――何で、私は生きているのだろう?
それを思う日が、この頃、多くなったように思う。さて、それを考え始めたのは、一体いつ頃からのことだっただろうか。身を隠し、気配を隠し、影すら隠し、ひっそりと生き続けてきて、ずっと思い続けてきたことなのだろうか。
思い返してみれば、何と記憶の海というものは深きものよ。どこまで潜っても水底は見えてこず、それどころか、苦しさに耐えかねて水上へと戻らなくてはいけないほどだった。その、水の中に自分が生きる理由というものがあるのだろうか。あるとするなら、それは何なのだろうか。
それを、聞いてみたことがある。
「ねえ、永琳」
空に浮かぶ、満天の星空を眺めながら。その中央に、煌々と輝く月を眺めながら。
「生きるって、何かしら?」
「……?」
後ろに控える従者が、眉をひそめるのが気配でわかった。さぁ――っ、と風が流れていく。それに吹かれて、さやさやと森の木々がさざめく。その密やかな音が、かすかなBGM――のはずなのだが、
「こらーっ、てゐーっ! またあなたはーっ!」
「引っかかる鈴仙さまが悪いんだよー!」
何やら、にぎやかな声が聞こえてきたりもする。さて、一体何があったのやら。
「生きるという意味を聞いているの」
「生きる?」
「そう。生きる。
たとえば、よ? ここにこうして存在する、私という人間の姿をしたものが何であるか、あなたは定義づけられるかしら?」
「……そうですね」
なかなか、面白い質問をしてしまったものだと、自分でも思った。
「あの自動発火娘は、蓬莱の人の形――すなわち、人間という器の中に存在する、永遠たる脈動をその本懐に持つに至っているのに、私は、何なのかしら?」
「それは、姫。生きる、という言葉が意味する定義を、私に問うているのでしょうか?」
「そのように受け取ってもらっても構わないわ」
そうですね、と再び、永琳は間をおくと、
「たとえば。
姫は、人形が『動いている』ということが『生きている』事だと思いますか?」
「思わないわね」
「では、次。
命を持たない無機物――石でも水でも風でも、何でもいいでしょう。それがそこにある、それは生きていることですか?」
「どうなのかしら。存在の定義を、自らがそこに在ることを示すのだというのなら、それは生きているということになるのかしら」
「では、先の答えと矛盾しますね」
なるほど。これはしてやられた。
言葉遊びという点では、永琳の方が、やはり、よほど上手であるらしい。うなずく彼女――この永遠亭の主である、蓬莱山輝夜は、見事な話術を披露してくれる彼女に満足する。
「人形が人形であるゆえんはただ一つ。それが人形であると、誰かが定義するからです。話して、動いて、食事もする人形がいたとしても、それは人形。我々、人の形をした器を持った生き物と、何も変わりません。なのにそれが人形であるというのは、誰かがそれを人形であると定義したから。誰もそれを人形だと定義しなければ、人形は人形たり得ません」
「面白い答えね」
「しかるに。
もしも、私が姫を『死人』と定義したら、姫は死人になりえますか?」
「あなたの論法から行くのなら、死人ね」
「しかし、姫は死んでません。生きてます。ここからすなわち、ものの定義というのは、恒久的かつ不可逆的に判断して、曖昧なものなのです」
「あら」
またもや面白い答えを聞いてしまった。
くすくすと笑いながら、答えの先を促す。
「生きているかそうでないか。それの定義なんて、誰にもわかりません。肉の入れ物が動いているだけで生きているのでしょう。その程度のものに過ぎないんですよ。同時に、たとえ肉を持たないものがいたとして、それが自分の意志を持たずに『動いている』姿を見たとして、誰かがそれを『生きている』と表現すれば、それは生きているのです。
答えは、この程度。生きると言うことは、下らない言葉の定義によってくくられてしまうものなのです」
「なるほどね」
難しい答えに、多少、笑いながら、彼女は悠然と背後の従者を振り返る。
永琳は、片手に徳利から酒をついだおちょこを差し出していた。それを受け取り、くっと飲み干す。喉を下っていく、灼けるような熱さに、彼女は眉をしかめる。
「永琳。私に生きている意味はある?」
「また、謎かけですか」
「ええ、そう。今宵はとてもいい夜だから、面白い言葉遊びをしたくなったの」
外も騒がしいし、と指さす。
開かれた障子の向こうでは、二匹のうさぎが追いかけっこをやっている。片方は、何かやたらとぼろっちい姿になっていて、半分泣きながら、前を行くいたずらうさぎをとっちめてやろうと奮闘するのだが、次の瞬間には、
「ふきゃぁぁぁぁぁ~!?」
「やーい、ひっかかったー」
足下の草を縛っておくという簡単な罠に引っかかって、倒れたところをとらばさみに挟まれてごろごろと転がっている。
「何やってるのかしら」
全く、おバカなうさぎ達だ。しかし、やんややんやと回りでは囃し立てるもの達もいて、それなりに盛り上がってはいるようである。まぁ、その騒ぎの中央で、主に引っかき回される立場に立っている方にとって見れば、これはたまったものではないだろうが。
「さて、それでは、お次のお題に答えましょう。
姫は、生きている意味は何、と問いかけになられました」
「ええ」
「個人が生きている理由など、様々です。一概にこうとは言えませんが、答えをあえて申し出るのなら、そうですね……。生きていたいから生きている。そして、何かをなすために生きている。それが答えでしょうか?」
「たとえば?」
「私ならば、この地において、姫を始め、多くのもの達を守るために生きています」
ストレートに来られると、くらっとくる言葉でもあった。
こんなにまっすぐに言葉を浴びせられると、返す答えもなくなってしまう。
「また同時に、私には、色々とやってみたいこともあります。医学の道を究めるのには、並大抵の努力では足りませんので」
「そう。それが、あなたの生きる理由なのね」
「中途半端な上に、理由とも言えない理由ですが。
しかし、それに意味を見いだせている以上、他の誰もが私の命を『無駄である』と評価しようと、私はそれを『無駄である』とは思いません」
「では、他の誰かが、そのものが生きている理由に『意味がある』と評価しても、それが『そうではない』と否定したら、それは生きる理由としては不的確なのかしら」
「そうかもしれませんね。
もっとも、人間の目は二つあります。しかし、同時に見ることがかなうのは、しょせんは二つの目で見える範囲のみ。姫には、己の背中に何が書いてあるのか、それを見ることは出来ません。目という単純な器官がなせるのは、その程度の技に過ぎないのです」
ふむ、とうなずく。
「何十、何百、何千の目が見て、それを判断するのです。全てが一様に無駄であるとも言わないし、一様に必要であるとも言わないでしょう。たった一人のものに無駄と評された程度で、己が持っているものを否定する必要もないし、たとえたった一人のものに認められたとしても、己が持っているものを、無駄に過大評価する必要もないのです」
とどのつまりは。
「生きる理由というのも、その程度の、つまらないものなのね」
「そう言う下らないことが集まって、いつかは大きなものになっていくのです。小さな砂礫を集めていけば、砂の城を築くことも出来るでしょう」
「しかし」
「それは指先でつつく、その程度でもろくも崩れていく」
また、さぁっと風が渡った。外から響いていたうさぎ達のにぎやかな声も、今は聞こえてこない。何も喋ることなく、輝夜は永琳に背中を向けると、夜空を見上げる。
「月に帰りたいと思ったことは?」
