Coolier - 新生・東方創想話

ふたつの永遠

2018/04/21 17:32:20
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※時系列的には『外界の半人前と初めての冥界』の続編となっています。未読でも問題ありませんが、お時間ありましたら、合せて読んで頂けますと幸いです。



 道なき道を、菫子は黙々と歩いていた。大自然特有の青臭さと土の臭いが鼻をつき、不快さのあまり眉間に皺を寄せながら。
 都会生まれ都会育ちな彼女にとって、不慣れな環境。アスファルトが恋しくなる程だが、引き返そうとはせず、彼女は目的地に向かって進んでいた。
 ……進んでいるはずなのだが、菫子は何故か、その場をぐるぐると回っているような気がしてならなかった。地面が微妙に傾斜がある影響で、方向感覚や平衡感覚が狂ってしまっているからか。それとも、笹の葉が空を埋め尽くさんとばかりに生えている所為で、昼間だと言うのに薄暗く、視界が悪いからか。或いは、霧のようなものが薄っすらと辺りに立ち込めているからか。
 もしや、と彼女の頭に最悪の事態がよぎるも、頭をブンブンと左右に振って、それを思考の隅に追いやる。こういうものは気持ちの問題であり、一度でもそうだと決めつけてしまえば、途端に心が不安で満たされ、歩き続けることが出来なくなってしまうかもしれない。
 だが、菫子自身は否定しているものの、客観的に言えば、彼女は道に迷っていた。最も、彼女が歩いている場所は迷いの竹林なのだから、迷わないわけがないのだが。
 何故、彼女は迷いの竹林を彷徨っているのだろうか。
 菫子の友人である妹紅に案内してもらえば、目的地にはすぐ到着するだろう。一人っきりで竹林に足を踏み込むなんて、自殺行為に等しい無謀な事をする必要なんて無いはずだ。
 しかし、菫子には妹紅を頼ることが出来ない理由があった。目的地である。
 その場所の名は、永遠亭。
 ……何時かの宴会の席で、菫子は耳にしたのだ。迷いの竹林の何処かにある永遠亭という場所に、宇宙人と月のお姫様が住んでいるという話を。
 月のお姫様と言えば、竹取物語に登場するかぐや姫。
 いくら外の世界で幻想認定されたものが跋扈している幻想郷であっても、まさかお伽話の登場人物が、幻想郷に住んでいるのだろうか。秘封倶楽部として、その謎を曝きたくなった菫子だが、その場では真偽の程を確かめることはできなかった。
 姫のことも、宇宙人のことも気になって仕方がない。菫子は勿論、すぐに逢いに行きたくなった。数日後、妹紅と逢い、彼女はそれとなく頼んでみた。が、妹紅が見せた反応は菫子にとって予想外のものだった。
 妹紅は表情を歪ませながら、低く唸るようにひとりごちはじめたのだ。
 とうとうその話題を持ってきたか、とか。アイツには絶対に合わせてはいけない、とか。アイツと関わると禄なことがない、とか。そもそもアイツはなんで最近私を避けているのだ、とか。
 一通り愚痴めいた独り言を吐き出したかと思えば、作り笑いを菫子に向け、
「あそこは色々と危険だから、絶対に近づくな」
 と言った。
 普段はそこそこ優しい妹紅の、見たこともない豹変っぷりを目の当たりにした菫子は、それ以降永遠亭の話題を取り上げることはなかった。表面上は、妹紅に従ったのだ。
 だが、そんなことで彼女の好奇心は潰えない。否、さらに刺激されたと言っても過言ではないだろう。
 だからこそ彼女は、妹紅が買い出しのために人間の里へ足を運んでいる時に――迷いの竹林を離れている最中に、独りでこっそりと足を踏み入れたのだ。
 しかし、結果はこのザマである。
 そもそも菫子は迷いの竹林に詳しくない。強いて言うなら、特訓場所であり、妹紅が寝泊まりしている場所である掘っ立て小屋が何処にあるのか、ぐらいしか知らない。それも大まかに、である。けれど彼女は、迷いの竹林に詳しいと思い込んでいた。全ては、妹紅の案内があってこそだと言うのに。
「うぅ……喉が渇いた……」
 地面がぬかるんでいる影響か、ローファーには土が付着し、歩き辛いことこの上ない。この状況になって、もう一時間は経っていた。
 進んでいるのかも、後退しているのかも判らない。代わり映えしない光景に、体力より前に精神力に限界が迫っていた。持ち合わせていた根拠のない自信は、どこにも見当たらない。
 何か、この状況を打開できる何かはないのか。できれば水が飲める場所とか。
「……助けて、もこうぅぉおえあ!?」
 無意識に彼女の名を口走った刹那、彼女の重心が前方へと大きく傾いていた。
 踏み込んだ足元を見ると、ズッポリと地面に突き刺さっている。かと思うと、それらがバラリバラリと砕け散り、円形の穴が姿を現した。
 咄嗟のことで飛翔すら叶わず、菫子はその穴の中へ、真っ逆さまに落ちていく。
 数秒後、全身に受けた強い衝撃とともに、落下運動は終わった。
「いったぁ……もう、なんなのよ……」
 頭を掻きながら――落下の最中に帽子を何処かへ落としてしまったようだ――菫子はそうぼやく。
 どうやら、何者かによって作られた落とし穴に足を取られ、そのまま底まで落ちてしまったようだ。
 まったく、一体どこのどいつがこんな辺鄙なところに古典的なトラップを仕掛けたのよ、と心のなかで愚痴りつつ、上を見る。
 彼女は今、尻餅をつくような体勢でいた。その状態であっても、外の光は遥か頭上にあるように見えて。深さは一体何メートルなのだろうか。
 一先ずは外へと出なければ。そう思いつつ、縦に細長く暗い空間で、菫子はなんとか体を直立へと戻そうとするも、突如足に激痛が走る。
 まさか、落下時の衝撃で足を捻った? これは人里の薬屋さんで軟膏でももらわないといけないかな、なんてことを彼女は考えながら、痛みを我慢しつつなんとか奮い立ち、飛翔しようとした。
 その時。
「……お、姫様の言ったとおり、なんか引っかかってるな。おーい、生きてるー?」
 穴の外から、呑気というか気の抜けているような、そんな声が聞こえてきた。それに対し、菫子は反射的に警戒し、思考を巡らせる。
 何故なら、これまで一度も、妹紅と共に迷いの竹林を歩いている際に、別の有象無象と邂逅したことなど無かったからだ。
 それなのに、穴に落ちて身動きが取れないこの状況において、初めて妹紅以外の存在と遭遇した。これは果たして偶然なのだろうか。
