里に兎の妖怪が現れ、畑を荒らしたと。