「なあ、霊夢やい。
今のこの時期、外の世界は『ごーるでんうぃーく』というらしい」
「何それ」
「何でも、金色に輝く一週間らしいぞ」
「へぇ、それは。
あれかしら。空からお金が降ってくるとか、それが地面に落ちたら金のなる木が生えるとか。
そういうのだったら大歓迎なんだけど」
「お前は本当に俗っぽいね。
どっかのお寺の僧侶様を見習ったらどうだい」
「知ってる? 禁欲は、度が過ぎれば己の命を無駄にする行為だ、って」
「そういうのをなんて言うか知ってるかい?
『屁理屈』っていうんだぜ」
相も変わらず、人のいない神社の一角で、足をぱたぱたさせている少女が二人。
一人はこの神社の主で、博麗霊夢という。
もう一人は、その神社の主の悪友で、霧雨魔理沙といった。
「で? あんたは何しに来たの」
「んー? 暇つぶし、かな」
「よし、じゃあ帰れ。私はこれから、色々と忙しい。
お昼寝しないといけないし、お茶を飲んでごろごろしないといけないし」
「お賽銭あるよ」
「いらっしゃい、魔理沙。今日のお茶はね、新茶なの。とっても美味しいのよ、今用意するからね」
「お前のその性格、私は本当に大好きだぞ。いや冗談じゃなく」
程なくして、二人が腰掛けていた母屋の縁側に、おせんべいとお茶が用意される。
新茶、といっていただけはあり、それはなかなか薫り高い見事なお茶だった。
「幻想郷ってさ」
「うん」
「無駄に平和だよな」
「平和だからこそ、いいんじゃないの? 誰も彼もが平和にぼけてしまうのは、悪いことではないわ」
「そうかね。いざとなった時に、冷静な判断が出来ないような気がする。
目の前にあることを認めないとかさ」
「だからといって、目の前にあること全部が真実だと、誰が決めるのかしら」
「そういうところが屁理屈だというのさ」
魔理沙は、もう一口お茶を口にして、
「で、だ。
外の世界じゃ、ごーるでんうぃーくとかいうものが盛況らしい」
「今度、菫子が来たら聞いてみる?」
「それよりは早苗に聞いた方が早いんじゃないか。
あいつ、このところ、外の世界の話題は菫子にみんな持って行かれる、ってふてくされてたぞ。
特にお前が早苗に色々聞いたりしないから」
「……あ、そ、そう? それはまずいわね……どうしよう……。
紫に言って、外の世界のネタを仕入れておかないと……」
「やれやれ」
露骨にうろたえる巫女さんを見て、魔女は肩をすくめる。
「まぁ、そんなことはさておいてだ。
しばしば金というのは時間と等価とされる。時は金なり。この場合は逆なのかもしれない。
金は時なり、というべきか。
その意味は、どっちもすごく大切で大事な物だから、無碍に扱うな、ってことなんだけど」
「ちょっと違う」
「まぁ、よく聞け。
そのごーるでんうぃーくというやつは、日頃、時間に追われる人間たちが久方ぶりに得られる『ゆっくりした』時間なんじゃないだろうか」
「ああ、だから『金』の日なわけね」
「そういうことだ」
知らないことだからこそ、こういう考えも捗る、というのが魔理沙の意見だった。
何でも知ってしまうと、それはそれで人格だの性格だの色んな物の糧となるのだが、それとは反対に失うものも出てきてしまう。
こういう風に『知らないことに対して、あれこれ思いを馳せながら思索を巡らせる』というのもその一環だ。
「そして、霊夢よ。
金といえば、あの姉妹はどんな具合なんかね?」
「どっちもどっちじゃない?
基本、私は、悪さをしなければ誰がどこで何をしてようが、それはそいつの自由だから干渉しようとはしないわ」
「そうか。そいつは立派なことだ。
だが、世の中はそうは見ない」
「ん?」
何かあったのか、と霊夢。
魔理沙は『これだがね』と新聞紙を一枚、取り出した。
それは、普段、彼女たちと交流のある鴉天狗が発行しているものとはまた違う新聞である。
「こいつは妖怪の山の天狗連中が発行している新聞の中でも、比較的、人里での購読者が多いんだ。書いてあることが、きちんと、綿密な取材に基づいて書かれているともっぱらの評判だ」
「なるほど、文のゴシップやはたての想像で書かれたやつとはまた違うのね」
そのセリフを受けて、どこか遠くの山の中で、二人の天狗が盛大にくしゃみをしているのだが、それはさておき。
「そいつの、扱いは小さいが、ほら、ここ」
「ああ」
そこに、くだんの『連中』の記事があった。
「『最近、人里に現れるようになった、この二柱の神様たち。彼女たちは姉妹であるというが、人里の民からはあまり好意的に見られていないようである。
命蓮寺の住職より説明のあった、「疫病神」と「貧乏神」という、あまりよろしくないイメージもそこにあるのだろうが、問題は別だ。
この姉妹、見ていて見苦しいのである」。
ずばっと書くわね」
「この天狗、かなり頭の固い、だけど非常に知恵の回る天狗なんだとさ」
「要するに『嘘はつかない。だけど、相手のことなんて何一つ考えちゃいない』と」
「事実というのは残酷なものだ」
記事はこう続いている。
『この姉妹、端から見ていてあまり仲がよろしくない。
というよりは、妹が一方的に姉をけなしているところが多く見受けられている。そこに、良識ある人々は眉をひそめてしまう。
どんな相手だろうとも、姉は姉。身内とは言え目上のものに対して、人はばかりなく悪罵を投げつけることは、果たして褒められることなのだろうか』
――と。
「うーん……」
「私は見てないからあれだけど、お前は見てるんだろう?」
「あれはねぇ。
まぁ、姉妹のやりとりという感じではあったけど。姉としても、妹のあの態度には、たまに我慢ならない時もあるみたいだし」
「いいのかねぇ、それで」
「……他人様の家庭のことに口を出すのはね」
「そういう事なかれ主義っての、私はあんまり好きじゃないんでね」
「へぇ」
ひょいと立ち上がった魔理沙は、脇に置いてあった帽子をかぶる。
「態度の悪い奴は、見ていて腹が立つ――そうだろ?」
「それは、自分がそうだから?」
「その通りだ」
にっと笑って、彼女は立てかけてあった箒を手に取ると、それにまたがって空の向こうに飛んでいった。
見送り、霊夢は肩をすくめてつぶやく。
「また何か考えたな、あいつめ」
彼女のあの顔――年相応の悪ガキが、楽しいことを考えついた時の顔――を見て、やれやれとは言うものの、それを止めようとしないのも、また『悪友』への取り扱いなのかもしれない。
「君たち姉妹の、あまり良くない噂は聞いているよ」
「へぇ、それはそれは」
「別に、僕は他人の態度だろうが口の悪さだろうが、そんなものは気にしないタイプだけどね。
ただ、その当事者が突然現れて、何やら企んでいる顔を見ていると、忠告もしたくなる」
「なら、あんたにも一つ教えてあげる。
余計なことに首を突っ込むことは、自分の命を縮めることもある、って」
「あいにくと、この店には厄を吸い取る神様の客がついていてね。
君が厄を残していったとしても、彼女に頼んで助けてもらうつもりだ」
「うえ、何それ。あたしの天敵じゃない」
幻想郷の一角、怪しい気配が立ちこめる怪しさ満点の怪しい場所。その怪しいところに店を構える、これまた怪しい面構えの店の店主――森近霖之助の視線の先には、霊夢と魔理沙が話題にしていた『姉妹』の姿がある。
「その本、面白い? お客様が来ているのに、全くこれっぽっちも接客しようとしないけど」
「うん、面白くない」
「何それ。じゃあ、このかわいいお客様をおもてなししてくれてもいいんじゃない?」
「逆にそれが面白い。
どうして、ここまで面白くない話が書けるのだろうとね。
本というのは、書いている人間の思想や世界が表れるものだが、それがここまでつまらないとは。よっぽどつまらない人生を送っているのだろうと哀れみを覚える」
「ひっど。あんた、真夜中、道を歩くときは気をつけなさいよ」
「あいにくと、僕は人間のように見えて、人間よりももっと頑丈だ。
木の杭を心臓に刺されたら死んでしまうかもしれないが」
「それは神様でも下手したら死ぬ」
彼女はそう答えると、その視線を、反対側の棚の上に移す。
「何をしにきたのだろうか」
「お客様よ。
珍しいものを取り扱う、変な男の店があると聞いてね。
もしかしたら、このあたしの興味を惹くような逸品があるかもしれないと思って、わざわざ足を運んでやったというわけ」
「ひどい言いぐさだ」
「でしょ? あたしもそう思う」
「だったら言葉を改めるといい」
「ところがどっこい、人間も神様も、三つ子の魂は百歳を過ぎても続いてしまう」
「その性格は矯正しないと、いずれ君は痛い目を見る」
「はっはっは。そういう忠告は心の中に留め置くもの。都合三日くらいはね」
「三日過ぎたら忘れてしまうのは神様も一緒と言うことか」
「そういうこと」
腰をかがめて二段目の棚を見て、膝を曲げて三段目の棚に視線を向ける。
「掃除したら?」
興味のないものが徹底的に詰め込まれているのか、埃をかぶっているそこをぱたぱたと手で叩きながら、彼女は言う。
霖之助は、「この店は自分の趣味だからね」と答える。
「趣味だから、趣味に合わない、あるいは趣味が枯れたものはどうでもいい、と」
「どうでもよくはないが、半分くらいは正解だ」
こういう奴は嫌いだな、と彼女はつぶやく。
なんとなく、自分の中の『底』を見透かすような態度を取るような輩は、人間だろうと妖怪だろうと、もちろん神様だろうと好きではない。
端的に言って『つきあいづらい』のだ。
「んー……。
確かに、そんじょそこらのお店にゃ見かけないものばかりね」
「そう言ってくれるとありがたい」
「だけど、統一感がないわ。
この辺りとか。もうちょっと見栄え良く並べたら?」
「それを言うなら、君のその成金趣味丸出しの衣装もどうだろうと思うよ。
本当の金持ちというのは自分を着飾る時、さりげなく、それをやるものだ。羽織であれば、その裏地に息をのむような刺繍を入れてみたり、ね」
「あたしの考えは逆。
金持ちこそそれを誇示すべき」
「なるほど。それで、君はどっちなのかな?」
「物の価値というのはそれを認めてくれるものがいなければ、何の意味もない」
「ははぁ、確かに。一本取られた」
彼女は棚の上の段に視線を向けた。
少々背の低い彼女にとっては見えづらい位置にも、色々な物が置かれている。
「何あれ」
「僕もよくわからない」
その真ん中辺りに正体不明のボールのような物が置いてある。
中に星のような模様が入っているそれを見て、ふーん、とうなずいて、
「……お?」
彼女はひょいと床を蹴った。
そのままふぅわりと宙に浮いた彼女は、二段目の棚の奥に置かれている小さな箱を手に取る。
「これ、興味なし?」
「ない」
「何でこんなものが」
開けてみると、中には宝石が入っている。
翡翠だ。
「宝石というのは、誰かが価値を認めているから価値を持っている石だ。
だけど、僕にとっては、あんまり面白いものじゃない。
まぁ、宝石には悪魔や化け物が宿るとも言われているけどね」
「……ふぅん」
「君が身につけているものよりも、圧倒的に価値は劣るよ。何せ磨かれてすらいない」
「磨かれてすら、か……」
確かに、その小箱から出てきたのは翡翠の原石である。
これを綺麗に磨けば、緑色の美しい輝きを放つようになるのだが、このままでは『ほんのちょっと周りよりも綺麗な石』くらいな扱いだろう。
だからこそ、こいつもこれに興味を見せないのか、と彼女は邪推した。
「いいわ。これ、買う。いくら?」
「二束三文で結構」
「何でまた。宝石よ?
磨いてないとは言え、原石ですら貴石と言われるのに」
「磨かれてないからさ」
彼の回答はよくわからない。
わからないが、自分の懐から出すものが少なくすむのなら、わざわざ『そうはいかない。正当な対価を払う』ということを言い出すような物好きでは、彼女はない。
ありがたく、霖之助の言う『二束三文の対価』を彼に手渡すと、彼女は踵を返した。
「おっと」
ちょうどその時、この店にやってきた魔理沙とすれ違う。
彼女はちらりと魔理沙に視線をやると、それだけで魔理沙から興味を失ったのか、さっさとその場を後にした。
「女苑のやつ、何しに来たんだ」
「珍しいものを探しに来たらしい。それでこの店を選ぶとは、彼女はなかなか目端の利く子だ。
魔理沙、仲良くなっておくといい」
「おあいにく様。私は生意気な女は嫌いだ」
「自分が嫌いと正直に言うのは、あまり魔理沙らしくないな」
「むっ、何だよ。
私は生意気なんかじゃないぞ」
ぷくっとほっぺた膨らまして反論する彼女の姿をどう見たら『生意気』じゃないと言うのか。
しかし、それを指摘すると後々とはいわず、今からでもやかましくなるため、霖之助は何も言わず、手元の本に視線を落とすだけだ。
「何か買っていったのか」
「磨かれる前の原石をね」
「は?」
「翡翠だ」
「翡翠、ねぇ。
そういえば、おふくろが神棚に上げていたっけ」
「そうか。君のお母上は商売人だからね」
何のこっちゃ、と魔理沙。
ともあれ、彼女は霖之助に歩み寄ると、
「なぁ、ちょっと手を貸してくれないか?」
おもむろにそう切り出した。
「姉妹なのに、別々に生活をしているというのもね」
「わたしが一緒にいると、あの子、いやな顔をするから」
人里の一角。
八百屋にて、そんな会話がなされている。
「この幻想郷、姉妹って、大抵、仲がいいのよね」
「そうなの?」
「そうなの。
うちもそう。とても仲のいい姉妹が一組」
一人はメイド服を身にまとう女――十六夜咲夜。
そしてもう一人は、
「あなたが買い物するの?」
「そうよ。女苑、料理が出来ないもの」
「ああ、まぁ、想像つくわ。あの性格からして」
「……言わないであげてね?」
苦笑いを浮かべるのは紫苑という。
話の流れから推察出来る通り、先ほど、霖之助の店を訪れていた女苑の姉だ。
「わたしも以前は、あんまり。
だけど、最近、頑張って勉強をしたの」
「それはまた?」
「料理が出来ない女っていうのは恥ずかしいし……。
それに出来合のものばかりだったら、女苑が怒るんだもの」
ほっぺたぱんぱんに膨らませて、と紫苑は言う。
ふぅん、と咲夜はうなずいた。
「だから、頑張ったのよ」
「努力することは悪いことじゃないわ」
「天人様もそう言っていた。けれど、彼女の場合、『だけど、努力なんて下々のものがすることよ。かっこわるい』なんてうそぶいていたけれど」
「あれに限っては、それは本当の意味でのうそぶいていたなのかどうかはわからないわね」
苦笑して、咲夜。
「すいません。こちら、くださいな」
「あいよ。いつもありがとさん。
これ、おまけだ」
「まあ、ありがとうございます」
「いいってことよ」
「あの、わたしはこちらを」
「あいよ。
あんたも、知っているよ、新聞で読んでいる、大変だな。ほれ、おまけだ」
「あら、私よりも多い」
「わっはっは。そう言わないでくれ。今度、奮発するよ」
八百屋の主人は肩を揺らして笑うと、二人にそれぞれおまけの果物を渡してくれる。
二人はお金を払ってその場を後にし、通りを歩いて行く。
「新聞、か」
「あまり良いことは書かれていないわね」
「わたし、そういうの疎いから。あまり興味がないというか」
「興味がないのは正解ね。
彼ら彼女らは、何でもかんでも面白おかしく書いて騒ぎ立てるだけのデバガメだから」
しかし、その中にも一抹の真実があり、それを探すのもまた楽しいのだ、と咲夜は言う。
紫苑は『じゃあ、あまりお金のかからないものなら、試しに読んでみようか』と言う。咲夜はそこですかさず、「やめときなさい」と笑った。
「私はあまり詳しい話は知らないけれど。
他人の言うことなんて気にするものではないわ。伝聞なんて、それこそいくらでも恣意的に物事を伝えられる」
「だけど、全くの嘘を書き並べても、それはそれで意味がないのでしょ?