 もしかしたら、この穴を掘り、人間が引っかかる時を今か今かと待ち望んでいた妖怪かもしれない。
 けれど、人間の出入りが少ない迷いの竹林に、そんな落とし穴だなんてトラップを仕掛けるものなのか? いいや、それはどう考えても非効率だ。だから、恐らくこちらに敵意を持った存在ではないと、菫子は楽観的に考えて、
「……生きてますー!」
 彼女は取り敢えず、素直に返答した。
「よかったよかった。それじゃ、これでも掴んで戻ってきてね」
 外にいる誰かさんは、暫し続いた沈黙に触れること無くそう言うと、菫子の頭上にひょろりと何かが投げ込まれる。少し太めな縄だった。きっと引っ張り上げてくれるのだろうと菫子は思い、それを握りしめて、暫く待つ。けれど、縄が動く気配はなかった。
 穴の外の誰かは、待てど暮らせど動きださない菫子に対し、不満の声を漏らす。
「えーっと、まさか、引っ張ってもらえるなんて、虫のいいコトを思ってないでしょうね?」
「違うの?」
「だって、私はひ弱でか弱い女の子だしー……」
 妙に気に障るような口調でそう言う誰かさんに、菫子は若干頬を引き攣らせる。それでも、助けの手を差し伸べてくれた相手なのだから、無下には出来ない。
 菫子は諦めて、飛翔しつつ縄を引っ張って登ることにし、数分後、漸く地面へと這い戻ることができた。
「ぜぇ……ぜぇ……今日は厄日だわ……」
 肩で息をしつつ、菫子は肩を落としながら呟く。激しく運動した影響か、彼女の体はうっすらと汗ばんでいた。
「ふむ、目立った怪我はなさそうだね。良かった良かったー」
 どこか他人事めいた棒読み調の声が、菫子の背後から聞こえてきた。穴の直ぐ側に落ちていた自身の帽子を拾い、振り返る。
「……うわ」
 そこには、自分よりも背丈が低い少女が、ニコニコと笑顔を浮かべながら立っていた。
 頭から、ふわふわなウサ耳を生やして。
 菫子は一瞬、変な大人に騙されている可愛そうな小童かと思い、そんな趣味の悪そうな大人に対して心底侮蔑の念を持った。
 が、此処は幻想郷。そして此処は迷いの竹林。兎のコスプレをしている人間が闊歩しているとは考えられない。
 であれば。
「うわって何よ、うわって。それよりも、何か言うべきことがあるんじゃない?」
 間違いない、手を差し伸べてくれたのは、彼女だ。
「あ、えっと、その……助けてくれてありがとうございま、す?」
「なんで疑問形になってるのよ」
 菫子は怪我した足を庇いつつ、自身を半目で睨んでいるウサ耳少女の傍へと近づく。
「何?」
「いや、こんなハロウィンで見るようなコスプレをした格好でも、妖怪なのかなって」
「あったりまえでしょう。こう見えて、あんたより何倍も長く生きて、ってちょっと、何勝手に触って、んにゃ、くすぐっ、あっ」
 こちらに敵意を向けておらず、人畜無害そうだと見た途端、溢れ出てきた好奇心を満たすため、その細い腕でウサ耳少女の体をもみくちゃに触っていた。先程軽蔑していた危険人物が、現状を見ればまさしく菫子自身であるということに、彼女は気づいていない。しかし、それも仕方のないこと。彼女は超能力者である以前に女子高生。可愛いものには目が無いのだ。
「ふむ……この耳、ほんのり温かい……あれ、人間の耳もあるのか。一体全体、体の構造はどうなっているんだろう……? あ、うさぎの妖怪だとしたら、ここに尻尾が……?」
「どこ触ろうとしてんのよ変態!」
 切り替わりが早すぎる女子高生の腕が、良からぬ場所へと滑り込まれそうになった瞬間、ウサ耳少女は菫子の腹めがけて膝蹴りを放つ。
 好奇心を満たそうという欲求に素直になっていた菫子は、下腹部の衝撃によって漸く我に返った。
「……ハッ! 私は今まで何を」
「ったく、姫様の命令がなければこのままブチのめして帰ってたところだけど、仕方ない。ほら、連れてってあげるよ」
「連れてってあげる……? どこに?」
「決まってんじゃん、永遠亭だよ」
 ウサ耳少女から飛び出た思わぬ単語に、菫子は目をしばたたかせた。

  ◆

「はい、ここだよ」
 ウサ耳少女――因幡てゐは、竹林と塀に囲まれた日本家屋を指差して、そう言った。
「ここが……永遠亭」
 一見すると、大金持ちが持っていそうな別荘だ。果たして本当に、宇宙人と月のお姫様が住んでいるのだろうか? 宇宙人が住んでいるというのだから、もっとSFチックな様を想像していた菫子は、肩透かしを食らったような気分になっていた。
 てゐが塀の戸を押し開き、菫子はその後に続く。
 一瞬視界に入った日本庭園に目をやっていると、てゐがお屋敷の扉を開いていた。菫子はその後を追い、帽子を脱ぎながら建物の中へ入る。
「え、あれ?」
 そこは言ってしまえば、片田舎の診療所の待合室のような部屋だった。月のお姫様がお医者さんでもやっているのだろうか。いやいやそんなわけ無いだろうと菫子は自身にひっそりとツッコミを入れていると、突如てゐからバインダーを渡された。
「なにこれ」
「初受診の時は色々書かされたりするでしょう? あんた、病院に行ったこと無いの?」
「いやそんなことはないけど……」
「足、捻挫してるんでしょ? お師匠様がタダで診てくれると思うから、お言葉に甘えなよ」
「タダって……大丈夫なの、ここ。ていうか本当に病院なのね……」
「ま、ツケを押し付けられる相手がいるからさ。そういう細かいところは気にしなくていいよ。宇佐見菫子さん、だっけ? 名前を呼ばれるまで椅子に座って待ってな」
 ローファーを脱いで下駄箱に入れ、スリッパに履き替えて、ビニール製の長椅子に座る。てゐは『診療室』と書かれたプレートがかかっている扉の向こうへ消えてしまった。
 待合室は彼女一人だけ。こんなので経営は成り立っているのだろうか。……というより、こんな竹林の奥深くであれば、そもそもたどり着くことすら困難では?
 人里の近くに移転すればいいのに、なんてことを菫子は考えながら、バインダーに挟まれていた紙に身長体重や生年月日、血液型などを書き込む。
 裏まで続いていた簡単なアンケートに答え終えると同時に、菫子の頭に嫌な想像がよぎる。
 ここにもし、噂通りに宇宙人が存在していたとしたら。
 宇宙人に関する都市伝説といえば、宇宙船に攫われ解剖されたり、キャトルミューティレーションだったり。もしかすると、既に化物の腹の中である可能性も?
