Coolier - 新生・東方創想話

そのうたを口にしてはならぬ

2018/05/05 19:24:24
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「うん、やっぱり間違いないわ」
 よく晴れた昼下がりなのだが、鈴奈庵の中は背の高い本棚に日の光が遮られて少しばかり暗い。
 しかし一台の蓄音機がそんな貸本屋の店内とは雰囲気の異なる、明るい歌声を歌い出していた。
「これが今かかっている曲の歌詞ね。なるほどなるほど、じゃあ次の曲を、っと」
「小鈴。まだかかりそうなの?」
 まだ曲の途中というのに小鈴はレコードを蓄音機から取り出すと、次のレコードを設置にかかる。彼女の傍には幾十枚のレコードと数冊の本が重なっていた。
「ごめんごめん。もう少ししたら終わるから。ね?」
「まったく」
 悪気のない笑顔を浮かべる小鈴に阿求は退屈極まりないといった呆れ顔を浮かべた。
 先日「私の蓄音機の調子が悪いから、阿求の蓄音機を貸してほしい」と頼まれて鈴奈庵に持ってきたのだが、蓄音機が届くと小鈴は次から次へとレコードをかけては数冊の本を開いてばかりいる。どうやらレコードの曲の歌詞がその本たちの中にあるらしい。曲と歌詞が一致するのを確認しているのだが、とっくに一時間以上も阿求はほったらかしにされているのだ。
「そのレコードはどうしたの? 小鈴の店はレコードも扱うようになったのかしら」
「違うわよ。このレコードはおまけみたいなものよ。この本たちと一緒に持ち込まれたの」
 小鈴が手にしている本を阿求へと見せた。
 大分古びた本で文字がかすれている。小鈴の傍に重なっている本も同じようなものだろう。
 しかしそれが外の世界のものであるのは阿求にもすぐにわかった。
「外の世界のレコードと本を売りに来た人がいたと」
「そうそう。お金に困っているようだったわ。それで珍しい外の世界の曲と、その歌詞が書かれた本を売りに来たってわけ」
「その確認作業に私の蓄音機が使われてるわけね」
 はぁとため息一つ吐く阿求の顔はますます呆れたものになっていくばかりだ。
 そんな阿求の呆れ顔に構うことなく小鈴は「ふんふん」と鼻歌を鳴らしてご機嫌よくレコードの曲と本の歌詞の照合作業を続けていく。
 阿求はそれ以上は何も言わず小鈴の横顔を見つめて、早く小鈴が相手してくれるのを静かに待った。
 半時間ほどで全てのレコードの確認作業が終わった。
「よし! 確認完了っと。レコードにない歌詞もいっぱい載っていたわねぇ」
「はいはい、お疲れ様。ところでその本たちは大丈夫でしょうね?」
 満足げに背伸びをする小鈴にすっかり頭を机に載せた阿求が「退屈」と大きく書かれた顔を向ける。
 大丈夫、その意味は小鈴にはすぐに理解できた。
「大丈夫よ。この本たちにもレコードも妖気は感じられない。妖怪が関わっているような代物じゃないわ」
「小鈴はすぐ妖怪たちに利用されるからねぇ」
 ほったらかしにされた仕返しか意地の悪い笑みを浮かべる阿求に、小鈴の表情は不機嫌なものに早変わり。
「悪かったわね、いっぱい心配かけて。でもこの本たちから妖気が微塵も感じられないのは本当だから」
 ぷいっと顔をそむける小鈴に阿求はクスクスと笑いながらようやく頭を机から上げた。
(本当、感情が顔にすぐ出てかわいいんだから)
 その顔から「退屈」の文字が消えて、阿求は小鈴をからかうのを止めた。
「はいはい。悪かったわよ。それじゃあまたいつものように本を借りさせてもらうわ」
 立ち上がると阿求は確認作業の任を終えた蓄音機を手にしようと伸ばした。
 だが、その手に蓄音機が触れることはない。
 目の前で小鈴がひょいと持ち上げていた。
「え?」
「え?」
 二人の視線が合った。しばらく沈黙。
「もう、終わったのよね? だから私の蓄音機を返してほしいのだけど」
「まだ、終わってないけど? だから阿求の蓄音機を貸してほしいのだけど」
 二人はまたしばらく沈黙した。