一抹の真実を嘘で糊塗するのが正しい嘘のつき方だ、って習ったことがあるわ」
「誰よ、そんなよろしくない教育をしてるの」
「誰だったかしら」
首をかしげる紫苑に、『マイペースなやつだな』と咲夜は思った。
こういうところを見ている限りは、どこかとぼけた感じのする――よく言えば、天然のお姉さん、という感じがしてそれなりに男受けもしそうなものなのだが。
しかし、聞いてみる限り、彼女にはその手の浮ついた話はないのだという。
「妹がすぐに割って入るのよ。
『こんな人と結婚とか考えない方がいいって。よくないことにしかならない』って」
「それはまた。歯に衣着せないとはこのことね」
「本当よね。失礼しちゃう。
だけど、真実でもあるのよね。わたし、ちゃんとする前は家事なんてからっきしだったから。
きっと結婚なんかしたら旦那様に迷惑ばかりかけてしまうと思うの。
ただでさえ貧乏神。富を失わせてしまうのだし」
「富、ねぇ」
咲夜は、「うちはお金持ちだけど」と言う。
すると紫苑は「そういうおうちに憑いたところで、きっと楽しくないのよ」と返してきた。
これは意外。咲夜はつぶやく。
「他人を貧乏にするのが楽しいというわけではないのだし。
本当に楽しいのは、他人を貧しくすることだわ」
「性格悪いわね」
「そうだと思う?」
「さあ」
二人は声をそろえて笑う。
そういうユーモアも言えたのか、と咲夜が言うと、「鍛えられたのよ」と紫苑が返してくる。
どこか愁いを帯びた横顔からは想像できない、かわいらしい笑顔だ。
「料理。美味しいもの、作れるの?」
「任せておいて」
「料理を習ってみるつもりは?」
「うーん……ちょっと?」
「そう。
じゃあ、今度、うちに来ない? カルチャースクールやってるの。週に一回」
「面白そうね。お金取られる?」
「無料」
「考えておくわ」
なかなか前向きな返答だった。
これは、今度の料理教室、面白い奴が増えそうだ、と。
考えながら歩いていたその時だ。
「ちょっと、姉さん」
振り返ると、そこに小柄な少女が一人。
咲夜は、『ああ、これがくだんの』という視線を向ける。
彼女は、そんな咲夜の視線など気にならぬとばかりに腰に手を当てて歩いてくると、
「やっぱり! またぼーっとしながら買い物したんでしょ! 姉さんの嫌いな野菜が入ってる!
それ、あたしのお皿に載せてくるのやめてよね!」
「あ、ほんと。いつの間に」
「ほんとにもう! これだから、姉さんに買い物なんて任せらんないのよ!」
その『嫌いな野菜』というところで取り出されるのがピーマンである辺り、咲夜は『ああ、そういうことね』とうなずく。
「無駄なお金使わないでよ! こんな変なところで貧乏神しないでちょうだい!」
「そんなつもりはなかったんだけど……」
「ほら! これ、いらないんだから返しに行くわよ!」
「あ、だけど、女苑。この前ね、ピーマンを使った美味しいお料理を見たの。これ、それで使ってみない?」
「それで食べるならいいけど。
作ってから、『やっぱりピーマンダメ。女苑お願い』ってやってくるの、目に見えてるし」
「そんなことないよ」
「あーりーまーすーっ!
ったく。どうしてこう抜けてるかな」
ぶつぶつつぶやき、彼女は唐突に、きっと咲夜をにらむ。
「あんたも、姉さんの横にいるなら止めてよね!」
――と、変なところで矛先が向いたようである。
咲夜が口元に浮かぶ笑みを、慌てて手にした買い物袋で隠す。
「ほら、行くわよ、姉さん!」
「あ、はいはい。
それじゃあ」
ぺこりと頭を下げて、紫苑が女苑に連れられ、去って行く。
二人の姿が人混みに消えたところで、ようやく、咲夜は手元の買い物袋を下ろして、
「なるほどね~」
とにんまり笑うのだった。
――さて、それから三日ほど後のことである。
「すいません。迷惑をかけて」
「いいのよ」
紫苑、そして女苑の姿が、咲夜の住まう館――紅魔館にあった。
本日は紅魔館主催のカルチャースクールである料理教室の開催日。
紅魔館の見事な料理を学び、自分の味にすべく集う奥様お嬢様方が大勢押しかけるそのイベント会場に、この姉妹もやってきている。
ただし、
「あの、霧雨魔理沙、だっけ?
このあたしに挑戦状出してくるとは、いい度胸してんじゃない」
面白くなさそうにまなじりつり上げている女苑の手元には、一枚の手紙がある。
ご丁寧なことにきちんと封印までしてある、上品な封筒の中には、これまた流麗な達筆で、
『本日、白昼堂々と、貴女の大切なもの奪わせてもらいに参上します 霧雨魔理沙』
という犯行予告が書かれていた。
「あの泥棒め」
その手紙が届いたのは今朝のこと。
これは何だと目を白黒させている女苑の元にやってきた紫苑が手紙を見て驚き、どうしようと思案していたところ、咲夜の使いと名乗る妖精がやってきた。
彼女は、そのまた前日に紫苑が申し込んだ料理教室の案内人だった。
紫苑はかくかくしかじかこれこれこういう事情で、今日の参加は見合わせると伝えたところ、妖精は『でしたら、その盗難防止も兼ねて紅魔館へ、いかがですか?』と提案してきた。
曰く、『人が大勢いるところなら犯行には及びにくいでしょう。何より、霧雨さまの手癖の悪さには、我々紅魔館一同、大変迷惑しております。ふん縛ってとっ捕まえられるなら、僥倖でございます』ということだ。
二人は顔を見合わせ、確かに、たった二人で相手を迎え撃つよりは仲間がいた方が心強いだろうと、妖精の提案を飲む形で紅魔館へとやってきたのだ。
「もう、あと一時間ほどで始まりますから。
お部屋にご案内いたします」
咲夜と、魔理沙からの手紙を見て思案していた二人は、妖精――この館のメイド――に連れられてその場を後にした。
咲夜はよいせと腰を浮かして、その場に残っているメイド達に指示をする。
「不埒なお客様をお迎えしてあげましょう」
――と。
「奴らは紅魔館に逃げ込んだか」
「そのようね」
「だが、ふっふっふ、あそこは私の庭のようなものだ。どこへ逃げようとも追い詰めて、そして予告状通り、お目当てのものを頂かせてもらうとしよう」
「そうやって調子に乗っていると、ミスするわよ。
あっちは咲夜さんがついているのだから。ろくなことにならない。
――っていうか、どうして私があんたの手伝いなんてしないといけないのよ」
ぶーたれるのは、アリス・マーガトロイド。
魔理沙とは、それなりに交流のある人物だ。先日、魔理沙から『ちょっと手を貸してくれ』と頼まれたのである。
もちろん『いやよ』と断ったのだが、
「まぁ、そう言うな。
お前だって、たまには紅魔館とケンカしてみたいだろ?」
という一言で、彼女の負けず嫌い根性がくすぐられて『いいわよ、手伝ってあげるわ。私が手伝えば、それくらい簡単よ』と啖呵を切ってしまったのである。
「それに、お前の言う通り、あっちには咲夜がついている。あいつは手強い。
あそこのメイド達は、まぁどうにかなるとしても、あいつ一人でどうにでもしてしまう。厄介だ。
だから、お前の力を借りる」
「本当にもう。
いいけれど、私が手伝う以上、成功させるわよ。ミスったらあんたのせい。オッケー?」
「おっけーおっけー」
「そう。ならばよし」
紅魔館を見据えることの出来る森の一角、高い木の上。
そこに佇む視線が、紅の館を見据えている。
「あなたの大切なものって何かしら」
「さあ? 色々あるし。
泥棒の考えることなんて一緒でしょ。きっと金目のものよ」
「あなたのその成金趣味なら、丸ごと盗まれてしまいそうね」
「あたしを盗めるものならやってみなさいよ。かみついてやる」
「あなたを盗むくらいなら、厳重な警備のされた金庫の中に忍び込む方が楽そうだわ」
「何ですって!」
相変わらずの態度の女苑に、咲夜のなかなか辛辣なコメントが突き刺さる。
言われた側として、それはある程度、意識していたところがあるのか、早速犬歯をむき出しにしてくる。
「女苑の大切なもの……何かしら。
お洋服?」
「何で洋服になるのよ」
「だって、脱がされたら大変でしょ?」
「いや、そりゃ大変だけど」
「他には……何かしら?」
「……姉さんは黙ってて」
マイペースを崩さない姉に対してため息ついて、女苑は手元の宝石を見やる。
「これなんてどう? そこそこ立派でしょ?」
「ダイヤモンドかしら」
「多分ね。
あたしが身につけてる中で一番高い奴」
「いくらくらい?」
「この館が一戸丸ごと、使用人と家具付きで買えるくらいのお値段はするんじゃない?」
「じゃあ、それかもしれないわね。
いざとなったら指を切り落とせばいいのだし」
「ちょっと、怖いこと言わないでよ」
手元を隠しながら、女苑は抗議の声を咲夜に向ける。
咲夜は『冗談よ』というのだが、この彼女の場合、セリフのどこからどこまでが冗談で、本音なのかがわからないのが面倒なところだ。
「この館の連中は有能なの?」
「有能なのとそうでないのとがいるわね。
だけど、みんな、大抵が有能よ。そうじゃないと、うちのお仕事なんてやっていけないもの」
「面倒な仕事ばかりなのね。スリムにしたら?」
「スリムに出来たらいいのだけどね。
うちの社内規則は、『残業禁止』だから」
「あ、それいいわね。あたしも勤めようかな」
「まず最低でも家事はパーフェクトにこなしてもらう必要があるけど?」
「姉さん、頑張ってきて」
「え?」
館の中を歩きながら、きょろきょろ、女苑は辺りを見回す。
ドア、窓、その他。外からの侵入経路を探しているようだ。
「どこもかしこもどでかい穴が開いている」
「穴を開けてしまわないと、空気の入れ換えが出来なくて困るでしょ」
「閉めてよ。鍵は?」
「かけているわ」
その穴は、外からの日光を招き入れ、季節特有のさわやかな空気を運んできてくれる。
何もなければ、この日差しと風を浴びながら草原に寝転がってお昼寝などしたら、さぞかし気持ちいいことだろう。
「外からの侵入経路に、こういう窓が使われるのはわかっているわ。
ちゃんと見張りを置いているから心配しないで」
「それで大丈夫なの?」
「大丈夫よ。多分ね」
多分か、とぼやく女苑。
しかし、『完全を求めるのと完璧をこなすのとでは、また違うのだ』というのが咲夜のセリフであった。
よくわからん、と女苑は返して、
「……で」
お料理教室の部屋へと戻ってくる。
忙しくメイド達が働いている。もうじきやってくる、参加者たちを招き入れるために、彼女たちは大忙しだ。
「本当に大丈夫なの?」
「人目のあるところでは下手なことは出来ない。泥棒というのはそういうもの。
彼らは臆病よ」
そして、臆病だからこそ厄介なのだ、とも咲夜は続ける。
臆病なやつは警戒心が強く、証拠を残さない。誰にも見られないように活動し、そしていつの間にか完遂する。
彼らを捕らえる手段はただ一つ。
「だからこそ、大胆にさせる必要がある」
「……あれ?」
女苑の手元からダイヤモンドが消えていた。
きょとんとした女苑の視線が咲夜に向く。咲夜の右手に、彼女の宝石がある。
「ちょ、それ! あんたがまさか!?」
「落ち着きなさい。
ちょっとした手品というやつよ」
彼女がぱんぱんと柏手を打つと、メイドが一人、歩み寄ってくる。
彼女が、どこから生えてきているのか、一本のロープを引っ張ると、
「……一体どこにそんなものが」
彼女たちの頭上に垂れ下がっているシャンデリアが降りてきて、そこに備え付けられている小さな棚の上にダイヤを置く。
ダイヤを置くと、棚の周囲には一瞬光が走り、小さな結界が構築された。
「うちに居候している魔女さま特製の、泥棒撃退用の結界よ」
「それ、どんな効果があるのよ」
「何もない」
「は?」
「これ自体には、いかにも『守られてる』って見えるだけの効果以上のものはないわ。
実際は、これを手に取ってから」
シャンデリアが上に上がっていく。
――ふと部屋の中を見ると、部屋の四隅にメイドが立っている。彼女たちの視線は頭上のシャンデリアに固定されていた。
「あ、なるほど。目立つところにわざと置いて、盗みやすくする」
「そう。
見張りの目はあっても、あの高さではいざという時に手を出しづらい。泥棒から見れば、手段さえ考えてしまえば盗むのはすごく簡単になるわ」
「それじゃ意味がないじゃない」
「だから、盗まれてからが本番なのよ」
曰く、あの結界は中に閉じ込めたものに特殊な魔法をかけるのだという。
どこまで逃げても追い続けることが出来る追跡の魔法。そしていざとなれば、手にしているものに物理的な攻撃を仕掛けることの出来る迎撃用の魔法。
その二つが同時にかけられ、『ある一定の距離、あるいは一定の時間追いかけて捕まえることが出来ればそれでよし。出来なければ遠隔操作で仕留める』のだそうな。
「……物騒な」
「だけど合理的だわ。
うちは泥棒がよく来るのよ。大抵が捕まってるのだけど、稀に逃げおおせるのもいる。そういうときにあれは役に立つの」
「……殺してるの?」
「まさか。半日くらいしびれて動けなくなるだけよ」
ただし、その時にその人物がどんな環境に置かれているかまでは考慮してないのだ、と咲夜。
女苑は言う。あんた悪党だわ、と。
「それで結構。
悪党を捕まえるのは、また悪党よ」
「里の警備の人間が聞いたら抗議してきそうね」
「その手のお客様クレーム対応も、うちは完璧よ」
「それは間違いだわ」
こういう人間もいるのだな、と女苑はつぶやく。
それは概して『変わった奴もいるものだ』という色を帯びていた。
「……やっぱり警備は厳しいね」
「そりゃね。咲夜さんだもの。
手ぐすね引いて、泥棒が入ってくるのを待っているわ」
「北側が手薄だな」
南側に向けて開かれた正門前には、今日も大勢のお客様がやってきている。
メイド達は、皆、それの対応に大忙し。反対に、その裏側はというと、
「……ふーん」
確かに手薄と言えば手薄だが、何も用意がなされていないというわけではない。
武器を持ったメイドが四人、哨戒しているのが見えた。
「他には?」
「そうね……」
アリスの手元に光る小さな珠。
そこには紅魔館のあちこちの景色が映し出されている。
『こんなこともあろうかと』作っておいた『偵察人形』たちの仕事である。
「あの南側が、侵入には一番楽。他のところ――たとえば窓とかは、入るまではいいけれど、中の巡回が厄介よ」
館のあちこちに忍ばせた小柄な人形たちが見ているものが映像となって、彼女の手元に映し出される。
通路のあちこちにメイド達の姿。普段は楽しそうに同僚とお喋りをしながら仕事をしている彼女たちは、今日に限っては真剣な眼差しで周囲を見据えながら、油断なく気配を配り歩いている。
