Coolier - 新生・東方創想話

バスタブ・マーメイド

2018/05/27 01:11:03
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 私の部屋の浴槽に人魚が現れた。
 ちょうど、寝る前に飲むココアを温めていたときだった。

 自慢じゃないけれど、変なことなら人一倍に経験してきたと思ってる。サナトリウムにだって収容された。だけど、誰も居ないはずの浴室から歌が聞こえてきたときには、さすがに驚いてしまった。
 とても綺麗な歌声だった。夜空に銀色のペンで線を引くときみたいな繊細さがあった。私は中途半端な温かさのココアを持って浴室を覗いた。確かにお湯を抜いたはずの浴槽に、人魚がスッポリと収まっていた。人魚が貝殻の水着じゃなくて、緑色の和服を着ているのがひどく不思議だった。彼女が浸かる浴槽には、お湯の代わりに水が溜められてたようだった。そりゃあ、お湯だと熱いわよね、と私は妙な納得感を覚えた。

「こんばんは」

 私に気が付いた人魚は、歌うのをやめて微笑みかけてきた。せっかく挨拶をしてくれたのに、私はすぐ返事をせず、中途半端な温かさのココアを軽くすすった。動揺していたのだ。

「……えぇ、こんばんは」
「美味しそうね。とても甘い香りがする」

 浴槽の縁にもたれて、人魚が眠そうな顔で言った。尾ひれが水面から出て、チャプ、と音を立てた。彼女の尾ひれは、オーロラのようにひらひらと透き通っていた。子どもの頃に観た映画に、オーロラが映されていたのを思い出した。その映画が好きだったから、私はこの人魚のことを嫌いになれないな、と思った。

「一口、飲む?」
「ありがとう。いただくわ」

 ココアの入ったマグカップを手渡す。人魚は両手でマグカップを受け取り、そのまま口へと持っていった。

「とっても美味しい」
「それは良かった」

 人魚が喜んでくれて、私はホッとした。私が彼女からマグカップを受け取ると、人魚は自分の唇を親指でなぞって、ペロリと舐めた。

「アナタはどうしてここに居るの?」

 私は脱衣所のバスマットの上にしゃがんだ。人魚を見下ろしながら話すのが嫌だったのだ。私が屈んだことで、人魚との距離はずっと近くなった。

「私はどうしてここに居るの?」

 一瞬、小難しい哲学の話かと思った。だけど人魚は困った顔をしていたから、別に彼女はまどろっこしい存在論者というわけじゃなく、自分でも自分がここに居る理由が判らないのだと悟った。

「そう、困ったわね……」

 可哀相な人魚を見ながら、私は同情にもならない言葉を口にする。
 私が住む部屋は一人暮らし用だ。ルームシェアは認められていない。契約書の細かい文言は思い出せないけど、『人魚は例外とする』という但し書きは無かったと思う。

「でも、きっと何とかなるわよね。覚めない夢はないし、明けない夜もないのだから」
「前向きなのね。私がアナタなら、もっと取り乱していたかもしれない」
「人魚は前にしか進まないもの。脚なんて移り気なモノのある人間とは違ってね」

 彼女はそう呟くと、両手で掬った水で顔を洗い流す。小さく息を吐いた人魚は、また浴槽の縁に身体をもたれさせて、目を閉じたまま歌い出した。人魚の歌声は浴室の壁で跳ね返ることで、心地の良い残響を伴って私の鼓膜を震わせた。
 私は気持ちよさそうに歌う彼女の横顔を見ながら、何だか色んなことがどうでもよくなってくるのを感じていた。私が持つ常識とか、私を社会に紐づける規範とか、そういう肩ひじが張った考え方が、優しい歌声に溶けていくみたいだった。

 歌う。
 人魚が歌う。
 甘い旋律を、しっとりと紡いで。
 ピンク色のタイルに、声を染み込ませて。
 恋の歌。
 けっして成就しない、悲しい恋の歌。
 私は人魚だから。
 アナタは人間だから。
 私は陸に上がれないし、
 アナタは水底に降りられない。
 私の想いは泡になって、
 アナタの気持ちは過去になる。
 だけど、
 もしも、
 アナタが私を掬い上げれば。
 私がアナタを引きずり込めば。
 私は金魚鉢に捕らわれてもいいと、
 アナタは湖の底で骨になってもいいと、
 そう誓い合えれば、
 永遠なんていう言葉も、
 私たちのものにできるのに。


「――悲しい歌ね」

 コトン、とマグカップを床に置いて、ポツリ、そう呟く。
 私は目を閉じる。目蓋の裏には、残酷な運命に嘆きくれるふたりの影があった。チャプ、と水面が揺れる音がする。人魚が小さく含み笑いをした。そういえば私は、まだ彼女の名前も聞いていない。

