その日は秋にしては妙に暖かい日だった。
妖怪の山の木々たちはすでに秋色に変色しきり、地面も同じ色に染め上げんとその葉を散らしていた。
私は正直、この時期があまり好きではない。
理由は単純で、赤色は目に毒だからだ。
少しの間眺める分には綺麗だが、一日中眺めていると目が疲れてくる。
じゃあ見なければいいじゃないか思うかもしれないが、これが私の仕事なのだから仕方がない。
まあ、見るのは秋の紅葉ではなく、それにまぎれた侵入者なのだが。
先日、山の頂上付近にいきなり神社が出現するという異変もあってか、少し皆の空気が張りつめている。
いつもなら、どうせ侵入者なんて来やしないと木の上にでも上って微睡みに逃げ込むところだ。
しかし、今この状況でそんなことをしていることがバレたらどうなるかわからない。最悪首が飛ぶかもしれない。
だからこそ、赤色の毒あふれるこの山で、私は不本意ながら見張りと言う責務を全うしていた。
ところがその日はいつもと違った。
風に揺れる木の葉の中に、ほんのわずかな違和感を感じたのだ。
気になって注視すると、そこには動く小さな人影があった。
我々白狼天狗はみな見張りの領域がしっかり割り振られており、互いがかち合うことはない。
つまり、侵入者ということだ。
しかし、かといって敵かといわれればまだわからない。
この妖怪の山が我々天狗の領域であることは周知の事実なのだが、まれに知識に疎いものが誤って進入してしまうケースもある。
それによく見れば、侵入者らしきものの足取りは若干不安定にフラついていた。
その足取りは、幼子のように危うくも見えたし、踊り子のように軽やかにも見えた。
一瞬不思議に思ったが、このときの私はそれを前者と断じた。
つまり何も知らぬものが誤って入ってしまっただけだろうと思ったのだ。
『止まれ、ここは我々天狗の領域だ。部外者が立ち入ることは許さない』
木の上から飛び降り、侵入者の前に立って警告する。
大抵の手合いはこういえば多少ごねられることもあるが引き下がる。
もし引き下がらないようなら、剣を抜いて武力行使に移らなければならない。
しかし、警告を受けて驚きに染まった侵入者の顔を見て、やはり何も知らなかっただけなのだと確信した。
『あら、折角こんなにきれいなのに、ケチなのね』
口の前に手をかざして、くるりと一回転しながらの回答。
子供のような体躯に似合わない、どこかゆとりのある動作。
改めて見やると、その侵入者の格好はこの場においてあまりに奇抜だった。
黒いフリルのついた黄色のシャツに、これまた黒いブーツ。
黒い帽子から肩まで伸びるのは、少し癖のある緑がかった銀髪。
端々の黒色が、やけに気になる不思議な格好だった。
何より目を引くのが、左胸の位置にある謎の青い球体から全身に伸びる管のような何か。
ぱっと見の印象はお転婆お嬢様と言った感じだが、格好の端々が黒だからだろうか、それとも謎の管のせいだろうか。若干の暗さ、不穏さを纏って見えた。
間違いなく人間じゃない。ゆえに子供のような外見はあてにならない。
むしろ妖怪において子供の外見と言うのは、理性が欠けていることの象徴である場合もある。
『聞かないというなら、力ずくでも帰ってもらうが』
腰の剣に手を当てて二回目の警告。
しかし言い終わると同時に、戦慄が背骨を駆け昇る。
――何故こんなに近づかれるまで、気づかなかったのか、と。
自慢じゃないが、私は目の良さにはかなりの自信がある。
それこそ今の位置からなら、妖怪の山の入り口付近に立つものがいれば見逃さないほどには。
なのにどうだ。私がこいつに明確に気付いたのは後数歩で接敵と言うところまで近づかれてからだ。
この状況で思いつく可能性は2つ
瞬間移動か何かで、「いきなりここに現れた」か、「私に気づかれずにここまで登ってきた」か。
どちらにせよ只者ではないし、何より計画性がある。
偶然ではなく意図的にこいつはここに侵入したのだと、この状況が語っていた。
『うーん、いつもはなんにも言われないんだけどなぁ』
ここに入るのは初めてではないと言外に語る侵入者をにらみ、最大限に警戒をする。
『そうか、運が悪かったな。次からは私が非番の時に来ることだ』
『それっていつなの?』
『二度と来るなと言う意味だよ。分かったら去れ』
『勝負しようよ、お姉さん』
『あ?』
『勝てば通してくれるんでしょ?この間の人間さんみたいに』
どうやら先日の神社騒動を知っているらしい。もしかしてその時も近くにいたのだろうか。
常識が通用する相手ではないらしいと再認識。こうなると変に相手の能力について考えるのは逆効果だ。
『いいだろう。受けて立つ。私が勝ったら二度と来るな』
『うん、私が覚えている間は来ないって約束する』
私の能力は見張り向きであっても戦闘向きではない。相手の能力が完全にはわからないこの状況では、命名決闘の提案は私にとってありがたかった。
もしも話が通じない相手だったなら、恥も外聞もなく上司の烏天狗に助けを求めるしかなかっただろうから。
しかしながらこの時点で、私はこの少女に対する警戒を多少緩めてしまっていた。
言動からは自分勝手というかマイペースな性格がにじみ出ているが、少なくとも悪意や害意を感じない。
若干引っかかる物言いだが、おそらく私が勝てば約束通りここには来ないだろう。
自然とそう思えた。
だからこそ特に警告を重ねず、私は空へ飛びあがった。
『わあ、きれい。こんな景色を独り占めなんて、やっぱりズルい』
『そんなにいいものじゃない。少なくとも私は好きじゃないな』
『美意識がないのね』
『美意識じゃ飯は食えんからな』
いつもは侵入者とこんな軽口を交わしたりはしないのだが、この時は若干口が軽くなっていた。
それがなぜかは、今になってもわからない。
そうして始まった命名決闘。私の役割は回避側。
一般的にはスペルカードルールや弾幕ごっこと呼ばれるそれは、弾幕を張る側と回避する側に分かれて行われる。
弾幕を張る側は相手がよけられないように弾幕を撃ち、回避側はそれを避ける。
不文律として、弾幕を張る側は、「回避側がどう頑張ってもよけられない弾幕を張ってはいけない」と言うものがある。
なので、弾幕を張る側は相手が避けにくい難解な弾幕を張る。回避側はあるはずの抜け道を必死で探す。
それが命名決闘である。そう思っていた。
この景色を見るまでは。
秋空に不規則に舞う弾幕は、その一つ一つが花びらの様で。
その中心で目を閉じて佇む彼女は女神に祈る巫女の様で。
今まで見飽きたとばかり思っていた眼下の紅色は、この時ばかりは鮮やかに燃える炎の様だった。
一見不釣り合いに見えるその炎は、彼女が散らす花びらたちを、優しく激しく彩っていた。
それが、どうしてだかとても綺麗に見えて、思わず目を奪われた。気づけば動きを止めていた。
当然そんな状態で相手の弾幕を避けられるわけもなく、どでっ腹に直撃を食らった。
「相手に避け方がわからないような難解な弾幕を撃つ」以外にも、勝つ方法があるのだと、私はその時彼女に教わった。
うずくまる私を背に、『ふふん、私の勝ちね』と自慢げに一回転しながら去っていく彼女。
そう言えば名前も知らないと気づいたのは、それから少し後の事だ。
聞いておきたかったけれど、千里を見通す私の両目をもってなお、木々の隙間に消えた彼女を見つけることはできなかった。
肌の奥まで突き刺さるような寒風が、ヒューと音を立てて吹きすさぶ。
本格的な冬の到来を予期させるそれに昼寝を邪魔されるのは、いったい何度目の事か。
寒さ耐性にはそこそこ自信があるが、さすがに枯れ木の上で昼寝と言うのは冬をなめていたか。
それに冬は木々が視界を遮ってくれないから、昼寝をするとバレることが多い。
そろそろ場所を木の下に移すべきだと頭の隅で結論付け、先の夢について考える。
結局季節を一つ跨いだ今となっても、彼女と再び会うことはなかった。
勝ったのに律儀に約束を守ったのだろうか。それとも私に気付かれずに侵入を続けているのか。
見張りとしては前者を願うべきだろうが、半分くらいは後者を願っている私もいた。
その思いは、少しの恐怖と一緒に心臓の近くにずっとあって。
何かほんの少しのきっかけがあれば、突風のようにあの時の花吹雪が吹きすさぶ。
世界を彩る魔法のように、逃れられない呪いのように。
「……冬ってのはもう少し、静かで寒い季節だったと思うんだがなぁ」
寒風に乗せてため息一つ。
口から広がる薄白い吐息が、ちょうど私の心情を表しているようだった。
私は何を望んでいるのだろうか。
彼女に再び会うことだろうか。
今度こそ彼女に勝つことだろうか。
あの景色を再び見ることだろうか。
わからない。でも忘れられない。
「……まあ、考えても仕方ないか」
そして、何度目かのその結論にたどり着く。
毎日のように物思いにふけっても、終着点は同じ。だってしょうがない。わからんものはわからんし、わかったところであいつが現れるわけでもない。
そしてまた明日、寝て起きたら同じようなことを考えて、同じような結論にたどり着くのだ。
同じ道を周りに周って、一歩たりとも進まない。抜け出せない。
そのもどかしさを、秋からずっと私は抱えていた。
「悩みなんてガラじゃないんだがなぁ……」
木に背中を預けて、青空を見やる。
私の吐息をそのまま濃くしたような雲たちが、いくつか浮かんでいた。
それと同時に、こちらに向かって飛んでくる小さな人影をとらえる。
その人影が誰だか分かった瞬間、走ったのはひらめきと嫌悪感。
数秒の葛藤の末、その人影が目指しているであろう場所に先回りすることを決意した。
「おや、待ち伏せとは。私は侵入者じゃないんだけどねぇ」
白いシャツに黒いスカート。
肩にも届かない黒髪の上には、動物のしっぽを束ねたみたいな飾りが両側についた赤い飾り物がちょこんと乗っている。
背中に見える小さな黒い双翼は、烏天狗の証。性格とは裏腹に、きれいに白黒別れた格好のこいつが、私の嫌悪感の根源、烏天狗の射命丸文である。
烏天狗と言うのは私のいわゆる上司にあたる存在で、基本的に私たち白狼天狗は命令されたら従わなければならない。
そのため口には出さないものの、烏天狗の存在を快く思っていない白狼天狗は多い。
だが、私のこいつに対するそれは、少しだけ特別だ。
「もしや、何か異変でも?」
「いえ、そういったことではありません。お聞きしたいことがありまして」
さっさと用件を片付けるべく、会話を進める。
要件と言うのはほかでもない。
私の悩みの元凶である名前も知らない彼女の情報を教えてもらいに来たのだ。
と言うのも、こいつは仕事として新聞記者をやっており、幻想郷最速を謳うその翼で、日夜記事のネタを集めるために東奔西走しているという話だ。
だからこそ、あの妖怪少女のことも何か知っているかもしれないと思ったのだ。
あまり頼りたくない相手だが、背に腹は代えられない。
「ほほう!珍しいじゃない。貴方が私を頼るなんて。で、何の用?」
「とある妖怪を探していまして、情報を教えていただければ、と」
「ほう?」
顎に右手を当てて、期待するように返答する彼女。
「子供みたいな外見で、髪は緑がかった銀髪。心臓の位置に妙な球状の器官があって、そこから管の様なものが生えていたのが特徴です。心当たりがあれば教えて頂きたく」
「ふむ」
少し俯きつつ、考える仕草を見せる。
瞬き一回ほどの沈黙の後その顔がこちらに向き直る。
「その妖怪とはどういう関係なのよ」
「この間、非番の時にその妖怪と弾幕ごっこをしまして、見事に負かされたので、なんとかリベンジを、と」
あの日の事を知っているのは、実は私だけだ。本来侵入を許した時点で報告すべきなのだが、結果として私はそれをしていない。
理由は三つある。
一つ、すでにあの妖怪少女を捕捉することは不可能な状態であり、その状況をありのまま報告しても負けて通した私の立場が悪くなるだけ。
二つ、彼女からはこの山で悪さをしようという思いは感じられず、放置しても致命的な問題は起きない可能性が高い。
三つ、これが一番比率が高いが、彼女は口ぶりから何度もここに侵入しており、なれば今回侵入を許した私だけが悪いわけではない。だのに報告してしまえば、まるで私だけの責任の様にされてしまうだろう。それが気にくわない。
本来他のものが気づかないことに気づいた私は、むしろ褒められるべきだというのに。
以上の理由から口を噤んだ。
なのでここで、まさか負けて侵入を許しましたなどというわけにもいかないと、予め考えていた返答を返す。
嘘は多少しか入っていない。問題はこれがこいつに通じるかどうか。
「ほほ~う?貴方がそんなに勝負ごとにムキなるなんて、意外ねぇ?」
探るような言葉、射貫くような視線。確実に怪しまれている。
がしかし、たとえ胡散臭いと思っていても、真実にたどり着くことはできまい。
「……私だってそういうときくらいありますよ」
なれば後は強引に押し切るのみ。
向こうだって特に、私の頼みを無下にする理由はないはずだ。
「まあ、いいか。その妖怪だけどね、心当たりはあるよ。多少引っかかるけどね」
よし来た。どうやら情報を持っているらしい。嫌悪感を押し殺してここまで来た私の判断は正しかったのだ。
言い方からして確証を持っているわけではなさそうだが、まあそれでもこいつのことだ。的外れな情報は寄越すまい。
「でも、貴方には教えてあげな~い」
と、思っていたところにこれである。ニヤついた口元の前に人差し指を添えて、むかつく抑揚で告げられた。
思わず歯ぎしりしそうになった。
まさにこれだ。こいつのこういうところが、私はどうしても気に入らない。
人の真剣さをあざ笑うような振舞いに、どこか漂ううさん臭さ。
どれだけ言葉を投げても、それが芯に届かず霧散するような感覚を覚える独特の距離感。
私とてそれなりにこいつと言葉をかわしている。
故に、ただのいたずら心からの発言ではないと理解しているつもりだ。
こいつは真剣な顔して問われた質問をこんな悪ガキみたいなセリフでけむに巻くような奴ではない。
少なくとも欠片ほどの優しさは持っている奴だ、と思う。
だから、こいつなりに私に知られたくないと思う思考ロジックを経て、導き出された黙秘なのだろう。
だが、その言い方が気に食わない。黙秘するならただ一言、「訳あって言えない」といえばいい。
おそらく自分にヘイトを集めるようなこの言い方は、彼女なりの気遣いなのだろうが、私に言わせればそれはもう大きなお世話なのだ。
言葉は届かず、故に理解は叶わず、気遣いは毒になる。