「手荒なことをしたら、私はまた、あそこに入りづらくなる」
「また何かやらかしたの? 呆れた」
「これからやらかしにいくからな。
この前、あそこのレストランで美味しいアイスクリームの販売が始まっただろ? あれ食べてみたい。だから、なるべくドタバタはしたくない」
「あれ美味しかったわ。
季節に似合わぬ苺が最高」
「あ、いいなぁ。食べたいなぁ」
「おごらないわよ」
「けちー」
二人は木の上から飛び降りると、館の外壁にまで走り寄っていく。
「さて……」
裏門側から中をちらり。
メイド達は油断も隙もなく、周囲をにらみつけている。
何事もなく中に入るのは厳しそうだ。
「この辺りの植え込みとかを使う?」
「いいや、それよりは――」
魔理沙はおもむろに、手に緑色の光を生み出した。
それを、ほいっ、と館の周囲を囲む森の中に投げ込む。少しして、炸裂する緑色の閃光と爆音。
「何事!?」
「見に行って……!」
「ストップ。あいつなら、絶対に、あれを陽動に使うわ。
正面突破を仕掛けてくる可能性もあるから、下手に動かないで」
「読まれてるわよ」
警備の目をそらすためにわざと目立つことをするのは定石である。
アリスの視線と言葉に、しかし、魔理沙は動じない。
「そう思うだろ? だけどさ」
続けて、二度目の爆音。そして光。それはどんどんこちらに近づいてくる。
「この状況でどこまで冷静を保っていられるかな」
その光と爆発は館に近づき、やがて周囲の草原の上でも弾ける。
――さすがに、事ここに至って『持ち場を維持する』ことにも限界が来たのか、二人のメイドが指示を受けて爆音の方向へと向けて移動していく。
「続いて」
今度の閃光は、魔理沙たちのすぐそばで弾けた。
アリスが思わず飛び上がるほどの轟音が鳴り響く。
「ちょっと!」
「いいからいいから」
メイド達は一旦足を止め、反対側に向かおうとする。
だが、今度は先ほどまで向かっていた側から爆音。
その音はあちこちで連続して鳴り響き、閃光が激しく爆ぜる。
「ああ、もう! こういう形で陽動されたら困るのよ! 中のお客様たちが驚くじゃない! クレーム対応、めんどくさいんだから!」
その状況に、先ほどまでは冷静を保っていたリーダー格のメイドが声を荒げた。
確実に、その瞬間、意識が途切れる。
「――よし!」
最後の一発は裏門のど真ん前。
弾けたそれに驚いた彼女たちは、思わず場所を離れて土煙の上がるその場に走ってしまう。
その隙に、魔理沙とアリスは背中を預けていた塀を跳び越え、館の敷地へと降り立った。
そのまま周囲の植え込みの陰などに隠れながら移動し、相手が振り返るより早く素早く館の中に滑り込む。
「どうだい」
「あんた、あとでクレーム来るわよ。損害賠償と一緒に」
「そん時はこーりんに払ってもらう」
「どうして霖之助さんが」
「どうも最近、うちのおふくろに『私がどっかに迷惑かけたらよろしく頼む』って言われたらしい」
それは体よく面倒を押しつけたということだろうか。
彼の苦労に肩をすくめて、アリスは、
「人が来る」
先ほどの爆音が呼び寄せた警備の人間が来る前に移動することを促した。
言われずともと魔理沙は走り出し、正面のドアを開けて奥へと進んでいく。
「次は?」
「左よ」
「よし、じゃあこの部屋だ」
右手のドアを開けて、その中へ。
「この館の中、空き部屋多いよな」
「咲夜さんが言っていたわ。館を広げる時に、出来ることには限界がある、って」
「そのうち宿屋とかも始めそうだ。流行りそうだし」
「そういうこと考えているらしいわ」
ドアの反対側にある窓まで走ると、それを開け、右、左、下、上と見回して、
「よいせ」
上の窓へと移動する。
二人は二階フロアにやってくると、外の様子を伺いながら、ドアを開けて館の中へ。
「こっから……」
しばらく走ると、今度は左手側にドアが並んでいる。
その、手前から数えて三番目のドアを開いて中に入ると、そこにアリスの仕掛けた偵察人形が待っていた。
人形はぴょこんと立ち上がると、アリスの元へ歩いて行く。
「よしよし、いい子ね」
彼女は人形を受け止めると、その左手に持った道具を床にセットした。
一瞬、何かがぶれるような音がする。
「驚いてるな」
そこは、女苑たちのいるお料理教室のちょうど頭上である。
アリスが持ってきた道具は霖之助から借りてきた、『取り付けると壁の向こうが透けて見えるわっか』である。正式名称は不明だが、こういう使い方にはなかなか便利だ。
「お宝は……あれだな」
シャンデリアに、これ見よがしに取り付けられた、見事な宝石。それを見て、魔理沙はにやりと笑う。
「さて、アリス。あとはお前に任せるぞ」
「ええ、はいはい。わかりました」
「それでは皆様、ようこそ、紅魔館のお料理教室へ」
「……あの爆音がしたのに、平然と」
「反対側には聞こえなかったみたいね」
時間を迎え、やってきたお客様を相手に、メイド達が料理講座を始めている。
先ほど、ここまで轟いてきた轟音は、どういう理屈か正門側には響いていなかったようだ。
その証拠に、ここにやってきた客たちは、皆、音のことなど知らなかったように『いつものまま』である。
「本日のお料理は――」
と料理講座が進んでいく中、女苑の視線は周囲へ。
ドアを開けて入ってきた連中の中に怪しい奴は見受けられない。せいぜい、やってきたのはこの客たちくらいなものだ。
あの魔理沙とかいうのが変装の達人だという話は聞いていない。そうであるなら、咲夜は別の作戦を考えているだろう。
「ふむふむ……。お酒を入れるのはこのタイミング……」
「姉さんは役に立たないし。
ケンカを売られたあたしが対応するしかない」
紫苑は至極真面目に料理講座に挑んでいる。
もっとも、この姉妹の間で料理担当は姉の方だ。妹は、おなかをすかせてテーブルについて待っているだけでいい。
「……そういえば、あいつ、どこいったのかしら」
咲夜の姿が少し前から見えない。
音がした時くらいからだろうか。
恐らくは様子を見に行ったのだろうが、全く、間抜けなことだ。あれは絶対に魔理沙の仕掛けた手段だ。あれでこちらの耳目を引きつけてこちらにやってくるために仕込んだに決まっている。
そうであれば、見に行くのは愚の骨頂。ここで待っている方が、相手に遭遇する確率は高い。
「ま、そんなことはどうでもいい。
たかが人間のくせにあたしにケンカを売ったこと、思い知らせてやる」
息巻く女苑は視線を頭上のシャンデリアに移す。
今のところ、何かの違和感はない。
普通に考えれば侵入経路と逃走経路は確保した上で行動に出る。逃走経路として考えられるのは窓、そしてドアの向こうの通路。しかし、どちらにも警備がいる。
ならば、一番やりやすいのは――、
「ああ、なるほど。こうすれば美味しく味が沁みるのね、勉強になるわ~」
「……気が抜けるなぁ、もう」
鍋の中でことことくつくつ音を立てて煮込まれている食材を前に、メモ帳片手にうなずく紫苑に女苑は呻く。
「あのさぁ、姉さん。
目的、忘れてないよね?」
「目的?」
「そうよ。今、あたし達がどういう状況にあるか、ってこと。
泥棒に狙われてんのよ」
「……ああ」
「……をい」
とぼけているように見えるが、この姉は、大体こういうときは真面目に驚いている。
本当にマイペースな奴だが、こういうところがあるから、ある意味、恨まれないのかもしれない。
「もういいわ。姉さんを当てになんてしてないから。美味しい料理が出来るように頑張って」
ため息をついて、女苑。
――待つことしばし。
未だに『泥棒』はやってこない。
「皆さん、お疲れ様でした。本日のお料理、いかがでしょうか」
そうこうしているうちに料理教室は終わっていたらしい。
各参加者のテーブルには湯気を立てる料理が並び、いずれもいい香りを立てている。
紫苑は『習ったこと、忘れないようにしなきゃ』とメモ帳を何度も読み返し、やってくるメイドに『これ、こういうのでいいんですよね?』と質問することを忘れない。
一方の女苑は、どこから相手がやってくるかを気にしすぎていて疲れたのか、ため息を大きくついて、
「ああもう……」
手元のコップの水を飲み干した、その時だ。
「約束通り、やってきたぜー」
室内に声が響き渡った。
頭の上を振り仰ぐと、そこには見慣れた金髪娘。
「出たわね、泥棒め!」
「おっと、ひどい言いぐさだな。私は泥棒を働きに来たんじゃない。レアもの収集にやってきただけさ」
「おんなじことよ!」
宣言とともに女苑が一発、攻撃を放った。
それは天井付近にいた魔理沙のすぐそばに着弾し、埃と建材を巻き上げる。
「建物を壊すのはよくないぜ? せっかく美味しい料理が出来るまで待っていてやったんだ、美味しい飯に舌鼓を打つのは悪くないだろう?」
「あんたが来なかったらそうしていたわよ」
床の上に飛び降りた魔理沙に、左右からメイドが飛びかかる。
だが、彼女はそれをひょいとよけると、
「そりゃすまないことをした。
あと五分、待てばよかったかな。だが、私はあんまり焦らされるのは好きじゃない、もっと積極的にいきたいもんだ」
女苑に向かって迫ってくる。
女苑の背後には、あのシャンデリア。魔理沙が助走をつけて飛び上がれば、手が届く。
「そうはさせないって言ったでしょ。あたしの宝石よ、あんたになんかやるもんか!」
女苑も前に移動し、相手をつかもうとする。
だが、魔理沙はそれをひょいとかわし、
「姉さん、そいつ捕まえて!」
紫苑へと接近する。
紫苑は『え?』という顔を浮かべた後、慌ててその顔を引き締め、魔理沙を迎え撃とうと椅子から立ち上がり――、
「あいたっ」
「あーもう!」
慌てていたせいか、その場で足を滑らせて転倒する。
「おっと」
その拍子にこぼれそうになっていた料理を空中で華麗にキャッチし、魔理沙はテーブルの上に戻した。
そしてシャンデリアの真下に移動すると、
「こいつは頂くぜ」
右手を上に掲げる。
そこへ、「そこまでよ」という声がかかった。
「おっと」
咲夜が戻ってきた。
彼女は魔理沙の背後に現れ、彼女の右腕を掴んでいる。
「残念ね、魔理沙。またこういう悪さをするなんて。懲りない子」
「懲りてないわけじゃない。退屈だから、何度もやってしまうだけだ」
「そういうのを迷惑というの。
さあ、捕まえたわ。何度警備に突き出しても懲りないのなら、うちでしばらく罰を受けてもらおうかしら」
「何をされるのかね?」
「そうね。一週間、無給で働いてもらう、とか?」
「それは紅魔館の悪い噂になるんじゃないのか? あそこはせっかく雇った従業員をタダでこき使ってる、って」
「雇ってないもの」
「おっと、それはそうか」
魔理沙はすかさず、左手を咲夜の顔めがけて伸ばす。
咲夜はそれを悟り、受け止めると、『はい捕まえた』と魔理沙の両手を持って宙づりにした。
しかし、それを狙っていたのが魔理沙だ。右手と左手、両方に携えた光をぱんと打ち合わせる。
瞬間、すさまじい閃光が部屋の中を満たした。
光の直撃を食らった咲夜が呻いて思わずよろける。拘束から逃れた魔理沙は右手に携えた閃光を天井めがけて放ち、シャンデリアを撃ち落とした。
「させるかって言ったでしょ!」
だが、サングラスをかけていた女苑は目つぶしを受けても怯まず魔理沙に接近し、彼女の後頭部を蹴りつけようとする。
魔理沙はそれを身をかがめて回避し、
「ほいっ」
「きゃーっ! この、スケベーっ!」
「女同士にスケベも何もあるもんかい。っていうか、お前、見た目の割にはまともなぱんつ穿いてるな、驚いた」
「あ、女苑のぱんつはわたしが買ったのよ。かわいいでしょ、くまさんのプリント」
「言うなーっ!」
余計なこと続ける紫苑に怒鳴って、顔を真っ赤に染めた女苑が『絶対許さん!』と魔理沙をにらみつける。
魔理沙はにやりと笑う。
「一人、二人、三人……。そろそろ潮時かね?」
女苑の行動は、一応、無駄ではなかったらしい。
魔理沙の目つぶしを受けたメイド達もそれぞれ気を取り直し、彼女の周囲を固めてきている。
魔理沙は、未だ、シャンデリアに近づけない。
そうこうしていると、咲夜も目元をこすりながら立ち上がるところだ。
「こいつはたまらん。一旦、おさらばさせてもらいますか」
「逃がすと思うかっ!」
息巻く女苑が、ひらり身を翻す魔理沙を追いかけていく。
「こら、待てーっ!」
「待たない!」
魔理沙はドアを開けて屋敷の通路を走っていく。
メイド達がそれを追いかけていく。
「ああ、もう、むかつく!」
顔をトマトのようにしている女苑に、「まあまあ。だけど、宝石は盗まれなかったよ?」と紫苑が慰めの言葉をかけた。
女苑は、苦虫をかみつぶしたような顔を浮かべるものの、魔理沙の本来の目的は妨害できたことに一応納得したのか、
「……それなら……」
そう言いかけた時だ。
「メイド長! 宝石がありません!」
残っていたメイドが声を上げた。
弾かれたように振り返る。
落下したシャンデリアの周囲には、確かに、あの宝石がない。宝石の載っていた、結界に包まれた台だけが無傷で転がっている。
「あの瞬間に拾ってポケットにでも入れた……!?」
驚愕する女苑。まさか、奴がそこまで手癖が悪いとは。そして、流れるような見事な技を見せてくるとは。
しかし、それを否定するのが紫苑だ。
「……天井に穴?」
「あっ!」
振り仰いだその先に、確かに小さな穴が見えた。
咲夜に、女苑が視線を向ける。
咲夜はメイドの一人に指示を出す。メイドはドアの向こうに走っていき――、
「メイド長、やられました! 霧雨さまの単独犯じゃありません、マーガトロイド様もいたようです!」
「そういうことか……」
二階から飛び降りてきたのか、部屋の窓から顔を出すメイドに、咲夜はつぶやく。
「あの子がいたということは、あの穴から宝石を持ち出したのね」
やってくれるじゃない、と咲夜。
「いいわ、面白い。あの二人、まとめて捕まえてあげましょう。
行くわよ、みんな」
『はい!』
メイド達が走り出す。女苑も「姉さんも急いで!」と紫苑の手を引っ張り、ついていく。
「もう逃がさないわよ、霧雨魔理沙」
「おっとっと」
館のメイド達は、それなりに魔理沙の足止めを頑張ったらしい。
部屋の中でのワンシーンがあったとはいえ、足止めをされていた咲夜たちが追いつくほどには頑張ったメイド達は、今、魔理沙の周囲を囲んでいる。
「魔理沙、アリスはどこ?」
場所は紅魔館の入り口、大ホール。
周囲を四方八方囲まれ、まさに袋のネズミ状態の魔理沙は、しかし、不敵な笑みを浮かべている。
「さあ、どこかね?