答えはない。
「私がそう思えば、永琳は、私を月へ連れて行ってくれるのかしら」
「真に、姫が望むのなら」
ふぅん、とうなずいた。
あまりにも端的な答えと反応だったので、お互い、どこか不満そうな顔つきと眼差しをしている。輝夜は振り返り、
「私が死ねと言えば、永琳は死ねる?」
「それが姫の御心であるのなら」
「そう。
なら、永琳。私を殺せと命じたら、あなたは私を殺せる?」
再び、答えはなかった。
何だか無性におかしくなってしまって、こらえきれない笑い声が漏れる。それは、小さな囁きに近い、密やかな笑い声だった。おかしくてたまらないというのに、胸の内にたまるどす黒いものが押さえきれなくて、それを吐き出すためだけに笑う――そんなようなものだ。
「私は、死なないものね?」
「はい」
「あなたも死なないわね」
「ええ」
輝夜の手が永琳の喉に伸びる。
そうして、その細い首を握りしめ、掴んだ腕に力を込める。永琳が、わずかに苦しそうに顔をゆがめた。輝夜は、冷たい笑みを浮かべたまま、しばらく永琳の首を絞め続けていたが、やがて、ぱっとそれを離す。
「悠久故に存在価値を見失った、霧のごとき幻想の存在が居座る永遠の館。ああ、何と雅な響きなのかしら」
「……左様で」
わずかに苦しそうに、声をゆがめながら。
永琳は、それでも自分の様子を変えるようなことはせずに輝夜に答える。
「ああ、今日も月がきれいだわ。そして、とても、とても憎らしい」
「空に輝く月というものは、しょせん、日の光を受けてしか輝くことは出来ません。自らの力で輝くことすら出来ないのに、多くのものに影響を与える、魔性の存在。つまりは――」
「そう。私と一緒」
振り返る。
「私は何も出来ないくせに、何でも出来る。何でも出来てしまうが故に何も出来ず、結局、己の存在意義すら忘れていく。私は何のために生きてきたのか。これから、何のために生きていくのか。ああ、わからない。わからないわ」
「……」
「死のうかしら?」
ぞっとする響きを声音に混ぜたまま、輝夜は言う。
「そうね。死んでしまいましょうか。それも面白いかもしれないわ。
人は死ぬと、黄泉へと旅立つ。黄泉とはどのような世界なのかしら。その世界で生きてみるというのも、また、楽しいかもしれないわね」
黄泉というのがどのような世界であるか、知っているはずであるのに。
今日の輝夜は、密やかな秘め事を思い出しているかのように、艶のある顔で笑いつつ、意味不明の単語を文章へと変えていく。
「永琳。あなたは、出来る?」
「はい?」
「あなたが作った蓬莱の薬。それを打ち消す効果を持つような薬を作ることが、出来る?」
「……わかりません」
「無理です、とは言わないのね」
「しょせんは人が作ったもの。人が作ったもので壊せないものはありません」
それは、真理でもあった。
たとえ、どんな頑強に見える城塞であろうとも、ありが開けた穴から崩れることだってあるのだ。それほど、一見して強固に見えようとも、その本質は儚くむなしい。まるで、人間の命そのもののようだ。
「ならば、作りなさい。私を死に追いやることの出来る薬を」
「……姫、本気ですか?」
「ええ、本気。私は本気よ。
死ぬというのも楽しいじゃないの。偽りの、仮初めの死ではなく、真実の死。それは存在の停止。それは存在の否定。そして、それは、新たな命の道しるべ。
私が長らく忘れていたそれを、あなたは、私に与えてくれるわね」
永琳に歩み寄った輝夜が、彼女のおとがいに指をかけ、ぐっと引き上げる。
「私が心から所望するものがあれば、あなたは何でも持ってきてくれた」
「……はい」
輝夜の顔が、永琳の視界一杯に広がっている。
不気味なくらいに美しく、艶やかに輝くそれは、この世の生き物とは思えなかった。真っ赤な唇がゆぅらりと歪み、くすくすと笑う。
「私が心から望んだものなど、この世に多くはない。あなたは、それを私に届けるがために全力を尽くしてきた」
「……はい」
「ならば、作ってみせなさい。この私に死を与える薬を」
「……かしこまりました」
めきめきと、永琳のあごの骨をきしませながら、輝夜は言った。
「うふふふ、楽しみだわ。死ぬというのは、どんな感じかしら? 手足をもがれ、激痛に身をのたうちながら、意識を失う、あれに近いのかしら? それとも、血を抜かれ、存在すらもうろうとなって消えていく、あれかしら? ああ、それとも、炎に焼かれて痛みすら感じることもなく灰になっていく、あれ?
うふ……ふふふ……。ああ、素敵、素敵よ、永琳。逝ってしまいそう」
狂ったように、美しい言葉を放つ彼女に頭を下げながら、永琳はその部屋から退出した。襖を閉めて、ふぅ、とため息をつく。
「……死、か」
「あぅ~……ししょ~……」
「あら、どうしたの?」
その時、ぼろっぼろになったうさ耳少女――鈴仙・優曇華院・イナバがやってくる。泣きながら。
ちなみにその背中には、すやすやと眠る、やっぱりうさ耳娘――因幡てゐの姿。
「てゐに、もう、散々な目に……」
「まぁ、それは見たらわかるわね。それで?」
「……遊び疲れて寝ちゃったんですよ……。反撃したいけど何も出来ない自分が歯がゆいです……」
むにゅむにゅと、何やら寝言をつぶやいているてゐを肩越しに見て、はぁ~、と情けないため息をつく鈴仙。そんな彼女を見ながら、くすくすと、永琳は笑った。
「相変わらず、仲がいいのね」
「……その一言で片づけないでください。
あの、それじゃ、私、てゐを布団に入れてきますので……」
「ええ」
「……あの」
「何?」
「姫様と……何を?」
「死」
たった一言しか言葉を発することなく、永琳は踵を返した。その場に、鈴仙は、しばし佇む。『死』とは何だろう、と。
言葉の意味は知っているのだが、あの永琳が、いきなりそんな言葉を口にする理由が見つからない。何だったのだろうか、今の瞬間は。
「う~ん……鈴仙さまぁ……」
「……ああ、こんな事してる場合じゃない」
このままほったらかしていたら、背中の少女が風邪を引いてしまうかもしれない。永琳の言葉を言及するのは、また後のこととして、今はとりあえず、と。鈴仙は、何やらかわいい寝顔を見せているてゐを背負って、永遠亭の板張り廊下を進むのだった。
「永琳どのにお目通りを願いたい」
それから数日後のこと。
今宵は満月という日になって、永遠亭の扉を叩くものの姿があった。
「あ、こんにちは。慧音さん」
「……む? 今日は、鈴仙どのが応対役なのか?」
その扉の向こうに現れた少女の姿を見て、彼女は眉をひそめる。
この永遠亭とは、何かと縁の深い彼女、上白沢慧音は鈴仙を見て、「まぁ、いいか」とつぶやいた。
「永琳どのに……」
「それが……師匠は、ちょっと、今……」
「お出かけでも?」
「いえ、その……部屋にこもりっきりでして。入ろうとしたら、いつ、アポロ13が飛んでくるか」
「……ふむ」
慧音は腕組みをして、首をかしげた。
まぁ、とりあえず、と立ち話も何だからという理由で、鈴仙は彼女を連れて永遠亭の中に移動する。
「輝夜どのに顔を合わせるのはまずいんだが」
「大丈夫です。姫様は、滅多な事じゃ、他人の前に姿を現しませんから」
「……そうか」
普段は、門のところで永琳と立ち話で用件をすませているため、この永遠亭に上がるのは、本当に久しぶりのことだった。
広さは二十畳近くはある広い和室に通された慧音。そんな彼女へと、鈴仙が、少しの間をおいてお茶を持ってやってくる。
「大しておもてなしも出来ませんが」
「いや、これで結構。
実は、今夜のことで永琳どのとお話があったんだが……」
「……今夜」