悪い奴ではないとわかっていても、そんな奴をどう好きになれと言うのか。
合わない。致命的に噛み合わない。
だからこそ、こいつを頼りたくなかった。仮に情報が手に入ったとしても、私は不快な思いをしただろうから。
「そうですか。では、用はこれだけですので。失礼しました」
平静を装い会話を打ち切る。
知らないにしろ言えないにしろ、情報が手に入らないのではこれ以上は無駄話だ。
一礼をして踵を返す。
私のその対応に、一瞬言葉に詰まったような仕草を見せた彼女だが、私の後ろから言葉を投げてくることはしなかった。
結局私が得られたものは、宙ぶらりんの不快感だけだった。
それから数日ほど時間がたった。
あれから特に情報収集のようなことはしていない。
あいつが言えないというのであれば、それは他の天狗に聞いても同じことだろうと思ったからだ。
変わったことと言えば、いつもの悩みにほんの少し不快感がブレンドされただけだ。
そしてそれも、時間に薄まって消えていく。
もうそろそろあの日のことを思い出しても不快感がフラッシュバックしなくなった。
心は不思議だ。嫌なことも嬉しいことも、時間がたてば忘れるのに、どうしてかたまに、忘れられない時がある。
あの日の花吹雪は今だ鮮度を保ったまま、頭の隅っこを陣取っていた。
もしかしてこれは、一生消えないのか。
「おはよう、椛。見張りの仕事は暇そうね」
「……いいことじゃないですか?後、脅かさないでください」
聞きたくもない声がする
足音も、飛行音も着地音もなく背後から声を掛けられ、声を上げなかった自分をほめてやりたい。
思考に溺れ、どこか上の空だった意識が跳ね起きる。もしもこの行為に目覚ましの意味があるのなら、この上なく効果的だっただろう。
「ちゃんと仕事してるかと思ってね」
「……してますよ」
「ふぅん?」
「……何か御用ですか?」
こいつが向こうから話かけてくるのは珍しい。以前の神社騒動の時、取材だ何だとか言って博麗の巫女との決闘の詳細を聞かれたときくらいしか記憶にない。
今回は一体なんだというのか。
「先日の質問にお答えしようかと思いまして」
「話してあげないんじゃなかったんですか?」
「話してもよくなったからね」
「はい?」
さすがに意味が分からない。
分からないが、これはもしや情報が手に入るということだろうか。
急に手のひら返しをしたこいつの事情は知らないが、だとしたらこっちとしては大歓迎だ。
「まあ、教えていただけるならよいですけど」
「可愛くない返事ねぇ、もっと喜びを前面に押し出してもいいのよ」
「以後善処します」
「まあ、いいけどね。先に言っておくけど、私もわからないことが多いから、完璧に答えられるわけじゃない」
「中途半端にわかっている、と言うことですか?」
「そう、具体的には、種族と住居の予測よ」
「十分です」
なんだこいつも結局知らないのかと落胆しかけたが、ほぼ私のほしい情報はそろっている。
種族はともかく、住む場所がわかれば後は直接会いに行けばいいのだから。
と思ったが、その考えは一瞬にして霧散する。
他ならぬこいつが知らないのだ。であるならば、その住処は正確には特定が難しい場所にあるか――
「それじゃ、オホン、その妖怪ですが、種族は覚妖怪、住処は地底の最奥、『古明地さとり』の住む地霊殿である確率が高いです」
特定できても侵入、調査が難しい場所的、立場的条件があるかなのだから。
地霊殿、という単語は聞き覚えがないが、地底というものがどういう場所かくらいは知っている。
この幻想郷と言う楽園にすら、つまはじきにされた無法集団。
能力、性格などの凶悪さ、危険性から居場所を失った者たちのたまり場。
故に地上と地底で互いに不可侵を定めており、相互侵入は厳禁。
私も聞きかじったほどの知識しかないから、どれだけ正しいかは知らない。
しかし少なくとも、不可侵条約があったのは間違いない。
もしあの妖怪少女の住処がその地底なのなら、二つの事実が同時に確定する。
私からは会いに行けないことと、彼女は不可侵条約破って地上に来ていたこと。
お腹の真ん中で、扉が閉まるみたいな音がした。
「……どうして敬語になるんですか」
「職業病みたいなものよ、気にしないで頂戴」
現実逃避もかねて、どうにも引っかかった部分を訪ねてみた。
答えに少し、不意を突かれる。
こいつにも可愛げというか、血の通っている部分は存在するらしい。
まあ、だからと言ってやはり気に食わないことは変わらないが。
「古明地さとり、と言うのは?」
しかしながら、私の意識はすでに暗い穴の底にあった。
情報がわかっても接触を測れないならば無意味だ。
それどころか彼女が私以外に見つかれば、不可侵条約を破ったとして何らかの厳重な処罰が下されることだろう。
つまりもう、高い確率で二度と邂逅は叶わない。あの炎の中の花吹雪は、もう見ることができないのだ。
「地霊殿の主を務めている覚妖怪です。事実上地底のトップですね。今回の怨霊騒動の元凶となった八咫烏、霊烏路空の飼い主でもあります」
半ば適当に聞いた質問の答えも、右から左にすり抜けていく。
意識が霧みたいに薄く広がって、どこにあるのかわからなくなる。
「……怨霊騒動?」
ギリギリ、その言葉が引っかかった。
「おや、ご存じないのですか。まあ、そんなものかもしれませんね」
「何ですか、それ」
「先日、博麗神社付近から間欠泉から温泉と怨霊が湧き出るという異変がありましてね、解決するにあたり、私も一役買ったのですよ」
「はあ」
思わずでた生返事。
そんな騒動があったとは知らなかったが、それが何だというのか。
私はもうすでにこのことに関してこれ以上考えるのが億劫になってしまっていた。
すでに再会はほぼ不可能と言う結論が出てしまった時点で、思考はいかに素早くこいつとの会話を終わらせるかにシフトしつつある。
「話してもよくなったと言ったでしょう?あれにはこの怨霊騒動が関係しています」
「……どのように?」
「ズバっと核心を言うと、地上地底間の不可侵が事実上解除されました」
「えっ……」
吐息と一緒に声が出た。
その言葉を引き金に、やっと息ができるようになったみたいに頭が回り始める。
つまりこいつが一度情報を黙秘したのは、「不可侵条約を破ったものがいる」と認めてしまうことになるからで、そうでなくなった今、大手を振って話せるということなのだろう。
そう思ったが、しかし引っかかる。どちらかと言えばこいつは違反を取り締まる側にいてもおかしくない。
あそこで黙秘するということは、見方によっては違反したものをかばう行為だ。
まあ、私がこいつの立場だったならきっと同じことをしただろう、と言うのはある。
違反者がいると認めてしまえば、上に報告しなければならない。それはめんどくさいからだ。
しかし果たして、こいつは同じ理由だろうか。
「まあ、あなたが私のところに来た時点ですでに異変は解決していて、流れから考えてそうなるだろう、とは思っていましたが」
だったらあの時教えてくれてもいいじゃないかなんて言っても仕方ないのだろう。
こいつはこういう奴なのだから。
「それで、件の妖怪が地霊殿に住んでいる確率が高いというのは?」
「おそらくその妖怪も『覚妖怪』だからです。心臓の位置にある球体から伸びる管、という特徴が一致していますし、まず間違いないでしょう。しかし、古明地さとり本人とは若干齟齬が見られるように思います。なので、彼女の親族か何かでしょう。と言うか、椛は心を読まれたりしなかったので?」
「はい?心をですか?」
「覚妖怪は椛のいう球体、すなわち『第三の目』を用いて他者の心を読むことができます。事実、古明地さとりもそうでした」
「……心当たりがありませんね」
あの秋の日のことを思い返す。彼女の言動はとても私の心を読んでいるとは思えないものだった。
もしかして、覚妖怪とやらではないのか。もしくは、私が知らないだけで、あの日の心情はすべて彼女に筒抜けだったのか。
「ふむ、ならば今までの情報はあまり信憑性がないかもしれませんね。まあそれでも可能性は低くないと思いますが」
「いえ、十分です。ありがとうございました」
「リベンジとやら、せいぜい頑張ることね、それじゃ」
そう言って背中を向ける。
今回の件で、私は多少こいつのことを見直しつつあった。
と言うより、普段の一面がただの意地悪ではないと再確認したというべきか。
まあ、それでも苦手および気に食わないのは変わらないが、こいつと仲良くなる未来を、ほんの一瞬だけ想像してしまった。
「最後に一つ、聞いてもいいですか」
「何?」
「何故先日私が質問に伺ったとき、それをほかの天狗に報告しなかったんですか?あの時点では、彼女は違反者だったはずです」
だからだろうか、こんな質問をしてしまったのは。
だからだろうか、答えに少し、何かを期待しているのは。
「まあ、めんどくさかったというのもあるけど――
こちらに向き直って答える彼女。
不意に吹いたそよ風が、やけに優しく肌を撫でる。
「椛の友達なら、悪い妖怪じゃないだろうってね。まあスペルカードルールにも応じたみたいだし、放っておいてもいいだろうって」
続いた言葉に、ほんの一瞬、胸の中から重力が消える。
てっきり嫌われているとばかり、思っていたけれど。
こういうところも、かみ合わないことの一つなのかと思うと、妙に納得した。
射命丸から情報をもらった翌日、私は何日かぶりの非番を満喫していた。
例の覚妖怪を探しに行こうかとも思ったが、不可侵条約が解除された翌日にと言うのも少し気が引ける。
向こうがまだそのことを知らず突っかかられても厄介だし、最悪鬼と出くわすことも考えられる。
鬼と言うのはもともとこの妖怪の山を統治していた種族であり、相対すれば例え射命丸であっても頭が上がらないだろう。
できればもう少しほとぼりが冷めてから向かいたいところだ。
妖怪の山を流れる川の音を聞きながら、そんな風にのんきなことを考えていた。
しかし川の下流までたどり着いたところでふと妖怪の山を見上げると、そこには信じられない光景があった。
山の頂上付近の神社。
この神社は秋ごろに突然この位置に出現した神社で、祭ってある神様の名を冠して守屋神社と呼ばれる。
なんでも神様への信仰が薄れてきている外の世界を見限って、こちらに来たのだとか。
全く持ってはた迷惑な話だが、問題なのはそこではなく、その守屋神社付近の、上空。
見覚えのある紅白の巫女服と、これまた見覚えのある、ハート形の特徴的な弾幕。
弾幕に隠れていたのか、あるいは紅白巫女の陰になっていたのか、彼女の姿は見えなかったけれど、確信があった。
さらに注視すると、今度こそあの時の妖怪少女がそこにいた。
全く持って状況が理解できない。
がしかし、一つだけ直感が告げている。今あそこに乱入してはいけないと。
紅白巫女こと博麗霊夢が動いているということは、これは異変関係である可能性が高い。
しかもあれだけ騒いでいるのに天狗たちが手を出していないという事実がそれを確信に変える。
であれば、あそこに干渉すべきではない。騒がしいところには近寄らないのが、社会を生き抜くコツである。
しかし、この機会を逃す手もない。
どんな用事で地上に来たか知らないが、それが達成されれば山から下りてくるはずだ。
接触を図るのはその時でも十分遅くない。
そう思い戦況を見ていると、どうやら決着が着いたらしく双方が地上に降りる。
その後少しの間何らかの会話をしていたようで、守屋神社の住民たちも出てきていたが、それもすぐに終わって互いに帰路に着くようだ。
それぞれ違う方向に下山を始めた。巫女は飛び、妖怪少女は歩く。
私は彼女の下山ルートを先回りして鉢合わせるのを待つことにした。
何故だろうか、何も悪いことをしていないのに、妙な罪悪感がある。
そもそもどうして、私はこんなことをしているんだろうか。
彼女と会って、何をしたいんだろうか。
今の今まで、結局答えはわからなかった。
実は地底に行くのを先延ばしにしようとしていた理由の一つがこれだ。
この想いの正体が、わからない。
故に、どうすればこの妙なしこりのような悩みが消えるのかもわからない。
彼女が絡んでいるのは間違いないと思うのだが。
一番正解に近いと思っていた、「彼女の弾幕をもう一度見たい」というものも、ついさっきになって自信が持てなくなった。
だってそれは、もう達成されている。
博麗霊夢との命名決闘で彼女が選んだのは攻撃側。まあ、基本異変を起こした側は攻撃側を行うという風習があるので当然だが。
そこではあの日みたものと同じ弾幕が展開されていた。
でも、なぜかそれを見ても何も感じなかった。綺麗ではあっても、あの時のような衝撃はなかった。
知らず知らずのうちに、過去の光景を美化してしまったのか。あるいは視点や状況の違いが原因か。
「……あれ?あいつ、どこに行った!?」
思考にふけって、我に返って、はたと気づく。いつの間にか彼女を見失っていることに。
「くそ、忘れてた!」
そう言えばそうだった。彼女は何らかの方法でこちらの索敵をかいくぐって移動できる。
原理や能力は知らないが、あの日の出来事はそうとしか考えられない。
と言ってもすでに事態が収束した今、何故わざわざその能力を使うのか。
もしかして、気づかれたのか。
今までの経路から、彼女が通るであろう下山ルートの終点へたどり着く。
障害物のないここなら、さすがに近くを通ればわかるだろうと思うが、それも怪しい。
そしてもし私に気付いて能力を発動したのだとしたら、向こうに再会の意志はない。相手の能力を考えれば絶望的だ。
そしてその可能性は、最初の出会いが敵対的なそれだったため、決して低いとは思わない。
刻一刻と、時間が過ぎていく。
「……どうする?どうすれば――」
「何を悩んでいるの?」
「うわぁ!?」
心臓が飛び跳ねる。思わず腰が抜けそうになった。
声のしたほうを見やれば、秋ぶりの顔がそこにあったからだ
焦っていたとはいえ、それなりに周りを警戒していた。
だのに、この視界を遮るもののない場所で、そばまで近寄られてわからないのか。
「あははは、いい反応だね。あなたも山の天狗さん?こんなところにいていいの?」
あまりの衝撃にうまく状況が整理できない。
落ち着け。まずこいつは私があの時に出会った暫定さとり妖怪で間違いない。
見た目、声色、雰囲気、すべてあの時の物だ。
向こうから声をかけてきたということは、私は避けられているわけではない。
じゃあなんで姿を消したんだ。と言うか、こいつのさっきの言葉、何かおかしくなかったか?