 ※


 翌日。
 人里に歌声が響き渡る。
 人里の人妖たちは鈴奈庵の前を歩くとその足を緩めたり、止めたりしている。
 彼らの視線の先には鈴奈庵の入口に置かれた阿求の蓄音機が明るいリズムと歌声を鳴らしていた。
 聞き慣れない歌声と曲に人々は興味深げにその目を向け、幾人かはすっかり曲に耳を傾けていた。


「鈴奈庵から音楽が流れているんだが」
「どうやら外の世界のものらしいわ」
「小鈴ちゃんが自慢していたな」
「明るくて元気のある曲でいいじゃないか」
「夜雀と山彦たちの曲と比べるとずいぶん大人しいようだが」
「あれはうるさすぎるんだよ。息子たちはすっかり魅了されているんだが」
「この曲の歌詞が載っている本を貸し出しているみたいだが」
「ああ。確かこの前、そこの甘味屋の旦那が面白がって借りていったそうだぞ」


 人里のあちらこちらで小鈴のレコードの噂が流れていた。
 外の世界の音楽に人々は興味になっていて蓄音機から流れる曲も好評のようだ。
「つまり私の蓄音機は鈴奈庵の宣伝に利用されている、というわけね」
「えー。利用って言葉はちょっと言い過ぎでしょ」
 鈴奈庵の中。
 まさか自分の蓄音機がいつ返ってくるかわからないまま友人に貸さなければいけないことに呆れて頭の抱える阿求に、小鈴が満足げな笑顔で向かい合っていた。
「私も気をつけないとね。いつも小鈴に利用されるのだから」
「だから利用って言葉、気をつけなさいよ」
 ニコニコと笑っているのだが小鈴の声にはどこか意地の悪い感じが含まれている。昨日の仕返しだろうか。
(きっと最初から私の蓄音機が目当てだったのね。はぁ・・・・・・)
 心の奥でため息を吐いて阿求は抱えていた手を頭から下ろした。
「それで? 私の蓄音機を貸したのだから、ちゃんと宣伝の効果はあるの?」
「十分にね。だって普段外の世界の本の貸し出しって中々ないし」
「読んだところで文化的に幻想郷の人たちには理解出来ないところが多いからね」
「魔理沙さんがたまに借りていくくらいだから。でも音楽とその歌詞集となると異なってくる。だって耳で聞いて、目で文字を追って歌えばいいだけなんだから」
 ウィンクしてみせる小鈴に「意外と商売上手なところがあるのだから」と阿求がぼそりと呟く。
 実際にレコードの曲に引き込まれて、すでに二冊ほどの貸し出しがあったのだ。
 レコードの曲が評判のうちはまだまだ貸し出しは増えるだろう。
「それまで阿求の蓄音機は借りておくね」
「小鈴、誰かの性格が移っていないかしら?」
 入口の蓄音機にかけたレコードの曲が終わったことに気がつくと、小鈴は阿求に構わず次のレコードを取り出すと入口へと歩く。
 新しい曲を蓄音機にセットする。


 若く明るい 歌声に
 雪崩は消える 花も咲く
 青い山脈――


 蓄音機から流れる歌声に合わせて、歌詞を覚えた小鈴が元気よく歌う。


 ※


 人里に歌声が流れて一週間が過ぎた。
 小鈴の商売は成功と云えるだろう。何人かの客が鈴奈庵からあの歌詞集を借りていったのだ。レコードの曲の評判もまだ人里で続いている。
「こんなに上手くいくとは思わなかったわ。ふふ、しばらく貸し出しは続きそうね」
「それまで私の蓄音機はあんたにお預けなのよね」
 鈴奈庵近くの人里、甘味屋で小鈴と阿求はそれぞれあんみつを頬張っていた。
 自らの商売の評判のよさに小鈴の鼻は高い。
 得意げな小鈴に、その商売に無償で協力するはめになった阿求の顔は対照的に苦いものだった。
 遠くの鈴奈庵からレコードの曲が聞こえてくる。
「あ。阿求の蓄音機のおかげなのは忘れてないから。今日は私が奢ってあげるよ」
「当たり前でしょ。毎日のように小鈴に甘い物を奢ってもらおうかしら」
 鋭い視線から逸らすように小鈴は甘味屋の女将を呼び止めた。
「女将さん、そういえば旦那さんはどうしたの?」
「え?」
「いつも旦那さんもいるはずなのに姿がみえないから」
 ここの甘味屋はつい先日、鈴奈庵であの本を借りていった客の一人だ。ご主人が興味深げに一冊借りていったのだが、昨日本を返却に来たのはこの奥さんだった。
 貸し出した本の感想を聞こうと女将を呼び止めたのだが、女将の表情はすぐれない。
「どうしました?」
「それがね。主人は今寝込んでいますの」
「え?」
「体調が悪いのですか?」
 口を挟んだ阿求に女将は手を振った。
「いえ、それが階段から落ちちゃって。腰を強く打ったのよ。別に大丈夫なのだけど腰を痛めたせいでしばらく店に立てそうにないの」
「そうですか・・・・・・お気の毒に。お体にお気をつけてくださいと伝えて下さい」
 神妙な顔をして主人の体を気遣う小鈴に、女将は暗い空気を吹き消すように努めて明るい声でお礼を言った。
 その二人のやりとりをぼんやり見つめながら阿求は頭を働かせていた。
(・・・・・・どうも嫌な予感がするわ)
 遠くからレコードの明るい歌声が響いてくる。