それよりいいのかい? 私よりアリスを追いかけなくて。盗んだのはあいつだぞ」
「あの子はあなたと違って真面目な子だもの。
きちんと理由を説明させて、その後、盗んだものを返してもらえばいいわ」
「それはひどい。私だって、ちゃんと借りたものは返すぞ」
「いつになるかわからないけど、って?」
「いいや。私が死んだ後だ」
咲夜が前に出る。
一歩、魔理沙は後ろに下がる。
「絶対に逃がさないわ。痛い目見せちゃる」
女苑が魔理沙の右手側から迫っていく。
一歩、また一歩と後ろに下がった魔理沙が、ついに下がれないところまで追い詰められる。
あと一歩、後ろに下がれば、彼女の背後に控えるメイドが飛びかかってくるだろう。
「絶体絶命ね」
女苑の言葉に、魔理沙は、「これがそう見えるなら、お前さんはまだまだだな」と返した。
「は? どういう……」
その時、鋭く空気を裂く音がした。
何事かと視線を上げたその時、魔理沙は地面を蹴って飛び上がる。
「アリス、助かったぜー」
二階フロアに続く階段の上に、アリスの姿。
彼女の左手からは銀色の光が伸びており、それが館の壁に突き刺さり、タイトロープを作っていた。魔理沙はその上に飛び上がると、まるで空中を走るかのごとくアリスの元へ走って行く。
「逃がしてたまるものか!」
女苑の攻撃が魔理沙の背中をかすめた。
魔理沙は「おお、怖い怖い」とおどけてみせて、無事、床の上に。
「こいつは頂きだ、じゃあなー!」
アリスから受け取ったダイヤを掲げて見せて、魔理沙はアリスと一緒に近くの窓から外に飛び出そうとする。
「メイド長」
「ええ」
だが、そうは問屋が卸さない。
咲夜がぱちんと指を鳴らすと、魔理沙が「うわっ!?」と悲鳴を上げた。
「ざまぁみろ!」
ダイヤに仕掛けられた捕獲用の罠を食らった魔理沙がうずくまる。
慌ててアリスが彼女を脇に抱えると、「これだからあんたは!」と魔理沙を叱咤し、外へと飛び出した。
「逃げられる!」
「落ち着きなさい、女苑。まず、あれが忘れていったものを手に入れないと」
「あ、そ、そうね」
外へ飛び出そうとした女苑は床の上に落ちていた宝石を取り上げると、『よし』とうなずいた。
「ねえ、女苑。もういいんじゃないの? あいつから盗まれるのは防いだのだし……」
「何言ってるのよ、姉さん。二度とこんなことやろうと考えないくらい痛めつけてやらないと!」
「その考えには賛成ね。
盗まれるのを防いだくらいじゃ、魔理沙は諦めないもの」
「さあ……!」
追撃戦よ、と女苑が続けようとした、その時だ。
『確かに、お目当てのものは頂いたぜ。女苑。そんじゃなー』
――唐突に響いた、魔理沙の声。
視線をやると、そこにはアリスが置き土産に置いていった人形がいた。
人形は立ち上がると、手をぱたぱたと振り、直後にぽんと音を立てて消滅する。
「……え? だけど、ダイヤは……」
きょとんとなる女苑。
咲夜が、「女苑。何か他に盗まれたものはないの?」と声をかけた。
女苑は彼女に言われて、とりあえず、といった感じで体のあちこちをぱたぱたする。
……すると気づいたのか。
「……え? 嘘……!」
彼女はさっと顔色を変えた。
そして、慌ててもう一度、体中をばたばたする。
「ないっ! ないっ! ないっ!? 一体いつの間に!? あたしの宝石っ! 宝石がない!」
その取り乱し具合たるや尋常ではない。
女苑は魔理沙たちが飛び出した窓枠にかじりつくと、「こらーっ! 返せ! あたしの宝石ーっ!」と叫ぶ。
「そうはいかないんだな、これが。痛み分けってやつさ」
麻痺の魔法を食らった魔理沙は、アリスにしがみつきながらにんまり笑って返す。
両者の距離はかなり開いているものの、その憎たらしい顔だけは、絶対に忘れられない。そして女苑の視線は、魔理沙の左手に見える宝石に集中している。
「返せっ! 返してよ! お願いだから! お願い、それだけは返してっ!」
「そうはいかない。私は泥棒だからな、宣言しただろ? お前の『大切なもの』を奪いに行く、って」
「ちくしょう!」
「……あの瞬間か」
魔理沙と女苑が交錯した、あの瞬間。
魔理沙の手癖の悪さと言ったらたいしたものだ。その瞬間に女苑の『大切なもの』を盗み取ったのだ。
完全に、彼女の仕掛けた『罠』に囚われ、遊ばれていたのは、咲夜たちの方だったのだ。
「……返してよ……! それ、大切なんだから……! 手に入らないんだから……!」
先ほどまでは強気で、高慢ちきだった女苑がその場に泣き崩れる。
咲夜が彼女に歩み寄り、その背中に手を置いた瞬間、上空が陰る。
「え?」
顔を上げた咲夜が見たのは、外に飛び出してく何者かの姿。
そして、
「女苑の大切なものっ! 返しなさいっ!」
怒りの表情を浮かべて魔理沙に飛びかかる紫苑の姿だった。
「お、おい! こら! 危ないだろ! 離せよ!」
「絶対に離さないっ! あの子があそこまで悲しむなんて、よっぽどのものなんだから! 絶対に手に入らないって、あの子が言っているものなら、すごくすごく大切なんだから!
絶対に持って行かせない! 返せ、この泥棒っ!」
「うわ、ちょ、危ないって! アリス、何とかしてくれ!」
「無茶言わないでよ! っていうか、二人分の体重を支えるなんて、私、そんなに力持ちじゃないんだから! 落とすわよ!」
「バカ、お前ら妖怪と違うんだぞ! こんな高さから落ちたら死んじゃうだろ!」
「死にたくないなら何とかするのはあんたの方よ!」
じたばた暴れる魔理沙。食い下がる紫苑。そして、慌てるアリス。
紅魔館に集う人々が、何事かと上空を見上げ、誰もがきょとんとした顔で姉と盗人たちのやりとりに視線が向けられる。
「返せって言ってるでしょ! かーえーせーっ!」
「痛い痛い痛い! お前、握力強すぎ! 私の足がちぎれるからやめろっての!」
「うるさい! それを返せっ! 早く返せっ! 今すぐ返せーっ!」
「だーっ、もーっ!
わかったよ、こんなもの、どこでも手に入る! いらん、いらん! 欲しいなら持ってけ、どろぼー!」
魔理沙が左手に持っていた宝石を手放した。
地面に落ちていくそれを追いかけて、紫苑が飛び降りる。
重りがなくなり、何とか安定を取り戻したアリスが大慌てで魔理沙を連れてその場から離れていく。
「あいたっ」
地面に落下した紫苑は、魔理沙が手放した宝石を手に取る。
「……へっ?」
それを見てきょとんとなる。
何度も何度も、それをためつすがめつして、視線を魔理沙に向けて。
「……あれ?」
彼女は、もう一度首をかしげてみせた。
「ちょっと、あなた。大丈夫?」
咲夜がやってきた。
そのそばには女苑もいる。
「あ、うん。大丈夫よ」
「そう、よかった。結構な高さから落下したから、もしかしたら怪我をしたんじゃないかと思って」
「あはは……。普段のわたしだったらそうだったかもしれない。わたし、にぶちんだから。
だけど、ほら。今回はそうもいかないから」
よいしょ、と立ち上がった紫苑が女苑に『はい』と手渡したのは、
「女苑。どうしてこれ、大切なの?」
それは香霖堂で彼女が買った、あの翡翠。まだ磨かれてすらいない『屑石』だ。
金銭的な価値で言うなら、魔理沙が目もくれなかったダイヤなどよりもずっと高価で大切なもののはずだ。
しかし、女苑はそれをぎゅっと握りしめると、
「……いいじゃない、別に」
蚊の鳴くような小さな声で返してくる。
首をかしげる紫苑。
その紫苑へと、咲夜は言う。
「翡翠の宝石言葉は『幸運』だったかしら」
その一言に、女苑が顔を赤くする。
「確か、貧乏神。あなたは、自分がとりついても問題ないくらい幸運な相手が好きなんだったわね」
「ああ、そういえばそんなことも……」
「宝石というのは、その力で色々なものを引き寄せる。
あなたの求めるものも、もしかしたら」
いまいち話がわかっていない紫苑に、咲夜は思わず吹き出してしまう。
彼女は女苑の肩を叩くと、「ストレートに言わないと通じないタイプよ、あなたの姉さんは」と言った。
「……うっさいな」
女苑は咲夜の手を払うと、彼女をにらみつける。
「そうよ! ええ、そう、そうよ! あたし、これ、姉さんにプレゼントしようと思ったのよっ!
姉さんにも幸運が訪れますように、って! それまで、あたしみたいな奴の面倒とか見ないといけないだろうけど、大変だろうけど! 頑張ってねって! そう思って!
渡そうとしたわよ! 磨いて! あたしだけの宝石にして! それが何よ! 何か悪いの!? ねえ!」
顔を真っ赤に染めて、怒りと恥ずかしさと、色々な感情のせいでごちゃごちゃになった頭の中を必死に整理して吐き出したその言葉に、ついに咲夜は耐えきれず笑ってしまった。
そうして、『だってよ?』と紫苑を見る。
紫苑は未だにきょとんとしたままだ。
「えっと……」
「姉さんも! 何、あんな無茶なことしてんのよ! こんな宝石、どこでも手に入るわよ! また買い直せばよかった!
姉さんなんてものすごいにぶちんで運動神経最悪なんだから、あんなことして大けがとかしたらどうするつもりだったの!? バカじゃないの!?」
「そ、そうかなぁ……」
「無茶しないでよ! 渡す人がいなくなったら、これ、どうしたらいいのよ! もうっ!」
紫苑に突きつけるように翡翠を渡すと、彼女はそのまま館の方へと走って行った。
女苑の背中がドアの向こうに隠れて見えなくなった頃。
紫苑の視線は宝石と、彼女の背中をもう一度追いかけて。
「……」
何か言いたげな視線を咲夜へと。
咲夜は『想像通りよ』と言わんばかりに、ウインクをしてみせた。
「……あー」
「その魔法、意外と強烈だったみたいね」
「咲夜の奴め……。『半日くらいしか効果がない』とか言っていたけど、嘘だぞ、あれ。
確かに身動きに不自由が出るのは半日だが、その後遺症がかなり続く」
「咲夜さんが言っていたわ。
嘘をつくときは、本当のことを要にして塗り固めるのは重要なんだ、って」
博麗神社。
今日も相変わらず人のいない境内に、三人の人間。
一人は母屋の縁側で大の字になり、具合が悪そうに顔をしかめている。
「泥棒ごっこなんてするから罰が当たったんじゃないの」
霊夢はすました顔でそんなことを言った。
魔理沙は『その言いぐさは気にくわない』とばかりにころころ転がって、顔を霊夢に向ける。
「私は今回、いいことをしたはずだぞ。少なくとも、あの二人……いや、妹の方か。あいつだって、無駄に姉のこと、けなしてるんじゃない、ってわからせたんだし」
「誰にわからせたのよ」
「そりゃ本人さ」
素直じゃない奴は嫌いだ、と魔理沙は呻いた。
その代償として、何で自分がこんな目に遭わないといけないんだ、とも。
「それはあなたの責任でしょ。
他に手段はあっただろうに。咲夜さんに頼んで、あんな芝居までやらせて。三文芝居もいいところだったわよ」
「何言ってるかね、アリス。お前だってノリノリだったじゃないか」
「途中まではね。
だけど、紫苑。彼女があそこまで本気になるとは思わなくて、ちょっと驚いた」
「あれ、普段はあんなだけど、割と本気になると厄介よ。
本気になるのは自分のこと、それから家族のこともあるみたいと、今、知ることが出来てラッキーだったわ。
今度からは気をつけましょう」
家族は大切だからね、とアリス。
「私だって、姉さんやお母さんを悪いように言われたら、その相手を許すつもりはないもの」
さらっと怖いことを言ってのける辺り、彼女も、紫苑並みに家族のことで『キレたら』やばそうである。
「あの手の嘘つきは……というより、まっすぐじゃない奴はさ、たまには誰かが矯正してやらないといけないのさ」
「それを誰がやるかは、それこそ傲慢な選択肢のような気もするけれど」
「そうか? 私はそう思わないぞ。
気になったら気になった奴がやればいい。それが悪いことだなんて思わない」
「はいはい。
で、アリス。これどうするの?」
「しばらくはまともに生活できそうもないから、私が養うことになってるのよ。迷惑千万だわ」
「それはご愁傷様」
「人をなんだと思ってるんだ、お前ら」
ふてくされて丸くなる魔理沙に、アリスはそのまま、『あなたは普段、そういう風に思われてるのよ』と言って、彼女の背中を軽く足で小突いた。
「ごきげんよう」
「あ、こんにちは。今日もお買い物ですか?」
「ええ、そう。
あなたも?」
「はい。以前、教えてもらったお料理作ろうと思って」
「それはそれは。
またいつでも来てちょうだいね」
人里の一角で、咲夜と紫苑がまた顔を合わせた。
二人はそろって買い物を進めながら、『あれからどう?』という話をする。
「いつもと変わらないです」
にこっと笑う紫苑の横顔は、そうは思えない顔色である。
ふぅん、とうなずいた咲夜は、『そういえば』と手にした新聞を彼女に手渡した。
「あなたの妹、しばらく外を出歩けないのでない?」
渡されたのは、以前の新聞とはまた違う新聞。
何とはなしに一目見ただけで『うさんくさいな』という感じ漂うそのタイトル――『文々。新聞』とある――、そして一面に書かれた見出しに、紫苑は苦笑して『そうですね』とうなずいて見せる。
そこには、『素直じゃないお子様神様、その本音を自らの口で暴露。評価と萌え度うなぎ登り! か?』とあった。
今のこの時期、外の世界は『ごーるでんうぃーく』というらしい」
「何それ」
「何でも、金色に輝く一週間らしいぞ」
「へぇ、それは。
あれかしら。空からお金が降ってくるとか、それが地面に落ちたら金のなる木が生えるとか。
そういうのだったら大歓迎なんだけど」
「お前は本当に俗っぽいね。
どっかのお寺の僧侶様を見習ったらどうだい」
「知ってる? 禁欲は、度が過ぎれば己の命を無駄にする行為だ、って」
「そういうのをなんて言うか知ってるかい?