 ……いや、と菫子は続けて考える。
 仮にそんな人権度外視な行為を続けていたならば、霊夢さん達が黙っていないはずだ。こうして野放しになっている現状を見るに、それはありえない。いやしかし、妹紅さんが関わるなって言ってたし……。
 ええい、ここはなるようにしかならないだろう。最悪、宇宙人との戦いも想定しなければ。
 菫子があれこれと悩みつつも覚悟を決めていると、
「宇佐見菫子さん?」
 診療所と待合室を隔てる扉の向こうから、彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。菫子は返事をして立ち上がり、扉を開く。
 視界に入ってきた診療所もまた、彼女が知っているソレとよく似ていて。
 少し硬そうなベッド。多数の引き出しと書類が収まっている棚。直ぐ側に、また別の部屋に通じているのであろう扉。壁際の机のすぐ近くに椅子が二つ置かれていて、一つは女性――恐らくこの人がお医者さんだろう――が座っており、片方は空席となっている。
 その女性は空席に手を向け、座るよう促していた。菫子は、素直に従い、腰掛ける。
「記入した紙を見せてもらえますか?」
「は、はい」
 そういって、菫子はバインダーを手渡した。女性は顎に手を当てながら、黙読し始める。
 菫子はその隙に、彼女をまじまじと観察した。
 ツートンカラーという少し変わった服とスカートを穿いていて、上から白衣を羽織っており、ナース帽に似た帽子を被り、長い銀髪を三つ編みに纏めている。漂わせている雰囲気は、只者ではないことを感じさせるのに十分で。
 肌は色白、顔はよく整っており、かなりの美人と言って良いだろう。胸元には名札がつけられていた。八意永琳、というらしい。
 それにしても、妖怪兎がお師匠と言っていたから、てっきりその人もウサ耳を生やしているものかと菫子は思っていたが、実際はそうではなかった。予想が外れたことに菫子は少々不満げにしていたが、目の前の先生がウサ耳を生やしていたらこんな感じかな、なんてことを彼女は空想して、心の中でクスクスと笑った。
「……どうかしました?」
「い、いえ何でも」
 心の中の笑みが口元にも出ていたらしい。永琳に怪訝な表情を向けられ、彼女はちょっぴり恥ずかしくなった。
 永琳はその表情をすぐ引っ込めると、卓上においてあった鈴を鳴らし、壁際のベッドを指差しながら言った。
「実際に患部を診ます。靴下を脱いで、横になってもらえますか?」
 今の鈴には何の意味があるのだろうと考えつつ菫子はそれに従い、素足になってからベッドに横たわった。永琳は細い指を伸ばし、菫子の足を動かしたり注意深く観察したりしては、手元の紙に何かをメモしていく。キャトルミューティレーションのように体を切り刻んでくるわけでもなく、解剖してくるわけでもない、ただの触診だったので、菫子は安心した。
 数分ほどしてから、永琳は口を開く。
「では、診断はこれで終了です。お疲れ様でした。もう待合室に戻って大丈夫ですよ。後で薬を持って行かせますので」
 彼女がそういった直後、菫子が入ってきたものとは別の扉が開かれた。
「お師匠様、只今参りました! どういったご用件でしょうか?」
 目線を向けると、制服を着て、長髪で頭からヨレヨレのウサ耳を生やした女の子が見えた。
 妖怪兎自体は先程見たから特に驚きはしなかったものの、何というか、昭和のバニーさんみたいだ、という印象が頭の中に浮かんだ。
「鈴仙、処方する薬を調合してほしいのよ。詳しくはこれを見て」
 永琳は鈴仙に、先程まで色々と書き込んでいた紙を差し出す。彼女はそれを受け取ると「了解しました!」と言い残し、駆け足で扉の向こうへと消えた。
 ベッドに腰掛けたまま、菫子はその様子をぼうっと眺めていた。
 そこで彼女は、思い出す。別に自分は診察を受けに来たわけではない。永遠亭に関する謎を確かめるためにやってきたのだ。ここで黙って待合室に戻ってしまえば、何も始まらない。
 菫子は靴下を履き直してから、意を決して口を開いた。
「……宇宙人と月のお姫様がここに住んでいるって、本当なんですか?」
 彼女の言葉に、永琳はピクリと眉を顰め、軽くため息を吐いた。
 まるで、面倒事が舞い込んできたなと言わんばかりに。
「あまり見ない格好だから、まさかとは思っていたけれど……。姫が言っていた彼女っていうのは、貴方のことだったのね」
 若干項垂れながら、小さく永琳は呟いた。
 彼女の言葉の意図が掴めず、菫子は困惑していると、永琳は椅子から立ち上がり、菫子に背を向けながら扉に手をかけた。
「後で鈴仙に案内させるから、先ずは待合室で待っていてください」
 彼女はそう言い残すと、そのまま扉の向こうへと消えていってしまった。
 特に深く説明されること無く、菫子は診療室にポツンと取り残されてしまった。

  ◆

 菫子は言われたとおり、待合室で静かに待っていた。
 無論、ただぼうっとしているわけではない。先程のシーンを想起し、思考を巡らせていた。
 八意永琳。彼女は『姫が言っていた』と呟いていた。姫、とは因幡てゐも言っていた対象と同じ、つまり月のお姫様と考えて良いだろう。
 だとすると、八意永琳が宇宙人? しかし、宇宙人として想像するような容姿とは似つかない。勿論、エイリアンとして描かれてきた、あのグレーでタコみたいな形状をしていると思いこんでいたわけではないが、彼女はあまりにも地上の人間そっくりだ。
 けれど、必要以上に刺激してしまうと……。漂わせていたあの只者ではないオーラに秘された本性、隠された逆鱗に触れてしまえば、何が起こるか判らない。触らぬ神になんとやら。目に見えた地雷を軽々しく踏みに行くほど、彼女は能無しではない。
 そもそも何故、月のお姫様が宇宙人なんかと地上にいるのだろうか。
 竹取物語では最後、かぐや姫は月へと帰ったはずだ。不老不死の薬を残して。
 考えられる可能性は二つ。一つは、そもそも此処にいるとされている月のお姫様はかぐや姫ではなく、別の何か、或いはそうだと名乗っているだけの地上の存在。
 もう一つは、竹取物語では語れなかった、続きが存在している。
 それに加えて、八意永琳の口ぶりからすると、まるでお姫様はこちらのことを既に知っているようにも考えられる。どういうことなのだろうか。
 ……何にせよ、お姫様に会ってみないと話にならない、か。彼女が深くため息を吐いた、その直後。
「あのー……」
 頭上から、声が聞こえてきた。
 菫子が反射的に顔をあげると、永琳に呼ばれて何処かへ消えていった女の子が目の前に立っていた。考え事に夢中になっていた所為か、近寄られたことに気が付かなかった。
「薬を持ってきました。患部を見せてもらえますか?」
 菫子は黙って頷いて、靴下を脱ぎ、膝を抱えるように足を動かす。鈴仙は菫子の目の前にしゃがむと、持っていた薬箱を床に置いて広げ、そこから瓶を幾つか取り出した。
 そのうちの一つの蓋を開けると、指を中へ突っ込んで半固形の製剤を掬い、菫子の患部に塗っていった。菫子は彼女の手の動きに、師匠と呼ばれていた永琳と比べ、どこか覚束ないものを感じた。慣れていないというか。なんというか。
 二人の間に、暫し沈黙が横たわった。が、それを唐突に菫子が破る。
「貴方の師匠って、何者なの?」