 ハァ 踊り踊るなら
 チョイト 東京音頭
 ヨイヨイ


 ※


 それから一週間が過ぎた。


「甘味屋の主人、ようやく店に立てたんだとよ」
「腰を痛めたらしいな。無事ならよかった」
「階段から落ちたと聞いたわ。考え事でもしてたのかしら」
「そういえば鉱物の旦那も屋敷で怪我をしたらしい」
「なんでも飼っていた馬が暴れて、押さえようとして腕を痛めたらしいぞ」
「まぁ、大変ね。怪我には気をつけないと」


 さらに一週間。


「聞いたか? あそこの屋敷の奥さんが火傷したらしい」
「下女がうっかり料理をこぼしちまったと聞いたぞ」
「ここのところ怪我の話が絶えないな」
「俺も明日には怪我しちまわねぇかな」
「なんだか重苦しいねぇ」
「ここだけの話なんだが――鈴奈庵のあの曲が関係しているという噂だぞ」


 さらに一週間後。


「まただ。今度は花屋の娘が家の縁側から落ちて頭を打っただと」
「あそこはまだ赤ん坊なのに。大丈夫かしら?」
「どうやら赤ん坊は無事のようだ。だが、やっぱりそうだ」
「甘味屋も鉱物の旦那も、屋敷の奥さんも皆鈴奈庵からあの歌詞集の本を借りていったそうだ」
「あの本が呪われているという話は本当なの?」
「これだけ借りていった連中が怪我しているなら、間違いないのでは?」
「誰かがあの歌を聞いたら不幸になると言っていたぞ」
「花屋の娘はどうした? 赤ん坊が字を読める訳ないぞ」
「レコードも呪われているんじゃないか? 本と一緒に持ち込まれた」
「じゃあ曲を聴いていた奴は皆呪われるのか!?」
「そのうちもっと大怪我をして死人が出るかもしれないぞ!」
「冗談じゃない!」
「誰か、博麗の巫女を呼んでこいよ!」


