ピアニッシモ
-1-
「面白くないわよ。私の話なんて」
依神女苑は煙草を吹かしながら話をする。正面には記者姿の射命丸文がテーブルをはさんで座っていた。
文は人当たりのよさそうな笑顔で返事をする。
「なんでもいいですよ。最近の外の世界の様子とかでも」
女苑は煙草の灰を灰皿に落とす。
「みんな余裕がない感じ。夜遅くまで町は明るくて、いっつも駆け足で歩いて、馬鹿みたいに頭を下げて、死体みたいな眼をしてる。ほんと何のために賢くなったのかわからない」
「外の世界ではやりづらくなって、幻想郷にきたんですか」
「やりづらくはなかったわね。むしろあっちの方がやりやすかったかも。人間関係も薄くなってたから散財しても気づかれにくかった」
女苑は無表情で休みなく煙草を吸う。鏡があれば自分の表情が仕事に疲れた会社員の顔に似ていると自嘲していたことだろう。姉と離れてから少しずつ表情がなくなっていた。
「いっぱい騙したわ。私と姉さんで協力すれば堕ちないやつはいなかった」
「そういう人は最後はどうなるんですか?」
「お金が無くなったら離れるんだけど、立て直すやつもいるし、そのまま自殺するやつもいた」根元まで吸い切った煙草の先を灰皿でもみ消す。「そういえば一度頼まれて憑りついたことがあったわ。脅迫してくる奴がいるからそいつを破滅させてくれって」
文は前のめりになって話を聞こうとする。
「いい話じゃないですか。成功したんですか?」
「もちろん。けど依頼人は一週間後に交通事故で死んじゃった」
いうべき言葉が見つからず黙っている文の目の前で女苑は不穏な笑い声をあげる。意地の悪い魔女の笑い声だった。
「ほんと神様ってどこにいるのかしら?」
疫病神は自問する。
「堕とす神はここにいるのに。助けてくれる神様の少ないこと」
「……いますよ、ちゃんと。拾う神は見てくれてます」
「いるんだろうけど私は頼らない。自分の幸せは自分で掴まないと」
文は握っていたペンをテーブルに置く。表情は笑顔から真剣なものに上書きされていた。
「今のあなたは幸せですか?」
「さあ? 幸せかどうかなんて後にならなきゃわからない」
-2-
女苑の足元にボールが当たる。
「お姉さんすいません」
無言で女苑は子供にボールを渡した。無邪気な笑顔で礼を言うと駆け足で去っていった。
女苑は長椅子に座りながら茶を飲む。太陽も高く、穏やかな人里の中で行きかう人間を落ち着きなく目で追いかけていた。
「隣はよろしいか?」
唐突に声をかけられて顔を向くと少女が立っていた。人懐っこそうな笑顔で女苑を見つめている。
「ええ、どうぞ」
女苑の真横に少女が座る。幅が十分にある長椅子のはずなのにやたらと距離が近くて落ち着かなかった。
特に注文の気配もなく、少女は話しかけてきた。
「先ほどから歩く人を見ていたが、何かありましたか?」
「別に。趣味みたいなものよ」
「次に憑りつく財布とか?」
驚いた女苑は怪訝な顔で見つめ返す。少女は間近に顔を近づけて視界いっぱいに笑顔を向けてくるが、声は感情を押し殺したように落ち着いていた。
「この間の一件で懲りてないのか」
「何者よ?」
「物部布都と申す。場所を変えようか」
-3-
布都に案内されたのはとある食事処の個室だった。
「店員があんたの顔を見て緊張してたけど何かあったの?」
「この店には繋がりがあっての、多少は配慮してくれるんじゃ」
店員が女苑のコーヒーと布都のジュースをテーブルに並べる。一緒に置かれた灰皿を手近に引き寄せると女苑はすぐに煙草に火をつけた。
「で、何なのこの面接」
「お主にとって悪いことではないから楽にしてくれ」
「信用なんない」
女苑は大きく煙を吐き出す。灰皿に置いた煙草の根元は口紅で赤く色づいていた。
「我にも煙草をもらえるか?」
一瞬戸惑ったが自分の煙草と火を差し出す。大きく煙草を吸って、布都は盛大にむせこんだ。
「最近の煙草はきついの」
「で、なに」
女苑は不機嫌を隠そうとしなかった。布都は気にした様子もなく、飄々とした様子が対照的だった。
「いや、お主が外の世界でどうやってたのか気になっての」