まるで――
「お前、私のこと覚えてないのか?」
「あれ?私たちどこかで会ったっけ?でもごめんね。覚えてないや」
「……そう、か」
……瓜二つの別人、と言うことはないだろう。本当に忘れているようだ。
事実、それもあるかもしれないと一瞬考えた。季節を一つ跨いでいるし、向こうにとっては、私はただの一邪魔者でしかなかっただろうから。
私にとってはずっと悩みの種だった命名決闘も、彼女にとっては覚えていない程度の些事だったと言うこともあるかもと。
でもそれは、敵対的な反応をされる以上に、くる。
がっかりしたとも失望したとも違う脱力感。今までの私のしたことが、なんだか馬鹿みたいに見えて、膝から崩れ落ちそうになる。
「ねえ、ねえってば、さっきは何を悩んでたの?何か探してるみたいだったけど」
下を向いていた視界に、彼女が飛び込んできた。
私はその質問に答えられないまま、瞬き何回分か時間が過ぎる。
その間ずっと、彼女の両目はこちらを見ていた。
そしてふと、思い出す。そう言えば射命丸によれば彼女は覚り妖怪で、だとするなら私の心中は筒抜けなのではないか、と。
「私に聞かなくても、その第三の目とやらでわかるんじゃないのか」
「お姉ちゃんはそうだけど、私はわかんないの。閉じちゃったからね」
「お姉ちゃん?」
「そう、お姉ちゃん」
「お前の姉は心が読めるけど、お前は無理ってことか?」
「花丸大正解!心なんて読めても、いいことないしね」
急に声のテンションが上がる。射命丸とはまた別タイプの独特の空気感。
それはともかく、こいつが心を読めないという事実はありがたくもあり、残念でもあった。
私がどんな思いでここにいるか知られるのはとてつもなく嫌だが、少なくとも初対面ではないことは伝えられただろうから。
「なあ、名前、聞いてもいいか」
あの時聞き忘れた質問。しかしあの時の続きではない。
それがすごく、悔しい。
そう思っている私を他所に、彼女は人差し指を立てて「ちっちっち」と横に振る。
「駄目だよ天狗さん。人に名前を聞くときは自分から名乗らないとって、お姉ちゃんがくれた本に書いてあったんだから」
「なんだそりゃ、どんな本だ」
「適当に開いてそこだけ見たら飽きちゃったから、わかんない」
「なんだそりゃ、めちゃくちゃだなお前」
なんだそりゃ、としか言葉が出てこない。
会話をしているだけなのに、振り回されているような感覚だ。
秋にあったときはもうちょっと、知的な奴だと思ったものだが、思った以上に自由奔放の様だ。
「椛、犬走椛だ。普段はこの山の見張りをやっている」
ゴリ押される形で自己紹介。
対して彼女は「よくできました~」なんて拍手しながら上から目線だ。
なんだ、お前は私の親か何かなのか。もしくは私はお前のペットか何かなのか。
しかし、言動だけ見れば人の神経を逆なでするようなそれに、不思議と不快感はなかった。
「それじゃあ私の番だね。私は古明地こいし。山の神様のご利益がほしくて来たけど、巫女さんに負けちゃった。強いのね。最近の人間は」
「負けた割には楽しそうだな」
「だって、とっても楽しかったもの!勝敗なんてどうでもいいじゃない」
古明地こいし。射命丸が言っていた地底の主とやらが古明地さとりだったと思うから、こいつは本当にその親族だったと言うわけだ。
ようやく名前を聞けた私はしかし複雑な気分だった。
負けてなおテンションが上がるあたり、こいつは命名決闘が好きなのだろう。
であるならば、初対面の時のことも覚えていて欲しかったと思ってしまう。もちろんこれが私の傲慢だとわかっているが、理屈と感情は別問題だ。
「好きなんだな。弾幕ごっこが」
「うん。椛さんは?好きじゃないの?」
「あー、そうだな、最近よく分からん」
「えー、なにそれ。つまんないの」
少なくとも秋、こいしに会うまでは、特に好きでも嫌いでもなかったのだが。
「ところで探し物はもういいの?」
そう聞かれて、少し迷った。正直に言うか、適当に流すか。
「……いいんだよ、私はお前を探してたんだからな」
ごまかそうと思って、口を開いたはずだった。
でもそれは、喉を通るギリギリで別の言葉に変わっていた。
言った後、自分で少し驚いた。
そして、なんだかんだで、結構彼女に心を許していることに気が付く。
私の中ですでに「のんきで元気で生きてて楽しそうなやつ」という評価が固まりつつあったからだろうか。
あまり、駆け引きみたいなことをする気になれなかった。
「……私を?」
彼女が目を見開いてこちらを見る。本当に、意外そうに、口を少し開けたまま。
「ああ、初対面じゃないって言ったろう」
「……なんで?」
少し、言葉が尻すぼみになる。何かにすがるようなか細い声で、彼女は言った。
ずいぶんと、気分の忙しい奴だ。
「……あー、なんだ、わからん」
「ぶー、教えてくれたっていいじゃない」
「ごまかしたわけじゃないぞ、わからんもんはわからん」
「なによそれ」
彼女は一体どんな答えを望んでいたのか。
それはわからないが、少なくともこれではないだろう。
しかし本当の事なのだから仕方がない。
私の返答で少しへそを曲げたらしい彼女は、斜め下にそっぽを向いた
こんな一面もあるんだな、なんて思った。
彼女の楽以外の感情を、初めて感じた。
それがなんだか、とても似合わない気がして。
「……秋ごろ位にな、お前がこの山に来て、それを私が見つけて、勝ったら通してやるって、弾幕ごっこをしたんだよ」
言うまいと思っていたことをつい喋ってしまった。
不思議な奴だ。彼女相手だと、鍵をかけたはずの言葉が止まらない。
本人に悪意がないのがわかるからだろうか、なんというか、警戒できないのだ。
私が初めて会ったとき、何故こいつと無駄話をしてしまったのか、少しわかった。
「その時見たお前の弾幕が綺麗でな。もう一回見たいと思ったんだよ。……たぶん」
自分でもわからないが、おそらく一番近い答えはこれだろう。
不確定な上に気恥ずかしいから、絶対言いたくなかったけれど。
「あ……」
間抜けに開いた口をぶら下げて、吸い寄せられるみたいに視線を向けてきた彼女を見て、これでよかったかもしれないと思った。
「……たぶんって何よ」
「たぶんはたぶんだ。いまいち断言できんってことだ」
「てきとーなのね」
「自覚がないことはないが、お前に言われたくはない」
それから、彼女と色々話をした。
その話の中で、私は今まで彼女に抱いていた疑問をいくつか解決していく。
曰く、自分は人間の心の醜さに嫌気がさして第三の目を閉ざしたさとり妖怪モドキで、今心を読むことはできない。
その代わりに他人の意識の外(本人曰く無意識)に入り込むことができる。この状態の彼女は極端に知覚しづらい上、時々意図せずこの状態になる。
好きな飲み物は紅茶。地霊殿に帰るとよく姉が入れてくれるらしい。
一つ質問をするたび、五つ六つくらい余計な言葉を返してくる彼女との会話は案外楽しかった。
気づけば日は傾きオレンジ色に染まっていた。
「もうすぐ夜になるぞ。そろそろ帰らないとお前の姉さんも心配するんじゃないか?」
「心配するかなぁ?夜どころか一日中帰らないことも結構あるのに」
「何だお前、姉のこと好きじゃないのか?お姉ちゃんお姉ちゃん言ってたくせに」
「うちの家庭は複雑なのよ」
澄ました声で知った風なことを言う。それがほんの少しだけ無理をしていたように見えたのは気のせいだろうか。
「ねえ、言ったでしょう?私の弾幕が綺麗だったって、それってどのへんが?」
「あ?」
かと思えばこの話題の変わりよう。本当に好き勝手口を開く奴だ。
彼女にもし犬の散歩でもさせようものなら、この会話のようにあっちこっちフラフラする様子が目に浮かぶ。
そう言えば家でペットを飼っているらしいが、果たしてこいつにちゃんと世話ができているのだろうか。
「……季節外れの花びらみたいに見えた。まるで、命があるみたいだった、かな」
またしても素直に答えてしまった。
彼女の時折見え隠れする寂しそうな一面が、あるいはそうさせるのかもしれない。
「そっかぁ、でも、花びらだなんて変な人だね。私の弾幕、花びらじゃなくてハート型なのに」
「そういえばそうだな、まあ、半分に割れば花弁みたいなもんだろ」
「ひどい!本当に美意識のない人ね。聞いた私が馬鹿だった」
彼女の影響か、私もなんだかあまり思考をはさむことなく言葉が飛び出している気がする。
結果としてまた怒らせてしまったけれど、本気ではなかったようで、少ししたら、息が漏れる様に笑う彼女。
私も、それにつられて笑った。
「そうだ、忘れる所だった。こいし、私と勝負だ」
「どうしたのさいきなり」
「言っただろう。もう一度見たいんだよ」
「うーん」
顎に手を当てて唸る彼女。
確かに急と言えば急だったが、命名決闘が好きな彼女ならすぐに応じてくれるものと思っていたから、少し意外だ。
少しして顎から手を外して、明るい声で言う。
「やーだよ。椛さんの言う通り、もう遅いし、おうちに帰らないとね!」
返ってきたのは予想外の拒否。しかしそこに嫌悪の色はなく、ただ私を困らせたいだけのような返事だった。
「なんでだよ、いいだろ、減るもんじゃないし」
「今日はそんな気分じゃないのよ」
「真昼間に博麗の巫女相手に元気に勝負してたのはどこのどいつだ」
「とにかくもう今日はやらないったらやらないの。弾幕撃つのだって結構大変なんだよ?」
まあ、しかし、結局のところ本人がそういうならどうしようもない。
私も気分が乗らないを無理やり勝負の土俵に上げたいわけじゃない。
それに確かに、弾幕を撃つのは結構疲れる。私がどちらかと言えば回避側が好きな理由の一つもそれだし。
まあ、あくまでそれは私の話で、私より攻撃側に慣れているであろう彼女も同じかは怪しいが。
そこまで考えて、ふと一つ疑問に思う。
「そう言えば、お前はなんで回避側をやらないんだ?能力だってそっち向きじゃないのか」
思えばこいしは初対面の時も進んで攻撃側を選んだ。
今回にしたって風習があるとはいえ、やろうと思えば回避側をすることもできたはずだ。
回避側を選んで能力を活用してしまえば、もう相手からは知覚できない。
回避不能弾幕が禁じられている以上、こうなると相手はかなり不利だ。
「だって、そんなことをして勝ってもつまらないでしょう?かくれんぼしたのに誰も見つけてくれなくて、諦めてみんな帰っちゃっう、みたいな勝ち方だもの。それ」
本当につまらなそうにそういう彼女。
実感がこもって聞こえたそれは、実際に体験したことなのだろうか。
「だからお前は攻撃側が好きなんだな」
「それだけじゃないよ。弾幕を撃っていれば、相手が一生懸命私に向かってきてくれるんだもの」
オレンジ色の光が、彼女の表情を薄く照らす。
まるで夕日に恋焦がれるような瞳をこちらに向けて。
「それってすっごく、トキめくでしょう?」
今日一番真っすぐな声でそう言った。
聞くまでもなく本心なのだと確信できた。
弾幕勝負をそう捉えるのは、私にはなかった考え方だ。
気づけば瞬きも忘れそうになるくらい、ぼうっと彼女を見ていた。
その感覚は、初対面の時に感じたそれと、すごく似ている気がした。
「ねえ、また会いにきてもいい?」
「あ、ああ、でも普通の日に来られても相手できん。私が非番の時にしてくれ」
「二度と来るなって意味?」
「そういう意味じゃ……って!おい!!しっかり覚えてるじゃないか!そう言えば美意識がどうこう言ってた時もだ!お前、私を騙したのか!?」
「あはははははは、忘れてたのは本当だけど、途中から思い出していたのでした」
「だったら言えよ!こっちは割と凹んだんだからな!」
「それじゃさよなら!楽しかったよ!またね、椛さん」
「おい、待て、逃げるんじゃない!」
けらけらと笑いながら地底とつながる大穴に向けて駆け出すこいし。
終始笑顔だったはずなのに、この時初めて彼女の笑い声を聞いた気がした。
彼女がいなくなって、代わりに現れた少しの寂しさと一緒に、私は沈む夕日をぼうっと見ていた。
それから時々、こいしは妖怪の山に遊びに来るようになった。
まあ、見張りの仕事があるので毎回相手にできたわけではないが、それでも会うたびに多少の雑談はする。
そしてたまに非番の日と重なったときには、一緒に遊ぶこともあった。
私が妖怪の山を(部外者に見せていい範囲で)案内したり、彼女に地底をあちこち連れまわされたり。
彼女といると、自分が今まで過ごしてきた日常がいかに静かで平穏だったかを思い知る。
とにかくこいしは騒がしかった。結局いまだに会ってはいないが、彼女の姉は大層苦労していることだろう。
そうして遊びが終わった後には、決まって私が彼女に勝負を申し込む。
ところが毎回適当な理由をつけて断られるのが通例だった。
気分が悪いとかお腹が痛いとか、どれも口からでまがせを言っているようにしか見えなかったが、本人が言う以上仕方がない。
何度言っても断られるから、そのうち私も勝負しろとは言わなくなっていった。
それに不思議なことに、あれだけ私の頭を悩ませていたあの光景は、最近ではほとんど思い出さなくなった。
やはり時間がたてば薄れるものだったのだろうか。
もしくは思い出そうとすると彼女の元気でうるさい声が頭に響くようになったからか。
最近では昼寝をしようと空を見上げると、あの花吹雪ではなく彼女の顔が見えるようになった。
私が空に浮かべるその顔は、普段の彼女と違っていつも寂しそうで。
それがどうしてかは私にもわからない。
「……はぁ、なんで夏なんて季節があるんだろうなぁ……」
雲の一つすら寄せ付けぬ太陽の光が、木の葉の緑を貫いて私に刺さる。
夏、それは私が一番嫌いな季節である。理由は主に二つ。
一つ目、私は寒さ耐性はあると言ったが、それはつまり暑さ耐性がないことを意味する。
この二つを兼ね備えている者など、この世には存在しない。
二つ目、夏は虫たちが活発になる時期である。昼は蝉、夜は鈴虫がとにかくうるさい。
暑さと合わせて、昼寝もできなければ夜も寝苦しい。
故に私は夏が嫌いだ。
こいしと人里に行ったときに聞いた話だが、寺子屋と呼ばれる人間の教育機関には「夏は暑いから」という理由で夏休みという制度があるらしい。
うちにも導入してほしいものだと切に思う。
まあ、今日に限っては非番なのでよしとするが。
さて、普段ならば非番の時は少しでも暑さを和らげるため妖怪の山名物の大きな滝のそばでのんびりしているのだが、今日の私には目的があった。
それは、古明地こいしの捜索である。
今まで一週間に一度くらいの頻度で遊びに来ていた彼女だが、ここ二週間ほど姿を見ていない。
何かあったのかと少し心配だし、そろそろ不可侵条約解除も知れ渡ったことだろう。
少し前にあった空飛ぶ船騒動も、聞けば地底の妖怪が絡んでいたという話だった。
そういう事情もあり、私から彼女に会いにいくいい機会だろうと思っていた。
しかし、結果として私は地底へ向かうことはなかった。
理由は単純で、その前に彼女を発見したからである。
場所は、人里を超えて、博麗神社へ続く石段のふもと。その上空。
いつかの白黒魔法使いと、弾幕ごっこに興じているようだった。案の定、彼女は攻撃側。
さすがにそこまで遠いと正確な状況まではわからなかったので推測だが、軍配が上がったのは白黒魔法使いのほうらしかった。
