「おや、お前は紅魔のではないか。買い出しか?」
ある日の昼下がり、人の里に降りていた慧音は、その特徴的な容姿の後ろ姿にそう声を掛けた。
知らない仲でもないその人物の声に、少女は瀟洒に振り向く。
「ええ、とりあえずは注文だけ。後で館の者が来るけど、ちょっとくらい見逃してね?」
口調こそ軽いが、その真面目な目を見た半獣は軽くため息をつく。
眼前の少女の通り名はよく知っている。
その彼女が言うのだ。
流石に簡単にはNoと言えなくなってしまった。
「……仕方がないな。確認までに聞くが、判ってはいるな?」
笑顔でありがとうございます、と返された。
どうも、上手を行かれている……
「ところで私、しばらく暇なのよ。どこか美味しいお茶でも知らないかしら? 良ければご一緒しません?」
「そういうことならば良い所を知っているぞ。日本茶だが構わないかな?」
二人の少女は市場を離れ、肩を並べながら歩いて行った。
少々草の香りが強いが、その野性味溢れる味が魅力の団子と、その団子の味に負けない風味を持つその緑茶は、果たして素晴らしい味だった。
もっとも、お嬢様には少々灰汁が強すぎるだろうが。
そうは思いながらも、やはり美味しい物は美味しい。
そして他愛のない話は楽しい。
時に子供の遊びを眺め、時に談笑し、時に団子に舌鼓を打つ。
子供達がぽぉん、ぽぉんと跳ねる球のリズムはその流れの緩やかさをより強く感じさせる。
時折混じる変拍子は、微笑を誘う。
小さな幸福を感じながら、ゆったりと時間は過ぎてゆく。
手元が狂って投げられた球は振り子のように行き来していた道を大きく外れ、見守る少女たちの方へと跳ね飛んでゆく。
小さな世界から外れた球はまっすぐに、先ほどまでそれを見ていた二人の少女の中間、草色の香りの盛られた皿へ向かってゆく。
それを見て青い顔をした子供達は、その瞬間を拒否するかのように堅く目を瞑る。
しかし、その皿の中身が崩落する瞬間は訪れない。
里の守り神と談笑をしていてこちらを見ていなかった筈の、洋装の少女の手中に収まっている球。
軽やかに投げ返される球を見て驚く子供たちをよそに、何事も無かったかのように団子を手にする。
何事も無い、いつも通りの風景。
少なくとも時を止めた少女にとってはその筈だった。
その呟きが意外な所からあがるまでは。
「格好があまりにも綺麗に決まりすぎていたのですっかり忘れていたが、お前もであったな……」
あまりに独り言めいた小さな一言は、その声の大きさに反比例して強い印象を残していた。
「あら、それはどういう意味かしら?」
本当に想像がつかない様子で問い掛ける。
「ん? ああ、お前が気がつかないのも無理はないか。少々重く、推論での話だが、構わないかな?」
そう前置きしてから半獣は静かに語り始める。
「お前、私、妹紅、そして月の民ではあるが八意。共通点があることに気がつかないか?」
しばし考えてから答える。
「……何かしらね。強いて言うのならば、そうね、髪の色辺りかしら」
「それは、一応の正解だな。私は妖怪の血がある所為か、少々別の色も混じっているが、一応銀の髪だ。そして咲夜、お前も綺麗な銀髪だな」
「あら、それはどうも。あなたのその二色もとても綺麗だと思うけれどね」
「ん、ああ、それは嬉しいが、とりあえず話を続けよう」
少々照れる慧音。咲夜も満更ではないと言った顔をしている。
「妹紅も、そして八意の者も皆、確かに銀髪だ。では、それ以外に何か、思い当たる物は無いか?」
更なる問い掛けに対して、咲夜は頭を捻る。
しかしながら、これ以上はとんと思い浮かばない。
それを見越した慧音は更に一言を付け加える。
「ならば、例外的ではあるが八意の使える主、蓬莱山輝夜をその中に含めてみると、今度は何か判らないか?」
その一言で、今問いを投げかけている少女と最初にであった時の事を思い出し、そこから連想された答えが出てくるまでに時間はさほど掛からなかった。
「もしかして……」