 ※


「霊夢さぁーん」
「まったく。小鈴ちゃんには妖怪たちに利用されないように気をつけて、って言っていたじゃないの」
「こんなことになるなんて思ってもなかったですよー」
 小鈴がレコードを鳴らしてから一ヶ月が過ぎていた。
 人里の噂は膨れあがり好評は一転不評に。
 レコードの曲と歌詞集の呪いという噂を信じ切っている人々は鈴奈庵に押し寄せると、本の返却とレコードを流すのを止めるよう迫ったのだ。
 そして博麗の巫女、霊夢が呼ばれたのである。
 呆れた顔の霊夢の前で小鈴が上半身を机に突っ伏していた。
 思わぬ悪評を招いたこと、そして商売が失敗したことに衝撃を受けているらしい。高々だった鼻は完全にへし折られていた。
「それじゃあ私の蓄音機は返してもらうわね。下手に商売風呂敷を広げようとするから」
 その横で阿求がやっと自分の所有物が手元に返ってきたことに満足した顔を浮かべていた。
「阿求。まさかあんたが蓄音機を返してほしくて」
「あら。心外ね。私そんな無粋な真似はしないわよ」
「あー、はいはい。喧嘩はしない」
 バチバチと火花を散らしてにらみ合う二人の間を霊夢が取り持つ。
「まずはその本とレコードを持ち込んだ奴が何者かってところだな」
 霊夢たちから離れた本棚で本をパラパラとめくりながら魔理沙が話を進める。博麗神社で霊夢とお茶を飲んでいたところ、人里の話を聞いてついてきたのだった。
 魔理沙はパタンと本を閉じると小鈴の方へ近寄った。
「持ち込んだ人ね。うーん、確か結構汚い身なりをしてたわね。なんだかとにかくお金に困っているみたいで、早口でまくし立てられちゃった。レコードと本に妖気は感じなかったから、安値で買ったらすぐに出てちゃった」
「それで、そいつはどんな顔付きだった? 人間か? それとも妖怪か?」
「それが・・・・・・頭巾かなんかで顔を巻いていて。でもレコードと本に妖気――」
「よく見てなかったことでしょ。だから小鈴ちゃん、妖怪たちに利用されないように気をつけてって言っていたじゃないの」
 小鈴の言葉を霊夢が途中でぶった切る。その声に少々不満げな様子が隠し切れていない。
「ごめんなさーい!」
「まったく」
 小言を言い終えるとしょぼくれた小鈴を見下ろす。少しは懲りてくれただろうかと期待をして。
「霊夢。実際そのレコードと本には妖気が感じられるのか?」
 魔理沙の声に霊夢は「わかっているわよ」と積み上がったレコードと本を調べる。が、すぐに両手を振った。
「何も感じないわ。妖気なんて微塵も」
「そうか。じゃあ、レコードと本が呪われているという話は嘘で、ただの噂話なのか?」
「でも何人も怪我人が出ているわ。人里の人たちは次は自分が呪われるんじゃないかって恐怖している」
「となるとただの噂話じゃない」
 霊夢が視線を魔理沙から店の隅に移した。吊られて魔理沙、小鈴、阿求も顔を動かす。
 そこには一人の人物がイスに座って読書していた。
「なんじゃ? 儂は関わっていないぞ?」
「何も言っていないわ。これが都市伝説から来る異変だということ」
 余裕な笑みを浮かべたマミゾウが本を膝に下ろして鋭い霊夢の視線を向き合う。しかしマミゾウは笑みを浮かべたままだ。
「ついこの前『牛の首』で人里が大騒ぎしたわね。これもその都市伝説と同じってわけ」
「そうかそうか。そんなこともあったのぉ。あの時と同じように人里は恐怖に包まれておったな」
「白々しいわね」
「はて。なんのことかの?」
 平然を装うマミゾウに霊夢は鋭い視線を向けたままである。後ろでこの狸妖怪が関わっているのは薄々感じてはいたが、今は対立している時ではない。
「あんたは何か知っていないかしら? 外の世界マニアなんでしょう?」
 外の世界からやって来たマミゾウなら、この呪われた歌について何か心当たりがあるのではないか。
 霊夢はそう確信してマミゾウに訊ねたのだが。
「すまんが何もわからぬ。よいしょ・・・・・・儂はこのへんで失礼するぞ。無事に異変が解決出来るといいのぉ」
 マミゾウはそう言うとイスから立ち上がると本を棚に戻して入口へと歩き出す。
 ちらりと振り返ったマミゾウの目と霊夢の視線が合った。
 が、すぐにマミゾウは前へ向き直ると鈴奈庵を後にする。
 入口から出ていくマミゾウに「ありがとうございましたー」と元気がまるでない小鈴の声が追いかける。
「あいつの仕業じゃないのか?」
「違うみたいね。ま、あいつなりにどうかするんでしょう。私たちは私たちで原因を探るわよ」
「原因を探るって、どうするんだ?」
 魔理沙の問いかけに霊夢は視線をレコードと本の山に視線を向ける。
「まさか・・・・・・」
「片っ端から曲を聴いて、本を読みふけるしかないじゃない」
「うへぇー」
「ほら、魔理沙も手伝う。私は本を調べていくから、魔理沙はレコードをどんどんかけていって」
「しょうがないな。というわけだ」
 阿求の手から蓄音機が消える。
「え?」
「異変解決まで借りるぞ」
 簡単に言い終えると作業のように阿求の蓄音機を机に置くと、魔理沙はレコードを一枚かけていく。
「ちょ!? 私の蓄音機」
「くっくっくっ。蓄音機が返ってくるのはまだしばらくかかりそうね」
 またもや私物が無償で利用されることに阿求が愕然としていると小鈴が意地悪げな笑みを浮かべる。少しは元気が戻ったようだ。
「小鈴。あんたって本当に悪い根性してるわね」
「人の商売の失敗を喜ぶからよ」
 再びバチバチと火花を散らす二人。
 だがすぐに阿求が喧嘩腰を下ろした。
「はぁ。無事に解決が出来るといいけど」
「どうしたの? 弱気ね。霊夢さんと魔理沙さんがいるのだからきっと解決出来るじゃない」
 霊夢と魔理沙が異変解決に乗り出した今、怖い物がない小鈴の表情は徐々に明るくなってくる。
 しかし阿求は険しい顔をすると小鈴に顔を寄せた。
 小鈴の表情もまた曇ってくる。
「小鈴。幻想郷にはね、『人里の人間たちに手を出してはいけない』という妖怪たちのルールがあるの。この前の『牛の首』でも何人かの人間が脅かされただけで終わったわ。でも」
「・・・・・・怪我人が出ている」
「里の人間たちを怪我させるなんて、妖怪に成り立ての者が知らずに犯したか――それとも」
 阿求の言葉に小鈴はわずかに震えた。
 振り返ると霊夢と魔理沙は真剣な表情で本を読んでいき、レコードの曲に耳を傾けていた。
 阿求と同じ考えを二人が含んでいるのを小鈴ははっきりと知った。