 妖怪兎ならば、疑問を直接ぶつけてみても大丈夫だろうという判断だった。間接的に知ることができれば御の字。そうでなくとも、なにか掴めるものはある筈。
 注目の反応は、酷く冷たいものだった。
「別に。そう呼んでいる通り、師匠は師匠。それ以上でも、それ以下でもない。そもそも、貴方に話す必要は無いでしょう?」
 無論、菫子はこう来るだろうなという予感はしていた。相手にされていないのか、それとも師匠と強固な絆で結ばれているのか。どちらにせよ、彼女から具体的な情報は得られなさそうだ。
 鈴仙は幹部をタオルで拭くと、湿布を貼り付け、上からネット包帯で包むと、薬瓶の片付けを始めた。治療はこれでお仕舞いということだろう。湿布を貼ってもらった場所に気をつけながら、菫子は靴下を履く。心なしか、痛みが引いていくような気がした。
 鈴仙は薬箱を抱えて立ち上がり、少し菫子の顔を一瞥したかと思うと、くるりと背を向け、歩き始めた。ついてこい、ということなのだろう。
 菫子は立ち上がり、鈴仙のすぐ後ろにつく。彼女は扉に手をかけて、静かに呟いた。
「姫様の前で、無礼な行いは止めてよね」
 さあ、いよいよ月のお姫様に会える。菫子は気を引き締めた。

  ◆

 鈴仙の後を追い、菫子は廊下を歩く。が、この廊下がとても長い。
 外から見た屋敷の広さよりも長いのでは? と思ってしまうほど右や左へ曲がり、延々と歩かされ、時折てゐよりも小さな妖怪兎が前方や後方からやってくる姿を見て、もしかして狐に化かされているのではと菫子が考え始めた直後。鈴仙は漸くその歩みを止めた。
 彼女の傍らには、どこか物々しい雰囲気を漂わせている襖。明らかに、向こう側に誰かがいる。妙な空気に、菫子は自然と背筋が伸びた。
 鈴仙はその襖の前に正座すると、向こう側に届くよう少し大きな声で言った。
「輝夜様。例の者を連れてまいりました」
「お疲れ様。入ってきていいわよ」
「はい。失礼します」
 襖が静かに開かれ、ひっそりとした和室が菫子の前に広がって。
 そこに、彼女がいた。
「初めまして」
 襖の反対方向にある丸窓から外を見ていた彼女はそういいながら、長いみどりの黒髪をふわりと揺らし、そっと振り返った。
「宇佐見菫子さん」
 驚く程に整った顔立ち。目を細め、口をほんの少し緩めている朗らかな表情からは、あどけなさと同時に、凛として上品な印象も受ける。
 その美貌は、同性であるはずの菫子の心にさえ強く響くもので。
「……綺麗」
 彼女は無意識にそうひとりごちると、黒髪の彼女は口元を袖で隠しながらクスクスと笑った。
「お世辞でも嬉しいわ」
「そんな、お世辞ではなくて」
「いいからいいから。色々と聞きたいこともあるだろうし、座っちゃって」
 漂わせる雰囲気に反し、軽い口調で彼女はそう言うと、指で畳を軽くトントンと叩く。菫子はすぐさま彼女の前に正座した。
 鈴仙も中へと入り襖に手をかける。そして閉じられるや否や、菫子は眼鏡をくいと持ち上げつつ訊いた。
「貴方が、月のお姫様……?」
 菫子の疑問を聞いて、輝夜は目をしばたたかせると、今度は肩を震わせながら笑った。よく笑う人なのか、それとも私がおかしなことを言っているのか。多分後者なのかな、と菫子は思った。
「あえて言うなら、元月のお姫様かしら」
 輝夜はそうつぶやくと、こほんと咳払いをして言った。
「改めまして、初めまして。私の名前は蓬莱山輝夜。気軽に輝夜と呼んで構わないわ。宇佐見菫子さん」
「どうも、輝夜さん。宇佐見菫子と言います……。ところで、どうして私の名前を? というか、八意さんが、まるで輝夜さんが私のことを呼んでいたような事を言っていたのですが、それは一体全体、どういうことなのですか……?」
「以前妹紅と逢った時に、貴方のことを話してたのよ。それで、ずっと気になっていたんだけれど、今日貴方が来るような気がしたから、永琳やてゐに一応伝えておいたのよ」
 初対面の人から、見知った友人の名が飛び出し、そもそも彼女が原因でここに一人でやってきたことを、菫子は思い出す。
「そう、妹紅。妹紅と永遠亭には、関係が?」
 彼女の問いを聞いてから、輝夜は目を伏せながら立ち上がった。
「色々と……ね。そうだ、長話になりそうだし、何かしない?」
 輝夜は窓際に置かれた机に向き合うと、真ん中に置かれていた盆栽――七色の珠が実っている綺麗で珍しそうなものだ――を隅に退かしてから、同じく机の上に置いてあったカードの束と赤い布を手に取り、再び菫子の前に座った。
「こいこいは分かる? 花札を使った遊戯よ」
 こいこいとは、手札や山札を場札と合わせ、役を作り、得点を得ていく遊戯である。
「ルールくらいは、一応」
「そう、なら問題ないわね」
 輝夜は柔らかく微笑むと、菫子と自身の間に布を敷き、札を並べ始めた。
 その様子を黙々と菫子は眺めていると、輝夜が話しかけてきた。
「妹紅はなんと言っていたのかしら? 私達のことを」
「アイツに関わると、碌なことがないって」
「妹紅が言いそうなことね」
「……仲が、悪いんですか?」
「悪いなんてもんじゃないわ。最悪。……といっても、あくまで私と彼女の間だけね」
 場にカードが並べられ、手札も配り終わった。菫子は裏返された自分の手札を手に取る。
「その様子だと、最初から話を始めた方が良さそうかしら。あ、一応行っておくけれど、私が親ね」
 輝夜は手札から松に鶴を出し、山札から桐に鳳凰を引き、それぞれ合う札に重ねて自身の元へと引き寄せながら、語りだした。
「昔々のお話よ。月の都に住んでいたお姫様は、戯れで従者に蓬莱の薬――不老不死の薬を作らせ、それに手を出し、老いることも死ぬこともなくなった。けれどその行為は、月の都では大罪だったの。罰として、お姫様は穢れた地上に堕とされた。その後、地上の翁に拾われて、貴方が知っているような物語が続くの。あ、三光が揃ったわ。こいこい! ……猪鹿蝶。順調な滑り出しね」
 竹取物語で綴られることのなかった物語が、作品の主要人物たるかぐや姫の口から語られ、しかもその本人と遊戯をしている。加えて、彼女は不老不死なのだという。妹紅の他に、不死身の存在がいるなんて! あまりにも現実離れしている幻想的な状況に、菫子は内心高ぶっていた。それは、得点の高い役を揃えられても、悔しいと感じないほどに。札を纏めて輝夜に渡し、再び彼女から札が配られる。
「私が知っているというのは、竹取物語のことで合ってますか?」
「ええ。翁によって大切に育てられ、私の美貌が段々と世に知れ渡り、求婚者が沢山やってきて。全員振っていたら、最後は帝まで現れて。……でも、それらが正しいのは終盤まで」
「終盤?」
「月からの使者が現れて、私が強制送還される場面。あの時の私は悩んでいたわ。地上の穢れに当てられたからなのか――いえ、目が回るほど変化に富んだ地上に愛着が湧いていたの。そんな時に、私は見つけた。使者の中に、私の従者である永琳を」
 宇宙人というのはつまり、月からやってきた永琳のことなのかな……というか、よく考えたら月から来たかぐや姫も実質宇宙人じゃないか、と菫子は思いながら手札を場に出し山札をめくる。どちらも捨て札だった。勝負は輝夜有利のまま進む。
「永琳は私の想いを汲み取って、地上を飛び立った後、すぐに行動してくれた。これからも、地上で暮らせるように。そのまま私達は、高貴な月の民から、地上にへばりつく地上の民になったの。永遠にね」