こめかみ押さえながら、鈴仙がぼやく。慧音の方も、「ああ、今夜だ」とため息をつく。
「また、恒例のあれですか」
うむ、とうなずく。
恒例のアレ、とは。
すなわち、この永遠亭の主人、輝夜と、竹林の居住者兼慧音に迷惑かけっぱなしの蓬莱人、藤原妹紅の殺しあいのことである。しかし、この二人、共に永遠を生きる人間。共に蓬莱の薬を服用し、永久に死ぬことを忘れた、人の形をした命の入れ物なのだ。
この殺しあい……というか、じゃれ合いで迷惑を被るのは、いっつも、その回りにいるもの達なのだ。おかげで最近では、永琳と慧音――共に、その中央で暴れているもの達に近い間柄である――の二人が、何とかして穏便に事を済ませられないものだろうかと、叡智を絞る日々が続いている。
「困ったな……。前回は、確か、『クイズなぜなに幻想郷』でうやむやのうちに事が終わったから、今回はそれの第二弾を考えてきたんだが……」
「……っていうか、ノリノリですね」
「いや、地味に楽しいんだ」
まぁ、それはわからないでもなかった。
ともあれ。
「すいません、師匠は……」
「ああ、わかったよ。
なら……まぁ、仕方ない。直前になって打ち合わせをするか」
「そうですね。
……何か、すいません」
「いいんだよ。それに、お互い、本来ならこうやってなれ合うことのない身の上だ。わざわざ敵地に乗り込んでいって、そこの軍師と密議を交わす参謀など、普通はいないだろう」
確かに、とうなずいてしまう。
「不思議なもんさ」
慧音は、手にした湯飲みを見つめながら、
「接点を持ってしまえば、人間のみならず、生き物というのは近くなる。遠くなることはない。遠くなるように見えて、歩み寄っている。本当に一昔前までは、この茶の中に毒が入っていないかどうか、本気で心配もしただろうが」
彼女は、ぐいっとそれを飲み干すと、
「今では、それを疑う必要もない」
「どうして、姫も妹紅さんも、もっと仲良くしようとしないんでしょうね」
「近親憎悪か、あるいは――」
「……あるいは?」
「自分がもう一人いることが、許せないか」
その言葉の響きは。
「……え?」
鈴仙が首をかしげるのに充分だった。
「簡単なことだ。鈴仙どの、もしもこの世に、あなたと同じ顔、同じ性格、同じ力、同じ境遇を持って生きてきたものがいたら、どうだ?」
「……不気味ですね」
「そう。不気味だ。どうして不気味に感じると思う?」
「え? えっと……」
うーん、と腕組みをして考え込む。
考えて考えて、首をかしげながら、
「……自分を見ているようだから?」
「その答えは、半分当たりだな。
簡単だよ。人間のみならず、全ての存在は、この世に一つであるから存在を保っていられる。同じ見た目をしていても、種族の中でも個体差がある。たとえば動物を例に取ってみても、私たちの目には、十把一絡げに映る彼らだって、体の模様が微妙に違ったり、大きさが違ったりと、様々な違いを持っている。そうして、この世に『自分』という存在は一つだからこそ、自分は『自分』であることが出来る。
もう一人、自分と同じ生き物がいれば、『自分』はいらなくてもいいだろう?」
ああ、と手を打つ。
「そう。いらなくてもいいんだ。この世界に。
だから、怖い。だから、恐れる。何としても、この世界に在りたいと願う。そのためには、相手を消すしかない。この世界にいるのは。いていいのは。己だけだと証明するには、それしかない」
「……だから……なんでしょうか?」
恐る恐る、鈴仙が訊ねた。
だが、慧音は「まぁ、それは一般論だよ」と笑う。
「輝夜どのの方は、今のところはっきりしないが、妹紅の場合は完全な逆恨みだからなぁ……。
まぁ、ともあれ。彼女たちの、命を、色んな意味でかけたケンカは、回りのものが充分に迷惑する。それだけでも止める価値はある。夫婦げんかって言うものは、周りがやきもきしている間に勝手に元の鞘に収まるものだが、その規模が規模だ」
なるほど、言い得て妙なたとえである。
こくこくうなずく鈴仙に気をよくしたのか、慧音は笑いながら、
「何とかして、物事を丸く穏便に収めたいと願うのは、私だけじゃないだろうさ」
「霊夢さんとかに頼んでみましょうか?」
「それはいいんだが……実力行使で物理的に屈服させても、結局は逆戻りするような気もするな」
否定が出来なかった。
沈黙する鈴仙を「しょげるな」と励まし、慧音は立ち上がる。
「じゃあ、私はこれで。また夜にでも――」
そう、言葉を続けようとした、その時。
「慧音さん。その心配事、今日で終わりますから」
「……永琳どの」
音もなく襖が開くと、永琳が姿を現した。彼女は片手に、何かの薬が入った瓶を持っている。それの中身を揺らしながら、
「全部、終わります」
「……永琳どの?」
「師匠? どうしたんですか……?」
「ウドンゲ」
「は、はい」
「……私がいなくなっても、てゐと、みんなと、仲良くね。あなたは人当たりがいいから、幻想郷でもやっていけるでしょう」
「え?」
それじゃ、と頭を下げて、永琳はその場を後にする。
何だろう。
今、何か、ものすごく嫌な言葉を聞いたような気がする。喉が乾く。目がちりちりと、灼けるように痛い。頭がぐらぐらと揺れる。体の均衡を保っていられない。
「鈴仙どの!」
どさっ、と。
その場に倒れた鈴仙は、呆然とした眼差しで、部屋の天井を見つめていた。焦り、慌てる慧音の声が、耳の向こうの、遙か遠くで聞こえる。彼女が騒いだため、何事かと、いの一番にやってきたてゐが鈴仙を抱き起こして、何やら喚いている。
それすら、聞こえない。
「……嘘ですよね?」
そう発するしか出来ずに。
鈴仙の顔が引きつり、冷たい笑い声が漏れた。
「逃げずに来たようだな」
「逃げる? 誰が? この私が?」
さやさやと、竹林が揺れる。
背中に真っ赤な炎の羽を背負う少女――妹紅が、殊勝な返事をした輝夜を見て、眉をひそめ。そして、楽しそうに笑い出す。
「そうね。そうだよね。
輝夜、お前が逃げ出すなんて、お前らしくもない」
「ええ。素敵な挑戦状、ありがとう。今日はハートの便せんなのね」
「うふふふ。ちょっと、趣向を凝らしてみてね」
懐から取り出した便せんを、風に溶かすように焼き捨てると、輝夜は軽く右手を振るう。
「さあ、始めましょうか?」
「そうね」
二人が、ざっと音を立てて飛び退いた。同時に、お互いがそれまで立っていたところに何かがぶつかり、弾ける。地面がえぐれ、土が吹き飛び、爆風が吹き荒れる。
「まずは」
「小手調べ!」
互いに放つ小規模な力の炸裂が、両者の間で破裂する。爆音が響き渡り、それに震えながら、竹林がざざと揺れる。
「今日は、ご意見番はいないのかしら?」
「そっちもな」
竹と竹の間、竹と夜の間、夜と空の間。
縦横無尽に駆け回りながら、迫っては離れ、離れては迫りを繰り返し、二人は上り詰めていく。
『ひゅっ』
鋭い呼気の音。
弾ける、凄まじい音。これが一体何だったのかわからなくなるくらいに凄まじい轟音が消え去ると、お互いの耳から、一瞬、聴力が奪われる。その刹那の間隙を縫って、輝夜の放つ一撃が妹紅の背中をえぐる。彼女は背中から真っ赤な血を噴き出しながら、絶叫する。その声すら聞こえない。輝夜は遠慮なく、攻撃を叩き込んだ。
「あら、痛そうね」
「……痛いよ」
背中を押さえながら、妹紅は苦笑する。
「だけど、この痛みがあるから、あんたと殺し合いやってるって気になるのさ」
「殺し愛? あら、風情のある言葉」
「ああ、そうだね」
くっ、と妹紅の指が動く。
その瞬間、輝夜の足下の地面が陥没した。
「!?」
――いや、陥没したと思ったのは輝夜の気のせいだった。