 ※


「突然、お邪魔してすまなかったの。だが安心するがよい。その赤ん坊に邪気は籠もっておらぬ。頭の傷も大したこともない、元気に育つじゃろうて」
「あ、ありがとうございます。博麗の巫女の使いものが来ていただけるなんて。安心しました」
 鈴奈庵を後にしたマミゾウは花屋の家を訪れていた。
 博麗霊夢の使いのものと偽り、縁側から落ちたという赤ん坊と対面したのだ。
 赤ん坊の頭部の一部は赤紫色になっていたが、どうやら幸い脳に別状はないらしい。
 そのことは先ほど道ばたで捕まえた薬売りの妖怪兎から話を聞いた。人里で怪我が相次いで心配した寺子屋の教師が、竹林の月の頭脳と呼ばれている蓬莱人を呼んで怪我人を看て回ったという。人間たちに命に関わるような怪我をした者はいなかった。
 そしてマミゾウが確認したかったものは別にあった。
「それでは失礼するぞ」
 花屋の家を後にするとマミゾウは次の家へと歩き出す。
「甘味屋。鉱物の屋敷の旦那。屋敷の奥方・・・・・・怪我をしたという者たちには皆、妖気は感じられぬ。怪我をしたのは当人たちの不注意から起きたものじゃな」
 すでに人間たちに怪我を負わせたのは妖怪の仕業ではないことをマミゾウは知っていた。人間たちが日常生活で営む中で起こりえる怪我が続いたところで「その原因は本やレコードの呪い」という噂が人間たちを恐怖におとしたのだ。
 あの本とレコードも呪われている、つまり妖怪たちの手がかかっている代物でないことも。
 本やレコードは呪われてなどいない。
 しかし本の中にこの異変の原因はあることは、最初から知っていた。
「原因の調査はあの巫女にでもやらせておこう。言ってもよかったが、儂を『牛の首』の犯人扱いする罰じゃ。無駄骨を折ってもらおう」
 ホッホッホッと道ばたで大きく笑った後、
「調べないといけないのは、誰が鈴奈庵にあの本を持ち込み、そして呪われているという噂を流したかじゃな。問題はそこなんじゃが」
 頭をかいてからマミゾウは立ち止まる。
 向こうから一人の女性が風呂敷包みを持って歩いてきた。
 すれ違う刹那、短くぼそりと呟いた。
「そうか。ご苦労」
 女性が去って行くのを背中で感じながら、マミゾウはまた頭をかいた。
「子分たちに調べさせていたのだが、手がかりはなしか。しょうがないのぉ」
 子分の妖怪狸たちに人間に化けて噂の手どころを調べさせていたのだが、これといった情報はまるで入ってこない。
 トリックよりも犯人捜しの方が骨が折れるのだ。
「今は家を一軒一軒回るしかないの」
 そうしてマミゾウは怪我をしたという人間たちに会い、妖怪や呪いの仕業ではないことを伝え、少しずつ人間たちの恐怖を和らげていった。
 懇意にしている鈴奈庵の為でもあったが、自分が異変を起こすのが快感なのに比べて、他の妖怪たちの異変には上手くしてやられたというライバル意識を持っていたことの方が大きかった。
「さて。この異変を考え、起こした奴がどんな奴なのか。この目で見てみたいわい」