『屁理屈』っていうんだぜ」
相も変わらず、人のいない神社の一角で、足をぱたぱたさせている少女が二人。
一人はこの神社の主で、博麗霊夢という。
もう一人は、その神社の主の悪友で、霧雨魔理沙といった。
「で? あんたは何しに来たの」
「んー? 暇つぶし、かな」
「よし、じゃあ帰れ。私はこれから、色々と忙しい。
お昼寝しないといけないし、お茶を飲んでごろごろしないといけないし」
「お賽銭あるよ」
「いらっしゃい、魔理沙。今日のお茶はね、新茶なの。とっても美味しいのよ、今用意するからね」
「お前のその性格、私は本当に大好きだぞ。いや冗談じゃなく」
程なくして、二人が腰掛けていた母屋の縁側に、おせんべいとお茶が用意される。
新茶、といっていただけはあり、それはなかなか薫り高い見事なお茶だった。
「幻想郷ってさ」
「うん」
「無駄に平和だよな」
「平和だからこそ、いいんじゃないの? 誰も彼もが平和にぼけてしまうのは、悪いことではないわ」
「そうかね。いざとなった時に、冷静な判断が出来ないような気がする。
目の前にあることを認めないとかさ」
「だからといって、目の前にあること全部が真実だと、誰が決めるのかしら」
「そういうところが屁理屈だというのさ」
魔理沙は、もう一口お茶を口にして、
「で、だ。
外の世界じゃ、ごーるでんうぃーくとかいうものが盛況らしい」
「今度、菫子が来たら聞いてみる?」
「それよりは早苗に聞いた方が早いんじゃないか。
あいつ、このところ、外の世界の話題は菫子にみんな持って行かれる、ってふてくされてたぞ。
特にお前が早苗に色々聞いたりしないから」
「……あ、そ、そう? それはまずいわね……どうしよう……。
紫に言って、外の世界のネタを仕入れておかないと……」
「やれやれ」
露骨にうろたえる巫女さんを見て、魔女は肩をすくめる。
「まぁ、そんなことはさておいてだ。
しばしば金というのは時間と等価とされる。時は金なり。この場合は逆なのかもしれない。
金は時なり、というべきか。
その意味は、どっちもすごく大切で大事な物だから、無碍に扱うな、ってことなんだけど」
「ちょっと違う」
「まぁ、よく聞け。
そのごーるでんうぃーくというやつは、日頃、時間に追われる人間たちが久方ぶりに得られる『ゆっくりした』時間なんじゃないだろうか」
「ああ、だから『金』の日なわけね」
「そういうことだ」
知らないことだからこそ、こういう考えも捗る、というのが魔理沙の意見だった。
何でも知ってしまうと、それはそれで人格だの性格だの色んな物の糧となるのだが、それとは反対に失うものも出てきてしまう。
こういう風に『知らないことに対して、あれこれ思いを馳せながら思索を巡らせる』というのもその一環だ。
「そして、霊夢よ。
金といえば、あの姉妹はどんな具合なんかね?」
「どっちもどっちじゃない?
基本、私は、悪さをしなければ誰がどこで何をしてようが、それはそいつの自由だから干渉しようとはしないわ」
「そうか。そいつは立派なことだ。
だが、世の中はそうは見ない」
「ん?」
何かあったのか、と霊夢。
魔理沙は『これだがね』と新聞紙を一枚、取り出した。
それは、普段、彼女たちと交流のある鴉天狗が発行しているものとはまた違う新聞である。
「こいつは妖怪の山の天狗連中が発行している新聞の中でも、比較的、人里での購読者が多いんだ。書いてあることが、きちんと、綿密な取材に基づいて書かれているともっぱらの評判だ」
「なるほど、文のゴシップやはたての想像で書かれたやつとはまた違うのね」
そのセリフを受けて、どこか遠くの山の中で、二人の天狗が盛大にくしゃみをしているのだが、それはさておき。
「そいつの、扱いは小さいが、ほら、ここ」
「ああ」
そこに、くだんの『連中』の記事があった。
「『最近、人里に現れるようになった、この二柱の神様たち。彼女たちは姉妹であるというが、人里の民からはあまり好意的に見られていないようである。
命蓮寺の住職より説明のあった、「疫病神」と「貧乏神」という、あまりよろしくないイメージもそこにあるのだろうが、問題は別だ。
この姉妹、見ていて見苦しいのである」。
ずばっと書くわね」
「この天狗、かなり頭の固い、だけど非常に知恵の回る天狗なんだとさ」
「要するに『嘘はつかない。だけど、相手のことなんて何一つ考えちゃいない』と」
「事実というのは残酷なものだ」
記事はこう続いている。
『この姉妹、端から見ていてあまり仲がよろしくない。
というよりは、妹が一方的に姉をけなしているところが多く見受けられている。そこに、良識ある人々は眉をひそめてしまう。
どんな相手だろうとも、姉は姉。身内とは言え目上のものに対して、人はばかりなく悪罵を投げつけることは、果たして褒められることなのだろうか』
――と。
「うーん……」
「私は見てないからあれだけど、お前は見てるんだろう?」
「あれはねぇ。
まぁ、姉妹のやりとりという感じではあったけど。姉としても、妹のあの態度には、たまに我慢ならない時もあるみたいだし」
「いいのかねぇ、それで」
「……他人様の家庭のことに口を出すのはね」
「そういう事なかれ主義っての、私はあんまり好きじゃないんでね」
「へぇ」
ひょいと立ち上がった魔理沙は、脇に置いてあった帽子をかぶる。
「態度の悪い奴は、見ていて腹が立つ――そうだろ?」
「それは、自分がそうだから?」
「その通りだ」
にっと笑って、彼女は立てかけてあった箒を手に取ると、それにまたがって空の向こうに飛んでいった。
見送り、霊夢は肩をすくめてつぶやく。
「また何か考えたな、あいつめ」
彼女のあの顔――年相応の悪ガキが、楽しいことを考えついた時の顔――を見て、やれやれとは言うものの、それを止めようとしないのも、また『悪友』への取り扱いなのかもしれない。
「君たち姉妹の、あまり良くない噂は聞いているよ」
「へぇ、それはそれは」
「別に、僕は他人の態度だろうが口の悪さだろうが、そんなものは気にしないタイプだけどね。
ただ、その当事者が突然現れて、何やら企んでいる顔を見ていると、忠告もしたくなる」
「なら、あんたにも一つ教えてあげる。
余計なことに首を突っ込むことは、自分の命を縮めることもある、って」
「あいにくと、この店には厄を吸い取る神様の客がついていてね。
君が厄を残していったとしても、彼女に頼んで助けてもらうつもりだ」
「うえ、何それ。あたしの天敵じゃない」
幻想郷の一角、怪しい気配が立ちこめる怪しさ満点の怪しい場所。その怪しいところに店を構える、これまた怪しい面構えの店の店主――森近霖之助の視線の先には、霊夢と魔理沙が話題にしていた『姉妹』の姿がある。
「その本、面白い? お客様が来ているのに、全くこれっぽっちも接客しようとしないけど」
「うん、面白くない」
「何それ。じゃあ、このかわいいお客様をおもてなししてくれてもいいんじゃない?」
「逆にそれが面白い。
どうして、ここまで面白くない話が書けるのだろうとね。
本というのは、書いている人間の思想や世界が表れるものだが、それがここまでつまらないとは。よっぽどつまらない人生を送っているのだろうと哀れみを覚える」
「ひっど。あんた、真夜中、道を歩くときは気をつけなさいよ」
「あいにくと、僕は人間のように見えて、人間よりももっと頑丈だ。
木の杭を心臓に刺されたら死んでしまうかもしれないが」
「それは神様でも下手したら死ぬ」
彼女はそう答えると、その視線を、反対側の棚の上に移す。
「何をしにきたのだろうか」
「お客様よ。
珍しいものを取り扱う、変な男の店があると聞いてね。
もしかしたら、このあたしの興味を惹くような逸品があるかもしれないと思って、わざわざ足を運んでやったというわけ」
「ひどい言いぐさだ」
「でしょ? あたしもそう思う」
「だったら言葉を改めるといい」
「ところがどっこい、人間も神様も、三つ子の魂は百歳を過ぎても続いてしまう」
「その性格は矯正しないと、いずれ君は痛い目を見る」
「はっはっは。そういう忠告は心の中に留め置くもの。都合三日くらいはね」
「三日過ぎたら忘れてしまうのは神様も一緒と言うことか」
「そういうこと」
腰をかがめて二段目の棚を見て、膝を曲げて三段目の棚に視線を向ける。
「掃除したら?」
興味のないものが徹底的に詰め込まれているのか、埃をかぶっているそこをぱたぱたと手で叩きながら、彼女は言う。
霖之助は、「この店は自分の趣味だからね」と答える。
「趣味だから、趣味に合わない、あるいは趣味が枯れたものはどうでもいい、と」
「どうでもよくはないが、半分くらいは正解だ」
こういう奴は嫌いだな、と彼女はつぶやく。
なんとなく、自分の中の『底』を見透かすような態度を取るような輩は、人間だろうと妖怪だろうと、もちろん神様だろうと好きではない。
端的に言って『つきあいづらい』のだ。
「んー……。
確かに、そんじょそこらのお店にゃ見かけないものばかりね」
「そう言ってくれるとありがたい」
「だけど、統一感がないわ。
この辺りとか。もうちょっと見栄え良く並べたら?」
「それを言うなら、君のその成金趣味丸出しの衣装もどうだろうと思うよ。
本当の金持ちというのは自分を着飾る時、さりげなく、それをやるものだ。羽織であれば、その裏地に息をのむような刺繍を入れてみたり、ね」
「あたしの考えは逆。
金持ちこそそれを誇示すべき」
「なるほど。それで、君はどっちなのかな?」
「物の価値というのはそれを認めてくれるものがいなければ、何の意味もない」
「ははぁ、確かに。一本取られた」
彼女は棚の上の段に視線を向けた。
少々背の低い彼女にとっては見えづらい位置にも、色々な物が置かれている。
「何あれ」
「僕もよくわからない」
その真ん中辺りに正体不明のボールのような物が置いてある。
中に星のような模様が入っているそれを見て、ふーん、とうなずいて、
「……お?」
彼女はひょいと床を蹴った。
そのままふぅわりと宙に浮いた彼女は、二段目の棚の奥に置かれている小さな箱を手に取る。
「これ、興味なし?」
「ない」
「何でこんなものが」
開けてみると、中には宝石が入っている。
翡翠だ。
「宝石というのは、誰かが価値を認めているから価値を持っている石だ。
だけど、僕にとっては、あんまり面白いものじゃない。
まぁ、宝石には悪魔や化け物が宿るとも言われているけどね」
「……ふぅん」
「君が身につけているものよりも、圧倒的に価値は劣るよ。何せ磨かれてすらいない」
「磨かれてすら、か……」
確かに、その小箱から出てきたのは翡翠の原石である。
これを綺麗に磨けば、緑色の美しい輝きを放つようになるのだが、このままでは『ほんのちょっと周りよりも綺麗な石』くらいな扱いだろう。
だからこそ、こいつもこれに興味を見せないのか、と彼女は邪推した。
「いいわ。これ、買う。いくら?」
「二束三文で結構」
「何でまた。宝石よ?
磨いてないとは言え、原石ですら貴石と言われるのに」
「磨かれてないからさ」
彼の回答はよくわからない。
わからないが、自分の懐から出すものが少なくすむのなら、わざわざ『そうはいかない。正当な対価を払う』ということを言い出すような物好きでは、彼女はない。
ありがたく、霖之助の言う『二束三文の対価』を彼に手渡すと、彼女は踵を返した。
「おっと」
ちょうどその時、この店にやってきた魔理沙とすれ違う。
彼女はちらりと魔理沙に視線をやると、それだけで魔理沙から興味を失ったのか、さっさとその場を後にした。
「女苑のやつ、何しに来たんだ」
「珍しいものを探しに来たらしい。それでこの店を選ぶとは、彼女はなかなか目端の利く子だ。
魔理沙、仲良くなっておくといい」
「おあいにく様。私は生意気な女は嫌いだ」
「自分が嫌いと正直に言うのは、あまり魔理沙らしくないな」
「むっ、何だよ。
私は生意気なんかじゃないぞ」
ぷくっとほっぺた膨らまして反論する彼女の姿をどう見たら『生意気』じゃないと言うのか。
しかし、それを指摘すると後々とはいわず、今からでもやかましくなるため、霖之助は何も言わず、手元の本に視線を落とすだけだ。
「何か買っていったのか」
「磨かれる前の原石をね」
「は?」
「翡翠だ」
「翡翠、ねぇ。
そういえば、おふくろが神棚に上げていたっけ」
「そうか。君のお母上は商売人だからね」
何のこっちゃ、と魔理沙。
ともあれ、彼女は霖之助に歩み寄ると、
「なぁ、ちょっと手を貸してくれないか?」
おもむろにそう切り出した。
「姉妹なのに、別々に生活をしているというのもね」
「わたしが一緒にいると、あの子、いやな顔をするから」
人里の一角。
八百屋にて、そんな会話がなされている。
「この幻想郷、姉妹って、大抵、仲がいいのよね」
「そうなの?」
「そうなの。
うちもそう。とても仲のいい姉妹が一組」
一人はメイド服を身にまとう女――十六夜咲夜。
そしてもう一人は、
「あなたが買い物するの?」
「そうよ。女苑、料理が出来ないもの」
「ああ、まぁ、想像つくわ。あの性格からして」
「……言わないであげてね?」
苦笑いを浮かべるのは紫苑という。
話の流れから推察出来る通り、先ほど、霖之助の店を訪れていた女苑の姉だ。
「わたしも以前は、あんまり。
だけど、最近、頑張って勉強をしたの」
「それはまた?」
「料理が出来ない女っていうのは恥ずかしいし……。
それに出来合のものばかりだったら、女苑が怒るんだもの」
ほっぺたぱんぱんに膨らませて、と紫苑は言う。
ふぅん、と咲夜はうなずいた。
「だから、頑張ったのよ」
「努力することは悪いことじゃないわ」
「天人様もそう言っていた。けれど、彼女の場合、『だけど、努力なんて下々のものがすることよ。かっこわるい』なんてうそぶいていたけれど」
「あれに限っては、それは本当の意味でのうそぶいていたなのかどうかはわからないわね」
苦笑して、咲夜。
「すいません。こちら、くださいな」
「あいよ。いつもありがとさん。
これ、おまけだ」
「まあ、ありがとうございます」
「いいってことよ」
「あの、わたしはこちらを」
「あいよ。
あんたも、知っているよ、新聞で読んでいる、大変だな。ほれ、おまけだ」
「あら、私よりも多い」
「わっはっは。そう言わないでくれ。今度、奮発するよ」
八百屋の主人は肩を揺らして笑うと、二人にそれぞれおまけの果物を渡してくれる。
二人はお金を払ってその場を後にし、通りを歩いて行く。
「新聞、か」
「あまり良いことは書かれていないわね」
「わたし、そういうの疎いから。あまり興味がないというか」
「興味がないのは正解ね。
彼ら彼女らは、何でもかんでも面白おかしく書いて騒ぎ立てるだけのデバガメだから」
しかし、その中にも一抹の真実があり、それを探すのもまた楽しいのだ、と咲夜は言う。
紫苑は『じゃあ、あまりお金のかからないものなら、試しに読んでみようか』と言う。咲夜はそこですかさず、「やめときなさい」と笑った。
「私はあまり詳しい話は知らないけれど。
他人の言うことなんて気にするものではないわ。伝聞なんて、それこそいくらでも恣意的に物事を伝えられる」
「だけど、全くの嘘を書き並べても、それはそれで意味がないのでしょ?