 そこまで語り終えると、穏やかな表情を浮かべながら、輝夜はふぅと口から息を漏らした。そのような美しい顔とは裏腹にこいこいは強く、五回戦ほどやっても菫子は全く役を揃えられないでいた。
「はい、私の昔話はこれでお終い。ここからは、藤原妹紅の昔話」
 見知った友人の名前が、彼女の口から再び出てきた。
 藤原妹紅。菫子にとっては、かけがえのない友人。けれどその過去は、殆ど知らない。
 その秘密が、今、曝かれようとしている。菫子は生唾を飲んだ。
「私が地上から去る際に色々あって、ある人達に蓬莱の薬を手渡したの。けれどその薬は誰にも服用されず、この島で一番高い山で燃やされることになった。貴方の知っている通りにね。人がかき集められて、輸送隊が編成され、すぐに出発。時間をかけて目的地にたどり着き、任務は滞りなく遂行されるはず……だった」
 輝夜は何故か声を潜めさせながら、話を続けた。
「実は、その集団を、後ろから一人の少女が尾行していたの。少女の父親は、月からやってきたお姫様に魅了され、最後は大恥をかいた。少女はその出来事が許せなくて、お姫様に復讐心を抱いていたの。けれど、それを果たす機会は得られず、とうとうお姫様は月へと帰ってしまった。彼女はどうしても、振り上げた拳をどうにかしたかったのね。そこで目をつけたのが、月へ帰る際にお姫様が残した壺よ。――この時、彼女はまだ壺の中身については知らなかった」
 輝夜の話を聞きながら、菫子は妹紅の幼少時代の姿を想像する。けれど、上手く像を結ぶことが出来なかった。
「輸送隊と少女は、なんとか目的地の山に辿り着いた。その日は体を休め、翌日に任務を果たしてから下山しよう。そういう話になったのだけど……。少女が目を醒ました時、周りは血の海だったそうよ。彼女と、輸送隊の男が一人だけ、生き残っていた。
 その男以外のメンバーには、壺の中身は知られていなかった。けれど、何者かがそれに気づき、奪い合いが起こってしまったのね。男は少女に中身が何かを教え、自分一人でも、と任務を果たそうとしたの。でも少女は、その男を手に掛け、目的である壺を奪った。そして……中身を服用したの」
 妹紅が不老不死になった顛末が、まさか有名なお伽話と繋がっていたなんて、と菫子は驚くと同時に、彼女の口から語られていない話を――彼女が意図的に秘しているのかもしれない過去を無断で聞いてしまったことに対する罪悪感が、チクリと胸を突いていた。
「知りませんでした……」
「アイツも面倒くさがり屋だし、あまり自分のことを語ろうとしない柄だからね」
「ところで、その話って千年近く前の話ですよね? 妹紅は今もまだ、輝夜さんを憎んでいるということですか?」
「そうよ。定期的に逢っては、殺し合いをしているわ」
 クスリと笑いつつ、お互い不老不死だから死なないのだけれどね、なんて言いながら、輝夜はずいと体を寄せ、菫子の顔を覗き込んだ。
「どう? 対峙しているお姫様は、友人である妹紅の憎き敵。貴方も、私のことが嫌いになった?」
 菫子の視界が、輝夜の顔に支配される。遠くからでも美しかったその顔が、目と鼻の先に迫る。
 宝石のように綺麗な瞳。スラッとした鼻筋に、瑞々しい唇。この世のものとは思えない美貌を前にして、菫子は息をすることさえ忘れてしまい。
「あ、あくまで妹紅と輝夜さんの問題ですから……。私は、別に嫌いにはなっていません、よ」
「そう、優しいのね」
 なんとか喉から絞り出した返答に、輝夜は満足したような笑みを浮かべつつ、身を引く。菫子は妙に早鐘を打つ胸にそっと手を当て、呼吸を整えた。そしてふと、妹紅が言っていた言葉を思い出す。
 アイツと関わると禄なことがない。その意味を、菫子は今漸く理解した。彼女の美しさは、帝さえ魅了したものだ。たとえ同性でも、それからは逃れることは出来ない、という事なのだろう、と。
 だとすると、自分は既に、彼女に飲み込まれているのでは?
 今の今まで語られてきた話は、あくまで彼女が見聞きしたとするもの。それらはひょっとすると、騙られたものかもしれない。
 ……けれど、彼女が噓をついているとは、菫子には到底思えなかった。
「さて、こいこいの続きでもしましょうか」
 ニッコリと微笑みながら、輝夜は布の上を手で示す。
 意識が彼女のことから手元の札へと移り、菫子は小さく唸る。何故なら、輝夜はとても強かったからだ。
 ほぼ毎回三光を揃え、その上こいこいで猪鹿蝶や短冊を集め、点数を荒稼ぎしている。菫子が揃えかけた役といえば、良くて短冊、せいぜいがカス程度。
 四回程ならば運が悪いのだろうと思ったり、輝夜の駆け引きが強いのだろうと思ったりするが、こうも負けが続くと、どうしても彼女のことを疑ってしまう。そもそも、こいこいはこんなにも役を揃えやすいものだったか? と菫子は首を捻る。
 敗因を相手に見出すのは良くないことだと、重々理解してはいるものの、ここは幻想郷だ。常識では考えられない芸当が出来る存在なんてわんさかいる。
 もしかすると、目の前のお姫様は、自身の能力でこいこいを有利に進めているのではないか。例えば、山札の並びを意のままに操っているとか。
 ……確かめる術はあまり無い。けれど、今までと違う流れになれば、何か見えるかもしれない。菫子はそう考え、輝夜に提案した。
「ルールに抵触しますが、次は私が親をやりたいです。ダメでしょうか?」
 初回から十戦目まで、輝夜が全て親を務めてきた。カードを配る時点で細工を仕掛けているなら、自分が親になれば、何か変わる可能性がある。
 菫子の考えを知ってか知らずか、輝夜はニッコリと微笑みながら応えた。
「ええ、良いわよ。ただし、ズルは止めてよね?」
 輝夜から山札を受け取り、菫子はしっかり握りしめる。
 点数差は圧倒的。ここからの逆転は不可能。だが、せめて点数の高い役を揃えたい。負けず嫌いな、菫子の想いだった。
 彼女は静かに、蒐集して、山札を切り始めた。絶対に良い役を出すのだと、想いを込めながら。
 丸々一分ほど混ぜてから、輝夜、場、自分の順で札を配る。八枚ずつ配り終えると、菫子は場の横に山札を置き、自身の手札を見る。
 これまでにないほど良い手札だった。ひょっとすると、彼女が何かをしていたという仮定は、間違っていないかもしれない。菫子は嬉しさのあまり、表情を緩ませる。
 対する輝夜は、笑顔が若干陰り、眉を顰めていた。
「それでは、私からいかせてもらいますね」
 菫子は手札から菊に盃を出し、場の菊のカスを重ね、山札からめくった松のカスを場に出ていた同じ月の一点札に重ね、計四枚を自分のものにした。
 彼女の順調な初回とは相反するように、輝夜の手札と山札からめくった札は芳しくなく、牡丹のカスと青短を合わせるにとどまった。
 菫子は赤短を場の桜に幕に重ね、山札から松に鶴を出し、役を宣言する。
「花見で一杯!」
 菊に盃と桜に幕という二枚の組み合わせからなるこの役は、比較的揃えやすく、点数も悪くない。
 ルールではこのまま次のゲームを始めることが可能だが、これだけで満足する彼女ではなかった。
「こいこい!」
 手札には松に赤短、場には一月の光札。次の番でそれを取れば、三光にリーチがかかる。桐に鳳凰と芒に月は手札にも場にも無いが、合札となるものは手札に存在していた。勝負の流れはこちらに傾いている。これを断ち切るわけがなかった。