 ※


「ダメだ-、霊夢。耳が痛くなりそうだ」
「私も目がチカチカするわ」
 調査開始から二時間が経っていた。霊夢と魔理沙はすっかり疲れ切っていた。
 ひたすらに文字を追いかけて、流れてくる歌声を耳に入れていたのだが手がかりはまだ見つからない。
 妖気を感じないのだから本はただの本であり、レコードはただのレコードなのだ。不審な点など簡単には見つからない。
「本当に今回の異変にこのレコードやその本に原因があるのかしら?」
「怪我人が出てるし、その内死人が出るかもって言われているくらいだからね。でもそう簡単にはねぇ」
 霊夢は小鈴の問いに返事をしてから「あー!」と大きな声と共に背伸びをした。次から次へと本を読み進めて肩が凝ってきた。だが今のところ全て曲の歌詞しか書かれていない。
「すまん、ちょっと休憩させてくれ。頭が痛くなってきた」
 蓄音機の傍でずっと曲を聴いていた魔理沙も、頭を振って小鈴が出した水のグラスを一気に飲み干す。
 そんな魔理沙を横目に霊夢は次の本へと手を伸ばす。
 集中力がなくなってきたのか手にするとパラパラと適当にページをめくる。
「・・・・・・あら?」
「どうかしたのか?」
 霊夢の声に魔理沙がグラスを額に当てながら返事をする。グラスの冷たさが気持ちいいらしい。
「今まで読んだ本は歌の歌詞だったのだけど、この本はなんだか違うみたいね」
「その本ですか? たしかにその本だけレコードの曲に収められている歌詞はなくて。でも、同じ作者なので同じように貸し出していましたが」
 小鈴の言葉に霊夢は手にしている本と他の本の表紙を見比べる。
 確かに印字されている作者名は同じだ。
「ふーん、聞いたことのない名前だけどね。って、何これ。ずいぶん不気味ね」
「手がかりが見つかったか?」
 とあるページで手を止めた霊夢に魔理沙が駆け寄った。
 霊夢は眉を寄せたまま首を振った。
「何も妖気は感じないままよ。ただ今までの歌詞と違って気味が悪いだけ」
「どれどれ。ふむ、確かに気味が悪いな。ええと何々――」
 魔理沙が口に出そうとしたときだ。


「魔理沙さん、読むと死んでしまいますよ」


 ふと声が投げかけられた。
 鈴奈庵にいた四人の視線が入口へと向く。
 彼女はクスクスと品のある笑みを浮かべていた。
「なんだ、早苗か。って! お前、この異変の原因がわかるのか!?」
「ええ。知っていますよ。なので人里を救いにやって来たのです」
 早苗は小鈴に「お邪魔しますね」と頭を下げてからゆっくりと霊夢と魔理沙に近づく。
 幻想郷の外の世界に住んでいた早苗ならこの異変の原因は知っているのだろう。都市伝説異変で幻想郷が大騒ぎしたとき、早苗がその騒ぎの中に姿を見せなかったのが不思議なくらい外の世界のことに精通している。
「それにしても読んだら死ぬって」
 持ち込まれたとき全作品に目を通した小鈴の顔が青ざめる。小刻みに震える小鈴の肩へ阿求が「大丈夫?」と手を置いた。
 霊夢と魔理沙の目が真剣なものになる。
 ようやく飛び込んできた手がかりに食らいつこうとした。
「読むと死ぬっていうのはどういうことかしら?」
「読んだ私や霊夢は死ぬのか?」
 同時に早苗へ訊ねる霊夢と魔理沙に、早苗は笑いながら首を振った。
 その表情には余裕が溢れていた。
「大丈夫です。ただの都市伝説ですから。いつの間にか声に出して読むと死ぬと言われてるようになっただけです」
「やっぱり都市伝説に関わる異変だったのね」
 早苗はゆっくりと腕を伸ばして、霊夢が広げているページを指さした。


「いいですか。このレコードや本たちの曲の歌詞を書いたのは西条八十という人物です。そして外の世界では今、霊夢さんたちが見ている『うた』が『口に出して読むと死ぬ』と噂されているのです」