勝負が終わって地面に着地してからは、遮蔽物が多く状況を確認することはできなかった。
しかし、その後魔法使いのほうだけが神社へ飛びあがったところを見ると、彼女は別のところへ行ったらしい。
「あのちんちくりんにあそこから動かないことを期待するのは無謀だよなぁ……」
一度彼女を見失うと、再補足は難しい。
半ばやけくそ気味に弾幕ごっこがあった地点へ向かう。
もしかしたらここでいつもみたいに待っていたほうが会える確率は高かったかもしれない。
でも、たまには私から会いに行こうなんて思ったんだ。鬼ごっこに付き合ってやるのもまあ悪くないだろう。
そう思って彼女の足取りを何とか追おうとするが、案の定すでに神社のふもとにはいない。
人里を探し回っても見つからない。入れ違いになったのかと妖怪の山を探してみても空振りだった。
そうこうしている内に日は峠を越えて沈み始めていた。
一日の中で最も暑いのは、太陽がてっぺんに上ったときじゃなくて、それから少し経った時。
ちょうど今みたいな時間帯だ。
さすがに暑くて疲れた私は、いったん妖怪の山の滝のそばで休息をとることにした。
滝のそばまで来ると、豪快な水の落下音と、対照的に優しげな流水音が涼しさを連れてくる。
湿り気のあるうざったい暑さから、ひんやりとしたこの空間へ踏み入る瞬間が、この季節唯一の私の楽しみだった。
しかしその快感は、すぐに驚きに上書きされることになる。
滝つぼの近くの大きな岩。私のお気に入りの場所のそばで、ぼうっと滝を見ている先客がいたのだ。
上から、黒い帽子、銀色の髪、黄色のシャツ、黒のスカート。
最近ではもう、見慣れた色彩。
「お前……何やってんだこんなところで?」
「……椛さん?どうしてここがわかったの?」
驚いて振り返る彼女。
でも、二週間ぶりに見た顔は、私が空に描いていた寂しそうな顔そのものだった。
川の流れの乗って、ひんやりとした風が吹く。
「いや、わかったというか、普通に涼みに来ただけなんだが」
「ああ、そうなんだ。また見張りのお仕事サボったの?」
「サボってない。今日は非番だ」
「へぇ」
「で、お前はなにやってたんだよ」
「知らない。気づいたらここにいたの」
「あ?どういうことだよ」
「前に言ったでしょう?私は無意識で行動できるの」
「ああ、いまいちよく分からんかったあれか」
彼女のそばの岩まで歩いて、それを背もたれ代わりに倒れこむ。
話してみると、受け答え自体はいつもと変わらないように感じる。
じゃあ、さっき感じた冷たさは何なのか、今なお感じるこの妙な静けさは何なのか
「ねえ、私を捕まえなくていいの?」
「は?何言ってんだお前」
「この山は天狗さんの領地なんでしょう?」
「ああ、なるほど」
確かにこの滝がある場所はすでに天狗の管轄だ。であれば彼女は侵入者にあたる。
普通なら、排除されるべきだろう。
「別にいいだろ」
「……いいんだ?」
「普段ならいざ知らず、今日は非番だ。なんでそんな時にまで仕事しなくちゃいけないんだめんどくさい」
「ふーん。怠け者なのね」
「お前とかくれんぼなんかしたくないんだよ」
もしも彼女を侵入者として扱うのなら、上に報告しなければならない。
特徴を正直に告げれば、すぐにこいしだとわかるだろう。ここ最近で、彼女はそこそこ地上に交流を持っているようだから。
そしてその後は侵入者もといこいしを探して山中を駆け回ることになるのだ。
はっきり言って馬鹿らしい。弾幕ごっこならいざ知らず、こいつに鬼ごっことかくれんぼで勝てる奴なんか想像できない。
「相変わらずだね。貴方は」
「なにがだよ」
「いっつも気ままで正直で、悩みなんてなさそうで」
「お前に言われたくはないし、私だって悩みくらいある」
「あはははは、そうだね。私も、貴方みたいになりたかったなぁ」
貴方みたいになりたかった。
それは私にとって全く予想外の言葉だった。
と言うか、こいつがそんな風に願い事を言うこと自体が意外だった。
古明地こいしと言う妖怪は、やりたいことがあれば何も考えずにそこに突っ走っていく奴だと思っていた。
そして、仮にそれで達成できなくても「まあいっか」と諦めてまた次の何かに興味を示す奴だと思っていた。
まるで手のひらから零れ落ちた願い事を憂うようなことを言う姿は、私がまだ知らなかった彼女の一面だった。
隣を見やると、そこには寂しそうな顔をした彼女がいて。
普段より少しだけ弱弱しいその横顔に、何か特別な言葉をかけなきゃいけない気がした。
「そうか。じゃあ今すぐ交代してくれ。私は目いっぱい自由を満喫するから、明日から山の見張りを頼む」
「もう、そういう意味じゃないよ。馬鹿」
けれど、口が勝手にいつも通りの言葉を紡いだ。
もっと気の利いた言葉はなかったのかとも思うけれど、どうもこいつの前だと、見栄を張ったりカッコつけたりしたいと思わない。
その理由が、最近少しだけわかった気がする。
こいつがいつも自然体だからだ。
私たちのように社会で生きていると、他者を前にして自然体ではいられなくなる。
好き勝手振舞うことは自分の立場を悪くする可能性があるし、どうしたって社会の中の決められた常識とか規則とかに縛られなくてはならない。
それはきっと、あの射命丸だって同じことだ。
ありのままの自分を他者の前でさらけ出せるのは、他者との関係と利害が直結しない子供のころだけだ。
そうでないなら、言葉に鍵を掛けなくてはいけない。
暴れまわる本心を押さえつけて、偽物の言葉で話さなくてはいけない。
好き嫌いでなく、利害で誰かと結びつくというのはそういうことだ。そして、社会とはそういうものだ。
まあ、射命丸からこいつの情報を聞き出した時を思い出すと、それも悪くないと思うのだが。
私の中で、古明地こいしはそういう意味では子供だった。
誰がどう見たってこんなの、生きるためには必要ない関係だ。
だから、今まで必死に抑えてきた本心に、子供の自分に、無意識のうちに言葉のバトンを渡してしまうのだ。
「なあ、お前から見た私ってどんなだ?」
今まで仕舞ってきた子供の私は、どんな奴なんだ。
「あ―言えばこう言う、偏屈な頑固者。猿山のガキ大将って感じ?」
「ハッ!そうかそうか。そいつは知らなかった」
予想以上に愉快な評価に思わず失笑。
自分の中にそんな一面があるなどと、欠片たりとも思ったことはなかった。
もしも、こいつの感性を信用するならば、なるほどそれを今まで仕舞ってきた私はなかなかの慧眼じゃないか。
「……でも、貴方と話していると、少し安心するんだ。不思議とね」
「不思議なもんか。つまるところ同レベルなんだよ。私たち」
「あははは、そうかも」
彼女が感じた安心感を、私も感じていた。
住処は遠く離れていて、きっとだけれど、生き方だって大きく違って、考え方だってそう。
でもだからこそ、私たちの間に競うものなんてない。この安心感は、そういうことなのだ。
こいつの前で見栄を張ってもしょうがないという投げやりとも言える心地よい温度と距離。
こんな関係も、あるんだな。
「ねえ、私ペットを飼ってるって言ったでしょう?」
「ああ、言っていたな。どうした?ついに逃げられたか?」
「……どうしてわかったの」
「……あー、スマン。冗談のつもりだったんだが」
「もう、調子狂うなぁ、椛さん」
「なるほどな、それで落ち込んでたのか」
「わかってたの?」
「まあ、なんとなく。落ち込んでますって顔に書いてあったからな」
「私ってそんなにわかりやすい?」
「さあ、猿山のガキ大将にもわかるくらいだ。そうなんじゃないか?」
「お姉ちゃんには真逆のことを言われたのになぁ」
「目ん玉三つとも節穴なんじゃないのか?お前の姉は」
「ぶふっ!真顔でそういうこと言わないでよ」
「まあ、でももし私が犬なら、お前のペットなんて願い下げだな」
「えー、どうしてよ。ひどい」
「毎日散歩に連れてってくれなそうだし、飯とかもうっかり忘れそうだ」
「散歩は放し飼いだから必要ないし、ご飯は私が忘れてもお姉ちゃんが用意してくれるよ」
「お前そういうとこだぞ」
「えー、駄目かな?」
「私なら確実にお前の姉のほうに寝返るね。と言うか、そんな適当に世話してたくせに、逃げられると落ち込こむのか」
「うん、私もね、こんなに落ち込むなんて思ってなかった。でも実際いなくなると、思った以上に寂しくてさ。ああ、私見捨てられちゃったんだなって。想像以上に、くるものだよ?それって」
「ふーん」
「うわー関心なさそー」
「別に関心がないわけじゃない。それ以外に言葉が出てこなかったんだ。気分を害したなら謝るが」
「ううん、別にいいよ」
「そうか」
滝の音をかき消す静けさが満ちる。
私はこいつのことを何も考えていない能天気な奴だと思っていたが、彼女は彼女なりに悩むところがあるらしい。
もしかして最近見かけなかったのは、そのことで傷心していたからなのか。
だとするなら、案外繊細な奴なのかもしれない。
「そういえばさ」
「何だ」
「最近、言ってくれなくなったよね」
「あん?」
「勝負しよ、ってやつ」
「ああ、そうだな。でもお前、言っても断るじゃないか」
「それは、そうだけどさ」
「何だよ、はっきりしないな。どうしたんだ」
「だって、断らないともう遊んでくれないのかなって、思ったから」
「は?なんだそりゃ」
「……やっぱりなんでもない」
そう言ってそっぽを向く彼女。
それっきり口を開かなくなって、少しの間沈黙が流れる。
こいつがはっきりしない態度をとるのは珍しい。と言うより初めてだ。
断らないと遊んでくれないと思ったとは、どういうことだろうか。
「……もしかしてお前、勝負に応じたら私が目的を果たすからもう愛想尽かされると思ったのか」
「……尽かす愛想もないくせに」
「図星かよ」
「……だって、私たちの接点なんて、それくらいしかないと思って、最初ただ、困らせたいだけだったけど、勝負の後どんな顔して会いに行けばいいのかなって思うと、怖くて」
絞り出すような声、この距離でなければ水の音に消されてしまっていただろう。
よく聞こえる様に彼女の方に顔と首を向ける。現在私は岩を背もたれにして足を伸ばしているから、立っている彼女を見るには、首を傾けると同時に少し上を向く必要がある。
その見上げた視点と、気恥ずかしそうに少し下を見ていた彼女の視線がピタリ重なる。
「そ、それに最近は勝負しようって言ってくれなかったから、もう興味ないのかなって、魔理沙さんに綺麗だったかきいても、「まあ、そうだな、だが私には叶わないぜ」としか言ってくれなかったから、なんだか自信もなくて」
私の顔を見るなり、ぶつける様に声を大きくしていく。そして最後には、また小さくなる。
それが、不謹慎にもすこし愉快に思えて、「ハッ、なんだそりゃ」と思わず声が出た。
やっぱりこいつは、素直な奴だと思う。
落ち込んでる時も気恥ずかしい時も、いつも通りの元気でうるさい時も、こいつはいつも、等身大の自然体でそこにいた。
無理に自分をごまかさないし、心にもないことは口にしない。
思えば、去年の秋、出会ったころからそうだった。
「案外めんどくさいんだな、お前」
「一言でまとめないでよ、馬鹿」
「と言うか、今日の博麗神社での弾幕ごっこはそういうことだったのか」
「……見てたの?変態、覗き魔」
「見てたんじゃない、見えたんだよ」
「ほんっと、あー言えばこー言う」
ようやくわかった。私が何故、こいしの弾幕に惹かれたのか。
こいつが、私にないものを持っていたからだ。
最初は、その見た目や言動から子供だと思った。
わがままで、何も知らないクソガキだと。
ところがどうだ、その弾幕は、何も知らぬもののそれではなく、わがままさは微塵もなく、ただ真っすぐな美しさだけがあった。
だからこそあんなにも驚いたし、思わず見とれたのだ。
私は、生きていくために嘘をつくことを学んだ。正確には、本心を隠すことを。
そして、うまく生きるにはそうするしかないのだと思っていた。
でも、こいしはそうじゃない答えを、持っている気がした。あの綺麗な弾幕に、そう言われた気がした。
きっとそれは、私が今更頑張っても届かない場所にある。
でもそうじゃない。変わりたいわけじゃなくて、ただそれを知りたかったんだ。
私が惹かれたのは弾幕じゃなくて、それを放ったこいしの方。
それはきっと、好きな絵本の続きのように、見えない虹の始まりのように。
マイペースと言うには繊細で、優しいというには無遠慮で、寂しがりと言うには元気な奴で。
そんな彼女は確かに、あの花吹雪の真ん中にいるのがよく似合う。
「悪かったよ、そんなに悩んでるとは知らなかった。それで「貴方みたいになりたかった」か。私はそんなに悩んでないように見えるか?」
「うん、見える」
「そうかよ。でもな、私たちの世界だって中々にめんどくさいんだぞ。地底や、お前に勝てるかどうかは知らんが、仮にもそんな中で生きてるんだ。私だって悩んだことくらいあるさ」
「へぇ、椛さんはどんなことで悩むの?」
「そうだなぁ……夏が嫌だとか見張りの仕事が退屈だとか色々あるが、目下最大の悩みは、『私はなんでお前と勝負がしたいのか』だな。ついさっきまでの話だが」
「え、なにそれ。私の弾幕が見たいからっていってたじゃない」
「たぶんって言ったろ」
「えー!何それずるい!そんなの聞いてない!」
「言ったぞ。……たぶん」
「聞いてないったら聞いてない!椛さんの嘘つき!」
「あー、はいはい悪かった悪かった。そんなに怒るなよ。それにな、ついさっきまでって言ったろ」
「聞いてない!」
「拗ねるなよ、なあ」
「……」
怒った顔と悲しい顔の真ん中で、だんまりを決め込むこいし。
「ん」の形になった口が、話すもんかと言う意思の固さを示している。
事ここに至り、私は配慮の足りなさを自覚した。
彼女からすれば、自分の悩みを根底からひっくり返された気分だっただろう。
私はこいしの弾幕を見たくて勝負を申し出ているという前提が崩れれば、彼女の悩みはとんだ空回りだ。
嘘つきと罵倒されるのも、仕方ないのかもしれない。
「機嫌直してくれよ」
「……」
「私が悪かったって」
「……」
口を開く気配なし。こんなに彼女が意固地なのは初めてだ。
それだけ、たくさん悩んだということなのだろうか。
相変わらず似合わない表情のまま、不満げにこちらをにらむばかり。
「あー、もういい。喋らなくていい。だから今度こそ聞け。いいか、一度しか言わないからな」
「……」
「ついさっきまで悩んでたって言っただろ。私がお前に勝負を挑む理由。ここでお前と話してて、わかったんだよ」
「……」
「簡単な話だ。私はな、お前のことが知りたかったんだよ」
「……」
「初めて会ったとき、私はお前のことをわがままなクソガキだと思った。でもお前の弾幕を見た後だと、どうしてもそう思えなかった。何故だかわかるか?」
「……」
「あそこに、あの花吹雪の中心に、お前の心がある気がしたんだ。そういう綺麗さに見えたんだよ。でもあの時点で私が知ってたのは、クソガキなお前だけだ。お前のどこかに、あの弾幕みたいな心があるのかって思ったら、忘れられなくなった。もっと知りたいと思ったんだよ」
「私の、こころ?」
「やっと喋ったか」
「ほんとうに?」
「ああ、ホントだ。今度こそたぶんじゃないぞ」
「そっか、閉ざしちゃったと思ったけど、そんなところにあったんだね」
万感を込めたような、その言葉の本当の意味を、私は知らない。