 輝夜は先ほどと変わらず、場と手札の相性が悪いままで。手札から藤のカスを取り出し、山札からめくった菖蒲に八橋を短冊に重ねるに留まった。
 自分の番が回ってきて、先ほど考えていた通り菫子は手札の松に赤短を場の松に鶴に重ね、山札をめくる。幸い、芒に月だった。これで次回の番で、運が良ければ三光が揃う。
 勿論、それを輝夜が見過ごす筈がなかった。彼女は手札から八月の種札を出し、芒に月へ重ねて妨害しつつ、山札からめくった紅葉のカスを場の青短を重ね、かっさらっていく。輝夜の手元には、青短が二枚。あちらにもリーチをかけられてしまった。
 こいこいを宣言し勝負を続けた場合、相手が役を揃えてしまえば、得点は二倍となる。そうすれば、せっかく自分が揃えた役が無駄となってしまう。
 この際、贅沢はしていられない。幸い、菫子も赤短が二枚ある。場には梅の赤短が残っていた。手元には、残念ながら二月の札は握られていない。山札から引いた札に賭けるしか無い。
 菫子は藤のカスを場に出し、山札に手をかけた。どうか、梅に鶯か梅のカスが引けますように、と願いながら。
 恐る恐る札をめくり、確認する。
「……あっ」
 彼女の手に握られていた札は、菊のカスだった。まずい、と思いながら、場にそっと置く。
 それを見た輝夜は、安堵するかのように顔を緩ませた。
「まさか」
「そのまさかよ」
 輝夜はスルリと手札から札を伸ばし、対応する場の札に重ね、宣言。
「青短。……危なかった」
「また負けた……」
「さあ、最後の勝負よ。貴方との点数差は圧倒的だけど、まだやるでしょう?」
「ええ。最後くらい、もっともっと高い役を、幾つも揃えてみせますよ」
 輝夜は山札を菫子に差し出した。また親をやってよいという意味なのだろうと捉え、菫子は快く受け取る。
 そして、先ほどと同様に山札を切る。今度こそ、今度こそ勝つのだと集中しながら。
 長々と混ぜ、同じ手順で札を配った。山札を定位置に置き、自身の手札と場の札とを確認する。
 先程よりも、手札も場も自分に有利に傾いていた。漸く、運気がこちらにやってきたということか。菫子は心の中でひっそりと笑う。
「では、いきます」
 その声を合図に、菫子は手札から芒のカスを取り出し、場の芒に月と重ね、山札から紅葉に青短を引いた。十月の札は場に無く、菫子は二枚の芒の札を回収する。
 輝夜は静かに自身の札から藤に青単を出すと、場の藤に不如帰と重ね、山札からひいた紅葉に鹿を、先程菫子が引いた紅葉に青単に重ね、計四枚を自身の前に並べた。
 再び番が回ってきて、菫子は手札から桐に鳳凰を出し、場のカスと重ねた。三光にリーチがかかった。山札からは桜に幕を引いたものの、三月の札は見当たらない。ここで決めきれなかったのは残念だが、しかし急ぐ必要もない。手札には桜のカスが握られているから、次の番で揃えられるだろう。
 勿論輝夜も、黙って三光を揃えられる様子を眺めるばかりではない。手札から桜に赤短を出し、桜に幕と重ね、妨害する。山札からは牡丹に蝶を引き、場の牡丹のカスと共に自身の札として手に入れた。猪鹿蝶にリーチがかかり、桜に幕を取られるという事態だが、菫子は少しも動じない。
 彼女は手札から松に赤短を出し、場の松に鶴と重ねる。山札から桐のカスを引いたものの、合札が見当たらない。だが、それは些細なことだ。
 手元には、芒に月、桐に鳳凰、松に鶴。
「三光! こいこい!」
 数戦前に輝夜がしたように、菫子も三光で満足せずこいこいを宣言する。
 先に役を揃えられるのなら揃えてみろという菫子の挑発に、輝夜は目を細め、自身の札に手をかけ、答える。
 彼女は菖蒲に短冊を取り出すと、場の菖蒲に八橋と重ねた。山札からは菊に青短。輝夜は思わず苦々しい表情を浮かべる。リーチが増えた事自体は喜ばしいことだが、菊を場に残してしまったことが気がかりで。
 菫子の番になるも、手札と合う札が場に見当たらない。次以降を考え、桜のカスを場に出し、山札に手をかける。
 良いものが引けるようにと願いながら、一心に札をめくる。菊に盃だった。場の菊に青短と重ね、宣言。
「月見で一杯! 輝夜さんが引いてくれたお陰ですよ」
 お姫様は静かに瞼を閉じ、輝夜は答える。
「私の負けね」
 素直に敗北を認め、自身の合札を片付けようとした輝夜に対して、菫子は掌を突きつけ、制する。
「まだまだ、こいこい!」
 輝夜は驚いたように目をしばたたかせた。
「……いいの? 私はあと、萩に猪か短冊を取るだけで役が揃うのよ?」
「いいえ、私が先に揃えますよ」
 菫子のまっすぐな瞳を見て、輝夜は一瞬息を呑む。そして、彼女の意思に答えるように、手札から桐のカスを取り出し、場の同じく桐のカスと重ねた。
 ここで山札から十一月のいずれかの札を引けば、場の柳に短冊と合わせられ、輝夜の勝ちとなる。
 輝夜は静かに息を吐いてから、山札をめくった。
「……なるほどね」
 萩に猪だった。場に合う札はない。
 菫子は手札から七月の短冊を取り出すと、直前に輝夜が場に出した萩に猪と重ねる。山札をめくると、柳に小野道風。場の柳に短冊と重ね、宣言。
「雨四光」
 計十二回の戦いの中で、菫子が最も点数の高い組み合わせを揃えた瞬間だった。
「完敗だわ」
 輝夜は肩の力を抜きながら、そう呟く。
「やっと……勝てた……」
 お伽噺の登場人物と遊戯をして、全体では敗北したものの、僅か一回だけだが、勝った。その事実を噛み締めながら、菫子が脱力し、勝利の余韻に浸り始める。
 それと同時に、突如異変が起こった。
 襖の向こう側――廊下から、突然爆発でも起こったかのような破裂音が聞こえてきて、かと思えば足音が断続的に空気を揺さぶりだしたのだ。
 輝夜と菫子のやり取りを後方で静かに見ていた鈴仙はすぐに立ち上がり、襖と向き合う。輝夜はニタリと口元を歪ませるも、すぐに自然な笑みへと戻した。
 菫子は、静かな空間を劈いた突然の異音に驚き、勝利の余韻が何処かへ霧散してしまった事に不貞腐れつつ、襖の方を一瞥した。
「一体何が」
「しーっ。静かにね。大丈夫だから」
 心配そうな声を上げかけた彼女に対し、輝夜は余裕そうな表情を浮かべながら、口元に人差し指をつけ、そう遮るだけで。
 微笑まれながら大丈夫だと宥められて、菫子の不安は幾分か解消された。それでも、嫌な予感は心の中でぐるりぐるりと渦巻いて。
 どんどん膨らんでいく不安に比例するかのように、騒音はどんどん大きく、いよいよ近づき。
 廊下ですれ違った小さな妖怪兎を想起して、彼女達が暴れているのかな、なんて想像を菫子がした、その時。
「『障壁波動』!」 
 襖が開かれると同時に、鈴仙は襖の方向へと向け、月の狂気で生成された障壁を形作る。
 けれど、侵入者はそれを物ともせず、バリアを破壊しつつ隙間から手を伸ばし、鈴仙の頭をひっつかんで、彼女を廊下へと引きずり出してしまった。侵入者はその反動を利用して、和室の中へ足を踏み入れる。
 騒音は消え去り、静寂が辺りを包む。しかし、菫子の心に押し寄せてきたものは、安堵ではなく、更なる不安だった。
「あら、遅かったじゃない」
「も、妹紅!」
 そこに立っていたのは、藤原妹紅だった。よほど一心不乱に此処まで来たのか、服の所々に枝や葉っぱがくっついており、泥だらけの靴を履いたままである。