 ※


 姉は血を吐く、妹は火吐く、
 可愛いトミノは宝玉を吐く。
 ひとり地獄に落ちゆくトミノ、
 地獄くらやみ花も無き。
 鞭で叩くはトミノの姉か、
 鞭の朱総が気にかかる。
 叩けや叩けやれ叩かずとても、
 無間地獄はひとつみち。
 暗い地獄へ案内をたのむ、
 金の羊に、鶯に。
 皮の嚢にゃいくらほど入れよ、
 無間地獄の旅支度。
 春が来て候林に谿に、
 くらい地獄谷七曲り――


「そこまでよ、パチェ」
 人里から離れた紅魔館。
 地下にある大図書館で本を開きながら一人呟いていたパチェリーに声をかける者があった。
 口を閉ざしたパチュリーが振り返ると、宙でレミリアが面白げにクスクスと笑っている。
「パチェ。貴女には死なれてしまっては面白くないもの」
「ふん。外の世界の人間が書いた詩よ。読んだところでどうもないわ」
「でも人間たちは恐怖に包まれている」
 レミリアはゆっくりと地に足を着けるとパチュリーに歩み寄っていき、机の上に腰を下ろした。
 その行為が迷惑に思いながらもパチュリーはパタンと本を閉じた。
「悪戯に満足したかしら、レミィ?」
 その言葉に。
 レミリアは大きく笑った。
 図書館に響き渡る程に、高く高く笑う。
 無邪気な子供のように。
「はぁ。レミィの悪戯に私の蔵書が使われるなんて」
「いいじゃない。どうせただの人間が書いた本じゃない。妖怪にも魔法使いにも使い道はないわ。人間が書いた本を人間たちのところに送っただけよ」
「私の蔵書に変わりはないじゃない」
「はいはい。また咲夜に取りに行かせるわ。みすぼらしい格好をまたさせて『私が売った本が騒動を起こしてすみません』と言って、高値で買い取れば大事な本はパチェの元に返るわ」
 そう言いながらも、この異変の主犯レミリア・スカーレットはまた高く笑ってみせた。
 わざと貧しい格好をして本を鈴奈庵へ持ち込んだのも、人里に噂を流したのは従者の咲夜である。
 時を止める能力を持つ彼女は、誰にも目撃されずに行動し、妖怪たちがいないのを確認しながら人間たちに噂をあちらこちら吹き込んだのだ。
 もちろん指示を下したのはレミリアだ。
「この『トミノの地獄』は作者が亡くした家族に捧げた詩とも言われているけど、詳細は不明らしいわ」
「人間たちは弱いくせに自ら恐怖を生み出すのだから、面白い存在だわ。一編の詩に勝手な意味解釈を加えて、勝手に恐怖する」
「その恐怖から妖怪や貴女みたいな吸血鬼が生まれたのだけど。ところでレミィ」
「なにかしら?」
 パチュリーはコホンと一つ咳払いをすると、単刀直入に切り出した。
「貴女の悪戯の目的は何だったのかしら?」
「目的ね。妖怪は人間を驚かし恐怖におとすのが本分じゃない。それは吸血鬼でも同じこと。しかし、このところ妖剣が勝手に動き出して咲夜が調査して以来、私たちは妖怪の本分から離れてひさしいわ。人里ではどこかの正体不明な妖怪が、人里の人間たちを混乱させたというじゃない」
「ようするに退屈だったのね」
 パチュリーの言葉にレミリアは大きくまた笑う。
 笑ってはいるが図星らしい。
 人間たちを混乱させ、紅魔館も都市伝説異変を起こした成功が余程嬉しいようだ。
 ひとしきりレミリアは笑うと『トミノの地獄』の続きを口にした。


 ――籠にや鶯、車にゃ羊、
 可愛いトミノの眼にや涙。
 啼けよ、鶯、
 林の雨に妹恋しと声かぎり。
 啼けば反響が地獄にひびき、
 狐牡丹の花がさく。
 地獄七山七谿めぐる、
 可愛いトミノのひとり旅。
 地獄ござらばもて来てたもれ、
 針の御山の留針を。
 赤い留針だてにはささぬ、
 可愛いトミノのめじるしに。