「どんなことをしていたか? いちいち覚えてないわよ」
「人数とか、被害とか覚えてる範囲で良い」
この間の天狗のインタビューと同じだろうかと女苑はいぶかしんだ。あのインタビューで話した内容は予想通り記事にほとんど使われなかった。最後のほうに姉のコメントが載っていたことにいら立ちを覚えてその新聞はたき火に放り込んだ。
「なんの面接よ。ここで大掛かりな悪さを働く気はもうないわよ」
「いや、そっちではないんだが……」
どうも歯切れの悪い会話になっている。いらいらしていた女苑は鎌をかけてみた。
「ひょっとして、私のテクニックを見てみたいとか? 疫病神を目指してるの?」
布都の目は泳ぎ、自分の手元ばかり見ていた。
「ちょっと違うんじゃ。昔話になるが話したいことがあっての」
「なによ。はっきり言って」
「……我は昔、謀り事で一族全員を殺したんじゃ」
目をそらす布都とは対照的に、女苑はまっすぐと、しかし抜けた表情で布都を見ていた。
「どういうこと? 一族? 何人?」
「わかるだけでも十人は下らん。たぶんもっといる」
「どうやって?」
「政治に関わっていた一族なんだが、ほかの一族との対立を煽って権力争いになるように仕向けたんじゃ。負けた我の一族は全員死んだ」
さらに布都は語る。
元々布都は一族の主流派とは考え方の違いでそりが合わず孤立気味であった。さらに別の一族とも対立関係だったのを利用して、協力者に情報を渡し自分の一族が負けるように仕組んだ。そして時の権力者の庇護をうけて布都には地位が与えられた。
「要するに、出世のために身内を売ったのね。相当だわ」
「……否定はせん。けど、一族の中にいても我は死んだも同然だった。やりたいこともひた隠しにするしかなかった」布都の声はいつもよりも小さく、低かった。「事が済んだ後、後ろ指をさされることも多かったがそんなの屁でもない。それよりも皆が怨霊になって呪い殺しに来る方が怖かった」
両手で頭を抱えた布都の眼差しは感情の色を失っていて、限界ぎりぎりまで追い込まれた人間がよく見せる眼差しだと女苑は感じた。
だから、嘘ではないのだと女苑は確信した。
「けどよく上手くいったわね。途中で誰かに気づかれなかったの?」
「協力者のおかげで分かりにくかったのもあるが、一番の理由は一族の中で孤立気味だったからじゃ。みんな我を見なかったし、我を取るに足らぬ小娘だと思ってた。あんな事をするとは思ってなかったじゃろう」
ようやく布都は飲み物の残りを一気に飲み干した。飲み終わった後表情が少し軽くなったのを見て、ひょっとしてジュースではなくアルコールで割ったカクテルではないかと疑った。
「これが我じゃ。死神や疫病神と言われても仕方がないと思ってる」
一番言いたかったのはこれかと女苑は思った。だから疫病神である自分にいきなりこんな話をしてきたのだ。胸の奥にあったよどみを吐き出せる相手を探していたのだ。
残りを吸おうと灰皿の煙草に手を伸ばすがほとんど根元まで灰になっていた。
「まず言っとくけどあんたは疫病神ではないわ」
新しい煙草を取り出して火をつける。
「疫病神ってのは生き方よ。たくさんの人を不幸にしても後悔も反省もせず、次の獲物を探すのが疫病神。あんたはやってることを後悔してる。優しくて、まっとうな人間よ」
煙草の煙を吐き出す。布都の顔はあいまいな表情だったが子供のような純粋さが垣間見えた。
「そうなのかな」女苑に向けるのではなく泡がはじけるようにつぶやく。
「そうよ。あんたは疫病神に向いてない」
ぬるくなったコーヒーを飲む。
「けどさ、何か変だと思ってたんだけど、あんた普通の人間じゃないわよね? 魔法使い?」
「大体あってる。術で一度死んでよみがえったのじゃ。とある方のためにな」
「ふーん、ずいぶん忠誠心が強いことで……」
女苑は引っかかるものを感じて、言葉の端が曖昧に消えていった。
「ねえ。そのある人ってさっき言ってた協力者?」
「協力者というか、その方に仕えるために一族を敵に回したんじゃ」
「その人とは今も一緒にいるの?」
「いる」
一瞬だけ女苑は固まって、勢いよくコーヒーを飲み干した。
「なによ。しんみりして損した」