一抹の真実を嘘で糊塗するのが正しい嘘のつき方だ、って習ったことがあるわ」
「誰よ、そんなよろしくない教育をしてるの」
「誰だったかしら」
首をかしげる紫苑に、『マイペースなやつだな』と咲夜は思った。
こういうところを見ている限りは、どこかとぼけた感じのする――よく言えば、天然のお姉さん、という感じがしてそれなりに男受けもしそうなものなのだが。
しかし、聞いてみる限り、彼女にはその手の浮ついた話はないのだという。
「妹がすぐに割って入るのよ。
『こんな人と結婚とか考えない方がいいって。よくないことにしかならない』って」
「それはまた。歯に衣着せないとはこのことね」
「本当よね。失礼しちゃう。
だけど、真実でもあるのよね。わたし、ちゃんとする前は家事なんてからっきしだったから。
きっと結婚なんかしたら旦那様に迷惑ばかりかけてしまうと思うの。
ただでさえ貧乏神。富を失わせてしまうのだし」
「富、ねぇ」
咲夜は、「うちはお金持ちだけど」と言う。
すると紫苑は「そういうおうちに憑いたところで、きっと楽しくないのよ」と返してきた。
これは意外。咲夜はつぶやく。
「他人を貧乏にするのが楽しいというわけではないのだし。
本当に楽しいのは、他人を貧しくすることだわ」
「性格悪いわね」
「そうだと思う?」
「さあ」
二人は声をそろえて笑う。
そういうユーモアも言えたのか、と咲夜が言うと、「鍛えられたのよ」と紫苑が返してくる。
どこか愁いを帯びた横顔からは想像できない、かわいらしい笑顔だ。
「料理。美味しいもの、作れるの?」
「任せておいて」
「料理を習ってみるつもりは?」
「うーん……ちょっと?」
「そう。
じゃあ、今度、うちに来ない? カルチャースクールやってるの。週に一回」
「面白そうね。お金取られる?」
「無料」
「考えておくわ」
なかなか前向きな返答だった。
これは、今度の料理教室、面白い奴が増えそうだ、と。
考えながら歩いていたその時だ。
「ちょっと、姉さん」
振り返ると、そこに小柄な少女が一人。
咲夜は、『ああ、これがくだんの』という視線を向ける。
彼女は、そんな咲夜の視線など気にならぬとばかりに腰に手を当てて歩いてくると、
「やっぱり! またぼーっとしながら買い物したんでしょ! 姉さんの嫌いな野菜が入ってる!
それ、あたしのお皿に載せてくるのやめてよね!」
「あ、ほんと。いつの間に」
「ほんとにもう! これだから、姉さんに買い物なんて任せらんないのよ!」
その『嫌いな野菜』というところで取り出されるのがピーマンである辺り、咲夜は『ああ、そういうことね』とうなずく。
「無駄なお金使わないでよ! こんな変なところで貧乏神しないでちょうだい!」
「そんなつもりはなかったんだけど……」
「ほら! これ、いらないんだから返しに行くわよ!」
「あ、だけど、女苑。この前ね、ピーマンを使った美味しいお料理を見たの。これ、それで使ってみない?」
「それで食べるならいいけど。
作ってから、『やっぱりピーマンダメ。女苑お願い』ってやってくるの、目に見えてるし」
「そんなことないよ」
「あーりーまーすーっ!
ったく。どうしてこう抜けてるかな」
ぶつぶつつぶやき、彼女は唐突に、きっと咲夜をにらむ。
「あんたも、姉さんの横にいるなら止めてよね!」
――と、変なところで矛先が向いたようである。
咲夜が口元に浮かぶ笑みを、慌てて手にした買い物袋で隠す。
「ほら、行くわよ、姉さん!」
「あ、はいはい。
それじゃあ」
ぺこりと頭を下げて、紫苑が女苑に連れられ、去って行く。
二人の姿が人混みに消えたところで、ようやく、咲夜は手元の買い物袋を下ろして、
「なるほどね~」
とにんまり笑うのだった。
――さて、それから三日ほど後のことである。
「すいません。迷惑をかけて」
「いいのよ」
紫苑、そして女苑の姿が、咲夜の住まう館――紅魔館にあった。
本日は紅魔館主催のカルチャースクールである料理教室の開催日。
紅魔館の見事な料理を学び、自分の味にすべく集う奥様お嬢様方が大勢押しかけるそのイベント会場に、この姉妹もやってきている。
ただし、
「あの、霧雨魔理沙、だっけ?
このあたしに挑戦状出してくるとは、いい度胸してんじゃない」
面白くなさそうにまなじりつり上げている女苑の手元には、一枚の手紙がある。
ご丁寧なことにきちんと封印までしてある、上品な封筒の中には、これまた流麗な達筆で、
『本日、白昼堂々と、貴女の大切なもの奪わせてもらいに参上します 霧雨魔理沙』
という犯行予告が書かれていた。
「あの泥棒め」
その手紙が届いたのは今朝のこと。
これは何だと目を白黒させている女苑の元にやってきた紫苑が手紙を見て驚き、どうしようと思案していたところ、咲夜の使いと名乗る妖精がやってきた。
彼女は、そのまた前日に紫苑が申し込んだ料理教室の案内人だった。
紫苑はかくかくしかじかこれこれこういう事情で、今日の参加は見合わせると伝えたところ、妖精は『でしたら、その盗難防止も兼ねて紅魔館へ、いかがですか?』と提案してきた。
曰く、『人が大勢いるところなら犯行には及びにくいでしょう。何より、霧雨さまの手癖の悪さには、我々紅魔館一同、大変迷惑しております。ふん縛ってとっ捕まえられるなら、僥倖でございます』ということだ。
二人は顔を見合わせ、確かに、たった二人で相手を迎え撃つよりは仲間がいた方が心強いだろうと、妖精の提案を飲む形で紅魔館へとやってきたのだ。
「もう、あと一時間ほどで始まりますから。
お部屋にご案内いたします」
咲夜と、魔理沙からの手紙を見て思案していた二人は、妖精――この館のメイド――に連れられてその場を後にした。
咲夜はよいせと腰を浮かして、その場に残っているメイド達に指示をする。
「不埒なお客様をお迎えしてあげましょう」
――と。
「奴らは紅魔館に逃げ込んだか」
「そのようね」
「だが、ふっふっふ、あそこは私の庭のようなものだ。どこへ逃げようとも追い詰めて、そして予告状通り、お目当てのものを頂かせてもらうとしよう」
「そうやって調子に乗っていると、ミスするわよ。
あっちは咲夜さんがついているのだから。ろくなことにならない。
――っていうか、どうして私があんたの手伝いなんてしないといけないのよ」
ぶーたれるのは、アリス・マーガトロイド。
魔理沙とは、それなりに交流のある人物だ。先日、魔理沙から『ちょっと手を貸してくれ』と頼まれたのである。
もちろん『いやよ』と断ったのだが、
「まぁ、そう言うな。
お前だって、たまには紅魔館とケンカしてみたいだろ?」
という一言で、彼女の負けず嫌い根性がくすぐられて『いいわよ、手伝ってあげるわ。私が手伝えば、それくらい簡単よ』と啖呵を切ってしまったのである。
「それに、お前の言う通り、あっちには咲夜がついている。あいつは手強い。
あそこのメイド達は、まぁどうにかなるとしても、あいつ一人でどうにでもしてしまう。厄介だ。
だから、お前の力を借りる」
「本当にもう。
いいけれど、私が手伝う以上、成功させるわよ。ミスったらあんたのせい。オッケー?」
「おっけーおっけー」
「そう。ならばよし」
紅魔館を見据えることの出来る森の一角、高い木の上。
そこに佇む視線が、紅の館を見据えている。
「あなたの大切なものって何かしら」
「さあ? 色々あるし。
泥棒の考えることなんて一緒でしょ。きっと金目のものよ」
「あなたのその成金趣味なら、丸ごと盗まれてしまいそうね」
「あたしを盗めるものならやってみなさいよ。かみついてやる」
「あなたを盗むくらいなら、厳重な警備のされた金庫の中に忍び込む方が楽そうだわ」
「何ですって!」
相変わらずの態度の女苑に、咲夜のなかなか辛辣なコメントが突き刺さる。
言われた側として、それはある程度、意識していたところがあるのか、早速犬歯をむき出しにしてくる。
「女苑の大切なもの……何かしら。
お洋服?」
「何で洋服になるのよ」
「だって、脱がされたら大変でしょ?」
「いや、そりゃ大変だけど」
「他には……何かしら?」
「……姉さんは黙ってて」
マイペースを崩さない姉に対してため息ついて、女苑は手元の宝石を見やる。
「これなんてどう? そこそこ立派でしょ?」
「ダイヤモンドかしら」
「多分ね。
あたしが身につけてる中で一番高い奴」
「いくらくらい?」
「この館が一戸丸ごと、使用人と家具付きで買えるくらいのお値段はするんじゃない?」
「じゃあ、それかもしれないわね。
いざとなったら指を切り落とせばいいのだし」
「ちょっと、怖いこと言わないでよ」
手元を隠しながら、女苑は抗議の声を咲夜に向ける。
咲夜は『冗談よ』というのだが、この彼女の場合、セリフのどこからどこまでが冗談で、本音なのかがわからないのが面倒なところだ。
「この館の連中は有能なの?」
「有能なのとそうでないのとがいるわね。
だけど、みんな、大抵が有能よ。そうじゃないと、うちのお仕事なんてやっていけないもの」
「面倒な仕事ばかりなのね。スリムにしたら?」
「スリムに出来たらいいのだけどね。
うちの社内規則は、『残業禁止』だから」
「あ、それいいわね。あたしも勤めようかな」
「まず最低でも家事はパーフェクトにこなしてもらう必要があるけど?」
「姉さん、頑張ってきて」
「え?」
館の中を歩きながら、きょろきょろ、女苑は辺りを見回す。
ドア、窓、その他。外からの侵入経路を探しているようだ。
「どこもかしこもどでかい穴が開いている」
「穴を開けてしまわないと、空気の入れ換えが出来なくて困るでしょ」
「閉めてよ。鍵は?」
「かけているわ」
その穴は、外からの日光を招き入れ、季節特有のさわやかな空気を運んできてくれる。
何もなければ、この日差しと風を浴びながら草原に寝転がってお昼寝などしたら、さぞかし気持ちいいことだろう。
「外からの侵入経路に、こういう窓が使われるのはわかっているわ。
ちゃんと見張りを置いているから心配しないで」
「それで大丈夫なの?」
「大丈夫よ。多分ね」
多分か、とぼやく女苑。
しかし、『完全を求めるのと完璧をこなすのとでは、また違うのだ』というのが咲夜のセリフであった。
よくわからん、と女苑は返して、
「……で」
お料理教室の部屋へと戻ってくる。
忙しくメイド達が働いている。もうじきやってくる、参加者たちを招き入れるために、彼女たちは大忙しだ。
「本当に大丈夫なの?」
「人目のあるところでは下手なことは出来ない。泥棒というのはそういうもの。
彼らは臆病よ」
そして、臆病だからこそ厄介なのだ、とも咲夜は続ける。
臆病なやつは警戒心が強く、証拠を残さない。誰にも見られないように活動し、そしていつの間にか完遂する。
彼らを捕らえる手段はただ一つ。
「だからこそ、大胆にさせる必要がある」
「……あれ?」
女苑の手元からダイヤモンドが消えていた。
きょとんとした女苑の視線が咲夜に向く。咲夜の右手に、彼女の宝石がある。
「ちょ、それ! あんたがまさか!?」
「落ち着きなさい。
ちょっとした手品というやつよ」
彼女がぱんぱんと柏手を打つと、メイドが一人、歩み寄ってくる。
彼女が、どこから生えてきているのか、一本のロープを引っ張ると、
「……一体どこにそんなものが」
彼女たちの頭上に垂れ下がっているシャンデリアが降りてきて、そこに備え付けられている小さな棚の上にダイヤを置く。
ダイヤを置くと、棚の周囲には一瞬光が走り、小さな結界が構築された。
「うちに居候している魔女さま特製の、泥棒撃退用の結界よ」
「それ、どんな効果があるのよ」
「何もない」
「は?」
「これ自体には、いかにも『守られてる』って見えるだけの効果以上のものはないわ。
実際は、これを手に取ってから」
シャンデリアが上に上がっていく。
――ふと部屋の中を見ると、部屋の四隅にメイドが立っている。彼女たちの視線は頭上のシャンデリアに固定されていた。
「あ、なるほど。目立つところにわざと置いて、盗みやすくする」
「そう。
見張りの目はあっても、あの高さではいざという時に手を出しづらい。泥棒から見れば、手段さえ考えてしまえば盗むのはすごく簡単になるわ」
「それじゃ意味がないじゃない」
「だから、盗まれてからが本番なのよ」
曰く、あの結界は中に閉じ込めたものに特殊な魔法をかけるのだという。
どこまで逃げても追い続けることが出来る追跡の魔法。そしていざとなれば、手にしているものに物理的な攻撃を仕掛けることの出来る迎撃用の魔法。
その二つが同時にかけられ、『ある一定の距離、あるいは一定の時間追いかけて捕まえることが出来ればそれでよし。出来なければ遠隔操作で仕留める』のだそうな。
「……物騒な」
「だけど合理的だわ。
うちは泥棒がよく来るのよ。大抵が捕まってるのだけど、稀に逃げおおせるのもいる。そういうときにあれは役に立つの」
「……殺してるの?」
「まさか。半日くらいしびれて動けなくなるだけよ」
ただし、その時にその人物がどんな環境に置かれているかまでは考慮してないのだ、と咲夜。
女苑は言う。あんた悪党だわ、と。
「それで結構。
悪党を捕まえるのは、また悪党よ」
「里の警備の人間が聞いたら抗議してきそうね」
「その手のお客様クレーム対応も、うちは完璧よ」
「それは間違いだわ」
こういう人間もいるのだな、と女苑はつぶやく。
それは概して『変わった奴もいるものだ』という色を帯びていた。
「……やっぱり警備は厳しいね」
「そりゃね。咲夜さんだもの。
手ぐすね引いて、泥棒が入ってくるのを待っているわ」
「北側が手薄だな」
南側に向けて開かれた正門前には、今日も大勢のお客様がやってきている。
メイド達は、皆、それの対応に大忙し。反対に、その裏側はというと、
「……ふーん」
確かに手薄と言えば手薄だが、何も用意がなされていないというわけではない。
武器を持ったメイドが四人、哨戒しているのが見えた。
「他には?」
「そうね……」
アリスの手元に光る小さな珠。
そこには紅魔館のあちこちの景色が映し出されている。
『こんなこともあろうかと』作っておいた『偵察人形』たちの仕事である。
「あの南側が、侵入には一番楽。他のところ――たとえば窓とかは、入るまではいいけれど、中の巡回が厄介よ」
館のあちこちに忍ばせた小柄な人形たちが見ているものが映像となって、彼女の手元に映し出される。
通路のあちこちにメイド達の姿。普段は楽しそうに同僚とお喋りをしながら仕事をしている彼女たちは、今日に限っては真剣な眼差しで周囲を見据えながら、油断なく気配を配り歩いている。