「ああ、そうだ。藤原妹紅、八意永琳、蓬莱山輝夜の三人は永久に在り続ける蓬莱人、私は歴史に、過去に触れてその道を違えることの出来る半妖半人、そして十六夜咲夜、お前は現在の時の流れに介入する力を持つ。全て、深く時に関わる人間達だ」
僅かな時間、沈黙が支配する。
「ちょっと待って、輝夜が例外なのはとりあえず置いておくとして、それじゃああの白玉楼の庭師はどうなの?」
「そういえば魂魄の者も銀髪だったな。あの一族は誕生と同時に涅槃を纏い、死後迎える輪廻の時を削る事で現世に留まる時間を作り出している。その寿命は、妖怪のそれをも越える程の長さにも達する。蓬莱人以外で、不死と呼べるほどの長寿を持つ物は彼女らの一族しか居ない」
ため息が一つ。
「つまり、彼女も……?」
「ああ。人の生をはるかに越える長さの時に触れてしまった者達だ。尤も、あの庭師からは私と同じく、人外の気配が強く漂ってはいるがな」
あまりに唐突な話の内容に、思考速度が追いついていかない。
そんな咲夜の様子を見て取った慧音も、少々の間を取る。
周囲のざわめきが嫌に耳につく。
この周囲だけ、気温が下がったかのよう。
自身を落ち着かせ、思考を律する。
「それじゃ、改めて聞くわね? まずはあなたの事から教えて頂戴」
今この場にいない者の話よりも、この場で直接問答できる人物の話を聞き、そこから理解を広げるのが得策――そう判断して、会話の続行を選択する。
「私の半身がハクタクなのはもう知っているな? 私の力、歴史を食い、また書き換えるその能力はハクタクに由来している。しかし、この髪の色――銀髪は、人の髪だ。それが証左に、満月の夜でも銀髪には変化がなかったろう?」
「……あなたの触れた“時”は、過去――いいえ、歴史なの?」
「その通りだ。ハクタクの力の行使が、この髪の色の理由だ」
「妹紅、永琳はそれぞれ蓬莱人だからかしら?」
黙って頷く慧音。
「あの薬師は、お前を見てさぞかし驚いた事だろう。蓬莱の薬を作る事が出来るのは、輝夜の力を借りた彼女だけであり、その薬も既に失われている。それ以後、薬は作られていない筈なのに、人に在らざる銀髪を持つ者が現れたんだからな」
「ならば、この銀髪は――」
「人がその身を越えて、時の流れに手を出した証――咎の印し、いや、白しだな。こればかりは月の民も地上の民も変わらなかったらしいと見える」
話しつづけて乾いた喉を潤すために、茶に口をつける。
「ならば何故、月の姫は銀の髪ではないのかしら? 彼女も姫とは言え月の民ではありながら、その、永久を生きる者でしょう?」
「……彼女の力は、永遠と須臾を操る。もしかしたら、彼女は生来の罪人だったのかもな。元々人など超越していた存在なのかも知れない」
彼女の知る限り、考えうる限りの全てを話し終えた慧音は口を閉ざす。
聞くべき事を聞き、問う事も無くした咲夜もまた口を閉ざす。
三度、静寂が場を支配する。
「そう。結局、時を操るなんて人には過ぎた力なのね――世界にすら、烙印を押されてしまう」
ぽつりと呟かれた一言は、まるで彼女の過去のようだった。
「私は…… 私はそうは思わないぞ、十六夜咲夜。銀の髪も歴史に関わる力も、私を私としている要素だ。私の姿にこの髪の色は不可欠で、里を守るのに力は必要だ。お前のその力は、お前には必要ではないのか?」
手元から視線を上げ、遠くを見ながら問いを発する少女。
それはしかし、自問自答するが如く映る。
「ただの人では出来ない事が、力を持った私ならば出来ることもある。だとするならば、私は喜んで私の中の人を捨てよう。この銀の髪を、時の禁忌に触れた咎を受け入れよう。だが、私は私だ。そしてお前はお前だ。違うか?」
「さて、そろそろ館の者が来る時間なので私は失礼させていただきますわ。今日は美味しいお茶をご馳走様でした」
明るい声で席を立つ。
双方共に、視線は合わさない。
「代わりに今度は美味しい紅茶を頂くとするよ」
それ以上の言葉は要らない。
振り返ることもなく雑踏に消えてゆく少女の背中を見送る。
人影に飲まれるまでそれを追い続け、足元を見やった時。
「ありがとう」
耳元で響くその声は。
今日も、幻想郷の一日は何事もなく過ぎてゆく。