彼女の足下から、真っ赤な炎が噴き上がる。一瞬だけ、視線を妹紅に向ければ、彼女はにやつく笑みを浮かべながら、左手の先から真っ赤な炎を大地に潜らせている。それを、地面を介して輝夜に叩きつけてきたのだろう。
飛び退くのが遅れた。
そのため、右足が一本、持って行かれる。
「あっはっはっは! どうしたどうした、輝夜! いきなり反撃されるなんてお前らしくもない!」
楽しそうに笑いながら、妹紅が吼えた。
ほぼ炭化して動かすことすら出来ない右足を抱えながら、輝夜は後ろに下がる。激痛が体を苛む。
「やっぱり、将を射んとすれば何とやらだな」
「!?」
あっという間に、妹紅が追いついて、追い越した。
一発が輝夜のあごを捉える。脳を揺さぶられ、平衡感覚が保てなくなった彼女は、地面に足をつき、その途端、走る激痛に悲鳴を上げて転げ回る。
「ほら、どうした!」
彼女の頭を足蹴にしながら、
「この程度? 今日はずいぶんと大人しいじゃないか。それとも、何? 今日はもしかして、あの日? あっはっは、それはごめんごめん。次からは、あんたが女じゃない日を選んでやるよ」
輝夜を掴み上げて、放り投げる。
竹藪の中に消えていく彼女を追いかけながら、妹紅は歩いていく。
「それとも、一生、女じゃなくなる方がいい? 私はそれでも構わないけどね。けれど、お前も私も蓬莱の人間。失ったまんま、永遠に生き続けるのは辛いだろう?」
竹藪の中から、狙いを定めてない攻撃が放たれる。
それを、妹紅はよけることもなく、歩いていく。いくつかの攻撃が体をかすめたが、それで付けられる傷など、微々たるものだ。足止めの役にすら立たないものをよける必要など、どこにあるだろう。
「だから、私は何にもしないのさ。どっちみち、粉々にして、燃やして、灰になっちゃえばみんな同じ。元の木阿弥」
さあ、出てこい、と輝夜が潜む竹藪に一撃を叩き込む。
その一発は、竹藪の一角を丸ごとえぐり取った。しかし――、
「……何っ?」
輝夜の姿は、どこにもない。
「どこへ……!」
「千日手ではつまらないから、ちょっとばかり、騙しを使わせてもらったわ」
「!?」
頭上から響く声に振り仰げば。
輝夜がいた。
「しまっ……!」
彼女の振り下ろした腕が、妹紅の頭を思い切り叩き伏せた。その一撃で、妹紅は膝をつき、続けて放たれる攻撃が彼女の上半身をえぐる。
ゆっくりと、輝夜が、妹紅から離れた。
上半身が消し飛び、下半身だけが地面の上に倒れている。だが、そうであったのもつかの間のこと。あっという間に、切り落とされた下半身から妹紅の体が再生する。内臓が、骨が、筋肉が。そうして、元の姿を取り戻した妹紅が、にやりと笑う。
「まずは私の負け」
そして、
「次はお前の負け」
一瞬の間の、油断なのだろうか。
動きを止めていた輝夜の胴体を、妹紅の右腕が貫いた。
「……はっ……!」
「あはははは、いいねぇ、これ。ほんと」
妹紅の腕を伝って、真っ赤な血がぽたぽたと流れている。それを抜き取ると、胸に大穴を開けた輝夜が地面の上に倒れ込んだ。
「さあ、第二ラウンドといこうか。お互い、五体満足でやりたいしね?」
笑顔で、にこやかに、妹紅は彼女に笑いかける。本当に、彼女との殺し愛を楽しんでいるかのようだった。
早くしなよ、と腕組みをしながら、輝夜の蘇生を待つ。
――だが。
「……輝夜?」
いつまでたっても、輝夜が起きあがらない。それどころか、苦しそうに息を喘がせている。
「輝夜!?」
慌てて、妹紅が彼女に駆け寄った。
「どうしたんだよ、おい! いつものお前らしく……!」
「……ふふ……くふ……」
「……輝夜?」
輝夜は、笑っていた。
頭がおかしくなったのか? 妹紅は首をかしげる。
だが、そんな考えはすぐに捨てる。胸を貫かれたくらいで頭がおかしくなるなら、輝夜の頭は、一体何度おかしくなっているんだ。
「……ああ……これが……死なのね……」
「は? 何を……。輝夜、私たちは……」
「……私は死ねるのよ」
いつもの冗談――にしては、タチが悪い。
土気色に染まった輝夜の顔は、冗談抜きに死にかけていた。いつものように、平然とした顔で起きあがってくる彼女の気配は、そこにはない。
「さようならね……妹紅……」
「なっ……!?」
「……よかったじゃない。あなたの夢……かなったわよ……?」
「どういうことだ!?」
「……永琳に頼んでね……。死ねる薬……作ってもらったのよ……」
彼女はポケットから、一本の空き瓶を取り出した。それを自慢げにかざしながら、
「……目がかすんできた……耳も聞こえない……体が冷たいわ……」
「おい、冗談だろ!? 冗談なんだよな!? これ、夢……なんだろ!?」
「夢は……痛い……?」
ぐっと、言葉に詰まる。
「……ふざ……けるな……。ふざけるな……ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなぁっ!」
彼女の襟首を掴み、全力で締め付けながら、
「勝手に、勝手に死ぬなっ! 輝夜! お前は……お前は、私が殺すんだぞ!? なのに、何で死ぬんだよ! 永遠に殺し愛するんだろ!? お前と、私で! いつまででも!」
「……ああ……空が暗い……」
「わけわからねぇんだよっ! 死ぬな! 死なないで、輝夜!」
「……妹紅……」
そっと、彼女の手を握る。
そして、命を刈り取られるほど、冷たく悲しい笑みを浮かべながら、言う。
「……ごめんね」
はぁ……、と息をついて、
「……ねぇ、永琳……。死ぬのって……やっぱり……なんかつまんない……」
それが、最期の言葉になった。
ゆったりと、妹紅の手を握っていた彼女の手から力が抜けて、それは地面の上に落ちていく。体全部から力が抜け、かくん、と糸の切れた操り人形みたいに、輝夜の頭が後ろ側に倒れていった。
「……嘘……だよね……? 嘘だよね……?」
がくんがくんと輝夜の体を揺さぶる妹紅。
「嘘だよね!? 嘘だよね、輝夜!? 冗談だよね!? ねぇってば!」
がくがくと、さらに激しく、彼女の体を揺する。
目に一杯の涙をためて。
「輝夜は死なないよね!? 何したって、死なないよね!? 首を落としても、心臓をえぐっても、灰も残らず燃やし尽くしても! 死ななかったよね!? なのに……なのに、なのに、なのに、なのに、なのにっ!」
妹紅の体から力が抜けると、支えを失った輝夜の体は、壊れた人形のように地面の上に落ちていく。そのまま、ぴくりとも動かない。
「なのに何で死んじゃうの!? 私と一緒に、いつまでも殺し愛しようよっ! 輝夜が欲しいなら、私をあげるから! 全部あげるから! だから、お願いだよ! 目を開けてよ! 起きてよ! 起きてってば、ねえ! 朝がもうすぐ来るんだよ!? 布団から出なくちゃいけないんだよ!? 朝ご飯、食べないの!? いらないなら、私がもらうよ!? ねぇってば! ねぇ、輝夜!」
叩いても、揺さぶっても、喚いても。
決して、輝夜は目を開けない。どれだけ妹紅が願っても、もう二度と、彼女は目を開けない。壊れてしまった人形が起きあがることは、二度とない。壊れてしまった人の形をした入れ物が元に戻ることは、二度とない。
「輝夜、起きてよ! まだまだこれからだよ! 私はまだ、殺し足りない! 輝夜のこと、殺し足りないんだから! だから、起きて、殺してよ……私を……! 私をもっと、殺してよ!」
彼女の上に馬乗りになって、その顔を両手で挟み込み、無理矢理に目を開かせても。
死人の瞳は、何も語らない。
「起きろっ! 起きろ、輝夜ぁっ! 私がお前を殺すまで、お前は死なないんだっ! 死ぬはずがないんだっ! 勝手に死ぬなぁっ!