「は?」
「ただのノロケ話じゃない」
「なぜそうなる?」
「好きな人のために闘って、一緒になったんでしょ」
「間違ってはいないが、人を死なせて……」
勢いよく女苑は布都の鼻先にジュリ扇を突きつけた。布都は驚いて少しのけぞった。
「他人の幸せを願うなんて聖人のつもり? 自分の幸せすら掴めないやつが大勢いるのよ。あんたは闘って勝ち取った。それだけよ」
鞄をつかむと布都の顔を見ることなく部屋を後にした。やたらと早足で歩いていて、かなり不機嫌になっているんだなと気づいた。
自分は疫病神で懺悔を聞く聖職者でもないし、裁きを下す閻魔でもない。そして、聞き役でもない。いつも姉が聞き役になってくれた。
姉はいつも無気力で感情を表に出すことはなかったが、自分の話を聞いていてこんなに苛立つことはあったのだろうか。
そこまで考えて女苑は歩調を緩めた。
-4-
「お帰り」
豊聡耳神子は顔を上げずに布都に声をかける。
「ただいまです」
気になって神子の手元をのぞき込むと、オセロをやっていた。
「一人でオセロですか?」
「ああ、引き分けで終わらせるようにやってるんだ。布都はどこ行ってたの?」
「里で疫病神を見つけたのでちょっと話を」
会話の最中も神子は手を動かし続ける。
「ひょっとして昔の話?」
布都は苦笑する。
「隠し事はできませんね」
「当時から悩んでたのは知ってたから。けど、話の途中で怒って帰ったでしょ」
「ええ、ええ。おっしゃる通り」
「前も言ったけど、対立は避けられない状況だったんだ。布都が手を貸さなくても同じ結末になっていたと思う」
布都はじっとオセロを見つめる。引き分け狙いにしては白がかなりの優勢に見えた。
「……最近、里を歩く親子連れをよく見るんです。そんなことができる時代ではなかったですが、それができていたら我の決断は違っていたかもしれません」
神子は布都に黒のコマを渡し、指先で置く場所を指示した。指示された場所に置くと黒は広い範囲のコマをひっくり返し白と黒がほぼ同数になった。
「そうなったら、私はここまで来れてなかった。布都は何度も私と屠自古の背中を押してくれた。感謝しているんだよ」
「……ありがとうございます」
蘇我屠自古が布都の背後を通ろうとすると眉間にしわを寄せて布都の服に鼻先を近づける。
「物部、なんか匂うぞ」
「ああ、疫病神の煙草のにおいが移ったかな」
「たく、洗うから脱げ」
「わかった。わかったから、服を引っ張らないでくれ。自分で脱ぐ」
布都の叫び声が部屋に響き渡った。
-5-
命蓮寺に向かう道の途中で雲居一輪がベンチに座っていた。池を眺めながら何か食べている。
「何を食べとるんじゃ?」
布都に気づくと眠そうだった一輪の表情がパッと明るくなった。
「芋けんぴ。食べる?」
二人並んでポリポリと音を立てながら食べる。時折、横から雲山が手を伸ばして芋けんぴをつまんでいた。
「たまに食べると美味しいの」
「それ女苑が作ったの。作ろうとしたら教えてほしいって」
「あいつ料理ができたのか?」
「できないでしょうね。油が跳ねると叫んでたし」
布都は眉をひそめていぶかしげな表情になる。
「なんで作ったんだか」
「お姉さんに持っていくんじゃない? 出来上がったらすぐに持って行ったわ」
「姉は天人と一緒にいるんだっけの?」
「そうそう。しばらく会えてないんじゃない」
遠くから声が聞こえて振り向くと、幼い姉妹と母親らしき女性が命蓮寺に向かって歩いていた。姉妹は騒がしいくらい元気な様子で通り過ぎて行った。
布都は目を細めてその光景を見守った。
「姉と上手くいくといいの」
「そうね」
布都は芋けんぴを口にくわえる。そのシルエットは煙草を吸う姿と同じだった。
あなたが次にどんなものを書いて下さるか、楽しみです。
もっと長いお話で読みたいと思いました
神子様がオセロをしてるシーンがなんだかとても好きです。
1人でオセロやってる太子が妙に心に残りました
良い話でした
さっさと話を切り上げるための言葉だったとはいえ、布都の過去を前向きに捉えた女苑が興味深い。
女苑は自分の幸せを勝ち取れるのでしょうか?