人も、妖怪も、咎も、全てを受け入れながら。
ある日の昼下がり、人の里に降りていた慧音は、その特徴的な容姿の後ろ姿にそう声を掛けた。
知らない仲でもないその人物の声に、少女は瀟洒に振り向く。
「ええ、とりあえずは注文だけ。後で館の者が来るけど、ちょっとくらい見逃してね?」
口調こそ軽いが、その真面目な目を見た半獣は軽くため息をつく。
眼前の少女の通り名はよく知っている。
その彼女が言うのだ。
流石に簡単にはNoと言えなくなってしまった。
「……仕方がないな。確認までに聞くが、判ってはいるな?」
笑顔でありがとうございます、と返された。
どうも、上手を行かれている……
「ところで私、しばらく暇なのよ。どこか美味しいお茶でも知らないかしら? 良ければご一緒しません?」
「そういうことならば良い所を知っているぞ。日本茶だが構わないかな?」
二人の少女は市場を離れ、肩を並べながら歩いて行った。
少々草の香りが強いが、その野性味溢れる味が魅力の団子と、その団子の味に負けない風味を持つその緑茶は、果たして素晴らしい味だった。
もっとも、お嬢様には少々灰汁が強すぎるだろうが。
そうは思いながらも、やはり美味しい物は美味しい。
そして他愛のない話は楽しい。
時に子供の遊びを眺め、時に談笑し、時に団子に舌鼓を打つ。
子供達がぽぉん、ぽぉんと跳ねる球のリズムはその流れの緩やかさをより強く感じさせる。
時折混じる変拍子は、微笑を誘う。
小さな幸福を感じながら、ゆったりと時間は過ぎてゆく。
手元が狂って投げられた球は振り子のように行き来していた道を大きく外れ、見守る少女たちの方へと跳ね飛んでゆく。
小さな世界から外れた球はまっすぐに、先ほどまでそれを見ていた二人の少女の中間、草色の香りの盛られた皿へ向かってゆく。
それを見て青い顔をした子供達は、その瞬間を拒否するかのように堅く目を瞑る。
しかし、その皿の中身が崩落する瞬間は訪れない。
里の守り神と談笑をしていてこちらを見ていなかった筈の、洋装の少女の手中に収まっている球。
軽やかに投げ返される球を見て驚く子供たちをよそに、何事も無かったかのように団子を手にする。
何事も無い、いつも通りの風景。
少なくとも時を止めた少女にとってはその筈だった。
その呟きが意外な所からあがるまでは。
「格好があまりにも綺麗に決まりすぎていたのですっかり忘れていたが、お前もであったな……」
あまりに独り言めいた小さな一言は、その声の大きさに反比例して強い印象を残していた。
「あら、それはどういう意味かしら?」
本当に想像がつかない様子で問い掛ける。
「ん? ああ、お前が気がつかないのも無理はないか。少々重く、推論での話だが、構わないかな?」
そう前置きしてから半獣は静かに語り始める。
「お前、私、妹紅、そして月の民ではあるが八意。共通点があることに気がつかないか?」
しばし考えてから答える。
「……何かしらね。強いて言うのならば、そうね、髪の色辺りかしら」
「それは、一応の正解だな。私は妖怪の血がある所為か、少々別の色も混じっているが、一応銀の髪だ。そして咲夜、お前も綺麗な銀髪だな」
「あら、それはどうも。あなたのその二色もとても綺麗だと思うけれどね」
「ん、ああ、それは嬉しいが、とりあえず話を続けよう」
少々照れる慧音。咲夜も満更ではないと言った顔をしている。
「妹紅も、そして八意の者も皆、確かに銀髪だ。では、それ以外に何か、思い当たる物は無いか?」
更なる問い掛けに対して、咲夜は頭を捻る。
しかしながら、これ以上はとんと思い浮かばない。
それを見越した慧音は更に一言を付け加える。
「ならば、例外的ではあるが八意の使える主、蓬莱山輝夜をその中に含めてみると、今度は何か判らないか?」
その一言で、今問いを投げかけている少女と最初にであった時の事を思い出し、そこから連想された答えが出てくるまでに時間はさほど掛からなかった。
「もしかして……」
「ああ、そうだ。藤原妹紅、八意永琳、蓬莱山輝夜の三人は永久に在り続ける蓬莱人、私は歴史に、過去に触れてその道を違えることの出来る半妖半人、そして十六夜咲夜、お前は現在の時の流れに介入する力を持つ。全て、深く時に関わる人間達だ」