輝夜っ! 輝夜! 輝夜ぁ! 輝夜ぁぁぁぁぁっ! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
裏返った絶叫を上げながら。
言葉の意味を持たない、矛盾の固まりを吐き出して。
――人の形をした、命の入れ物は。砕けて散っていったもう一つの入れ物に雫を流し続けていた。
それを思う日が、この頃、多くなったように思う。さて、それを考え始めたのは、一体いつ頃からのことだっただろうか。身を隠し、気配を隠し、影すら隠し、ひっそりと生き続けてきて、ずっと思い続けてきたことなのだろうか。
思い返してみれば、何と記憶の海というものは深きものよ。どこまで潜っても水底は見えてこず、それどころか、苦しさに耐えかねて水上へと戻らなくてはいけないほどだった。その、水の中に自分が生きる理由というものがあるのだろうか。あるとするなら、それは何なのだろうか。
それを、聞いてみたことがある。
「ねえ、永琳」
空に浮かぶ、満天の星空を眺めながら。その中央に、煌々と輝く月を眺めながら。
「生きるって、何かしら?」
「……?」
後ろに控える従者が、眉をひそめるのが気配でわかった。さぁ――っ、と風が流れていく。それに吹かれて、さやさやと森の木々がさざめく。その密やかな音が、かすかなBGM――のはずなのだが、
「こらーっ、てゐーっ! またあなたはーっ!」
「引っかかる鈴仙さまが悪いんだよー!」
何やら、にぎやかな声が聞こえてきたりもする。さて、一体何があったのやら。
「生きるという意味を聞いているの」
「生きる?」
「そう。生きる。
たとえば、よ? ここにこうして存在する、私という人間の姿をしたものが何であるか、あなたは定義づけられるかしら?」
「……そうですね」
なかなか、面白い質問をしてしまったものだと、自分でも思った。
「あの自動発火娘は、蓬莱の人の形――すなわち、人間という器の中に存在する、永遠たる脈動をその本懐に持つに至っているのに、私は、何なのかしら?」
「それは、姫。生きる、という言葉が意味する定義を、私に問うているのでしょうか?」
「そのように受け取ってもらっても構わないわ」
そうですね、と再び、永琳は間をおくと、
「たとえば。
姫は、人形が『動いている』ということが『生きている』事だと思いますか?」
「思わないわね」
「では、次。
命を持たない無機物――石でも水でも風でも、何でもいいでしょう。それがそこにある、それは生きていることですか?」
「どうなのかしら。存在の定義を、自らがそこに在ることを示すのだというのなら、それは生きているということになるのかしら」
「では、先の答えと矛盾しますね」
なるほど。これはしてやられた。
言葉遊びという点では、永琳の方が、やはり、よほど上手であるらしい。うなずく彼女――この永遠亭の主である、蓬莱山輝夜は、見事な話術を披露してくれる彼女に満足する。
「人形が人形であるゆえんはただ一つ。それが人形であると、誰かが定義するからです。話して、動いて、食事もする人形がいたとしても、それは人形。我々、人の形をした器を持った生き物と、何も変わりません。なのにそれが人形であるというのは、誰かがそれを人形であると定義したから。誰もそれを人形だと定義しなければ、人形は人形たり得ません」
「面白い答えね」
「しかるに。
もしも、私が姫を『死人』と定義したら、姫は死人になりえますか?」
「あなたの論法から行くのなら、死人ね」
「しかし、姫は死んでません。生きてます。ここからすなわち、ものの定義というのは、恒久的かつ不可逆的に判断して、曖昧なものなのです」
「あら」
またもや面白い答えを聞いてしまった。
くすくすと笑いながら、答えの先を促す。
「生きているかそうでないか。それの定義なんて、誰にもわかりません。肉の入れ物が動いているだけで生きているのでしょう。その程度のものに過ぎないんですよ。同時に、たとえ肉を持たないものがいたとして、それが自分の意志を持たずに『動いている』姿を見たとして、誰かがそれを『生きている』と表現すれば、それは生きているのです。
答えは、この程度。生きると言うことは、下らない言葉の定義によってくくられてしまうものなのです」
「なるほどね」
難しい答えに、多少、笑いながら、彼女は悠然と背後の従者を振り返る。
永琳は、片手に徳利から酒をついだおちょこを差し出していた。それを受け取り、くっと飲み干す。喉を下っていく、灼けるような熱さに、彼女は眉をしかめる。
「永琳。私に生きている意味はある?」
「また、謎かけですか」
「ええ、そう。今宵はとてもいい夜だから、面白い言葉遊びをしたくなったの」
外も騒がしいし、と指さす。
開かれた障子の向こうでは、二匹のうさぎが追いかけっこをやっている。片方は、何かやたらとぼろっちい姿になっていて、半分泣きながら、前を行くいたずらうさぎをとっちめてやろうと奮闘するのだが、次の瞬間には、
「ふきゃぁぁぁぁぁ~!?」
「やーい、ひっかかったー」
足下の草を縛っておくという簡単な罠に引っかかって、倒れたところをとらばさみに挟まれてごろごろと転がっている。
「何やってるのかしら」
全く、おバカなうさぎ達だ。しかし、やんややんやと回りでは囃し立てるもの達もいて、それなりに盛り上がってはいるようである。まぁ、その騒ぎの中央で、主に引っかき回される立場に立っている方にとって見れば、これはたまったものではないだろうが。
「さて、それでは、お次のお題に答えましょう。
姫は、生きている意味は何、と問いかけになられました」
「ええ」
「個人が生きている理由など、様々です。一概にこうとは言えませんが、答えをあえて申し出るのなら、そうですね……。生きていたいから生きている。そして、何かをなすために生きている。それが答えでしょうか?」
「たとえば?」
「私ならば、この地において、姫を始め、多くのもの達を守るために生きています」
ストレートに来られると、くらっとくる言葉でもあった。
こんなにまっすぐに言葉を浴びせられると、返す答えもなくなってしまう。
「また同時に、私には、色々とやってみたいこともあります。医学の道を究めるのには、並大抵の努力では足りませんので」
「そう。それが、あなたの生きる理由なのね」
「中途半端な上に、理由とも言えない理由ですが。
しかし、それに意味を見いだせている以上、他の誰もが私の命を『無駄である』と評価しようと、私はそれを『無駄である』とは思いません」
「では、他の誰かが、そのものが生きている理由に『意味がある』と評価しても、それが『そうではない』と否定したら、それは生きる理由としては不的確なのかしら」
「そうかもしれませんね。
もっとも、人間の目は二つあります。しかし、同時に見ることがかなうのは、しょせんは二つの目で見える範囲のみ。姫には、己の背中に何が書いてあるのか、それを見ることは出来ません。目という単純な器官がなせるのは、その程度の技に過ぎないのです」
ふむ、とうなずく。
「何十、何百、何千の目が見て、それを判断するのです。全てが一様に無駄であるとも言わないし、一様に必要であるとも言わないでしょう。たった一人のものに無駄と評された程度で、己が持っているものを否定する必要もないし、たとえたった一人のものに認められたとしても、己が持っているものを、無駄に過大評価する必要もないのです」
とどのつまりは。
「生きる理由というのも、その程度の、つまらないものなのね」
「そう言う下らないことが集まって、いつかは大きなものになっていくのです。小さな砂礫を集めていけば、砂の城を築くことも出来るでしょう」
「しかし」
「それは指先でつつく、その程度でもろくも崩れていく」