「実らないから恋なのよ。実ってしまったら、愛だもの。花は綺麗でも、果実まで綺麗ではいられない。熟して、堕ちて、腐っていくだけ」
「ままならないものね」
「ままならないからこそ、歌にする意味があるの」

 うっとりと艶めかしく、人魚は言った。その含蓄ある言葉は彼女が大人だからか、人魚だからこそなのか、私には判らなかった。そしてまた、人魚がゆっくりと歌い始める。彼女の歌声を独り占めしているのは、悪いな、と思った。
 ……だけど、いったい誰に対して悪いのだろう?
 ふと胸中に波紋を落とした疑問は、答えを見出す間もなく、微睡みに混じって消えた。

 そして、そう、私は夢を見た。

 夢の中の私は、原初の海に揺蕩うイヴだった。漂うアミノ酸が必死になって生命を真似ようとしている様を、私はジッと見ていた。そこでは、私だけが私で、他に私を認識できるモノなんて何もなかった。私の隣に佇むアダムなんて、存在しなかった。まだ地球に、およそ生命と呼べる有機化合物が居ない時代。私は母になる前の海に包まれていた。

 これが夢だと判ったのは、プカプカと漂っていた私が、不意に網で掬われたからだった。私を掬ったのは、小さな船に乗ったコーカサスオオカブトの船長だった。彼はパクチーの香りがする紙煙草を吸いながら、網の中の私を真っ赤な亀の甲羅に放り込んだ。逆さになった甲羅の真ん中には、島があり、都市があり、文明があった。紋甲イカがたくさんのイワシを奴隷にして作り上げた、立派な街だった。

 私は街中に張り巡らされている水路を、笹の葉で出来た小舟で運ばれた。オールを握るのは、誰でもない人という名前のアンモナイトだった。誰でもない人は、ラピスラズリの飴玉を口の中で転がしながら、共産主義を讃える歌を歌っていた。私が民主主義の話をすると、彼は水路に飛び込んで溺死した。漕ぎ手を喪った笹の葉は燃え上がり、私は火の手から逃れるために川へ飛び込んだ。私の身体は水底を突き抜け、ガニメデの衛星軌道に乗った。私は首尾よくエウロパから飛んできた伝書鳩の背に乗って、ハレー彗星の上に建てられた病院に送られた。伝書鳩が私のおでこに貼った切手には、三百七十四円と書かれていた。

 病室のベッドに寝かされた私を、単眼症のロバが見舞いに来た。結婚を前提に清い交際を申し込まれたので、丁重に断った。ロバは私への愛を七言絶句にして書面にしたためると、隣のベッドで寝ていたヤツメウナギの眼をひとつひとつ愛撫した。私が七言絶句を読まずに破ると、切れ端からココアが流れ出た。

「……本当に、ままならない」

 そう呟いた途端、私は目を覚ました。

 私はパジャマのままバスマットの上で寝ていて、身体中がギシギシと強張っていた。ここが原初の海でも紋甲イカの都市でもハレー彗星でもなく、自分の部屋の脱衣所であることを今さらのように確認した私は、扉を開けっ放しにしていたお風呂場を見た。

 もちろん、そこには人魚なんて居なかった。浴槽は栓も空いたまま、すっかり乾燥していた。
 
 ――どこからが夢だったんだろう? 

 にわかに混乱する私が傍らのマグカップを見ると、確かに飲み残していたはずのココアが、空になっていた。
Miliさんの『Bathtub Mermaid』が好きなんです。
夏後冬前
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http://blog.livedoor.jp/kago_tozenn/
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コメント



0.460点簡易評価
3.100点優樹 削除
詩的で素敵ですね! メリーにはやっぱりこういうのが似合う
日常の中に現れる不思議に触れる秘封倶楽部は素敵ですね
4.90点奇声を発する程度の能力 削除
雰囲気も良くて素敵でした
6.100点怠惰流波 削除
幻想的でした。

素敵な取り合わせです。
7.100点名前が無い程度の能力 削除
美しくどこかぎくりとさせられる文章がとてもとても好みです
8.100点雪月楓 削除
幻想的な雰囲気がとても素晴らしかったです。
9.90点仲村アペンド 削除
とても綺麗なお話で素晴らしいです
10.100点南条 削除
面白かったです
突如現れた人魚と平気で戯れるメリーの適応力が高さに怯みました
結局どこからが夢だったのか
でもタグにメリーって書いてなかったら誰だかわからなかったです
11.90点kad 削除
綺麗な文章でした、ごちそう様です