僅かな時間、沈黙が支配する。
「ちょっと待って、輝夜が例外なのはとりあえず置いておくとして、それじゃああの白玉楼の庭師はどうなの?」
「そういえば魂魄の者も銀髪だったな。あの一族は誕生と同時に涅槃を纏い、死後迎える輪廻の時を削る事で現世に留まる時間を作り出している。その寿命は、妖怪のそれをも越える程の長さにも達する。蓬莱人以外で、不死と呼べるほどの長寿を持つ物は彼女らの一族しか居ない」
ため息が一つ。
「つまり、彼女も……?」
「ああ。人の生をはるかに越える長さの時に触れてしまった者達だ。尤も、あの庭師からは私と同じく、人外の気配が強く漂ってはいるがな」
あまりに唐突な話の内容に、思考速度が追いついていかない。
そんな咲夜の様子を見て取った慧音も、少々の間を取る。
周囲のざわめきが嫌に耳につく。
この周囲だけ、気温が下がったかのよう。
自身を落ち着かせ、思考を律する。
「それじゃ、改めて聞くわね? まずはあなたの事から教えて頂戴」
今この場にいない者の話よりも、この場で直接問答できる人物の話を聞き、そこから理解を広げるのが得策――そう判断して、会話の続行を選択する。
「私の半身がハクタクなのはもう知っているな? 私の力、歴史を食い、また書き換えるその能力はハクタクに由来している。しかし、この髪の色――銀髪は、人の髪だ。それが証左に、満月の夜でも銀髪には変化がなかったろう?」
「……あなたの触れた“時”は、過去――いいえ、歴史なの?」
「その通りだ。ハクタクの力の行使が、この髪の色の理由だ」
「妹紅、永琳はそれぞれ蓬莱人だからかしら?」
黙って頷く慧音。
「あの薬師は、お前を見てさぞかし驚いた事だろう。蓬莱の薬を作る事が出来るのは、輝夜の力を借りた彼女だけであり、その薬も既に失われている。それ以後、薬は作られていない筈なのに、人に在らざる銀髪を持つ者が現れたんだからな」
「ならば、この銀髪は――」
「人がその身を越えて、時の流れに手を出した証――咎の印し、いや、白しだな。こればかりは月の民も地上の民も変わらなかったらしいと見える」
話しつづけて乾いた喉を潤すために、茶に口をつける。
「ならば何故、月の姫は銀の髪ではないのかしら? 彼女も姫とは言え月の民ではありながら、その、永久を生きる者でしょう?」
「……彼女の力は、永遠と須臾を操る。もしかしたら、彼女は生来の罪人だったのかもな。元々人など超越していた存在なのかも知れない」
彼女の知る限り、考えうる限りの全てを話し終えた慧音は口を閉ざす。
聞くべき事を聞き、問う事も無くした咲夜もまた口を閉ざす。
三度、静寂が場を支配する。
「そう。結局、時を操るなんて人には過ぎた力なのね――世界にすら、烙印を押されてしまう」
ぽつりと呟かれた一言は、まるで彼女の過去のようだった。
「私は…… 私はそうは思わないぞ、十六夜咲夜。銀の髪も歴史に関わる力も、私を私としている要素だ。私の姿にこの髪の色は不可欠で、里を守るのに力は必要だ。お前のその力は、お前には必要ではないのか?」
手元から視線を上げ、遠くを見ながら問いを発する少女。
それはしかし、自問自答するが如く映る。
「ただの人では出来ない事が、力を持った私ならば出来ることもある。だとするならば、私は喜んで私の中の人を捨てよう。この銀の髪を、時の禁忌に触れた咎を受け入れよう。だが、私は私だ。そしてお前はお前だ。違うか?」
「さて、そろそろ館の者が来る時間なので私は失礼させていただきますわ。今日は美味しいお茶をご馳走様でした」
明るい声で席を立つ。
双方共に、視線は合わさない。
「代わりに今度は美味しい紅茶を頂くとするよ」
それ以上の言葉は要らない。
振り返ることもなく雑踏に消えてゆく少女の背中を見送る。
人影に飲まれるまでそれを追い続け、足元を見やった時。
「ありがとう」
耳元で響くその声は。
今日も、幻想郷の一日は何事もなく過ぎてゆく。
人も、妖怪も、咎も、全てを受け入れながら。