「手荒なことをしたら、私はまた、あそこに入りづらくなる」
「また何かやらかしたの? 呆れた」
「これからやらかしにいくからな。
この前、あそこのレストランで美味しいアイスクリームの販売が始まっただろ? あれ食べてみたい。だから、なるべくドタバタはしたくない」
「あれ美味しかったわ。
季節に似合わぬ苺が最高」
「あ、いいなぁ。食べたいなぁ」
「おごらないわよ」
「けちー」
二人は木の上から飛び降りると、館の外壁にまで走り寄っていく。
「さて……」
裏門側から中をちらり。
メイド達は油断も隙もなく、周囲をにらみつけている。
何事もなく中に入るのは厳しそうだ。
「この辺りの植え込みとかを使う?」
「いいや、それよりは――」
魔理沙はおもむろに、手に緑色の光を生み出した。
それを、ほいっ、と館の周囲を囲む森の中に投げ込む。少しして、炸裂する緑色の閃光と爆音。
「何事!?」
「見に行って……!」
「ストップ。あいつなら、絶対に、あれを陽動に使うわ。
正面突破を仕掛けてくる可能性もあるから、下手に動かないで」
「読まれてるわよ」
警備の目をそらすためにわざと目立つことをするのは定石である。
アリスの視線と言葉に、しかし、魔理沙は動じない。
「そう思うだろ? だけどさ」
続けて、二度目の爆音。そして光。それはどんどんこちらに近づいてくる。
「この状況でどこまで冷静を保っていられるかな」
その光と爆発は館に近づき、やがて周囲の草原の上でも弾ける。
――さすがに、事ここに至って『持ち場を維持する』ことにも限界が来たのか、二人のメイドが指示を受けて爆音の方向へと向けて移動していく。
「続いて」
今度の閃光は、魔理沙たちのすぐそばで弾けた。
アリスが思わず飛び上がるほどの轟音が鳴り響く。
「ちょっと!」
「いいからいいから」
メイド達は一旦足を止め、反対側に向かおうとする。
だが、今度は先ほどまで向かっていた側から爆音。
その音はあちこちで連続して鳴り響き、閃光が激しく爆ぜる。
「ああ、もう! こういう形で陽動されたら困るのよ! 中のお客様たちが驚くじゃない! クレーム対応、めんどくさいんだから!」
その状況に、先ほどまでは冷静を保っていたリーダー格のメイドが声を荒げた。
確実に、その瞬間、意識が途切れる。
「――よし!」
最後の一発は裏門のど真ん前。
弾けたそれに驚いた彼女たちは、思わず場所を離れて土煙の上がるその場に走ってしまう。
その隙に、魔理沙とアリスは背中を預けていた塀を跳び越え、館の敷地へと降り立った。
そのまま周囲の植え込みの陰などに隠れながら移動し、相手が振り返るより早く素早く館の中に滑り込む。
「どうだい」
「あんた、あとでクレーム来るわよ。損害賠償と一緒に」
「そん時はこーりんに払ってもらう」
「どうして霖之助さんが」
「どうも最近、うちのおふくろに『私がどっかに迷惑かけたらよろしく頼む』って言われたらしい」
それは体よく面倒を押しつけたということだろうか。
彼の苦労に肩をすくめて、アリスは、
「人が来る」
先ほどの爆音が呼び寄せた警備の人間が来る前に移動することを促した。
言われずともと魔理沙は走り出し、正面のドアを開けて奥へと進んでいく。
「次は?」
「左よ」
「よし、じゃあこの部屋だ」
右手のドアを開けて、その中へ。
「この館の中、空き部屋多いよな」
「咲夜さんが言っていたわ。館を広げる時に、出来ることには限界がある、って」
「そのうち宿屋とかも始めそうだ。流行りそうだし」
「そういうこと考えているらしいわ」
ドアの反対側にある窓まで走ると、それを開け、右、左、下、上と見回して、
「よいせ」
上の窓へと移動する。
二人は二階フロアにやってくると、外の様子を伺いながら、ドアを開けて館の中へ。
「こっから……」
しばらく走ると、今度は左手側にドアが並んでいる。
その、手前から数えて三番目のドアを開いて中に入ると、そこにアリスの仕掛けた偵察人形が待っていた。
人形はぴょこんと立ち上がると、アリスの元へ歩いて行く。
「よしよし、いい子ね」
彼女は人形を受け止めると、その左手に持った道具を床にセットした。
一瞬、何かがぶれるような音がする。
「驚いてるな」
そこは、女苑たちのいるお料理教室のちょうど頭上である。
アリスが持ってきた道具は霖之助から借りてきた、『取り付けると壁の向こうが透けて見えるわっか』である。正式名称は不明だが、こういう使い方にはなかなか便利だ。
「お宝は……あれだな」
シャンデリアに、これ見よがしに取り付けられた、見事な宝石。それを見て、魔理沙はにやりと笑う。
「さて、アリス。あとはお前に任せるぞ」
「ええ、はいはい。わかりました」
「それでは皆様、ようこそ、紅魔館のお料理教室へ」
「……あの爆音がしたのに、平然と」
「反対側には聞こえなかったみたいね」
時間を迎え、やってきたお客様を相手に、メイド達が料理講座を始めている。
先ほど、ここまで轟いてきた轟音は、どういう理屈か正門側には響いていなかったようだ。
その証拠に、ここにやってきた客たちは、皆、音のことなど知らなかったように『いつものまま』である。
「本日のお料理は――」
と料理講座が進んでいく中、女苑の視線は周囲へ。
ドアを開けて入ってきた連中の中に怪しい奴は見受けられない。せいぜい、やってきたのはこの客たちくらいなものだ。
あの魔理沙とかいうのが変装の達人だという話は聞いていない。そうであるなら、咲夜は別の作戦を考えているだろう。
「ふむふむ……。お酒を入れるのはこのタイミング……」
「姉さんは役に立たないし。
ケンカを売られたあたしが対応するしかない」
紫苑は至極真面目に料理講座に挑んでいる。
もっとも、この姉妹の間で料理担当は姉の方だ。妹は、おなかをすかせてテーブルについて待っているだけでいい。
「……そういえば、あいつ、どこいったのかしら」
咲夜の姿が少し前から見えない。
音がした時くらいからだろうか。
恐らくは様子を見に行ったのだろうが、全く、間抜けなことだ。あれは絶対に魔理沙の仕掛けた手段だ。あれでこちらの耳目を引きつけてこちらにやってくるために仕込んだに決まっている。
そうであれば、見に行くのは愚の骨頂。ここで待っている方が、相手に遭遇する確率は高い。
「ま、そんなことはどうでもいい。
たかが人間のくせにあたしにケンカを売ったこと、思い知らせてやる」
息巻く女苑は視線を頭上のシャンデリアに移す。
今のところ、何かの違和感はない。
普通に考えれば侵入経路と逃走経路は確保した上で行動に出る。逃走経路として考えられるのは窓、そしてドアの向こうの通路。しかし、どちらにも警備がいる。
ならば、一番やりやすいのは――、
「ああ、なるほど。こうすれば美味しく味が沁みるのね、勉強になるわ~」
「……気が抜けるなぁ、もう」
鍋の中でことことくつくつ音を立てて煮込まれている食材を前に、メモ帳片手にうなずく紫苑に女苑は呻く。
「あのさぁ、姉さん。
目的、忘れてないよね?」
「目的?」
「そうよ。今、あたし達がどういう状況にあるか、ってこと。
泥棒に狙われてんのよ」
「……ああ」
「……をい」
とぼけているように見えるが、この姉は、大体こういうときは真面目に驚いている。
本当にマイペースな奴だが、こういうところがあるから、ある意味、恨まれないのかもしれない。
「もういいわ。姉さんを当てになんてしてないから。美味しい料理が出来るように頑張って」
ため息をついて、女苑。
――待つことしばし。
未だに『泥棒』はやってこない。
「皆さん、お疲れ様でした。本日のお料理、いかがでしょうか」
そうこうしているうちに料理教室は終わっていたらしい。
各参加者のテーブルには湯気を立てる料理が並び、いずれもいい香りを立てている。
紫苑は『習ったこと、忘れないようにしなきゃ』とメモ帳を何度も読み返し、やってくるメイドに『これ、こういうのでいいんですよね?』と質問することを忘れない。
一方の女苑は、どこから相手がやってくるかを気にしすぎていて疲れたのか、ため息を大きくついて、
「ああもう……」
手元のコップの水を飲み干した、その時だ。
「約束通り、やってきたぜー」
室内に声が響き渡った。
頭の上を振り仰ぐと、そこには見慣れた金髪娘。
「出たわね、泥棒め!」
「おっと、ひどい言いぐさだな。私は泥棒を働きに来たんじゃない。レアもの収集にやってきただけさ」
「おんなじことよ!」
宣言とともに女苑が一発、攻撃を放った。
それは天井付近にいた魔理沙のすぐそばに着弾し、埃と建材を巻き上げる。
「建物を壊すのはよくないぜ? せっかく美味しい料理が出来るまで待っていてやったんだ、美味しい飯に舌鼓を打つのは悪くないだろう?」
「あんたが来なかったらそうしていたわよ」
床の上に飛び降りた魔理沙に、左右からメイドが飛びかかる。
だが、彼女はそれをひょいとよけると、
「そりゃすまないことをした。
あと五分、待てばよかったかな。だが、私はあんまり焦らされるのは好きじゃない、もっと積極的にいきたいもんだ」
女苑に向かって迫ってくる。
女苑の背後には、あのシャンデリア。魔理沙が助走をつけて飛び上がれば、手が届く。
「そうはさせないって言ったでしょ。あたしの宝石よ、あんたになんかやるもんか!」
女苑も前に移動し、相手をつかもうとする。
だが、魔理沙はそれをひょいとかわし、
「姉さん、そいつ捕まえて!」
紫苑へと接近する。
紫苑は『え?』という顔を浮かべた後、慌ててその顔を引き締め、魔理沙を迎え撃とうと椅子から立ち上がり――、
「あいたっ」
「あーもう!」
慌てていたせいか、その場で足を滑らせて転倒する。
「おっと」
その拍子にこぼれそうになっていた料理を空中で華麗にキャッチし、魔理沙はテーブルの上に戻した。
そしてシャンデリアの真下に移動すると、
「こいつは頂くぜ」
右手を上に掲げる。
そこへ、「そこまでよ」という声がかかった。
「おっと」
咲夜が戻ってきた。
彼女は魔理沙の背後に現れ、彼女の右腕を掴んでいる。
「残念ね、魔理沙。またこういう悪さをするなんて。懲りない子」
「懲りてないわけじゃない。退屈だから、何度もやってしまうだけだ」
「そういうのを迷惑というの。
さあ、捕まえたわ。何度警備に突き出しても懲りないのなら、うちでしばらく罰を受けてもらおうかしら」
「何をされるのかね?」
「そうね。一週間、無給で働いてもらう、とか?」
「それは紅魔館の悪い噂になるんじゃないのか? あそこはせっかく雇った従業員をタダでこき使ってる、って」
「雇ってないもの」
「おっと、それはそうか」
魔理沙はすかさず、左手を咲夜の顔めがけて伸ばす。
咲夜はそれを悟り、受け止めると、『はい捕まえた』と魔理沙の両手を持って宙づりにした。
しかし、それを狙っていたのが魔理沙だ。右手と左手、両方に携えた光をぱんと打ち合わせる。
瞬間、すさまじい閃光が部屋の中を満たした。
光の直撃を食らった咲夜が呻いて思わずよろける。拘束から逃れた魔理沙は右手に携えた閃光を天井めがけて放ち、シャンデリアを撃ち落とした。
「させるかって言ったでしょ!」
だが、サングラスをかけていた女苑は目つぶしを受けても怯まず魔理沙に接近し、彼女の後頭部を蹴りつけようとする。
魔理沙はそれを身をかがめて回避し、
「ほいっ」
「きゃーっ! この、スケベーっ!」
「女同士にスケベも何もあるもんかい。っていうか、お前、見た目の割にはまともなぱんつ穿いてるな、驚いた」
「あ、女苑のぱんつはわたしが買ったのよ。かわいいでしょ、くまさんのプリント」
「言うなーっ!」
余計なこと続ける紫苑に怒鳴って、顔を真っ赤に染めた女苑が『絶対許さん!』と魔理沙をにらみつける。
魔理沙はにやりと笑う。
「一人、二人、三人……。そろそろ潮時かね?」
女苑の行動は、一応、無駄ではなかったらしい。
魔理沙の目つぶしを受けたメイド達もそれぞれ気を取り直し、彼女の周囲を固めてきている。
魔理沙は、未だ、シャンデリアに近づけない。
そうこうしていると、咲夜も目元をこすりながら立ち上がるところだ。
「こいつはたまらん。一旦、おさらばさせてもらいますか」
「逃がすと思うかっ!」
息巻く女苑が、ひらり身を翻す魔理沙を追いかけていく。
「こら、待てーっ!」
「待たない!」
魔理沙はドアを開けて屋敷の通路を走っていく。
メイド達がそれを追いかけていく。
「ああ、もう、むかつく!」
顔をトマトのようにしている女苑に、「まあまあ。だけど、宝石は盗まれなかったよ?」と紫苑が慰めの言葉をかけた。
女苑は、苦虫をかみつぶしたような顔を浮かべるものの、魔理沙の本来の目的は妨害できたことに一応納得したのか、
「……それなら……」
そう言いかけた時だ。
「メイド長! 宝石がありません!」
残っていたメイドが声を上げた。
弾かれたように振り返る。
落下したシャンデリアの周囲には、確かに、あの宝石がない。宝石の載っていた、結界に包まれた台だけが無傷で転がっている。
「あの瞬間に拾ってポケットにでも入れた……!?」
驚愕する女苑。まさか、奴がそこまで手癖が悪いとは。そして、流れるような見事な技を見せてくるとは。
しかし、それを否定するのが紫苑だ。
「……天井に穴?」
「あっ!」
振り仰いだその先に、確かに小さな穴が見えた。
咲夜に、女苑が視線を向ける。
咲夜はメイドの一人に指示を出す。メイドはドアの向こうに走っていき――、
「メイド長、やられました! 霧雨さまの単独犯じゃありません、マーガトロイド様もいたようです!」
「そういうことか……」
二階から飛び降りてきたのか、部屋の窓から顔を出すメイドに、咲夜はつぶやく。
「あの子がいたということは、あの穴から宝石を持ち出したのね」
やってくれるじゃない、と咲夜。
「いいわ、面白い。あの二人、まとめて捕まえてあげましょう。
行くわよ、みんな」
『はい!』
メイド達が走り出す。女苑も「姉さんも急いで!」と紫苑の手を引っ張り、ついていく。
「もう逃がさないわよ、霧雨魔理沙」
「おっとっと」
館のメイド達は、それなりに魔理沙の足止めを頑張ったらしい。
部屋の中でのワンシーンがあったとはいえ、足止めをされていた咲夜たちが追いつくほどには頑張ったメイド達は、今、魔理沙の周囲を囲んでいる。
「魔理沙、アリスはどこ?」
場所は紅魔館の入り口、大ホール。
周囲を四方八方囲まれ、まさに袋のネズミ状態の魔理沙は、しかし、不敵な笑みを浮かべている。
「さあ、どこかね?