また、さぁっと風が渡った。外から響いていたうさぎ達のにぎやかな声も、今は聞こえてこない。何も喋ることなく、輝夜は永琳に背中を向けると、夜空を見上げる。
「月に帰りたいと思ったことは?」
答えはない。
「私がそう思えば、永琳は、私を月へ連れて行ってくれるのかしら」
「真に、姫が望むのなら」
ふぅん、とうなずいた。
あまりにも端的な答えと反応だったので、お互い、どこか不満そうな顔つきと眼差しをしている。輝夜は振り返り、
「私が死ねと言えば、永琳は死ねる?」
「それが姫の御心であるのなら」
「そう。
なら、永琳。私を殺せと命じたら、あなたは私を殺せる?」
再び、答えはなかった。
何だか無性におかしくなってしまって、こらえきれない笑い声が漏れる。それは、小さな囁きに近い、密やかな笑い声だった。おかしくてたまらないというのに、胸の内にたまるどす黒いものが押さえきれなくて、それを吐き出すためだけに笑う――そんなようなものだ。
「私は、死なないものね?」
「はい」
「あなたも死なないわね」
「ええ」
輝夜の手が永琳の喉に伸びる。
そうして、その細い首を握りしめ、掴んだ腕に力を込める。永琳が、わずかに苦しそうに顔をゆがめた。輝夜は、冷たい笑みを浮かべたまま、しばらく永琳の首を絞め続けていたが、やがて、ぱっとそれを離す。
「悠久故に存在価値を見失った、霧のごとき幻想の存在が居座る永遠の館。ああ、何と雅な響きなのかしら」
「……左様で」
わずかに苦しそうに、声をゆがめながら。
永琳は、それでも自分の様子を変えるようなことはせずに輝夜に答える。
「ああ、今日も月がきれいだわ。そして、とても、とても憎らしい」
「空に輝く月というものは、しょせん、日の光を受けてしか輝くことは出来ません。自らの力で輝くことすら出来ないのに、多くのものに影響を与える、魔性の存在。つまりは――」
「そう。私と一緒」
振り返る。
「私は何も出来ないくせに、何でも出来る。何でも出来てしまうが故に何も出来ず、結局、己の存在意義すら忘れていく。私は何のために生きてきたのか。これから、何のために生きていくのか。ああ、わからない。わからないわ」
「……」
「死のうかしら?」
ぞっとする響きを声音に混ぜたまま、輝夜は言う。
「そうね。死んでしまいましょうか。それも面白いかもしれないわ。
人は死ぬと、黄泉へと旅立つ。黄泉とはどのような世界なのかしら。その世界で生きてみるというのも、また、楽しいかもしれないわね」
黄泉というのがどのような世界であるか、知っているはずであるのに。
今日の輝夜は、密やかな秘め事を思い出しているかのように、艶のある顔で笑いつつ、意味不明の単語を文章へと変えていく。
「永琳。あなたは、出来る?」
「はい?」
「あなたが作った蓬莱の薬。それを打ち消す効果を持つような薬を作ることが、出来る?」
「……わかりません」
「無理です、とは言わないのね」
「しょせんは人が作ったもの。人が作ったもので壊せないものはありません」
それは、真理でもあった。
たとえ、どんな頑強に見える城塞であろうとも、ありが開けた穴から崩れることだってあるのだ。それほど、一見して強固に見えようとも、その本質は儚くむなしい。まるで、人間の命そのもののようだ。
「ならば、作りなさい。私を死に追いやることの出来る薬を」
「……姫、本気ですか?」
「ええ、本気。私は本気よ。
死ぬというのも楽しいじゃないの。偽りの、仮初めの死ではなく、真実の死。それは存在の停止。それは存在の否定。そして、それは、新たな命の道しるべ。
私が長らく忘れていたそれを、あなたは、私に与えてくれるわね」
永琳に歩み寄った輝夜が、彼女のおとがいに指をかけ、ぐっと引き上げる。
「私が心から所望するものがあれば、あなたは何でも持ってきてくれた」
「……はい」
輝夜の顔が、永琳の視界一杯に広がっている。
不気味なくらいに美しく、艶やかに輝くそれは、この世の生き物とは思えなかった。真っ赤な唇がゆぅらりと歪み、くすくすと笑う。
「私が心から望んだものなど、この世に多くはない。あなたは、それを私に届けるがために全力を尽くしてきた」
「……はい」
「ならば、作ってみせなさい。この私に死を与える薬を」
「……かしこまりました」
めきめきと、永琳のあごの骨をきしませながら、輝夜は言った。
「うふふふ、楽しみだわ。死ぬというのは、どんな感じかしら? 手足をもがれ、激痛に身をのたうちながら、意識を失う、あれに近いのかしら? それとも、血を抜かれ、存在すらもうろうとなって消えていく、あれかしら? ああ、それとも、炎に焼かれて痛みすら感じることもなく灰になっていく、あれ?
うふ……ふふふ……。ああ、素敵、素敵よ、永琳。逝ってしまいそう」
狂ったように、美しい言葉を放つ彼女に頭を下げながら、永琳はその部屋から退出した。襖を閉めて、ふぅ、とため息をつく。
「……死、か」
「あぅ~……ししょ~……」
「あら、どうしたの?」
その時、ぼろっぼろになったうさ耳少女――鈴仙・優曇華院・イナバがやってくる。泣きながら。
ちなみにその背中には、すやすやと眠る、やっぱりうさ耳娘――因幡てゐの姿。
「てゐに、もう、散々な目に……」
「まぁ、それは見たらわかるわね。それで?」
「……遊び疲れて寝ちゃったんですよ……。反撃したいけど何も出来ない自分が歯がゆいです……」
むにゅむにゅと、何やら寝言をつぶやいているてゐを肩越しに見て、はぁ~、と情けないため息をつく鈴仙。そんな彼女を見ながら、くすくすと、永琳は笑った。
「相変わらず、仲がいいのね」
「……その一言で片づけないでください。
あの、それじゃ、私、てゐを布団に入れてきますので……」
「ええ」
「……あの」
「何?」
「姫様と……何を?」
「死」
たった一言しか言葉を発することなく、永琳は踵を返した。その場に、鈴仙は、しばし佇む。『死』とは何だろう、と。
言葉の意味は知っているのだが、あの永琳が、いきなりそんな言葉を口にする理由が見つからない。何だったのだろうか、今の瞬間は。
「う~ん……鈴仙さまぁ……」
「……ああ、こんな事してる場合じゃない」
このままほったらかしていたら、背中の少女が風邪を引いてしまうかもしれない。永琳の言葉を言及するのは、また後のこととして、今はとりあえず、と。鈴仙は、何やらかわいい寝顔を見せているてゐを背負って、永遠亭の板張り廊下を進むのだった。
「永琳どのにお目通りを願いたい」
それから数日後のこと。
今宵は満月という日になって、永遠亭の扉を叩くものの姿があった。
「あ、こんにちは。慧音さん」
「……む? 今日は、鈴仙どのが応対役なのか?」
その扉の向こうに現れた少女の姿を見て、彼女は眉をひそめる。
この永遠亭とは、何かと縁の深い彼女、上白沢慧音は鈴仙を見て、「まぁ、いいか」とつぶやいた。
「永琳どのに……」
「それが……師匠は、ちょっと、今……」
「お出かけでも?」
「いえ、その……部屋にこもりっきりでして。入ろうとしたら、いつ、アポロ13が飛んでくるか」
「……ふむ」
慧音は腕組みをして、首をかしげた。
まぁ、とりあえず、と立ち話も何だからという理由で、鈴仙は彼女を連れて永遠亭の中に移動する。
「輝夜どのに顔を合わせるのはまずいんだが」
「大丈夫です。姫様は、滅多な事じゃ、他人の前に姿を現しませんから」
「……そうか」
普段は、門のところで永琳と立ち話で用件をすませているため、この永遠亭に上がるのは、本当に久しぶりのことだった。
広さは二十畳近くはある広い和室に通された慧音。そんな彼女へと、鈴仙が、少しの間をおいてお茶を持ってやってくる。
「大しておもてなしも出来ませんが」
「いや、これで結構。
実は、今夜のことで永琳どのとお話があったんだが……」
「……今夜」
こめかみ押さえながら、鈴仙がぼやく。慧音の方も、「ああ、今夜だ」とため息をつく。