それでも、機嫌を直してくれたのだとわかるくらいに澄んだ表情を彼女はしていた。私にとってはそれで十分だった。
「さて、悩みも晴れたことだし、こいし、勝負だ。今度こそ逃がさないぞ」
「えー、せっかく感動したのに。今そんな気分じゃないんだけど」
「応じないのならいいさ、お前を侵入者として連行するだけだからな」
「うわっ!汚い!なんでよ!さっきは仕事なんかするもんかって言ってたでしょう!?」
「ハッ!大人ってのはな、自分に都合よく言葉を使うもんなんだよ」
「嘘つき!」
「嘘じゃない。気が変わったんだよ」
私の言動に食って掛かる彼女だが、それはいつの間にか笑い声に変わっていた。
私も、このやり取りがあまりに馬鹿らしすぎて、つられて笑う。
水の音が、優しく私たちを見守っていた。
「いいよ、見せてあげる」
「そう来なくっちゃな。よっこらしょっと」
立ち上がって、空へ飛び立つ。
「よっこらしょって、お姉ちゃんみたい」
「ああ、苦労してそうだもんな、お前の姉は」
岩場の陰になっているところから、一気に夏の青空に踏み出したためか、肌に照りつく太陽が、やけに眩しい。
「それじゃあ、いくよ、椛さん」
「来いよ。リベンジしてやる」
その言葉を合図に、命名決闘が始まる。
彼女が最初に宣言したのは、あの日と同じ名前の弾幕。
あの時の燃えるような紅葉は、もうここにはない。
代わりに炎天下の夏空が、放たれる花びら達を眩しく優しく彩っていた。
その中心で、あの日よりも嬉しそうにこいしが笑う。
赤い花みたいな、苛烈で優しい笑顔だった。
妖怪の山の木々たちはすでに秋色に変色しきり、地面も同じ色に染め上げんとその葉を散らしていた。
私は正直、この時期があまり好きではない。
理由は単純で、赤色は目に毒だからだ。
少しの間眺める分には綺麗だが、一日中眺めていると目が疲れてくる。
じゃあ見なければいいじゃないか思うかもしれないが、これが私の仕事なのだから仕方がない。
まあ、見るのは秋の紅葉ではなく、それにまぎれた侵入者なのだが。
先日、山の頂上付近にいきなり神社が出現するという異変もあってか、少し皆の空気が張りつめている。
いつもなら、どうせ侵入者なんて来やしないと木の上にでも上って微睡みに逃げ込むところだ。
しかし、今この状況でそんなことをしていることがバレたらどうなるかわからない。最悪首が飛ぶかもしれない。
だからこそ、赤色の毒あふれるこの山で、私は不本意ながら見張りと言う責務を全うしていた。
ところがその日はいつもと違った。
風に揺れる木の葉の中に、ほんのわずかな違和感を感じたのだ。
気になって注視すると、そこには動く小さな人影があった。
我々白狼天狗はみな見張りの領域がしっかり割り振られており、互いがかち合うことはない。
つまり、侵入者ということだ。
しかし、かといって敵かといわれればまだわからない。
この妖怪の山が我々天狗の領域であることは周知の事実なのだが、まれに知識に疎いものが誤って進入してしまうケースもある。
それによく見れば、侵入者らしきものの足取りは若干不安定にフラついていた。
その足取りは、幼子のように危うくも見えたし、踊り子のように軽やかにも見えた。
一瞬不思議に思ったが、このときの私はそれを前者と断じた。
つまり何も知らぬものが誤って入ってしまっただけだろうと思ったのだ。
『止まれ、ここは我々天狗の領域だ。部外者が立ち入ることは許さない』
木の上から飛び降り、侵入者の前に立って警告する。
大抵の手合いはこういえば多少ごねられることもあるが引き下がる。
もし引き下がらないようなら、剣を抜いて武力行使に移らなければならない。
しかし、警告を受けて驚きに染まった侵入者の顔を見て、やはり何も知らなかっただけなのだと確信した。
『あら、折角こんなにきれいなのに、ケチなのね』
口の前に手をかざして、くるりと一回転しながらの回答。
子供のような体躯に似合わない、どこかゆとりのある動作。
改めて見やると、その侵入者の格好はこの場においてあまりに奇抜だった。
黒いフリルのついた黄色のシャツに、これまた黒いブーツ。
黒い帽子から肩まで伸びるのは、少し癖のある緑がかった銀髪。
端々の黒色が、やけに気になる不思議な格好だった。
何より目を引くのが、左胸の位置にある謎の青い球体から全身に伸びる管のような何か。
ぱっと見の印象はお転婆お嬢様と言った感じだが、格好の端々が黒だからだろうか、それとも謎の管のせいだろうか。若干の暗さ、不穏さを纏って見えた。
間違いなく人間じゃない。ゆえに子供のような外見はあてにならない。
むしろ妖怪において子供の外見と言うのは、理性が欠けていることの象徴である場合もある。
『聞かないというなら、力ずくでも帰ってもらうが』
腰の剣に手を当てて二回目の警告。
しかし言い終わると同時に、戦慄が背骨を駆け昇る。
――何故こんなに近づかれるまで、気づかなかったのか、と。
自慢じゃないが、私は目の良さにはかなりの自信がある。
それこそ今の位置からなら、妖怪の山の入り口付近に立つものがいれば見逃さないほどには。
なのにどうだ。私がこいつに明確に気付いたのは後数歩で接敵と言うところまで近づかれてからだ。
この状況で思いつく可能性は2つ
瞬間移動か何かで、「いきなりここに現れた」か、「私に気づかれずにここまで登ってきた」か。
どちらにせよ只者ではないし、何より計画性がある。
偶然ではなく意図的にこいつはここに侵入したのだと、この状況が語っていた。
『うーん、いつもはなんにも言われないんだけどなぁ』
ここに入るのは初めてではないと言外に語る侵入者をにらみ、最大限に警戒をする。
『そうか、運が悪かったな。次からは私が非番の時に来ることだ』
『それっていつなの?』
『二度と来るなと言う意味だよ。分かったら去れ』
『勝負しようよ、お姉さん』
『あ?』
『勝てば通してくれるんでしょ?この間の人間さんみたいに』
どうやら先日の神社騒動を知っているらしい。もしかしてその時も近くにいたのだろうか。
常識が通用する相手ではないらしいと再認識。こうなると変に相手の能力について考えるのは逆効果だ。
『いいだろう。受けて立つ。私が勝ったら二度と来るな』
『うん、私が覚えている間は来ないって約束する』
私の能力は見張り向きであっても戦闘向きではない。相手の能力が完全にはわからないこの状況では、命名決闘の提案は私にとってありがたかった。
もしも話が通じない相手だったなら、恥も外聞もなく上司の烏天狗に助けを求めるしかなかっただろうから。
しかしながらこの時点で、私はこの少女に対する警戒を多少緩めてしまっていた。
言動からは自分勝手というかマイペースな性格がにじみ出ているが、少なくとも悪意や害意を感じない。
若干引っかかる物言いだが、おそらく私が勝てば約束通りここには来ないだろう。
自然とそう思えた。
だからこそ特に警告を重ねず、私は空へ飛びあがった。
『わあ、きれい。こんな景色を独り占めなんて、やっぱりズルい』
『そんなにいいものじゃない。少なくとも私は好きじゃないな』
『美意識がないのね』
『美意識じゃ飯は食えんからな』
いつもは侵入者とこんな軽口を交わしたりはしないのだが、この時は若干口が軽くなっていた。
それがなぜかは、今になってもわからない。
そうして始まった命名決闘。私の役割は回避側。
一般的にはスペルカードルールや弾幕ごっこと呼ばれるそれは、弾幕を張る側と回避する側に分かれて行われる。
弾幕を張る側は相手がよけられないように弾幕を撃ち、回避側はそれを避ける。
不文律として、弾幕を張る側は、「回避側がどう頑張ってもよけられない弾幕を張ってはいけない」と言うものがある。
なので、弾幕を張る側は相手が避けにくい難解な弾幕を張る。回避側はあるはずの抜け道を必死で探す。
それが命名決闘である。そう思っていた。
この景色を見るまでは。
秋空に不規則に舞う弾幕は、その一つ一つが花びらの様で。
その中心で目を閉じて佇む彼女は女神に祈る巫女の様で。
今まで見飽きたとばかり思っていた眼下の紅色は、この時ばかりは鮮やかに燃える炎の様だった。
一見不釣り合いに見えるその炎は、彼女が散らす花びらたちを、優しく激しく彩っていた。
それが、どうしてだかとても綺麗に見えて、思わず目を奪われた。気づけば動きを止めていた。
当然そんな状態で相手の弾幕を避けられるわけもなく、どでっ腹に直撃を食らった。
「相手に避け方がわからないような難解な弾幕を撃つ」以外にも、勝つ方法があるのだと、私はその時彼女に教わった。
うずくまる私を背に、『ふふん、私の勝ちね』と自慢げに一回転しながら去っていく彼女。
そう言えば名前も知らないと気づいたのは、それから少し後の事だ。
聞いておきたかったけれど、千里を見通す私の両目をもってなお、木々の隙間に消えた彼女を見つけることはできなかった。
肌の奥まで突き刺さるような寒風が、ヒューと音を立てて吹きすさぶ。
本格的な冬の到来を予期させるそれに昼寝を邪魔されるのは、いったい何度目の事か。
寒さ耐性にはそこそこ自信があるが、さすがに枯れ木の上で昼寝と言うのは冬をなめていたか。
それに冬は木々が視界を遮ってくれないから、昼寝をするとバレることが多い。
そろそろ場所を木の下に移すべきだと頭の隅で結論付け、先の夢について考える。
結局季節を一つ跨いだ今となっても、彼女と再び会うことはなかった。
勝ったのに律儀に約束を守ったのだろうか。それとも私に気付かれずに侵入を続けているのか。
見張りとしては前者を願うべきだろうが、半分くらいは後者を願っている私もいた。
その思いは、少しの恐怖と一緒に心臓の近くにずっとあって。
何かほんの少しのきっかけがあれば、突風のようにあの時の花吹雪が吹きすさぶ。
世界を彩る魔法のように、逃れられない呪いのように。
「……冬ってのはもう少し、静かで寒い季節だったと思うんだがなぁ」
寒風に乗せてため息一つ。
口から広がる薄白い吐息が、ちょうど私の心情を表しているようだった。
私は何を望んでいるのだろうか。
彼女に再び会うことだろうか。
今度こそ彼女に勝つことだろうか。
あの景色を再び見ることだろうか。
わからない。でも忘れられない。
「……まあ、考えても仕方ないか」
そして、何度目かのその結論にたどり着く。
毎日のように物思いにふけっても、終着点は同じ。だってしょうがない。わからんものはわからんし、わかったところであいつが現れるわけでもない。
そしてまた明日、寝て起きたら同じようなことを考えて、同じような結論にたどり着くのだ。
同じ道を周りに周って、一歩たりとも進まない。抜け出せない。
そのもどかしさを、秋からずっと私は抱えていた。
「悩みなんてガラじゃないんだがなぁ……」
木に背中を預けて、青空を見やる。
私の吐息をそのまま濃くしたような雲たちが、いくつか浮かんでいた。
それと同時に、こちらに向かって飛んでくる小さな人影をとらえる。
その人影が誰だか分かった瞬間、走ったのはひらめきと嫌悪感。
数秒の葛藤の末、その人影が目指しているであろう場所に先回りすることを決意した。
「おや、待ち伏せとは。私は侵入者じゃないんだけどねぇ」
白いシャツに黒いスカート。
肩にも届かない黒髪の上には、動物のしっぽを束ねたみたいな飾りが両側についた赤い飾り物がちょこんと乗っている。
背中に見える小さな黒い双翼は、烏天狗の証。性格とは裏腹に、きれいに白黒別れた格好のこいつが、私の嫌悪感の根源、烏天狗の射命丸文である。
烏天狗と言うのは私のいわゆる上司にあたる存在で、基本的に私たち白狼天狗は命令されたら従わなければならない。
そのため口には出さないものの、烏天狗の存在を快く思っていない白狼天狗は多い。
だが、私のこいつに対するそれは、少しだけ特別だ。
「もしや、何か異変でも?」
「いえ、そういったことではありません。お聞きしたいことがありまして」
さっさと用件を片付けるべく、会話を進める。
要件と言うのはほかでもない。
私の悩みの元凶である名前も知らない彼女の情報を教えてもらいに来たのだ。
と言うのも、こいつは仕事として新聞記者をやっており、幻想郷最速を謳うその翼で、日夜記事のネタを集めるために東奔西走しているという話だ。
だからこそ、あの妖怪少女のことも何か知っているかもしれないと思ったのだ。
あまり頼りたくない相手だが、背に腹は代えられない。
「ほほう!珍しいじゃない。貴方が私を頼るなんて。で、何の用?」
「とある妖怪を探していまして、情報を教えていただければ、と」
「ほう?」
顎に右手を当てて、期待するように返答する彼女。
「子供みたいな外見で、髪は緑がかった銀髪。心臓の位置に妙な球状の器官があって、そこから管の様なものが生えていたのが特徴です。心当たりがあれば教えて頂きたく」
「ふむ」
少し俯きつつ、考える仕草を見せる。
瞬き一回ほどの沈黙の後その顔がこちらに向き直る。
「その妖怪とはどういう関係なのよ」
「この間、非番の時にその妖怪と弾幕ごっこをしまして、見事に負かされたので、なんとかリベンジを、と」
あの日の事を知っているのは、実は私だけだ。本来侵入を許した時点で報告すべきなのだが、結果として私はそれをしていない。
理由は三つある。
一つ、すでにあの妖怪少女を捕捉することは不可能な状態であり、その状況をありのまま報告しても負けて通した私の立場が悪くなるだけ。
二つ、彼女からはこの山で悪さをしようという思いは感じられず、放置しても致命的な問題は起きない可能性が高い。
三つ、これが一番比率が高いが、彼女は口ぶりから何度もここに侵入しており、なれば今回侵入を許した私だけが悪いわけではない。だのに報告してしまえば、まるで私だけの責任の様にされてしまうだろう。それが気にくわない。
本来他のものが気づかないことに気づいた私は、むしろ褒められるべきだというのに。
以上の理由から口を噤んだ。
なのでここで、まさか負けて侵入を許しましたなどというわけにもいかないと、予め考えていた返答を返す。
嘘は多少しか入っていない。問題はこれがこいつに通じるかどうか。
「ほほ~う?貴方がそんなに勝負ごとにムキなるなんて、意外ねぇ?」
探るような言葉、射貫くような視線。確実に怪しまれている。
がしかし、たとえ胡散臭いと思っていても、真実にたどり着くことはできまい。
「……私だってそういうときくらいありますよ」
なれば後は強引に押し切るのみ。
向こうだって特に、私の頼みを無下にする理由はないはずだ。
「まあ、いいか。その妖怪だけどね、心当たりはあるよ。多少引っかかるけどね」
よし来た。どうやら情報を持っているらしい。嫌悪感を押し殺してここまで来た私の判断は正しかったのだ。
言い方からして確証を持っているわけではなさそうだが、まあそれでもこいつのことだ。的外れな情報は寄越すまい。
「でも、貴方には教えてあげな~い」
と、思っていたところにこれである。ニヤついた口元の前に人差し指を添えて、むかつく抑揚で告げられた。
思わず歯ぎしりしそうになった。
まさにこれだ。こいつのこういうところが、私はどうしても気に入らない。
人の真剣さをあざ笑うような振舞いに、どこか漂ううさん臭さ。
どれだけ言葉を投げても、それが芯に届かず霧散するような感覚を覚える独特の距離感。