それよりいいのかい? 私よりアリスを追いかけなくて。盗んだのはあいつだぞ」
「あの子はあなたと違って真面目な子だもの。
きちんと理由を説明させて、その後、盗んだものを返してもらえばいいわ」
「それはひどい。私だって、ちゃんと借りたものは返すぞ」
「いつになるかわからないけど、って?」
「いいや。私が死んだ後だ」
咲夜が前に出る。
一歩、魔理沙は後ろに下がる。
「絶対に逃がさないわ。痛い目見せちゃる」
女苑が魔理沙の右手側から迫っていく。
一歩、また一歩と後ろに下がった魔理沙が、ついに下がれないところまで追い詰められる。
あと一歩、後ろに下がれば、彼女の背後に控えるメイドが飛びかかってくるだろう。
「絶体絶命ね」
女苑の言葉に、魔理沙は、「これがそう見えるなら、お前さんはまだまだだな」と返した。
「は? どういう……」
その時、鋭く空気を裂く音がした。
何事かと視線を上げたその時、魔理沙は地面を蹴って飛び上がる。
「アリス、助かったぜー」
二階フロアに続く階段の上に、アリスの姿。
彼女の左手からは銀色の光が伸びており、それが館の壁に突き刺さり、タイトロープを作っていた。魔理沙はその上に飛び上がると、まるで空中を走るかのごとくアリスの元へ走って行く。
「逃がしてたまるものか!」
女苑の攻撃が魔理沙の背中をかすめた。
魔理沙は「おお、怖い怖い」とおどけてみせて、無事、床の上に。
「こいつは頂きだ、じゃあなー!」
アリスから受け取ったダイヤを掲げて見せて、魔理沙はアリスと一緒に近くの窓から外に飛び出そうとする。
「メイド長」
「ええ」
だが、そうは問屋が卸さない。
咲夜がぱちんと指を鳴らすと、魔理沙が「うわっ!?」と悲鳴を上げた。
「ざまぁみろ!」
ダイヤに仕掛けられた捕獲用の罠を食らった魔理沙がうずくまる。
慌ててアリスが彼女を脇に抱えると、「これだからあんたは!」と魔理沙を叱咤し、外へと飛び出した。
「逃げられる!」
「落ち着きなさい、女苑。まず、あれが忘れていったものを手に入れないと」
「あ、そ、そうね」
外へ飛び出そうとした女苑は床の上に落ちていた宝石を取り上げると、『よし』とうなずいた。
「ねえ、女苑。もういいんじゃないの? あいつから盗まれるのは防いだのだし……」
「何言ってるのよ、姉さん。二度とこんなことやろうと考えないくらい痛めつけてやらないと!」
「その考えには賛成ね。
盗まれるのを防いだくらいじゃ、魔理沙は諦めないもの」
「さあ……!」
追撃戦よ、と女苑が続けようとした、その時だ。
『確かに、お目当てのものは頂いたぜ。女苑。そんじゃなー』
――唐突に響いた、魔理沙の声。
視線をやると、そこにはアリスが置き土産に置いていった人形がいた。
人形は立ち上がると、手をぱたぱたと振り、直後にぽんと音を立てて消滅する。
「……え? だけど、ダイヤは……」
きょとんとなる女苑。
咲夜が、「女苑。何か他に盗まれたものはないの?」と声をかけた。
女苑は彼女に言われて、とりあえず、といった感じで体のあちこちをぱたぱたする。
……すると気づいたのか。
「……え? 嘘……!」
彼女はさっと顔色を変えた。
そして、慌ててもう一度、体中をばたばたする。
「ないっ! ないっ! ないっ!? 一体いつの間に!? あたしの宝石っ! 宝石がない!」
その取り乱し具合たるや尋常ではない。
女苑は魔理沙たちが飛び出した窓枠にかじりつくと、「こらーっ! 返せ! あたしの宝石ーっ!」と叫ぶ。
「そうはいかないんだな、これが。痛み分けってやつさ」
麻痺の魔法を食らった魔理沙は、アリスにしがみつきながらにんまり笑って返す。
両者の距離はかなり開いているものの、その憎たらしい顔だけは、絶対に忘れられない。そして女苑の視線は、魔理沙の左手に見える宝石に集中している。
「返せっ! 返してよ! お願いだから! お願い、それだけは返してっ!」
「そうはいかない。私は泥棒だからな、宣言しただろ? お前の『大切なもの』を奪いに行く、って」
「ちくしょう!」
「……あの瞬間か」
魔理沙と女苑が交錯した、あの瞬間。
魔理沙の手癖の悪さと言ったらたいしたものだ。その瞬間に女苑の『大切なもの』を盗み取ったのだ。
完全に、彼女の仕掛けた『罠』に囚われ、遊ばれていたのは、咲夜たちの方だったのだ。
「……返してよ……! それ、大切なんだから……! 手に入らないんだから……!」
先ほどまでは強気で、高慢ちきだった女苑がその場に泣き崩れる。
咲夜が彼女に歩み寄り、その背中に手を置いた瞬間、上空が陰る。
「え?」
顔を上げた咲夜が見たのは、外に飛び出してく何者かの姿。
そして、
「女苑の大切なものっ! 返しなさいっ!」
怒りの表情を浮かべて魔理沙に飛びかかる紫苑の姿だった。
「お、おい! こら! 危ないだろ! 離せよ!」
「絶対に離さないっ! あの子があそこまで悲しむなんて、よっぽどのものなんだから! 絶対に手に入らないって、あの子が言っているものなら、すごくすごく大切なんだから!
絶対に持って行かせない! 返せ、この泥棒っ!」
「うわ、ちょ、危ないって! アリス、何とかしてくれ!」
「無茶言わないでよ! っていうか、二人分の体重を支えるなんて、私、そんなに力持ちじゃないんだから! 落とすわよ!」
「バカ、お前ら妖怪と違うんだぞ! こんな高さから落ちたら死んじゃうだろ!」
「死にたくないなら何とかするのはあんたの方よ!」
じたばた暴れる魔理沙。食い下がる紫苑。そして、慌てるアリス。
紅魔館に集う人々が、何事かと上空を見上げ、誰もがきょとんとした顔で姉と盗人たちのやりとりに視線が向けられる。
「返せって言ってるでしょ! かーえーせーっ!」
「痛い痛い痛い! お前、握力強すぎ! 私の足がちぎれるからやめろっての!」
「うるさい! それを返せっ! 早く返せっ! 今すぐ返せーっ!」
「だーっ、もーっ!
わかったよ、こんなもの、どこでも手に入る! いらん、いらん! 欲しいなら持ってけ、どろぼー!」
魔理沙が左手に持っていた宝石を手放した。
地面に落ちていくそれを追いかけて、紫苑が飛び降りる。
重りがなくなり、何とか安定を取り戻したアリスが大慌てで魔理沙を連れてその場から離れていく。
「あいたっ」
地面に落下した紫苑は、魔理沙が手放した宝石を手に取る。
「……へっ?」
それを見てきょとんとなる。
何度も何度も、それをためつすがめつして、視線を魔理沙に向けて。
「……あれ?」
彼女は、もう一度首をかしげてみせた。
「ちょっと、あなた。大丈夫?」
咲夜がやってきた。
そのそばには女苑もいる。
「あ、うん。大丈夫よ」
「そう、よかった。結構な高さから落下したから、もしかしたら怪我をしたんじゃないかと思って」
「あはは……。普段のわたしだったらそうだったかもしれない。わたし、にぶちんだから。
だけど、ほら。今回はそうもいかないから」
よいしょ、と立ち上がった紫苑が女苑に『はい』と手渡したのは、
「女苑。どうしてこれ、大切なの?」
それは香霖堂で彼女が買った、あの翡翠。まだ磨かれてすらいない『屑石』だ。
金銭的な価値で言うなら、魔理沙が目もくれなかったダイヤなどよりもずっと高価で大切なもののはずだ。
しかし、女苑はそれをぎゅっと握りしめると、
「……いいじゃない、別に」
蚊の鳴くような小さな声で返してくる。
首をかしげる紫苑。
その紫苑へと、咲夜は言う。
「翡翠の宝石言葉は『幸運』だったかしら」
その一言に、女苑が顔を赤くする。
「確か、貧乏神。あなたは、自分がとりついても問題ないくらい幸運な相手が好きなんだったわね」
「ああ、そういえばそんなことも……」
「宝石というのは、その力で色々なものを引き寄せる。
あなたの求めるものも、もしかしたら」
いまいち話がわかっていない紫苑に、咲夜は思わず吹き出してしまう。
彼女は女苑の肩を叩くと、「ストレートに言わないと通じないタイプよ、あなたの姉さんは」と言った。
「……うっさいな」
女苑は咲夜の手を払うと、彼女をにらみつける。
「そうよ! ええ、そう、そうよ! あたし、これ、姉さんにプレゼントしようと思ったのよっ!
姉さんにも幸運が訪れますように、って! それまで、あたしみたいな奴の面倒とか見ないといけないだろうけど、大変だろうけど! 頑張ってねって! そう思って!
渡そうとしたわよ! 磨いて! あたしだけの宝石にして! それが何よ! 何か悪いの!? ねえ!」
顔を真っ赤に染めて、怒りと恥ずかしさと、色々な感情のせいでごちゃごちゃになった頭の中を必死に整理して吐き出したその言葉に、ついに咲夜は耐えきれず笑ってしまった。
そうして、『だってよ?』と紫苑を見る。
紫苑は未だにきょとんとしたままだ。
「えっと……」
「姉さんも! 何、あんな無茶なことしてんのよ! こんな宝石、どこでも手に入るわよ! また買い直せばよかった!
姉さんなんてものすごいにぶちんで運動神経最悪なんだから、あんなことして大けがとかしたらどうするつもりだったの!? バカじゃないの!?」
「そ、そうかなぁ……」
「無茶しないでよ! 渡す人がいなくなったら、これ、どうしたらいいのよ! もうっ!」
紫苑に突きつけるように翡翠を渡すと、彼女はそのまま館の方へと走って行った。
女苑の背中がドアの向こうに隠れて見えなくなった頃。
紫苑の視線は宝石と、彼女の背中をもう一度追いかけて。
「……」
何か言いたげな視線を咲夜へと。
咲夜は『想像通りよ』と言わんばかりに、ウインクをしてみせた。
「……あー」
「その魔法、意外と強烈だったみたいね」
「咲夜の奴め……。『半日くらいしか効果がない』とか言っていたけど、嘘だぞ、あれ。
確かに身動きに不自由が出るのは半日だが、その後遺症がかなり続く」
「咲夜さんが言っていたわ。
嘘をつくときは、本当のことを要にして塗り固めるのは重要なんだ、って」
博麗神社。
今日も相変わらず人のいない境内に、三人の人間。
一人は母屋の縁側で大の字になり、具合が悪そうに顔をしかめている。
「泥棒ごっこなんてするから罰が当たったんじゃないの」
霊夢はすました顔でそんなことを言った。
魔理沙は『その言いぐさは気にくわない』とばかりにころころ転がって、顔を霊夢に向ける。
「私は今回、いいことをしたはずだぞ。少なくとも、あの二人……いや、妹の方か。あいつだって、無駄に姉のこと、けなしてるんじゃない、ってわからせたんだし」
「誰にわからせたのよ」
「そりゃ本人さ」
素直じゃない奴は嫌いだ、と魔理沙は呻いた。
その代償として、何で自分がこんな目に遭わないといけないんだ、とも。
「それはあなたの責任でしょ。
他に手段はあっただろうに。咲夜さんに頼んで、あんな芝居までやらせて。三文芝居もいいところだったわよ」
「何言ってるかね、アリス。お前だってノリノリだったじゃないか」
「途中まではね。
だけど、紫苑。彼女があそこまで本気になるとは思わなくて、ちょっと驚いた」
「あれ、普段はあんなだけど、割と本気になると厄介よ。
本気になるのは自分のこと、それから家族のこともあるみたいと、今、知ることが出来てラッキーだったわ。
今度からは気をつけましょう」
家族は大切だからね、とアリス。
「私だって、姉さんやお母さんを悪いように言われたら、その相手を許すつもりはないもの」
さらっと怖いことを言ってのける辺り、彼女も、紫苑並みに家族のことで『キレたら』やばそうである。
「あの手の嘘つきは……というより、まっすぐじゃない奴はさ、たまには誰かが矯正してやらないといけないのさ」
「それを誰がやるかは、それこそ傲慢な選択肢のような気もするけれど」
「そうか? 私はそう思わないぞ。
気になったら気になった奴がやればいい。それが悪いことだなんて思わない」
「はいはい。
で、アリス。これどうするの?」
「しばらくはまともに生活できそうもないから、私が養うことになってるのよ。迷惑千万だわ」
「それはご愁傷様」
「人をなんだと思ってるんだ、お前ら」
ふてくされて丸くなる魔理沙に、アリスはそのまま、『あなたは普段、そういう風に思われてるのよ』と言って、彼女の背中を軽く足で小突いた。
「ごきげんよう」
「あ、こんにちは。今日もお買い物ですか?」
「ええ、そう。
あなたも?」
「はい。以前、教えてもらったお料理作ろうと思って」
「それはそれは。
またいつでも来てちょうだいね」
人里の一角で、咲夜と紫苑がまた顔を合わせた。
二人はそろって買い物を進めながら、『あれからどう?』という話をする。
「いつもと変わらないです」
にこっと笑う紫苑の横顔は、そうは思えない顔色である。
ふぅん、とうなずいた咲夜は、『そういえば』と手にした新聞を彼女に手渡した。
「あなたの妹、しばらく外を出歩けないのでない?」
渡されたのは、以前の新聞とはまた違う新聞。
何とはなしに一目見ただけで『うさんくさいな』という感じ漂うそのタイトル――『文々。新聞』とある――、そして一面に書かれた見出しに、紫苑は苦笑して『そうですね』とうなずいて見せる。
そこには、『素直じゃないお子様神様、その本音を自らの口で暴露。評価と萌え度うなぎ登り! か?』とあった。