 先程の足音から、急いでいたことは確かだ。なのに今の彼女は、顔を俯かせ、静かに佇んでいる。乱れた髪がはだけ、すぐ傍に座っている菫子でさえ、表情をうかがい知ることはできなかった。
 雑音より、痛いほどの沈黙。
 それを破ったのは、妹紅だった。
「お前……」
 呟きながら、彼女は顔を上げる。その表情は、怒りに燃えていた。
 鬼のような形相でキッと輝夜を睨みつけ、彼女は叫ぶ。
「菫子に、何をした!」
 同時に足を強く踏み込む。畳に走る衝撃は、菫子を震え上がらせ、布の上の札を幾つか舞い上がらせた。
 回答次第では容赦しないという妹紅の態度に対し、輝夜は全く動揺せず、火に油を注ぐかのようにニタニタと笑みを浮かべていた。
「何って、ただ、お伽話を聞かせてあげただけよ。大切な友人に、ね」
 そう言いながら、輝夜は菫子を抱き寄せた。殺伐とした空気で、息をするのもやっとだった菫子の鼻腔に、心地よい匂いが広がり、輝夜の柔らかい体に上半身が当たる。それはまるで、夢心地に誘われるほど優しいもので。辺りを漂う沈黙とのギャップに、菫子の頬は紅く染まり、思考は強制的に固まった。
 自らの胸の中でほだされてゆく彼女を優しく見つめてから、輝夜は勝ち誇ったような表情を浮かべ、妹紅を煽るかのように、睨みつける。
 無論、輝夜の一連の行為は、ギリギリまで押さえつけていた怒りの感情を、決壊させるもので。
「私の……友人に……手を出すな!」
 吠えるように妹紅は叫び、輝夜から菫子を力ずくで引き剥がす。片腕で菫子の頭を自身の胸に抱き寄せると、もう片方の手で握り拳を作り、輝夜の顔面にストレートを叩き込んだ。
 怒りに燃えたぎった鉄拳は、彼女の頭蓋骨を砕くだけに留まらず、体が宙を浮き、丸窓をぶち破って、中庭へと吹っ飛んだ。
 顔面が妹紅の胸に押さえつけられている菫子は、その様子を聴覚だけで感じていた所為か、何が起こっているのか理解できていない様子で。妹紅に言葉を投げかけようとするも、喉に言葉がつっかえて、うまく声が出てこない。
 手の甲に付いた骨肉を振り落としながら、妹紅は彼女の帽子を拾う。そのままよいしょと声を漏らしながら菫子を横抱きした。眼鏡がズレ、素っ頓狂な表情を浮かべている菫子を見てくすりと笑ってから、妹紅は手に持っていた帽子を菫子に押し付ける。
 そのまま妹紅は彼女をしっかり抱きしめて、数秒前に出来上がった壁の穴から抜け出し、永遠亭から脱出した。

  ◆

 妹紅に強く手を引っ張られながら、菫子は裸足で迷いの竹林を歩いていた。どうやら妹紅は彼女を連れ去ることしか考えていなかったようで、下駄箱に菫子のローファーがあることを見落としていたようだ。
 彼女達を取り巻く空気はどんよりとしていて、落ち葉を踏みしめる音だけが、鼓膜を揺さぶっていた。
 外界の自分が目を醒ましたら、こんな重苦しい雰囲気からすぐに脱出できるのに、なんて自分勝手な思考が、菫子の頭をよぎる。けれどそれは、後々へ持ち越されるだけで、何の解決にもならない。そもそも悪いのは自分ではないか。浅はかな事を考えてしまうなんて、まだまだ自分は子供だな、と彼女は自身を責め、意を決して口を開く。
「……ごめんなさい」
 途端に、妹紅はその足を止めた。小さく悲鳴を上げながら、菫子もなんとか止まり、彼女の背中にぶつからなくて済んだ。
「謝って済む話じゃないからな」
 ごく自然な返答に、菫子はただ俯くしか無かった。
「まあ、お前の好奇心を甘く見ていた私にも、責任の一端はあるから。……そんなことより、無事でよかった」
 妹紅はそう言うと、両の手を菫子の肩に置いた。菫子が顔を上げると、そこには優しく微笑む妹紅が視界に映った。その眩しさに合わせる顔が無いと言わんばかりに、彼女は帽子を深く被った。
 そもそも、無事というか、治療を受けて昔話を聞いただけなのだが。と彼女は小さく心のなかで突っ込んだ。
「ところで、輝夜から何を聞いた?」
 やはりそこが気になっていたのか。菫子は小さく呟くように答えた。
「妹紅の、昔話を」
「どこまで」
「不老不死になるまで」
 それを聞いて、妹紅は深くため息を吐いてから、菫子の隣に立ち、手を取って静かに歩き始めた。先ほどのように強く引っ張るわけでもなく、同じ速度で歩けるよう、優しく包み込むような手に、菫子は安堵する。
「せっかくだし、その先も話そうか」
「……隠していたんじゃないの?」
「別に、菫子に隠していたつもりはない。ただ、言い出す機会がなかっただけ」
 妹紅はそう言ってから、静かに語りだした。
「不死になってから最初の三百年。あらゆる人間に嫌われ、身を潜めないと自分にも周りにも迷惑を掛ける、哀しい年月だった。
 次の三百年は、この世をあらゆるものを恨み、妖怪を始めとした有象無象を見つけ次第退治する、殺伐とした年月だった。今使っている妖術は、この時期に憶えたものさ。
 その次の三百年は、その辺の雑魚じゃ物足りなくなって、あらゆる事に対してやる気を失い、死体みたいに日々を過ごす、余りにも退屈な年月だった。
 ……その次の三百年、ついに私は輝夜と再会し、ヤツと殺し合いに楽しみを見出すことが出来た」
 その表情が、少し曇る。
「でも、深秘異変が終わり、菫子が幻想郷へ出入りするようになった初夏から、アイツは私の前に姿を現さなくなった。私は別に気にしていなかった。お前と過ごす日常はとても楽しかったし、充実していたから。……けれど心の何処かで、フラストレーションが――本気で暴れたいという欲求が、溜まっていたのかもしれない。勿論、それは菫子の所為じゃない。私個人の問題だ。
 ……そんな時に、今日の出来事。我を忘れて、それでも自分の目的であるお前の奪還だけは忘れずに行動した結果が、あれさ」
 我慢ができないなんて、私も千三百年前から何も成長していないな、と自嘲気味に彼女は呟く。
「アイツの事は、今でも恨んでる。けれど、語弊がある言い方だけど、感謝もしている。不死身を持て余し、廃人のように過ごしてきた日々が嘘のように、人生が明るいものになったんだ。もしもアイツがいなかったら、こうして、菫子と会うこともなかったかもしれない」
 言いすぎかな、なんて頭を掻きながら妹紅は微笑む。菫子から見たその横顔は、どこか晴れやかなもので。
 ……輝夜と彼女の、千三百年の因縁。数百年にわたる殺し合い。特別な関係。不老不死同士。ふたつの永遠。妹紅と自分の間には、超能力が使えるだけのごく普通な人間である自分には乗り越えることの出来ない、巨大な壁があることを思い知らされた。
「ところで、唐突な話なんだけどさ、菫子」
「なに?」
「不老不死の薬を手に入れたら、お前は飲むか?」
 軽いトーンで投げかけられた問いに、菫子は目をしばたたかせる。
 他の誰かであれば、一蹴してしまうような質問。
 けれど、当の不老不死から問われてしまえば、途端に現実味を帯びる、究極の問い。
 菫子自身にとっても、他の誰であっても、不老不死が魅力的でないわけがない。
 人間の寿命なんて、せいぜい一二〇年。そんな僅かな時間に、何かを成せる人間は少ない。
 もし仮に不老不死になれば、無限の時間を得ることが出来る。何度失敗してもやり直せる。無限の猿定理のように、気ままにキーボードを叩き続けていけば、万葉集の一節をタイプすることも可能だろう。
 ……世界に存在する深秘を、全て曝くことも、きっと。
 けれど、その先は?