私とてそれなりにこいつと言葉をかわしている。
故に、ただのいたずら心からの発言ではないと理解しているつもりだ。
こいつは真剣な顔して問われた質問をこんな悪ガキみたいなセリフでけむに巻くような奴ではない。
少なくとも欠片ほどの優しさは持っている奴だ、と思う。
だから、こいつなりに私に知られたくないと思う思考ロジックを経て、導き出された黙秘なのだろう。
だが、その言い方が気に食わない。黙秘するならただ一言、「訳あって言えない」といえばいい。
おそらく自分にヘイトを集めるようなこの言い方は、彼女なりの気遣いなのだろうが、私に言わせればそれはもう大きなお世話なのだ。
言葉は届かず、故に理解は叶わず、気遣いは毒になる。
悪い奴ではないとわかっていても、そんな奴をどう好きになれと言うのか。
合わない。致命的に噛み合わない。
だからこそ、こいつを頼りたくなかった。仮に情報が手に入ったとしても、私は不快な思いをしただろうから。
「そうですか。では、用はこれだけですので。失礼しました」
平静を装い会話を打ち切る。
知らないにしろ言えないにしろ、情報が手に入らないのではこれ以上は無駄話だ。
一礼をして踵を返す。
私のその対応に、一瞬言葉に詰まったような仕草を見せた彼女だが、私の後ろから言葉を投げてくることはしなかった。
結局私が得られたものは、宙ぶらりんの不快感だけだった。
それから数日ほど時間がたった。
あれから特に情報収集のようなことはしていない。
あいつが言えないというのであれば、それは他の天狗に聞いても同じことだろうと思ったからだ。
変わったことと言えば、いつもの悩みにほんの少し不快感がブレンドされただけだ。
そしてそれも、時間に薄まって消えていく。
もうそろそろあの日のことを思い出しても不快感がフラッシュバックしなくなった。
心は不思議だ。嫌なことも嬉しいことも、時間がたてば忘れるのに、どうしてかたまに、忘れられない時がある。
あの日の花吹雪は今だ鮮度を保ったまま、頭の隅っこを陣取っていた。
もしかしてこれは、一生消えないのか。
「おはよう、椛。見張りの仕事は暇そうね」
「……いいことじゃないですか?後、脅かさないでください」
聞きたくもない声がする
足音も、飛行音も着地音もなく背後から声を掛けられ、声を上げなかった自分をほめてやりたい。
思考に溺れ、どこか上の空だった意識が跳ね起きる。もしもこの行為に目覚ましの意味があるのなら、この上なく効果的だっただろう。
「ちゃんと仕事してるかと思ってね」
「……してますよ」
「ふぅん?」
「……何か御用ですか?」
こいつが向こうから話かけてくるのは珍しい。以前の神社騒動の時、取材だ何だとか言って博麗の巫女との決闘の詳細を聞かれたときくらいしか記憶にない。
今回は一体なんだというのか。
「先日の質問にお答えしようかと思いまして」
「話してあげないんじゃなかったんですか?」
「話してもよくなったからね」
「はい?」
さすがに意味が分からない。
分からないが、これはもしや情報が手に入るということだろうか。
急に手のひら返しをしたこいつの事情は知らないが、だとしたらこっちとしては大歓迎だ。
「まあ、教えていただけるならよいですけど」
「可愛くない返事ねぇ、もっと喜びを前面に押し出してもいいのよ」
「以後善処します」
「まあ、いいけどね。先に言っておくけど、私もわからないことが多いから、完璧に答えられるわけじゃない」
「中途半端にわかっている、と言うことですか?」
「そう、具体的には、種族と住居の予測よ」
「十分です」
なんだこいつも結局知らないのかと落胆しかけたが、ほぼ私のほしい情報はそろっている。
種族はともかく、住む場所がわかれば後は直接会いに行けばいいのだから。
と思ったが、その考えは一瞬にして霧散する。
他ならぬこいつが知らないのだ。であるならば、その住処は正確には特定が難しい場所にあるか――
「それじゃ、オホン、その妖怪ですが、種族は覚妖怪、住処は地底の最奥、『古明地さとり』の住む地霊殿である確率が高いです」
特定できても侵入、調査が難しい場所的、立場的条件があるかなのだから。
地霊殿、という単語は聞き覚えがないが、地底というものがどういう場所かくらいは知っている。
この幻想郷と言う楽園にすら、つまはじきにされた無法集団。
能力、性格などの凶悪さ、危険性から居場所を失った者たちのたまり場。
故に地上と地底で互いに不可侵を定めており、相互侵入は厳禁。
私も聞きかじったほどの知識しかないから、どれだけ正しいかは知らない。
しかし少なくとも、不可侵条約があったのは間違いない。
もしあの妖怪少女の住処がその地底なのなら、二つの事実が同時に確定する。
私からは会いに行けないことと、彼女は不可侵条約破って地上に来ていたこと。
お腹の真ん中で、扉が閉まるみたいな音がした。
「……どうして敬語になるんですか」
「職業病みたいなものよ、気にしないで頂戴」
現実逃避もかねて、どうにも引っかかった部分を訪ねてみた。
答えに少し、不意を突かれる。
こいつにも可愛げというか、血の通っている部分は存在するらしい。
まあ、だからと言ってやはり気に食わないことは変わらないが。
「古明地さとり、と言うのは?」
しかしながら、私の意識はすでに暗い穴の底にあった。
情報がわかっても接触を測れないならば無意味だ。
それどころか彼女が私以外に見つかれば、不可侵条約を破ったとして何らかの厳重な処罰が下されることだろう。
つまりもう、高い確率で二度と邂逅は叶わない。あの炎の中の花吹雪は、もう見ることができないのだ。
「地霊殿の主を務めている覚妖怪です。事実上地底のトップですね。今回の怨霊騒動の元凶となった八咫烏、霊烏路空の飼い主でもあります」
半ば適当に聞いた質問の答えも、右から左にすり抜けていく。
意識が霧みたいに薄く広がって、どこにあるのかわからなくなる。
「……怨霊騒動?」
ギリギリ、その言葉が引っかかった。
「おや、ご存じないのですか。まあ、そんなものかもしれませんね」
「何ですか、それ」
「先日、博麗神社付近から間欠泉から温泉と怨霊が湧き出るという異変がありましてね、解決するにあたり、私も一役買ったのですよ」
「はあ」
思わずでた生返事。
そんな騒動があったとは知らなかったが、それが何だというのか。
私はもうすでにこのことに関してこれ以上考えるのが億劫になってしまっていた。
すでに再会はほぼ不可能と言う結論が出てしまった時点で、思考はいかに素早くこいつとの会話を終わらせるかにシフトしつつある。
「話してもよくなったと言ったでしょう?あれにはこの怨霊騒動が関係しています」
「……どのように?」
「ズバっと核心を言うと、地上地底間の不可侵が事実上解除されました」
「えっ……」
吐息と一緒に声が出た。
その言葉を引き金に、やっと息ができるようになったみたいに頭が回り始める。
つまりこいつが一度情報を黙秘したのは、「不可侵条約を破ったものがいる」と認めてしまうことになるからで、そうでなくなった今、大手を振って話せるということなのだろう。
そう思ったが、しかし引っかかる。どちらかと言えばこいつは違反を取り締まる側にいてもおかしくない。
あそこで黙秘するということは、見方によっては違反したものをかばう行為だ。
まあ、私がこいつの立場だったならきっと同じことをしただろう、と言うのはある。
違反者がいると認めてしまえば、上に報告しなければならない。それはめんどくさいからだ。
しかし果たして、こいつは同じ理由だろうか。
「まあ、あなたが私のところに来た時点ですでに異変は解決していて、流れから考えてそうなるだろう、とは思っていましたが」
だったらあの時教えてくれてもいいじゃないかなんて言っても仕方ないのだろう。
こいつはこういう奴なのだから。
「それで、件の妖怪が地霊殿に住んでいる確率が高いというのは?」
「おそらくその妖怪も『覚妖怪』だからです。心臓の位置にある球体から伸びる管、という特徴が一致していますし、まず間違いないでしょう。しかし、古明地さとり本人とは若干齟齬が見られるように思います。なので、彼女の親族か何かでしょう。と言うか、椛は心を読まれたりしなかったので?」
「はい?心をですか?」
「覚妖怪は椛のいう球体、すなわち『第三の目』を用いて他者の心を読むことができます。事実、古明地さとりもそうでした」
「……心当たりがありませんね」
あの秋の日のことを思い返す。彼女の言動はとても私の心を読んでいるとは思えないものだった。
もしかして、覚妖怪とやらではないのか。もしくは、私が知らないだけで、あの日の心情はすべて彼女に筒抜けだったのか。
「ふむ、ならば今までの情報はあまり信憑性がないかもしれませんね。まあそれでも可能性は低くないと思いますが」
「いえ、十分です。ありがとうございました」
「リベンジとやら、せいぜい頑張ることね、それじゃ」
そう言って背中を向ける。
今回の件で、私は多少こいつのことを見直しつつあった。
と言うより、普段の一面がただの意地悪ではないと再確認したというべきか。
まあ、それでも苦手および気に食わないのは変わらないが、こいつと仲良くなる未来を、ほんの一瞬だけ想像してしまった。
「最後に一つ、聞いてもいいですか」
「何?」
「何故先日私が質問に伺ったとき、それをほかの天狗に報告しなかったんですか?あの時点では、彼女は違反者だったはずです」
だからだろうか、こんな質問をしてしまったのは。
だからだろうか、答えに少し、何かを期待しているのは。
「まあ、めんどくさかったというのもあるけど――
こちらに向き直って答える彼女。
不意に吹いたそよ風が、やけに優しく肌を撫でる。
「椛の友達なら、悪い妖怪じゃないだろうってね。まあスペルカードルールにも応じたみたいだし、放っておいてもいいだろうって」
続いた言葉に、ほんの一瞬、胸の中から重力が消える。
てっきり嫌われているとばかり、思っていたけれど。
こういうところも、かみ合わないことの一つなのかと思うと、妙に納得した。
射命丸から情報をもらった翌日、私は何日かぶりの非番を満喫していた。
例の覚妖怪を探しに行こうかとも思ったが、不可侵条約が解除された翌日にと言うのも少し気が引ける。
向こうがまだそのことを知らず突っかかられても厄介だし、最悪鬼と出くわすことも考えられる。
鬼と言うのはもともとこの妖怪の山を統治していた種族であり、相対すれば例え射命丸であっても頭が上がらないだろう。
できればもう少しほとぼりが冷めてから向かいたいところだ。
妖怪の山を流れる川の音を聞きながら、そんな風にのんきなことを考えていた。
しかし川の下流までたどり着いたところでふと妖怪の山を見上げると、そこには信じられない光景があった。
山の頂上付近の神社。
この神社は秋ごろに突然この位置に出現した神社で、祭ってある神様の名を冠して守屋神社と呼ばれる。
なんでも神様への信仰が薄れてきている外の世界を見限って、こちらに来たのだとか。
全く持ってはた迷惑な話だが、問題なのはそこではなく、その守屋神社付近の、上空。
見覚えのある紅白の巫女服と、これまた見覚えのある、ハート形の特徴的な弾幕。
弾幕に隠れていたのか、あるいは紅白巫女の陰になっていたのか、彼女の姿は見えなかったけれど、確信があった。
さらに注視すると、今度こそあの時の妖怪少女がそこにいた。
全く持って状況が理解できない。
がしかし、一つだけ直感が告げている。今あそこに乱入してはいけないと。
紅白巫女こと博麗霊夢が動いているということは、これは異変関係である可能性が高い。
しかもあれだけ騒いでいるのに天狗たちが手を出していないという事実がそれを確信に変える。
であれば、あそこに干渉すべきではない。騒がしいところには近寄らないのが、社会を生き抜くコツである。
しかし、この機会を逃す手もない。
どんな用事で地上に来たか知らないが、それが達成されれば山から下りてくるはずだ。
接触を図るのはその時でも十分遅くない。
そう思い戦況を見ていると、どうやら決着が着いたらしく双方が地上に降りる。
その後少しの間何らかの会話をしていたようで、守屋神社の住民たちも出てきていたが、それもすぐに終わって互いに帰路に着くようだ。
それぞれ違う方向に下山を始めた。巫女は飛び、妖怪少女は歩く。
私は彼女の下山ルートを先回りして鉢合わせるのを待つことにした。
何故だろうか、何も悪いことをしていないのに、妙な罪悪感がある。
そもそもどうして、私はこんなことをしているんだろうか。
彼女と会って、何をしたいんだろうか。
今の今まで、結局答えはわからなかった。
実は地底に行くのを先延ばしにしようとしていた理由の一つがこれだ。
この想いの正体が、わからない。
故に、どうすればこの妙なしこりのような悩みが消えるのかもわからない。
彼女が絡んでいるのは間違いないと思うのだが。
一番正解に近いと思っていた、「彼女の弾幕をもう一度見たい」というものも、ついさっきになって自信が持てなくなった。
だってそれは、もう達成されている。
博麗霊夢との命名決闘で彼女が選んだのは攻撃側。まあ、基本異変を起こした側は攻撃側を行うという風習があるので当然だが。
そこではあの日みたものと同じ弾幕が展開されていた。
でも、なぜかそれを見ても何も感じなかった。綺麗ではあっても、あの時のような衝撃はなかった。
知らず知らずのうちに、過去の光景を美化してしまったのか。あるいは視点や状況の違いが原因か。
「……あれ?あいつ、どこに行った!?」
思考にふけって、我に返って、はたと気づく。いつの間にか彼女を見失っていることに。
「くそ、忘れてた!」
そう言えばそうだった。彼女は何らかの方法でこちらの索敵をかいくぐって移動できる。
原理や能力は知らないが、あの日の出来事はそうとしか考えられない。
と言ってもすでに事態が収束した今、何故わざわざその能力を使うのか。
もしかして、気づかれたのか。
今までの経路から、彼女が通るであろう下山ルートの終点へたどり着く。
障害物のないここなら、さすがに近くを通ればわかるだろうと思うが、それも怪しい。
そしてもし私に気付いて能力を発動したのだとしたら、向こうに再会の意志はない。相手の能力を考えれば絶望的だ。
そしてその可能性は、最初の出会いが敵対的なそれだったため、決して低いとは思わない。
刻一刻と、時間が過ぎていく。
「……どうする?どうすれば――」
「何を悩んでいるの?」
「うわぁ!?」
心臓が飛び跳ねる。思わず腰が抜けそうになった。
声のしたほうを見やれば、秋ぶりの顔がそこにあったからだ
焦っていたとはいえ、それなりに周りを警戒していた。
だのに、この視界を遮るもののない場所で、そばまで近寄られてわからないのか。
「あははは、いい反応だね。あなたも山の天狗さん?こんなところにいていいの?」
あまりの衝撃にうまく状況が整理できない。
落ち着け。まずこいつは私があの時に出会った暫定さとり妖怪で間違いない。
見た目、声色、雰囲気、すべてあの時の物だ。
向こうから声をかけてきたということは、私は避けられているわけではない。
じゃあなんで姿を消したんだ。と言うか、こいつのさっきの言葉、何かおかしくなかったか?