「また、恒例のあれですか」
うむ、とうなずく。
恒例のアレ、とは。
すなわち、この永遠亭の主人、輝夜と、竹林の居住者兼慧音に迷惑かけっぱなしの蓬莱人、藤原妹紅の殺しあいのことである。しかし、この二人、共に永遠を生きる人間。共に蓬莱の薬を服用し、永久に死ぬことを忘れた、人の形をした命の入れ物なのだ。
この殺しあい……というか、じゃれ合いで迷惑を被るのは、いっつも、その回りにいるもの達なのだ。おかげで最近では、永琳と慧音――共に、その中央で暴れているもの達に近い間柄である――の二人が、何とかして穏便に事を済ませられないものだろうかと、叡智を絞る日々が続いている。
「困ったな……。前回は、確か、『クイズなぜなに幻想郷』でうやむやのうちに事が終わったから、今回はそれの第二弾を考えてきたんだが……」
「……っていうか、ノリノリですね」
「いや、地味に楽しいんだ」
まぁ、それはわからないでもなかった。
ともあれ。
「すいません、師匠は……」
「ああ、わかったよ。
なら……まぁ、仕方ない。直前になって打ち合わせをするか」
「そうですね。
……何か、すいません」
「いいんだよ。それに、お互い、本来ならこうやってなれ合うことのない身の上だ。わざわざ敵地に乗り込んでいって、そこの軍師と密議を交わす参謀など、普通はいないだろう」
確かに、とうなずいてしまう。
「不思議なもんさ」
慧音は、手にした湯飲みを見つめながら、
「接点を持ってしまえば、人間のみならず、生き物というのは近くなる。遠くなることはない。遠くなるように見えて、歩み寄っている。本当に一昔前までは、この茶の中に毒が入っていないかどうか、本気で心配もしただろうが」
彼女は、ぐいっとそれを飲み干すと、
「今では、それを疑う必要もない」
「どうして、姫も妹紅さんも、もっと仲良くしようとしないんでしょうね」
「近親憎悪か、あるいは――」
「……あるいは?」
「自分がもう一人いることが、許せないか」
その言葉の響きは。
「……え?」
鈴仙が首をかしげるのに充分だった。
「簡単なことだ。鈴仙どの、もしもこの世に、あなたと同じ顔、同じ性格、同じ力、同じ境遇を持って生きてきたものがいたら、どうだ?」
「……不気味ですね」
「そう。不気味だ。どうして不気味に感じると思う?」
「え? えっと……」
うーん、と腕組みをして考え込む。
考えて考えて、首をかしげながら、
「……自分を見ているようだから?」
「その答えは、半分当たりだな。
簡単だよ。人間のみならず、全ての存在は、この世に一つであるから存在を保っていられる。同じ見た目をしていても、種族の中でも個体差がある。たとえば動物を例に取ってみても、私たちの目には、十把一絡げに映る彼らだって、体の模様が微妙に違ったり、大きさが違ったりと、様々な違いを持っている。そうして、この世に『自分』という存在は一つだからこそ、自分は『自分』であることが出来る。
もう一人、自分と同じ生き物がいれば、『自分』はいらなくてもいいだろう?」
ああ、と手を打つ。
「そう。いらなくてもいいんだ。この世界に。
だから、怖い。だから、恐れる。何としても、この世界に在りたいと願う。そのためには、相手を消すしかない。この世界にいるのは。いていいのは。己だけだと証明するには、それしかない」
「……だから……なんでしょうか?」
恐る恐る、鈴仙が訊ねた。
だが、慧音は「まぁ、それは一般論だよ」と笑う。
「輝夜どのの方は、今のところはっきりしないが、妹紅の場合は完全な逆恨みだからなぁ……。
まぁ、ともあれ。彼女たちの、命を、色んな意味でかけたケンカは、回りのものが充分に迷惑する。それだけでも止める価値はある。夫婦げんかって言うものは、周りがやきもきしている間に勝手に元の鞘に収まるものだが、その規模が規模だ」
なるほど、言い得て妙なたとえである。
こくこくうなずく鈴仙に気をよくしたのか、慧音は笑いながら、
「何とかして、物事を丸く穏便に収めたいと願うのは、私だけじゃないだろうさ」
「霊夢さんとかに頼んでみましょうか?」
「それはいいんだが……実力行使で物理的に屈服させても、結局は逆戻りするような気もするな」
否定が出来なかった。
沈黙する鈴仙を「しょげるな」と励まし、慧音は立ち上がる。
「じゃあ、私はこれで。また夜にでも――」
そう、言葉を続けようとした、その時。
「慧音さん。その心配事、今日で終わりますから」
「……永琳どの」
音もなく襖が開くと、永琳が姿を現した。彼女は片手に、何かの薬が入った瓶を持っている。それの中身を揺らしながら、
「全部、終わります」
「……永琳どの?」
「師匠? どうしたんですか……?」
「ウドンゲ」
「は、はい」
「……私がいなくなっても、てゐと、みんなと、仲良くね。あなたは人当たりがいいから、幻想郷でもやっていけるでしょう」
「え?」
それじゃ、と頭を下げて、永琳はその場を後にする。
何だろう。
今、何か、ものすごく嫌な言葉を聞いたような気がする。喉が乾く。目がちりちりと、灼けるように痛い。頭がぐらぐらと揺れる。体の均衡を保っていられない。
「鈴仙どの!」
どさっ、と。
その場に倒れた鈴仙は、呆然とした眼差しで、部屋の天井を見つめていた。焦り、慌てる慧音の声が、耳の向こうの、遙か遠くで聞こえる。彼女が騒いだため、何事かと、いの一番にやってきたてゐが鈴仙を抱き起こして、何やら喚いている。
それすら、聞こえない。
「……嘘ですよね?」
そう発するしか出来ずに。
鈴仙の顔が引きつり、冷たい笑い声が漏れた。
「逃げずに来たようだな」
「逃げる? 誰が? この私が?」
さやさやと、竹林が揺れる。
背中に真っ赤な炎の羽を背負う少女――妹紅が、殊勝な返事をした輝夜を見て、眉をひそめ。そして、楽しそうに笑い出す。
「そうね。そうだよね。
輝夜、お前が逃げ出すなんて、お前らしくもない」
「ええ。素敵な挑戦状、ありがとう。今日はハートの便せんなのね」
「うふふふ。ちょっと、趣向を凝らしてみてね」
懐から取り出した便せんを、風に溶かすように焼き捨てると、輝夜は軽く右手を振るう。
「さあ、始めましょうか?」
「そうね」
二人が、ざっと音を立てて飛び退いた。同時に、お互いがそれまで立っていたところに何かがぶつかり、弾ける。地面がえぐれ、土が吹き飛び、爆風が吹き荒れる。
「まずは」
「小手調べ!」
互いに放つ小規模な力の炸裂が、両者の間で破裂する。爆音が響き渡り、それに震えながら、竹林がざざと揺れる。
「今日は、ご意見番はいないのかしら?」
「そっちもな」
竹と竹の間、竹と夜の間、夜と空の間。
縦横無尽に駆け回りながら、迫っては離れ、離れては迫りを繰り返し、二人は上り詰めていく。
『ひゅっ』
鋭い呼気の音。
弾ける、凄まじい音。これが一体何だったのかわからなくなるくらいに凄まじい轟音が消え去ると、お互いの耳から、一瞬、聴力が奪われる。その刹那の間隙を縫って、輝夜の放つ一撃が妹紅の背中をえぐる。彼女は背中から真っ赤な血を噴き出しながら、絶叫する。その声すら聞こえない。輝夜は遠慮なく、攻撃を叩き込んだ。
「あら、痛そうね」
「……痛いよ」
背中を押さえながら、妹紅は苦笑する。
「だけど、この痛みがあるから、あんたと殺し合いやってるって気になるのさ」
「殺し愛? あら、風情のある言葉」
「ああ、そうだね」
くっ、と妹紅の指が動く。
その瞬間、輝夜の足下の地面が陥没した。
「!?」
――いや、陥没したと思ったのは輝夜の気のせいだった。
彼女の足下から、真っ赤な炎が噴き上がる。一瞬だけ、視線を妹紅に向ければ、彼女はにやつく笑みを浮かべながら、左手の先から真っ赤な炎を大地に潜らせている。それを、地面を介して輝夜に叩きつけてきたのだろう。
飛び退くのが遅れた。