「まったく。困った親友を持つと疲れるわ」
 ご機嫌なレミリアの背中を見つめてパチュリーが一人呟く。


 ※


「さて。問題はどうやって噂を消すかだな」
 早苗から都市伝説の詳細を教えてもらい、全てを把握した霊夢たちは人里の人間たちの恐怖を鎮めるにはどうすればいいかを考え始めた。
 犯人捜しもしたいところだが、まずは人間たちの安定が優先だ。悪評が流れた鈴奈庵を置いておくわけにもいかない。
「すでに霊夢さんの使いの者が、人里を回って妖怪の仕業じゃないって触れて回っていると聞きましたが?」
「霊夢が?」
 ここに来る途中、人里で聞いたという話をする早苗に魔理沙は霊夢を振り返ると、ヒラヒラと手を振って返した。
「どうせあいつよ」
「あ、そうか。それじゃあほっといても噂話なんて消えてしまうんじゃないか?」
「わからないわ。まだ噂を流し続けるつもりかもしれないわ」
「それは困ります!」
 霊夢が言うあいつが誰なのか気にはなったが、噂が流れ続けるかもしれないという話に小鈴は悲痛な声を上げる。
 これ以上、店の評判を下げるわけにはいかないのだ。
「お願いしますよ霊夢さん。なんとかすぐに噂を鎮める方法を考えて下さい-!」
 頭を下げて力強く両手を合わせる小鈴に阿求が「あんたねぇ」と呆れ顔で小言を言おうとすると、
「あるわよ」
「え?」
 霊夢の呟きに阿求と小鈴が目を丸くする。
「早苗。もう一度念の為に確認するけど、口に出して読んでも死ぬなんてことはないのよね?」
「ええ、ありません。ただの都市伝説ですから」
「だから作り話ってことを証明してしまえばいいの。噂話をほっといたら、逆に危険なことになりかねないし」
「ど、どうしたらいいですか!?」
 望みが出たことに小鈴は涙を溜めながら霊夢にすがりつく。
 鈴奈庵の評判を下がるのをすぐに止める方法を知りたかった。
「皆の前で読めばいいのよ」
「え?」
「皆の前で読めばいいのよ」
「・・・・・・え?」
 霊夢から伝えられた言葉を上手く飲み込めない。
「皆? 皆?」
 表情が凍り付いたまま指を部屋の中で振る。
「えっと・・・・・・ここにいる皆の前で?」
「もちろん違うわよ」
 にっこりと笑う霊夢。その片手の親指は外を指していた。
「・・・・・・・・・・・・え?」
 声も凍り付いた小鈴の横で阿求がそぉーっと自分の蓄音機に手を伸ばす。が、その手にずっと借りられっぱなしだった蓄音機が触れることはない。
「阿求。あと一日借りさせてもらうぞ」
 またもや蓄音機は魔理沙の手の中に。
 にっと笑う魔理沙に阿求は。
「一日で済むのかしら?」
 返ってこない蓄音機を恨めしげに見つめていた。


 ※


 翌日。
 鈴奈庵の前では人だかりが出来ていた。
「はいはーい。人里で流れていた噂は作り話だ。それを証明するぜー」
「博霊の巫女である私が言うのだから間違いないわよ」
 魔理沙と霊夢が大きな声で人間たちを呼び集めていた。話が話を呼んで多くの人が鈴奈庵へと集まってくる。
 彼らの視線は真ん前の小鈴に集まっていた。


「次!『越後獅子の唄』を歌いまあーす!!」


 小鈴の声に観衆はやんややんやの騒ぎである。
 人里の人間たちに口に出して歌と詩を読み聞かせれば、噂が作り話であることを証明することが出来る。
 なので歌詞も読むだけでいいのだが。
「小鈴ちゃん、少しは懲りてもらうからね」
「霊夢。お前本当に怒らせたら怖いなぁ」
 すぐ妖怪たちに利用される小鈴に懲りてもらう為、「歌詞は歌で歌わないといけない」と嘘を吐いたのだった。
 声は上擦っていて、恥ずかしさから小鈴の顔は真っ赤であった。
 それに構わず人間たちは噂話などを忘れて、歌を歌う小鈴を囃し立てるのであった。


「まったく。困った親友を持つと疲れるわ」
 少し人だかりから離れた場所で。
 未だ返ってこない蓄音機が大音量で鳴らされているのを見つめて。
 そしてやけくそで歌う小鈴を見つめて阿求が一人呟く。
西條 八十(さいじょう やそ)
日本の詩人、作詞家、フランス文学者。八十という名前は「九(苦)がないよう」にと想いを込めて名付けられたそうです。
「トミノの地獄」(1919)などの詩の他に「東京音頭」(1933)、「青い山脈」(1949)や美空ひばりの曲などの歌謡曲の作詞を多く残しました。

追記
2018/05/06 加筆修正しました。
aikyou
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コメント



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青い山脈の人かー