まるで――
「お前、私のこと覚えてないのか?」
「あれ?私たちどこかで会ったっけ?でもごめんね。覚えてないや」
「……そう、か」
……瓜二つの別人、と言うことはないだろう。本当に忘れているようだ。
事実、それもあるかもしれないと一瞬考えた。季節を一つ跨いでいるし、向こうにとっては、私はただの一邪魔者でしかなかっただろうから。
私にとってはずっと悩みの種だった命名決闘も、彼女にとっては覚えていない程度の些事だったと言うこともあるかもと。
でもそれは、敵対的な反応をされる以上に、くる。
がっかりしたとも失望したとも違う脱力感。今までの私のしたことが、なんだか馬鹿みたいに見えて、膝から崩れ落ちそうになる。
「ねえ、ねえってば、さっきは何を悩んでたの?何か探してるみたいだったけど」
下を向いていた視界に、彼女が飛び込んできた。
私はその質問に答えられないまま、瞬き何回分か時間が過ぎる。
その間ずっと、彼女の両目はこちらを見ていた。
そしてふと、思い出す。そう言えば射命丸によれば彼女は覚り妖怪で、だとするなら私の心中は筒抜けなのではないか、と。
「私に聞かなくても、その第三の目とやらでわかるんじゃないのか」
「お姉ちゃんはそうだけど、私はわかんないの。閉じちゃったからね」
「お姉ちゃん?」
「そう、お姉ちゃん」
「お前の姉は心が読めるけど、お前は無理ってことか?」
「花丸大正解!心なんて読めても、いいことないしね」
急に声のテンションが上がる。射命丸とはまた別タイプの独特の空気感。
それはともかく、こいつが心を読めないという事実はありがたくもあり、残念でもあった。
私がどんな思いでここにいるか知られるのはとてつもなく嫌だが、少なくとも初対面ではないことは伝えられただろうから。
「なあ、名前、聞いてもいいか」
あの時聞き忘れた質問。しかしあの時の続きではない。
それがすごく、悔しい。
そう思っている私を他所に、彼女は人差し指を立てて「ちっちっち」と横に振る。
「駄目だよ天狗さん。人に名前を聞くときは自分から名乗らないとって、お姉ちゃんがくれた本に書いてあったんだから」
「なんだそりゃ、どんな本だ」
「適当に開いてそこだけ見たら飽きちゃったから、わかんない」
「なんだそりゃ、めちゃくちゃだなお前」
なんだそりゃ、としか言葉が出てこない。
会話をしているだけなのに、振り回されているような感覚だ。
秋にあったときはもうちょっと、知的な奴だと思ったものだが、思った以上に自由奔放の様だ。
「椛、犬走椛だ。普段はこの山の見張りをやっている」
ゴリ押される形で自己紹介。
対して彼女は「よくできました~」なんて拍手しながら上から目線だ。
なんだ、お前は私の親か何かなのか。もしくは私はお前のペットか何かなのか。
しかし、言動だけ見れば人の神経を逆なでするようなそれに、不思議と不快感はなかった。
「それじゃあ私の番だね。私は古明地こいし。山の神様のご利益がほしくて来たけど、巫女さんに負けちゃった。強いのね。最近の人間は」
「負けた割には楽しそうだな」
「だって、とっても楽しかったもの!勝敗なんてどうでもいいじゃない」
古明地こいし。射命丸が言っていた地底の主とやらが古明地さとりだったと思うから、こいつは本当にその親族だったと言うわけだ。
ようやく名前を聞けた私はしかし複雑な気分だった。
負けてなおテンションが上がるあたり、こいつは命名決闘が好きなのだろう。
であるならば、初対面の時のことも覚えていて欲しかったと思ってしまう。もちろんこれが私の傲慢だとわかっているが、理屈と感情は別問題だ。
「好きなんだな。弾幕ごっこが」
「うん。椛さんは?好きじゃないの?」
「あー、そうだな、最近よく分からん」
「えー、なにそれ。つまんないの」
少なくとも秋、こいしに会うまでは、特に好きでも嫌いでもなかったのだが。
「ところで探し物はもういいの?」
そう聞かれて、少し迷った。正直に言うか、適当に流すか。
「……いいんだよ、私はお前を探してたんだからな」
ごまかそうと思って、口を開いたはずだった。
でもそれは、喉を通るギリギリで別の言葉に変わっていた。
言った後、自分で少し驚いた。
そして、なんだかんだで、結構彼女に心を許していることに気が付く。
私の中ですでに「のんきで元気で生きてて楽しそうなやつ」という評価が固まりつつあったからだろうか。
あまり、駆け引きみたいなことをする気になれなかった。
「……私を?」
彼女が目を見開いてこちらを見る。本当に、意外そうに、口を少し開けたまま。
「ああ、初対面じゃないって言ったろう」
「……なんで?」
少し、言葉が尻すぼみになる。何かにすがるようなか細い声で、彼女は言った。
ずいぶんと、気分の忙しい奴だ。
「……あー、なんだ、わからん」
「ぶー、教えてくれたっていいじゃない」
「ごまかしたわけじゃないぞ、わからんもんはわからん」
「なによそれ」
彼女は一体どんな答えを望んでいたのか。
それはわからないが、少なくともこれではないだろう。
しかし本当の事なのだから仕方がない。
私の返答で少しへそを曲げたらしい彼女は、斜め下にそっぽを向いた
こんな一面もあるんだな、なんて思った。
彼女の楽以外の感情を、初めて感じた。
それがなんだか、とても似合わない気がして。
「……秋ごろ位にな、お前がこの山に来て、それを私が見つけて、勝ったら通してやるって、弾幕ごっこをしたんだよ」
言うまいと思っていたことをつい喋ってしまった。
不思議な奴だ。彼女相手だと、鍵をかけたはずの言葉が止まらない。
本人に悪意がないのがわかるからだろうか、なんというか、警戒できないのだ。
私が初めて会ったとき、何故こいつと無駄話をしてしまったのか、少しわかった。
「その時見たお前の弾幕が綺麗でな。もう一回見たいと思ったんだよ。……たぶん」
自分でもわからないが、おそらく一番近い答えはこれだろう。
不確定な上に気恥ずかしいから、絶対言いたくなかったけれど。
「あ……」
間抜けに開いた口をぶら下げて、吸い寄せられるみたいに視線を向けてきた彼女を見て、これでよかったかもしれないと思った。
「……たぶんって何よ」
「たぶんはたぶんだ。いまいち断言できんってことだ」
「てきとーなのね」
「自覚がないことはないが、お前に言われたくはない」
それから、彼女と色々話をした。
その話の中で、私は今まで彼女に抱いていた疑問をいくつか解決していく。
曰く、自分は人間の心の醜さに嫌気がさして第三の目を閉ざしたさとり妖怪モドキで、今心を読むことはできない。
その代わりに他人の意識の外(本人曰く無意識)に入り込むことができる。この状態の彼女は極端に知覚しづらい上、時々意図せずこの状態になる。
好きな飲み物は紅茶。地霊殿に帰るとよく姉が入れてくれるらしい。
一つ質問をするたび、五つ六つくらい余計な言葉を返してくる彼女との会話は案外楽しかった。
気づけば日は傾きオレンジ色に染まっていた。
「もうすぐ夜になるぞ。そろそろ帰らないとお前の姉さんも心配するんじゃないか?」
「心配するかなぁ?夜どころか一日中帰らないことも結構あるのに」
「何だお前、姉のこと好きじゃないのか?お姉ちゃんお姉ちゃん言ってたくせに」
「うちの家庭は複雑なのよ」
澄ました声で知った風なことを言う。それがほんの少しだけ無理をしていたように見えたのは気のせいだろうか。
「ねえ、言ったでしょう?私の弾幕が綺麗だったって、それってどのへんが?」
「あ?」
かと思えばこの話題の変わりよう。本当に好き勝手口を開く奴だ。
彼女にもし犬の散歩でもさせようものなら、この会話のようにあっちこっちフラフラする様子が目に浮かぶ。
そう言えば家でペットを飼っているらしいが、果たしてこいつにちゃんと世話ができているのだろうか。
「……季節外れの花びらみたいに見えた。まるで、命があるみたいだった、かな」
またしても素直に答えてしまった。
彼女の時折見え隠れする寂しそうな一面が、あるいはそうさせるのかもしれない。
「そっかぁ、でも、花びらだなんて変な人だね。私の弾幕、花びらじゃなくてハート型なのに」
「そういえばそうだな、まあ、半分に割れば花弁みたいなもんだろ」
「ひどい!本当に美意識のない人ね。聞いた私が馬鹿だった」
彼女の影響か、私もなんだかあまり思考をはさむことなく言葉が飛び出している気がする。
結果としてまた怒らせてしまったけれど、本気ではなかったようで、少ししたら、息が漏れる様に笑う彼女。
私も、それにつられて笑った。
「そうだ、忘れる所だった。こいし、私と勝負だ」
「どうしたのさいきなり」
「言っただろう。もう一度見たいんだよ」
「うーん」
顎に手を当てて唸る彼女。
確かに急と言えば急だったが、命名決闘が好きな彼女ならすぐに応じてくれるものと思っていたから、少し意外だ。
少しして顎から手を外して、明るい声で言う。
「やーだよ。椛さんの言う通り、もう遅いし、おうちに帰らないとね!」
返ってきたのは予想外の拒否。しかしそこに嫌悪の色はなく、ただ私を困らせたいだけのような返事だった。
「なんでだよ、いいだろ、減るもんじゃないし」
「今日はそんな気分じゃないのよ」
「真昼間に博麗の巫女相手に元気に勝負してたのはどこのどいつだ」
「とにかくもう今日はやらないったらやらないの。弾幕撃つのだって結構大変なんだよ?」
まあ、しかし、結局のところ本人がそういうならどうしようもない。
私も気分が乗らないを無理やり勝負の土俵に上げたいわけじゃない。
それに確かに、弾幕を撃つのは結構疲れる。私がどちらかと言えば回避側が好きな理由の一つもそれだし。
まあ、あくまでそれは私の話で、私より攻撃側に慣れているであろう彼女も同じかは怪しいが。
そこまで考えて、ふと一つ疑問に思う。
「そう言えば、お前はなんで回避側をやらないんだ?能力だってそっち向きじゃないのか」
思えばこいしは初対面の時も進んで攻撃側を選んだ。
今回にしたって風習があるとはいえ、やろうと思えば回避側をすることもできたはずだ。
回避側を選んで能力を活用してしまえば、もう相手からは知覚できない。
回避不能弾幕が禁じられている以上、こうなると相手はかなり不利だ。
「だって、そんなことをして勝ってもつまらないでしょう?かくれんぼしたのに誰も見つけてくれなくて、諦めてみんな帰っちゃっう、みたいな勝ち方だもの。それ」
本当につまらなそうにそういう彼女。
実感がこもって聞こえたそれは、実際に体験したことなのだろうか。
「だからお前は攻撃側が好きなんだな」
「それだけじゃないよ。弾幕を撃っていれば、相手が一生懸命私に向かってきてくれるんだもの」
オレンジ色の光が、彼女の表情を薄く照らす。
まるで夕日に恋焦がれるような瞳をこちらに向けて。
「それってすっごく、トキめくでしょう?」
今日一番真っすぐな声でそう言った。
聞くまでもなく本心なのだと確信できた。
弾幕勝負をそう捉えるのは、私にはなかった考え方だ。
気づけば瞬きも忘れそうになるくらい、ぼうっと彼女を見ていた。
その感覚は、初対面の時に感じたそれと、すごく似ている気がした。
「ねえ、また会いにきてもいい?」
「あ、ああ、でも普通の日に来られても相手できん。私が非番の時にしてくれ」
「二度と来るなって意味?」
「そういう意味じゃ……って!おい!!しっかり覚えてるじゃないか!そう言えば美意識がどうこう言ってた時もだ!お前、私を騙したのか!?」
「あはははははは、忘れてたのは本当だけど、途中から思い出していたのでした」
「だったら言えよ!こっちは割と凹んだんだからな!」
「それじゃさよなら!楽しかったよ!またね、椛さん」
「おい、待て、逃げるんじゃない!」
けらけらと笑いながら地底とつながる大穴に向けて駆け出すこいし。
終始笑顔だったはずなのに、この時初めて彼女の笑い声を聞いた気がした。
彼女がいなくなって、代わりに現れた少しの寂しさと一緒に、私は沈む夕日をぼうっと見ていた。
それから時々、こいしは妖怪の山に遊びに来るようになった。
まあ、見張りの仕事があるので毎回相手にできたわけではないが、それでも会うたびに多少の雑談はする。
そしてたまに非番の日と重なったときには、一緒に遊ぶこともあった。
私が妖怪の山を(部外者に見せていい範囲で)案内したり、彼女に地底をあちこち連れまわされたり。
彼女といると、自分が今まで過ごしてきた日常がいかに静かで平穏だったかを思い知る。
とにかくこいしは騒がしかった。結局いまだに会ってはいないが、彼女の姉は大層苦労していることだろう。
そうして遊びが終わった後には、決まって私が彼女に勝負を申し込む。
ところが毎回適当な理由をつけて断られるのが通例だった。
気分が悪いとかお腹が痛いとか、どれも口からでまがせを言っているようにしか見えなかったが、本人が言う以上仕方がない。
何度言っても断られるから、そのうち私も勝負しろとは言わなくなっていった。
それに不思議なことに、あれだけ私の頭を悩ませていたあの光景は、最近ではほとんど思い出さなくなった。
やはり時間がたてば薄れるものだったのだろうか。
もしくは思い出そうとすると彼女の元気でうるさい声が頭に響くようになったからか。
最近では昼寝をしようと空を見上げると、あの花吹雪ではなく彼女の顔が見えるようになった。
私が空に浮かべるその顔は、普段の彼女と違っていつも寂しそうで。
それがどうしてかは私にもわからない。
「……はぁ、なんで夏なんて季節があるんだろうなぁ……」
雲の一つすら寄せ付けぬ太陽の光が、木の葉の緑を貫いて私に刺さる。
夏、それは私が一番嫌いな季節である。理由は主に二つ。
一つ目、私は寒さ耐性はあると言ったが、それはつまり暑さ耐性がないことを意味する。
この二つを兼ね備えている者など、この世には存在しない。
二つ目、夏は虫たちが活発になる時期である。昼は蝉、夜は鈴虫がとにかくうるさい。
暑さと合わせて、昼寝もできなければ夜も寝苦しい。
故に私は夏が嫌いだ。
こいしと人里に行ったときに聞いた話だが、寺子屋と呼ばれる人間の教育機関には「夏は暑いから」という理由で夏休みという制度があるらしい。
うちにも導入してほしいものだと切に思う。
まあ、今日に限っては非番なのでよしとするが。
さて、普段ならば非番の時は少しでも暑さを和らげるため妖怪の山名物の大きな滝のそばでのんびりしているのだが、今日の私には目的があった。
それは、古明地こいしの捜索である。
今まで一週間に一度くらいの頻度で遊びに来ていた彼女だが、ここ二週間ほど姿を見ていない。
何かあったのかと少し心配だし、そろそろ不可侵条約解除も知れ渡ったことだろう。
少し前にあった空飛ぶ船騒動も、聞けば地底の妖怪が絡んでいたという話だった。
そういう事情もあり、私から彼女に会いにいくいい機会だろうと思っていた。
しかし、結果として私は地底へ向かうことはなかった。
理由は単純で、その前に彼女を発見したからである。
場所は、人里を超えて、博麗神社へ続く石段のふもと。その上空。
いつかの白黒魔法使いと、弾幕ごっこに興じているようだった。案の定、彼女は攻撃側。
さすがにそこまで遠いと正確な状況まではわからなかったので推測だが、軍配が上がったのは白黒魔法使いのほうらしかった。
勝負が終わって地面に着地してからは、遮蔽物が多く状況を確認することはできなかった。
しかし、その後魔法使いのほうだけが神社へ飛びあがったところを見ると、彼女は別のところへ行ったらしい。
「あのちんちくりんにあそこから動かないことを期待するのは無謀だよなぁ……」
一度彼女を見失うと、再補足は難しい。
半ばやけくそ気味に弾幕ごっこがあった地点へ向かう。
もしかしたらここでいつもみたいに待っていたほうが会える確率は高かったかもしれない。
でも、たまには私から会いに行こうなんて思ったんだ。鬼ごっこに付き合ってやるのもまあ悪くないだろう。
そう思って彼女の足取りを何とか追おうとするが、案の定すでに神社のふもとにはいない。
人里を探し回っても見つからない。入れ違いになったのかと妖怪の山を探してみても空振りだった。
そうこうしている内に日は峠を越えて沈み始めていた。
一日の中で最も暑いのは、太陽がてっぺんに上ったときじゃなくて、それから少し経った時。
ちょうど今みたいな時間帯だ。
さすがに暑くて疲れた私は、いったん妖怪の山の滝のそばで休息をとることにした。
滝のそばまで来ると、豪快な水の落下音と、対照的に優しげな流水音が涼しさを連れてくる。
湿り気のあるうざったい暑さから、ひんやりとしたこの空間へ踏み入る瞬間が、この季節唯一の私の楽しみだった。