そのため、右足が一本、持って行かれる。
「あっはっはっは! どうしたどうした、輝夜! いきなり反撃されるなんてお前らしくもない!」
楽しそうに笑いながら、妹紅が吼えた。
ほぼ炭化して動かすことすら出来ない右足を抱えながら、輝夜は後ろに下がる。激痛が体を苛む。
「やっぱり、将を射んとすれば何とやらだな」
「!?」
あっという間に、妹紅が追いついて、追い越した。
一発が輝夜のあごを捉える。脳を揺さぶられ、平衡感覚が保てなくなった彼女は、地面に足をつき、その途端、走る激痛に悲鳴を上げて転げ回る。
「ほら、どうした!」
彼女の頭を足蹴にしながら、
「この程度? 今日はずいぶんと大人しいじゃないか。それとも、何? 今日はもしかして、あの日? あっはっは、それはごめんごめん。次からは、あんたが女じゃない日を選んでやるよ」
輝夜を掴み上げて、放り投げる。
竹藪の中に消えていく彼女を追いかけながら、妹紅は歩いていく。
「それとも、一生、女じゃなくなる方がいい? 私はそれでも構わないけどね。けれど、お前も私も蓬莱の人間。失ったまんま、永遠に生き続けるのは辛いだろう?」
竹藪の中から、狙いを定めてない攻撃が放たれる。
それを、妹紅はよけることもなく、歩いていく。いくつかの攻撃が体をかすめたが、それで付けられる傷など、微々たるものだ。足止めの役にすら立たないものをよける必要など、どこにあるだろう。
「だから、私は何にもしないのさ。どっちみち、粉々にして、燃やして、灰になっちゃえばみんな同じ。元の木阿弥」
さあ、出てこい、と輝夜が潜む竹藪に一撃を叩き込む。
その一発は、竹藪の一角を丸ごとえぐり取った。しかし――、
「……何っ?」
輝夜の姿は、どこにもない。
「どこへ……!」
「千日手ではつまらないから、ちょっとばかり、騙しを使わせてもらったわ」
「!?」
頭上から響く声に振り仰げば。
輝夜がいた。
「しまっ……!」
彼女の振り下ろした腕が、妹紅の頭を思い切り叩き伏せた。その一撃で、妹紅は膝をつき、続けて放たれる攻撃が彼女の上半身をえぐる。
ゆっくりと、輝夜が、妹紅から離れた。
上半身が消し飛び、下半身だけが地面の上に倒れている。だが、そうであったのもつかの間のこと。あっという間に、切り落とされた下半身から妹紅の体が再生する。内臓が、骨が、筋肉が。そうして、元の姿を取り戻した妹紅が、にやりと笑う。
「まずは私の負け」
そして、
「次はお前の負け」
一瞬の間の、油断なのだろうか。
動きを止めていた輝夜の胴体を、妹紅の右腕が貫いた。
「……はっ……!」
「あはははは、いいねぇ、これ。ほんと」
妹紅の腕を伝って、真っ赤な血がぽたぽたと流れている。それを抜き取ると、胸に大穴を開けた輝夜が地面の上に倒れ込んだ。
「さあ、第二ラウンドといこうか。お互い、五体満足でやりたいしね?」
笑顔で、にこやかに、妹紅は彼女に笑いかける。本当に、彼女との殺し愛を楽しんでいるかのようだった。
早くしなよ、と腕組みをしながら、輝夜の蘇生を待つ。
――だが。
「……輝夜?」
いつまでたっても、輝夜が起きあがらない。それどころか、苦しそうに息を喘がせている。
「輝夜!?」
慌てて、妹紅が彼女に駆け寄った。
「どうしたんだよ、おい! いつものお前らしく……!」
「……ふふ……くふ……」
「……輝夜?」
輝夜は、笑っていた。
頭がおかしくなったのか? 妹紅は首をかしげる。
だが、そんな考えはすぐに捨てる。胸を貫かれたくらいで頭がおかしくなるなら、輝夜の頭は、一体何度おかしくなっているんだ。
「……ああ……これが……死なのね……」
「は? 何を……。輝夜、私たちは……」
「……私は死ねるのよ」
いつもの冗談――にしては、タチが悪い。
土気色に染まった輝夜の顔は、冗談抜きに死にかけていた。いつものように、平然とした顔で起きあがってくる彼女の気配は、そこにはない。
「さようならね……妹紅……」
「なっ……!?」
「……よかったじゃない。あなたの夢……かなったわよ……?」
「どういうことだ!?」
「……永琳に頼んでね……。死ねる薬……作ってもらったのよ……」
彼女はポケットから、一本の空き瓶を取り出した。それを自慢げにかざしながら、
「……目がかすんできた……耳も聞こえない……体が冷たいわ……」
「おい、冗談だろ!? 冗談なんだよな!? これ、夢……なんだろ!?」
「夢は……痛い……?」
ぐっと、言葉に詰まる。
「……ふざ……けるな……。ふざけるな……ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなぁっ!」
彼女の襟首を掴み、全力で締め付けながら、
「勝手に、勝手に死ぬなっ! 輝夜! お前は……お前は、私が殺すんだぞ!? なのに、何で死ぬんだよ! 永遠に殺し愛するんだろ!? お前と、私で! いつまででも!」
「……ああ……空が暗い……」
「わけわからねぇんだよっ! 死ぬな! 死なないで、輝夜!」
「……妹紅……」
そっと、彼女の手を握る。
そして、命を刈り取られるほど、冷たく悲しい笑みを浮かべながら、言う。
「……ごめんね」
はぁ……、と息をついて、
「……ねぇ、永琳……。死ぬのって……やっぱり……なんかつまんない……」
それが、最期の言葉になった。
ゆったりと、妹紅の手を握っていた彼女の手から力が抜けて、それは地面の上に落ちていく。体全部から力が抜け、かくん、と糸の切れた操り人形みたいに、輝夜の頭が後ろ側に倒れていった。
「……嘘……だよね……? 嘘だよね……?」
がくんがくんと輝夜の体を揺さぶる妹紅。
「嘘だよね!? 嘘だよね、輝夜!? 冗談だよね!? ねぇってば!」
がくがくと、さらに激しく、彼女の体を揺する。
目に一杯の涙をためて。
「輝夜は死なないよね!? 何したって、死なないよね!? 首を落としても、心臓をえぐっても、灰も残らず燃やし尽くしても! 死ななかったよね!? なのに……なのに、なのに、なのに、なのに、なのにっ!」
妹紅の体から力が抜けると、支えを失った輝夜の体は、壊れた人形のように地面の上に落ちていく。そのまま、ぴくりとも動かない。
「なのに何で死んじゃうの!? 私と一緒に、いつまでも殺し愛しようよっ! 輝夜が欲しいなら、私をあげるから! 全部あげるから! だから、お願いだよ! 目を開けてよ! 起きてよ! 起きてってば、ねえ! 朝がもうすぐ来るんだよ!? 布団から出なくちゃいけないんだよ!? 朝ご飯、食べないの!? いらないなら、私がもらうよ!? ねぇってば! ねぇ、輝夜!」
叩いても、揺さぶっても、喚いても。
決して、輝夜は目を開けない。どれだけ妹紅が願っても、もう二度と、彼女は目を開けない。壊れてしまった人形が起きあがることは、二度とない。壊れてしまった人の形をした入れ物が元に戻ることは、二度とない。
「輝夜、起きてよ! まだまだこれからだよ! 私はまだ、殺し足りない! 輝夜のこと、殺し足りないんだから! だから、起きて、殺してよ……私を……! 私をもっと、殺してよ!」
彼女の上に馬乗りになって、その顔を両手で挟み込み、無理矢理に目を開かせても。
死人の瞳は、何も語らない。
「起きろっ! 起きろ、輝夜ぁっ! 私がお前を殺すまで、お前は死なないんだっ! 死ぬはずがないんだっ! 勝手に死ぬなぁっ!
輝夜っ! 輝夜! 輝夜ぁ! 輝夜ぁぁぁぁぁっ! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
裏返った絶叫を上げながら。
言葉の意味を持たない、矛盾の固まりを吐き出して。
――人の形をした、命の入れ物は。砕けて散っていったもう一つの入れ物に雫を流し続けていた。
遠からず読めるかもしれない続きが今から楽しみで仕方ありません