 物事は有限だ。他人も、世界も、幻想郷も。深秘も。
 世界の深秘を全て曝いた先には、何があるのだろうか。
 無限に長い時間の果てには、何が待ち受けているのだろうか。
 妹紅や輝夜さんと永遠に戯れているのだろうか。
 しかしそれでは、恐らく、自身の心は持たないかもしれない。
 妹紅も輝夜さんも好きだ。けれどその好意はあくまで幻想郷に沢山いる友人としてのものであり、永遠を添い遂げられるものではない。
 それに、霊夢さんや魔理沙さんやカセンちゃん、早苗を始めとした彼女達を看取る事になってしまう。
 大切な友人との別れを何度も経験しては、やはり自分の心はダメになってしまうだろう。
 でも、強く否定してしまえば、不老不死である彼女を傷つけてしまうかもしれない。
 ……迷いに迷いぬいた末、菫子は口を開く。
「妹紅は、私に飲んでほしいと思う?」
 菫子は妹紅に子供扱いされている。彼女は、それについ甘えた。
 瞼を閉じ、首をほんの少し傾げつつ、妹紅は答える。
「……辛い思いをする人間は、少ない方がいい」
 彼女の優しい口調に、私に気を使わせてしまったと、菫子は罪悪感を抱く。
 やはり、自分の身は、自分の心は、少しも成長していない。
 少しでも早く、大人にならなければ、と菫子は強く想った。

  ◆

 昼間とは打って変わり、煩わしい客も存在せず、永遠亭には静かな夜が訪れていた。
 自身がぶつかった衝撃で破壊された丸窓は未だに復旧されていないが、そこから眺められる竹林と夜空という光景は大変風流なものであり、これはこれで良いものだ。と、輝夜は晩酌をしながら考えていた。
「輝夜? 入っていいかしら?」
 彼女がくいと猪口を傾けていると、襖の向こうから声がした。永い仲なのだから無断で入ってきても良いのに。なんて小さく笑いながら、輝夜は許可する。
 すぐに襖が開かれ、永琳が入ってきた。彼女の手には、お団子が載っている白い平皿と、徳利とお猪口が握られていた。
 永琳はそれらを机の上に置くと、膝を折り、輝夜のすぐ隣に座った。輝夜の猪口と自身のものに徳利で酒を注ぎ、机の上に置かれた優曇華院をチラリと見てから、永琳が話しかける。
「今日は楽しかった?」
「勿論」
 頬杖をつき、瞼を閉じて、輝夜は日中の出来事を回想する。因縁の宿敵との、久方ぶりの遭遇。口元を歪ませながら、独り言めいて零す。
「ちょろっとお預けを食らわせた後に餌をぶら下げたら、勢い良く噛み付いてくれたわ。あの時の彼女の表情といったら……最高だった。
 溜まりに溜まった欲求不満を何処かで発散しているんじゃないかと想っていたけれど、もはや私が相手でないと、解消できなくなっているようね。普段より少々粗暴になっていたのが、その証拠よ。
 ……ああ、そうそう。しっかりと妹紅に事を伝えたイナバを褒めてあげないと」
 猪口の中身を勢い良く喉の奥へと流し込んでから、満足そうに輝夜は微笑んだ。容器を机に置き、ほうと一息ついてから、彼女はもう一つ重要なことを思い出す。
「それにしても……いや、妹紅と同じくらい、あの人間は面白かったわ」
 例の彼女と遊ぶ際に使用した花札をそっと手に取り、丁寧に混ぜると、静かに机の上に置き、上から五枚めくり並べる。
 松に鶴、桜に幕、芒に月、柳に小野道風、桐に鳳凰。こいこいの中でも最も点数の高い役、五光だ。
 ……輝夜は自身の力によって、永遠と須臾を操ることが出来る。上手く活用することで、異なる歴史を持つことが可能だ。
 それこそ、自分に都合の良い順番でカードが並んでいる山札を作り出すことなど、造作も無い。
 勿論、妹紅との殺し合いや、普段の生活でそれを行使することは稀だ。そんな事をしてしまえば、つまらなくなるから。
 けれど今回は、外の世界に住むサイキッカーという面白い存在が相手だった。だから彼女は、相手が超能力で何か仕掛けてくる前に出来る先制行動として、そして相手が何もしてこない場合は挑発するという意味合いで、能力を存分に使った。
 永遠と須臾。人間には真似することの出来ない時間干渉。彼女が負けることなど、万に一つとしてあり得ない。
 しかし。
「最後の二回。不完全ながら、私の能力が阻害されていた。あの様子からして、意識して何かをしたというわけでは無さそうだけれど……。まさか、私と同じ能力が使えたとでも言うのかしら。それとも、無意識に力を読み取って、模倣した……? どちらにせよ、あの子の『勝ちたい』という想いが干渉してきた事は確か。超能力が使えるだけの一般人かと思ったけど、只者じゃなさそうね。面白い」
 笑みを浮かべ、輝夜は褒め言葉を並べていく。
「買いかぶり過ぎでは?」
 初対面の相手にここまで言う輝夜を見たのは、永琳は初めてだった。
「そう? 永琳も僅かながら、感じたんじゃない?」
「……私は、どちらかというと、ほんの僅か漂っていた、胡乱な匂いが、ね」
 猪口のお酒をクイッと一気に飲み干してから、永琳は苦笑いした。
 輝夜は彼女の言わんとする事がすぐに理解できずキョトンとしていたが、ワンテンポ遅れて察し、同じく苦笑いした。
「なるほどね。確かに……。永遠亭を消臭しなきゃ」
 イナバ達にやってもらわないとね、と輝夜は続けて言い、脳裏に浮いてきた彼奴の不気味な笑みとともに、お酒を飲み込む。
「この夜空からして、近々何かが起こりそうね。乗ってみるの?」
「輝夜がそう望むのなら」
「そう。じゃあ、お願いしようかしら」
 輝夜は頬を紅く染め、吐息を漏らしつつ、目線を上げた。永琳もつられて、破壊された丸窓から夜空を見る。
 煩わしい月の光に掻き乱されること無く、星々が煌々と輝いていた。その美しさは、幾星霜と経っても、変わらないもので。
 しかし、その星の運行は、並の妖怪よりも永く夜空を眺めてきた二人にしか判らない程、僅かに狂いが生じていた。
もこすみも好きですが、てるもこも大好きです。そんな今日この頃。

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2.70名前が無い程度の能力削除
読みやすい文章でした。