しかしその快感は、すぐに驚きに上書きされることになる。
滝つぼの近くの大きな岩。私のお気に入りの場所のそばで、ぼうっと滝を見ている先客がいたのだ。
上から、黒い帽子、銀色の髪、黄色のシャツ、黒のスカート。
最近ではもう、見慣れた色彩。
「お前……何やってんだこんなところで?」
「……椛さん?どうしてここがわかったの?」
驚いて振り返る彼女。
でも、二週間ぶりに見た顔は、私が空に描いていた寂しそうな顔そのものだった。
川の流れの乗って、ひんやりとした風が吹く。
「いや、わかったというか、普通に涼みに来ただけなんだが」
「ああ、そうなんだ。また見張りのお仕事サボったの?」
「サボってない。今日は非番だ」
「へぇ」
「で、お前はなにやってたんだよ」
「知らない。気づいたらここにいたの」
「あ?どういうことだよ」
「前に言ったでしょう?私は無意識で行動できるの」
「ああ、いまいちよく分からんかったあれか」
彼女のそばの岩まで歩いて、それを背もたれ代わりに倒れこむ。
話してみると、受け答え自体はいつもと変わらないように感じる。
じゃあ、さっき感じた冷たさは何なのか、今なお感じるこの妙な静けさは何なのか
「ねえ、私を捕まえなくていいの?」
「は?何言ってんだお前」
「この山は天狗さんの領地なんでしょう?」
「ああ、なるほど」
確かにこの滝がある場所はすでに天狗の管轄だ。であれば彼女は侵入者にあたる。
普通なら、排除されるべきだろう。
「別にいいだろ」
「……いいんだ?」
「普段ならいざ知らず、今日は非番だ。なんでそんな時にまで仕事しなくちゃいけないんだめんどくさい」
「ふーん。怠け者なのね」
「お前とかくれんぼなんかしたくないんだよ」
もしも彼女を侵入者として扱うのなら、上に報告しなければならない。
特徴を正直に告げれば、すぐにこいしだとわかるだろう。ここ最近で、彼女はそこそこ地上に交流を持っているようだから。
そしてその後は侵入者もといこいしを探して山中を駆け回ることになるのだ。
はっきり言って馬鹿らしい。弾幕ごっこならいざ知らず、こいつに鬼ごっことかくれんぼで勝てる奴なんか想像できない。
「相変わらずだね。貴方は」
「なにがだよ」
「いっつも気ままで正直で、悩みなんてなさそうで」
「お前に言われたくはないし、私だって悩みくらいある」
「あはははは、そうだね。私も、貴方みたいになりたかったなぁ」
貴方みたいになりたかった。
それは私にとって全く予想外の言葉だった。
と言うか、こいつがそんな風に願い事を言うこと自体が意外だった。
古明地こいしと言う妖怪は、やりたいことがあれば何も考えずにそこに突っ走っていく奴だと思っていた。
そして、仮にそれで達成できなくても「まあいっか」と諦めてまた次の何かに興味を示す奴だと思っていた。
まるで手のひらから零れ落ちた願い事を憂うようなことを言う姿は、私がまだ知らなかった彼女の一面だった。
隣を見やると、そこには寂しそうな顔をした彼女がいて。
普段より少しだけ弱弱しいその横顔に、何か特別な言葉をかけなきゃいけない気がした。
「そうか。じゃあ今すぐ交代してくれ。私は目いっぱい自由を満喫するから、明日から山の見張りを頼む」
「もう、そういう意味じゃないよ。馬鹿」
けれど、口が勝手にいつも通りの言葉を紡いだ。
もっと気の利いた言葉はなかったのかとも思うけれど、どうもこいつの前だと、見栄を張ったりカッコつけたりしたいと思わない。
その理由が、最近少しだけわかった気がする。
こいつがいつも自然体だからだ。
私たちのように社会で生きていると、他者を前にして自然体ではいられなくなる。
好き勝手振舞うことは自分の立場を悪くする可能性があるし、どうしたって社会の中の決められた常識とか規則とかに縛られなくてはならない。
それはきっと、あの射命丸だって同じことだ。
ありのままの自分を他者の前でさらけ出せるのは、他者との関係と利害が直結しない子供のころだけだ。
そうでないなら、言葉に鍵を掛けなくてはいけない。
暴れまわる本心を押さえつけて、偽物の言葉で話さなくてはいけない。
好き嫌いでなく、利害で誰かと結びつくというのはそういうことだ。そして、社会とはそういうものだ。
まあ、射命丸からこいつの情報を聞き出した時を思い出すと、それも悪くないと思うのだが。
私の中で、古明地こいしはそういう意味では子供だった。
誰がどう見たってこんなの、生きるためには必要ない関係だ。
だから、今まで必死に抑えてきた本心に、子供の自分に、無意識のうちに言葉のバトンを渡してしまうのだ。
「なあ、お前から見た私ってどんなだ?」
今まで仕舞ってきた子供の私は、どんな奴なんだ。
「あ―言えばこう言う、偏屈な頑固者。猿山のガキ大将って感じ?」
「ハッ!そうかそうか。そいつは知らなかった」
予想以上に愉快な評価に思わず失笑。
自分の中にそんな一面があるなどと、欠片たりとも思ったことはなかった。
もしも、こいつの感性を信用するならば、なるほどそれを今まで仕舞ってきた私はなかなかの慧眼じゃないか。
「……でも、貴方と話していると、少し安心するんだ。不思議とね」
「不思議なもんか。つまるところ同レベルなんだよ。私たち」
「あははは、そうかも」
彼女が感じた安心感を、私も感じていた。
住処は遠く離れていて、きっとだけれど、生き方だって大きく違って、考え方だってそう。
でもだからこそ、私たちの間に競うものなんてない。この安心感は、そういうことなのだ。
こいつの前で見栄を張ってもしょうがないという投げやりとも言える心地よい温度と距離。
こんな関係も、あるんだな。
「ねえ、私ペットを飼ってるって言ったでしょう?」
「ああ、言っていたな。どうした?ついに逃げられたか?」
「……どうしてわかったの」
「……あー、スマン。冗談のつもりだったんだが」
「もう、調子狂うなぁ、椛さん」
「なるほどな、それで落ち込んでたのか」
「わかってたの?」
「まあ、なんとなく。落ち込んでますって顔に書いてあったからな」
「私ってそんなにわかりやすい?」
「さあ、猿山のガキ大将にもわかるくらいだ。そうなんじゃないか?」
「お姉ちゃんには真逆のことを言われたのになぁ」
「目ん玉三つとも節穴なんじゃないのか?お前の姉は」
「ぶふっ!真顔でそういうこと言わないでよ」
「まあ、でももし私が犬なら、お前のペットなんて願い下げだな」
「えー、どうしてよ。ひどい」
「毎日散歩に連れてってくれなそうだし、飯とかもうっかり忘れそうだ」
「散歩は放し飼いだから必要ないし、ご飯は私が忘れてもお姉ちゃんが用意してくれるよ」
「お前そういうとこだぞ」
「えー、駄目かな?」
「私なら確実にお前の姉のほうに寝返るね。と言うか、そんな適当に世話してたくせに、逃げられると落ち込こむのか」
「うん、私もね、こんなに落ち込むなんて思ってなかった。でも実際いなくなると、思った以上に寂しくてさ。ああ、私見捨てられちゃったんだなって。想像以上に、くるものだよ?それって」
「ふーん」
「うわー関心なさそー」
「別に関心がないわけじゃない。それ以外に言葉が出てこなかったんだ。気分を害したなら謝るが」
「ううん、別にいいよ」
「そうか」
滝の音をかき消す静けさが満ちる。
私はこいつのことを何も考えていない能天気な奴だと思っていたが、彼女は彼女なりに悩むところがあるらしい。
もしかして最近見かけなかったのは、そのことで傷心していたからなのか。
だとするなら、案外繊細な奴なのかもしれない。
「そういえばさ」
「何だ」
「最近、言ってくれなくなったよね」
「あん?」
「勝負しよ、ってやつ」
「ああ、そうだな。でもお前、言っても断るじゃないか」
「それは、そうだけどさ」
「何だよ、はっきりしないな。どうしたんだ」
「だって、断らないともう遊んでくれないのかなって、思ったから」
「は?なんだそりゃ」
「……やっぱりなんでもない」
そう言ってそっぽを向く彼女。
それっきり口を開かなくなって、少しの間沈黙が流れる。
こいつがはっきりしない態度をとるのは珍しい。と言うより初めてだ。
断らないと遊んでくれないと思ったとは、どういうことだろうか。
「……もしかしてお前、勝負に応じたら私が目的を果たすからもう愛想尽かされると思ったのか」
「……尽かす愛想もないくせに」
「図星かよ」
「……だって、私たちの接点なんて、それくらいしかないと思って、最初ただ、困らせたいだけだったけど、勝負の後どんな顔して会いに行けばいいのかなって思うと、怖くて」
絞り出すような声、この距離でなければ水の音に消されてしまっていただろう。
よく聞こえる様に彼女の方に顔と首を向ける。現在私は岩を背もたれにして足を伸ばしているから、立っている彼女を見るには、首を傾けると同時に少し上を向く必要がある。
その見上げた視点と、気恥ずかしそうに少し下を見ていた彼女の視線がピタリ重なる。
「そ、それに最近は勝負しようって言ってくれなかったから、もう興味ないのかなって、魔理沙さんに綺麗だったかきいても、「まあ、そうだな、だが私には叶わないぜ」としか言ってくれなかったから、なんだか自信もなくて」
私の顔を見るなり、ぶつける様に声を大きくしていく。そして最後には、また小さくなる。
それが、不謹慎にもすこし愉快に思えて、「ハッ、なんだそりゃ」と思わず声が出た。
やっぱりこいつは、素直な奴だと思う。
落ち込んでる時も気恥ずかしい時も、いつも通りの元気でうるさい時も、こいつはいつも、等身大の自然体でそこにいた。
無理に自分をごまかさないし、心にもないことは口にしない。
思えば、去年の秋、出会ったころからそうだった。
「案外めんどくさいんだな、お前」
「一言でまとめないでよ、馬鹿」
「と言うか、今日の博麗神社での弾幕ごっこはそういうことだったのか」
「……見てたの?変態、覗き魔」
「見てたんじゃない、見えたんだよ」
「ほんっと、あー言えばこー言う」
ようやくわかった。私が何故、こいしの弾幕に惹かれたのか。
こいつが、私にないものを持っていたからだ。
最初は、その見た目や言動から子供だと思った。
わがままで、何も知らないクソガキだと。
ところがどうだ、その弾幕は、何も知らぬもののそれではなく、わがままさは微塵もなく、ただ真っすぐな美しさだけがあった。
だからこそあんなにも驚いたし、思わず見とれたのだ。
私は、生きていくために嘘をつくことを学んだ。正確には、本心を隠すことを。
そして、うまく生きるにはそうするしかないのだと思っていた。
でも、こいしはそうじゃない答えを、持っている気がした。あの綺麗な弾幕に、そう言われた気がした。
きっとそれは、私が今更頑張っても届かない場所にある。
でもそうじゃない。変わりたいわけじゃなくて、ただそれを知りたかったんだ。
私が惹かれたのは弾幕じゃなくて、それを放ったこいしの方。
それはきっと、好きな絵本の続きのように、見えない虹の始まりのように。
マイペースと言うには繊細で、優しいというには無遠慮で、寂しがりと言うには元気な奴で。
そんな彼女は確かに、あの花吹雪の真ん中にいるのがよく似合う。
「悪かったよ、そんなに悩んでるとは知らなかった。それで「貴方みたいになりたかった」か。私はそんなに悩んでないように見えるか?」
「うん、見える」
「そうかよ。でもな、私たちの世界だって中々にめんどくさいんだぞ。地底や、お前に勝てるかどうかは知らんが、仮にもそんな中で生きてるんだ。私だって悩んだことくらいあるさ」
「へぇ、椛さんはどんなことで悩むの?」
「そうだなぁ……夏が嫌だとか見張りの仕事が退屈だとか色々あるが、目下最大の悩みは、『私はなんでお前と勝負がしたいのか』だな。ついさっきまでの話だが」
「え、なにそれ。私の弾幕が見たいからっていってたじゃない」
「たぶんって言ったろ」
「えー!何それずるい!そんなの聞いてない!」
「言ったぞ。……たぶん」
「聞いてないったら聞いてない!椛さんの嘘つき!」
「あー、はいはい悪かった悪かった。そんなに怒るなよ。それにな、ついさっきまでって言ったろ」
「聞いてない!」
「拗ねるなよ、なあ」
「……」
怒った顔と悲しい顔の真ん中で、だんまりを決め込むこいし。
「ん」の形になった口が、話すもんかと言う意思の固さを示している。
事ここに至り、私は配慮の足りなさを自覚した。
彼女からすれば、自分の悩みを根底からひっくり返された気分だっただろう。
私はこいしの弾幕を見たくて勝負を申し出ているという前提が崩れれば、彼女の悩みはとんだ空回りだ。
嘘つきと罵倒されるのも、仕方ないのかもしれない。
「機嫌直してくれよ」
「……」
「私が悪かったって」
「……」
口を開く気配なし。こんなに彼女が意固地なのは初めてだ。
それだけ、たくさん悩んだということなのだろうか。
相変わらず似合わない表情のまま、不満げにこちらをにらむばかり。
「あー、もういい。喋らなくていい。だから今度こそ聞け。いいか、一度しか言わないからな」
「……」
「ついさっきまで悩んでたって言っただろ。私がお前に勝負を挑む理由。ここでお前と話してて、わかったんだよ」
「……」
「簡単な話だ。私はな、お前のことが知りたかったんだよ」
「……」
「初めて会ったとき、私はお前のことをわがままなクソガキだと思った。でもお前の弾幕を見た後だと、どうしてもそう思えなかった。何故だかわかるか?」
「……」
「あそこに、あの花吹雪の中心に、お前の心がある気がしたんだ。そういう綺麗さに見えたんだよ。でもあの時点で私が知ってたのは、クソガキなお前だけだ。お前のどこかに、あの弾幕みたいな心があるのかって思ったら、忘れられなくなった。もっと知りたいと思ったんだよ」
「私の、こころ?」
「やっと喋ったか」
「ほんとうに?」
「ああ、ホントだ。今度こそたぶんじゃないぞ」
「そっか、閉ざしちゃったと思ったけど、そんなところにあったんだね」
万感を込めたような、その言葉の本当の意味を、私は知らない。
それでも、機嫌を直してくれたのだとわかるくらいに澄んだ表情を彼女はしていた。私にとってはそれで十分だった。
「さて、悩みも晴れたことだし、こいし、勝負だ。今度こそ逃がさないぞ」
「えー、せっかく感動したのに。今そんな気分じゃないんだけど」
「応じないのならいいさ、お前を侵入者として連行するだけだからな」
「うわっ!汚い!なんでよ!さっきは仕事なんかするもんかって言ってたでしょう!?」
「ハッ!大人ってのはな、自分に都合よく言葉を使うもんなんだよ」
「嘘つき!」
「嘘じゃない。気が変わったんだよ」
私の言動に食って掛かる彼女だが、それはいつの間にか笑い声に変わっていた。
私も、このやり取りがあまりに馬鹿らしすぎて、つられて笑う。
水の音が、優しく私たちを見守っていた。
「いいよ、見せてあげる」
「そう来なくっちゃな。よっこらしょっと」
立ち上がって、空へ飛び立つ。
「よっこらしょって、お姉ちゃんみたい」
「ああ、苦労してそうだもんな、お前の姉は」
岩場の陰になっているところから、一気に夏の青空に踏み出したためか、肌に照りつく太陽が、やけに眩しい。
「それじゃあ、いくよ、椛さん」
「来いよ。リベンジしてやる」
その言葉を合図に、命名決闘が始まる。
彼女が最初に宣言したのは、あの日と同じ名前の弾幕。
あの時の燃えるような紅葉は、もうここにはない。
代わりに炎天下の夏空が、放たれる花びら達を眩しく優しく彩っていた。
その中心で、あの日よりも嬉しそうにこいしが笑う。
赤い花みたいな、苛烈で優しい笑顔だった。
建前と本音を使い分ける腹の探り合いのような椛と文との会話が社会の中で振る舞うことの面倒くささや煩わしさを強調しているが故に、じゃれ合いのようなこいしとの会話で椛が心を許していることや彼女に惹かれる理由がよく分かって和みました。
一見奔放で何事にも無頓着に見えるけれどもその実とても繊細というこいしの性格も魅力的に描かれていたと思います。
弾幕の描写も見どころでした。特に前半のこいしとの弾幕ごっこはその決着まで含めて「美しさで競う」という弾幕ごっこの理念が表現されているようで良かったです。
作中では顔を合わせませんでしたがさとりが椛のことを知ったらどう反応するかな、というのも気になるところです。
文は思慮深いけれど(めったには)留まったりしなさそうだし、その辺のココロプロトコル違いに不躾と感じちゃうのかもね。そーいや肩肘張らない椛も、あー言えばこー言う椛も割りと珍しいなー
弾幕の美しさの表現が素敵でした。
楽しませて頂きました。